トップページの写真の履歴とコメント(2006年2月)



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  • タイトル:石川県金沢市の橋爪門続櫓と橋爪門
  • 撮影日:2006年2月19日
  • 掲載期間:2006年2月21日〜2006年3月1日
  • コメント:金沢城の前身は天文15(1546)年に加賀一向一揆で加賀国の支配権を得た本願寺の拠点である尾山御坊であり、一向一揆を滅ぼした佐久間盛正がそのままここに入り、賤ヶ岳の戦いの後に前田利家が入城した。前田利家入城時には尾山城と呼ばれており、金沢城と呼ばれるようになったのは江戸時代からである。明治時代以降は陸軍第七連隊や陸軍第九師団司令部が置かれ、第二次世界大戦が終わるまで存続した。戦後は新設された金沢大学のキャンパスとして使われ、金沢大学が郊外に移転した後は、跡地に菱櫓・橋詰門・橋詰門続櫓・五十間長屋が復元され金沢城址公園として整備された。
  • タイトル:鹿児島県枕崎市のJR指宿枕崎線枕崎駅
  • 撮影日:2006年1月7日
  • 掲載期間:2006年2月16日〜2006年2月21日
  • コメント:枕崎駅は国鉄が間借りしているという珍しい形態を取っている駅であった。1931(昭和6)年に南薩鉄道(後の鹿児島交通)がこの地に鉄道をたどり着かせ、薩摩半島の西岸に交通網を確立した。時を同じくして国鉄は鹿児島より薩摩半島を時計回りに半周する鉄道網の建設に着手したが、当時はまだ西鹿児島(現在の鹿児島中央)〜五位野が開通したのみであり、この地にたどり着いたのは30年以上も後の1963(昭和38)年であった。鹿児島交通が構築したこの駅に国鉄が間借りする形態を取った時間はそれほど長くなく、1984(昭和59)年に鹿児島交通が鉄道事業から撤退した後は、国鉄がこの駅を占有することとなった。それゆえ現在も国鉄の線路は駅舎と待合室から微妙に離れたところにあり、その不思議な空間が寂れているが故の不思議な雰囲気を醸し出している。
  • タイトル:沖縄県那覇市那覇空港で出発を控え給油中のB767
  • 撮影日:2005年12月26日
  • 掲載期間:2006年2月8日〜2006年2月16日
  • コメント:ジェット機の燃料は民間機には灯油(ケロシン)が用いられており、戦闘機にはガソリンとケロシンをブレンドしたものを用いている。国内線用と国際線用の機材の大きな違いは羽の下にある燃料タンクのサイズである。航続距離を長くするために国際線用機材のタンクは大きく、その分座席数は少なくなる。ちなみにテクノジャンボB747-400の燃費は1リットル当たり60mというのが相場であり、航空機用ケロシンの価格は1バレルあたりドバイ原油に10〜20ドルを加えたものが相場である。