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先日不在票が入っていたので、昨日徐に郵便局に取りに出向いた荷物の中身は、某社が株主に対して年に一度贈ってくる中元ともいうべきものであり、昨年はチョリソーだの何だのとバラエティに富んでいたが、今年はハム屋を傘下に収めたことにより、そのハム屋の製品をどんどーんと送ってきたという寸法である。さてこのハムをどうやって食ってやろうかといろいろと考えたのであるが、やはり一人で食いきれるものではないため、昨年同様に友人宅でわいわい言いながら食べることとした。株主優待というジャパンオリジナルな制度はいい事なのか悪いことなのかが微妙であるが、株主に会社の日ごろの仕事ぶりを見ていただこうという姿勢がうかがえるものであり、外食産業の御食事券が株主優待として送られてくるのもその一つであろう。ちなみに某外食産業の株主優待券をレジで出すと、応対できない店員がやたらと多いのは問題である。実際の株主様で食事に出向かれる方がいかほどいらっしゃるかは不明であるが、きちんと仕事をしているかということは株主として大いに気になるところである。戻る↑
水上でまったりした後で湯沢に向かい、三国峠を越えてこちらに戻ってくるという計画を立ててみた。谷川岳PAにある関越トンネルの博物館なんかで御勉強をしたりして湯沢につき、湯沢からこちらに戻る計画を立てたのであるが、三国峠の辺りに必要以上に車があり、どうやらロックフェスティバルとやらをやっている模様。
苗場のスキー場には無数のテントが設営されてあり、昨晩はここで過ごした御仁が呻るほどいらっしゃったとは、アメリカのヒッピーも驚きである。昨晩テントの中でマリファナの回し飲みがどれだけ行われたかとか、隣のテントの間で異種格闘技がどれほど行われたのかなどという他人様のひと夏の熱い経験に思いを馳せながらも、湯沢や苗場の温泉は避けるほうが賢明と判断し、山を下りて湯宿温泉に向かう。以前ここに立ち寄ったときは共同浴場である「窪湯」がいまだにお湯を張っている最中であり、激熱の湯が少量浴槽の底に申し訳なくはられているだけであった。本日は浴槽にたっぷりと湯があり、これでリベンジだわいと喜び勇んで入浴してみたのであるが、敵もさるもので、湯は依然として熱いのである。数多の温泉で熱い湯に対して免疫ができているとはいえ、これはこれまで経験したことの無い熱さである。しかしながら負けたくないという不思議な根性を持って入浴に挑み、無事湯宿温泉を征服するに至ったのである。浴槽に体を沈めていたときに隣から湯をかき混ぜられたらその時点でアウトであったと想像するに難くない激しい戦いであった。戻る↑
宅配される某新聞は木曜日に今後1週間のテレビ欄をダイジェストした特別版を同封してくるのであるが、先週の予告では「水曜どうでしょう」でブレイクした大泉洋が紹介されることになっていた。
「日本三大何とか」といえば、超メジャーな2つとおらが村の何某、という組み合わせが一般的であるが、地鶏に関しては「比内地鶏、名古屋コーチン、薩摩地鶏」となんとなくそんな気がしないでもない。この配置が全国的にバランスがいいという思惑も手伝っているからかもしれないが、茨城県民として「奥久慈軍鶏」と言いたくなったりするものであるがこればかりは致し方ない。そんな薩摩地鶏を食わせるいい店が錦糸町にあるから食いに来いという兄からの連絡を受けて、本日は定時ダッシュでTxに乗り込み、オヤジの聖地である錦糸町に出向いた。店はチェーン店であるが、地鶏は極めて美味であり、焼酎のラインナップもよく、これぞ親父の聖地の面目躍如である。いい気分で酔っ払ったので、総武線の黄色い電車で気がついたら三鷹に連れて行かれることが想定されたため、横須賀線に乗って東京につき、バスでつくばまで帰宅。やはりつくば市民は東京から帰るときはバスが馴染むのである。戻る↑
インターネットが普及しはじめてまだ10年ほどであるが、携帯電話がインターネットの端末として利用されるようになって以来、いつでもどこでもインターネットにつながる生活が目指されるようになってきたのである。さて、つくばと秋葉原を結ぶ首都圏新都市鉄道(通称:つくばエクスプレス、略称:Tx、個人的略称:電車)は開通当初からの懸案であった「全線で無線LAN利用可能」を実施する運びになり、本日そのことが発表された。LANはケーブルを張り巡らして床を四方八方這いずり回り、蹴躓いて転ぶのみならずLANが切断されて殺伐となるなどの問題があったが、無線LANという考えが構築され、ついにこのようなことが可能となったのである。「地下鉄漫才」で有名な春日三球・照代の持ちネタのひとつである、「飛行機が電気で飛ぶようになると、長ーーーーいコードが要りますよ」というネタにかつては「電池で飛んだらええやん」と突っ込みが入ったのであるが、このニュースをどんな面持ちで聞いているのであろう。戻る↑
この店は普段は客が入っていることを見ることがないという店であるのに、この時期だけは必要以上に混雑しているのである。今回はそれほどの行列でもなく中に通されたのであるが、注文を聞いてから待てど暮らせどうなぎが来ないという事態が勃発する。あちこちのテーブルから「いくらうなぎが時間かかるからといってこれはおかしい」「さっきまでぼつぼつ出ていたのに、ぴたりと停まってしまったのはなんでや?」という不満がふつふつと湧き上がり、30分ばかり時が流れたのである。となりの席に座った親子連れは、子供の「パパいつうなぎ来るの?」と頻度の高い催促に耐え切れず店を出るという暴挙を行い、あまり係わり合いになりたくなさそうに廊下をそそくさと行き来する店員に「いつごろうなぎ来るの?」と聞いてみれば「20分後です」と時間をきっちり指定してくるあたりにますます何かトラブルがあったのではないかと思わせるものがあった。そんなしじまを裂くかのように一斉にうなぎが運ばれ始め、めでたく今年もうなぎとご対面である。夏の暑い時期にうなぎを食うこと自体は理に適っているが、丑の日にうなぎを食うことを言い出したのは日本有数のコピーライターである平賀源内である。よく間違える浅はかな人は「今年土用の丑の日が2回あるのはうなぎ屋の陰謀だ」と言うが、土用の丑が2回あるのは太陰暦のなせる業でありうなぎ屋の陰謀ではない。結構なうなぎをいただき、本日は満腹。戻る↑
原子力の平和利用として原子力発電所やプルサーマル計画があったりするのだが、どちらにおいても抵抗が強い。平和利用には他にもいろいろとあって、ガンマ線を用いた滅菌や作物の保存などがある。日本でも医療機器の滅菌にガンマ線照射が用いられているが、作物を長期間保存するために収穫後ガンマ線を照射することは1部の例外を除いて認められていない。その例外とはジャガイモである。ジャガイモにガンマ線を照射すると、その芋が種芋となって芽が出ることを抑制できるため、食物の保存方法として大いに注目されるべきものである。さて、ジャガイモの取り扱いについては難しい問題が多い。まず、ナス科の植物であるジャガイモはソラニンという有毒物質を持っており、これにより害虫に食われることを防いでいるわけである。このソラニンは芽に一番多く含まれており、皮や身にも多少含まれているというからちょっと厄介である。しかしながら、我々がこれまでどれだけジャガイモを食べたかは知らぬが一向にくたばらない理由は、ソラニンが熱分解されやすいため、火を通せばほこほこのジャガイモを何の気兼ねなく味わうことができるからである。本日東京の小学校で自分たちで育てたジャガイモを食べるときに、とりあえず生で食べてみたりして腹を壊したりしたのは、数千年前の我々の祖先が嫌というほど経験してきたことであり、死の淵で「ええか、お前ら絶対ジャガイモを生で食うたらあかんぞ、ガクッ」と息を引き取った先達の教えが伝承されてジャガイモは熱を通して食うようになったのである。先達の経験はきちんと聞いておくべきであるという教育が今回はからずしも行われた模様。戻る↑
秋田を発って日本海側をひたすら南下する。どんよりとした曇り空の中、日本海を右手に進み、象潟に到着。道の駅では岩ガキとかじゃがバターとか比内地鶏のつくねとかを売る店が軒を連ねており、じゃがバターの男前なバターのディスプレイに感動しつつ、おのぼりさんなので道の駅の展望台に登る。
象潟がなぜそういう名前で呼ばれるのかとか、昔は小島が散在する遠浅の海だったとかという話は聞いていたのであるが、実際にその光景を目の当たりにすると驚きとしか言いようがないものがあった。
そんな象潟を後にして鳥海山の大物忌神社で御朱印をいただく。吹浦の御朱印はいただけたものの、口ノ宮は神職不在につきいただけず。しかも鳥海山の山頂に大物忌神社はあり、ここにもいずれ訪れねばならぬため、そのときにでも一緒にいただこうと思いを新たにする。そのあと車を月山方面に進め、道の駅月山にある「大梵字」で振舞いそばを堪能する。秋ともなればこのそばは更に旨くなるのであろうとまたここに来たいものだと思うものであった。その後はひたすら南下し、赤湯温泉の「あずま湯」でまったりと温泉につかる。温泉には入浴体操というものが掲げられていたのであるが、そんなことをしている常連さんは誰もいなかったりするものである。そのあとはひたすら高速道路で帰宅。旨いものを大量に食い、いい温泉をたっぷりと満喫した3日間である。来週はまたどこに行こうかと思いつつぐっすり眠る。戻る↑
本日は八戸より進路を西に取る。奥入瀬や十和田湖の鑑賞はすでに何回かやっているため今回はパスし、味わい深い温泉である蔦温泉を本日の第一目的地とした。この蔦温泉は昨日飲んだ「ばんや」に去年行ったときに、隣に座っていたオヤジから教えてもらったという不思議な因縁のある温泉である。
蔦温泉は近くにある有名な酸ヶ湯の千人風呂とは対照的にこじんまりとしているが、足下から湧き出るお湯をいただくのはまことに結構なことであり、何も足さない、何も引かない、これ以上何も要らないといういいお湯である。結構なお湯を満喫して車を更に西に進める。道の駅森田で昼飯でも食おうかと立ち寄ったところ、地元出身の有名人である吉幾三が監修した定食なんかがあり、試してみたものの所詮は吉幾三であるという感じが漂うものであった。しかしながら、この道の駅で「ちょっとスイマセン森田村ってこのへんですか」というリンゴジュースが売られており、地産地消ゆえに濃縮還元を行っていない素晴らしいものであった。ということで土産に1ケース買い日本海側へと更に車を進める。日がかなり傾いてきた時を狙っていたのであるが、黄金崎不老ふ死温泉に到着し、結構なお湯を満喫する。以前ここにやってきたときは内湯だけにして波打ち際の混浴露天風呂が混雑しており入るのをやめたので、今回露天は初利用である。


露天風呂に入る人は耐水加工を施した紙の腕輪をする必要があり、そういえば前内湯しか入らなかったときはそんなものはつけていなかったなあと思い出すものであった。露天の景色は確かに素晴らしいが、日本中のマニアが喜ぶようなものであったかは不明である。人が集まるとマナーが悪くなるのは不可避であり、マナーの悪さが気になったせいかもしれないがこの温泉に罪はない。その後車を南に進め、本日は秋田に宿を取る。秋田で旨いものを、とホテルのフロントに尋ねると立て板に水で比内地鶏の店を紹介していただく。モモ焼き、皮串、天ぷらなど比内地鶏を満喫。この店は実は蒲田にもあるということであり、ここにこなくても比内地鶏の味が堪能できるということであった。戻る↑
やはり3連休はどこかに出かけるのは定番であり、今年も出かけることと相成った。避暑という目的から考えて、北に進路を取るのは当然の段取りであり、昼飯を求めて気仙沼へと向かう。
気仙沼といえばふかひれである。訪れた店には「ふかひれ丼」というメニューがあり、なるほどふかひれの姿煮がご飯にたっぷりとかかっているのかと想定の範囲内であるがその素晴らしい味覚に感動しようと思ったが、よく見るとそのとなりに「ふかひれ天丼」というものがある。
ふかひれを天ぷらにするという考えが全くなかったため、果たしてこれはいかなる味覚であろうかと試してみることとした。天ぷらにしたふかひれは、食感をそのままに見事なまでに素材の味が生きており、これは現地でなければ食すことはできぬわいと感動したものであった。そんな感動をよそに車は奥州市に向かう。
自治体の合併でずいぶんとへんてこな名前がついたものだと思うところは数あれど、こんな名前を付けられたんじゃ一体この自治体はどこにあるのかがまるで絞り込むことができず、この名前をよしとした人のセンスを疑うものであるが、陸中一ノ宮の駒形神社はそんなことはどこ吹く風と超然と構えてそこにある。神社の狛犬がないと思ったら神殿に取り込まれているというなかなか味わい深い彫刻を見物し、御朱印をいただいていざ本日の宿泊地八戸を目指す。お宿にチェックインし、八戸といえばということで以前も立ち寄った居酒屋である「ばんや」をめざす。地酒を飲み、水揚げしたてのイカを食し、こんなに旨いニシンやイワシがあったのかと感動して夜は更けていくのであった。戻る↑
テポドンの発射について非難決議を出したいという日本の意向は、緩々な議長声明でいいという中国やロシアと対立したが、最終的にはそれほどきつい内容にしないけれど非難決議にするという形で合意を取り付けた。当初日本が御題目のように唱えていた「国連憲章第7条」とやらは錦の御旗にして伝家の宝刀なのであるが、諸刃の剣であって素人にお勧めできない面があるのも事実である。結局のところ、非難決議におそらく従うことはないであろう困ったちゃんのほんのり北の国に対し、この伝家の宝刀を抜いてしまうと振り上げた拳をどこかに落とさないといけないわけであり、それは無闇な紛争や人命が失われるという有難くない結果を招くのである。そういう意味では、全く拘束力がなく議長が個人的に「困ったもんですなあ」とぼやいているだけの議長声明ではなく、会議で幾許か緩々であったにせよ、味方だと思っていたロシアや中国も「ちょっとこないだのミサイル飛ばすのはいけてまへんなあ」と認めたということのほうが遥かに重要であり、今回の日本の外交術をなかなかやるじゃんと評価しているのは事実。戻る↑
コンピュータシステムが日々進歩を遂げている、ということはきっと事実であろう。断定できない理由は、自分たちがやりたいことをコンピュータシステムを用いることにより実現しているということは事実であるが、自分たちがやりたいことが本当に進歩と呼べるものであるかが不明であるからである。そんなめんどくさいことを考えるよりも、コンピュータシステムが複雑化することにより、同様の処理を行うにもCPUの負荷が大きくかかり、さらには複雑化ゆえに生じるバグが目的とするオペレーションを妨げたりするため、果たして多様な要望、というかユーザが本当に要望しているかどうかすら不明な要望とやらに対応できる複雑怪奇なシステムは必要なのかについて懐疑的になることを思い起こせば、断定できない理由がわかってくれそうなものであるが。さて、OSで一人勝ちをしているマイクロソフト社は以前に出していたOSであるWindows 98とWindows Meについてぼちぼちサポートやめさしてもらいまっせと言い出したのである。世に出て7年以上が経とうとするにその不具合が解消されないままであるというOSを欠陥商品であると言い放つ困った御仁もいるが、実際に運用してみないとわからないポアソン分布に従うようなマニアックな事象は把握できないため、サポートを適切に行うという条件付で世に出すことは決して間違いではないと思われる。しかしながら、サポートがついてなんぼでっせという商品のサポートをやめるということは、この商品の存在価値がないとマイクロソフトが判断したわけであり、そろそろこのOSつかわはるのやめはったらどないでっか?というアナウンスと捉えるべきであろう。戻る↑
氷見からどうやって帰るかを計画すると、どうも東海北陸道を下り、高山に抜けるのが得策と判ったので南下をはじめる。
当初は天生峠越えを計画していたのであるが、天生峠から先が通行止めということであきらめ、高山からは美女峠越えで高根沢に向かい、野麦峠を越えて薮原へ抜ける。薮原からは最近開通した権兵衛峠のトンネルをぶち抜いて伊那に達し、伊那の『鍋焼城』で名物のローメンを食す。ローメンの不思議な味わいを堪能し、杖突峠を越えて茅野に入る。諏訪大社上社前宮で御朱印をいただき、そのあとは佐久までぬけ、内山峠を経由して帰宅。最終日はいつもと変わりない行程となったので、どうも能登半島に行ってきたという気分が希薄になって帰宅したのであった。ちなみに今回能登半島でも能都町近辺はキリコ祭りのために激しく交通規制が敷かれていたので立ち寄らず、この地に再び向かう必要性があるという宿題をわざと残したような気がしないでもない。戻る↑
朝起きて、まずは能登の一ノ宮である気多神社に向かい御朱印をいただく。この気多神社は恋愛の神様であるということで女性誌によく取り上げられているんだそうで、女性の観光客が多く、恋愛に関する御守などが多数販売されている。それゆえ御守にはすべてバーコードが付けられており、その御守をどれだけ
そんな味わい深い神社を後にして、輪島を目指す。能登半島において一番大きな街とは「七尾」であり、この街の名前の由来は、この街を見下ろす山の尾根が7つに分かれていることであり、近くに和倉温泉があるとか、入り江となっているので天然の良港であるということも手伝ってその地位を固めているのであろう。これに対し、外海に面したところにある輪島は、中継基地や輪島塗という地場産業でその名を全国に知らしめ、学生相撲出身力士や、団子を売っているパンチドランカーなボクシング元世界チャンピオンなどのいろんな意味での活躍によりその名をさらに広く知らしめている。
しかしながら、輪島は半島の外れに位置するところにあり、かつての国鉄輪島線がのと鉄道という第三セクターになり、ついには廃止されてしまい、陸の孤島となってしまったのである。かつての輪島駅の跡地には道の駅が作られるという展開は鉄道が廃止された自治体がよくとる手法を踏襲しているものであるが、道の駅の分際で駐車場の駐車時間は2時間までであり、夜は閉鎖するなどと舐めたことを言っているとこらへんが微妙に違うところである。それなりの規模を誇る自治体の中心部ということでそういう取り計らいをしているのであろうが、この道の駅には輪島の次はシベリアですよというかつての鉄道駅の寒い駅名表示が残されていたり、輪島塗の椀をバックに写真を撮るという不思議なモニュメントすらあり、街としてもそれなりにこの場所を活用せんとしているのであろう。そんな道の駅にある「ゴーゴーカレー」などという不思議な店に入り、なかなかオリジナリティ溢れるカレーを食す。味は特段変わったものではないが、フォークで食べるという珍しいものであった。その後輪島の酒屋で旨そうなイカの一塩ものや辛口の地酒やにごり酒などを入手し、一路帰宅する方向へ。明日も休みなので無理な計画は立てず、氷見の道の駅で没することとした。戻る↑
能登半島は春夏秋冬すべての時期に訪問しているが、行くたびに公共交通網が脆弱化されていくのを目の当たりにし、僻地における公共交通の厳しさを実感するものである。
能登半島へのアプローチとして、今回は北陸道を延々と走るというべたな選択をしてみたのであり、春日山城址や居多神社、射水神社などを巡る。親不知を明るいうちに移動するという珍しいことをして、天下の劔であるここがどれだけ厳しいところであったのかを実感し、この難所に鉄道を通すことに情熱を傾け事故で亡くなった人の慰霊碑なんかを見るが、この難所にも今や海にせり出す形で高速道路が走り、当時とは隔世の感があるのだなと思ったりする。久しぶりにきときと寿司で旨い魚を堪能したり、和倉温泉の総湯で塩っ辛い湯を堪能したりし、本日は富来町あたりで没することとする。今回の行程に必要以上に余裕があるのは、沖縄行きをあきらめてみたものの、年休はしっかり取っているためであり、急遽計画を練り直す変わり身の早さに我ながら驚くことが多いものである。戻る↑
今をさかのぼること20年以上前につくばでは(当時はまだ合併していなかったのでこの近辺の自治体では)科学万博が行われたのであり、自宅の最寄りの郵便局には21世紀の自分に手紙を書こうという不思議なイベントがなされときのポストがフロアの片隅に現存しており、風雪に耐えて色褪せたそのいでたちに猛烈な年月の経過を感じさせられるものである。つくばをうろうろすると20年前の以降ともいうべき名残はあちこちにあり、怪しいロケットとかが残っていたり、そもそも道路がいまだに当時のままなのでそれこそまさに遺構と言うべきものであるといえなくもない。そんなつくば市内でまったりと日常生活を送っているが、本日出向いたとんかつ屋では「つくば万博を成功させよう」という素晴らしいものを見つけてしまった。万博のときのものはあるが、万博前のものはこれまた貴重というものであろう。さて本日は先日書いたとおりで沖縄行きをあきらめ、航空会社や宿やレンタカー屋にキャンセル電話をしまくり、この暇になった時間をどうするべえかと策を練りつつとりあえず自宅を見切り発車した。戻る↑
限定ものには弱いというのは人間の困った習性である。本日も永谷園から「限定黄レンジャーカレー」が発売されるという報道が為されたのである。黄レンジャーはヒーロー物の特撮の世界に「うっかり八兵衛」を導入するという試みが為されたものである。この導入が成功したことにより「今日のゴレンジャーごっこでお前が黄レンジャー」いじめが確立し、これが社会学的に大変重要なターニングポイントであったと今を以って考えさせられるものである。さて、毀誉褒貶激しい黄レンジャーであるが、「カレーの食いすぎで死んだ」というまことしやかな都市伝説もあるが、その解釈は「好きなものを腹いっぱい食べられて死ぬなんてなんて幸せなんだろ」という考えがあるかどうかは定かではない。そんな「黄レンジャーカレー」であるが、きっと大食漢であるというイメージとカレーに偏狭的な熱意を持っていたということも手伝って「限定」ではあるが「18万食」という気合の入ったロット生産に傾いたのであろうと思われる。レトルトカレーの相場をよく知らないのであるが、18万食という販売実績は1種類のカレーとしてはそこそこの販売数に相当するのではないかと思われるわけであり、もしかして限定と呼べるものではないかもしれないと考えてしまうものである。戻る↑
昨日のディープな博物館から一転して、本日はさわやかに水族館へと向かうという寸法である。場所は大洗であり、それはつまり今の時期であれば那珂湊の魚市場でその場で剥いてもらった岩牡蠣をぺろりと平らげ、返す刀で旨い寿司を鱈腹食うことは織り込み済みである。新鮮な海の幸がキングサイズでまかり越す寿司屋の店内は素晴らしい限りであり、一皿のボリュームがありすぎるゆえ一人でこの店に入るとちとつらいものがあるのは事実である。
満腹になって次なる目的地である大洗の水族館へと出向く。水族館は魚が泳いでいる場所であるが、日本人の悲しき性であろう、泳いでいる魚を見て「うまそう」と言ってしまうものである。牧場の牛や養豚場の豚を見てそういう感慨を持たぬのに、なぜ魚に関してはそのような気持ちになってしまうのであろうか。日本人が営々と積み重ねてきた体験のなせる業であることは想像に難くなく、自分では気の利いている表現をしていると自惚れている奴ならば「DNAに刻み込まれた」という超越的ベタ表現をしてしまうこと畢竟である。そんな心理を見透かしているかのように水族館のエントランスにはイワシの群れの回遊が展示されており、その脂ののった銀色にピカピカ光る魚を見て旨そうと言わずには居られないものである。しかしながらこの水族館は大胆不敵にもエントランスに寿司屋が店を構えており、目でも舌でも魚で満足させるシステムが構築されているようである。ちなみに大洗水族館の目玉となる展示はマンボウであり、世間の忙しなさとは一線を画してまったりと泳いでいるが、巨体ゆえにブレーキが利かずよく水槽の壁に激突してお亡くなりになるため、水族館での飼育が大変難しいのである。そんなマンボウの写真を撮ろうとしたときには、水槽の中にマンボウがぶつかっても大丈夫なように柔らかいカーテン状のものが設えてあり、それが邪魔で綺麗なマンボウの写真が撮れないという困ったことになっていたりするものである。戻る↑

日本船舶振興会という不思議な団体が日本財団と名称を変更してからずいぶんと経つ。しかしながら英語名は「Sasagawa federation」である。そんな財団が支援する海の科学館というものがお台場にあり、本日はそこに出かけることとした。建物がすでにクイーンエリザベス2世号とタイマン張る大きさというところに思い入れの程が感じられるのであるが、庭に展示されている「海底ハウス歩号T世」の展示を見てすでに笹川ワールド炸裂である。
そのあとはこんな大東京のオサレなスポットに似つかわしくないこってりした展示のオンパレードであり、タンカーを造るときの溶接の仕組みだとか連合艦隊全艦艇の模型だとか、海の怪物としてキングギドラみたいな何かがいるとか、潜水服の発達は潜水マニアを喜ばせたという偏った決め付けとか、潜望鏡で隣の敷地のプールを覗くことができるというマニア垂涎の仕掛けとかがあり、なんともこってりした博物館であるわいと思い外にでたのであるが、どうやらこの博物館は前座であったようである。
博物館の傍らにて静かに余生を送っている2隻の船は青函連絡船羊蹄丸と南極観測船宗谷であり、そのなかにはまた素晴らしき世界が繰り広げられているのである。羊蹄丸の中ではかつての青森駅の喧騒が再現されており、不気味ないでたちをしている人形が所狭しと並んでいたりするものであり、片や南極観測船宗谷では、乗組員の居室で昭和30年代にレゲエ風の兄ちゃんが居たことを思い起こさせる展示などがあり、すべてにおいて必要以上にディープであった。そしてこの博物館の御土産コーナーには笹川良一について熱く書かれたハードカバーの本が売られているなど土産の品揃えも一筋縄で行かぬものがあり、大変満足させていただいたというか消化不良が激しいものであった。本日はそのあと汐留で黒豚のしゃぶしゃぶやキビナゴの刺身などをいただきうまい芋焼酎で満足するのであった。とりあえず海の科学館はまだまだ見足りぬものがあり、近いうちにリベンジをすることとなるのは間違いないであろう。戻る↑