2005年5月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 5月31日(火)「戦後60年の亡霊」
  • 5月30日(月)「携帯電話復活」
  • 5月29日)「シュワシュワの炭酸泉」
  • 5月28日)「伊豆の温泉めぐり」
  • 5月27日(金)「株主優待」
  • 5月26日(木)「クールビズ」
  • 5月25日(水)「自動車重量税」
  • 5月24日(火)「信号故障」
  • 5月23日(月)「八甲田山」
  • 5月22日)「万座温泉」
  • 5月21日)「おぎのやの釜めし」
  • 5月20日(金)「沖ノ鳥島」
  • 5月19日(木)「誇り高き男」
  • 5月18日(水)「お休み取っていろいろと」
  • 5月17日(火)「日本の技術の底力」
  • 5月16日(月)「食料自給率」
  • 5月15日)「鹿島神宮」
  • 5月14日)「関東の歴史探索」
  • 5月13日(金)「ジンギスカン鍋」
  • 5月12日(木)「核燃料棒」
  • 5月11日(水)「ご主人様」
  • 5月10日(火)「傭兵」
  • 5月9日(月)「まもなく60年」
  • 5月8日)「宇都宮を満喫」
  • 5月7日)「ミスリード」
  • 5月6日(金)「社会復帰」
  • 5月5日)「近場をうろつく」
  • 5月4日)「快適な帰宅」
  • 5月3日)「ETC取り付け」
  • 5月2日(月)「初夏の花見」
  • 5月1日)「恢復する日々」


  • 今月の日記
    5月31日(火)「戦後60年の亡霊」
    山下奉文陸軍大将(違)太平洋戦争が終結してもいまだに山林に潜む元日本兵がいたのはよく知られていることであるが、グアム島から横井庄一が「はずかしながら生きながらえて」帰国したのは僕が生まれる前であり、グアムの観光業者が観光用に掘った洞穴を「横井洞穴」と勝手に名前をつけて観光資源としている昨今に、いまだに日本兵が潜んでいるのだろうかと不思議な思いをしたのであった。しかも仲介役を買って出た怪しげなオヤジの存在や、そもそも存在するかどうか全く以って疑わしい「山下財宝の警備」のために潜んでいたなどという理由など、胡散臭さが程よくにじみ出ている。この話がいまだに持ち出されることは、今のご時勢が不安に満ちていることや、いまだに日本が戦争を終わらせているとは思われていないということにつながるのであろう。個人的には水野晴朗が私財を擲ってカルト的な映画と大絶賛を受けている「シベ超」で妄想の元に活躍させている山下大将にお疲れ様といいたいものであり、まああそこまで怪しげなことを若いころしていたのだから、財宝ぐらいあってもおかしくないよなあと間違った認識を植えつけておくことにしよう。戻る↑
    5月30日(月)「携帯電話復活」
    実は意外なことであるが、この1週間はauの携帯電話をもたぬままであった。有体に言えば、真田の渋沢温泉に忘れてきており、それに気がついたのが翌日の熊の湯あたりであった。当初は嬬恋のホテルに忘れたのではないかと考えていたので連絡したが見つからず、可能性があるところはということで渋沢温泉にあることがわかったのが十日町のへぎそばを食している場面であったというからなかなか大変なものであった。それから数日たって代金受取人払いでクロネコヤマトが持ってきたのであるが、不在通知を入れられたのが金曜日であり、本日ようやく受け取ることが出来たのである。携帯電話をもう一台持っているためそれほど困ったことはないし、自宅に電話があるし、昼間は連絡がつくところにいるし、ということからあまり気にならなかったのは事実である。今のところ僕の携帯電話では電話とメールとWEBしか出来ないのでそれほど困らなかったのかもしれないが、今後更に携帯電話で「おさいふ携帯」を導入したり、2次元バーコードでチケット代わりに使ったりするとなれば少し殺伐としてくるのかもしれない。携帯電話ですべてを済ませることが出来るのはいい事かもしれないが、それにより携帯電話をなくしたときの衝撃は計り知れぬものがある。戻る↑
    5月29日)「シュワシュワの炭酸泉」
    昨日に引き続き、本日も珠玉の温泉めぐりを始める。まずは新富士で友人を出迎え、一路下部温泉を目指す。富士山の麓をひた走り、本栖湖経由で到着した下部温泉は温泉街としては古びており、最近数多くの温泉街でやっている日帰り入浴の体制が侭ならぬやる気が感じられないところであった。ここでは日帰り施設である源泉館別館神泉に入り、源泉そのままの冷たい温泉を堪能する。湯治場の雰囲気を今に伝えるこの温泉は混浴であった。いまいちいけてない下部温泉を後にして次は芦安にある桃の木温泉を目指す。南アルプスに程近いところにあるため誰の許しを得て名乗っているか定かでない「南アルプス市」にあるようで、その不思議な名前とこの味わい深い温泉のミスマッチを味わいながらほのかな硫黄臭のある温泉を満喫する。地元の老人会がこの温泉に訪れており、ひなびた温泉に似つかわしくない喧騒振りであった。次に韮崎にある韮崎旭温泉に出かける。ここは友人に言われるまで全くノーマークだったのだが、行ってみて驚きであった。シュワシュワの炭酸泉が延々とかけ流しされ、余計な設備を作ったりせず、廉価でこの素晴らしい温泉が供給されているというシステムがまことに素晴らしいものであった。温泉を心行くまで満喫して甲府市内へと向い、山梨といえば、ということで昼飯にほうとうを食する。そののちはやぶさ温泉を利用して川浦温泉の山県館へ向かう。山県館は混浴露天風呂が売り物であったのだが、温泉マニアの講釈好きといういけ好かない御仁が先客として陣取っており、温泉素人の夫婦に頼まれもしないのにレクチャーをしていたのがウザったく、しかも隣の浴槽には怪しげな雰囲気を醸し出す男性の集団があったため、さっさと上がり内湯を満喫する。どうもいい温泉であることには間違いがないが、客層が必ずしもいいとは限らないようである。そののち雁坂トンネルを越えて小山のみんみんで餃子を食って帰宅。なかなか週末でたっぷりと温泉を満喫したのであるが、昨今のつまらぬブームでそれなりの設備を備えた温泉旅館はどこも痛し痒しであることを実感し、これだけたくさん入ってもよかったなあと思える温泉がそれほど多くなかったというのは贅沢なのか実際につまらなくなったのかどちらなんだろうかと思案するものであった。戻る↑
    5月28日)「伊豆の温泉めぐり」
    柿田川湧水大原則は「朝9時までに伊豆半島に潜入せよ」であり、多くの観光地同様に「夜討ち朝駆け」が奨励されるものである。そんなわけで駒門PAで目覚めて沼津で下り、まずは柿田川の湧水群の見学としゃれ込む。柿田川は湧水群が多く見られる長さ1.5kmばかりの短い狩野川の支流であり、滾々と沸くその水は隣に4車線の国道が走っていることを忘れさせるものである。そんな自然を撮影するべく朝から多くのカメラマンが己の技量を試さんと写真撮影に燃えており、朝から何かとにぎやかしい湧水群である。湧水を堪能し次なる目的地である伊豆長岡へと向かう。韮山反射炉困ったときはコンビニでということで、温泉街にあるコンビニで共同浴場の情報を集めたところ、朝9時半までということなのであわてて出かける。ぎりぎり間に合ったのでゆったりと貸しきり状態の共同浴場を満喫していざ出ようとしたら管理人がやってきて、どうやって入ったんだとか暖簾が外されているのに気がつかなかったのかと問い詰められる。どうもその管理人いわく朝風呂は9時までだったということで、だから観光客はだめなんだよとでも言いたげな感じでこちらにぶつくさ言ってくる。コンビニ親父のガセネタのせいにするのは簡単であるが、まあ文句を言っても仕方がないので伊豆長岡を後にしお隣の「伊豆の国」市に向かう。ここで「韮山反射炉」の社会見学をするべく入場料を支払ったところ、隣の土産物屋の親父がガイドを勝手に始め、付き添って話を延々と聞かされる。どうやら江川「先生」が作られたこの反射炉が如何に素晴らしいものかということを話した後にみやげ物で何か買えということであり、半分営業が混じっているのが気がかりであるが、それもまたよしである。浄蓮の滝&天城越え歌碑一通り説明を聞いて社会見学を終え、山を越して網代に出る。網代で温泉を満喫して東伊豆を南下し、「怪しい少年少女博物館」を探訪する。入場料が1000円というぼったくり状態であるためこれまで二の足を踏んでいたのであるが、今回は勇気を振り絞って出向いてみた。中身についてはここで紹介すると自分だけ損した気がするので、てめえら金払って見ろやとでもいっておくとして説明は割愛。とりあえず、500円ならば見る価値のあるところであったとだけコメントしておく。そののち大滝温泉の天城荘で「水着を絶対着用してください」などという日本の温泉に真っ向から何かをたたきつける宿に憤慨して入るのをやめ、北上して浄蓮の滝や天城隧道を眺めたりして更に北へと進む。本日の仕舞湯は修善寺の「筥湯」であり、改築前はよかったはずなのに、今となっては何の風情もないつまらぬ浴場に少し残念と思いながら道を進め、本日は道の駅富士川楽座で没する。戻る↑
    5月27日(金)「株主優待」
    先日の特異日を終え、自宅宛にぼつぼつと決議書だの利益配当金支払通知書だのが届く。今回の注目は、配当利回りがぼちぼちにして、株主優待がたっぷりいただけるという地元に密着している某スーパーマーケットであり、本日無事到着した。株主さまどうぞお納めくださいませということでありがたく頂いておくとするか、でもそんなに買い物しないから使う機会がないかもねえと思っていたのだが、なんだか必要以上に株主優待券が使える店が多く、割と得をした感じがする。ちなみにこの会社の株主優待は常識の程をかなり逸脱しており、1株持っていればその株価よりも遥かに高額の割引を受けることが出来るのである。こんなことを聞きつけて某ネット証券で999株売り抜けたという奇特な友人もいるが、そこまであからさまにあくどい事をしなくてもいいのにねえと思ってしまう。ちなみに日本の空を支配する青組と赤組は相変わらず株主を大事にする姿勢に格段の差があり、青組の優待ぶりに感動するが、実は青組がごく普通の株主優待のグレードであり、赤組がしみったれているのは明らかなようである。戻る↑
    5月26日(木)「クールビズ」
    地球温暖化という不思議なプロジェクトに人類は皆消極的に参加している。中には積極的なやつもいるが、それを認めると今のご時勢非国民街道まっしぐらである。夏になってもスーツとネクタイを着用するという風習がいつ定着したのかは不明であるが、そのおかげで夏場にがんがんクーラーをかけ、そのせいで地球があったまるという算段なのである。これに歯止めをかけるべく、お上はスーツとネクタイを着用しないで仕事をするというクールビズを利用することを高らかに宣言した。カジュアルフライデーだの何だのという戦略が奏功してなし崩しに今の状況を招いたのかは不明だが、別にいまさらネクタイを締めないと許されない職場などかなり少ないように思われる。出来ればネクタイ屋の営業さんが「いやあ、私もクールビズで」とか紳士服のコナカの店員がクールビズだったりするのはブラックすぎるだろうか。ちなみに僕の職種は研究職なので、スーツを着るのは出張ぐらいであり、出張のときにクールビズというのはいまだに試していない。首周りの涼しい服装で過ごしている人間にはクールビズの開放感はわかりえないものなのであろうか。戻る↑
    5月25日(水)「自動車重量税」
    今月は自動車重量税を納付する月間である。周りの友人いわく「年貢の納め時」なのであるが、我がうえぺけ号は昨年は地球に優しい車ということで年貢が半減されたのであった。しかしながらその優待は一年ポッキリであり、今年はごく普通の額を納付することとなった。こちらに来て友人が「会社の休み時間に気合入れて銀行行かないと自動車税が払えない」と宣っていたので、僕の納付書を見るとコンビニで納付できるということであった。ということでその友人に「コンビにでも出来るよ」と親切に説明し、僕はわざわざEdyで自動車税を納付したのであった。公共料金がサンクスで支払うことが出来、しかもサンクスがEdyを使えるとあっては、これを利用してしっかりとマイルを稼ぐのが正しい姿である。しかしながら友人いわく自分の納付書にはそんなことは書いてないという。よくよくいろいろと情報を調べると、自動車重量税は各都道府県ごとに納付のルールは違うようで、京都ではこんなことが出来たが茨城ではできないということであった。このことを聞いて、当分の間車のプレートナンバーは京都のままにしておこうと決めたのであった。戻る↑
    5月24日(火)「信号故障」
    現在のJRの信号システムはコンピュータの制御なしではそれを行うことは不可能であり、人員を配置してどうこうできるような単純なものでもないし、神のような職人が裁くにはやることが多すぎて裁くことなど到底おぼつかない。それゆえ何らかの理由で信号が故障すればすべてのトラフィックは止まってしまうのである。現在の科学技術はその進歩が凄まじく、かつては人間の代わりに機械に任せていたが、今となっては機械以外にはそのことができないという技術がほとんどである。こういう故障の場面に出会うことはあまり嬉しいものではないのだが、こればかりは仕方がない。できれば「何月何日に故障するのでお気をつけください」とかいう案内を流してくれたりするとうれしいものだが。しかし故障の案内ぐらいならかわいいけれど、「何月何日に原発がメルトダウンを起こします」といわれたら嫌なものである、と勝手なことを考えつつ、同じ首都圏の遥かかなたにある横浜駅構内の信号故障のニュースを聞きつつ、電車というものと全く縁のない20万都市つくばで本日も車通勤をしていたのであった。負け惜しみではないのであしからず。戻る↑
    5月23日(月)「八甲田山」
    八甲田山(イメージ)八甲田山といえば、これまで二度ほどお邪魔したことがある味わい深い山である。二度とも酸ヶ湯を利用したというとこらへんに何か言いたげなものを感じるが、それはさておき八甲田山の麓の傘松峠はゴールデンウイークの開通時には道路の双璧に5メートルを超える雪の壁が出没するというからその雪深さがわかろうものである。トレーニングと称して耐寒ハイキングをするという酔狂な軍隊がフィリピンで後に展開する「バターン死の行進」と並び称される死の行軍をしたことは有名である。その記念館があったりするから味わい深いことこの上なしであり、この記念館はこのような馬鹿なことを二度とやらないでおきましょうという戒めの目的で作ったはずなのに、先日チリの陸軍がアンデス山中で同じようなことをやったようである。向こうはなんせ南米大陸の背骨でやらかしたため、寒さも半端じゃないし助けを求めるのも一苦労である。軍隊で鍛えること自体は悪くないが、このような犠牲者が出てしまっては何の利益も生まぬものである。軍隊の存在理由は抑止力であり、この軍隊が役に立つことがないまま時がすぎればそれほど結構なことがないものである。戻る↑
    5月22日)「万座温泉」
    嬬恋を出て本日は万座へと向かう。万座にはこれまで立ち寄ったことがなく、この素晴らしき高原の温泉地帯にこのたび初めて足を踏み入れ、その素晴らしき温泉に感動する。高原にあるが故に露天風呂の涼しさは最高であり、長湯がいくらでも出来そうなものである。しかしながら万座の湯は肌触りは最高であるが後でしっかり湯あたりが来るという硫黄泉であるため入浴中に屁をこいでもばれないというメリットがあるが、長湯は禁物である。そんな素晴らしい温泉を満喫し、いざ次なる温泉地熊の湯を目指す。渋峠近辺はごく普通に路肩に雪が残っており、なぜかスキー場はいまだにリフトが営業しているのであった。そんなスキー場を横目に本日の次なる目的地熊の湯温泉でエメラルド色の湯を満喫し、この世の極楽じゃといい気分である。鳥甲山と中津川@和山温泉小腹が空いたので本日は昼飯として奥志賀高原にあるグランフェニックスの海鮮固焼きそばでも食すべしと奥志賀高原へと進む。車でゆったりと熊の湯から奥志賀高原まで走れば30分はかかる。この行程をリフトの乗り継ぎとシャトルバスで移動して1往復するのが志賀高原のスキーの醍醐味なのであるが、なかなかそのようなスキーが出来るとは夏場は思えないほどこの地は広大である。奥志賀高原はさびしくスキー場が閉鎖され、目的地の固焼きそばもなく、あきらめて野沢温泉にでも行こうかと経路を変更するべく奥志賀林道を進む。しかしながらあきらめの悪い我々の前に、秋山林道が開通していたのはまさしくいたずらとも言うべきであったのであろう。気がつけば秋山郷経由で和山温泉に向い、鳥甲山を遠景にした素晴らしい露天風呂を満喫したのであった。その後車を十日町に進めてひさびさにへぎそばを食し、春の山菜の天ぷらは美味いねえと感動して六日町から帰宅。途中関越トンネルの手前で事故により抑止されるが、割とすぐに解除されて無事伊勢崎まで帰宅。そのあとは国道50号をひた走り無事帰宅。久しぶりに味わい深い旅行であった。戻る↑
    5月21日)「おぎのやの釜めし」
    本日は早朝より出発し、春まだ浅い信濃路へと旅を開始する。信濃路へのアクセスは一般的には高速道路を用いることが多く、いったん南下してから北上するという割と無駄な経路をとられることが多い。しかしながら痩せても枯れても道を走ることに喜びを見出す人間にとって、つくばより最短経路で高速道路にたどり着くためにはどうするかということを真剣に考え、100キロ以上向こうにある伊勢崎インターを目指すのが最適解であることに気がつくのにさほどの時間はかからぬものである。北関東を横断する一般国道50号は素晴らしき道であり、これがある故に苦労は感じない。しかしながらこの距離についてふと頭をよぎることは、京都に住んでいたときも最寄のインターとして滝野社と壬生野と敦賀が選ばれていたことである。鉄道文化村「峠のシェルパ」の運転台どうも高速に乗るまでかなりの距離を走るということを好むと好まざるにかかわらず定着させようとしてる気がしないでもない。さてそんな思いを胸に伊勢崎より高崎に抜け、高崎からは横川までのんびりと一般国道18号を利用する。横川で釜めしを買い、鉄道文化村で峠のシェルパの運転台に座ったり、レンガ造りの眼鏡橋やトンネルをひた歩き、熊の平信号所跡なんかでおぎのやの釜めしなんかを食し、碓氷峠を越えて軽井沢へ。新幹線の開通に伴い出来たであろう必要以上に都会の喧騒漂う軽井沢駅の南に広がるショッピングモールは東京人の間違いなく何かを勘違いしているリゾートの成れの果てであり、この不思議な文化を受け入れるほどの度量が自分には備わっていないことを実感する。このような文化には用がないとして豊かなる佐久平、上田平を一望できる農道をひた走ると、そこにはなぜかベンツを売っている道の駅があったりと味わい深い信濃路の旅は続く。渋沢温泉という味わい深い温泉につかって蕎麦を注文し、真田の町で食材を買い込み、いざ本日のお宿である嬬恋を目指す。嬬恋は高原の清涼な地であり、お宿はホテルがゴルフ場を併設しているというよりはゴルフ場の中にホテルがあるという立地であり、山間の地に宿泊したにもかかわらず、周りがすべて人工の自然の代表格ゴルフコースという不思議なところであった。一応お宿のウリは「温泉」であるということで、気持ちよく入浴することとした。露天は素晴らしい景色が広がり、ゴルフコースに向かって全裸で立ちはだかれば気分は爽快である。しかしながら循環風呂にして塩素の匂いが漂うところにこのホテルの限界を感じ、美味い酒を飲みつつ涼しい高原の夜は過ぎていった。戻る↑
    5月20日(金)「沖ノ鳥島」
    日本地図を眺めている限りにおいて、沖ノ鳥島などという島が何ゆえ日本に帰属しているのであろうかと疑問が沸きあがることがはなはだしい。離れ小島であることはいうまでもないわけであり、沖ノ鳥島を領有するが故に得られている200海里の排他的経済水域は日本の国土を上回るの広さを誇る。冷静に考えれば半径200海里であればその円の面積はどれくらいであるとはすぐにわかるのだが、地図で見る限りその面積がまさか日本の国土より大きいとは思いにくいというのも事実である。さて、そんな沖ノ鳥島は東京都に属し、東京都小笠原村沖ノ鳥島という住所が割り振られ、あろうことか二つの海面上に頭を出しているエリアそれぞれが「1番」「2番」という地番を割り振られているのである。我らが海の男石原慎太郎は御年70を重ねてもますます意気盛んであり、とりあえず海にもぐってみたりここで漁業をやればいいと叫んだりで何かとお騒がせである。とりあえず海の底には珊瑚礁が拡がり、日々成長を遂げているというから、ぜひとも無事成長して環礁を形成し、島として沖ノ鳥島を盛り上げてもらいたいものである。気長な話だが。戻る↑
    5月19日(木)「誇り高き男」
    曲名や演奏者の名前を知る前にその音楽に出会うことのほうが明らかに多い。街に溢れている音楽はそのようなものが多く、更には特定の商品やシチュエーションと勝手にリンクされている音楽は、オリジナルが何であるかなどという探索を拒否し、「あのピアノ曲は太田胃酸の歌」と決め付けていたりするものである。そんな音楽との出会いは誰にでもあることで、中学高校と通っていた界隈にほぼ毎日出没するちり紙交換屋が流す音楽も僕にとっては「関西古紙回収協会の音楽」であった。本日通勤中に車のラジオから流れたその音楽は中学高校のときにほぼ毎日聞いていたあの音楽であり、本日ようやくその曲が西部劇「誇り高き男」の主題歌であることを知ったのであった。西部劇の主題歌であることを理解したまではよかったが、「そうか、ちり紙交換屋の音楽を聴いて西部劇屋がこれを主題歌にしたのか」と思いたくなるぐらいこの音楽には擦り込みが強いので、当分は、というよりも一生あの音楽はちり紙交換の歌なのである。戻る↑
    5月18日(水)「お休み取っていろいろと」
    本日目が覚めると、激しいまでの腰痛である。つくばに異動してからの生活で、最初に水と気候が合わなくて腹を下し、新たな生活に馴染むために無理をして風邪を引き、そしてこのたび腰痛である。どうやらこれですべての洗礼は済ませた模様であり、これでまごうことなきこの地での生活者となれたように思われる。とりあえず本日はおとなしく家で過ごし、久々に溜まっている日記なんかを書いて過ごす。腹痛や風邪と違い、腰痛は治るということがないため、とりあえず落ち着きましたということで明日は会社にいけそうである。戻る↑
    5月17日(火)「日本の技術の底力」
    ホテルニューオータニオリンピックやワールドカップ、万博を招致することは発展途中にある国家にとってひとつのマイルストーンである。世界中に注目され、凄まじいまでのインフラが必要とされるため、そのイベントを実施できる国家の体力を披露する絶好の機会であり、成功に向けて国家が一丸となり発気揚々となろうものである。本日はそんな40年前のプロジェクトを適当に紹介するプロジェクトXなんかを眺めつつ夜は過ぎて行く。世界初のユニットバスだとか、図面もなしに基礎工事を始めるとか、鳶に24時間勤務を強いるなどという突貫工事をするゼネコンの逞しさはいうまでもなく秀逸であり、それに異論を挟む気は更々ないが、御施主さまも御施主さまである。いきなり最上階に回転レストランを作れとはこれまた驚きである。冷静に考えれば力学的にあのようなシロモノを最上階に新たに設えるには基礎工事によほどの余裕がなければ出来ないわけであり、最初からそれを見越して頑丈な基礎工事をやり、御施主様を唆してあのようなゴージャスなシロモノを追加させて建築費を水増しさせようとしていたのではなかろうかと疑いたくもなる。しかも戦艦大和の大砲のころを造っていたという技術を今に伝える会社を知っていたからこそあのような芸当は出来るわけであり、すべてが誰かの必要以上の思惑によって動かされているようなそんな気がしたのは穿ちすぎだろうか。戻る↑
    5月16日(月)「食料自給率」
    かつて小学校で社会科の時間に習った社会常識が、今となっては全く変わっているということはよくある。当時勉強した自給率はカロリー換算で70%程度であったが、現在は50%を割っているというからえらく変わったものだと思っていた。このたび政府は自給率を上げましょうというプロジェクトを立ち上げたが、自給率の低い国がなぜほんのり北の国に食糧援助を行うのかとかという素朴な疑問よりも驚くことには、自給率の計算方法を変えるということであった。これまでのカロリー換算の場合は国内で家畜を飼育してその肉を消費したところで、家畜の飼料が輸入物であった場合は自給率の向上につながらぬものであった。このたびの変更では、カロリー換算ではなく金額換算と言うことになり、国産品と輸入品では高い国産品を買うことで自給率の向上につながるということである。金額換算すると、国土が狭く人件費の高いわが国にとっては自給率は高くなることが予想されるのだが、実際のところは70%を超えるというからなんだか数字のカラクリぽくてうれしくないものである。戻る↑
    5月15日)「鹿島神宮」
    境内で行われるコンサートの準備@鹿島神宮本日も近場めぐりでいろいろと出かけてみることとした。地元の神様に敬意を表するのは新参者の勤めであり、鯰をうまいうまいと食しているため、要石の揺らぎも気になるところである。鹿島神宮は武芸の神様ということで怪しげな宝物館があったりもするのだが、本日は何かよくわからないコンサートが催されているため、境内には所狭しとパイプいすが並べられており、普段とは勝手が些か違うように思われる。パイプいすがびっしり敷き詰められた境内を横切ってまでその怪しげな館に立ち寄る気力が起こらなかったためその奥のほうへと進む。途中神様の使いである鹿が飼われていたりしてなかなかに味わい深いが、自然の森林がずいぶんと昔にガッツリと神聖なる土地として囲い込まれそのままの姿を今に伝える神宮の森は歴史の長さを感じさせてくれるものである。昨日の武家の館というイメージも歴史を感じるが、街中にある神社が太古の姿を今に伝えることにも時の流れを感じるものである。心行くまで神宮の森でフィトンチットを満喫し、帰りに鯰と鯉を食して帰宅。戻る↑
    5月14日)「関東の歴史探索」
    佐野ラーメン@岡崎麺本日は北関東の歴史探索に出向く。本日の目的地は足利にある「字が読めない寺」である。北関東の大動脈である一般国道50号は栃木県内はすべて4車線道路とあって、この流れは街中でバイパスに必要以上に店が集中している小山付近を除けば素晴らしいまでの流れである。そんな道をひた走り、まずは腹ごしらえと佐野ラーメンお店である岡崎麺に出向く。さほどの混雑もなく、行列の出来るほどの店ではないのかと思っていたらさにあらずで、ラーメンを食している間に行列が出来てゆき、要するにタイミングが絶妙であったということを理解する。さて、ラーメンと餃子は見事なまでの味であり、なるほど確かにこの店ならば皆が騒ぐはずだと気分をよくしいざ目的地へと車を進める。さて目的地足利に近づくにつれて、日本一の足利3名所などという意味不明な言葉が使われる看板をこれでもかとばかりに見かける。しかも3名所の割には4箇所も紹介しているのでまったくもって不明である。本日の目的地である「字が読めない寺」はその「3」名所のひとつである鑁阿寺(ばんなじ)であり、鎌倉時代にこの寺はすでにあったというから歴史がほんのりと感じられる。渡良瀬橋の情熱迸る落書き@足利足利学校%漢字検定試験中京都に住んでいた人間にとって、寺院仏閣は貴族のものであり、武将のものでなかったため何か違和感を感じたのであるが、なかなかのたたずまいと敷地の広大さに関東武士の勢力を思い起こさせるものがあった。ちなみに寺の山門を普通に車で通り抜けて境内に車を止めるなどという大胆不敵なことを要求されたのはさすがは武士の寺というものなのであろうか。その後となりに鎮座する足利学校に入ろうとしたところ、本来であれば授業料も入学金も必要ないくせに見物料だけはしっかりとるというせこさに困ったものだわいと文句を言いつつ中に入る。足利学校がどうすごいのかは理解できぬまま、本日は足利に来たからにはということで、街の中心にある「渡良瀬橋」に出向く。橋には森高千里と松浦亜弥の対して必要以上に情熱を迸らせている人々の熱いかきなぐりがなされており、なんだか浮かばれないものが感じ取れたが夕暮れ迫る渡良瀬橋とはこれまた一幅の絵であることは事実であった。そののち自宅に帰り友人と宴会をしてそのまま没する。真夜中に友人の奥さんがドリームつくばで帰ってきたので、眠い目を擦ってセンターまで迎えに行き、そのまま眠る。戻る↑
    5月13日(金)「ジンギスカン鍋」
    使い捨てジンギスカン鍋北海道には不思議な食文化があり、日本でなぜここまで特異的に羊が消費されるのであろうかと疑問が沸きあがるのは本州にいるからである。サッポロビール園に立てば、そんな疑問は「なぜ内地の人間はこんな美味いものを食わぬのだ」に摩り替わることは必定である。北海道から帰ってきた友人が「使い捨てジンギスカン鍋」を入手したというので、近所のハナマサで羊肉を購入し、本日は楽しくジンギスカンパーティーとなった。ちなみにビールはサッポロクラシックであったことはいうまでもない。ジンギスカン鍋に舌鼓を打ち、来月行くであろう試される北の大地に思いを馳せつつ本日は終了。ちなみに使い捨てジンギスカン鍋はあと8枚あるので、近いうちにまた宴会が実施されるものと考えられる。戻る↑
    5月12日(木)「核燃料棒」
    RadioIsotope原子力が「第三の火」と呼ばれたのはいつのことであったか定かではない。人類は科学の進歩とともに、これまでは夢物語であったことを少しずつ着実に実現してきた。思えば化石燃料に頼っていた人類のエネルギー需要は気がつけば巧みな変遷をたどり、いまや難解な技術を使う原子力が発電では最もコストパフォーマンスが優れているというから素晴らしいものである。しかしながら、人類が発明した技術はフォローアップが伴わないまま見切り発車したものもあり、原子力はその廃棄物の処理法についていまだに原始的な戦略以外は取られていない。電力事情が極めて貧困なほんのり北の国は、人類の発明したこの発電システムを利用しているのであろうか、その廃棄物がずいぶんとたっぷり溜まったようである。おそらくものを大切にする国家なのだろうと勝手に判断すれば、廃品利用としてやはりミサイルに詰め込んだりしていろんな意味でバランスを保とうとしているのであろうと考えられなくもない。核兵器をもつことは、それに見合う抑止力を構成するそれ以外の軍備よりも遥かにコストがかからないことは事実であり、経済的に貧困な国家が手を出すのはある意味理解できるものがあるがこれは「貧すれば鈍」を地で行ってるように感じられる。しかしながら、マンハッタン計画で核爆弾を大都市に落とした場合にどうなるかという貴重な実験を60年前に2回だけ実施したというのに、それ以降その研究は凍結されたままになっているという現実から鑑みれば、そのような抑止力を持つこと自体が喜ばしいものではないということは事実である。日本のように必要以上に核アレルギーを発症するのもどうかとは思うのだが、その金があったら人民を首領様クラスまで太らせる必要はなくとも餓死することからは防げるような気がする今日この頃。戻る↑
    5月11日(水)「ご主人様」
    メイドさん(イメージ)秋葉原には「メイド喫茶」という不思議な飲食店があり、「いらっしゃいませ」の代わりに「ご主人様お帰りなさいませ」と言ってくれるんだそうである。もちろん「ありがとうございました」ではなく「いってらっしゃいませ」といわれるのは言うまでもない。このような形態の飲食店は需要があるがゆえに作られているが、その需要の程は不明である。束の間の別世界を堪能することは至って正常な精神の表れであり、この店に出向いた人を変質者と呼ぶことは大変問題がある。非日常的な体験をすることによりリラックスするというのは当然のことであり、これは法律に触れることのない限りは個人の自由である。さて、「ご主人様」と呼ぶことの本質は「ご主人様」に対する思いやりであり、まちがっても「ご主人様」が呼ばせている相手を支配していることを明確にさせているわけではない。むしろその逆で、「ご主人様」は呼ばせている相手に精神的には支配されているのである。本来はそのように「ご主人様」と呼ばれることで相手に支配されて心地よさを感じるところに喜びを見出すべきである。今回の事件は、そのような奥深い精神的なつながりを理解できないくせに相手に「ご主人様」と呼ばせて首輪をつけるという狼藉を働いているためどうも救いようがない。戻る↑
    5月10日(火)「傭兵」
    最近は世の中には不思議なビジネスが存在するものである。腋の臭いを嗅いで消臭剤の開発をする人や、赤ちゃんに演技指導をする人や、ピアニスト専属の譜めくりなど、さまざまなジャンルできわめていろいろな職業が存在する。しかしながら、戦争とは国という大きな看板を背負って威信をかけてするものであり、人材派遣業がどれだけ幅広い業種に進出しようとも立ち入ることができない領域であると思っていた。しかしながら、現実には軍隊をガードする民間の警備会社などというものがあり、実際にイラクではそのような仕事に従事している人がいるのである。本日そのような商売があることが明るみになったのはいいことなのか悪いことなのか微妙であるが、昨日の戦争終結60周年を考えると、時代の流れというか凄まじいまでの変遷に考えさせられるものがあると呻ってしまった次第。戻る↑
    5月9日(月)「まもなく60年」
    国際連合日本で現在「この前の戦争」と言えば、依怙地な京都人を除いて第二次世界大戦のことを意味すると考えられる。ちなみに依怙地な京都人は「応仁の乱」と答えるのであるが、まあそれはどうでもいいことである。その「この前の戦争」が終わって今年で60年を迎える。連合国軍と枢軸国軍の全面戦争で、史上最悪の死傷者を出した戦争は連合国の勝利に終わり、その連合国はいまもニューヨークで最も治安の悪いところにその旗を翻して今もなお健在である。連合国の勝利60周年を祝う式典が本日行われ、敗戦国である日本とドイツも招かれた。ちなみにイタリアも敗戦国じゃねえのかという指摘があろうものだが、実はイタリアは戦勝国である。いち早く降伏した後、改めて連合国として参戦したというラテン民族ぶりを発揮したことはあまり知られていないことであるが事実である。さて、この連合国=United Nation=国際連合であるが、この連合国に敗戦国である日本が加入を認められたのは1956年であり、それから今までは「金は出すけど口は出せない」という拠出金をたんまりと出すけどなんら権限が与えられないというただの気前のいいお旦と言うかカモであった。しかしながら日本はドイツやインドやブラジルと常任理事国入りを目指しており、これから先に新しい国際連合を作るのだと言う意気込みに燃えている。歴史は思い返すと信じられないほどにまで破天荒であり、昨日の敵は今日の友というか敵と書いて友と呼ぶというか、人はこれまでのお互いの不幸な歴史を認め、そして節操なく明るい未来を構築することに余念がない生き物である。歴史の節目にそんなことを考えてみた。戻る↑
    5月8日)「宇都宮を満喫」
    AF18-200mm F/3.5-6.3 XR Di II LD Aspherical[IF]MACRO@タムロン休みが一日だけということで、近場に出かけて何かを満喫しようという計画を立て、宇都宮に餃子でも食いにいくかと自宅を出る。本日はパーク&ライドを行うべく、ひたすら車を西に走らせて栗橋に到着し、駅前のパーキングに車を止めていざJRで宇都宮を目指す。途中小金井で20分以上待たされるなどという恐るべき体験をし、都心から高々100kmの地宇都宮へのアクセスの悪さに愕然とする。関西人にとってはこの交通の便の悪さは信じられぬものがあるが、交通が不便だと思うのも関西のJRが凄まじいまでの私鉄との戦いの末にスピードと本数を充実させたからに他ならない。そんなこんなで宇都宮に到着し、駅前にある欲望の塊であるヨドバシカメラに出かける。まさしみんみん気がつけばタムロンのレンズを買っていたりするのだがそれはいいことにしよう。本日は餃子でも食うべしという目的でとりあえずはみんみんと正嗣に出向いてみるが、ご覧のとおりの行列振りにがっかりする。行列が美味さを引き立たせる調味料となってはいけないのであるという持論があるがゆえにこのような店はこちらからお断りと勝手に見切りをつけ、そのほかの店を三軒はしごし、〆に諦め切れずみんみんで焼1水1としゃれ込む。一番最後で、腹はほぼテンパッているというのにこれまでのどの店よりも美味いという自分の中の評価からみんみんの偉大さを感じ取り満足して帰途に着く。帰りは東武で帰るべしとJRの駅前から100円バスで東武宇都宮まで移動し、駅がどこにあるのかわからないので東武百貨店で聞いてみたところ「駅は三階」というわけのわからないことを言われてしまった。とりあえずだまされたと思って三階に行ってみれば確かにフロアの向こうには駅があり、ここまで訳のわからない展開ぶりには感動することしきりであった。そののち栗橋で車を拾って無事帰宅。本日栗橋に車を置いた理由はこのようは訳のわからないイベントが可能であるということと、行き帰りどちらかで東武を使うことにより、姑息に群馬県に足を踏み入れるためであったという事は内緒にしてもらいたい。戻る↑
    5月7日)「ミスリード」
    本日は土曜出勤である。異動前は、土曜出勤といえば電車のダイヤがいつもと違って電車を乗り過ごしたり、必要以上にがらがらの電車に揺られて仕事に行くのでブルーになったりしたものであった。しかしながら車通勤になると、いつもは混雑する道ががらがらであり、いつもよりも早く快適に会社にたどり着けていい気分だったりする。しかし冷静に考えれば、道が空いているのはみんなが出勤していないからであり、それってがらがらの電車に揺られていることと置かれている立場が変わったわけではない。などとネガティブな考えを抱きつつ会社で適当に仕事をこなして帰宅。JR西日本の脱線事故は真相が追究されることを望むものであるが、このところオーバーランが極めて多く報道されている。あのような事故があったことを考えれば、ここ数日間の運転は慎重であるべきであるし実際そうであろうと想像することは当然である。而して事故前にはほとんど報道されなかったオーバーランがここまで報道されるのは、実際に事故前に比べてオーバーランが多発しているのではなく、これがおいしいネタであるとマスコミが判断したからに他ならない。要するにオーバーランを報道しましょうキャンペーンを張っているわけである。しかしながらこのことは「JRは事故を起こしたくせに、事故が起こっても相変わらずオーバーランをやっているのか」と善良なる市民をミスリードしているように感じられる。戻る↑
    5月6日(金)「社会復帰」
    1週間ぶりに会社に行くとなれば、やはり些か勝手が違う。体が重いだのだるいだのという問題もあるのだが、出かけなければならないのは宮仕えの悲しさである。世間では本日を休みにして更にこの大型休暇を大きくしようとする策略を立てている人がいるらしいのだが、そこまでの狼藉は働く気が無い。ということで会社に出向いてみたところ、昼下がりに業者が来て売り込みのためのプレゼンテーションを開くというので、リハビリと睡眠時間の確保を兼ねて出席し、前後不覚にいい気分で過ごす。休み明けなのでこれぐらいがちょうどいいと思いつつ帰宅する。世間では本日仕事をすれば明日からまた休みであるが、うちの会社は明日は土曜出勤なので今日はおとなしく寝る。戻る↑
    5月5日)「近場をうろつく」
    真岡鐵道真岡駅思えば、つくばへの異動に伴い、未走国道が自宅の周りに大量にあったのである。事の本質を見失ってはいけないのは言うまでもないことであり、本日は初心に戻り国道を走破することとした。まずは自宅より真岡を目指し、駅舎が蒸気機関車をデフォルメしたという真岡鐵道の真岡駅を目指す。なかなか味わい深い駅舎を見て次なる目的地である茂木を目指す。道の駅で地元産のとちおとめなんかを購入し、氏家を経由して馬頭温泉へと向かう。馬頭温泉で久しぶりに温泉につかりまったりとしたあと、水戸から高速で帰宅する。本日の行程を詳細に書くとわけがわからないということになるのだが、自宅の近所の道をしっかりと塗りつぶすことが出来たため満足できる一日であった。ええ感じで疲れたのだが、明日から無事社会復帰できるのか知らんと要らぬ心配をしてみる。戻る↑
    5月4日)「快適な帰宅」
    スーパープレミアムシート@B747-400朝早く実家を出て帰宅の途につく。寝る前にチェックインを済ませていたので、自動チェックイン機にはカードをかざすだけで切符が出てくるという不思議な仕掛けがあり、そんなこんなで切符をゲットする。本日は朝飯が食いたいとかまったりと2度寝をしてみたいという目的もあってスーパーシートなる席を利用してみることとした。ちなみに成田便を選択しており、成田便は国際線用の機材を利用するため、本日のスーパーシートは国際線ファーストクラスである。通された席はコクーニングされており、足を伸ばして寝返りが打てるという素晴らしい限りの席である。しかも上着は保管してもらえるし、朝飯は出てくるしとまあ至れり尽くせりである。お写真お撮りいたしましょうか等という不思議なサービスもあったのだが、生憎自分を被写体にするほどの度胸はなく、まったりと朝飯を食し無事成田に着陸する。駐車場までの送迎バスに乗るべく外に出向いたところ、この休みにサーフィンをしに外国に出向いた団体とかち合い、サーフボード様に座席を占拠され、なぜか誰かのトランクの上に座って駐車場まで出向くという不思議な体験をする。そんなこんなで駐車場に到着し、久しぶりの自宅へと昼過ぎに到着。帰宅していろいろと片付け物などをして本日は終了。ちなみに自宅にはなぜか全日空のスリッパがあるのだが、あまり気にしないでおこう。戻る↑
    5月3日)「ETC取り付け」
    我がうえぺけ号は誕生の砌に些かの澱みも無くETCが利用可能となっていたのであるが、実家の車はこれまでそんなものとは無縁であった。理由はいたって簡単で、もっとも利用頻度の高い高速道路は自宅近くを走るハイウェイネットワークからは寸断されている路線であり、100枚単位で回数券を購入すれば通行料金はほぼ二割引となるため、これまではETCの恩恵を受けるわけも無いということであった。しかしながら、この道路にもETCレーンが艤装され、回数券の販売を中止したのみならず利用すら中止するという話が決まったのである。ここに至って親もついに重い腰を上げ、これはETCを利用せねばなるまいという判断をしたのであった。とりあえず近所のオートバックスに出かけ、車載機の選定に取り掛かることとした。親の要望はいたってシンプルであり、カードのさし忘れを教えてくれるのならどれでもよいとのことであった。しかしながら申し訳ないことではあるが、そのような必要以上に気の利いた車載機は存在せず、あきらめて必要最低限の仕事はしてくれるという車載機を利用することとした。セットアップと取り付けをしてもらい無事終了したが、カードがまだ来ておらず、実際の運用まではもうしばらく時間がかかるようである。戻る↑
    5月2日(月)「初夏の花見」
    あやめ池@養翠園養翠園の太鼓橋休みも中盤戦に差し掛かり、ゆっくりと朝起きて新聞などを眺める。三面記事の片隅にある囲み記事に藤が満開という子安地蔵寺のことが掲載されていた。南国和歌山なので今の時期にすでに藤が満開ということである。これは出かけなければなりませんと勝手に決め込み、これだけだと詰まらんということで更にインターネット上で検索を行い、これまた和歌山にある養翠園という庭園でアヤメが満開と情報をつかみ、この二つを組み合わせて本日は花見としゃれ込むこととした。本日は連休の中日であり、暦の上では平日であるため宮仕えをする御仁も多く、予想通りに道は空いていた。和歌山へ向う最中に紀ノ川SAで梅御前茶漬なるものを食し、腹ごしらえを済ませてまずは養翠園である。養翠園は海水を引き入れた池が広がり、その周りに松が植えられた庭園であり、紀州第十代藩主徳川治宝(はるとみ)が水軒御用地に造営したものである。入り口にあるあやめ池で今が満開のアヤメを眺め、心行くまで撮影に興じる。満開の藤@子安地蔵寺藤棚が見えないほど咲き誇る藤@子安地蔵寺本日は平日ということもあってか客が少なく、熱くカメラを握り締めて芸術活動に没頭する初老の御仁が結構おられたのが印象的であった。この庭園は十年ばかし前の大河ドラマ「徳川吉宗(≠暴れん坊将軍マツケン)」の撮影現場であったが、冷静に考えれば徳川吉宗は紀州第五代藩主であり、吉宗がここにいることはありえないのであると思われるのであるが、少々細かいことはどうでもええということであろう。庭園を心行くまで堪能するうちに差込みに襲われて気もそぞろに園内の厠で休憩するが、庭園の歴史を感じさせるべくここは自然落下式汲み取りであった。養翠園が水軒御用地にあるということで、そこから少し行ったところにあるかつての水軒駅をたずねてみるも、すでに駅舎は跡形も無く、錆付いた線路だけがそこに残されているのみであった。時の流れを実感しつつ、いざ次の目的地子安地蔵寺を目指す。山の中にあるひっそりした寺であるが、西国花の寺にノミネートされているだけあって見事なまでに花が咲き乱れている。今の時期は藤がまさしく満開であり、藤棚が全く見えないぐらいまでに咲き誇り、いわゆる藤色以外の薄紅色の藤もあり、なんとも味わい深いものであった。ここでも芸術活動に勤しむ御仁は大量におり、境内はさながら大撮影大会となっていた。ご多聞に漏れずこちらも撮影に励むのであったが、これならばなぜ一眼レフをもってこなかったのであろうかと悔やんでも悔やみきれぬものがあったのはこれまた事実である。花を満喫して本日は帰宅する。久しぶりに温泉抜きで長距離ドライブをしたような気がする。戻る↑
    5月1日)「恢復する日々」
    昨日の胃の痛みは緊張もあったであろうが、多分に生活環境の変化とか、必要以上に何か張り切ってしまったなどの要因があったと思われ、本日はぐうすかぐうすかと体力の恢復に是努めることとした。なんと殊勝なことかと思われたかもしれないが、単に本日は天候がよろしくなかっただけという説もある。GWを斯くも贅沢に過ごすのは久しぶりであり、例年の寸暇を惜しんで出かける生活とは明らかに趣を異なるものとしている。たまにはこういう過ごし方もいいねえと勝手なことを思っているのだが、こんな休みの過ごし方を来年するはずが無いことは間違いない。それが証拠に本日は一人パソコンの前に座り、7月の超割とバーゲンフェアーの空席をチェックしていたのである。体が動かずとも心はすでに旅路にあるということであろう。こういう状況をあらわす「性懲りも無い」という言葉がなかなか言い得て妙に思えてくる。とりあえず夜になると体調は無事恢復。戻る↑