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朝起きて飛行機に飛び乗り、昼から会社に出向く。阪神が優勝したので本日より優勝記念セールをやるなどということを聞くのだが、それとは別に阪神にまつわるうれしくない話も出てきた。フジテレビの買収の時に話題になった村上ファンドとやらが阪神電鉄の株そのものを買い集めているということである。阪神の優勝は9月7日の中日戦で確信を持っていたので、この時点で株を買っていれば今頃はうはうはだったよねえと思っていたのであるが、どうやらその値段は必要以上に吊り上げられていたらしい。阪神は他の関西大手私鉄と違い、バブル時に不動産投資をしようにも経営母体が小さくできないために指をくわえていただけだったのが幸いし、現在は極めて健全な経営をしているということである。それゆえに村上ファンドとやらに狙われたのであろうかと思われた。健全な会社はファンドに狙われ、不健全な会社は経営が成り立たないということで、なかなか会社というのは難しいものだ。戻る↑
本日は那珂湊へ秋刀魚の買出しに出向くこととした。友人が朝から水戸まで免許の書き換えに行くということでそれに付き合い、講習時間が暇なので大洗に出向いて大洗磯前神社の鳥居を見に行く。折りしも台風が接近しているわけであり、凄まじい波が鳥居には押し寄せていた。なかなかに味わい深い景色を堪能し、水戸に戻って友人を拾い、いざ目的地である那珂湊へと向かう。那珂湊の魚市場にある回転寿司屋は本日はかなり空いており、待ち時間がほとんどゼロで久々にうまい海の幸を堪能する。腹ごしらえを済ませて市場に出向き、今が旬の秋刀魚を箱ごと買ってついでに小鯵も買って帰路につく。しかしながら今月は温泉に入っていないなあということで本日は阿字ヶ浦の温泉に出向き、露天風呂を堪能しようとしたところ、台風接近に伴い露天風呂は閉鎖されているとの事であった。それでもまあ行くだけは行ってみようと決死の覚悟で挑んでみたところ、凄まじい風に襲われ、おまけに係員に「入らないでくださいって書いてあったでしょ」と怒られて内風呂を満喫するなど相変わらずの適当ぶりを発揮。その後自宅に戻り、秋刀魚を煮たり、なめろうもどきを作ったりして海の幸を満喫。戻る↑
オリンピックや万博というものは国家の威信を高め、世界に広くその国力を知らしめるという目的で利用されるイベントである。しかしながらここ数回のオリンピックは商業化の波に流され、巨大なる国家、都市をもってしか開催が不可能となる傾向がうかがえる。次回のオリンピックで大阪が北京に負けたのは、国家の威信を高めるという旧来の目的を発揮するべしというモチベーションが現代のオリンピックの存在理由を上回ったからに他ならぬが、それに追加して言うならば、北京という都市の許容力が大阪という都市のそれを上回ったというのも理由に挙げられるであろう。本日、東京が2016年のオリンピック開催地に名乗りを上げたが、現代のオリンピックの開催理由が先ほど挙げた理由であれば、東京が開催地選考で破れた日には、日本でオリンピックを開催することはもう二度とないということになるのである。その辺までの覚悟を持ってオリンピック開催の怪気炎を件の石原知事が上げているのであればそれはそれで結構である。戻る↑
休日は実家への帰省に費やしているため、平日ぐらいはゆっくり休みたいものであるが、そういうわけにも行かぬのが辛いところである。本日も体力の回復を目指すべく適度に手を抜いて仕事を行い、夕刻より友人宅で関西とシンガポールの土産を交換するという不思議なイベントを開く。関西土産は551の豚まんであり、シンガポール土産はマーライオンクッキーであった。友人いわくマーライオンはがっかり名所だと思っていってみたところ、最初しょぼいマーライオンを見つけてこれで正しくがっかり名所でがっかりできたと喜んでいたのであるが、その横にどでかい本物のマーライオンを見つけてしまい、がっかり名所でがっかりできなかったのでがっかりだということであった。僕が以前にシンガポールに出向いたのは19年も前のことであり、当時の記憶も些か薄れているものであるためマーライオンにがっかりしたという記憶は無い。ただ、ラッフルズホテルでシンガポール・スリングを嗜んだことは記憶にあり、どう年齢計算しても20歳になっていないのだがまあどうでもいいことか、時効だし。戻る↑
本日も掃除は続く。本日のミッションは洗面所を使用可能な状態に修復することであり、掃除に精を出す。洗面所の掃除が終わり、居間の水屋と茶箪笥の整理を始めたところ、なかなか味わい深いものが出てきた。水屋からは大福帳や煙管、墨壷などという時代劇でしか見ないであろうものがごろごろと現れ、よくよく考えれば昭和の初期にはまだこれらの品物は現役であったことを漸うと知ることになったのであった。そんな歴史を感じさせる逸品の中にこれまた素晴らしいものが見つかった。第2次世界大戦末期に祖母宅近辺がアメリカ軍の機銃掃射を受けたという話は小学校時代の社会の時間に勉強したので知ってはいたが、その動かぬ証拠である機銃掃射を受けたときの弾丸が出てきたのである。戦跡や装備に詳しい友人に確かめてみたところ、太平洋戦争末期の機銃掃射は一般的に12.6mm弾を用いていたはずだということであった。しかしながらその弾丸の直径を計ってみてもせいぜい8mmぐらいしかないという事を伝えると、じゃあ7.7mm弾で機銃掃射をしていたのではないかということに落ち着く。とりあえずこんなところで60年間も眠っていたとは驚きであった。戻る↑
選挙戦は終盤を迎え、どの候補者も最後のお願いとやらに上がっているらしい。最後のお願いに上がるというのは、「選挙が済んだらもう頼まねえよ、手前ら愚民どもは用済みなんだよ」という事ではないかと勘ぐれなくも無いが、この選挙ではもうあとでお願いに上がるチャンスが無いのですという風に受け取れなくも無い。ということで帰宅するとポストには数多くの候補者のビラが入っており、我々国民が投票するけれどそのビラが入っていないというのは最高裁判所の判事の国民審査ぐらいのものである。しかし困ったことに、今更お願いされてもすでに不在者投票は済ませているわけであり、変えようが無いわけである。しかしながら先日、大江戸線の中吊り広告にこの選挙の投票を呼びかけるものを見つけた。大江戸線は車両が小さい故に中吊り広告が横から見るとY字型になっており、両面の接点はピンでつながっている形となっている。ポスターでそれを狙って作成したわけではあるまいが、ここまで巧みに加藤あいの鼻にピンを刺すことができたのは、選挙ポスターの鼻とか目にピンを押すかのごとくのいたずらが公然と行われていることは笑うべき事態である。戻る↑
昨日不在者投票を済ませたのは今週末の用事のためであったが、今週末の用事は佐渡行きであった。しかしながら、祖母が脳梗塞でぶっ倒れたということで、今週末は見舞いに出かけることとしたので旅行は取りやめた。更には来週は家族で北海道行きという計画もあったのだが、これも返上することとなった。バースデー割引とやらで廉価な切符を購入した代償は殊の外大きく、キャンセル料をしこたまとられたのであるがこればかりは仕方がない。早いうちに確定を出すからこそ安く買えるし、安いからこそキャンセル料もふんだくるのである。キャンセルした席はもう一度定価で売りに出すことを考えるとずいぶんとおいしい商売であるように思われなくもないが、2ヶ月前に予定が立たない人はそもそもこの廉価な料金システムを利用しようとは思わないわけであり、利用者と売り出し側の両者の利益の分岐点が複数あると考えれば、これはまことに結構なシステムではないかと思われる。まあこれまで数回良い思いをさせていただいているわけであり、こういうこともあるさと割り切るべしである。戻る↑
西日本に情け容赦なく雨風をぶちまける台風がのっそりのっそりと迫りくるが、その遅さゆえに西日本では必要以上に雨が降っている模様。降り始めからの雨量が1000mmを超えるとかいう何か間違ったことが起こっているようであり、日本三大げっそり国道の265号はこの雨で寸断され、椎葉村は陸の孤島となってしまったらしい。この国道は2度挑んでみたのだが、よんどころなき事情でいまだに完走が出来ぬままであり、このたびの災害でまたもやしばらくは通行が侭ならぬものである。そんな生々しい傷跡もあるが、一方でうれしい話も出てきている。渇水のときに必ずクローズアップされる悲運のダムである早明浦ダムはご多聞に漏れずこれまでの貯水率が0%であったが、降り続ける雨により一晩で貯水率が100%を超えてしまったのである。貯水率というのは曲者であり、発電用の水は貯水率の計算には勘案しないため水があるのに貯水率0%ともなるし、今度はダムが溢れるわけでもないが貯水率は100%を超えているわけであり、どうも我々の数字から受ける印象とは異なる現実が貯水率には反映されているようである。ちなみに今回の台風一発でダム満タンという事実は、早明浦ダムがしょぼいのではなく、台風が凄まじいのである。痩せても枯れても西日本一の貯水量を誇るダムであり、単位時間当たりの流水量が日本一である吉野川にあるダムである。戻る↑
秋といえば食欲の秋であり、秋を呼ぶ食物といえばマツタケと秋刀魚である。秋にこそ飲むべしというビールが今の時期のみ限定で発売されており、本日は早速近所のカスミで購入し、秋刀魚の刺身で気分よく一杯やる。京都にいたころは秋の味覚といえば栗とマツタケ、そして柿であった。茨城に移り住み、それが秋刀魚に変わったことは内陸と海辺の生活環境の違いといえようものであるが、内陸にあり近所にはやたらでかい湖があり、海までは些か離れているという立地条件はかなり類似しているのになぜここまで違いがあるのだろうかと考えてみたがよく分からない。とりあえず秋はうまいものが目白押しであり、これから先もうまいものが目白押しである。戻る↑
日本では、かつての自然災害による死者が大量に出ていたのであるが、最近は全盛期よりも2桁ばかり少ない被害者で事足りている。この原因は無駄だ無駄だと文句ばかりが取り沙汰されている河川改修等の公共事業によるものであり、何を以ってその基準を推し量っているかは不明であるが「50年に一度の災害」とやらを防止できるから毎年来るような台風ではびくともしませんぜというものである。日本はそのようにして我々の財産を守ってくれるべくがんばっているのであるが、アメリカはどうもそう簡単なものではないらしい。カトリーナかテロテアリーナかは不明であるが、とにかくハリケーンという自然災害により、数多くの死者が出ているようである。死者の数でのみ自然災害の規模を推し量ろうというのは比較するべきものとして単純であり、身につまされるところから大いに支持されるべきものかもしれないが、日本の凄まじいまでの厳しい基準と、そこいらの緩々の基準しかクリアできていない堤防や建築物を斟酌した場合に、多分に桁一つか二つほどの違いは考慮するべきものであり、台風自慢をする気持ちが無くともアメリカにおいでまされたハリケーンは被害者の数から妄想されるほどのものではないと考えられる。しかしながら一番理解しておかねばならないことは、避難勧告が出ていたところで避難しないために死んでしまった人がたっぷりいることであり、その理由に「何物かに略奪されることが怖いから」というのは日本ではありえない話である。火事場泥棒というのが日本では「人の弱みに付け込む極悪非道な行為」とされているのに対し、アメリカでは「災害で自分のものが無くなったので調達してみただけのこと」と嘯く人がいるというから困ったものである。これはハリケーンによって惹起された人災の被害者と呼ぶべきものであり、ハリケーンによる死者と呼ばれた日には、メキシコ湾でハリケーンは萎縮しながら成長せざるを得なくなるであろう。戻る↑
桟敷席の予約というのはステップがかなり多い。昨晩の体育館観客席の席取りは無事終了したが、本日は朝8時に体育館に出向き、押さえてあった席に座らなければ整理券がもらえないのである。ということで、何が何でも8時に席に着くという不思議なことをやるために体育館の前は必要以上に車が犇めき合っていたりする。8時に無事整理券が配られ、8時半より桟敷席の発売が始まる。しかしながら整理券の番号は700番台であり、これは昼前、下手をすると昼過ぎに発売ということになりそうな勢いであった。一旦自宅に戻ったのちに会場に戻り、漸く番号を呼ばれた後に席を購入したときすでに12時を過ぎていた。体育館から会社へは確か昨日来た時は40分ばかしかかった記憶があるので、これは世間で言うところの午前半休で収まるものではなく、年休ということになるものである。しかしながら本日はやる気が湧き上がらなくともしなければならない仕事が山積みであり、年休となっても会社に出向かねばならないというわけで、久々に人には言えないお行儀の悪い関西走りをして会社の午後の始業時刻には間に合わせることに成功した。その後仕事をしていたら無性に腹が減っていることに気がつくが、まあそれは昼飯を食っていなかったからだということに気がつくには少しだけ時間がかかったりするものである。とりあえず来月のイベントはひとつ確実に予定に組み込まれたということで大いに満足。戻る↑