2008年1月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 1月31日(木)「現地調査」
  • 1月30日(水)「物件の物色」
  • 1月29日(火)「最終出勤日」
  • 1月28日(月)「ロックの魂」
  • 1月27日)「西の鮟鱇vs東の河豚」
  • 1月26日)「歌舞伎鑑賞と新年会」
  • 1月25日(金)「火蓋を切る」
  • 1月24日(木)「軽く一杯ではない」
  • 1月23日(水)「火のない所」
  • 1月22日(火)「サーバの惹きとめ」
  • 1月21日(月)「退職届」
  • 1月20日)「都電荒川線」
  • 1月19日)「ルビコン川と新年会」
  • 1月18日(金)「焼酎の買出し成果」
  • 1月17日(木)「建築基準法」
  • 1月16日(水)「石狩鍋」
  • 1月15日(火)「小正月」
  • 1月14日)「人吉の球磨焼酎」
  • 1月13日)「薩摩半島」
  • 1月12日)「買い付け」
  • 1月11日(金)「不思議な因果」
  • 1月10日(木)「微妙な振り出し感」
  • 1月9日(水)「契約社会」
  • 1月8日(火)「法律の運用」
  • 1月7日(月)「社会復帰」
  • 1月6日)「房総横断鉄道」
  • 1月5日)「乗りつぶし第2弾」
  • 1月4日(金)「私鉄のりつぶし」
  • 1月3日(木)「まったりとした帰宅」
  • 1月2日(水)「リバイバルプラン」
  • 1月1日)「大豊神社と御金神社」


  • 今月の日記
    1月31日(木)「現地調査」
    休みは着々と消費しているのだが、身体はちっとも休んでおらず、やることは山積である。本日は関西まで物件を探しに出かけることとした。普段であれば株主優待で半額でお気楽に飛ぶものであるが、会社から交通費が実費で支給されるということなので、普通に早割1で切符を手配すると言うこととなった。住まいの条件は、職場から遠すぎず近すぎずそれでいて閑静であること、家賃がそれほど高くないこと、交通の便がいいこと、というかなり贅沢なものである。ということで住む場所はおのずと絞られるわけであり、第1候補の地にある物件を数件見せてもらうこととした。しかしながらこの候補地は特定優待家賃制度の対象となる物件が大半を占めており、会社の言い分である「会社で福利厚生の一環として社宅扱いにするというベネフィットを提供してるのに、公的なベネフィットも提供されるのはおかしい」という理由に基づき、その物件はNGである。ということで、この候補地にある「特定優待家賃制度の対象外の物件」を紹介してもらい、内覧を済ませる。3件紹介してもらったうちで一番気に入った物件に決め、あとは会社とのやり取りを不動産屋に任せるということとなった。やることはすべて済ませたので日帰りでつくばに帰ることとした。順当にこの物件に決まることを切に願う次第である。戻る↑
    1月30日(水)「物件の物色」
    平日に最終出勤日を迎えた都合上、休みの開始が平日というなんともいえない切れの無さが感じ取れるのであるが、これもまた人生である。休みに入った喜びとか、次の仕事に向けての不安とか、そういうものがまるで無いのは、次の住まいをまだ探していないということが頭を支配しているからである。ということで、本日は春から住む物件をネット検索することとした。新しい職場は大阪のど真ん中であり、職住接近は程ほどにしないと家賃が高くて生活できないという困ったことになりかねない。ということで、閑静で交通の便が良く、これまで住んだことないエリアという些か矛盾を孕んだ条件での検索を開始する。結構調べてみるとそれなりに条件に合致する場所はあり、仲介している不動産屋に連絡を入れて明日早速その物件を内覧することとした。ということで明日は急遽関西へと行くことになった。休みにはのんびりできると思っていたのにどうもそうではないようで、なかなかこれから先もやることがたくさんあるようである。計画をきちんと立てないとどこにも出かけないうちに引越しだけでこの休みが終わりかねないなあという気がしてきたので、だらだら休まないでメリハリをつけて休むという良くわからない誓いをして本日は投了。戻る↑
    1月29日(火)「最終出勤日」
    そんなこんなで本日が最終出勤日である。だからといってあいさつ回りをして一日を過ごすという訳にも行かないのは、自分だけが最終出勤日だからである。朝から引継ぎでトラブルが発生すればその対応にあたり、最後の仕事は結局終わらず時間切れでそれも引継ぎということになった。夕方になって各方面に退職の挨拶をはじめたが、それでも仕事はまだ発生し、定時から少し遅れて会社を後にした。自分が占有していたコンピュータから自分のアカウント設定を削除し、こっそり入れていたソフトも削除しておいたので、跡形は全く残らないのであろう。ただ、ひとつ心残りなのは、退社時に少し時間が遅かったので庶務に返却にあがるはずであった名札だとか社員カードだとかPHSだとかを返却できず、施設課に託したということである。なかなか立つ鳥跡を濁さずとは行かないのであろうし、しばらくはつくばにいるのでもしかして呼び出されたりするのかもしれないなあ。そんなこんなで正式にはまだであるが、事実上6年弱の勤務に終わりを告げたのである。戻る↑
    1月28日(月)「ロックの魂」
    1ヶ月に1度ぐらいの頻度で晩飯を食べに行く洋食屋が会社からの帰り道にある。飯がうまいのとアルバイトのおねえちゃんがいろいろなタイプがいるのにみんなかわいいというオーナーシェフの趣味を謀りかねるものであるが、それはそれで楽しい店である。その店に久しぶりに出向いてみたところ、オーナーシェフが音楽バンドに参加するなどという話を聞き、これまで書き溜めていた歌詞を見ることができた。独特の視点に立った結構シュールな歌詞であり、その奥底にロックの魂を感じさせるいいものであった。ということで、アルバイトのおねえちゃんに、「この歌はロックだね。「みかんのうた」を髣髴とさせるね。」とマニアックな見解を示したところ、異様に驚きの表情を見せたので、かなり不審者がられたのかと思ったのであるが、どうやら隣に座っている女性も寸分たがわぬ発言をしていたようで、ここまでばっちり解釈が一致するのはなかなか無かろうと話を聞いてこっちも驚く次第であった。この絶妙なる意見の一致は、音楽の嗜好がお互い偏っていたことが功罪半ばであったのかもしれない。戻る↑
    1月27日)「西の鮟鱇vs東の河豚」
    茨城に来て、鮟鱇という魚とめぐり合えたことは、本当に良かったと思っている。そのため、やはり食べ納めということであろうか、やはり敬意を表して食さねばならぬと友人と那珂湊へと出向く。冬の味覚の横綱として「西の河豚に東の鮟鱇」というものがあるが、実は鮟鱇の水揚げの日本一は下関である。河豚の水揚げの日本一も下関であるが、下関に水揚げすれば高値で売れるという理由で他所で取れたフグを下関で水揚げしているという事実があり、実際の漁場は遠州灘だったりするものである。さて、那珂湊では某魚問屋が無許可でフグをさばき、あろうことがそれで死人が出るというショッキングな事態となり、果てさてその店はどうなっているものかという野次馬根性も兼ねて出向いたというのは内緒である。那珂湊ではいつもながらに回転寿司屋で舌鼓を打ち、がらんとしている件の魚問屋を横目に捌かれている鮟鱇を買い込んで帰宅。帰宅して友人宅でドブ汁仕立ての鮟鱇鍋を満喫し、茨城にいられる時間もいよよカウントダウンを始めたのだなあと思うのであった。戻る↑
    1月26日)「歌舞伎鑑賞と新年会」
    典型的な黒人の侮蔑的なイメージを思わせるキャラクター本日は会社の厚生会のイベントで歌舞伎鑑賞である。まもなく会社を辞めるというのに、こういうイベントだけはがっつり行っておくというのは見上げた根性である。まあそんな感じで銀座に出向き、歌舞伎座での歌舞伎鑑賞としゃれ込む。歌舞伎の内容がさっぱりぷりぷりわからないということなので説明用のイヤホンを借りてふむふむへえほうなるほどと理解しながらの鑑賞は結構なものであるが、暗い中で静かにしていると間違いなく睡魔が襲ってくるというものである。しかしながら歌舞伎の幕間は必要以上に休憩時間が確保されており、そのようなこともなくリフレッシュされた状況での観劇は続く。昼休みの飯時はやはり幕の内弁当を食し、これぞ歌舞伎鑑賞だなあとひとりごちて歌舞伎座の探索を行う。すると3回の一番奥から芳しい匂いがしてきており、そこにはカレーショップがあったのである。しかもそこには30年前ならばいざ知らず、今ならばご法度もいいところのキャラクターが鎮座していたのである。その手のプロ市民がこれを見つけたら騒ぎ出すことは畢竟であるが、この手の人はここにたどり着くことはないだろうからいいのかもしれない。その後新年会に参加し、ひとしきり話題で盛り上がって帰宅する。この場において参加者の皆さんには関西に戻ることを告げる。これでようやく全員に公表できる状態になったかなあ。戻る↑
    1月25日(金)「火蓋を切る」
    本日は朝からサーバの修理にやってくるということで、その対応に追われるのであるが、サーバがどうであろうとなかろうと気になるのは自分の出処進退である。サーバ室での立会いをしている最中に電話がかかってきて、人事部から「年休数えたら今日が最終出勤日になるから今日あわてて電話しました。」ということであった。年休を全部消化せずとも退職は可能であり、それはまあ権利だから好きに行使すればいいのであるが、やめるという段になればかなり人間とは自分勝手で声高に権利を主張するものなのであろう。微妙に2日年休を残して辞めるということをするほうが中途半端である、という意見はもっともであるが、月曜日のように体調不良で休まねばならないという事例も存在し、そのためにもある程度セーフティマージンを設定することはリスクマネジメントの基本である。人事からそんな電話があったということは、それはつまり届けが受理されたということであり、これを以って早速手続きを始めることとした。といっても庶務に申し出て必要な書類を作成するだけなのであるが。社内預金だとか財形投資だとか社員持ち株会などという愛社精神溢れる行動を全くしていないので、その手続きは極めて簡略化されており、もしかしたら本日いきなり最終出勤日にしても何とかなりそうなそんな感じであった。戻る↑
    1月24日(木)「軽く一杯ではない」
    球磨焼酎このところの業務は、大半が引き継ぎであり、なんら実になることをやるまでに一日が終わるというものである。順調に手続きを行うために残りの出勤日を充てているにもかかわらず、やにわに起こった事件の所為で退職届の取り扱いが滞っており、本当にきちんと退職できるのか知らんという気になってくるものである。そういうわけで大して仕事もしていないのに結構疲れが出てしまい、帰宅して人吉で買い求めた白じょかで米焼酎を燗してちびりちびりといただくこととした。アルコール度数がかなり高いお酒を温めてそのまま飲むというのは大胆不敵であり、これはつまりちびりちびりとしか飲めないというわかりやすいトラップがそこに控えているのである。そしてちびりちびり飲むことで終わりなく飲み続け、気がつけば相当べろんべろんになっているという罠まで待ち構えているのである。本日はこれにて終了である。戻る↑
    1月23日(水)「火のない所」
    人格を否定されるかのような暴挙がまかり通る昨今であるが、身近にあるその手の暴挙といえば、「ハラスメント」である。日本語に訳すと微妙に難しいのであるが、通り一辺倒の「嫌がらせ」というのは誤訳であり、「嫌だと感じること」と言うのが正しいのである。ということで、セクシャルハラスメントだとかパワーハラスメントというのは、受けた人間が嫌だと感じれば発生したことになり、それゆえに「何をしたかではなく誰がしたか」が重要になる。これは相手が独断と偏見で決め付けることであり、こちらには一切の裁量が存在し得ないのである。ちなみに、上司の上司が個人面談を行い、そのときにセクハラを受けたという困った投書が流れていたらしく、あっさりとその座を追われているという人事異動を見るにつけ、この会社は果たして大丈夫なのかと言う気がして仕方がないものである。しかもとあるルートからの調査によれば、そんなことを受けた女性社員は一人もいなかったようであり、随分と恐ろしい世の中なのかもしれないと思う事頻りである。戻る↑
    1月22日(火)「サーバの惹きとめ」
    昨日作成した退職届を持って早速上司と部長の3名での会談となった。上司は立場上「強く慰留」しないといけないのであるが、本人の意向を何よりも大切にするというなかなかな上司は辞める理由の擦り合わせだけをきちんとしており、なかなかこの辺は絶妙である。部長も部長とて着任して最初の挨拶がこれかよと言う感は拭い去れようはずはなく、やめるなという慰留ではなく、やめるんだったら次なる自分のキャリアアップにつながるようにしろと言う微妙なアドバイスをする始末である。気持ちよく送り出してやろうと言う配慮なのかは不明であるが、あっさりと話は終わり無事無罪放免となった。残務に掛かればこれで後は楽しく年休消化をするばかりであったが、ファイルサーバがいきなりのトラブルを起しうんともすんとも言わない始末である。サーバ室に飛び込んで詳細を確認すればRAID5を組んでいるドライブのひとつが見事にお亡くなりになっており、そのエラーでホットに対応ができていないという微妙にいけてないコントローラの体たらくが原因であった。再起動すると簡単に復旧し一安心であるが、復旧したとはいえディスクの交換は必須であり、焦眉の急とは言わずとも優先順位はかなり高いものである。ベンダーに交換を依頼したら金曜日に交換と言うことになり、担当者として立ち会うことが決まったのである。担当者となって3年になるが、最後の最後になってこんなことをやらかしてくれるとはサーバも引きとめようとしているのか知らんと間違った感慨を抱こうものである。戻る↑
    1月21日(月)「退職届」
    便箋と封筒土曜日の出来事が少し堪えた様で、本日はさすがに身体が滅入ってしまい会社を休むこととした。夕方近くまで寝こけてしまったという時点でその疲労振りは我ながら驚きの境地であり、精神の疲労が肉体の疲労を支配することの不思議さに興味を抱くものである。出来上がった退職届さて、そんなことはさておき、やるべきことはやらねばならぬと近所の本屋にて文房具を物色するも、文房具コーナーは撤収してしまったということで、あまり本意ではないのだがloftに出向くこととした。loftにて便箋と白封筒を買い求め帰宅する。この便箋と封筒を何に使うかといえば、退職届を書くためである。便箋が100枚、白封筒は30枚あり、これだけあればどれだけ会社を辞めても間に合いそうな勢いであるが、そんなに沢山は書きたくはないものである。しかしながら、節目節目に必要なものであり、インターネットで情報を集めながら退職届を作成する。退職願と退職届の意味合いの違いだとか便箋はB5じゃないと駄目だとか、封筒は白無地がいいとか、なんだかいろいろ細かいルールがあるくせに仕事をやめる理由は「一身上」でいいというアバウトさとか、そんな無駄な知識をこの期に及んでも収集する自分にあきれつつ2枚ほど書き直して無事作成終了。封筒に封をした後で判子の押し忘れに気がつくなど初めてのことだけにいろいろとやらかして何とか終了。意外と時間がかかってしまったものである。戻る↑
    1月20日)「都電荒川線」
    三ノ輪駅昭和30年代を演出する琺瑯看板モダンな早稲田駅関東にいるうちに遣り残したことはないか、これが現在の一番の命題である。ということで、本日は都電荒川線を利用することとし、Txで南千住まで出向く。三ノ輪橋の電停までは微妙に距離があり、この微妙な不便さがこの都電を忘れ去られた何かにしてしまい、それが幸いしてモーダルシフトの荒波を乗り越えることができたのかもしれないと考えると、人間万事塞翁が馬である。そんなことを思いつつ電停に向かえば、そこは「Always 三丁目の夕日」の世界であり、味わい深いねえと思うのであるが、微妙にそれが演出されているようでいまひとつそこが鼻につくものである。しかしながら160円で小一時間時間がつぶせるという極めてリーズナブルな乗り物であり、飛鳥山を登るときのパワフルなエンジン音とか実はPASMOが使えるとかという現在の技術がそこかしこに鏤められているのは結構な話である。終着の早稲田駅も地下鉄の駅との連絡はなく、微妙に不便であることがこれまた、である。そのあとはまだ利用してない公共交通を適当に乗り継いで帰宅。ひとつずつ片付けていかねばならないのである。時間は限られているのである。戻る↑
    1月19日)「ルビコン川と新年会」
    昨年来粛々と秘密裏に交渉を続けていた話が昨晩ようやくまとまり、いよよ正式に公表することとなった。年末にすでに上司には仮押さえをしている状況であることを話しており、本日ようやっと正式表明である。話は案外簡単に済み、現在の仕事の引継ぎを今から粛々と期限までに執り行うのみである。これにて6年近く世話になった会社とは決別するのである。正式な退社日と最終出勤日はそんなに遠くないわけであり、これからやるべきことは山積みであり、もはや後戻りはできぬものである。そんなイベントを会社でこなし、本日は夜より国道MLの面々との新年会である。土曜出勤などと言う悪しき風習の犠牲者となり集合時刻に30分ほど遅れて会場に到着し、何度目かの乾杯仕切り直しで一言お願いしますという展開であったので、この場を借りて関西に戻りますということを申し上げる。この面々においては、どこに住んでいようとも来年の新年会には顔を出すのは規定路線であり、特にそれを悲しむものではないはずであるが、やはりこの地を去ることはそれなりにさびしいものである。戻る↑
    1月18日(金)「焼酎の買出し成果」
    買い付けた焼酎先週末の買出しの成果が三々五々と集まってきており、ようやく本日全員集合と言うことになった。今回は焼酎が良く集まっている時期であり、去年よりも充実した買い付けであったのは事実である。しかしながら、年々欲しいという焼酎の本数が増えてきているという喜ばしくも悲しい事態に陥っており、一年間に自分が呑むことができる焼酎の量を超えんとしているという現実的な問題に直面しているのである。これを回避するべく地元でしか入手できなさそうなものの購入を最優先とし、自分の定番である焼酎は極力買い控えるという作戦を取らざるを得ない事態となっている。しかしながらこのように焼酎がたくさんあると「こうなっていると安心」であり、当分酒蔵(一般名:押入れ)に収まりきらない量の焼酎に囲まれるのである。ぼちぼち飲んで来年また買い付けにいけるようにがんばりたいものである。戻る↑
    1月17日(木)「建築基準法」
    13年前の今日、阪神大震災が起こったのであるが、そのときに被災した建築物の多くは昭和56年以前に立てられたものであった。この微妙な分類は建築基準法という法律の改正が成されたのが根拠である。建築基準法の歴史は戦後間もない福井地震における倒壊建築物の多さに端を発し、その後も十勝沖地震、宮城県沖地震という洗礼を受けるごとに改正が為されていくのである。13年前の被害を受けて建築基準法が改正されることはなく、現行法の建築基準を満たさない家屋に対しては補強工事を行うという手法がとられている。数多の地震の経験を生かして国民の生活を守るために着実に手を打っていることを理解するべきである。法律の改正が後手後手に回っているとか、地震が起こる前に建築基準を見直したらどうなんだという結果から批判することしかしないのは些か乱暴である。自身の前にその警鐘を鳴らしたとて、その手の批判をする御仁は必要ないと一蹴するに決まっているのである。戻る↑
    1月16日(水)「石狩鍋」
    友人から電話があり、「カニとシャケをもらいすぎたので消費する人手となってほしい」というわかりやすいお招きを受けたのは年末のことであり、そのときはタラバガニであった。年明け早々にもそのイベントはあり、そのときは毛ガニであった。本日はその締めくくりであり、塩鮭の氷頭でダシをたっぷりと取った石狩鍋であった。北海道の海の幸は斯くも素晴らしく、また北の大地に行かねばならぬという思いを新たにしたのであった。戻る↑
    1月15日(火)「小正月」
    関東と関西で風習が違うことはいい加減理解していたのであるが、まさか正月の長さまで違うとは驚きである。関西における松の内は本日までであり、本日までは「明けましておめでとうございます」と挨拶するのが適当であり、小豆粥とともに正月は終わりを告げる。ところが関東ではすでに松の内は明けており、七草粥とともに正月は終わりを告げるのである。同じ日本においても斯くも違うとは驚きであり、それゆえ旅行は楽しいのである。とまあ休み明けのだるい体をまったりと休めるかのごとくのんべんたらりと昼間を過ごしたのであった。戻る↑
    1月14日)「人吉の球磨焼酎」
    うなぎの蒸篭@人吉九州での焼酎買い付けも本日がいよいよ最終日である。本日は100年以上の歴史を誇る駅舎がある肥薩線の嘉例川駅に出向き、味わい深いその光景を見ることから始まる。風雪に耐えたかつての鹿児島本線の駅はいまだに現役であり、保線区がそこにあったことも手伝ってかその駅舎は現在もなおその豪華さを伝えるものがあり、いつまでもこの駅舎が現役であってもらいたいものだと思うものであった。そののち本日の目的地である人吉の山田酒米店に出向く。その前に人吉の名物であるうなぎを蒸篭でいただき、この地の味わいぶかき味覚にも舌鼓を打つものである。そしていつもの如く山田酒米店にて綺羅星の如く並ぶ素晴らしき世界最高の米焼酎を買い付け、例年の如く店主と焼酎にまつわる話やそれだけではないさまざまなことについても話を交わす。今年はハンドボールの中東の笛についてであり、店主が人吉ハンドボール協会の関係者であるということもお聞きし、大変楽しく時間を過ごす。その後青井阿蘇神社を参拝し、堤温泉でまったりと熱い湯に入り、繊月酒造で工場見学をして人吉を後にする。熊本空港でレンタカーを返却し、空港で反省会をして帰宅した。これにて1年間分の焼酎の買い付けは終わったのである。明日より三々五々と買い求めた焼酎が自宅に届くのであろう。これが楽しみである。戻る↑
    1月13日)「薩摩半島」
    川内市の水産物地方卸売市場本日も焼酎の買い付けに出かける。本日のお目当ては南さつま市加世田にあるマルダイ酒店である。その前に地元の一ノ宮に参拝をするのは重要であり、薩摩川内の新田神社への参拝を済ませる。その道中になんとも味わい深い建物を発見したので、参拝後そこに出向いてみた。そこは川内市の水産物地方卸売市場であり、このレトロな雰囲気といまだにこの市場が現役であるということからなんともいえない郷愁に浸るものであった。南薩鉄道記念館結構な建物を鑑賞した後は本来の目的地である加世田にむかう。マルダイ酒店はこれまで何度も訪れている店であり、世間ではなかなか手に入らないといわれている焼酎がごく普通に定価で売られているのみならず、地元でしか手に入らないような極めて素晴らしい焼酎までもが取り揃えられており、焼酎は九州における地酒であり、この酒を高い金を出してありがたがって飲むのは間違いであると思わずにはいられないものである。結構な買い付けを済ませて、近くの南薩鉄道記念館に向かう。南薩鉄道とは鹿児島交通のかつての名称であり、現在のいわさきグループの礎となった鉄道で、薩摩半島の西側を伊集院から枕崎まで結んでいたのである。枚聞神社現在この鉄道は廃止されており、この当時をしのばせる記念品などが展示されている記念館のことが気にはなっており、本日ついに訪れることとなった。歴史を感じさせる展示品は秀逸であり、かつての盛況振りを髣髴とさせるものであった。その後知覧の知覧特攻平和会館に出向き、特別攻撃隊の歴史がただ淡々と展示されていることによる圧倒的な説得力を感じ取り、開聞岳を遠方に眺望しつつ茶畑の中をひたすら南下する。JR最南端の駅である西大山に出向いたり、これまた薩摩国の一ノ宮である枚聞神社に参拝し、指宿の二月田温泉「殿様湯」でまったりと温泉に入る。指宿マラソンの帰りの渋滞に少し巻き込まれながらも割とすんなりと鹿児島に戻り、本日は正調さつま料理を熊襲亭でいただく。キビナゴの唐揚げを頼むとキビナゴの骨の素揚げまで付けてくれるという心憎い演出や、〆の酒寿司などで本日も鹿児島を満喫したのであった。戻る↑
    1月12日)「買い付け」
    「おぐら」のチキン南蛮青島神社年に1度の九州への焼酎への買い付けが今年も始まったのである。朝早く目を覚まし、羽田空港で兄と合流しいざ宮崎へと飛び立つ。降り立った宮崎はフェーン現象でいくら南国とはいえ暖かく、それでいて微妙に風が強い。まずは市内に向かい、宮崎の味であるチキン南蛮を食べるべく「おぐら」に向かう。薩摩地鶏のタタキ大人数が集まってにぎやかに会食をするという昔ながらのファミリーレストランであり、ここでのチキン南蛮は胸肉を使ったあっさり仕立てである。早速の豊穣なる味覚に感動し、駅前の大阪屋で宮崎の焼酎を大量に購入である。あれもこれもと目移りするところをぐっとこらえて10本ほどで我慢し青島神宮を目指す。青島神宮は駅も土産物屋通りも寂れており、正月が明けるとこんなものなのかと思ってしまうところが何気に悲しいものである。そののち鹿児島へと進路を取り、山形屋で気の効いた焼酎を買い求め、本日は鹿児島の海の幸や山の幸を満喫するべく「吾愛人」に出向く。春を告げるキビナゴの刺身や薩摩地鶏のタタキを芋焼酎と一緒にいただけば、鹿児島の味は満喫したも同然である。戻る↑
    1月11日(金)「不思議な因果」
    日本がまだ連合国の占領下にあった昭和26年6月5日、「モーターボート競走法」という法律が成立した。これによって公営競技の「競艇」が始まり、笹川良一という毀誉褒貶の激しい人物が表舞台に再び登場することとなる。その後の氏の活躍は♪戸締り用心火の用心♪で子供たちの心を鷲掴みにし、統一教会の文鮮明と一度はタッグを組むも袂を分かつなどという相変わらずの浮き沈みが深いものである。そして海の科学館の突き抜けた展示は他の追随を許さぬものであり、間違いなく氏の存在は偉大である。ちなみにこの法律は衆議院で可決されたものの参議院では否決され、再び衆議院で出席議員の2/3以上の賛成を以って再可決された初めての法律であり、そのときの与党である自由党の小沢佐重喜は衆議院議院運営委員長を務めていた。ちなみに小沢佐重喜の息子は、現在の民主党の代表である小沢一郎である。56年経っても1代しか進まなかったのは、小沢一郎が若干27歳にして国会議員になったからである。さて本日、新テロ対策特別措置法が参議院で否決された後に衆議院で出席議員の2/3以上の賛成を以って再可決された。ちなみに現在の与党は自由民主党で、現在の衆議院議院運営委員長は笹川尭であり、笹川尭は笹川良一の息子だったりする。こちらも56年掛けて1代しか進まなかったのは、笹川良一が必要以上に長生きしたからである。戻る↑
    1月10日(木)「微妙な振り出し感」
    まったりと心のうちでは残務整理をしていたのであるが、世間ははるかに凄まじいものである。年末に上司にその旨を伝えており、上司の上司にもその連絡は行っており、そのときの上司の上司の対応は「本決まりになるまでは俺は何も聞かなかった事にしておくけど、後々の対応は水面下でやっておく」というものであった。しかしながら本日、その上司の上司は人事異動でつくばの地を離れることとなったのである。普通に考えると、その手の異動は後任者に引継ぎなんかをしようものであるが、果たしてこの情報が引き継がれているかは謎である。戻る↑
    1月9日(水)「契約社会」
    すまじきは宮仕え、という言葉はあるが、会社で働くのはそれなりに楽しきものである。そして会社と自分は契約を結び、己の時間と能力を会社に提供することによって会社より賃金を得るのである。本日はまったりと仕事をしていたのだが、最近の仕事の内容がやたらと後進の指導とアドバイスに偏っており、そろそろ手を動かす仕事とはおさらばせねばならぬものであるということを否が応にも突きつけられているのである。それはさておき、帰宅したところ新たなる契約書が送らせてきたのである。このオファーレターにサインをすれば、ついに新たなる一歩を踏み出すこととなるのであるが、その内容についての説明は来週火曜日にするという微妙に生殺し感の漂うものである。説明を受ける前に送ってしまうのはちょっと乱暴が過ぎるので、待てしばしと思うこととした。戻る↑
    1月8日(火)「法律の運用」
    法律は定義を厳密にすることにより的確に適用することが可能となるが、厳密にしすぎることにより例外が多く発生して実用的でなくなるものである。その辺のさじ加減が難しいのであるが、人命がかかるとなればその結果についてとやかく言われるものである。危険運転致死傷罪は刑法の改正により2001年に施行されたが、処罰されるべき泥酔運転者が事故を起こした後逃走し、呼気中のアルコール濃度が下がってから逮捕されたり、また逃走して車を隠したのち更に飲酒をしたり、事故を起こした後に大量の水を飲んで血中アルコール濃度を下げるなどで証拠の隠滅を図ったりした場合などで、業務上過失致死傷罪のみにとどまる事例もあり、適用が難しいという問題もある。本日、福岡の海の中道大橋での飲酒運転事故の判決が出され、危険運転致死傷罪を立証することができず、業務上過失致死傷罪のみが適用されることで結果として刑が軽くなってしまうこともあり、このことを司法の限界と捉える意見もある。しかしながら、これは司法の限界ではなく、法律の不備であり、これは立法府の限界と能力の低さを指摘するべきである。戻る↑
    1月7日(月)「社会復帰」
    曜日の巡り会わせという言葉で片付けるには些か作為を感じなくもない長い休みが明け、本日より無事職場復帰である。新年早々に本部長がテレビで年始の挨拶をすることがすっかり定着した感があるのは困ったもので、これで社員との距離を縮めようという姑息な感じがして仕方がないというのは穿った見方であるという気がしなくもない。しかしながら朝から昨年の積み残しの仕事を片付け、気がつけばかなり遅くなってしまったのである。初日から少し飛ばしすぎたなあと思いつつ帰宅時に近所のカスミで冷凍食品が半額であるのを見つけて買い込んでしまうというごくありきたりの生活をしてしまうのであった。戻る↑
    1月6日)「房総横断鉄道」
    千葉県というロケーションはお隣であるにせよ、南までは果てしなく遠く感じるものがあり、しかも内陸部分はそれなりに標高は高くなくとも山深く、微妙にたどり着けないものであった。小湊鉄道@五井駅本日は残り一日分となった青春18きっぷを適当に活用し、これまで乗っていなかった私鉄とJRの乗りつぶしを目的として出かけてみた。入念なプランを組み、ひたち野うしくを出発した後、水戸からは鹿島臨海鉄道で鹿島神宮まで向かう。鹿島神宮で初詣を済ませて神璽をいただき、今年一年の自分の戦う活力をいただく「鹿島立ち」である。その後JR鹿島線を初利用し、成田線、総武本線、内房線を乗り継いで五井へと到着する。ここからが本日のメインイベントである小湊鉄道といすみ鉄道の乗りつぶしである。上総中野駅での乗り継ぎが1分しか確保されていないというかなり無茶なダイヤを組んでいるこの鉄道において、連絡はしてくれるであろうがあまり余裕がないのも問題であるから、なんとか通しのきっぷは買えないものかと事務所に掛け合うと、あっさりとそういう企画切符があり、しかもお値段は別々に買うよりも安いというから願ったり叶ったりである。房総半島の内部の昔の田舎を髣髴とさせる風景を眺め、列車はくねくねとゆったりと目的地に到着する。そのあとは外房線、東金線、総武本線と乗り継いで銚子に着き、銚子からは成田線で我孫子まで戻り、常磐線で帰宅する。これにて千葉県でまだ乗っていない鉄道は流山鉄道とディズニーリゾートラインだけとなった。よく考えると明日から仕事なのに日付が変わるぎりぎりまでこんなことしていいのかなと思いながら寝る。戻る↑
    1月5日)「乗りつぶし第2弾」
    真岡鐵道茂木駅のイルミネーション友人宅でまったりと目を覚まし、昼前に帰宅する。本日はどうしたものかと考えてどこかにいこうかと計画するも、あまり適当な場所がないので近くで乗っていない関東鉄道と真岡鐵道を利用しようと思い立った。しかしながら真岡鐵道の終点の茂木から単振動で引き返すのはあまりに芸がなく、どのような味わい深い経路が構築できるものかとプランを練ってみたところ、茂木から宇都宮までのかなり長距離な路線バスがあることを発見し、これにより帰りに餃子でも食って帰るかというプランまで出来上がったので後は野となれ山となれと出発した。宇都宮餃子関東鉄道は私鉄の雄と称えられた昔の姿はすでになく、筑波線も鹿島線も別会社にして切捨てそして飢え死にさせたという次第であるし、いまだ細々と生き残る龍ヶ崎線も風前の灯であり、常総線だけが独り気を吐いているのである。そんな関東鉄道も来年にはPASMOに参加しようなどという野望を滾らせており、世の中はなんとも凄まじきものと思うのである。そんなこんなで下館に着き、真岡鐵道に乗り換えて茂木まで行く。茂木につけばすでに真っ暗であり、しかもすでに底冷えが感じ取れるというから凄まじいものである。駅舎のイルミネーションはLED製であるため寒々しい青色がこの底冷えに拍車を掛けているように感じ取れるが、乗り込んだバスは客が3名とますます以って寒々しいのである。そんなバスで宇都宮に降り立ち、「来らっせ」で餃子を堪能して帰宅する。東武線で帰るというオプションを選択したのであるが、大宮からつくばに帰る最終バスの時刻を精査したところ、東武でこのまままったり行っては間に合わぬという事で急遽計画を練り始め、栗橋乗り換えも無理と言うことで万策尽きたかと考えたが、栃木で両毛線に乗り換えるという超裏技に気がつき、無事大宮からバスで帰宅。なかなかスリリングである。戻る↑
    1月4日(金)「私鉄のりつぶし」
    大それた芝山鉄道お隣千葉県にはそれほど頻繁に出かけていないということに気がつき、本日は出かけてみることとした。千葉県は東京に出るときにはほぼ100%通過するが千葉を目的地にして出かけることは極めて希であり、本日はまだ乗っておらぬ千葉県内の味わい深い鉄道を利用することとした。本日のターゲットは成田空港に歩いていくというレアな経験と、そして味わい深過ぎる芝山鉄道と山万モノレールである。新勝寺の初詣でごった返す成田駅に降り立つと、どの列車にも殺伐とした雰囲気の乗客がすし詰めであり、やはり日本の正月はこれでないといけませんなと言う間違った認識を覚えるのである。しかしながらそんな中、がらがらの列車がやってきて、そして誰もそれに乗り込まないという不思議なエアポケットのような状態が構築されるのである。この列車こそが不思議極まりない芝山鉄道であり、日本で一番短い鉄道と言うのを売りにしているくせに延伸を望むという矛盾を孕んだものであり、東成田から漏れなく警官が警備のために乗り込んでくるというオプションまであるというから素晴らしいの一言である。道を尋ねるのは警官に対する対応としてしごく当然であるが、このシチュエーションにおいても果たしてそのことは適切であるかということは謎である。しかしながら東成田駅から成田空港駅までの行き方が判らぬので尋ねるより他はなく、極めてマニアックな利用法をする困った客だと思われたのであろうが、国民としての権利を侵害する謂れは無いという自戒により、慇懃無礼な態度で説明していただいたのである。成田空港はさすがに帰国ラッシュの真っ最中であり、必要以上に大きな荷物を抱えた旅行者が列車に座り込んでいる。しかしながら成田駅に着けばこの列車には初詣帰りの客が凄まじく乗り込んでくるわけであり、初詣客の「わざわざこんな混む列車にそんなでかい荷物持ち込むって嫌がらせか?」という視線と「疲れて帰ってきたらいきなりこんな満員列車にしやがって」という旅行客の視線が交錯する一発触発の殺伐としてそれでいてのどかな車内であった。そののち山万のユーカリが丘線という些か恥ずかしい名前のモノレールを利用し、友人宅で新年会を開いて夜は更けて行ったのである。戻る↑
    1月3日(木)「まったりとした帰宅」
    実家に帰ってはや5日、いいかげん帰りたくなってきたというのが実情であり、昼過ぎから買い物やなんやらで京都に出向き、お目当ての土産を購入して帰路に着く。毎度毎度年の暮れに新幹線に乗ることは好ましいとは思っておらず、飛行機の利用が多くなることになってしまうのであるが、伊丹空港は普段どおりの混雑としか見るべくもなく、本当に今日がピークなのだろうかと思うことしばしである。時間が中途半端であるがため、適当に軽くつまんでくいっとやれば毎度毎度の反省会であり、これから3日間暇なんだけどどうしようかなというかなり適当なことを考えながらの帰宅である。今回の休みは曜日の関係上9連休であり、さすがに暇である。戻る↑
    1月2日(水)「リバイバルプラン」
    昨年の日記を全く書いていないということはなく、公表できぬものが些か多かったため公表を差し控えていたところ、公表しないことで書くモチベーションが下がるという困った悪循環を起していたのは事実である。しかしながら時が経ち、いい加減公表を差し控える必要もなかろう、ならば有体にことを記録しておくのが好ましかろうという結論に落ち着いたのが昨年の暮れであった。ということで本日はリバイバルプランと称してなんとか体裁を整えるところまでやってみることとし、実際にまだ記述のない日記についてはおいおい作成をすることとしてなんとか凌ぐこととした。ということでずいぶんと間抜けであるし、唐突のきらいがあるのは事実である状況であるが、なんとか自分のWebpageを再起動させることとしたのである。本当に再起動できるのかは今後のがんばり具合とか暇の見つけられ具合に大いに依存しようものであるが。戻る↑
    1月1日)「大豊神社と御金神社」
    コマネズミ@大豊神社コマネズミ@大豊神社明けましておめでとうございます。昨年はスルーしておりましたが今年はがんばって日記を書こうと思います。本日は初詣に恒例のゑびす神社と、今年が子年なのでコマネズミが控えているという珍しい大豊神社と、御金神社という金ピカな神社に初詣に出向くこととした。御金神社@京都ゑびす神社で熊手に一発で賽銭を投げ入れることに成功し、耳の悪いえべっさんにお願いを聞いていただけるよう戸板を連打して参拝を済ませ、イノダコーヒで新年の一杯目のコーヒーを頂いて次なる目的地である大豊神社を目指す。場所が些か不案内であるため行き止まりのトラップに引っかかるなど艱難辛苦を乗り越えて参道に到着すると必要以上の長蛇の列に驚愕する。どうやら昨年来ここにコマネズミがいるということが喧伝されていたようで、それならば一度は拝んでみようものなりと物見遊山な参拝客が結集したようである。幸いにして狛鼠が控えている祠は本殿ではなく末社なので本殿への参拝ということで華麗に行列をスルーし、本殿への参拝後ついでに末社も参拝するという些かあくどい方法で初志貫徹し、そのあとは御金神社に向かう。金ピカの鳥居が否が応なく目立つこの神社は本来金属全般の神様がいらっしゃるはずであるが、どうも昨今はマネーに特化した参拝客が多いらしく、「宝くじで3億円当たりますように」だの「ロト6で1等を、できればキャリーオーバーのときに」だの「大金持ちになって金の心配をしなくていいように」という本末転倒なことを祈願する人もおり、やはり灰になっても飛ぶ火の鳥の如く人の欲望には限りがないということなのかなと独りごちで本日は投了。戻る↑