2006年12月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 12月31日)「ようやく部屋らしくなる」
  • 12月30日)「年越しの風物詩」
  • 12月29日(金)「関西納会の皆勤」
  • 12月28日(木)「ジンギスカンパーティー」
  • 12月27日(水)「振って湧いた仕事その2」
  • 12月26日(火)「振って沸いた仕事」
  • 12月25日(月)「回りくどい帰宅方法」
  • 12月24日)「味わい深い神職」
  • 12月23日)「島前をうろうろ」
  • 12月22日(金)「隠岐への道のり」
  • 12月21日(木)「あんこう鍋の忘年会」
  • 12月20日(水)「ボクシングというスポーツ」
  • 12月19日(火)「予想外の計画変更」
  • 12月18日(月)「DHAたっぷり」
  • 12月17日)「忘年会その2」
  • 12月16日)「忘年会その1」
  • 12月15日(金)「混浴露天風呂の議論」
  • 12月14日(木)「ガスにまつわる大事件」
  • 12月13日(水)「タウンミーティング」
  • 12月12日(火)「今年も自慢大会」
  • 12月11日(月)「すっぽんにいさん」
  • 12月10日)「しまなみ海道」
  • 12月9日)「久しぶりの四国三昧」
  • 12月8日(金)「しょっつる鍋」
  • 12月7日(木)「冬の夜景」
  • 12月6日(水)「新たなる離島への思い」
  • 12月5日(火)「届いた新酒」
  • 12月4日(月)「当たるときはこんなもの」
  • 12月3日)「鉄路で来たかった」
  • 12月2日)「オペラとかきのもと」
  • 12月1日(金)「冬の金精峠」


  • 今月の日記
    12月31日)「ようやく部屋らしくなる」
    JL106 ITM->HND本日は自室に知らないうちに押し込まれてきた家中の荷物の整理に追われる。いらないけれどとりあえずおいてあるものと言うものがたくさんあり、「いるかいらんかわからんから置いてあるんで、あんたがいるもんだけ残しときなさい」ということであり、朝から第1義に捨てるということで作業を開始し、着々と荷物が減っていく。しかしながら掃除をすると必ず襲い掛かるものとして、昔のものを見つけてしまい、それをしげしげと眺めているうちに無駄に時間が経ってしまうというものがある。今回は今を去ること20年前に生まれて初めて乗った飛行機の搭乗半券が見つかる。こんなものを見つけてしまったからにはいまさら何もできぬものであり、気がつけば時間だけが過ぎ行くものであった。紅白歌合戦もそこそこに就寝し、今年一年は無事終了した。戻る↑
    12月30日)「年越しの風物詩」
    年越しの風物詩といえば、実家の掃除である。割り振りは10年以上から決まっており、「窓拭き」である。寒空の下で外側を吹き、吹き終わって内側を吹いてみると吹き残しがあったりするというのがいつもながらのことであり、冬空の下で作業に励む。実家には掃き出し窓がかなり多く、そのためガラスの表面積が必要以上に大きいためこの作業が1日がかりとなってしまうものである。無事に済ませて本日も終了。明日はいよいよ自室の復活と拡張を執り行い、荷物部屋の片隅で寝ているという現在のシチュエーションを改善せねばならぬものである。戻る↑
    12月29日(金)「関西納会の皆勤」
    本日は楽しく帰省となった。昨年は自車で帰省していたはずであったが、新年早々つくばに戻る際に事故をやらかし、それ以来実家に車で帰省することは避けることとした。そのため、今年は楽しく飛行機での帰省である。新幹線と言う選択肢は無くも無いのだが、この時期に切符を取ることは至難の業であり、プラットフォームでごった返す中隣の席で子供が泣き叫びサイレンカーとなった日には心の休まることはあろうはずが無い。ということで何事も無く無事帰省し、かつての自室が激しいまでに物置となって日々侵食されている状況を目の当たりにし、年末年始のミッションを否が上でも思い知らされて本日は飲みに出かける。国道MLの年末の忘年会は毎年関西で行われ、今年がついに9回目であるというから随分と長く続いているものである。しかしながら年々微妙に人数も減っているし、遠くからわざわざやってくるという面々も少なくなっていることから、今年は何気にさびしいものであった。しかしながらこの手のイベントには毎年参加しており、数少ない皆勤賞の一人として今後とも参加し続けたいものである。戻る↑
    12月28日(木)「ジンギスカンパーティー」
    蒙古の平原に覇を唱えた英雄の名を冠した不思議な羊の食し方があり、羊を焼く鍋がもともとは兜であったという不思議な言い伝えもあるため、その真実の程は不明である。本日は友人宅で今年もお疲れ様でしたと言うことでジンギスカンパーティーと相成った。北海道と言えばジンギスカンであり、サッポロクラシックをゴキュッとやってベル食品のタレがあればそれでもう満足である。今年も無事終わったなあと思うのはこのような年の瀬を迎えているからであろうことは想像に難くなく、来年もまあそれなりにぼちぼちやるかなと思ったものであった。戻る↑
    12月27日(水)「振って湧いた仕事その2」
    会社に入るまでそんなことについての知識はまったくなかったというのに、気がつけばその知識もノウハウも技術にも随分と長けてしまい、外に向かってその情報を発信する責任を負わされるというのだから世の中とは恐ろしいものである。上司より「うえだ、ちょっくらやってくれへんか」ということでその仕事を引き受けたのであるが、その結果まあリーズナブルな結果が出ており、まあ俺の実力を持ってすればこんなものよと思うのである。しかしながら、このイッチョカミな仕事がイッチョカミな状態で終わることなどないということは上司との付き合いが5年になろうとする現状においては火を見るより明らかである。たぶんこのプロジェクトの責任者ということにすでにノミネートされているんだろうけど、それについては見なかったことも気がついたこともないということにしておこうかな。戻る↑
    12月26日(火)「振って沸いた仕事」
    先日までの楽しい旅行は先月の激務の代休の成果であったことは先般ご案内の通りである。本日は充実した休暇の末で疲れてはいるものの心は安らかな状況であり、会社ではたまっているメールに返事を書いたりするといういたって普通な仕事を行うはずであった。しかしなら世の中そう簡単に安楽の地を得る事はできぬものである。先月の激務でようやくその件は片付いたというのであるのに、いやその結果は適切ではないということが取り決められ、再度その仕事をやり直してくれという困ったこととなった。仕事の結果を歪曲するものではなく、適切な検討を加えることによりよりよい結果が得られるようにしてくれという何がどう違うのかわからない指図なのであるが、確かに検討が足りぬと思っていたことではあるため業務を執り行い、それなりに納得がいく結論を得て終了。職人技を要求されるため、結果にそれほど圧力を掛けられぬものであるというところがまだ救われるなあ。戻る↑
    12月25日(月)「回りくどい帰宅方法」
    Q400@新隠岐空港本日はいよいよ帰宅をせねばならぬ日である。味わい深い離島とはしばしの別れであり、またいつの日か訪れたいものだという気持ちが湧き上がるのは致し方なきことであり、そのために見そびれたアイテムをきっちりと残しておき、宿題を作っておくのは深層心理を紐解くまでも無く当然の段取りである。竹島ものがたりそんなこんなで昼過ぎに車を返して空港に到着し、昼ごはんを食べて竹島ものがたりなどという味わい深いみやげ物を見ていたりすると早くも搭乗時刻である。伊丹に向かって飛び立った飛行機は小1時間ほどで伊丹に降り立ち、降り立った大阪に少しばかり戸惑うものである。通常であれば伊丹から飛行機の乗り継ぎであっさりと帰ろうものであるが、それはそれ、これはこれであり、素直に帰る筈がないというものである。その足で大阪駅に向かい、姫路まで新快速に乗り、新幹線で岡山に到着する。そして岡山からリムジンバスで岡山空港に向かい、ママカリを肴に旅の反省会を行うのである。思えば楽しい旅行であった。楽しい旅はなぜ楽しいのかと思えば、この複雑怪奇な方程式を完全に解き明かすことができたという達成感と、無闇に利用空港を増やすことに成功したこととは無縁ではない。しかしながら、楽しいことは楽しいことであり、先月の休日出勤はこのような形で還元されたのである。一抹の悲しみを感じるのは耶蘇会の催し物であるイベントとは完全にそっぽを向いていることであるが、それは渋滞に巻き込まれずに十全に旅を楽しめたということで相殺したい思い出ではある。そんな思いを胸に飛行機は羽田へと飛び立ち、無事帰宅する運びとなったのである。戻る↑
    12月24日)「味わい深い神職」
    瞬間冷凍を解凍するというハイテクを駆使した絶品なる生牡蠣朝早々にお宿をチェックアウトし、港のレンタカー屋で車を借りて島内を巡る。西ノ島、知夫里島ときて、これが島前3つめの島であり、レンタカーも3代目である。「駅」と「鈴」一体全体この島のレンタカーの料金体系はどうなっているのだろうかと興味深々で出向いてみれば、あっさりと「満タン返し」であった。微妙に拍子抜けしながら島内を巡り、昼前にレンタカーを返してサザエカレーと生牡蠣を堪能する。そののち船に乗って味わいぶかき島前とは別れを告げ、いよいよ島後に上陸である。島前に比べると確かに島後は都会であり、竹島は日本の領土ですなどという看板も掲げられているのである。レンタカーを借りて島をぶらりとめぐることとしたが、まずは玉若酢神社に向かう。隠岐牛ここの宝物殿は味わい深いものであり、呼び鈴を激しく鳴らしまくってようやく神職がお出ましになるのであるが、神職はアドリブの利かない謹厳実直な御仁であり、宝物について神職の説明を遮って質問してもそれには取り合ってくれないという自分の世界を構築している味わいぶかき御仁でもある。とりあえず懐かしい20円ハガキの意匠であった「駅鈴」の実物を眺めることができ、「駅」と「鈴」は別物であるとか、大きさが一回り違うとか、昔の往復はがきの切手部分の意匠は往信用が「駅」で復信用が「鈴」であったなどというきわめてどうでもいいトリビアまで示されたところに歴史を感じるものであった。その後水若酢神社で御朱印を頂き、宿に戻って隠岐最後の夜だからということで隠岐牛を食べるべく街に繰り出す。絶品なる隠岐牛を満喫して宿に戻り、夜は更けて行ったのであった。戻る↑
    12月23日)「島前をうろうろ」
    隠岐の牛馬は字が読めるのかもしれない@國賀海岸島前の間を結ぶ連絡船たぶん字が読めないと思われる馬%超でかい宿はオフシーズンということもあってか人の気配が少なく、静かに時間が流れているのだが、今日はなにげに盛りだくさんなイベントをこなさなければならず、そそくさと宿を出て本日の行動に出る。まず別府の港でレンタカーを借り、いざ西ノ島を巡る。国道はきっちりと塗りつぶし、隠岐国の一ノ宮である由良比女神社に向かう。どうもこの神社の前にある入り江は、かつては今の季節にはイカが大量に漂着していたらしく、そのことを高らかに掲げた看板が目白押しである。どうもイカを二万杯拾っただのということは俄かには信じがたく、しかも最近来ない理由に入り江の前に定置網が設置されたからだというもっともらしい理屈をこねくり回すのがどうもいただけないものである。事の真相を神職に尋ねるべく宮司宅にお邪魔すると、宮司の奥さんが事細かに判りやすい説明をしてくれ、なるほどそうであったかと妙に納得してしまう。ちなみに西ノ島のレンタカーはガソリン別計算で1kmごとに20円を請求されるという離島方式であり、離島とは何気に厳しいのだねと牛や馬に行く手を阻まれたり取り囲まれたりしつつ國賀海岸の摩天崖を見ていたのである。隠岐の海の幸%美味昼過ぎにレンタカーを返却して知夫里島に渡る。ここでレンタカーを借りてみるとここでは1kmあたり32円とますますのお値段設定であり、ますますこの島は厳しいのねえと思いつつ知夫赤壁でその美しさに感動をしたものである。知夫里島から中ノ島に渡って本日のお宿にチェックインし、美味い魚を食べさせてもらえる店を紹介してもらい港をうろうろして店に着く。隠岐の魚を満喫して味わい深い一日は終わりを告げるのであった。ちなみに店のオヤジいわく「島前島後を一緒にして隠岐と思っている人とか島後の付属品みたいに島前を思っている人もいるけど、それぞれが本土とつながりを持っているので特に連多感は無い」とのことであった。更には、最近になって隠岐に産婦人科の医師がいなくなったことを取り上げられているが、島前ではずっと前から産婦人科の医者はいないので、みんな普通に米子とか境港とか松江に行くという話を聞いたりする。ちなみに島前の3つの自治体はこれまたそれぞれが本土とつながっているから別に合併しないんだそうで、何気に世の中は難しいものである。戻る↑
    12月22日(金)「隠岐への道のり」
    麒麟獅子@宇倍神社%因幡国一ノ宮宇倍神社%因幡国一ノ宮思い起こせば去年もこの時期に4連休を取って島へと旅立ったのであるが、何の因果か今年もそうである。昨年が沖縄という離島とはいえかなりわかりやすいところであったのに対し、今年はグレードが上がったと思えなくもない隠岐である。JR米子駅%ねずみ男駅「なわ」が取れただけという繋がりは後から気がついたものである。飛行機の時間をあまり考えずに計画を組むときの常であるが、この飛行機に乗るためには何時に家を出ないとだめなんだろうかとあれこれ考えると、始発のTxでは間に合わないという現実を突きつけられるものであり、致し方なくリムジンバスに乗るのは御約束である。そのリムジンバスは定刻より遅れること15分でバスターミナルに現れており、しかも車内は現在鋭意暖房開始中である。JR米子駅0(霊)番ホームつまりは運転手が寝坊したというものであり、なんだかこの先行きに不安を感じさせるものである。不安は微妙に的中し、鳥取についてからの路線バスは遅れてやってくるため鳥取温泉に入る機会を逃してしまうし、ねずみ男駅の次はコロポックル駅宇倍神社で御朱印を頂くと神職の長話をありがたく聞くだけでなく、なぜか年に一度の大祭で使われる麒麟獅子とのツーショット写真をサービスで撮られるなどというおまけまでつくし、神社で銀本位制と金本位制の切り替えの話を聞くなんていうのも不思議なめぐり合わせである。鳥取から米子を目指し、米子で乗り換えて境港へと進む。境港は水木しげるの出身地であるため境線は不思議なペイントが施された列車が走っていたり、米子駅の0番ホームから出ることに掛けてかホームには水木しげるワールドがこれでもかと展開されているし、境線のすべての駅に妖怪の名前をつけているという念の入れようである。隠岐に渡る船にも鬼太郎は乗っている境港駅が鬼太郎であるため、米子は目玉親父かと思いきやねずみ男であり、そのため米子駅の売店はねずみ男売店という不思議な冠がついていたりする。そんな境港線に乗車し、境港に到着すると、乗るフェリーの土手っ腹には鬼太郎がペインティングされており、境港は何でもかんでも鬼太郎一色である。目抜き通りに妖怪の銅像がこれでもかと並べられていたりするのを見て、果てさてこの町おこしはどれだけの効果があったのであろうかと思うのであるが、境港の名前が浸透することだけは確実であり、それはそれでいいような気がしないでもないのである。フェリーは銅鑼の音と共に出港し、2時間半ほどの船旅を経て西ノ島の別府港に到着する。西ノ島は島前の3島のうちで一番大きく、唯一国道が走っているため、明日はこの島を蹂躙するべく今朝の早さも手伝ってか早いうちに休むこととした。戻る↑
    12月21日(木)「あんこう鍋の忘年会」
    社会人たるもの、忘年会はメンバーを変えて幾度と無く行うものである。本日は部署のグループでの忘年会であり、課長が「茨城に来たんやから冬やったらアンコウや」ということで課長が何度か行ったことがある鮟鱇鍋を出してくれるちゃんこ屋で忘年会が執り行われた。鮟鱇鍋そのものをすでに何回も食べている人間としては、初めて食べるわけでもないし、必要以上に嬉々とするのは馬鹿らしいし、素っ気無いと何気に感じ悪いしと微妙に難しい行動を要求されているような気がしたが、正直に「何回も食ってます」と申し上げ、さらには「那珂湊で買い付けもしています」とまで言うとすっかりこちら側の人間であるということになり普通に鍋を楽しむこととなる。とりあえず判ったことは、ちゃんこ鍋は基本的に味が濃いということである。明日からの旅を思いつつ、いい気分で酔っ払って帰宅。戻る↑
    12月20日(水)「ボクシングというスポーツ」
    かつてイギリスが植民地支配をするにあたり、力で現地人を従わせる必要があった。しかしながら白人と黒人では体格も体力も明らかに黒人が勝っており、白人は人間対人間の戦いをすると黒人に簡単に負けてしまうことが予想された。そこで白人はそのようなハンディキャップを極力減らす手法として、武器としては拳のみという足技を適切に封じた競技を考案し、肉体的ハンディキャップを補ったというのがボクシングのルーツである。そんなボクシングの必勝方法は「ボコボコに殴る」ではなく「蝶のように舞い、ハチのように刺す」であることはモハメッド・アリの事例を出すまでも無いことである。浪速の闘犬という不思議なネーミングで呼ばれていたボクサーが不可解な判定で世界王者についたがために普段からの表向きの素行を喜ばしく思わない面々からバッシングを受けており、本日はこれまでにないクレバーな試合運びできっちりポイントで大差をつけて判定勝ちを収めた。この試合運びに満足がいかないという面々はとりあえずこのボクサーが気に入らないからだとは思うが、品のない表向きの素行とは裏腹にきっちりと勝つためのボクシングを見事にやってのけたことは評価するべきことである。また、表向きの素行はあくまでも話題を振りまくためのものであるという意見までを信じるつもりは無いが、人間、行動には何かしら理由があるわけであり、表面だけを見てなんだかんだと意見を言うのは実は何気に危険なのかもしれない。戻る↑
    12月19日(火)「予想外の計画変更」
    先月の休日出勤のおかげで2日代休が取れることになったことは以前に書いたとおりであり、そろそろ綿密な計画を立てようとインターネットでごそごそと調査を始める。隠岐という島は離島の中でもメジャーな島であろうと妄想をたくましくしていたのであるが、今の時期はすっかりシーズンオフということであり、本土と島を結ぶ高速艇はまったく運行していないということである。ということで、フェリーと飛行機から選ばざるを得ないのだが、飛行機がまったく持って曲者であり、隠岐に向かって飛び立つ空港は出雲と伊丹しかないのである。しかも出雲から飛び立つ飛行機は出雲を朝飛び立つというからその選択肢は消えてしまうため、いろいろと考えると、当初考えていた飛行機で島後に降り立ち、島前に渡って船で帰るというプランは不可能となることが確定し、致し方なくまず島前に行くようにプランを練り直す。また、車を使わない場合において七類港までの移動はいささか困難であるため、結局境港から出る船に乗らざるを得ないということになり、大いに変更を余儀なくされ、宿の手配を何とか済ませてほっと一息つく。ゴールデンウィークの五島列島も難易度が高かったが、今回は最適解ではなくこれしか解がないという結果であった。年が明けるとフェリーが順番にドック入りするのでもっと難しいことになったことは想像がつくため、いやあこの時期でよかったと思い直すものであった。戻る↑
    12月18日(月)「DHAたっぷり」
    使用前使用後DHA(ドコサヘキサ酸)が頭にいいとはどこの誰が考えた妄想かは知らないが、微妙に市民権を得ている都市伝説であり、不思議なサプリメントも大量に製造されている。それとは関係なく、昨日衝動的に那珂湊で購入した、もといしてしまったメバチマグロのカマは果てさてどうして料理をしてやろうかというのが本日の大いなるミッションである。当初はカマを煮てやろうと考え、寸胴鍋を取り出したのであるが、寸胴鍋の寸法がいささか小さく、料理できないという駄目出しを食らう。仕方がないのでオーブンでかぶと焼きを作ることとして、オーブンを暖めている間に塩を摺りこみアルミホイルで巻いてじっくりと焼いて中まで火を通し、そのあとアルミホイルをはずしてさらに焦げ目をつけて完成。大変美味であることは間違いなのであるが、これを一人で食べるのは間違いであるということも間違いないというところである。ということで、明日以降は身を解して何かしらの料理に化けることが確実となった模様。まあ、衝動買いすると後始末に困ろうものである。戻る↑
    12月17日)「忘年会その2」
    ホタテ汁@那珂湊の回転寿司昨日は飲みすぎたなあとグズグズになっているのであるが、本日も忘年会である。友人と那珂湊に買出しに出かけ、まずは定番である回転寿司やで美味いところをがっつりと頂くという寸法である。那珂湊でもハタハタを取り扱っており、先日のハタハタよりも一回り大きいものが倍あって値段が据え置きというところに漁港プライス感が漂うものである。本日の目的であるハタハタをしっかりと買い求め、あとは帰宅して鍋だと思ったときに、そこにメバチマグロのカマが売られていたので買い求めてしまう。このメバチマグロがどうなるのかは明日以降のお楽しみということになるが、本日はしょっつる鍋でこれまたいい気分。何とか週末の3連荘は乗り切れた感じがする。戻る↑
    12月16日)「忘年会その1」
    昨日の日記には書いていないが、よくよく考えると今週末は忘年会の3連荘である。人気者は辛いという通り一辺倒の言い回しはしないこととして、本日も飲み会に参加である。本日の飲み会は微妙に初対面の面々が多く、それなりに他流試合な様相を呈しているのが気がかりである。飲み会を新宿でやると微妙に難しいことは帰りの足をきっちり確保することであり、東京駅でミッドナイト筑波号のチケットさえ押さえておけば後は楽勝なのであるが、なにげに中央線に乗り遅れないということも重要である。本日は半分隔離されているようなところでの大人数での会合であり、いろいろと面白い話が聞けて楽しかったのであるが、新参者にしてすでに名前が知れ渡っているがゆえに向うから積極的に聞いてくるのは何気におぞましいものであった。デビューしてメジャーになるとこういうことはつき物である。戻る↑
    12月15日(金)「混浴露天風呂の議論」
    混浴露天風呂という魅力的な場所は、さまざまな思惑と妄想が立ち込めており、その立ち込めているものが湯気となっている憩いの場所である。しかしながら、女性にとってはいささかハードルが高く、タオル巻きをすることが当然となっている。しかしながら昔ながらの温泉ではタオル巻きを禁止している場所もあり、それについて不満を述べる御仁も多数いる模様。混浴露天風呂とは、混浴が当然であった時代からそこにあり、その後のルール策定により男女を分割するように微妙なる通達が出たときにおいても、2つの浴槽を作ることによりその魅力が激減するためにいまだにその風習を続けているというものであり、時代が変わったからタオル巻きを認めるのは当然だと言う指摘はおおよそ筋違いである。戻る↑
    12月14日(木)「ガスにまつわる大事件」
    昨晩は自宅の安楽死イスに座りうとうとしていたのであった。そのときに風呂に湯を張っていたことは何か知らん記憶の片隅にある。しかしながら自宅の風呂は追い炊きなどというお洒落な機能は無く、湯を張ればそれにて投了である。しかしながらうとうとして目が覚めるとお湯はすでに浴槽から溢れており、もったいないことをしたものだと思ったが、そのままにしておき湯を止めて爆睡してしまったのである。そして本日目が覚めて、いつものごとく朝飯の準備をするべく湯を沸かそうとガスコンロをひねったが、一向に火がつく気配が無い。最近火花を飛ばす電池のへたりが気になっていたので、それかなあと間抜けな考えを及ぼしていたのであるが、ガスが一向にくる気配が無いのである。まあご機嫌斜めなのかなと思ってあまり気にせず、出勤前に一風呂浴びようと浴室のカランを捻ってもお湯が出る気配が無い。さすがにこれはおかしいと思い、外に出て元栓を確認すると、案の定元栓がきっちりと電磁的に止められていたのである。電磁的な停止というのは長時間無闇にガスを使ったときに発生する事象であり、どうやら昨日のうとうとしているときにお湯を流しっぱなしにしたことが原因であると行き着いたのである。まあ、これで無駄なガス代も払わずに済むし、ガス漏れの防止にもなっているのでめでたしめでたしなのかなあ。戻る↑
    12月13日(水)「タウンミーティング」
    すべてのことについて利権と既得権に預かるは必定であり、その力量は事務方の調整力として評価されうるべきものである。物を作らない仕事をしている場合、その仕事をこなす上で一番必要なものは「人材」であり、その能力が遺憾なく発揮されねばいけないものである。小泉首相が肝いりで始めた「タウンミーティング」とてその例外ではなく、微妙な手当をつけることにより、そのイベントを開きやすくしているのである。「おらが町でもタウンミーティングとやらをやると何気に自分たちの懐が潤う」というのはモチベーションとして必要不可欠であり、斯様な枠組みを組む企画力は賞賛に値する。政治家はビジョンを持ってプランを提示し、それを実現させるのは事務方である。しかしながら、やりすぎは禁物であり、さじ加減がよろしくなかったのが今回の顛末である。タウンミーティングというコンセプトはすばらしいのだが、運営はまずいと言うのが難点である。戻る↑
    12月12日(火)「今年も自慢大会」
    部署対抗自慢大会が会社では粛々と執り行われている。今年の出し物は3年前に激務をこなした結果がようやく結実したので、そのときの話をおおっぴらにできたというものである。実働部隊として大いに働いた記憶はあるが、指揮官が発表するのは当然のことであり、こちとらおとなしくお留守番である。指揮官は自分の仕事について滔々と発表をしたのであるが、発表により間接的に微妙に凹まされた他部署のえらいさんが自己弁護のフォローを質問と言う形でこなしていたのは噴飯ものであった。ちなみに件の指揮官はその自己弁護な質問を聞いた瞬間に自分の仕事が何でこんなにも報われていないのだろうかと一人落ち込んだということである。この発表により、おそらく年末には賞金が送られてきて、そんでもって楽しき宴が執り行われるのであろう。それだけが楽しみである。戻る↑
    12月11日(月)「すっぽんにいさん」
    日本の人口が減少する傾向を示し始めたことが何気にさまざまなところに影響を及ぼしているという。鉄道会社は乗客が減ると言うことを危惧しているし、医療の現場でも人手が足りないなんていう話もある。ただ、食品会社は「作っても食べる人がいない」からさすがに市場が小さくなることは避けられぬようであり、生き残りを掛けて合従連衡が行われたりするのである。水産加工会社でトップのシェアを誇るのは砂糖も作っていると言うギミックを遺憾なく発揮しているマルハであり、ついでケツダイラな人にかかると「すっぽんにいさん」となってしまうニッスイである。この2社がしのぎを削る最中、ニチロが第3位のマルハを吸収合併してしまおうということになった。そういえば3番手というのは適当に規模も小さいし、1位と合併すると不動の地位を築けるし、2位と合併したら首位を奪還できるしと何気に狙われやすいのである。上場していないサントリーはさておき、サッポロが狙われるのもそういうことなのかもしれない。戻る↑
    12月10日)「しまなみ海道」
    水軍から奉納された石灯籠今治に宿を取ったのは、翌日瀬戸内海の離島を巡ろうと企んでいたからに他ならない。宿を朝早くに出て今治港まで歩き、大三島行きの船に乗る。かつて橋が架かるまではここは島に渡る人でごった返していたであろうことは間違いないが、現在の状況は車で移動できる若者はまったく利用することが無く、子供と老人がまったりと船を利用するのみとなっている。その所為であろうか、本数が以前よりも明らかに間引かれており、利用するのがいささか不便となっているのである。そんなことはさておき、船に乗って楽しく大三島を目指す。途中大崎上島に立ち寄ったときに忘れ物に気がついた乗客の申し出で港に戻るなどというまったりとしたことをやってくれるあたりにのどかさが残っているのが楽しいものである。多々羅大橋大三島に到着し、伊予国の一ノ宮である大山祇神社を目指す。大山祇神社は日本総鎮守と言うことらしいが、何がどう鎮守なのかは不明であり、御朱印をいただいた後は境内にある宝物殿と海事博物館に出向いてみる。宝物殿は国宝や重要文化財が展示されていたが、これは昔の武将が刀剣や甲冑を奉納したことが今目の前にある重要文化財となっているということであり、歴史の深さを感じるもである。ちなみに世間で刀剣や甲冑と言うとせいぜいは戦国時代のものであると思うものであるが、平安時代初期なんていう歴史を感じさせるものまであるし、武器で無い場合は奈良時代のものまであると言うからこの宝物殿は侮れぬものがある。そんなこんなで感動を新たにしてもうひとつの海事博物館とやらに出向く。この博物館は、日本財団の微妙な後押しで作られており、お台場の海の科学館の規模を100分の1にしたが、行っちゃっている具合はそのままで、100倍濃縮を掛けられたようなパラダイスであった。海事博物館と看板にあるのに岩石の展示が一番多いとか、およそ理解できぬ展示物があちこちに散見するなど、やはり一筋縄ではいかぬものであり、おまけにこの博物館に学芸員までいると言うから驚きである。そのあと街中で水軍が奉納した妙に新しい灯篭を見たりしてバスに乗り、大三島のインターへと向かう。インターの近くの道の駅で昼飯を食べ、斜張橋である多々羅大橋を見物しバスに乗って因島へ。因島からは船で今治に戻り、今治からはJRで松山へ。松山からリムジンバスで空港に出向いて飛行機で帰宅する。今回の旅行で船とバスが両方存在するが需要がさほど無く、そのためにお互い便数を増やせないために利用者としてはかなり使い勝手が悪いなあと思ったりする。しかしながらこの複雑怪奇なパズルを解いて無事目的地はすべて見回れたということはそれなりに経験値をつんだのだなあと思ったりもする。戻る↑
    12月9日)「久しぶりの四国三昧」
    阿波踊りの石像@徳島空港ドイツ橋@大麻比古神社今週末は四国に旅立つこととなった。四国には各県にひとつずつ空港があるが、利用したことがあるのは高松と高地龍馬のみである。高松もずいぶんと昔に一度利用したのみであり、高知しか実質利用したことがないというのが真相である。京都に住んでいた人間にとって四国に飛行機で行くことはよほど急ぎでない限りは行わぬものであり、関東に住むようになってようやくその需要が生じてきたということではないかと思っている。そんな味わいぶかき四国に降り立つのであるが、降り立った徳島空港は阿波踊りの本場であり、空港のモニュメントがいきなり阿波踊りであるところからすでに四国満喫モード満開である。空港より鳴門行きのバスに乗りJR鳴門駅に到着するが、大変人気の少ないところであり、果たしてこんなことでいいのだろうかと無闇に心配をしてしまうものである。ようやく列車が到着し池谷へと向かう。金箔貼られちうの大黒さん金箔貼られちうの布袋さん池谷からどうやって大麻比古神社に行くべきかと勘案したが、時間の都合上駅前に一台だけ止まっていたタクシーに乗り向かうこととした。大麻比古神社は境内に「ドイツ橋」などというものがあり、第1次大戦で坂東捕虜収容所に終了されていたドイツ兵が作ったことからその名がついたというものである。霊山寺の奉納灯篭神社の隣にはそのことを映画化したときのオープンセットがあり、なんだかこのところ「けつだいらまん」がヘンテコなひげをたくわえたコスプレをしている場面を見かけるがこれであったかと納得する。四国の一ノ宮の隣には霊場があるようであり、坂東は大麻比古神社というよりもむしろ「霊山寺」が有名である。ということで霊山寺にもおまいりを済ませて坂東駅に戻り、池谷に戻って列車を乗り継いで高松に到着する。高松でうどんを食し、琴電に揺られて次なる一ノ宮である田村神社を目指す。田村神社では奉納した金箔を体に張るという金粉ショーが執り行われており、金粉ショーのいけにえになっているのは布袋さんと大黒さんである。なかなか味わい深い神社におまいりし、さらにはとなりの一宮寺にもおまいりして琴平に抜ける。金比羅さんは今回はパスするとして多度津から今治へ。今治のお宿にチェックインし、今治名物の皮焼きを満喫し今宵は更けていくのであった。戻る↑
    12月8日(金)「しょっつる鍋」
    もろみ酒としょっつる鍋友人から「念願のきりたんぽをゲットしたから本日はきりたんぽ鍋」というお誘いを受け、いそいそと出向くこととした。手土産に先週入手した喜多方の女子プロゴルファー「諸見里しのぶ^H^H^H^H^H^Hもろみ酒絞る」を携えて、暖冬といえども冬は冬なので、冬将軍鍋奉行灰汁代官と続くカスケードに嵌るべく楽しく日本の冬の風習を堪能する。きりたんぽのみならずしょっつるも入手しており、ハタハタでダシをとりつつこれで比内地鶏があれば秋田をすべて食い尽くさんばかりの勢いである。冬はいいねえ、日本に生まれてよかったねえ、と意味もなく回想したりするのはこういう至福の時を過ごしたときである。ちなみにこんなにまったりと金曜日を過ごしているというのに、明日はまた朝一の飛行機で旅立つのである。日本の広さをこのようにして実感するのであろう。戻る↑
    12月7日(木)「冬の夜景」
    メリーゴーランド@つくば自宅近所に「つくば光のページェント」なるイベントを冬限定で行っており、街路樹にLEDをこれでもかとばかり巻きつけて不思議な光景を描き出すことに余念がないものである。本日は帰宅してそのイルミネーションを撮影でもしてみるかと出向いてみたのであるが、どうもありきたりで楽しくないものばかりであり、どこの街でもこんなイベントをやっているからいまさら目新しきものはないという思い込みがさらにつまらぬ景色に思わせているのであろう。期待はずれな結果に終わったのでがっかりして帰宅しようとしたら、毎年この時期だけ西武百貨店の前に展開される仮設のメリーゴーランドに出くわす。メリーゴーランドはLEDとは違い、軟らかい光で誘う何かがあり、なかなか楽しい写真を撮って帰宅する。もっと絞ってスローシャッターにするか、夜だというのにNDフィルターを使うことをすればいい写真が撮れるのになあと思ったりする。戻る↑
    12月6日(水)「新たなる離島への思い」
    先月の休日出勤の代休をどこかで取らねばならないということがあり、今月どこかで平日に2日休むという機会を与えられたのである。ならば土日とくっつけて4連休にすればかなり楽しい旅行ができようものだと考えるのは自然な成り行きである。そうなると4日間あればどこに行こうかと考えれば、やはり離島が目的地となるのは致し方ないものである。今年になってから離島にやたら行くようになったのは、そろそろ本土は行き尽くしてきたからだというわかりやすい理由もあるが、それだけではなく日本というものをよく理解するためには辺境の地に行かねばならぬものであるという尤もらしい理屈をつけてみる。ということで、4日あるならば隠岐諸島の島前島後をまとめて行ってやろうということを思いつき、綿密なる計画を練り始める。とりあえずこなさないといけないミッションは鳥取空港と新隠岐空港であり、あとは隠岐国一ノ宮である。さらに島をすべて巡ることを考えると複雑怪奇なパズルとなってきており、このパズルを解くことが旅の一番の楽しみなのである。離島に行くとこのパズルの難易度がさらに高まることが、最近離島に行きたくなっている理由のひとつなのかもしれない。戻る↑
    12月5日(火)「届いた新酒」
    喜多方の清酒醸造酒というものは管理が難しく、適当な管理をすると風味がどっかに行ってしまうものである。そういう意味では「なまもの」であり、「生ものですからお早めにお召し上がりください」とでも言うべきものである。ということで、清酒を買うのは冬の時期に限っているのだが、先日喜多方で購入した清酒が無事届いた。早速飲んでみようかどうかについて大いに悩んだのであるが、まあ酒とは楽しく飲めばいいものだと考え、友人との飲み会にもって行くこととした。ということでこの酒を飲むために鍋でもつつこうなんていう計画を立てているところに、我ながらアホさ加減が漂うものである。本日届いた4本のうち2本はそうやって消費し、残り2本は引っ越してきた友人の新居を訪ねるときの手土産にすることとした。戻る↑
    12月4日(月)「当たるときはこんなもの」
    サンマー麺近所のカスミで年末の抽選会を行っており、先日の隣のオヤジが一等を当てた余韻を引きずってか、隣のやつは当たっても俺は当たらないなんていう僻みを持って抽選に挑む。すでに1等の温泉旅行はなく、一番上でも3等という時点ですでに異様にテンションは低く、投げやりに適当におざなりに抽選を行うと、なぜかこういうときに限って3等を当ててしまったのである。現時点の最高レベルのものを当てたということは喜ぶべきことかもしれないが、あたったものが「インスタントラーメン5つ」であるあたりにしょぼさ加減が漂うものである。ちなみにこのインスタントラーメンはニュータッチの横浜もやしそばであり、とろみが特徴のサンマー麺ということで地元では誰でも知っているが、一歩地元を離れると誰も知らないというものらしい。地元民ではないのでそんな情報を仕入れてほうほうと納得し、言ってみれば熊本のタイピーエンみたいなものなのねんと納得する。それはさておき、独り暮らしの人間に5つもインスタントラーメンを渡すとはなかなかチャレンジャーである。これをいかに処理するかについては今後の課題となることは間違いなく、とりあえず昼飯で少しずつ処理していくほかないのであろう。賞味期限は来年の4月23日である。戻る↑
    12月3日)「鉄路で来たかった」
    チャーシュー麺@坂内食堂極太手打ち麺@なまえ朝早く新潟を出て、まったりと帰宅の途につく。本日はこれまで利用したことがない磐越西線、磐越東線を利用することを考えており、まずは一路喜多方を目指す。途中阿賀野川の渓谷沿いを列車は走り、窓の外は一面の雪景色であり、今シーズン初の雪景色である。外は寒いのだろうなと思いつつ福島県にはいると雪がだんだんと減り、喜多方に着いたときは雪がすべてなくなっていたのであった。清川酒造@喜多方ということで、喜多方に降り立ち、まずはラーメンを食すべく街へと繰り出す。まずは「なまえ」であっさりと極太手打ちラーメンを食し、人心地ついたので「坂内食堂」でチャーシュー麺を食す。喜多方ラーメンを満喫した後は、喜多方は蔵の街、というキャッチフレーズを実証するべく、酒蔵の見学としゃれ込む。これまで幾度か喜多方を訪れたのであるが、その度々はすべて車であり、酒蔵をテイスティングしながら巡るなどという緩やかな休みの昼下がりの過ごし方はこれまでできなかったのである。そういう不可思議な思い入れとか恨み辛みが相俟って、酒蔵で試飲を楽しみ、酒を買い求めてさらに別の酒蔵に出向き、そこでもしこたまいい感じでお酒を戴いて購入する。ここでふと思いつくは、これまで車で来ていたときはみやげ物が多少かさばろうと何をしようとまったく気にならなかったのであるが、鉄道で来た場合にはそれが重要な問題であるということである。ということで買い求めた新酒を宅急便で送ってもらうこととして駅に戻り、また鉄道の旅は続く。会津若松で進路を逆に取り、郡山で休憩し、いわきまで移動してそこからは常磐線で帰宅。なかなか味わい深い旅行であり、これで未利用線が二つも減ったことになる。戻る↑
    12月2日)「オペラとかきのもと」
    東京文化会館急遽決まった週末の予定である。まったりと起き上がり、上野に向かうべく、バスに乗って荒川沖へと向かう。目的地の上野公園にある芸術会館でトゥーランドットの鑑賞である。ロシア語でがなられても何を言っているのかさっぱりわからないのでいかがなものかと思っていたのであるが、その横の電光掲示板に日本語訳が出るとあってあらすじを追うのはさほど難しくないものである。岡目八目とは言ったもので、演目中のトゥーランドットはあまりきれいに思えないのであるが、カーテンコールで一堂に会するとさにあらずである。なかなか味わい深い演目に感動し、そのまま上野から新潟に向かって新幹線に乗り込む。上越新幹線に乗ったことがあるのは越後湯沢までであり、トンネルを越えると雪国となった後は初めての旅路である。雨のそぼ降る新潟に着き、本日のお宿の場所をスルーして万代橋を渡ったり適当に迷ったりして宿に入る。宿で紹介された飲み屋を目指して街に繰り出し、新潟の郷土料理をということで美味い酒を傾けつつ生きのいい刺身をつまんだりしていたら、「かきのもと」を勧められる。一体全体それは何であろうかと思い、物は試しと頼んでみたら、菊の花であった。「垣根の足元で栽培しているから『かきのもと』」なのだそうで、新潟にきたらこれを食べないとだめだということである。戻る↑
    12月1日(金)「冬の金精峠」
    急に寒くなってきたのであるが、今年は暖冬だとかなんだとかでそんなに冷え込むこともないらしい。しかしながら、冷え込むことがないといっても冬は冬である。ちょっと冬を先取りしてみようということで通行止めになる前に金精峠に行ってみる事とした。道路は見事なまでに凍結しており、そんな中を先週履き替えたばかりのスタッドレスで移動する。どうやらタイヤはしっかりと路面を噛んでくれているようで、きっちりグリップが効いていることを確認して沼田からぐるっと回って帰宅。ちなみに前橋から結城までの50号は、これまでにないハイアベレージだったのでそろそろこの辺でおとなしくしないといけないなあと思ったりもする。戻る↑