2006年9月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 9月30日)「休日出勤」
  • 9月29日(金)「YS-11」
  • 9月28日(木)「鉄道網の需要と供給」
  • 9月27日(水)「100000km達成」
  • 9月26日(火)「総理大臣の本質」
  • 9月25日(月)「死んだら驚いた」
  • 9月24日)「島根を満喫」
  • 9月23日)「浜田という港町」
  • 9月22日(金)「人事異動」
  • 9月21日(木)「国旗と国歌」
  • 9月20日(水)「内閣総理大臣と自民党総裁」
  • 9月19日(火)「不健康診断の結果」
  • 9月18日)「一般人ぽい帰宅方法」
  • 9月17日)「久々の湯の峰温泉」
  • 9月16日)「内宮、外宮、別宮」
  • 9月15日(金)「死刑確定」
  • 9月14日(木)「法律違反のCM」
  • 9月13日(水)「いよいよぞろ目」
  • 9月12日(火)「民主党代表選挙」
  • 9月11日(月)「あれから5年」
  • 9月10日)「1周忌」
  • 9月9日)「劇的な暑さの関西」
  • 9月8日(金)「駐車場の変更」
  • 9月7日(木)「総裁選挙」
  • 9月6日(水)「慶賀」
  • 9月5日(火)「成田空港」
  • 9月4日(月)「急場凌ぎの」
  • 9月3日)「ちょこっとドライブ」
  • 9月2日)「骨休め」
  • 9月1日(金)「桟敷席入手」


  • 今月の日記
    9月30日)「休日出勤」
    レンタル移籍しているこのグループの仕事も辞令上は昨日で終わっているはずなんだが、なぜかまだ仕事は終わっていないようで、来月一杯まではこちらの仕事をすることとなった。しかも本日はよんどころない事情で休日出勤である。誰もいない会社で黙々と実験をして帰るというのはなんだかなあと思っていたのであるが、会社に来てみるとデスクルームは業者が大掃除をしており、机の上にいすがみんな上げられているという珍しい光景に出くわす。確かにこういう作業は休日にしか行われないものだなあと納得し、こっちは実験室にこもって実験をするのであった。戻る↑
    9月29日(金)「YS-11」
    日本の空を我が物顔で飛び交っているのは、アメリカとフランスの会社の作った飛行機である。最近はそれ以外の会社も参入している模様であるが、やはりこの二つの会社のシェアは高い。太平洋戦争に敗れた日本をコテンパンに叩いて二度と我々の脅威とならぬようにしなければならないと考えた連合国が、日本の航空技術をすべて壊し、開発すらさせないという姿勢を貫いたため、日進月歩のトレンドの最中であった航空技術において、日本は大きく立ち遅れることとなったのである。そんな日本に航空技術をよみがえらせようと国家的なプロジェクトで開発されたのがYS-11である。しかしながら、このプロペラ機は現在の航空需要にマッチしないということと、年季が入っているのでこれ以上飛ばすことはできないということで、今月末を以って引退することとなった。次なる国産航空機を開発するべく頑張ってもらいたいものであるが、開発するより買ったほうが安いという短期的視点に立っている場合には、それは無駄なお金を費やす道楽であるといいかねないものであり、多分にロマンを感じるこのプロジェクトは実際にもたらす利益がどれだけかを正しく推し量ることが一番重要である。戻る↑
    9月28日(木)「鉄道網の需要と供給」
    鉄道がその事業を恒久的に行うためには需要がなければならないが、需要はそこにあるから鉄道を作るのではなく、鉄道を作るから発生する需要というものもある。そして作り出される需要とはその多くが宅地開発などの手法による新しい街を作るというものであるが、これまでは遠回りする経路しかなかったのに、二地点間の最短経路を開発したことにより需要が増えるという場合がある。前者を鉄道の需要と呼ぶのに対して、後者を鉄道網の需要と呼ぶのはそういう違いからきている。鉄道網とは微妙なもので、直通する列車がなければその時点で需要が発生しないという運用の問題によるものもあり、隣の駅に行きたいのになぜかそこまでいく列車がほとんどないという不思議な状況にある場合、原因の大半は「デッドセクション」である。JR西日本がこれまで湖西線の永原−近江塩津と北陸線の長浜−虎姫にあったデッドセクションを廃止し、敦賀−南今庄間に新たに設けたことにより、交流/直流の切り替え機能を持たない京阪神から敦賀までの直通の列車を走らせることが可能となったのである。今後どれだけの需要が増えるかは不明であるが、敦賀から姫路までなんていう味わい深い列車が走った日には何時間かかるんだろうかという疑問や、湖西線が雪で遅れた影響が出やすくなるなどいろいろと考えることは多い。戻る↑
    9月27日(水)「100000km達成」
    JR日南線志布志駅にて我がうえぺけ号は今年の10月末に車検を迎えることになっており、そのための段取りをいろいろ考え始める時期にさしかかってきた。車の修理をお願いしたことがあるディーラーや、常日頃エンジンオイルの交換に足を運ぶカー用品店からは。「車検どないでっか」というはがきが来ており、御互いに「腕に覚えあり」「安くします」「相武紗季タンもおつけします(違)」という売込みに必死である。さてそんな愛車うえぺけ号であるが、本日目出度く走行距離が100000kmに達したのである。年初に70000kmを達成した直後に派手に事故をやらかし、それから1ヶ月ほどの潜伏期間を経て、本日目出度く達成である。最初の車検にODDメータを10万以上にするというのは何気にひそかな目標であり、それが無事達成できたのはまことにうれしいものである。ちなみに達成地点は茨城県かすみがうら市であり、まさかこんなところが記念の場所となろうとは車を買った当初は想定していなかったと思われるような場所である。今後とも動かなくなるまでこの車とは付き合っていきたいものである。戻る↑
    9月26日(火)「総理大臣の本質」
    総理大臣というのは行政の最高責任者であり、日本の三権分立という権力構造から考えると3つ巴の一角を担うに過ぎないという意見がある。しかしながら、この権力は馬鹿にできたものではなく、自衛隊の最高指揮者という役職でもあるし、立法府である議会の与党の党首でもあるため、言ってみれば三権のうち二権を完全に掌握し、さらには実力部隊まで指揮できるというのだから、実は何気にすごいのである。本日粛々と新しい総理大臣が誕生し、これまで5年以上にわたりその座にあった小泉純一郎氏は官邸を去った。思えば、この日記を書いている間の総理大臣はずっと小泉純一郎であり、これって実は日本ではとても珍しいことだったのではないかと今にしてみれば思うこと頻りである。新しい総理大臣がどんなことをやってくるかは存ぜぬが、ひとつの時代が終わり、新たな時代が始まったということは確かである。戻る↑
    9月25日(月)「死んだら驚いた」
    今を去ること18年、昭和天皇が病に倒れ、国民が歌舞音曲を自粛していたころのことである。年の瀬に公開されるはずであった映画が中止となったのである。国民の天皇陛下と皇室に対する敬愛の念を逆撫でする様な作品であったのかといえばさにあらずで、単にその映画の副題が「死んだら驚いた」というのは昨今のご時勢を鑑みていかがなものかと思われたというのが公開中止した理由である。その作品の主演俳優であり、誰が行って来たか見てきたかについてはさっぱり判らぬが、昨今ならば三輪明宏あたりが間違いなく通っているであろう霊界の宣伝マンである丹波哲郎氏が亡くなった。丹波哲郎氏といえば霊界の宣伝マンを自称するあたりから車のエンジン音でその会社のガソリンを入れているかどうかを判定できるということを披露するという訳の判らない方向に崩れていった大御所俳優であるが、その前は横一列に並んで歩く迷惑な集団Gメン'75の首領をしてたとか、ショーンコネリーが浜美枝を恣にしていたら、世界遺産の姫路城で日夜手裏剣の稽古を行うという日本に巣食う不思議なテロリストとの戦いを繰り広げることになり、相当怪しい科学者が開発した不思議なグッズを使って難を逃れていたときの手助けをしたことなどが思い出される。これからは霊界で現世の宣伝マンとして活躍してもらいたいものである。戻る↑
    9月24日)「島根を満喫」
    朝宿を出て、本日も島根を満喫である。小屋原温泉熊谷旅館%至宝の炭酸泉まずは小屋原温泉の熊谷旅館に出向き、湧きたての炭酸泉を満喫する。4つある個室どこにはいるかが問題であり、すべての浴室を満喫するにはまたここに来なければならないという厄介な宿題も頂き、次は物部神社へ参拝する。必要以上に長い柄杓に驚き、ちょうど昨日の柿本神社で御朱印帳が一杯になっていたのでここで買い求める。手水鉢の長い柄杓@石見国一ノ宮物部神社次に出雲大社に参拝する前に、大社郵便局の風景印を押してもらって友人の結婚式への出席のはがきを投函し、やはりこういうところでやはりうまいものを食べねばならぬと出雲そばを食す。なぜか食が異様に進んだので10割そばまで追加して満足し、気分も高らかに参拝である。神楽殿の注連縄に賽銭を突っ込む参拝客を横目に御朱印を頂き、日御碕神社にも参拝して御朱印をいただく。出雲そば御膳%満腹これまで御朱印には「奉拝」と書かれていたものしかなかったのであるが、出雲大社の本殿と日御碕神社は「参拝」とかかれており、そのことについて訊ねると「本殿のすぐ近くで御朱印を出しているから」というあまり要領の得ない説明であった。その説明をした神職がカチョバカの高山さんのような雰囲気を漂わせていたのが理由だとは思いたくないが、なるほどそういう区別をしているのかと納得が行くものではあった。参拝を済ませて松江でみやげ物でも買うかと店に入ると何かすごい味がしそうな雰囲気を漂わせている飲み物が売られており、いくら水木しげるが境港出身だからって、そこまでやらなくてもいいんじゃないかと思ったりしたものであった。萩石見空港で借りた車を松江で返すというかなり極悪な乗り捨て料金のかからない乗り捨てを行い、松江からはリムジンバスで米子空港へ。リムジンバスの経路が実は大根島経由であるという大胆なことに驚き、水門の上の道路に並行して架けられた橋がこのような恩恵を与えたのかと味わい深い感慨に浸る。米子からは飛行機で帰宅し、たくさんの宿題を貰って充実した週末は終わりを告げる。戻る↑
    9月23日)「浜田という港町」
    柿本人麻呂像@柿本神社つくばに鉄道が走るようになって1年が過ぎたが、それまではバスが交通の大動脈を担っていたのである。本日は7時前に羽田を飛び立つ飛行機に乗るというスケジュールのため、始発のつくばエクスプレスでは間に合わないという困った事態に気がついたのは実は昨日のことで、信じられない時間に出る羽田空港行きのリムジンバスはこういう需要を受けて存在するのだなと新たなる発見をしつつ、気がつけば羽田空港である。羽田空港より萩・石見空港へと降り立ち、レンタカーを借りていざ出発であるが、当初頼んでいた「ETC対応」ではない車であるためにレンタカー屋にゴル活し、空港に引き返して車を交換して再度仕切りなおしである。小イワシの天ぷら%美味ノドクロの塩焼%美味サバの刺身%美味この時間を食ったことに対する代償を求めたところ、ガソリン満タン返しを免除されたため、如何にカラカラの状態で返却するかについて綿密なシミュレーションが始まろうものである。幸先のいい滑り出しと言えなくもないが、ETCカードを忘れてきたことは秘密である。柿本人麻呂を祭神とする神社などを巡り、まったりと中国山地に抱かれた温泉を巡り、本日のお宿がある浜田に到着。宿にチェックインすると宿のコンシュルジュから情報を聞き出し、うまい魚にありつける店へとまっしぐらである。本日港に揚がったという活きのいい魚で一杯やればそれだけでパラダイスであり、浜田という街に対する評価をひたすら上げまくりまったりと就寝する。戻る↑
    9月22日(金)「人事異動」
    1年間のレンタル移籍が終わりを告げようとしているのだが、本日ようやく人事異動が発表され、もとより出るはずがなかった辞令でこのグループに正式配属となり、そして一度辞令を出してしまった以上はもう一度元に戻るに際して辞令をまた出さねばならぬということで、辞令が目出度く出たのである。会社に入って4年半であるが、すでに辞令を貰うのは5枚目である。部長は「10枚貯めるとハワイ旅行に行けるんや」という与太話をしているが、割りと簡単にハワイにいけそうな勢いである。多分これからも必要以上に辞令をもらうような気がする。ちなみに同じ部署の別グループの課長が移動で本社勤務になり、部署のグループがひとつ減ったというなかなか大胆不敵な機構改革もあったのだが、かなり前から規定されていた予定調和の感があり、さらには異動する課長が自らつくばが気に食わないという発言を繰り返していたので部下のモチベーションがあまり高くなかったなんていうことも漏れ聞くところである。世の中とは難しいものだ。戻る↑
    9月21日(木)「国旗と国歌」
    「日の丸」は日本の国旗であり、「君が代」は日本の国歌である、ということはすでに法律に書かれているものであり、この取り決めが喜ばしくない事態を引き起こすのであれば、法律は可及的速やかに変えるべきである。しかしながら、いったん法律が制定された暁には、法令を遵守しなさいということを課されている「公務員」という存在があるのはこれまた事実である。公務員の中には教職員というカテゴリーがあり、卒業式において日の丸と君が代を巡る攻防は必要以上に燃え上がるものである。小学校ではそんなものを見たことすらないという不思議な学校で育ったため、そういう式典に国旗と国歌がつきものであるということは中学になるまで知らなかったという面白い経験を持つ身としては、教育とは最初が極めて肝心であるということを声を大にして言いたいものである。もちろんそのような思惑を持って教育を施してきた教職員もそのようなことは十二分に理解しているはずであり、間違っても「個人的に好きじゃないから」なんていう判りやすくて判りにくい理由で裁判なんかをやらかしたわけではなかろう。それにしても自分の信条を曲げることは納得できないという思いを何よりも優先するような人が教育者になれるのであろうかという素朴な疑問に誰か答えてもらいたいものだ。戻る↑
    9月20日(水)「内閣総理大臣と自民党総裁」
    安倍晋三氏%将来の総理江頭2:50総裁総裁とは団体の代表を表す呼称の一つであり、人事院、日本銀行、日本郵政公社などがすぐに思い浮かぶものである。そういえば、かつての国鉄や専売公社、電電公社にも総裁がいたし、日本道路公団の代表者も総裁と呼ばれていたことが思い出される。どうも普通の団体ではなく、昔の三公社五現業あたりにそのような呼ばれ方がなされてきた歴史があるようである。そのほかに「総裁」と呼ばれるものには、銭形のとっつあんも配属されているICPOなんかも思い浮かぶ。また、皇族の面々が「名誉総裁」として日本赤十字社なんかも思い出せるものである。さて、そんな総裁であるが、他の政党は「党首」と呼ばれるのに、なぜか自民党は「総裁」なのである。そもそも政党で代表者を総裁と呼んでいたのは、伊藤博文が立ち上げた「立憲政友会」ぐらいである。よくよく考えると自民党は、戦後に旧政友会正統派出身者主体で結成された政党である日本自由党の流れを組んでいるため、その呼び名がいまだに踏襲されているということなのであろう。本日その自由民主党の総裁選挙が行われ、件の御三方が予定調和のごとく投票の禊を受け、安倍氏が圧勝した。時を合わせて大川興業の総裁選挙も行われることとなり、現在の総裁である江頭2:50の再選ならず、元総裁の大川豊氏のリベンジが成功した模様。筋書きのないドラマとはこういうことなのであろう。江頭2:50の実の父である江頭2:45もまたこの熱い総裁選に参加した模様であり、ここまで来ると筋書きの無いドラマではなく筋書きを作る気すら起こらないという表現のほうが的確だったりするものである。戻る↑
    9月19日(火)「不健康診断の結果」
    会社では海のものとも山のものともつかぬ新規化合物を扱っているため、その化合物に曝露することによりどのような健康障害が引き起こされるかは想定できぬというものである。そんなこともあってか健康診断は必須であり、先日近所の病院まで行って診断を受けたのは案内のとおりである。本日その結果が返ってきたのであるが、やはり面白いことも何もなくひたすら平凡であった。なぜか身長が1cmほど伸びていたのであるが、これは測定誤差なのか三十路を過ぎてもまだ成長を遂げているという奇跡の現場を目の当たりにしているかは不明である。とりあえず体重はちょっとだけ減ったので、身長の増加と相俟って「やや肥満」というレッテルが外されたことだけは喜ばしいことである。戻る↑
    9月18日)「一般人ぽい帰宅方法」
    通常であれば何かと寄り道をしたり、味わい深い温泉などを満喫して帰宅するものであるが、本日はかなり疲れていてそんな余裕がないということもあってか、ひたすら高速道路を走って帰るという我ながら珍しいことをする。そのおかげあってか、夕方には無事帰宅することができたのであり、ゆっくりと明日に向けて休息をとることができたのでよしとするかな。戻る↑
    9月17日)「久々の湯の峰温泉」
    伊勢神宮全御朱印本日も参拝に精を出す。外宮、内宮の周りには3つの別宮があり、その御朱印は昨日すでに頂いていたので、本日は少し離れたところにある2つの別宮である伊雑宮と瀧原宮に出向く。伊雑宮まではそれなりに晴れていた天候であったが、瀧原宮に到着したころにはすっかり本降りになり、雨にぬれながらの参拝となる。秋刀魚寿司しかしながら他と違い、瀧原宮は鬱蒼と生い茂る森の中にあるため、雨により立ち込めてきた霧がなんともいえない雰囲気を醸し出しており、これはまた結構な光景であると思いつつ目出度く参拝は完了である。参拝が終わったので名物でも食そうかと秋刀魚寿司を頂くこととした。伊雑宮湯の峰温泉共同浴場目も前で作ってもらえる秋刀魚寿司は殊の外うまく、名物にうまいものなしと言うが、やはりうまいものはうまいのである。さて、時間もあることだしこれからどうやって帰ろうかなとのんきに考えていたときに雨が一段と強くなってきた。折りしもそのときは尾鷲近辺におり、ここで真剣に大雨に遭遇したとなれば、間違いなく国道が寸断されていつ帰れるようになるか判ったものではない。そう判断し、これはさっさと岐路に着かねばならぬとショートカットルートである国道311号を選択して阪和道をめざす。しかしながら、道中には湯の峰温泉などという魅惑の温泉地があり、致し方なくそこでまったりと湯に浸かり雨にぬれて冷えた体を温める。ほっこりした後はひたすら帰宅をはじめ、みなべから高速に乗りいい加減眠くなったところで没する。戻る↑
    9月16日)「内宮、外宮、別宮」
    伊勢まぶし%美味昨日夜より伊勢志摩に向かって車で移動をしている。今回の目的は伊勢神宮の御朱印を収集することである。まずは御前崎灯台に立ち寄り参観を試みるが、工事につき立ち入り禁止というなかなかな門前払いをくらい、あきらめて伊良湖岬を目指す。フェリーで鳥羽に渡り、まずは外宮に向かう。外宮で参拝を済ませ、腹が減ったので門前のうなぎ屋に入って「伊勢まぶし」なるものを食す。赤福の食券@おかげ横丁店のおばちゃんから「お伊勢さんの参拝?どこから参拝をはじめはったん?」と聞かれたので目の前の外宮からだと返答すれば、それが正解で豊受大神宮はこの辺の神様のお世話をする神様だからそこから参拝しないといけないとか、全部お参りしたほうがいいとか、ついでに猿田彦さんもおまいりしたほうがいいとかいろいろとありがたいレクチャーを聴き、そのレクチャーのおかげで参拝時間ぎりぎりになるなどという判りやすいオチも鏤めてくれる。なんとか内宮の参拝も済ませ、ほっと一息おかげ横丁で赤福でも食べるかと思ったが、すでに赤福氷は売り切れであり、普通に赤福のみを頂きまったりと過ごそうとしていたのであるが、自分が最後の客であり、こっちが席を立つのを従業員が虎視眈々と見据えているというあまりうれしくない展開だったのでそそくさと席を立つ。そのあとは適当に車を進め、道の駅伊勢志摩で没する。戻る↑
    9月15日(金)「死刑確定」
    10年以上も前のことである。その日、北海道でスキーをしていたあとで帰る準備をしていたときに東京の地下鉄でサリンがばら撒かれたなんていう事件が起こり、それからしばらくしてカルト教団の指導者が逮捕されたのである。そのカルト教団の指導者は本日死刑が確定したのであり、そのことをどう考えるかについては人によって千差万別である。味わい深い社会派の著作家であれば、彼の生い立ちやバックグラウンドを鑑みて、何かしらの偏った思いを籠めて悲劇的な小説を書き上げ、そのことで世に警鐘を鳴らさんとするであろう。また、日本何にでも反対するぞ連合改め何にでも批判するぞ連合の代表は、このような時代の徒花とも言うべき存在を野放しにした世の中とその世の中を統治している政府を批判するという、ネタは何でもいいからとにかく批判したいという姿勢を見せるであろう。そしてその他の大部分は自分に関わりがなかったことに胸をなでおろし、何もなかったように明日を迎えるのである。どれだけ大騒ぎになってもこのような終末を迎えることは畢竟であり、いつしか人々から忘れ去られるのである。渦中の彼は、自分の存在を世に広く知らしめることに成功したが、それは些かエキセントリックであり、その反動で人から非難され、同情されることなく忘れ去られるのである。誠に世の中とは無常である。戻る↑
    9月14日(木)「法律違反のCM」
    CMとは商品を広く世間に知らしめるという目的があり、その内容は原則荒唐無稽なのである。地球の重力に逆らったり、時の流れを無視したりすることすら当然と受け止められている業界においては、現実の世界で行えば法律違反となることなどいくらでもありようものである。しかしながら世の中とは難しいもので、明らかにどう考えても現実ではないと思える映像については一切の咎めは受けないものの、中途半端に現実感の漂うものについてはそれはいかがなものかと横槍が入るものである。CMで放し飼いされていた犬が気持ちよく走り回っている映像を使ったところ、マニアックにもこのCMが撮影された地は神奈川県であると調べた暇な御仁がおり、しかも神奈川県では犬の放し飼いは条例違反であるというこれまた箱隅突蔵な御仁がおり、このCMはお蔵入りとなったのである。世知辛い世の中である。戻る↑
    9月13日(水)「いよいよぞろ目」
    湯葉と野菜の炒め物@百楽門石鍋豚足@百楽門富める者にも貧しき者にも時間は平等である。1年経てば誰でも一つ年を取り、そして一歩死に近づくのである。未明に同じ誕生日を迎えた友人の奥様とメールをどちらが早く相手に送れるかという不毛な戦いを始めて早3年、台湾風五目焼そば@百楽門今年も勝ってしまったところに一人暮らしの暇さ加減が漂っているなどという自虐的なネタをかますつもりは毛頭ない。本日は目出度き誕生日であり、21歳となったのである(ただし16進法)。世間一般で言う10進法に準えるならば33歳というぞろ目である。30台とか三十路などという言葉に当初は戸惑いを感じていたのであるが、さすがにこの年になるといい加減受け入れないといけないんではないかと気持ちを新たにするものである。ということで、誕生日祝いと言うことで本日は友人と台湾料理を食べに出向く。先日行ったキューバ料理の店の隣にあったこの店は、これまた素晴らしい料理であり、焼き豚にコチジャンをつけると旨みが激増するなどという小憎い演出や、本格四川風麻婆豆腐が堪能でき、箸休めにキムチも出てくるというハイブリッドな台湾料理屋であった。つくばの楽しみの一つである、いろんな国の料理が食べられるという幸せを満喫して帰宅する。戻る↑
    9月12日(火)「民主党代表選挙」
    二大政党制が民主主義では必要である、とどこの誰が言ったのかは不明だが、庶民派と金持派の政党が交代しながら政権を運営し、世の中バランスが取れているということはある意味絶妙のバランスである。翻って日本では一時期を除き、一貫して自由民主党が政権を持ち続けている。この現状に危惧を抱いて居るんだけれど、今本当に必要な政策よりも党の錦の御旗を振り回すのに一杯一杯で気がつけば誰もかまってくれなくなった政党などがあり、何ゆえそんな日本でそれなりに政治が執り行われてきたのであろうかと疑問を持つことは当然である。自民党政治の本質は、派閥間の争いや特定の利益集団からの圧力により党内でバランスよく運営するというシステムがすでに見事なまでに構築されて居ることにあり、そのため政権交代をすることはこれまで必要とされていなかったわけである。これは野党が不甲斐ないから自民党がこのようなシステムを構築したという立派な前向きな言い方をすることも可能であるが、実際のところは大同小異な人々が集まって自分の意見を如何にうまく通させるかということに執心していても他の党に政権をとられることが無くのんびりしてこれたからであり、自民党にそんな深慮はないものと考えられる。そんな自民党を倒すべく野党第一党である民主党は政権奪還を掲げているが、その民主党の党首選挙は候補者が現在の小沢党首一人のみであり、一向に勢いが見られない。内部抗争しているエネルギーはすべて外的に振り向けるべきだとでも言いたいのかもしれないが、外部に振り向けるエネルギーが感じ取れないのはこっちの穿った見方によるものだとしても、このところの自ら墓穴を掘るようなことをしている現状はいかがなものであろうか。戻る↑
    9月11日(月)「あれから5年」
    アメリカが自国で戦争をやらかしたというのは有体に言えば南北戦争が最後であり、それ以降は日本軍に真珠湾を攻撃されたとか、日本軍が風船爆弾を使って攻撃したということ以外には戦争体験は皆無であった。そんなアメリカでいきなり同時多発テロが勃発したのは5年前の今日であった。それから左程の時を置かず、アフガニスタンやイラクが悪の枢軸と呼ばれてしまい征伐されてしまったのは記憶に新しいところである。もとより喜ばしくないという感情を抱いていた国家に対して己の主義を押し付けようとするのはアメリカの世界の警察たるが故の矜持であり、それをグローバルスタンダードと呼ばせることはアメリカの学会やメジャーリーグが平気な顔をして「世界」を冠とするところからも見てとれるものである。5年経ち何が起こったかということを考えると、アメリカでは左程珍しくないものの、日本では類稀なる長期政権が5年前から今まで脈々と息づいており、同盟国として見事なコラボレーションを成り立たせているがままである。ちなみに断っておくが、イスラエルやパレスチナやアラブのすべての国家に対してまったりと波風を立てずに外交ができるのは世界広しといえど日本だけであり、このようなアメリカに追随することによりこの利点がなくなってしまうことのほうが国益に大いに反するものであると危惧することに吝かではない。戻る↑
    9月10日)「1周忌」
    朝早くより祖母宅に出向き、おまいりに来ていただける在所の皆様をお迎えするべく準備をする。11時からというのに10時半にはぼちぼちと「遅なりまして、堪忍してくれやっしゃ」という社会人のマナーである「五分前行動」が霞む時間感覚で三々五々と集合され、定時には全員集まり読経が始まる。焼香で勢いよく煙が吹き上がり現在どなたが焼香されているのかが一目瞭然という狼煙台の役割を果たしつつ焼香は終了し、仏間は焼香というバルサンを施したようで、これで当分悪い虫はつかないであろう事は間違いない。その後は精進落としということで、隣町の料理屋でうまい料理を食し、そのあとは新幹線で帰宅。今回は珍しく東京から常磐線に乗り、荒川沖からバスで帰宅。恙無く1回忌は終えることができた模様。戻る↑
    9月9日)「劇的な暑さの関西」
    祖母の1回忌が執り行われるということで、今週末は実家に戻ることとなった。ということで昨晩は礼服を探したり数珠を探したり黒ネクタイを探したりとてんやわんやであったが、どうも我が家からスーツかばんがなくなっており、一体全体あのでかいかばんをどこにやったのであろうかと訝しがってしまう。かばんは見つからないままであり、おとなしくあきらめて実家へと帰省することとなった。羽田より関空へと飛び立ち、降り立った瞬間にその想像を絶する暑さにくらくらしてしまう。関東に来てあっという間に体がなまってしまったのであろうが、これはたまらんというものである。法事は明日なのであるが、準備がいろいろとあるものであり、掃除をしたり粗供養を詰めたりして明日の準備は完了。夕食は関西の夏ということで鱧であり、久しぶりに栄養のあるものを食べてご満悦。戻る↑
    9月8日(金)「駐車場の変更」
    最近は物騒である。我がうえぺけ号と同じ型式の車が我がつくばの町で狙われているという話は先月書いたような気がする。そういうわけで自分の車は自分の目の届くところにとめておきたいものだという意欲が昨年あたりから沸々と湧いているのは事実であるが、家主の微妙な采配と匙加減により、当初宛がわれた駐車場は自宅より微妙に遠く、その駐車場がアパートに化ける半年ほど前に現在の駐車場を宛がわれたのはこれまた書いたとおりである。そんな駐車場を放浪するという珍しい体験をしているのだが、自宅前の道路は町の中心部であるにもかかわらず駐車禁止ではないという不思議な設定になっており、以前よりお買い物に出向くだとか明日は早いからとか夜から出かけるからとか朝帰りで一風呂浴びて会社に行くからだとかとりあえず駐車場に車をとめるのがめんどくさいからとかいうよんどころなき様々な理由で時折車を停めさせていただいたのである。そんな生活ぶりを知ってか知らずか、不動産屋より一通のご案内が自宅に届いた。家の前の駐車場が空いたので、よろしければ移動しませんかということである。こういう有難い申し出は一も二も無く応じるが吉であり、本日より早速駐車場をチェンジして自宅前の駐車場に停めることと相成った。この駐車場の最大の難点は入れにくく出しにくいということであり、その中でも一番入れにくく出しにくい場所が宛がわれたのはなぜなのであろうか。きっともっと車幅感覚を磨くことを神が試練としてお与えになったのであり、その試練に打ち勝ってこそ更なる進歩が遂げられるのであろうと思いを新たにしたのであった。ちなみにこれまでの前向きな駐車は要求されず、というか前向きな駐車で車を入れることはほぼ不可能であり、よしんば入れることができたとしても出すことがこれまた極めて難しいのである。いつの日かこの駐車スペースに切り返しなしで入れてやるぜと不思議な闘志を燃やし、本日はエンストをかましつつ3回ほど切り替えして無事車庫入れ完了。戻る↑
    9月7日(木)「新橋の夜」
    つくばから東京に飲みに行くということは、つくばエクスプレスのせいで可能となったという話は何度も書いている。本日はとあるSNSの集会でオヤジの天国である新橋で飲み会ということになり、初顔合わせの勝負を挑むこととなった。遅れて参加したとあるゲームにおいて好むと好まざるに関わらず有名人となってしまったがゆえに、出席してみると皆々様はこちらに対して興味津々である。こちらも名前は聞いたことがあるけれどお会いするのは初めてですなんて面々であり、当初はそれなりに堅い話で始まったものの、場が進むにつれて話は盛り上がり、いつものごとくミッドナイトつくばで帰宅することとなった。自宅へ帰り着くことが可能となること自体は喜ばしいのであるが、これをやると次の日はまったく仕事にならないという困ったことがあり、明日は最初からやる気が無いということがすでに規定路線だったりする。戻る↑
    9月6日(水)「慶賀」
    理解できぬことではなく、むしろ当然なことであるのだが、帝王切開で出産する場合においては「いついつ産まれます」という宣言ができるものである。正確に言うと、帝王切開であるから「いついつに取り上げます」ということを述べているから、そりゃ当然といえば当然である。話は変わるが、長男という役どころと次男という役どころは、ほんの数年先に生まれたというだけで別の人生を歩まざるを得ないということからある意味理不尽であり、次男は所詮「いらん子」であり、100歩譲って「スペア」である。そんなことを次男たるもの当然体感しており、自分の世界を広げることで新たな生き方を見つけないことには「隠居」呼ばわりされるという焦燥感から、ある種ヤンチャになるものである。本日、秋篠宮様以来41年ぶりに親王が誕生されたのであるが、その親王の父親がその秋篠宮様であったことは、何かしらの必然であろう。これから先、どのようなことが待ち受けているかは不明であるが、己の世界を自力で展開してきたそのバイタリティとは侮れぬものがあり、今後口さがない面々からの謂れなき誹謗中傷があろうとも、今後の皇室において秋篠宮様は大きな役割を果たしていくことは間違いがない。戻る↑
    9月5日(火)「成田空港」
    ドイツのバイエルン州にフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港(通称:ミュンヘン国際空港)がある。この空港は建設計画が示されてから着工までに20年もの期日をかけ、着工からわずか5年で開港にこぎつけたという歴史を持つ。この空港建設のストラテジーの構築は、土地収用法という法律の行使により地主との間に軋轢を生じさせ、必要以上に関係をねじれさせてしまい、いまだに片肺飛行を続ける成田空港の有様を反面教師としている。このことを一義的に捉えると、成田空港建設当時の日本の当局が極めて不味いことをしたといえなくもないが、当時の状況を鑑みれば致し方なきものがあったのも事実である。現状中途半端な運用が為されている2本目の滑走路を延長することにより、ようやく2本目の滑走路が役立つようになるが、本日ようやくその工事の着工に見通しがついたようである。いまだに空港建設予定地に居座る地主という設定や中途半端な鉄道という印象が拭いきれない芝山鉄道など楽しいものが目白押しの成田空港であるが、国内線を利用するとか、飛行機に乗らないで写真撮影に勤しむなどという目的で利用することがほとんどである人間にとって、ゲートでの物々しい身分証明書の提示を求める警備はいただけないこと限りなしである。戻る↑
    9月4日(月)「急場凌ぎの」
    豚バラ肉のから揚げ%美味鶏肉とハーブライス%ニンニクが効いて美味月曜日のテンションの低さは如何様にもしがたいものであり、その理由は目の前にある洋菓子屋が徹夜で改装工事をしていることとは無縁ではない。この洋菓子屋は誰がどう言い出したかは知らないが、つくばで1番という不動の地位を築いている有名店であり、休みの日ともなればこの店にケーキを買いに来る客の車で前の道が渋滞するという地元民にとっては迷惑としか言いようがないシロモノである。セブマリーノ(潜水艦)%テキーラという潜水艦がビールに潜んでいる気の利いた店であるならば、「普段そんなこんなでご迷惑をかけておりますので、ここはひとつこれで堪えてもらえませんでしょうか」という挨拶と半熟チーズでも持ってきてくれたら勘弁してやったりもするのだが、そういうことはなく、改装工事中でも隣の物置を改装して土日だけはきっちり営業しているところに凄まじい商魂の逞しさを感じるものである。そんなご近所さんの工事を尻目に会社に出向き、本日もまったりと仕事を終える。上司から「来月1日付で研修終了につきもとの部署に戻る」という通達が出され、楽しくもあり忙しくもあった研修はついに終わりを迎えるのだなと思うが、戻っても仕事あるのかなと余計な心配が頭から離れないのはなぜなんだろうか。帰宅して友人とちょっとはなれたところにあるキューバ料理屋に出向く。隣の台湾料理屋に惹かれるものがあるが、初志貫徹で本日はキューバ料理屋ということとし、豚バラ肉のから揚げとかハーブとニンニクが効いたご飯と鶏肉の混ぜご飯なんかを頂き、ラムやテキーラのコーク割り(キューバリブレとメキシコーク)なんかをグビグビやる。友人はセブマリーノ(潜水艦)というビールジョッキにテキーラの入った小さなグラスが逆さに入れ、そこにビールを注ぐという「テキーラのビール割り」という危ない酒を注文し満足したのであった。戻る↑
    9月3日)「ちょこっとドライブ」
    シンハービール本日も予定はなく、張さんと親分の見当違いの「喝」を久しぶりに見たりしてまったりと過ごす。しかしながら用事とは望むと望まざるに関わらず発生するものであり、友人が来筑すると言うことなので、つくばエクスプレスの駅まで迎えに行き、昼飯を食べる。グリーンカレー(手前)とイエローカレー(奥)しばらくして飯屋に別の友人も駆けつけ、そのあと筑波山に行ったりして小山まで友人を送る。帰宅して夕方より友人とこれまた自宅から徒歩圏内にあるタイ料理屋に出向く。一杯目はシンハービールをいただき、つまみに空芯菜の炒め物をやれば早くもエンジン全開である。程よく調子が上がったところで、イエローカレーとグリーンカレーを満喫する。この店はつくばに来てから何回か来ており、ココナッツミルクの利いたタイカレーの旨さにはまったのである。タイ料理といえば学食で殺意が芽生えるほど不味いトムヤムクンを食した経験しかなったのであるが、ここで食べたトムヤムクンはそれとは全くの別物であり、以後スッパ辛い味にそのよさを見出せるようになったのである。いい気分で酔っ払い、本日は終了。戻る↑
    9月2日)「骨休め」
    ゆっくりと休んでいるつもりなのだが、なぜか6時過ぎには目が覚めてしまうという悲しい性格であり、本日は自宅でボーっと過ごして来週に備えようとまったりと過ごす。すると兄より電話があり、来月末の沖縄行きについて作戦会議が執り行われる。とりあえず搭乗券を押さえるべしということでインターネットでチケットの獲得に励み、悪戦苦闘の末、予定通りの便を押さえる。ということで本日は来月末に4連休を取り出かけることが確定した以外は何の進展もなく、近所のまぐろ丼屋へ晩飯を食いに行く。先日この店に大きく掲げられていた「まぐろの仕入れ量が激減したので値段に転嫁せざるを得ません」という悲痛な張り紙はすでになく、あの騒ぎはなんだったんだろうと思いつつメニューを見ると、メニューが一新され、値段もまた一新されていたのであった。あの安かったまぐろ丼はどこに行ったのだと思いつつ飯を済ませ、カスミで酒のつまみを買って自宅で一杯やる。本日は年初に加世田で購入した芋焼酎「かせだんもん」を開封し、その旨い味わいに、この旨い酒をプレミアム焼酎などという不思議な名前で汚されたくないものだと自分だけのプレミアム焼酎に乾杯。戻る↑
    9月1日(金)「桟敷席入手」
    桟敷席券桟敷席への戦いは本日も続く。朝8時に体育館に行き、昨日自分の名前を貼り付けていた席に座っていないと整理券がもらえぬという極めて厳しい戦いが待ち受けているのである。そのため、本日はいつになく早起きをし、7時前には自宅を出発するというから我ながら気合の入り方が違うなあと感心してしまうほどである。会場は殺伐としたムードに溢れかえり、8時を前にしてその興奮度は最高潮である。8時の10分ほど前であろうか、体育館のフロアに市職員が現れ、「皆様朝早くからご苦労様です」というよくわからない挨拶をはじめたかと思うと「土浦の花火競技会は日本一です」という訳の判らない宣伝をはじめ、「昨日のプロフェッショナル仕事の流儀で野村花火が出ていましたけど、今年も野村花火は出場します」などというどうでもいい無駄な情報をリークしつつ8時を迎える。整理券を貰い、そそくさと体育館を出て発売の順番を待ち、11時前にようやく桟敷席の購入と相成る。焼き鳥「ひな」なんこつと水菜のサラダ%美味焼きおにぎりと鶏スープ昨年の教訓を生かし、昨日午後半休を取ったのが奏功したようで、あわてることなく会社に到着し昼から業務に励む。本日は適当に仕事を切り上げ、帰宅して友人と近くの焼き鳥屋に行くこととした。週末ともなれば出かけるのがこのところの御決まりであるが、今週は骨休めということにした。この焼き鳥屋はなかなか旨い店であり、なんこつと水菜のサラダなんていうすばらしいメニューがあり、酒がいくらでもすすむものである。〆に焼きおにぎりと鶏スープなんていう素晴らしい組み合わせで満足し、いい気分で帰宅。つくばにいながら徒歩で飲みにいけるというのは恵まれているんだろうなあ。戻る↑