トップページの写真の履歴とコメント(2004年11月)



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  • タイトル:富山県中新川郡立山町の富山地方鉄道立山線
  • 撮影日:2004年3月27日
  • 掲載期間:2004年11月28日〜2004年12月7日
  • コメント:富山地方鉄道は1943年(昭和18年)の陸上交通事業調整法に基づき、富山電気鉄道を母体に富山県内の私営・公営の鉄軌道・バス会社6社を合併して設立された。立山駅は立山黒部アルペンルートの富山側の起点であり、立山黒部アルペンルートは扇沢までの間にケーブルカー、バス、トロリーバス、ロープウェー、ケーブルカー、徒歩、トロリーバスと乗り継ぐことにより北アルプスを突っ切る唯一の交通手段である。また、鉄橋の左側に広がる河原は、立山を起源とする常願寺川であり、この上流には落差日本一を誇る称名滝がある。
  • タイトル:北海道小樽市の小樽運河
  • 撮影日:2004年9月26日
  • 掲載期間:2004年11月23日〜2004年11月28日
  • コメント:小樽の語源はアイヌ語のオタ、オル、ナイ(砂浜の中の川)で、元は銭函の名であった。明治に入り札幌建設の資材搬入港となり船舶の往来も激増、北海道の要港に成長した。増加する一方の船や貨物を如何に捌くかという問題は国会論争にまで発展し、大正12年(1923年)にやっと運河は誕生した。しかしながら札幌の著しい成長と反対に小樽は斜陽化し、小樽臨港線道路の新設を機に運河埋立計画が出された。16年にわたる埋立か保存かの論争の末、昭和61年(1986年)に南側半分が埋立てられ散策路に整備され、石造り倉庫群も店舗や博物館に再利用され、運河は歴史と浪漫の街小樽の象徴として蘇ることとなった。
  • タイトル:東京都中央区勝どきの勝鬨橋
  • 撮影日:2004年11月12日
  • 掲載期間:2004年11月14日〜2004年11月23日
  • コメント:この橋付近では日露戦争終結後に渡し船が始まり、その名前の由来は勝利の際に挙げる鬨の声である「勝ち鬨」であった。そののちに月島と本土を結ぶ橋の着工が望まれ、この橋は昭和15年(1940年)に竣工した。完成当時は東洋一の規模を誇り、わが国初のシカゴ式二葉の跳開橋であった。この跳開橋は昭和40年(1965年)を最後に跳ね上がることはなくなったが、秋元治氏の「こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)」や島田荘司氏の「ひらけ!勝鬨橋」にこの橋が跳ね上がったというフィクションが展開されている。
  • タイトル:宮城県栗原郡花山村のの座主歩道橋
  • 撮影日:2004年9月24日
  • 掲載期間:2004年11月7日〜2004年11月14日
  • コメント:北上川水系迫川と一迫川の境目に「花山湖」があり、そこに架かる一般国道398号の橋梁である。この橋は歩道橋となっているが、昭和63年10月に新しく自動車専用橋が架かるまではここに車が通っていた。ちなみに法律上はこの橋は花山湖に架かっているのではなく迫川に架かっていることになっていることから、花山湖は一迫川ではなく迫川に含まれると考えられる。