2006年5月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 5月31日(水)「膀胱を暴行」
  • 5月30日(火)「日帰り大阪出張」
  • 5月29日(月)「体調不良」
  • 5月28日)「最果ての地2日目」
  • 5月27日)「最果ての地」
  • 5月26日(金)「山形@渋谷」
  • 5月25日(木)「駐車場を巡る攻防」
  • 5月24日(水)「大学入試センター試験」
  • 5月23日(火)「発想の転換」
  • 5月22日(月)「利益を出す銀行」
  • 5月21日)「スポーツあれこれ」
  • 5月20日)「那珂湊への買出し」
  • 5月19日(金)「かおりひめ」
  • 5月18日(木)「一株1000円の配当」
  • 5月17日(水)「佐藤和也の野望」
  • 5月16日(火)「ユリ・ゲラーとエルビス・プレスリー」
  • 5月15日(月)「日本代表決定」
  • 5月14日)「突如降りかかる災難?」
  • 5月13日)「ひさびさの帰省」
  • 5月12日(金)「愛国心」
  • 5月11日(木)「たばこの値上げ」
  • 5月10日(水)「なんでもありのネットオークション」
  • 5月9日(火)「ミスしていても本物」
  • 5月8日(月)「プロスケーターの価値」
  • 5月7日)「後始末と明日からの準備」
  • 5月6日)「帰り着くはずが力尽きる」
  • 5月5日)「通過するだけの四国」
  • 5月4日)「通過するだけの九州」
  • 5月3日)「こんなところに平戸藩領」
  • 5月2日(火)「18年かけてたどり着く」
  • 5月1日(月)「久賀島」


  • 今月の日記
    5月31日(水)「膀胱を暴行」
    時効警察を見てからというもの、人生に細かいネタを鏤めることは楽しみの一つであることに気がついたのであるが、そのネタは気がついてもらえないほうが楽しいのではないかという困った楽しみを見出しつつある今日この頃である。そんなことをぼんやり仕事に考えていたりするのだが、本日頭からひねり出された秀作が「ご面倒なコメント」というあまりいけてないネタだったのは昨日の疲れが抜け切れていないからであろうと適当なごまかしを入れておく。さてそんな昨今であるが、同期の友人の奥さんが現在妊娠中であり、安定期に入ってきて胎児が腹を蹴ったりするのだという話をしていたのだが、運転するときに胎児が膀胱を蹴ってしまうことがあるらしく、このつらさは男には判らないだろうという話をしており、そのときに「膀胱を暴行とはまさにこのことか」という感慨しか浮かばなかったのはやはり疲れている証拠なんだろうか。とりあえず、金玉を蹴られたときの痛みは男にしかわからないよねという不思議な返し方をしておくことにした。戻る↑
    5月30日(火)「日帰り大阪出張」
    なんだかんだといって本日は大阪出張である。新大阪で友人と待ち合わせ、本社の近くで飯を食い、いざ出張は開始である。本日の出張はなんだかよくわからない集会に参加するということであり、話の内容自体は一切持って記憶にない。睡眠学習が奏功したという説が尤もであるが、本日の集会の感想文を書くという不思議な風習がうちの会社にあり、おちおちそのような学習をしているわけにもいかないのである。この手の集会に参加するのがすでに5回目であるため、出だしの社長の話と、最後の相談役の話を感想文のねたにするのが定番的手法である。しかしながら上には上がいるもので、部長は先週すでに感想文を書いてしまっており、その経験に裏打ちされた手腕には驚くべきものがある。集会は無事終わり、久しぶりにあった同期と一杯やって新幹線で帰宅。昨年秋に自宅と実家を凄まじい回数往復していた経験から大阪から自宅まではドアtoドアで5時間かかるわけであり、大阪で8時間過ごしたということは本日は18時間起きていたということになるわけであり、明日に疲れが残らないかが大変心配である。戻る↑
    5月29日(月)「体調不良」
    帰宅して体調が思わしくないので、本日は会社を休むこととした。体の疲れが微妙にピークを迎えていたようで必要以上によく眠り、夕刻には何とか体調が復活を遂げたのである。そういえば明日は出張で大阪の本社に行かねばならぬのであり、その辺の打ち合わせができぬまま向かうことに一抹の不安を感じるのであるが、まあ出たところ勝負なので何とかなるだろうと思い、あまり気にせぬこととした。戻る↑
    5月28日)「最果ての地2日目」
    黒さが特色の音威子府そば音威子府そば@音威子府駅初夏の稚内の朝は早い。日の出が4時前という凄まじいものがあり、目が覚めてもまだ5時半である。本日は内容が盛りだくさんであるためさっさと宿をチェックアウトし、本日は日本海側を南下する。左にサロベツ原野、右に日本海とそこに浮かぶ利尻島が望めるどこまでもまっすぐな道をひた走る。人工的な何かがあるというということのほうが珍しく、全く道路以外は何もないというところを1時間も走って、途中で左折して音威子府へと入る。音威子府は天北線と宗谷本線の分岐の駅であり、音威子府と南稚内の間は今で言うところのデュアルバンドであったことは20年前の地図をひもとけば窺い知ることができる。天北線記念館@音威子府駅しかしながら需要の少ない路線で客を分散させて共倒れになるよりはどちらかを残すのがあるべき姿であるという判断のもとで天北線はこの世から姿を消してしまったのである。北海道の鉄道が見事なまでに廃止されているのは、現在は何も下に通るものがないというのに「跨線橋」があちこちにあるというのがあちこちで見られたり、町の中心部に妙に広い空き地があり、そこがかつては国鉄の駅であり、現在はバス停と道の駅を兼ねていたりすることなどからも窺い知れるものである。音威子府駅もかつての盛況をその敷地の広さに見出すことは可能であるが、現実は1日に20本ばかしの列車が立ち寄る辺鄙な駅に過ぎないのである。そんな味わい深い音威子府駅で名物の駅そばを食い、浜頓別に抜けそこから稚内へと戻る。途中豊富温泉で石油臭い不思議な温泉につかり、シシャモの干物という珍しいものを購入する。稚内空港で車を返却して空港でみやげ物を買い羽田へと帰るのであった。機材の運用で稚内羽田便は1日1便であり、昨日稚内へ来たときに乗った便の帰りの便で羽田へ戻ることとなっているため、稚内滞在時間は24時間ほどと大変短く、まだまだ北の大地に未練がたっぷりの消化不良のままであり、これが来週以降の旅行のモチベーションを高めているのであろう。戻る↑
    5月27日)「最果ての地」
    昔と変わらない三軒の店@宗谷岬北海道という地には何か魅力的なものが待ち構えているような、そんな気がして仕方がなかったりする。本日は日本の最北端の地である稚内へと出向くこととした。事の発端は2週間前に親から渡された株主優待券であることは間違いない事実であるが、その後巧みにプランを練りだし、最終的に稚内という選択肢にたどり着いた経緯は不明なままである。とりあえず羽田へと移動し、地方行きの宿命であるバスに乗って沖に停められているシップに乗り込むのである。いつもと何か違うなと思うのは水平飛行時間が長く、CAがまったりとサービスに興じていることでもあるし、シップの中ほどを農協観光ツアーの団体が占拠しており、そこだけ観光バス状態で泡の出る麦茶が情け容赦なく振舞われていたりすることであろう。天候に恵まれた故に素晴らしき利尻富士を眼下に稚内空港に降り立ったのであるが、これまで立ち寄った日本のどの空港よりも景色の綺麗な空港であったことは特筆するべきことである。稚内を訪れたのは干支がひとまわりする前のことであり、当時からどれほどこの地が変貌を遂げたのであろうかということも興味深く、レンタカーを借り出していよよ出発である。最果ての地という割には本日の陽気のせいで東京よりも暖かいようであり、北国というイメージが微妙に薄かったりするのは致し方ない。たこしゃぶまずは日本最北端の宗谷岬を目指す。宗谷岬に軒を並べる最北端を売り物にする食堂と土産物屋は以前と変わらぬままの姿であり、客が入ってこないとこらへんも全く変わりがないものであった。その後オホーツク海沿いに南下をし、興部から美深へと向かう。稚内港西興部に小池食堂というラーメン屋があったりと何気に味わい深く、北海道の雄大さを感じながら国道40号で稚内へと戻る。稚内のお宿にチェックインしていざ街に繰り出す。稚内で何を食うべきかということについて事前にシミュレーションを繰り返しており、とりあえずは海産物を食っとけということに落ち着いたのであった。すし屋でサッポロクラシックの樽生などという珠玉の一杯から始まり、刺身を肴に北海道の幸を満喫する。稚内といえばたこしゃぶだなと食してみたり、最後にいきのいいネタを握ってもらって宿に戻る。稚内港にある利礼ドームに立ち寄り、写真撮影などをして歴史の流れを実感する。稚泊連絡線が荒波の霧が立ち込める魔の海域を潜り抜けたことや、太平洋戦争終結のわずか12日間で凄まじい人数の日本人を樺太から帰還させたことなどが思い起こされ、かつてのこの波止場は国際港として貨客船の往来が盛んであったのかと思いを馳せたのである。この港に樺太への定期船が復活したことで昔日の面影を取り戻しているこの港に感動し、とりあえずお宿に戻る。戻る↑
    5月26日(金)「山形@渋谷」
    「渋谷で飲み会するけど参加する人いる?」と参加しているMLで声が上がり、去年の今頃であったならば完璧にやり過ごしていたであろう申し出に1も2もなく手を上げたのは、やはりつくばエクスプレスの恩恵というものであろう。関西の鉄道の速さを長きに亘り甘受してきた人間にとって関東における鉄道の遅さは犯罪的ではないかと思うときもあり、福知山線のような事故を起こしてしまっては何にもならないという考えはあるものの、速達ということは一つの大きな魅力的なサービスである。つくばエクスプレスは周りの鉄道と比較すればぬきんでて早く、利用して心地よいものであり、なによりもつくばから東京まで仕事が終わってから飲みにいけることを可能としたことは何よりの恩恵である。昨日来の駐車場問題は片がつかず、不動産屋にねじ込みに行ったところ「駐車場を管理している会社がもうしまってしまいまして」とかいうぬるいことをのたまうので、不動産屋の駐車場に車を置いておくから手前らできっちり解決しておけと言い捨てて飲み会に馳せ参じる。本日の飲み会の会場は渋谷にありながら山形という不思議な場所であり、店に入ればそこだけ時が30年ばかり戻されてしまったかのようである。先週のかおりひめとはえらく違うわいと大変ご満悦でその店を後にし、つくば行きのバスに乗って帰宅。帰りはやはりバスになってしまうものだなあと思ってしまう。戻る↑
    5月25日(木)「駐車場を巡る攻防」
    来月より駐車禁止を取り締まる体制が大幅にチューンナップされ、運送業者などは戦々恐々としているらしい。そんな殺伐な雰囲気を一足早く感じ取ることができたことはうらやましいと思われるのかどうかは定かではない。帰宅して自分の駐車場に車をとめようと思ったところ、どうやら先客がいたのである。ちなみに自分の駐車スペースは自分が独占的に利用できるものであり、何ゆえそのような不可思議なことが起こったのかは暫し理解できぬままであった。どうやら間違えてとめているのか、はたまたよりにもよって俺様の駐車スペースにてめえの車をとめていやがるのかは不明である。本日の帰宅は遅かったし、自宅前の道路は別に駐車禁止ではないので、車をとりあえずとめておいた。明日もまたこのようなことが起こったままであれば、出る所出てやるというものである。ということで、このネタは明日に続くのである。戻る↑
    5月24日(水)「大学入試センター試験」
    勝馬投票券購入票いくつになっても高校時代の試験の夢を見てしまうのは、高校生活における最もインパクトの高いイベントが、文化祭でも修学旅行でも彼氏彼女でも部活でもなく、試験であることを何気に雄弁に語っている気がしないでもない。そんな思い出に彩られた試験の集大成とも言うべき大学入試センター試験であるが、「マークシートは部分点もくれへんし、マークミスで一教科丸々0点になってしまうから慎重にやれ」という教育を受けてきたのは事実であり、マークミスの恐ろしさは勝馬投票券で味わうまでもなく織り込み済みであったはずである。しかしながら、マークミスがわかった場合にはできうる限りの救済をしてきたということが発覚したのであった。自分がセンター試験を受けたときの自己採点は凄まじいもので、きっちりと大学に合格してしまったのはどちらかといえば想定外である、正味な話「青天の霹靂」であった。最もよく採点されたとして、というのが前提の自己採点であり、自分の場合は救済されたことはないであろうが、世の中には不思議な温情をかけてくれる事があるものである。戻る↑
    5月23日(火)「発想の転換」
    煮詰まった状態からブレイクスルーを遂げるには、発想の転換が必要であるとよく言われる。人間は煮詰まり具合がよほど進まないといい知恵を出すことがない不思議な生き物であるが、煮詰まったから必ずいい知恵が出るとは限らないこともまた真であり、「貧すれば鈍」などという言い方をされることもある。国民年金保険料の不払いがブームになって幾久しく、それがために御遍路に出てしまった某党首や、島倉千代子のファンであるということを間接的にカミングアウトした総理大臣など話題が一頻り盛り上がったものである。話題が下火になったからであろうか、本日は社会保険庁自らがネタを提供し、またもや祭りが始まったのである。年金保険料の納付率が低下するのを食い止めるには、一人でも多くの国民に保険料を納付してもらうより他に手立てはないと悩んでいたところ、「分母ちっちゃくすりゃいいじゃん」というまことに素晴らしい発想の転換をした人物がいたのであろう。この画期的な策により納付率の現象に歯止めがかかったのである。しかしながら、納付額は低下の一途を辿ったのはいうまでもなく、さらには納付を免除されたひとが将来に年金をもらえなくなったということまで起こったから大変である。国民年金を信用できないということで納付しない国民が増えているのに、自らがそれに追い討ちをかけるとは自作自演もここに極まれりである。戻る↑
    5月22日(月)「利益を出す銀行」
    失われた10年とやらが取り戻されつつある昨今であるが、その一つのトピックとも言うべきものとして銀行の経常利益が凄まじいことになっているということが上げられる。銀行は経済の根幹を成すものであり、銀行が元気でなければ経済も元気にならないという認識があるが故にこのニュースはかなり好意的に受け止められている。三菱東京うんこふんじゃったグループは、トヨタに匹敵する1兆円もの利益をあげたとのことであるが、このグループの保有する預貯金の総額は100兆円を超えている。現在の限りなくゼロに近い金利を長きに渡って続けたことにより預金者に還元されるべきであった利息がなくなったため、今日の回復を遂げることに大きく貢献したことは明白であり、この1兆円もの利益とて利息を1%あげるだけですべて無になってしまうのである。つまりはこれだけの利益はあげて当然なのであり、これをもってスケールメリットから経営基盤が磐石になったとは到底言うことが出来ぬものである。戻る↑
    5月21日)「スポーツあれこれ」
    外国からやってきたスポーツで、日本が世界一となっているものはいくつかあるが、女子レスリングは何かおかしなぐらい強いのである。格闘技一般に言えることであるが、日本人は軽量級では強いが重量級では弱いという困った傾向があり、国技とも言うべき柔道でもその傾向は明らかである。しかしながら女子レスリングでは全くそんなことはなく、すべての階級において強いのである。この競技の一番の注目点は吉田沙保里選手の連勝記録ではなく、アニマル浜口の不可思議な気合の入れ方である。今回の世界選手権の日本選手団長が現役の選手ではなく、このオヤジであることに何か違和感を感じるものである。違和感は現役プロレスラー時代のアニマル浜口が弱かったことも多少は影響しているのだろうか。戻る↑
    5月20日)「那珂湊への買出し」
    大洗磯前神社いかりのやりばそろそろいい季節となってきたので、久しぶりに那珂湊に買出しに行くこととした。まずは大洗磯前神社に参拝し、御朱印をいただくこととした。大洗磯前神社は海の神様であり、縁結びの神様としてもそれなりに定評があるらしく、絵馬にはやたらと縁結びの願いがかけられているものである。有栖川宮揮毫の扁額また、海の神様ゆえ、錆びてもう使わなくなった錨を奉納するという不思議な慣わしがあるらしく、倉庫と思しき場所には大量に使用済みの錨が奉納されていた。これを「いかりのやり場に困ったからここにぶちまけた」というのは間違った認識であろう。さて、そのいかりのやり場にはなぜか捕鯨用の銛までが奉納されていたのは素晴らしい限りである。そんな大洗磯前神社を後にして、本日の目的地である那珂湊に向かう。那珂湊に着けばまず市場の回転すし屋で地元でしか食せない食材での寿司をたっぷりいただくことをやるのであるが、贔屓にしている店は改装してしまい、かつてのちょっぴりだだっ広く上手く店内レイアウトがなされていないので客の回転が悪いという回転すし屋は、ベルトコンベアの配置を工夫してすっきりとまとまったオサレな店に変身していた。しかしながら味は昔から変わっておらず、新鮮な海の幸をたっぷりといただいて暫し至福の時を過ごす。腹がくちくなったあとは買出しに出向き、ありえないでかさのアジやサバが素晴らしい値段で売られていたりするのを見て購入し、それ以外も凄まじい値段で海産物を買いつけ、向こう2ヶ月ぐらいは魚に困らなくなったことを認識して帰宅。戻る↑
    5月19日(金)「かおりひめ」
    釜揚げうどん%イメージ本日は東京で飲み会ということで、定時になるとそそくさと片づけをして会社を後にした。つくばエクスプレス開業による恩恵の最たるものは、仕事が終わってから東京に飲みに行くことが可能となったことであり、7時半には新橋でご機嫌に一杯やっている状況は1年前には夢物語であった。日本の道府県がこぞって銀座新橋界隈にアンテナショップを出店しているのはよく知られたことであるが、本日はその一つである香川県と愛媛県が共同で出店している「香媛(かおりひめ)」というところで瀬戸内の幸を肴に一杯やることとなった。間違っても菅山かおるがホール係として働いているということはないが、最近のブームなのか客に対する売込みなのかは不明であるがホール係のおねえちゃんはそろいもそろってめがねっこである。そんなどうでもいい情報はさておき、集まった面々となぜか気象通報について熱く語り合うという不思議な飲み会であった。テチューヘという地名は気象通報以外で聞いたことはないとか、自衛隊の演習計画をなぜ気象通報で流すのかとか、「入電なし」ってどういうことなんだとか、富士山だけはなぜ風力ではなく風速で通報されるのかなどということで盛り上がり、かなり遅くなったのでミッドナイトつくばで帰宅する。ちなみにこのアンテナショップの食事内容について細かくここに書かなかったことを訝しがる人がいたとすれば、それはまだこの日記の真髄を理解していない人だということであり、もうちょっと読み込んでみて欲しいところである。戻る↑
    5月18日(木)「一株1000円の配当」
    成田空港株式会社株式会社とは、会社の株を投資していただける方に買っていただき、そのお金を基にして商売に励み、出た利益を配当として還元することが一般的である。投資先が一般人である場合はごく普通にこのお金の流れを歓迎するべきものである。この仕掛けを巧みに利用して、子会社に配当を出させることにより大株主である親会社に合法的に資金を還流するというシステムが構築されている場合、その尻馬に乗って甘い汁を吸おうとする一般投資家も多く見受けられたりするものである。しかしながら、親会社の体力が弱まって行った場合には、一部の利益を貰うだけではままならず、TOBなどの手法で完全に子会社化してしまうことが増えており、こういう「おいしい会社」は最近減少する傾向にある。しかしながらTOBの株価は時価よりも割高であるため、売ってしまえばそれなりに利益が確保できようものであり、恒常的に配当をいただけないまでも早々悪い話ではなかったりする。そんな中、本日成田空港株式会社は発行済み株式200万株に対し、配当金を20億円出すということを発表したのである。一株1000円とはずいぶんと魅力的な配当であり、どれだけの株価に対してこの配当がなされているのかと興味がもたれるところであるが、この株式は未公開なのである。そしてこの株式は90%が国土交通省、10%が財務省のものであり、これぞ「親の総取り」である。戻る↑
    5月17日(水)「佐藤和也の野望」
    切り替えるのは恋のお相手?かずや君は同級生のまおちゃんをいてこますために「将を射んとせばまず馬を射よ」とまおちゃんの親を懐柔するという手段に打って出たのである。ところが神様のいたずらとしか言いようがないことに、まおちゃんのお母さんのきょうかさんに萌えてしまうかずや君は本来の目的を見失い、きょうかさんをいてこますことに方針転換したのである。正に恋は盲目である。かずや君の一度狂った恋路は修正されることなくますますあさっての方向に進んでいくことになるのである。そしてきょうかさんをいてこますには、きょうかさんの天敵であるお祖母ちゃんのきょうこさんからの攻撃からきょうかさんを守らねばならないという一念発起を起こし、そして気がつけばきょうこさんに萌えてしまうという地獄への片道切符を握り締めてしまったのである。もはや後戻りができなくなり、この一家にどっぷりとつかってしまったかずや君には更なる地獄絵図が待ち受けていたのである。きょうこさんのお友達のあきひろさんという存在に萌えてしまったのである。あきひろさんは男や女という垣根を50年も昔に飛び越えてしまい、もしかすると人間という枠すら飛び越えてしまっている方であり、かずや君はこの倒錯した恋路を貫くことができるのかということは興味がもたれるところである。ところで東京電力のCMってこういうコンセプトで作成されいるという認識で間違っていないね?次のけんいちおじさんとの絡みがちょっぴり気になるところである。戻る↑
    5月16日(火)「ユリ・ゲラーとエルビス・プレスリー」
    ユリ・ゲラーエルビス・プレスリー昔のことを必要以上に知っているというだけで、お前は年がいくつなのかという疑問を差し挟まれたりするのであるが、そのような特異な才能を間違った方向に発揮している人間でも、記憶にない出来事というのはたくさんあるものである。ユリ・ゲラーという超能力を持っていながらスプーンを曲げるしか能がないという超能力の持ち腐れのような人間が一世風靡したのは記憶になかったりするものであり、後からその手の胡散臭い番組の再放送を見ることによって、少しずつ思い出と原体験をリンクさせていたりするものである。同じくエルビス・プレスリーを観たこともなく、微妙に年が若いのかふけているのかがわかりにくい年代に差し掛かっているみたいであると思い直したりするものである。ところで、原体験として全くなじみがないが、後天的に仕入れた知識でその情報がどんどん増幅している結果であろう、何気に親しみをもてるまでに脳みその改善が行われたようである。さて本日、エルビス・プレスリーの元自宅をユリ・ゲラーが買い取ったということである。とりあえずユリ・ゲラーはまだ生きていたのかと思いを新たにしたものであった。戻る↑
    5月15日(月)「日本代表決定」
    ヤタガラスワールドカップの開幕まで1ヶ月を切り、巷ではワールドカップ熱が高まっているそうである。4年前のワールドカップのときは、下着メーカのトリンプが「ワールドカップブラ」などといういつもながらに意味不明なブラジャーを販売していたのだが、Wカップということはと指折り計算して、きっとトップとアンダーの差が65センチもあるという訳の判らないサイズの乳を持つおねえちゃん御用達なのではなかろうかともっと訳のわけの判らないことを妄想していたことが思い出されたりするものである。本日はワールドカップに出場する日本選手団が発表され、順当に選ばれた人もいれば、想定外の選ばれ方をしたり外され方をしたりした人もいて何気に味わい深い。メンバーに選ばれること自体が名誉であるとか、コンディションを保つことが肝要であるとか様々なことをいう人がいるが、ワールドカップに日本が出場すること自体が当然のことのように感じられるのであれば、日本もそこそこ頑張ってきたのではなかろうかとかなり他人ぽいモードでコメントをしたくなるものである。来月の今頃は、意味もなく寝不足に陥る人がいたりするのであろうが、身の回りで赤井英和の「どついたるねん」ならぬ「どいついったるねん」という人は見かけないというのは何故なんだろうか?戻る↑
    5月14日)「突如降りかかる災難?」
    実家で雑務を済ませてくつろいでいたところ、親が「なあ、この株主優待ってまだ使えるんか?」といきなり全日空とJR西日本の株主優待券を差し出した。親に株で配当を貰わせたり、株主優待をもらわせたりして少しは経済とやらに興味を持ってもらいたいという思いでやっているのであるが、どうもこのような振る舞いをされてしまうのである。機内食@ANAスーパーシートプレミアム親いわく「別に損はしていない」ということであるが、不作為であること自体が罪であるご時勢であるから、使わないことは損なのである。ということで使う当てがないと明言されてしまったので仕方なくいただくこととした。少し時間が早かったのであるが実家を後にして帰宅することとし、早速JR西日本の株主優待を使うべく最寄りの駅に向かう。ちと不思議な切符を購入し、その後は伊丹空港まで移動する。珍しく蛍池からバスに乗るという経路で伊丹空港に到着する。行きは何もサービスがないというスカイマークであったが、帰りはこれでもかとばかりにサービスをしてくれる全日空のスーパーシートプレミアムを利用し、機内食を食べたりビールを飲んだりしてまったりと機内を満喫。夕方に出る便を狙ってこのようなサービスを受けるのは悪いものではない。羽田に到着後はいつものとおりバスで帰宅。そして貰ってしまった今月末で期限の切れる全日空の株主優待券をどのようにして使うかについて頭を悩ませることとなるのであった。戻る↑
    5月13日)「ひさびさの帰省」
    神戸空港に降り立ったスカイマーク機昨年同様、この時期になると自宅に一度戻らねばならぬ用事が発生する。それはまあどうでもいいことであり、実家に如何にして帰るかということに算段を張り巡らせるのが基本的な嗜みというものである。今回は今年の3月に神戸空港が開港したということで、ならばこの機会に一度利用してみようと思い立ち、切符の手配をしたのであった。神戸空港の案内しかしながら東京神戸便は全日空は朝早くと夜遅くしかないというあまりに使えぬダイヤであるため、涙を呑んでこれまで利用したことのないスカイマークを利用することとした。販売チャネルをさほど持たないスカイマークにとっては、JALにホールセールをすることにより席数を確保するという作戦に出ているため、JALのサイトから切符が購入できるという不思議な仕掛けになっていたりするのであるが、JALのサイトで買った場合はJALのカウンターに行けというかなり投げやりな対応振りである。機内はCAのおねえちゃんが100%安全要員として乗り込んでおり、ドリンクサービスはおろか、新聞すら積んでいないという機内での殺伐度ナンバーワン振りが見事なまでに発揮されているものであった。そんなスカイマークで降り立った神戸空港は、関西にできた3番目の空港であり、伊丹、関西に次ぐ第3の拠点として今後の発展を期待しているという前ふりだけは立派な空港である。実際のところ、伊丹や関空と比べるとはるかに規模が小さく、その辺の地方空港のテイストが漂うものである。そんな空港から開港に伴い延伸されたポートライナーに乗って三宮に移動し、三宮からは梅田まで阪急を久しぶりに利用する。知らないうちに岡本に特急が止まったりすることに驚き、梅田で友人と待ち合わせて久しぶりに大阪を満喫する。友人に子供が生まれたので子供の御披露目ということであったが、やはり子供が生まれると対応が全く変わってしまうものである。そんな見事な親ばかぶりを見せてもらう。その後は実家に帰り、雑務を片づけておしまい。戻る↑
    5月12日(金)「愛国心」
    教育とは何かという問いへの答えは様々である。一つには貧しくても金持ちでも知識を持つことにより自分の力を高めて社会的な立場を造ることを可能にするという機会の平等を与える仕組みというものがある。また、知識を与えることにより、経済的な戦力として海外に進出し、日本の国力そのものを高めるというプロジェクトの一環というものもある。しかしながら一番重要視されているものとしては、自分たちの国をよく理解し、他国との違いを理解して、自分たちはこれから先どのような方法で外国と付き合っていけばいいかを理解させることが挙げられる。一党支配もしくは偏った思想によって支配されている国家によっては、都合よく歪曲された知識を与える機会として教育という名の洗脳を施している場合もある。発展途上にある国は国力を高めるためにこの手法を用いることがやむを得ぬものであるといえなくもないが、この教育方針はよほどの外圧がない限りそう簡単に転換できぬものであり、ソフトランディングさせることが難しい。日本は第2次世界大戦の敗北という外圧により、これまでの教育方針が180度変わってしまい、60年経った現在ではかつての教育方針の下で教育を受けた人はもはや現役世代にはいない状況となったのである。しかしながら国家百年の計を考えれば、かつての教育方針は些かの行きすぎはあったものの、その反動としての現在の教育方針はまことに不甲斐なく頼りないものであり、何らかの対策が必要と考えられるのである。教育基本法という概念を述べただけの不思議な法律に「愛国心」という表記をすることは決して間違いではなく、適切に運営することが出来ればいいだけの話ではないだろうか。戻る↑
    5月11日(木)「たばこの値上げ」
    何を思うか芥川龍之介たばこは戦国時代にポルトガルから日本に運び込まれたものであるが、たばこがそもそも欧米に広まったのは日本に伝来する高々100年前に過ぎないのである。嗜好品であるが精神的にも肉体的にも依存が高いこのナス科の多年草は、その魅力に取り付かれた人間を虜にしていき、ボリビアの片隅でひっそりと生きていたこの植物は世界中で栽培されるようになったのである。自らもヘビースモーカーであった芥川龍之介は、小説「煙草と悪魔」で、悪魔が商人になりすまして日本へ煙草を伝えたとしている。悪魔は牛飼いと「この植物の名前を当てることができればこの植物の畑をそっくりそのまま牛飼いにやるが、名前を当てられなかったら牛飼いの命を貰う」という賭けをする。一計を案じた牛飼いは、自分の牛を悪魔の畑に放して荒らさせ、悪魔の「俺の煙草畑を荒らすんじゃねえ」というセリフを聞いて見事に賭けに勝つのである。会社の健康保険組合から「煙草をやめるキャンペーンに参加しませんか?煙草も値上げになったことですし、このことをきっかけにしてやめてみませんか?」と不思議なアプローチがなされている。もとより煙草を吸ったことのない人間に禁煙を迫るとは困った話であり、値上がりしたからといって吸うことをやめるような根性のないやつも困ったものである。結局のところ、芥川龍之介の言う悪魔は見事な勝利を収めているわけであり、いまさらこの世から煙草を撲滅することは不可能である。嗜好品であるがゆえに好きに税金をかけてよかろうと直接被害をこうむらない人間としては好き勝手なことをいいたいものであるが、己の売り上げは鐚一文上がらぬというに「何値上げしとるんじゃゴルァ」と苦情が殺到するJTはいい面の皮である。戻る↑
    5月10日(水)「なんでもありのネットオークション」
    ネットオークションの黎明期においては、法整備が追いつかないということから今となっては不可能なことが数多く行われていたのは事実である。人間金銭が絡むと何かしら犯罪が起こるものであり、金銭の価値観が十人十色であることを考えれば、取引する甲と乙の間に齟齬が生じるは必定であり、ドメスティックな取引の間に市場原理である神の見えざる手は入り込む余地などあろうはずがない。そんなネットオークションであるが、近年はようやく整備がなされており、とんでもないものが出品されることもなくなってきていたし、それなりに暗黙のルールが定着してきたものである。常盤貴子がドラマで乗っていた車椅子が空前絶後の価格で落札された話などは今となっては笑い話というものである。そんなオークションであるが、出土した縄文式土器とか、プロの職人が作ったミニチュアのデゴイチなどといまだに味わい深いものが出品されており、人間の欲望とは理解できぬものがあると思わざるを得ない。そして出所もまた不可思議なものであるがゆえに話題となるのであるが、いくら金に困っていたとはいえ、出品してはいけないものは出品してはいけないものである。しかし落札する人がいるから出品したわけであり、世の中の不思議を垣間見るものである。戻る↑
    5月9日(火)「ミスしていても本物」
    本物と偽物はどこで見分けるべきかということは日々議論がなされるものである。偽物は質が悪く本物は質がいい、というわかりやすい基準があるが、世の中には偽物のほうが質が良かったりするものもありこれは判定基準とはなりえないものである。本物はつまるところ、そのものを作っていることを広く世間に知られている者が作っていればいいだけであり、そうでなければいくら物がよかろうと悪かろうと偽物なのである。教科書に誤字脱字があり、こんなええかげんな教科書を作っているとは何事だという不思議な訴えが起こされていたり、これが故にどこからの圧力を受けた行動かは定かではないが作文の授業で「誤字脱字のある教科書について」という不思議なお題で作文を書かせる学校もあるというから何か間違いを感じるのである。教科書は教科書であると国が認めた時点で教科書なのであり、それに何を書かれていようといまいと本物には間違いがないのである。ちなみに見た目では全くわからないが、自動販売機に入れると本物のには本来あるべき認証がないために自動販売機的には偽物と看做されてしまう千円札が見つかったのであるが、これは財務省印刷局が本物と認めており、ミスしていても然るべきところが認めれば本物であるということを具現した一例である。戻る↑
    5月8日(月)「プロスケーターの価値」
    特に深い意味はない女子フィギュアスケートは、オリンピックはあくまでもステップのひとつに過ぎず、オリンピックで名を売ってプロの世界に羽ばたくことがある意味規定路線である。それゆえ、優秀な選手はオリンピックで名前を売ってしまうとそのままプロになってしまうため、やれ医学的見地という名目で年齢制限を設けていたりするわけである。つまりオリンピック出場に年齢制限を設けるのは興行的につまらなくなるからという至って生臭い理由に他ならない。もう一つ生臭い話をするならば、オリンピックで名前を売ったとしても、金メダルを取ったかそれ以外であったかということでしかその選手の価値が語られないということがある。本日、荒川静香選手がプロ転向を正式に表明したが、彼女とてオリンピックで金メダルを取らなかったらバンクーバーオリンピックを目指していたであろうことは想像に難くない。金メダルを取ったことは素晴らしいことであるし、プロに転向するもしないも個人の自由であるからそれについて文句を言うつもりもない。一つだけ疑問なのは、金メダルを取ったか取っていないかだけでプロ選手としての価値が全然違うという話はどこまで信憑性があるかということである。金メダルを取り損ねたけど立派に銀メダルを取り、そののちにプロスケーターとなった伊藤みどりと、荒川静香の差は本当にメダルの色の差だけに起因するのかについては多くを語ってはいけない気がするのはなぜだろう。戻る↑
    5月7日)「後始末と明日からの準備」
    ぐっすり寝たので疲れは一応取れたらしい。ということで自宅まで帰り、もう一寝入りする。昼前に目を覚まし、洗濯物や写真の吸出しなどを行い、明日からの買い物だとか、散髪だとか、エンジンオイルの交換などをして気がつけば夕方である。一話飛ばすと話がわからなくってしまうと大変、ということで録画していた先週の功名が辻を見て8時からはリアルタイムで功名が辻を見る。旅行ではずいぶんと規則正しい生活を送っていたようで、10時過ぎにはすでに眠くなってしまい、明日からの社会復帰に備えてさっさと寝ることとした。それにしても実りの多いゴールデンウィークであった。そしてこれからも毎週末に出かける予定が目白押しである。戻る↑
    5月6日)「帰り着くはずが力尽きる」
    目を覚ますと、フェリー乗り場への道はすでに車の行列ができ始めているのである。伊勢湾フェリーは予約を入れてくれないため、早いもの順なのである。ということで車を行列に並べて車の中で休んでいると、ターミナルのおっさんがゲートをガラガラと開けてくれたのでゲートインし、無事伊良湖までの乗船となった。おさすり大黒様@豊川稲荷伊良湖に到着し、豊川経由で飯田に抜けることとした。豊川の手前で小坂井バイパスという有料のバイパスがあるが、このすぐ横に道があるため、バイパスを使う車がほとんどないという不思議な情景が繰り広げられているのは大変味わい深いものである。豊川では砥鹿神社で御朱印をいただき、ついでにということで、豊川稲荷にも出向くこととした。豊川稲荷はさすがに規模のでかい稲荷であり、参拝を済ませて御朱印をいただくと御朱印書きのオヤジが観光案内も兼ねていろいろと教えてくれるのは味わい深い。ということで境内の奥にあるおさすり大黒天と霊狐塚に出向いてみた。霊狐塚@豊川稲荷奥の院おさすり大黒天は石でできたその大黒様をさすると福が来るということであり、みんなが激しくさするものだからもともと立派な太鼓腹をしていた大黒様も凄まじく減量に成功された模様であり、打ち出の小槌もちびってしまい、どうも福々しく皆さんに福を分け与えてくれる存在ではなく、貧素なものとなってしまっているようで大黒様も大変である。霊狐塚では一頭として同じ狐がいないという狐の像が数百体そこにはおり、みな頭に一円玉を乗せているのであった。豊川から飯田に抜けるのだが、これが結構な距離であり、途中下條でそばを食って休憩し、飯田から高速で諏訪まで走る。諏訪では諏訪大社本宮と前宮に出向き、御朱印をいただこうとしたが、前宮は参拝前に開いていた社務所が、参拝を終えて戻ってくると閉まっているという堪らないタッチの差であり、これがためにまたこの地に出向かねばならぬという思いを新たにしたのであった。そのあと蓼科の「石遊の湯」でまったりと露天風呂を満喫し、佐久平から高速で伊勢崎まで移動する。ここまでくれば後は自宅までひとっ走りというものであるが、疲れはもはや限界に達しており、仕方なく最近できたRSみかもで没する。体力の限界がここまで咋なのは年齢のせいなのかそもそもこの計画に無茶があるからかは不明である。戻る↑
    5月5日)「通過するだけの四国」
    カツオ飯@足摺岬宿毛に上陸し、まずは四万十市を目指す。かつての中村市はこのような名前に変わり果て、なんだかよくわからない状況となっている。そのあと足摺岬に出向き、金剛福寺で御朱印をいただく。朝のはよから境内はお遍路さんで盛況であり、この四国の果ての地に人をひきつけるものはなんなのであろうかと端っこばかりと訪ねている人間にも理解できぬものがあるのだなと思いつつ、朝から名物ということでカツオ飯を食する。湯神社@道後温泉初鰹の季節であるが、高知ではすでにその季節は終わりを告げており、少し時期外れであるが、本場のカツオは旨いものであると朝から満足である。その後車を北に進めて道後温泉でまったりと湯に入り、駐車場の隣にあった湯神社というさすがは道後温泉というところで御朱印をいただく。ちょっとした温泉には温泉寺や温泉神社があるものだが、まさか御朱印がいただけるような神社は日本広しといえどもここだけであろう。松山でまったりと過ごして車を東に進め、徳島の港に到着。出港まで2時間ほど仮眠を取り、和歌山行きのフェリーに乗り込む。フェリーに乗り込んだ後はまるで記憶がなく、気がつけば和歌山に到着していた。和歌山からは紀伊半島をまっすぐ横断し、夜明け前に鳥羽に到着。伊勢湾フェリーが出るまでの間暫し仮眠を取る。四国も通過するだけであったという旅行プランも珍しいなあと思いつつ、いい加減疲れが溜まってきたのではないかと思うものであった。戻る↑
    5月4日)「通過するだけの九州」
    三菱重工業長崎香焼ドック朝宿を出て、奈良尾の港へと行く。思えば楽しい旅であったとすでに回顧録を頭の中で作成しようとしているのは、船に乗って旅立つからに他ならないのであろう。そんなこんなで船に乗り込み、2時間半ほどの船旅でついに九州本土へと戻ってきたのである。長崎の港に帰ってきたときに一番に出迎えてくれるのは三菱重工業の香焼ドックであり、それから女神大橋の下を通って長崎港へと入港である。長崎で友人と待ち合わせて昼飯を食べ、本日の予定を整理する。長崎に戻ってきた時点で帰ってきたも同然と勝手に解釈するのは困ったことであり、実はこれからの旅路は凄まじく長いのである。まずは武雄温泉でまったりと湯につかり、続いて與止日女神社で御朱印をいただく。與止日女神社の横を流れる嘉瀬川には鯉幟が気持ちよく泳ぎ、明日は端午の節句であったことを思い起こす。そのあと千栗八幡宮に出向いて御朱印をいただくべく参道を登ったのであるが、社務所はすでに本日の御仕事をおしまいとしてしまい、打ちひしがれてまたこの参道を下ったのである。古賀稔彦を育んだ石段@千栗八幡宮美味なる久留米ラーメンこの参道を名もなき少年が何度も上り下りし、そしてその少年がオリンピックで金メダルを取ったのだということを誇らしげに顕した石碑があり、なぜか母親と子供が車でやってきて、子供がその石段を上り下りするのを母親が眺めているという不可思議な光景が繰り広げられていたのである。宿毛フェリー「フェリーあしずり」ちなみにその名もなき少年は古賀稔彦であり、きっとこの母子も将来このクソ餓鬼を金メダリストにして左手団扇で暮らしてやるという妄想を抱いているのだと想像するのは簡単なことである。打ちひしがれてるまもなく、夕食ということで久留米の大砲ラーメンで久留米ラーメンを食し、そのあとは国道442号をひた走る。途中満願寺の共同浴場に立ち寄り、源泉かけ流しの素晴らしいお湯を満喫するも、ずいぶんとその風呂場は小さかったのである。どうも間違えて家族風呂に入ってしまったらしく、風呂上りに脱衣場でくつろいでいたら家族でどやどや入ってきたので、其のことに気がついた次第。そのあとは車を東に向け、佐伯から夜中に出港するフェリーで宿毛に向けて出港。九州を通過するだけという珍しい旅行をしたのはこれが初めてではなかろうか。戻る↑
    5月3日)「こんなところに平戸藩領」
    W32TからW32Tへ機種変朝からまずは携帯電話を買うべく青方に向かう。auショップの営業時間が10時からだというので、まずはみやげ物を今のうちに調達しておこうということで、五島うどんをたっぷりと購入し、時間が来たのでauショップへ。五島うどん『地獄焚き』水没によりメモリーが全く吸い出すことができないという事態であるため、アドレス帳には何も入っていない状況で機種変は終了した。前に機種変をしたのが昨年12月であり、「まだ6ヶ月たっていませんねえ」ということで、凄まじく高い機種変となったのは強烈な旅の思い出であることは間違いがないところである。これが電話機の定価というものですか?という位の値段だったので、一番安く機種変ができるものを、ということで店にある携帯を選んでみたところ、色まで同じ機種に乗り換えるという珍しいことをしてしまったのであった。もう使われない上五島空港ターミナルビル風向を誰に知らせる吹流しもう使われないであろう消防車携帯を復活させた後に移動を再開する。海に向かってある小さな入り江に小さな集落があり、その集落の集会場のような役割を果たす教会がそこにあるという集落のいでたちは日本にありながらどうもよそとは趣が違うものである。昼飯に有川で五島うどんの「地獄焚き」をいただき、うどんそのものが持つ力強い味と、あごだしの上品な味わいに感動する。昼飯を終え、次に上五島空港を目指す。上五島空港は頭ヶ島という中通島の東側にある島にあり、今年の3月まで定期便があったものの、現在は定期便はなくがらんとしている。青砂ヶ浦教会風向を知らせる吹流しは誰が見るわけでもないのに吹き流れており、定期便就航時に使われたことが果たしてあったであろうかが疑問である消防車は空港内に置かれたままであった。空港のターミナルビルは教会風のいでたちをしているが、今となってはさびしい閉鎖されたドライブインのような感じである。そんな上五島空港をあとにし、中通島の北端である津和崎灯台を目指す。天気は快晴であり、真っ青な海と新緑のコントラストは大変美しいものであるが、島に来てからこのような景色ばかりを見ていたので些か食傷気味である。五島藩と平戸藩の境界線そんな食傷気味の人間が行き着いた結論は「綺麗な景色というものは存在しない」である。凡そ地球が誕生してこの方「人間が手を加えていない景色」と「人間が手を加えてしまった景色」しか存在せず、本来この「人間が手を加えていない景色」があるべき姿なのであるということを痛感したのである。五島の海の幸をこれでもかと食した結論も同様で、別にいいものや旨いものを特別にここで食べているのではなく、ここで取れる普通の物を食べているだけなのだということに落ち着いたのである。このことが理解できただけでも今回の旅の「原点回帰」は達成できたのかも知れぬと思う。津和崎灯台で野崎島や小値賀島や宇久島を遠望し、そうか、これらの島は北松浦郡で昔は平戸藩だったのかと思いを起こし、この海が五島と平戸の境目だったのかと思いつつ奈良尾に戻ることとした。しかしながら、津和崎からしばらく走った道路の脇に「五島平戸領境界」という石碑があり、どうやら中通島の一部が江戸時代は平戸領であったことを知るに至ったのであった。宿に戻り、五島の海の幸の食い納めということで奈良尾の繁華街に出向いて旨い魚を食べて宿に戻る。戻る↑
    5月2日(火)「18年かけてたどり着く」
    『瞳を閉じて』歌碑への案内:「Yuming」が正しい綴りなんだが、、五島列島は5つの主要な島と、その周りに点在する多くの島の総称である。本日はその主要な島の中でも3番目にマイナーな奈留島を目指すこととした。福江港からの船は車をすし詰め状態にして乗せられるだけ乗せるとか、しかも乗せるときはバックで乗せるというあたりにマイナーな島に行くのだなという気持ちが高まるのは致し方ないことであるが、奈留島は今回の旅行の最終目的地である。『瞳を閉じて』歌碑@奈留高校松任谷由実が荒井由実の時代に書いた「瞳を閉じて」が県立奈留高校の愛唱歌として現在も歌われ続け、しかもその歌碑があるのである。その石碑は高校の敷地内にあり、昨今の変質者が構内に入り込むことを潔しとしない風潮では、果たしてその石碑を見ることが出来るのであろうかという心配があったが、結果は案じるよりも生むが易しであった。石碑の写真を撮ろうとしたところ、向こうからこの学校の教員と思しきおっさんが現れ、頼んでもいないのにこの石碑の謂れについて滔々と立て板に水で語りだしたのである。五島高校の分校としてこの学校があったときに校歌がないから作って欲しいということを松任谷由実のラジオ番組に投稿した高校生がおり、ならばということで作ったのがこの唄であるということである。奈良尾港の石油タンク:「昭和シェル」ではないらしいそこまでは予習してきた通りであったが、このおっさんは更に熱く語りだし、私もこの学校を分校時代に卒業しましたが、当時の校歌は本校の校歌だっただの、全国どこでも分校は普通本校の校歌を歌うだの、現在のうちの校歌はちょっぴり有名な先生に作詞作曲をお願いしただの、この石碑の除幕式に松任谷由実はこの島まで来てくれたけどたったの3時間しか滞在していないだの、島の防災無線の一日の始まりと終わりはこの瞳を閉じてが流れるだの、わざわざバスツアーを設えてこの石碑を見に来る人たちが一杯いるだのということであった。そんな味わい深い石碑を後にして中通島に渡るべく港に戻る。中通島へのフェリーもまたバックで乗船であり、30分ほどで中通島の奈良尾に到着する。まずは港の観光協会で本日の宿を手配し、中通島を通って橋で若松島に渡り、これで5島すべてに車を渡したこととなる。若松島から戻り、奈良尾の温泉センターで離島の温泉を楽しんでいたところ、携帯電話を水没させてしまい、メールも通話も全くできなくなってしまうという大事件が起こってしまった。あわてて宿に戻り、宿の主人にauショップがないかを尋ねる。まさか中通にはないだろうと思い聞いてみたのであるが、なんと青方にはあるということがわかり、明日はまず機種変更をするということで予定を決めたのであった。水没が1日早かったり遅かったりしたらどうなっていたのだろうかと思うと、世の中の出来事の偶然の積み重ねに驚きは隠せぬものがある。本日はなんとなく飲みに行く気力が沸かなかったので、宿で五島うどん定食を作ってもらい軽く一杯引っ掛けて就寝する。戻る↑
    5月1日(月)「久賀島」
    久賀島田ノ浦港に入港するフェリーひさか浜脇教会昨晩いい気分で宿に戻り、「明日久賀島に行きたいんですけど」と宿のオヤジに聞いてみると、「そんなマイナーな何もない島に行ってどないするねん?」とばかりに訝しがられたのであるが、今回は「五島列島に行き、しかも五島すべてにうえぺけ号を渡す」という不思議なコンセプトで渡航費用を度外視しているものであり、車を渡すには福江島でもマイナーな奥浦という港に行かなければならないとか、たかだか15分ほどの航路なのに4500円もかかるなどということはなんら意味を持たぬものである。久賀島民のライフラインであるこのフェリーに乗るべく港に急ぐが、実はその港は堂崎天主堂に程近いところにあり、久賀島への行き帰りに海から堂崎天主堂が望めるという素晴らしい航路である。フェリー乗り場というか船着場に行ってみると、車が5台ほど載せられるような船が待っており、どうやらこれが久賀島行きのフェリーである。船着場に改札もなければ人もいないのでどうしたものかと考えたが、どうやら乗組員が出港してから船内で切符を売るらしい。堂崎天主堂近くの公衆便所福江久賀フェリーに乗るうえぺけ号ということで、デッキで写真なんかを撮りつつ時間をつぶしていたら船員がやってきて切符を買うという寸法である。久賀島は馬蹄形の形をした島であり、内まったところに集落があるのだが、なぜか船着場は集落から山を越した外側にあり、船着場はかつては集落だったものの、今となっては数軒しか家がないというものであり、山の向こうにある集落に果たしてどれだけの人がいるのかが気になるところである。五島はキリスト教の教会が各集落にあるといっても過言でないほど教会が点在し、島の中心部に抜ける山道の最中にも教会はある。久しぶりに写真撮影などを試み、なかなかいいものが撮れたわいと集落に入る。目的地はこの集落を抜けて最後は徒歩でしか辿りつけないという五輪集落であり、うえぺけ号で通り抜けるのが限界と思しき山道を走り続け、行き止まりで車を止め、そこから歩いてその集落にたどり着いた。静かな入り江にあるこの集落には重要文化財に指定されている旧五輪教会がある。窓を除けば外見は木造の和風建築であるが、中に入ると荘厳な佇まいがあり、観光目的でちゃらちゃら来た人間とて襟を正すような何かがそこにはある。でもまあ、ここに観光で来ようなどという人間はいないだろうし、隅っこを極めるという自分本来の旅の目的を果たすためにここに来て、そしてその素晴らしさに出会ったときの感動は一入というものである。帰りの船で朝一緒に乗り込んだクロネコヤマトの営業ドライバーと船室でいろいろと話をし、本日行った五輪集落まできっちりと荷物を運ぶということであった。郵政事業が民営化されたら採算が取れない過疎地域への配送を止めるなんてことが懸念されるという机上の空論を振りかざす人には一度は行ってもらいたい場所でもあると思いつつも、「郵政公社は島の中に営業所(郵便局)があるわけですからこっちとしてはつらいですわ。」などという話を聞けたのは面白かった。福江島に戻り福江島の観光を始めるが、玉之浦の荒川温泉でまったりするなど、離島においてもレアな温泉はきっちり抑えることに余念がない。昨晩の飲み屋で「日没の大瀬崎にはぜひとも行くべきだ」といわれたので時刻を見計らって出向いてみたのであるが、濃霧につき何も見えないという困ったことになってしまったのはまたここにこなければならないという無言の圧力なのかは不明である。宿に戻り繁華街に繰り出し本日どこに行ってきたという話をしつつ本日もまた旨い魚で満足である。戻る↑