2005年4月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 4月30日)「またもや司会」
  • 4月29日)「打ち合わせと称して」
  • 4月28日(木)「帰省開始」
  • 4月27日(水)「沖縄料理屋」
  • 4月26日(火)「鉄道事故」
  • 4月25日(月)「新人歓迎会」
  • 4月24日)「東京ドーム初観戦」
  • 4月23日)「関東へようこそ」
  • 4月22日(金)「ようやく住民と認められる」
  • 4月21日(木)「知らないうちに溜まっている缶」
  • 4月20日(水)「肉屋の二階の焼肉屋」
  • 4月19日(火)「ニンニクしょうゆ」
  • 4月18日(月)「最新家電の恩恵」
  • 4月17日)「九州旅行第2日目」
  • 4月16日)「長崎を満喫」
  • 4月15日(金)「出張その2」
  • 4月14日(木)「学会への出張」
  • 4月13日(水)「東坡肉と回鍋肉」
  • 4月12日(火)「技術屋魂」
  • 4月11日(月)「官製デモ」
  • 4月10日)「龍ヶ崎の焼酎屋」
  • 4月9日)「珠玉の温泉と煮込みカツ丼」
  • 4月8日(金)「石岡の壁に挑む」
  • 4月7日(木)「前向きな駐車」
  • 4月6日(水)「早くも本日は歓迎する側」
  • 4月5日(火)「正しい歴史観」
  • 4月4日(月)「お休みを取ってみる」
  • 4月3日)「買い物終了」
  • 4月2日)「五浦温泉とお魚センター」
  • 4月1日(金)「歓迎会」


  • 今月の日記
    4月30日)「またもや司会」
    ビンゴゲーム(イメージ)本日は必要以上にいい天気であり、汗かきなのに寒がりというきわめて面倒くさい体質の人間にネクタイを締めさせるには些か厳しいものがある。しかしながら本日は友人の結婚披露パーティーに出席、しかも柄にも無く司会をせねばならないのである。プレッシャーに弱い人間にそんなことをさせるとは友人も大胆不敵であるが、友人を大胆不敵にさせてしまう理由は、緊張していてもそうは見えないというところにあるからどうしようもない。そんなこんなで夕方早い目に作戦会議を行うべく会場近くのスタバに集まり、最終調整を行う。友人(新郎)はさっさと来ていたのであるが、新婦が通う専門学校が本日も授業があるなどという大胆不敵なことをしているため、割と時間が押し迫った頃になって友人の奥さんは到着。多分友人の奥さんも結婚披露パーティーに遅れるのではないかと危惧しながら実習をやっているとは夢にも思わなかったことであろう。パーティーは予定通りにはじまり、各テーブルから一言お祝いの言葉なぞをもらい、不思議な景品目白押しのビンゴゲームなども終わって無事お開きに。緊張と空腹ゆえに終了後胃が痛み出し、顔面蒼白なっていることが自分でもわかったので二次会に行かないでそそくさと帰宅する。友人の結婚披露パーティーに参加して二次会に行かないということは、はっきりいって本末転倒である。今後の対策として、プレッシャーに強くなるか、緊張していることを態度で伝えるかのどちらかを習得せねばならないということだけはわかった。戻る↑
    4月29日)「打ち合わせと称して」
    久しぶりに熟睡し、朝からゆっくりと過ごす。さて、明日は友人の結婚披露パーティーが行われ、あろうことかまたもや司会を引き受けることとなった。この手のパーティーの司会は2003年6月21日にも引き受けており、その折には出席した他の友人から「司会したから次はお前やな」というわけのわからん事を言われたりしたのだが気にしないことにしよう、と思っていたのであるが次はお前という予言は外れた様子である。とりあえずそんなものが無いまま司会をまたもや引き受けることとなった。今回の帰省を半日早くしたのはこれも理由のひとつである。本日打ち合わせをしましょうということで友人夫妻を実家に呼び、外で飯を食いながら明日のパーティーの戦略を練る。とりあえずこれで行こうという話をして明日へと備えることには成功した模様。明日巧く行くかはその場の勢いに負うところが多いだろうが、以前も大過なくやり過ごせているということから多分大丈夫な気がしないでもない。問題なのは司会進行をする相手が本日多忙につきこれなかったので、明日当日本番にいきなり対面ということである。むしろそのほうが心配だったりするのだが、相手いわく「わたしはそこに立っているだけで何とかしてくれるって言われてますからお願いしますね」ということらしい。ま、考えても仕方がないのでお気楽にやることにするか。戻る↑
    4月28日(木)「帰省開始」
    今年のゴールデンウィークは7連休であり、帰省したら最後、どこにも出かけることがないという計画がすでに組まれている。要するに実家の雑務が山積みなのである。なので今年はさっさと帰省することとした。本日まで仕事はみっちりとあるが、本日の夕方に帰省すれば交通機関も空いているというものであると判断し、午後休をとり帰宅。いろいろと準備をして車でいざ成田空港を目指す。♪あーたまーをくーもーのー、うえにーだーしー♪第二滑走路に程近いところにある駐車場に車を預け、そこからは駐車場のマイクロバスでいざターミナルへ。ゲートではパスポートを見せろと警備員がバスの中に入ってきたので「パスポート無いです」と言ったら不審がられるという毎度繰り広げられる事象にどうにかしてもらいたいものだと思ったりする。国内便が飛んでいる以上、国内便に乗りに成田に来ることに些かの疑惑も挟んではいけないはずなのに、マイノリティーであるだけで訝しげに思われるのはこの上なき心外なことである。僕に限定した話を申し上げるならば、成田空港に車または鉄道で向かったときに海外に出向いたことはいまだに一度も無く、僕にとっては海外に行くことこそがマイノリティーである。そういう屁理屈はさておき、株主優待でさっさと半額で搭乗券を購入し、手荷物を預けてバスで搭乗口へと進む。地面からタラップを上がってテクノジャンボに乗るなどという不思議な経験をすでに何回もやっているため特におかしいとは思わないのであるが、世間ではそれは信じられないほど珍しいことであるらしい。機内の座席はいつもながらにプレミアムエコノミーを選択しており、通常料金でこの広々とした席を占有できることは大変有難いものである。離陸後まもなくして窓より夕映えの富士が望まれ、そういえばまもなく伊丹にテクノジャンボは着陸できなくなるんだよなと思いつつ無事着陸する。戻る↑
    4月27日(水)「沖縄料理屋」
    つくばにはつくばオリジナルの味が存在しないが、全国、全世界の料理屋が軒を連ねており、そのことがつくばの味の特徴となっている現実があるという話は以前も書いた。本日は友人と沖縄料理を食しに出かけた。天久保というつくばの歓楽街に出向けば、歓楽街だというのに駐車場がやたらと充実しているところに何かしら違和感を感じるのは公共交通機関が発達しているところでの生活が長かったからに間違いない。つくばでは当然なのである。さて、怪しい黒服の兄ちゃんが客引きをすることに余念がなかったり、お姉ちゃんの飲み物代はお客様負担ですと明言されている看板が掲げられていたりする街の一角に、これぞ沖縄料理という店があるというので出かけてみた。いつもは超満員という割には本日はがらがらであり、我々の来店を察してみんな気を利かせてくれたのかと勝手に勝ち誇った気分になりとりあえずオリオンの生をゴキュッとやり宴は始まる。沖縄料理とやらを満喫していたのであるが、現地で食したものとは些か違うものがあり、なぜか必要以上に都会で洗練されているため現地で感じる「臭み」がなく、何か物足りないものを感じてしまったのはこれまた事実である。ミミガーやテビチがあってもナカミがなかったり、ソーキそばがあってもじゅうしいがなかったりといまひとつ納得行きかねるものがあった。ということで、また沖縄に行きたくなってしまったのだが、今度はいつ行こうかなというところ。戻る↑
    4月26日(火)「鉄道事故」
    大都市内交通、または都市間交通において公共交通に果たす役割は大変大きい。日本は世界でもまれな鉄道が発達している国であるが、明治時代に鉄道と時計が同時に導入され、日本民族生来の生真面目な性格も手伝ってか、「時間厳守」が凄まじいまでのプレッシャーとして鉄道会社には課せられているように思われる。JRでは、その列車が遅れたために乗り継ぎの列車が遅れ、乗り継ぎの列車に乗り継げる列車を更に待たせ、という無限連鎖が起こるため、遅れを取り戻すことに細心の取り計らいを行うことは当然である。安全を蔑ろにしてスピードを優先させたという凡そ後ろ向きの報道がなされているのが大変気になるが、最終的な安全に対して責任を負うのは当事者であるが、安全対策は運転手だけでなく、保線等によるバックアップがまかなえる要素が多分にある。JR福知山線事故しかしながら、スピードアップに関してはバックアップを使うことが全くできず、遅延に対するプレッシャーは偏に運転手にかかるものである。安全という前提があってのスピードアップであることはいうまでもないことではあるが、このような事故が起これば「安全なくして何が鉄道ぞ!」という記事が満ち溢れる。しかしながらその記事を書いている記者は、自分がその遅延に遭遇しようものなら「もっときりきり走れやゴルァ」と思っているのに違いないのである。これを記者の身勝手と呼ぶは至って楽な結末のつけ方であるが、大衆が目の前の事象に対して批判をするしかないという姿勢しか持っておらず批判されることを殊の外嫌がるというのであれば、社会の木鐸という立場ながら広告収入や購読料で糊口を凌ぐ記者は大衆を啓蒙するのではなく阿る方向に傾くのはやむを得ないことであろう。犠牲者には適切な賠償を的確に行い、犠牲者が出たことを最も重要に受け止め、今後このような事故を起こりにくくするように対策を立てることこそが必要である。「今後このような事故が起こらないようにする」などという宣言は正味な話無茶である。そもそも「このような」という言葉が包含する出来事は森羅万象に及ぶものではない。JRの拙い所としては、脱線して車にぶつかったというのに「車が突っ込んだから脱線した」と言ったり、脱線して列車がバラストを跳ね上げ線路上にあったというのに「何者かが置石をした」と自分たちにとって都合がいいと考えられるようなことばかりいうところである。なるべく自分たちが責任を負わないようにしたいという姿勢は必要以上に火に油を注ぐだけであり、とりあえず平謝りするのが日本での流儀である。社長も広報室の準備した文面を棒読みするのではなく、泣き崩れるぐらいの演技力を期待したいものである。その辺は社会的に立ち振る舞いなので実はどうでもよく、それよりもむしろ気にするべきは山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」で御巣鷹山の犠牲者に対して窓際や反体制主義の労組員を担当者として宛がい、遺族からぼろくそに言われる矢面に立たせていたという記述があるが、今回の事故でもそういう担当者がいそうな点である。出来ればそういうことはやめてもらいたいものである。それこそ真摯な態度ではなさそうなんでねえ。戻る↑
    4月25日(月)「新人歓迎会」
    そういえば4月13日であっただろうか、我が部署に新人君が配属された。何かと味わい深い新人であり、前評判はなかなかのものである。履歴書の「特技」の欄には普通「スポーツ」とか「英語」とか「ピアノ」とか地味に「習字」と書こうものである。ここにおいて詳細にその内容を記載することはあまり好まれない。ネタに困った面接官がここから話題を繰り広げるためには話し合う余地が必要だからである。なのでここには百歩譲っても「柔道」ぐらいで留めておくことが大人の嗜みというものである。しかしながら、この新人君は特技の欄に「背負い投げ」と書くつわものである。これは去年の新人が飲み会で酒のおかわりのときに「芋」としか言わないことと一脈通じるものがある。たぶん、自分の特技とするジャンル、好きな酒のジャンルについて、周りは十分それを把握しているに違いないということなのであろう。さて、本日はそんな新人君の歓迎会である。新人君は部長の傍らに座らされていろいろと有難い話を聞いていたようであるが、こちとら勝手に盛り上がり、酒が飲めない人がいろいろと怪しい飲み物にチャレンジしているのを横目で見たりしながら結構な中華料理を頂く。なかなか旨い料理だし、チンタオビールも出してくれる店なので気に入ったのだが、頼んだ紹興酒が隣のテーブルに持っていかれてしまい飲むことが出来なかったことが唯一の心残りであった。戻る↑
    4月24日)「東京ドーム初観戦」
    お客様観戦デー東京ドーム本日は東京ドームにオリックス日本ハム戦を見に行くこととした。こんなチケットをなぜ買ったのかといわれれば、ネットで株の取引をしている際に仲介をお願いしている証券会社の顧客へのサービスでチケットがあたったのである。東京ドームなのにオリックスが主催という不思議な試合であり、3塁側の内野席に陣取って野球観戦はスタートする。件の事故以来やたらと肩身が狭くなった回転ドアであるが、気圧差を維持するためにはドームでは回転ドアを利用するほか無く、必要以上に警備員が立ち会ってドアがくるくると回転している。大人の休日銀河高原ビール@フレッシュひたち必要以上に注意書きや但し書きが多いのはあの事故以来のものであろう。しかしながら、その必要性を理解することなく時代の流れに乗っかることしか出来ない「全日本何にでも反対するぞ連盟」が「何でこんな人がたくさん集まるところで回転ドアを野放しにしているんですか!!!」と叫んだやり取りもきっとあったことだろうと思われ、ドーム側も決して「オサレだから」という理由で回転ドアを採用したわけではないという説明を滔々としたのであろうと勝手に想像を膨らませ、涙ぐましいまでの戦いが行われたのであろうとかつての戦いに思いを勝手に寄せてみる。さて、初めて東京ドームに出向いたのであるが、やはり野球をするという雰囲気があまり感じられないところであり、やはり屋外で試合を見るに限るなあと思ったりもする。試合はまあぼちぼちじゃねえのという感じで進んでおり、中村ノリ亡き後のLaputaは塩崎が引き継いでいたのかとか、北川は何ゆえ己を具現化しすぎて「逆転イッパツマン」をテーマソングに選んだのだろうかなどと感慨深いものは多い。しかし気持ちよく試合を見るのに必要なものはビールである。たっぷりとビールを頂いて気持ちよく帰路に着く。しかしながら時間も早く小腹が空いたということで、浅草のヨシカミに向い、旨い洋食を堪能する。その後は上野からフレッシュひたちで帰り、帰りがてら大人の休日の銀河高原ビールを飲んで更にご満悦となり、週末は過ぎてしまった。とりあえず朝からずっと飲んでいたような気がしないでもないが、週末だからいいかと思い直していた次第。戻る↑
    4月23日)「関東へようこそ」
    先日来、兄が望遠レンズを買ってもらったということで、撮影に行こうと誘ってきた。望遠レンズを使うと差が出やすい被写体を、ということで航空機の撮影に羽田空港の隣にある城南島に出向くこととした。とりあえず東京まではつくばの住民の足である高速バスを利用することとした。バスはバスセンターから順次停車して客を拾って行き、桜土浦インターから常磐道をひた走る。8月24日開通予定のTXはこの常磐道と並走し、秋葉原までの所要時間は最短45分とあってか、開通後はこのバスの便数は減少が見込まれようものである。羽田空港第2ターミナルさて、順調に走行を続けていたバスであるが、常磐道から首都高に入ったとたんに渋滞につかまり、上野駅に到着する時間がかなり遅れるのではないかと危惧したのであるが、向島ランプを降り、上野駅に到着したのは定時であった。どうやら渋滞はダイヤに織り込み済みであったようである。上野から浜松町に出向いて兄と合流し、大井の貨物基地や新幹線基地を見物しつつ城南島へと徒歩で出向く。本日は殊の外綺麗に晴れ上がり絶好の撮影日和である。城南島の撮影場所はオートキャンプ場があり、家族連れがとりあえずバーベキューをやっているという都心での憩いの風景が展開されていた。海辺なのだから干物とかくさやを作るのが筋ではないかという間違った思想を抱くのは勝手であるが、都会の生活にはそれは馴染まぬものであろう。そうこういっているうちに飛行機が次々と旋回して着陸しており、望遠レンズの能力をフルに生かした素晴らしい写真が撮影されている模様。写真の出来栄えを見て、ぜひとも買うべしと思いを新たにしたのは言うまでもない。その後羽田空港に向い、ここでもまた写真撮影に勤しむ。夕刻兄と別れ、本日の飲み会の会場である銀座に向かう。銀座で飲み会といえば聞こえがいいのだが、銀座コリドーにある飲み屋なので要するに新橋の延長である。本日は「関東へようこそ」ということで主賓であり、なかなか楽しくお酒を頂いて盛り上がる。途中で汐留の焼酎オーソリティーで買った焼酎を持ち出して飲み始めたりしたのであるが、それもまた愛嬌というものであろう。飲み会後本日は兄の家に厄介になりそのまま熟睡。戻る↑
    4月22日(金)「ようやく住民と認められる」
    必要以上にたっぷりもらった景品帰宅して晩飯なんかを作っていたところ、訪問者が現れた。まずは民放ではない放送局である。その放送局は昨今の不祥事に鑑み、これまでの強気の受信料徴収から一変して弱気になっており、お願いできませんでしょうかという低姿勢振りである。生まれてこの方契約したことすらない筋金入り一族の僕としては契約する気すらないためお引取り願うものであったが、契約したくない理由などという不思議なものを尋ねられ、契約するに値しないという全く以ってその質問に不適切な回答をしてその場を終わらせる。帰り際に名前を聞かれたので逃げも隠れもしないということできちんと名前を告げてみたのであるが、きっと次回はもう少し口の巧い人がやってくると思われる。ま、誰がどんな手を使おうが払う気が無いのでどうでもいいことではある。つぎにPravdaを抜いて世界最大の発行部数を誇る某新聞社が契約にやってきた。とりあえず景品がゴージャスだったので短期間の契約にしてみることとした。本来であれば偏った見方をする経済業界紙である某新聞と契約をしたかったので、まあ近いうちにその新聞に変えてもらうように交渉してみることとする。世の中の人の意見を聞く限りでは、景品は契約を渋ることによりグレードが上昇し、最高級は巨人戦の観戦チケットであるということである。景品の序列にすでに偏った思想が入り込んでいる時点でこの世界最大の新聞社は不必要であると阪神ファンの僕は思うのであるが。とりあえず、この2社の訪問を受けて、ようやく僕もここの住民となれたのだなあと思いを新たにする。戻る↑
    4月21日(木)「知らないうちに溜まっている缶」
    つくばのごみ収集日は月曜日から金曜日までほぼ毎日であるため有難いのであるが、その日に出してよいごみの種類がやたらと細かく分類されており、本日は2週間ぶりに「かん」を出すことが許される日であった。友人を招いて飲み会などを催せば、あっという間にビールの缶は溜まるものであり、台所の片隅には軽く一ケース分ぐらいの缶が溜まっていたりする。友人にその対処法を聞いてみたところ、缶とビンはきちんと分けるけど、後は全部燃えるごみにしているということであった。まあたぶんそんなものであろうと思いつつ、ペットボトルってどうしたらいいのかなあと考えてしまう小心者であった。ペットボトルは火力を高めるために、適度に燃えるごみに混ぜればいいという説もあるが、とりあえずマンションのごみ置き場を見てみる限りは、割とみんな適当という気がするので、深刻に考える必要が無いのかもしれない。地球に優しい人にはなれそうにも無いけれど、自分に優しい人にならば一瞬でなれるというか今の時点ですでになっているからなあ。戻る↑
    4月20日(水)「肉屋の二階の焼肉屋」
    肉のハナマサ「根競べ」に勝ち、ベネディクト16世が誕生したが、すでにかなりの高齢であり、今後の長さが一番気になるという新たなローマ法王である。ベネディクトといえば「菊と刀」の著者であり、「動物園のサル山のサルを観察するような心意気で日本人を見ればよいのだ」というどうしようもない観点から記された「菊と刀」は占領軍の日本統治の強力な手引きとなったのである。さて、そんな与太話はさておき、「肉のハナマサ」がつくばにも進出しており、先日その店舗を発見した。業務用の肉が売られており、単位がかなり大きいが割安というところが売りであるが、近年の日本人の生活様式である「食材はまとめ買いででかい冷蔵庫に収納する」の定着により、これらの業務形態は受け入れられつつあると思われる。さて、そんな肉屋であるが、肉屋の二階に焼肉屋を作り、バイキング形式で食わせるなどというある意味画期的なシステムを構築していた。ということで本日は友人とそちらに向い、格安な料金で鱈腹肉を食し、心行くまでビールを飲んで帰宅。いやあ、それにしても計算がしやすいです。焼肉食い放題で1000円、ビールが大ジョッキで500円というのは。戻る↑
    4月19日(火)「ニンニクしょうゆ」
    最近、日記を書くことが溜まりつつあり、かなり遅れてのWebSite更新となっている。ページの更新がそのままコンテンツの増加となるシステムを画期的だと自画自賛していたのであるが、更新する箇所が結構増えてきている今の状況から考えると、こまめに手を加えないとあっという間に遅れてしまうという両刃の剣であり素人にはおすすめできないものであると最近実感している。しかしながら、これを継続してやろうというモチベーションになっていることは否めないため、本日もホームページの写真を変えるとか、行った温泉のリストを追加するとかといった作業に終始し、日記は更新でないままであった。合間にカスミで安く仕入れた中国産のにんにくの皮を綺麗にむいてしょうゆに漬け込みにんにくしょうゆを作っていたので、打ち込んでいる手が何とはなしににんにく臭いことは気にしないでおこう。ちなみにインターネット上でにんにくしょうゆのレシピを検索したが、「にんにく:適量」「しょうゆ:適量」「1週間ぐらいで出来上がります。炒め物に最高」ということであった。醤油が染みたにんにくが美味いのか、にんにく風味の醤油がいいのか、それもまだわかっていなかったりする。戻る↑
    4月18日(月)「最新家電の恩恵」
    新しい季節がやってくれば、民放各社はドラマの作成に余念が無い。リアルタイムでそのような映像を見ることをどう考えるべきかはこれまた難しいものがある。ホリエモンが「ドラマは見たい時間に見れるようにしたい」などという斬新な発想を持ってインターネットとテレビの融合の一例としていたのであるが、別にタイムシフトなどという大それた思想やストリーミングなどという負荷のかかる技術を使うまでも無く、ビデオに録画するという手法を用いればいいだけのことである。ここまでビデオが家庭に普及している昨今において、「ビデオはもういらないんです」ということがいまさら何のインパクトを呼ぶものなのであろうかということは難しいものがある。そんなわけで自宅に導入したHDDビデオレコーダは殊の外使い勝手がよろしく、30秒飛ばしという技術(たぶん実際は29秒)もあるため、インターレスでドラマを楽しむことが出来る。デジタル家電と呼ばれるこれらの機械は斯くも進歩しているが、それゆえテレビCMは省みられることが少なくなっており、広告は今後インターネット広告にシフトするなどという考察がなされている。インターネットで展開される広告とは広く告げるものではなく、特定の集団により的確な情報を伝えることが可能となるものであるため、今後はもしかしたら「広告」と呼ばれなくなるのかもしれない、などと勝手なことを思いつつ本日は「エンジン」を見たりする。戻る↑
    4月17日)「九州旅行第2日目」
    グラバー園より眺める長崎市街朝飯を食いつつ親分と張さんの喝を見終えていざ観光へと向かう。本日まずは一般人的観光地である大浦天主堂やグラバー園へと向かう。香り高い水出しコーヒーを味わう店@グラバー園大浦天主堂は耶蘇教の親玉ジョン・ポール二世の昇天に打ち拉がれているのかおそごかな集会が行われているようなのだが、受付のおばさんは金を毟り取って有難く中を拝ませてやるぞという態度だったので天主堂はパス。続いてグラバー園では港が一望できる高台にゴージャスな洋館を立て、経済を牛耳っていたという外人どもの夢のあとを日本人が踏み荒らすという居留地の変遷を目の当たりにし、きっとこの洋館で羊羹をよう噛んで食べていたのであろうという極めてつまらないネタを反芻しつつ、明治の時代に思いを寄せ、眼下に広がる最近の造船業の好景気振りを視察する。園内ではオランダということで水出しコーヒを味わったり、日本初のアスファルト舗装や日本最古のコンダーラなどを見学し、何ゆえこのコンダーラは巨人の星が存在する前からコンダーラと呼ばれているのであろうかと己の脳みそに入った順番がたまたま歴史の順番と齟齬を起こしていたという単純なことに敢えて目を瞑る思考を行う。皿うどん細麺、ちゃんぽん、皿うどん太麺そんなこんなでグラバー園を満喫し、門前市にあるカステラ神社などという不思議なところを参拝したりして、ホテルの駐車場に止めてあった車を動かし、いざ昼の長崎の味を堪能するために出発する。知り合いの製麺屋から程近いところにある中華料理店で皿うどんの太麺細麺とちゃんぽんを堪能し、昨夜の卓袱とあわせて長崎の満喫は大成功である。重いコンダーラ@グラバー園その後高速道路で武雄温泉に向かう。武雄温泉の共同浴場はなんとも重厚でいて親しみのある門構えの中に展開されており、温泉が街の象徴であることを見事なまでに体現している。辰野金吾の作品にしては遊び心がふんだんにちりばめられているように感じられるこの門は、門自体の中に店を構えるなどという味わい深いものであり、その門を潜り、有難いお湯を満喫する。カステラ神社@グラバー園門前市「ぬるい湯」「熱い湯」という二槽式の浴場では、観光客が熱い湯に入って「熱いねえ」とセリフをはこうものならば、地元のおっさんが「今日はこれでぬるいんや」と必ず言うものであり、本日もこれを見事なまでに踏襲されてしまう。心地よい温泉を満喫し、後は福岡に向かって車を進める。鳥栖ジャンクションで7/4周するなどという馬鹿なことをしたりして空港に到着し、レンタカーを返す。空港では飛行機のタッチアンドゴーがかぶりつきで眺められ、ビールが飲みまくれるという有難い店をすでに贔屓にしており、今回もご多聞に漏れずここを利用し、出発時間を待つ。帰りの機材はB777であり、偏西風に乗せられて音速近い速さで羽田へひとっとびであり、羽田からは車でつくばに戻る。大変味わい深い旅行であった。戻る↑
    4月16日)「長崎を満喫」
    搭乗ゲート@羽田空港ICチェックイン機%日本航空一夜明け、この週末は彼の南の宝島である九州への旅である。羽田から機上の人となり、羽田長崎は羽田鹿児島よりも微妙に距離が長いなどという無駄な知識を溜め込んで偏西風を強烈な向かい風を受けて長崎へ飛び立つ。矢田亜希子に唆されて、柄にも無くチケットレスで乗り込んでみて1000マイルゲットしてみるなどという体験もしてみるが、チケットレスとはいえ、席番と便名が印刷されたペラペラの小片は頂けるため「わての席どこでしたでしょうかいなあ」とCAのおねえちゃんに話しかけるというイベントが発生せぬことは極めて嘆かわしいことである。共同浴場のチケット@雲仙九州ホテルのコースター@雲仙ちなみに一人がまとめてチケットを手配した場合は、全員がたとえJAL MILAGE BANKの会員であったとしてもICチェックインは出来ぬものである。矢田亜希子がドラマの中でそのようなことをしていたことをとやかく言うつもりもないし、あのドラマはJALの宣伝が50%、矢田亜希子に萌える事が30%、山田優が篠原良子に似ているなあと改めて認識するのが17%で、六平直政ってなんて読むんだろうと考えるのが2%、残り1%は中村繁之ってこれまでどうやって食いつないでいたんだろうという疑問をわきあがらせるものであるため、多少の齟齬は許容されうるものである。南国長崎は本日は素晴らしい天気であり、まずは珠玉の温泉めぐりを開始する。卓袱料理@浜勝%長崎雲仙で国道脇に展開される地獄を眺めつつ「九州ホテル」などという大胆不敵な名称のホテルのバンケットホールで飯をくらい、共同浴場へと向かう。共同浴場の利用料はやはり100円と格安であり、東北と九州の外湯が日本の温泉の水準を高めているものであることを再確認し、久しぶりに硫黄臭いお湯を満喫する。その後口之津へ抜けて天草を眺望し、島原半島をぐるっと回って小浜に到着する。小浜ではこれまた素晴らしい共同浴場で温泉を満喫し、本日の温泉は打ち止めである。グラバー園に程近いホテルにチェックインし、ホテル内に卓袱料理の店があるにもかかわらずコンシェルジュジュに、「うまい卓袱料理の店を紹介しろ」と凄んで店を紹介させ、あまつさえ予約を取らせていざ路面電車で目的地に向かう。思案橋より徒歩で目的地へ移動中に、アーケードが一般国道324号に指定されているなどという見てはいけないものを発見しつつも目的の店へ到着。お鰭(椀物)からはじまる卓袱料理を満喫しつつ、地元の焼酎などを頂き至福の時を過ごす。卓袱料理を心行くまで満喫し、眼鏡橋などを撮影してホテルに戻り再び飲みなおす。前後不覚のまま布団に入り、長崎の夜は更けていった。戻る↑
    4月15日(金)「出張その2」
    本日も昨日に引き続き出張である。案の定本日は寝坊しているので、朝一の基調講演はパスしてみた。基調講演は新規性などというものには乏しく、半分は新参者への啓蒙が目的であるから特に聴くべきものではない。残り半分は演者の自己顕示欲を満たすことにあるため、もっと聴く必要が無いというのは言わないのがお約束である。そんな基調講演をすっ飛ばして会場にのっそりと出向き、寝不足と会場の静かさと暗さのゆえに睡眠タイムとなる。今回の学会参加の目的自体が学会の内容に無いことから聴いても仕方がないという話もあるし、実際発表されている内容はこの業界にそれなりに居座っている人間にとっては新規性に富むものであろうはずが無い。講演を最後までやっつけて夕刻帰宅の徒につく。課長に今から直帰しますとの連絡を入れてみたところ、担当しているプロジェクトでちょっくら問題が発生し、下手すると今から会社に行かねばならないとのことであった。とりあえず必要な資料のありかを説明し、会社にいる課長にうまく取り計らってもらうようにお願いする。土浦についた時点で本当に出社せねばならぬのかと確認の電話を入れたところ、その辺の技術に長けている課長らしく「なんとかやっつけた」とのことであった。当初、明日あさって休日出勤といわれたので、それはちょっと勘弁願いたいなあと思ったりしたのはほかでもなく明日あさっての日記を見ていただければわかることである。戻る↑
    4月14日(木)「学会へ出張」
    本日は学会へ出張である。学会への出張は久しぶりであるが、本日の最大のミッションは漏れなくついてくる懇親会で鱈腹旨いものを食うとか、おねえちゃんとの出会いを大切にするとかなどという本来の学会活動ではなく、課長の「自宅からタクシーで土浦に行き、出張先が東京なのに宿泊をしたという出張の実績を作ってくること」という切実な願いを成就することにある。つくばは東京からは100km圏内にあることはご存知のとおりであるが、会社の内規では100km以内の出張では日帰りしろやゴルァと定められている。しかしながら、交通のきわめて辺鄙な地であるつくばから朝9時に旗の台にある某大学病院の講堂で繰り広げられる学会に参加しようとすれば、自宅を朝6時に出発して30分強バスに揺られてようやく土浦に到着し、土浦始発の通勤快速の椅子取りゲームに勝利し、日暮里から山手線を半周し、五反田から池上線のワンマンカーに乗り、旗の台から10分ほど歩かねばならないのである。この移動に要する時間は片道2時間半であり、今回の二日続けて行われる学会では、一日目の夜に懇親会などというイベントがあり、これに参加すれば会場を出るのは夜8時である。日帰り出張を連発することは物理的に可能であるが、誰がそこまで割の合わないことをせねばならぬのかと言いたいところである。しかしながら、ルールはルールなのである。以前の職場の庶務は融通が大変利き、「私がルールブックです」ともいいたげな庶務課長のもとで、きわめて現実的な運用がなされていたのである。しかしながらつくばに移動してみたらば、つくばの庶務課長は融通のまったくきかない課長であり、対策に頭を悩ませているのである。本日はその目的のために宿泊をすることとしていたが、本当に肉体的にきついかどうかをこっそり検証しようという目的でとりあえず帰宅してみた。確かにきついので、これは宿泊するべきであったと実感する。戻る↑
    4月13日(水)「東坡肉と回鍋肉」
    東坡肉(イメージ)昨日テレビを見ながら作っていた東坡肉が思いのほかうまく出来たので、奥さんが最近東坡肉やテビチ作成に燃えているという友人に電話してみたところ、奥さんとのやり取りの末自宅にやってくることとなった。友人の奥さんが電話の向こうで友人に伝えた内容を聞けば、「回鍋肉がうまく出来たので明日食べにこないかといってるんだけど」なのだが、友人はきちんと東坡肉を食べに来たと理解できたというから不思議な伝言ゲームは正しく出来たようであり、無事そのうまい味わいを堪能する。冷静に考えると回鍋肉なんて勝手に作って食っていればいいはずなのでなんでまた間違えたのかと疑問が差し挟めそうなものだが。本日は自宅で友人と雑魚寝となり、そういえば明日から出張だったよなあと思いつつ酔っ払ってそのまま熟睡する。戻る↑
    4月12日(火)「技術屋魂」
    久しぶりにプロジェクトXなんかを見てみることとした。本日はJUKIの工業用ミシンである。軍需工場が終戦後食うためにパンを焼くなどという味わい深いことをしていたが、ミシンのコピーを始めて技術を蓄積し、ついには本家のミシンを追い出してしまうという立身出世物語である。しかしながら流れ者の「腕に覚えあり」な技術者という役者など、はっきりいって舞台は見事に出来上がっている。針の上下と同期を取って糸を切ることは困難なことであり、世界の誰もができぬことだと謳っているのであるが、同期を取ることに関しては日本が編み出した凄まじい技術が戦時中には確立していたはずである。そう、零式戦闘機の先頭にあるプロペラの隙間から機銃掃射を可能にしたあの技術である。たぶんその技術の蓄積がありミシンは飛躍的な進歩を遂げたと思われる。軍事技術の民間への天下はいつの世も技術を牽引するのである。戻る↑
    4月11日(月)「官製デモ」
    朝早く友人宅を出て自宅に戻り、朝飯を食べ、一風呂浴びていざ会社に向かう。つくばでは夕方飲みに出ると移動が侭ならなくなるというきわめて難しい問題が待ち構えており、そのため朝帰りは斯くも当然のように行われる。帰宅してテレビをつけるとどうやら中国では必要以上に派手なデモが繰り広げられている。デモを認めることが共産主義の理念には無いはずなので、これは多少柄の悪く統率の取れないマスゲームであろうと解釈するべきものであり、ほんのり北の国にその次第をご指導願うことが必須ではないかと思われる。適度に「民衆が怒ってますねん」ということをアピールするのが狙いであろうが、仮想敵国を作るという政府の企みは民衆の不満をそらすことに尽きるのである。しかしながら、国内での貧富の差に民衆が不満を高めたり、一人っ子政策のあおりを食らって戸籍の無い子供が日本の人口を凌駕し、その子供同士がすでに子供を作りネズミ算式に戸籍の無い中国人が増え、戸籍の無い中国人が難民となって都市に溢れますます貧富の差が広がり民衆が不満を高めるなどということを考えると、早晩中国は崩壊するのではないかと思われる。これを解決する方法はおそらく無いので、海岸沿いの豊かな省と内陸の貧乏な省とが分裂して別の国家を作るしかなさそうに思われる。そのあと貧富間で対立が深まり内戦となれば、またガラガラポンで適当に調和の取れた国ができそうな気がするが、さすがにそこまで僕が見届けることはできそうに無い。しかしソフトランディングはできなさそうな、そんな気がする。戻る↑
    4月10日)「龍ヶ崎の焼酎屋」
    自衛隊の敷地の桜並木@阿見目が覚めてとりあえず自宅に戻る。とりあえず帰宅してぐっすりと眠り、昼過ぎに目を覚ます。昼過ぎに家を出て、本日は龍ヶ崎の味わい深い焼酎屋である飯野屋に向かう。つくば界隈は国の研究機関が密集しており、広い敷地にはどこでもこれでもかとばかりに桜が植えられており、そのため本日のようにうららかな春の昼下がりともなれば一般公開されたその敷地には周辺から住民が犇めき合っている状態である。そのため道路は激込みであり、つくばにとっては厳しい季節である。桜の美しさは人を斯くも引き寄せるものであるが、地域住民との親睦を桜を見せていれば全うできるとでも勘違いしている国の姿勢が垣間見えるのは気のせいだろうか。龍ヶ崎の焼酎屋は味わい深い焼酎が多く、店の親父が話し出したら止まらない等味わい深さがあり、なかなか近くにいい店があったものだと思いを新たにする。その後車を龍ヶ崎飛行場や阿見飛行場を見物し、阿見にある自衛隊の武器学校に桜を見に行く。さすがに時間切れで敷地内を闊歩することは侭ならなかったが、入り口の守衛に事の次第を説明し、桜の写真を撮らせてもらう。今年の桜をたっぷりと満喫し、帰宅して晩飯でも作ろうかと思ったときに友人から電話があり、本日買ったばかりの蕎麦焼酎を持って友人宅へ。うまい飯と酒を満喫して友人宅で没する。戻る↑
    4月9日)「珠玉の温泉と煮込みカツ丼」
    牛乳屋食堂@会津若松朝起きて、いざ本日の最初の目的地に向かう。本日の最初の目的地はなぜか福島空港である。全日空の搭乗券の半券を2枚集めるとEdyにチャージできるという期限が迫っており、全日空の売店に搭乗券なしで行くことができる空港というのが限られており、自宅からの最寄が成田もしくは福島である。というわけで、およそ東北に向かう理由としては不似合いな理由で福島空港に到着し、無事Edyをチャージしていざ本日の次なる目的地に向かう。本日の目的は自遊人の温泉パスポート消費と美味なる福島の味の探索である。空港で本日の温泉候補である那須温泉と二岐温泉に電話をしてみたところ、那須温泉は「現在使用されていません」などという物寂しいご案内があったため、ああいよいよ廃業なされたのかと思いを新たにし、二岐温泉に出向くこととした。二岐温泉では見事なまでの河原の露天風呂を満喫し、次は味わい深い食の探訪である。会津といえば煮込みカツ丼と喜多方ラーメンかなあと思いつつ車を会津若松に進める。芦ノ牧温泉の駅前に差し掛かったときに牛乳屋食堂を見つけ、そこで煮込みカツ丼とラーメンを満喫してしまう。その後車を飯坂温泉に向け、温泉を満喫し、いざ帰宅。途中あまりに眠いので東海PAでちと休憩をと思ったのだが、気がついたらそのまま眠りこけていた。戻る↑
    4月8日(金)「石岡の壁に挑む」
    ようやく生活が落ち着いてきたので、週末出かけるという生活をそろそろ再開させることとした。ということで夜から出発し、これまでと比べて格段に近くなった東北に出向くこととした。つくばから東北に向かうにあたり、一番の難関である石岡の壁を本日は攻略してみることとした。石岡の壁とは一般国道6号の石岡市内の混雑を言うのだが、間違っても昼間は近づいてはいけないところであるため、今回は夜中に通過することを計画した。しかしながら道は相変わらず流れが悪く、やはり名前は伊達ではなかったと思い知らせるものであった。その後常陸太田で1週間前に廃止された日立電鉄なぞを見物し、道の駅さとみで没する。戻る↑
    4月7日(木)「前向きな駐車」
    現在の新居と同時に駐車場をおさえていたのであるが、駐車場が地主の意向で閉鎖され、先日よりもう少し遠い場所に新たな駐車場が確保されてしまった。しかしながらこの駐車場は前向き駐車でお願いしますという不思議な制約がついており、当初は何ゆえか理解できぬものがあった。ということであまりそのような制約を気にすることなく後ろ向きに車を止めていたところ、朝ワイパーに、「お仕事ご苦労様です。排気ガスがこちらにかかるのを少しでも防ぐために前向き駐車をお願いいたします」という印刷された素っ気無いA4の紙が挟まれていた。なるほど前向き駐車の必要性はこういうところで発生しているのだなと納得し、帰宅時に車を止める段にはきちんと前向き駐車をしてみた。翌日もまたもやワイパーに紙が挟まれており、今度は何が不満やねんと見てみたところ、「早速前向き駐車にご協力いただけましてありがとうございます」と自筆で綺麗な紙に書かれていたのであった。どうもこれまで生活してきた街とは違い、ここは必要以上にハートウォーミングというか暢気というかほんわかしているように思われる。戻る↑
    4月6日(水)「早くも本日は歓迎する側」
    会社では僕らの業務を手伝ってくれる派遣社員がおり、4月1日からこちらで仕事をしていただくこととなった。しかしながら高々1週間前にここに着いたばかりだというのに、わが社へようこそという感じで本日は歓迎会を開くこととなった。確か先週にはようこそと歓迎されたはずなのにこの身の変わりようは見事なまでである。怪しげなチェーン店で宴会は始まり、なぜかやたらと飯が出てくるが酒はまずいという困った店である。飲み放題ということでメニューを見るも貧困なラインナップであり、焼酎はロックお湯割り水割りと書かれてはいるものの芋か麦か米か蕎麦かは不詳であり、配膳のおねえちゃんに事の真相を質そうにも「わからないです」といわれてしまう始末。こういう店はあまり行きたくないなあと思ってしまったが、重要なのは歓迎の意を表すことであり、一同に会して飲み会をすることなのである。でも飯と酒がうまければ更に盛り上がることは言うまでも無い。戻る↑
    4月5日(火)「正しい歴史観」
    教科書国家百年の計を考える上で一番重要なのは、国力を高めることである。国力を高めるためには、優秀な人材を確保することが何より必要である。ほんのり北の国のように海外から無理繰り人材は調達する方法もあるし、超大国のように移民を受け入れるという調達方法もある。しかしながらどこの国も優秀な人材を確保するためには教育が欠かせないことはわかっているようであり、日本の学生の競争力の程をとやかく言うニュースが新聞紙面を飾ることが多いのはそのことを理解しているからであろう。しかしながら、優秀な人材を開発するためには優秀な教師と教材が必要である。それゆえ教科書は検定があり、国家として教えるべきことを管理する必要が出てくるのは当然のことである。しかしながら近隣諸国との関係を学ぶ地理や歴史においては、誰の立場から見た歴史なのか、という大変難しいテーマが与えられていることが多く、どの国でも自分たちの国の正当性を子供に焼き付けることに余念が無い。利害関係が存在する間柄において自分の意見を押し通すことは衝突を意味するが、愛国心なくして子供は成長しないのである。日本のように太平洋戦争の反動で緩々になっているのんきな国はさておき、どの国も「われわれの国は正しいニダ」とか「われわれは過去の過ちを謝罪しない国家を許さないアルヨ」と声高に叫んだりするものである。立場が変われば同じ出来事でも捉え方は違うものである。お互いの事情や立場を理解することが社会的な存在として成長するということを考えれば、教育とは間違ってもお前は間違っていると頭ごなしに内政干渉をすることとは対極の位置にあると思われる。戻る↑
    4月4日(月)「お休みを取ってみる」
    週末の過ごし方を総合的に判断すれば、本日はお疲れモードであることはいうまでも無いことである。3年ぶりに一人暮らしを始めてようやく軌道に乗ったわけであり、ほっとしたという事もあろう、本日は体が休息を求めているのである。ということで本日は休むこととした。たっぷりと休みを取り、英気を養うという目的であったが、それでもなぜか家事をこなしていたりしているのがどうなんでしょうかと思ったりする。するといきなり電話がかかってきて、「不動産屋から頼まれて修理してくれということなので来た」というアポなしで建具屋が押しかけてくる。事情を説明して不備のある部屋の改善を求め、無事にそれなりに始末をつけてもらい更に快適な生活ができることとなった。それにしても本日休みを取っていなかったらどうなっていたのであろうかとわけのわからない心配もあるが、それよりなによりいまどきアポなしでやってくることに感動してしまったりする。夜に久しぶりにページを更新して寝る。明日は何とか会社にいけそう。戻る↑
    4月3日)「買い物終了」
    朝飯を食し、自宅へと戻る。やることはいろいろとあるのだが、とりあえずは買い物に出かけることとした。タイヤのちびり具合が凄まじく、スリップサインすら磨耗しそうな勢いであり、本日は近所のスーパーオートバックスでタイヤを交換する。まずは予約を入れ、そのあと自宅近所のまぐろ丼やでまぐろ丼などを食し、いざタイヤ交換。そのあと車を谷和原へと進め、谷和原のミドリ電化でプリンタを購入する。ちなみに自宅から数百mのところに電気街があるのだが、ミドリ電化のポイントがたっぷりあったのでそちらを使ってみた次第。程よくポイントを放出して帰宅。帰宅途中にホームセンターでごそごそといろいろなものを購入し、これで生活に必要なものはほぼそろったという感じであった。帰宅してプリンタを設定し、これでようやく転居のお知らせが印刷できるなあという感じ。戻る↑
    4月2日)「五浦温泉とお魚センター」
    輸送費自分持ちなので激安の魚朝から友人と温泉に出向くこととした。茨城の北端に位置する五浦温泉は味わい深い温泉であり、「浪速大学病院第一外科御一行様」や「するってぇとなに会」などという味わい深い団体が利用されていることは周知の事実である。この味わい深い温泉はこの度の自遊人源泉パスポートで利用することが可能であり、本日はその消費もかねて立ち寄った次第。温泉を満喫した後はひたちお魚センターに向かうが、日立市内の凄まじいまでの渋滞に辟易しながら進む。お魚センターは海の幸が激しく豊富であり、浜値というものをよく理解することができた。何よりもすごいのは、こちらが特に頼みもしないのにどんどんまけてくれるということである。市場の隣にあるすし屋で心行くまで魚を堪能し、たっぷりと魚を仕入れて帰宅。帰宅して友人と本日仕入れた魚で宴会を開き、本日も夜は更けていく。本日よくわかったことは、魚の値段は8割が輸送費であるということであった。戻る↑
    4月1日(金)「歓迎会」
    新たな職場での仕事も1週間がすぎ、本日が部長に命じられていた「ごく普通に仕事をしている状態」の開始である。人事異動の辞令が本日付で出ているのにごく普通に新天地で仕事をしていることは何かしら不思議な気もするのだが、あまり気にしても仕方がない。それはさておき、本日は歓迎会である。モータリゼーションが発達しているというか公共交通が極めて貧困なこの地においては、飲み会とは「誰か一人が飲まないで運転する」とか「代行を頼む」などというリスクを伴うものである。しかしながら本日の会場は自宅より徒歩圏内にあり、歩いて飲みに行くというこの地ではうらやましい限りのことをすることができた。飲み会はいつものごとく普通に執り行われ、2年ぶりに部署が統合されたわけであり、久々の大所帯の飲み会であった。飲み会終了後友人と自宅で飲みなおし、珠玉の芋焼酎を堪能して夜は更けていった。戻る↑