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今回もご多分に漏れず、この国道に走ることを拒否されており、崖崩れにより上椎葉ダムから先は通行止めということで迂回路に指定された村道を走り抜け、必要以上に時間を食って大河内集落に入る。そのあとは219号をつないで一ツ瀬ダムへ。
一ツ瀬ダムによりできたダム湖は九州一番の規模を誇るとか、宮崎県には水力発電所しかないとかいう無駄な知識の収集に是努め、自分でどれだけ発電できるかという、ひたすらハンドルを回すだけというばかばかしい装置に対峙し、あんたがその勢いでハンドルを回してもこのダムの一時間の発電量を賄うには30年かかるよとこれまた余計なことを機械に言われてしまう。そんな一ツ瀬ダムを見学しつつ西都市に入り、高速を清武まで走って220号で日南へ。日南で昼飯を食べていざ448号を都井岬へと進む。都井岬は全国に一三カ所ある参観可能灯台の一つである都井岬灯台があり、そのために出向いた次第。去年のゴールデンウイークに出向いた最果ての尻屋埼と同様なぜか馬が放牧されており、ゲートを入るときにご協力お願いしますと書いている割には門番のおばちゃんに高飛車に「400円」と言われ、「お願いできませんか?」の一言ぐらいは言えないものかと観光地擦れしているおばちゃんに少し怒りがこみ上げる。
灯台の受付をしているおばちゃんとあちこち灯台に行かれているんですねえと言う会話をして参観を済ませ、バカップルが今時それはないだろというタイタニックごっこをやっているのを横目で見つつその絶景を堪能する。そのあと串間と志布志、そして垂水で今回の目的の一つである焼酎の買い付けを行い、垂水で晩飯を食べて桜島へ渡る。串間では酒屋のおばちゃんにデフォルトでは一升瓶を二本買うもんだという無言の圧力を受けるが、なんとかそれを押しとどめて一本購入する。志布志では都城と鹿屋方面にかつてはあった路線が廃止されており、交通の要所がただの最果ての終着駅となった駅を見物する。桜島からはフェリーで鹿児島に入り、鹿児島中央駅を見学して喜入に向かい、石油備蓄基地のそばにある道の駅で没する。戻る↑
休みの日は必要以上に目が覚めるのが早いというのはお約束である。なぜか朝の4時に目が覚めてしまい、さっさと出かける準備をしてしまう。でも、今日は丸々一日運転するわけであり、それにしては眠りが足りないと思われたので二度寝を決め込む。二度寝から目が覚め、いざ7時に自宅を出発する。いつもの通り京都縦貫道を利用して千代川まで、千代川から滝野社までは爆走し、滝野社から高速に乗る。連休初日と言うことで高速道路はどこも大渋滞らしいが、滝野社まで逃げれば渋滞するはずもなく、渋滞とは無縁の快適な走行が続く。後顧の憂い無く西進するためには鳥取と島根を通過しておく必要があり、島根は中国道を通過すると勝手に踏むことができるという便利なシステムが構築されているため鳥取を踏む算段に取りかかる。ということで佐用で下りて373号を北上し、志度坂峠の旧道探索なんかをして鳥取に入る。
鳥取からはショートカットをしつつ53号を利用して岡山に再び舞い戻る。途中因美線の那岐駅でうえぺけ号の写真撮影を試みたりするが、智頭急行が開通してますますマイナー化が進む因美線の列車本数の少なさに愕然として、ここまで本数が減れば「貧すれば鈍」となり、誰も鉄道を利用しなくなるのではないかと余計な心配までしてしまう。そのあと津山からは高速道路を利用して西へと進む。ガソリンが残り少なくなったのと運転手のガソリンも心許ないため吉和SAで休憩し、イワナ茶漬けというメニューを所望する。これがなかなかに美味であり、また機会があったら食べてみたいと思った次第。しかしながら吉和SAはそのしょぼさ加減が凄まじく、中国道で最も交通量が少ない区間であることも手伝ってか、ガソリンスタンドは20時で閉まるというから恐ろしい限りである。もともと吉和村であったこの地域が合併により海辺の町である廿日市市に吸収されたのはいまだに違和感がありまくりである。その後給油せずに小郡まで走り、小郡で下りて給油して一路下関を目指す。今回はなるべくフェリーを使うという不思議な目標を立てており、そのため彦島から関門海峡フェリーで小倉にはいることとした。フェリー乗り場に到着したところ、今まさに出航という状態であり、タイミングよく車を乗せていざ九州へと向かう。洞海湾に広がる工業地帯を横目に船は接岸し、九州に上陸する。小倉からは322号で久留米を目指し、久留米ラーメンを食べて満足する。そのあと、千葉から浜金谷−久里浜−大分とフェリーを乗り継ぐということを目的として九州に来た友人を港に迎えるべく、高速道路を大分へと進む。時間が大変差し迫っているというのに鳥栖ジャンクションではお約束の如くぐるぐると5/4周してようやく大分方面へと進路を取り、あまり人には言えない速さで港に到着する。港はテロの警戒下なんだか知らないがフェンスで仕切られており、その前にガードマンが立っていたりする。友人と合流し、取り敢えずは別府の駅前町高等温泉に入ってまったりとし、友人と別れて車を朝地まで走らせて道の駅で寝る。戻る↑
週末の旅行もなんのその、いつもと変わらぬ月曜日を迎える。今週は三日間やり過ごせばゴールデンウイークであり、勢いテンションは上がり気味である。世の中に毛穴がない人間が三人いるという話は以前した記憶がある。そのうちの一人である浜崎あゆみは戦略的に毛穴を無くそうとしているようで、化粧品のコマーシャルならいざ知らず、どう考えても関係がないと思われるデジカメや缶コーヒーのCMでもクリエイター達のペイントショップの技が光り輝き、日本人の丁寧さを遺憾なく発揮している。そんな浜崎あゆみがデビュー七年という事でコンサートに於いて「これからは人間くさく生きる」といったらしい。取り敢えずは毛穴があることを認めることから始めるのが無難であると思われるのだが、個人的には「デビュー七年」という文言に激しく違和感を感じる。歌手デビューする前の数年間はどういう風に解釈するべきかということについてご意見を寄せてもらいたいものである。本日は定時ダッシュを決め込み、オイル交換と夏タイヤへの履き替えを済ませ、これでゴールデンウイーク対策は万全である。戻る↑
温泉宿では「元を取る」という凡そ不思議なかけ声の元で、たかだか一泊だというのに三回も四回も温泉に入る人が多く、湯あたりする人が後を絶たない。特に硫黄泉は湯が柔らかく、体感温度が低めであるため湯あたりする人が多いのは注意しなければならない。そんな白骨温泉の宿は二百年近い歴史を有する温泉旅館であり、建て増しに建て増しを重ねた廊下が複雑に入り組んだ宿であり、こんなところにも由緒正しい旅館を垣間見た気がするが、昔からの看板が全て残されており、明治大正昭和平成それぞれの看板の対比もまた楽しいものがある。
温泉旅館を後にして、おとなしく安房峠に向かえばいいものを、やはりここは野麦峠を目指すこととなる。野麦峠は名前が必要以上に映画で売れてしまい、そのイメージとのギャップと折からの寒風に苦しむ場所として本日は脳裏に焼き付けられることとなったのは偶然である。しかしながら雪解け儘ならぬ乗鞍岳の遠景はまことに素晴らしいものがあり、寒さに噎びながらも来た甲斐があったというものである。その後高山で土産物に立ち寄って昼飯をかっくらい、御母衣ダムの畔に移植されたという荘川桜の鑑賞を洒落込む。枝振りの豪快さはなかなかのものであり、交通渋滞を巻き起こすだけのことはあると妙に感動してしまう。桜がダム湖に沈むところを引き揚げられて移植されたという物語も手伝ってか殊の外素晴らしい桜に見えたのだが、樹齢五百年という事でそろそろ世代交代を突きつけられるような痛々しいところもあり、桜は潔く散るからこそ美しいという日本人の美学をまた思い出す。その後は五箇山でせっかく入った資料館で火縄銃で的を狙おうという楽しい体験コーナーが機械の故障で楽しめなかったのでリベンジを誓うこと以外は特に記憶もなく、これまた高速道路をひた走って帰るという普通の旅行であった。たまに親と旅行するのもいいものであるが、時々で十分な気がするのは致し方ない。戻る↑
魔が差したジャン・レノの作品である「wasabi」に間違って出演しているが、女優なのに単に地で演技しただけだろと突っ込まれない勢いであった広末涼子は今や一児の母であり、「広末の子供」と呼ばれお父さんの存在が限りなく薄いのが気にかかる今日この頃である。親が「週末はわさび田を見に行きたい」と言い出したのが火曜日で、普段の旅行であれば宿を取るなどと言う不思議なことをするわけもないのに、致し方なく宿なんかを抑えて本日は両親と3人で旅行という凡そ自分には不似合いな週末の行動である。
目的地に行くのにゆっくりと時間を掛ければ高速道路を使う必要もないが、土曜日の朝に出発したとなれば目一杯高速道路を使わざるを得ない。一般人が高速道路を使う理由は「高速道路を使わないとどこにも行けない」という至極ごもっともな話もあるが、実は自分で運転できる時間をこのように狭めていて自分を追い込んでいるのが原因ではないかと思ったりもする。そんなこんなで豊科まで高速をぶっ飛ばし、昼は穂高の「上條」でうまいそばに舌鼓を打ち、大王わさび農園に出向く。わさび田の大規模ぶりに感動し、土産物屋でこれでもかとわさびがらみの商品を売りつけているところに凄まじさを感じる。しかし湧水群の畔に建つ水車小屋の風景はほんわかしており、その写真を撮るべく身を乗り出して危うくダイビングしかけたおっさんなんかを鑑賞しつつ、遠く北アルプスの残雪に思いを馳せる。本日のお宿は白骨温泉であり、硫黄と石灰と炭酸水素ナトリウムを含む白濁した湯は芯まで暖まり、三日入れば三年は風邪を引かないというのも納得の素晴らしいお湯である。本日は全国的に寒波が襲来しており、夜ともなれば雪が降り出し、おとといまで三十度ですよ真夏日ですよクーラー買いに行かないと駄目ですよといっていたのがまるで嘘のようである。夜中に雪舞う露天風呂が貸し切り状態になり、日本人に生まれてよかったとしみじみするのは宿を取っているからできる感傷なのかも知れないと思ったりもする。でも自分では宿を取る気にはならないのが困ったところである。戻る↑
人間には誰しも思いこみというものがある。思いこみによく似た言葉で思い入れという言葉もある。その事象にこだわりを持たない人にとっては、思いこみも思い入れも別に違いはない。人の名前というのは最初間違えて覚えると後々まで修正してもうまく行かないということはここ数年の経験から言えることである。さて、ぺ・ヨンジュンという韓国の人気俳優がこのところ公共の電波に乗って我々の前に現れ、それが為に「ヨン様〜(はぁと)」などという電波な女性が増えているらしい。某メールマガジンでは「ぺさん」と読んでしまうのですがどうしたものでしょうという記事があったが、僕は最初「ベン・ジョンソン」と読んでしまい、いまだに「痩せて脱色して国籍を韓国に移したのかあ」と勝手に一人妄想を巡らせていたりする次第。ちなみに「冬のソナタ」であるが、いまだに一度も見たことがない。見る人は毎週見てしまうらしいが、見る気が起こらない。土曜日の晩はお前はいつも出かけているから見る暇ないんだろ、と言われればそれまでだが。戻る↑

朝目が覚めると、隣にはなぜか見慣れた車が止まっている。国道MLの友人が佐久に桜を撮りにやってきたということらしい。ということで、桜の名所としてなかなかいけてそうな龍岡五稜郭を目指す。幕末にこの城郭を作った殿様のことを頌える碑などを見学するが、「日本に2つ」という正直なところが実は気に入ったりする。桜は本日が見頃であり、撮影する意欲もいやが上にも高まる。現在この城郭は小学校として利用されており、休みの日であることも手伝ってか、カメラをぶら下げた怪しい出で立ちのオヤヂどもが写真を撮るのに余念がない。
学校に不審者を入れるな!という風潮が近年高まっているのだが、この学校に限っては城郭で防御してもまるでザルであり、一般人が入り込む余地だらけで困ったものである。ついでにいうとこの学校の卒業記念製作は軒並み五角形のオブジェが幅を利かせており、鶏小屋まで五角形であったのはちょっぴり趣味の悪さを感じずにはいられなかった。友人と別れ、臼田の山の中にある臼田宇宙空間観測所に出向く。そのパラボラアンテナのでかさは特筆ものであり、うえぺけ号をタバコの箱よろしくアンテナに並べて撮影を試みたが、どう考えてもうえぺけ号がミニカーにしか見えないところに凄さを感じたりする。守衛の隣には展示場があり、この観測所がここに居を構えてからおそらく一度たりとも展示品のバージョンアップは行われていないであろうという素晴らしいところであった。日焼けをして色褪せ、いい感じにパラダイスぶりを発揮していたりするのが素晴らしい限りである。そのあと麦草峠は未だ冬季閉鎖中なので大人しく和田峠経由で下諏訪に出る。下諏訪では旦過の湯に入るが、湯が熱すぎてまともにつかることができず、仕方なく大量に掛け湯をしてやり過ごすこととする。そのあとは岡谷から高速でさっさと帰宅する。戻る↑
長野群馬県境を越える道路はいくつかあり、それはいずれも峠を形成している。国道に限定すれば不通区間も含めると北から順に405号、292号、144号、146号、18号2本、254号、299号と7路線8本もあり、このうちで最も南にある299号の十石峠はこれまで長きに亘り不通となっていた。この度ようやく通れるようになったということなので行ってみるかと思い出向いてみたということが歴とした自分なりの理由になるところに己の恐ろしさを感じるのだが、こればかりは致し方ない。ヒッチハイクの兄ちゃんを乗せたりして道の駅とみざわに夜中に到着し、車で寝てから目が覚めていざ出向こうとしたのだが、なぜか理不尽にも工事通行止めという話が舞い込んできて計画は頓挫する。仕方がないので山梨県内の有名どころの峠を走り回ることとする。
その前に大月に出向き、三奇橋の一つである「猿橋」を鑑賞する。確かに橋脚が存在しないため珍しいといえば珍しい。しかしながら今ひとつ感動を呼び起こすものではなく、がっかり名所っぽく感じてしまったのは「名勝猿橋の付近のニシキゴイ・ヒゴイ・黄マスは見るためのものです。釣らないでください」という詰まらぬ演出の舞台裏を惜しげもなく披露しているところにあるのではなく、隣の東京電力の煉瓦造りの水路橋の方が遥かにかっこよく思えたからに他ならない。そのあと松姫峠を越えて小菅村で小菅の湯に入りちょっぴり東京都を踏んで柳沢峠へ。柳沢峠は取り立てて感動を呼ぶものではなく、盛り上がりに欠けるまま上日川峠へと車を走らせる。ロックフィル式のダムと天目で満開の枝垂れ桜を鑑賞し、笹子峠でほぼ3年ぶりに古き時代のトンネルを鑑賞する。そのあと勝沼から高速をひた走り、須玉から増富に出向く。増富ではぬるい湯船にじっと浸かるというラジウム泉を堪能し、信州峠を越えて川上村へ。二宮金次郎が駅構内にあるという珍しい信濃川上駅に出向き、そのあとは道の駅ほっとぱーく・浅科で没する。戻る↑
特許という概念は、知的財産という不思議な表現をされることがある。人が散々苦労して会得したものを簡単に横取りされないために法整備がなされているのだが、運用を履き間違えて「それも俺が先に思いついたんじゃゴルァ」と言いがかりを付けることが商売になるという厳しい現実が待ち構えていたりするから殺伐とした世の中である。知的財産の究極の形として我々が享受しているものに医薬品がある。1化合物が医薬品として世に出るには様々なハードルが待ち構えており、その苦労は計り知れないものがある。そんな苦労を尻目に、特許が切れれば同じ化合物を作ってもよくなるため、特許切れの後に堰を切ったようにゾロゾロといろんな会社からその医薬品が提供される。雨後の筍のようにゾロゾロ出てくることからその手の薬は「ゾロ」と呼ばれるのだが、最近は「ジェネリック」などという美名が冠される事が多い。「生物学的同等性試験」という血液中の薬物の濃度推移が「同等」であるということを確かめる試験さえクリアできれば特許切れの医薬品を自分たちで作って売ることができるため、ジェネリックメーカーはこの試験を通すノウハウに長けているのも事実である。しかし、「同じ成分」であることは認めるが「同じ効き目」であることは試験をして確かめたわけではないのである。「同じ効き目」と推察される根拠は血液中の薬物濃度がこれまでの薬と同じ挙動を示すというところにあり、間違いとは言い切れない絶妙な表現がなされているのが現実である。戻る↑
日本の自然をリゾート地に化けさせる事に余念が無く、赤字決算を創業以来続けているため株式市場に上場できないという不思議な会社がある。この会社は斜陽産業であるのかという素朴な疑問が沸き上がるのであるが、グループ企業の株式を寡占しているため、この会社の長は実質上のグループの総帥として君臨しているという不思議な現象が起こっている。子会社の不始末のゆえ退任したといっても、総帥は子会社の長を兼任することをやめただけであり、実質上何も変わっていなかったりする。この不思議な会社のホームページはこれまた不思議に満ちあふれており、普通であれば自分の会社の業務内容なんかを説明したりするものであるが、そんなものは一切行わないというからすごい。スキー連盟だけでなく、日本に未だ根付かない氷上の格闘技の連盟の会長も勤めている総帥は自分の会社と子会社それぞれにチームを持っており、兄弟喧嘩と揶揄されるリーグ戦が行われていることは周知の事実である。ちなみにこの会社のマスコットキャラクターは一昔前に消え去ったが、いまだに氷上の格闘技のチームのマスコットとして稼働しており、野山を切り開き、彼らのすみかを奪い続けている償いとして彼らのキャラクターを利用しているという噂がもっぱらである。戻る↑

すっきりした目覚めと共に行動を開始する。まずは松山城へとロープウェーで登る事とする。長者ヶ平の停留所には味わい深い土産物屋が軒を連ね、今治名産の湯に浸けると絵が変わるタオルなんかが売られており味わい深い。桜の満開は先週であったようで、人手がそれほどでもない二の丸をうろうろと散策し、見事なまでの景色を堪能する。景色を堪能した後は土産として市内の酒屋で昔なつかし妙に口の広いビン入りのポンジュースを購入する。海岸線を今治へとひた走り、今治からはしまなみ海道を尾道へと進む。SAで食したたこめしはもしかしてモーリタニア産ではなかったのかという一抹の気概を覚えるが、所々で景色を堪能し、向島から本州へは日本一短いフェリーを利用してみたりする。フェリー乗り場に車を置き、朱華園で中華そばを食し、味わい深い喫茶店で自家焙煎のコーヒーを頂き、いざ千光寺ロープウェイで尾道の景色を堪能する。松山城のロープウェイとこのロープウェイを比較すると、添乗するおねえちゃんが尾道の方が素晴らしいという事も手伝っていたのであろうが、景色は尾道の方が遥かに素晴らしく、さすがに映画監督がここを舞台に作品を作りたいと思うだけの事はあるなあと一人感心する。尾道を後にして岡山空港まで兄を送り、その後は車で帰宅。車と飛行機の差は如何ともし難く、兄から帰宅したという連絡が入ったときはまだまだ道半ばというところであった。戻る↑
昨晩遅くに自宅を出て、夜明け前に宇野港に到着する。夜を徹して走っていたのでフェリーでは爆睡し、夜明けと共に入港した高松港で日の出を眺めて更に車を高松空港へと走らせる。今週末は兄がバースデーチケットで四国に旅行に行きたいと申し出ており、車で一緒に巡る事となったのである。やはり「さぬきうどん」とか味わい深い景色を所望しているため、こっちとしても適当に調査を行い満足して頂けるプランを作成する。まずは山越うどんでさぬきうどんの何たるかを理解して貰い、金比羅さん詣へと出かける。
大手旅行会社の添乗員が一団を引き連れ、参拝という苦行の緩和のために面白おかしくネタを鏤めた観光案内をハンドマイクでがなり立てており、それを漏れ聞くだけで十分であるため、つまらぬ下調べはしなくてもよい。ようやく辿り着いた本殿に座り込んでもらっては困るというわけで立て札もある。
本日は桜花祭というイベントがあり、激しいまでの階段をコスプレした一団が下りてくる様を偶然にも見かける。金比羅さんは海の守り神であるため、いろいろな団体が奉納を行っており、造船会社がスクリューのモニュメントを寄贈したり、なぜかアフリカ象の塑像を奉納したりしているのが大変に味わい深い。船という意味では堀江謙一氏のヨットも寄贈されていたし、宇宙「船」で宇宙に飛び立ち、大スポで朝勃ちを全国に報道された秋山豊寛氏の絵馬も奉納されていた。まさに陸海空を制しているのである。奉納されている絵馬には「志望校合格」や「恋愛成就」という個人的な欲望のみを掲げるものが多い中で、「北朝鮮との関係正常化」などを掲げるという趣深いものがあり、多種多様な要望にお応えする神様の多忙ぶりに涙を禁じ得ないものがあった。そのあと宮武でひやひや、長田で釜揚げを堪能し、豊稔ダムへと向かう。石造りのマルチプルアーチダムは殊の外好評であり、兄は最近購入したというデジタル一眼レフカメラで思うが儘に撮影をしていたりする。そのあと味わい深いマイントピア別子などを訪れパラダイス加減に満足し、本日のお宿である松山に到着する。松山ではホテルのコンシュルジュが紹介してくれた「四国三郎よしの川」で旨い魚と素晴らしいラインナップの焼酎を堪能する。宿に戻り、路面電車で道後温泉本館へと向かう。酔っぱらった体に温泉は心地よく、帰りの路面電車では眠りこけ、危うく停留所をやり過ごしそうになる。そのあとホテルで飲み直す予定であったが、さすがに疲れていたのかさっさと轟沈する。戻る↑
世間ではリトル・マツイが初打席先頭打者初球ホームランなどという文字通り相手の出鼻を挫く華々しいデビューを飾ったということで話題騒然らしい。己の主義主張がグローバルスタンダードであると鼻高々であるアメリカ人相手だけに出鼻の挫き甲斐がありそうなものである。しかしまあ海の向こうのことなど知ったこっちゃないというのが実情である程日々の業務は忙しい。帰宅して録画していたプロジェクトXを見る。本日はみどりの窓口誕生秘話なのであるが、日立が一生懸命システムを構築したとか、世界初オンライン発券とか、国鉄の若手を出向させたとか、ありとあらゆる危機に備えるべきだといって主電源を切るとかそんなことを熱く語っていたのだが、個人的に一番感動したのはそれまでの東京駅での予約台帳の取り回し方法であった。机の真ん中で激しく回転する台帳の入ったラックから必要な台帳を巧みに抜き取り、抜き取った台帳を巧みに元の位置に戻すなどという激しい職人芸を見て、予約係のデブ親父が「機械にこんな事ができるわけがねえ」という自信を漲らせた発言をするのも宜なるかなという気がしたりする。確かに機械にこんな事はできないであろうことは容易に想像できるわけであり、現在もきっとみどりの窓口での発券はこの回転する台帳によって運営されているのではないかと密かに妄想してみる。戻る↑
僕が熟睡しているというのに、友人はさっさと出発したいようで寝袋にくるまっている僕を尻目に車を走らせる。そんな甲斐あって能登観音崎に行ったり和倉温泉総湯でまったりと塩辛い温泉につかったりして時を過ごす。外周を極力走るという目的の元、車は海岸沿いをひた走るため能登島を一周したりするオプションももれなくついてくる。のと鉄道という味わい深いローカル線が海岸沿いに走っており、久々に車を友人に運転させて、本人は鉄道の旅を楽しむというかなり面白いことをやってみることとする。穴水から蛸島までの結構な距離のあるローカル線は旅情たっぷりであり、1両のレールバスは唸りを上げながらひた走る。のと鉄道の各駅には桜が植えられており、穴水から蛸島へ北上するにつれて桜が3分咲きからつぼみ膨らむへと時計の針を逆に廻すかの如くの様は趣深いものがあった。また、穴水から蛸島までの間にあるトンネルは順番に「いろは48文字」が掲げられ、偶然であろうが「浅き夢みし」のちに恋路駅に到着するという不思議な演出まであった。ちなみにトンネルの数は49であったため、最後のトンネルには「すず」という名前が付けられていたりするが、それは見なかったことにしておこう。本日乗った区間は来年3月末をもって廃止されるということで、桜の咲く下をレールバスが走るという光景は今年をもって見納めであるということも手伝ってか、景色が一層趣深いように感じ取れた。蛸島で友人と合流し、禄剛崎やら何やらを巡り輪島に着く。輪島は穴水から出ていたのと鉄道の輪島線の終着駅であったが、一足早く廃止されており、駅跡は道の駅となっていた。蛸島の駅は廃止されたらどうなるのだろうかと少し考えたが、最果ての終着駅という感じであったため再開発を行うこともなく朽ち果てるのではないかと思ったりもした。帰り道の北陸道はSAごとに桜が満開であり、夜桜鑑賞にはもってこいの環境であった。どうも今年の桜は今週末に十分満喫できたような気がする。戻る↑
昨日の時点では土曜出勤やむなしというかなり切羽詰まった状況であったのだが、必要以上に頑張ったことが奏功したようで急遽休みとなってしまった。もとより木曜の段階で粟島浦村に行こうなどという不思議なプランがあり、それを一旦キャンセルしてしまったもののさてどうしたものかといろいろ考えてしまう。ということでとりあえずは近所の国道で未走区間を走るという不思議な行動に出る。一緒に行った友人は「ログを取る」と言って聞かないため、いきおい海岸沿いの道を選択したり、河口探索をなどという不思議なことをやって随分と時間を掛けて能登半島の付け根に到達する。東尋坊という名前の由来はなんであるかという議論になり、坊主の名前であるということは一致したが、友人曰く「生臭坊主なので酒を飲ませて崖から突き落とした」というが、僕は「煩悩が断ち切れずに身を投げた」のだと思っており、崖から落ちて死ぬというところは一致しているものの、何でかその辺が違っていたりするのは趣深い。言い伝えはどうやら友人の説に近いようであったが。そんな話をしながら、ログを取っているくせに爆睡をこくという不届きな友人を助手席に座らせたりもしていたが、疲れたら交代するという暗黙の了解なので特に文句はない。じつはうえぺけ号に二人寝るのは初めてで、無駄な荷物を助手席に移すのに一苦労する。本日の教訓として、早いこと屋根に積む棺桶を買う必要があるということだけは判った。本日は道の駅いおりで没する。戻る↑