|
今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます) |
その昔、日本電気がPC-9801というコンピュータで日本の市場を席巻していたときに、EPSONは「互換機」という名称で安い値段で同等の機能を持つ製品を出していた。また、当時のコンピュータ周辺機器メーカであったICMなどは「サード・パーティー」などという不思議な呼称で商売をしていたことが思い出される。自社のインクジェットプリンタの使用済みカートリッジにインクを詰め直した製品が自社の特許を侵害しているとして、キヤノンが同商品を輸入販売している業者をを相手取って販売差し止めなどを求めた訴訟の控訴審判決が本日知的財産高裁で開かれ、キヤノンが勝訴したということである。インクカートリッジは所詮は入れ物であるため、インクを詰めなおせばまたそれをカートリッジとして利用できうるものであり、一旦販売された後のカートリッジのガワそのものには知的財産とやらは存在しないというリサイクル・アシスト側の意見は通用しなかったようで、今後は空き箱にも知的所有権とやらが発生するのだという一つの判例となったのではないだろうか。プリンタにきっちり合うようにカートリッジを作っている以上、カートリッジの形状そのものが知的財産になるというキヤノンの言い分はもっともである。インクカートリッジに限定すれば、純正品と互換品を比較するとなぜか互換品の質がよくないのは「安かろう悪かろう」という思想が根底に流れていることが原因なのかもしれない。かつての日本では、日本電気の「純正品」をはるかに上回るスペックを誇る「サード・パーティー」製品が鎬を削っていたはずである。今回の判決は安きに流れた故にだめとなったのではないかと言うのが個人的な意見である。戻る↑
本日は夕刻より新宿で飲み会があるため、朝から帰宅の途につく。ただし、まっすぐ帰っても仕方が無いのでいろいろとつまらぬ経路を考える。まずは1日に1本だけ走っている大阪発の「しなの」に着目し、京都から塩尻までこの列車で移動する。途中で前を行く列車が遅れてしまい、10分ほど遅れてしまうのであるが、車窓から見る関ケ原の雪景色などは味わい深いし、雪を被った木曽川の「寝覚ノ床」もまた味わい深いものである。塩尻から下諏訪まで電車で移動し、下諏訪で「管野温泉」に入り、まったりとする。温泉で体を洗い清めたので諏訪大社下社の秋宮を参拝し、御朱印をいただく。その後諏訪大社下社の春宮を参拝し、御朱印をいただくが、あいにく細かいのが無いのでと5000円札を差し出すと、こっちも釣りがないからということで細かいジャリ銭も含めて洗いざらい小銭を収めることで折り合いが付いた。御朱印が同じ諏訪大社なのであるが、秋宮と春宮で字の上手さが全然違うのが何気に興味深いものである。参拝を済ませてからだが冷えたので「矢木温泉」でまったりと温泉につかり、下諏訪駅に戻る。下諏訪からは特急「あずさ」で新宿に到着し、飲み会となる。二次会の途中で気がつけば11時半であり、ダッシュして東京駅までたどり着き、ミッドナイトつくば号で自宅まで帰る。帰宅したのは午前2時であり、さすがにくたびれて前後不覚となる。戻る↑
就労免除という不思議なことがあり、本日はその恩恵に浴して大阪まで出張扱いである。労働組合の役員という不思議な役回りを勤めている関係上、労働者側の代表ということで会社のえらいさんと「労使懇談会」などというものに立ち会わねばならなくなったのである。久しぶりに出張みたいな何かをした所為であろうか、大阪まで行く切符はなぜか日付が本日ではなく2月18日だったりするという不思議なことをしているあたりに何か情けないものを感じてしまう。油の神様などという不思議な神様を祭る神社を参拝して御朱印をもらえば、「いろいろとお集めになってらっしゃるんですね」と宮司に言われたりするが、たしかに平日にスーツを着て朱印をもらうのはよほどのことが無い限りないことであろう。さて、本日の出張先はかつての職場であり、部署ごと異動してしまった僕にとって今更ここで働く場所は無かったりするのが何気に感慨深い。「労使懇談会」などというご大層なイベントは恙無く終了し、久しぶりに実家に戻って一夜を過ごす。戻る↑
つくばという土地では、飲み会をすることが大変である。飲み屋はなぜか送迎バスを所有しており、団体で飲み会をするとなれば会社まで送迎バスが来るのである。そして一頻宴会を済ませるとめいめいの自宅までそのバスで送ってくれるのである。そのため、朝会社に行くときの車の算段をする必要があり、突発的な飲み会は基本的にできないし、会社帰りにガード下でクダを巻くこともできない。ガード下でクダを巻けないのは、つくばにガードがないからであるというという話もあるが、そういうピンポイントなツッコミは放置プレイすることとしたい。本日は1年半ばかり働いていた派遣社員が辞めるということで飲み会であったが、「仕事やめてしばらくはオリンピック観戦三昧とします」という宣言もなかなかであった次第。来月から次の人がまた来るらしいのだが、戻る↑
この数日の寒さはようやく緩んできたようである。寒さが緩めばやってくるのは春より前に花粉症である。日本で一番売れている花粉症の薬は「クラリチン」であるが、サノフィ・アベンティス社の主力製品である「アレグラ」という薬剤はなかなかに楽しい歴史を持っている。1970年代にダウケミカルの医薬品部門であった企業が抗ヒスタミン薬を開発することとなり、「セルダン(日本ではトリルダン)」という薬剤を開発した。この時点ですでにこの会社は合併を繰り返し「ダウ」→「メレル・ダウ」→「マリオン・メレル・ダウ」と社名を変更していたのであった。この薬剤の主成分は「テルフェナジン」という化合物であり、体内に吸収される時点で代謝を受け「フェキソフェナジン」と呼ばれる化合物に変化するものであった。しかしながら一部のテルフェナジンが代謝されないまま体内に取り込まれることがあり、これが大きな問題を引き起こすこととなった。テルフェナジン自体にも薬効はあり、別にそのことは困らぬのであるが、副作用として「Torsade de Pointes」と呼ばれる心室性不整脈が起こり、あろうことか死者が出る始末であった。そこでマリオン・メレル・ダウ社はこの医薬品を売らないことにし、そのフォローアップとして最初から代謝されている化合物である「フェキソフェナジン」を薬にして売ることとしたのであった。フェキソフェナジンを主成分とした薬剤が「アレグラ」の名前で売られ始めたころ、この会社は「マリオン・メレル・ダウ」→「ヘキスト・マリオン・ルセル」→「アベンティス」と名前を変えていたのであった。ちなみに「アレグラ」は「抗『アレ』ルギー薬の『グラ』ンドチャンピオン」という意味がこめられているようで、日本では花粉症の「くしゃみ」と抗ヒスタミン薬の副作用である「眠気」をイメージできる「ハクション大魔王」と「アクビ姫」のキャラクターが販促に一役買っている。現在この会社は「サノフィ・アベンティス」という名前になっており、医薬品業界の凄まじいまでの合併の歴史を伝えている。ちなみに「Torsade de Pointes」ってどう読むのが正しいのかについてはこちらを参考にされたい。国が作成した文書では「トルサード・ドゥ・ポワン」と読ませようとしているが、どう考えてもそういう発音はしない模様。戻る↑
インターネットに接続されたサーバのWebSpaceにあるファイルを閲覧することを「インターネットする」という不思議な言葉で表現されるようになって久しい。しかしながら従来のWebPageの作成には、HTMLなどという言語を覚える必要があり、それなりに敷居の高いものであったことは事実である。しかしながらより簡便なPage作成に対する需要は高く、スタイルシートというものが誕生した。このスタイルシートを利用して、HTMLを知らずとも的確にPageを作成できるようにしたものに「blog」と呼ばれるものがある。当初blogはお互いのページをリンクすること(トラックバック)や、BBS(掲示板)を作らずともお互いのページに対してコメントを書くことが容易であったため、情報の共有が容易であるという特色を持っていた。しかしながらこの特色を生かせる最も使い勝手の良いコンテンツは日記であることがわかり始めると、blogとはインターネット上で書く日記のことであると看做されるようになった。そんなblogで「女王」の名を恣にしている眞鍋かをりはネット上での認知度が高く、近年のめがねっこ好きの男子に萌えられてしまい、ますますその名を高めているようである。彼女はもとよりコンピュータ等の電子機器に興味を示していたため、このたび経済産業省が開始したコンピュータの安全な利用を啓蒙する「CHECK! PCキャンペーン」の「パソコン救助隊」の隊長に任命されたのは興味深い。より簡単にコンピュータを使えるようにすることは重要であるが、それだけにいっそうコンピュータを安心して使うことには注意が必要なのであろう。戻る↑
朝起きて早速「むじなの湯」に入り、さらには「寺の湯」に向かう。寺の湯は熱い浴槽と適温の浴槽が並んでいるがために混浴が貫かれている共同浴場であり、熱い方の浴槽は入ることができないほどの熱さである。朝風呂を満喫して宿に戻り、朝飯を食って張さんの喝もそこそこに宿を発つ。本日はまず元湯温泉の「大出館」の「墨の湯」で真っ黒な湯を満喫したりするが、昔はお嬢さんだった方々が湯治にお越しであり、混浴でまったりとどこから来たとかいつまでいるのかなどという話に花が咲く。お湯を満喫したとは塩原名物のスープ入り焼そばを堪能する。スープ入り焼そばは普通にソース焼そばを作り、そこにスープをかけるという不思議なものであるが、大変美味いものである。美味なる味を堪能し、雪の霧降道路を走って川俣温泉の近くにある「またぎの里」を目指す。ここは2004年10月30日に出向いた際に「熊汁」を食べ損ねてリベンジを誓った店である。本日は熊刺し、熊焼き、熊汁、熊丼と熊のフルコースを堪能して見事なリベンジを果たす。その後車を日光に進め、いよいよ今回の目的地である二荒山神社と日光東照宮である。
日光東照宮は10年ぶりの訪問であり、寺にして何ゆえこの豪華さを誇らしげにしているのかが不明であるが、400年もの時代を経てなぜか風景と馴染んでいるとこらへんに不思議を感じる伽藍である。さて、左甚五郎作の眠り猫を見たり、鳴龍こと薬師堂に立ち寄って御朱印をいただくなどして寒さに打ち震えるこの場を後にする。その後となりに鎮座する日光二荒山神社でこれまた御朱印をいただくが、この冬の寒い日によりにもよって山の中にいるわけであるから、寒いのは当然である。ということで暖を取るべく「日光和の代温泉やしおの湯」に向かい、冷えた体を温める。まったりとした後は自宅まで帰り、近所の中華料理屋で美味い晩飯を食って帰宅。なかなかに楽しい週末であった。戻る↑
お宿はなぜか内湯が無いという昔ながらの民宿のスタイルを踏襲しており、飯前にまずは共同浴場の「中の湯」を堪能する。夕食に馬刺しが出ていたのは想定の範囲内であるが、友人がインターネット予約をした時にオプションで「鹿刺し」も頼んだため、図らずも「馬鹿刺し」が実現したりするが、鹿肉はまことにくせが無く美味であり、なかなか貴重な経験をさせてもらったものである。お宿は共同浴場である「むじなの湯」から歩いて40秒という立地条件にあり、飯を食ってまったりしてから出かける。むじなの湯は夕方以降は立ち寄り客には入ることができず、地元民と宿泊客のみに解放されているという共同浴場のあるべき姿を今に伝えるものである。本日はいい温泉をまったりと利用して満足のいくものであった。戻る↑
場立ちなどという不思議な職業があったころは、取引成立の件数は少ないものであった。取引件数が激増した理由は様々であるが、事の本質は公定歩合の限りなき低空飛行によりお金を増やすためにはハイリスクハイリターンの手法を選ばざるをなくなったことと、それを許容する株式取引手数料の低下にある。その結果、会社の株価が将来の業績を見据えて決まるものだという考えを持つことなく、刹那的に株価の上がる下がるを憂慮して取引をする個人投資家が出てきたわけであり、それに呼応するように取引成立件数が激増してきた。さて、取引件数が増えそうなので途中で取引を停止しますというのは些か問題のあることであり、なぜその対応が遅れたのかについては文句を言うべきなのかもしれないが、本来あるべき姿と違う形で進展することに対応しきれないという問題は、法の整備がおっつかないためにその隙間を狙われることに妙に呼応する。法の抜け道を探してこの騒ぎが引き起こされ、そしてその対応の不備振りが明らかになってしまうということに不思議な連鎖を見たりする。戻る↑
11年前のこの日に阪神大震災が起こり、その日より「地震」が身近に感じられるようになったのは事実である。この地震では誰もが「地震保険」に入っていなかったので保険会社は支払いに応じる必要が生じなかったのであったが、この地震以降「地震保険」に入る人が増えてしまい、一昨年の中越大地震では保険会社が余震で建物が崩れる前に建物被害の査定をするために被災地にいの一番に飛び込んだなどという味わい深いことがあったりする。そんなこんなで一年で一番国民が地震に対して敏感となる日を狙ったかのように、マンションデベロッパーの証人喚問が本日行われた。この辺に何か作為を感じるのが疑り深い性格の所以であろう。戻る↑
御朱印集めをするようになると、近場の有名どころの御朱印を頂きたくなるものである。ということで本日は常陸國の一ノ宮である鹿島神宮に出向くこととした。途中で地図を眺めているとどうやら近所に香取神宮もあるようであり、ならばセットで御朱印をいただこうという事でそちらに先に出向くこととした。必要以上に殺伐としている駐車場に車を止め、門前の団子屋を横目に参拝を済ませて御朱印をもらう。香取神宮は下総國の一ノ宮であったようで、期せずして一ノ宮を一つ参拝したこととなる。戻り道にある団子屋で茶をしばき、まったりと団子を食す。右翼の方々が街宣車でお越しになったのを尻目にここを後にし、次の目的地へと向かう。
しかしながら途中で息栖神社などという由緒正しげな神社を見つけたので、そちらにも出向いてみる。するとこの息栖神社は香取神宮と鹿島神宮とセットで東国三社という扱いであるようで、三笠宮から下賜されたという御朱印なんかも押してもらう。そののち鹿島神宮で御朱印をいただき、久しぶりに川魚を食すべく大形屋へと向かう。大形屋では今回は新たに鯰の蒲焼に挑むこととした。「御時間少々かかりますが」という説明の元、結構時間をかけてやってきた鯰の蒲焼は白身に脂がたっぷりのった大変美味いものであった。その後大洗にある「潮騒の湯」でまったりと湯につかり、いい気分で帰宅。一日で十分楽しめるものであった。戻る↑
都道府県境を越えたところに飛び地があり、同じ都道府県なのに隣の都道府県を通らないとたどり着けないという不思議な場所が日本にはいくつかあり、そんな中でも和歌山県東牟婁郡北山村は自治体が丸ごと飛び地となっている珍しいケースである。しかしながら、飛び地にはなっていないが道がないという理由で隣の都道府県を通らなければたどり着くことができないという集落が日本には多く存在する。昨年来の大雪で外界との連絡道路が閉ざされてしまい孤立状態となったことで新潟県中魚沼郡津南町が話題となっているが、更に山奥にある、夏場は通れる林道が冬季閉鎖となるため津南町を通らなければ村役場に行けない長野県下水内郡栄村秋山郷集落はそれに該当する山深い地である。この集落は中津川に湧く切明温泉や、和山温泉や小赤沢温泉などという素晴らしい温泉の宝庫である。今年の雪で外部から遮断されたが、本日3時間だけ外部との連絡道路である一般国道405号が通れるようになったことはたいへんうれしいことである。それにしても今年雪降り過ぎという気がしないでもないのだが。戻る↑
前振りが2004年8月29日と被らぬ様に注意して書き出してみる。ドーピングという言葉が市民権を得たのは、今を去ること18年前のソウルオリンピックであったと記憶している。その前のロサンゼルスオリンピックでは、日本選手が大会中に大麻を吸ったということが話題になったことを思い出すのは些か困難である。ドーピングをする気が無いのに、日常摂取している薬剤がドーピング禁止薬に指定されているという話はよくあることで、風邪薬に普通に含まれているdl-塩酸メチルエフェドリンや、最近使われることが無くなったが以前は含まれていたフェニルプロパノールアミンなどがそれに該当する。それゆえ一流のアスリートは、風邪を引いても普通に薬を飲むことができないという不思議な事態を招いており、ドーピングとはなんだか不思議なものであると思わざるを得ない。さて、スケルトン競技の米国代表選手がドーピング禁止薬であるところの「フィナステリド」を服用していることがわかり、代表からはずされるのかという話題が盛り上がっている。ドーピングとはなんと卑劣な手段を用いているやつだと怒り心頭に達するのかもしれないが、このフィナステリドは「毛生え薬」の主成分である。件の選手は薄毛に悩んでおり、昔からこの薬剤を服用していたという。ちなみにこのフィナステリド自体にいわゆる「ドーピング」効果はないが、筋肉増強剤を服用したことを隠すことができる薬剤なので、薄毛に悩んでいないがドーピングをしているアスリートも服用しているため禁止薬剤となっている。冷静に考えれば、フィナリステリドだけしかのんでいないのに犯罪者扱いされるって妙な話である。こういう業界って「疑わしきは罰せよ」「李下に冠を正さず」ということなのでしょうね。戻る↑
阿蘇のお宿で昨日、一昨日と買い付けた焼酎を送る手筈を整え、雄大なる世界最大の二重カルデラである阿蘇を満喫し、本日の最初の目的地である「奴留湯温泉」をめざす。幸いなるかな、ボイラーが故障しており温いが故に長湯のできる「硫黄泉と炭酸泉が同時味わえる」という凄まじいまでの最高の湯を堪能し、本日は神々に今年の目標をご報告することとする。まずは「日本三大楼門」の一つである阿蘇神社に出向き、御朱印をいただく。
そのあとは高千穂峡、高千穂神社、天岩戸神社と日本人のルーツを辿る神社をはしごし、それぞれで味わい深い御朱印をいただく。そののち車を熊本空港に向け、空港でレンタカーを返却する。今回のツアーではレンタカーの定番である「ガソリン満タン返し」が不要という太っ腹なプランであったため、天岩戸神社ですでにガソリンのランプが点灯していたのであるが、そのまま気合で100kmほど走り抜けるということをしたのはなかなかスリルあるものであった。空港でみやげ物を買い足したりした後に、熊本の味わい深い「太平燕(タイピーエン)」を食す。美味なるこの郷土食を食べるのははじめてであったが、やはり日本はまだまだ広いものだということを理解させる逸品であった。楽しく実りのある旅行を終えて友人宅に帰り、そのまま馬刺しをつまみに反省会をして夜は更けていった。戻る↑


お宿の部屋はオーシャンビューであり、鹿児島で海といえばもれなく桜島が見たい放題である。そんな素晴らしい朝のひと時を過ごして朝飯を食し、張さんの「喝!」もそこそこに宿を出立。本日は目的が多い一日である。まずは「栗野岳温泉南洲館」に立ち寄り、素晴らしい温泉を満喫する。硫黄泉、蒸し風呂、そして泥風呂とすべてにおいて凄まじきレベルの高さに感動し、次なる目的地である人吉を目指す。人吉は温泉の街にして球磨焼酎の街であり、そしてそばの美味い街である。早速腹ごしらえをするべく土蔵を改築したという蕎麦屋「まるにてん」に出向いて美味いそばを堪能し、次いで青井阿蘇神社に参拝し、「人吉温泉堤温泉共同浴場」でぬるぬるとした味わい深い温泉を満喫。蕎麦と温泉は日本のリゾートであると信じて疑わないが、これに酒が入ればこの世のパラダイスである。人吉には昨年立ち寄った不思議な、それでいて信じられないほど品揃えの良い焼酎屋がある。この店は世を忍ぶ仮の姿が「デイリーヤマザキストア」であり、プレミアムものの球磨焼酎をごく在り来たりの酒であるかのように陳列しているという凄まじき店であり、知る人がどれだけいるか定かではないが知る人ぞ知る名店である。
しかしながらこの店には、店番をしている婆さんの自慢話を30分以上聞かねばならないという凄まじきトラップがあるため、なかなかに難攻不落である。昨年は消防団に息子が行ったことについて話をしていたりする至っておしゃべり好きの婆さんだと言う印象しか持たなかったのであるが、今年は自分の自慢話や天皇陛下は叙勲の際に13個ある扉のうち、右から3番目にある扉からやってくるなどというどうでもいい知識を鏤めたいつ止まるとも思えぬこの婆さんの世間話に付き合わされたりするものである。息子が「話し長くてすいません」と謝りつつも、舌の根も乾かぬうちにその息子が焼酎に対する情熱がひしひしと伝わる長話をする姿を見て、血は争えぬものであることを理解した次第。その後車を熊本に向け、そのあとは阿蘇の麓のお宿にチェックインする。戻る↑
本日より南九州への旅に出かける。今回の目的は焼酎の買い付けであり、向こう半年、どれだけ楽しく晩酌をすることができるかがこの旅行に掛かっている。降り立った鹿児島でかつての鹿児島本線であった肥薩線の嘉例川駅を探訪する。嘉例川駅は100年以上前の駅舎がいまだに残っているという味わい深い駅であり、九州の鉄道の歴史を紐解く上で欠かせぬ存在である。その後味わい深い「妙見温泉石原荘」の温泉を満喫し、次なる目的地である加世田を目指す。加世田には珠玉の焼酎を取り扱う素晴らしい店があり、店に入れば素晴らしいまでの芋焼酎が並べられている。この店で1斗程買い付けを済ませ、次なる目的地である枕崎を目指す。枕崎は日本最南端の始発駅というキャッチフレーズで売り出し中の駅であるが、現在の日本最南端の始発駅はゆいレールの那覇空港駅であり、かつての栄光は今いずこというところである。しかしながら、これまで2度の探訪では出会えなかった列車がプラットフォームに停まっており、先ほどの嘉例川でもタイミングよく列車がきたことを考えれば、なかなかに運が良いのかも知れぬと思いを新たにする。
そののちJR最南端の駅である西大山駅などを見物して指宿に至る。指宿では砂蒸し湯という定番を選ぶのではなく、やはりマニアックにして貴重である「二月田温泉殿様湯」を満喫し、信じられないくらいでかい喜入の石油備蓄基地などを横目に鹿児島のお宿にチェックイン。宿のコンシェルジュに美味い郷土料理の店を予約させていざ天文館通にある「熊襲亭」へと向かう。鹿児島の味を心行くまで堪能し、鹿児島の酒を堪能し、そして新たな食材である「酒ずし」との邂逅を遂げるなどという至福のときを過ごして市電でちんたらとお宿に戻る。初日から歓びの多い旅行であり、明日からの更なる楽しみの重ね合わせを希望しつつ就寝。戻る↑
本日も社寺詣では続く。実家の地元はかつて都が置かれていたという土地柄、神社仏閣があまた存在するがそれぞれが非常にマイナーな存在であり、しかしながらなかなかに味わい深いものである。本日は長岡天満宮、善峰寺、大原野神社、山崎聖天というところを巡ってみた。全国に星の数ほどある天満宮の中では北野、大宰府に次ぐところらしいのだが、昔から地元にあったのでそれほど有難いとも思わないところが地元のゆえんである。境内には書き初めをする場所があるなど学問の神様ぶりを発揮しているが、人ごみが無いところも手伝ってかまったりとしているように思われる。天満宮のあとに向かった善峰寺は西国33箇所の20番目の寺に指定されている名刹であり、天然記念物に指定されている遊龍松などを眺めて寒さに打ち震える。そのあと大原野神社で参拝を済ませ、山崎聖天を目指す。山崎聖天は日々通勤していた列車から急な階段である参道をひとしきり登ったところにあり、住友コンツェルンが奉納したどでかい燈篭などが御出迎えしてくれるところである。境内より眺める風景には三川合流地点や川の向こうの男山などがあり、その絶景はなかなかのものである。山崎聖天で御朱印を貰ってみたところ、なんと梵字を書いてくれるという素晴らしいものであった。帰宅してその梵字を調べてみたところ、「ギャクギャク」という大聖歓喜天、通称聖天さまを表すものであった。善峰寺の御朱印は「キリーク」という千手千眼観世音菩薩を表すものであったし、御朱印とはなかなかに奥が深いものであると思った次第。本日の無駄な知識と言えば、昨日の元旦が日曜日であったため、本日が実は振り替え休日であったということである。戻る↑
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。本日の初詣は毎年恒例となっている京都ゑびす神社と泉涌寺となった。まずはゑびす神社を目指すが、その前にイノダコーヒで今年初コーヒーとしゃれ込む。三条堺町にある本店は毎日訪れる人がいらっしゃるようで、店員が客に「あけましておめでとうございます」というのは当然としても、客が馴染みの店員に「おめでとうさんです、今年もよろしゅう」と挨拶していたり、じいちゃんが孫に「今日は何食べる?」と聞いていたりするなど正月にして日常生活が営まれているところに素晴らしいものを感じた。一服してゑびす神社では鳥居に掛かるえべっさんの熊手に賽銭を投げ込むという恒例行事を行い、耳の遠いえべっさんを呼ぶべく雨戸を叩いてお参りする。そのあと泉涌寺に向かい、元旦だけは拝観料無料でんねんという太っ腹なサービスに感激したり、本尊が有難くも御開帳となっている楊貴妃観音堂などという不思議なところで、お守りを売りさばくおっさんが日本でここだけですねん、という「美人祈願」という不思議なお札なんかを見物し、御朱印をいただいて帰宅。ま、元旦だからこの辺で勘弁しといたるか。戻る↑