2006年8月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 8月31日(木)「いよいよはじまる花火」
  • 8月30日(水)「東京オリンピック」
  • 8月29日(火)「グループ飲み会」
  • 8月28日(月)「生き馬の目を抜く健康診断」
  • 8月27日)「帰り道そのものが楽しみ」
  • 8月26日)「今ふたたびの対馬」
  • 8月25日(金)「車の話題いろいろ」
  • 8月24日(木)「惑星」
  • 8月23日)「シュレッダー」
  • 8月22日(火)「緩やかなプレゼン」
  • 8月21日(月)「教育訓練」
  • 8月20日)「湯殿山と山寺」
  • 8月19日)「峠」
  • 8月18日(金)「脆弱と頑健」
  • 8月17日(木)「暑いときにはエスニック」
  • 8月16日(水)「殺伐とした昼飯」
  • 8月15日(火)「自遊人パスポート」
  • 8月14日(月)「まったりと帰宅」
  • 8月13日)「車屋廻り」
  • 8月12日)「花火大会」
  • 8月11日(金)「血は争えぬ」
  • 8月10日(木)「初盆」
  • 8月9日(水)「盆休みの開始」
  • 8月8日(火)「不穏な台風の動き」
  • 8月7日(月)「TOB」
  • 8月6日)「国家百年の計」
  • 8月5日)「みとみへ」
  • 8月4日(金)「暑気払いにジンギスカン」
  • 8月3日(木)「バヌアツの幸せ」
  • 8月2日(水)「流れるプール」
  • 8月1日(火)「交通費の算出方法」


  • 今月の日記
    8月31日(木)「いよいよはじまる花火」
    8月最終日と9月初日は、土浦の花火大会に費やされる日である。この日に花火大会が執り行われるのではなく、この日に花火大会の桟敷席の販売が為されるのである。しかしながら、販売までのプロセスはかなり複雑であり、その内容は昨年の日記に書いた気がするので参照されたい。ということで、本日は無事霞ヶ浦文化体育会館の観客席に自分の名前を書いた紙を張りに行くことに成功し、明日きっちり早起きできるかが今後の焦点となったわけである。花火本番前にしていやがうえに盛り上がるように仕組まれているこのイベントは毎年熱いものがあり、花火業者同様に観客も熱い戦いを繰り広げているのである。ちなみに本日体育館の外で一番最初に並んでいた人は27日の朝から並んでいたということで、人間は情熱を傾ければ並大抵のことは克服できるのだなあと思い知らされたものであった。戻る↑
    8月30日(水)「東京オリンピック」
    今を去ること66年前、東京で第12回オリンピックが執り行われる予定であったことはあまり知られていない。第2次世界大戦が激しくなったので中止となり、その後日本が敗戦国となり、国家復興のマイルストーンのキャンペーンとして今から42年前に東京でオリンピックが執り行われることとなったのは夙に有名である。そんなオリンピックにいわくのある東京が、2016年のオリンピック国内開催候補地として選出されたのである。どうも報道記事を見る限りにおいてはまるでオリンピックの開催地に決まったかのようであり、それはちょっと気が早すぎまっせという気がしないでもない。北京で再来年オリンピックが行われることになっており、その8年後にまたアジアで開催する可能性が低そうなことや、アトランタ以来20年に亘りアメリカでオリンピックが執り行われていないなどということからも実現の可能性は決して高くないと思われる。都庁がオリンピックの五色でライトアップをするなどという味わい深いことをしているのであるが、なんとなく今年のサッカーワールドカップで本戦出場の一番乗りを果たした日本が全然振るわなかったことを思い起こしてしまうのである。戻る↑
    8月29日(火)「グループ飲み会」
    部署で日常業務を遂行するに当たり、いろいろな資格を持つ人をその部署に置かねばならないという困ったルールがあり、僕が新入社員のときに一般計量士の資格を取らされたことは4年程前の日記に書いてあるとおりである。今年の新入社員もご多聞に漏れず何がしかの国家試験を受けささられており、先週その試験は無事終了した。終了したのは試験が執り行われたのであって、結果が出たというわけではない。このような微妙な時期であるが、微妙な時期であるがゆえに飲み会をやるということが決まり、終業のベルがなると三々五々帰宅の途につき、飲み会会場に到着。上司がすでにフライングをかましていたりするのは御約束であり、全員集まって飲み会は開始である。本日の会場はビールのラインナップが素晴らしく、外国ビールの有名どころマニアどころだけでなく、エチゴビールなんていうものまで取り揃えられており、これまたいい店にめぐり合えたものだわいと感動したのであった。また、食事内容は「酒のつまみとなるもの」に限定しているところにも潔さが感じ取られたのであった。ビールばかり5種類ほど堪能し、いい気分で帰宅。戻る↑
    8月28日(月)「生き馬の目を抜く健康診断」
    昨日帰宅したのちに一杯やっていたときに、そういえば本日は健康診断だったということを思い出し、とりあえずその日中で酒は止めて寝ることとした。朝起きるとそういえば健康診断だから飯が食えないのだということで空腹で会社に向かい、会社で示し合わせた数人で近所の病院に健康診断に向かう。上司も一緒に健康診断を受けるのであるが、上司は「俺金曜日に人間ドックやから検査項目少ないねん。せやからはよ帰らしてもらうわ」と余裕をこいていたのであるが、受付を済ませた後カルテを自分の手元に置いたままにしたので待てど暮らせど上司の名前は呼ばれることはなく、その間に僕の検査はすべて終了し、それじゃお先にということで一足先に会社に戻る。仕事終了後久しぶりにみんみんの餃子でも食べに行くかと思い立ち、真岡で餃子を食べて満足して帰宅。戻る↑
    8月27日)「帰り道そのものが楽しみ」
    福岡空港の絶好の鳥見のスポット朝起きてお宿の周りを散歩し、適当に戻ると朝飯ができており、二日酔い気味の体に染み渡る結構な味わいに感動する。本日は対馬の南側をしっかりとめぐり、お昼に郷土料理である入焼(いりやき)を堪能する。入焼は、鶏肉や魚介類の鍋に対州そばをぶち込み、煮えたところで一緒にいただくという素朴な料理であるが、この鍋を囲んでいるときに話が盛り上がってしまい入っていた蕎麦が焼けてしまうまでほっておかれたという言い伝えからついた名前であり、どうもこの鍋が旨いから付けられたというポジティブなネーミングではないようである。そんな鍋であるが、地鶏のダシの利いたまことに旨いものであり、満足してレンタカーを返却し帰宅の途につく。行きは飛行機だったので、帰りは厳原からジェットフォイルを利用するのであるが、ジェットフォイルはすでに本日の分は予約で満席であり、切符売り場は必要以上に殺伐としている。そんな中事前に予約していたのでさくさくと発見してもらい時速80kmもの速度が出ることを売りにしているジェットフォイルは博多に向けて出港する。途中の船内アナウンスで「鯨とか海豚が来よったら急ハンドルかますし、もしかしたらぶつかるかしれんのでシートベルとしめとけや」という内容のアナウンスがありそんな中売店のおねえちゃんが飲み物の注文をとりに来てくれるなどなかなか面白いサービスであることに感動し船旅が続く。定刻に博多港に到着し、バスで空港を目指すが、バスの運ちゃん曰く「博多駅から地下鉄乗ってくれや」と空港に行くバス経路はマニアックなのでやめてくれと暗に諭してみたりする。そんなバスで博多駅を目指していたところ、祇園のバス停で運ちゃんが「兄ちゃん、その地下鉄入り口から乗ったほうが博多駅で乗り換えるより楽やで」と案内してくれたのでそこで乗り換え、空港に無事到着。福岡空港は飛行機の発着をかぶりつきで見ることが出来る店でビールを飲み、なかなか楽しい旅であったと反省会を執り行う。しかしながらにわかに雨雲が迫ってきており、その所為で視界不良となり、飛行機の着陸ができなくなる事態が発生し、乗り込んだ飛行機は出発が5分遅れ、離陸にそれから30分かかり、その所為で羽田到着が50分ほど遅れたのであった。なかなか世の中うまくはいかぬものである。しかしこういうことこそが旅の醍醐味である。戻る↑
    8月26日)「今ふたたびの対馬」
    オリンピックを福岡へ?今週末は対馬に行くこととした。今年の春にも御邪魔しているのであるが、やり残したことがあり、またもやの訪問である。浜松町の駅で特典航空券を発券し、最近株主優待と特典航空券とパックツアー以外で飛行機に乗らないなあと思いつつモノレールで羽田に到着。飛行機は定刻に出発し、滑走路の順番待ちが殊の外少なく飛び立つが、福岡着陸後誘導が不備であり、ほぼ定刻に到着。福岡に降り立つと「2016年オリンピックを福岡に!」という幟がガスガス掲げられており、この幟の寿命も後数日であろうと勝手に思いを巡らせ、腹ごしらえをして古の香りが漂う第1ターミナルへ。ツシマヤマネコ出没注意!福岡空港の第一ターミナルは地方便が飛び交うディープな飛行場であり、まもなくお勤めを終えるYS-11が当たり前のように駐機しており、マニアたちが熱い視線を送る場所でもある。そんな中、対馬へと飛び立ち、定刻に無事到着。レンタカー会社に行くと半年前に作った免許証のコピーが置かれており、どうやら名前を聞いてそういえば以前も利用したことがあると思い当たったらしいというからそれはそれですごい話である。ということで、「地図いりませんよね?」と観光命のレンタカー会社にあるまじきやり取りをして出発。海神神社に出向くも御朱印は今回も入手できず、和多都美神社では上手い具合に神職がおり御朱印を入手する。そののち上対馬を走り回って本日のお宿のある厳原へと南下する。お宿も以前と同じところであり、勝手を知っているのでかなり御気楽に交渉を済ませ、何の案内もされないが厳原の夜の街へと繰り出す。五島や対馬の海の幸は殊の外旨く、対馬では今が旬ですというアマダイなんかを焼いてもらいご満悦。対馬焼酎の「こっぽうもん」という地元のお酒に出会い、すばらしい味だったので帰りに酒屋で購入。なかなかいい気分で夜が更けていくのであった。戻る↑
    8月25日(金)「車の話題いろいろ」
    つくばは今週末に執り行われる「まつりつくば」なるイベントのため、メインストリートである土浦学園通りは当日閉鎖されるとあって、迂回を促す案内看板が先週あたりから設置始められている。しかしながら本日自宅近辺の道路に「駐車禁止区域」なる看板が誰の断りがあってか設置されており、道路から駐車車両が一掃されているのである。自宅前の道路は駐車禁止ではないが、この時期は致し方ないということであろうか。閑話休題、今朝会社に出向くとエクストレイルで日々出勤し、時に臨んで自転車で出社する上司が、微妙に浮かない顔で「うえだ、車気ぃつけろよ、俺車盗られたし」と言い出す始末。どうやら窃盗団が来たようで、「隣の部署の部長が盗られたときは他人事やってんけどなあ」という言葉がそのすべてを物語っているようであった。つくばという車社会では、車を取られるということはすなわち生活範囲を狭められるというわけであり、ある意味死活問題である。だからといって自分でどうするわけにも行かないから困ったものである。戻る↑
    8月24日(木)「惑星」
    太陽系惑星の軌道小学校以来「すいきんちかもくどってんかいめい」という言葉が頭の中に染み付いているのであるが、大外の冥王星はローマ神話において冥府を司る神の名をつけられたものであり、今を去ること61年前に長崎の上空で凄まじい爆発を引き起こしたプルトニウムもこの神の名からとられたものである。冥王星の歴史はどれほどであるかは不明であるが、人類が冥王星を発見してたかだか80年である。当初はどのくらいの大きさであるかについては不明なのでアバウトに地球と同じくらいじゃねえのと考えていたのであるが、よくよく調べるとかなり小さいことがわかり、ついに本日地球人の天文学者がこぞって投票をし、冥王星を惑星から外すべきかなんていう不思議な会議が行われる模様。惑星とは認められなくとも、冥王星の存在が否定されるわけではないので「2軍落ち」ぐらいのノリで構えるのがいいのかもしれない。ちなみに無駄な知識として、冥王星の楕円軌道が原因で、1979年〜1999年の間は「すいきんちかもくどってんめいかい」が正しかったということがあるが、冥王星が惑星にノミネートされなくなればなんにせよ「すいきんちかもくどってんかい」になるため今後使われることのない無駄な知識となるのであろう。戻る↑
    8月23日(水)「シュレッダー」
    個人情報保護法などという不思議な法律の結果家庭に激しく普及したものにシュレッダーがある。どうやら個人情報を読めなくしてやろうという作戦を立てる家庭が多いようで、紙を再現できぬように微塵切りにしてくれるという機能は見事である。シュレッダーは技術の向上に努め、ついにはCDやDVDなどというポリカーボネートすら微塵切りにすることが可能となったものであり、当初の情けなそうなシュレッダーから凄まじくパワーアップしたことは事実である。そんなシュレッダーが家庭に入るようになり、掴まり立ちをする子供にとっては格好の掴まる場所である高さであるこの箱に手をかけた途端に己の指を微塵切りにしてもらったものだから大変である。シュレッダーを製造販売している会社の社長が「想定していませんでした」というのは当然のことであり、モノが相当危険であることは理解されようものであるが、なにやら間違った方向に世間の考えが誘導されているようで、なんだか嫌な気分になろうものである。戻る↑
    8月22日(火)「緩やかなプレゼン」
    過去に自分がやってしまった仕事を今更ながらと思い出しつつ発表するというのはばかばかしいもので、自分で資料を一から作るなんていう暇も気力もない場合は、以前に誰かがまとめてくれた資料をザッピングしてやっつけ仕事で出来上がりというものである。出来上がったプレゼン資料の中に表現の整合性を求めてもいけないし、発表内容について今後の展開を聞かれても答えようのないものであるため、御気楽に発表を済ませて本日は終了。帰宅して、友人が中華街で買ってきたというピータンを肴にゴキュッと一杯やって夜はふけていった。戻る↑
    8月21日(月)「教育訓練」
    日々のミーティングが「教育訓練」と呼ぶものになっており、ミーティングで何を話したかについての議事録を残し、参加者の署名をした教育訓練記録書が毎度作られるというのは普通に考えるとかなり珍しい業種である。そんな業種であるが、盆休み明けには恒例となっている従事者の教育訓練という名の睡眠タイムが設けられており、昨日の修行は疲れたわいとばかりに出向く。昼下がりの大会議室は日帰り温泉施設の休憩施設宜しく睡眠学習の場であり、本日はよく寝た勉強させていただいたと実り多き勉強会によって英気が養われようものである。戻る↑
    8月20日)「湯殿山と山寺」
    湯殿山神社の大鳥居お宿を早々にチェックアウトして本日は湯殿山神社に向かう。修験道の入り口にある橋湯殿山神社は修験道の修行場であるようで、なんだかんだと寄進者の中に「山伏」などという称号を持つ方々が散見したりしていて味わい深い。バスだと5分100円で到達しますという本宮入り口まで汗を掻き掻き30分ほどで到着し、いよいよ本宮に入らんとしたところ、ゲートの前で御祓いを受ける必要があるとのこと。御祓いをうけてきれいな体になり、いざ神の領地である本宮内へ。本宮の中に何がどうなっているかは神の領地のことであり詳らかにすることは認められておらずここには書かないが、裸足で入ることの理由が大変よくわかるものであり、こんなところでこんな経験をというまことに結構なことをさせていただく。山寺(立石寺)冷たいたぬき中華@泰光%天童下山時にはもちろんバスを利用し、いざ現世である天童へと向かう。天童ではみやげ物の将棋の駒を見たりして、夏だからということで冷し中華ではなく冷たい中華を満喫。腹ごしらえもすんだということで、本日2つ目の修行の地である山寺(立石寺)に向かう。麓の駐車場から見れば遥か天上界にあるかのように見える奥の院までの1000段を越える石段を登り行くと「静かさや岩にひび入る蝉の声」で有名な寺だけあって芭蕉の歌碑だの何だのがあり、途中の塔中ごとに御朱印をもらいつつ奥の院を目指す。奥の院からの眺めは素晴らしく、その景色を見るとこれまでの疲れが吹っ飛んだかのような気がしたのであるが、下山すると完全に膝が笑い出し、明後日あたりに激しい筋肉痛が来ないかと心配しつつ帰宅。戻る↑
    8月19日)「峠」
    名物に旨いものなし峠の茶屋朝早く兄をつくば駅で拾い、いざ北に向かう。いつものごとく矢板までした道を走り、矢板から高速に。福島飯坂で下りて、最初の目的地である奥羽線の峠駅を目指す。峠駅は引込み線式の駅であったが、山形新幹線の登場により引込み線への線路が複雑怪奇となるため、本線上に駅を新たにこしらえるという至ってつまらない駅に成り下がってしまった。しかしながらかつての奥羽山脈を越える幹線であったという名残は随所にあり、鉄道が物流の主役であった時代を髣髴とさせるものであった。かつての駅前と思しきところには峠の力餅を売る峠の茶屋が現在も細々と仕事を続けており、名物に旨いものなしという定説を覆すこともなく鎮座まします御座なりな名物を味わってそこここに退散。風雪に耐えても、時代の風雪には耐えようがない何かを感じたものである。そののちかみのやま温泉で下大湯に入りフェーン現象のさなかの峠駅で掻いた汗を流して本日のお宿である田麦俣集落にある多層民家の民宿に到着。クーラーがなくとも涼しく、飯もわんさか出てくるという有難い宿であるが、夜ともなれば網戸の隙間をかいくぐって虫が襲い掛かるという困った宿であり、電燈を消して誘導を押さえたとしても畳の上でのた打ち回る虫を団扇で成敗しつつ夜はふけていった。戻る↑
    8月18日(金)「脆弱と頑健」
    脆弱という言葉は構築されたシステムがもろいときに利用される言葉であるが、プログラムがバグを含んでいたりするとき以外にはあまり用いられることはない。脆弱の対義語として頑健という言葉があるが、この言葉は自分が職務上で構築した解析モデルの適切さを説明するとき以外に用いたことはない。どうもこの二つの言葉は聞くとそれなりに意味がわかるが汎用性に乏しいようである。スパイウエアが仕込まれた電子メールが今年の終戦記念日以降、防衛庁や外務省など中央省庁の職員にあてて送られてきており、メールには、ジャストシステム社の文書作成ソフト「一太郎」で作った文書が添付してあり、「小泉首相の靖国神社参拝速報」などのタイトルがつけられているという事件が起こった。この文書を開くと、文書の中に仕込まれたスパイウエアがパソコンの内部に侵入し、保管してある情報を勝手に外部に送信するということで、何者かが省庁の情報を入手しようとしたものと見られている。このスパイウエアは「一太郎」の脆弱な欠陥を悪用しているのだが、セキュリティの専門会社であるシマンテックはこのトロイの木馬型のウィルスを性質が悪いというのに危険度を「1」(ほとんど影響なし)としているのは、ほとんど広がっていないということであるらしい。一太郎が現在どれだけのコンピュータにインストールされているかは不明であるが、Microsoft社のWordに圧倒的にシェアを取られており、このスパイウェアが蔓延したところで感染する恐れが低いということなのであろうか。脆弱という言葉とそのマニアックさ加減に符合する味わい深い出来事である。もっと穿った見方をするならば、役所では一太郎が文書作成のデフォルトになっているのを知って、省庁宛にこれを狙っていたとすれば、何気に犯人はターゲットの絞り方がおりこうさんだということになるのかもしれない。戻る↑
    8月17日(木)「暑いときにはエスニック」
    メキシコ料理といえばコロナビールどうも暑くてやってられない日々が続く。食欲が減退するなどという繊細な人格を装うような姑息な真似はしないのだが、暑いときにはやはり辛い料理を汗をかきながら食べるというものに限るのである。トリオ・ファフィータ:トルティーヤで包んで食すべし先日近所の中華料理屋で麻婆豆腐定食を食したときは、顔面汗まみれの様子に同情してか、店員が頼みもしないのに氷水を持ってきたりするが、汗をかきながら食事をするのはある意味運動である。ということで本日は近所のメキシコ料理屋に出向いた。まずはコロナビールをグビグビとやりつつ、おなじみのファヒータなどをトルティーヤに包みながら食す。傍らにはハバネロをベースにした激辛ソースなどもあり、舐めることが恐れ多いので匂いをかいでみたがそれでもその強烈さ加減はわかろうものであった。この店はチェーン店であるくせに異様に店員の教育が行き届いており、味もまた素晴らしいものである。久々の料理を堪能し、コロナビールも調子よく開けていい気分で帰宅。去年同様コロナビールのキャンペーンをやっており、一本飲むごとにスピードくじを引いたのであるが、昨年のようにTシャツが当たることもなく、コースターと栓抜きが当たったのみである。戻る↑
    8月16日(水)「殺伐とした昼飯」
    本日より仕事が再開される。昨日は調子よく飲んでしまい、朝の目覚めがいまいち厳しかったりするがあまり気にしないこととする。そんなこんなで会社に向かい、タイムカードを押してみたらば、そこには「本日御弁当屋は休みです」という凄まじい通告があった。そんな話は聞いてねえぞと思ったが、盆休みが始める前から有給をとっていたので、もしかしたらその間にそういう通達があったのかもしれないと思い、溜まっていたメールをチェックしてみたところ見事にそのとおりであり、これは大変痛しというところである。ということで本日は、昼から来るという同僚に弁当を買ってきてくれと頼み事なきを得たのであるが、ちょこっとその辺の情報伝達をきっちりしておいて貰いたいなと思ったのである。帰宅して暑いので、だれ止めに焼酎を飲んだらいい気分になってしまい、どうもこれ以上日記はかけそうにないなあ。ということで本日は終了。戻る↑
    8月15日(火)「自遊人パスポート」
    朝からまったりとすごし、溜まっている用事を片付けたりして午前中はあっという間に過ぎてしまう。昼から1週間ぶりに車を動かして給油とエンジンオイルの交換に出かける。その後近くの店で昼飯を食らいそういえば買わないといけないなと思っていた自遊人の温泉パスポートを買いに本屋に向かう。いつもであれば必ず平積みになっているはずの雑誌であるのに、どうも人気であるようで売り切れている模様。ならば別の本屋で探すかなと思いその本屋を出ようとしたら棚に一冊だけあり、最後の一冊を無事入手。今回はこれまでの倍の80湯であり、60湯以上を達成すればなぜかきっちりと記念品をくれるというところに何か不思議なシステムが構築されてしまったのだなあと思うこと仕切り。ハンコの偽造とかする奴が出てこないかが少しだけ心配。本日が終戦記念日であることや、靖国神社参拝の話は、書けば書くほど抗議して来た国が哀れに思えるだけなので書かないことにする。戻る↑
    8月14日(月)「まったりと帰宅」
    うなぎうどんスペシャル@新所原駅御盆休みもあとわずかであり、いい加減自宅に帰りそれなりにいろいろと用事があるため、本日は朝より実家を後にして帰宅の途につく。しかしながら、まっすぐ帰るけどちょこっと寄り道をしながらということで、京都より名古屋までは近鉄、名古屋から豊橋までは名鉄、豊橋から新所原まではJR、新所原から掛川までは天竜浜名湖鉄道、掛川から小田原まではJR、小田原から新宿までは小田急、新宿から新御徒町までは大江戸線、新御徒町からつくばまではTxという利用形態を取ってみた。巨大な小田原提灯@小田原駅近鉄ではビスターカーの二階に席をとったときに限ってホームのふちを短いスカートをはいたおねえちゃんが歩くとかいう悲しい思いをしたり、夏休みゆえに車内は子供のうるさい悲鳴で一杯だったりしたのであるが、心地よく名古屋まで過ごせたのはかなりいいものであった。名鉄では地下の駅で巧みに編成の操縦をして線路2本ですべての列車を巧みに捌いている相変わらずの姿に感動したりしたものであった。新所原の駅で昼飯を食べようとしたところ、天竜浜名湖鉄道の駅構内になかなか味わい深い鰻屋があり、そこには「うなぎうどんスペシャル」というものがあった。うなぎは確かにうまいものであったが、はたしてうなぎをうどんをいれる必要はどこにあったのであろうかと悩んでしまい、うな丼というものは日本人が古くから如何にしてうなぎを旨く食べるかに腐心した末の究極の形ではないかと思い立ったのであった。半日かけて戻ってきたつくばはいつもと変わらぬ涼しさであり、やはり関西は殊の外暑いのだなという思いを新たにしたのであった。戻る↑
    8月13日)「車屋廻り」
    実家の車はうえぺけ号と時を同じくして購入したものであり、そろそろ3年が経とうとしてきており車検の声が聞こえるようである。酷使のされ方はうえぺけ号よりもはるかにマイルドであり、大体5分の1ぐらいしか走行距離がないというところに落ち着きそうである。そんな実家の車であるが、やたらとぶつけるとか擦るとかという問題が頻発し、かなり生傷が絶えない状況である。運転技術という問題もあろうものであるが、事の本質は車幅感覚のなさと運転手の加齢による不注意が不可避であることが原因であることは疑いようがない。ということで、本日は親の希望でディーラー回りをし、親の希望に適う車は無かろうかといろいろと調べさせていただいた。結果からいえば、なんとなくこれでいいんじゃねえの?という車は見つかったのであるが、「技術の日産」という言葉の本質はそういうところにあったのかということをまざまざと感じさせていただけるディーラー廻りであった。戻る↑
    8月12日)「花火大会」
    冷えたビールあります@花火会場%実際は淡麗生朝より淡路島に向かって出発する。本日は毎年恒例の花火大会であり、「遠くの尺玉より近くの4号」という言葉の起源とも言うべきものである。そもそもは地元で夏の終わりに浜辺でバーベキューをやり、ついでに花火をやっていたものが、いっちょ打ち上げ花火でもやってみるかという話になり、気がつけば花火師の講習会に出ていたり参加者が100名近くになるなど毎年進歩を遂げているこの花火大会に参加するようになって7年近くになる。この花火大会は自分としては夏の風物詩でもあり、お盆の締め括りを思うイベントであり、様々な経路で淡路島に行くというなかなか楽しいイベントでもある。カキ氷製作現場@花火会場本日は舞子駅で友人と待ち合わせ、高速道路のバス停近辺で友人に拾ってもらい淡路島へ。世間一般の人は明石海峡大橋などという大それた構築物を見て感動し、そこからの景色を堪能したりするものであるということだが、すでに10回以上もこの橋をわたっている人間にとっては特段駆り立てるほどの感慨も無く橋を渡り終え、じゃんけんで負けたのでウーロン茶を飲みながら焼肉を食ったり、いい気分で酔っ払っている友人を尻目に運転手を任されたり、本日は大潮なので見ごたえがある鳴門海峡の渦潮を見たりして時間をつぶし、一風呂浴びて花火会場へ。ビールを飲みつつバーベキューを楽しみながら時間を過ごし、とっぷりと夜が更けたころに花火が開始される。毎年毎年光と音のタイムラグのない光景は感動ものであり、世界一の技術を競う土浦の花火大会とは違うが、この素晴らしさは他では味わえないという貴重な花火大会を満喫して帰宅。戻る↑
    8月11日(金)「血は争えぬ」
    実家へ帰省し、この猛暑の中母親の実家へと向かうこととなった。母親は五人兄弟の末っ子であり、母親の兄(自分にとっては伯父)が3人いるのだが、それぞれに個性的であり、3人の伯父が祖父の本質を様々な角度から再現してくれているように思われたりするものである。伯父は3人ともすでに仕事をリタイヤしており、それぞれに悠々自適の生き方をしており、各々が己の時間を過ごす様はそれぞれに味わい深い。本日はいろいろの都合があって2番目の兄のところに御邪魔したのであるが、3人の仲で一番理系で理屈っぽいこの伯父は60の手習いで写真を始め、かなりに薀蓄を垂れるようになっていたのであった。銀塩とデジタルという違いはあれど、被写体を切り取るという作業にそれなりに興味を持つということで一頻り写真談義などをしていたのであるが、やはり自分の凝り性ぶりと理屈っぽさは何かしら遺伝しているように思われたのであった。また、遺伝というのはその素質のみがあることで成立するものではなく、その素質を開花させる環境を許容しているが故に発現するものであり、世間で言う「血は争えない」はそういう意味も含めてのものではないかと思ったりする夏の一日であった。帰宅して友人宅に遊びにゆき、元気な子供を見てあやしたりして楽しく時を過ごす。戻る↑
    8月10日(木)「初盆」
    さて、盆休みを早めて帰省した理由は昨年身罷った祖母の初盆のためである。10時から始まるというのであるが、9時半ごろから「遅なりまして」とやってくる近所の方を出迎え、10分前にお越しになるも袈裟を忘れたという味わい深いお上人待ちの後に初盆が執り行われる。恙無く終了し、その後は久しぶりに旨いものを食べに家族で出かける。京都の夏といえば、ということで鱧が食いたいなと持っていたところ、きっちりと鱧がでてきたところはさすがである。昼間からいい気分で酔っ払いクーラーをかけてぐっすりと眠って疲れを取る。本日はそういうことで暑さを実感することはさほどなかったのであるが、ちょこっと用事を言い付かって外出すると外は陽炎が揺らめき光り輝く灼熱地獄であり、やはり関西の夏はただものではないと思わずにはいられぬものがあるのであった。戻る↑
    8月9日(水)「盆休みの開始」
    昨日の続きぽいが、朝起きると雨がかなり降っており、テレビの台風情報はこちらの予想通り根性のない太平洋高気圧をあざ笑うかのように進路を激しく東の方向に変え、まさしくこちらに向かってきているようである。ということは、と冷静に考えると夕刻には確実に台風は抜けてしまうであろうし、そうなれば実家に帰る際にすでに土砂崩れでも起こしていない限りは支障を生じることはあるまいと御気楽に構えて出社。朝からごちゃごちゃと仕事をこなし夕刻より実家への帰省の途につく。北千住駅のみどりの窓口は長蛇の列であり、どうやらマニアックな切符をお買い求めになられる御仁や、多分その便は満席ですよという列車の切符ばかり所望され、優等列車の指定券を第5候補あたりまで引き下げられておられる御仁や、買って来いといわれた切符が買えず携帯電話でその場で指示を仰ぐ御仁や、払い戻しゆえの不思議な処理に時間を要する御仁がいらっしゃる模様。行列ができているときに好き好んで斯様なめんどくさい処理を所望するのはいかがなものかとは思うが、そのような御仁がいるが故に行列ができているという説もあり、ニワトリと卵の如くその議論に結論はでるはずもない。東京駅より乗り込んだのぞみ車内でまったりと時速270kmで寛いでいたところ、調子よくウイスキーを注入していた前の席のオヤジがいきなりお好焼き製造マシーンと化し、酸味溢れるflavorが車内を席巻する事態に遭遇。専務車掌が駆けつけて後処理をしていたのであるが、マシーンと化したオヤジは一仕事成し遂げた余韻に浸りつつも苦悩の表情を浮かべて座席に埋もれていたのである。意識を取り戻したオヤジが名古屋で降り立ったあとに、その席に何も知らぬ御仁がやってきて何の躊躇いもなく着席されたことは衆目の知るところであるが、その御仁に先ほどの顛末を教えるも地獄教えぬも地獄である。斯様な人間ドラマを拝観させて頂き被暑地である京都に到着。さすがに夜も更けており涼しいのであるが、明日からの暑さに果たして耐えられるのか知らん。戻る↑
    8月8日(火)「不穏な台風の動き」
    梅雨が明け、太平洋高気圧が支配的になったときには台風が東日本に迫ってくることは稀である。台風は太平洋高気圧に遠慮して西よりのルートを取るため西日本や沖縄に台風が来るのは今の時期であり、日本列島を縦断するようなご丁寧なルートを取るのは太平洋高気圧が弱ってきて南の海上に撤退される秋以降というのが定番である。しかしながら今年の太平洋高気圧は最前まではオホーツク寒気団に押され、やっとのことで押し戻したところでお越しになられた台風を撥ね退けるほどの力は無いようで、高気圧の縁を台風がくるくると回りながら進むことを許容されている模様。そのせいで東海地方ではずいぶんと激しく雨が降ったり風が吹いたりしており、明日の夜に実家に帰る予定を立てている人間を無闇にやきもきさせているのである。戻る↑
    8月7日(月)「TOB」
    日本製紙クレインズ王子製紙ホッケー部Take Over Bid、もしくはTender Offer Bidの頭文字をとって「TOB」という言葉がやたらと世間を賑わせている。日本の製紙業界を必要以上に燃え上がらせている話題であるが、これは製紙業界の困った事情がある。製紙業には原料となる大量のパルプが必要であり、そのためにはどこからともなく木材を調達しないといけないわけである。高温多湿のわが国は木材に困ることは本来なく、伐採したとしても再生産が可能であるため、本来は日本にとって都合のいい業種であったはずである。しかも木材の調達そのものは外国から買うよりも自分が持ち主である山林から持ってくればいいわけであり、近代産業の黎明期において製紙業界に進出せんとした実業家のそのほとんどが「山林王」であったことは想像に難くない。しかしながら、まさしく「お山の大将」であったオーナー社長が最も嫌う「合従連衡」をしないことには所詮どんぐりの背比べのままであり、「大きいことはいいことだ」というスケールメリットを武器に外国企業が攻め込んできたときに太刀打ちができないのである。もし日本の製紙業界を本当に世界レベルに持ち上げようと考えているのであれば、アイスホッケーの試合を見るのが少しばかり好きだというマニアックな自分の趣味を犠牲にしてでも、北越製紙というおねえちゃんの取り合いにうつつを抜かす自称紳士気取りの日本製紙とやくざな王子製紙が合併すればいいわけである。スケールメリットだけで生き延びることを考えているのであれば、そこまでしないと生きていけないというのは明らかである。逆にそれ以外の生きる道を考えているのであれば、このTOBは必要ではないのである。戻る↑
    8月6日)「国家百年の計」
    長野県日本という国は四季の移り変わりがあり、寒暖の差が激しく、降水量も世界で有数の多さを誇る。このような国を世間一般的には「ランニングコストの高い国」と言うのであるが、内陸県の長野県ではその縮図ともいうべきものが見て取れるものである。日本と言う国が土建国家であるというのは間違いがないのであり、公共工事が諸外国と比べて突出して高いという困った統計結果を我田引水的に引用する不思議な理論構築には頭をひねらずには居られないのである。件の田中氏は「脱ダム宣言」なるものをスローガンに無駄な公共工事を辞めるべきだと言う姿勢を示していたのであるが、県民の意見は従来どおりの公共工事は必要だと言うものであったという風に解釈されている。新しい知事となった村井氏は岡谷の水害は脱ダム宣言という陳腐な政策のツケであるとネガティブキャンペーンを張っていたのであるが、100年に一度の水害は防ぎようがないのである。縦しんば防げたとしても100年に一度の水害に耐えられるための工事はコストパフォーマンスが激しく悪いため、やるべきものとは思えぬと言うのが現実的な考え方であろう。戻る↑
    8月5日)「みとみへ」
    巫女人形(使用後)@氷川女體神社夏は暑いのである。梅雨が完全に明けたのは明らかだが、近年気象庁は「梅雨明け宣言」ではなく「どうやら梅雨が明けていたみたいです宣言」ぐらいに留めており、「もし戻り梅雨になっても怒らないでね」ぐらいの弱腰が感じ取れる。そんな弱腰はもはや不要ですぜダンナとでもいいたげなこの激しい日差しの中、本日の目的地である山梨のみとみを目指すこととした。大宮氷川神社の参道みとみは毎年八月の第一土曜日にオフ会が開かれる場所であり、標高1000mを超える道の駅は夜ともなれば大変涼しく、絶好の避暑地である。今年はとりあえずさいたまにある氷川女体神社と氷川神社に立ち寄り、御朱印をもらうこととした。氷川女体神社はこじんまりした神社であり、街の中心で大きな敷地を誇る神社とは違い、こじんまりした鎮守の森のようなところにあり、周りの林が近所の住民の憩いの場所となるようなところである。そんなところであるから神職も肩肘を張らずに生活しており、御朱印をいただかんと社務所の呼び鈴を押してみるとステテコとランニングシャツ姿ですっかりお寛ぎになられている姿で登場と相成る。しかしながら衣装はともかく神職は神職であり、御朱印をいただくときには遠くからお参りご苦労様ですと挨拶をしていただけるものである。この神社には「巫女人形」というものがあり、願いがかなうとこの人形に着物を着せてこちらに奉納するという面白いものがあったのである。こんなほんわかした氷川女体神社を後にして、大宮の氷川神社に向かう。大宮氷川神社は全国の氷川神社の総本山のような存在であり、どうやら武蔵の民族が全国展開したときにその地に氷川神社を建立したんだそうで、さいたまの都心ど真ん中に広大な敷地を構える神社である。駐車場にも係員がおり、「本日はどのような御用事で?」「参拝でしたら30分を目安にお戻りください」とやたらとぎすぎすしたところである。御朱印を貰う間に待合室にクーラーがかかっているとかという大きな神社ならではのサービスがあるのはうれしいが、やはり個人的には鎮守の森クラスの神社が落ち着くと言うものである。御朱印をもらい、八王子に抜け、甲府から山奥に入り日がとっぷり暮れたころに道の駅みとみに到着する。すでに昼間の暑さは影を潜め、20度前後の涼しい中で宴会をして夜は更けてゆくのであった。戻る↑
    8月4日(金)「暑気払いにジンギスカン」
    梅雨があけ、猛暑がもうしょうがないという感じで襲い掛かるのであるが、本日は今年二度目の土用の丑の日である。ならば本日は鰻でもと思うところであるが、今年はすでに12日前の土用の丑の日にすでに味わい深いうなぎをいただいており、2回も食べるのは芸がないというものである。ということでどうしたものかといろいろと考えを張り巡らし、やはり暑いときはジンギスカン鍋をという話がまとまった。夜に友人宅に出向いたところ、すでに準備は出来上がっており、使い捨てジンギスカン鍋という最強兵器を用いた夕食が始まる。まずは北海道に敬意を表してサッポロクラシックをゴキュっとやり後は羊肉と野菜をもしゃもしゃいただくという寸法である。三人で1キロのラム肉は綺麗に片付けられ、北の大地に思いを馳せる宴は無事終了である。やはり夏は暑いものを食べるに限るなと思いを新たにしたものである。戻る↑
    8月3日(木)「バヌアツの幸せ」
    エロマンガ島(地図)幸せの尺度は人それぞれである。先日イギリスの某シンクタンクが発表した世界各国の幸せ度ランキングというかなり不思議なランキングでは、バヌアツが1位を獲得したそうである。「バヌアツ」とは現地のビスマラ語で「我々の土地」という意味であり、漢字表記すると「瓦努阿図」となる。南太平洋に浮かぶ島嶼国家であるバヌアツについて我々日本人が知りえている特異的な情報と言えば、この国がバンジージャンプの発祥の地であることと、エロマンガ島という島があることである。この国を幸せな国だと決めた基準はきっとGoogleの検索結果で自分のページを前に出すにはどうすればいいかについて数多のパラメータを考慮しなければいけないことと同じくらい複雑なのでブラックボックス化されていても仕方ないであろうと思われるものであり、それについてはあまり問わぬこととしておく。しかしながらこのランキングで「先進国」と呼ばれている国が軒並み低位に喘いでいるのは経済力というパラメータが寄与する割合が低いからではないかと思ったり、彼のエロマンガ島における白人に搾取された歴史をこっそり思い出したりするには十分すぎることかもしれない。戻る↑
    8月2日(水)「流れるプール」
    流れるプール(イメージ)夏目漱石は著書「草枕」で、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と書いている。世の中に流されて生きるのは気楽なんである。しかしながら、若い身空で流されるがままに生きるなどということをする人間に碌な者はおらず、やはりうわべだけでもいいから流れに逆らおうとする尾崎豊よろしく流れに逆らってでも生きようとする根性を養ってもらいたいものである。そんな中、昨今はプールというと、水を循環させるときに水流を発生させる「流れるプール」が主流となっており、自分であくせく泳がずとも流されてしまい、月亭可朝の「ぐるりと回って元の位置」に戻ってきたりするものである。こんな世の中の流れを嘆かわしいと勝手に妄想するつもりはない。しかしながらプールの水に流れを引き起こそうなどという大それたこと成し遂げるそのダイナモには30万トンクラスのタンカーのスクリューでも蠢いているのではないかと勝手に想像してしまおうものであり、水流の入り口にきっちりと網をかけておかねば大変なことになろうことは想像に難くない。万が一吸い込まれたときの精神的なダメージは、筒井康隆の風呂の排水溝での体験に匹敵しようものである。肉体的なダメージがどの程度であるかについてははからずしも実証されてしまい、「不死身の」市もえらいことになったものだと頭を抱えていることであろう。それにしても「流れるプール」とは不思議な表現である。プール流れるのではなく、プール流れるのになぜこんな表現なのだろう?「(水が)流れるプール」ということなんだろうけど、へんな表現だと思う今日この頃。 戻る↑
    8月1日(火)「交通費の算出方法」
    ガソリンスタンド意外なことであるが、会社は従業員の交通費を出さなければならないという決まりはなく、会社が交通費を出しているのはあくまでも「福利厚生」の一環なのである。そのため、実際の通勤経路での定期代を支給している会社はあくまでも「交通費に相当する額」を支出しているわけであり、実際の交通費を支給しているわけではないのである。さて、つくばという街は現在一息ついた「平成の大合併」とやらに先駆ける事20年前に周辺の町村が合併してできた自治体であり、もともとは閑散とした農村であったことは記憶に新しい。さて、そんな農村であるがゆえにバスの便は少ない。それゆえ、会社への交通手段は車通勤ということになり、この場合に交通費はどのように支払われるかが大いに興味のもたれるところである。本日全国一斉にガソリンの値上げが行われ、実際にかかった費用をいただけないことには持ち出しが多くなってしまうのではないかと思ってしまうところである。しかしながら、車通勤で実際にかかった費用を算出する事は不可能であるし、よしんば算出できても公平性が保たれることはないという困ったことがある。落としどころの難しい問題である。戻る↑