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朝起きてお宿の周りを散歩し、適当に戻ると朝飯ができており、二日酔い気味の体に染み渡る結構な味わいに感動する。本日は対馬の南側をしっかりとめぐり、お昼に郷土料理である入焼(いりやき)を堪能する。入焼は、鶏肉や魚介類の鍋に対州そばをぶち込み、煮えたところで一緒にいただくという素朴な料理であるが、この鍋を囲んでいるときに話が盛り上がってしまい入っていた蕎麦が焼けてしまうまでほっておかれたという言い伝えからついた名前であり、どうもこの鍋が旨いから付けられたというポジティブなネーミングではないようである。そんな鍋であるが、地鶏のダシの利いたまことに旨いものであり、満足してレンタカーを返却し帰宅の途につく。行きは飛行機だったので、帰りは厳原からジェットフォイルを利用するのであるが、ジェットフォイルはすでに本日の分は予約で満席であり、切符売り場は必要以上に殺伐としている。そんな中事前に予約していたのでさくさくと発見してもらい時速80kmもの速度が出ることを売りにしているジェットフォイルは博多に向けて出港する。途中の船内アナウンスで「鯨とか海豚が来よったら急ハンドルかますし、もしかしたらぶつかるかしれんのでシートベルとしめとけや」という内容のアナウンスがありそんな中売店のおねえちゃんが飲み物の注文をとりに来てくれるなどなかなか面白いサービスであることに感動し船旅が続く。定刻に博多港に到着し、バスで空港を目指すが、バスの運ちゃん曰く「博多駅から地下鉄乗ってくれや」と空港に行くバス経路はマニアックなのでやめてくれと暗に諭してみたりする。そんなバスで博多駅を目指していたところ、祇園のバス停で運ちゃんが「兄ちゃん、その地下鉄入り口から乗ったほうが博多駅で乗り換えるより楽やで」と案内してくれたのでそこで乗り換え、空港に無事到着。福岡空港は飛行機の発着をかぶりつきで見ることが出来る店でビールを飲み、なかなか楽しい旅であったと反省会を執り行う。しかしながらにわかに雨雲が迫ってきており、その所為で視界不良となり、飛行機の着陸ができなくなる事態が発生し、乗り込んだ飛行機は出発が5分遅れ、離陸にそれから30分かかり、その所為で羽田到着が50分ほど遅れたのであった。なかなか世の中うまくはいかぬものである。しかしこういうことこそが旅の醍醐味である。戻る↑
今週末は対馬に行くこととした。今年の春にも御邪魔しているのであるが、やり残したことがあり、またもやの訪問である。浜松町の駅で特典航空券を発券し、最近株主優待と特典航空券とパックツアー以外で飛行機に乗らないなあと思いつつモノレールで羽田に到着。飛行機は定刻に出発し、滑走路の順番待ちが殊の外少なく飛び立つが、福岡着陸後誘導が不備であり、ほぼ定刻に到着。福岡に降り立つと「2016年オリンピックを福岡に!」という幟がガスガス掲げられており、この幟の寿命も後数日であろうと勝手に思いを巡らせ、腹ごしらえをして古の香りが漂う第1ターミナルへ。
福岡空港の第一ターミナルは地方便が飛び交うディープな飛行場であり、まもなくお勤めを終えるYS-11が当たり前のように駐機しており、マニアたちが熱い視線を送る場所でもある。そんな中、対馬へと飛び立ち、定刻に無事到着。レンタカー会社に行くと半年前に作った免許証のコピーが置かれており、どうやら名前を聞いてそういえば以前も利用したことがあると思い当たったらしいというからそれはそれですごい話である。ということで、「地図いりませんよね?」と観光命のレンタカー会社にあるまじきやり取りをして出発。海神神社に出向くも御朱印は今回も入手できず、和多都美神社では上手い具合に神職がおり御朱印を入手する。そののち上対馬を走り回って本日のお宿のある厳原へと南下する。お宿も以前と同じところであり、勝手を知っているのでかなり御気楽に交渉を済ませ、何の案内もされないが厳原の夜の街へと繰り出す。五島や対馬の海の幸は殊の外旨く、対馬では今が旬ですというアマダイなんかを焼いてもらいご満悦。対馬焼酎の「こっぽうもん」という地元のお酒に出会い、すばらしい味だったので帰りに酒屋で購入。なかなかいい気分で夜が更けていくのであった。戻る↑
小学校以来「すいきんちかもくどってんかいめい」という言葉が頭の中に染み付いているのであるが、大外の冥王星はローマ神話において冥府を司る神の名をつけられたものであり、今を去ること61年前に長崎の上空で凄まじい爆発を引き起こしたプルトニウムもこの神の名からとられたものである。冥王星の歴史はどれほどであるかは不明であるが、人類が冥王星を発見してたかだか80年である。当初はどのくらいの大きさであるかについては不明なのでアバウトに地球と同じくらいじゃねえのと考えていたのであるが、よくよく調べるとかなり小さいことがわかり、ついに本日地球人の天文学者がこぞって投票をし、冥王星を惑星から外すべきかなんていう不思議な会議が行われる模様。惑星とは認められなくとも、冥王星の存在が否定されるわけではないので「2軍落ち」ぐらいのノリで構えるのがいいのかもしれない。ちなみに無駄な知識として、冥王星の楕円軌道が原因で、1979年〜1999年の間は「すいきんちかもくどってんめいかい」が正しかったということがあるが、冥王星が惑星にノミネートされなくなればなんにせよ「すいきんちかもくどってんかい」になるため今後使われることのない無駄な知識となるのであろう。戻る↑
お宿を早々にチェックアウトして本日は湯殿山神社に向かう。
湯殿山神社は修験道の修行場であるようで、なんだかんだと寄進者の中に「山伏」などという称号を持つ方々が散見したりしていて味わい深い。バスだと5分100円で到達しますという本宮入り口まで汗を掻き掻き30分ほどで到着し、いよいよ本宮に入らんとしたところ、ゲートの前で御祓いを受ける必要があるとのこと。御祓いをうけてきれいな体になり、いざ神の領地である本宮内へ。本宮の中に何がどうなっているかは神の領地のことであり詳らかにすることは認められておらずここには書かないが、裸足で入ることの理由が大変よくわかるものであり、こんなところでこんな経験をというまことに結構なことをさせていただく。
下山時にはもちろんバスを利用し、いざ現世である天童へと向かう。天童ではみやげ物の将棋の駒を見たりして、夏だからということで冷し中華ではなく冷たい中華を満喫。腹ごしらえもすんだということで、本日2つ目の修行の地である山寺(立石寺)に向かう。麓の駐車場から見れば遥か天上界にあるかのように見える奥の院までの1000段を越える石段を登り行くと「静かさや岩にひび入る蝉の声」で有名な寺だけあって芭蕉の歌碑だの何だのがあり、途中の塔中ごとに御朱印をもらいつつ奥の院を目指す。奥の院からの眺めは素晴らしく、その景色を見るとこれまでの疲れが吹っ飛んだかのような気がしたのであるが、下山すると完全に膝が笑い出し、明後日あたりに激しい筋肉痛が来ないかと心配しつつ帰宅。戻る↑
朝早く兄をつくば駅で拾い、いざ北に向かう。いつものごとく矢板までした道を走り、矢板から高速に。福島飯坂で下りて、最初の目的地である奥羽線の峠駅を目指す。峠駅は引込み線式の駅であったが、山形新幹線の登場により引込み線への線路が複雑怪奇となるため、本線上に駅を新たにこしらえるという至ってつまらない駅に成り下がってしまった。しかしながらかつての奥羽山脈を越える幹線であったという名残は随所にあり、鉄道が物流の主役であった時代を髣髴とさせるものであった。かつての駅前と思しきところには峠の力餅を売る峠の茶屋が現在も細々と仕事を続けており、名物に旨いものなしという定説を覆すこともなく鎮座まします御座なりな名物を味わってそこここに退散。風雪に耐えても、時代の風雪には耐えようがない何かを感じたものである。そののちかみのやま温泉で下大湯に入りフェーン現象のさなかの峠駅で掻いた汗を流して本日のお宿である田麦俣集落にある多層民家の民宿に到着。クーラーがなくとも涼しく、飯もわんさか出てくるという有難い宿であるが、夜ともなれば網戸の隙間をかいくぐって虫が襲い掛かるという困った宿であり、電燈を消して誘導を押さえたとしても畳の上でのた打ち回る虫を団扇で成敗しつつ夜はふけていった。戻る↑
どうも暑くてやってられない日々が続く。食欲が減退するなどという繊細な人格を装うような姑息な真似はしないのだが、暑いときにはやはり辛い料理を汗をかきながら食べるというものに限るのである。
先日近所の中華料理屋で麻婆豆腐定食を食したときは、顔面汗まみれの様子に同情してか、店員が頼みもしないのに氷水を持ってきたりするが、汗をかきながら食事をするのはある意味運動である。ということで本日は近所のメキシコ料理屋に出向いた。まずはコロナビールをグビグビとやりつつ、おなじみのファヒータなどをトルティーヤに包みながら食す。傍らにはハバネロをベースにした激辛ソースなどもあり、舐めることが恐れ多いので匂いをかいでみたがそれでもその強烈さ加減はわかろうものであった。この店はチェーン店であるくせに異様に店員の教育が行き届いており、味もまた素晴らしいものである。久々の料理を堪能し、コロナビールも調子よく開けていい気分で帰宅。去年同様コロナビールのキャンペーンをやっており、一本飲むごとにスピードくじを引いたのであるが、昨年のようにTシャツが当たることもなく、コースターと栓抜きが当たったのみである。戻る↑
御盆休みもあとわずかであり、いい加減自宅に帰りそれなりにいろいろと用事があるため、本日は朝より実家を後にして帰宅の途につく。しかしながら、まっすぐ帰るけどちょこっと寄り道をしながらということで、京都より名古屋までは近鉄、名古屋から豊橋までは名鉄、豊橋から新所原まではJR、新所原から掛川までは天竜浜名湖鉄道、掛川から小田原まではJR、小田原から新宿までは小田急、新宿から新御徒町までは大江戸線、新御徒町からつくばまではTxという利用形態を取ってみた。
近鉄ではビスターカーの二階に席をとったときに限ってホームのふちを短いスカートをはいたおねえちゃんが歩くとかいう悲しい思いをしたり、夏休みゆえに車内は子供のうるさい悲鳴で一杯だったりしたのであるが、心地よく名古屋まで過ごせたのはかなりいいものであった。名鉄では地下の駅で巧みに編成の操縦をして線路2本ですべての列車を巧みに捌いている相変わらずの姿に感動したりしたものであった。新所原の駅で昼飯を食べようとしたところ、天竜浜名湖鉄道の駅構内になかなか味わい深い鰻屋があり、そこには「うなぎうどんスペシャル」というものがあった。うなぎは確かにうまいものであったが、はたしてうなぎをうどんをいれる必要はどこにあったのであろうかと悩んでしまい、うな丼というものは日本人が古くから如何にしてうなぎを旨く食べるかに腐心した末の究極の形ではないかと思い立ったのであった。半日かけて戻ってきたつくばはいつもと変わらぬ涼しさであり、やはり関西は殊の外暑いのだなという思いを新たにしたのであった。戻る↑
朝より淡路島に向かって出発する。本日は毎年恒例の花火大会であり、「遠くの尺玉より近くの4号」という言葉の起源とも言うべきものである。そもそもは地元で夏の終わりに浜辺でバーベキューをやり、ついでに花火をやっていたものが、いっちょ打ち上げ花火でもやってみるかという話になり、気がつけば花火師の講習会に出ていたり参加者が100名近くになるなど毎年進歩を遂げているこの花火大会に参加するようになって7年近くになる。この花火大会は自分としては夏の風物詩でもあり、お盆の締め括りを思うイベントであり、様々な経路で淡路島に行くというなかなか楽しいイベントでもある。
本日は舞子駅で友人と待ち合わせ、高速道路のバス停近辺で友人に拾ってもらい淡路島へ。世間一般の人は明石海峡大橋などという大それた構築物を見て感動し、そこからの景色を堪能したりするものであるということだが、すでに10回以上もこの橋をわたっている人間にとっては特段駆り立てるほどの感慨も無く橋を渡り終え、じゃんけんで負けたのでウーロン茶を飲みながら焼肉を食ったり、いい気分で酔っ払っている友人を尻目に運転手を任されたり、本日は大潮なので見ごたえがある鳴門海峡の渦潮を見たりして時間をつぶし、一風呂浴びて花火会場へ。ビールを飲みつつバーベキューを楽しみながら時間を過ごし、とっぷりと夜が更けたころに花火が開始される。毎年毎年光と音のタイムラグのない光景は感動ものであり、世界一の技術を競う土浦の花火大会とは違うが、この素晴らしさは他では味わえないという貴重な花火大会を満喫して帰宅。戻る↑

Take Over Bid、もしくはTender Offer Bidの頭文字をとって「TOB」という言葉がやたらと世間を賑わせている。日本の製紙業界を必要以上に燃え上がらせている話題であるが、これは製紙業界の困った事情がある。製紙業には原料となる大量のパルプが必要であり、そのためにはどこからともなく木材を調達しないといけないわけである。高温多湿のわが国は木材に困ることは本来なく、伐採したとしても再生産が可能であるため、本来は日本にとって都合のいい業種であったはずである。しかも木材の調達そのものは外国から買うよりも自分が持ち主である山林から持ってくればいいわけであり、近代産業の黎明期において製紙業界に進出せんとした実業家のそのほとんどが「山林王」であったことは想像に難くない。しかしながら、まさしく「お山の大将」であったオーナー社長が最も嫌う「合従連衡」をしないことには所詮どんぐりの背比べのままであり、「大きいことはいいことだ」というスケールメリットを武器に外国企業が攻め込んできたときに太刀打ちができないのである。もし日本の製紙業界を本当に世界レベルに持ち上げようと考えているのであれば、アイスホッケーの試合を見るのが少しばかり好きだというマニアックな自分の趣味を犠牲にしてでも、北越製紙というおねえちゃんの取り合いにうつつを抜かす自称紳士気取りの日本製紙とやくざな王子製紙が合併すればいいわけである。スケールメリットだけで生き延びることを考えているのであれば、そこまでしないと生きていけないというのは明らかである。逆にそれ以外の生きる道を考えているのであれば、このTOBは必要ではないのである。戻る↑
日本という国は四季の移り変わりがあり、寒暖の差が激しく、降水量も世界で有数の多さを誇る。このような国を世間一般的には「ランニングコストの高い国」と言うのであるが、内陸県の長野県ではその縮図ともいうべきものが見て取れるものである。日本と言う国が土建国家であるというのは間違いがないのであり、公共工事が諸外国と比べて突出して高いという困った統計結果を我田引水的に引用する不思議な理論構築には頭をひねらずには居られないのである。件の田中氏は「脱ダム宣言」なるものをスローガンに無駄な公共工事を辞めるべきだと言う姿勢を示していたのであるが、県民の意見は従来どおりの公共工事は必要だと言うものであったという風に解釈されている。新しい知事となった村井氏は岡谷の水害は脱ダム宣言という陳腐な政策のツケであるとネガティブキャンペーンを張っていたのであるが、100年に一度の水害は防ぎようがないのである。縦しんば防げたとしても100年に一度の水害に耐えられるための工事はコストパフォーマンスが激しく悪いため、やるべきものとは思えぬと言うのが現実的な考え方であろう。戻る↑
夏は暑いのである。梅雨が完全に明けたのは明らかだが、近年気象庁は「梅雨明け宣言」ではなく「どうやら梅雨が明けていたみたいです宣言」ぐらいに留めており、「もし戻り梅雨になっても怒らないでね」ぐらいの弱腰が感じ取れる。そんな弱腰はもはや不要ですぜダンナとでもいいたげなこの激しい日差しの中、本日の目的地である山梨のみとみを目指すこととした。
みとみは毎年八月の第一土曜日にオフ会が開かれる場所であり、標高1000mを超える道の駅は夜ともなれば大変涼しく、絶好の避暑地である。今年はとりあえずさいたまにある氷川女体神社と氷川神社に立ち寄り、御朱印をもらうこととした。氷川女体神社はこじんまりした神社であり、街の中心で大きな敷地を誇る神社とは違い、こじんまりした鎮守の森のようなところにあり、周りの林が近所の住民の憩いの場所となるようなところである。そんなところであるから神職も肩肘を張らずに生活しており、御朱印をいただかんと社務所の呼び鈴を押してみるとステテコとランニングシャツ姿ですっかりお寛ぎになられている姿で登場と相成る。しかしながら衣装はともかく神職は神職であり、御朱印をいただくときには遠くからお参りご苦労様ですと挨拶をしていただけるものである。この神社には「巫女人形」というものがあり、願いがかなうとこの人形に着物を着せてこちらに奉納するという面白いものがあったのである。こんなほんわかした氷川女体神社を後にして、大宮の氷川神社に向かう。大宮氷川神社は全国の氷川神社の総本山のような存在であり、どうやら武蔵の民族が全国展開したときにその地に氷川神社を建立したんだそうで、さいたまの都心ど真ん中に広大な敷地を構える神社である。駐車場にも係員がおり、「本日はどのような御用事で?」「参拝でしたら30分を目安にお戻りください」とやたらとぎすぎすしたところである。御朱印を貰う間に待合室にクーラーがかかっているとかという大きな神社ならではのサービスがあるのはうれしいが、やはり個人的には鎮守の森クラスの神社が落ち着くと言うものである。御朱印をもらい、八王子に抜け、甲府から山奥に入り日がとっぷり暮れたころに道の駅みとみに到着する。すでに昼間の暑さは影を潜め、20度前後の涼しい中で宴会をして夜は更けてゆくのであった。戻る↑
幸せの尺度は人それぞれである。先日イギリスの某シンクタンクが発表した世界各国の幸せ度ランキングというかなり不思議なランキングでは、バヌアツが1位を獲得したそうである。「バヌアツ」とは現地のビスマラ語で「我々の土地」という意味であり、漢字表記すると「瓦努阿図」となる。南太平洋に浮かぶ島嶼国家であるバヌアツについて我々日本人が知りえている特異的な情報と言えば、この国がバンジージャンプの発祥の地であることと、エロマンガ島という島があることである。この国を幸せな国だと決めた基準はきっとGoogleの検索結果で自分のページを前に出すにはどうすればいいかについて数多のパラメータを考慮しなければいけないことと同じくらい複雑なのでブラックボックス化されていても仕方ないであろうと思われるものであり、それについてはあまり問わぬこととしておく。しかしながらこのランキングで「先進国」と呼ばれている国が軒並み低位に喘いでいるのは経済力というパラメータが寄与する割合が低いからではないかと思ったり、彼のエロマンガ島における白人に搾取された歴史をこっそり思い出したりするには十分すぎることかもしれない。戻る↑
夏目漱石は著書「草枕」で、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と書いている。世の中に流されて生きるのは気楽なんである。しかしながら、若い身空で流されるがままに生きるなどということをする人間に碌な者はおらず、やはりうわべだけでもいいから流れに逆らおうとする尾崎豊よろしく流れに逆らってでも生きようとする根性を養ってもらいたいものである。そんな中、昨今はプールというと、水を循環させるときに水流を発生させる「流れるプール」が主流となっており、自分であくせく泳がずとも流されてしまい、月亭可朝の「ぐるりと回って元の位置」に戻ってきたりするものである。こんな世の中の流れを嘆かわしいと勝手に妄想するつもりはない。しかしながらプールの水に流れを引き起こそうなどという大それたこと成し遂げるそのダイナモには30万トンクラスのタンカーのスクリューでも蠢いているのではないかと勝手に想像してしまおうものであり、水流の入り口にきっちりと網をかけておかねば大変なことになろうことは想像に難くない。万が一吸い込まれたときの精神的なダメージは、筒井康隆の風呂の排水溝での体験に匹敵しようものである。肉体的なダメージがどの程度であるかについてははからずしも実証されてしまい、「不死身の」市もえらいことになったものだと頭を抱えていることであろう。それにしても「流れるプール」とは不思議な表現である。プールが流れるのではなく、プールで流れるのになぜこんな表現なのだろう?「(水が)流れるプール」ということなんだろうけど、へんな表現だと思う今日この頃。
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意外なことであるが、会社は従業員の交通費を出さなければならないという決まりはなく、会社が交通費を出しているのはあくまでも「福利厚生」の一環なのである。そのため、実際の通勤経路での定期代を支給している会社はあくまでも「交通費に相当する額」を支出しているわけであり、実際の交通費を支給しているわけではないのである。さて、つくばという街は現在一息ついた「平成の大合併」とやらに先駆ける事20年前に周辺の町村が合併してできた自治体であり、もともとは閑散とした農村であったことは記憶に新しい。さて、そんな農村であるがゆえにバスの便は少ない。それゆえ、会社への交通手段は車通勤ということになり、この場合に交通費はどのように支払われるかが大いに興味のもたれるところである。本日全国一斉にガソリンの値上げが行われ、実際にかかった費用をいただけないことには持ち出しが多くなってしまうのではないかと思ってしまうところである。しかしながら、車通勤で実際にかかった費用を算出する事は不可能であるし、よしんば算出できても公平性が保たれることはないという困ったことがある。落としどころの難しい問題である。戻る↑