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ブラジルといえば、頭突きで一世を風靡した「ボボ・ブラジル」とかコーヒーのことを「黒汁(ブラジル)」と呼ぶ友人とかがまず思い出されるあたりに何かしら間違いを感じる。ブラジルといえばサンバであり、以前浅草でサンバカーニバルが執り行われたときにちょっくら御邪魔をしたことがあるのだが、街中でいきなりサンバカーニバルのいでたちの女性がいた日にはえらくびっくりするという経験をしている。しかしながら、あの格好を全員がすれば特に違和感無く祭りに参加できるのだろうなと思ったりもする。ちなみにポルトガル語でCARNAVAL(カルナバル)とくれば、マツケンサンバを思い出すのは日本人の習性であろう。歌詞に出てくる♪踊れ南のカルナバル〜はやはりリオのカーニバルを思い興さんとしているのかもしれない。しかしながら、京都に住む人間にとっては、夏のくそ暑いときに人がやたら集まる「祇園祭」をわざわざ見るためだけに日本中から観光客を興ざめした目で蔑むことがあり、観光客の「人が一杯ね」という発言に「お前が来るからじゃ」と鋭いツッコミを入れたくなるものである。この思想はきっとリオの市民にも当てはまろうものであり、この季節になれば人ごみを避けるために町を離れる人がいそうな気がする今日この頃である。戻る↑
土肥から船で清水に抜けようと考えていたのであるが、船の便が遅いのでとりあえず出発する。伊豆の西海岸沿いを進み、沼津から三島へと抜ける。伊豆半島内の自治体は激しく合従連衡をしており、かつての自治体名が使えないことから行き先表示案内には見慣れない抽象的な不思議とも言うべき地名が連呼される。しかしながら伊豆半島は各集落ごとに温泉が湧くといっても過言で無いほどの温泉大国であることを利用し、かつての自治体名の後ろに「温泉」とつけておけば合併しても大丈夫というところに不思議な知恵を垣間見たものである。三島では伊豆国一ノ宮である「三嶋大社」を参拝するが、神社名を墨書きされないという珍しい御朱印を頂き、ぼちぼちと帰宅の途につく。時間帯が早かったことも手伝ってか、東名も首都高もがらがらだったので、沼津から横浜町田を経て、保土ヶ谷バイパスでつないで湾岸線へと抜け、そのまま三郷線常磐道という御大名なコースで即刻帰宅。何か妙に疲れてしまったのでそのままぐっすりと眠りに付く。戻る↑
自遊人のパスポートがこのたびずいぶんとパワーダウンしたことは以前に書いた気がしないでもない。自遊人を購読する人間が首都圏近郊に集中しているためであろうか、今回の無料で巡れる温泉場は関東近郊に限定されているものである。昨年までの自遊人で斯様な企画が成立していたならば、なんという自己中心的な企画であろうと憤慨すること間違いなしであるが、関東に在住した途端にパワーダウンは嘆くものの、近場が相変わらず対象となっている時点でそれほど腹が立たぬとは人間はまことに都合よくできているものである。ということで、本日はひとまず網代温泉の「平鶴」を利用することとした。露天風呂から海を眺めれば、まるで海に浸かっているような開放感が得られるとは旅行雑誌の謳い文句のようであるが、確かにこれは快適この上なきものである。昼飯に丼の上一面にイカソーメンという「イカ丼」を食し、いざ次なる温泉地を目指す。伊豆の東海岸は絶好の行楽日和ということもあって洒落にならぬほど交通量が多く、激しい渋滞が引き起こされていたため、東海岸を南下して温泉を巡るという当初の予定は潔く変更し、内陸部の温泉を巡りつつ南下する策に方針転換する。ということで中伊豆温泉「ごぜんの湯」を利用し、次は湯ヶ島温泉「テルメいづみ園」を利用する。湯ヶ島から先は東海岸に出るのではなく西海岸へと進路を変え、松崎で今月一杯で閉館となる松崎温泉「サンセットヒル松崎」を利用する。本日はずいぶんと温泉に入ってしまったなあと思い起こし、そのまま土肥まで北上し没する。戻る↑
今を去ること14年前、日本のスケート界は一つのピークを迎えた。18年前、一人の類稀なる天才スケーターが類稀なるコーチと出会い、日本の期待を一身に集めてカルガリーオリンピックに挑んだのであった。しかしながらその選手はカタリーナ・ビットという「東側のスパイにして妖精」という極めて前時代的な何かの前に及ばず第5位に終わり、女王となった前時代の遺物というべき存在から「てめえ氷の上でゴム鞠みたいに飛んだり跳ねたりしてんじぇねえよ(3割増で意訳)」と口汚く罵られてしまったのであった。さらに4年後満を持して挑んだアルベールビルでは、日系アメリカ人のクリスティ・ヤマグチに阻まれ、「同じアジア系でもヤマグチは色っぺえ(やや意訳)」とアレな評価をされてしまい、ピークの高さが145cmであったことが手伝ってか、所詮は銀メダルであるという事実を突きつけられたのであった。そのとき以来日本スケート連盟は選手層を厚くし、国際経験をたっぷり積ませるがために英才教育プロジェクトをはじめた。セレクションにおいて身体能力、表現力などあらゆる項目において吟味され、幼くして選ばれた選手は戦士として戦地に赴くべく見事なまでの教育を施されていくこととなる。その栄えあるプロジェクトの第1期生としてノミネートされていた荒川選手が、ついに14年もの歳月を経て究極の高みに達することができたのである。これは選手の類稀なる能力と努力とスケート連盟の組織力の結晶であり、これをプロジェクトXに採用するべきではないかと思いを馳せるものである。しかしながらセレクションにおいて吟味された項目に「容姿」があったことは事実であり、14年前の一つのピークで得た教訓の最たるものは、セレクションにこの項目を入れることにあったのではないかという無闇矢鱈な妄想を駆り立てるに十分な何かが現状の選手層を一瞥すれば思い浮かぶものである。決して14年前の銀メダルとこのたびの金メダルの差はそこにあるわけではないといいたいところであり、現在は採点基準も変わり、オリンピックが代理戦争の舞台として利用されなくなったという国際情勢の変化もある、と列挙すればするほど白々しさが増してしまうのも事実である。戻る↑
氷の上で重さ20kgのおはじきを楽しむという不思議なスポーツがある。これはスポーツと言うべきであるかと言うことについては微妙なものがあるが、アジア大会では何ゆえかビリヤードがスポーツ競技となっていることから考えると、原理が類似しており、規模が大きく、氷上で行うことを考えると十分とスポーツと言えるものである。時折しも「シムソンズ」なる映画が公開され、特殊法人である放送協会の報道記者が率先して選手の愛称である

お宿で目を覚まし、朝からもカニのダシの利いた味噌汁だの、卵焼きに忍ばせてあるカニだのと、やはりカニでのもてなしはとどまる事を知らない。体の筋肉がすべてカニに変わったかのような満足感を得てチェックアウトし、本日は一路金沢を目指す。加賀温泉駅でやってきた特急列車に乗り、改札を出ようとしたところで特急券をしっかり請求されてしまうのはなんともはやである。久しぶりにやってきた金沢は駅が大いに様変わりをしており、不思議な「もてなしドーム」だの「鼓門」だのという構築物が我々を出迎える。出たところには噴水が微妙なモザイクを形成し、時を知らせてくれるなどという不思議な水芸が待ち受けていたりと何気に味わい深い。近江町市場経由で金沢城へと進み、3年ほど前にできたであろう「利家とまつ」にちなんだと鉄板で判る取ってつけたような資料館なんかを見て目的地である尾山神社へ。
昔からある神社であると勝手に思っていたのであるが、どうもできたのは明治時代であり、祭られているのは加賀藩祖である前田利家であるところからどうも歴史の薄っぺらさを感じてしまうのは致し方ないことである。しかしながら、親が子供を肩車して鴨居にぶつける3秒前の石像や、夜逃げしているに違いない前田利家の石像や、どう見ても松嶋菜々子に見えない石像など不思議なものが境内には散らばっており、そのなかで一人気を吐くのが神門である。凡そ神社とは不釣合いなものであるが、味わい深いランドマークであり、そのカブキモノぶりは南禅寺にひっそりと佇む琵琶湖疏水の煉瓦製の水路を思い起こさせるものである。この神社でオリジナルの味わい深い御朱印帳が売り出されていることは事前に調査済みであるため、早速買い求める。その後金沢駅でみやげ物をしこたま買い、長蛇の列を作っているリムジンバスに乗り込んで小松空港へ。空港で土産を買い足し、B747-400の81Kという極悪な席に座って羽田まで。途中、気流の具合がよろしくなく、飲み物サービスが中止になったことが大いに悔やまれたが、CAと向かい合わせで時を過ごせるのでこれもまたよしである。羽田からはリムジンバスでつくばへと戻り、友人宅に土産を持っていって宴会する。味わい深い旅行であった。戻る↑
冬来たりなば、カニである。関東に住むようになって感じたことは、近隣でのカニに対するモチベーションが一様に低いことである。地政学的な観点から考えると、松葉ガニの本場である北陸地方は関東から何気に遠く、そこまで出かけるんだったら北海道に行けば良いじゃないかというものなのであろう。ということで本日は年に一度のイベントである家族でカニを食す会が執り行われた。今回の目的地は石川県は山中温泉である。まずは京都まで出て親と合流し、いざ雷鳥で北陸の地を目指す。物持ちがいい鉄道会社ゆえ、30年選手の485系がやってくるのは御約束であるが、指定したグリーン車の席は一人席を対面にするという極めて稀なパターンである。なかなか不思議な席の取りかたをするものだと感激し目的地へと進む。兄夫婦と加賀温泉駅で合流し、いざバスで温泉へと向かう。山中温泉の名所である「こおろぎ橋」の袂にあるこじんまりとしたお宿に着いて荷を解き、フロントの水槽に近日中に食されるであろう松葉ガニがウヨウヨしている様子を見たりしてまずは風呂へと向かう。風呂から上がると仲居さんが飯の支度を始めており、メインイベントのカニがこれでもかと怒涛の攻撃を仕掛けてくる。刺身から始まり、茹で、焼き、鍋とやってきて、箸休めの小物にもカニが隠されているというまさしくカニのフルコースである。カニを心底堪能して一冬分の蓄積は完了した。戻る↑
イタリアで執り行われているトリノオリンピックであるが、周りの人間が必要以上に睡眠不足となっているのは不思議なものである。今回の日本選手団はメダルが大いに期待できるなどという無責任発言が先行していたものである。アメリカで最も権威のあるスポーツ雑誌が「日本は頑張ってもメダルが一つしか取れねえ」と言ってるのに対し、日本で最も権威がある(?)スポーツ雑誌である「Number」が必要以上に提灯記事を書いているところにスポーツジャーナリズムの未成熟さを見るようであり、モーニング娘。が大嫌いで楽天のGMを馘になったマーティー・キーナートごときに説教されなければならぬのは納得がいかぬものである。氷や雪を相手に競技をすることを考えると、想定されぬアクシデントが夏の大会に比べると多くあるのは事実であり、一瞬の攻防が命取りとなるものが多いとはいえ、それだけ前哨戦で調子がよかったと与太記事とはいえ日本選手を称えるのであれば、それなりの結果を選手が出してもらいたいものである。競技の前には「メダルメダルメダル」とばかり言うのに終わったら「良く頑張りました」としか言わないのは何気に卑怯であり、メダルを取れぬ選手に「腹切って詫びろ」とでも言いたくなるのであるが、選手たちには罪が無く、煽っているマスコミが一番よろしくないのは事実である。なんとなくこれまでの勢いを見てみればアメリカの雑誌の言うことが何気に当たりそうな雰囲気があり、ラップでトリノオリンピックでの抱負を語った不思議な選手に象徴されるように、なんだかいけてないねえと言わざるを得ない。戻る↑
つくばでは何の因果かケーブルテレビが引かれており、ケーブルテレビ会社が割り振ったチャンネルには不思議なものが多い。関東でのデフォルト「1」「3」「4」「6」「8」「10」「12」チャンネルに「2」「11」の通販番組しか流さないチャンネルと「9」のケーブルテレビ会社のチャンネルが付いてくる。しかしながら最もチェックするべきは「5」の千葉テレビである。「マーリンズナイター」などという不思議なコンテンツがあり、日本一となった去年は手に汗握る熱戦をマイナーなスポンサーを支えに頑張って放送していたものである。さて、そのチロバッテリーマンズの親会社であるロッテはこのところ超越的に工場が忙しく、社長はジョニー・ディップばりの謎めいた行動でもしているのだろうかと思いたくなるバレンタインデーである。チロバッテリーマンズの監督と言えば「ボビー・
キャッシュカードを偽造されてしまうことが社会的に大きくクローズアップされた時には、判りやすい暗証番号なんかにしてるからだと被害にあった人を少しばかり見下していたところがあった。しかしながら最近の犯人は巧みであり、暗証番号を盗撮して割り出すなどという大胆不敵な技に出ており、露天風呂やトイレの盗撮で培われた技術が転用されているのかと間違った思想を抱くこと頻りである。ならばこちらとしても対抗手段をとらねばならぬと自己防衛に励むこととし、キャッシュカードをICカード対応とするべく銀行に向かったのは先月末のことである。銀行員とのやり取りで、ICカード作るには手数料がいりまんねんということになり、己の身を守るためには先行投資が必要であるとは厳しい世の中であると実感したのであるが、クレジットカード機能のついたキャッシュカードであれば発行手数料はかからぬということで勢いそれに落ち着く。明らかに銀行の策略にはまっている気がしないでもないが、クレジットカードは使わなくても未来永劫年会費は無料ということで許してやることとした。紆余曲折を超えて本日そのキャッシュカードが届いたのであるが、どうせ同じカードを作るならば、インパクトのあるカードが良いなと思ったわけでこんな風になったのは愛嬌と言うもの。戻る↑
その後棚倉の馬場にある都都古和氣(つつこわけ)神社に参拝する。参道の傍らになぜか大正時代の棚倉町道路元票があるなどという不思議な神社であるが、本殿がガラス張りでアルミサッシがはめられているとか、全国の一ノ宮との間で年賀状のやり取りをしていることを公表しているとかという何気に不思議なことをしているところであった。社務所に出向いたところ、用事があるやつはここまで来いと地図があり、そちらをたずねると神主の自宅であった。神主が入っている炬燵を薦められたり、お茶を淹れてくれたりという妙にアットホームな中で御朱印を書いていただき、八槻のほうはこっちの門番みたいなものだとか、石川にある石都々古別(いわつつこわけ)神社は元は八幡さんだったという細かいことまで教えてもらう。その後件の石川にある石都々古別神社に向かい、険しい山を上り詰めて参拝する。社務所は山の下にあるらしいのだが、それらしい建物はいくら探しても見つからない。仕方が無いので本殿に書かれていた社務所に電話番号にかけてみると、確かに判りにくいところに社務所はあった。同じ名前を持つ3つの神社それぞれに味わい深いものがあるのは歴史のなせる業であろうか。些か感動しつつ美味い鴨ざるそばを食して白河より帰宅する。こうして今週末は9つも御朱印が増えてしまった。そろそろ正月に買った御朱印帳の残りが心もとなくなってきたので、どこかオリジナルの御朱印帳を売っているところで買い求める必要があるようである。戻る↑
御朱印を集めることがだんだんとライフワーク化しており、どこかに出かけて御朱印をもらうという考え方が、御朱印を貰う為にどこかに行くということに変わりつつある今日この頃である。本日は東京都心に散らばる江戸の鎮守様の御朱印をいただくべく出かける。秋葉原で兄と待ち合わせ、ヨドバシアキバで昼飯を食っていざ出発である。本日は神田明神を皮切りに富岡八幡宮、深川不動尊、日枝神社、豊川稲荷、氷川神社と歩を進める。富岡八幡宮では横綱の石碑などという味わい深いものを見物したり、深川不動尊は都心にあるが故に背景が高速道路であったりとそれぞれに味わい深い。日枝神社はかつてのホテルニュージャパンの跡地に立てられたプルデンシャルグループのビルとのコントラストが絶妙であり、氷川神社は氷川きよしのファンが氷川きよしの歌が売れますようにと絵馬を奉納するなど、何が素晴らしいものばかりを見せてもらったようであった。プルデンシャルグループがトレードマークとしているジブラルタロックは丈夫な礎の象徴であるはずだが、そのようにどうしても思えないのは谷隼人が原因であろうと想像することはたやすいものであり、我々の年代ではその会話は普通に成立するものである。御朱印をたっぷり集め終わり、日比谷の鹿児島料理屋で黒豚と焼酎でいい気分にあり、さらに新橋の地下で焼酎屋でいい気分になり帰宅。こういう週末の過ごし方もいいものである。戻る↑
来月中旬に目を向けてみれば、月曜日を休めば4連休が完成するなどという素晴らしい週末がある。航空会社は的確に需要を予測しており、黙っていても客が乗ってくれる掻入時にはマイルをたっぷり貯めた人々の特典航空券を利用できなくさせているのである。しかしながら、通常の週末であればそのようなことは無く、それに休みをくっつけるは個人の裁量であるため、この飛び石を埋めれば4連休という時には特典航空券は利用可能である。徐にこの日を狙って特典航空券を利用することとし、行く先に思いをめぐらせる。4連休と言うことである程度遠くに出向くが吉ということが考えられ、律令国家の制定の折に一島にして一国を与えられたという4国のうちの二つである対馬と壱岐に行く予定を立てた。壱岐の観光協会のページで確認した情報によれば、観光協会は「一支國パスポート」なるものを出しており、これを見せれば島内での宿泊や食事代が安くなるという素晴らしいものである。本日このパスポートが届いたのであるが、自遊人の温泉パスポートよろしくどこかに行かせたくなるものなのである。戻る↑
自分の頭の上を通る高速道路は邪魔っけだが、他人の頭の上を通る高速道路は平気なのである。理由は至って簡単で、自分の頭の上の高速道路は自分に害を及ぼすが、他人の頭の上は自分に害を及ぼさないからである。更に理由を重ねるならば、自分の頭の上の高速道路は、自分が決して利用しない区間だからである。現在採算の取れていない高速道路は過疎地であるとか、部分開業してる道路がほとんどであり、途中に激しく過疎地を通る高速道路でも両端の街が大きな街であれば、十分に採算の取れる道路になっているのである。ちなみに高速道路に反対する人は自分の住む地域に高速道路がある人であり、高速道路を願う人はその大半が自分の住む地域に高速道路がない人である。近年になって高速道路建設に反対論が高まっているという現象は、高速道路のある地域に住み高速道路の恩恵を受けている人が人口比率で過半数を上回ったという中間報告を逆説的に表現したことに過ぎず、最終目標である全国に高速道路網を整備して国土を等しく豊かとすることに取り組んでもらいたいものである。高速道路建設では必要であるかどうかということと、建設コストが人為的に嵩ませてしまっている不思議なシステムが構築されてしまっていることとを分離してやる必要があるのではなかろうか。戻る↑
お宿からは房総の海が一望できるというロケーションにあり、朝起きたときから爽快な天気が出迎えるという絶好の水族館日和である。宿泊料金に入園料が含まれているというオプションがあるため、本日は鴨川シーワールドへと向かう。関西に住む人間にとってはおよそ縁の無き施設なのであるが、関東に出向き房総半島を満喫するとなれば、ここは外せぬ施設である。
この施設は他の水族館とは趣を異なるものとしており、水槽で泳ぐ魚よりもむしろ屋外でのショーに重きを置いている珍しい水族館である。専用の水槽でシャチやアシカやイルカやベルーガが飛んだり跳ねたり芸をしたりしてるわけであり、しかも時間を巧みにずらしてこれらのショーが執り行われるため、ショーが行われる水槽間を民族大移動する姿が何気に見受けられる。そんなショーのはしごを済ませて昼飯を食らいに食堂に出向く。水族館で新鮮な海の幸を食わせることをどう思うかという素朴な問いかけが発生するのは事実であるが、海のそばで海産物を食すことにはなんら問題が無いことではないかと考えがまとまれば問題が無いわけであり、シャチのプールの下に設えた食堂でシャチの泳ぎを見ながら食事をする。食事中に地響きのような鈍い振動が起こり、いい気分で一杯やっているビールが不思議に波打つが、飼育している中では日本一の大きさを誇るシャチがショーで飛んだりしており、その落下時の振動が斯様な伝わり方をしているのだと理解するにつけ、シャチの大きさを実感したものであった。鴨川シーワールドを満喫した後は上総一ノ宮にある玉前神社で御朱印を頂き、ドライヤーという文明の利器を使って御朱印の墨を乾かしてくれるというハイテク振りを見せ付けられる。そののち車を成田の「大和の湯」へと向かわせ、まったりと関東平野独特の黒い湯を満喫して帰宅。戻る↑

御朱印を集めることが趣味になってきたのであるが、ならばどのような縛りを設けて御朱印を集めていこうかと考えるとなれば、やはり全国を巡る大義名分が欲しいものである。ということで、全国の「一ノ宮」を巡ることをなんとなく思い立ったのであるが、とりあえずは手近なところからということで鹿島神宮や香取神宮はすでに回っている。
なので、本日は房総半島の一ノ宮を巡ろうと意を決し、まずは安房国一ノ宮である洲崎神社と安房神社を目指す。そのまえに木更津にある證誠寺に立ち寄り、狸塚などを見物する。御朱印をもらおうと思ったがあいにく寺務所が閉まっており、またここに来なければいけないかなあと思いつつ進路を南にとる。富浦の道の駅で美味なる海鮮丼を食し、まずは洲崎神社へ。まったくノーマークの観光色のない神社は素朴にして古くからの信仰の地であり、これぞ鎮守の森なのであろう。海から望める些か急な石段を上り詰めたところにあるこの神社には、松平定信が揮毫した「安房国一宮洲崎大明神」なる扁額があり、歴史を感じさせるものがある。本殿にて祝詞を上げている神職に御朱印をお願いしたところ、快く戴くことができ、その力強い筆跡に質実剛健な素朴な神社のよさを実感したものであった。そこから東に進み、安房神社でも御朱印を受け、本日の目的地である鴨川のお宿に到着。ペンションだと言うのにやたらとゴージャスな刺身の船盛を食べたりして、田舎の港町では御値段そのままで量が3倍と言う定説を確認しつつ、道の駅で買った美味なる純米酒を頂きつつ夜は更けていった。戻る↑
恵方巻は関西限定のイベントであったのだが、コンビニ業界が全国展開をしたおかげで、関東に住むこととなった人生初の節分において恵方巻を食べることは至って当然のこととなっているのが驚きである。今年の恵方である南南東から7.5度南を向いた方角に向かいて無言で恵方巻を食し、息災を願う。恵方は24ある方角のうちの4つしかなく、それがローテーションされているなどという役に立たない知識を吸収したりするのはいつものこと。そういえばこちらに越してきたときに、戸口に柊の葉と青魚の頭をつけて鬼を追い払わんとしていた家があったのであるが、なぜかその魚は鰯ではなく秋刀魚であり、何か特別な意味があったのであろうかと気になって仕方ない。本日は恵方巻をいただき、豆まきをやって今年もいい年でありますようにと気持ちを新たにし、時効警察を見つつ就寝。戻る↑
写真はレンズから取り込む光の量で明るさが決まる。明るさを決める要因はレンズの絞り具合とシャッタースピードで決まるため、レンズを開いてシャッタースピードを早くするか、レンズを絞ってシャッタースピードを遅くしても同じ明るさの写真を撮ることが可能であるが、レンズを絞ることにより被写体全体にピントを合わせることができる。また、フィルムの感度を高くすることにより、同じ明るさの光でもより明るい写真を撮ることが可能であるが、感度を高くすることにより画質が悪くなるという困った話がある。写真家は画質と被写体へのピントに注力するべきものであり、雑誌のグラビアを飾るおねえちゃんの写真を撮ることを生業とするカメラマンは、画質のためにISO100を選択し、f7.5程度を選択する。更には被写体との距離が近すぎても遠すぎでもコミュニケーションが取りにくいため、被写体との距離を考えて75mm程度のレンズを使う。ということで明るさをカバーするために様々な手法があるというのに、様々な手法はよりよい仕事のためにすべてを費やしてしまい、明るさをカバーするという考えが全く省みられることがない。その結果、撮影時には周りからこの条件に合うように光を当てるという本末転倒な事が行われているが、すべてはいい写真を撮るためである。そして何よりも大事なことは被写体との適切な距離である。適切な距離をとることは人との付き合いで最も重要なことであることをこの事実からも垣間見ることができる。戻る↑
常夏の国ジャマイカの陸上選手が、オリンピックに出場できるということで歓び勇んでみたところ冬季オリンピックであり、しかもその競技はこれまで見たことも聞いたことも無く練習場すらないというものであったという実話を元にした映画「クールランニング」を覚えている人も多いが、あの映画を見てボブスレーとは国の代表とさえ認められればオリンピックに出場できるものだと思ってしまった人も多いであろう。それゆえ競技人口の少ないマイナースポーツであればオリンピック代表も夢ではないと勝手に妄想している人も多いに違いない。しかしながら、ここ数日の報道により、ボブスレー競技でオリンピックに出場するには世界レベルでそれなりの結果を出さなければならないということが白日の下に曝されたのである。ついでに言うと日本選手のレベルが当落線カツカツであったこともばれてしまったのであるが、それはまあ件のジャマイカチームに日本チームが負けてしまっているという事実を知っていれば想定の範囲内ではないかと思ったりする。国の代表としてオリンピックに出場できるということになったのであるから、せいぜいがんばってもらいたいものである。戻る↑