2005年7月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 7月31日)「おなら厳禁の湯」
  • 7月30日)「6年ぶりの甲子温泉」
  • 7月29日(金)「Suicaへの道」
  • 7月28日(木)「土用の丑」
  • 7月27日(水)「スペースシャトル」
  • 7月26日(火)「高速道路の行方」
  • 7月25日(月)「白紙に戻る」
  • 7月24日)「新幹線大爆破」
  • 7月23日)「自宅で地震に遭遇」
  • 7月22日(金)「人民元」
  • 7月21日(木)「健康診断結果」
  • 7月20日(水)「時間外手数料」
  • 7月19日(火)「チケット手配完了」
  • 7月18日)「関東の真髄」
  • 7月17日)「日本一の温泉街」
  • 7月16日)「味わい深い共同浴場」
  • 7月15日(金)「美味なるイラン料理」
  • 7月14日(木)「知床世界遺産」
  • 7月13日(水)「石綿」
  • 7月12日(火)「中華料理と佐藤錦」
  • 7月11日(月)「新たな仕事発生」
  • 7月10日)「蔦温泉」
  • 7月9日)「八戸の居酒屋」
  • 7月8日(金)「テロの被害者」
  • 7月7日(木)「メキシコ料理堪能」
  • 7月6日(水)「不健康診断」
  • 7月5日(火)「郵便の歴史」
  • 7月4日(月)「遅ればせながらのクールビズ」
  • 7月3日)「四万十川源流点遥かなり」
  • 7月2日)「祖谷温泉と皿鉢料理」
  • 7月1日(金)「冷戦の時代」


  • 今月の日記
    7月31日)「おなら厳禁の湯」
    おなら禁止朝起きて、土湯温泉の入り口にあるローソンで朝飯を買いつつ温泉の案内をしてもらう。このローソンは以前も利用しており、やたらと愛想がいい店長とそれにつっこむ店員というほのぼのしたいまどき珍しいコンビニである。以前温泉本を買い求めたときにそこには乗っていないお薦めの温泉を紹介してくれるなどという少し不思議なことはしてくれるのだが、とりあえず本日は共同浴場に行きたかったのでそちらに出向いてみた。美味なるソースカツ丼共同浴場は入り口でチケットを橋の向こうの土産物屋で買って来いという不思議な指令を受けたりするが、共同浴場の近所の店で入浴券を買うのは別に珍しいことではなく、券を買っていざ入浴である。この温泉の温度は些か熱く、朝から我慢大会で目が覚めてしまう。ちなみに背中に絵を描いたおじさまもいらっしゃったのであるが、背中の絵を「がまん」と隠語では申し上げるはずであるのに、そのおじ様が大量に水を加えて埋めていらっしゃったのが印象的であった。国立議員食堂「成駒」%オーナーシェフは高松英郎張りの眉毛持ち土湯を満喫してその近所にある思いの滝に向かう。土湯の温泉街からさほど離れていないところにこんな素晴らしい滝があるとはと感動も一入であった。その後車を南に向け、二本松にある岳温泉に向かう。岳温泉は安達太良高原にある静かな温泉であり、「本当の空」があるということを売り文句にしているところであった。この共同浴場でもあり湯治場でもある温泉に入ることとしたが、脱衣場にはきわめて意味不明な注意書きがあり、きっと湯治場の客で括約筋が緩く、空気だけのつもりが実まで出してしまったのであろうと想像されるに十分なものであった。この岳温泉はニコニコ共和国などという意味不明な共和国を宣言しており、立ち寄った食堂は議員食堂であり、眉毛の太さが高松英郎張りの店のオヤジは大統領の料理人であった。この店で味わい深いソースカツ丼を注文したところ、隣のオヤジが「俺もカツ丼、シレがいいな」と見事な江戸っ子振りを発揮していた。ソースカツ丼はまことに美味く、確かに大統領の料理人たるものこの程度の腕は必要であろうと思われた。戻る↑
    7月30日)「6年ぶりの甲子温泉」
    標識の支持棒がなんかおかしい甲子温泉大黒屋つくばに異動してから東北が近くなったということはこれまで必要以上に実感している。思えば車で東北に出かけるということを初めて行ったのは福島の甲子温泉であり、それは6年前の海の日のことであった。この地を再訪するべく昨晩より車を走らせ道の駅伊王野で車中泊をし、いざ出向いてみた。混浴の温泉は以前と変わりなく、その味わいぶかさは健在であり、宿の奥にある一般国道289号の不思議な標識もそのままであり、弾薬が埋もれている渓谷に対する警告ここは昔のままであると思っていたのであるが、アクセスルートである国道がトンネルを掘りなおすなどという経緯もあり、また知らないうちに宿屋に内風呂が出来ているなどということも手伝ってか些か味わい深さがなくなっていたように感じられた。そののち車を乙字が滝に向けて進め、弾薬が埋もれていると推定される河川敷から決死の撮影を試み、福島から相馬を経由して仙台に達し、そこから引き返して土湯で没する。道の駅土湯は峠をドリドリ走るお兄さんたちとそれを期待する観客たちが多少いらっしゃったのであるが、明日の予定とこの酷暑を逃れることを勘案すれば、結局ここしか寝る場所が無かったということが言えるため、あまり気にせずに寝ることとする。夜中はそれほど騒がしいことも無く、それよりも駐車場全体に絶妙なアンジュレーションが架かっているために眠るときの車のとめ方に注意を払うほうが重要であった。本日は福島の国道未走区間をせっせと走っていたのであるが、いまだに全部は走り終わっていないようであり、先が思いやられる。戻る↑
    7月29日(金)「Suicaへの道」
    つくばエクスプレス来月24日につくば市に鉄道がやってくる。つくば市が出来て以来初めて鉄道がやってくるのではないかと勘違いしている御仁もいるが、半分正解であり半分間違いである。筑波鉄道という鉄道がかつてあり、この鉄道は土浦より筑波山の麓を経て岩瀬までの約40kmを繋いでいた非電化の私鉄であった。この鉄道は現在のつくば市のエリアに路線を持っていたのであるが、当時はつくば市ではなく、つくば市が誕生したときにはすでにこの鉄道は廃止されていたのであり、この辺が半分正解半分間違いという所以である。さて、ある意味つくば市始まって以来というつくばエクスプレスであるが、まもなく姿を消しSuicaに統合せんとするパスネットに一旦加入してからSuicaに鞍替えするという面倒くさいことをやっているようである。必要以上に道のりを険しくしているように感じられなくもない。ちなみにこのつくばエクスプレスは「つくばエキスプレス」、「つくばエクスプレス」のいずれのキーワードでGoogleで検索しても1番目はTXのページであり、正しくは「つくばエクスプレス」であるが「つくばエキスプレス」のほうが微妙にHit数が多かったりするのが味わい深い。戻る↑
    7月28日(木)「土用の丑」
    戦場のような忙しさを見せていた鰻屋%年に一度うな重と天ぷら定食しかメニューが無い日本で3本の指に入る名コピーのひとつに「土用の丑にはうなぎを食べる」というものがあり、鰻に纏わる名コピーには「うなぎの「う」はがまんの「う」」というものもある。美味なるうな重「がまん」のどこに「う」があるのか興味は尽きない。くそ暑いので脂っこいものの売れ行きが捗々しくない時勢に鑑み、鰻屋が当代きっての知の巨人であった平賀源内にお願いして作成したコピーにより、江戸時代よりこの時期に鰻を食することは文化として定着してしまった。ということで本日はうなぎを食べるべく、日ごろ通勤途中に見かける鰻屋に出向くこととなった。普段の静かな佇まいとは大きく異なり、本日は凄まじいまでの行列であり、そして厨房は戦場さながらの忙しさである。本日に限りうな重と天ぷら定食のみの取り扱いとさせていただきますという張り紙もあるが、この期に及んで本日天ぷら定食をオーダーするというなかなかな男前ぶりを発揮している御仁も中にはいらっしゃったりとなかなかに味わい深い。結局行列45分、席に通されて30分、そして鰻を食うのは15分という予想通りの時間配分であった。炭焼きの鰻はことのほか美味く、関東の背開き、蒸してから焼き上げるというあっさりとした味わいにこれもまた良いものだと納得した逸品であった。ちなみに鰻に纏わる名コピーの種明かしは「鰻の「右」は我慢の「右」」という意味であり、「鰻」と「慢」の旁が同じであることを言い表しているものである。戻る↑
    7月27日(水)「スペースシャトル」
    スペースシャトルの切手@グレナダ航空や宇宙産業は膨大な投資を行い、そして漸く何がしかの利益を得ることが出来るというリスクの高い分野である。民間がそれをすべて行うことは大変難しい。しかしながら一度その分野でイニシアチブを取ることができたならば、それから先は己の力をいくらでも伸ばすことが出来るというものである。そんな宇宙開発事業は先進国の専売特許であり、超大国として唯一必要以上に生き残っている米国は己の威信をかけてスペースシャトルを飛ばせているのである。航空力学的に、そして流体力学的に考えてどうしても空を飛べるようにはなっていない生き物が空を飛ぶという現実があり、それはきっと飛んでいる生き物そのものが自分たちが飛べないものだということを知らないからだという実しやかな事をのたまう御仁もいるが、それはまるで床が途中で途切れているのに空中を普通に歩き、床が無いことに気がついた途端に急に落下するという漫画を地で行くかのようなものであり、その説明は噴飯ものである。しかしながら、スペースシャトルがなぜ飛ぶのかということには、力学的に飛べるという計算ずくだけでなく、アメリカという国家の威信が追い風となって飛ばせているという要素も含まれているように思われる。戻る↑
    7月26日(火)「高速道路の行方」
    都市と高速道路@SIMCITYかつて日本が貧しかったころ、高速道路というインフラはまったくもって存在しなかった。日本という国の経済力を支えたということについては、高速道路は計り知れない経済効果を生み出したものであると思われる。この高速道路の建設を収支決算のみに基づき、新たな需要を生み出すことを斟酌しなかったであろう民間にすべて任せていたならば、いまだに東名と名神ぐらいしかできていなかったと想像するのはたやすい。そしてそうであったならば、日本は今ほど豊かにはなっていなかったであろうことは想像に難くない。しかしながら現在では、高速道路の運用、建設を民間に委ねても差し障りがある状況にないといえる。そして民間による建設により、工事費用が削減できるという考えも当然である。これは偏に日本が豊かになり、さらには高速道路による通行料徴収という会社の基盤が整ったことによるものである。20年前に国鉄が民営化されたときも同様の背景があり、現在小泉首相がことあるごとにキャッチフレーズとして使っている「民間で出来ることは民間に任せる」という姿勢自体は間違っていない。ただし、道路公団と国鉄の一番の違いは、必要と思われる高速道路の建設がいまだ途上にあるが民営化をするという現実であり、今の時点で着工されていない道路が今後作られるかについてはきわめて疑問を呈するものである。高速道路建設反対派が都市部と高速道路が目と鼻の先に作られる地元民に限定されているという現実から考えれば、直接に負担を強いられる超地元民と、自分が高速道路の恩恵を受けた経済活動に乗っかり生活を送っていることに気がつかない自己中心的な人間のみが反対していることがよくわかる。高速道路を造っても利用する人がいないとその手の方々はおっしゃるが、40年以上前に高速道路が出来ればこれほどまでに物流が変わること予想できた人がどれだけいたかということを考えれば、存在する需要に対して供給を行うだけではなく、新たな需要の掘り起こしに拠って国が栄えることの重要性がわかりそうなものであるが。ちなみに、高速道路が必要ないという人に限って高速道路を使わなければどこか行楽地に行くことができないくらい地理に疎く、盆暮れにどこかに行こうとしても、渋滞にはまる以外になす術を持たぬ人である。そんな人は本当に高速道路が要らないんだろうか。戻る↑
    7月25日(月)「白紙に戻る」
    就航予定だったテクノスーパーライナー期待が高いと、それだけ失望も大きいものである。しかも当初と社会情勢が大きく変わってしまった日には「こんなはずでは」と思うことはよくあることである。離島の振興を掲げてぜひとも我が航路に新造船を!という思いは大きなものがあったであろう。そのために熾烈な誘致も繰り広げ、漸く就航に漕ぎつけたときは喜びも一入であったことは想像に難くない。しかしながら、誘致合戦を繰り広げた時と今とでは現状が全く異なっている。そもそも地下資源であるが故に将来的に高騰することが予期されている原油が値上がりしたために燃料費が馬鹿にならないということで、「満員でも赤字」などというわけの判らない状態になることは予期できなかったということだが、もとより設定がおかしいということだったのではなかろうか?ちなみにこのテクノスーパーライナーはエンジンフル回転でぶっ飛ばしているときはデッキに出ないでくださいという不思議なお達しがなされており、太平洋で気持ちよくヨーイングを受けている最中に外の空気が吸えないというシチュエーションはあまり有難いものではなかったので、実は就航しなくて良かったのではないかと思っていたりする。テクノスーパーライナーという技術は素晴らしいものであり、それが実用レベルにまで達するにはまだ幾許かの時間を要するということなのではなかろうかと思う今日この頃であった。戻る↑
    7月24日)「新幹線大爆破」
    新幹線大爆破久方ぶりに自宅で過ごす週末は、暇をもてあますが故に普段ならするわけがないことすらしてしまう。朝からパソコンでゲームをするとか、溜まっていたドラマを見るという時間の過ごし方をするのはいつ以来のことであろうかと思いつつ、それでも時間が余ったのでなかなかに楽しいという前評判のDVDを見ることとした。高倉健を犯人とするという画期的なこの映画はパニック映画の最高傑作であり、必要以上に汗をかいている千葉真一とか、その隣で何気に目立たない小林稔治やスカンジナビア航空の窓口で働く多岐川裕美や東京駅のオペレータの志保美悦子などこっそりと味わい深い出演者が多い。しかしながら随所に学生運動家崩れとか沖縄から来た売血青年とか意味も無く出没する大学の柔道部員とかいきなり火事になる喫茶店など、ストーリーに必要なのか無理やりなのかが疑わしい設定もあり、些かご都合主義と感じられなくも無いものもあり、なかなかに味わい深い。久々に味わい深いDVDを見たあとは友人宅に焼酎を手土産に向かい、楽しくお馬鹿な映画を見ながらよく出来た自家製イカの塩辛を肴に夜は更けていった。戻る↑
    7月23日)「自宅で地震に遭遇」
    衣装棚今週末は特に何の予定も無かったので、久しぶりに自宅で過ごすこととした。自宅で過ごすといろいろとやることが発生するもので、掃除洗濯や久々に日記を更新するなどやることは多い。久しぶりに自遊人の源泉湯パスポートのページを更新するとか、来週から穿いていく綿パンにアイロンがけするなどをこなしていたところ、クロネコヤマトがやってきた。ずいぶんと昔に通信販売で買った衣装棚を今頃持ってきたようである。とりあえず組み立てに精を出し、1時間ほどして無事組み立ては終了。雑用をこなしつつ大相撲なんかを見ていたところ、なかなかにでかい揺れを感じた。久々に地震だなあと思いつつ、友人とチャットしながらテレビで地震の情報を集め、どうやらつくばは震度4だった様子。まあ、たいしたことは無かろうと思っていたのであるが、どうやら交通機関は見事までに麻痺してしまい、なかなかに帰れなくて困っている人や、夏休み最初の週末ということで家族でネズミーランドに出向いて夢のひと時を過ごし、舞浜駅のホームで夢を見てしまった御仁もいらっしゃった模様。いやあ、出かけなくて良かったよかったと思っていたところ、友人から那珂湊で一箱買い込んだイカを塩辛にしたという連絡が入る。とりあえず明日はお邪魔することにした。戻る↑
    7月22日(金)「人民元」
    人民元(見本)戦後しばらくの間は「車の中にある180円のものってなーに?」というなぞなぞが成立していた。ドルと円との固定相場制が貫かれ、1ドル=360円という交換レートが成立していたためである。やがて日本は高度経済成長を遂げ、円の力が相対的に高まっていたことを受けて変動相場制に移行する。そして変動相場制移行のときにおよそ15%もの切り上げを受けてしまったことは歴史を紐解けばすぐにわかることである。近年目覚しい経済成長を遂げるお隣の中国は、これまでドルとの固定相場制を貫いていた。しかしながらたびたびのアメリカからの圧力に屈し、このたび人民元をわずか2%であるが切り上げ、バスケット方式などという変動幅のずいぶんと緩やかな変動相場制に移行することとなった。中国の人民元切り上げが世界に及ぼす影響は大きいといわれるが、それは影響力を十分に持っている状況にまで成長しているにもかかわらず切り上げや変動相場制を一切受け入れていなかったからに他ならない。日本が円の切り上げと変動相場制を導入した状況に比べれば中国はずいぶんと恵まれた条件にあり、今後どのような展開がなされるかが注目されるところである。中国が現在世界の工場となりつつあるため、人民元の価値が上昇して中国製品が高くなったところで、世界中の人は高い中国製品を買わざるを得ないのかもしれない。ちなみに冒頭のなぞなぞの答えは「ハンドル」である。戻る↑
    7月21日(木)「健康診断結果」
    先日の不健康診断の結果が出たのでそれをしげしげと眺めてみた。てめえは肥満だという他は以前から変わったことも無い状況であった。前日の禁酒が奏功したのかは定かではないが、肝機能その他の検査値は基準値の中央にぴったりと鎮座し、健康体そのものである。世の中には不思議な異常値をはじき出す人もいるもので、善玉コレステロールであるHDLが異常に高いという人がいたりする。HDLが異常値を示すこと自体が示唆する体の異常は「長寿症候群」などと呼ばれるが、この症候群は異常値をはじき出した人が必要以上に心配するので、存在し得ない病気の名前としてひねり出されたものであり、この症候群に対する明確な定義など存在しない。とりあえず長生きする人らしいということだけはわかったが、それは検査値を聞くまでも無くわかっていたりするもので、いまさら驚くには値しないものである。戻る↑
    7月20日(水)「時間外手数料」
    稼ごうとあぶく銭だろうと投資に見合った配当であろうと、自分のお金を管理することはこの数年必要以上に取りざたされている。銀行に預けておけば大丈夫という思想が立ち行かなくなった原因は利率が低下したことが一番大きいと思われる。大垣共立銀行のATM画面(イメージ)銀行が利息を落としても顧客の囲い込み程度が変わらない理由は、お金のことをあまり考えないという国民性が一番大きいのであるが、現在現金が流通することがほとんど無く、ほとんどのお金が一旦銀行に入ってしまうことや、どの銀行も横並び意識が高いことも十分な原因のひとつに考えられる。お金のことをいろいろと考える人を「まじめで勤勉」と考えるのではなく「あざとい」「さもしい」と考える風潮がいまだに高いことは大いに危惧するべきである。個人的には自分のお金を銀行に預けてやっているのだから、利息をつけないまでも引き落としに手数料を取ることなど言語道断であると考えており、ATM時間外手数料などというふざけた手数料を何の躊躇いも無く支払うことをよしとすることには到底納得がいかぬものである。本日某銀行はATMで現金を下ろす際にATMの画面上でスロットが回り、3つ並ぶと手数料が無料になるというシステムを構築したことを大々的に発表した。これがニュース性が高いという現状は、手数料が無料になることが素晴らしく魅力的であるという間違った認識がいまだに高いことを裏付けているようであり、手数料は無料が当然であり、よほどの特殊な事情においてのみ手数料を支払うという本来あるべき姿にたどり着くことは険しい道のりが待ち構えているのであろうかと思ったりする。戻る↑
    7月19日(火)「チケット手配完了」
    旅行に出向く際に手配をするべきものは多い。鉄道が主たる交通手段である場合は1ヶ月前に手配をするのが常であった。鉄道は早く押さえようがぎりぎりに押さえようが、値段は変わらないのである。しかしながら、航空機は値段が千差万別であり、チケットが安く手に入れられるからという理由が旅行のモチベーションを高めているということも事実である。約2ヵ月後に誕生日を迎えるとなれば踊らされるよりほかに無く、早速切符の手配を始める。同じ思想を持つ人が多いのであれば、いい時間帯の切符は一瞬にして売り切れというか予約済みとなるものであり、苦労しながら何とか切符を抑える。こうやって2ヶ月も先の休日が着実に埋まって行くわけであり、こんなことをやっていたのでは週末はことごとくあっという間に埋まってしまうのは当然の段取りである。戻る↑
    7月18日)「関東の真髄」
    鹿の瀬温泉@三岳村昨日に引き続き、朝は涼しいという贅沢な環境で目を覚ます。お宿は料理旅館を標榜しているだけあって朝から味わい深い飯をいただく。岐阜といえば朴葉味噌と定番を崩さないところがすばらしいのであるが、「こんなものが美味いなんて日本人はなんて貧しいんだ!」と逆説的に日本人である幸せを噛み締める食材のひとつであると美味しんぼで雁谷哲が言うだけのことはある素晴らしいお味であり、朝からご飯が進んで仕方がない。片倉館@上諏訪お宿で会計を済ませると財布の中身はすっからかんであり、金をおろそうにも銀行はおろか郵便局すら開いていないし、コンビニすら見当たらないという秘境ぶりである。致し方ないのでこういうときのためにと常にキーホルダーに隠し持っている諭吉を取り出して、本日の味わい深い温泉に向かう。御岳の周りをぐるぐると走って味わい深い滝を見物したのちに鹿の瀬温泉に向かう。この温泉、昨年掘り当てたというものらしいのだが、なかなかに素晴らしい炭酸泉で成分も濃く、洗い場は見事な千枚田が出来ていいるから素晴らしいの一言である。超大型非足漕ぎボート「すわん」真夏にスピードスケートに興じる人々(イメージ)久しぶりに炭酸泉を満喫して、開田高原では定番となりつつあるアイスクリームを食し下界へと降りる。本日の下界は目も眩むような暑さであり、やはり避暑と称して涼しいところに行ったのは大正解であったと思わせるものがあった。上諏訪の片倉館で味わい深い温泉を満喫し、美味いそばを食して大満足する。この旅行中昼は蕎麦とかお粥などという軽いものに是努めていたような気がするが、やはり美味いものはうまいのである。そののちに麦草峠を越えて佐久へと抜け、佐久までの道のりが混んでそうなので内山峠を越えて下仁田へ抜け、下仁田から高速にでも乗ろうと考えたところでとんでもない情報を入手した。藤岡JCTまで19km渋滞というのだからこれはおとなしく下道で帰るべしということで富岡からぐるっと回って前橋に行き、そこからひたすら50号で帰宅。途中北関東名物の落雷と驟雨に遭遇し、停電で交通信号すら消えるなどという貴重な経験を3回ほどして帰宅。味わい深い旅行であったが、最後にきっちり関東の真髄を見せていただいた旅行でもあった。戻る↑
    7月17日)「日本一の温泉街」
    番所の滝@乗鞍高原気持ちのよい目覚めがあり、そして心地よい朝風呂である。温泉宿に泊ればこれが至福の時であろう。まったりと過ごして朝飯を食べ、親分と張さんの喝!を見ていざ出立である。まずは番所の滝に行き、写真撮影に励む。心行くまで写真を撮って次は白骨温泉を目指す。一般国道158号が沢渡あたりで土砂崩れを起こしているため通行止めとなっており、迂回路として乗鞍スーパー林道が指定されている。そのため本日は普段ならばやる気が無いくせに車が来ればいそいそと通行料をせしめようとする地元のおばちゃんにくれてやらねばならぬ通行料が無料とあって、少し気が晴れようものである。温泉粥@白骨温泉しかしながら、もとよりこの道は、バスが対面通行出来るような仕様ではないため、本来新島々や松本より上高地を目指すバスや、もともと乗鞍に向かうバスなどが犇めき合ってしまい、凄まじいまでの渋滞を引き起こしている。そんなわけで、普通ならば20分もあればついてしまう白骨までは1時間ほどかかり、観光協会の味わい深い案内を受けて旅館ゑびすやで味わい深いにごり湯を満喫する。風呂を満喫し、そして次は昼飯に温泉粥を食す。温泉粥は湯の峰温泉でいただいて以来であり、外からも中からも温泉を満喫し、白骨を後にする。一旦乗鞍に戻った後は野麦峠を目指し、30年前の映画が今もだらだら放映されているという味わい深いお助け茶屋を眺めて時が止まっていることを確認するが、野麦峠も安房峠も松本市と高山市の境になるという平成の大合併についてなんだか味わい深さが全く無いなあと勝手に思ってしまう。その後濁河温泉に向かい、温泉と美味い食事を満喫して没する。ちなみに今回の旅行の目的は「避暑」であり、それが為に1800mという日本一標高の高いこの温泉を選んだわけだし、本日の行程で一番標高が低かったところが旧高根村と旧朝日村の境界にある権現トンネル付近で約850mだったとこからも目的は果たせたような気がする。どっちにせよ、夜は冷え込みかなり寒かったりする。二日続けて大変贅沢な時間を過ごしていますなあ。戻る↑
    7月16日)「味わい深い共同浴場」
    朝早くつくばを出ていざ西を目指す。伊勢崎までの道のりはいつものとおりであり、渋滞知らずの快調な道が続く。途中ラジオで常磐道や関越道の渋滞を聞き、下道で気分も朗らかになろうものである。伊勢崎からは高速に乗り東部湯の丸まで。東部湯の丸からはまず霊泉寺温泉を目指す。味わい深い共同浴場であると聞き及んでいたため、ぜひとも行きたいと思っていたこの温泉は、やはりまことに素晴らしい温泉であった。黒沢映画「夢」の撮影場所@穂高アルカリ性の石鹸要らずの湯はまことに素晴らしく、いい気分で次なるお湯を目指す。続いては鹿教湯温泉の町高梨共同浴場を目指す。ここは温泉の神が舞い降りなければ一見さんにはたどり着くことが出来ない共同浴場であり、地元民のみが利用できるようなそんな雰囲気があるが、実は地元民は持ち回りで掃除をしているため無料で利用でき、よそ者はわずかばかりの費用を支払って利用させていただいているものである。そんな味わい深い共同浴場であるが、お湯はまことに素晴らしく、共同浴場という文化をいつまでも大切に守ってもらいたいものだと思うものであった。風呂を満喫して次は昼飯ということで、穂高にある蕎麦屋に出向く。この蕎麦屋はすでに3回目というかなりに定番の店であり、そのそばの美味さは特筆ものであった。そののちに黒沢映画「夢」の撮影地である安曇野の水車を見物し、いざ本日のお宿を目指す。本日のお宿は乗鞍高原であり、下界の暑さを全く感じさせない涼しい中で、素晴らしい硫黄泉を満喫する。しかもお宿はインターネット接続が出来るとあってなんら困ることは無く、明日の作戦会議などをしながら酒盛りを続け、涼しいを通り越して肌寒いぐらいの中で、布団に包まって眠るという夏にこれほど贅沢なことがあって良いのかというぐらいの贅沢な夜を過ごす。戻る↑
    7月15日(金)「美味なるイラン料理」
    イラン料理屋「アリスケバブ」@土浦ヒヨコ豆と羊の煮込み「アブグシュト」つくばにはエスニック料理屋がまことに多い。ということで本日は友人とイラン料理を食べに行くこととした。友人宅から歩いていける距離にあるということで出かけたのであるが、なんだか結構遠いのである。気がつけばお隣の土浦まで歩いていたりするからちょっと遠すぎやしませんかと思いつつ、まあこれでビールが美味かろうという理由をつけてかなり歩き、イラン料理の店に到着。羊と牛のミンチの串焼きとか、ヒヨコ豆と羊の煮込みとかインディカ米のサフランライスなどというまことに素晴らしい味を堪能して帰宅。明日からの旅行に備えて作戦会議を開き、気持ちよく焼酎飲んでそのままダウンする。どうも今週は必要以上に疲れていたらしく、ほとんど焼酎は飲まないままであった。戻る↑
    7月14日(木)「知床世界遺産」
    アイヌ語で「地の果て」を意味する「シリエトク(知床)」世界遺産についてNHKとどっか民放がもめている話が巷間を賑わせているが、世界遺産は世界の宝であり、屋久島と白神山地についでこのたび知床が認定された。屋久島の認定には自然保護をするためという目的があったのだが、認定が両刃の剣であることは数多くの国立公園や世界遺産で実証済みである。本来は人間は山の中で暮らし、自然のおこぼれをあり難く戴いて山によって生かされる存在であったはずである。しかしながら科学技術の発展に伴い、自然を利用するなどというおこがましい策略が頭をもたげ、自然破壊という悲しい事態を引き起こしたのである。それを防ぐべくこのような認定をするという流れには特定の思惑があり、しかもこのように報道されることによって観光客が増加するのである。観光客の増加によって自然があらされることを危惧して立ち入り禁止となれば、森で細々と暮らしていた人たちの生活の場を失わせることになり、人の手が全く入ることの無くなった森はその利用価値を大きく失うこととなる。人類が長い目で森の栄枯盛衰を見極めて最も仲良く付き合うためには何をするべきかといえば、恢復して頂ける程度に自然をご利用させていただくという本来の立場に立ち返ることであろう。などとえらそうなことを言いつつ、そんな自然が残っている場所に出向いて癒された気分になっている不届きな人間である。戻る↑
    7月13日(水)「石綿」
    アスベストの被害が深刻である、という話をこのところニュースで聞く。住宅建材として広く利用されているがずいぶんと前に使用禁止となったのになぜいまさら騒ぐのだと思っていたのであるが、どうも悪質なやつは使えないけどいまだに細々とは作っているらしい。「土用の丑には鰻」という日本で3本の指が入る名コピーを作った平賀源内が発明したという石綿は、時を経て今も尚使われる資材であったが、その粉塵が中皮腫のリスクファクターであったことは平賀源内をしても不明であったことであろう。そもそもは潜伏期間の長いこの粉塵によるがんの発症は、平均寿命の短かった当時では問題にもならなかったであろうしコホート研究もなされなかったことは想像に難くない。しかしながら圧力団体が有害であることをわかっていながら無理やり使用を認めさせていたという現状は許されざるものがあり、これでまた全日本何にでも反対するぞ連合がまたぞろ出てこないかが心配である。ちなみに、現在の自宅に石綿が使われているかは不明であるが、建築時期から考えてたぶんかなりの確率で使われているものと考えられる。だからといってどうしようもないなあ。戻る↑
    7月12日(火)「中華料理と佐藤錦」
    佐藤錦本日も講義をするが、やる気が起こらない。定時になるとそのセンセイを宿泊されているホテルまで送る、などということまで仕事に含まれているところに僻地で仕事をする哀愁が漂うのは気のせいなんだろうか。まあそのおかげで堂々と定時に帰ってもいいわけなので別にそれはどうでもいいことなのかもしれない。帰宅して友人と自宅近くの中華料理屋を目指す。家庭小皿料理の店なのでいろいろと注文し、生ビールをグビグビやっていい気持ちである。ちなみにこの店は自宅から歩いて5分ほどのところにあり、なぜか「喜多方ラーメン」と書かれているため、当初は不味いラーメン屋だろうと勝手に思っていたのであるが、実際行ってみるとなかなか美味い中華料理屋であった。ただ、味付けが些か塩辛いため、ビールが進むように仕向けられているのではなかろうかと疑うところではある。帰宅して友人と青森土産の佐藤錦をつまみ、夜は更けていった。戻る↑
    7月11日(月)「新たな仕事発生」
    心地よい疲れを保ったまま会社に出向けば、見知らぬ女性が僕のグループにいた。どうも僕のグループでやっている仕事を習得したいということで、近所の私立大学の助手様がこんなチンケな会社にまでわざわざご足労願ったということらしい。しかしながら我がグループは降って沸いた仕事のせいで皆多忙を極めており、ノンベンタラリと仕事をしていつも暇そうにしている僕以外にこの女性の世話を焼ける人間がいないということで消去法的に担当となった。ちなみに期間は一週間である。人にものを教えるということは別に嫌いではないし、曲がりなりにもそれで生活をしていたこともあったのだから気にはするまい。しかしながら、ネタを披露するような雰囲気ではなさそうなので、かなり一日で滅入った気分になってしまう。夕方定時になると仕事を終え、グループ総出の歓迎会を執り行う。歓迎会は初日に行うというのが上司の方針であり、その命を受けて後輩が場所をセッティングしたのであるが、その場所が魚民というとこらへんに後輩のいけてなさがあるのはどうしようもない。まあ、もてなす心意気が重要なのであまり場所にはこだわらなくても良いという話もあるが、しかしまあ社会人なんだし、更には一応接待っぽい何かも兼ねているんだからなんかもうちょっと店の選びようがあったのではないかと。戻る↑
    7月10日)「蔦温泉」
    チェリー保育園八戸を立ち、本日は本来の目的を果たすべく青森県内をうろうろする。今回の目的は青森県内の国道を完走することであり、そのために六ヶ所村などというところにも出向かねばならないという不思議な行程を計画する。途中名川で名物のさくらんぼ「佐藤錦」を買い求め、おまけにつけてくれたものをドアポケットに入れほおばりながら車窓へと種飛ばしをして旅は進む。蔦温泉名川には名物にちなんだチェリー保育園などという代物があり、きっとここに通う保育園児はそう呼ばれるだろうしきっとそうだろうとどうでも良いつまらぬことを考えたりする。漸く昼過ぎには県内の国道をすべて走り終え、本日の目的地である蔦温泉へと出向く。蔦温泉は足下から湧き出す透明なお湯であり、何も足さない、何も引かない、そしてこれ以上何もいらないという温泉の極致とも言うべき最高のお湯であった。湯治場の雰囲気を今に伝える昔ながらの湯と、最近の観光客を対象にした些かオサレで味わいぶかさのぶっ飛んだお湯とが共存し、後者のほうに何らかの改善を求めたいところであるが、一般受けするのは後者なので、昔の湯治場の雰囲気を残しているお湯が残されていることに感謝せねばならぬのかもしれない。そののち猿倉温泉を満喫して割りと早い目に空港に舞い戻る。空港で晩飯を食べ、出立までの時間を利用して溜まっていた日記を書く作業に入る。待合ロビーのいすに腰掛けせっせと日記を書き、柱にあったコンセントから電気を拝借していたところ、グランドホステスのおねえちゃんに見つかってしまい、十分充電された状態でバッテリーを駆動させつつ日記の更新は続く。時間となったので飛行機は飛び立つが、そもそも天気がよろしくないので東京からの飛行機がこっちにこない可能性があると脅されつつ待っていただけあって、必要以上に飛行機が揺れてしまい、機内でのサービスは一切なしであった。まあ、CAと向かい合わせの席なので、ずっと座っているということに勝るサービスはないという説もあるが、あまり気にしないこととしよう。揺れる飛行機から降り立ち、モノレールとJRを乗り継いでひたち野うしくまで帰り、車で帰宅。戻る↑
    7月9日)「八戸の居酒屋」
    キリストの墓今週は青森に出向き、味わい深い温泉と素晴らしい味覚を堪能することを目的としてみた。羽田までの最適解はいまだに不明であるが、本日は自宅より車でひたち野うしくまで行き、駅前の一日500円の駐車場を利用することとした。温川温泉駐車場は無人であるが、入り口に封筒と鉛筆が備えられており、封筒に車の番号を書いて駐車料金をいれ、それを投函するというシステムであり、ある意味合理的であるが素朴なものである。ひたち野うしくからはJRで上野、浜松町と進み、モノレールの快速などという不思議なものに乗って空港に到着する。青森には一旦空港をやり過ごしてから陸奥湾上空で旋回するという不思議な経路を辿って降り立ち、レンタカーを借りていざ出発。キリストの墓まずは味わい深い共同浴場を、ということで落合温泉の共同浴場に向かい、素晴らしいお湯を満喫。続いて温川温泉に出向き、これまたまことに結構なお湯を堪能していざ十和田湖へ。十和田湖は凄まじい霧が立ち込めており、視界は極めて悪く、湖の素晴らしい景色はまったくもって不明であった。十和田湖を一周するふりをして奥入瀬に出向いて写真を撮り、十和田神社なんかを訪れたりしてとりあえず観光モードを終了させて本日のお宿八戸を目指す。途中新郷村にあるキリストの墓などという味わい深い観光地を堪能し、八戸のお宿にチェックイン。味わい深いホヤお宿はインターネットつなぎたい放題ということで申し分なく、喜び勇んでのみに出かける。本日のメインイベントは実はこの居酒屋であり、八戸に何度も行っているけれどこの店に入れなくて悔しい思いをしている友人が多く、やはり人間として悔しがらせ活動に勤しまねばならぬというものである。味わい深い地酒と新鮮な肴を取り揃えた味わい深い居酒屋「ばんや」で八戸の幸を満喫していたところ、隣におっさんおばはんの団体が来たので、ホッケの焼き物を半身差し出して刺身盛り合わせや馬肉などと物々交換し、話が盛り上がってしまってついには嫁の世話までしてくれるという居酒屋らしい会話で盛り上がる。ということで明日はそのおっさんのお薦めである蔦温泉に出向くことにした。もとより行く予定はしていたのだが、おっさんに敬意を表すというものである。戻る↑
    7月8日(金)「テロの被害者」
    2階建てバスとビッグ・ベン(イメージ)ロンドンで起こった連続テロはかなりの死者が出ており、地下鉄が使えない状況になっている。適当かつ必要以上に慎重なのに本質を見ないという不思議なわが社は、こういうときには必ず「絶対行かないとだめという出張以外はキャンセルしろ」と言ってくるのが常である。ちなみにロンドンにある現地法人とデータのやり取りを行ったりする仕事をしていたりするのだが、向こうの担当者が地下鉄が使えないため出社しておらず仕事が侭ならないという合法的なサボる理由が出来て喜んでいるのは内緒。一応表向きは仕事が進まないということでテロの被害者っぽく振舞うことも可能であるが、マンチェスターにある会社に講習に行く計画を半年前から立てていたのに、いきなりこのたびの騒動でおじゃんになってしまったという不幸な人もいる。これこそまさにテロの被害者というべきなんであろう。ちなみに会社がテロの起こっていないマンチェスター行きをだめだと判断した理由は「マンチェスターに行くのにロンドンを経由するから」という理由であった。しかも事務方いわく「マンチェスターってどこ?イギリス?じゃあだめだ!」という思考回路しか持ち合わせていないようであり、東京でテロが起こったときに大阪に出張するなといわんばかりのものである。せっかく息抜きの計画を立てていたのに頓挫することとなったのは残念であるが、実はヘルシンキ経由の飛行機であれば何も問題なく出張にいけたらしいという話もあり、微妙にしてばかばかしい話ではある。戻る↑
    7月7日(木)「メキシコ料理堪能」
    トルティーヤに包んだタコス(イメージ)自宅から会社に向かう最中にメキシコ料理屋があり、毎日前を通るたび気になっていた。本日はその店に出かけることとし、友人とその奥さんの3名でいざ出向いてみた。メキシコ料理とは何であるかとはさっぱりわからないが、とりあえずトマトベースの辛いソースのかかった料理や、トルティーヤに包んで食べてみれば味わい深い料理などを堪能する。ちなみに店のおねえちゃんの教育が大変行き届いていたので楽しく食事も堪能できたし、コロナビールのキャンペーンでスピードくじを引いたところ1等のTシャツが2枚も当るという無駄な運の使い方をしたりして満喫する。しかも地元のスーパーの株主優待も使えるとあってまた出かけてみたいものだと思う良い店であった。帰宅してドラマ版の電車男を見てみる。いやあ、東京の地下鉄にはこんな出会いが待っているんだろうなあと妄想させるに十分であるが、「キター」のAAが使われていない所などにマイルドなものを感じたり、実際の掲示板の書き込みをリアルタイムに見ていた人間からはワカゾー君のノリは些か違和感を覚えたのも事実である。とりあえずつくばには電車が走っていないので、伊東美咲と出会うことは出来ないというわかりやすい間違った結論を出しておくことにしよう。戻る↑
    7月6日(水)「不健康診断」
    昨晩は珍しく禁酒を貫いたのであるが、これは別に健康のことを考えてのことではなく、本日が健康診断だからである。僕の所属するグループは毎年過半数が健康診断に引っかかるという不健康なグループであり、多分その原因は実験をやらずにデスクワークばかりやっているし、外部との交渉でストレスが溜まるというところである。そんなことも手伝ってか、後輩は「朝飯食ってないけど食ってきたっていえば血糖値高くても食後血糖値ということでセーフになりますよね」とかいう本質を外しまくった話をしている。僕は僕で、健康診断といってるくせに「お前は不健康だ」か「お前は不健康とはいえない」としか判定してくれないので、これはむしろ「不健康診断」と呼ぶべきではないかと勝手に考えている。さてめでたく本日はその不健康診断が終了し、帰宅後酒盛りを始める。一日酒を抜くとまことに酒が美味く感じられ、休肝日も悪くないねえと休肝日の本質をはずしたことを考えたりする。戻る↑
    7月5日(火)「郵便の歴史」
    郵便の父・前島密(まえじま・ひそか)郵便の歴史は、前島密がイギリスの制度を取り入れたことに端を発する。それから約130年が経ち、郵便事業は今や凄まじいまでの規模を誇るものとなっている。このたび国会で議論されている法案の本質は郵政事業を民営化することについてではなく、現在郵便貯金や簡易保険が持っている凄まじい額の国富を如何に巧く利用させるかというところに尽きるはずである。郵便業務は宅配業の一環として行うという現在の状況を些かも変えることなく職員の所属を変えればよいだけの話である。民営化で利益を上げることに視点が移り、過疎地の郵便局はどんどん無くなっていくと無闇に心配をする向きがあるが、需要があれば利益の出る仕組みを作ることは決して難しいことではないはずである。そして利益が出来る仕組みが出来れば、過疎地を切り捨てる理由が存在しないので切り捨てられる心配はないというものではないかと思われる。実際のところ、これからの日本は人の住まない地域がもっともっと増えていくため、過疎地にサービスを提供することを議論するよりも、人が移住して固まって生活する必要が出てくるため、過疎地が存在しなくなることによる影響を憂うべきである。本日、衆議院を無事法案は通過したが、これからも紆余曲折が予想される。従来でなんら問題が無いからこれからも問題が無いという茹でガエルのような信念を持つ人と、先を読んで実施するべき人の違いは歴然としており、間違っても国民の代表たるもの、国家百年の計を考えて次の一手を打つことが必要であり、そのためにはどのような行動に出るべきはおのずと判りそうなものである。戻る↑
    7月4日(月)「遅ればせながらのクールビズ」
    省エネルックではなく、上着を着ないということなのでクールビズなどという摩訶不思議な言葉がこの世で大手を振って歩いている。地球温暖化を防ぐために事務所の空調をゆるくしてやろう、そしてどうにかしてやろうと企んでいるのであろう。しかしながら、エネルギー使用は膨大の一途をたどり、引き返すことは凡そ難しいのが現実である。便利な社会というものに慣れれば不便な社会に戻ることは出来ぬ相談であり、現在の我々の行動パターンは便利な生活がすなわちエネルギーを大量消費する生活なのである。昨今二酸化炭素の削減を叫ぶ声が上がっているが、現時点では二酸化炭素さえ抑制すれば地球温暖化を予防できるなどということを提唱している人は一人としていないのに、この二酸化炭素排出を削減することになぜか必要以上に躍起になっている社会はおかしいものがある。さて、そんな昨今であるが、ついにわが社にもこの不可思議なマナーが採用される運びとなった。事務所の温度はこうあるべきである、とのことである。しかしながら、我々のような研究者は実験の都合上ということでその温度管理は一年を通じて同じであるべしという不思議な通達が出されており、一年を通して研究所の温度は一定に保たれているのである。ということで事務方や営業さんにはそのような適用が発生するが、営業さんには「お客様に不快な思いをさせない」という鉄則に従い、部屋は暑いけど服装はそのままというかなり厳しい夏が迎えられるものと想像される。戻る↑
    7月3日)「四万十川源流点遥かなり」
    四万十川の源流点近くの滝目が覚めると朝からしっかりと雨が降っている。僕たちが四国に来るまでは全く雨が降らないと嘆いていたのに、来たらいきなりこの様である。お約束のごとくはりまや橋に向かい、日本三大がっかり名所の名に恥じぬ情けなさに感動する。雨の中本日は四万十川の源流を目指す。源流までは山道を40分ほど歩いて源流の石碑を見つけ、石碑の横からさらに源流点を目指すという寸法である。源流点は四万十川の流れにさえぎられて辿り着くことができなかったが、昨夜からの雨で水量が多い目であり、自然の水芸を堪能して味わい深い写真の撮影を行う。このようにまたもや目標とする地点に達することが出来なかったとぶつくさ言いつつ、またここに来る理由が出来たと喜ぶ嗜好回路とも言うべき思考回路はいまさらどうしようもないのであろうが、これがどうも友人にも根付き始めたので良いことかどうかは微妙である。その後引き換えして津野の自由軒というラーメン屋でラーメンを食べ、あとは高知空港へとひた走る。空港では自家製の酒盗を出してくれる店で気持ちよくビールを飲み、いい気分で羽田に戻る。羽田からは車でつくばに帰宅し、そのままバタンキュウと行きたいところであったが、明日までにやらなければいけない仕事があったのでかなりがんばってやってから寝る。なかなか味わい深い旅行であった。戻る↑
    7月2日)「祖谷温泉と皿鉢料理」
    一般国道32号にある坪尻駅への案内看板今週末は四国に出向き、味わい深い観光地と温泉、そして地元の料理を満喫することとした。友人とまずは羽田空港まで車で行き、いつもの駐車場に車を止めて朝飯を食い、いざ南国土佐へと移動する。空港に降り立つとまずはその足でなぜか友人の希望なのであるが吉野川の第十堰に向かう。流量調節の難しさは治水の基本であり、関宿岬や羽村の玉川上水などはこの微調整を巧みに行うところに細心の注意が払われている。そんな人類と自然との闘いの遺跡である第十堰を観光し、次なる目的地へと向かう。次の目的地は土讃線の坪尻駅であり、蒸気機関車が牽引していた当時の名残で、ゆるい傾きのある箇所ゆえにスイッチバックを使って駅が引き込まれているのである。皿鉢料理そのため駅の構えも味わい深いものがあるのだが、この駅には辿り着くことが極めて困難であり、最寄の国道からは坪尻駅までは600mということでこれだけならば何のことは無いが、その600mが道なき道であり、利用者が果たしているのであろうかという素朴な疑問を感じずにはいられないところである。この駅は今となっては単に信号所レベルに扱われており、乗り降りする客の9割以上が鉄道マニアであり、待合室はもっぱら駅寝に使われている。そんな味わい深い駅を後にしてつぎは祖谷温泉を目指す。祖谷温泉の手前には味わい深い小便小僧があり、そこから見下ろす祖谷渓は絶景の一言である。そんな祖谷温泉に向い、楽しすぎるケーブルカーでいざ温泉へ。温泉はぬるめのぬるぬるした気持ちのよいお湯であり、長い間浸かって疲れも吹っ飛ぼうものである。温泉を満喫した後は高知に戻り、本日のお宿にチェックインする。お宿で紹介してもらった郷土料理の店に向かい、旬のうまい魚を頂きつつ、皿鉢を注文する。カツオは今現在は高知では旬ではないが、やはり本場の魚は美味いの一言に尽きる。心行くまで魚と酒を堪能して宿に戻り、飲みなおしてそのまま眠りこける。戻る↑
    7月1日(金)「冷戦の時代」
    トップガン高々20年前まで、アメリカとソ連は敵対関係にあり、2つの大国の間には常に緊張が走っていたのである。お互いの航空技術の推移を集めたシロモノとしてF14とミグ28がしのぎを削っていたりしたのである。本日はトム・クルーズ主演のトップガンが放映されているので観たのであるが、ハリウッドはここまで政府に迎合的なのかと思わせる内容であった。ハリウッドが政治的に利用されていることは昔から知られたことであり、赤狩りが激しかったころには喜劇王チャップリンをしてスイスに亡命させているのである。政治体制は斯くも短い間に変わるということはよくわかったのであるが、いまだに一線級で浮名を流すことに余念の無いトム・クルーズがこのときからひのき舞台に立っていたのかと意外な発見をしたり、飲み屋で絡んでくるいまいちいけてないねえちゃんが実はメグ・ライアンだったりという貴重な発見をした映画であった。ケリー・マクリギスとの濡れ場のシーンでは、この二人はミグ28つながりでお近づきになったわけなので、出来れば「俺のミグ28を味わわせてやる」とか言う下衆なセリフのひとつも欲しかったところである。しかしながら、それでひいひい言わせた日にはミグ28はなかなかの逸品であるということを認めることになるのでそれは不味いということか。戻る↑