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羽越線で起こった脱線事故は、実情がわかってくるに連れてなにやら凄まじいものであったことがひしひしと伝わってきており、これはまたえらい事故であると事故に遭われた方々に深く哀悼の意を表すものである。しかしながら、マスコミ各社は不思議とこれは人災であるという風にミスリードせしめんと努力しているように思われ、強風が吹いていたのになぜ列車を止めなかったのかなどという困ったことを言い出している。半年ばかし前に起こったJR西日本とは勝手が異なっているものであり、今回は局地的に発生した突風であるため予測は不可能であり、JR東日本を責めることといえば、横風対策はこれで十分だったかということぐらいのものである。しかしながら川に防風林を植えることなど土台無理であり、不可抗力という意外にどうしようもないという気がしないでもない。それよりも羽越線を走る寝台列車であるところの「あけぼの」「日本海」「トワイライトエクスプレス」が軒並み運休になっていることがなんだかえらく心配である。クリスマスや正月といえばこの手の列車はそれなりに需要が高いはずなんだけどねえ。戻る↑
バカンス最終日である本日は牧志公設市場に向かうこととした。味わい深い市場は日本ではなく東南アジアのそれという雰囲気を醸し出しており、ゴージャスなディスプレイはいつ見ても目を楽しませてくれるものである。次回はぜひとも二階で食事をして舌も堪能させていただきたいものだという思いを胸に市場を後にし、おもろまちにあるDFSに向かう。ここにレンタカーで訪れたり、ここでレンタカーを返却すればサービスがあるということなのでやってきたわけであり、DFSの本質であるはずのブランド品には目もくれずに三階にあるフードコロシアムなどという施設でソーキそばやじゅうしいをいただく。
内地からの観光客向けに味付けされているため、これまで食した沖縄料理よりも味わいぶかさは薄いのだが、沖縄の味は確かに残っておりなかなかのものであった。このDFSは那覇のシティエアターミナルを目指さんとばかりにレンタカーが返却できたり土産が買えたりするわけであり、しかもすぐそばからゆいレールが空港へ向かっているわけであるから、確かにそのような意図を持って作られているように感じ取れたのである。ゆいレールで空港に到着し、チェックインを済ませてタコライスを食し、帰りの機内では思い残しの無きようにとばかりにオリオンビールを飲んでまったりと過ごす。羽田に降り立つと4日ぶりに日本の冬を否応無く味わわされ、リムジンバスに乗って帰路に着く。首都高が大変混雑しており、那覇から羽田に着くよりも、羽田から堀切ジャンクションに到達するほうが時間が掛かるのはどうしてなのだろうかと日本の不思議な現状を鑑みつつ帰宅。また行きたいと思うまことに素晴らしいバカンスであった。戻る↑
朝起きて大浴場で朝風呂を満喫するが、露天風呂にも洗い場があったりするなど相変わらずの不自然なところや、風呂の行き帰りに強制的に土産物屋を通過させるなどのかなりさもしい精神が見え隠れしており、いまひとつな評価はぬぐいきれないままこのリゾート地を後にする。本日はこのリゾート地とは目と鼻の先にある部瀬名岬一帯に展開されているブセナテラスリゾートを訪れ、その中にある万国津梁館にお邪魔する。万国津梁館は以前にも立ち寄ったのであるが、リゾートの奥に展開するこの施設は、特に何か会合が頻繁に行われるわけでもないのに、サミットが開かれたというだけで有名となってしまい、毎日特に入場料をせしめる訳でもなく掃除には余念が無いという不思議な施設である。見学後車を残波岬灯台へと進めて灯台チケットを消費し、受付のおっさんとチケットの半券をもぎる/もぎらない、チケットにスタンプを押す/押さないで一悶着起こし、半券は返してもらうがスタンプは押さないということで話がまとまる。残波岬では超巨大なシーサー像を見たりしてまったりと過ごし、そのあと読谷補助飛行場跡やゾウの檻を見物して南下を続ける。北谷にあるA&Wでルートビアを久しぶりに嗜んで嘉手納基地の横を抜けて識名園へと向かう。

識名園は琉球王朝の王の庭園であり、中国からの使節が来たときに、ここからは海が見えねえだろだから沖縄はでかい国なんだよすげえだろと虚勢を張っていたという逸話があるように不思議とここからは海が見えない場所にあり、見る角度により様々な趣向が凝らされているという味わい深い庭園である。本日は那覇市内にお宿を取り、夜は国際通りで山羊料理を嗜む。久しぶりに食べる山羊刺し、山羊汁は味わい深く、山羊炒めやクーブイリチーや牛のナカミ炒めなどをつまみにオリオンと泡盛をいただき、すっかりご満悦となってしまった。この店は必要以上にサービスサービスといっておまけがつき、座敷に料理を運ぶのがカウンターに座る常連客という大変アットホームなところであり、料金も三人でしこたま飲んで食べて7000円ばかしであった。こういう店があるとまた沖縄に行きたくなろうものである。戻る↑
宿をチェックアウトして本日も沖縄漫遊ツアーは始まる。まずは現在日本でもっとも長い無料橋である古宇利大橋を渡って古宇利島に行き、その橋の壮大さに感動。屋我地島のビーチが有料であることに驚いたり、世間ではクリスマスだというのに海辺でキャンプができるなどという温暖な気候に感激したり、ファミリーマートで黒糖玄米などという不思議なまったりとしてそれでいてしつこい飲み物みたいな何かを飲んだり、
ヒルギの林が広がる光景を見たりしつつソーキそばを食して今帰仁城へ。今年の2月に訪れたときには影も形も無かった駐車場と土産物屋と入場券売り場に驚き、かつての駐車場は遺跡が発掘されたから使えなくなったとか、相変わらず怪しいサトウキビジュースを売る店や、いまや切符をもぎるだけに存在しているかつての入場券売り場など、世界遺産に登録され、観光客が来るのと並行して鋭意遺跡調査中というずいぶんとのんきな何かを感じつつ城より眺めるエメラルドブルーの海を見物。そののち車を本日のメインイベントである美ら海水族館へ移動させ、いよいよ巨大水槽とご対面である。ジンベイザメやマンタが悠々と泳ぐ姿を眺めて時間が経つのを忘れてしまい、気がつけば水族館は閉館となっていた。そののち本日の宿泊地であるかりゆしリゾートに到着し、本日も沖縄料理に舌鼓を打つ。いけてない普通のリゾートホテルであるが、なぜか沖縄料理には気合を入れていたようで、かなり美味いがオリオンビールがなかなかこなかったりするとこらへんに改善の余地があるというものであった。戻る↑
朝の冷え込みが厳しい中、友人とともに足取りも軽くつくばエクスプレスに乗り込み、いざ羽田空港を目指す。羽田空港に到着してまずは腹ごしらえをし、いざ機上の人となる。伊豆半島を過ぎたあたりから本土とお別れをして次に陸地の上を通るのは奄美大島という航路を選択して飛行機は順調に飛び続け、約2時間半のフライトの後那覇空港へ着陸する。到着すればいきなりそこは暖かい南国である。上着は速攻で仕舞い、レンタカーを借りていざ出発である。マツダレンタカーで「ご用意した車がマツダでないのですが」という説明を受け、沖縄のレンタカー事情から鑑みればサターンやシトロエンなどの味わい深い外車でも回ってくるのではないかと察していたところ、外車は外車でもヒュンダイのTBがやってきた。外車を運転するのは友人のBMWを運転して以来である。
早速乗り込み何気にパワーの無いちょっぴりストレスの溜まる車を操って北部を目指す。今回の大きな目的は北部の国道をすべて塗るということであり、宮里藍の個人的な稼ぎによる税収が村の収入の4割を占めているという凄まじい村などを経由して奥集落に達する。ここより国道58号沖縄本島部分は始まり、そのあとは着実に南下して本日のお宿であるオクマリゾートに到着。昨日まで4時半にはすでに真っ暗であったのに沖縄では6時ごろまで暗くならないため意味不明な時差ボケを体験したような気分となり、コテージにチェックインする。なぜか二階にもベッドルームがあるという必要以上にゴージャスな部屋であり、カサゴやヤンバルクイナなどの不思議な電飾を眺めつつ晩飯に向かう。晩飯は久々に海ぶどう、島らっきょう、ラフティー、スーチカ、豆腐よう(食恙)などの沖縄料理を満喫し、今が旬の田芋(ターム)をすりつぶして固めたドゥルワカシーと初遭遇し、沖縄の夜は更けていった。ちなみに南国であれどこであれ、やはり今の時期はクリスマスであり、ホテルのパブリックスペースは何気に味わい深いクリスマス用の装飾が施されていたのであるが、天井から豊臣秀吉の千成瓢箪を彷彿とさせる何かがぶら下がっていたのだけはいただけないものであった。戻る↑
このところの寒さで些か困惑気味であるが、本日は冬至である。北半球では南中時の太陽高度が寒さより一足お先に最低値を記録する日であり、これから遅れること約2ヶ月で気温は最低値を記録するものである。一年で一番昼が短い日であると理科の時間に習う人も多いが、それは北半球のみに当てはまり、南半球では昼が一番長い日であり、赤道直下では一年を通して昼の長さは一定である。そんな寒い日であるため、帰宅して近所の中華料理屋で温まる晩飯を食し、大分県産の柚子を使っているが広島県産という柚子風呂の素を入れた風呂であったまる。この寒さが厳しいことは当分の間続くのであるが、明日からはこの寒さとはしばらくはおさらばである。明日より始まる南の島へのバカンスに思いを馳せ、寒い中布団に包まって寝る。戻る↑
「貴方は頭髪も偽装してるんですか?」というかなりきつい指摘を受けている元一級建築士が、自分の中に弱い自分がいるということを話していたのがつい先週のことである。綾小路きみまろ氏が「ヅラをカミングアウトして私は強くなれた」とどこかのテレビ番組で話していたのを思い出したが、それが万人に適用されるのであればあの元一級建築士も堂々とカミングアウトするべきではないかと思われる。これで自分の中の弱い人間は雲散霧消し、耐震強度の偽装から足を洗うことができようものである。それにしても悪いことには「手を染める」ことから始まるが、最後は「足を洗う」訳であり、手は相変わらず汚れたままということではないかとつまらぬことを考えつつ本日の家宅捜索のニュースを聞いた次第。戻る↑
まったりと目が覚め、親分と張さんの「喝!」を見て朝を過ごす。おもむろに手元にあった携帯を見たらば、裏蓋がどこかに行ってしまったようで、充電池がむき出しになっている。まあ、蓋が外れてもたいしたことが無かろうと高を食っていたところ、マナーモードにしていた携帯が震えだし、その振動で電池が外れて電源が落ちるという椿事が出来した。これはたまらんと思い直し、本日は携帯の機種変更に出かけることとした。先日も機種変更をするべく近所のauショップに出向いたのだが、いまひとつ決め手に欠けるためまたあとでと思っていたが、今はどうやら待ったなしなのでおとなしく機種変更をする。今のご時勢らしくパケットを使いまくってメールだの何だのをがんがんやろうと考えると、どうやらそれなりのプランをアドオンさせねばならぬようで、これまでよりもかなり基本料金が高くなるプランとなってしまった。しかしながら、この便利さには勝てないのは事実であり、そうなればメール受信専用として契約していたVodafoneは不要となるので今月一杯で解約することとした。よく考えるとこのVodafoneとの契約は4年前の12月16日に名古屋でやっており、確かあの日もえらく寒い日だったなあという記憶があったりする。携帯を2台使う生活がこのような形で終わりを告げることはなんとなく判っていたが、いまひとつさびしいものもある。戻る↑
このところ仕事が忙しく、一息つくべしということで、友人宅に先週末に仕入れた日本酒片手にお邪魔することとした。村上駅前の酒屋で購入した「鮭の酒びたし」などという味わい深いおつまみを食しつつ、越の寒梅をちびちびとやる。気がつけば1升瓶が空になったりするのだが、うまい酒なので致し方ない。このところ焼酎一辺倒であったが、それは偏に清酒がナイーブであり、味を保つためには管理に細心の注意を払わねばならず、一方焼酎は蒸留酒ゆえに管理はアバウトでもあまり問題にならないからであったである。決して値段で焼酎に靡いていたわけではないが、そういう要因を否定するには単位量あたりの値段に乖離があるのも事実である。しかしながら名誉のために申し上げておくと、村上で購入した日本酒はいずれも1升が3000円ほどであり、普段愛飲する焼酎の1升あたり平均2000円とはそれほどの差がないという事実もある。うだうだ言っているが、正味な話美味ければ何でも良いのである。理屈っぽい酒飲みはこれだから困るというものだ。戻る↑
体が小さいほうが飛んだり跳ねたりすることに有利であるということは疑いようの無い事実である。しかしながら、成長段階にある人間に無理なことをさせることにより体がいびつなまま成長することは好ましいものではない。野球において小学生にカーブを投げさせないとか、投げ込みを禁止するというのは理に適った話である。フィギュアスケートにおいてもそのような理論構築がなされており、オリンピックの競技において年齢制限がある珍しい競技となっている。今年度よりシニア(ジュニアに対比する表現なのでこう書かれているが何か違和感を感じたりもする)に参加する運びとなった浅田真央選手は年齢制限に引っかかるが故に来年のトリノオリンピックには参加できないこととなっている。しかしながら、現実はそのような制度をあざ笑うかのようなこととなっている。これまで女王の名を恣にしてきたスルツカヤ選手を差し置いて、いまや凄まじいまでのタレントを開花させている浅田選手は新たな女王とならんとしているのである。浅田選手が年齢制限でオリンピックに出場できなかったとなれば、女王不在のオリンピックとなりかねないわけであり、世界一を賭けて戦うという大会が世界一を欠けて戦う大会になってしまいかねない。この状況から、西側諸国がボイコットしたモスクワ、東側諸国がボイコットしたロサンゼルスオリンピックにおいて、金メダルを取った選手に対して、不参加であった国のマスコミが「うちの誰々が参加していない大会で1等賞を取ったところで世界一といえるのであろうか?」という反語的な締め括りをしていた事を思い出すのは訳も無いことである。ルールを曲げないと参加できないほど浅田選手が素晴らしいというのは嬉し過ぎる誤算であろうが、オリンピックの1等賞が「1位」であったとしても、それはボクシングの「1位」同様にチャンピオンへの挑戦権の優先順位が1位であることに過ぎないことに似てきたりはしないであろうか?戻る↑
それにしてもミュージカルとか宝塚とか歌舞伎とか、そういう自分から切符を取ってまでして観に行こうという気にならないものはこういうイベントを利用して観に行くことにしているのであるが、そうではなくてこれを観たいというモチベーションをもってやってくる人もいるわけであり、世の中にはいろいろな人がいるものである。芝居の中休みには片一方のトイレのみが大渋滞となるなどいつもながらの展開であり、演歌のコンサートなどともなればこちら側のテリトリーに侵入して用を済ませるご婦人方もいらっしゃるが、本日はそんな方もいらっしゃらなかった。芝居がすんで帰ろうとしたときにエスカレータが急遽止まり、つんのめってこけそうになった人もいたりしたのはなかなかに味わい深いハプニングであった。そのあと銀座をぶらぶらして気がつけば麦焼酎の梅酒を買わされていたりするなどと物欲にきっちりと負け、鹿児島料理屋で友人と飯を食う。そばつゆ仕立ての黒豚しゃぶしゃぶなどという美味なる食事に舌鼓を打ち、珠玉の焼酎を堪能して東京駅よりバスで帰宅。戻る↑
天童では肉そばを食し、山形の味覚を堪能する。体も冷えてきたのでそろそろ風呂に入ろうかと上山温泉を目指す。共同湯はどこかということを調べるべく観光協会にでも行こうかと考えていたところ、「浴場前」などという素晴らしいバス停を見かけ、車を止めてそのあたりを散策して「鶴の湯」を発見し見事なまでのお湯を堪能する。風呂上りに番台に掛かっていたラジオからこの先で交通事故があり迂回路がないという話を聞いたので、かなり遠回りをして南陽に到着し、そこから村上を目指す。荒川沿いに米坂線と並走するこの国道はいまだに走ったことが無かったのであるが、雪景色が見事であり、今の季節に来てよかったなあと思いつつ、道路がきっちりと圧雪状態であったため運転にはかなり気を使う。途中関川村の雲母温泉の共同浴場を探し当てるために他の温泉の受付に掛け合うなどの蛮行を行い、味わい深いお湯を満喫しつつ村上に到着。村上といえば、ということで〆張鶴の純なんかを買い、一路帰宅する。しかしながら、帰路の磐越道は凄まじいまでの冠雪状態でありおまけに猪苗代から磐梯熱海までは吹雪で通行止めとあって、かなり気を使いながらそれでいて楽しく雪道を走りまくり、いい加減眠くなったので阿武隈高原SAで寝る。戻る↑
証券取引所で会社からの注文を仲買人に伝える「場立ち」なる職業が姿を消したのは、人件費削減というわけではなくて、そのお仕事はコンピュータシステムにお任せするほうがよろしいでしょうという経営判断の下に断行されたわけであり、これはみどりの窓口の予約係が全国からの問い合わせを予約表に書き込む神業が要求されなくなったことと同様の理由によるものである。当時は株価と株式数を間違えることは無かったが、コンピュータに任せてしまったがためにそのような事件が起こってしまったわけである。現在の、インターネットで株取引をするだの買って数時間後に売るだのといういわゆるデイトレードが可能となったのはコンピュータシステムが導入によるものであり、バブル最高潮のときよりも昨今の株式取引量が上回っているのはそのような結果に基づくものである。必要があったのでそのシステムを導入し、その導入に伴い発生した問題について、システムを変えたことが原因だと全否定することは演繹的な否定方法であり、お気楽なジャーナリズムの批判手法である。しかしながら、市場の混乱を招いたがために本日のジェイコム株の取引を停止するという証券取引所の判断は、貿易センタービルの土手っ腹に飛行機がつっこんだ翌日の株取引の下げ幅を制限したがために「ここまで下げても良い」という暗黙の了解を示したことに次いでいけてない判断であったと思う次第。市場のことは市場で解決する、が正しい姿勢ではないかと。戻る↑
牛丼が日常から消え、焼肉屋が下火になり、仙台の牛タン屋が悲鳴を上げるようになったのは、すべてアメリカ産牛肉の輸入がストップしたことに起因することに異を挟むものではない。アメリカが行った空前絶後の牛肉の生産プロジェクトは、牛肉の消費量を激増させることに成功し、これぞしてやったりというものであった。牛肉を1kg作るためにその10倍以上の穀物がなくなってしまうという人口問題から見れば大いに問題のあるこのプロジェクトは、より少ない餌でより多くの牛肉を生産するべく、餌に肉骨粉を用いてしまうことに行き着く。そしてその結果、狂牛病などという病気が発生してしまい、日本への牛肉輸出が途絶えてしまった。日本人はそもそも細かいことを言うし、購買力を勘案すればそのわがままが一番通用してしまう厄介なお客さんである。しかしながら一度客となればこれほどうれしいお客さんはいないわけであり、如何にして日本人の信頼を勝ち得ることができるかということに本来であれば注力するべきであったと考えられる。この度の「20ヶ月以内やったら問題ないやろ」という極めて論理的根拠の薄いゴリ押しで輸出を再開することに成功したのは実は失敗ではなかったのでなかろうかと思われる。今後はなし崩し的に牛肉が全面的に輸出が再開されるのであろうが、目に見えないイメージを重視する日本人に「ゴリ押しして輸出された牛肉」がどのように映るのかが興味のもたれるところである。とりあえず20ヶ月以内なら安心とは思っていないし、アメリカ人が危険部位と目される部位を適切な手法で取り除いているとは到底信じられない僕にとっては、輸入が再会したところでそれが全く何のプラス材料とも思わなかったりするものである。戻る↑
都市交通は過密の一途を辿り、ラッシュ時の鉄道の混雑は凄まじいものとなったのが高度経済成長時代であった。鉄道の混雑緩和方法は列車を増結することや本数を増やすということに尽きるものであるが、本数は凡そ限界を迎えることとなる。そしてその解決策としては、鉄道の複線化および複々線化というものが挙げられる。また、街中の鉄道は、鉄道車両が車よりも優先するという現在の法の下では道路を寸断することが畢竟であり、それゆえ鉄道が地下に潜ったり高架化されたりすることも多く希望されるところである。しかしながら、これらの方策は鉄道会社にとってメリットがあるものではない。これらの方策をしたところで儲けが増えないばかりか、建設費の償却と新たな固定資産の増加に伴うランニングコストの増加が経営を圧迫することになる。小田急沿線の住民が起こしていた裁判は、鉄道の高架化に伴い自分たちの生活環境が喜ばしくなくなるというものであったようだが、この裁判の一番の問題は混雑緩和をどのようにするのが望ましい姿であるかを模索することではなかったのかということである。一私企業である鉄道会社だけでこのプロジェクトを賄うことは侭ならぬものであり、自治体の都市計画に盛り込むべきものであり、それゆえ住民は意見を聴取されてそれ相応の負担を税金という形で受けることが必須となるべきものであるとすべきであった。裁判のやり直しの結果がこのことを踏まえてくれればいいと思うのであるが。戻る↑

広島を出て、いざ次なる目的地厳島神社に向かう。本日はかなり潮が満ちていたこともあってか回廊の下ぎりぎりまで水は迫っていたのが印象的であった。
巨大な鳥居や杓文字を満喫し、本土に戻って駅前で美味なるアナゴ飯を味わい、温泉を満喫するべく車を西に進める。島根にある公民館にしか見えない六日町温泉や、間欠泉のある木部谷温泉や、洗い場の千枚田が見事な柿木温泉を満喫して帰路に着く。六日市ICではいまどき大変貴重である手渡しで券を受け取ることを体験する。そののち車を進めるも、凄まじいまでの雪が降り始め、中国道は見事なまでに冠雪しており、途中の深谷PAではタイヤチェックまでが行われるという物々しさである。幾分速度を落として運転し、吉和SAで休憩してこの状況を写真に収めて更に進む。空港には無事到着し、反省会と称して空港でビールをしこたま飲んでいい気分で飛行機へ。羽田に降り立ち、高速道路が深夜割引時間帯になるまで時間をつぶしてそのあと帰宅。味わい深い旅行であった。戻る↑
払暁目を覚まし、羽田空港へと車を急がせる。羽田空港では地方空港に旅立つ飛行機ならではの風物詩である、飛行機までバスで移動という味わい深い経験をする。バスには「広島行」とあるが、これはこのバスが広島に行くのではなく、広島行きの飛行機までこのバスで移動するという意味であるが、微妙にして間違いが感じ取れる味わい深いものである。飛行機で広島に降り立ち、空港でレンタカーを借りて、いざ尾道へと向かう。尾道には映画「男たちの大和」の撮影に使われた戦艦大和のハリボテがあり、なかなかに味わい深いものを見せてもらった。
確かに原寸大の大和というのはでかいのであるが、やはりこれは所詮映画のセットであるという感じが否めないものであった。しかしながら、このハリボテを巧みなカメラワークであたかも本物の戦艦であるかのように撮影するカメラマンの腕前に感動することも事実である。フェリーで尾道市内に戻り、尾道ラーメンを食べて次なる目的地である常清滝を目指す。この滝は日本の滝100選に選ばれているだけあって味わい深く、以前来たときと違って水量が少ないものであったが、これはこれで味わい深いものであった。滝を後にしてJR三江線の宇都井駅に向かう。この駅は先週の土合駅とは逆で、地上最も高いところにある駅であり、逆にその不自然さに何か間違いを感じる駅である。そんな珍しい名所を探索し、いよいよ本日のメインイベントである千原温泉に向かう。島根の山奥にひっそりとあるこの温泉はぬるめの炭酸泉であり、足下から湧くそのお湯はまことに素晴らしいものである。ぬるめのお湯に1時間ばかりつかり、そのあと上がり湯に沸かした五右衛門風呂に入って座敷の炬燵でまったりするという最高の時間を過ごす。そのあと車を広島へと進め、広島で今の時期に味わえるであろう瀬戸内の幸と牡蠣を満喫して広島の夜は更けて行った。戻る↑