2005年2月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 2月28日(月)「くたばってお休み」
  • 2月27日)「一足早い引越し」
  • 2月26日)「業者との打ち合わせ」
  • 2月25日(金)「確定申告と買い物」
  • 2月24日(木)「追い出され会その1」
  • 2月23日(水)「部署の会議」
  • 2月22日(火)「巧みな駆け引き」
  • 2月21日(月)「引越し屋からの電話」
  • 2月20日)「引越しの準備その1」
  • 2月19日)「茨城の楽しみ方」
  • 2月18日(金)「心の洗濯」
  • 2月17日(木)「家探し」
  • 2月16日(水)「物件情報の吟味」
  • 2月15日(火)「コンサルテーション」
  • 2月14日(月)「誕生日がネタになる」
  • 2月13日)「琉球王朝とジャンクフード」
  • 2月12日)「今帰仁城の寒緋桜」
  • 2月11日)「本日は60年ぐらい前までの勉強」
  • 2月10日(木)「パズルのような仕事」
  • 2月9日(水)「イエローカード」
  • 2月8日(火)「新しい仕事」
  • 2月7日(月)「物件情報飛び交う仕事場」
  • 2月6日)「出雲大社」
  • 2月5日)「世界最高のカニ」
  • 2月4日(金)「個人情報保護法」
  • 2月3日(木)「ラテン系な部署」
  • 2月2日(水)「大寒波」
  • 2月1日(火)「知的財産」


  • 今月の日記
    2月28日(月)「くたばってお休み」
    本日は普段どおりに目が覚めたのであるが、体が異様にだるいため休むこととした。それほど熱もなく近所の病院に行ったところ、待合室は凄まじいまでに風邪の菌がばら撒かれており、検温の最中から心なしか体温は急上昇である。診察室では至って在り来たりの診察が行われただけであるが、最近めまいがすると愁訴したところ尿検査と血液検査を強要され、採血管ではなく注射等から採血をされるなどといういまどき珍しいことをされてしまう。極めて御座なりな止血をされてしまったので帰宅してみれば内出血をしまくりだったりするのであるが、いまひとつ気力が沸かないまま帰宅して爆睡したのでそのことに気がついたのはずっと後のことであった。とりあえず盛り上がりにかけたまま一日は終わる。戻る↑
    2月27日)「一足早い引越し」
    9代目MURAMASAと10代目Dynabook本日は朝からコンピュータの引越しを行う。正月に買った時点では異動など遠い未来のことであったのだが、異動が発令されて以来、それまでにコンピュータを移植しておかねばならないということが至上命題となった。そもそも親が使っていたコンピュータがサポートの切れたwindows98搭載ものであり、さすがにこれをそのまま使わせておくのはまずいと判断し、現在僕が使っているコンピュータを親用にして、僕は新たにコンピュータを買うこととしたのが事の顛末である。今朝はまず新しいコンピュータのネット環境構築から始めるが、ブロードバンドルータをつけているのを忘れていたり、ノートンインターネットセキュリティーが無駄にDNSを受け入れてくれなかったりでかなりてこずる。てこずった割には無事解決がなされ、それ以降は移植が順調に進む。移植の間に新居の電話とインターネット環境についてNTTに電話し、収容ビルが新居の近くにあることを確認していたのでADSLの工事も同時にやっていただくようお願いする。コンピュータの移植は本日で終わりと思ったのだが、親のメールアカウント設定でパスワードがわからないという最大の難関にぶち当たり、本日はプロバイダに問い合わせ後日郵送されるパスワードを確認してから最後の調整に入ることとし、たまっていた日記を書いたりして時間をつぶす。戻る↑
    2月26日)「業者との打ち合わせ」
    引越し屋といえば白いダンボール引越し業者との打ち合わせは昼過ぎと聞いていたので朝からまどろむ生活を送っていたのであるが、11時前に電話がかかってきたと思えば引越し業者である。しかも後30分ぐらいで行きますということなのであわてて起き上がりとるものとりあえず準備をしたりする。引越し業者は白いダンボールを持ってきて、日時の調整をして帰っていったが、あまり荷物はないものと思っていたようである。とりあえず夏タイヤは運んでもらいますよという話をしたのと、冷蔵庫や洗濯機は電気屋が運んでくれますということは伝えたので用件のほとんどは済ませられたように思われる。斯くも着々と準備が進んでいるように思われるが、実は一番問題なのはコンピュータだったりする。正月に買ったノートパソコンはいまだに設定をする気力が沸かないままである。昼過ぎに昨日親が買った冷蔵庫が電器屋から届く。サイズが相当大きくなったので、台所の神棚にぎりぎり触るかと思われたが、何とかそれは回避できた模様。時々自動製氷のコロンっという音がなることが妙に新鮮である。これまでの冷蔵庫が20年選手であったため、ずいぶんと激しいギャップを感じていたりする。戻る↑
    2月25日(金)「確定申告と買い物」
    仲間由紀恵のポスター今年も確定申告に出向くべく、昼から会社を休み税務署へと向かう。銀行に立ち寄れば、給料日&週末&月末などという条件が重なったのみならず、ATMのシステムが一時停止しましたなどというふざけたまでの偶然が重なり、ATMは長蛇の列である。銀行の用事を済ませて税務署に向かい、仲間由紀恵に見つめられながら書類を提出する。帰宅して日曜日に言った家電量販店に再度出かけ、家電と家具を買って帰宅。ちなみに新居に直接届けてもらうように頼んだので、引越し屋の手間が減ることになるが、それって別にどうでもいいことなんだよなあと思ったりする。ちなみに僕が熱心に家具や家電を選んでいたのを見て、ついて来た親が冷蔵庫を物色し始め、お買い上げありがとうございましたとなったのは割と予想の範囲内だったりする。世の中ついでのほうが大きかったりするものだ。戻る↑
    2月24日(木)「追い出され会その1」
    異動が決まったことを大学の研究室の同期に話したところ、ぜひとも飲み会をしようということになり、本日その飲み会が執り行われることとなった。会場は大阪で、新しい職場はどんな感じであるとか、最近仕事はどんな感じであるかなどという話をして昔話に花を咲かせたりする。折しも誘った友人は転職することが決まっており、転職先の話などを聞いたりしてお互い新天地でがんばろうという話に落ち着く。久しぶりに馬鹿な話をして気持ちよく帰宅。追い出され会その1ば無事終了したが、面子を変えてまた執り行われる模様。異動までに何回あるのかなあ。戻る↑
    2月23日(水)「部署の会議」
    月一の定例の会議が開かれ、現在の厄介な仕事についてプレゼンをするように課長に言われたのが月曜日であった。パワポの準備に追いまくられてしまい、あまり整理できないまま会議にて発表することとなった。そもそも異動騒ぎでまともに仕事が進んでおらず、発表するネタがまるでないので無理やりひねり出したネタであるし、それゆえ課長から「長くしゃべってくれ」と頼まれたのである。しかしながら部長が久しぶりにハッスルしてしまい、僕の前の発表がすでに30分押してしまうというロングランであった。この勢いで行けば、間違いなく僕の発表は昼過ぎに差し掛かることが予想されたのだが、いまさら話を短くすることも出来ないしということでプレゼンを始める。案の定、会議終了は当初の予定を1時間半もオーバーしており、午前中で体力を使い果たしてしまった。ぐったり。戻る↑
    2月22日(火)「巧みな駆け引き」
    今日も今日とて残業をしていたところ、不動産屋のおねえちゃんから電話がかかってきた。会社に契約内容を送ったところ、家賃は家賃、共益費は共益費で払いますので、きっちり別々に書いてもらえないですか?と言われたとのことであった。会社として共益費と家賃を別々に払いますなんていうのは至極当然のことであり、それを聞いて社員が家賃と共益費を別々にして会社に届け出たときにどうなるかということを考えれば、これはまったくもって噴飯ものである。今月初頭のラテン系の説明会での話では、会社が負担するのは家賃だけであって共益費は皆さんにお支払いいただきますということであった。それゆえ不動産屋と交渉して共益費を家賃にねじ込んでもらうようにお願いしたのである。会社からそのことを聞いた不動産屋が勝手に共益費と家賃を分離してしまった暁には、僕の負担分が増えるだけで不動産屋や家主には何の損害もないし、あろうことか会社が得をすることになるのである。会社からその話を聞いて「どうしたらいいですか?」と僕に聞いてきた不動産屋のおねえちゃんの対応はまことにすばらしく、僕の中で評価が上昇したことは言うまでもない。もちろん共益費はないということでお願いした。おねえちゃんの評価が上がったところで如何こうするものではないけれど、いい仕事をしてくれたらうれしいものだ。戻る↑
    2月21日(月)「引越し屋からの電話」
    一応自分として新居の候補を見つけてきたので、会社指定の引越し業者に打ち合わせと引越しの希望日程をFAXで送信した。すると1時間もたたないうちに電話がかかってきて、「引越しの日時は何が何でもそれでさしてもらいます。ただ、打ち合わせの日にちを変えてほしい」ということであった。ということで打ち合わせは今週末に急遽変更されてしまい、今週末は自宅にいないといけないことが早くも確定してしまった。それに不満はないし、いい加減引越しの準備なんかもはじめておかないとまずそうなのでそれほど気にならなかったが、後で同僚に聞くとみんな今週末に打ち合わせということであった。引越し屋が手を抜いているように感じられるのだが、うちの会社は一括してこの日にちとしたほうが向こうの都合がいいのだろうと思い直し、それってやっぱり向こうの都合だけで決めてるじゃんと改めて思い直したりする。戻る↑
    2月20日)「引越しの準備その1」
    一夜明けて新居に必要なものの買い物に出かける。近所のポッキリ価格で有名な家電量販店で洗濯機と冷蔵庫の物色を試みる。いつも思うことであるが、家電製品は日々凄まじいまでの進歩を遂げており、付加価値をつけることで値段を下げないでおこうという姿勢が感じ取れる。これは家電製品に限った話ではなく、コンピュータについても言うことが出来る。現在の家電製品は「かゆいところに手が届く」を通り越して「別にかゆくないですけど其処にも手が届いている」の境地に達しているように思われる。しかしながら家電製品を買う上でチェックするべきことは目先のそのような点ではなくて、「丈夫」「ランニングコスト」「ストレスのなさ」である。要するに原理がシンプルで静かなものが重要なのである。ちなみに家電製品を一社にまとめるとあまりよろしくないと勝手に根拠なく考えているので、洗濯機はどこで、冷蔵庫はどこで、、と巧みに会社が変わっていたりするのは我ながら面白いものである。でも世間の人って何を基準に選んでいるんだろうと思いたくなるが、枝葉末節なことやどこまで負けてもらえるかということに限定しているんだろうなあ。とりあえずこれにしようかなと目星を立てたところで店員いわく「金曜日に来てくださればさらに勉強させてもらいます」とのことだったので金曜日に再びきますということを言って帰宅。戻る↑
    2月19日)「茨城の楽しみ方」
    ナマズの刺身ペヘレイの刺身物件は決めたのであるが、次に物件を見るのは入居日ということになる。しかしながら部屋の正確な大きさを知らないことには家電製品や家具を持って行きようにも限界がある。ということで本日は再び不動産屋に向かい、物件の正確な寸法を測りに行くこととした。そもそも不動産屋でくれた物件の見取り図自体が左右逆になっているため、正確な見取り図がほしいという目的もあり、割と事細かな測定と、入居までにここを直しといてくださいという細かい注文をつけておきたいということもある。実際に測ってみると意外と広かったり逆に狭かったりで驚かされることが多い。測定を無事に済ませ、友人と龍ヶ崎にある焼酎屋に出向く。ここは茨城県かでは屈指の品揃えを誇る店であり、店の親父が酒好きで延々と話しをしてくるところらへんがいい店たる所以である。「さそり」や「土竜」などというなかなかの逸品がそろっており、めぼしいものをさっさと購入する。その後玉造の川魚屋でうまいナマズやペヘレイを食し、久しぶりの味わいに感動する。そのあと麻生にある白帆の湯で大荒れの霞ヶ浦を展望する風呂でまったりとすごし、心地よくなったところで土浦へ。土浦で友人と別れ、フレッシュひたちで上野へ。東京からはビールを飲みつついい気分で帰宅。4月から住むところをとりあえず見つけることが出来たという意味で有意義な出張であった。戻る↑
    2月18日(金)「心の洗濯」
    極上の雪見露天風呂@中禅寺金谷ホテルマントルピースの前にある薪入れ@中禅寺金谷ホテル本日も出張扱いで家探しに来ているのであるが、物件は昨日の時点で決めてしまったので本日は暇である。友人と相談し、本日は日光まで温泉に入りに行こうという話になる。冬の日光などという味わい深いところには出向いたことはなく、平日の観光地自体にも出向いたことはない。予想通り日光は観光客が少なく貸しきり状態であった。いろは坂を心行くまで駆けあげることが出来るのもうれしいし、金精道路の冬季通行止めも大変味わい深い。湯葉の刺身@日光冬季通行止の金精道路これまで幾度となく耳で観ることを要求された華厳の滝は霧もなく、その雪景色と相俟ってすばらしいまでの全景を目の当たりにする。ちなみに平日の観光地は外国人の比率がかなり高く、華厳の滝に向かって賽銭を投げるなどという摩訶不思議な行動をとっていたのが印象的であった。滝を堪能した後は中禅寺金谷ホテルで温泉利用としゃれ込む。湯元温泉より引湯しているとはいえ、源泉が熱いためかけ流しで供給されている柔らかな硫黄泉は冷えた体をほこほこにしてくれる素晴らしいものであり、露天の雪見風呂に入ればいうことなしである。風呂から上がり、日光名物の湯葉刺しなどを食して友人宅へ戻る。本日も大変うまい酒を酌み交わし。久しぶりの心の洗濯をしていい気分である。ちなみにこの酒の席で2ヵ月後の長崎旅行が決まったので、帰宅したら手配せねばならないことが確定した。戻る↑
    2月17日(木)「家探し」
    本日より一泊二日の予定で家探しに出向くこととなった。新幹線は無事遅延もなく東京に到着し、いざ上野駅を目指す。京浜東北線の車内放送で常磐線が上野駅構内の信号トラブルで止まっており、えらく遅れているらしい。これから新居を探そうとしている人間に対してしょっぱなから味わい深いヒットぶりである。案の定、上野駅は人でごった返しており、いつ出発するとも知れない列車を待つ人たちへの対応で駅員は大わらわである。信号が復旧し、30分遅れでフレッシュひたちは出発したが、北千住手前で抑止している間に普通列車に追い抜かれるなどという無様な状況であり、土浦に到着したのは定刻の1時間遅れであった。土浦からは友人と不動産屋をめぐる。1件目で見せてもらった物件の摩訶不思議な間取りに驚いたり、中心部にめぼしい物件がそもそもないということを改めて確認したりして、本当に目指す物件が見つかるのであろうかとかなり心配になる。2件目の不動産屋に行くとかなりいい物件があり、実際に見せてもらうと申し分ないものであるため早速契約となる。不動産屋から直接会社に電話して担当の課長に話を伝え、あとは適当に会社が社宅として認めてくれればそれでよしである。住まいはとりあえず見つかったのでよしとする。夜は友人と酒を飲みながら物件を決めたのは不動産屋のおねえちゃんがかわいかったからではないかという話になるが、まったく同じ物件であり、片やかわいいおねえちゃん、此方、、であればどちらを選ぶかは明白である。実際間取りも申し分なく、秋には開通する鉄道の終着駅から徒歩10分という立地条件はそうそうないと思うのだが。戻る↑
    2月16日(水)「物件情報の吟味」
    明日より物件探しに出向くということで、本日は仕事をきりのいいところまでやっておこうとしたのであるが、きりのいいところなどあるはずがなく終わりが見えないまま時間だけが過ぎてゆく。しかしながら仕事よりも明日からの家探しのほうが重要であるため、本日は会社で物件情報の吟味などをしており、それゆえ仕事は捗る筈もない。すでに部署では新居を決めた人が大半であり、実は僕はかなり遅い部類に入るようなので物件がまだ残っているか心配である。しかしながら、本日わかったことがあり、これが4月異動の根拠をきれいさっぱり消滅させてしまったのである。そもそも4月異動の根拠は「子供が小学校に上がっていたら、学年の途中で転向するのは忍びない」という部長の親心に端を発していたのである。僕の部署で小学校中学校高校に通っている子供を持つ人は二人おり、その人たちを慮ってのことであることをだめだという積もりは毛頭ない。しかしながら、このお二人が家族会議の末に、どちらも「単身赴任ということになりました」というのであれば、何故4月に異動?ということになるのは無理もない。ちなみにそういうことが明らかになったところで4月異動は動かないのである。急な申し出ゆえに単身赴任を選択せざるを得なかったということであれば、これは出来すぎた話である。戻る↑
    2月15日(火)「コンサルテーション」
    コンサルタントの先生が本日来られるということで、現在抱えている摩訶不思議な仕事の進め方についてアドバイスを頂くということになった。ひとしきり説明すれば終わるかと思っていたのであるが、話の途中で大盛り上がり大会になり、気がつけば1時間半の超ロングランとなってしまった。この話題は振って沸いたような話なので、もしこの話がなかったら本日はどうやって時間をつぶしたのであろうかと考えを抱くのだが、そのときはそのときでどっかでネタが盛り上がったのであろうと考え直してみる。とりあえずコンサルタントに相談すると宿題が増えるのでありがたいけれど大変である。しかし、この先生、この会合のために千葉から毎回来ているんだが、春からはずいぶんと楽にこれそうなので、来る頻度が増えやしないかと実は戦々恐々としていたりする。戻る↑
    2月14日(月)「誕生日がネタになる」
    チョコレートを配るキャビンアテンダント本日はバレンタインデーである。菓子屋の陰謀ゆえに日本でしかこのような摩訶不思議なイベントは行われていないのであるが、昨日の飛行機を降りる際にCAがチョコレートを配布していたことを思い出す。日本語のアナウンスではその旨を述べていたのであるが、英語のアナウンスではそのようなことは述べておらず、コードシェア便であったゆえに外人さん率の高いこの便では何ゆえチョコレートを配っているのであろうかと思う外国人が多かったことであろう。「俺CAからチョコもろてん」といってもこのシチュエーションではなんら自慢にならないことは明白であるのでそんな自慢をしたいわけではない。バレンタインとはいまだに理解できぬイベントである。さてそんなバレンタインで一番本日面白かったことは、ヒロシの誕生日が本日だということである。もしかして誕生日すらネタにする?と正味な話思ってしまうところ。それにしても2月は食品団体の陰謀が立ち並ぶ月間である。節分の丸かぶりもきっと業界が広めようとしている結果全国区的なイベントとなってきたのであろう。ちなみにこの業界であるが、僕はすし業界と思っていたのだが、友人いわく海苔業界だということである。たしかに巻き寿司である以上海苔は欠かせないし、太巻きを丸ごとということで、一枚大きな海苔が必要となるからなあ。戻る↑
    2月13日)「琉球王朝とジャンクフード」
    朝、宿をチェックアウトし、いざ本日も観光を行う。本日は首里城公園にまずは出向く。入り口では琉球の衣装を纏ったお姐さま方がおり、一緒に写真を撮れば高額な写真を売りつけられるという商魂たくましさを発揮していたが、それにはかまわず城内へと向かう。城内に入るときに最初に潜る門こそ2000円札で有名な「守礼の門」であるが、あいにくシロアリ様がおいたをなされたようで、その修復ゆえにその全景を窺うことは出来なかった。門を通れば怪しげな帽子をかぶった門番のおっさんがおり、快く写真撮影に応じていたがこちらは付加料金は発生しない模様であった。万国津梁の鐘や御獄(うたき)を見物しつつ、いざ本丸を目指す。本丸も現在一部修復中であり、その全景は見れないのであるが、かつての琉球王朝という国家に思いを馳せ、琉球王朝は国家ではなく貿易会社に過ぎなかったのではなかろうか、そして代々の国王は所詮世襲制の会社の社長ではなかったのではなかろうかという思いを新たにする。味わい深い蛇口のデザイン@首里城のトイレしかしながら、その歴史はすばらしいものがあり、トイレの手洗い蛇口にまで不思議な彫刻が施されているのは余計な話であろうが味わい深い。その後車を社長の別荘である識名園に向け、その庭園のすばらしさに感動する。建物では昼からの結婚式の準備に忙しく、相撲取りが座るような座布団が一組あり、おそらく新郎新婦がそこに座るのであろうと想像しながらひとしきり見物を済ませる。そののち沖縄に来たからには一度は食すべしということでタコライスとぜんざいを食し、レンタカー屋に出向いてレンタカーを返却し、一路空港へ。空港では凄まじいまでのセキュリティーチェックの行列に遭遇するが、別会社の空いている検査場から入り、たいした行列もなく待合室に移動。待合室ではオリオンの生なぞをゴキュッとやっていい気分になり、ちょっぴり遅れがちで巻きが来ている搭乗口に並んで一番に搭乗する。機内ではこれまた足が伸ばせる超一等席に座り、旅行の疲れとオリオンの催眠でひとしきり眠り、夕刻に無事関西空港に着陸。関西空港からははるかで京都に戻り、晩飯を食べて無事帰宅。沖縄の歴史をよく知ることが出来た大変味わい深い旅行であった。戻る↑
    2月12日)「今帰仁城の寒緋桜」
    市場前の商店街で売っていたアロエ市場前の商店街にあるブルーシールアイスクリームの店ホテルでアメリカンスタイルの朝飯を食し、目玉焼きを頼んだら失敗したのを隠すためにスクランブルエッグが出てきたなどという楽しいイベントを味わうことなく食事は終了し、本日も観光に出向く。まず本日は牧志の公設市場に出向く。豚がこれでもかとばかりに並べられ、写真をこれでもかとばかりに撮影し、その次はカラフルな海産物を見物し、沖縄の食材を見ていろいろと思うものがある。その後車を北に走らせ、楚辺通信所などを見て高速道路を利用して名護へ向かう。一昨年入ることが出来なかった万国津梁館を見物したりしながら、ブセナテラスでうまい昼飯を食す。昼飯の後は腹ごなしに魚にえさをやったりして群がる魚のすごさと海のきれいさに感動し、今帰仁城を目指す。今帰仁城は琉球が三山時代であったときの北山の拠点であり、独特の石積みを今に残す見事な史跡である。今の時期は寒緋桜が満開であり、南国にして四季の移ろいを感じることが出来るこの地で一足速い春を満喫する。丸々焼き豚にする用の豚@牧志。ディスプレイも兼ねている整然と並べられた豚足皮を剥がされてしまったハリセンボン石積みと縄張りのみを残すこの史跡は、かつての全盛時代を想像する事自体が楽しみであり、ギラギラした極彩色の史跡とは違うものであった。宿に戻って本日は沖縄料理の店に出向く。本日もオリオンの生で喉を湿らせ、うまい魚を食し、極上の泡盛(古酒)を頂きつつ夜は更けていく。帰り道に沖縄なのにデューティーフリーというお店に出向き、なんだか海外旅行の最後に買い物をしたような気分になったまま宿に戻る。宿では美味なる焼酎をちびちびやりながら、仲間由紀恵氏が主演のドラマごくせんがなぜ沖縄で見れないのかといささか不満に思いつつ爆睡する。戻る↑
    2月11日)「本日は60年ぐらい前までの勉強」
    琉球ガラス村寒さの厳しい関西を後に、本日は朝より沖縄へと向かう。伊丹空港で半額でチケットを購入したり、スターバックスで無料でコーヒーを飲んだりと株主優待活動を行いつつ、呼び出しを食らいながら機内へと案内される。機内では座席の配置を知り尽くしたものだけに与えられる足が伸ばせてCAと向かい合わせという超一等席をしっかりとゲットし、南国への旅路を楽しむ。この超一等席の難点は、非常口がすぐ横にあるため窓際といえども翼が邪魔で景色がいまひとつであるということなのだが、そんなものは足元のゆったりぶりと機内での目の保養を斟酌すれば如何様にでも自分で納得がつこうものである。おまけに本日は天候がよろしくなく、適度に揺れるということも手伝ってか、外の景色は見ても仕方ないし、CAは向かい合わせに長い間座ってくれるしということでこの席は天候不順のほうが喜ばしいのだという従来から抱いていた結論をさらに強固なものとした気がする。ひめゆりの塔の前の長閑な土産物屋ひめゆりの塔。手前の壕は野戦病院だった。さて、そんなこんなで偏西風に逆らっていささか時間を要して那覇空港に着陸し、コートとセーターをさっさと脱いでレンタカー屋までバスに乗る。バスの中でステレオタイプな沖縄音楽を聞かされるのは毎度のことであるが、それぐらいはまあいいとしてレンタカーを借りて早速出発する。まずは旧海軍指令部壕に向かう。大田実司令官の「…沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という決別電報の意味するところをなんら果たすことなく基地の中に沖縄があるという現状を考えながらここを後にし、観光モードで沖縄そばを食したり、琉球ガラス村で焼酎を飲むにふさわしいグラスを選んだりする。沖縄県平和祈念資料館そののち車をひめゆりの塔へと進め、ひめゆりとは造語であったことなどという無駄な知識の収集にも努めるが、塔の前にあるガマが実は沖縄戦で実際野戦病院として使われていたなどという凄まじい歴史などを知り、傍らのガジュマロはそのすべてを知っていたのであろうか、それとも南国なので成長が早いから戦後生えたのでそんなことは知らないのであろうか、そもそも樹がそんなこと知ってるわけないのではないかと無駄な反芻を繰り返しながら、開放されてからのほうが犠牲者が多かったというひめゆり部隊の歴史などを勉強する。そののち沖縄県平和祈念資料館へ向かい、戦後のアメリカ統治下で強かに生き抜いてきた歴史というあまり知ることのなかった歴史の勉強をし、本日のお宿に到着。お宿は那覇市内を一望できる場所にあり、あまりいけてないコンシュルジュの紹介してくれた店に出向いて本日は海の幸を満喫する。泡盛をたらふく頂き、いい気分で宿に帰るとそのままバタンキュウしてしまう。こうして南国の夜は更けていった。戻る↑
    2月10日(木)「パズルのような仕事」
    現在受け持っている仕事は、これまでにないジャンルの仕事である。前々から思っていたことではあるが、「出来の悪い子ですが、いいところもあるんです。なのでいいところにスポットライトを当ててやって、いいところを引き出してやりたいんです」という親心のようなものを持って仕事に立ち向かっているという不思議な現状がある。うちの会社でこの仕事を1から始めることは基本的にありえず、今回こんな仕事をすることになったのは他社からこの仕事を持ってきたからである。それにしてもこの仕事はまことに悩ましい。予測には願望を混ぜてはいけないというが、的確に予測が出来ない以上どれだけ見積もっても予測と現実には隔たりがある。最大ずれてもこれだけですよということを計算すればいいのだが、それがそう簡単に出来そうにもないというところがこの仕事の難しさである。とりあえず、パズルを解くかのような不思議な仕事をしているだけであっという間に時間が過ぎ、本日も遅くなって帰宅。戻る↑
    2月9日(水)「イエローカード」
    本日は北朝鮮とのサッカーの試合があるということで、気もそぞろに帰る人が多い中、仕事が終わる目処も立たず、気が付けば試合が終わった時間となっていた。結果の程はVodafoneのステーション情報で入手したので判っているのだが、そもそもサッカーにそれほどの興味を抱いていないため、「ああ勝ってよかったね」ぐらいしか思わない。気もそぞろであるのは別に物事に対して淡泊であるからではなく、仕事の出来映えをチェックして余所に出しても良いかどうかを調査してくれるという有り難迷惑な部署から指摘を受けたことにある。その部署曰く「必要な資料が保管されていない」ということで「これでは信頼性が保証できません」ということでイエローカードを出されてしまったわけである。レッドカード一発退場ではないのでまだましだと思うが、調査する部署からは始末書を書くよう求められてしまう。「なぜこんなミスをしたのか?」と「今後こういうミスをしないためにどうするか?」という明らかに小学校の終わりの会のようなとっちめられ方をされてしまうのだが、それに対する正直な回答は「引っ越しのドタバタ騒ぎで落ち着いて仕事をする環境じゃなかった」からミスをしたのであり、今後このようなことがないよう「異動発令はしないでもらいたい」と申し出たいところである。戻る↑
    2月8日(火)「新たなる仕事」
    これまで患わされていた仕事が一段落し、これでしばらくはゆったりと過ごすことができると思っていた矢先に、新たな仕事の話が舞い込んできた。事の起こりはいつも唐突であり、僕の知らないうちにうちの部署の担当者に任命されていたということらしい。他部署の総括責任者から電話が掛かり、宜しく御願いしますといわれてしまい、この仕事に関する資料がこれでもかとメールに添付されてやってくる。仕事をする上で背景その他の理解に是努める日々が始まり、気が付いたらこれまで煩わしい仕事をしていた時頼も帰る時間が遅くなっていた。ちなみにこの仕事、これまでのひたすら手を動かす仕事とは趣を異にするため久しぶりに脳味噌フル回転である。昔からやりたいと思っていた仕事に近いものであるため、珍しくも少しやる気を出していたりするのはなんともはや。戻る↑
    2月7日(月)「物件情報飛び交う仕事場」
    「衣食住」は人間の必須アイテムであり、これがないことには人間は落ち着いて仕事をしていられないものである。4月より部署ごと異動となるため引っ越しの計画を立てることに余念がない会社はてんやわんやであるが、会社の引っ越しよりも重要なものに個人の引っ越しがある。個人の引っ越しは物件を探しに行き、ここに住みたいからここを社宅扱いにしてくれと会社に申し出、会社がよくわからない基準を以て審査をし、晴れて住むことができるというシステムが構築されている。物件を探すことは一泊二日の出張扱いとなり、皆が三々五々物件探しにつくばに向かうため、このところ部署は櫛の歯が欠けたかのように毎日誰かがいないという日々が続いている。本日はこの週末に物件を決めてきたという人があれこれと持ち帰った情報を披露し、自分なりのお薦めの物件を他人に案内するなどという光景が繰り広げられている。通常であれば部署のfaxは個人的要素の高いものについての使用を禁じられているのであるが、こと不動産物件に関しては何の躊躇いもなく送信されており、部署は誰が住むとも知れない部屋の間取り図で溢れかえっている。この4月に合併する同業他社の人事異動が発令され、つくばの地に相当数の人員が異動するためにめぼしい物件はなくなるのではないかという憶測がささやかれ、必要以上に焦っている人が多いのも事実である。僕の場合はなかなか人が借りそうにない物件を狙っているので大丈夫だろうと高を括っているのだが、実際に物件を探しに行ったらえらいことになっているのかも知れない。そんなこんなで本日はまるで仕事にならないまま終わってしまった。戻る↑
    2月6日)「出雲大社」
    出雲大社本殿心地よく朝の目覚めを迎え、朝風呂と洒落込む。朝からカニのダシの利いた味噌汁などを食し、カニづくしの食事に満足する。朝風呂に入ってチェックアウトし、NHKのど自慢が繰り広げられるこの町をあとにしていざ鳥取へと向かう。鳥取からは、昨日とはうって変わってがらがらの特急で出雲市を目指す。出雲市駅ではパチモンの神殿に出迎えられ、タクシーで出雲大社を目指す。途中で出雲そばを食し、その味わい深い蕎麦に舌鼓をうつ。出雲大社の神楽殿の大注連縄に賽銭を差し込もうとしたら自分のが刺されば3人分ぐらいの賽銭が落ちて来るという無限連鎖に辟易しつつ、落ちてしまった誰かの思いのこもった賽銭を成仏させるべく賽銭箱に投げ込んでやったりする。神社で成仏とはこれ如何にという意見もあろう事は想像できるが、本地垂迹説に照らしてみれば「上は一緒」であるため細かいことは気にしないこととする。縁結びのいわれを説明した銅像@出雲大社そのあとかつて本当に本殿は高さが40mあったという説を裏付ける柱の跡や、毎年10月に日本中の神様がこちらにお越しになるときの宿泊施設などを見物したり、出雲大社が縁結びの神様であるという謂われや、ワニをだまくらかして背中をひん剥かれた自業自得な白兎を助けた物好きな大国様の話などを銅像にしたものを鑑賞し、冷え込みの厳しいこの地を後にして出雲空港へと向かう。時間に多少の余裕があろう事は想像できたものの、島根ワイナリーに寄らせようとする凡そ意図不明の運転手の誘いを丁寧に断り出雲空港には割と早めに到着。ゆっくりと帰宅の途につく。本日の機材はSAAB-340Bというプロペラ機なので、滑走路からタラップを利用して飛行機に乗り込む。一番後にギリギリで乗り込んだオヤヂが「携帯を待合室に忘れた」などとふざけたことを宣い、出発が遅れたのは愛嬌というものであろう。伊丹空港にはいつもと違う短い方の滑走路を利用して降り立ち、バスで旅客ターミナルまで運ばれていく間に手荷物はターンテーブルをくるくる回っているという手際の良さであった。カニと温泉を満喫した素晴らしい週末であった。来年はこのイベントをどこで行うべきかということを考えねばならぬのであるが、来年は果たしてこのイベントを行うことができるのであろうかという素朴な疑問も差し挟まねばならない事態を迎えていることもこれまた事実である。戻る↑
    2月5日)「世界最高のカニ」
    餘部鉄橋から望む日本海このところの激務は全てこの土日に休みを確保するために行ったと言っても過言ではない。今週末は家族でカニを食べに行くというイベントが3ヶ月も前から計画されていたのである。2週間前にも行ったんじゃないですかなどというツッコミは無用である。2週間前の計画は2ヶ月前に立てたのである。日本海のカニを食す機会はこの時期に限定されるため時期が重なることは当然のことである。必死の思いで城崎へ向かう列車の切符を確保したことは前月の日記に書いたとおりであるが、ワンボックスを占拠することができなかったため車内での他の団体さんとの切符交換というなかなか辛い営業を行い、何とか席を替わってくれて目出度く席を確保することに成功する。しかしながらこの成功は自分の尽力よりも相手の会って5分で30年来の旧友のように喋ることができる関西のおばちゃんという特性によることが多いことは否定できない。岩井温泉岩井屋の味わい深い温泉山陰の名湯岩井温泉そんなこんなで雪景色の外とは別世界の暖房の効いた車内でまったりと時を過ごすが、些か車内が暑すぎるため、外気を導入するハンドルをポンと押せという専務車掌のアドバイスに従い涼しい外気を導入する。目的地の手前で列車を乗り換えるために降り立った城崎では温泉街の味わい深い風景などを見学し、普通列車で浜坂を目指す。冬の日本海という絶景を目の当たりにし、餘部鉄橋からの景色をデジカメに納めたりして浜坂に到着。浜坂からはタクシーで岩井温泉に到着し、いつもよりかなり早めに宿にチェックインする。このお宿はこれまで2度も日帰り入浴に利用したというお気に入りの温泉宿であり、これまでは日帰りゆえに露天風呂を利用することができず悔しい思いをしていた。宿泊となれば男湯女湯入れ替えということであり、念願かなっての露天風呂入浴が叶おうものである。そんなことで喜び勇んで足下から湧き出す素晴らしいまでのお湯を満喫し、心地よく腹を減らしていざカニとの戦いに挑む。質量ともにこれまでにないレベルのカニと戦い、生、茹で、焼き、鍋、雑炊という多彩な攻撃の前には健闘も空しく敗れ去り、来年こそは制してやると思いつついつまでも勝たないでおこうとも思っていたりする。食事後ごくせんを見たりしてまったりと過ごし、男湯女湯入れ替えの時刻となったので念願の露天風呂に入浴する。延喜式にその名を記される岩井温泉の真髄を満喫し、満ち足りて就寝。戻る↑
    2月4日(金)「個人情報保護法」
    この4月に施行される個人情報保護法により、個人の情報を保護する法的な根拠が漸くできることになった。僕の業界は個人情報の固まりのようなデータを使ってあれこれと解析をするため、データの管理には細心の注意が必要であり、それゆえこの法律の施行に対してどのように対処するべきかという説明会すら開こうとしているのである。如何に我が社が個人情報について細心の注意を払っているかということが判ろうものである。さて、昨日の説明会を受けて会社の応接室に現地の不動産情報が張り出された。ええのがあったら決めろやという感じであり、会社としてもできるだけ情報を集めようとしているのであろう、現地の詳細な地図も併せて壁には貼られていた。何とも痒いところに手の届く会社ではないか。しかし、その地図にはなぜか小さな黄色いシールが貼られており、そこには人名が書かれているのである。どうも現地に住んでいる社員の自宅の場所をピンポイントで示してくれているようである。これって個人情報保護法の観点から行くと相当まずい気がするんだが。というか、「あいつがここに住んでいるから、ここに住むのは辞めよう」などという禍根を残しかねない意志決定がなされる危険性も孕んだ情報提供の出血大サービスは如何なものかと思ったりする。相変わらずよくわからない会社だ。戻る↑
    2月3日(木)「ラテン系な部署」
    部署ごと異動という内示が出てからというもの、引っ越しの準備とやらで部署は慌ただしくそしてかしましい。本日は昼から引っ越しの説明会があり、部署を上げて参加ということになった。最初、引っ越しを担当する業者から説明があり、引っ越しのプロの自負を感じさせる陰金プレイな挨拶やプロとしてここは譲れないという感じのお話があり前哨戦は無事終了。早め早めの対応を御願いしますということを話していたのはさすがである。続いて社宅の借り上げの話になり、本社の庶務課のおっさんがやってきて一通り説明する。説明のあと質問タイムとなり、説明だけでは判りにくかったことについて矢継ぎ早に質問が飛び交う。「嫁さんが仕事の都合上3ヶ月遅れてくるんでそのときの引っ越し代は会社が持ってくれるのか?」「未来の嫁さんと一緒に家探しに行ったときに彼女の交通費は会社が持ってくれるのか?」「俺は寮にはいるから家のことは心配していないが向こうでは車なしで生活できないので車をあらかじめ買っておきたいが向こうまで買いに行くときに交通費は出るのか?」などというドメスティックでマニアックなものばかりであるのだが、まあメジャーな疑問は既に説明で解消しているからそういう質問は出ないのであろう。しかしながら人が質問しようとしているのに、自分が疑問に思った瞬間に質問をして無意味にハモッたり、自分の家庭事情を必要以上に漏らしたりするなどという必要以上に盛り上がりを見せた説明会であった。声には出さないものの、心から喜んでいく場所では無いというのにこの盛り上がりは何と説明したら良いんだろうか?大阪人のずうずうしさと、自分の思ったことを話さないとすぐに忘れてしまうというという単細胞さと、質問で盛り上がったら自分も盛り上がろうと質問をしようとするラテン系のノリが全て複合しているように思われる。本日一番熱心に質問をしていたのが部長であったことは黙っておこう。関西人はどこに行っても関西弁をしゃべるということがかなり判った一日であった。間違いなくしゃべるだろうなあ。戻る↑
    2月2日(水)「大寒波」
    阪急西向日駅雪景色朝目が覚めたら一面の銀世界である。冬将軍が鍋奉行とアク取り代官を従えて日本にやってくるのは毎年恒例である。この暴れん坊将軍は最後にもう一暴れをしようとしているようで、例年になく寒さが厳しいのはきっとマツケンサンバの大ヒットぶりと関わりがあるに違いないと間違った推測をしながら駅へと急ぐ。いつも利用する列車は見事な雪景色の中を走るが、幸いにして交通が麻痺するようなことはなく、いつもの通りの時間に無事会社に到着する。会社が山沿いゆえ、窓からの景色に見とれて仕事がはかどらないと都合の良い言い訳を捻り出し、うだうだと仕事をしてさっさと帰宅。帰宅してみれば、朝あれ程積もっていた雪は綺麗さっぱり解けていた。雪が残り、今晩冷え込んで明日の朝は凍るということはなさそうなので一安心。戻る↑
    2月1日(火)「知的財産」
    一太郎&花子知的財産という概念はここ数年よく叫ばれている。会社で知的財産を管理する部門はなかなか厳しい仕事である。日本の技術者は仕事をすること自体に喜びを見いだし、特許だの実用新案だのといったことには頓着しない傾向がある。しかしながら会社として知的財産を守ることは必要であり、発明者というものは実際に発明を成し遂げた人間がならねばならないのである。知的財産管理部門ができる仕事はあくまでも明細書を書く上でのサポートであり、特許庁への申請書類には発明者と会社の名前があるのみで、サポートをした部門の人間は代理人を務めた弁理士を除いてその名が明記されることはない。斯くも知的財産というのは難しいものであるが、その根底には意地汚い金儲けではなく、人の独創的なアイデアに対するリスペクトがあると個人的には信じたいところである。さて本日松下電器産業が保有する特許(公開番号:特開平3−144719)を侵害したとしてジャストシステムが訴えられていた裁判で、異例とも言うべき「一太郎」「花子」に製造・販売中止命令が出されてしまった。ジャストシステムは即時控訴をしており、仮処分申請がなされていないので、判決が確定するまでは「一太郎」「花子」は販売ができるということである。松下の保有する特許というのは米Microsoft社がWindowsに搭載する、ヘルプの提示機能を用いて実装されている。このヘルプ機能は一太郎だけでなく、Windowsアプリケーションの多くが利用している事から考えるとWindows上で動作する全世界のソフトウェアが影響を受けるということになる。今月10日に一太郎の新しいバージョンが発売になるというタイミングにぶつけられたようにしか見えないこの裁判は、そういう意味でも今後の動向が注目されるところである。戻る↑