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先日来、ちょこっとカーブを曲がるとタイヤが悲鳴を上げることが多く、何ゆえタイヤは御嘆きあそばされているのであろうかと思い悩んでいたのであるが、どうやら溝がないから私を捨てて次のタイヤに乗り換えてくれというサインであったようである。私を捨ててくれ、そして他の女に乗り換えろだなんてなんて素晴らしい女性なんだと思い、その思いを汲んで溝を復活させるタイヤ再生という手段もほんの一瞬だけ考えたのであるが、やはりそれは年増の厚化粧とも言うべきものであり、すぐに化けの皮がはがれようものである。ということで、自宅に3000円分の御買い物につき500円値引きいたしますという相武紗季タンからの御申し出があったので近所のオートバックスに出向き、タイヤを交換したのであった。原油の高騰はこんなところにも影を落としており、これ以上はまかりませんということで無事購入終了である。使用前使用後の比較は凄まじく、走り心地がまるで違うのである。これから梅雨を迎えるにあたり、やはりグリップ力のあるタイヤは必要であると改めて思い直した次第。戻る↑
本日は帰宅していい感じで一杯やるかと思ったところ、かけつけのビールが切れており、致し方なく一杯目から焼酎に挑むこととなった。卓上の据え置き徳利に充填されている宝山芋麹全量をくいっと飲み始めると、昼間妙に暑かったのが原因かは不明であるが、えらく好調に飲んでしまう。間髪をいれず二杯目の準備に取り掛かり、球磨焼酎川辺を飲み始める。困ったことにこの焼酎もするすると入ってしまい、三杯目ということで壱岐焼酎雪洲を飲み始める。ちなみに本日のつまみは近所のカスミで買った焼き鳥であり、とりわけ物珍しいつまみではない。何でまたこんなに旨いのかなと思いつつ、気がつけば三杯目はすでに空けられており、珍しくも四杯目に手を出すこととした。ということで酒蔵と勝手に名づけている押入れから不二才を取り出し、開封して飲み始める。何がそう酒を進ませたのかが不明なままであるが、四杯目まで飲んでしまい、よくよく考えると本日は月曜日ではないか、週の初めからこんなべろべろに飲むなんて社会人としてあるまじき行為だと自分を批判しつつもなぜかメルシャンのシングルカスクモルトウイスキーを飲み始めてしまう。ようやく本日は五杯目で飲み終わり、そのままふとんへ。こんなになんで飲んでしまったのかは不明であるが、明日きちんと会社にいけるのかしらん。戻る↑
標高の高い道の駅というのは大変眠りやすいのであるが、この道の駅はやたらと朝から活気があり、7時の時点ですでに店を開けて地元民が野菜を売り出す始末である。そんな道の駅を後にして甲府南から高速に乗り須玉まで移動し、本日の目的地である南佐久地方の探索となる。南佐久地方はナチュラルに標高が高く、特に上った気がしないのに標高は軽く1000mを超えており絶好の避暑地である。下界の暑さも何とやらで、こういう涼しいところで温泉につかるというのはある意味贅沢であり、南相木村で滝見の湯にはいって相木蕎麦を食す。
蕎麦と温泉を満喫した後に、次なる目的地稲子湯を目指す。稲子湯は八ヶ岳連邦の麓に点在する味わい深い温泉のうちの一つであり、登山客でにぎわう山小屋にあるまことに結構な炭酸泉であり、一度は行ってみたいと思っていたところである。炭酸泉は一般に湯温が低く、長時間入浴することが望ましいとされているが、稲子湯は源泉の温度が7度という極めて冷たい温泉であり、加温した温泉の湯を適度に冷ますために源泉を入れて温度を調節するというなかなか面白いことをしている。そんな湯を満喫していると山小屋の前で登山客が普通に弁当を広げていたりするわけであり、やはりこの温泉は下界とは一味も二味も異なるものであると大いに満足して帰宅。戻る↑
関東に住んでからのほうが距離的には近いはずなのに、なぜか伊豆に行く頻度が減っているように感じられる。その理由は東北地方という新たな出かけ先の開拓に余念がないこともあるが、東京を通過するという車を使う人間として大変困難な障害もあるからではないかと思っている。そんな伊豆であるが、本日はまず戸田に向かい壱の湯で結構なお湯を満喫する。飲食禁止という貼り紙があるにもかかわらずロビーには飲み物の自動販売機があるなどという微妙なネタもあるが、湯量が豊富な温泉であることは温泉スタンドの「500リットル200円」という廉価振りにも見て取れるものがあり、一風呂浴びてさっぱりした後は昼飯を求めて宇久須へと向かう。この集落の旧賀茂村役場の近くにある三共食堂は美味なる小鯵寿司が手薬煉引いており、小鯵寿司を注文すれば「カサゴの味噌汁は?」と聞かれるのが御約束というものである。
久々の美味なる寿司を満喫し、次は露天風呂としゃれ込むこととした。西伊豆の海岸沿いにある沢田露天風呂は夕刻の日没を眺めるには最高の場所であるが、御約束ともいうべき混雑があるためあまりお薦めできない状況になる。ということでまだ日が高いうちにここに出向き、先客がいる浴槽につかりまったりとくつろぐ。ところがその先客が大学の研究室の後輩であり、あろうことか現在同じくつくばで働いていると聞き2度驚きである。つくばで一度も顔を合わさぬというのに伊豆で顔を合わすとはなかなか世の中楽しいものである。更に南下し次は昭吉の湯という温泉を目指す。昭吉というオヤジが自分のために作ったとしか思えないこの温泉は、ローギアでしか上れないような激しい上り坂を進むとあるのだが、車をとめてその敷地に入るといきなり畑仕事をしていたオババが「ちょうどか?お釣りいるか?」という謎めいた掛け声をしてくるのである。入浴料がいくらかであることを知らないまま来たようではこの温泉の客ではないとでも言いたげな営業方針であるが、やや熱めのぬるぬるのアルカリ泉は素晴らしく、なかなかこれまたディープな湯だわいと思うものであった。その後伊豆スカイラインを北上し、函南から富士へ抜けて朝霧高原で没する。戻る↑
わが国の畜産業界は牛肉を戦略物資と見立て、大量生産のシステムを構築してきたのである。その投資額は凄まじく、牛肉を飼育するというシステムがエネルギー効率を冷静に勘案すれば極めて非効率であることを気にせず、牛に食わせる飼料を作ることもシンジケートとして組み込み、その結果今日の大規模な団体となったのである。そうなればこの大量生産されてしまった牛肉は海外に売りつけるより他になく、そこで太平洋に浮かぶちっぽけな国が標的となったのである。彼の国は、ゴールドラッシュで西海岸に達した我々開拓民が太平洋岸に住むこととなり、照明の燃料として重宝する鯨油を採るために捕鯨をするときの物資補給基地として役立って以来、わが国とはそれなりの付き合いを見せてきた。しかしながら、奴らは糞生意気にも風船爆弾で我が国土を攻撃したのである。我々は、折りしも亡命してきたユダヤ人科学者を上手く利用して核兵器を作成し、彼の国に制裁を加えたのである。あれ以来彼の国はわが国の51番目の州の如く従順であり、極東の橋頭堡として大いにわが国の役に立ってきたのである。しかしながら、わが国が開発したこの牛肉生産システムを彼の国に適用しようとしたときに、やれ年を取った牛はだめだの、背骨にプリオンが含まれているかもしれないから背骨は抜けだの、大量生産に決して馴染まない全頭検査をしろだのといういちゃもんを付けてきたのである。本日ようやく彼の国への出荷が再開されることが決まり、やっとこちらとしても肩の荷が下りたという感じである。ということをアメリカの担当者が思っているかは不明であるが、アメリカ産牛肉の輸入が再開されることが決まった。戻る↑
結束の堅い団体を崩していくには、構成員の間に利害関係を生じさせることが一番確実な方法である。たとえば集団訴訟では、そのうちの数名に水面下で示談を成立させ、示談を抜け駆けでしたことを曝露すれば、鉄の結束を誇る団員の団結力など風前の灯である。本日の薬害C型肝炎訴訟は、昭和60年以前は会社も国も悪くない、昭和60年から62年は会社は悪いが国は悪くない、昭和62年以降はどっちも悪い、という極めて絶妙に刻んだ判決結果がでたりしたのである。その結果集団訴訟の原告は「素寒貧」「ぼちぼち」「最高」の3段階により篩い分けされ、判決について原告の間で微妙な解釈の違いが生じているものと推測される。この作戦は実に巧みであり、自分はボチボチだったけど、全体から見たらまあ勝訴かなと思い、控訴すると元の木阿弥になるかもと考えたりするものである。この判決は科学的な根拠に基づく危険性をどの時点で気付いていたかという裁判では大変難しいことを要求しているわけであり、世界の最新の科学技術から行けばすでにそんな危険性は予知されていたのだとしても、当局がそれにいつの時点で気がついていたのかが問題であり、さらには気がついた後迅速に事を運んでいたかを判定するのも難しいものである。戻る↑
正直なところ隣やそのまた隣にどんな人が住んでいるかについては全く理解をしていないという都会生活の孤独な現実はその辺に転がっていたりする。実際のところ、朝家を出て夜にならないと帰らないため、隣人と顔を合わせることなど、朝の通勤時ぐらいであり、顔を合わせば挨拶ぐらいはするが、それ以上の関係は全くないというものである。さて、昨日は住んでいるアパートの古紙回収の日であり、玄関前に古新聞を積んでおいたのであった。しかしながら、昨日は何らかの事情で回収業者がこちらの共同廊下にまで入り込むことをせず、帰宅したらそこにはトイレットペーパーではなく古新聞が相変わらずそのまま置かれていたのであった。そして向こう3軒両隣もそのような状況であり、果てさてどうしたものかと考えていたのであった。もとよりものぐさなので「じゃ、回収業者が来るまで廊下に置きっぱなしにしといたるか」と腹をくくったのであるが、示し合わせていないのに廊下には各戸より出された新聞紙がそのままであった。本日帰宅してみると、いずれの家も新聞紙は撤収されており、かわりにトイレットペーパーがそこにはおかれていたのであった。こういうチームワークのよさをどう解釈したらいいのかは大変難しい命題である。戻る↑
朝起きて石巻より古川へと移動し、古川からは東北道で福島へと戻る。福島に立ち寄ると必ず訪れるのは飯坂温泉であり、本日はめでたく飯坂穴原温泉郷の共同浴場の半数にあたる5湯目を制覇することとなった。ちなみに飯坂の共同浴場は何処も熱めであり、眠いところにガツンシャキッとするため朝風呂にはぴったりである。朝風呂で気合が入ったところで、福島よりいわきまで阿武隈山地の中を走りまくり、いわきでは久しぶりに塩屋埼灯台を訪れる。
塩屋埼灯台は参観可能な灯台のうちの一つであるが、全国に参観可能な灯台は14あり、14枚の参観券を予めまとめて買うという通称「悪魔のチケット」が以前は参観可能な灯台で購入できたのであるが、本日出向いたところその販売はやめてしまったということであった。その悪魔のチケットを後2枚残してすべて回ってしまっている人間は大変な御得意様であるようで、切符を売っているおばちゃんとは必要以上に話が盛り上がり、なぜか絵葉書をくれたり不思議なパンフレットをくれたりするものである。航空会社のFFP宜しく何かしらの恩恵をヘビーユーザに与えるべきだという考えは理解できるが、すでに全国の灯台の参観チケットを悪魔のチケットという形で激安販売している時点で十分に御得意様は報われているように思うのはさておくべきであろう。本日はそのあとまっすぐに帰宅する。途中、中郷SAでカツオ焼きびたし丼というなかなかの逸品を食し帰宅。夜は友人宅で手作りのギョーザをつまみつつ、盛岡冷麺を食べながらクロアチア戦を観戦する。クロアチアって安田大サーカスの声の高い奴が熱湯コマーシャルに出ることじゃないのかと勝手なことを考えたりしているうちにドローとなりそのまま就寝。戻る↑
今週末は宮城の国道を塗りつぶすべく出かけてみた。北上川という大河がもたらしたものは広大な平野であり、その平野には縦横無尽に国道が走っているのである。つくばに越して早1年、関東の国道はそろそろあらかた走ってしまい、次なるところに目を向ける時期が来た様に感じ取れたため、ようやくこの地の国道塗りつぶしに着手し始めたというのが事実である。ということで、宮城の国道を走りつつ、だだっ広い田舎というイメージが妙に茨城に被るものを感じたりする。そんな宮城から山を越したところにある山形の銀山温泉を訪ねてみる。
銀山温泉といえば昔ながらの温泉街であり、「おしん」ネタに事欠かぬゆえ雪景色が似合うと勝手に妄想を逞しくしている場所であるが、夏に来ても温泉の魅力は衰えるわけもなく、温泉街は素晴らしい佇まいを今に残しているのであった。温泉街には川が流れ、川沿いには共同浴場やみやげ物やいまどき風に足湯が設えてあり、結構な観光客でにぎわっている。そんな温泉街の共同浴場に入ってみたのであるが、なぜか観光客は全く入ってこず、入ってこようとした人も先客がいると遠慮してしまうという不思議なことをするので、もしかしてこの共同浴場は家族風呂なのかと勘違いするものであった。そういう勘違いをしているかもしれないという妄想は、別に満願寺の共同浴場で間違えて家族風呂に入ってしまったことを思い出したからではない。そんな銀山温泉を後にしてまた宮城県へと戻り、今度は鳴子温泉の共同浴場滝の湯でこれまた素晴らしい温泉を満喫する。こちらは後から後から客がひっきりなしに入ってくる由緒正しい共同浴場であり、一緒に入っていた見知らぬおっさんから背中の椎間板ヘルニアの手術の痕のことについて聞かれたりするものも裸の付き合いの一環である。本日は結構な温泉をはしごして石巻で没する。戻る↑
発酵と腐敗は科学的には全く同じ現象であり、その人にとって有用かどうかということのみで分別されるものである。それゆえこの分類法を理解している御仁は「納豆は発酵か腐敗か」という結論がでるはずもない話で酒の席で盛り上がってしまったりするものである。人類が己たちの文化を高めてきた過程において、貴重な食料を腐らせてしまったという不覚を取ることはどこの民族にでもあることであり、転んでもただでは起きないとか災い転じて福となすという精神の表れかは不明であるが、この発酵という技術で様々な保存食を作り出すことに成功し、現在の我々の食生活を豊かにしてくれていることは間違いない。「すし」の元の形はご飯を発酵させて魚介類のたんぱく質をアミノ酸に分解させることによる豊かな味の開発という目的で作り出されたものであり、当初はいわゆる「なれずし」であった。このなれずしをできるだけ早く食べることはできないかということで、発酵が進んだご飯の酸っぱさを酢を入れることによって演出したものが現在の握りずしである。すし屋のカウンターはマクドナルドのカウンターと同様に頼めばその場ですぐに作ってくれるファストフードの桧舞台であり、すしを頼んでから待てども待てども持ってこないのはすしの本分を弁えぬすし屋である。本日行った某回転寿司店が注文を全然取りに来ないとか、頼んでも全然持ってこないことに不満を示しているからこんな話をしているわけではない、とだけは断っておく。戻る↑
一人暮らしの人間にとって、昼間は家を留守にしているのはデフォルトであり、そんなときに宅配便が荷物を持ってきたというのは、言い方が悪いが運送屋が間抜けというものである。週末留守にしている間に宅配便が何度も来たようで、これでもかとばかりに不在票を入れていたのである。しかもクロネコヤマトと佐川急便と郵便局がそれぞれが不在票を入れており、こりゃいい加減こちらからお願いしますといわざるを得ないと思い、夕刻その三者に来ていただくように手配する。帰宅して待っていると順々に荷物を持ってやってきており、部屋がずいぶんとにぎやかになったのであった。それにしても毎日毎日平日昼間に訪れて「これで不在票を入れるのは4回目です。いい加減連絡してきてください。」と泣き言を書いているのはいかがなものなのだろうか。ちなみに本日届いたものはこの座椅子であり、座った瞬間に立ち上がるのがいやになるほどの見事な包容力を備えた逸品である。こんな重たいものを何度も運んできてくれるのはありがたいことであるが、もうちょっと運用の仕方があるんじゃないのかと思ったりする。戻る↑
どうも良寛さまはこの地方では超の字がつく有名人であり、生まれて600年近くが経たんとしているのに、いまだに根強い人気がある。人気の一端は地元限定の「良寛コーヒー」などという紙パックのコーヒー乳飲料などが売られていたり、良寛様が托鉢中だから気をつけようという理解不明な交通安全標識に垣間見ることが可能である。
そんな良寛の里を発ち、本日の目的地である弥彦神社へと向かう。参詣路線である弥彦線は適度な寂れ具合が味わい深く、弥彦駅はほかの神社の近くにある駅同様に神社を模したつくりになっており、なかなかに味わい深いのだが、駅前の超一等地(?)にあるホテルが売りに出されているところに寂しさを禁じえないものがある。そんな駅から弥彦神社を目指し、「大駐車場」という駐車場に車を止める。
この駐車場が洒落にならないほどでかく、さすがは弥彦神社だと感動してしまうのであった。弥彦神社は地元では「おや彦さま」と呼ばれており、境内の立派さ加減は只ならぬものがある。参拝を済ませて御朱印を頂き、山頂の御神廟でも御朱印がいただけるという話を聞いていざ山頂へと向かう。山頂で参拝を済ませて車を松之山温泉に向かわせる。松之山温泉の凌雲閣はこれまで二度来たがそのたびに「いやあ、風呂掃除中ですねん」とか「日帰りの時間は終わりましてん」と入浴を断られていたので、3度目の正直ということもあり、素晴らしき硼酸泉を満喫する。その後車を十日町に進め、というか合併で松之山も十日町市になってしまったので十日町市の中心部へと車を進め、小嶋屋でひさびさにへぎそばを食す。そばの旨い季節はそろそろ終わりを告げており、夏の間はそばを食べずにいかがするかと思案しながら帰宅の途につく。久々に車で遠出をした週末であった。戻る↑
週末はこのところ飛行機で一っ飛びな生活を送っており、たまには地に足つけた生活を繰らねばならぬと勘案し、今週末は車で出かけることとした。何か本質的に間違っていますという突っ込みは期待したいところであるが、その突っ込みは流すのみである。自宅より必要以上に経路を複雑にしてまずは日光に向かう。今市で「いまいちの水」というなんだかいけてなさそうな水を発見するなど最初から訳の判らないものとの出会いがあり、今週末もまた楽しき哉である。日光から女夫渕温泉へと抜ける林道を走ると、梅雨の谷間の晴れ渡った初夏の日差しがハルニレと白樺の林に木漏れ日として降り注ぎ、この道はまさしく一幅の絵を提供してくれているかのようであった。
そんな素晴らしい景色を堪能し、金精峠を越えて白根温泉へ。白根温泉は、自前の源泉を持ち、噴出量も多いため昨今の不可思議な温泉ブームでは勝ち組の要素をふんだんに持っている。しかしながら、湯という資産のみで温泉の本質を語ることなど笑止千万であり、「うちは源泉100%ですねん」ということを殊更に主張している貼り紙が横行する温泉場は正直言って辟易するものである。この白根温泉は、弱アルカリ性のいわゆる「石鹸いらずの湯」であり、たしかにお湯は素晴らしいものがあるが、どうもこの設備には来客をもてなすという心が無いようで、仏作って魂入れずという感じが否めないのである。年間100湯も入れば、こういう外れの湯にあたることもあり、そのときは素直に湯の良さのみを満喫するほかはないのである。そんな温泉を後にして更に西へと進む。仕切りなおしということで四万温泉の山口露天風呂でこれぞ温泉というお湯を満喫し、更に西へと進路を取る。夜に渋峠を通過するという珍しい経験をして長野に入り、そのあとは上越に抜け、明日の目的地の近くである道の駅良寛の里わしまで没する。戻る↑
株主に対して配当を出す会社もあれば、それだけでは飽き足らず「株主優待」と称して自社製品を送りつけたり、割引券を送りつけて利用させようと企んでいたりすることが多く、世の中油断も隙もあったものではない。しかも会社の思惑に見事にはまり、踊らされている人が如何に多いことかと情けなさを通り越してあきれてものも言えぬ状況である。ものの見方をこのように捉えると会社が浅ましいように感じられるが、株主優待の本質は出資者に会社の製品やサービスを体験していただくところにある。すなわち、株主様が視察するときに、全額を自腹で御支払いいただくのは忍びないから割引券を提供して社員の働き振りを視察していただこうという算段なのである。この本質を理解すれば、金券ショップで株主優待券を買うというのは本質を理解しないおろかな行動である。しかしながら、そんなシチメンドクサイことを申し上げたところで意味はなく、株主優待券は株主優待券としてそこにあり、その応分の役割を果たすのみである。本日自宅に届いた株主優待は清涼飲料水メーカのものであり、これから暑くなるであろう季節には大変ありがたいものである。戻る↑
煙草を吸わぬ人間にとっても副流煙というめんどくさい問題があるため、煙草を吸う吸わないということは興味の持てる話題である。そんなこんなで交通機関では禁煙エリアにいることにしているのであるが、気がつけば禁煙車のウェイトが大きくなっており、かつては「煙草の吸えない車両はこの車両です」だったのが「煙草の吸える車両はこの車両です」に変わっているのである。世の中の趨勢は禁煙になびいているようであるが、ついにJR東日本が長距離列車の全面禁煙を表明したのである。冷静に考えるとはやての4時間は我慢できるだろうが、新潟いなほの7時間は結構つらいと思われる。さすがに寝台列車の禁煙はしないだろうが、それにしても喫煙者にとっては厳しいご時勢というものである。ここまで来ると、煙草を吸うことによる弊害よりも煙草を吸わせないことによる弊害のほうが大きいのではないかと。戻る↑
東京地検特捜部という組織は、綿密な調査をして、十分に容疑者足りえる状況にあると判断をして初めて表立って動き出すわけであり、動いているという情報が入った時点ですでに終わりを告げられているわけである。そういう意味ではゴルゴ13に狙われたようなものであり、肝臓が悪いという自覚症状がでてしまったときはもはや手遅れという状況にも近い何かがある。関西人で阪神タイガースファンであることを公言していたが、東大に進み官僚になった時点で日和った奴だとか権力に阿った奴だとかいう風に見られていたのにそれに気がつかぬくらいのおりこうさんに過ぎなかったから、この容疑者は敢え無く捕まってしまったのではないかと思われる。
しかしながら、検察という不思議な組織は本当に罪を犯した人間を逮捕しようとしているのかが不明であり、今この時点においてこの人間に制裁を加えなければならないという論理構築の元で容疑者を捕まえようとしているという気がしないでもない。本日の逮捕劇は、逮捕前にどのような理由で以って逮捕されるのかということを容疑者の口から語らせるという前提で泳がしているわけであり、容疑者の口から発せられた「そんな馬鹿な」という三越会長の「何故だ!」に匹敵する発言は、グレーゾーン上にいてちょっぴり黒いところに足を踏み入れているかもしれないあまたのファンドマネージャーに絶妙な牽制球を投げているように感じられる。村上容疑者の存在によって「物言う株主」という不思議なステイタスがでてきたように感じられるが、世の中の流れが単にそうなってきただけであり、村上容疑者じゃなくても誰か他の人が同じようなことをしてあえなく逮捕されてしまっていたであろうことは想定の範囲内である。今後株式市場には新たな時代が到来することは間違いがなく、その黎明期においてトップ屋としての任務を全うできたことは市場の流れを作るうえで大きな貢献をしたと解釈するべきであろう。歴史に名を残したことについては大いに評価されるべきものであり、アメリカで同様の経緯で逮捕された場合には、今後このような方策を封じるために制定された法律に「ムラカミ法」という名前がつくくらいのインパクトを与えたことは間違いのないことである。戻る↑
気持ちよく目が覚めると思いきや、どうも持ち越し効果があったようで朝飯はいまひとつ本調子でないままいただくこととなった。気分をしゃっきりさせるべく朝風呂として宿の近所の海門寺温泉に出向く。別府の共同浴場は公民館と抱き合わせの建物が多く、歴史もまた一入である。朝から素晴らしい単純泉を満喫し、いざ本日も楽しい旅路である。
まずは御朱印を集めるべく宇佐神宮に向かう。八幡様の総本山であるという宇佐神宮はさすがに規模がでかく、昭和42年までは宇佐神宮参宮線という鉄道まであったというから驚きである。門前市で宇佐餅だの宇佐漬だの宇佐飴だのという名物を売る店をかいくぐり、まずは参拝に出向くが、なかなか本殿に到達できぬ広さである。途中宇佐神宮庁直々の経営をしていると思しき「鯉のえさ」の販売所などを見物し、歩くこと20分ほどでようやく本殿にたどり着き、二礼四拍一礼という出雲大社さながらの参拝方法で参拝を済ませて御朱印をいただく。御朱印書きのおばちゃんが「一ノ宮のハンコがええの?それとも八幡さんのほうがええの?」と聞いてきたりするのは味わい深く、下宮もきっちり参って車へと戻る。小一時間歩いたので体力が見事なまでに回復したのであるが、これはきっと宇佐神宮にお参りしたご利益が早速出てきたのだろうと勝手に判断し、昼飯を食す。
昼飯は大分らしく団子汁定食にしようと思い立ったのであるが、土地柄であろうか「道鏡定食」だの「清麿定食」などという微妙にそそらせる何かがある定食までがラインナップに上がっている。幸いにして道鏡と清麿は予約制だったらしく食す機会は失われたのであるが、一体なんだったのだろうかという思いはいまだに募るものである。そんな味わい深い宇佐神宮を後にして一路空港へ。空港のレンタカー会社には給油せずに返却し、空港内で反省会をしつつ土産物屋を冷やかす。
大分といえば麦焼酎二階堂であり、ワンショット300円で御手軽に飲めるというのは判っていても、こういうディスプレイをされるとちょっとびっくりである。その横には臼杵の石仏をモチーフにした焼酎の入れ物があり、大日如来様の頭に焼酎がなみなみと入っているという困ったシチュエーションである。焼酎を飲み終わると頭が空っぽになるとか、頭が詰まっていても所詮はアルコールなどという極めて失礼な表現が頭に浮かぶのであるが、このような入れ物を作ろうと思い立ったセンスには理解しがたいものがある。飛行機で一路羽田に飛び立ち、地下のフードコートになぜかヨシカミが出店していたのでビール片手に久々に結構な洋食をいただくこととした。そして旅の反省会を開きながらそういえば浅草の店には久しく行っていないなあとまたぞろ様々なところに思いを馳せるのであった。戻る↑
本日は遠くの島国である九州へ出向く。羽田を飛び立つ時にバスに乗るのは地方行きの宿命であるが、降り立った大分空港は日本で唯一の水陸両用交通機関であるホーバークラフトが待ち構えているのである。
ホーバークラフトには過去2回もふられており、今回は3度目の正直とあって歓びも一入である。ホーバークラフトは運転にそれなりのコストがかかり、船体を浮かせるためのエネルギーは相当なものであり、客を運ぼうと空気を運ぼうとコストは本当に変わらないのである。それゆえありとあらゆる割引運賃が適用されており、定価で乗船する人が果たしていどれだけいるのかを逆に心配しそうなものである。船内アナウンスに「横滑りをしますが安全には影響がありません」という不思議なものがあったが、横滑りに感じられるのは進行方向が横になっただけであり、前後左右に好きに方向が変えられるのはホーバークラフトの強みである。大分に到着し、レンタカーを借りていざ西寒多神社に向かう。途中レンタカー会社から電話がかかってきて「車検証を入れ忘れたので戻ってくれ」というふざけた内容であるが、さすがに運転には支障が出てくるのでおとなしく引き返す。
向こうの手落ちなのでということで返却時の満タン返しはめでたく免除となり、気を取り直して柞原八幡宮に向かう。柞原八幡宮は相当な歴史を感じさせる神社であり、大友宗麟が奉納した太鼓が皮を張り替えていまだに現役であったり、参道の脇にポルトガルから運ばれてきたために「ほるとのき」と呼ばれている巨木や、樹齢3000年といわれるクスノキなどがあり、さすがは一ノ宮である。大友宗麟の太鼓を気持ちよく叩き、御朱印をいただいて別府へと移動する。別府といえば竹瓦温泉である。100年を超える歴史を今に伝えるこの共同浴場は、知る限りでは道後温泉本館と双璧をなす素晴らしい佇まいであり、湯もまた素晴らしい限りである。まったりと湯を満喫した後は、次もまた究極の湯と呼ぶべき寺尾野温泉薬師湯に向かう。


この温泉は巷を賑わす黒川温泉の近くにあるが、集落の共同浴場としてひっそりとあり、集落に共同浴場があることを知っていたとしても辿りつく事が適わぬほどの温泉である。ここにたどり着くことができたことに感謝し、ぬるめの硫黄泉を満喫する。温泉を満喫した後は別府に戻り、お宿にチェックインして夜の町に繰り出す。りゅうきゅうを肴にのみはじめ、関アジ関サバ城下ガレイと大分の海の幸を満喫する。大分焼酎として何かお薦めはあるかと店員に聞いてみると、酒粕焼酎などというこれまで味わったことのない焼酎を頂けたり、残りわずかな兼八ですからサービスですといわれたりと、駅前通りの「仁」はまことに素晴らしい店である。へべれけに酔っ払い、部屋に戻って前後不覚に陥り、そのまま熟睡してしまうのであった。戻る↑
今の調子で少子化が進めば、1000年後には日本人が一年に生む子供の数は数十人になるんだそうである。多分その時点で日本という国家は崩壊しており、日本人などという存在がなくなっていることであろう。少子化が更に進んだだの、政府の対策が奏功していないだのと書きたてることはいとも簡単である。別に担当国務大臣の服のセンスが悪いからそう書きたてているわけでもあるまいが、ならば対案を示すことができるのかということを申し上げたいところである。日本の人口増加が停滞したのは珍しいことではなく、天下泰平の世の中であった江戸時代は、様々な技術が発達したにもかかわらず人口が全く増えなかったことを考えれば、ある意味円熟期に達したのかもしれないのである。江戸時代の人口が全く増えなかったのは、子供を生んで人口を増やしたところで、鎖国政策の中では外国に移住して活路を見出すことができず、さりとて国内に住みよい地がもう残っていなかったからに他ならない。常に人口が増え続けるという国家は、国民を養うためには膨張政策もしくは帝国主義的政策を取らざるを得ず、そのことが国民を幸せにしたかどうかは過去の例を繙けば一目瞭然である。日本という国がこれからも世界に冠たる国であるためには国力を高めるために人口をたっぷり確保する必要があるというのであれば、移民を認めるなどの政策をすればよく、難民の受け入れも積極的にするべきである。それが本当に意味のあることかどうかはよく考える必要がある。戻る↑