2006年10月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 10月31日(火)「MNPに応じず」
  • 10月30日(月)「ゆっくりと帰宅」
  • 10月29日)「バギーという乗り物」
  • 10月28日)「3年ぶりの西表島」
  • 10月27日(金)「八重山諸島」
  • 10月26日(木)「新庄劇場の終焉」
  • 10月25日(水)「必修科目と選択必修科目」
  • 10月24日(火)「IP電話」
  • 10月23日(月)「予想外」
  • 10月22日)「自遊人パスポート初利用」
  • 10月21日)「新そばの季節」
  • 10月20日(金)「貧すれば鈍」
  • 10月19日(木)「任意保険」
  • 10月18日(水)「仕事1段落」
  • 10月17日(火)「久しぶりのセダン」
  • 10月16日(月)「歓迎会で疲労」
  • 10月15日)「制裁決議案」
  • 10月14日)「第75回土浦全国花火競技大会」
  • 10月13日(金)「組合のおやつ」
  • 10月12日(木)「日本のプロ野球その2」
  • 10月11日(水)「日本の味覚はほんのり北の国から」
  • 10月10日(火)「日本のプロ野球」
  • 10月9日)「味わい深い横浜」
  • 10月8日)「久々の那珂湊魚市場」
  • 10月7日)「順延そして更に順延」
  • 10月6日(金)「久々のミーティング」
  • 10月5日(木)「慰霊祭」
  • 10月4日(水)「移動の伴う異動」
  • 10月3日(火)「遺書を残す自殺」
  • 10月2日(月)「臓器売買」
  • 10月1日)「一般的な家庭の日曜日」


  • 今月の日記
    10月31日(火)「MNPに応じず」
    携帯電話の番号を聞けば、その携帯電話がどこの会社のものであるかがわかるというのは都市伝説ではなく本当のことである。総務庁が電話番号の割り振りをしているわけであり、ある意味当然のことである。しかしながら先日より始まった「番号ポータビリティ(Mobile Number Portability)」という制度により、番号を変えないで携帯電話会社を変えることができるようになった。おかげでこれまで「携帯電話会社を変えたいけれど番号が変わるので二の足を踏む」という人が多かったのであるが、その人たちにとってこの制度は福音といえるであろう。しかしながら、現在の携帯電話の実情は「電話もできるPDA」であり、メールアドレスすらそのままにしておけるというサービスはいまだに始まっておらず、そのためこの制度を利用して携帯電話会社を変えている人は予想通り少ない模様。しかしながらホストコンピュータが故障しましてという不思議な言い訳でMNPに応じないという「宿題はやったんですけど家においてきました」並みの言い訳をする某禿社もおり、今後の展開が読めぬものである。戻る↑
    10月30日(月)「ゆっくりと帰宅」
    ごはんがうまい@「あ」本日は最終日であるが、特にどこかに行くという予定を立てるわけでもなく、ゆっくりと身支度をして空港に向かう。早速土産のTシャツを着てみるとか、木の実ナナそっくりの売店のおばちゃんにみやげ物の輸送を託すとかをすませ、4日間鼻について離れることがなかった放牧されている牛から醸し出される独特のアロマに別れを告げて石垣空港へ。マーシャラーとB767@那覇空港石垣空港は昔からある南国のムードを存分に漂わせるJALグループのターミナルと、最近できたどこにでもある地方空港の安っぽい感じがするANAのターミナルの二つに分かれており、趣が全く違うものである。味わい深い土産物屋でイラブーなんかを見つけてみたり、石垣島の地ビールを一杯やったりして搭乗を待つ。那覇への飛行機はあっという間に飛び立って、気がつけばそこは那覇空港である。石垣からここに来た時点で都会に来たなあと感じるものであるが、そんな感傷に浸ることもなく売店でソーキそばを食べながらオリオンの生を嗜むという、来た時も帰る時も同じ行動を取る一貫性を貫いてみたりする。羽田に降り立ったのはまだ夕方であり、こんな中途半端な時間に羽田に着いたことがなかったのでこういうときはどうしたらいいんかしらんと途方にくれるもいつものとおりリムジンバスで帰宅する。なかなか楽しい旅行であり、いつもの週末の旅行とは違ってゆったりと過ごすことができたのはよかったものである。次もこういう旅行をしたいものだと思うものであり、新たなる旅行の計画を練る必要があると思い起こすものであった。戻る↑
    10月29日)「バギーという乗り物」
    八重山そば%美味バギー@本日の足一夜明けて、本日は石垣島を観光することとした。石垣島は割と大きいのであるが、以前車を借りて島中を巡ったことがあり、今回は「バギー」なるものがあるよという紹介を受けたので、ならばと初利用である。最初にレクチャーを受け、吹かす微調整を誤ると激しく動き出すし、バックするときは極めてリスキーであるなどということを適当に学習していざ出発である。出発してしばらくは街中を走るため何気に迷惑な感じがするものであるが、きちんと道路交通法に則った乗り物であり、肩身の狭い思いをする必要性はないというものである。川平湾%絶景運転にも慣れ、快調に飛ばして行くのだが、上り坂ではフルスロットルで轟音けたたましいにもかかわらず後ろからあっさりとスクーターにかわされるという南国にいながら寒い経験をしてようやく川平湾に到着。グラスボートに乗り込んでファイティング・ニモなんかを鑑賞するが、舵を取るのは調子のいいオヤヂであり、解説をするために船底のガラス越しに海底を眺めながらブラインドで船を操るところに円熟の技を感じさせるものである。グラスボートはずっと下を向いているため、船酔いするリスクが極めて高いという困った乗り物であるが、沖縄の海はやっぱりええなあなどと思いを新たにする。海を満喫したあとは八重山そばを味わい、この気候にしてこの味があるのかということを思う。バギーはいい調子でうなり声を上げて爆走するが、ガソリンがそろそろ底をついてきたようであり、いっちょまえに満タン返しを要求されているため、街中に入ったところにあるガソリンスタンドにピットイン。働いている兄ちゃんもバギーに給油するのは初めてらしく、一体全体どんな風に給油さしてもろたらええのやらという感じであったが、何とか給油も無事済ませ、バギーを返却する。なかなか味わい深い乗り物であり、これでまた沖縄の思い出がひとつ増えたというものである。戻る↑
    10月28日)「3年ぶりの西表島」
    マリュドゥの滝本日は西表島に行くこととした。琉球政府の定めた禁猟区石垣島の港は竹富島の祭りのおかげで異様にごった返しており、突然倒れて泡を吹いているおっさんを拾うべくやってきた救急車などがやってきたりと大変な賑わいを見せている。宿を手配した兄曰く、この所為で宿を押えるのに苦労したという事であるが、南国の喧騒をたっぷりと味わって高速艇に乗り込み、一路西表島まで必要以上に波に乗って揺れながらの航行である。大原港に到着するとそこには観光バスが待っており、バスの運ちゃんの軽妙なトークと共にツアーは開始される。本日のメインイベントは浦内川を遡りヒルギの森を眺め、軍艦岩で船を下りてそこからカンピレーの滝へと向かうことである。川口浩が幾度となくアマゾンだと我々を騙したであろう西表はかつての思い出を色褪せるようなことはなくそこにあり、アマゾンと違いピラニアがいないため咬まれた手がいきなり画面に大アップになるのは致し方なき演出なのである。カンピレーの滝そんなことはさておき、ジャングルを歩くこと1時間ほどでマリュドゥの滝を望む展望台に到着し、そこでは激しく写真撮影である。以前西表に来たときはヒナイ川をカヌーで遡ってピナイサーラの滝を見に行ったのであるが、今回の滝はやはりすごいものである。滝を堪能し、いざ更に奥にあるカンピレーの滝に向かう。途中に琉球政府の味わい深い石碑なんかがあり、西表の古くて新しい歴史を垣間見たものである。カンピレーの滝は滝というよりも岩肌を流れるという感じであり、これもまた味わい深いものであるが、その岩肌に立っている人が「なあなあ、滝どこ?」と素で聞いてくるあたりに面白いものがあり、なかなかイメージしているものとは違うものと対面したときの人間の行動は味わい深いものである。船着場に戻り、船で河口まで戻ってバスに乗り、昼飯にビールをゴキュッとやれば疲れも手伝ってあとは爆睡モードまっしぐらである。星の砂を拾うとか、由布島に牛車で渡るという事もやった記憶があるが、すでにいい感じで有り余り感慨深いものはなかったりするものである。楽しく西表に別れを告げて石垣に戻り、「あ」のTシャツなどを買い求めて宿に戻る。本日宿の食事は沖縄料理のバイキングであり、泡盛も飲み放題であり、最初は食事をしていたものの、気がつくとつまみばかりを取り出して泡盛をエンドレスに飲みまくるというへべれけオヤジがそこにはいたのであった。戻る↑
    10月27日(金)「八重山諸島」
    本日より沖縄へと旅立つ。毎年沖縄に行くという話をすると、「お好きなんですね」という当たり障りのないことを言われるのであるが、「毎年全都道府県に行っています」というとなにやら不審な目で見られるものである。沖縄とて47ある都道府県のひとつに過ぎず、週末に宇都宮に餃子を食べに行くことと左程の違いは感じられないものである。石垣牛の刺身%美味羽田より飛び立ち、2時間半ほど飛ぶと那覇に到着である。ここで兄と母と待ち合わせという不思議なことをするのであるが、関空からの飛行機はこちらの着陸から遅れること30分で無事着陸である。降りたタイミングがちょうど昼間なので、早速沖縄そばとオリオンの生で沖縄の洗礼を受け、那覇はトランジットで本日の目的地である石垣島へと更にひとっとびである。スクガラス豆腐石垣島は訪れること2度目であり、4年前に生まれてはじめて沖縄に行ったときに最初に舞い降りたのがこの地であることは日記を紐解けばわかることである。石垣空港は見事なまでの常夏の雰囲気を醸し出しており、空港よりホテルへと移動し、本日の行程は終了である。ホテルはどっかの企業の保養所を改装したというものであり、やたらとファミリー仕様となっていることや、リゾート割りに風呂が実務一点張りだとかコインランドリーが必要以上に充実しているなど微妙に庶民臭さがにじんでおり、浮ついたリゾート気分とは一線を画すという意味でそれなりに自分の評価は高いものである。石垣についたからには石垣牛でも食べに行こうという極めてわかりやすいこととなり、空港近くの焼肉屋で石垣牛やら沖縄の食材やらを満喫する。そのあとは街の中心部にあるスーパーサンエーで沖縄の食材やら泡盛やらを早速買い込み、早くも土産は万全である。戻る↑
    10月26日(木)「新庄劇場の終焉」
    記録に残る選手と記憶の残る選手という組み合わせは、語感のよさも手伝ってかよく紹介されるものである。かつて広島東洋カープの3塁手を務めた衣笠祥雄は、豪快なバッティングと必要以上に濃い顔と対照的に薄い髪で記憶に残る選手であったが、連続試合出場という記録に挑み始めたころから記録のために汲々とするしょぼい選手に成り下がったものであり、いくら素晴らしい記録とはいえ、記録のために試合に出るという困った状態を歓迎できぬものがあったのは事実である。本日日本シリーズ第5戦は北海道日本ハムファイターズが中日ドラゴンズを下し、念願の日本一になった。普通日本一になった瞬間は監督が胴上げされるものであるが、なぜか新庄がいの一番に胴上げされるし、しかも内野グラウンドではなく、新庄のいるセンターフィールドで胴上げをするというからこれまた前代未聞であり、ヒルマン監督が「シンジラレナーイ」というのは宜なるかなというところである。これで日本のプロ野球は今シーズンに終わりを告げ、オフ恒例の契約更改でもめるという楽しいイベントが起こるのであろう。ちなみに新庄は引退するのでオフの契約更改はないだろうし、新たな仕事のオファーは多分ひきもきらずだと思われる。とにかく、ひとつの区切りをつけて新庄がプロ野球を去ったという事は事実であり、記憶に残る選手がまた一人現役を退いたという事は動かぬ事実である。戻る↑
    10月25日(水)「必修科目と選択必修科目」
    国民に教育を受けさせることの目的は、国力の増進という基礎体力のみならず、思想操作という政治的背景も大いに寄与されるべきものである。そのため義務教育で何を教えるべきかについてそれなりの指針を示すことは肝要であり、高等教育においてもその指針を示すことは重要である。社会科で世界史を学ばせることとを必修とし、日本史と地理のどちらかを必修とするという現行の制度を云々するのは勝手であるが、一番気にするべきことは、日本国民のほとんどは高校で学んだことを卒業すればすぐに忘れてしまうという事であり、教えたことが全く身についていないという時点で国がめんどくさくも構築している指針は何の効力も及ぼしていないということである。戻る↑
    10月24日(火)「IP電話」
    つくばに引っ越してまもなくのことであるが、IP電話をひきませんかなどという不思議な勧誘の電話がかかってきたことがある。しきりと「安いです」を繰り返すのであるが、いざというときに使えてこそ電話である、停電になったら使えませんぜダンナ、と断りの入る電話なぞ利用したいとは思わないのである。しかしながら、停電以外にも敵が意外なところに潜んでいたことが明らかとなってしまったのである。音声をパケットとして扱い、そのパケット通信をサーバが管理するというシステムは構築が簡単で維持費がかからないという利点があるが、ひとたびサーバが動かなくなると通話ができなくなるのである。それにしても設備投資という考え方からいけば、実は何気にぎりぎりの投資しかしていないのだなあと思ったりする今日この頃である。戻る↑
    10月23日(月)「予想外」
    ソフトバンクモバイルJ-Phoneを「ジェイ」、Vodafoneを「ボダ」と呼んでいたのであるが、このたびのソフトバンクモバイルを「ゲタ」と呼ぶ今日この頃である。何ゆえゲタなのかと言われると、携帯の絵文字がキャリアを跨いだ時に割り当てられている文字がないために「〓」という字が宛がわれることがあり、この文字を通称「ゲタ」と呼ぶからに他ならない。野口五郎氏が日々「予想外です」と言わしめられる広告戦略を見るにつけ、何かしら予想外のことをやってくるであろうことは想定されたのであるが、MNPを目前にしてなかなか大胆不敵な料金プランを持ってきたものである。ノリは家電量販店のチラシ戦略であり、安さを前面に押し出している模様。日本人が携帯電話に対して、音声通話よりもデータ通信に重きを置いている現状を見れば、この料金プランは魅力的であるが、罠が随所に仕組まれている。電話が途切れたら即刻ブチ切れするけど、メールの送信に失敗しても、落ち着いてもう一度やることに何の疑いも抱かない現状を見れば、必ずつながるということを要求されていないから設備投資を甘めにしても客は減らないとでも思っているのであろう。なんとなく「安かろう悪かろう」に流れていくことが感じ取れたのであるが、それについては言わぬが花であろう。戻る↑
    10月22日)「自遊人パスポート初利用」
    小赤沢温泉楽養館%含鉄食塩泉小赤沢温泉楽養館十日町の道の駅で目を覚まし、いざ本日も楽しく車を進める。まずは栄村の小赤沢温泉の楽養館に出向き、久しぶりに濃厚な食塩泉を堪能する。営業開始と同時に出向いたので味わい深い浴室の写真も無事収めることに成功し、気分は上々であるが、ほぼ同時にやってきた集団がかかり湯もせずに浴槽に浸かったりするなどがあり、どうにもこうにもである。海鮮かた焼そば@ホテルグランフェニックス奥志賀%美味温泉を後にして奥志賀へと抜ける林道に差し掛かる。しかしながら、切明には河原に湧く温泉があり、その温泉旅館が自遊人の無料パスポート対象となっていることもあって、山中で車が数珠繋ぎというから罪なやつである。単に通過点としか思っていない人間にとっては迷惑この上ないが、これぐらいの混雑を想定しておくのは嗜みというものであり、自分の至らなさを深く反省する次第。そんな切明から奥志賀につながる林道は標高が1500mを超える道であり、今が紅葉の真っ盛りである。勢い前の車もちんたらと走りはじめるのであるが、もとより林道である。七味温泉山王荘%露天風呂道幅も狭いし道路に落下物があちこちに散見されるのである。後ろも見なけりゃ前も見ないサンデードライバーにこんな山道をこんな季節に走らせるなんていうのは狂気の沙汰ではない。相当我慢の子でいらいらしながら前の車の後ろをつけていたのであるが、あきらめて紅葉を楽しむこととし、いやぁ日本の秋ですねえ、という旅番組のナレーターの気分で外の景色を楽しむ。昼前に奥志賀高原に着いたので、久しぶりにあれが食べたいなあと、ホテルグランフェニックス奥志賀に出向き、なぜか山の中で海鮮かた焼そばを食す。その後高山村にある七味温泉に出向き、自遊人のパスポートを初利用する。自遊人のパスポートの影響とはそれなりにすごいもので、熊の湯から山田牧場までの激隘区間を酷い運転をする車がどんどんやってくるのであり、これはやってられないなあと思うものである。そんなこんなで七味温泉にたどり着いて久しぶりに硫黄泉を堪能し、その後は下道をつないで前橋から高速に乗り、伊勢崎からは下道で帰宅。久しぶりに週末1200kmほど車で移動したので、心地よく疲れて没する。戻る↑
    10月21日)「新そばの季節」
    戸隠神社宝光社道の駅雷電くるみの里で目を覚まし、本日も元気に出発である。とりあえず北に向かって湯の丸高原に到着し、見事な紅葉を鑑賞して菅平から須坂を経由して長野に至る。長野からは犀川沿いに南下し、昼前に穂高に到着。新そばの季節はまだかなと思いつつ穂高の蕎麦屋「上條」に向かうと、そこは新そばの香り漂うところであり、秋の味覚に舌鼓を打ち、鬼おろしの辛さに感動するものである。その後車を北上させ、大町の湯俣温泉を目指そうと思ったが、山道を2時間も歩く気力も装備もないためその手前の葛温泉で妥協し、仙人閣で素晴らしい露天風呂を満喫する。そばと温泉を堪能して人心地つけばあとは楽しむのみであり、戸隠神社の御朱印を頂いたりする。十王堂の湯@野沢温泉河原湯@野沢温泉戸隠神社は5社あり、そのうち御朱印がいただけるのは宝光社と中社、そして奥社である。時間の都合上、宝光社と中社には参拝して御朱印をいただいたが、奥社は時間切れとなり、これはまたこのそばの名産地に出向く用事ができたわいと一人ほくそ笑むのであった。そんなこんなで時間を過ごし、中野で晩飯を食ってこれからの作戦会議となる。ガソリンの残量と時間を鑑みれば、ということでまずは野沢温泉に向かい、十王堂の湯と河原湯でほっこりと温まり、さらに夜中の千曲川高速をひた走る。当初は道の駅信越さかいで没する予定であったが、時間がまだ早いので更に小千谷まで北上し、柏崎に抜けてその後十日町に戻って没する。戻る↑
    10月20日(金)「貧すれば鈍」
    先週は休みがなく、先々週とて休みが完全に取れたわけでもないため、今週は久しぶりに完全なオフとなる。そのため出かける予定は楽しく綿密に立てるのであるが、行きたいところや見たいもの食べたいもの入りたい温泉など欲望は留まることを知らず、とりあえずこっち方向に出かけようという割りとアバウトな計画を立てて出発する。晩飯は出先で株主活動でもしようということで小山のジョイフルに行ったのであるが、金曜日の8時過ぎとあって店は満員であり、それなのに配膳係は2名というかなり厳しい状況である。オーダーを頼んでもなかなか来ないし、ドリンクバーの氷は切れているし、あきらめてホットコーヒーを飲んでみると異様に薄いし、とかなりハチャメチャであった。人件費を削りすぎるとこういう状況になるのかもしれないわけであり、安かろう悪かろうという風潮は会社にとってなんらプラスの結果を生まぬものであるという思いを強くしたのである。そのあとはまったりと渋川から中之条へと抜け、立ち寄ったコンビニでサッポロクラシックを見つけてしまい思わず1ダース大人買いをするなどして東御の道の駅で没する。戻る↑
    10月19日(木)「任意保険」
    新年早々に事故を起こしたため、自動車保険の等級は劇的な低下を招いたようであり、先日自宅に送られてきた「お薦めプラン」とやらには昨年の倍額の保険料が何の気負いもなく掲げられていた。思い直せばいたってわかりやすい話で、年明け早々は自損と車対車の事故をやらかしてしまったので、一気に6等級も格下げになり、昨年の30%引きから30%増になったため、料金がほぼ倍になるのは子供でもわかる単純な割り算というものである。ということで、保険をじっくり見直し、去年の5割増しぐらいで収まるようにプランを練り、保険代理店と話をしていたのは先週末のこと。本日その申込用紙が送られてきたのであるが、すでに申込用紙には記入がされており、写しがこちらに送られてくるという非常に手際がいいことこの上なしである。ところが、肝心の保険料を振り込む口座についてはなんら情報がなく、このまま放置プレイしたら一体全体どうなるのか知らんと不思議な気分で一杯になったのである。とりあえず、こちらとしては支払う意志があることを表明しておくべく、口座番号って何番でしたかなあ?とは聞いてみることにするかな。戻る↑
    10月18日(水)「仕事1段落」
    本日の午前中を以って、5日間に亘り毎日会社に来なければならないという困った御仕事は終焉を迎えた。この仕事を経験することが本来の研修の目的であるというべきものであり、これをせずに何をかいわんやというところであるが、何かを成し遂げたのはそれなりにうれしいものである。ということで、本日は何か満足した気分に浸っているのである。この仕事の所為で日曜日も出勤であったし、かなり綱渡りであったことは否めない。でもまあ、これでようやくもとのグループに戻れるめどがついたということなんだろう。ちなみにすでに辞令上は異動している現在のグループでは、来週月曜日にコンサルタントの先生が外人を連れていろいろとお話をしていただくなんていうありがた迷惑な話を持ってきているし、あろうことかその外人と晩飯でもどないですかと聞いてくる始末である。僕は「前のグループの仕事が残っているので」ということで率先して断っているんだが、行き先は早くも不透明である。戻る↑
    10月17日(火)「久しぶりのセダン」
    これまでの代車はなぜかマーチが続き、今回もきっとマーチであろうと予測していたのであるが、かなりくたびれたブルーバードがやってきたのである。くたびれて「散る散る身散る」という感じの車である。そのくせ我がうえぺけ号よりも走行距離が短いという生意気なやつである。本日は久しぶりにセダンを運転するということになり、運転台の低さや後部のトランクの出っ張りを頭に入れつつ運転をする。幸いにしてうえぺけ号は横幅が広かったようで、かなり寄せても代車は全然大丈夫であったようであり、しかもATなので、踏んだら進むしこんな御気楽な運転はないわいとさっさと慣れてしまうところに運転が好きだということが如実に現れている気がしないでもない。戻る↑
    10月16日(月)「歓迎会で疲労」
    復帰したグループに、先週から新しい派遣社員がやってきた。グループの上司の鉄則である「歓迎会は早い目にやれ」に則れば、先週早々にでも行われるべきものと一人予想を立てていたのであるが、なぜか本日ということとなった。飲み会の場所が土浦というのは予想外であるが、どうも歓迎されるべき派遣社員のお住まいが土浦であるから、というシンプルな理由である。ということで、本日は当初より予定の入っていた車検の日であり、うえぺけ号をディーラーに運び込んで代車で帰宅。帰宅するとすぐに飲みに出かけ、楽しく語らいながら時は過ぎる。女性に年齢を聞くのは憚られるという感じなのであるが、こちらの自己紹介に「同い年ですね」とさらりと言われ、謀らずも年齢が判ってしまったのはなんともはや。そのあと主賓が愛する旦那様の元に帰った後、残りのむさい面々でなぜかボウリングとバッティングセンターに行って帰宅。明日筋肉痛かなあ。戻る↑
    10月15日)「制裁決議案」
    花火鑑賞は殊の外堪えていたようで異様に熟睡をしてしまうが、本日も出勤である。休みがないままにだらだらと月曜を迎えてしまうのかとあまり嬉しいものではないのだが、それはそれ、これはこれと考えを切り替えて会社に出向き、ぼそぼそと仕事をして昼前に開放される。ほんのり北の国の暴挙に対して国際世論はそれなりに「おいたが過ぎまっせ」と御灸をすえる必要に迫られており、さすがに子分の仕出かした事のでかさに尻拭いもできぬわいと親分たちも覚悟を決めたようで、本日目出度く制裁決議案が連合国の間で可決されたようである。衆を恃んで小国を苛めるのはよろしくない絵であるが、プロパガンダしか存在しないかの国が「これは我々に対する宣戦布告である」と一人叫ぶ姿はかつて70年ほど前にわが国が国際連盟を脱退したときの絵と微妙に被るものであり、ノスタルジーと先行きの暗さを思わずにはいられないのである。戻る↑
    10月14日)「第75回土浦全国花火競技大会」
    第75回土浦全国花火競技大会第75回土浦全国花火競技大会第75回土浦全国花火競技大会一週間のご無沙汰である。待ち望めばそれだけ期待が高まろうものである。そんな土浦全国花火競技大会が執り行われる本日であるが、あろうことか本日は土曜出勤日である。花火と仕事とどっちが大事なんだ?といわれると年に一度の花火を見逃す事による精神的な損失のでかさは計り知れぬものであり、午前中で仕事はきっちりと片をつけ、お昼のチャイムがなると同時にダッシュして帰宅の途につく。兄と列車で待ち合わせるべく荒川沖に向かい、駅前の駐車場に車をとめていざ出陣である。電車内で兄と合流し、土浦で花火見物を当て込んだすさまじいまでの弁当を吟味し、酒のつまみも大量に買っていざ会場へである。一週間の延期がたたったのか例年よりも客は少なく、思ったよりもスムーズな移動ができたのであるが、それでも人が多いことには変わりがなく、花火が打ち上げられるまでの3時間ほどをまったりと酒を飲みつつやり過ごす。日も沈み、いよよ花火が始まるとなればやおら三脚のセッティングを済ませて基準玉の打ち上げでカメラの固定を完了し、あとはリモコンで撮影しつつ夜空を彩る花火をこれでもかと鑑賞するのみである。例年通りのレンコン日本一や交通安全音頭、そして一番お前のが派手やろとみんながツッコミを入れる土浦市長の花火など、例年通りの盛り上がりを見せ、いたく感激して帰宅する。そして来年もまたこの花火大会を見たいものだと思うものであった。戻る↑
    10月13日(金)「組合のおやつ」
    よんどころなき理由で組合の会計なんていうものをやっているのだが、基本的にのほほんとした御用組合であるがゆえに、闘争準備金をいくら積み立てたとしてそれを使う日は来ないであろうと想像することは難くない。そんなこんなで組合の毎年の予算が使いきれない状態であるため、支部集会という名目で全員を集めて話を聞いてもらうというイベントに、会議費という名目で予算を消費するべく御茶とお菓子は欠かせないものである。本日はまさかそんなことはないだろうと思っていたのであるが、自宅近くの洋菓子屋のはんじゅくちーずがお菓子として振舞われ、なかなかに味わい深い集会であった。ちなみに本日は朝から全く暇のない激務であったため、出席するだけで精一杯であり、あまりまったりと楽しむことはなかったなあというのが実感。戻る↑
    10月12日(木)「日本のプロ野球その2」
    プレーオフの是非は多くの人が語るところであるが、ペナントレースが予選に過ぎなくなってしまったと言うところに何かしら違和感がある。しかしながら昨日今日と気合の入った投手戦を見せていただき、リーグを代表するチームとして日本ハムが選ばれたことはまことに結構なことである。そういえば来年からはセリーグもこのプレーオフ制度を導入するのである。プレーオフをすることはそれなりに結構なことであるが、その結果ペナントレースの価値が相対的に低くなるのは避けてもらいたい事態である。ペナントレースで1位を取ったものがリーグ優勝チームとならず、プレーオフで勝ったチームがリーグ優勝とみなされるというのは、ペナントレースを予選扱いにするわけであり、不思議な決断をしたものであるといわざるを得ない。戻る↑
    10月11日(水)「日本の味覚はほんのり北の国から」
    秋の味覚はマツタケであり、冬来たりなばカニである。日本海という不可思議な箱庭に生息する魚介類を巡り、沿海の諸国が鎬を削って乱獲に務めた結果、水産資源は粛々と減少の一途を辿るのである。かつては子供のおやつであった茹でガニはグルメな逸品となり、腹をすかせた子供に「腹減ったんやったらカニでも食うとけ」というぐらいどうでもよかった水産資源は立派な商売として成り立つまでになったのである。ほんのり北の国はそんな喧騒をよそに乱獲をしてこなかったがためにそれなりに資源は豊富に残されており、しかも外貨が獲得できるとあってかなり喜び勇んで商売をしてくると言うものである。しかしながら困った実験を秘密裏に行ったがために全世界から必要以上に総スカンを食らい、良いお客さんだった日本からは出入りを禁止されるという事態となってしまったのである。しかしながら、彼のほんのり北の国の最大の貿易相手国は世界の中心で愛を叫ぶべく世界の中心に君臨する中華思想の国である中国であり、日本への秋の味覚を供給するライフラインは中国産という不思議なラベルを貼ることにより維持される模様。羊頭狗肉の類であるそのような行為は許されるべきではないという意見もあるが、彼の国にそのような思想も正義も存在しないのは火を見るより明らかである。戻る↑
    10月10日(火)「日本のプロ野球」
    今シーズンのプロ野球は、我らが阪神タイガースの微妙な頑張りにより、それなりに盛り上がりを見せたのである。しかしながら、中日がきっちりとペナントレースを制したのはいたしかたないことである。最後の直接対決まで目が離せないというところまで持っていったのは結構であるが、山本昌にこんなときにノーヒットノーランをやられた時点でもうだめだと諦めがついたものである。それにしても時の流れは速いものである。昨年の優勝を思い出したのであるが、その後に村上ファンドが買収を申し出たり、阪急に吸収合併されたり、ホリエモンも村上氏も逮捕されるなど昨年の今頃はそんなことは全く予期できなかったからなあ。中日にはそれなりに頑張ってもらいたいのだが、プレーオフで勢いがついているパリーグのほうが絶対有利だなあと思ったりする。戻る↑
    10月9日)「味わい深い横浜」
    ここに立つと自動的に音声案内が始まる@郵船博物館3連休の最終日である本日は、まったりと横浜に行くこととした。東京駅で兄と待ち合わせ、いざ横浜である。まずは横浜の郵船博物館に向かう。岩崎弥太郎の必要以上に情熱的な何かは現在の三菱グループの礎となったが、三菱の礎となった会社といえばこの日本郵船である。陳列されているものに歴史を感じるのは当然であるが、かつての「船旅」がどれほど楽しかったのであろうかと想像することはことのほか楽しく、なかなかいいものを見せてもらったなあと博物館を後にする。某国の工作船@横浜漁船にも機関銃を装備しておけば安心そのあとは海上保安庁の陳列館に行き、拿捕した国籍不明な不審船を見物することとした。「許可のない写真撮影は禁止」と入り口に立て看板が掲げられていたので、その辺にいる係りと思しきおっさんに許可を願い出ると二つ返事で了解され、「この弾痕とか撮影しないの?」とお薦めの撮影スポットまでご指南いただく始末である。高々数十トンの排水量を誇る漁船を改造した何かには持て余す事必定のヂーゼルエンジンが2基も備え付けられており、いざキャバクラとばかりに一目散に逃げることができるようになっていたものと思われる。機関銃も装備されているし、この小さな船に更に小船が格納されているというから恐ろしい限りである。格納庫はさすがに年季が入っており、壁にできた穴には股引と思しきものがねじ込まれているあたりにこの船の持ち主の思想が見てとれるものである。陳列物には何ら特定の国家のことを記載したものはなかったのであるが、坂本弁護士宅で発見されたプルシャのごとく、金日成バッチが陳列されているあたりが小憎らしい限りである。そのあと山下公園でいけてない大道芸を見たりして時間をつぶし、夕刻より中華街でうまい中華料理を食して帰宅。なかなか味わい深い一日であった。戻る↑
    10月8日)「久々の那珂湊魚市場」
    カニ汁@那珂湊3連休だというのに本日は予定もなく、こんなことは珍しいことである。原因は昨日の花火競技会が中止になったからであり、なんとも困ったものだと暇をもてあましていた。はてさてどうしたものかと思っていたら、先日子供が生まれた友人宅に妹が遊びに来たというので、そちらに御邪魔し、久しぶりに那珂湊でも行こうかという話になった。那珂湊は時に臨んでいく場所であり、ここの回転寿司屋はかっぱ寿司のネタの5倍以上の大きさがあるといっても過言ではない。味わい深過ぎるカニ汁なんかを満喫し、ハマグリの上にウニがこんもり盛り付けられたものを炭火で焼いてあるものを食べたりすると余は満足としかいいようがないものである。ちなみになぜか普段は見かけない観光ツアーご一行様がここに来ていたのは、昨日の花火とセットでツアーを組んだからではないかと邪推してみる。うまい魚を仕入れて帰宅し、友人宅で一杯やっていい気分で夜は更けていくのであった。戻る↑
    10月7日)「順延そして更に順延」
    本日は順当に行けば花火競技会である。しかしながら夜明けまで激しい雨が降り、河川敷などという会場であるため開催は非常に危ぶまれようものである。案の定、本日の延期は決定し、明日に繰り越されることとなったのである。地元でまったりと花火を心待ちにする面々から行けば「あ、明日ですか」と事も無げな対応ができるものであるが、旅行会社がツアーを組んでいた場合などはこれは大変な事態である。チケットを取るときにバイトを雇って並ばせていた旅行会社もえらいことだなあと他人事なので緩い感情をいだいたりするが、冷静に考えると本当に明日に順延で大丈夫なのか知らんという気がしてくるものである。川の下流の河川敷という場所がどういうところであるかということを冷静に考えると、今朝ほどまで降った雨というのは基本的に山沿いでも降っているわけであり、これはつまり早々水量は減らないよというかむしろこれからまだ増えるんじゃないのということであり、思い直して再び競技会のページを閲覧すると、来週に順延という更なる順延が決定していたのであった。来週の土曜日って土曜出勤なんだけどどうしたものかなあ、という思いをするが、一も二もなく午後半休取ることを決意したものである。戻る↑
    10月6日(金)「久々のミーティング」
    辞令はとっくに出ているが、仕事の積み残しがあるためいまだに元のグループには戻れなかったりする。しかしながら本日はリハビリを兼ねてもとのグループのミーティングに出て、自分の与り知らぬうちに事態が深刻になってきていることを感じ取り、これはつまり正式にこのグループに戻ればその後はすさまじい仕事が待ち受けているのではなかろうかと感じさせるものがそこにあった。世間で言うところの「手薬煉引いて待ち構える」だの「こうなっていると安心(c)工藤夕貴」という状況が着々と構築されているようであり、今のうちにできるだけ羽を伸ばしておかねばならぬと心に決めるものであった。戻る↑
    10月5日(木)「慰霊祭」
    仕事柄、実験動物などという珍しいものを扱うため、年に一度会社が慰霊祭なるものを執り行うこととなっている。それをしないといけないという法律的根拠はないのであるが、日本人の不可思議な思惑というものがそこにはあり、今年も恙無く執り行われることと相成った。日本人は不思議なもので、真宗であろうと法華宗であろうとお経を唱えられたらなぜか静かにそこに畏まるもので、雨の中のお経はそれなりにまったりと心に響くものである。坊主とてその辺はそれなりに考慮していたようで、唱えるお経が「般若心経」であり、これならば宗派を超えて唱えられるであろうという配慮がなされていた模様。例年慰霊祭の日はいつも雨であるという困った特異日振りを発揮しているのであるが、今年もご多聞に漏れずそうであり、おまけにお経が済めば一気に雨が上がるところに微妙なものを感じてしまうものであった。戻る↑
    10月4日(水)「移動の伴う異動」
    10月1日付で移動を命じられたのであるが、いまだに仕事が片付かないので、上司間の取り決めで今月一杯はこのグループに残ることが決まり、そういえば以前こっちに来た時もスタートが1ヶ月遅れだったなあと不思議な帳尻併せに感心するものである。しかしながら、現在の上司から早く机だけは動かせとけという不思議な命令を受けたので、とりあえず私物をまとめて移動することとなった。1年ぶりに座るその席は意外とデスクルーム全体を見渡すことができ、これまでの席よりもずいぶんとゆったり仕事ができそうな感じである。これまでの席は部長のまん前であり、課長たちが悉くそこに座るのを嫌がっていたのであるが、直接どやされる立場にない僕の場合は部長のまん前に座って部長と他愛無い雑談に興じることは一切苦でないため、その席の居心地がよかったのも事実である。多分に住めば都というところなんであろうが、あまり難しいことを考えないでおこう。戻る↑
    10月3日(火)「遺書を残す自殺」
    遺書を書いて自殺をするというのはサスペンスドラマの定番的手法であるが、サスペンスドラマにおいて遺書とは100%遺書を書こうと自殺した本人が意図して書いたものではないということになっており、遺書とは斯くも胡散臭いものとイメージが付きまとうものである。学校で虐めにあった人間がそのことを誰に話すこともできずにこの世を儚んで自ら命を絶つときに、自分が如何につらい目にあったかについて書き留めておこうという姿勢は理解できなくもない。ただ、日本人の不思議な思考パターンに「死人は仏さん」というものがあり、死ぬ前に書いたその不可思議な文言は真実であると盲目的に信じることは極めて危険であるといわざるを得ない。虐められた人間の思い込みと他人に話さないことによる客観性の欠如に基づいて書かれた文言にどれだけ普遍性があるかは不明であり、真実は見た人によって悉く違うという真理を思えば、隠蔽に走る生きている側の人間の発言は全くあてにならないが、死してその思いを伝えたその文言もあまり信用が置けぬものである。こんな手段でしか自分の思うところや妄想を語ることができないという今の世の中が問題だということを感じさせる後味の悪い事件である。戻る↑
    10月2日(月)「臓器売買」
    日本で臓器売買といえば、怪しいとか胡散臭いとかというイメージがあるし、借金を返すために東南アジアに出向いて腎臓だけ取ってもらおうとしたら他の臓器もとられてしまいそのまま命までとられるなんていうまことしやかな話があるとか、かつての商工ローン会社が「金返せんかったら腎臓売れ!」と取り立てているのはいかがなものかと指摘されたときに「ご返済が滞られた場合には腎臓を売っていただくという選択肢をご提案することに吝かではありません」といいなおしたというガセネタぐらいしか思い浮かばない。そんな本日、病気のために摘出した腎臓を使って腎臓移植をしたというニュースが流れてきた。人工透析以外には生きる道がないという末期の腎障害患者にとって腎移植は最後の拠り所であるが、生体肝移植のようなドミノ移植ができるものではなく、なんとも難しいものである。戻る↑
    10月1日)「一般的な家庭の日曜日」
    昨日も仕事であったため、本日だけで遠出をするのはつらいので、本日は大人しく自宅で過ごすこととした。近所のカスミでは日曜日の朝だけのタイムセールなどというものをやっており、これまで土日出かけていたことから考えると、そのタイムセールとやらに遭遇しているはずもない。本日は一体全体どんなものなのだろうかと様子を伺いに出向いてみた。出向いたカスミはさながら戦場であり、10%割引が斯くも人の心を支配するのかと思った次第。やはり安いからなあと言うことで、普段から値引きをしない商品をこの機会にとまとめ買いし、レジで株主優待券を差し出してさらに10%割引にさせたのはいうまでもない。一般的な家庭の休日を垣間見た気がした一日であった。戻る↑