2008年2月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 2月29日(金)「現実への引き戻され」
  • 2月28日(木)「ニライカナイの海」
  • 2月27日(水)「沖縄の基地事情」
  • 2月26日(火)「下地島」
  • 2月25日(月)「灯台参観コンプリートならず」
  • 2月24日)「インターバル」
  • 2月23日)「奇跡の一航海」
  • 2月22日(金)「さらば小笠原」
  • 2月21日(木)「ホェールウォッチング」
  • 2月20日(水)「父島」
  • 2月19日(火)「母島」
  • 2月18日(月)「小笠原へ」
  • 2月17日)「鷲宮神社」
  • 2月16日)「西武線陥落」
  • 2月15日(金)「引越の下見」
  • 2月14日(木)「東京ミッドタウン」
  • 2月13日(水)「いまさらながら筑波山」
  • 2月12日(火)「健康診断」
  • 2月11日)「房総半島」
  • 2月10日)「蜘蛛の子を散らす送別会」
  • 2月9日)「小野神社と高尾山」
  • 2月8日(金)「東武鉄道陥落」
  • 2月7日(木)「わたらせ渓谷鐵道」
  • 2月6日(水)「太田の真髄」
  • 2月5日(火)「中華街」
  • 2月4日(月)「相模国一ノ宮」
  • 2月3日)「まったりと帰宅」
  • 2月2日)「アワビの踊り食い」
  • 2月1日(金)「ちょっと一休み」


  • 今月の日記
    2月29日(金)「現実への引き戻され」
    旅行というイベントを済ませ、朝を迎えれば激しく現実を突きつけられようものである。つくばを引き払う日時はすでに確定しており、それまでにやらなければならないことは荷造りであるが、それいがいにもいろいろとやらねばならぬことがある。本日は「今月中に振り込んでくださいね」と不動産屋から言われた新居の駐車場代を振り込むべくうんこふんじゃった銀行のATMに向かう。このATMは自宅から徒歩3分のところにあり、つくばにいながらにこの利便性は特筆ものである。自宅を出て角を曲がるとATMが見えるのであるが、順番待ちは一人だけであり、これはさほどの時間はかからぬであろうと思っていたら、前を歩く人があれよあれよと列を作り出し、わずか2分ほどの間に行列は5人までに成長したのである。致し方なく並ぶものの、自分の後ろには誰も行列を作らないというのは自分が一番損をしているように思えてしまうため無闇に腹が立つものであり、このあたりに自分の小ささが露呈しているようで困ったものである。やっと順番が来て振込みを済ませ、外に出ると行列が10人にまで成長しており、このことで妙に勝利したように思ってしまうことにますます自分の小ささを感じるものであった。そのあと市役所の分庁舎に出向いてさっさと転出届を出し、いよいよつくばとの別れは確定的となったのである。戻る↑
    2月28日(木)「ニライカナイの海」
    小型旅客機の座席の割り振りに使うシール沖縄のぜんざい沖縄本島の南東にはニライカナイなる地があり、そこから生命は生まれ、没すればそこに帰って行くという信仰がある。久高島をそういう意味で聖地として扱うのは判るが、久高島にさりとて深遠なものがあるとはいえないので、致し方なくもっと南東のほうにニライカナイはあるんですということになっており、南北大東がどうやらそのように目されているという話をきいたことがある。本日はそんなはなしがある海を眺めてみたのであるが、この海は那覇空港に降り立つときに航空機がぐるっと旋回する海であり、沖縄に降り立つ前に、この光景をサービス精神で鑑賞させているものとばかり思っていた。しかしながら、そんなうれしいものではなく、事実は嘉手納基地の管制に引っかかるから西側から着陸は認められないというだけのことである。これはまあ怪我の功名ということでありがたく享受していることにはかわりがない。そんなニライカナイの海を本日はまったりと眺め、沖縄本島で一番美しい海はここではないのかと新たな思いを持つものであった。景色を堪能し、沖縄に来たならばぜひとも味わうべきと思っているA&Wでルートビアを味わう。ジャンクフードとルートビアの組み合わせは絶品であり、マクドナルドがコカコーラと結託した最強のコンボであるハンバーガーとコーラはルートビアの前には無力であるといわざるを得ない。ルーとビアはおかわり自由であるがなぜか最初からサイズが選べるという不思議なギミックも取り揃えられており、何気に味わい深いのである。そんな沖縄を堪能し、おもろまちの免税店でレンタカーを返却して空港までバスに乗り込む。空港で荷物を預けて搭乗手続きを済ませたところ、機材のやりくりの都合上出発が遅れるということであり、まったりと沖縄ぜんざいなどを食して時間を過ごす。羽田に降り立ち、リムジンバスで帰宅する車中において、もうこれから先しばらくは羽田空港に夜に降り立ち、斯様にリムジンバスで帰宅し、そして翌日疲れた体を引きずって会社に向かうことはなくなるのだなあと微妙にしんみりしてみたりした。どうせ引っ越しても降り立つ空港が違うだけで、やることが変わらないのに、こんなに簡単に感傷に浸れるとはお気楽な奴である。戻る↑
    2月27日(水)「沖縄の基地事情」
    沖縄の狛犬はシーサー@波上宮沖縄の狛犬はシーサー@波上宮本日は沖縄本島に戻ることとした。宮古空港へのアクセスはタクシーのみであり、リムジンバスは存在しないのである。その事情をタクシーの運ちゃんに聞くと、「みんな車持ってるからバスは流行らない」ということであった。タクシーの運ちゃんの話は微妙なものが多く、宮古島にキャンプに来たオリックスは結局晴れの日が2日しかなったので「最悪だ」と捨て台詞を吐いて帰っただの、有名どころの選手は誰もこなかったので盛り上がりに欠けていただの、選手は街から遠く離れたドイツ村という施設に隔離されているので繁華街に横断幕は出しているものの、ほとんど見かけることが無いとか、なかなかに笑わせてくれる。那覇空港に降り立ち、レンタカーを借りていざ出発であるが、レンタカー屋は頼んでいたグレードの車がないときにはアップグレードをしてくれるとはいえ、デミオを頼んでインプレッサワゴンが来るのは相当想定外といわざるを得ない。ヒージャー(ヤギ)の刺身スルルー(キビナゴ)の唐揚げスーチカー(豚の塩漬)ということで、随分とゴージャスな排気音を棚引かせて沖縄を観光する。嘉手納基地近辺では凄まじい轟音とともに飛行機が空中で回転するなど街中でこんな大胆な訓練が行われているとは驚きである。そのあと海中道路を通って景色を堪能し、本日のお宿に戻る。国際通りに飲みに繰り出し、なかなかうまい店で本日も沖縄料理を堪能して宿に戻る。この3日間オリオンと泡盛と沖縄の味の堪能ばかりであるが、まるでこれに飽きないという所に沖縄の素晴らしさを感じるものである。戻る↑
    2月26日(火)「下地島」
    下地島空港は観光バスもやってくる観光地である?「ヤシガニ飼っています」だからなんなんだろう?@渡久地の浜%伊良部島本日は船に乗って伊良部島に渡り、伊良部島からは島伝いに下地島に向かうこととした。下地島には滑走路長3000mを誇る下地島空港があり、この空港では日々実際の大型旅客機を用いた飛行訓練が行われているのである。飛行訓練ゆえ、戦闘機でしかこれまで見たことのないタッチアンドゴーが旅客機でも見れるとあって、微妙にマニアの間では熱いところである。しかしながら、下地島の魅力はそのような話だけではなく、珊瑚礁の島ゆえの美しい風景などがあり、空と海の碧さに旅客機の轟音が棚引くという不思議な組み合わせがこの島の醍醐味であると言わざるを得ない。滑走路脇で斯様に鉄の鳥見をしていたのであるが、意外にもこの空港は観光スポットであるようで、滑走路脇の道路にはおもむろに観光バスがやってきたのである。宮古そばブダイのマース煮(塩煮)しかもあろうことかバスは止まり、添乗員が乗客を誘導して説明を始めるのである。このようなツアーまで企画するとは大胆不敵である。さて、午前中は天候が良かったのであるが、午後になってなにやら怪しい雲行きとなり、撤収するが吉と思うのであったが、時すでに遅しで、寒冷前線の通過の最中でものすごい雨と風に見舞われ、何とか伊良部島の港からのフェリーにたどり着いて宮古島に引き返す。さっさと宿に戻り、服を着替えてまったりし、本日は昨日とは違う店に出向くこととした。ブダイのマース煮や宮古島牛のにぎりなどを堪能し、宮古島といえばトライアスロンだという話などを店の親父とやったりしながら楽しく時を過ごす。戻る↑
    2月25日(月)「灯台参観コンプリートならず」
    東平安名崎朝早く起きて羽田空港に向かうというのは、自分にとっては土曜日の風物詩のようなものであったので、さりとて珍しいことではない。しかしながら本日は些か勝手が違うということを痛感したのである。自分が羽田空港に向かうことに違いはないのであるが、世間では本日は平日なのである。ということで、東京の満員電車にでかい荷物を持ち込むという些か迷惑なことをやらかしてなんとか羽田空港に到着する。今回は那覇空港でトランジットして宮古に向かうので、荷物は預けることとした。初めて降り立つ宮古島は平坦な島であり、これならば車を借りずにバイクで済ませられると判断してバイクを借りていざ散策に出かける。国道をきっちりと塗ったり、来間島や池間島をきちんと訪問し、その架橋の人工美と自然美とのコラボレーションに感動したりして東平安名埼を目指す。生簀で飼われる海ぶどう宮古島の泡盛「菊の露」東平安名埼にある灯台は参観可能な灯台であり、ここに参観することにより、日本にある参観可能な14の灯台すべてに参観したことになり、ひとつ達成できることがあると大いに喜びつつ受付に向かう。幸い本日は天候も穏やかであり、これにて一件落着と思いきや、受付のおばちゃんに「去年初島灯台が参観可能になって15箇所に増えた」などという情報を教えてもらい、先がまだあることを理解する。本日は宮古島を一回りし、大神島に渡ることを次回の課題として宿に戻り、お勧めの飲み屋に繰り出すこととした。そのお店では琉球民謡のライブをやっているということで、その店でショーを見るというツアーに参加している人々がアリーナ席を分捕っており、一介の旅人はカウンターの片隅で静かにオリオンの生をぐびぐびや古酒をちびちびやるものである。ライブの曲目はハイサイおじさんだの涙そうそうだのというかなり定番チックであり、思いっきり観光客向けだなあと思いつついい気分であった。戻る↑
    2月24日)「インターバル」
    帰宅してみると、目の前には引越というイベントが待ち構えており、そろそろ食材の計画的な購入が臨まれる事態となってきている。この食材の購入は、明日からの沖縄旅行によってさらにその計画を難しくしているのではないかと思うところはあるのだが、長期休暇でやりたいことを計画したところこのような結果になってしまったのであるからこればかりは致し方ない。ということで、本日は洗濯と荷造りをして、明日からの旅行に備えるべく予行演習と称して泡盛で気持ちよく一杯やることとした。戻る↑
    2月23日)「奇跡の一航海」
    おがさわら丸の航海は、東京を出た後に25時間半かけて父島に到着し、そこから島に3日間停泊し、また25時間ほどかけて東京に戻るというものである。この一連の航海を島の人間は「一航海」と呼び、来た船で戻る観光客に対しては「一航海で戻るなんてもったいない」とコメントを発するものである。小笠原の本質を知るのであれば、おがさわら丸が島にいないときのまったり感を感じるべきであるという意見はもっともである。このことはかつては島民の誇りを持って外洋に自ら漕ぎ出でていたというというのに、日本に返還されて東京都という日本一裕福な自治体の庇護を受けると人間はいとも簡単にプライドを捨てることができるというわかりやすい絵を見せてもらっているようでもある。さて、今回の航海であるが、行きはそれほど波も高くなく揺れの少ない素晴らしい航海であった。天候にも恵まれ、素晴らしい景色が堪能できたことも特筆ものであった。帰りも天候には恵まれていたものの、三宅島沖あたりに差し掛かる頃からぼちぼち冬型の気圧配置となって強烈な西風が吹き付けてきたものの、まあまあ素晴らしい航海であったということができる。ちなみに次の航海はこの冬型の気圧配置の中で執り行われるわけであり、凄まじく荒れ狂うものとなることが予想される。また、この航海の前も天候に恵まれなかったということであり、今回利用した航海は当に狙い澄ましたかのようなものでありこんなところに日頃の行いのよさが現れているのかもしれない。運を使い果たしてしまっているという意見もあるがそんなことはどうでもいいことである。小笠原を出るときの人数と東京に降り立った人数に変化が無いのは当然であるが、小笠原におけるおがさわら丸の存在感と東京にたどり着いたときのおがさわら丸の存在感はまるで異なるものであり、ここにも小笠原諸島の東京都における経済的な存在感が伺えようものである。小笠原の存在感をもっと高めるためには何ができるかというのが今後小笠原が考えるべきものであるという思いを強くした旅行であった。戻る↑
    2月22日(金)「さらば小笠原」
    おがさわら丸いよいよ本日が小笠原最終日である。宿をチェックアウトし町まで歩いて町並みを見物したり、土産物屋を冷やかしたりしていたのであるが、出航前までの最大の目的は小笠原村営バスを制覇することに他ならない。開国シテクダサイヨォ小笠原村の前にある距離標小笠原村営バスは村役場から北側を回る循環線と、村役場から南側を回る線の二つがあり、このうち循環線は逆周りもある。ということで、逆周りは良いとして循環線と南行きの路線に乗り、まったりと観光を楽しむ。小笠原には観光バスが無いため、これが何気に観光バスの用途も果たしており、ガイドまでしてくれるというからなんとも格安である。イタチザメの顎しかしながらフリートークが信条の案内であり、客からの意味不明な質問に答えることもしてくれるなどかなりレベルの高いマニアックな案内であり、ここの都営住宅の家賃の相場や不動産の相場、都の最低賃金でしかレジャー関係のアルバイトの時給がもらえないことなどの小笠原の影を語っていただくなど貴重な機会である。そしてこの貴重な機会に便乗して、運転手も「内地で路線バスの運転手やったらどのくらい給料もらえますか?」という質問までする始末であり、これまで味わったことが無い人生劇場のようなバスでの観光を済ませたのであった。村役場に戻り土産屋を冷やかしたり、味わい深い見に水族館などを見物し、宿から荷物を受け取っておがさわら丸に乗り込み帰路に着く。出航時に大勢の見送りを受けるのであるが、ここまでこの見送りに対する気合が入っているものはこれまでに経験が無く、新幹線の駅ではないため旗竿やコメットの使用、胴上げの禁止をする必要が無い桟橋であるため派手な送り出しを見せてもらう。戻る↑
    2月21日(木)「ホェールウォッチング」
    ザトウクジラの尾っぽ1/4ザトウクジラの尾っぽ2/4ザトウクジラの尾っぽ3/4ザトウクジラの尾っぽ4/4小笠原にきたのならこれはやっとけ、というものといえばホェールウォッチングであり、日本や世界で数あるホェールウォッチングのスポットにおいても「イルカと一緒に泳ぐ」というオプションがついているのは小笠原ぐらいのものである。しかしながら本日は水温が低く、そのような楽しみはもっとベテランになってからでよかろうと判断し、本日は船で沖へと漕ぎ出してまったりとクジラを鑑賞して写真撮影を執り行うということとした。クジラは気まぐれであり、このスポットに行けば必ず芸をしてくれるわけではないというのが水族館と違う点であり、これをつまらないと思うか、はたまたその不確定要素ゆえにいいものが見えたら大変うれしくなるか、というのが意見の分かれるところである。クジラの汐吹を見つけると「何時の方向にブロウ!」などという業界用語で説明が入り、そこでまったりとクジラが泳いでいたりするわけである。ラム酒@勘左島寿司@勘左己の腕前という最大の要因を勘案した上で行けば当然帰結するべきことであるが、なかなか素晴らしい写真は撮れないものである。しかしながら、クジラを求めて船で追いかけるというプロセスそのものは捕鯨となんら変わらぬものであり、最後に銛で仕留めるか、長筒で仕留めるかの違いがそこにはあるだけである。本日は不作だったようで、ガイド側が微妙に恐縮していたのであるが、これはきっとまた見に来なさいという天の思し召しであり、小笠原に来たのに寒いからという軟弱な理由で水に入ろうとしない己の鈍らぶりに対する厳しい鉄槌ではなかったかと前向きに適当に考える。宿に戻り一風呂浴びて街に繰り出し、亀煮と島寿司を堪能し、名物のラム酒をいただきながら行きの船で一緒であったドイツ人がたまたま同じすし屋にやってきたので話を始めることとなり、その昔は東ドイツの海軍にいて今は電力会社に勤めるというなかなか面白いドイツ人と父島における電力事情にと将来について熱く語り合い、年が12年違うので「干支は同じだ」という日本の暦を説明したら「じゃあ12年後にここでお会いしましょう」という不思議な約束をして本日は終了。戻る↑
    2月20日(水)「父島」
    雑然とした郷土資料館@母島朝から母島の観光を続ける。昨日見かけたもののすでに受付時間が終了していた郷土資料館に出向き、この地の歴史などの見聞を深めると思っていたのであるが、中に陳列されているものはあくまでもかつての母島の生活を感じ取らせるものであり、何よりも一番味わい深いと思うことは資料館に鎮座する受付の女性である。この女性こそがこの資料館の至宝であり、陳列されている写真については「これはどこどこに住んでいる何々さんのおばあさん」というピンポイント過ぎて伝わらなさ過ぎる情報が大量にもたらされ、ここはもしかして人吉のデイリーヤマザキと何かしら関係があるのかもしれないと思うものであった。後で聞くところによると「あそこの資料館に行くと時間がかかる」ということであり、特段引き止められたということではなさそうである。ロース石で作られた砂糖倉庫を移築してある味わい深い資料館を後にして船着場に向かう。昨日この地へと運んでくれたははじま丸はそのまま係留されており、こちらの旅立つを待つかのように乗り込めばいざ父島へと向かうものである。父島に到着すると、昨日降りたおがさわら丸がそのまま係留されており、1日ぶりのご対面である。戦争中に魚雷で沈没した輸送艦小笠原神社の境内にあるトーチカ必要以上に警備が厳しい宇宙開発事業団父島衛星追跡局ちなみに昨日も父島に到着するまで、本日も父島に到着するまでの24時間ばかしは携帯が通じないわけであり、父島に到着するや大量のメールと不在通知が入っていたのであった。小笠原で引越のやり取りをするのはあまりいけてる話ではなく、衛星経由での会話は間抜けなものであるため、やり取りは後回しにすることとし、バイクを借り、明日のホェールウォッチングの予約をして観光に出かける。味わい深い旧日本軍の遺構やそこにある自衛隊の無線アンテナや「愛とは決して後悔しないこと」という味わい深い落書き、必要以上にバラエティに富んでいる「動物注意」の標識、警備が必要以上にゆるゆるの国立天文台や意味もなく厳しい感じが漂う宇宙開発事業団の衛星追跡局を見物し、64年間沈みっぱなしの輸送艦なども見物して宿に戻る。宿では小笠原の達人と思しき老人とのトークで盛り上がり本日も夜は更けて行ったのである。戻る↑
    2月19日(火)「母島」
    おがさわら丸のエンジンおがさわら丸の操舵室に会った六分儀朝起きると波もかなり穏やかである。日の出を見るべきかとデッキに上がるも、雲が立ち込めており、ご来光を拝むことは叶わぬ状況であるため、さっさと二度寝し、起きて一風呂浴びて朝食を摂る。朝9時より船内の機関室と操舵室を見学するというツアーが執り行われており、それに参加するべく受付の前に集まる。機関室に通されると機関長の実直ながらも熱いトークを受け、いざエンジンルームへと入る。エンジンルームは巨大なエンジン2機が轟音を立てて稼動しており、その熱気と轟音は凄まじいものであった。そのあと操舵室へと案内され、GPSを用いた自動操縦のシステムなどを見物する。GPSが故障したときのためのロランGだとか、いざというときのための六分儀なども見ることができ、技術が発達しようとも六分儀と海図は生きていることを実感する。母島の北村集落跡にある案内標識都道最南端の看板そんな楽しい航海であるが竹芝桟橋を出航して26時間ほどで父島に到着する。父島での乗り換え時間が1時間ほどあったのでのんびりご飯を食べることができるかと思っていたのであるが、予定より30分ほど遅れての到着であり、桟橋からすぐのところにある生協で弁当を何とか確保して母島行きの「ははじま丸」に乗り込む。ははじま丸からはクジラを見るなどの楽しいイベントが相次ぎ、2時間ほどの航海はあっという間に終わって母島に到着する。宿から迎えが来ており、ひとまず宿にチェックインする。宿でバイクを借りて島を一巡りし、戦争の遺構と携帯電話のアンテナの微妙な相関ぶりに何かしらの興味を抱きつつ、都道最南端でのロータリーを見物するとかお土産であるところのラム酒を買い求めるなどして本日は終了。揺れないところにいるのが久しぶりという不思議な認識を持ちつつ熟睡する。戻る↑
    2月18日(月)「小笠原へ」
    おがさわら丸船内の売店ロングバケーションなる概念を思い立ったのは、大学院の試験に落ちた翌年を研究生として送ることとなったときである。明るく暮らすも1年、暗く暮らすも1年であるならば、この1年間を天より授かりし1年と理解するのはいかがであろうと解釈したのである。しかしながらそのように解釈して間もなく、フジテレビで斯様なタイトルのドラマが放映されて人気を博したのである。いつどのようにしてこのコンセプトを盗用されたのかは定かではないが、自分と同じことを考えている人間は3人いるという言い伝えに従えば不思議でもなんでもないことである。さて、そんな長期休暇は年老いた時までは得ることの無いものと思っていたものであるが、図らずもその恩恵に浴することができ、現在順調にそれを消化しているのである。本日からの6日間はいよよその真骨頂であり、パスポート無き状態にありながら24時間以上のノンストップの旅行を実行し、異郷の地へと降り立つのである。竹芝桟橋に待ち構えているおがさわら丸は威風堂々としており、外海であるため多少の揺れはあるもののスタビライザーの恩恵を受けて船はまったりと南下を続ける。大海原に漕ぎ出し、島影もほとんど無い中での日没シーンなどを眺め、これからはじまる楽しき旅行に思いを馳せるものである。戻る↑
    2月17日)「鷲宮神社」
    漫画で町おこし巷で不思議なまでに人気を博しているとか、その漫画によって町おこしまでやってしまったとか、なんだか良くわからないままにその名前だけは知ることとなったので、本日は埼玉にある鷲宮神社に出向くこととした。理解に苦しむ絵馬その1理解に苦しむ絵馬その2鷲宮神社の近所には関東平野のど真ん中にありながら濃厚な炭酸泉が湧くという百観音温泉などという名湯もあり、その近所まではどうやら出向いたことがあったようである。この神社、歴史のある味わい深い神社であり、それなりも構えがあることや、吉日であったためか神前式が執り行われているなど、どうやら相当由緒ある神社のようである。参拝を済ませて御朱印をいただくも、どうも絵馬が不思議なものとなっており、絵馬に将来の自分の嫁の名前を書くなどという不思議なことが行われているようである。神社でこれまで見たことのない風習に驚くも、どうやらこれは漫画の仲の主人公の行動に准えたものであり、漫画の内容を理解しておらぬ人間にはその行動の根拠を理解することはおよそ無理というものである。戻る↑
    2月16日)「西武線陥落」
    先日東武鉄道をすべて乗るということを達成したのであるが、本日は西武鉄道を利用することとした。微妙に一筆書きができたりする不思議な路線を乗り継ぐことができるのかということが気になるのであるが、レオライナーなる不思議な公共交通や、豊島園と西武園と西武遊園地って趣がぜんぜん違うよねという認識をし、東京の西部には味わい深いところが多いという理解を深めて無事終了する。これにて関東の大手私鉄はすべて利用したこととなり、懸念していたことがまたひとつ終わりを告げるのであった。帰宅して友人宅に行き、酒を飲みながら夜は更けていった。戻る↑
    2月15日(金)「引越の下見」
    やってきたダンボール社宅扱いとなる物件について会社の了解はまだ得られていないものの、来週からよんどころなき事情で多忙となるため、引越業者との打ち合わせを先に行ってしまうこととした。引越業者との打ち合わせは割と簡単に終わり、ダンボールと緩衝材をひとしきり持ってきてもらい、ついに引越の日は本決まりとなったのである。順々にやることは進んでおり、続けてNTTにも電話の停止と関西での開始についての電話を行う。加入権の問題があるのをマイルドに亡き者にしようという策略の所為であろうか、光電話を進められ、停電のときとチケット予約用の電話には使えませんよという不思議なことを言われつつも、停電のときなんていうパニック時は間違いなく携帯電話を使うよなあと理解して了承し、話は随分とてきぱきと決まるものである。引越業者の持ってきた「引越時のチェックリスト」を確認するに、あわてることはないということを理解する。戻る↑
    2月14日(木)「東京ミッドタウン」
    兄から関東を離れる前にうまいものでも食いに行かないかという誘いを受け、兄の職場がある東京ミッドタウンへと向かう。東京ミッドタウンはセキュリティが高いことを売りにしており、オフィスに入ろうにも駅の自動改札機のようなマシーンがあり、そこを通らないと先には進めないようになっている。その改札機もどきを通過するための切符もどきを発見するマシーンに秘密の暗号を打ち込み、その機会より吐き出されたQRコードをかざすと改札機は無事通過できたのである。なんともはやハイテクな世界であるなあと思うも、必要以上にそういうことでイメージアップを図っているような気がしないでもない。エントランスより東京の夕日を眺めていると兄がやってきて、連れ立って六本木の酒飲みが集まる判りにくいところにある店に出向く。その店はメニューが無く、酒も割とアバウトに飲ませ、会計も女将さんの判断で決まるという丼勘定な見せであるが、素材のうまさを最優先に酒をうまく飲ませることに注力した料理を提供しており、大阪に戻ればこのような店を是が非でも開拓せねばなるまいと思いを新たにしたものであった。戻る↑
    2月13日(水)「いまさらながら筑波山」
    筑波山女体山山頂より関東平野を見下ろす女体山より男体山に続く尾根に立ち並ぶアンテナ群筑波山とは茨城県の県南地域の象徴であり、高さが1000メートルに満たなくも日本100名山に数えられるのはその美しさにあることは間違いない。ということで、本日は筑波山に登るべく出かけてみた。今回は公共交通を利用しての登山を計画しており、バスでロープウェー乗り場まで向かい、ロープウェーで女体山の山頂付近に達し、男体山山頂付近からケーブルカーで下山するというものである。このところの冬の厳しさも平地では跡形もなくなっており、大して困ったこともなく登頂できるであろうと高をくくって出かけてみた。本日はよい天気であり、中腹まで向かうバスの車中からは富士山を見ることができるという結構な体験をすることができる。そしてケーブルカーに乗らんとしたときに係員から「山頂付近は凍っているので、できれば無難に単振動しなはれ」とやんわりといわれる。しかしながらそういうわけも行かぬと当初の予定通りに切符を購入しいざ山頂へと向かう。山頂に降り立つと、そこは一面の銀世界であり、足元は見事に凍結し、ひとつ間違えると命の保証もなさそうな場所である。そんな中雪山に登るスタイルでの地元のパーティをやり過ごし、普通の冬の外出の格好で何とか山頂に到達し、女体山神社から関東平野を一望する。御朱印もいただき意気揚々と男体山側に下りるも、足元が危ういため2回ほど豪快にすっころび、山をなめていましたとしか言いようが無い体たらく振りを発揮する。なんとかケーブルカー乗り場に降り立ち、ケーブルカーで下山する。身体が冷え切っていたので筑波山温泉で身体を温め、いい気分で下山する。戻る↑
    2月12日(火)「健康診断」
    いいかげん新しい会社に提出する書類の作成をせねばまずかろう、と重い腰をあげて作成に取り掛かる。しかしながら新しい住所は決まっていないし、いまひとつ気合が乗らないものである。そんな中、「健康診断を受けてください」という依頼があり、ならばこれをやっつけるかと病院に電話をしまくる。会社の産業医をお願いしている病院に電話をすると「予約が一杯で3週間後になります」という大胆不敵なことを言われてしまい、微妙に前途多難である。ならばと市立病院に電話をすれば「朝10時までに来て貰ったら大丈夫ですよ」となかなか人気がなさげなところを売りにしているからたいしたものである。予約がいらないのでこれはすばらしいと思うも、値段が些か高いものであり、人気が無い秘密がこれにあったのかと理解して丁重にお断り申し上げる。次なる病院に電話をかけると即日やってもらえるというからこれは素晴らしいということで喜び勇むが、「医療過誤を排除するべく、当院のポリシーはダブルチェックです。ですから診断書は3週間後にしか出せません」というなにやら勘違いもはなはだしいところであったのでこれもお断りである。ようやく即日やってくれて即日診断書を書いてくれ、値段も妥当な病院を見つけたのでそこにお願いしようとしたところ、「本日今から来ていただけませんか?」ということであった。良く聞くと、「耳鼻科の先生が次は金曜日にしか来ない」んだそうで、本日を逃すと次は金曜日ということである。ということで少しばかり慌てふためきながら病院に出かけ、無事健康診断を済ませて帰宅する。ちなみに結果は「異常なし」であった。戻る↑
    2月11日)「房総半島」
    このところの日々の疲労振りは凄まじく、これもひとえに平日の勤務時間のノリで外出しているからである。これまでは平日はのんべんだらりと勤務し、休日は骨身を削ってまでして出かけていたのである。おかげで月曜日ともなれば疲労困憊であり、この疲労を1週間かけて癒し、土日を迎えていたということが最近になってようやくわかってきたようなそんな感じがしないでもない。ということで、本日は昼過ぎまでぐっすりと熟睡し、夕方から最後にここだけはいっておかないと悔いが残ると思われる房総半島に出かける。先週の鴨川行きで大方のところには出かけていたのであるが、少しばかり気がかりなところがあり、そこをきっちりと回ってすっきりさせて帰宅する。そして気がつけば帰宅したのは午前3時であり、休みに入ってからまともに休んだことが無いものだなあと思うものであった。戻る↑
    2月10日)「蜘蛛の子を散らす送別会」
    つくばに来て間もなく3年であり、長かったようで短かったけど充実していたようでそうでないような良くわからない日々を過ごしていたものである。本日はそんなつくばに住む友人4名がつくばを去る前に集まろうということとなったのである。折りしも大阪より友人がつくばの学会に参加するためにやってきており、その友人も参加してにぎやかな会となる。あるものは大阪の会社に転職するためにつくばを去り、あるものは1年間海外留学のためにつくばを離れ、あるものは内々に移動することとなり、そしてあるものはつくばにこれからも住む予定であるものの長年勤めていた会社を退社するというから、この付和雷同ぶりには絶妙な天の配剤が働いているほか無いとしか考えようが無い。そんな味わい深い集まりは夜中まで続き、いい加減眠くなったので帰宅する。まあ、この面々であれば、一度どこに行こうとも集まれということとなれば簡単に集まることができるような連中であり、たまたま同じ場所に住んでいた以上のものではなかったのかもしれない。戻る↑
    2月9日)「小野神社と高尾山」
    本来の武蔵一ノ宮である小野神社武蔵国というのは微妙に歴史がある。あちこちに「氷川神社」があるのは氷川きよしのファンがわんさかいるからではないのは明白であり、この「氷川」は「斐伊川」「簸川」に由来するものと考えられる。いわずと知れた出雲の豪族がその出自である。そのようなわけで武蔵国の一ノ宮は現時点では大宮の氷川神社および氷川女体神社となっているのであるが、それより前に勢力を張っていた一族の奉っていた神社は小野神社であり、本来であればこの神社こそが一ノ宮である。事実、延喜式の前まではこちらが一ノ宮であったのは事実であるようだが、多摩川の畔に鎮座していたものの、度重なる水害で左岸と右岸に分祀していたものの、どちらが本社でどちらが分社かが判らなくなるようになってしまっている。高尾山の麓の蕎麦屋の大胆な立看板そんな一ノ宮を参拝するも御朱印はなく、百草園の隣にある百草八幡宮の宮司が兼任しているという話を聞いたので百草八幡宮にも出向いてみたのであるが、そちらにも神職は不在であった。失意の中、やはり関東にいるうちに済ませておかねばならぬと京王乗りつぶしをはじめ、高尾山口で勢いあまって高尾山まで登ってしまう。折りしも本日は多摩地方は大雪であり、多摩地方で一番寒いときに一番寒いところに行ってしまったのは大いなる失態である。しかしながら雪景色の高尾山は非常に美しく、さすがはミシュランが素晴らしい観光地であるということで3つ星をつけるだけのことはあると納得が行くものであった。あまりに寒かったのでふもとで名物のとろろそばを熱いほうを頼み、思いっきりほっこりして帰宅する。この蕎麦屋が男性用トイレの掃除中に「女子トイレをご利用ください」と書かれていたのが微妙に気になるも、合法的にトイレを使わせていただいたのであった。戻る↑
    2月8日(金)「東武鉄道陥落」
    全国霊場巡りが売り文句の旅行会社@寄居関東に引っ越してくるまで、関東の私鉄などにはまるで縁がなく、乗ったことも無ければそもそもどこを走っているのかさえ理解していない始末であった。しかしながらこちらに住むようになり、しかもそろそろおさらばするということになりつつあるこの状況において、やはり今のうちに乗っておくべきものではないかという考えを持ち合わせていたのであろう、ついに関東の大物私鉄である東武鉄道を完乗する運びとなった。最後に残していたのが東上線と越生線というつくばからはアクセスが悪いものであり、しかもこれがかなり長距離と来ているのである。越生線という微妙な支線を単振動するのは芸が無いため、八高線と秩父鉄道と高崎線という不思議なものまで組み込み、余った時間で上信電鉄まで乗ってしまおうという計画を立てていざ出発である。いつもながら計画は予定通りに進み、さほどの感慨深く印象に残ることは無かった。その中であえて印象的であると言えようものは、中小私鉄にありながら車両の新造を行っていたという意気込みを以って鉄道友の会からローレル賞をもらっていた上信電鉄の1000系は、昨今の厳しい経営状況を打破するために全面広告のボディペン大将となっており、在りし日のシュッとした出で立ちはすでに無いことである。大宮からつくばまでのバスが来週を以って廃止されるなどという話もニッチな需要に応じていた地元の中小私鉄が車にすべて取って代わられているということを物語っており、やはり地方は厳しいのである。戻る↑
    2月7日(木)「わたらせ渓谷鐵道」
    「わ鐵」ことわたらせ渓谷鐵道宮脇氏の「時刻表2万キロ」北関東でまだ利用していない公共交通機関はそれなりに残っており、本日も着実にその利用を行っている。東武鉄道が誇る特急列車「りょうもう号」で赤城を目指し、赤木からは上毛電気鉄道で中央前橋に向かい、折り返して西桐生まで向かう。そして桐生からは本日のメインイベントであるわたらせ渓谷鐵道の利用である。わたらせ渓谷鐵道の前身はJR足尾線であり、その前身は国鉄足尾線であり、その前身は足尾鉄道である。間藤駅前で今も操業を続ける鋳物工場1日4本だけやってくるJR日光駅行きの市営バスこの鉄道は足尾鉱山を抜きに話をすることは不可能であり、富国強兵の号令下で、足尾鉱山の繁栄が続き、現在の古河電工の礎を築いたとか、田中正造が公害に対する反対を日本で初めて行ったとか、重要な鉄道路線は国が管理するべきだと鉄道院が買い取ったとかとみなが熱い思いを滾らせていたのが前半であり、足尾銅山閉山後はあまり大事には扱われてこなかったという雰囲気が漂っている。しかしながら閉山後も渓谷の美しさや、鉄道マニアの宮脇俊二氏が最後に乗ったのが足尾線だという割とどうでもいいことがセンセーショナルに報道されるなど、微妙な毀誉褒貶には事欠かない路線である。終点の間藤駅に降り立つと寒さはことのほか厳しく、20分後にやってきた日光市営バスというかなりディープなバスに乗ってそそくさと日光まで行き、おとなしくJRに乗って帰宅する。これでまた利用していない鉄道が減ったのである。明日で一応群馬シリーズは終わりを迎える予定である。戻る↑
    2月6日(水)「太田の真髄」
    空きスペースに乱雑に置かれている卓球台@太田駅ジェイ・プラザ北関東3県は並列であるかのように思われているが、この3県が極めて隣接している箇所があり、そこに太田という町がある。かつては中島飛行機の企業城下町であり、戦後は富士重工の企業城下町として栄えて今に至るのであるが、この地は南米からの出稼ぎ労働者が多く住んでおり、町は一種独特の味わいぶかさを醸し出している。怪しい日本の土産も取り扱っている旅行代理店@太田駅ジェイ・プラザ東武線の駅は高架化され、これで激しい交通渋滞も少しは緩和されるのではなかろうかと思われるものであるが、駅前のテナントビルのユニーは撤退し、その跡地に微妙な店がちまちまと入っているところが味わい深いものである。しかもその空きスペースには乱雑に卓球台が置かれており、ここで果たして卓球をする人がいたのであろうかという疑問をはさまずにはおられないものであった。また、世界のレストラン街という素晴らしいレストラン街もあり、涙なくしてこのビルを闊歩することはできようはずがない。そしてそのような外国人労働者のために不思議な旅行代理店も存在し、その味わい深過ぎるたたずまいは胡散臭いこと限りなしである。東武の乗り換えまでに1時間もあるという天啓は、このようにして無駄に見聞を広めるために費やしたものであり、そうでもなかったら大田という町の微妙な本分を垣間見ることは無かったであろう。戻る↑
    2月5日(火)「中華街」
    超脱力系キャラクター「カスタム君」@横浜税関五目がゆ@謝甜記美味なる中華@謝甜記本日は友人と中華街におかゆを食べに行くという割と楽しいプランを実行することとした。渋谷より東急東横線に乗り、目指すは元町中華街である。旧暦の正月は間もなくであり、中華街は新春を迎える準備で賑わいを見せている。お目当てのおかゆ屋の支店の前には行列ができており、平日にもかかわらず盛況であるなあと思いを新たにし、ならばたぶん店が広いほうの本店はもっと混んでいるのではなかろうかと出かけてみたが、どうやら本日は休業日であり、それゆえ平日にもかかわらず支店が混雑してるというわけである。クイーンズスクエアビル@MMの吹き抜け部分吹き抜けの一番下は横浜高速鉄道のみなとみらい駅そんな店に入り、昼間からうまい中華とおかゆを満喫する。おかゆはおかわり自由であるが、やはり水っぽいというところでそんなに大量に食べられるものではなく、しかも腹いっぱい食べたとてすぐに腹が減るというわけであり、微妙に満足しながらも栄養はそれほどでもないという良くできた食品である。腹ごなしに港町をぶらぶらし、以前に見かけた味わい深い脱力系のカスタム君がマスコットキャラクターを勤める横浜税関の肩の力を抜いて見るような雰囲気を漂わしつつも、内容は極めてディープである展示を久しぶりに鑑賞し、そのあとは赤レンガ倉庫のほうに向かう。赤レンガ倉庫などという女子供が喜ぶような施設には興味が無く、やはり男は黙って工作船展示館に出向くものである。撮影許可を取ってその凄まじいまでの現物を目の当たりにし、ほんのり北の国の指導者と思われるデブの狂気とも採れる必死さ加減を理解しつつも、こんなのが海で跳梁跋扈しているとはうみまる君も大変だなあと思うものであった。そんな思いを胸にみなとみらいから帰宅する。しかしながらクイーンズスクエアビルに入ると新たな驚きが待ち構えていたのであった。来たときはまるで気付かずに素通りしていたのであろうが、みなとみらい駅は地下鉄の分際でありながらビルの吹き抜け部分にあり、ビルの上層階内部から駅を見ることができるのである。こんな吹き抜けを作るとは大胆不敵であり、この素晴らしさは感動を呼ぶものである。戻る↑
    2月4日(月)「相模国一ノ宮」
    雪の南流山駅@武蔵野線本日は相模一ノ宮を参拝するべくそそくさと出発する。いまだ利用していなかった京浜急行などを利用するも、雪の影響で列車は遅れ気味であり、あろうことか途中で列車の運転を打ち切って次の列車に乗れとまで言い出す始末である。鶴岡八幡宮寒川神社の参道これもまた旅の醍醐味であろうと理解するも、後の予定が目白押しの場合は何気に平静でおられぬものである。そんなこんなで3時ごろになってようやく鎌倉に到着し、鶴岡八幡宮へと向かう。鎌倉はさすがは観光地であるとその人手を以って理解するに至るが、平日ということもあってそれほどでも無かったりする。参拝を済ませまったりと江ノ電に乗って藤沢に向かう。雪があちこちに残ってはいるが本日は快晴であり、江ノ電から眺める湘南の海はことのほか美しく、しばしの間自然の美を鑑賞する。藤沢より茅ヶ崎に移動し、茅ヶ崎からは相模線で寒川神社を目指す。どれほどの神社であるかについて事前に理解をしていなかったのであるが、茅ヶ崎の駅には大きな看板が掲げられており、まあそれなりに大きな神社なのであろう、なんてたって一ノ宮だしな、という割と適当な解釈をして向かう。ついたところにある寒川神社は想像を上回る立派な神社であり、一ノ宮とはピンからキリまであるものであることは判っていたが、ここはかなり大規模なものであった。参拝を済ませ、橋本まで北上し、京王線と新宿線で秋葉原に向かい、Txで帰宅する。戻る↑
    2月3日)「まったりと帰宅」
    年齢別のダイエット大会会場関東平野は一面の銀世界であるというニュースを聞きながら目を覚ますも、さすがは房総半島の南端近くの地である。雪など微塵も存在しない。しかしながら風は強く、雨も振っており、南国のリゾートとはいえぬ何かがそこにはある。この宿はこの地ではそれなりに集会施設としても利用されているものであり、不思議な会合が執り行われることもしばしである。年齢別のダイエット大会までもが執り行われるという面妖なホテルを後にして海岸沿いを進む。風の強い最中であり、運転はそれなりに慎重となろうものであるが、運転するのは友人であり、まったりと車内で時間を過ごす。銚子でうまい寿司を食し夕方には帰宅する。明日からまた忙しい生活が始まるのである。戻る↑
    2月2日)「アワビの踊り食い」
    海底透視遊覧船@野島崎本日は友人と関東を離れる前に一度は行っておこうということで鴨川に行くこととなった。鴨川には2年前にも行っているのであるが、ぜひともアワビの踊り食いをせねばならぬという話がまとまったためである。昼前に出発し、まったりと高速道路を乗り継いでまずは房総半島最南端の野島崎へと達する。野島崎は現在14ある参観可能な灯台のうちのひとつであり、ここの参観はすでに済ませてはいるものの、来たからにはまた上るべしというのはやはり当然の段取りである。しかしながら、この参観料が200円に値上げしており、これは大変由々しき事態である。そんなことに一応文句を言ってみたりはしたものの、まあそんなこと言い出してもどうにもならないだろうというところであるが、野島崎は天気がよければ三宅島やあろうことか八丈島まで眺望が可能であるというからそれはそれで素晴らしいものである。アワビの踊り食いあいにくの天気でそこまでの眺望は望めぬものであったが、「海底透視遊覧船」なる面妖なものもあり、「あじアジ定食」なる不思議なメニューもあるなど、やはり野島崎は一筋縄では行かないものである。野島崎を満喫して、本日のお宿にチェックインする。お部屋はオーシャンビューであるが、波が高く風が強いため、冬の海の雰囲気が極めて立ち込めており、夏ならばこれは水着のおねえちゃんで溢れかえるのであろうと妄想を逞しくしてそれを追いやるのに躍起となる。然るに腹が減り、いざ本日のメインイベントであるアワビの踊り食いである。生きているアワビの下から火を加え、のた打ち回る様を鑑賞し、適度に火が通ったときに切り刻むという残酷極まりない食し方は海産物の場合は何のためらいも無いというのは不思議である。しかしながらうまいものはうまいのである。そのあともうまい料理をしこたまいただき、食堂の前に仮屋崎省吾の不思議な作品が飾られていたことを少しだけ記憶にとどめておいて本日は終了。戻る↑
    2月1日(金)「ちょっと一休み」
    年休消化に入ってからも多忙を極めており、こんなことではやってられないということで、本日はこれまでに溜まっている日記を書くとか、部屋の片づけをするとか、更なる旅行のプランを練るとか、それはそれで忙しく過ごす。何とか一段落つけることができたので、気分転換に夜中に軽くドライブして本日は終了。戻る↑