2006年3月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 3月31日(金)「東京タワー」
  • 3月30日(木)「味わい深い配慮」
  • 3月29日(水)「不思議な研修」
  • 3月28日(火)「送別の宴」
  • 3月27日(月)「控訴棄却」
  • 3月26日)「福寿草の群生」
  • 3月25日)「ジェロム・レ・鑁阿寺」
  • 3月24日(金)「一年ばかしの時の流れ」
  • 3月23日(木)「麦焼酎を満喫」
  • 3月22日(水)「勝利と敗北の紙一重の差」
  • 3月21日)「ゆったりと帰宅」
  • 3月20日(月)「対馬と対照的な壱岐」
  • 3月19日)「想像以上に広い離島」
  • 3月18日)「対馬への旅立ち」
  • 3月17日(金)「春一番が吹き荒れる」
  • 3月16日(木)「選抜高校野球」
  • 3月15日(水)「Winnyに対する世論形成」
  • 3月14日(火)「確定申告」
  • 3月13日(月)「野球とは難しきものなり」
  • 3月12日)「まったりとすごす久しぶりの休日」
  • 3月11日)「進みすぎが基準である世の中」
  • 3月10日(金)「株主優待あれこれ」
  • 3月9日(木)「量的緩和」
  • 3月8日(水)「中立的立場」
  • 3月7日(火)「機械を使う機会」
  • 3月6日(月)「リコールでドック入り」
  • 3月5日)「魅惑の薬味:暮坪かぶ」
  • 3月4日)「絶妙の牛タン」
  • 3月3日(金)「老舗のIT企業」
  • 3月2日(木)「副賞は経費精算」
  • 3月1日(水)「春を告げるお水取り」


  • 今月の日記
    3月31日(金)「東京タワー」
    新東京タワー芝増上寺の真上にある東京タワーは日本の戦後復興の象徴であり、関東平野という日本一のだだっ広いエリアをカバーすることと、とりあえずパリのエッフェル塔よりも高くしようという様々な思惑が絡まって333メートルの高さになったのは事実である。しかしながら、放送事情が半世紀前から凄まじく進歩を遂げている昨今においては、更なる高さの放送塔の建設は必至であり、第2東京タワーの建設が計画されていた。候補地として「埼玉県さいたま市」と「東京都墨田区」があり、本日最終的に東京都墨田区が選ばれたのであった。このたび建設されるタワーは高さが600メートルにもなるということであり、またぞろ鳶職が己の彼女に告白するのはクリスマスで、タワーの建設が終わってからだなどという不思議な自分に対する縛りを課し、公共の電波で涙を流しながらそんな話をしてしまうのではないかと思ってしまうものであった。戻る↑
    3月30日(木)「味わい深い配慮」
    昨日の高校野球で延長15回引き分け再試合という熱戦を繰り広げた早稲田実業と関西の再試合が本日第4試合で執り行われていた。久しぶりに早い目の帰宅をしているため、車のラジオから実況中継を聞いていたのであるが、本日も試合が大いに盛り上がり8回裏、9回表、9回裏とそれぞれに異様に盛り上がりを見せていた。実況中継の予定時間が終わりを告げるころにアナウンサーの「あらかじめご了承ください」という放送の打ち切りを告げる連絡に致し方ないと思ったのであるが、副音声で「関東地方でお聴きの方にはこのまま野球中継をお伝えします」と来た。なかなか気の利いたことをしてくれるんだなと思い、予定時間終了後も引き続き中継が続いているときに「関東地方と岡山の方には云々」というアナウンスが流れて、なるほろ、この野球中継を聞いている地元民に配慮したものであったかと始めて理解した次第。久しぶりに高校野球らしい終盤もつれる泥仕合を展開していたので、この試合の勝者は次の試合は疲れが取れずに滅多打ちにあってあえなく敗れるのであろうと想像するに難くない、相変わらずベースボールとは違う何か不思議なイベントであることを思い知らされる高校野球である。戻る↑
    3月29日(水)「不思議な研修」
    「うえだくん、法律が変わったので研修がいるようになってん」という不思議な誘われ方をしたのは先週のことである。動物愛護という考え方に立ち、無闇に動物を殺すなとか、いたぶるような事をするなという法律ができてしまい、通常業務で動物を扱う人間にはそれなりの研修が必要ということになった。会社としては年に一度そのような研修をしていたのであるが、去年の秋に部署内異動になった僕はその研修を受けていなかったのであった。そういう理由で研修を受けてくれといわれた面々が大会議室に集められ、年に一度の研修会の様子を撮影したビデオを見せられるという摩訶不思議な研修が本日執り行われた。内容で特筆するべきものはないが、参加者はわずか5名でありながら、収容人員が100名にならんとする大会議室でこの研修が執り行われたのが特筆するべき項目である。当初から参加者は5名程度と想定されており、何ゆえ大会議室で研修をすることとなったのかを主催者に問いただしたところ、ビデオを放映する装置がここにしかないということであった。機材そのものは移動させることができるはずなのだが、移送させるのがめんどくさかったというとこらへんに、主催者側もこの研修が儀式的でやっつけ仕事であることを自覚しているところが味わい深い。戻る↑
    3月28日(火)「送別の宴」
    春は出会いの季節にして別れの季節である。のほほんと研究職で仕事をしていたところ、誰か開発職に異動しろという不思議な御達しがあり、先日個別に面談があった。対象となったのは入社4年目および5年目の面々であり、その理由は「それなりに仕事がわかってきているし、まだ若いのでほかの部署に行ってもそれなりに対応できる」ということであるらしい。当然僕も対象になっていたが、「いやです」とにべもなく申し上げたのが幸いしたか異動の通達は出なかった。ということで、本日は異動が決まった同期の歓送会が執り行われることとなり、いつものとおり部署を上げての飲み会となった。普段の飲み会と違うところは、部長の話が妙に言い訳めいていることや、課長の話がほかの部署にいっても研究職とのつながりを利用して活躍してくれという微妙な言い回しをしていることであり、それなりに送り込んでしまったことに対する後ろめたさが漂っていることであった。さて、次は誰が異動するのかと思いつつ、それなりに会社で年をとってきたのだなと思い返す本日の宴であった。戻る↑
    3月27日(月)「控訴棄却」
    日本の裁判は一部例外を除き三審制を取っている。この理由として、一回で必ず正しい判断を下せるとは限らないという人間である以上ミスはするものだという観点に立った考え方もあるし、一度しか裁判ができなかったときに判決に不服があれば、特定の裁判官にのみ恨みを持つが、3回やればどの裁判官も恨めしいことになり、恨めしさが分散されるという責任の所在をあいまいにできるという日本人らしい不思議なリスク分散の考え方も見て取れる。一審の判決に不服を申し立てる際に取る戦術として、「判決がおかしいです」というのが一般的であるが、ウルトラC的なものとして、「被告人が裁判に耐えられる状況にないので裁判そのものをすることがおかしいです」という裁判そのものをなくしてしまおうという戦術も存在する。カルト宗教の教祖として一世を風靡した人物は裁判そのものを続けることができませんという申し立てをして裁判を終結する作戦を選択したが、結果として裁判は続けられますという判断が出されてしまい、裁判は続くこととなった。しかしながら、裁判を続けるには不服申し立てをする必要があり、裁判の停止が適切だと言い張っている以上、その裏で不服申し立てをすることができなかったというリスクの高い作戦であったことは紛れもない事実である。世間を騒がせ、いまだにその被害に苦しむ人が少なくないこの裁判は、いかなる決着をつけたところで満足を得る状況になることは程遠く、裁判は無理繰り納得させる以外にどうしようもないという妥協点を見出すもの以外にはなりえないものだということを痛感する。戻る↑
    3月26日)「福寿草の群生」
    加賀井温泉とうじそば@穂高「上條」朝から微細な地震が断続的に起こるお宿を後にして、まずはぜひとも行ってみたいと積年の思いが募る温泉へと出向く。加賀井温泉という温泉は成分の濃い炭酸泉であり、まったりと浸かればそこは天国である。炭酸泉が好きという困った性分であるが故にこの温泉は外すことができず、風呂上りの下駄箱で激しく足を滑らしたことすら気にならないものである。温泉でまったりと体を温めた後は穂高神社に御朱印をいただきに上がる。穂高の駅には行ったこともあるし、この近所の蕎麦屋はすでに3回ばかり行っているというのに、この神社は初参拝であるところになんだか不思議なものを感じる。福寿草参拝を済ませ、いつもここにきたならば行くという蕎麦屋「上條」に出向く。本日は寒いので鴨汁でもいただこうかなと目算していたのであるが、「とうじそば」があるというのでそちらをいただくこととした。衆を恃まねば食することができぬ料理は食べられるときに食べるべしであり、対馬や壱岐で名物の鍋料理が一人では食べられなかったことが頭を過ぎった記憶があるが定かではない。そんなこんなで開田村で以前に食したとうじそばとこの地で再び邂逅することとなった。寒さを吹き飛ばす美味なるそばに感動し、次なる目的地である旧武石村の福寿草群生地に向かう。今の時期ちょうど見頃を迎えており、遠くから見た福寿草の群生はまさに黄色の絨毯が敷き詰められたようである。福寿草を撮影する熱き人々を撮影するという相変わらずの趣味の悪さも披露し、春の訪れを知らせるこの可憐な花に暫し心を休まされるものであった。その後は佐久で温泉に入り、佐久平から高速道路経由で帰宅。時間が早かったので小山のみんみんで餃子を食し、大河ドラマを録画していなかったので友人宅で録画を見て長澤まさみの緊縛プレイに大いに感動して帰宅。戻る↑
    3月25日)「ジェロム・レ・鑁阿寺」
    駄菓子屋っぽい何か@森温泉東国が武士の世界であったということは歴史の授業で習ったとおりであるが、北関東とは武家文化が見事なまでに開花したところである。本日は毎度毎度の御朱印集めと武石村の福寿草を見に行くべく出発した。友人と鹿沼回りで足利に着き、足利学校という有料の観光施設には目もくれず、その隣の鑁阿寺に出向く。鑁阿寺は名物の「みそおでん」や、「境内に大ねこ等を拾てないでください(原文ママ)」という貼り紙で夙に有名であるが、本日は更に「文化財に小便をさせないで下さい」という絶対に不可能なことを書いた貼り紙を発見した。入り口に鎮座する山門がその文化財であり、この山門はできてこの方小便などしたことが無かろうにと思うのであるが、鑁阿寺に不可能はないのであろう。そんな鑁阿寺で御朱印をいただき、富岡にある貫前神社でも御朱印をいただいて本日のお宿である森温泉へ。普通に人が歩くだけで震度2ぐらいの体感が得られるという激しいお宿であるが、結構なお湯と水原弘と浪速千恵子に出迎えられて結構なものである。戻る↑
    3月24日(金)「一年ばかしの時の流れ」
    つくばの地に居を構えて1年が過ぎた。異動を命じられたときに此の地に対するイメージは決してよくなく、ついに来るべきものが来てしまったという思いをしたものであった。しかしながらこちらに来て1週間もたたぬうちに生活には慣れてしまい、こういう生活もいいものだと頭の切り替えが早かったのは、普段の生活が原因ではなかろうかと思うものである。そもそもはこちらに来ればこれまで手薄であった東北地方を思う存分うろつき回れるという妄想があり、実際にそれはかなり実現できていたりするものである。それにしても1年経ったのかなあと思い返すと、まあそんなものなんだろうなという気がしたりする。来年の今頃も多分、2年なんてあっという間だなと思ってしまうのであろう。戻る↑
    3月23日(木)「麦焼酎を満喫」
    昨日郵便局から不在通知が届いており、壱岐で出した荷物が無事やってきた模様である。会社帰りに近所の郵便局に取りに行き、素晴らしい壱岐焼酎がすべて無事であることを確認してそのうちの一本を飲み始める。麦に米麹をブレンドして作るというレシピをかたくなに守る壱岐焼酎は麦独特のツンとした味わいを米のまろやかさが抑え、米独特の甘ったるさを麦がすっきりとさせているという見事なコラボレーションを成し遂げており、対馬で飲もうがこちらで飲もうが旨いものは旨いということを感じさせてくれる素晴らしいものである。このような素晴らしいものと出会うと、日本にはまだまだ自分の知らない食べ物や飲み物があり、自分がそこに行くことをそれらが待ちわびているような妄想を抱かせてしまうものである。ということで、ゴールデンウィークはどこに行こうかと更に計画を練りだすのである。戻る↑
    3月22日(水)「勝利と敗北の紙一重の差」
    WBC初代優勝世の中、何が幸いするかわかったものではないとWBCを見て思うことがある。韓国が「我々は日本に対して2勝1敗だ。我々は最も勝率が高いのに優勝できないのはこのルールがおかしい。」という得意の論点のすり替えをやっているのはほっておくが、リーグ戦で日本を2回も打ち負かし、トーナメントでぽっくり負けて、「はいそれまでよ」となったのは単に詰めが甘いのである。アメリカに対してメキシコが2点以上取って勝てばいいというハードルの低さになってしまった理由は、韓国がアメリカに対して必要以上に点を取ってしまったがためであり、このあたりにも「因果応報」という言葉が見て取れるのである。今回のWBCの変則的なルールはアメリカにとってもっとも恩恵があるように仕組んだつもりであったのであろうが、結果として日本の大きく有利に働いてしまったようである。いくら日本が調子がいいからといって、キューバとプエルトリコとドミニカすべてに勝てるわけがないのは明白であり、特に何の策も弄せずに通常の試合を組んでいた場合には、順当に中南米の国のどこかが優勝していたはずである。今回のWBCの初代チャンピオンに日本が輝いた理由は運によるものだとか、ルールに助けられたということが多いとは思うが、その運をひきつけるためにはそれ相応の能力も必要である。つまりは優勝してもおかしくない程度の能力を持つチーム同士が戦ったときの勝敗は運で決まるというわけであり、今回の優勝が運によってのみ成し遂げられたとは到底思えないのである。戻る↑
    3月21日)「ゆったりと帰宅」
    佐世保上空からハウステンボス上空からお宿を出て、空港に向かうバスに乗り込む。壱岐空港は長崎へ1日2便就航しており、その時間に合わせてのみバスが走るという凄まじいところである。嘗ては複数の航空会社が乗り入れており、福岡便もあったというが今はちょっと立派なバス停の裏手に飛行場がある程度のもの以上ではない。佐世保バーガー飛行機はパラレルワールドに吸い込まれることもなく無事長崎空港に降り立ち、本土に戻ったことを確認する。空港より佐世保行きのバスに乗りまったりと大村湾を眺めて佐世保に到着する。佐世保では佐世保バーガーを購入し、特急列車に飛び乗って博多へと向かう。早岐でハウステンボスから来た特急を増結して向きを変え、肥前山口でさらに後ろに長崎から来たかもめを増結して博多に到着。佐世保を出るときは4両だったのに博多に着くまでにえらく出世したものだと不思議な感慨に浸りつつ、こんな列車の運用が昔は当たり前だったんだよなあと何気に懐かしく思ったりする。博多では筥崎宮と住吉神社という一ノ宮をきっちりと参拝して御朱印を頂き、ぎりぎりのタイミングで福岡から飛行機で羽田に戻る。長かった旅行も終わりを迎え、さて来週はどこに行こうかしらんという計画をぼつぼつ立てつつ明日からの仕事を思い起こすのであった。戻る↑
    3月20日(月)「対馬と対照的な壱岐」
    試飲し放題の壱岐焼酎ゆっくりと熟成される壱岐焼酎博多に9時に着く船という設定がなされているのであろう、それゆえ対馬を出る時刻は逆算すると午前4時半である。ということで、朝4時前に目を覚まし、船着場までえっちらおっちら歩いて船に乗る。出港と同時に爆睡し、気がつけば壱岐の島影が見えていた。無事接岸して壱岐にその一歩を記せば、そこにはレンタカー屋のオヤジが待ち構えており、壱岐は道に迷っても15分走ればどっかの街に着くし、海が見えるのでとりあえず引き返さずにどんどん進めばいいんですなどという観光ガイドなのか何かわからないレクチャーをしていただき、いざ出発である。観光をしたり、国道をきっちりと塗っていったりと目的をてきぱきとこなす。焼酎の蔵元が常時工場見学を実施しているということでそちらに出向いたところ、「勝手に見学してください」というわかりやすい放置プレイを受け、焼酎の匂いが激しく漂う蔵を練り歩きつつ、試飲がし放題というところに行き着く。松永記念館@壱岐しかしながら運転している人間にとってはこれは蛇の生殺しであり、鼻腔からの吸収に留めても凄まじく感じられる焼酎の匂いに中てられて外にでたのであった。その後松永記念館という電力の鬼という異名を持つ松永安左エ門の偉業を称えた記念館に出向く。生憎本日は休館日だということだったのであるが、休館の理由はアスベストを使っていたことが判ったので工事をして除去するからという凄まじい理由であり、まあそういうものなのかなと思ってここを後にしようとしたところ、壱岐牛のタタキ%美味植木の剪定をしていたオヤジが「遠くからわざわざ来ていただいたのに申し訳ありません」という話から、記念館の隣にある生家を見せてくれ、頼みもしないのにこの机は福沢諭吉の孫と仕事を始めたときにヨーロッパから買っただの、東京電燈との激しい買収合戦ではホワイトナイトが出て来てその計画は頓挫しただの、国策電力会社は分割するべきだという議論で一歩も引かなかっただの、電気料金を都合7割も上昇させるということを了承させただのという一般人が知っているはずもないし、その時代におっさんまだ生まれてへんかったやろという話を始める。その話はとどまることを知らず、これも地元の名士をリスペクトするが故の行動であろうと納得し、「まかり通る」「爽やかな情熱」なんかを読みはったらよろしおまっせという宣伝までしていただく。本日は島を一周してお宿に入り、買い込んだみやげ物をゆうパックで送って飲みに出かける。壱岐牛のタタキからはじまり、旨い魚がオンパレードであり、壱岐焼酎が殊の外旨く最後にウニ丼をいただいて終了。玄界灘に浮かぶ島の恵みを3日に亘って味わった素晴らしい旅であると実感した。蛇足ながら、昨日飲み屋であった人とは出会う筈もなしである。戻る↑
    3月19日)「想像以上に広い離島」
    日本三大墓所の一つである宗家菩提寺『万松院』@対馬お宿で目を覚まし、朝飯前に日本三大墓所の一つである宗家菩提寺『万松院』を訪れる。ある一族がある地域を長きに亘って支配することは日本ではよくあることだが、この宗氏は鎌倉時代から江戸時代まで支配していたことになり、この長さは島津、相良、伊達に匹敵する長さである。それゆえにこの地が聖域とされているように感じられたのであった。海神神社@対馬。「毎」の下に「水」を書いて「海」と読ませる。この墓地は朝は人がいないため入場料を払う必要がなさそうであったが、朝から矢鱈と声のでかい元気な一段がなにやらわけのわからないことを叫びながらやってきており、どうも釜山から厳原にやってきた韓国人の一団であるらしい。宿に戻って朝飯を食べていざ本日も観光である。定番の観光地というところがどれだけあるのかは不明であるが、きっちりと回るべきところは押さえるべしと御朱印集めのために海神神社に出向いてみるものの、神職は不在であり、御札や御守は勝手に持っていってお金はそこにおいて置けというずいぶんとアバウトな始末である。御朱印なくして参拝した痕跡となろうか、さらには対馬に来た記念となろうかという意見もあるが、いないものは仕方がないというものである。気を取り直して最北端近辺の韓国展望台とやらに出向く。昨今の胡散臭い韓流ブームが後押ししているのか不明であるが、なにやら怪しい展望台が設えており、本日の結構な天候ゆえに水平線の狭間に韓国の姿を捉えることができたのであった。しかしながら、こんなほんわかした展望台を所望したのではなく、もっと殺伐とした激しい展望台があるということを昨日の飲み屋で小耳に挟んでいたため、更にディープな展望台を捜し求めることとした。凄まじい看板そろい踏みその3凄まじい看板そろい踏みその2凄まじい看板そろい踏みその1激しい山間の林道と思しき道を走ると、「ここから先は防衛庁の管理する道路です」「道路保護のため大型(重量)車両の通行はご遠慮下さい 防衛庁」「お願い この付近で警備犬の散歩を行います 御注意ください。 上対馬警備所」と三枚の看板が並ぶ山道への分岐に差し掛かった。昨日の飲み屋での話では「レンタカーでは行かんほうがええところ」であったので、きっと道が激しいのであろうと想定しており、確かに条件は兼ね備えている。しかも『立ち入り禁止』ではないのである。ということでこの山道を進むこととした。しばらくいくと分岐がまたあり舗装された道には「海上自衛隊敷地内につき進入禁止」とあり、その傍らには「許可を受けないでこの施設に立ち入ることを禁止する 昭和35年3月31日 防衛庁」という看板もある。進入禁止%防衛庁。傍らの看板にも注目この先に何があるかやたらと不安を駆り立てる未舗装の道どうもこちらには入れないようだなともう一方を見れば、未舗装の激しい道が続いており、そちらに進んでみることとした。その道の行き止まりには海上保安庁の無線局があり、そこから遠望する韓国は先ほどの展望台よりもはるか近くに感じ取れた。ちなみに分岐した先にあるであろう自衛隊の監視塔よりもこの施設は北側にあり、至近距離で自衛隊の監視塔を見ることが出来たというのは貴重な体験であった。そんなこんなで一般人の想定する観光をせぬままに気がつけば日が傾きだしていたのであった。自衛隊の監視塔も展望できる海上保安庁の無線局春分のころとはいえ、かなり西に位置するこの島ですでに日が傾いているとは相当な時間が経過していることを意味しており、レンタカーを返すのは確か6時半でなかったと思い起こして島の北端から空港近くのレンタカー会社までの100km近い道のりを爆走する。謀らずしも島のでかさを感じ取り、レンタカー会社の送迎を受けてお宿に戻る。本日も繁華街に繰り出して旨い魚を食しつつ、飲み屋のオヤジとの語らいに入る。宗氏の支配が長く、しかもそのオヤジが歴史好きであったためか、やたらと宗氏をリスペクトしており、話の終わる気配が全くないのが素晴らしいところである。さらにそのオヤジは元寇で高麗という海洋民族がなぜ嵐が来る時期に攻め込ませたかについて自論を展開し、わざと嵐に遭遇させて元の国力を落とし、自分たちが独立しようとしていたのではないかという大胆不敵なことを熱く語っていたのであった。きっとこのオヤジはこの話をどこかで読み、甚く共感し、気がつけば自分がその説を提唱したという気にでもなっていたのであろう。よくある展開である。そんな飲み屋で隣に座った島旅が好きだという観光客と今日はどこにいかはりました?明日どこいかはるんですか?と情報の交換をし、別の飲み屋で飲みなおし、明日壱岐でまた会えたら面白いですなあという話をして宿に戻る。戻る↑
    3月18日)「対馬への旅立ち」
    出立できないボンバルディア機@福岡空港本日より対馬に向かって旅立つこととする。自宅を出てTxに乗り、北千住から乗り継いでという普段どおりの行動のさなかに激しい差込みが発生したりするが、予定通り浜松町で予約していた搭乗券を発券してもらい、無事旅立つこととなる。配られた飲食券と搭乗券福岡に降り立った時点で天候が芳しくなかったが、とりあえず対馬行きの便に乗り換えるべく第一ターミナルへと移動する。昼飯を食べて30年前から変わっていないその味わい深過ぎる待合室で搭乗を待っていたところ、対馬からの機材が遅れたのでこっちの出立も遅れますという案内があり、やはり離島は一筋縄ではいけぬものだなあとこれまでの悪行を反芻する。しかしながら這う這うの体でやってきたシップは再び対馬に飛び立つことまかりならぬというドクターストップを宣告されたので次の便とジョイントして機材を変更して出発ということになったので、ということでなぜか「これで飯でも食って時間つぶしてくんなまし」と不思議なチケットを渡される。お宿の廊下に突き出ている本堂の屋根瓦離島ならではのレンタカー会社の注意書き今さっき昼飯を鱈腹食った人間にその仕打ちはないだろうと思うが、そればかりは致し方なく、ずいぶんと待たされていざ福岡を飛び立つ。天候はよろしくないようで、対馬空港着陸直前に天候の急激な悪化により急上昇して旋回し、着陸をやり直し、強烈な逆噴射を行って無事対馬に着陸する。レンタカーを借りて島巡りを開始し、本日のお宿がある厳原町に到着。お宿があると思しきあたりをさがすもそれらしいものはなく、あるのはお宿と同じ名称の禅寺のみである。その禅寺に尋ねてみたところ、お宿はそこであるとのことであった。早速荷物を置いて夜の町に繰り出し、新鮮な海の幸と対馬の焼酎を満喫して夜は更けていった。戻る↑
    3月17日(金)「春一番が吹き荒れる」
    春一番春一番というものは大陸の高気圧が弱まることにより西高東低の冬型の気圧配置が緩くなり、太平洋側に発生する低気圧が日本上空を南西から北東へと移動するときに高気圧から低気圧に向かって流れ込む空気の流れであり、春先に吹く風であるが故に春を知らせるという意味で「春一番」という名前が付けられている。春一番で被害に遭うといえば壱岐の郷ノ浦の漁師がこの突風で出漁中に転覆したことが記録に残されており、それ以来郷ノ浦の漁民はこの日には決して漁には出ないということである。そんな春一番であるが、関西ではそれほど激しく吹いていることを感じることはなく、そんな言葉があるものの実感がなかったのは事実である。関東に引っ越して最初に風が強いところだと思っていたのは実は春一番が吹き荒れていた所為であったというのは後になってわかったことであるが、やはりこれは春の風物詩なのであろう。戻る↑
    3月16日(木)「選抜高校野球」
    毎年春と夏に高々高校生の一クラブ活動をテレビで全国中継するという困ったイベントが定着している。これは日本人が野球が好きだからという理由以外にコンテンツとして魅力的であるからというもっともな理由もあるし、これが御金儲けに繋がるという無粋な話もあったりするものである。いつもながら「高校生らしい」というあいまいなコンセプトが理解できぬままであり、卒業生がタバコ吸ったり酒飲んだりしたことがばれた時点で、『連帯責任』という美名の下で出場を自発的に辞退していただきたいという不可思議な圧力をかけたり、おらが島の高校が甲子園に出向くことになったので島の議会も閉会して全員で繰り出すという暢気なことも語られていたりするものである。これら列挙した事柄には「高校生らしさ」などは微塵もなく、間違ったことを平気で要求する困ったちゃんがのさばるという社会の縮図がそこには存在する。ただ、この高校野球が現在のベースボールの潮流である「スモールベースボール」を具現化したものであり、その卓越したカリキュラムの一貫であるという考えに立てば、この高校生のクラブ活動は日本に大きな貢献をしているということはいえるのではないだろうか。戻る↑
    3月15日(水)「Winnyに対する世論形成」
    ウィニー%日本ハム♪1たす1は2か3か〜♪マルチメディア、という今となっては死後になりそうな言葉のコンセプトは「すべてのデータをデジタル化し、コンピュータですべてのデータが利用できるようにすること」であったはずである。それゆえ、音楽や動画がコンピュータで再現できるようになり、その結果共通のフォーマットに従うファイルさえあれば、世界中どこからでも入手すれば再生できることとなったわけである。これは明らかに科学技術の進歩であり、本来であれば賞賛されるべきものである。一方、著作権という考え方があり、それゆえに音楽や動画の取り扱いには神経質にならざるを得ないものである。Winnyというファイル交換がPeerToPeerで行えるソフトウェアの存在は難しいものであるが故に現在も裁判が行われているのであるが、このWinnyに感染する厄介なコンピュータウィルスがあり、その結果コンピュータに入っている個人情報が全世界にぶちまけられるという困った事態が起こったのである。これに対する処置として「Winnyを使わないということが最も重要です。」という不可思議なキャンペーンを張ろうともくろんでいる政府はなにか世論を形成しようという企みがあるように感じられる。凡そよろしくない結果が起こらなくするためには原因を排除すればいいのであるという考えは至って簡単であるが、交通事故を起こさないためにはどうすればいいかという問いに対して「車を運転しない」と応える大馬鹿者は存在しないし、「人間が滅亡すれば交通事故は起こらなくなる」という究極論者も一般受けしないことは明白である。Winnyに感染するコンピュータウィルスへの対応でもっとも正しい方法は「ウィルスチェックをする」「個人情報は自宅に持ち帰らない」「会社のコンピュータは仕事にだけ使う」であり、Winnyを使う使わないは討議するべきものではないはずである。戻る↑
    3月14日(火)「確定申告」
    毎年恒例行事であるが、確定申告に出向くこととした。黒木瞳や長谷川京子に見つめられながら国民の義務を果たすということが始まって早数年、今年は昨年に引き続き仲間由紀恵に見つめられながらの確定申告である。そもそも確定申告の期限が3月15日であるということをすっかり忘れており、というか3月末まで大丈夫だろうと高をくくっていたところ、日曜日の夜に15日までだということに気がついて本日あわてて出向いたというのが本当のところである。毎年毎年源泉徴収という美名の下で納めすぎた税金を取り返すべく奮闘しているのであるが、今年は珍しく余計に納めることとなったので出向いており、微妙にテンションが低めである。土浦の税務署はこの時期のみが駐車場が激込みという厄介なことになっており、郵便局利用するので車は隣にある郵便局の駐車場にとめておくが吉というものである。手元には京都の税務署からきた書類があり、それを今回土浦に提出した。来年は土浦から書類がやってくるのであろう。ところで、「知らしむべからず」という姿勢で税務署が必要以上に敷居を高くしているのではなく、やたらと確定申告しなさいと言ってくる理由は、「源泉徴収で取りはぐれた額よりも、源泉徴収で抑え切れない額のほうがでかい」ということなんだろうかと思ったりする今日この頃である。戻る↑
    3月13日(月)「野球とは難しきものなり」
    野球の起源はどこであるかという質問をした場合に、おそらくは英国のクリケットであろうという話があるが、ベースボールはアメリカのスポーツであることは疑いようがないものである。疑惑の判定に抗議する王監督もちろん民明書房ならば「中国人の「米洲房」とかいうおっさんが考案した」という与太話を展開するだろうし、「野球も侍も剣道もウリナラが起源に決まっているニダ。自国が起源であるなどと虚言を発する国は謝罪しる!」と言い出しかねない不思議な国もあるのでそれはどうでもいいことである。WBCというサッカーのワールドカップ並みの国際大会を作るべく現在その第1回大会が行われているが、日本は順当に2次予選に進出し本日はアメリカとの対戦を行った。もうすでに激しいまでの議論がなされているのでこれ以上コメントをすることは避けたいのであるが、幾重にも張り巡らされたアメリカに有利なルールや審判を擁してアメリカが世界一となったときに、この大会は盛り上がりを見せるのであろうか?という疑問だけは残るのである。ということで、結果がどうであるにせよ、アメリカ以外のどこかが優勝することが望ましいと考えていたりする。順当に考えるとレベルの異様に高い中南米チームとの対決が決勝であるわけであり、反対側のブロックで勝ち上がったとはいえ、決勝でこてんぱんにやられてしまうような気がするのである。本日の結果を以って日本が少しばかり厳しい状況に追い込まれたのは事実であるが、、まあそれなりにがんばって「日本の野球ここにあり」というものを見せてもらえればそれで良いのではないだろうかと思ったりする。個人的には長嶋茂雄という不可思議な監督よりも王貞治というオーソドックスな監督が率いている時点で、これまでの国際大会よりもいい成績を収めてくれるだろうと思っているのだが。戻る↑
    3月12日)「まったりとすごす久しぶりの休日」
    週末出かけないというのはある意味異常なことであり、日記を紐解けばここ3ヶ月ばかりは毎週待つ自宅にいないということが明々白々である。斯く言う今週とて、日記には書いていないが昨日たっぷりと出かけており、来週以降も出かけることが止むことはなく、家の仕事やページの更新が侭ならぬのも無理なかろうことである。ということで本日は久しぶりに1日いることとなったので溜まっているビデオを見たり、日記を少しだけ書いてみたりして過ごすのであるが、来週末に控えている旅行のプランをまじめに組むという至上命題がある。壱岐対馬という離島に出向くこととし、本土より対馬までの飛行機の便だけは押さえたが、島内の移動に用いるレンタカーも島間を移動する船も島から本土に戻る手段も全く決めていないのである。ということで本日は移動手段と宿の確保をおこなうこととし、気がつけばそれだけで半日つぶれてしまったというものであった。冷静に考えればこれでその場であわてる心配がなくなったということなのであるが、これで予定が見事なまでに固定されてしまったわけであり、現地でのフレキシブルな運用ができなくなったわけでもある。普段から自車での移動を念頭においている人間にとっては、交通手段で思い悩ますことはなく、車中泊という選択肢まである現状では宿の確保すら考慮しなくて良いというのであるから御気楽が過ぎよう物である。久しぶりに一般人ぽい旅行をすることとなるのだが、行き先が離島である時点で一般人的でないという批判は受け入れないこととする。戻る↑
    3月11日)「進みすぎが基準である世の中」
    旅客事業を営む会社の最大の問題は、如何にして利用者に切符を売るかということである。都市部においては鉄道会社は自社の各駅で切符を売ることができるが、田舎に行けば無人駅がほとんどであり、切符は列車に乗ってから買うべきものとなっている。鉄道会社のように幾許かの販売チャネルを持っているのに対し、航空会社や船会社はそのような販売チャネルはなく、空港や港まで買いに行くわけにもいかない。そのためいずれの場合も「旅行代理店」という仲介業者に委託しているのが現状である。しかしながら、近年のインターネットの普及により、航空会社は直接顧客に切符を売るチャネルを確立した。つくばのような陸の孤島に住まう人間にとっては、つくばセンターにあったJR東日本水戸支社土浦駅支店のみどりの窓口が閉鎖された現時点においては、インターネット経由で切符が購入できる航空会社のほうがユーザフレンドリーの高い会社であるという不思議な逆転現象が起こっている。この利便性に慣れすぎていた自分にとって、来週末に行く対馬からの船の切符がいまだに旅行代理店でしか入手できず、しかもそれがオープンチケットであるという現実は驚愕的なものであった。よくよく斟酌すれば、インターネットという手段を差し引けば航空会社も所詮はそういう程度の販売チャネルがないわけであることを思い起こさされた次第。戻る↑
    3月10日(金)「株主優待あれこれ」
    某清涼飲料水メーカの株主優待券投資をする上での注意点は、回収の見込みがどれほどあるかということである。株式取得の目的は、「安く買って高く売る」というものもあるし、「長期間保有して配当を受け取る」というものもある。長期間保有した場合においては配当金が出資した金額のどのくらいであるかが重要であり、投資額に対する配当金の割合を「配当利回り」という表現でパラメータとして与えられている。配当とは別に株主優待という不思議なものもあり、年に2度律儀にお菓子や食べ物を送ってくる会社もあれば、買い物の割引券を送ってくるという会社もある。このたび株式を取得した会社からの株主優待は「株主限定のオリジナルビール」であったり「オリジナル切手シート」であったりした。株主限定という不思議な響きに影響されているようであるが、市販品でないというところに何かしらの優越感を感じるのは事実である。そういえば以前某製菓メーカの株主総会に出席した折に、株主から「昨冬に発売したところ大変な人気になり、品薄のため販売を中止した製品について今一度ご説明願いたい」という質問を受け、議長である代表取締役がその顛末を説明したことがあり、「ならば株主にいち早くその製品を配るわけにはいかないか?」という凡そピントを外した追加質問をした株主がいたことが思い出されたが、これもまた株主という特別の存在に対してもっとなんか配慮してくれてもいいんじゃないのかと無闇に会社に期待しての発言であろう。戻る↑
    3月9日(木)「量的緩和」
    自分でお金を稼ぐようになったのは大学に入ってからであり、自分がお金を稼いでいる間は常に社会は不景気であった。就職をする際にも、先輩が御気楽に数ある会社から自分の御好みで選べていたのとは大きく違い、半分以上一本釣り状態で会社が決まったのであった。そんな社会が最近景気がいいだの有効求人倍率が1倍を超えただのと話をしているが、いまだにそれを信じる気になれないのは当然の成り行きである。このたびの量的緩和政策をやめたことは景気がよくなったからということで納得をするにしても、いまだに普通預金の利率が地を這うほどに低いのはどうにかならないのであろうかと思ったりする。普通預金の利率が以前の値に戻ることはおそらく期待できないと思うのだが、利息を抑えることにより、銀行に眠っていたお金がほかの金融商品や株式に化けているのは事実であり、この政策はある程度の成功を収めていると思われる。戻る↑
    3月8日(水)「中立的立場」
    正月に起こった事故の修理は終わり、先日のリコール部品交換も終えて、うえぺけ号は今日も元気に走り回っている。しかしながら、事故の示談はいまだに芳しい進捗を見せておらず、双方の言い分が平行線を辿っているため困ったことになっているということを保険会社から言ってきた。ということで、保険会社が中立的な立場にある専門の調査会社に依頼し、実際の事故はどういうもので第三者的にみて応分負担は如何ほどかを算定することにしたいという申し出があったのでそれを了解した。本日夕刻、その調査会社が自宅にやってきて、事故のことをいろいろと聞いてきた。調査員との話でわかったのは、保険会社が事故の発生状況を全く把握していないということであり、そりゃあんた示談が成立するはずもありまへんなあということがよくよくわかったのであった。逆に言うと、保険会社間の交渉で示談が成立する場合はそんなあやふやな状況でも双方が納得するわけだから、割と適当なのかそれとも明らかにどっちが悪いかが判っているんだろうなと考えを改めた次第。戻る↑
    3月7日(火)「機械を使う機会」
    研修ということで部署内でのグループ異動となったことは以前にも書いたとおりである。その所為で実験を5年ぶりにやるようになったという話は以前にも書いた。このたび更には実験の一環として測定機器を使うこととなったのである。学生時代にはその機器の組み立てからニコイチ作業までやっていたというわけであり、「あんたメンテナンス会社で雇ってもらえまっせ」といわれそうな不思議な経歴を持っているため、操作そのものについては至って何の戸惑いもないが、最近の機械はようできているがために、すべての制御をコンピュータで行っているのである。分析、定量、解析がコンピュータで自動的にやってくれるとあってはありがたい限りである。そういうコンピュータでのオペレーションを学習していよいよこの機会と再び相見える事となった。ちなみに使う機械は高速液体クロマトグラフィーというもので、分離定量の原理は至って単純なのだが、その技術を限界まで高めたというものである。戻る↑
    3月6日(月)「リコールでドック入り」
    リコール隠しが発端となって叩かれまくっている自動車メーカの話を書いた記憶もあるが、このたび我がうえぺけ号にもその波が襲い掛かってきた。インターネットで検索した結果、どうも車体番号からして該当しているらしいので購入したディーラーに確認したところ「そうです」とのこと。ということで本日近所の修理工場に持ち込み、部品の交換を申し出た次第。ちなみにどの部品がいけてなかったのかといえば、給油口から燃料タンクの間の配管の表面処理がいけてなかったので、下手すると錆びたりして穴が開くかもしれないということであった。とりあえず今回もマーチを代車としてゲットし、帰宅する。これまでの事故での修理とはことなり、全面的に向こうが悪いので何気に低姿勢だったのが気になるところである。戻る↑
    3月5日)「魅惑の薬味:暮坪かぶ」
    気持ちよく疲れを癒すべく車内で熟睡していたところを、外部より窓ガラスを叩く音で目が覚める。見ると警察官がそこにはおり、すわ、いよよ小職も『職質友の会』に参加することとあいなったかと身構える。JR釜石線陸中大橋駅%エスペラント語の別名は「ミナージョ(鉱石)」しかしながら道の駅で寝ている他県ナンバーを不審に思われたのではなくて道の駅のガラスが割られていたことに対する事情聴取であった。万に一つぐらいの疑いを持ってお前が割ったんじゃないかと訊いている向きもあるだろうが、割った人間がその後ぐうすかそこで寝るわけもなく、昨日ここについたときは割れてなかったですし、割れた音にも気がつきませんでしたというほかはない。心地よい睡眠を妨げられて気が晴れぬままに更に北上を続け、何ゆえスイッチバックにしていないのだろうという疑問を感じずにいられないJR釜石線の陸中大橋駅を見物する。釜石線ほど必要以上に紆余曲折があった路線もなかろうにと思うほどの複雑怪奇な歴史の敷衍は後に譲るとして、現在の陸中大橋駅に残されているホッパーの跡やトンネルの向こうに広がる凄まじいまでの廃坑を見るに付け、近代国家の礎はここで築かれたのだという思いを新たにする。暮坪そば@遠野%美味仙人峠より西側に展開される宮沢賢治ワールドと、東側に展開される近代産業の痕跡という不思議な組み合わせに感動し、その仙人峠を越えて遠野に到着する。遠野では現在も流鏑馬が行われる馬場を持つという八幡宮で御朱印をいただき、道の駅で暮坪そばを食す。暮坪そばは遠野の地でのみ栽培されている暮坪かぶという蕪をすりおろして薬味としたものであり、信州の辛味大根同様に大変味わい深いものである。斯様な薬味については『美味しんぼ』で紹介されていたらしいのであるが、そんなことを知るはずもなくこれまた結構なものをいただきましたねえということで無駄に記憶に刻まれたのであった。そのあとは花巻から高速をぶっ飛ばし、いわきで久しぶりに「さはこの湯」に入って帰宅。久しぶりに遠出をした気がした週末であった。嘗て京都に住んでいたときは福岡が週末だけで自車でいける限界であったが、茨城の場合は現在のところ岩手のようである。岩手といっても何とか掠めている程度であるが。戻る↑
    3月4日)「絶妙の牛タン」
    陸奥総社宮相馬にある道の駅で目を覚まし、本日は東北の御朱印集めと温泉めぐりということで更に北を目指す。(今年も)うまくいく御守@鹽竈神社まずは秋保温泉で自遊人のパスポート消費活動を行う。秋保温泉は二軒の温泉宿が今回のパスポートに協賛しており、どちらも大規模なホテルゆえに源泉かけ流しをしているわけではなく、大浴場は循環されているもののそれなりに露天風呂は趣向を凝らしたものであり、それなりにすばらしいものである。まったりと旨い飯を食らって次は御朱印活動である。多賀城址にある陸奥総社宮に向かい、参拝を済ませて御朱印をいただくべく社務所に向かうと自宅に来てくれということであり、御邪魔することとする。このようなアットホームな御出迎えを受けたときのパターンは決まっており、寒いところを良く御参りくださいましたということでいろいろと話をしたりしながらお茶をいただくものであるが、今回はそれに加えて茶菓子が付いたのが特筆するべきことであろう。結構な接待を受けて本日は次なる御朱印を貰うべく鹽竈神社に向かう。鹽竈神社は志波彦神社が境内に遷祀されており、御朱印も対になっている珍しいものであった。タントロ@赤間精肉店社務所には「今年もうまくいく御守」という極めてアバウトな御守があり、特定の目的に特化していないところに何気に素敵さを感じてお納めさせていただくこととした。その後車を海岸沿いに北上させ、日本三景のひとつである松島に到着したのは完全に夜となっており、その景色を見ることが出来なかった。松島海岸駅前で飯を食おうと思ったところ、仙台で食いそびれた牛タンの店がそこにあり、とりあえず牛タンでもと思って入った店が大当たりであった。牛タンを焼きつつ、焼立てをいただくというありがたい店であったのであるが、隣の客が「タントロ」などという聞きなれぬ代物を所望していたのでこちらも所望したところ、数量限定であるがためにあるかどうか不明ということであったが、奇跡的に1人前あったということであった。事の次第の信憑性は不明であるが、事実これは旨いものでありまたもやよろしくない食材に邂逅したものだと思い至ったものであった。牛タンを食べたので当初予定していた気仙沼のふかひれラーメンはスルーし、陸前高田の道の駅まで移動して本日は没する。戻る↑
    3月3日(金)「老舗のIT企業」
    ボーダフォンの買収ソフトバンクという会社はかみすばしいIT業界にあってある意味落ち着きを持っている会社であり、その拠り所は何気に長い歴史によるものと考えられる。近鉄球団とオリックス球団の合併に伴う新たなチームの誕生時に楽天とライブドアが争いを繰り広げたことの裏で、こっそりとダイエーと話をつけて的確に球団を手に入れたことを思い起こせばわかるとおりで、不思議な落ち着きすら感じ取れる何かがそこにはある。このたびのボーダフォン買収劇も日本での史上最大の買収額であるという話に隠れがちであるが、そもそもソフトバンクが携帯電話業界に新規参入するとして取った免許はどのように使うのかという無闇な悩みは尽きない。新規参入用の免許は、おそらくボーダフォン買収をカモフラージュするための策略ではなかったのではないかというのが凡その検討するべきところであるが、ボーダフォンという会社が日本では激しく左前になっていることも方針の転換の大きな理由の一つであると思われる。嘗ての自分を含めて身の回りになぜか頻在する必要以上にヘビーユーザである面々の意見を掻い摘んで申し上げるならば、会社名が変わったときにメールアドレスを変えるのをやめて欲しいということである。J-PHONEとかいう会社からvodafoneに変わったときに一悶着あったのは記憶に新しいところである。戻る↑
    3月2日(木)「副賞は経費精算」
    会社で年に一度執り行われる「部署対抗自慢大会」であるが、いい発表をしたチームには副賞として金一封がいただけるということになっており、別にそんなものが欲しくてやっているわけでもなかろうが、それなりに盛り上がるものである。去年までは表彰状と盾と副賞を現ナマでいただけたのであるが、昨今のキャッシュレス化の流れを受けてでもなかろうが、現ナマの副賞は今年からお預けである。だからといって副賞がなくなったわけではなく、形態が変わったまでのこと。そもそも副賞はチームの飲み会に使ってくださいというものだったので、副賞が飲み代に特化されただけである。ということで、飲み会の領収書を持っていけば経費精算で帰ってくるという寸法らしい。的確な方法であることを否定するつもりはないが、なんだか妙な気がしないでもないこの手筈に理不尽なものを感じたりする今日この頃である。戻る↑
    3月1日(水)「春を告げるお水取り」
    お水取り@東大寺二月堂3月に入り、いよいよ暖かくなってきたようである。春を告げるものといえば奈良東大寺のお水取りであるが、このお水取りは東大寺境内にある若狭井という井戸から汲み出された水が用いられている。なにゆえこの井戸にそのような名前が付いているのかといえば、この井戸の地下水脈が遥か彼方の福井県小浜市に繋がっていることになっており、この時期に小浜では「お水送り」という行事が執り行われるからである。小浜にある下根来八幡宮と神宮寺ではこの行事を毎年この時期に行っており、毎年毎年遠敷川の鵜の瀬のせせらぎから東大寺へと水を送っているのである。何ゆえわざわざ奈良くんだりまで毎年水を送るのかといえば、奈良時代の僧実忠が「修二会」という修行の初日に神名帳を読みあげ、日本中の神々に行の加護を願ったところ、若狭の遠敷明神だけは魚とりに夢中で、行も終わりに近いころに現れてしまい、遅刻のおわびとして神通力で地面を割り、二月堂のご本尊にお供えする水をわかせたということである。これが東大寺の若狭井で、修二会の別名を「お水取り」というようになったらしいのだが、それ以来毎年付け届けをするあたりに日本の神様の人間臭くアバウトさを感じる何かがあるものである。戻る↑