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太平洋戦争が終結してもいまだに山林に潜む元日本兵がいたのはよく知られていることであるが、グアム島から横井庄一が「はずかしながら生きながらえて」帰国したのは僕が生まれる前であり、グアムの観光業者が観光用に掘った洞穴を「横井洞穴」と勝手に名前をつけて観光資源としている昨今に、いまだに日本兵が潜んでいるのだろうかと不思議な思いをしたのであった。しかも仲介役を買って出た怪しげなオヤジの存在や、そもそも存在するかどうか全く以って疑わしい「山下財宝の警備」のために潜んでいたなどという理由など、胡散臭さが程よくにじみ出ている。この話がいまだに持ち出されることは、今のご時勢が不安に満ちていることや、いまだに日本が戦争を終わらせているとは思われていないということにつながるのであろう。個人的には水野晴朗が私財を擲ってカルト的な映画と大絶賛を受けている「シベ超」で妄想の元に活躍させている山下大将にお疲れ様といいたいものであり、まああそこまで怪しげなことを若いころしていたのだから、財宝ぐらいあってもおかしくないよなあと間違った認識を植えつけておくことにしよう。戻る↑
大原則は「朝9時までに伊豆半島に潜入せよ」であり、多くの観光地同様に「夜討ち朝駆け」が奨励されるものである。そんなわけで駒門PAで目覚めて沼津で下り、まずは柿田川の湧水群の見学としゃれ込む。柿田川は湧水群が多く見られる長さ1.5kmばかりの短い狩野川の支流であり、滾々と沸くその水は隣に4車線の国道が走っていることを忘れさせるものである。そんな自然を撮影するべく朝から多くのカメラマンが己の技量を試さんと写真撮影に燃えており、朝から何かとにぎやかしい湧水群である。湧水を堪能し次なる目的地である伊豆長岡へと向かう。
困ったときはコンビニでということで、温泉街にあるコンビニで共同浴場の情報を集めたところ、朝9時半までということなのであわてて出かける。ぎりぎり間に合ったのでゆったりと貸しきり状態の共同浴場を満喫していざ出ようとしたら管理人がやってきて、どうやって入ったんだとか暖簾が外されているのに気がつかなかったのかと問い詰められる。どうもその管理人いわく朝風呂は9時までだったということで、だから観光客はだめなんだよとでも言いたげな感じでこちらにぶつくさ言ってくる。コンビニ親父のガセネタのせいにするのは簡単であるが、まあ文句を言っても仕方がないので伊豆長岡を後にしお隣の「伊豆の国」市に向かう。ここで「韮山反射炉」の社会見学をするべく入場料を支払ったところ、隣の土産物屋の親父がガイドを勝手に始め、付き添って話を延々と聞かされる。どうやら江川「先生」が作られたこの反射炉が如何に素晴らしいものかということを話した後にみやげ物で何か買えということであり、半分営業が混じっているのが気がかりであるが、それもまたよしである。
一通り説明を聞いて社会見学を終え、山を越して網代に出る。網代で温泉を満喫して東伊豆を南下し、「怪しい少年少女博物館」を探訪する。入場料が1000円というぼったくり状態であるためこれまで二の足を踏んでいたのであるが、今回は勇気を振り絞って出向いてみた。中身についてはここで紹介すると自分だけ損した気がするので、てめえら金払って見ろやとでもいっておくとして説明は割愛。とりあえず、500円ならば見る価値のあるところであったとだけコメントしておく。そののち大滝温泉の天城荘で「水着を絶対着用してください」などという日本の温泉に真っ向から何かをたたきつける宿に憤慨して入るのをやめ、北上して浄蓮の滝や天城隧道を眺めたりして更に北へと進む。本日の仕舞湯は修善寺の「筥湯」であり、改築前はよかったはずなのに、今となっては何の風情もないつまらぬ浴場に少し残念と思いながら道を進め、本日は道の駅富士川楽座で没する。戻る↑
八甲田山といえば、これまで二度ほどお邪魔したことがある味わい深い山である。二度とも酸ヶ湯を利用したというとこらへんに何か言いたげなものを感じるが、それはさておき八甲田山の麓の傘松峠はゴールデンウイークの開通時には道路の双璧に5メートルを超える雪の壁が出没するというからその雪深さがわかろうものである。トレーニングと称して耐寒ハイキングをするという酔狂な軍隊がフィリピンで後に展開する「バターン死の行進」と並び称される死の行軍をしたことは有名である。その記念館があったりするから味わい深いことこの上なしであり、この記念館はこのような馬鹿なことを二度とやらないでおきましょうという戒めの目的で作ったはずなのに、先日チリの陸軍がアンデス山中で同じようなことをやったようである。向こうはなんせ南米大陸の背骨でやらかしたため、寒さも半端じゃないし助けを求めるのも一苦労である。軍隊で鍛えること自体は悪くないが、このような犠牲者が出てしまっては何の利益も生まぬものである。軍隊の存在理由は抑止力であり、この軍隊が役に立つことがないまま時がすぎればそれほど結構なことがないものである。戻る↑
小腹が空いたので本日は昼飯として奥志賀高原にあるグランフェニックスの海鮮固焼きそばでも食すべしと奥志賀高原へと進む。車でゆったりと熊の湯から奥志賀高原まで走れば30分はかかる。この行程をリフトの乗り継ぎとシャトルバスで移動して1往復するのが志賀高原のスキーの醍醐味なのであるが、なかなかそのようなスキーが出来るとは夏場は思えないほどこの地は広大である。奥志賀高原はさびしくスキー場が閉鎖され、目的地の固焼きそばもなく、あきらめて野沢温泉にでも行こうかと経路を変更するべく奥志賀林道を進む。しかしながらあきらめの悪い我々の前に、秋山林道が開通していたのはまさしくいたずらとも言うべきであったのであろう。気がつけば秋山郷経由で和山温泉に向い、鳥甲山を遠景にした素晴らしい露天風呂を満喫したのであった。その後車を十日町に進めてひさびさにへぎそばを食し、春の山菜の天ぷらは美味いねえと感動して六日町から帰宅。途中関越トンネルの手前で事故により抑止されるが、割とすぐに解除されて無事伊勢崎まで帰宅。そのあとは国道50号をひた走り無事帰宅。久しぶりに味わい深い旅行であった。戻る↑

どうも高速に乗るまでかなりの距離を走るということを好むと好まざるにかかわらず定着させようとしてる気がしないでもない。さてそんな思いを胸に伊勢崎より高崎に抜け、高崎からは横川までのんびりと一般国道18号を利用する。横川で釜めしを買い、鉄道文化村で峠のシェルパの運転台に座ったり、レンガ造りの眼鏡橋やトンネルをひた歩き、熊の平信号所跡なんかでおぎのやの釜めしなんかを食し、碓氷峠を越えて軽井沢へ。新幹線の開通に伴い出来たであろう必要以上に都会の喧騒漂う軽井沢駅の南に広がるショッピングモールは東京人の間違いなく何かを勘違いしているリゾートの成れの果てであり、この不思議な文化を受け入れるほどの度量が自分には備わっていないことを実感する。このような文化には用がないとして豊かなる佐久平、上田平を一望できる農道をひた走ると、そこにはなぜかベンツを売っている道の駅があったりと味わい深い信濃路の旅は続く。渋沢温泉という味わい深い温泉につかって蕎麦を注文し、真田の町で食材を買い込み、いざ本日のお宿である嬬恋を目指す。嬬恋は高原の清涼な地であり、お宿はホテルがゴルフ場を併設しているというよりはゴルフ場の中にホテルがあるという立地であり、山間の地に宿泊したにもかかわらず、周りがすべて人工の自然の代表格ゴルフコースという不思議なところであった。一応お宿のウリは「温泉」であるということで、気持ちよく入浴することとした。露天は素晴らしい景色が広がり、ゴルフコースに向かって全裸で立ちはだかれば気分は爽快である。しかしながら循環風呂にして塩素の匂いが漂うところにこのホテルの限界を感じ、美味い酒を飲みつつ涼しい高原の夜は過ぎていった。戻る↑
オリンピックやワールドカップ、万博を招致することは発展途中にある国家にとってひとつのマイルストーンである。世界中に注目され、凄まじいまでのインフラが必要とされるため、そのイベントを実施できる国家の体力を披露する絶好の機会であり、成功に向けて国家が一丸となり発気揚々となろうものである。本日はそんな40年前のプロジェクトを適当に紹介するプロジェクトXなんかを眺めつつ夜は過ぎて行く。世界初のユニットバスだとか、図面もなしに基礎工事を始めるとか、鳶に24時間勤務を強いるなどという突貫工事をするゼネコンの逞しさはいうまでもなく秀逸であり、それに異論を挟む気は更々ないが、御施主さまも御施主さまである。いきなり最上階に回転レストランを作れとはこれまた驚きである。冷静に考えれば力学的にあのようなシロモノを最上階に新たに設えるには基礎工事によほどの余裕がなければ出来ないわけであり、最初からそれを見越して頑丈な基礎工事をやり、御施主様を唆してあのようなゴージャスなシロモノを追加させて建築費を水増しさせようとしていたのではなかろうかと疑いたくもなる。しかも戦艦大和の大砲のころを造っていたという技術を今に伝える会社を知っていたからこそあのような芸当は出来るわけであり、すべてが誰かの必要以上の思惑によって動かされているようなそんな気がしたのは穿ちすぎだろうか。戻る↑
本日も近場めぐりでいろいろと出かけてみることとした。地元の神様に敬意を表するのは新参者の勤めであり、鯰をうまいうまいと食しているため、要石の揺らぎも気になるところである。鹿島神宮は武芸の神様ということで怪しげな宝物館があったりもするのだが、本日は何かよくわからないコンサートが催されているため、境内には所狭しとパイプいすが並べられており、普段とは勝手が些か違うように思われる。パイプいすがびっしり敷き詰められた境内を横切ってまでその怪しげな館に立ち寄る気力が起こらなかったためその奥のほうへと進む。途中神様の使いである鹿が飼われていたりしてなかなかに味わい深いが、自然の森林がずいぶんと昔にガッツリと神聖なる土地として囲い込まれそのままの姿を今に伝える神宮の森は歴史の長さを感じさせてくれるものである。昨日の武家の館というイメージも歴史を感じるが、街中にある神社が太古の姿を今に伝えることにも時の流れを感じるものである。心行くまで神宮の森でフィトンチットを満喫し、帰りに鯰と鯉を食して帰宅。戻る↑
本日は北関東の歴史探索に出向く。本日の目的地は足利にある「字が読めない寺」である。北関東の大動脈である一般国道50号は栃木県内はすべて4車線道路とあって、この流れは街中でバイパスに必要以上に店が集中している小山付近を除けば素晴らしいまでの流れである。そんな道をひた走り、まずは腹ごしらえと佐野ラーメンお店である岡崎麺に出向く。さほどの混雑もなく、行列の出来るほどの店ではないのかと思っていたらさにあらずで、ラーメンを食している間に行列が出来てゆき、要するにタイミングが絶妙であったということを理解する。さて、ラーメンと餃子は見事なまでの味であり、なるほど確かにこの店ならば皆が騒ぐはずだと気分をよくしいざ目的地へと車を進める。さて目的地足利に近づくにつれて、日本一の足利3名所などという意味不明な言葉が使われる看板をこれでもかとばかりに見かける。しかも3名所の割には4箇所も紹介しているのでまったくもって不明である。本日の目的地である「字が読めない寺」はその「3」名所のひとつである鑁阿寺(ばんなじ)であり、鎌倉時代にこの寺はすでにあったというから歴史がほんのりと感じられる。
京都に住んでいた人間にとって、寺院仏閣は貴族のものであり、武将のものでなかったため何か違和感を感じたのであるが、なかなかのたたずまいと敷地の広大さに関東武士の勢力を思い起こさせるものがあった。ちなみに寺の山門を普通に車で通り抜けて境内に車を止めるなどという大胆不敵なことを要求されたのはさすがは武士の寺というものなのであろうか。その後となりに鎮座する足利学校に入ろうとしたところ、本来であれば授業料も入学金も必要ないくせに見物料だけはしっかりとるというせこさに困ったものだわいと文句を言いつつ中に入る。足利学校がどうすごいのかは理解できぬまま、本日は足利に来たからにはということで、街の中心にある「渡良瀬橋」に出向く。橋には森高千里と松浦亜弥の対して必要以上に情熱を迸らせている人々の熱いかきなぐりがなされており、なんだか浮かばれないものが感じ取れたが夕暮れ迫る渡良瀬橋とはこれまた一幅の絵であることは事実であった。そののち自宅に帰り友人と宴会をしてそのまま没する。真夜中に友人の奥さんがドリームつくばで帰ってきたので、眠い目を擦ってセンターまで迎えに行き、そのまま眠る。戻る↑
北海道には不思議な食文化があり、日本でなぜここまで特異的に羊が消費されるのであろうかと疑問が沸きあがるのは本州にいるからである。サッポロビール園に立てば、そんな疑問は「なぜ内地の人間はこんな美味いものを食わぬのだ」に摩り替わることは必定である。北海道から帰ってきた友人が「使い捨てジンギスカン鍋」を入手したというので、近所のハナマサで羊肉を購入し、本日は楽しくジンギスカンパーティーとなった。ちなみにビールはサッポロクラシックであったことはいうまでもない。ジンギスカン鍋に舌鼓を打ち、来月行くであろう試される北の大地に思いを馳せつつ本日は終了。ちなみに使い捨てジンギスカン鍋はあと8枚あるので、近いうちにまた宴会が実施されるものと考えられる。戻る↑
原子力が「第三の火」と呼ばれたのはいつのことであったか定かではない。人類は科学の進歩とともに、これまでは夢物語であったことを少しずつ着実に実現してきた。思えば化石燃料に頼っていた人類のエネルギー需要は気がつけば巧みな変遷をたどり、いまや難解な技術を使う原子力が発電では最もコストパフォーマンスが優れているというから素晴らしいものである。しかしながら、人類が発明した技術はフォローアップが伴わないまま見切り発車したものもあり、原子力はその廃棄物の処理法についていまだに原始的な戦略以外は取られていない。電力事情が極めて貧困なほんのり北の国は、人類の発明したこの発電システムを利用しているのであろうか、その廃棄物がずいぶんとたっぷり溜まったようである。おそらくものを大切にする国家なのだろうと勝手に判断すれば、廃品利用としてやはりミサイルに詰め込んだりしていろんな意味でバランスを保とうとしているのであろうと考えられなくもない。核兵器をもつことは、それに見合う抑止力を構成するそれ以外の軍備よりも遥かにコストがかからないことは事実であり、経済的に貧困な国家が手を出すのはある意味理解できるものがあるがこれは「貧すれば鈍」を地で行ってるように感じられる。しかしながら、マンハッタン計画で核爆弾を大都市に落とした場合にどうなるかという貴重な実験を60年前に2回だけ実施したというのに、それ以降その研究は凍結されたままになっているという現実から鑑みれば、そのような抑止力を持つこと自体が喜ばしいものではないということは事実である。日本のように必要以上に核アレルギーを発症するのもどうかとは思うのだが、その金があったら人民を首領様クラスまで太らせる必要はなくとも餓死することからは防げるような気がする今日この頃。戻る↑
秋葉原には「メイド喫茶」という不思議な飲食店があり、「いらっしゃいませ」の代わりに「ご主人様お帰りなさいませ」と言ってくれるんだそうである。もちろん「ありがとうございました」ではなく「いってらっしゃいませ」といわれるのは言うまでもない。このような形態の飲食店は需要があるがゆえに作られているが、その需要の程は不明である。束の間の別世界を堪能することは至って正常な精神の表れであり、この店に出向いた人を変質者と呼ぶことは大変問題がある。非日常的な体験をすることによりリラックスするというのは当然のことであり、これは法律に触れることのない限りは個人の自由である。さて、「ご主人様」と呼ぶことの本質は「ご主人様」に対する思いやりであり、まちがっても「ご主人様」が呼ばせている相手を支配していることを明確にさせているわけではない。むしろその逆で、「ご主人様」は呼ばせている相手に精神的には支配されているのである。本来はそのように「ご主人様」と呼ばれることで相手に支配されて心地よさを感じるところに喜びを見出すべきである。今回の事件は、そのような奥深い精神的なつながりを理解できないくせに相手に「ご主人様」と呼ばせて首輪をつけるという狼藉を働いているためどうも救いようがない。戻る↑
日本で現在「この前の戦争」と言えば、依怙地な京都人を除いて第二次世界大戦のことを意味すると考えられる。ちなみに依怙地な京都人は「応仁の乱」と答えるのであるが、まあそれはどうでもいいことである。その「この前の戦争」が終わって今年で60年を迎える。連合国軍と枢軸国軍の全面戦争で、史上最悪の死傷者を出した戦争は連合国の勝利に終わり、その連合国はいまもニューヨークで最も治安の悪いところにその旗を翻して今もなお健在である。連合国の勝利60周年を祝う式典が本日行われ、敗戦国である日本とドイツも招かれた。ちなみにイタリアも敗戦国じゃねえのかという指摘があろうものだが、実はイタリアは戦勝国である。いち早く降伏した後、改めて連合国として参戦したというラテン民族ぶりを発揮したことはあまり知られていないことであるが事実である。さて、この連合国=United Nation=国際連合であるが、この連合国に敗戦国である日本が加入を認められたのは1956年であり、それから今までは「金は出すけど口は出せない」という拠出金をたんまりと出すけどなんら権限が与えられないというただの気前のいいお旦と言うかカモであった。しかしながら日本はドイツやインドやブラジルと常任理事国入りを目指しており、これから先に新しい国際連合を作るのだと言う意気込みに燃えている。歴史は思い返すと信じられないほどにまで破天荒であり、昨日の敵は今日の友というか敵と書いて友と呼ぶというか、人はこれまでのお互いの不幸な歴史を認め、そして節操なく明るい未来を構築することに余念がない生き物である。歴史の節目にそんなことを考えてみた。戻る↑
休みが一日だけということで、近場に出かけて何かを満喫しようという計画を立て、宇都宮に餃子でも食いにいくかと自宅を出る。本日はパーク&ライドを行うべく、ひたすら車を西に走らせて栗橋に到着し、駅前のパーキングに車を止めていざJRで宇都宮を目指す。途中小金井で20分以上待たされるなどという恐るべき体験をし、都心から高々100kmの地宇都宮へのアクセスの悪さに愕然とする。関西人にとってはこの交通の便の悪さは信じられぬものがあるが、交通が不便だと思うのも関西のJRが凄まじいまでの私鉄との戦いの末にスピードと本数を充実させたからに他ならない。そんなこんなで宇都宮に到着し、駅前にある欲望の塊であるヨドバシカメラに出かける。
気がつけばタムロンのレンズを買っていたりするのだがそれはいいことにしよう。本日は餃子でも食うべしという目的でとりあえずはみんみんと正嗣に出向いてみるが、ご覧のとおりの行列振りにがっかりする。行列が美味さを引き立たせる調味料となってはいけないのであるという持論があるがゆえにこのような店はこちらからお断りと勝手に見切りをつけ、そのほかの店を三軒はしごし、〆に諦め切れずみんみんで焼1水1としゃれ込む。一番最後で、腹はほぼテンパッているというのにこれまでのどの店よりも美味いという自分の中の評価からみんみんの偉大さを感じ取り満足して帰途に着く。帰りは東武で帰るべしとJRの駅前から100円バスで東武宇都宮まで移動し、駅がどこにあるのかわからないので東武百貨店で聞いてみたところ「駅は三階」というわけのわからないことを言われてしまった。とりあえずだまされたと思って三階に行ってみれば確かにフロアの向こうには駅があり、ここまで訳のわからない展開ぶりには感動することしきりであった。そののち栗橋で車を拾って無事帰宅。本日栗橋に車を置いた理由はこのようは訳のわからないイベントが可能であるということと、行き帰りどちらかで東武を使うことにより、姑息に群馬県に足を踏み入れるためであったという事は内緒にしてもらいたい。戻る↑

思えば、つくばへの異動に伴い、未走国道が自宅の周りに大量にあったのである。事の本質を見失ってはいけないのは言うまでもないことであり、本日は初心に戻り国道を走破することとした。まずは自宅より真岡を目指し、駅舎が蒸気機関車をデフォルメしたという真岡鐵道の真岡駅を目指す。なかなか味わい深い駅舎を見て次なる目的地である茂木を目指す。道の駅で地元産のとちおとめなんかを購入し、氏家を経由して馬頭温泉へと向かう。馬頭温泉で久しぶりに温泉につかりまったりとしたあと、水戸から高速で帰宅する。本日の行程を詳細に書くとわけがわからないということになるのだが、自宅の近所の道をしっかりと塗りつぶすことが出来たため満足できる一日であった。ええ感じで疲れたのだが、明日から無事社会復帰できるのか知らんと要らぬ心配をしてみる。戻る↑
朝早く実家を出て帰宅の途につく。寝る前にチェックインを済ませていたので、自動チェックイン機にはカードをかざすだけで切符が出てくるという不思議な仕掛けがあり、そんなこんなで切符をゲットする。本日は朝飯が食いたいとかまったりと2度寝をしてみたいという目的もあってスーパーシートなる席を利用してみることとした。ちなみに成田便を選択しており、成田便は国際線用の機材を利用するため、本日のスーパーシートは国際線ファーストクラスである。通された席はコクーニングされており、足を伸ばして寝返りが打てるという素晴らしい限りの席である。しかも上着は保管してもらえるし、朝飯は出てくるしとまあ至れり尽くせりである。お写真お撮りいたしましょうか等という不思議なサービスもあったのだが、生憎自分を被写体にするほどの度胸はなく、まったりと朝飯を食し無事成田に着陸する。駐車場までの送迎バスに乗るべく外に出向いたところ、この休みにサーフィンをしに外国に出向いた団体とかち合い、サーフボード様に座席を占拠され、なぜか誰かのトランクの上に座って駐車場まで出向くという不思議な体験をする。そんなこんなで駐車場に到着し、久しぶりの自宅へと昼過ぎに到着。帰宅していろいろと片付け物などをして本日は終了。ちなみに自宅にはなぜか全日空のスリッパがあるのだが、あまり気にしないでおこう。戻る↑

休みも中盤戦に差し掛かり、ゆっくりと朝起きて新聞などを眺める。三面記事の片隅にある囲み記事に藤が満開という子安地蔵寺のことが掲載されていた。南国和歌山なので今の時期にすでに藤が満開ということである。これは出かけなければなりませんと勝手に決め込み、これだけだと詰まらんということで更にインターネット上で検索を行い、これまた和歌山にある養翠園という庭園でアヤメが満開と情報をつかみ、この二つを組み合わせて本日は花見としゃれ込むこととした。本日は連休の中日であり、暦の上では平日であるため宮仕えをする御仁も多く、予想通りに道は空いていた。和歌山へ向う最中に紀ノ川SAで梅御前茶漬なるものを食し、腹ごしらえを済ませてまずは養翠園である。養翠園は海水を引き入れた池が広がり、その周りに松が植えられた庭園であり、紀州第十代藩主徳川治宝(はるとみ)が水軒御用地に造営したものである。入り口にあるあやめ池で今が満開のアヤメを眺め、心行くまで撮影に興じる。
本日は平日ということもあってか客が少なく、熱くカメラを握り締めて芸術活動に没頭する初老の御仁が結構おられたのが印象的であった。この庭園は十年ばかし前の大河ドラマ「徳川吉宗(≠暴れん坊将軍マツケン)」の撮影現場であったが、冷静に考えれば徳川吉宗は紀州第五代藩主であり、吉宗がここにいることはありえないのであると思われるのであるが、少々細かいことはどうでもええということであろう。庭園を心行くまで堪能するうちに差込みに襲われて気もそぞろに園内の厠で休憩するが、庭園の歴史を感じさせるべくここは自然落下式汲み取りであった。養翠園が水軒御用地にあるということで、そこから少し行ったところにあるかつての水軒駅をたずねてみるも、すでに駅舎は跡形も無く、錆付いた線路だけがそこに残されているのみであった。時の流れを実感しつつ、いざ次の目的地子安地蔵寺を目指す。山の中にあるひっそりした寺であるが、西国花の寺にノミネートされているだけあって見事なまでに花が咲き乱れている。今の時期は藤がまさしく満開であり、藤棚が全く見えないぐらいまでに咲き誇り、いわゆる藤色以外の薄紅色の藤もあり、なんとも味わい深いものであった。ここでも芸術活動に勤しむ御仁は大量におり、境内はさながら大撮影大会となっていた。ご多聞に漏れずこちらも撮影に励むのであったが、これならばなぜ一眼レフをもってこなかったのであろうかと悔やんでも悔やみきれぬものがあったのはこれまた事実である。花を満喫して本日は帰宅する。久しぶりに温泉抜きで長距離ドライブをしたような気がする。戻る↑