2005年3月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 3月31日(木)「日常的な生活の定着」
  • 3月30日(水)「引越しの片付け完了」
  • 3月29日(火)「住所変更前に銀行から」
  • 3月28日(月)「つくばとニューヨークの類似性」
  • 3月27日)「日曜日には近寄りたくない店」
  • 3月26日)「なぜか土曜出勤」
  • 3月25日(金)「つくば発出勤」
  • 3月24日(木)「整理がつかない」
  • 3月23日(水)「新居到着」
  • 3月22日(火)「いざ出立」
  • 3月21日)「温泉行脚」
  • 3月20日)「素晴らしい世界遺産」
  • 3月19日)「日本人の故郷と美味なる牡蠣」
  • 3月18日(金)「住所不定」
  • 3月17日(木)「本社出張」
  • 3月16日(水)「身辺整理」
  • 3月15日(火)「書類運搬の監督」
  • 3月14日(月)「最後の一週間に突入」
  • 3月13日)「きれいなおねえさん」
  • 3月12日)「携帯機種変更」
  • 3月11日(金)「本日は一応追い出す側」
  • 3月10日(木)「光るぬいぐるみ」
  • 3月9日(水)「送り出され会その3」
  • 3月8日(火)「新たな銀行口座開設」
  • 3月7日(月)「二代目の限界」
  • 3月6日)「梅の御紋のお庭の梅」
  • 3月5日)「味わい深い温泉と世界遺産の宿」
  • 3月4日(金)「送り出され会その2」
  • 3月3日(木)「テレビ会議」
  • 3月2日(水)「たぶん最後の検診」
  • 3月1日(火)「ようやく新居決定」


  • 今月の日記
    3月31日(木)「日常的な生活の定着」
    八百屋「うなぎや」青木葉日出男の店ようやく日常生活のリズムがわかり始めたように思われる。本日でつくばに来て1週間である。来月からの仕事の内容もほぼ決まり、何とか生活が動き出したように感じられる。ということで、余裕ができたのであろう、身の回りの探索をはじめてみることとした。味わい深い店やこだわりの店がないだろうかなどという探索は生活を豊かにしてくれるものである。ということで近所をぶらついてみたところ、大変味わい深い店とこだわりの店を見つけてしまった。やはり八百屋なのに「うなぎや」という名称はいかがなものであろうかと思ったり、きっとカリスマ美容師に間違いないであろう「青木葉日出男の店」などである。つくばにもこのような味わい深い店があることがわかり、なかなかに人間はこだわりをもって生きているのだと再確認した。戻る↑
    3月30日(水)「引越しの片付け完了」
    引越しの片付けはほぼ終わっていたのであるが、台所にはいまだにダンボールが堆く積まれている。引越し業者に連絡したところ、気前よく何とかしますと元気だけはいい返事であったがそれ以来連絡がないということがここ数日の展開であり、いつになったらもって行ってくれるのだろうか時をやきもきさせていたのであった。本日帰宅したところ廊下に出しておいたダンボールは片付けられており、これで自宅の片付けは無事完了したということになる。しかしながらいまだに入居時の問題箇所の補修は進んでおらず、まだまだ問題山積である。戻る↑
    3月29日(火)「住所変更前に銀行から」
    給与振込みがなされる銀行の支店がなく、ATMがあるだけというかなり心許ないこの街で今後どのように生活するべきかは悩みの尽きぬ問題である。つくばで利便性を最優先とした場合、お取引させていただく銀行は常陽銀行か関東つくば銀行であり、現在のうん○ふんじゃった銀行は水戸に行かない限り茨城県では支店が存在しない。しかしながら、以前の職場でも最寄の銀行は摂津水都信用金庫と京都銀行であり、ここにおいても役に立っていなかった。それゆえ日常的に銀行を利用するには、街に出るときに大量に金を下ろし某外資系金融機関に移していたのであった。これならば全国どこでも郵便局でも金が下ろせるというものである。たぶんつくばでもこのような生活パターンに代わりがないことは間違いがないが、以前にもましてうん○ふんじゃった銀行が遠のいていることが些か気がかりである。本日そんなこんなで頭をめぐらせていた銀行からの不在通知が届いた。確か銀行にはこの住所のことを話してもいないはずなのに、と思ったのであるが、どうやら会社の仮払い口座が開設された模様。これまで出張の交通費は現金でもらっていたのでお金を下ろす機会が少なくても何とか凌げていたのであるが、今後はその手段もないことになるため、えらいことになってしまったものだとこれまた頭を抱えてしまう。戻る↑
    3月28日(月)「つくばとニューヨークの類似性」
    カレーとナン@つくば%美味つくばという人工的な街には土着の文化がそれほどない。しかしながら日本だけでなく世界中からさまざまな人が集まっているという珍しい土地柄であるため、世界各国の料理を楽しむことができるという特徴がある。ということで本日は友人と旨いカレー屋に行くこととした。インド料理やなのかと思いきや、表には緑地に赤き日の丸が染め抜かれたバングラディシュの旗が描かれている。でも料理はインド料理である。そして友人いわく夜にここに来たときは自分以外が入っているのを見たことがないということであり、いったいこの店は大丈夫なのであろうかと心配しているとのことであった。心配してはいるが料理の味は絶品であり、この日本の片田舎にいながらにして世界中の料理が味わえる環境というのはなかなかに捨てがたいものであると思った次第。歴史的文化と言う言葉の概念すらなさそうなアメリカの大都市ニューヨークの食文化が、世界各国の料理が軒を連ねることによって醸し出されていてことを思い出し、もしかしてつくばとはそのようは手法で新たな食文化を構築していくのではないだろうかと思いを新たにした晩飯であった。戻る↑
    3月27日)「日曜日には近寄りたくない店」
    creo@つくばつくばの中心地は市役所のある谷田部ではなく、バスターミナルのある吾妻である。そこにはジャスコと西武百貨店が入っており、その周りには最近になって常磐新線の開通を当て込んだオサレな専門店街が先日オープンしたとのことであった。何しろどれだけ新しいかといえば、物件を探しに先月つくばに出向いたときは工事中であったというからその新しさが理解されようものである。それゆえに車社会のつくばではここへの交通集中は凄まじく、駐車場に入るだけで30分かかるなどという馬鹿げたことになっている。自宅からバスターミナルまでは正味徒歩で5分しかかからないわけであり、荷物が多くなければ車で行く理由は微塵たりとも発生しない。本日はカーテンの受け渡しと言う理由で車で出向いたがえらい目にあっただけであり、よほどのことがない限りここでお世話になることはやめておこうと思いを新たにしたのであった。本日は電気工事屋がエアコンの配線をしてくれるということであり、また電気屋が先日購入したテレビとビデオを持ってきてくれるということであったため、家の中で慌しく工事をしてもらうこととなる。電気工事屋に配線をお願いした後で洗濯機のアースを取り付ける工事をお願いしてみたが、そもそもアースを取る工事が基本からなされていないためたぶん無理だろうとのことであった。ひとしきり作業が終わったので不動産屋に修理のお願いと入居時のチェックリストを持って行き、いろいろと話をしてみようかと思ったが、担当のおねえちゃんは別の接客に追われて相手にしてもらえず、しかも僕が細かいことや苦情ばかり持ってくるという形になっているため、不動産屋としては迎撃体制を敷くようになってしまい、主任と思しき人物が今後対処するようになってしまった。夕刻、友人宅でいい気分で酔っ払いそのまま厄介になる。つくばという車社会では飲みに行くとそのまま泊まるということが当然となるのだなあと思いながらいい気分で引越しの進捗や顛末などを話す。戻る↑
    3月26日)「なぜか土曜出勤」
    間につくばへの異動が含まれようとなかろうと、週勤5日制である会社では月曜日が休みであったならば本日は出勤日である。本日はまったくもってテンションが上がらないままだらだらと仕事をするというか相変わらず片づけをするなどということで本格的な始動を来週と勝手に設定しその準備に追われることで仕事を先延ばしにしようとする作戦を展開。そもそも土曜日は通常でも仕事をするテンションが低いため、まったりとしてそれでいて不熱心な時間のすごし方をする。それでも仕事はいろいろとあり、引越しの異動にかかった交通費の精算とか、実は車で移動したんですけどどないしましょうか、向こうの部署の庶務課ではJR換算で交通費は支給するということでしたのでその値段を書いたらええんでしょうかとか、領収書ないけどそれでとおりますかなどというかなり細かい話をしたり、保険証を新しいやつにしてもらったりとこまごまと仕事をこなす。もちろん本日も定時ダッシュを決め込みそそくさと帰宅。明日一日では到底片付きそうもないという思いを胸にぼちぼちと片づけしながら疲れたのでそのまま寝る。戻る↑
    3月25日(金)「つくば初出勤」
    本日より出勤である。職場まで何分かかるのかというシミュレーションは実施済みであったが、初日ぐらいは早く行こうというか寝坊したらしゃれにならないということであまりよく眠れないまま仕事場に向かう。交通の程は適当であり片道13kmというよく考えたらこれまでと交通手段が違うだけで距離はあまり変わっていないのではないかと思えるところに仕事場はあり、工業団地の片隅に鎮座する会社についにここまで来てしまったという何かしらの寂寥感を感じていたりする。本日は運び込んだ荷物の整理とコンピュータのネットワークへの参加の設定で一日がほぼ終了し、溜まっていたメールを何とか消化するだけで精一杯であった。帰宅してインターネット接続の設定を行い、晴れて本日ネットは開通した。収容ビルが目の前にあるという環境でのADSLは2.4Mbpsとぼちぼちな速度を出しているが、これまでの光ファイバーの環境に比べれば一桁遅いわけである。しかし、この速度を遅いとは思わないのでまあいいんじゃねえのと考えてみる。戻る↑
    3月24日(木)「整理がつかない」
    朝から親をホテルに迎えにいき、朝食を摂る。本日は筑波大学では卒業式などというイベントが執り行われているようであり、羽織袴のおねえちゃんを時折見かける。そんなホテルを後にして自宅に戻り、役所に転入届を出したり印鑑登録をしたり、テレビとビデオを買いにいったりして忙しくすごす。台所の整理は親に任せていたのでそこんところは無事終了したが、それ以外の部屋は一向に片付く気配を見せるものではなく、前途は多難である。夕方親を土浦まで送り届けて修理を頼んでいた電気工事屋に修理をお願いしたりするが御座なりだったりするので不動産屋に文句を言ったりする。その後ホームセンターにカラーボックスを買いに出向き、帰宅して組み立て始めたが、部品が間違って入っているというキットであったためお客様センターに連絡し、その後買った店に連絡を入れる。店側は自社ブランドの製品であったことも手伝ってか平身低頭状態であり、部品が間違っていた時点で組み立てる気力が萎えていたことも手伝ってかディスプレイ品をいただけないですかというわけの判らない相談をしてみる。店がそれを了承してくれたので、不揃いの部品を束ねて店に運び込んだところ、新しく組み立ててくれたと言うカラーボックスがそこに置かれていた。なかなか気の利いた店だなあと少し評価を高め、ケーヨーデイツーつくば店を後にする。戻る↑
    3月23日(水)「新居到着」
    朝から不動産屋に鍵を取りに出かける。昨日不動産屋のおねえちゃんから電話があり、私はお休みいたしますので他の者に託しておきますということであったため、初っ端からテンションが上がらない。物件を決める上でかなりの決め手となった筈なのに、前提条件の崩壊は問題である。新居に到着したところ、すでに引越し屋のトラックが待ち構えており、いきなり運び込みが始まる。運び込みは小1時間ほどで終了し、引越し屋が去っていった後は詰めるのに2週間ほどかかったこのダンボールをさっさと荷解きせねばならないわけであり、前途多難である。ということでボツボツ荷物でも解いてみようかとはじめたところ、親から電話がありまもなくバスセンターに到着するとのことである。バスセンターまで親と兄を迎えに行き、家に連れてきてとりあえず昼飯とする。その後生活用品を大量に買いこみ、片づけをぼちぼちしながら夜になったので兄を土浦まで送り、親をホテルに送り届けて本日は終了。本日の時点でいまだに不足しているものはインターネットと冷暖房、それにテレビとカーテンである。冷え込みが厳しいさなかにカーテンがなく暖房がないのは殊の外厳しい。戻る↑
    3月22日(火)「いざ出立」
    以前引越し業者に連絡したところ、8時から引越しをするのは無理で9時ぐらいにしてくれと言われていたため朝からゆっくりとしていたところ、8時過ぎに引越し屋がやってきてあわててこっちも身支度する。引越し屋としては思ったよりも荷物が少なく、しかも荷造りがほぼ完全に終わっていたため、当初の予定よりもずいぶんと早く運び出し作業は終了し、9時過ぎにはトラックを見送るということとなった。見送った後でおもむろに車を出し、いざ新居を目指す。東京へ向かうときの最適解の経路で移動をするのは今後もあるだろうけど、それほどこの道を利用することはなくなるんだというところに引越しの現実を感じたりするところが少し間違っていませんかと突っ込みを受けそうなものであるが、こればかりは仕方がない。今回はとりあえず時間優先ということで高速道路を遠慮なく横浜町田まで利用し、保土ヶ谷BP経由で首都高を利用する。湾岸線で激しい渋滞に巻き込まれたりしたが、予想の範囲内で無事つくばに到着。昨日分かれた友人宅に向い、宴会をして本日は終了。戻る↑
    3月21日)「温泉行脚」
    注意を喚起するスピーカーと監視カメラつぼ湯朝より共同浴場にして貸切風呂という不思議な「つぼ湯」の予約に向かう。朝6時よりつぼ湯は営業していると言うことで6時過ぎに出向いたところ、すでに6組予約が入っており、入れるのはおそらく8時ごろであろうと言われ、予約して宿に戻り2度寝を開始する。2度寝から目を覚まし、温泉粥の朝食を満喫し、温泉コーヒーなどで源泉をたっぷりと飲泉していざつぼ湯へ。つぼ湯のいわれを滔々と書いた看板には、関東くんだりからこの地にまで小栗判官が行き絶え絶えになりつつやってきて湯治をしたという件が述べられていた。温泉で炊いたご飯の握り飯隣の豪族との諍いで危うく毒殺されたという事は同じでも、諍いの原因が領地争いと娘の横取りとでは雲泥の差であるが、物語としては後者のほうが盛り上がるというものであろう。しかしながら、関東より444日かけてこの地に到着したということであるが、湯治ならばわざわざここまで来なくても箱根とか伊豆にはこれまた呻るほど温泉があるわけであり、途中そこで我慢できなかった理由などいまだに不明なことは多い。とまあ寒い中順番待ちをしながらそのようなことを考えていたところ、ようやく順番が回ってきたのでいざ入浴。湯小屋に入るときに外で履物を脱がなかったところ、湯小屋の前にあるスピーカーから「履物を脱いでください」と言われてしまう。そういえば前のメンバーが入浴中であったことがわかったのは外に履物が脱がれていたからだったと思い直すなど、他山の石とするべきものを弁えていない事態であったが、これも念願のつぼ湯に入れたからに違いないと勝手に解釈をしてみる。湯を満喫していざ熊野本宮で参拝し、参拝後に出先の茶店でもちを食したりしていざ車を北に進める。まずは自遊人の源泉パスポートを消費するべく十津川の上湯温泉を目指す。途中十二滝を見物したりして紀伊半島の奥深さを満喫し、無事温泉に到着。熊野本宮大社参道十二滝@十津川露天の男湯は道から丸見えであり、それだけ景色のよい温泉にまったりとつかり、心行くまで温泉を味わう。風呂上りの運動と称して川に架かる野猿などを堪能し、川の半ば辺りで「この辺で勘弁しといたる」と息絶え絶えに帰還したりする。その後車を龍神に向け、龍神でこれまた結構なお湯につかる。今回利用した温泉は龍神温泉の「下御殿」であり、洗い場および浴槽が畳敷きという摩訶不思議な浴殿であり、座敷で入浴というコンセプトが感じられたがその狙いのほどは不明であった。温泉街の喫茶店で激しくまずいラーメンなんかを食し、高野龍神スカイライン経由で関空へと向かう。スカイラインはさすがに標高が1000mを超えるだけあって路肩には雪が残り、海岸べりの温暖な気候とのギャップに紀伊半島の大きさを感じる。関空には予定通り到着し、友人と茶をしばきながら出立の時間を待つ。友人を見送り、明日はよろしくねと言う不思議なせりふで友人と別れて帰宅。帰宅して最後の荷物をまとめて最後の夜は更けてゆく。戻る↑
    3月20日)「素晴らしい世界遺産」
    オサレなリゾートホテルおよそ宿に泊まる人間に馴染まないリゾートホテルで目を覚まし、窓からマリーナを眺めるなどというお洒落溢れる環境の中、朝飯を必要以上に詰め込みチェックアウトしていざ紀伊半島を奥深くに攻め入る。那智大社日本では珍しい下る参道まずは大内山にある牛乳風呂を目指す。この牛乳風呂は以前にもいったことがあり、なかなか珍しいということで友人を連れて行こうと思い立った次第。以前と変わらず牛乳の臭み溢れる露天風呂はこれが屋内であれば異臭騒ぎで倒れる人もいたであろうと思えるものであり、かの麗人エリザベートが己の美貌を保つために牛乳風呂に入っていたときにはこの臭いに打ち勝ってまで余りある美しさを手に入れたかったのであろうかと思う。その後車をさらに南に進め、御浜にある回転寿司屋でうまいマグロに舌鼓を打ち、いざ本日のメインイベント会場である那智の滝を目指す。日本一の落差を誇るその滝は偉大にして煌々としており、この滝の姿をカメラに収めるには己の腕のなさも手伝ってか困難を極める。心行くまで滝を鑑賞した後は山道をひたすら走って湯の峰温泉へと向かう。日本最古の温泉と名高いこの温泉では宿の温泉のみならず、アンドレ・マルローが絶品と評した隣のお宿の高野槙の味わい深い温泉までをもを満喫し、日本の温泉の真髄を感じる。その後心行くまで酔っ払い熟睡。戻る↑
    3月19日)「日本人の故郷と美味なる牡蠣」
    内宮引越しが間近に迫っているというのに、この三連休は旅行である。引越しというか異動を命じられるよりも前から計画が組まれており、早い者勝ちというコンセプトで予定表を組んでいる人間としては早々予定を変えるわけにも行かない。たぶん冷静になって考えれば、引越しなどと言うイベントは鉄板で「早々」に該当するとは思うのであるが、何とかなるであろうという計画の甘さを鑑みて本日は旅行することとなった。赤福@外宮おかげ横丁赤福製作現場のおねえちゃんということでつくばから来た友人を亀山で拾う。友人は亀山なる場所を知らないし、生まれて初めてこの駅に降り立つ。友人を無事出迎えて、本日の目的地である伊勢へといざ向かう。途中ヤマギシ会の農場などを車窓から見物し、日本人の故郷である神宮へと向かう。まずは外宮に向かい、その規模のでかさと歴史の重みを実感する。その後に内宮に向かうが、外宮と違いこちらは観光客で大混雑である。仕方がないので五十鈴川べりの臨時駐車場に車を止め、川べりを遡上しておかげ横丁に先に出向くこととなる。おかげ横丁の赤福の店で香ばしく熱いほうじ茶と作りたての赤福餅を食し、赤福餅の製作工程を見物しながらいざ神宮へと参拝する。神宮の森は深く、年明けに行った高千穂とは異なるが、ここもまた日本人の故郷である。参拝を済ませておかげ横丁で伊勢うどんなどを食し、本日は灯台めぐりということでまずは大王埼を目指す。大王埼灯台安乗埼灯台大王埼は駐車場から灯台までの味わい深すぎるみやげ物店を見物し、色褪せたジャンボマックスなんかを見つけたりしていざ参観する。快晴なので眺望は殊の外素晴らしく、チケットは順調に消費された模様。外宮みやげ物界隈の「フレッシュな干物」といういまひとつ理解に苦しむ売り文句に頭を悩ませながら次なる灯台安乗埼を目指す。この灯台は13枚綴りのチケットが14枚綴りになったときに新規参入した灯台であり、去年参観可能となったこともあってか灯台内部は妙に新しい。眺望はこれまた素晴らしいもので新たに購入した14枚綴りのチケット消費は順調である。そののち車を本日のお宿へと向ける。本日のお宿は先日の沖縄旅行時にANAの機内で読んだ「翼の王国」に紹介されていた牡蠣料理のフルコースが楽しめるというホテルであり、柄にもなくオサレなリゾートホテルである。おまけに温泉も沸いているし、ギャルソンはめがねっこのおねえちゃんだしと申し分なきこの天の配剤に感謝しまくりであった。牡蠣は目の前の浦で養殖されている新鮮なものであり、心行くまで牡蠣を満喫し、〆が牡蠣の釜飯などという心憎いまでの演出であったことも特筆ものであった。戻る↑
    3月18日(金)「住所不定」
    朝から市役所に向かい、転出届と印鑑登録の廃止を申し出る。3年前は転入でこの役所に来たのであるが、それと時期を同じくして今度は転出である。転出を受け取ったときから僕は住所不定であり、犯罪に巻き込まれた暁には新聞紙上では「住所不定」と言われるのであろうかとつまらぬことを考えるが、転入先の住所を役所が把握しているためたぶんそういうことにはならないと思われる。さて、その作業は無事終了し帰ろうとしたときに、車をとなりに止めていたおっさんがこちらが車を動かして出発しようとしたらのっそりやってきて「お前は俺の車を擦った」と文句を言ってきた。どう考えてもそんなことはしていないので否定するが、麗らかな春の陽気に当てられたデムパなおっさんを前にして論理的な説明は屁の突っ張りにもならず、仕方がないので場内整理をしていた警備員に同意を求めておっさんを預けてそそくさと逃げる。帰り道にタイヤを夏タイヤに替えてもらい、帰宅して引越しの準備を続ける。戻る↑
    3月17日(木)「本社出張」
    本社に行くのは今月2回目である。本社は昨年新築されたばかりのビルであり、仕事場はおしゃれな都会のオフィスと言う雰囲気を漂わせているところである。しかしながら場所が船場センタービルの近くというコテコテの大阪であり、本社に居座る偉いさんもすべてが大阪人ベースである。会議の内容も標準語的な会話で始まるがぶっちゃけた話になると関西弁しか通用しない世界であり、会議中に「飴ちゃん」などという単語が出るあたりにここでの標準語は関西弁であることが否応なしにわかる。これで東京進出を考えてつくばに僕らを異動させる気か、剰世界進出を図ろうとしているのかと何気なく不安を感じていたりする。さて会議であるが、通常業務中に課長から叱咤されることにいい加減慣れているし、それで鍛えられているのでそれほどのショックは受けないのだが、課長がボロカスに言われるぐらいの偉いさんを相手にしてぼくがボロカスに言われないわけがなく、いつもにも増して毟られて会社に戻る。それにしても、偉いさんの叱咤する論理展開とか突っ込みどころが課長とそっくりであり、きっと課長もこれを経て僕らを叱咤するようになったのだと思わざるを得ない。会社に戻り、身の回りの資料をすべて片付けて挨拶回りをし、事務で餞別を受け取って帰宅する。この職場で仕事をすることはたぶんもうないだろうなと思い、3年弱世話になった仕事場を後にした。ちなみに本日の会議でたっぷり宿題を出されたのだが、課長に報告しようにも本日不在なのでどうしようもなく打っ棄ったというのは秘密。異動初日、閉口一番しばかれるんだろうけど気にしない気にしない。戻る↑
    3月16日(水)「身辺整理」
    朝から身の回りの片づけをはじめる。片付けるために資料をダンボールに詰めていくのだが、思ったよりも資料が多く、これを全部もっていったところで保管する場所があるのだろうかとつまらぬ心配をしてしまう。身の回りの荷物はほぼ詰め終わり、後はパソコンとこまごました文房具と言う状況になり、やれやれこれで済んだわいと思ったら、明日いきなり出張という話が舞い込んでくる。出勤最終日に出張というのは前代未聞であり、本来この本社での会議に出席するのは課長じゃないんですかと思ったのだが、「お前に任せた」ということで僕の与り知らないところで話が進んでいた模様。ちなみに課長は明日何か用事があるのだろうかと聞いてみたら「人間ドック」とのこと。何か作為を感じるが、誰も出席しないわけにはいかないし、一応担当者なので毟られに行くこととした。戻る↑
    3月15日(火)「書類運搬の監督」
    部署の撤収に伴い、作成したものの持っていくほどのものではなく、かといって処分することは問題があるという書類が大量に部署には存在する。この書類をどこに保管するかについていろいろと考えた挙句、別館の一室に移動させることとした。しかしながらその分量が半端ではなく、書類保管用のダンボールで200箱ばかりある。ということで、本日は引越し業者を雇ってその書類を移動させるという仕事を行うこととした。本日はその作業の監督と言う不思議な仕事をすることになったのだが、これもこのおそらく二度と読むことはない書類が一応業務上の機密書類に該当するため、一応監視しておかないといけないと言うことらしい。ということで、監視をしつつ、mobaito.comのシャツを着た弩短期バイトの兄ちゃんに指示を出したりして仕事は順調に進む。棚にダンボールが入らないと言う微妙なミスがあったのだが、まあそれはよしとしよう。後片付けで実は相当量運んだため、明日あたり体がきつそうな気がするが気にしないってことで。戻る↑
    3月14日(月)「最後の一週間に突入」
    本当にやめてもいいんですかという執拗な確認%so-net引越しに伴い、ISPとの契約を変更しようと申し出たところ、なかなか厄介なことであることが判明した。現在は光ファイバを利用したインターネット接続を行っているが、契約者の名義を変更するとなれば、電柱から自宅に引き込んでいる光ファイバをいったん撤去する工事が必要になると言う。しかも、そのあと親名義で再び契約するとなれば、またもやその光ファイバを取り付ける工事が必要になると言う。契約者の名義を変更するだけで、どう考えても発生する必要性が考えられない工事が2回も執り行われると言うのだからばかばかしい話である。なのでそういうことはめんどくさいからどうにかならないのかと言うことをカスタマーセンターに申し上げたところ、ならば別名義人(親)の口座から利用料金を引き落とすことにするのはどうかと言う案内を受ける。とりあえずこのISPとの交渉は無事終了したのでよしとする。次に将来異動することを見越し、最も安い料金で某ISPと契約を続けていたのであるが、異動時にほかのISPと契約することをあっという間に決めてしまったので、継続してきたISPの契約を解除するべくそのサイトに向かう。しかしながら、入会するときはあれほど親切丁寧迅速であるのに、いざやめるとなれば不親切極まりない。やめる前には理由を聞かされるし、本当にやめてもいいんですかという執拗な申し立てはあるし、メールアドレスだけでも残せる料金プランに変えませんかと言う案内まであり、そして最後は個人情報がきちんと管理されていることが認められているのはうちのプロバイダだけですと言う脅しめいたものまでを流す始末である。どこのISPでもこれぐらいしつこいのかなあ。それともso-netだけ?戻る↑
    3月13日)「きれいなおねえさん」
    5代目「きれいなおねえさん」仲間由紀恵「綺麗なお姐さん」象印夫人こと岩下志麻本日は電化製品で買い足りないものを追加で買うべくまたもや近所の家電量販店に出向く。今の時期は引越しの季節であり、どの店でも就職だの一人暮らしだの転勤だのを当て込んで大売出しをやっているので、こういうときだけは時流に乗っかるが吉ということであろうと判断し、値ごろな商品を探索することに余念がない。どの家電メーカも宣伝には工夫を凝らしているようで、松下電工の「きれいなおねえさん」シリーズは間違っても僕が買う家電製品ではないが、水野真紀から面々と受け継がれている「きれいなおねえさん」は5代目の仲間由紀恵になってもそのコンセプトは変わらないように見受けられる。一方、それとは一線を画し、ミスマッチから来るインパクトを売り物にしようと魔法瓶メーカが仕掛けているシリーズに「象印夫人」がある。こちらは「きれいなおねえさん」ではなく、どちらかというと「綺麗なお姐さん」である。ということで、目的の品々を購入して帰宅する。帰宅してさらに引越しの準備を進めるが、本棚から本を取り出して梱包し、廊下に積み上げられたダンボールの山を見て進捗具合が順調であると思いながら部屋に戻ると、一向に準備前と見栄えが変わらなくなってやる気がかなり失せてしまう。引越しの梱包はある一定の基準を超えた瞬間にようやく捗っていると感じるときがあるのだが、そこにはまだ達していない様子。いつになったら到達できるのだろうと思いつつ、何とか作業をする。戻る↑
    3月12日)「携帯機種変更」
    A1403K by 京セラ先日来、親が写真つきのメールを携帯で送りたいという願望を強くしていた。親の携帯の機種が何であるかは2003年5月18日の日記を見ればわかるとおりであり、携帯にはデジタルスチルカメラ機能がついていない。親は友人通しでメールのやり取りをしたりするときに、友人の携帯にはカメラがついているに私のにはついていないと拠り所もなく僻んでおり、あろうことか僕や兄がごく普通にカメラ付の携帯を使っているがためにこれまた必要もなく劣等感と取り残された感情を抱いていたとのことであった。ということで、本日はその感情を払拭するべく、親の携帯の機種変更を行うこととした。近所のauショップで買いたい機種を品定めするが、なかなか適当なものが見当たらない。親の携帯の使い方を考えればwinにする必要性はなく、そのため選択肢が比較的狭くなりがちである。しかも、あまりでかいのはいやだとかいろいろと細かい注文をつけてきているため、その結果選ばれたのがA1403Kであった。機種変を終了させて帰宅し、携帯電話の使い方をレクチャーする。あまり一度にたくさんのことを教えても消化不良になるし、マニュアルを見たら書いてあると言ったところで分厚いマニュアルを読むはずはないしということで、ロールプレイングで行う作業をみせてその方法をメモさせ、そのメモを元に親に実際やらせるという手法を用いる。これがたぶん一番的確な習得方法で、自分が納得がいくようにメモを取るし、目も前でその作業は実際に行われているし、メモのとおりに作業をしてもうまくいかなかった場合はどう考えても自分が悪いと言うことで、要するにうまくいかなかったときに文句をぶつける場所がないのである。紆余曲折を経てようやく写真付のメールを送れるようになったまではよかったが、どこかのボタンを勝手にいじったらしく、撮影モードがVGAになっており、それで撮影した画像を送られた日にはパケット代が嵩んでしようがないということを説明して撮影モードを変更させるなどいろいろと修正は続く。戻る↑
    3月11日(金)「本日は一応追い出す側」
    飲み会も本日が三連荘の最終日であり、宴会もそろそろやめてほしいなあとかなり贅沢なことを言いたくもなる状況である。本日は大学の研究室の同窓会という感じで宴会が執り行われた。大学の研究室は僕と同じ業界に就職した先輩が多く、と言うかほぼ全員がその業界に入るという奇特な世界であるため、この会合は同業者の会合としか形容できないものになりがちである。本日は、そんな業界でとある会社が吸収合併されることとなり、そこに勤めていた先輩たち一同が4月から散り散りばらばらになるためお別れ会ということで執り行われた。今後僕が禄を食むこの業界は外国からの圧力に屈し、規模を大きくするだけの合併を繰り返していくことになるのは明らかであり、それがいい事かどうかはまったく持ってわからない。しかしながら行政は、金融と同様に、政府が保護するのはほぼ限界に来たので合併により会社の体力をつけて外圧と対抗してほしいと勝手に思っており、それに従わざるを得ないと見切りをつけた会社同士が合併をし始めているのが現状である。僕の会社はどっこい一人では生き残れる規模を誇るものではなく、合併をして生き残れるほどの規模はなく、せいぜいどこかに吸収されるぐらいでしか生き残ることは出来なさそうである。なので、どこかに乗っ取られたときには自分だけでも生き残ることができるように腕に覚えありと言う状況にしておかねばならないのであろう。先行きの暗い話をしつつも、まあなるようにしかならないかと思ったりもする。戻る↑
    3月10日(木)「光るぬいぐるみ」
    luminou社製光るぬいぐるみ本日も送り出される会が開かれた。本日は会社の同僚宅で、定時ダッシュを決め込んで宴会の開始である。手土産のたこ焼きでビールをグビグビとやり、その後は珍しく焼酎ではなくジンを飲みつつ、最近友人がはまっているという世界のCMというDVDを鑑賞することとなる。外国で展開される日本企業のCMは味わい深いものがあるのに、なぜ日本ではそんなにも面白くないCMばかり展開するのだろうかという疑問に駆られる。しかしながら、本日のハイライトはフランスのぬいぐるみメーカluminou(ルミヌ)のCMであり、一本調子のナレーターが「電気を消せば何も見えない、でもルミヌは暗くても見えます」と言うコメントをひたすら繰り返すのである。このぬいぐるみは蛍光塗料が使われているらしく、きっとフランスの子供たちは体に悪そうな蛍光塗料が大量に使われているぬいぐるみを触った手で、おやつを食べたりジュースを飲んだりしているのだろうという妄想をたくましくする。とりあえず、本日は送り出され会であり、友人も人事異動でどこかほかの事業所に飛ばされる確率が極めて高いと言う状況であるにもかかわらず、偉大なるマンネリと形容するべき光るぬいぐるみで頭がいっぱいになった夜であった。戻る↑
    3月9日(水)「送り出され会その3」
    本日も追い出される会が開かれた。本日の面々は会社の同じ建物で仕事をしている面々である。2年前に部署の半分が異動となったときに、どさくさにまぎれて分裂し、このたびの異動では相変わらずこの場所にいられると言う強運の持ち主が、移動していくわれわれを見送ろうと言う設定である。宴会は普通にごく当たり前にいつものとおり進み、なぜこの人に一言お願いせねばならないのかと言ういつもながらの疑問符がつく宴会が繰り広げられて散会。ちょっと飲む機会が多すぎるので体調管理が重要である。引越しを前にして体調を崩すと言うのは確か前の引越しのときもそうだった気がしないでもない。戻る↑
    3月8日(火)「新たな銀行口座開設」
    会社の異動先は今の部署と違い、事務所に現金は極力置かない主義であるらしい。今までは出張時の交通費は普通に現金でもらっていたので、毎月の生活費は銀行に行かないでも賄うことができるほどであった。しかしながらどうやら4月からは勝手が違うようで、会社から新たに銀行の口座を作るから書類に記入して送れという命令が出された。どうも会社の口座を分筆して個人名の口座とするようで、当座預金のような形態となるらしい。引き下ろす際の手数料はすべて会社が負担してくれるということであるが、結局銀行に行かなければならないと言うことはなんら改善されぬままであるため、どうにかしてほしいものだと思いつつしぶしぶ口座を作る。最後まで粘って結局口座を作らない場合は現金で受け取ることができるので粘ってみようかとも考えたが、良識ある社会人としては長いものには巻かれるべきであると判断してみた。戻る↑
    3月7日(月)「二代目の限界」
    西武鉄道コクドの巧みな経営戦略については以前日記で書いたことがある。そのオーナーが逮捕され、かつての王国の凄まじさを語る記事が巷をにぎわせている。昭和の大恐慌で経営が立ち行かなくなり、ある日通勤時間帯に電気の供給が止められてしまったという珍奇な経験を持つ鉄道会社を買収した創始者は自分の思いを唯々諾々と受け入れる2代目を要求し、東大に進んで共産党にかぶれた次男を見限って三男を跡継ぎに決めたことは有名である。しかしながら世間の動きを理解して新たなる自分の王国を築き上げるにあたっては、自分で法律を作ることができた父とは大きな隔たりがあり、政治家との親密な付き合いでそれを乗り切るにも限界があったことであろう。そこに二代目の限界を垣間見るのであるが、もっと端的にその限界振りを知るには、インスブルック冬季五輪で持て囃された某女子フィギュアスケート選手を自分の経営するホテルに招き、「俺の女になったらリンクの1つや2つくれてやる」と迫ったことに現れているように思われる。この選手がどのような経路をたどって、今となっては見る影もなくなっていることを考えれば、「会長ってマニアですね」と陰口をたたかれるという結果になっていたわけであり、企業家にしては先を見る目がなさ過ぎると思うのであるが。戻る↑
    3月6日)「梅の御紋のお庭の梅」
    世界遺産のお宿と愛車@五箇山冷え込みの厳しさは半端ではなく、朝起きて息が白いと言う久々の体験をしてしまう。この冷え込みの厳しさと凄まじいまでの積雪の中、相倉集落の散策を行う。民俗資料館に招き入れられて、展示品を見る気力が失せるほどの寒さに足の感覚はすでに麻痺してしまっている。その中で館長を勤める地元のおばさまのレクチャーをうけ、この家は140年前に建てられただの、5ヶ月は雪の中暮すだのと言う情報を新たにする。あんころ餅@兼六園の茶店雪吊り@兼六園おばさまの「半日掛りで風呂を沸かしていた」という言葉は、本日の寒さを体感したことによりその切実なまでの要求が半日掛りの大仕事を乗り越えさせるモチベーションであったことを思い起こさせるに十分であった。世界遺産を後にして本日は兼六園に向かう。兼六園で梅を愛で、なかなか味わい深いお茶室のような内橋亭で昼飯を食し、名物の徽軫(ことじ)灯篭や備後吊りという見事な松の雪吊りを鑑賞したり、あんころもちを食したりして加賀百万石の栄華のほどに思いを馳せ、なぜ今年の前田利家は赤井英和なんだろうという素朴な疑問を感じながら一向宗の拠点であった尾山御坊をぶっ壊して作った金沢城を散策する。そののち車を粟津温泉へと進め総湯でまったりと温泉を堪能する。北陸の温泉街は関西の奥座敷と言う立地条件ゆえに大型ホテルが軒を連ね、観光客は町の共同浴場である総湯には立ち寄らぬものである。それゆえ地元の老人たちが多く集うこの浴場はお達者くらぶである。味わい深い温泉を満喫していざ帰宅。なかなか味わい深い週末であった。戻る↑
    3月5日)「味わい深い温泉と世界遺産の宿」
    63度の湯に8時間つけてできる賞味期間3週間の温泉卵@山代引越しが決まろうともその前に組んであった予定は的確に消費するべきものである。本日は味わい深い北陸の温泉と、雪深い世界遺産の探訪を行うこととした。味わい深い温泉として選んだのは山代と山中である。とりあえず日本各地をダウジングして歩き回ったとしか思えない空海と行基のおかげで、古くからある温泉はこの世に生を受けたことになっている。山代温泉もご多聞に漏れずそのとおりであり、味わい深い浴殿と言う名の総湯に入れば昼間から気分は最高である。風呂上りに名物の温泉卵なぞを食してみる。63度の湯に8時間漬けることにより出来上がるきわめて半熟な卵は絶品であり、賞味期限が常温で3週間と言うロングライフぶりに信憑性のほどはいまだ不確かである。てんこ盛りのわさび@コンパ屋%山中蟋蟀(こおろぎ)橋@鶴仙渓山代温泉を後にして次は山中温泉を目指す。まずは腹ごしらえをと言うことで、温泉街にある食堂に入り、名物だと言う釜飯を食すこととする。生米から炊き上げるというその釜飯は大変に美味であり、てんこ盛りのわさびと相俟ってなかなか味わい深いものがあった。そののち総湯である菊の湯に入ってまったりとする。そのあと鶴仙渓にかかるこおろぎ橋などを鑑賞し、橋にかぶせられた筵に今朝の冷え込みの厳しさを感じたりする。朝からすばらしい温泉を二つも攻略し、気分よく本日のお宿を目指す。途中ひるがの高原でかまくらを探索したりして合掌造りの民宿へと急ぐ。本日のお宿は五箇山の相倉地区にある合掌造りの民宿であり、世界遺産に宿泊できると言うなかなか味わい深いものである。宿に着くと先客がおり、小学生が5人ばかし引率者と晩飯を食っていた。飯を食いながらなぜか地元の民謡のビデオ鑑賞となり、飯が済んだ途端になぜか「こきりこ節」のトレーニングが始まる。超越的スパルタ教育の元で2種の楽器の演奏法を習得し、音楽に合わせてにぎやかに演奏をしながら世界遺産の夜は更けていった。戻る↑
    3月4日(金)「送り出され会その2」
    年度末ともなればどの部署でも異動がささやかれるものである。先輩後輩を問わず、同期会が執り行われる今日この頃であるが、ご多聞に漏れずわれわれも同期会を挙行することと相成った。もちろん本日も主賓である。久々に同期と顔を合わせてどうでもいい話をしたりして時間をすごす。思えばこうやって会社の帰りに酒を飲む機会も減るのだなあと感慨深げになったが、その分会社帰りに誰かの家に直行して騒ぐことが増えそうな予感がしないでもない。明日の予定が入っているため、主賓だけど一次会でさっさと引き上げて帰宅することとなった。とりあえず仕事にめどがつかないのに引越しの日は刻々と迫っている。戻る↑
    3月3日(木)「テレビ会議」
    地球が丸いことを恨めしく思ったりすることはあまりないのだが、本日は太平洋がもっと広ければよかったのになあと思うことがあった。現在僕の担当している仕事は外国の会社から仕入れたものであり、相手先と定期的にテレビ会議をせねばならないという困った話がある。もとより英語はしゃべれないが、別にしゃべらなくてもインタプリタがいるため別に困らない。というか、拙い英語力をして仕事に絡む微妙なニュアンスなどを表現することは出来ぬ相談であるし、それならばいっそ馬鹿の一つ覚えのように翻訳はお願いするが吉である。ということで、ニュージャージーが昨日の夕方という時間帯で、こっちが朝七時半というテレビ会議が始まった。向こうの英語は理解できるけれど、自分で英語をしゃべることが出来ないというのは大変もどかしいものである。ちなみに本日のお題は他部署に限定されていたので僕がしゃべる機会は全くといってなかったのでやれやれであるが、それだったら朝早くから呼びつけるなよという別の意味で文句を言いたくなってしまう。来月のこの会議は行われるんだが、来月はすでに異動しているので、果たしてこの会議に参加するかどうかは未定である。戻る↑
    3月2日(水)「たぶん最後の検診」
    実験をまったくやっていないというのに、実験で出た廃棄物の処理だけは順番が回ってくるというから世の中は不思議なものである。放射性同位体などという困ったものを取り扱う関係上、年に一度の健康診断が法律で義務付けられている。法律で義務付けられていても、日常的に取り扱っているものではなく、処理時の二次冷却水を取り扱っているに過ぎないため、どう考えても閾値を超える曝露があるとは思えないのであるが、法律は法律である。昼から健康診断があり、産業医の問診の後、血液検査となる。先日の病院と違い、今回は止血が完璧だったので内出血もなく無事終了。4月からは部署ごと異動になり、たぶん当番が回ってくることはなかろうと想像がつくので、この検診や教育訓練といった寛ぎの時間が来年度からは失われることになる。これがちょびっと残念。戻る↑
    3月1日(火)「ようやく新居決定」
    一日休んで体調が復活し、会社に向かう。会社の机の上には不思議な封書があり、どうやらこの間家探しに行ってきたときに見つけた新居の候補がめでたく社宅扱いとなったようである。これでいよいよ引越しの準備が加速しそうな勢いであるが、目前に迫るさまざまなイベントに忙しく、仕事もまた相変わらずの激務ぶりなので、引越しの準備にはいつになったらかかることが出来るのやら。そもそも職場の引越しの準備すら間々ならないというか仕事が忙しすぎてそっちまで手が回らない。ちなみに本日は庶務課の課長が残業のつけ方について朝からレクチャーに来ており、これまで幾許たるや残業申請をしてこなかったことかと吃驚する事頻り。課長から「それは残業にならへん」と言われていたことが残業として扱われるのであるが、当の課長も部長から「それは残業にならへん」といわれていたのでそのように上意下達したまでのことらしい。ちなみに部長は運営管理者として残業の基準を知っていたはずなのであるが、それについては時効ということで今後気をつけましょうというところに落ち着きそう。ちなみに部長は引越しのときに取れる休みを一律三日と勘違いしているぐらいなので、故意にそのようなことをしたわけではなかろうと思ってはいるが、それが手なのかもしれない。戻る↑