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芝増上寺の真上にある東京タワーは日本の戦後復興の象徴であり、関東平野という日本一のだだっ広いエリアをカバーすることと、とりあえずパリのエッフェル塔よりも高くしようという様々な思惑が絡まって333メートルの高さになったのは事実である。しかしながら、放送事情が半世紀前から凄まじく進歩を遂げている昨今においては、更なる高さの放送塔の建設は必至であり、第2東京タワーの建設が計画されていた。候補地として「埼玉県さいたま市」と「東京都墨田区」があり、本日最終的に東京都墨田区が選ばれたのであった。このたび建設されるタワーは高さが600メートルにもなるということであり、またぞろ鳶職が己の彼女に告白するのはクリスマスで、タワーの建設が終わってからだなどという不思議な自分に対する縛りを課し、公共の電波で涙を流しながらそんな話をしてしまうのではないかと思ってしまうものであった。戻る↑

朝から微細な地震が断続的に起こるお宿を後にして、まずはぜひとも行ってみたいと積年の思いが募る温泉へと出向く。加賀井温泉という温泉は成分の濃い炭酸泉であり、まったりと浸かればそこは天国である。炭酸泉が好きという困った性分であるが故にこの温泉は外すことができず、風呂上りの下駄箱で激しく足を滑らしたことすら気にならないものである。温泉でまったりと体を温めた後は穂高神社に御朱印をいただきに上がる。穂高の駅には行ったこともあるし、この近所の蕎麦屋はすでに3回ばかり行っているというのに、この神社は初参拝であるところになんだか不思議なものを感じる。
参拝を済ませ、いつもここにきたならば行くという蕎麦屋「上條」に出向く。本日は寒いので鴨汁でもいただこうかなと目算していたのであるが、「とうじそば」があるというのでそちらをいただくこととした。衆を恃まねば食することができぬ料理は食べられるときに食べるべしであり、対馬や壱岐で名物の鍋料理が一人では食べられなかったことが頭を過ぎった記憶があるが定かではない。そんなこんなで開田村で以前に食したとうじそばとこの地で再び邂逅することとなった。寒さを吹き飛ばす美味なるそばに感動し、次なる目的地である旧武石村の福寿草群生地に向かう。今の時期ちょうど見頃を迎えており、遠くから見た福寿草の群生はまさに黄色の絨毯が敷き詰められたようである。福寿草を撮影する熱き人々を撮影するという相変わらずの趣味の悪さも披露し、春の訪れを知らせるこの可憐な花に暫し心を休まされるものであった。その後は佐久で温泉に入り、佐久平から高速道路経由で帰宅。時間が早かったので小山のみんみんで餃子を食し、大河ドラマを録画していなかったので友人宅で録画を見て長澤まさみの緊縛プレイに大いに感動して帰宅。戻る↑
東国が武士の世界であったということは歴史の授業で習ったとおりであるが、北関東とは武家文化が見事なまでに開花したところである。本日は毎度毎度の御朱印集めと武石村の福寿草を見に行くべく出発した。友人と鹿沼回りで足利に着き、足利学校という有料の観光施設には目もくれず、その隣の鑁阿寺に出向く。鑁阿寺は名物の「みそおでん」や、「境内に大ねこ等を拾てないでください(原文ママ)」という貼り紙で夙に有名であるが、本日は更に「文化財に小便をさせないで下さい」という絶対に不可能なことを書いた貼り紙を発見した。入り口に鎮座する山門がその文化財であり、この山門はできてこの方小便などしたことが無かろうにと思うのであるが、鑁阿寺に不可能はないのであろう。そんな鑁阿寺で御朱印をいただき、富岡にある貫前神社でも御朱印をいただいて本日のお宿である森温泉へ。普通に人が歩くだけで震度2ぐらいの体感が得られるという激しいお宿であるが、結構なお湯と水原弘と浪速千恵子に出迎えられて結構なものである。戻る↑
世の中、何が幸いするかわかったものではないとWBCを見て思うことがある。韓国が「我々は日本に対して2勝1敗だ。我々は最も勝率が高いのに優勝できないのはこのルールがおかしい。」という得意の論点のすり替えをやっているのはほっておくが、リーグ戦で日本を2回も打ち負かし、トーナメントでぽっくり負けて、「はいそれまでよ」となったのは単に詰めが甘いのである。アメリカに対してメキシコが2点以上取って勝てばいいというハードルの低さになってしまった理由は、韓国がアメリカに対して必要以上に点を取ってしまったがためであり、このあたりにも「因果応報」という言葉が見て取れるのである。今回のWBCの変則的なルールはアメリカにとってもっとも恩恵があるように仕組んだつもりであったのであろうが、結果として日本の大きく有利に働いてしまったようである。いくら日本が調子がいいからといって、キューバとプエルトリコとドミニカすべてに勝てるわけがないのは明白であり、特に何の策も弄せずに通常の試合を組んでいた場合には、順当に中南米の国のどこかが優勝していたはずである。今回のWBCの初代チャンピオンに日本が輝いた理由は運によるものだとか、ルールに助けられたということが多いとは思うが、その運をひきつけるためにはそれ相応の能力も必要である。つまりは優勝してもおかしくない程度の能力を持つチーム同士が戦ったときの勝敗は運で決まるというわけであり、今回の優勝が運によってのみ成し遂げられたとは到底思えないのである。戻る↑

お宿を出て、空港に向かうバスに乗り込む。壱岐空港は長崎へ1日2便就航しており、その時間に合わせてのみバスが走るという凄まじいところである。嘗ては複数の航空会社が乗り入れており、福岡便もあったというが今はちょっと立派なバス停の裏手に飛行場がある程度のもの以上ではない。
飛行機はパラレルワールドに吸い込まれることもなく無事長崎空港に降り立ち、本土に戻ったことを確認する。空港より佐世保行きのバスに乗りまったりと大村湾を眺めて佐世保に到着する。佐世保では佐世保バーガーを購入し、特急列車に飛び乗って博多へと向かう。早岐でハウステンボスから来た特急を増結して向きを変え、肥前山口でさらに後ろに長崎から来たかもめを増結して博多に到着。佐世保を出るときは4両だったのに博多に着くまでにえらく出世したものだと不思議な感慨に浸りつつ、こんな列車の運用が昔は当たり前だったんだよなあと何気に懐かしく思ったりする。博多では筥崎宮と住吉神社という一ノ宮をきっちりと参拝して御朱印を頂き、ぎりぎりのタイミングで福岡から飛行機で羽田に戻る。長かった旅行も終わりを迎え、さて来週はどこに行こうかしらんという計画をぼつぼつ立てつつ明日からの仕事を思い起こすのであった。戻る↑

博多に9時に着く船という設定がなされているのであろう、それゆえ対馬を出る時刻は逆算すると午前4時半である。ということで、朝4時前に目を覚まし、船着場までえっちらおっちら歩いて船に乗る。出港と同時に爆睡し、気がつけば壱岐の島影が見えていた。無事接岸して壱岐にその一歩を記せば、そこにはレンタカー屋のオヤジが待ち構えており、壱岐は道に迷っても15分走ればどっかの街に着くし、海が見えるのでとりあえず引き返さずにどんどん進めばいいんですなどという観光ガイドなのか何かわからないレクチャーをしていただき、いざ出発である。観光をしたり、国道をきっちりと塗っていったりと目的をてきぱきとこなす。焼酎の蔵元が常時工場見学を実施しているということでそちらに出向いたところ、「勝手に見学してください」というわかりやすい放置プレイを受け、焼酎の匂いが激しく漂う蔵を練り歩きつつ、試飲がし放題というところに行き着く。
しかしながら運転している人間にとってはこれは蛇の生殺しであり、鼻腔からの吸収に留めても凄まじく感じられる焼酎の匂いに中てられて外にでたのであった。その後松永記念館という電力の鬼という異名を持つ松永安左エ門の偉業を称えた記念館に出向く。生憎本日は休館日だということだったのであるが、休館の理由はアスベストを使っていたことが判ったので工事をして除去するからという凄まじい理由であり、まあそういうものなのかなと思ってここを後にしようとしたところ、
植木の剪定をしていたオヤジが「遠くからわざわざ来ていただいたのに申し訳ありません」という話から、記念館の隣にある生家を見せてくれ、頼みもしないのにこの机は福沢諭吉の孫と仕事を始めたときにヨーロッパから買っただの、東京電燈との激しい買収合戦ではホワイトナイトが出て来てその計画は頓挫しただの、国策電力会社は分割するべきだという議論で一歩も引かなかっただの、電気料金を都合7割も上昇させるということを了承させただのという一般人が知っているはずもないし、その時代におっさんまだ生まれてへんかったやろという話を始める。その話はとどまることを知らず、これも地元の名士をリスペクトするが故の行動であろうと納得し、「まかり通る」「爽やかな情熱」なんかを読みはったらよろしおまっせという宣伝までしていただく。本日は島を一周してお宿に入り、買い込んだみやげ物をゆうパックで送って飲みに出かける。壱岐牛のタタキからはじまり、旨い魚がオンパレードであり、壱岐焼酎が殊の外旨く最後にウニ丼をいただいて終了。玄界灘に浮かぶ島の恵みを3日に亘って味わった素晴らしい旅であると実感した。蛇足ながら、昨日飲み屋であった人とは出会う筈もなしである。戻る↑
お宿で目を覚まし、朝飯前に日本三大墓所の一つである宗家菩提寺『万松院』を訪れる。ある一族がある地域を長きに亘って支配することは日本ではよくあることだが、この宗氏は鎌倉時代から江戸時代まで支配していたことになり、この長さは島津、相良、伊達に匹敵する長さである。それゆえにこの地が聖域とされているように感じられたのであった。
この墓地は朝は人がいないため入場料を払う必要がなさそうであったが、朝から矢鱈と声のでかい元気な一段がなにやらわけのわからないことを叫びながらやってきており、どうも釜山から厳原にやってきた韓国人の一団であるらしい。宿に戻って朝飯を食べていざ本日も観光である。定番の観光地というところがどれだけあるのかは不明であるが、きっちりと回るべきところは押さえるべしと御朱印集めのために海神神社に出向いてみるものの、神職は不在であり、御札や御守は勝手に持っていってお金はそこにおいて置けというずいぶんとアバウトな始末である。御朱印なくして参拝した痕跡となろうか、さらには対馬に来た記念となろうかという意見もあるが、いないものは仕方がないというものである。気を取り直して最北端近辺の韓国展望台とやらに出向く。昨今の胡散臭い韓流ブームが後押ししているのか不明であるが、なにやら怪しい展望台が設えており、本日の結構な天候ゆえに水平線の狭間に韓国の姿を捉えることができたのであった。しかしながら、こんなほんわかした展望台を所望したのではなく、もっと殺伐とした激しい展望台があるということを昨日の飲み屋で小耳に挟んでいたため、更にディープな展望台を捜し求めることとした。

激しい山間の林道と思しき道を走ると、「ここから先は防衛庁の管理する道路です」「道路保護のため大型(重量)車両の通行はご遠慮下さい 防衛庁」「お願い この付近で警備犬の散歩を行います 御注意ください。 上対馬警備所」と三枚の看板が並ぶ山道への分岐に差し掛かった。昨日の飲み屋での話では「レンタカーでは行かんほうがええところ」であったので、きっと道が激しいのであろうと想定しており、確かに条件は兼ね備えている。しかも『立ち入り禁止』ではないのである。ということでこの山道を進むこととした。しばらくいくと分岐がまたあり舗装された道には「海上自衛隊敷地内につき進入禁止」とあり、その傍らには「許可を受けないでこの施設に立ち入ることを禁止する 昭和35年3月31日 防衛庁」という看板もある。
どうもこちらには入れないようだなともう一方を見れば、未舗装の激しい道が続いており、そちらに進んでみることとした。その道の行き止まりには海上保安庁の無線局があり、そこから遠望する韓国は先ほどの展望台よりもはるか近くに感じ取れた。ちなみに分岐した先にあるであろう自衛隊の監視塔よりもこの施設は北側にあり、至近距離で自衛隊の監視塔を見ることが出来たというのは貴重な体験であった。そんなこんなで一般人の想定する観光をせぬままに気がつけば日が傾きだしていたのであった。
春分のころとはいえ、かなり西に位置するこの島ですでに日が傾いているとは相当な時間が経過していることを意味しており、レンタカーを返すのは確か6時半でなかったと思い起こして島の北端から空港近くのレンタカー会社までの100km近い道のりを爆走する。謀らずしも島のでかさを感じ取り、レンタカー会社の送迎を受けてお宿に戻る。本日も繁華街に繰り出して旨い魚を食しつつ、飲み屋のオヤジとの語らいに入る。宗氏の支配が長く、しかもそのオヤジが歴史好きであったためか、やたらと宗氏をリスペクトしており、話の終わる気配が全くないのが素晴らしいところである。さらにそのオヤジは元寇で高麗という海洋民族がなぜ嵐が来る時期に攻め込ませたかについて自論を展開し、わざと嵐に遭遇させて元の国力を落とし、自分たちが独立しようとしていたのではないかという大胆不敵なことを熱く語っていたのであった。きっとこのオヤジはこの話をどこかで読み、甚く共感し、気がつけば自分がその説を提唱したという気にでもなっていたのであろう。よくある展開である。そんな飲み屋で隣に座った島旅が好きだという観光客と今日はどこにいかはりました?明日どこいかはるんですか?と情報の交換をし、別の飲み屋で飲みなおし、明日壱岐でまた会えたら面白いですなあという話をして宿に戻る。戻る↑
本日より対馬に向かって旅立つこととする。自宅を出てTxに乗り、北千住から乗り継いでという普段どおりの行動のさなかに激しい差込みが発生したりするが、予定通り浜松町で予約していた搭乗券を発券してもらい、無事旅立つこととなる。
福岡に降り立った時点で天候が芳しくなかったが、とりあえず対馬行きの便に乗り換えるべく第一ターミナルへと移動する。昼飯を食べて30年前から変わっていないその味わい深過ぎる待合室で搭乗を待っていたところ、対馬からの機材が遅れたのでこっちの出立も遅れますという案内があり、やはり離島は一筋縄ではいけぬものだなあとこれまでの悪行を反芻する。しかしながら這う這うの体でやってきたシップは再び対馬に飛び立つことまかりならぬというドクターストップを宣告されたので次の便とジョイントして機材を変更して出発ということになったので、ということでなぜか「これで飯でも食って時間つぶしてくんなまし」と不思議なチケットを渡される。
今さっき昼飯を鱈腹食った人間にその仕打ちはないだろうと思うが、そればかりは致し方なく、ずいぶんと待たされていざ福岡を飛び立つ。天候はよろしくないようで、対馬空港着陸直前に天候の急激な悪化により急上昇して旋回し、着陸をやり直し、強烈な逆噴射を行って無事対馬に着陸する。レンタカーを借りて島巡りを開始し、本日のお宿がある厳原町に到着。お宿があると思しきあたりをさがすもそれらしいものはなく、あるのはお宿と同じ名称の禅寺のみである。その禅寺に尋ねてみたところ、お宿はそこであるとのことであった。早速荷物を置いて夜の町に繰り出し、新鮮な海の幸と対馬の焼酎を満喫して夜は更けていった。戻る↑
春一番というものは大陸の高気圧が弱まることにより西高東低の冬型の気圧配置が緩くなり、太平洋側に発生する低気圧が日本上空を南西から北東へと移動するときに高気圧から低気圧に向かって流れ込む空気の流れであり、春先に吹く風であるが故に春を知らせるという意味で「春一番」という名前が付けられている。春一番で被害に遭うといえば壱岐の郷ノ浦の漁師がこの突風で出漁中に転覆したことが記録に残されており、それ以来郷ノ浦の漁民はこの日には決して漁には出ないということである。そんな春一番であるが、関西ではそれほど激しく吹いていることを感じることはなく、そんな言葉があるものの実感がなかったのは事実である。関東に引っ越して最初に風が強いところだと思っていたのは実は春一番が吹き荒れていた所為であったというのは後になってわかったことであるが、やはりこれは春の風物詩なのであろう。戻る↑
マルチメディア、という今となっては死後になりそうな言葉のコンセプトは「すべてのデータをデジタル化し、コンピュータですべてのデータが利用できるようにすること」であったはずである。それゆえ、音楽や動画がコンピュータで再現できるようになり、その結果共通のフォーマットに従うファイルさえあれば、世界中どこからでも入手すれば再生できることとなったわけである。これは明らかに科学技術の進歩であり、本来であれば賞賛されるべきものである。一方、著作権という考え方があり、それゆえに音楽や動画の取り扱いには神経質にならざるを得ないものである。Winnyというファイル交換がPeerToPeerで行えるソフトウェアの存在は難しいものであるが故に現在も裁判が行われているのであるが、このWinnyに感染する厄介なコンピュータウィルスがあり、その結果コンピュータに入っている個人情報が全世界にぶちまけられるという困った事態が起こったのである。これに対する処置として「Winnyを使わないということが最も重要です。」という不可思議なキャンペーンを張ろうともくろんでいる政府はなにか世論を形成しようという企みがあるように感じられる。凡そよろしくない結果が起こらなくするためには原因を排除すればいいのであるという考えは至って簡単であるが、交通事故を起こさないためにはどうすればいいかという問いに対して「車を運転しない」と応える大馬鹿者は存在しないし、「人間が滅亡すれば交通事故は起こらなくなる」という究極論者も一般受けしないことは明白である。Winnyに感染するコンピュータウィルスへの対応でもっとも正しい方法は「ウィルスチェックをする」「個人情報は自宅に持ち帰らない」「会社のコンピュータは仕事にだけ使う」であり、Winnyを使う使わないは討議するべきものではないはずである。戻る↑
もちろん民明書房ならば「中国人の「米洲房」とかいうおっさんが考案した」という与太話を展開するだろうし、「野球も侍も剣道もウリナラが起源に決まっているニダ。自国が起源であるなどと虚言を発する国は謝罪しる!」と言い出しかねない不思議な国もあるのでそれはどうでもいいことである。WBCというサッカーのワールドカップ並みの国際大会を作るべく現在その第1回大会が行われているが、日本は順当に2次予選に進出し本日はアメリカとの対戦を行った。もうすでに激しいまでの議論がなされているのでこれ以上コメントをすることは避けたいのであるが、幾重にも張り巡らされたアメリカに有利なルールや審判を擁してアメリカが世界一となったときに、この大会は盛り上がりを見せるのであろうか?という疑問だけは残るのである。ということで、結果がどうであるにせよ、アメリカ以外のどこかが優勝することが望ましいと考えていたりする。順当に考えるとレベルの異様に高い中南米チームとの対決が決勝であるわけであり、反対側のブロックで勝ち上がったとはいえ、決勝でこてんぱんにやられてしまうような気がするのである。本日の結果を以って日本が少しばかり厳しい状況に追い込まれたのは事実であるが、、まあそれなりにがんばって「日本の野球ここにあり」というものを見せてもらえればそれで良いのではないだろうかと思ったりする。個人的には長嶋茂雄という不可思議な監督よりも王貞治というオーソドックスな監督が率いている時点で、これまでの国際大会よりもいい成績を収めてくれるだろうと思っているのだが。戻る↑
投資をする上での注意点は、回収の見込みがどれほどあるかということである。株式取得の目的は、「安く買って高く売る」というものもあるし、「長期間保有して配当を受け取る」というものもある。長期間保有した場合においては配当金が出資した金額のどのくらいであるかが重要であり、投資額に対する配当金の割合を「配当利回り」という表現でパラメータとして与えられている。配当とは別に株主優待という不思議なものもあり、年に2度律儀にお菓子や食べ物を送ってくる会社もあれば、買い物の割引券を送ってくるという会社もある。このたび株式を取得した会社からの株主優待は「株主限定のオリジナルビール」であったり「オリジナル切手シート」であったりした。株主限定という不思議な響きに影響されているようであるが、市販品でないというところに何かしらの優越感を感じるのは事実である。そういえば以前某製菓メーカの株主総会に出席した折に、株主から「昨冬に発売したところ大変な人気になり、品薄のため販売を中止した製品について今一度ご説明願いたい」という質問を受け、議長である代表取締役がその顛末を説明したことがあり、「ならば株主にいち早くその製品を配るわけにはいかないか?」という凡そピントを外した追加質問をした株主がいたことが思い出されたが、これもまた株主という特別の存在に対してもっとなんか配慮してくれてもいいんじゃないのかと無闇に会社に期待しての発言であろう。戻る↑
しかしながら道の駅で寝ている他県ナンバーを不審に思われたのではなくて道の駅のガラスが割られていたことに対する事情聴取であった。万に一つぐらいの疑いを持ってお前が割ったんじゃないかと訊いている向きもあるだろうが、割った人間がその後ぐうすかそこで寝るわけもなく、昨日ここについたときは割れてなかったですし、割れた音にも気がつきませんでしたというほかはない。心地よい睡眠を妨げられて気が晴れぬままに更に北上を続け、何ゆえスイッチバックにしていないのだろうという疑問を感じずにいられないJR釜石線の陸中大橋駅を見物する。釜石線ほど必要以上に紆余曲折があった路線もなかろうにと思うほどの複雑怪奇な歴史の敷衍は後に譲るとして、現在の陸中大橋駅に残されているホッパーの跡やトンネルの向こうに広がる凄まじいまでの廃坑を見るに付け、近代国家の礎はここで築かれたのだという思いを新たにする。
仙人峠より西側に展開される宮沢賢治ワールドと、東側に展開される近代産業の痕跡という不思議な組み合わせに感動し、その仙人峠を越えて遠野に到着する。遠野では現在も流鏑馬が行われる馬場を持つという八幡宮で御朱印をいただき、道の駅で暮坪そばを食す。暮坪そばは遠野の地でのみ栽培されている暮坪かぶという蕪をすりおろして薬味としたものであり、信州の辛味大根同様に大変味わい深いものである。斯様な薬味については『美味しんぼ』で紹介されていたらしいのであるが、そんなことを知るはずもなくこれまた結構なものをいただきましたねえということで無駄に記憶に刻まれたのであった。そのあとは花巻から高速をぶっ飛ばし、いわきで久しぶりに「さはこの湯」に入って帰宅。久しぶりに遠出をした気がした週末であった。嘗て京都に住んでいたときは福岡が週末だけで自車でいける限界であったが、茨城の場合は現在のところ岩手のようである。岩手といっても何とか掠めている程度であるが。戻る↑
相馬にある道の駅で目を覚まし、本日は東北の御朱印集めと温泉めぐりということで更に北を目指す。
まずは秋保温泉で自遊人のパスポート消費活動を行う。秋保温泉は二軒の温泉宿が今回のパスポートに協賛しており、どちらも大規模なホテルゆえに源泉かけ流しをしているわけではなく、大浴場は循環されているもののそれなりに露天風呂は趣向を凝らしたものであり、それなりにすばらしいものである。まったりと旨い飯を食らって次は御朱印活動である。多賀城址にある陸奥総社宮に向かい、参拝を済ませて御朱印をいただくべく社務所に向かうと自宅に来てくれということであり、御邪魔することとする。このようなアットホームな御出迎えを受けたときのパターンは決まっており、寒いところを良く御参りくださいましたということでいろいろと話をしたりしながらお茶をいただくものであるが、今回はそれに加えて茶菓子が付いたのが特筆するべきことであろう。結構な接待を受けて本日は次なる御朱印を貰うべく鹽竈神社に向かう。鹽竈神社は志波彦神社が境内に遷祀されており、御朱印も対になっている珍しいものであった。
社務所には「今年もうまくいく御守」という極めてアバウトな御守があり、特定の目的に特化していないところに何気に素敵さを感じてお納めさせていただくこととした。その後車を海岸沿いに北上させ、日本三景のひとつである松島に到着したのは完全に夜となっており、その景色を見ることが出来なかった。松島海岸駅前で飯を食おうと思ったところ、仙台で食いそびれた牛タンの店がそこにあり、とりあえず牛タンでもと思って入った店が大当たりであった。牛タンを焼きつつ、焼立てをいただくというありがたい店であったのであるが、隣の客が「タントロ」などという聞きなれぬ代物を所望していたのでこちらも所望したところ、数量限定であるがためにあるかどうか不明ということであったが、奇跡的に1人前あったということであった。事の次第の信憑性は不明であるが、事実これは旨いものでありまたもやよろしくない食材に邂逅したものだと思い至ったものであった。牛タンを食べたので当初予定していた気仙沼のふかひれラーメンはスルーし、陸前高田の道の駅まで移動して本日は没する。戻る↑
ソフトバンクという会社はかみすばしいIT業界にあってある意味落ち着きを持っている会社であり、その拠り所は何気に長い歴史によるものと考えられる。近鉄球団とオリックス球団の合併に伴う新たなチームの誕生時に楽天とライブドアが争いを繰り広げたことの裏で、こっそりとダイエーと話をつけて的確に球団を手に入れたことを思い起こせばわかるとおりで、不思議な落ち着きすら感じ取れる何かがそこにはある。このたびのボーダフォン買収劇も日本での史上最大の買収額であるという話に隠れがちであるが、そもそもソフトバンクが携帯電話業界に新規参入するとして取った免許はどのように使うのかという無闇な悩みは尽きない。新規参入用の免許は、おそらくボーダフォン買収をカモフラージュするための策略ではなかったのではないかというのが凡その検討するべきところであるが、ボーダフォンという会社が日本では激しく左前になっていることも方針の転換の大きな理由の一つであると思われる。嘗ての自分を含めて身の回りになぜか頻在する必要以上にヘビーユーザである面々の意見を掻い摘んで申し上げるならば、会社名が変わったときにメールアドレスを変えるのをやめて欲しいということである。J-PHONEとかいう会社からvodafoneに変わったときに一悶着あったのは記憶に新しいところである。戻る↑
3月に入り、いよいよ暖かくなってきたようである。春を告げるものといえば奈良東大寺のお水取りであるが、このお水取りは東大寺境内にある若狭井という井戸から汲み出された水が用いられている。なにゆえこの井戸にそのような名前が付いているのかといえば、この井戸の地下水脈が遥か彼方の福井県小浜市に繋がっていることになっており、この時期に小浜では「お水送り」という行事が執り行われるからである。小浜にある下根来八幡宮と神宮寺ではこの行事を毎年この時期に行っており、毎年毎年遠敷川の鵜の瀬のせせらぎから東大寺へと水を送っているのである。何ゆえわざわざ奈良くんだりまで毎年水を送るのかといえば、奈良時代の僧実忠が「修二会」という修行の初日に神名帳を読みあげ、日本中の神々に行の加護を願ったところ、若狭の遠敷明神だけは魚とりに夢中で、行も終わりに近いころに現れてしまい、遅刻のおわびとして神通力で地面を割り、二月堂のご本尊にお供えする水をわかせたということである。これが東大寺の若狭井で、修二会の別名を「お水取り」というようになったらしいのだが、それ以来毎年付け届けをするあたりに日本の神様の人間臭くアバウトさを感じる何かがあるものである。戻る↑