2006年4月

  • 今月の日記を新しい順に読む


    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 4月30日)「ようこそ九州、そして五島へ」
  • 4月29日)「日本海側をひたすら西へ」
  • 4月28日(金)「9連休の成り立ち」
  • 4月27日(木)「新人歓迎会」
  • 4月26日(水)「逃亡の恐れなし」
  • 4月25日(火)「折りしもきっかり一年後」
  • 4月24日(月)「何度も甦る船」
  • 4月23日)「三春の桜」
  • 4月22日)「水郡線の旅」
  • 4月21日(金)「アイコラの裏で」
  • 4月20日(木)「私鉄大国」
  • 4月19日(水)「いつか来る引退の日」
  • 4月18日(火)「ヘソ出し禁止令」
  • 4月17日(月)「アスベスト被害救済」
  • 4月16日)「47都道府県制覇」
  • 4月15日)「久しぶりの三浦半島」
  • 4月14日(金)「リーマン天国」
  • 4月13日(木)「久しぶりの出張」
  • 4月12日(水)「ニガヨモギとシャラポワ」
  • 4月11日(火)「DNA鑑定の不思議」
  • 4月10日(月)「戦いすんで日が暮れて」
  • 4月9日)「やはり早かった三春桜」
  • 4月8日)「久しぶりのおなら厳禁の湯」
  • 4月7日(金)「真打ちの登場」小沢
  • 4月6日(木)「春の強制サイン会」
  • 4月5日(水)「社内報に残る恥ずかしい過去」
  • 4月4日(火)「大差のつきすぎた試合」
  • 4月3日(月)「本日より新年度」
  • 4月2日)「久しぶりの休日」
  • 4月1日)「秩父と日光」


  • 今月の日記
    4月30日)「ようこそ九州、そして五島へ」
    宗像神社の燈篭の注意書き:特攻服での参拝禁止宗像神社の自動おみくじ機:中に人が入れるほどでかい本日夕方には五木ひろしばりに「♪長崎から船に乗って〜♪」との縛りがあるため、目が覚めると早々に車を西へと進める。関門橋を渡り九州に上陸し、小倉からは若戸大橋を渡って若松に着く。今回の旅の目的は原点回帰であり、まずは九州の中でも1、2を争うトレースが難しい国道である一般国道495号のトレースにかかる。宮地嶽神社の大注連縄この意味不明な右左折を繰り返す道路を走り行くうちに、そうだなあ、この意味不明な理不尽なトレースが楽しいと思ったからこんなディープな世界にどっぷりとつかるようになってしまったのだと再認識をしたのである。途中宗像大社と宮地嶽神社で御朱印を頂き、さらに西へと進む。宗像神社の特攻服での参拝禁止だとか異様にでかいおみくじ機などをみるにつけ、何か懐かしいものを思い起こしたりする時点ですでに旅行モードにどっぷりとつかっているものである。宮地嶽神社では日本一の大注連縄なんかを見物し、出雲大社とどっちがでかいのかを考えたり、注連縄に賽銭を埋め込んだりと楽しく時を過ごしてみる。女神大橋@長崎港さて、495号は古賀あたりで全く動かなくなったのでトレースはあきらめて3号にスイッチし、そのまま都市高速と西九州道を利用して唐津へと抜ける。唐津で昼飯を食べ、そこから先は海岸線の国道をきっちりと走って伊万里へ。フェリー長崎%五島行き途中名古屋在住の友人とばったり出会うなどといういつもながらの出会いをし、お互いの健闘を祈って分かれる。時間が厳しくなってきたので、佐世保三川内から高速に乗り長崎出島道路で長崎のど真ん中に出てくるといういつもながらに驚かされる道路で長崎市内に到着。フェリーターミナルがオサレに改装されたところで「大波止」という名前が消えるわけではなく、フェリーターミナルはいつもながらの賑わいを見せていた。折りしも長崎は「帆船祭り」なるイベントを開いており、道路が混雑していたので困ったものであったが、何とか出港時間に間に合わせて船に車を載せる。港を出た船は港内を進み、女神大橋を潜って港外へとでようとするが、実は船から帆船祭りを見るということは、一番見ごたえのある場所を独り占めしていることであり、なるほどこれはまことに結構なことであると新たな認識をした次第であった。3時間ほどの船旅の末、福江に到着したのは夜9時前であり、宿に車を泊めて五島の幸をいただくべく町に繰り出す。死後硬直の解けきらない新鮮な海の幸に感服し、キビナゴの素揚げやイカの刺身などを頂きつつ、夜は更けていったのである。島の旅はこれが楽しみなのである。戻る↑
    4月29日)「日本海側をひたすら西へ」
    富山といえばますの寿司越中境PAで目を覚まし、いざ西へと進路をとる。旅情を無闇に書き立てるべく朝ごはんから富山のますのすしを食べてしまうところに無理矢理の感があることは否めないが、富山に来たら食べてしまうものである。氣比神社@敦賀高速道路を敦賀で下り、まずは気比神社に向かうこととした。日本三大松原の一つである気比の松原は白砂青松の不幸明媚な地であり、敦賀に行く機会があれば一度は訪れてみたい名勝である。敦賀に何度も来ているというのに訪れることがなかったこの名勝は、今回もパスされるという憂き目に会い、気比神社で御朱印をいただくのみで次なる目的地へと移動してしまう。続いて小浜で若狭彦神社に参拝して御朱印をもらい、神職さんのお話を聞いて勉強をさせていただく。神職さんいわく「うちが下社で、若狭姫神社の御朱印もあるけどいっとく?」ということなので朱印帳の見開きにきっちりと御朱印を並べて押してもらい、なかなかに満足な滑り出しである。この神社で勉強したことは「自動車は、車体やタイヤの原材料である鉱物、植物、それにガソリンという天地自然の恩恵と、人間の尊い勤労とによって産み出された「神霊の宿る生きもの」なのです。」ということであり、なるほど車の御祓いとは斯様な高尚なコンセプトに基づくものであったかと己の不勉強ぶりを恥じ入るばかりであった。車の御祓いをする理由@若狭彦神社車を西に進めて粟鹿神社でも御朱印をもらい、社務所でまったりとお話を聞いたりしていざ鳥取へと向かう。鳥取の手前で岩井温泉でまったりと結構なお湯につかり、これまでの移動の疲れを癒す。温泉の係員と思しき爺さんが「一番奥の浴槽はなんか浮いてるから入らんといてください」という注意をしていたが、その爺さんが全裸であるのは説得力を持たぬものである。とりあえずなんか浮いているという浴槽はパスし、隣の浴槽でまったりとすごす。岩井温泉はこれまで3度ほど訪れているが、湯かむり会館は今回初利用であり、共同浴場の素晴らしいお湯を満喫できたのであった。鳥取からは津山に向かうべしと計画を立てていたのであるが、用瀬あたりで道路が完全に渋滞してしまい、どうやらにっちもさっちも行かなくなったらしいので、かなり強引な迂回路を見つけ出して奥津温泉経由で院庄に到着し、ぎりぎり8時前に高速に乗ることに無事成功する。ここから先ひたすら中国道を走る予定にしていたのであるが、これから先の中国道は道が適当にくねくねする山道であり、しかも交通量が劇的に少ないのであまり運転していて楽しいものではないと判断し、東城で下りて福山まで行き、福山から山陽道で西に向かう。いい加減眠くなったので宮島SAで没する。戻る↑
    4月28日(金)「9連休の成り立ち」
    昨日の飲み会のコンセプトは「連休前の金曜日をまったりと過ごして定時ダッシュを決める免罪符」であり、本日午前中が部内会議で潰れることもすでに規定路線である。そんな味わい深い部署であるが、このような結果となったのもすべては来月の1日2日が休みとなったからに他ならない。営業さんの外回り先がカレンダーどおりにしか休まないところであるため、営業さんは連休の谷間も働くのだから、お前たちも営業さんじゃないけど働こうよ、などという不可思議なナニワ節で経営者が連休の谷間を埋めることを潔しとしないのは何気に問題であり、連続して働かないと労働効率が上がらないということが明白な職種である我々は、そんなことを言われても聞き入れるわけには行かないのである。会社との交渉で無事休みが勝ち取れたのはうれしい限りであるが、休みが取れなかったところで有休をとって会社に来ないことは明白であり、年次休暇の消費が少し遅れただけのことである。ちなみに労働組合を先日脱退した元上司は、つい先日まで来週の連休の谷間が休みになったことを知らなかったらしく、「組合そんなに頑張るなよ〜」と訳のわからない嘆きをしていたことは内緒である。ということで、終業のベルが鳴るとともに9連休は始まりを告げたのである。今年の旅行のテーマは「原点回帰」である。なにがどう原点に回帰するのかはこれから先の珍道中でご理解いただきたいところである。とりあえず会社からは小山や足利で激しい渋滞に巻き込まれながらもいつもどおり伊勢崎まで移動し、軽井沢経由で長野に入り、白馬に抜けて糸魚川まで北上する。北陸道に乗り、富山県に入ったところで本日は終了する。戻る↑
    4月27日(木)「新人歓迎会」
    この4月に職場に新人君が入ってきたのであるが、どうも隣のグループに配属された新人の名前が覚えられないという現象があり、これは老化の現われではないかと一人思うも多分に全員がむさい男だからであるというわかりやすい結論に落ち着いていたりするのは当然の成り行きというものである。そんな新人君を歓迎するというイベントが4月の終わりの木曜日に執り行われるという風習が我が部署には古くからあり、思いおこせば4年前は自分が歓迎されていたのである。つくばという立地条件は飲み会をするにも事前の根回しが重要であり、朝来るときは誰かの車に便乗するとか、飲み屋から会社までマイクロバスが来て、飲み会が終わるとマイクロバスで自宅まで送り届けてくれるなどというサービスが当たり前に行われるのである。このことは飲み屋側の経営努力という一面もあるが、盛り上がったのでもう一軒はしごするという正しい酔っ払いの在り方に真っ向から対決するものであり、この辺についてはどうも自分の中では折り合いがついていないものである。ともあれ、新人君の名前は全員覚えられたような気がするので良しとしよう。明日になったら半分くらい忘れているだろうけど。戻る↑
    4月26日(水)「逃亡の恐れなし」
    刑が確定するまでは無罪であるという考えに基づけば、刑が確定していない人間を拘束することは基本的には間違いである。しかしながら、逮捕し起訴した時点で量刑を確定するまでの間に逃亡を図られたり、証拠を隠蔽したりされては公判が維持できぬものである。それゆえ、「悪いことはいたしませんから拘置所から出してください。人質として結構なお金をお預けいたします。」という保釈金という制度があり、晴れて世間に舞い戻ることができるものである。本日堀江容疑者は莫大な保釈金を積んで拘置所を出ることと相成ったが、集まった報道者に対して「お騒がせしてすみません」と謝罪したのである。「すみません」と「謝罪」した時点で、世間に「ホリエモンも罪を認めたのか」と御気楽な考えをもたれてしまっていることは想像に難くないが、あくまで堀江氏は世間を騒がせたことに対して詫びを入れているだけであり、そもそも世間が騒いでいるのはマスコミが騒いだからじゃないんですか?という細かいツッコミを入れているのかもしれないのである。戻る↑
    4月25日(火)「折りしもきっかり一年後」
    公共輸送機関で元も安全係数の高いものは航空機であるという意外とも取れる結果があるが、これは航空機が一度事故を起こすとその犠牲者が大きいがために強く印象に残るということが理由として挙げられる。日本の誇るべき安全神話は飛行機ではなくむしろ鉄道にその多くを垣間見ることができ、定刻到着と安全に愚直なまでに真摯に取り組んでいる歴史の積み重ねが現在の状況を生み出している。そんな鉄道であるが、きっかり一年前に安全よりも定刻到着に執心したが故にJR福知山線で大事故が起こったのは記憶に新しいところである。折りしも本日、こんどは山手線で線路の道床が盛り上がるという信じられない事件が起こり、あわや大惨事という事態になったのであった。日々の自動車通勤のお供はNHKのラジオであり、車通勤であれば全く縁がないことによりどこか遠くの同じ空の下でこのような事故が起こされているのだなと他人事のように考えてしまうものである。今回は発見が早く、怪我人がなかったことを素直に喜ぶべきであろう。戻る↑
    4月24日(月)「何度も甦る船」
    お台場で余生を過ごす南極観測船「宗谷」船は当初の目的とは異なる使われ方をすることがよくあり、そのたびに艤装を施しなおして何度も生まれ変わるものである。南極観測船としてその名を広く知らしめた「宗谷」はソ連からの注文をうけて長崎県の香焼島でボロチャエベツ号としてその生を受けるが、進水を迎えたのは折しも第2次世界大戦勃発の時期であり、ソ連に引き渡されることなく地領丸として活躍することとなる。商船であった地領丸はもともとソ連からの発注ゆえに身につけていた耐氷能力が災いし、海軍により徴用され、特務艦宗谷として配備されることとなり、北洋で物資や兵員の運搬に任るのであった。しかしながら戦局の悪化とともに海軍の所有する船舶は次々と轟沈し、宗谷も北洋だけでなく南洋にもその仕事場を拡げることとなったのである。米軍潜水艦からの魚雷が命中するものの不発弾であったため沈没を免れるなどという数奇な運命に翻弄されたこの船は、戦後は樺太からの引揚船の任務をこなし、その耐氷能力と不思議なまでの運の強さを買われて南極観測船として表舞台に復活するのである。宗谷の歴史を繙けば斯くも数奇な運命に愕然とするばかりである。さて、本日東京宮崎間のフェリーを運航するマリンエキスプレスが航路の廃止を申し出てしまい、運行されていた「フェリーひむか」がお払い箱になることが決まったのである。フェリーひむかはかつては「れいんぼうべる」という名前で横須賀大分航路に就航しており、その昔は九越フェリーで活躍をしていたのである。このれいんぼうべるは宗谷とは異なり、昨今の原油価格の高騰に翻弄される運命を辿っており、戦時中の宗谷とはまた異なる数奇な運命の持ち主なのかもしれない。戻る↑
    4月23日)「三春の桜」
    三春の滝桜日本一の桜を見るためならば、多少の苦労は厭わぬものである。5時に目が覚めて郡山を立ち、三春へと移動する。すでに会場近辺の駐車場はかなり詰まっており、午前6時というにすでに全開モードまっしぐらである。あべ食堂のチャーシュー麺遠く名を聞く三春の滝桜は見事な桜であり、この桜の娘だの孫だのという桜がこの近辺あちこちにあり、孫ですらその樹齢は画一的なハイブリッドとして全盛を誇るソメイヨシノの寿命をはるかに凌駕しており、この桜に今更御年を聞くことも野暮というものである。三春の地名の由来どおり、あべ食堂@喜多方ウメモモサクラが同時に開花するこの地は寒冷にして春を待ち焦がれる思いが強い所為もあるだろうが、この滝桜は素晴らしいというものであり、一度は来て見たかったという思いが果たせたこともあって朝の6時半で本日の目的が達成されてしまったりもするから驚きである。気がつけばデジカメの画像は200枚をゆうに越しているというこの上ない被写体を後に進路を北に取り、高湯温泉の共同浴場を目指す。安達屋旅館の前にあるこの共同浴場は源泉かけ流しの素晴らしいところであり、硫黄泉のやわらかいお湯にはいってまったりとすごせば時の流れはゆったりと過ぎていくかのようである。朝から冷え込んでいる外に長くいたがために体が温まるとほっとして次は腹が減ったことに気がつくというのが常道であり、この素晴らしい温泉地を後にして昼飯を食べるべく喜多方に向かう。喜多方ではあべ食堂でラーメンを食す。チャーシューの種類が3種類あるという細やかな気遣いとその素晴らしい味わいに満足し、桜と温泉と食という人生の三大欲求を満たしてくれた福島に感謝して帰路に着く。帰りに南平台温泉観音湯に立ち寄り、関東平野の温泉とはこのようなものだなとそのギャップを確認して帰宅。素晴らしい思い出ができた週末であった。戻る↑
    4月22日)「水郡線の旅」
    新宿弁當車窓を眺めるときのお供先々週の空振りを思い起こし、今週こそ三春の桜を見に行こうということになった。友人と出かけることとなったのであるが、友人が昼過ぎまで野暮用が発生したということなのでおとなしく一人で先に出て郡山で合流しようということとなった。郡山に如何にしていくかを考えたときに、いまだに乗っていない鉄道を巧みに繋ぐという作戦は極めて魅力的なものであり、それが故に地図を眺めてプランを練ることに余念がなかった。水郡線かくして本日はそれを決行することとなった。まずはつくばエクスプレスで南流山に向かう。郡山に行くというのに最初から方角が逆である。そして武蔵野線に乗り換えて西船橋に向かうのである。そのあとは新宿まで総武線に乗り、新宿から小山までは湘南新宿ラインを利用する。新宿で「新宿弁當」なる駅弁などを買い込み車窓を眺めつつの昼飯にプチ旅行気分が高まるものである。小山までは利用した事のある路線であるが、ここからが利用していない路線である。美味なる会津そば水戸線という一般国道50号に並走するがローカル線である列車に揺られて2時間で友部に着き、友部からは常磐線で水戸に着く。水戸線の印象が薄いのは小山からすでにビールをかっくらっていてうつらうつら過ごしたからだというわかりやすい言い訳があるが、それを差し引いても中途半端に開発されている田舎の風景は印象に残らぬものである。水戸からはいよいよ本日のメインイベントである水郡線の走破である。常陸太田に抜ける支線があるということは今後の課題であるが、水郡線はそのローカルさと「日本で一番おしゃれである」水戸の女子高生が一杯の社内という不思議な組み合わせが妙味であり、くしの歯が欠けるように乗客が減るにつれ、ローカル色豊かな車窓風景が広がるという寸法である。自然が溢れ、是でもかとばかりに桜が満開であり、車窓から十分と春を感じて夕刻に郡山に到着する。郡山で友人と合流し、お宿に荷物を置いて飲みに出る。旨い魚と地鶏に満足し、〆の会津そばに感激して夜は更けて行った。戻る↑
    4月21日(金)「アイコラの裏で」
    肖像権をなめていませんか?肖像権という考えはあっても、法的根拠を持たぬ日本にあっては「有名税」などという不思議な表現で「甘んじて受け入れよ」という風潮があった。その考え方はインターネットの普及に伴い、利害の衝突が増えてきたがために改めてこの権利を法的根拠に基づいて確立するべきであるということとなり、現在は既存の法律の運用により法的根拠を確立せんとしている。インターネット黎明期において女性タレントの顔写真を別の写真と挿げ替えるというコラージュを施した画像が「アイコラ」という名称で出回り、大問題となったのは記憶に新しいところである。かつてはそのコラージュ作品を作ることに注力し、切磋琢磨して己の技術の向上に是努めていた御仁もいたのであり、その技術をコンペ形式でサイトで公表していたということもあり、今にしてみれば牧歌的もいいところである。本日はそのようなよろしくない自体に対し「やっぱりよろしくないです」という判決が下されたのであったが、いまだに法律が出来上がらない理由は「個人的な楽しみを制限するとはどういうことだ?」という不思議なシュプレヒコールを些かヘンコな方々が揚げているからではなく、肖像権が拡大解釈されるようなことがあれば、公的な人間の悪巧みを暴く報道機関に対して法的根拠に基づいて制限を加えることができる可能性があるからである。日本人は極端に走る熱しやすく冷めやすい民族であるがゆえ、この勢いで法律を作ることが果たして将来に禍根を残さぬものであるかは微妙なものがある。戻る↑
    4月20日(木)「私鉄大国」
    かつて関東では国鉄が強く、関西は私鉄が強いと言われていたものであった。そんな関西の私鉄の大手五社(近鉄、阪急、京阪、南海、阪神)のうちで鉄道事業よりも不動産事業のほうが盛んであり、宅地開発やレジャー産業を手広く行うことにより一大帝国を築いた阪急は、バブル崩壊の影響をもろに受け、ほうほうのていで現在生きている状況にある。これに対し、大手の中で一番規模が小さく、それゆえ派手は不動産投資ができなかったことが幸いし、堅実な経営を繰り広げてきた阪神は、資産を上手く運用していないのは経営者の怠慢であるという不思議な観点に立って株の買占めが行われており、まさしく世の中何が幸いするかわかったものではないのである。そんな趣の異なる会社である阪急と阪神は大阪神戸間のCompetitorであり、日々鎬を削っている仲であった。本日の報道で阪急と阪神が経営統合をめざすこととなったのは青天の霹靂かといえばそうではなく、全国のグループの力を結集して凄まじい勢いで阪神大震災後の復旧を遂げたJRにごっそりと客を持っていかれたがゆえに「共通の敵を持つ友」としての合従連衡である。そもそも合従連衡の歴史は昭和43年の神戸高速鉄道の発足に端を発しており、別にこれから先何か問題が発生することはないと思われる。戻る↑
    4月19日(水)「いつか来る引退の日」
    新庄剛史プロ野球選手の選手生命とは短いものであり、無事是名馬といわれる選手でも20年も続けることができぬものである。それゆえ引退までをいかに選手として活躍するかを念頭において生きる必要があり、それがある意味すべてである。それはあたかも戦国時代の武将が最後の死に様を以下に派手派手にして後世にまで名を残すかと同じものであり、滅びの美学が垣間見えるものである。そんな侍が集うプロ野球にあって自分を如何に華やかに演出するか、そして観客を魅了することにより野球を楽しんでもらうかに余念のない選手がいる。そんな新庄選手がヒーローインタビューで引退宣言をするという派手な演出をしたが、その真実の程は不明である。たとえ引退しなかったとしても、それは新庄らしいと言われるところが新庄らしいのだが、確実に時は過ぎており、そう近くないうちに新庄の現役生活は終わろうとしているのもはどうしようもない事実である。戻る↑
    4月18日(火)「ヘソ出し禁止令」
    ヘソ出しの一例:長州小力記憶を辿ってみたところ、「ヘソだし」とは本田美奈子.の売り文句であったはずである。しかしながら日本の伝統文化として腹芸というものがあり、その素晴らしい文化を今に伝える場が酒の席のみであり、昨今はセクハラなどという外圧によりその素晴らしき伝統文化の日が消されようとしているのは嘆かわしいばかりである。禁止対象となるユニホームの一例そんなヘソ出しにまつわる話であるが、このたびオーストラリアでチアリーダーのユニフォームにヘソ出し物を禁止するという極めて遺憾な決断を下したのである。その理由が「婦女子のダイエットしておなかをへこませないとかわいくないしモテモテにならない」という間違った強迫観念を植え付ける恐れがあるからというから恐ろしい限りである。そのような思想に取り付かれた婦女子の存在があることは認めるが、そのような思想に取り付かれた婦女子の実に9割はヘソ出しの服装をすることに後生だからやめてくださいとかそれって逆セクハラですという訴えをされることのない十分痩せている存在である。おっさんどものスポーツ観戦の楽しみの97%を占めているチアリーダの存在をなんと心得るかという素朴な怒りに端を発している本日の思い付き的なネタの披露であるが、大学時代の後輩がアメフト部のチアリーダをやっており、チアリーダは遠くから眺めるがよしという思いをボブサップ並に強くしたことをなぜか思い出してしまったのは内緒。戻る↑
    4月17日(月)「アスベスト被害救済」
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル人類の歴史とは過ちの歴史であるというネガティブな思考をする人がいる。しかしながら何が正しいとか何が適切であるかは経験を積まねばどうしようもないものである。ヘーゲルが歴史の必然性を「アウフヘーベン」という言葉で説明したのはそういった人間の歴史を適切に敷衍したに過ぎず、キルケゴールがこの哲学を拒絶し「自分がそのために生き、そのために死ねる真理」を探そうと思ったのは凡そ気の迷いと解釈するべきであり、レギーネ・オルセンという美貌の女性との婚約を一方的に破棄したのは自虐的な何かと解釈するべきである。かつては素晴らしい建材であると思われていたのに、肺気腫などのリスクファクタとして忌み嫌われるようになったアスベストも時代の徒花となるのはこの考えに基づいているのかもしれない。本日のクボタの微妙な決断は、日本的には極めて好意的に受け入れられるものであり、実質被害者を救済したものとして評価されようものと推測される。しかしながら、この経営判断は「裁判で有罪が確定していないのに無駄に会社の利益を使ってしまった」という判断を下した株主により代表訴訟が行われても致し方ないものでもある。日本的であると思われるのは、今回株主代表訴訟が行われた場合には「血も涙もない株主」と看做されたりする事である。戻る↑
    4月16日)「47都道府県制覇」
    47都道府県目の画像ページの表紙の写真はページ開設以来粛々と更新を続けてきたが、どうも地域的な偏りがあり、ある都道府県はすでに十回ほどご登場願っているというのに、方や本日まで一度も登場することがなかったところもあり、なにげにその地域差が激しい。そこに立ち寄る頻度が低いから写真を撮ることも少ないという話は尤もらしいことではあるが、そこには良く立ち寄るけれど単に通過するだけで、そこが目的地となるものではない場合にはやはり写真に収める機会は少なくなろうものである。ということで、ページを開設してまもなく5年になろうとする本日、ようやく神奈川県にご登場願うこととなった。これにて47都道府県すべてが登場したことになる。ちなみにこの表紙用の写真のストックが現在100枚以上あり、毎週更新しても2年分、隔週であれば4年分ものストックがあるというから凄まじい量である。いつの日か今のように自由気ままに出かけることができなくなる日が来るからという言い訳のもと、必要以上に出かけて写真をとりまくっている人間にそんな日が来るのであろうかとうのは素朴な疑問にして直球一本勝負を挑まれているような気がする。戻る↑
    4月15日)「久しぶりの三浦半島」
    関東に来てからというもの、赤身の魚が旨いということに開眼したのは確かである。そして近場で最も赤身の魚を満喫できるところといえば、三浦半島である。ということで、本日は春の陽気に中てられて三浦半島へと出かける。港町はこれでもかとばかりにまぐろ料理屋やすし屋が軒を連ね、素晴らしいまぐろをこれでもかとばかりに堪能させることに余念がない。まぐろをたっぷり満喫して船で房総半島へと渡り、夕暮れ迫る海岸にある館山国民休暇村でまったりと海を見ながら温泉としゃれ込む。そのあとは一路帰宅の途につき、途中眠くなったので道の駅多古で没する。戻る↑
    4月14日(金)「リーマン天国」
    本日も出張である。ヒット商品が年々少なくなり、新たな商品を生み出すために試行錯誤が繰り広げられているのだが、その開発方法が古臭いために新しい商品が生み出されなくなりつつあるというこの業界では、新たなる商品を見つけるためのストラテジーというものに勢い興味がもたれがちである。そのストラテジーを紹介するのがこの学会という場であったりするのだが、この学会で発表されるないようそのものがすでに古臭くなってきていることに大いに危惧を覚えるものであった。そんな会場を後にして本日は新橋で宮崎地鶏をつまみに宮崎の焼酎で一杯やるというまことに結構な店に立ち寄る。待ち合わせていた兄は仕事が忙しいということで遅れてやってきたが、合流してからはいい気分で酔っ払い、生レバーを食することができるという次の店でもまことに旨いものを堪能する。そして八重洲口から高速バスに乗れば、出発した瞬間に記憶が途絶え、気がつけばつくばセンターに到着していたのであった。心地よいタイムスリップである。戻る↑
    4月13日(木)「久しぶりの出張」
    仕事内容が変わったというのに、去年と同じ学会になぜか今年も出席することとなった。今の上司が何を考えて僕を出向かせたのかは不明であるが、もとより興味のある学会なので特になにやらという気がしないでもない。仕事場が片田舎であるため、久しぶりに都会に行くことは楽しみであり、昼飯の選択肢がありすぎて困るという贅沢な悩みをするのはこれぞ楽しみである。なぜかその学会で前の上司が発表していたりするのは不思議としか言いようがないが、何か不思議な規定路線があり、それに好むと好まざるに関わらず乗せられているような気がするのはきっと部下の欲目というものであろう。とりあえず出張は明日も続くが、去年との一番の違いはつくばエクスプレスの開通により、朝家を出る時間が1時間遅くなったということである。戻る↑
    4月12日(水)「ニガヨモギとシャラポワ」
    ウラジミール・イリイチ・レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所片田舎でまったりと生活をしていた夫婦に容姿端麗なる娘が生まれたとして、その娘が世界的な有名人になることは凡そ望めぬことである。しかしながらこの夫婦が片田舎をよんどころなき事情により追われて隣の国の首都に難民として移り、容姿端麗である娘が生まれたところでこれでは生活ができぬという苦渋の決断の末、移民としてアメリカに移ったという話は明らかに悲劇的な家族の生き様を表しており、その娘がこれから先どのような人生を歩むのかといえば、明るくない未来を想像するのは畢竟である。よんどころなき事情が20年前に起こったチェルノブイリ原発事故であるとか、その娘の名前がマリア・シャラポアであるとかという話が成り立てば、この話はまさしく禍福は糾える縄の如しである。原発事故をこのような形で正当化するわけもなく美談とする気も毛頭ないが、世界の多くの男子が萌えている対象がこのような経緯でデビューしたことに誰もが不思議を唱えることができるものではない。更に付け加えるならば、世の中の出来事は偶然の積み重ねによって起こるものであり、必然と考えるは当事者の思い込みにのみ依存する妄想に他ならない。このような偶然でマリア・シャラポアが世にでなかった場合には、他の誰かがこの座を占めていたはずであり、特に何か因縁を感じる必要はないのである。戻る↑
    4月11日(火)「DNA鑑定の不思議」
    DNAジェームズ・ワトソンとフランシス・ クリックという二人の新鋭科学者が、人の遺伝子情報が収納された塩基対の配列が二重螺旋であることをモーリス・ウィルキンスのX線写真から発見したのはせいぜい50年前のことである。その発見はトップ屋気取りのこの二人の若さの勢いに任せたものでフライング気味であったという説が専らであるが、それからのごくわずかな間にこの生命の神秘を解き明かさんとする科学者たちの熱意はこの不思議な二重螺旋に傾注され、気がつけば親子関係や犯罪者の特定にすら利用されているのである。科学の本質は人を幸せにすることであるが、拉致された本人の両親の遺伝子情報から自分たちの孫であることを鑑定できるという不思議なことにすら利用されているこの科学の最先端を行く鑑定は人を幸せにしたのであろうかは不明である。戻る↑
    4月10日(月)「戦いすんで日が暮れて」
    現在の仕事はこれまでと違い、ベンチャー会社が売り込んできた商品を買うかどうかを判断するために評価をするという不思議なものとなっている。評価の方法は様々であるが、とりあえず将来この商品がものになるかを判別するにはそれなりの専門知識が要求されるものである。専門家集団を自負する我が部署ではその専門性に賭けて評価を担当しており、外部との折衝をする部署に評価結果をフィードバックをすることになっている。しかしながら折衝部署は、将来その商品がものになろうとなかろうと商品を無事買い入れることができれば手柄であるため、はじめから買うことを前提に話を進めており、ベンチャーの都合のいい話ばかりを聞いてくるため、我々の存在は極めて邪魔である。本日は外部折衝をする部署との会議で以下にこの商品が将来ものになる見込みが薄いかを説明していたのであるが、凡そわけのわからない根拠に基づいて話をしてくるため、お前は一体どこの会社の人間なのかといいたくもなる有様である。当初1時間ばかしですむであろうということで夕刻より始まった会議は延々と続き、当初の3倍ほどの時間を要して無事終了した。しかしながらいまだに向こうは納得しておらず、これからもまた不毛な戦いを続けなければならないことが思われるものであった。戻る↑
    4月9日)「やはり早かった三春桜」
    リポビタンDもあるでお三春の桜は結局早いということが判ったので、本日はそちらとは方向が大いに異なる会津地方へと行くこととした。まずは会津の一ノ宮である伊佐須美神社に向かう。門前の茶店にはみそでんがくやさくらもちに並んでリポビタンDが売られているなどという味わいぶかさに直面するが、これもまた歴史のなせる業なのであろう。ということで思い直して境内に入るが、境内は楼門の建替えの真っ最中であり、その玄武白虎朱雀青龍の基壇四神石はアフリカ、南アメリカ、スエーデン(原文ママ)、福島県が原産地とワールドワイドである。境内に入れば三笠宮殿下御手植の松が鎮座するが、その回りに鶏が放し飼いになっており、御手植えの松は鶏糞まみれである。大内宿手打ちラーメン&煮込みカツ丼@牛乳屋食堂こっそりとその鶏の群れに烏骨鶏が混じっているなど様々に味わいぶかさを鏤めた神社を後にし、塔のへつりを見学して大内宿に向かう。大内宿は昔の宿場町の佇まいを今に伝えるところであり、食堂や土産屋という昼間だけの町ではなく、きちんと宿泊ができるという現役の宿場町である。表通りは昔ながらの佇まいを残して電柱などという無粋なものとは無縁であるが、一歩裏側に回ったら冷房の室外機や電信柱や街灯があり、やはりこういうものなくして現在は生きて行けないのであろうということを思い知らされる。そんな大内宿を後にして牛乳屋食堂に向かう。手打ちラーメンと煮込みカツ丼を食して満足し、いざ帰路に着く。帰りに塩原で温泉に入りまったりと帰宅。戻る↑
    4月8日)「久しぶりのおなら厳禁の湯」
    温泉卵名物のソースカツ丼ぼちぼち近所の桜も散ったが、東北地方はこれからが桜の季節であり、これからしばらく遠出をして桜をめでることができようものである。ということで、本日は三春の桜を見に行くべく出かけることとした。まずは温泉を楽しむべく二本松にある岳温泉に向かう。この温泉は以前出向いた折に極めて楽しい掲示がなされており、湯治に来た括約筋の緩い御仁が大騒ぎを仕出かしたものであろうと想像される「おなら厳禁の湯」である。ホヤ鯉の洗い実はそんなのはネタに過ぎず、お湯の素晴らしさに感動し、黄金週間ともなれば満開となるであろう桜並木を愛で、東北の高原ゆえに存在しうる水芭蕉などを鑑賞してゆったりと時を過ごす。昼飯はニコニコ共和国議員食堂で名物のソースカツ丼に温泉卵をかけて食す。しかしてこの食堂の名物はこの昔と変わらぬ味を誇るソースカツ丼ではなく、このソースカツ丼を作っている大統領専属シェフの類稀なる太い眉毛である。そんな味わい深いものを満喫した後は更に車を進めて飯坂温泉へと向かう。ここでもまた結構なお湯を堪能し、本日の目的地である郡山に到着。郡山の宿にチェックインし、郡山名物は何かということを宿のコンシュルジュに聞いたところ、鯉であるということで郷土料理屋に向かう。郷土料理屋で鯉の洗いやホヤなどを食し、地元の純米酒に感動しつつ夜はふけていった。戻る↑
    4月7日(金)「真打ちの登場」
    慶應ボーイだったこともあったらしい怖い顔をしている人は最初からハンデを背負っているものであり、同じことをしても怖がられれるぶんだけ損をしている。さらにはその顔で愛想よく笑おうものならば、子供がひきつけを起こしたりするなどずいぶんと顔が怖い人は住みにくいものである。民主党の代表選挙が執り行われ、小沢一郎氏がついに代表という表舞台に現れることとなった。毀誉褒貶のあるこの御仁は、実力があるが故に取り沙汰されているのであり、さらには怖い顔で裏に籠っているから更に存在感を増しているという不思議なめぐり合わせも加味されているのではないかと判断されようものである。かつて連立内閣の総理大臣という声がかかったときは「まだ俺の出るときではない」という断り方をしており、つまりは御輿に乗せられるのを潔しとしないわけなのであろう。テレビ番組で小泉純一郎首相との類似点を論った企画がなされていたが、そこでは年齢とか卒業大学とか親も政治家だったとか改革という言葉を常に発していることが似ていると挙げられていた。しかしながら、個人的に思う一番の類似点は、名前が「小」で始まり「一郎」で終わることである。しかしながら本日の小沢氏の代表就任が意味することは「かつての自民党」が日本の政治を完全に掌握したということであり、これから二大政党制がもし定着したならば、それは派閥争いの規模が大きくなっただけのことではないかと思われる。しかしながら、これは決して憂う話ではなく、これまで「イデオロギー」という名の感情でのみ対立していた日本の政治が、ようやく政策で対決できるようになったということも意味している。戻る↑
    4月6日(木)「春の強制サイン会」
    今朝もいつものとおり家を出て会社へと車通勤である。しばらくいくと交差点の四つ角すべてに地元の安全協会の方が立っているのを見つける。この光景を見ると「ああ、ついにこの季節が来たのか」と春の強制サイン会(別名:桂三枝『いらっしゃ〜い』会)を思い知らされるのである。つくばという町は適度に田舎であるため、このようなイベントとなれば交差点に人が立つのであろうと思うところであった。しかしながら、この面々は何もそのようなイベントのためにいらっしゃったのではなく、これまたつくばの春の風物詩の一つである「ペーパードライバーの交通事故」に動員されている本職の警察官の方であったということにこれまた味わい深い春を感じるものである。そして、この季節は、事故による渋滞に巻き込まれて会社を遅刻することがないように、春眠暁を覚えずと言えどもめざましテレビが終わればすぐに家を出るという習慣がつくものである。戻る↑
    4月5日(水)「社内報に残る恥ずかしい過去」
    ルールや環境が違うところで戦うのは大変難しいものである。新天地に移るに当たり、自己紹介をせねばならぬという姿勢は極めて評価されるべきものである。そしてあわよくばその自己紹介で大いに受けを取り、年長者の覚えめでたければこれにすぐるものはなしと甘い希望を抱いてしまうものである。入社式の前にすでにそういう意味で戦いは始まっているのだが、如何せんこの戦いは新参者は決して勝てぬものである。社内報で新入社員の抱負が一人ひとり写真つきで掲載されるという文化がいまだに残る我が社ではこの自己紹介は格好の暇つぶしであり、新参者が面白く興味を持ってもらえるだろうという心で書いた自己紹介は、悉くすべるものである。日本の会社では、目立つことをしてはならないのである。自己紹介はおとなしく書かねばならないのである。斯くいう私は多分当たり障りの無いことを書いてしまい、毒にも薬にも酒の席のネタにもならなかったのであるが、入社してしばらく経って場の空気を読めることとなれば自己紹介の内容はかなり自分で見て恥ずかしいものなのである。それよりもむしろ「えさ20kgを運べます」とか「得技は(柔道に決まっていて、得意技は)背負いです」とか「好きなのは(酒に決まっていて、酒といえば焼酎に決まっていて、焼酎で何と聞かれたら)芋です」というインパクトで勝負するが吉であると思われる。戻る↑
    4月4日(火)「大差のつきすぎた試合」
    4月1日生まれの子供が幼稚園に行くとなれば、4月2日生まれの子供と比べるとまるまる1年分の人生経験の差があり、年端も行かぬ子供にとってこの差は如何ともし難いほどでかい。9月生まれという至ってど真ん中な時期に生まれた人間にとっては、そんな微妙なことを知るわけもなく、いまごろになってへえそうなんだとそういうことを知るにいたる程度のものである。そんな差もいずれは己の人生経験とともに相対的に小さくなり、あまり気にすることもなくなろうものである。しかしながら、本日の甲子園球場はそういう如何ともし難い差が依然として残っているのかという気にさせるものであった。地方予選の1回戦でキャッチボールが何とかできるだけのチームとセレクションを繰り返してレギュラーは全員野球留学生だったりするチームが対決すればこのくらいの差はつくだろうという点差がついている決勝戦とはどう考えるべきなのであろうか。準優勝のチームがくじ運が良かっただけだと揶揄されることは多いが、結局は組み合わせの妙であり、間違っても松坂大輔を擁した8年前に決勝でノーヒットノーランをやったことを思い出してはいけないのである。戻る↑
    4月3日(月)「本日より新年度」
    ボンネット雷鳥%イメージ社会人生活もついに5年目に突入である。我が社でも遠き彼方にある本社で入社式が行われているのであろうが、はるか彼方にあるこの職場にはそのような便りは届かぬものである。代わりに届いたのは、本日より来ていただく派遣社員がインフルエンザに罹り、今週一週間は休むという連絡であった。当初は金曜日から来ますという人材派遣会社からの連絡があったのであるが、部長の「金曜だけきてもらったところで大して仕事にならんし、うつされた日にはえらいことやから来週からでええわい」と言い放ったことが事の真相だったりする。そういえば4年前には今はなき485系ボンネット型の雷鳥に乗って福井のとある隔離施設で入社式だの研修だのを受けさされていたことを思い出したが、その同期はいまや半数以下になっており、時の流れは凄まじきものなりと思うものである。戻る↑
    4月2日)「久しぶりの休日」
    休みの日は常に出かけているという生活をしているため、たまには1日ゆっくりと休むこととした。1日休んだということにしてはいるのだが、実際のところは溜まっている家の用事を片付けるということで気がつけば時間は過ぎており、山積になっていたことを片付けていると本日も終了してしまうのであった。しかしながら、休みとは次のお出かけの計画を綿密に練るべきためにあり、間近に迫る黄金週間の予定などを立てねばならぬのである。とりあえず黄金週間の目的地は3箇所から船が出ているため、巧みに組み合わせることにより以下に効率的に移動するかについて考えを張り巡らせるのはこれまた楽しいことである。とりあえず日記は2週間分ぐらい書いたのでいい事にしておこう。戻る↑
    4月1日)「秩父と日光」
    武蔵村山市長になれたんでしょうか@秩父神社矢作さんはどうなったのでしょうか@秩父神社昨夜より車を進めて秩父の道の駅で目が覚める。道の駅に車を置いたまま、御朱印をもらうべく秩父神社へと歩いて向かう。秩父神社は武蔵国の一ノ宮であるということを堂々と言う人もいるが、実は知知夫国の一ノ宮として君臨し、知知夫が武蔵に併合されたのは高々400年ばかし昔のことに過ぎない。そんな秩父神社で御朱印をいただき、意味不明な奉納された絵馬などを閲覧する。デムパがでているとしか思えないものや、何を書いているのかさっぱり判らないものや、自己完結してしまっていて何が言いたいのかさっぱり判らないものや、ここで市長になりたいと願かけしても仕方ないんじゃないですかといいたくなるものなど様々である。そのような味わい深い絵馬を見た後は日光をめざす。日光はいまだ寒々とした地であり、ところどころに残雪のあるいろは坂を駆け上がって目的地である中禅寺金谷ホテルに向かう。金谷ホテルでまったりと温泉を貸しきり状態で満喫し、春まだ浅い日光の自然を満喫する。その後二荒山神社中宮祠に参拝して帰宅の途につく。途中鹿沼で正嗣の餃子を食し帰宅。週末どっかにでかけないと気が済まないという自分の性分を考えると、まあこの程度で勘弁しておこうという気がしないでもない。戻る↑