2004年4月

  • 今月の日記を新しい順に読む


    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 4月30日(金)「都井岬」
  • 4月29日)「九州へ」
  • 4月28日(水)「新人歓迎の飲み会って何回目だったっけ?」
  • 4月27日(火)「発展途上の国」
  • 4月26日(月)「人間くさく生きる」
  • 4月25日)「荘川桜」
  • 4月24日)「わさび」
  • 4月23日(金)「パジェロとパジェロミニ」
  • 4月22日(木)「地名の由来と歴史的な背景」
  • 4月21日(水)「夏のキサマ」
  • 4月20日(火)「存在理由の低下」
  • 4月19日(月)「小笠原ガイド」
  • 4月18日)「龍岡五稜郭」
  • 4月17日)「山梨の峠探索」
  • 4月16日(金)「人質解放」
  • 4月15日(木)「ジェネリック」
  • 4月14日(水)「国土計画」
  • 4月13日(火)「鶏肉と鶏卵」
  • 4月12日(月)「意味不明な号外」
  • 4月11日)「馬鹿と煙は高いところへ」
  • 4月10日)「うどん金比羅道後温泉」
  • 4月9日(金)「砂糖の製造」
  • 4月8日(木)「体育会系の不祥事」
  • 4月7日(水)「日本人の職人芸」
  • 4月6日(火)「新人歓迎飲み会その1」
  • 4月5日(月)「ついに合法判決」
  • 4月4日)「桜の季節」
  • 4月3日)「東尋坊の言われ」
  • 4月2日(金)「高石式給湯法」
  • 4月1日(木)「桜を見て思うこと」


  • 今月の日記
    4月30日(金)「都井岬」
    朝起きてまずは竹田に向かい、岡城址何かを見学したいところであるが、後がつかえているのでそれを無視して阿蘇へと進路をとる。阿蘇山の観光も行わず、ここから265号をトレース開始する。265号は439号、425号と共に「三大げっそり国道」と呼ばれる道であり、ハンドルを回しても回しても辿り着けないという道である。取り敢えずは箱石峠の写真を撮ったりするが、基本的には走ることに専念してひたすら南へと進む。しかしながらこの265号は僕とは相性が悪いようで、去年の7月に来たときは田代八重ダムあたりでレンタカーのブレーキが利かなくなり、仕方がないので崖に擦らせて停めようとしたら前輪のシャフトが曲がって敢え無く廃車となり、人里離れた山中で20分程待った挙げ句に通りがかった人に小林まで送ってもらったというなかなか貴重な体験をしている。一ツ瀬人力発電所:最大出力680W/min今回もご多分に漏れず、この国道に走ることを拒否されており、崖崩れにより上椎葉ダムから先は通行止めということで迂回路に指定された村道を走り抜け、必要以上に時間を食って大河内集落に入る。そのあとは219号をつないで一ツ瀬ダムへ。最果ての終着駅となった志布志駅一ツ瀬ダムによりできたダム湖は九州一番の規模を誇るとか、宮崎県には水力発電所しかないとかいう無駄な知識の収集に是努め、自分でどれだけ発電できるかという、ひたすらハンドルを回すだけというばかばかしい装置に対峙し、あんたがその勢いでハンドルを回してもこのダムの一時間の発電量を賄うには30年かかるよとこれまた余計なことを機械に言われてしまう。そんな一ツ瀬ダムを見学しつつ西都市に入り、高速を清武まで走って220号で日南へ。日南で昼飯を食べていざ448号を都井岬へと進む。都井岬は全国に一三カ所ある参観可能灯台の一つである都井岬灯台があり、そのために出向いた次第。去年のゴールデンウイークに出向いた最果ての尻屋埼と同様なぜか馬が放牧されており、ゲートを入るときにご協力お願いしますと書いている割には門番のおばちゃんに高飛車に「400円」と言われ、「お願いできませんか?」の一言ぐらいは言えないものかと観光地擦れしているおばちゃんに少し怒りがこみ上げる。石油備蓄基地@喜入灯台の受付をしているおばちゃんとあちこち灯台に行かれているんですねえと言う会話をして参観を済ませ、バカップルが今時それはないだろというタイタニックごっこをやっているのを横目で見つつその絶景を堪能する。そのあと串間と志布志、そして垂水で今回の目的の一つである焼酎の買い付けを行い、垂水で晩飯を食べて桜島へ渡る。串間では酒屋のおばちゃんにデフォルトでは一升瓶を二本買うもんだという無言の圧力を受けるが、なんとかそれを押しとどめて一本購入する。志布志では都城と鹿屋方面にかつてはあった路線が廃止されており、交通の要所がただの最果ての終着駅となった駅を見物する。桜島からはフェリーで鹿児島に入り、鹿児島中央駅を見学して喜入に向かい、石油備蓄基地のそばにある道の駅で没する。戻る↑
    4月29日)「九州へ」
    フェリーから見た洞海湾休みの日は必要以上に目が覚めるのが早いというのはお約束である。なぜか朝の4時に目が覚めてしまい、さっさと出かける準備をしてしまう。でも、今日は丸々一日運転するわけであり、それにしては眠りが足りないと思われたので二度寝を決め込む。二度寝から目が覚め、いざ7時に自宅を出発する。いつもの通り京都縦貫道を利用して千代川まで、千代川から滝野社までは爆走し、滝野社から高速に乗る。連休初日と言うことで高速道路はどこも大渋滞らしいが、滝野社まで逃げれば渋滞するはずもなく、渋滞とは無縁の快適な走行が続く。後顧の憂い無く西進するためには鳥取と島根を通過しておく必要があり、島根は中国道を通過すると勝手に踏むことができるという便利なシステムが構築されているため鳥取を踏む算段に取りかかる。ということで佐用で下りて373号を北上し、志度坂峠の旧道探索なんかをして鳥取に入る。因美線那岐駅前にある開通30周年記念の石碑吉和SAのイワナ茶漬け鳥取からはショートカットをしつつ53号を利用して岡山に再び舞い戻る。途中因美線の那岐駅でうえぺけ号の写真撮影を試みたりするが、智頭急行が開通してますますマイナー化が進む因美線の列車本数の少なさに愕然として、ここまで本数が減れば「貧すれば鈍」となり、誰も鉄道を利用しなくなるのではないかと余計な心配までしてしまう。そのあと津山からは高速道路を利用して西へと進む。ガソリンが残り少なくなったのと運転手のガソリンも心許ないため吉和SAで休憩し、イワナ茶漬けというメニューを所望する。これがなかなかに美味であり、また機会があったら食べてみたいと思った次第。しかしながら吉和SAはそのしょぼさ加減が凄まじく、中国道で最も交通量が少ない区間であることも手伝ってか、ガソリンスタンドは20時で閉まるというから恐ろしい限りである。もともと吉和村であったこの地域が合併により海辺の町である廿日市市に吸収されたのはいまだに違和感がありまくりである。その後給油せずに小郡まで走り、小郡で下りて給油して一路下関を目指す。今回はなるべくフェリーを使うという不思議な目標を立てており、そのため彦島から関門海峡フェリーで小倉にはいることとした。フェリー乗り場に到着したところ、今まさに出航という状態であり、タイミングよく車を乗せていざ九州へと向かう。洞海湾に広がる工業地帯を横目に船は接岸し、九州に上陸する。小倉からは322号で久留米を目指し、久留米ラーメンを食べて満足する。そのあと、千葉から浜金谷−久里浜−大分とフェリーを乗り継ぐということを目的として九州に来た友人を港に迎えるべく、高速道路を大分へと進む。時間が大変差し迫っているというのに鳥栖ジャンクションではお約束の如くぐるぐると5/4周してようやく大分方面へと進路を取り、あまり人には言えない速さで港に到着する。港はテロの警戒下なんだか知らないがフェンスで仕切られており、その前にガードマンが立っていたりする。友人と合流し、取り敢えずは別府の駅前町高等温泉に入ってまったりとし、友人と別れて車を朝地まで走らせて道の駅で寝る。戻る↑
    4月28日(水)「新人歓迎の飲み会って何回目だったっけ?」
    本日をもってゴールデンウイークに突入ということなので、仕事は淡々とそしてまた後腐れ無く終わらせるのをモットーに励む予定であったが、朝から部署のミーティングで午前中はつぶれ、やる気のなさにますます拍車がかかる。夕方定時になると皆一斉に帰り支度を始め、我先にと会社を後にする。みなさんこれからいろいろと楽しい計画でもあるんでしょうと思いきや、いけてない幹事の無謀なプランにより、本日新人歓迎の飲み会が執り行われるわけである。新人歓迎の飲み会はゴールデンウイーク突入の前々日に行い、ゴールデンウイーク前日は部署を上げての二日酔いで仕事が手に付かないままそのまま休みに突入、という古き良き伝統が打破されてしまい、些かテンションが低いまま飲み会へと向かう。このせいで実質休みが1日減るわけであり、かなり予定を狂わされてしまったのは事実である。当初は北海道までうえぺけ号で行こうと計画していたのに、こうなってしまったからにはということで方向がまるで違う九州に行くことにしたのが1週間ほど前のこと。そんなことはさておき、新人の挨拶を聞いて飲んで騒いでさっさと撤収。明日早いので2次会は参加しないこととした。帰宅して出発準備もしないままそのまま眠りこける。戻る↑
    4月27日(火)「発展途上の国」
    日本という国は、昔に比べて豪快さがなくなってきているという意見をよく聞く。豪快というのはその程度が甚だしいことを指すものであり、いいことも悪いことも含めて賑わせぶりが激しければそれでよいのであるが。たとえば、台風で水害が起こったとしても死ぬ人は数名であり、これは河川改修をこつこつと積み重ね、百年の一度の水害に対応できるようにしているからに他ならない。また、地震でも死者はそれほど出ないというのは、建築物の耐震基準が厳しいからであり、社会としてのセーフティシステムが盤石になったからであるということが言えそうである。こんな縁の下の地味な活動を尻目に「水害なんて起こらないんだから無駄な公共工事をやめたらどうなの?」と喉元過ぎれば熱さを忘れるという発言を臆面もなくしている人が多いのは日本人らしく熱しやすく冷めやすいことを象徴していると言えよう。これに対し、発展途上の国ではそういう意味でのインフラが整備されておらず、それがゆえに多数の死傷者が出ているものである。発展途上の国に言えるもう一つの社会的なセーフティシステムのなさは「権力」であり、「権力」を握れば以前の権力者を何のかんのと理屈をつけて投獄し、自分の正当性をアピールしているが、自分が終わる立場となると、新たな権力者によってかつて自分がやったのと同じ仕打ちを受けてしまうところが無限ループとなっている。戻る↑
    4月26日(月)「人間くさく生きる」
    毛穴のない浜崎あゆみ週末の旅行もなんのその、いつもと変わらぬ月曜日を迎える。今週は三日間やり過ごせばゴールデンウイークであり、勢いテンションは上がり気味である。世の中に毛穴がない人間が三人いるという話は以前した記憶がある。そのうちの一人である浜崎あゆみは戦略的に毛穴を無くそうとしているようで、化粧品のコマーシャルならいざ知らず、どう考えても関係がないと思われるデジカメや缶コーヒーのCMでもクリエイター達のペイントショップの技が光り輝き、日本人の丁寧さを遺憾なく発揮している。そんな浜崎あゆみがデビュー七年という事でコンサートに於いて「これからは人間くさく生きる」といったらしい。取り敢えずは毛穴があることを認めることから始めるのが無難であると思われるのだが、個人的には「デビュー七年」という文言に激しく違和感を感じる。歌手デビューする前の数年間はどういう風に解釈するべきかということについてご意見を寄せてもらいたいものである。本日は定時ダッシュを決め込み、オイル交換と夏タイヤへの履き替えを済ませ、これでゴールデンウイーク対策は万全である。戻る↑
    4月25日)「荘川桜」
    湯元斉藤旅館の看板の歴史温泉宿では「元を取る」という凡そ不思議なかけ声の元で、たかだか一泊だというのに三回も四回も温泉に入る人が多く、湯あたりする人が後を絶たない。特に硫黄泉は湯が柔らかく、体感温度が低めであるため湯あたりする人が多いのは注意しなければならない。そんな白骨温泉の宿は二百年近い歴史を有する温泉旅館であり、建て増しに建て増しを重ねた廊下が複雑に入り組んだ宿であり、こんなところにも由緒正しい旅館を垣間見た気がするが、昔からの看板が全て残されており、明治大正昭和平成それぞれの看板の対比もまた楽しいものがある。高山観光の人力車温泉旅館を後にして、おとなしく安房峠に向かえばいいものを、やはりここは野麦峠を目指すこととなる。野麦峠は名前が必要以上に映画で売れてしまい、そのイメージとのギャップと折からの寒風に苦しむ場所として本日は脳裏に焼き付けられることとなったのは偶然である。しかしながら雪解け儘ならぬ乗鞍岳の遠景はまことに素晴らしいものがあり、寒さに噎びながらも来た甲斐があったというものである。その後高山で土産物に立ち寄って昼飯をかっくらい、御母衣ダムの畔に移植されたという荘川桜の鑑賞を洒落込む。枝振りの豪快さはなかなかのものであり、交通渋滞を巻き起こすだけのことはあると妙に感動してしまう。桜がダム湖に沈むところを引き揚げられて移植されたという物語も手伝ってか殊の外素晴らしい桜に見えたのだが、樹齢五百年という事でそろそろ世代交代を突きつけられるような痛々しいところもあり、桜は潔く散るからこそ美しいという日本人の美学をまた思い出す。その後は五箇山でせっかく入った資料館で火縄銃で的を狙おうという楽しい体験コーナーが機械の故障で楽しめなかったのでリベンジを誓うこと以外は特に記憶もなく、これまた高速道路をひた走って帰るという普通の旅行であった。たまに親と旅行するのもいいものであるが、時々で十分な気がするのは致し方ない。戻る↑
    4月24日)「わさび」
    安曇野の水車魔が差したジャン・レノの作品である「wasabi」に間違って出演しているが、女優なのに単に地で演技しただけだろと突っ込まれない勢いであった広末涼子は今や一児の母であり、「広末の子供」と呼ばれお父さんの存在が限りなく薄いのが気にかかる今日この頃である。親が「週末はわさび田を見に行きたい」と言い出したのが火曜日で、普段の旅行であれば宿を取るなどと言う不思議なことをするわけもないのに、致し方なく宿なんかを抑えて本日は両親と3人で旅行という凡そ自分には不似合いな週末の行動である。わさび園の片隅の芸術作品目的地に行くのにゆっくりと時間を掛ければ高速道路を使う必要もないが、土曜日の朝に出発したとなれば目一杯高速道路を使わざるを得ない。一般人が高速道路を使う理由は「高速道路を使わないとどこにも行けない」という至極ごもっともな話もあるが、実は自分で運転できる時間をこのように狭めていて自分を追い込んでいるのが原因ではないかと思ったりもする。そんなこんなで豊科まで高速をぶっ飛ばし、昼は穂高の「上條」でうまいそばに舌鼓を打ち、大王わさび農園に出向く。わさび田の大規模ぶりに感動し、土産物屋でこれでもかとわさびがらみの商品を売りつけているところに凄まじさを感じる。しかし湧水群の畔に建つ水車小屋の風景はほんわかしており、その写真を撮るべく身を乗り出して危うくダイビングしかけたおっさんなんかを鑑賞しつつ、遠く北アルプスの残雪に思いを馳せる。本日のお宿は白骨温泉であり、硫黄と石灰と炭酸水素ナトリウムを含む白濁した湯は芯まで暖まり、三日入れば三年は風邪を引かないというのも納得の素晴らしいお湯である。本日は全国的に寒波が襲来しており、夜ともなれば雪が降り出し、おとといまで三十度ですよ真夏日ですよクーラー買いに行かないと駄目ですよといっていたのがまるで嘘のようである。夜中に雪舞う露天風呂が貸し切り状態になり、日本人に生まれてよかったとしみじみするのは宿を取っているからできる感傷なのかも知れないと思ったりもする。でも自分では宿を取る気にはならないのが困ったところである。戻る↑
    4月23日(金)「パジェロとパジェロミニ」
    三菱自動車ダイムラー・クライスラーが三菱自動車に介入し、カルロスゴーンが日産の社長となって、国産の自動車メーカーはトヨタとホンダ以外は外資系と提携したり傘下に落ちぶれていたりする。そんな状況で三菱自動車はダイムラー・クライスラーの傘下で小型車のみを生産するというトヨタ傘下のダイハツのような立場を選ぼうとしているという話を新聞で見たのが数日前であった。ダイハツの社長は高級車ではなく軽自動車に乗って通勤なのかなあというまことしやかなネタもあるが、三菱は小型車のみを生産し、看板車種とも言える「パジェロ」の生産をやめるということまで報じられていたので、パジェロは作らなくなってもパジェロJr.とかパジェロミニは作り続けるんだろうなあ、そしたらJr.とかミニっていう言葉の価値はどこに置いたらいいのかな、と一人妄想に耽っていたのだが、そんな話が全て白紙撤回ということに成りかねない勢いである。そういえばRVといえばパジェロとまで言われていたのに、新車のラインナップにMT車は存在しない。AT車の性能が高まっており、わざわざMTに乗る必要ないですよ、今やMT乗るのはよっぽどマニアだけですよとでも言いたげな風潮であるが、自分が今この道を走るのに最適なギアは何であるかということを考えず、ひたすらゴーカートのように車を転がすことが如何ほどの楽しみなのか?と言ってみるものの「それがマニアや」と一発で撃墜されそうなのでこの辺で勘弁しといたるという感じである。戻る↑
    4月22日(木)「地名の由来と歴史的な背景」
    「韃靼(だったん)海峡」と呼ばれても、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」や安西冬衛ファンでもなければ一体どこの事やらさっぱり判らないという人は多い。この海峡の近傍に「韃靼人」が住んでいるからこうとも呼ばれるのだと言われれば確かになるほどと言いたくもなる。ちなみに「韃靼海峡」とは樺太と沿海州の間にある海峡であり、世界で初めて樺太を島であると確認した間宮林蔵の名前を称えて「間宮海峡」とも呼ばれている。なぜかこんなサイトもあり、韃靼海峡の奥深さを感じ取れるものがある。地名は斯くも探険者と呼ばれる人たちが出向いてつけられるものが多く、ヨーロッパ人が大航海時代以降、地球は我々のものだと激しく勘違いを初めてから地図の必要性が高まり、その結果探検家などという不思議な商売が成り立つようになったのである。そんなヨーロッパ人中心の中で、何故間宮林蔵が己の存在をアピールできたのかという疑問が沸き上がるが、禁を犯してまで日本地図を国に持ち帰ったシーボルトの功績によるものであることは余りにも有名である。ヨーロッパ人のヨーロッパ人によるヨーロッパ人のための地名に反発し、自分の国の地名は自分の国の言葉で表現したいという気運が高まっているのは尤もなことである。しかしながら、都市の名前であればいざ知らず、外国との境目に存在する「海」の名前は今更変更することは凡そ難しい。そもそも海の向こうの国の人間も「この海は俺たちの海なんじゃゴルァ」と言い出すことは必至であり、今更変えられると何げに困るということもある。ちなみに「日本海」を「東海」と呼ぶのはどうかと考えれば、この海が自国から見て東に存在すると言い張れるのは朝鮮半島の国々だけであるが、日本の近くにあるという情報については世界中から支持を得られるというものであろう。これを日帝による植民地支配の名残だというのは間違いで、韓国漁船が密漁をする前から、北朝鮮の秘密図画工作員が夜な夜な現れるよりも前からこの海は「日本海」と呼ばれているのであり、今更変更するのは無理というものであろう。戻る↑
    4月21日(水)「夏のキサマ」
    ぺ・ヨンジュン人間には誰しも思いこみというものがある。思いこみによく似た言葉で思い入れという言葉もある。その事象にこだわりを持たない人にとっては、思いこみも思い入れも別に違いはない。人の名前というのは最初間違えて覚えると後々まで修正してもうまく行かないということはここ数年の経験から言えることである。さて、ぺ・ヨンジュンという韓国の人気俳優がこのところ公共の電波に乗って我々の前に現れ、それが為に「ヨン様〜(はぁと)」などという電波な女性が増えているらしい。某メールマガジンでは「ぺさん」と読んでしまうのですがどうしたものでしょうという記事があったが、僕は最初「ベン・ジョンソン」と読んでしまい、いまだに「痩せて脱色して国籍を韓国に移したのかあ」と勝手に一人妄想を巡らせていたりする次第。ちなみに「冬のソナタ」であるが、いまだに一度も見たことがない。見る人は毎週見てしまうらしいが、見る気が起こらない。土曜日の晩はお前はいつも出かけているから見る暇ないんだろ、と言われればそれまでだが。戻る↑
    4月20日(火)「存在理由の低下」
    イラクに駐留している軍隊を引き揚げるという国がぼつぼつ出始めており、「アメリカの民主主義」を押しつけるということに何かしらの不満があるような風潮が出てきている。アメリカは日本で民主化に成功したという稀な経験が全てに適用されると勘違いしており、唯一の大国となった今日では「俺がやらなきゃ誰がやる」と勝手に気負っているような気がして仕方がない。「俺がやらなきゃ誰かやる」ぐらいの気持ちの方が押しつけもなくて皆さん平和という気もしないではないが。それにしてもビデオ撮影には監督がいて「必要以上に怖がってください」という演技指導を日本語でやるなどと言う細かい演出ぶりが曝露され、いよいよ自作自演のきらいが出てきた。この三人がPTSDなんですよヘルペスできたんですよそっとしておいてくださいよとと勿体をつけて裏でどうするべえかと鋭意作戦会議をこっそり開いている最中、この三人とは別に解放された人がさっさと帰国して会見してしまい、わざわざイラクくんだりまで人質になりに出向いた目的が薄れつつある今日この頃である。何かしら無駄な巻き返しを期待したいところである。戻る↑
    4月19日(月)「小笠原ガイド」
    エクアドルのガラパゴス諸島は独自の生態系を維持しており、外部からの不用意な進入を拒んでいる。それがゆえに人が住む土地を除いて全てのエリアを国立公園に指定して立ち入りを禁止している。この地に立ち入るには「ガラパゴスガイド」の帯同が義務づけられており、エクアドルではこのガイドは花形職業であるという。給料はそれほどでもないが、重要な観光資源であるガラパゴスに出向き、金持ちの外国人観光客からせしめるチップはかなりの額であるようで、ある意味うらやましいものがある。日本でも「東洋のガラパゴス」と呼ばれる小笠原諸島があり、ここも自然体系の維持が必須と考えられる。これまでは「おがさわら丸」のみが交通手段であり、来る人もそれほど多くなく、また来る人も一度来たら一週間は帰れないという制約があったため猫も杓子も来るようなわけではなかった。それ故この独自の自然体系は維持されていたように思われる。しかしながら、テクノスーパーライナーの就航により、事情をよくわかっていないバカが大挙してやってきた日にはこのかけがえのない自然は蹂躙されるのだろう。なので、東京都もガラパゴスガイドよろしく「小笠原ガイド」の制度を作り、東京都の職員として雇うというのは妙案だと思うのだが。日本だとチップがもらえないというご不満があろうけれど、東京都の職員として採用するならば小笠原という僻地なので僻地手当を付けることで金銭的な問題は解決できるだろうし、そもそも小笠原ガイドは小笠原が好きな人なのでそこに在住できるというメリットは大きいように思われる。いくら言うだけ番長でもこれぐらいのことはできるように思われるのだが。戻る↑
    4月18日)「龍岡五稜郭」
    巨大な中華鍋@臼田パラダイス@臼田朝目が覚めると、隣にはなぜか見慣れた車が止まっている。国道MLの友人が佐久に桜を撮りにやってきたということらしい。ということで、桜の名所としてなかなかいけてそうな龍岡五稜郭を目指す。幕末にこの城郭を作った殿様のことを頌える碑などを見学するが、「日本に2つ」という正直なところが実は気に入ったりする。桜は本日が見頃であり、撮影する意欲もいやが上にも高まる。現在この城郭は小学校として利用されており、休みの日であることも手伝ってか、カメラをぶら下げた怪しい出で立ちのオヤヂどもが写真を撮るのに余念がない。旦過の湯@下諏訪学校に不審者を入れるな!という風潮が近年高まっているのだが、この学校に限っては城郭で防御してもまるでザルであり、一般人が入り込む余地だらけで困ったものである。ついでにいうとこの学校の卒業記念製作は軒並み五角形のオブジェが幅を利かせており、鶏小屋まで五角形であったのはちょっぴり趣味の悪さを感じずにはいられなかった。友人と別れ、臼田の山の中にある臼田宇宙空間観測所に出向く。そのパラボラアンテナのでかさは特筆ものであり、うえぺけ号をタバコの箱よろしくアンテナに並べて撮影を試みたが、どう考えてもうえぺけ号がミニカーにしか見えないところに凄さを感じたりする。守衛の隣には展示場があり、この観測所がここに居を構えてからおそらく一度たりとも展示品のバージョンアップは行われていないであろうという素晴らしいところであった。日焼けをして色褪せ、いい感じにパラダイスぶりを発揮していたりするのが素晴らしい限りである。そのあと麦草峠は未だ冬季閉鎖中なので大人しく和田峠経由で下諏訪に出る。下諏訪では旦過の湯に入るが、湯が熱すぎてまともにつかることができず、仕方なく大量に掛け湯をしてやり過ごすこととする。そのあとは岡谷から高速でさっさと帰宅する。戻る↑
    4月17日)「山梨の峠探索」
    興ざめな立て看板長野群馬県境を越える道路はいくつかあり、それはいずれも峠を形成している。国道に限定すれば不通区間も含めると北から順に405号、292号、144号、146号、18号2本、254号、299号と7路線8本もあり、このうちで最も南にある299号の十石峠はこれまで長きに亘り不通となっていた。この度ようやく通れるようになったということなので行ってみるかと思い出向いてみたということが歴とした自分なりの理由になるところに己の恐ろしさを感じるのだが、こればかりは致し方ない。ヒッチハイクの兄ちゃんを乗せたりして道の駅とみざわに夜中に到着し、車で寝てから目が覚めていざ出向こうとしたのだが、なぜか理不尽にも工事通行止めという話が舞い込んできて計画は頓挫する。仕方がないので山梨県内の有名どころの峠を走り回ることとする。二宮金次郎@信濃川上駅その前に大月に出向き、三奇橋の一つである「猿橋」を鑑賞する。確かに橋脚が存在しないため珍しいといえば珍しい。しかしながら今ひとつ感動を呼び起こすものではなく、がっかり名所っぽく感じてしまったのは「名勝猿橋の付近のニシキゴイ・ヒゴイ・黄マスは見るためのものです。釣らないでください」という詰まらぬ演出の舞台裏を惜しげもなく披露しているところにあるのではなく、隣の東京電力の煉瓦造りの水路橋の方が遥かにかっこよく思えたからに他ならない。そのあと松姫峠を越えて小菅村で小菅の湯に入りちょっぴり東京都を踏んで柳沢峠へ。柳沢峠は取り立てて感動を呼ぶものではなく、盛り上がりに欠けるまま上日川峠へと車を走らせる。ロックフィル式のダムと天目で満開の枝垂れ桜を鑑賞し、笹子峠でほぼ3年ぶりに古き時代のトンネルを鑑賞する。そのあと勝沼から高速をひた走り、須玉から増富に出向く。増富ではぬるい湯船にじっと浸かるというラジウム泉を堪能し、信州峠を越えて川上村へ。二宮金次郎が駅構内にあるという珍しい信濃川上駅に出向き、そのあとは道の駅ほっとぱーく・浅科で没する。戻る↑
    4月16日(金)「人質解放」
    イラクの武装集団が日本人の人質を解放したという報道があり、そのために全てのメディアがそっちを向いてしまっている。「政府はなぜ救出しないんですか?」「渡航禁止なのに勝手に行ったからって放置プレイはまずいんではないですか?」「自衛隊は撤退するべきじゃないんですか?」ということが叫ばれている。スタンドプレーに固執するならば、これらのうざったい声に耳を傾けて、自衛隊を撤退させた後どうやって人質を救出するのかという極めて困難なオペレーションを実行するアイデアが浮かばず結局米軍に頼むということになり、これをまたマスコミが叩くという悪循環も予想される。それにしても解放された時間帯が絶妙で、まるでちょうど日本の夜のニュースタイムにあわせたかのようなところに何かしら作為を覚えるといったら言い過ぎか。こんなところにも自作自演の臭いが感じ取れる。戻る↑
    4月15日(木)「ジェネリック」
    ジェネリック特許という概念は、知的財産という不思議な表現をされることがある。人が散々苦労して会得したものを簡単に横取りされないために法整備がなされているのだが、運用を履き間違えて「それも俺が先に思いついたんじゃゴルァ」と言いがかりを付けることが商売になるという厳しい現実が待ち構えていたりするから殺伐とした世の中である。知的財産の究極の形として我々が享受しているものに医薬品がある。1化合物が医薬品として世に出るには様々なハードルが待ち構えており、その苦労は計り知れないものがある。そんな苦労を尻目に、特許が切れれば同じ化合物を作ってもよくなるため、特許切れの後に堰を切ったようにゾロゾロといろんな会社からその医薬品が提供される。雨後の筍のようにゾロゾロ出てくることからその手の薬は「ゾロ」と呼ばれるのだが、最近は「ジェネリック」などという美名が冠される事が多い。「生物学的同等性試験」という血液中の薬物の濃度推移が「同等」であるということを確かめる試験さえクリアできれば特許切れの医薬品を自分たちで作って売ることができるため、ジェネリックメーカーはこの試験を通すノウハウに長けているのも事実である。しかし、「同じ成分」であることは認めるが「同じ効き目」であることは試験をして確かめたわけではないのである。「同じ効き目」と推察される根拠は血液中の薬物濃度がこれまでの薬と同じ挙動を示すというところにあり、間違いとは言い切れない絶妙な表現がなされているのが現実である。戻る↑
    4月14日(水)「国土計画」
    コクドアイスホッケーチーム日本の自然をリゾート地に化けさせる事に余念が無く、赤字決算を創業以来続けているため株式市場に上場できないという不思議な会社がある。この会社は斜陽産業であるのかという素朴な疑問が沸き上がるのであるが、グループ企業の株式を寡占しているため、この会社の長は実質上のグループの総帥として君臨しているという不思議な現象が起こっている。子会社の不始末のゆえ退任したといっても、総帥は子会社の長を兼任することをやめただけであり、実質上何も変わっていなかったりする。この不思議な会社のホームページはこれまた不思議に満ちあふれており、普通であれば自分の会社の業務内容なんかを説明したりするものであるが、そんなものは一切行わないというからすごい。スキー連盟だけでなく、日本に未だ根付かない氷上の格闘技の連盟の会長も勤めている総帥は自分の会社と子会社それぞれにチームを持っており、兄弟喧嘩と揶揄されるリーグ戦が行われていることは周知の事実である。ちなみにこの会社のマスコットキャラクターは一昔前に消え去ったが、いまだに氷上の格闘技のチームのマスコットとして稼働しており、野山を切り開き、彼らのすみかを奪い続けている償いとして彼らのキャラクターを利用しているという噂がもっぱらである。戻る↑
    4月13日(火)「鶏肉と鶏卵」
    事件を起こした農場の周りにあった同業者の鶏肉と鶏卵がようやく出荷されるという事になり、キャンペーンを張っているらしい。スーパーには出荷禁止になっている米国産牛肉とは違い、出荷禁止になっていないのに「京都府兵庫県産の鶏肉は取り扱っていません」という随分と酷い表示が行われているところもあり、風評被害に実は拍車を掛けているのではないかと思うところがある。そういえば鶏肉をマスコミの前で食べるというパフォーマンスは今回見なかったような気がする。多分使い古されたので今更しないのであろう。本日は妙に体がだるいのでさっさと帰宅し寝る事にする。戻る↑
    4月12日(月)「意味不明な号外」
    連日紙面を賑わせているイラクの人質事件であるが、本日号外が配られていた。号外というからには人質が解放されたのであろうと想像を巡らせたのであるが、実際はそうではなく解放されたわけでもなければ亡き者にされたというわけでもなく、進展があまり見られないという中途半端なものであった。どうやら新聞休刊日であったため、事の進捗状況をどうにかしてでも伝えたいという思いがこの中途半端な号外を作らせたのかも知れないと前向きに理解する事は可能である。しかしながらこの中途半端さに歯切れの悪さを案じずにはいられない。今の時期に人質事件が報道され、日本人が人質になったという話が流れた瞬間に実は外国人も人質になっていたんですよという事も報道されるし、アメリカに荷担している順位が高いから日本人は解放されないんですよと言いたげなのに実はイギリス人は解放されているし、どうも真実のほどがわかり得ない。この報道に熱心なのが全国紙では某社のみであり、靖国神社参拝違憲判決から先、どうも鼻息の荒さが目立って仕方がない。もしかしたら実は人質事件なんかは起こっていないのではないか?そして自作自演で解放されたこの3人はマスコミを通して自衛隊の海外派遣を批判するというキャンペーンの先棒を担いでいるのではないか?という下衆の勘ぐりもしたくなるほどである。犯行声明もアラーの神を崇めている割には中途半端な文言が目立つし、主義主張が一貫していないという不思議なものであり、この疑惑を一層強める判断材料となっているのも事実である。最近、物事をまずは疑うという良くない癖がついているのかも知れないし、本当のこのことが起こっていたら随分と酷い事を書いていることになるが、今ひとつ信じられないというのが今の実感。戻る↑
    4月11日)「馬鹿と煙は高いところへ」
    松山城ポンジュースすっきりした目覚めと共に行動を開始する。まずは松山城へとロープウェーで登る事とする。長者ヶ平の停留所には味わい深い土産物屋が軒を連ね、今治名産の湯に浸けると絵が変わるタオルなんかが売られており味わい深い。桜の満開は先週であったようで、人手がそれほどでもない二の丸をうろうろと散策し、見事なまでの景色を堪能する。景色を堪能した後は土産として市内の酒屋で昔なつかし妙に口の広いビン入りのポンジュースを購入する。海岸線を今治へとひた走り、今治からはしまなみ海道を尾道へと進む。SAで食したたこめしはもしかしてモーリタニア産ではなかったのかという一抹の気概を覚えるが、所々で景色を堪能し、向島から本州へは日本一短いフェリーを利用してみたりする。フェリー乗り場に車を置き、朱華園で中華そばを食し、味わい深い喫茶店で自家焙煎のコーヒーを頂き、いざ千光寺ロープウェイで尾道の景色を堪能する。松山城のロープウェイとこのロープウェイを比較すると、添乗するおねえちゃんが尾道の方が素晴らしいという事も手伝っていたのであろうが、景色は尾道の方が遥かに素晴らしく、さすがに映画監督がここを舞台に作品を作りたいと思うだけの事はあるなあと一人感心する。尾道を後にして岡山空港まで兄を送り、その後は車で帰宅。車と飛行機の差は如何ともし難く、兄から帰宅したという連絡が入ったときはまだまだ道半ばというところであった。戻る↑
    4月10日)「うどん金比羅道後温泉」
    金比羅さん昨晩遅くに自宅を出て、夜明け前に宇野港に到着する。夜を徹して走っていたのでフェリーでは爆睡し、夜明けと共に入港した高松港で日の出を眺めて更に車を高松空港へと走らせる。今週末は兄がバースデーチケットで四国に旅行に行きたいと申し出ており、車で一緒に巡る事となったのである。やはり「さぬきうどん」とか味わい深い景色を所望しているため、こっちとしても適当に調査を行い満足して頂けるプランを作成する。まずは山越うどんでさぬきうどんの何たるかを理解して貰い、金比羅さん詣へと出かける。座り込み禁止大手旅行会社の添乗員が一団を引き連れ、参拝という苦行の緩和のために面白おかしくネタを鏤めた観光案内をハンドマイクでがなり立てており、それを漏れ聞くだけで十分であるため、つまらぬ下調べはしなくてもよい。ようやく辿り着いた本殿に座り込んでもらっては困るというわけで立て札もある。宇宙飛行士?秋山豊寛氏本日は桜花祭というイベントがあり、激しいまでの階段をコスプレした一団が下りてくる様を偶然にも見かける。金比羅さんは海の守り神であるため、いろいろな団体が奉納を行っており、造船会社がスクリューのモニュメントを寄贈したり、なぜかアフリカ象の塑像を奉納したりしているのが大変に味わい深い。船という意味では堀江謙一氏のヨットも寄贈されていたし、宇宙「船」で宇宙に飛び立ち、大スポで朝勃ちを全国に報道された秋山豊寛氏の絵馬も奉納されていた。まさに陸海空を制しているのである。奉納されている絵馬には「志望校合格」や「恋愛成就」という個人的な欲望のみを掲げるものが多い中で、「北朝鮮との関係正常化」などを掲げるという趣深いものがあり、多種多様な要望にお応えする神様の多忙ぶりに涙を禁じ得ないものがあった。そのあと宮武でひやひや、長田で釜揚げを堪能し、豊稔ダムへと向かう。石造りのマルチプルアーチダムは殊の外好評であり、兄は最近購入したというデジタル一眼レフカメラで思うが儘に撮影をしていたりする。そのあと味わい深いマイントピア別子などを訪れパラダイス加減に満足し、本日のお宿である松山に到着する。松山ではホテルのコンシュルジュが紹介してくれた「四国三郎よしの川」で旨い魚と素晴らしいラインナップの焼酎を堪能する。宿に戻り、路面電車で道後温泉本館へと向かう。酔っぱらった体に温泉は心地よく、帰りの路面電車では眠りこけ、危うく停留所をやり過ごしそうになる。そのあとホテルで飲み直す予定であったが、さすがに疲れていたのかさっさと轟沈する。戻る↑
    4月9日(金)「砂糖の製造」
    スプーン印の台糖昨今の健康ブームが砂糖の消費を抑制しているため、各砂糖会社はコストの低下に余念がない。そんな中、日本で初めて砂糖を工業生産した台糖がついに解散し、新三井製糖に合併される事となった。人間の甘味に対する欲望は有史以来綿々と受け継がれており、砂糖黍からのみ製造可能であった砂糖を、寒冷地でも栽培可能な甜菜でも製造可能としたところに人間の執念を感じる。日本人が甘味に飢えなくなったのはここ数十年の事に過ぎず、甘味に飢えていた頃より代用品として様々に化学合成されてきた甘味料が今は違う形で脚光を浴びている。人類が追い求めた「砂糖」は代用品がその味に近づけるべく必死の努力をし、その結果「砂糖」そのものの消費が低下するという不思議な現象が起こっているのはある意味歴史の皮肉ではないだろうか。人間にとって必要な量の甘味は砂糖のみで十分賄えるものであり、斯様な姑息な手段を講じた化学合成品を用いるものではないというのはきっと事実である。しかしながら人間の欲望は限りなく、必要以上の甘味を要望するが健康上摂取するべき量の上限を決めるため現在の事態を招いているのである。「脳」という糖しかエネルギーとして利用できない臓器を基盤として働く我々の体は、舌というセンサーを騙して甘味を得たとしても働いてくれないわけであり、なかなか難しいものがある。人が甘味に安らぎを覚えるようにインプットされているのは、「脳」に必要なエネルギー源の供給を確保するためであるという事を理解するべきではないだろうか。まあ、かた苦しい事を書いている日は本日書くネタがなかったという事なので大目に見てもらいたい。戻る↑
    4月8日(木)「体育会系の不祥事」
    体育会系の不祥事というのは、「教育という名のリンチ」に相場は決まっており、ゴミ箱の上で正座とか、4回生に酌をしたら新入生(1回生)は4杯飲むとかというものが伝統的である。古き良き時代の体育会系を引きずる大学のラグビー部は今もその伝統を継承しており、新歓の季節には急性アルコール中毒で新入生が倒れるのはお約束である。各ビール会社が挙って「一気飲みは禁止」というプロモーションをしているのに奏功しないのは、飲ませる側の人間が「昔は俺も飲まされたんや」という意識を持ち続けているからに他ならない。この悪循環を断ち切る妙案はなかなか思いつかないし、酒が強いやつはいいやつだという盲目的な信仰もこの悪循環を断ち切れないでいる原因であろう。酒という道具は人とコミュニケーションを取る上では必要不可欠なツールであり、「俺の酒が飲めないのか?」という殺し文句は自分の格を貶めているだけであるということに気が付いていない人もいる。そんな伝統的不祥事に隠れるように、ラグビー部員が己のその肉体を活かす資金稼ぎとしてホモビデオに出演したという素晴らしい事件が発覚した。これが不祥事と見なされる理由はどこにあるのか興味深いが、法に触れることはしていないし、労働に対する対価を受け取ったということもおかしいことではない。多分イメージが汚されたということに終始するのだろう。あるいは「うまいこと金を稼ぎやがって」という僻みから来たものかも知れない。戻る↑
    4月7日(水)「日本人の職人芸」
    回転する台帳ラック世間ではリトル・マツイが初打席先頭打者初球ホームランなどという文字通り相手の出鼻を挫く華々しいデビューを飾ったということで話題騒然らしい。己の主義主張がグローバルスタンダードであると鼻高々であるアメリカ人相手だけに出鼻の挫き甲斐がありそうなものである。しかしまあ海の向こうのことなど知ったこっちゃないというのが実情である程日々の業務は忙しい。帰宅して録画していたプロジェクトXを見る。本日はみどりの窓口誕生秘話なのであるが、日立が一生懸命システムを構築したとか、世界初オンライン発券とか、国鉄の若手を出向させたとか、ありとあらゆる危機に備えるべきだといって主電源を切るとかそんなことを熱く語っていたのだが、個人的に一番感動したのはそれまでの東京駅での予約台帳の取り回し方法であった。机の真ん中で激しく回転する台帳の入ったラックから必要な台帳を巧みに抜き取り、抜き取った台帳を巧みに元の位置に戻すなどという激しい職人芸を見て、予約係のデブ親父が「機械にこんな事ができるわけがねえ」という自信を漲らせた発言をするのも宜なるかなという気がしたりする。確かに機械にこんな事はできないであろうことは容易に想像できるわけであり、現在もきっとみどりの窓口での発券はこの回転する台帳によって運営されているのではないかと密かに妄想してみる。戻る↑
    4月6日(火)「新人歓迎飲み会その1」
    会社では本日より新人研修が始まった。右も左も判らない新人君が来るという触れ込みなので、待ち受ける我々としては手ぐすね引いて待ち構えるのが礼儀というものであろう。本日うちの部署にやってきた新人君はうちのグループ配属予定ということで実際に入ってからやる作業を体験してもらうというところがあり、妙なお客様扱いをしなくても良いから気が楽である。人生の機微を弁えているけれど気が短いコテコテの関西人である課長は、この新人君を早速本日飲みに誘い、グループ員一同定時ダッシュを決め込んで飲みに出かける。このあたりのチームワークは日常業務で培われているもの以上であると自負しているが、その根拠のほどは不明である。新人君は「私服で来ても良いですか?」などという凡そ意味不明な発言をしたりしていたのだがなかなかに楽しいやつであり、「合コンのセッティングなら任せてください」というあたりは頼もしい限りである。しかしながら、関西人の会話では必須とされている「オチを付ける」という文化との接触がこれまで無かったようで、話を最後まで聞いてイライラした課長からおしぼりを投げられるという愛の鞭も飛び交う楽しい第1回目の飲み会であった。戻る↑
    4月5日(月)「ついに合法判決」
    科学技術の進歩が人間を幸せにしたか、それとも不幸にしたかという議論は良く執り行われている。結論から言わせてもらえば、人間を幸せにするために科学技術は進歩するものであり、お題そのものが間違っているということになる。しかしながらこのお題が取り沙汰されるのは、「人間」という母集団が地球上の60億人全員を対象にはできないという致し方のない現実が横たわっているからだと思われる。さて、難しい話はほっておくとして、音楽ファイルの無料交換は個人的な複製の許容範囲であるため合法であるという判決がカナダで出されてしまい、音楽関係者が描いていた青写真は早くも頓挫しそうな勢いである。僕が「個人が好きな形で神様を作り替える権利」は個人の範囲内で収束するべきであり、外部に発散することは良しとしないと思っていたのだが、ネット上での交換は「これ良いから聞いてみてよ」というちょっとした普及員活動に過ぎないということらしい。mp3の普及によりそういった活動を受ける機会が爆発的に増加し、その結果以前よりもCDを大量に買うようになったという僕の場合は正しい使い方をしていると言えるのかも知れない。CDが売れない理由は、mp3で満足できるという耳が腐ったリスナーが増えたことと、耳を腐らせるような楽曲しか提供できない音楽会社の体たらくぶりにあるもので、mp3には罪がないと思うのだが。戻る↑
    4月4日)「桜の季節」
    のと鉄道@穴水僕が熟睡しているというのに、友人はさっさと出発したいようで寝袋にくるまっている僕を尻目に車を走らせる。そんな甲斐あって能登観音崎に行ったり和倉温泉総湯でまったりと塩辛い温泉につかったりして時を過ごす。外周を極力走るという目的の元、車は海岸沿いをひた走るため能登島を一周したりするオプションももれなくついてくる。のと鉄道という味わい深いローカル線が海岸沿いに走っており、久々に車を友人に運転させて、本人は鉄道の旅を楽しむというかなり面白いことをやってみることとする。穴水から蛸島までの結構な距離のあるローカル線は旅情たっぷりであり、1両のレールバスは唸りを上げながらひた走る。のと鉄道の各駅には桜が植えられており、穴水から蛸島へ北上するにつれて桜が3分咲きからつぼみ膨らむへと時計の針を逆に廻すかの如くの様は趣深いものがあった。また、穴水から蛸島までの間にあるトンネルは順番に「いろは48文字」が掲げられ、偶然であろうが「浅き夢みし」のちに恋路駅に到着するという不思議な演出まであった。ちなみにトンネルの数は49であったため、最後のトンネルには「すず」という名前が付けられていたりするが、それは見なかったことにしておこう。本日乗った区間は来年3月末をもって廃止されるということで、桜の咲く下をレールバスが走るという光景は今年をもって見納めであるということも手伝ってか、景色が一層趣深いように感じ取れた。蛸島で友人と合流し、禄剛崎やら何やらを巡り輪島に着く。輪島は穴水から出ていたのと鉄道の輪島線の終着駅であったが、一足早く廃止されており、駅跡は道の駅となっていた。蛸島の駅は廃止されたらどうなるのだろうかと少し考えたが、最果ての終着駅という感じであったため再開発を行うこともなく朽ち果てるのではないかと思ったりもした。帰り道の北陸道はSAごとに桜が満開であり、夜桜鑑賞にはもってこいの環境であった。どうも今年の桜は今週末に十分満喫できたような気がする。戻る↑
    4月3日)「東尋坊の言われ」
    東尋坊昨日の時点では土曜出勤やむなしというかなり切羽詰まった状況であったのだが、必要以上に頑張ったことが奏功したようで急遽休みとなってしまった。もとより木曜の段階で粟島浦村に行こうなどという不思議なプランがあり、それを一旦キャンセルしてしまったもののさてどうしたものかといろいろ考えてしまう。ということでとりあえずは近所の国道で未走区間を走るという不思議な行動に出る。一緒に行った友人は「ログを取る」と言って聞かないため、いきおい海岸沿いの道を選択したり、河口探索をなどという不思議なことをやって随分と時間を掛けて能登半島の付け根に到達する。東尋坊という名前の由来はなんであるかという議論になり、坊主の名前であるということは一致したが、友人曰く「生臭坊主なので酒を飲ませて崖から突き落とした」というが、僕は「煩悩が断ち切れずに身を投げた」のだと思っており、崖から落ちて死ぬというところは一致しているものの、何でかその辺が違っていたりするのは趣深い。言い伝えはどうやら友人の説に近いようであったが。そんな話をしながら、ログを取っているくせに爆睡をこくという不届きな友人を助手席に座らせたりもしていたが、疲れたら交代するという暗黙の了解なので特に文句はない。じつはうえぺけ号に二人寝るのは初めてで、無駄な荷物を助手席に移すのに一苦労する。本日の教訓として、早いこと屋根に積む棺桶を買う必要があるということだけは判った。本日は道の駅いおりで没する。戻る↑
    4月2日(金)「高石式給湯法」
    週末に出かけることがほぼデフォルトであるという珍しい存在であるため、いきおい不思議なしきたりも多かったりするものである。毎週毎週出かけるからには旅費が大変な問題となることはごく自然な成り行きである。それ故車中泊がメインであり、風呂は立ち寄り湯の利用が多くなる。立ち寄り湯のカランは時に臨んで押している間のみ湯がでるという蛇口ひねりっぱなし防止機能が付けられているものが多く、実は自宅の風呂のように湯がでなくて困ることが多い。これに対する対策として、カランの「押す」の部分を足で押さえつけて両手をフリーとし、シャワーや湯を出しっぱなしにするというコペルニクス的転回をした友人がいた。僕はその友人に敬意を表してこの給湯法を「高石式給湯法」と名付けており、普及員を自負している。しかしながら困ったことに、余りに普及員の行動の方が大きいようで、「うえだはあんな事言ってるけど、実際は自分で考えよったんやで」と思われているような気がしないではない。太陽系の惑星の距離に関する法則を見いだしたのがティティウスであるのに、それを広めたボーデの方が有名になってしまい「ティティウス・ボーデの法則」と呼ばれるならまだしも「ボーデの法則」としか言われなくなっている現実を見れば、この給湯法が「うえだ式給湯法」といわれる日も近いのだろう。戻る↑
    4月1日(木)「桜を見て思うこと」
    早くも本日から社会人三年目となる。所属するグループから一人別グループに異動となったため一人減るが、新人が入るため増減無しという事になりそうな気配である。うちのグループは新人の定着率が悪く、新人として配属されたこれまでの四名のうち生き残っているのは僕だけである。僕が生き残っている理由は、多分課長が「うえだをよそに出したら俺の管理能力が疑われる」とでも思っているからであろう。会社の桜は随分と見頃になってきており、自宅最寄り駅近辺もこれでもかという感じで桜が咲き乱れ始めている。花見は桜の木の下で茣蓙を敷いてやるというスタイルが正しいのではなく、老夫婦がさびれたホテルのティールームの同じ席に毎年座り桜を眺めるというのもありだろうし、いつも利用する駅の桜を朝と晩に眺めるというのもありだと思う。そういえば、日本人の心に訴えかける桜をいつまでも大切にしたいという熱意が高騰し、「クローン桜」を作ろうと目論んでいるチームがあるらしい。その見事な桜の大樹を残したいということはわかるが、「散り際は美しく、形あるもの必ず砕けん」という日本人の美意識から行けば、崩れるが儘に任せることも一つの始末の付け方だと思ったりする次第。戻る↑