2005年8月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 8月31日(水)「まずは席取り」
  • 8月30日(火)「衆議院議員選挙」
  • 8月29日(月)「秋葉原のおやじ」
  • 8月28日)「柴又帝釈天」
  • 8月27日)「合羽橋の散策」
  • 8月26日(金)「世界の山ちゃんへ」
  • 8月25日(木)「期待倒れの台風」
  • 8月24日(水)「つくばエクスプレスの開通」
  • 8月23日(火)「高校野球という不思議なスポーツ」
  • 8月22日(月)「異動までに済ませる仕事」
  • 8月21日)「吾妻渓谷」
  • 8月20日)「ソースカツ丼と味わい深い温泉」
  • 8月19日(金)「ゴルゴ鑑賞会再び」
  • 8月18日(木)「国民新党」
  • 8月17日(水)「つくばエクスプレスの功罪」
  • 8月16日(火)「帰省ラッシュ掻い潜りその2」
  • 8月15日(月)「関西を満喫」
  • 8月14日)「久々の友人宅」
  • 8月13日)「花火大会」
  • 8月12日(金)「帰省ラッシュ掻い潜り」
  • 8月11日(木)「人事異動」
  • 8月10日(水)「鬼十訓」
  • 8月9日(火)「高校野球」
  • 8月8日(月)「議院内閣制の真髄」
  • 8月7日)「ダチョウバーベキュー」
  • 8月6日)「避暑地みとみ」
  • 8月5日(金)「海ほたる」
  • 8月4日(木)「野球の延長は15分まで」
  • 8月3日(水)「この世に存在しないDVD」
  • 8月2日(火)「UPSを噛ませたところで」
  • 8月1日(月)「難解なちり紙交換」


  • 今月の日記
    8月31日(水)「まずは席取り」
    わが社の社長が来筑されるとあって会社では大騒ぎである。他部署で社員と面と向かって話を聞き、現場からの改善を第一としていたことことにより見事なまでの建て直しをしたということがそれなりに評価され、社長に就任したということであるが、その実は相談役の意見に反対をしないというだけであったのではないかという意見も取りざたされる。さて、本日はその社長との面接であり、日ごろの業務や不満などを話すという不思議なイベントである。この手のイベントは嫌いであるし、いかにもえらいさんのパフォーマンスぽいので阿ったりすることはもっと嫌いである。そんなイベントのおかげで仕事が進まず、本日の最重要イベントである第74回土浦全国花火競技大会の桟敷席を確保するということに支障が出たのではたまらないというものである。桟敷席販売会場の霞ヶ浦体育館の観客席にたどり着いたのが午後7時過ぎであったが、すでに席は700席以上埋まっており、その人気の高まりが恐ろしいまでであることを実感する。桟敷席は1600席あり、一人2マスまでということなので席を確保することは可能であるが、問題は明日いつになったら席を確保できるかということである。とりあえず本日は席を確保できたということでタイ料理を食べに行き、友人宅で爆睡する。戻る↑
    8月30日(火)「衆議院議員選挙」
    小泉純一郎衆議院は任期が4年であるが、解散があるため任期を満了することはめったに無い。このたびの衆議院選挙を腹いせ解散と詰る面々が多いのは残念であるが、なんら違法な手段をとったわけでなく、法治国家のルールに則って衆議院は解散され、本日選挙戦が始まった。今回の選挙はこれまでと同様マニフェストというものが各政党で作成されているが、ずいぶんと分かりやすい公約である「郵政民営化」を売りとしている自民党は明らかに優勢である。これまでの政局の流れを見て、ここまでうまく国民を扇動することに成功した自民党総裁がいたであろうかと言えばそれは反語的表現である。国民はなぜか知らぬが郵政民営化に反対か賛成かしか選択肢が無く、反対派は与党が賛成しているから反対しているという存在価値のためだけに反対する野党と、様々な思惑から気に食わないという与党内の不満分子のみであり、郵政民営化に反対したところでそれ以外の対抗策も打ち出せないし、なによりも民営化しなければどないもならないという現実を鑑みれば、自民党によるこの選挙の勝利は確実である。総裁のがのたまう勝利確定ラインは公明党と併せて過半数としているが、単独で過半数は確実に取れると思われる。しかしながらこれで選挙に勝ったということになったところで、郵政民営化法案は再び衆議院で可決され、参議院で否決され場合に、衆議院では3分の2までの票を集めることは難しいことになる。この法案が可決されるのは、この選挙で自民党が大勝し、参議院で反対する与党の議員を賛成に回らせるような雰囲気が醸し出される場合か、あとは3分の2の議席を公明党と併せて占める場合である。この場合ってほぼ全員が当選しなければならないという極めてありえない状況でなければならないわけであり、もしこれが達成されたときはその選挙に対する手腕を小泉純一郎氏は高く評価され、後世に語り継がれることとなるであろう。戻る↑
    8月29日(月)「秋葉原のおやじ」
    本日は更なる検証をするべく、つくばエクスプレスに乗車する。本日の検証は「平日に仕事終了後に東京に飲みに出かけ、翌日ごく普通に仕事が出来るか」である。秋葉原に到着して味わい深い飲み屋に出かける。本日の店は昼の鉄火丼がメインであり、夜はおまけという不思議な営業スタンスを取っている「おやじ」という店であり、商売っ気があるのかないのか微妙である。この店はメニューが無く、席に着くと人数分の刺身盛り合わせを作ってくれる以外はメニューが無く、あとはチンチンに冷えたおビールと焼酎がサーブされるのみである。刺身の盛り合わせは3人前と頼んだはずなのに、この東京のど真ん中のくせにいわきや那珂湊、いやそれ以上のボリュームと新鮮さでこちらに迫り来るという素晴らしいものであり、東京の奥深さを感じるものである。特にエビは踊り食いという言葉がこれほどまでに適切であると言わずにはいられぬほどの新鮮さであり、生きているエビの殻を剥いて手渡しで頂けるのである。こんな肴を出されてしまった日には焼酎のロックを頼んだときの氷がトロ箱からおばちゃんが手づかみで取り出していたものであったとしても些かもそれが瑕疵とならぬこと請け合いである。極めて満足した宴を終えてつくばへ帰宅する。とりあえず本日の実証実験は成功ということであろう。戻る↑
    8月28日)「柴又帝釈天」
    寅さん京成柴又駅日蓮宗の人間であるならば、柴又帝釈天に出向く必要があろうものである。本日は東京は葛飾にある柴又帝釈天に参拝をすることとした。駅前には塗り固められて金属加工を施された田所さんが鎮座されており、うまそうな焼きそばのにおいが漂っていた。鰻の洗い参道にあるシロップかけ放題のカキ氷屋や、オープンテラスで鰻を食す面々などこの界隈は独自の文化が醸し出されている模様。柴又帝釈天は題教寺という日蓮宗の寺であり、手水場ですっころぶお子様や車寅次郎のコスプレをしてレポーターを務めていらっしゃる方がいらっしゃり何気に味わい深い。参拝を済ませたあとは参道沿いにある川魚のうまい店に出向いてチンチンに冷えたおビールをやりつつ鰻の洗いや板わさなんかでまったりと時間を過ごす。鰻の洗いという美味なものをはじめて食し、そのあとは櫃まぶしを食して終了。そののち神田で書籍を購入し、秋葉原からはつくばエクスプレスで帰宅する。つくばに降り立つと、どうもつくば市内は祭りの真っ最中であり、自宅までの道が必要以上に混雑しておりやっとの思いで帰宅。夜に早速昨日購入した鍋でカレーを煮込む。出来上がりは素晴らしく、晩に早速食してしまうが、一晩置いたあの美味さとやらが無い状態でも大変美味であり、やっぱり道具は買って何ぼ使って何ぼであると実感する。戻る↑
    8月27日)「合羽橋の散策」
    合羽橋の河童昨晩の検証で東京への日帰りは可能となったことがわかったが、本日は鍋を買うという目的のためにつくばエクスプレスを利用して合羽橋へと出向くこととした。ヨシカミで洋食を食したり、えらく派手ないでたちをしているけれど子供を取り上げることに関してはプロである方々の踊り狂う祭りを拝見したりして時間を過ごし、いよいよ目的地合羽橋である。肉厚の寸胴鍋を買いたいというのが目的であったが、なかなか味わい深い鍋が見つからず、その代わりに食品サンプルを買ったり、食器を買ったりして時間が過ぎ、鍋屋の直営店の不思議な親父のトークを聞かせてもらいながら目的を達成する。しかしながら、どうも専門店というのは大きさの感覚が狂うようで、これがまあ普通サイズの鍋だろうという鍋が想像以上にでかく、結構大きい鍋だなあと思う鍋が給食室に設えてあるものだったりするから味わい深い。目的の買い物を済ませて美味なる薩摩料理を日比谷で食し、絢爛豪華な焼酎のラインナップに気をよくして兄の家に泊る。戻る↑
    8月26日(金)「世界の山ちゃんへ」
    幻の手羽先つくばエクスプレスが開通し、これにより理論的には「仕事が終わったあとで東京まで呑みに行って帰ってこれる」というこれまで想像だに出来なかった不思議なイベントが成り立つこととなった。ならば本日はこれを実証するべく、神田にある「世界の山ちゃん」で手羽先とビールの無限ループを楽しもうということで出向いてみた。つくば駅は中心部の地下にあるという駅であり、開通当初の賑わいとやらで切符を買うことすらまかりならん状態かと思いきや、週末の金曜日という不思議な時間帯ゆえかスムーズに切符を買うことが出来、いよいよつくばエクスプレス初乗車である。思いのほか快調に走り出したつくばエクスプレスはいまだに開発が始まってもいない山野を駆け巡り守谷に到着する。そこから先は常磐道と並走したり、それなりに開発されている町を走り抜けたり、埼玉県内をスルーしたりして秋葉原に到着。神田まで徒歩で向かい、世界の山ちゃんで心行くまで手羽先とビールを堪能する。宴会の後秋葉原駅で行列して切符を購入し、席についたあと眠りこけ、気がついたらつくばについていた。仕事が終わって東京に飲みに行き、無事帰宅するということが可能であることが実証された味わい深い一日であった。戻る↑
    8月25日(木)「期待倒れの台風」
    台風が来れば、警報が出ないかどうかに注目が集まるのは当然のことである。どうも会社が休みになるかどうかについて熱く注目されるものであるが、それについての情報が交錯しているのが現実である。「警報が出たら休みになるんじゃ」という人もいれば「会社の内規では暴風雨警報が出たら休みになるんじゃ」という人もいるのだが、「今気象庁は暴風雨警報なんてもんは出しゃせんのじゃ」とつっこまれ、「暴風警報と大雨警報のどっちかが出てたら休みなんじゃ」「いや、両方出てないとだめなんじゃ」「暴風警報が出ていればええんじゃ」などと喧々囂々と仕事に直結するが微妙に薄そうな話で盛り上がる。思えば注意報、警報を出す区分が現在のように細分化されたことにより、自分の住んでいる地域に警報を出される頻度が低下したという由々しき事態が発生しているのである。天災は日本国民一丸となって対策を講じ、早く雨風が休まってくれと念ずるべきものである。そのため警報はどこか一部ででも出される限りは日本中で待機するべきではないかという間違った思想がこういうときだけは蔓延るものである。そんな人心を惑わした台風であるが、夜中に通過しそうな勢いなのでまったくもって期待はずれだったのである。戻る↑
    8月24日(水)「つくばエクスプレスの開通」
    つくばエクスプレスに乗る面々計画をしてから実現までの経過年数が長ければ長いほど、実現したときの喜びは大きいものである。国鉄末期にラッシュ時に混雑率270%という信じられないほどの混雑ぶりを呈していた常磐線の緩和策として常磐新線建設が提案されたことに端を発するつくばエクスプレスが本日20年の紆余曲折を経て開通した。当初は民営化したJR東日本が運営する第3種としてできるはずであったが、JR東日本は手を引き、結局第3セクターとして開通することとなったのは実はあまり知られていなかったようで、身の回りでは「あれはJRとちがうんか?」という発言がちらほらあったりする。渋滞緩和に対する投資というのは鉄道会社としてみれば収入が増えるものではなく、投資した額だけが出て行くというあまりうれしくないものであり、やる気が起こらないものである。しかしながら、並走する鉄道があった場合に、お隣さんがそういう対策をすれば客がそちらに移ってしまうというネガティブな理由もあるため、重い腰を上げてやるというのが現実であり、東京西部に展開する鉄道で混雑緩和対策に最後まで着手しなかったのが西武鉄道であったことはこのことを端的に表しているように思われる。さて、混雑緩和対策として最も荒療治とも言うべき新線建設に対抗するべく、客を取られまいと姑息にダイヤ改正をするJRも、つくば市内の停留所数を微妙に増やして運賃を微妙に安くする姑息な高速バスなど、ライバルはいつもぎりぎりの判断を迫られているようである。つくば市民としては便利になったのでどうでもいいことだけれど。戻る↑
    8月23日(火)「高校野球という不思議なスポーツ」
    日本の古き良き伝統というのは廃れつつあるが、いまだに引き継がれるものも数多くある。そのうちのひとつに「連帯責任」というものがあるが、これは思えば「五人組」という相互監視制度により悪いことをさせないためにお上が編み出した極めて巧妙な人心操作術である。それゆえに仲間内で誰かが悪いことをしたら全員が罰を受けるということである。団体行動を要求される分野においてこの風習はいまだに健在であり、高校野球では部員の一人がタバコを吸ったり酒を飲んだりパチンコをしたり暴力を振るったりおねえちゃんをいてこましたりすると対外試合禁止ということになり、せっかくの大会出場がふいになったりするものである。しかしながら選手の誰かがやらかした不祥事はまだ納得るが、部長が部員を殴ったからといってそのような処罰を受けるのは理に適わないものである。このような事件が起こると「甲子園で2年連続で優勝するような高校には何か無理があるに違いない」とやっかむ声が出てくるが、不祥事はどの団体でも抱えているものであり、なぜ発覚したかに重点を置くべきである。そして発覚したきっかけは「うちの息子が何でレギュラーになれへんのじゃあ」という逆恨みによるものであり、ここでも負のモチベーションが事を動かしているようである。嫉妬されるほどの成功を収めていない人には分からぬ世界であるが、どうも成功すると無闇に嫉妬されるものらしい。戻る↑
    8月22日(月)「異動までに済ませる仕事」
    異動を命じられたことは以前にも書いたとおりである。ということで全く仕事に身が入らない日々を過ごしているのであるが、一応異動までにこれだけは済ませておこうという話し合いが持たれ、とりあえずこれだけはやっておいてくれということが決まった。たしかつくばに部署ごと異動するときもこのような取り決めがなされ、更々と得に何の感慨も無く仕事をこなして済ませた記憶がある。ただし今回の場合、こちらの仕事が終わってしまうと新しい部署にトレードされて忙しく働かされてしまう恐れがあるため、出来るだけのんびりと仕事を延ばそうと計画を綿々と引き伸ばせる計画を立てる。戻る↑
    8月21日)「吾妻渓谷」
    王湯の露天風呂・ケロリン桶つき川原湯温泉共同浴場王湯宿で目を覚まし、公衆露天風呂などという素晴らしい施設があるということでそちらに出向くが、どうも日曜日は掃除の日であるようで、出向いたときは掃除が終わり漸くちょろちょろと湯が張られているところであった。なのでこの湯はあきらめて宿に戻り、内湯でまったりして朝飯を食す。吾妻渓谷滝見橋この旅館の名物である栗おこわを食し、親分と張さんの喝を見ていざ出立。まずは共同浴場のひとつである王湯を目指す。王湯は露天と内湯の両方があるというなかなかに贅沢な湯であり、地元民だけが出入りできる出入り口から地元民がいきなり湯殿に入ってくるなどなかなかにエキサイティングである。温泉でまったりしたのちにいよいよ本日のメインイベントである吾妻渓谷へと進む。木陰の散策路を汗を拭き拭き進み、新しく購入したPLフィルターを試したりして中間地点の見晴台から渓谷を望む。この見晴台の至近距離に無骨なダムが立ちはだかるということを今の景色から想像することは困難であるが、これもまた致し方なき自然の流れである。吾妻渓谷を後にして車を四万温泉に向かわせる。四万温泉では一番奥にある御夢想の湯に入り、疲れや汗を一蹴する。その後群馬名産の手打ちうどんを満喫し、そのあとはお決まりのように伊勢崎まで高速を利用し、小山のみんみんで味わい深い餃子を食して帰宅。行き当たりばったりにしては素晴らしい旅行であった。戻る↑
    8月20日)「ソースカツ丼と味わい深い温泉」
    一二三食堂のソースカツ丼(ヒレ)侮れない容器に入ってきたアイスコーヒー@一二三食堂本日はまったりと計画を立てて川原湯温泉を目指すこととした。その手前には高崎などという場所があり、そこには美味なるソースカツ丼が待ち受けているのである。一二三食堂という店に立ち寄ったのであるが、大変味わい深い店であった。おばちゃんが応対にてんてこ舞いであるのにそのソースカツ丼は幾許の揺るぎも無く味わい深さを誇り、まさかこんなものがやってくるとはという味わい深い容器に入れたアイスコーヒーがお越しになるというのだから恐れ入る。味わい深い昼食を済ませて本日の目的地である吾妻渓谷に向かう。吾妻渓谷に到着したところいきなりの大雨に遭遇し、本日は散策をあきらめ川原湯温泉でまったりすることとした。お宿に入って荷を解き、温泉街にある共同浴場笹湯を目指す。目抜き通りを外れた石段を降りたところにある笹湯は古き良き湯小屋の雰囲気を今に伝える見事なまでの共同浴場であり、結構なお湯を満喫する。川原湯温泉は10年後に矢ッ場ダムで水没してしまい、この味わい深い共同浴場もなくなってしまうのかとしみじみしながら宿に戻り、いつものごとく宴会をして没する。いやあ、それにしても風呂上りのビールはうまい。戻る↑
    8月19日(金)「ゴルゴ鑑賞会再び」
    千葉真一主演・実写版ゴルゴ13千葉真一主演の実写版ゴルゴは2002年1月8日という1319日前に当時の自宅で後輩と一緒に見た記憶がある。思えば学生時代のよき思い出である。当時からおかしいぐらい笑いが止まらない映画であり、千葉真一が真剣になればなるほど笑いを取ってしまうのであった。本日友人宅でゴルゴ鑑賞会を再びやりましょうということになり、実家からお盆休みに持ち帰った件のビデオテープをもって友人宅へ。新幹線大爆破での熱演振りが記憶に新しい千葉ちゃんは、ここでも必要以上に汗みどろになっていたのである。長く時を経たとはいえ、その味わいぶかさは全く持って色褪せることなく生き続け、またもや爆笑をしてしまったのであった。次は健さんの実写ゴルゴを見たいのだが、これはまた入手が困難なものでありどうしたものかと思っているところ。しかも健さん主演なので、千葉ちゃんゴルゴよりも面白くなさそうなのがこっそり危惧されることである。戻る↑
    8月18日(木)「国民新党」
    己の意見が通らぬときにどうするか、これは結構難しい問題で、「私ならこうします」と即答できる人は腹の据わっている人ではなくて何も考えていない人である。自分の意見の通らなさ具合を見極め、ねじ込むとか妥協するとか暴れるとか敵を一本釣りして寝返らせるとか作戦はたくさんある。そのうちのひとつに反対者同士でグループを作ってしまおうというものがある。このたび誕生した国民新党は、構成員の面構えを見る限りにおいては「新党」という言葉がこれほど似合わないものも珍しいのではなかろうかと思えるほどの悪代官面をしているおっさんどもの集合体であり、実家の近所にある來來亭の「フレッシュさん」がフレッシュでないのと同じくらい看板に偽りありというものである。ちなみに僕のホットメールにはものすごい量のメールが届けられているのだろうなあと思いつつ、ログインのパスワードを忘れてしまったので今更どうしようもねえなあと思っていたりする。戻る↑
    8月17日(水)「つくばエクスプレスの功罪」
    駐車禁止つくばエクスプレスは着想から20年の歳月を経ていよいよ完成となるが、これで便利になるという半面、辛いことも起こるものである。自宅がつくば駅から徒歩圏内であることは以前にも書いたとおりである。自宅の周りは住宅地であり、計画的に街が作られているため道幅が広く「無余地駐車」という名目で取締りを受けることも無く、路駐天国であった。しかしながら駅から近いことが災いし、この自分専用と信じて疑わなかった駐車ゾーンに余所者がなんの断りも無く車を止めやがるなどという狼藉をしでかさんとしていることが考えられたのである。心の広い僕としては、まあ何事も早いもんがちというご時勢ですからなあと鷹揚に構えてみようと思ったのであるが、余所者のあざとい心がお上に琴線に触れたようで、あろうことか家の前の青空駐車帯は駐車禁止区域などというつまらぬ看板が設置されてしまった。まあ、昼間止めていたら水揚げに引っかかるでしょうが、夜に止める限りは問題なさそうだなと今のところは思っているんだが。つくばエクスプレスの功罪とはこんなところにも現れているのである。戻る↑
    8月16日(火)「帰省ラッシュ掻い潜りその2」
    片山津温泉の温泉卵よく考えれば明日から仕事なのである。ということで朝早く実家を出て一路自宅への帰路に着く。しかしながら車は何処も渋滞ということが分かっており、できるだけ人が近寄らないであろう道を選びつつ、時間を優先させてみる。帰りは北陸周りと決めていたのはそれが原因であり、かつて東に向かう王道であった国道161号を利用して一路敦賀へ。この8月にめでたく湖西道路は無料開放され、いつもよりも早く敦賀に到着できたためかなりご満悦である。帰省とはいえ長距離ドライブには変わりが無く、そのためであろうかやはり温泉に立ち寄って帰るべしという間違った思想が花開く。尼御前SAでは社会実験ということで出口が開設されており、ここより降り立って一路片山津温泉を目指す。朝からまったりと温泉につかり、いやあやはり旅は良いなあとのんきなことを考えつつ車を東へと走らせる。昼飯前に聞いていたラジオがいきなり地震の報道に変わってしまい、遥か東北でかなりでかい地震があった模様。そんなことには関係なく高速道路を上越へと進め、そこから一路松之山温泉を目指す。松之山温泉は前回立ち寄ったときには入れなかった稜雲閣を目指すが、惜しくもタッチの差で立ち寄り湯は終わっており、前回同様鷹の湯でまったりと汗を流す。その後越後湯沢に抜けようとしたが、どうも上越地域はここ数日の激しい雨のせいで土砂崩れが大変起こりやすくなっているということで国道が軒並み通行止めである。仕方がないので県道を通って湯沢に抜けようとしたが、山からじゃぶじゃぶと水が溢れ出して道路を冠水させているのは明らかに山崩れの前兆であり、こんな道は逃げるが一番となぜかすたこらさっさと湯沢に抜ける。湯沢からは高速道路で伊勢崎に抜け、あとはいつものとおりのコースで帰宅。北陸周りだと京都からつくばは750kmもあることが分かり、まあ1日の移動距離としてはぼちぼちなんじゃねえのというところ。明日に備えてそのまま寝入ってしまう。渋滞には一切つかまらなかったので申し分なき帰省である。戻る↑
    8月15日(月)「関西を満喫」
    盆休みも板についてきたようで、朝の目覚めはずいぶんと遅い。よくよく考えればすでに盆休みは後半に差し掛かっており、そんなことに今更慣れ始めてもらっては困るというのが本音であるが、人間楽なほうに流れるのが自然の摂理である。ということでだらだらと時間を過ごしてまったりとするが、よく考えるとずいぶんとページの更新なんかをやっていないことに気がついたため、朝からせっせと日記の更新に励む。小学校の夏休みの宿題で日記をまとめて書いた経験がある方ならばよく分かっていただけそうなものであるが、過去の平々凡々と過ごした日の日記を思い起こして書くのは至難の業である。しかしながら4年もこれを続けている人間にとってはそれなりのけじめのつけ方というか始末のつけ方が備わってきており、とりあえず埋めるだけのことはできたりする。夕刻大学の研究室の友人と飲みに行くこととなり、大阪に久しぶりに出かける。ヨドバシ梅田に久しぶりに出向き、このたび購入したレンズのフィルターを買ったりして物欲消化に励み、そのあとは楽しく飲む。同じような業界で働くがすでに転職している友人と業界のことでいろいろと話をし、自分が移動させられるけど、これ以上最悪な部署にほりこまれたらそのときはよろしくという不思議な約束をして帰宅。戻る↑
    8月14日)「久々の友人宅」
    なかなかに疲れが溜まっていたのか不明であるが、心地よく朝は惰眠を決め込み、いい感じになったので起きる。お盆休みとは斯くありたきものとまったり骨休めを決め込むが、やらなければならぬことは山積みであり実家の用事もまた然りである。仕事を適当にこなしたり日記を更新したりして時間はあっという間に過ぎ、本日は友人宅に飯を御呼ばれすることとなっていたので出向く。友人宅では来年早々にも第一子が誕生するとの事であり、まあ奥様の顔を見ておめでとうございますと言うとか、最近の会社の動きはどないなもんですなあという話をするとか、関西に来たらこれを食べなあきまへんなあという水茄子の漬物をつまむとかで適当に時間は過ぎ、いい気分で帰宅。それにしても帰省するのは毎日飲み歩くためであるかのようになっているのはどうにかならんのかなあ。戻る↑
    8月13日)「花火大会」
    花火打ち上げ前。2.5号玉と4号玉打ち上げ中毎年8月第2週土曜日は淡路島で友人が花火を上げるから見に来いというイベントがあり、今年も参加することとした。高速道路が軒並み何処も混雑しているというなかで、いかにして京都から淡路島に出向くかについて計画を練り、西行の王道である一般国道372号を選択して三木東まで。三木東から高速に乗り、舞子で友人を拾っていざ淡路島へと向かう。向かう最中は凄まじい雨と雷が襲い掛かり、こんなんでほんまに花火ができるんやろうかと考えつつ会場の慶野松原へ向かう。バーベキューを楽しみながら花火を待ち、ビールサーバのビールを飲みたいのを我慢して花火の打ち上げを待つ。夜もとっぷりと暮れ、夜空に花火が上がりこれで満足満足と写真撮影なぞを行う。花火終了後帰路に着くが、さすがに渋滞は無く快適に爆走して帰宅。淡路島往復はだいたい350kmということで、思ったよりも距離があるものだなあと実感する。戻る↑
    8月12日(金)「帰省ラッシュ掻い潜り」
    ソースカツ丼@駒ヶ根明治亭本日より実家に帰省することとした。飛行機や新幹線の切符を手配することは別に何の苦労を伴うものではないが、今回はいろいろと荷物を持って帰るとか実家で車を使うなどの理由があって車で帰省することとなった。ラジオからは渋滞が30kmを超えるだのというなかなかに凄まじいニュースが流れているが、つくばから京都までどのような経路を使えば渋滞に遭遇しないですむかについてあれこれ考えをめぐらせて見る。とりあえずいつものとおり伊勢崎まで下道、佐久まで高速、岡谷まで下道、と計画を立ててみる。このコースは全くといって渋滞とは無縁であり、幸先は上々である。下諏訪で温泉にはいってまったりし、岡谷から高速に乗って駒ヶ根まで行く。駒ヶ根の出口は凄まじい渋滞をしていたが、ETCレーンはがらがらで30台抜きを演じ、明治亭で味わい深いソースカツ丼を食す。ここからどうするかと考え、通勤割引となるたけ直線で行くことを考えて豊田勘八まで下道で進むこととする。とちゅう足助でちょこっと渋滞に巻き込まれたものの、順調に道は進み、豊田勘八から再び高速に乗り亀山からは名阪国道で壬生野まで。そこからはいつものとおり帰宅し、所要時間は14時間であった。まあ、片道650kmなのでこんなもんだろうと思いつつ久しぶりの実家で関西の寝苦しい夜を過ごす。戻る↑
    8月11日(木)「人事異動」
    先日来の人材育成の会合で決まった話には「グループ間の交流を目的として、別グループに移動してそれぞれの業務内容を習得する」ということが決められてしまった。ちなみにそんなことは全然必要ではないと思っていたし、なんら期待するところではなかったので先日の報告は全く聞きもせず貴重は昼寝の時間と思い込んでいたのであるが。さて、本日、隣のグループから10月からの仕事の予定表がccで送られてきた。その予定表にはなぜか僕の名前も入っており、何がしかの仕事を担当することになっているようである。果てさてこれはどういうことであるかと上司に尋ねてみたところ、要するに異動でそっちのグループに行くこととなった、しかし具体的にこんな計画が練られていることは俺は知らなかった、そもそも俺はこんな予定表はお前が持ってくるまで知る由もなかった、ということであった。日ごろ仕事が忙しいと文句を言うグループの根本的な問題は、今回の出来事で垣間見られた「コミュニケーション不足」に尽きるようで、10月からそんなグループで仕事しなければならないということでずいぶんと先行きが暗いものとなってしまったのは事実である。戻る↑
    8月10日(水)「鬼十訓」
    電通とかいう虚栄産業がこの世に生を受けてずいぶんと経つ。ここの社員であるというだけでウハウハでモテモテという間違った認識を誰彼無く垂れ流している事はさておくとして、4代目社長が抽象的でどちらとも取れ、お互いが干渉しあうというまるで意味不明な言葉を鏤めた「鬼十訓」とやらがある。わが社の相談役は何か怪しい自己啓発セミナーで入手したのか、はたまたなんかの拍子に気に入った文章だと思ったのかは定かではないが、これはいい言葉なので、社員は全員卓上にこの言葉を飾り、営業は日々これを暗唱しなさいなどという何か駅前で歌を歌わせるような思想に逆戻りしている何かを感じさせるものが起こっている。ちなみにこの訳のわからない言葉遊びは、わが社の相談役が「わしはあいつが嫌いや」と明言して憚らない小泉純一郎首相を励ますために電通の社長が送ったものであることを理解しているのかどうかが一番気がかりである。戻る↑
    8月9日(火)「高校野球」
    高校野球といえば不祥事による出場辞退である。部員の喫煙とか暴力が原因で出場辞退となったりするのであるが、代わりに出場することとなった高校もこれまた大変である。地方予選で敗れて自分たちの夏は終わり、それぞれの秋に向けて早くも動き始めていたというのに、急遽出場することになったから集まれとはえらいことである。中には大学のセレクションを受けに出向いていたり、専門学校に入るべく勉強をしていたり、自分を見つめなおすために全国を自転車で走り回っている最中だったやつもいるわけであり、まさしく出場辞退は迷惑この上ない。ちなみに喫煙というものを出場辞退の理由にしたのであれば、たぶんほとんどの学校で出場辞退にせねばならぬものであろう。そして暴力事件は「しごき」とか「愛のムチ」とやらで片付けられようものである。併せ技一本で出場辞退とするという制度が問題である。ちなみに野球部員がタバコをすっているなんて言うものはどこででも見られる光景で特に珍しいものではないし、ゴミ箱の上で正座をさせられたり、ユニフォームを後輩に洗わせたりするのは全寮制の田舎にある学校であればごくごく日常茶飯事である。そんなあやふやで危ういことを理由に出場辞退を迫るのはよくないと思うのであるが。戻る↑
    8月8日(月)「議院内閣制の真髄」
    国家権力は三権分立というのが現在の風潮であり、立法、行政、司法がそれぞれ牽制しあうことが可能となっている。しかしながら、日本の現状は厳密な三権分立が成立していない。なぜならば、立法を支配している与党の党首が行政の長たる内閣総理大臣となっているからである。そのため、三権のうち二権は己の手中に収めることが出来るというものであり、この権限は間違いなくアメリカ大統領よりも強いものとすることが出来るし、下手をするとほんのり北の国の偉大なる首領様に匹敵しかねないものがある。本日郵政民営化法案が参議院で否決され、その結果内閣は衆議院の解散を決めた。日本国憲法が施行されてから衆議院が何度と無く解散されているが、今回の解散は不当であるといっている割にはいわゆる「七条解散」が解散の大多数を占めていたという現実から考えて些かそれはいちゃもんが過ぎるというものであろう。参議院で否決されたら衆議院を解散するなんておかしすぎるぜ、という意見については衆議院に差し戻したところで三分の二の賛成は得られないから結局そのときに衆議院を解散するから早くしておいたほうが次に進みやすいからなんじゃないですかというわけなので、そうそうおかしいものではない。今回の解散劇で理解するべきことは、総理大臣が必要以上に権力を持っているということである。そして参議院は良識の府として解散がないという安定した状況から忌憚なき意見を述べるという今回の姿勢は正しく、立法府と行政府はうまく法律が運用されて機能していることを確認できたのではなかろうかと思うのであるが。それにしてもなぜ郵政を民営化することにそこまで反対するのであろう?JRや道路公団の民営化は誰もそんなに反対しないのにねえ。戻る↑
    8月7日)「ダチョウバーベキュー」
    物怖じしない駝鳥@石岡ダチョウ倶楽部の色紙@ダチョウ牧場朝みとみを後にして雁坂トンネルを越えて埼玉に抜け、関越道、外環道、常磐道という珍しく大名コースで帰宅。一寝入りしてから友人に拾ってもらい石岡にあるダチョウ牧場に出かける。本日はここでダチョウバーベキューを堪能するということであり、そのためにさっさと帰宅したわけである。ダチョウ牧場で肉を買い、焼いていざ食べようとしたところ実は刺身でもいけますねん、などということを聞いたのでまずは刺身でダチョウという未知の食材との遭遇を遂げる。まことにダチョウは美味であり、暑さも手伝い生ビールが殊の外美味い。いい気分で酔っ払い、食欲が満たされたので牧場を散策する。ダチョウはまったくもって物怖じしない性格であり、人がやってきたら餌をくれるものだと思い込んでいるフシもあるのかは定かではないが、鼻息荒くこちらに襲い掛かるのである。なかなか楽しいふれあいを済ませて帰宅。疲れていたのと寝不足とビールの気持ちよさが手伝って夜まで爆睡する。戻る↑
    8月6日)「避暑地みとみ」
    海老名で目を覚まし、朝飯を食べ、いざ進む。本日はとりあえず千頭や接阻峡を目指すために清水まで高速を利用するが、早朝割引通勤割引とを利かせるべく一度御殿場で降りるなどという不思議な事を行い、清水には無事到着。静清バイパスが混んでいたので予想外に時間を食うが、とりあえずは千頭を目指す。大井川鉄道の千頭駅はSLに乗りませんかと誘う広告が数多くあり、何か古くよき時代の駅舎の風景を今に伝えるものがあった。そんな千頭でとりあえずは温泉に入り、まったりと過ごす。遠くで汽笛が聞こえる温泉はなかなかに味わい深くつい長湯をしてしまう。そのあと車を接阻峡に進め、途中井川湖の渡らずの鉄橋を撮影したりして接阻峡温泉に到着。ぬるぬるした味わい深いお湯を満喫し、車を静岡へと引き返させる。途中口坂本温泉に行こうとしたのであるが、時間通行止めに出会い、仕方なく口坂本は次回のお楽しみということにして湯ノ島温泉を目指し、川べりの市営温泉で風呂上りに涼しい風に吹かれてぐっすりと一休みする。その後車を静岡市内に戻し、静岡から高速で富士まで。そのあとは一路甲府を目指し、晩飯を食って買出しをしていざみとみに向かう。下界の暑さとは隔離された天然の涼しい高地で北海道から九州まで日本全国から集まったメンバーといい気分で宴会をして夜は更けていった。戻る↑
    8月5日(金)「海ほたる」
    海ほたるにある時計毎年8月第1土曜は道の駅みとみに行くことになっており、今年も出かけることとした。ということで房総半島を走りながら木更津に達し、久しぶりに夜中の海ほたるに到着する。昼間の海ほたるや夜の海ほたるには何度か来たことがあるのだが、夜中の海ほたるというのはなかなかに味わい深いものがある。とりあえずがらがらなのである。そして思いっきり凪なので潮っ気が纏わりつくという不快感が最高潮に達しようものである。夜遅いほうが人気が少なくて自分たちだけの世界が演出できるなどという馬鹿な文句を言いたくなる御仁もいるだろうが、過ぎたるは及ばざるが如しである。ということで本日は明日の移動をにらみ、アクアラインを通って首都高を走り、保土ヶ谷バイパスから東名に入り、海老名で没することとした。ここまで逃げておけば明日の渋滞には巻き込まれないであろうと計算してのことである。戻る↑
    8月4日(木)「野球の延長は15分まで」
    国民の趣味の多様化に伴い、これまで「巨人・大鵬・タマゴ焼き」と並び称されていた「子供の好きなもの」が大きく変貌を遂げようとしている。大鵬はすでに引退して30年近く経っているためいまどきの子供をしても人気者であるとは思えないし、近年の無駄に清潔でなければならないというある種の悪い宗教のような病気にかかっている親が原因でアレルギー体質の子供は増加し、タマゴ焼きが満足に食べられない子供も増えている。そんな2つを尻目に、巨人は我が世の春を謳歌していたのであるが、近年の何も考えていない戦力補強とか、何も考えていない人材育成とか、「強いからファンをやっています」という中身の無いファンとかが原因で戦後60年を目前にして大転換を迫られているのである。そしてそれはあろうことか、テレビ局から恐ろしい通告を突きつけられたのである。「巨人戦は数字が取れないから延長は最大15分にします。」である。あとの番組が繰り延べられてしまうことによるデメリットと、延長によるメリットを秤にかけた結果であろう。延長時間を30分に固定していたことによって客離れが加速してしまい、そのために延長時間を短縮するという悪循環に陥っているのであろう。アメフトのようにCMを入れるためにハーフタイムショーをやるというまでのことを要求する気は無いが、夜9時に終わるようにルールを改正するということをやれば、延長もないし、試合終了まで放映されるのではなかろうか。高校野球の試合時間を考えれば明らかにまったりと試合をやりすぎであり、何らかの対策を採ってもらいたいものである。戻る↑
    8月3日(水)「この世に存在しないDVD」
    貢物fromスターゼンとある食肉会社から、「株主様どうぞお納めください」という貢物を受け取ったので、では食してみようということで友人宅で楽しいDVDをみながら貢物のハムやソーセージをつまむという企画を立てた。夕刻よりDVDの鑑賞会をはじめ、つまみのハムやソーセージはいい調子で消費されてゆく。本日のDVDは無表情であることを売りにしていたという摩訶不思議な時代の徒花であった女性二人組のコンサートビデオ2本分であり、私の記憶が確かである限りでは、これらのビデオが発売されたのはDVDが一般的にメディアとして普及するよりも遥かに前であり、そのあとこれらのビデオがDVDにリマスタリングされたなどという話も暾と聞いていないのである。しかしながら、我々の目の前には些か怪しげな中国語で書かれたレーベルに入ったこの不思議なDVDがあり、本日はこのDVDを心行くまで楽しんだのであった。DVDを見ながらの会話はこの曲が流行ったときは高校生だったなあとか、この曲が主題歌になったドラマの主演は南野陽子だったなどというものであり、鑑賞者が微妙に年齢が異なるため、すでに大学生だったとか、最初のときはまだ中学生だったなどという微妙な年齢差でおっさん呼ばわりされたりするものである。小さいころに見ていたアニメとかアイドルって細かい差を抉り出す残酷なツールであることを今更ながら実感する。戻る↑
    8月2日(火)「UPSを噛ませたところで」
    日本は世界でも有数の落雷地帯であり、北陸地方や北関東はそれが凄まじい。それゆえ瞬時停電ということには慣れっこであるため、それに対応した無停電装置の開発が世界で最も進んでいるという必要は発明の母を実践していたりする。しかしながらこの無停電装置も万能ではなく、一度こちらから電気が供給されてもそれはせいぜい数時間しか維持されないため、ほっておけばまたもや停電となってしまう。本日羽田の管制塔のトラブルが起こったのは無停電装置がいけていなかったのではなくて、無停電装置の運用がいけていなかったということに終始する。いくら便利なものを開発しても、それを巧く利用できなければ何にもならないということなのであろう。しかし、そんな人為的なミスで管制業務は大パニックであり、運休や欠航やほかの空港への回避が行われたとあって、なかなかに飛行機とは難しいものだと思わざるを得ない。ところで、この事件による被害総額って凄まじいものであるはずだが、これってどこに請求するんでしょうか?戻る↑
    8月1日(月)「難解なちり紙交換」
    日曜の晩に帰宅してみれば、土曜日、日曜日の新聞がポストに突っ込まれているというのがお約束である。ポストから新聞を抜き出して家に入ると、新聞やら広告やらに混じって古紙回収のご案内が入っていた。新聞を購読し始めてから古新聞の後始末には困っていたところであり、なかなかにタイムリーなものだと思っていたのであるが、その古紙回収のご案内には「明日9:00ヨリ」と書かれていた。本日これを見て、ほほぉ明日か、と考えればいいのかもしれないが、土曜日にこれが投函されていたのであれば日曜日の朝に回収されていたのかもしれない。ずいぶんと相対的な回収業者である。こんなチラシを作る目的は、いつでも回収するときにはこれさえ入れておけばいいのであって、わざわざ日にちを変更して印刷する手間が省けるというかなり後ろ向きな理由によるものであろう。とりあえず本日そういうことで出さなかったのだが、どうも回収日は本日だった模様。さて、かなり溜まっている新聞をどうやって処分したものか。戻る↑