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男性用トイレではついぞ見かけない「音姫」などというツールが節水に役立っているという話はよく聞くが、これは「毒を以て毒を制す」という音の消極的な使い方であり節水という目的を果たしてはいるが今ひとつ評価できない。しかし、このたびTOTOが出したこの商品は癒しの音楽がトイレに流れるということであるから、これまた気持ちよく排便できるというものであろう。しかも今のご時世を反映してか、ユーザーが任意のファイルをSDカードに記録・再生することもできるというきめ細かい配慮がなされている。このトイレが普及すれば、「便秘の時にお通じのよくなる曲」とか「下痢の時に苦しみが和らぐ曲」などという明らかに意味不明なものが誕生しそうな気がする。トイレで音楽を聴くということ自体に馴染みがないので普及するかどうかは不明であるが、「トイレでは誰も音楽を聴いていないから音楽を聴けるようにすれば無限の市場が広がっている」という「裸足の国で靴を売る商人」のような話を地で行ってるように感じ取れる話ではある。戻る↑
一夜明け、東映のオープニングのような荒波をかぶりつきで眺めながらダイビングの宿にしては必要以上にうまい飯を食し、宿をあとにする。本日は温泉三昧と洒落込みたいところであり、まずは浜坂にある七釜温泉を目指す。しかしながらその前には餘部鉄橋などという絶好の被写体が存在し、それゆえ車を停めて山道をえっちらおっちら駅まで歩きその見事なまでの光景を堪能する。餘部鉄橋からの眺めを満喫するための不思議な時刻表プランなどというものが提唱されており、それを利用すれば一日に十回以上餘部鉄橋を渡ることが可能ということであるが、そんなことは別に望んでおらず、ちょうど列車がやってきたので絶好の被写体とばかり撮影に精を出す。撮影を無事終了し、当初の目的である温泉へ。公衆浴場の番台のにいちゃんが金を払った払わないと独り相撲を取っているが取り合わず、まったりと素晴らしい温泉を満喫する。そののち車を岩井温泉に進め、岩井屋でこれまた温泉にはいる。この岩井屋は自遊人のパスポート消費活動の一環であり、再来週またここに来ることは今ここで話しても仕方がないことである。風呂を満喫したあとは三朝温泉へと向かい、河原の露天風呂に誰も入っていなかったので貸し切り状態でこの素晴らしいお湯を満喫する。河原露天風呂のとなりに足湯があり、足湯が一杯なのでこちらの露天風呂に足だけ浸けるという不届き者がいたがあまり気にせず、冬の日の温泉のありがたさを実感していた。そののち車を奥津温泉へと進め、東和楼でこれまた自遊人のパスポート消費活動を行う。奥津温泉は旧街道沿いに並ぶ三軒の温泉旅館のどれもが素晴らしい足下から湧く湯を持っており、素晴らしいお湯を満喫する。その後友人を岡山空港に送るべく山道をひた走る。空港などという近代的なインフラに辿り着くために、凡そ訳の判らない激しすぎる山道を走り続け、空港まであと1kmというところで山を越して空港が見えたときは道中の道の酷さが全て楽しい思い出となっていた。空港で茶をしばきながら友人を送り出し、あとはさっさと帰宅。戻る↑

本日は日本海の冬の風物詩であるカニを食すべく友人と出かける。朝京都で友人を拾い一路車を西へと進める。いつもの通り滝野社までは下道を疾走し、滝野社から中国道へ。加西SAで昼飯を食って福崎から播但道経由で生野へと進む。生野の町は先日の雪で見事なまでの雪化粧をしており、目的地である生野銀山は冬の雪深い雰囲気を湛えてそこにあった。閉山した鉱山が観光資源として甦るのはよくあるパターンであり、全国に散らばるマインパークという名のパラダイスはいつも心を和ませるものがあった。とりあえず、昔鉱山で働いている人はみんなイケメンだったのだという間違った認識を植え付けたいのかどうか判らないけれど、無駄に動くマネキンは江戸時代であったも現在であっても全員イケメンであった。江戸時代の代官といえばこんな端正な顔をしていたのに「よいではないか」と娘を手込めにして「あれ〜」と楽しみ、天下の副将軍を騙る越後の縮緬問屋のジジイとその手下にやられていたのであろうという間違った妄想を抱きつつ不思議な土産物などを見ていざ城崎温泉へ向かう。本日のの目的地の前に一風呂浴びようという計画であったが、明らかに本日は人が多すぎであり、なんだか落ち着かないまま温泉を退散する。その後本日のお宿に到着するが、本日のお宿は入り江を独り占めしているお宿というか最果てにあるお宿というか微妙であり、とりあえず夏はダイビングで喰って行ってるというお宿であるため、本日の至上命題である「カニ」に思わぬ暗雲が立ちこめているようでこれはまたどうしたことかとえらく悩んでしまう。とりあえず部屋でくじらのボトルを飲み始めて良い気分で食堂へ移動する。しかしながら食堂で我々を待ち受けていたのは光り輝くカニであり、カニ刺し焼きガニカニスキがこれでもかとばかりに並べられていたのであった。さっきまで抱いていた不安は日本海を越えて偉大なる首領様の国まで飛んでいったようであり、よくぞ日本に生まれけりと心ゆくまでカニを堪能する。胃の腑がカニの身で寡占状態になったあとでもカニ雑炊だけは別腹であり、たっぷりとダシが出たうまい雑炊を満喫する。そして更にサプライズであったことは、このお宿は実は温泉が湧いていたということであった。何と素晴らしい誤算の積み重ねであろうと喜びに包まれつつ酒盛りは進み、「ごくせん」見て気が付いたら寝入っていたという至福の時を過ごす。戻る↑
本日はグループの新年会がにんにくやで執り行われた。木曜日の夕方に飲み会という正しいスタイルの踏襲は重要であり、しかも全員揃ってニンニクをたっぷりと食すのである。明日仕事をする意気込みの程が伺えようものである。新年会の話題はやはり異動の話であり、いつ異動になるかについて賭けが執り行われたが、「当たっても嬉しくないですね」という参加者の一人の微妙な発言に総意が籠められているような気がする。そのあと久しぶりにビリヤードをやり、手玉をポケットさせながらも曲がりなりに勝負をつけ、良い気分で帰宅。「もうちょっと薄く/厚く当てなあかんねん」と衝いたあとで誰でも評論家になっているところにビリヤードが一昔以上前に熱病のようにやりまくった国民的なブームであったことが偲ばれる。ちなみに評論家に成り下がった本日の成績については、ビリヤードの腕が落ちたのか酔っぱらってやったらそんなもんなのかは判らないままにしておこう。戻る↑
僕が子供のころ、ジャズをジャズと意識して聞いたことは当然なかったが毎日のようにジャズを聴いていたのは偏にルパン三世と妖怪人間ベムのおかげであった。妖怪人間ベムはどうでもいいのだが、現在僕のCDコレクションにルパン三世のサウンドトラックやリミックスが10枚以上ある。ルパン三世を見ていたときの年齢は、あのアニメが描いていた内容を理解できる年齢とは大きな乖離があり、それでもなおあのアニメを見続けていたのは、バックで流れる音楽が素晴らしかったからでは無かろうかと思われる。もしかしたらルパン三世のアニメ化の真の目的は当時見ていた子供が20年の時を経てリミックス版を夢中で聞くようになり、現在の状況となることではなかったのかと半分思ったりする。ちなみに「カリオストロの城」はルパン三世の中で不朽の名作と謳われているが、あれは宮崎駿と高畑勲の凄まじいまでの才能が結集した産物であり、モンキー・パンチの為せる業ではないように思うのだが。戻る↑

朝起きれば駐車場のうえぺけ号は見事なまでに冠雪していた。そんな中、メインストリートは温泉で消雪するという味わい深い温泉街へ残り二つの外湯を飯前に済ませるべく出向く。しかしながら源泉そのものが熱いため朝の掃除後間もない状態で浴槽に湯が十分充たされていない状況ではひたすらその浴槽は熱いのである。しかしながら適当に水道の水でうめて入れるようになり、まったりと全ての温泉を回ることに成功する。朝食後宿をチェックアウトする時に車に温泉をかけて雪を溶かすという大胆不敵な作戦を挙行しつつ、湯巡りの手ぬぐいを温泉寺に奉納し、お下がりを持って帰ることとした。そのまままっすぐ帰っても仕方ないので小布施のあたりをうろうろと雪の中走り回り、須坂の田中本家にまたもや出向く。田中本家が近世の正倉院という別名を持つことは今更言を挟む気もないが、学芸員と思しきおばちゃんが駐車場の雪かきも率先してやるというフットワークの良さがこの博物館の居心地をよくさせているように思われる。
昨日のお宿でも信州の雪の話で「上雪」「下雪」という聞き慣れない言葉を耳にしたが、なぜかここでも博物館とは全く関係ない雪の話をお茶をいただきながら雪の庭を眺めつついろいろと伺う。本日は上雪なので諏訪や伊那地方周りで帰るのは得策では無いというアドバイスを受け、新潟廻りで帰宅することとした。徳光ハイウェイオアシスで味わい深い薬局を見つけ、ケロリンの広告を見つけたので店にはいるが売っていない。温泉でよく見かけるケロリン桶は、当初はケロリンの販促品であったのであろうが、気が付けばケロリンは売れておらず、ケロリン桶だけが1500円で東急ハンズで売られているという本末転倒な展開が繰り広げられている。ケロリン桶を自分の温泉グッズに組み入れたいという願望を持つことに吝かではないが、桶の裏に名前を書いておかないと、設えのケロリン桶を持ち帰っているかのように思われかねないので余り得策ではなさそうである。李下に冠を正さずと言うのが良識ある大人のやることであろう。ということで実りある味わい深い温泉をはしごして帰宅。しかし1泊2日で10湯は少しペースが速すぎるのではないかと思ったりもする。戻る↑
朝早く温泉を目指して出発する。刈谷ハイウェイオアシスに出向きえびせん工場を見学したり、地元の作物を販売するという名目の割にはやたらとゴージャスなスーパーマーケットやペット専用の水飲み場などを見物しつつ車を進める。普段であればいろいろと寄り道をして立ち寄り湯を満喫してと行きそうなものであるが、今回は渋温泉という外湯が充実している温泉街に向かうため、途中の立ち寄りは極力排除することとした。その甲斐あってか小布施で栗の誘惑に負けつつも4時過ぎには宿に到着するという快挙を成し遂げる。渋温泉はこぢんまりとしていながらも歴史のある温泉街であり、宿泊しない限りは外湯巡りができないと言う不思議なシステムが取られている。このシステムがなければ間違いなく道の駅やまのうちを前線基地として温泉のはしごをするところであるが、この制度ゆえ本日はお宿に泊まることとした。
お宿は商売気のまるでない様子であり、歴史ある旅館のプライドが良い感じで働いているようで傘も貸してくれるし下駄も貸してくれるし、浴衣の重ね着の方法まで伝授してくれるし、焼酎を持ち込んでも何も文句を言わない。このお宿は外湯巡りをするには絶好のポジションにあり、しかも目の前に宿の駐車場があるという大当たりの宿であった。唯一の懸念は泊まり客が我々だけだっだということであるが。さて、渋温泉の宿泊客のみが利用できる外湯のシステムは至って簡単で、宿泊客にだけ外湯の鍵を貸してくれるのである。9つある外湯はどれも同じ鍵で開くし、男湯も女湯も同じ鍵で開くという仕掛けである。夕飯前に気合いを入れて4つも外湯を制覇したが、洗い場が狭いので体を洗わないこと、浴槽が小さいこともあってか長湯をすることが無く、烏の行水状態で順調に数を重ねる。温泉街に付き物の射的場などにも立ち寄り、なかなか温泉を満喫して宿に戻る。晩飯のあとは雪の降る中外湯を3つ制し、あと二つ残して漸く宿の内風呂にはいる。都合8つ入ったことになるが、それほどの湯あたりもなく体がほこほこ温まるいい温泉であった。宿の暖房は温泉の熱を使っているので夜中に鼻が乾いて困るなどと言うこともなく気持ちよく熟睡してしまう。戻る↑
今週末に出かける予定の温泉地は外湯巡りができ、趣深い歴史のある温泉街である。しかしながらスキーのメッカである巨大な高原リゾート地の入り口に鎮座し、かなりの積雪を覚悟せねばならない地である。そんなところに出向こうとするこの週末にかなりの雪が期待されるとあって、果たして無事に到着できるものなのであろうかという事で必要以上に気をやきもきしてしまう。そんなことを気に病んだところで出かけることに些かの揺るぎもないのであるが。本日は帰宅を早めにして明日の準備と称しgigabeatにCDをたっぷりぶち込むという作業に勤しむ。而して未だに空き容量はたっぷりあり、何時になったら埋まるのであろうかと思う程容量は莫大である。このところの天候は遅れがちであるため、何とか週末は乗り切れるのでは無かろうかと甘い期待を抱きつつ明日に向けてさっさと寝る。戻る↑
理科系出身で研究職である人間にとっては、発明をすることそのものが仕事につながるわけである。しかしながら画期的な発明をしたこと自体がそのまま金儲けにつながらないことがほとんどであるため、発明したこと自体に対する対価は低いものである。実際に僕の会社でも地味にそういう報奨制度はあり、発明の対価は日米欧で特許が取れて25000円となっている。件の中村氏も同様の報奨制度に乗っかかっていただけであり、その時点ではいささかの問題もなかったわけである。発明に対する対価は先程述べた額であるが、売り上げに貢献したと言えるのであれば、それなりの対価を払ってやるというのが世の常であろう。しかしながら発明は一人で行うものではない。日本人というものはそもそもチームプレーが強く、プロジェクトXに取り上げられてゲストに呼ばれようものならば、膳場さんに萌えているわけでも無かろうに高々自分のやってきた業績を田口トモロヲの口上に乗せて語られるだけで涙腺が緩みっぱなしとなるものである。そんな日本に於いて発明の対価を要求するのは適切であると思うが、貢献度を如何に算定するかは困難を極めるのである。実際のところ、いくらいい研究をしたところで営業さんが頑張らないと商品は売れるわけが無く、営業さんは発明に貢献していないからといっても売り上げには十二分に貢献しているわけであるから、発明によってもたらされた利益の分け前が高くなるのは本来おかしかろうものである。個人的にはそれなりの金額で報いてやる必要があるように思われるが、会社が「二割の社員が残り八割を食わせる」という原理原則に則っている限りに於いてはそうそう高額の報奨金を支払うこともままならない。それゆえストックオプションをつけてやれば会社は懐も痛まないし、会社に対するその研究者の忠誠心も高まろうという一石二鳥を狙うという作戦は適切ではないかと思ったりする。今回の裁判で「日本の研究者はやる気を失っている」と件の中村氏は宣っていたが、会社がほいほいと金をくれた日には何かしら罠が潜んでいるに違いないと思ってしまうものである。それを貧乏症だといわれればそれまでだが。戻る↑

熊本の宿を出て、本日の目的地高千穂に向かう。高千穂に向かうのに矢部や砥用経由という選択肢をカーナビは盛んに仕向けているが、やはり阿蘇経由で向かうのが観光ルートとしては当然であろう。阿蘇の雄大な外輪山や世界最大の二重カルデラなど火の国熊本の謂われを突きつける風景は偉大の一言であり、高山地帯ゆえに寒さが厳しいこともついつい忘れがちである。そんな中南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」に出向き、実は単に「白水高原」だったんではなかったのかというツッコミを入れながらも「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅」や「長者ケ浜潮騒はまなす公園前駅」という名前の長さで鎬を削った地方の駅に思いを馳せる。
この南阿蘇鉄道(旧高森線)と高千穂鉄道(旧高千穂線)を繋ぐ計画が以前あり、そのためにトンネルまでぶち抜いたけれどついに中止となったという経緯があることは知っていたのだが、その使われなくなったトンネルが今は焼酎の貯蔵に用いられていると言うところに何かしら日本人の逞しさを感じたりもする。阿蘇の雄大な景色を堪能したあとは高千穂に向かい、花崗岩を情け容赦なく削り取った深い渓谷や、その渓谷に流れ落ちる真名井の滝などを鑑賞し、自然の雄大さゆえに人がそれを神と見たのであろうという事を阿蘇山宜しく反芻してみる。
そのような自然美に心打たれるものがあるのは事実であるが、どうも日本の神様の発祥の地であるという売り込みが希薄なのかは不明であるが、本来はこちらがメインで渓谷はサブであろうと思われるにもかかわらず、高千穂神社と天岩戸神宮は観光客もまばらである。日本人のふるさとを探訪したあとは一路大分を目指す。県境越えの県道は完全に凍結しており、スタッドレスでは歯が立たないというレベルであったがとりあえず無事下山し、兄をホーバークラフト乗り場まで送り届けて別府へと急ぐ。別府では竹瓦温泉に出向き、その味わい深い建物に感動し、その素晴らしい泉質に感動し、一緒に入っていたガキに「おじちゃん」と呼ばれて凹む。気を取り直してフェリー乗り場に出向き、船に乗り込んで無事出航となる。行きの宮崎行きフェリーと違い、なぜか食堂が必要以上ににぎわっているのは関西汽船という会社の商魂逞しさの為せる業なのだろうかと思いつつ、しこたま焼酎を飲んでご機嫌でひっくり返る。そして今回の買い付けで手に入れた素晴らしい焼酎の数々を思い出し、またこの宝島に出向かんと思いを新たにしたのであった。戻る↑
本日は西鹿児島改め鹿児島中央駅の見物と洒落込み、九州新幹線「つばめ」の雄姿を目の当たりにする。現在の鉄道を堪能し、天候の思わしくない中知覧を目指す。知覧の武家屋敷を8ヶ月ぶりに訪ね、前回と同様郵便局に車をとめて探訪と相成る。そぼ降る雨も相まっていい味出している武家屋敷を探訪しつつも冷え込みにより惹起された差し込みなどに怯え、次なる目的地枕崎を目指す。枕崎駅は最果ての地と呼ぶに相応しい駅であり、岩崎コンツェルンの礎となった鹿児島交通がかつてこの地に鉄道を国に先駆けて伊集院より南下させ、遅れて国鉄が東からこの地に辿り着き、この地は乗換駅として賑わいを見せていた。
しかしながら鹿児島交通はその任を終え、現在は間借りしていたJRのみがここに辿り着いているのみであり昔日の面影はもやはない。駅の待合室の一角には観光案内所という名の売店があるが、ここに立ち寄る客の人数を鑑みればこの売店の売り上げは如何なものであろうかと余計な心配をしてしまう程である。しかしながら枕崎は鰹の町であり、駅前に漁協が店を出しており、鰹の真髄を味わわせてくれる素晴らしい店であった。鰹のあらいなどという不思議なものはおそらくここでしか食することは出ないのでは無かろうか。その後加世田で焼酎を入手し、かつての鹿児島本線であった肥薩線の真幸や大畑駅を訪ね、明治の世にこの鉄道というインフラを鹿児島まで到達させることに凄まじいまでの情熱を傾けた二人の名を冠した「いさぶろう・しんぺい」号の到着などを眺める。鉄道に思いを馳せるものの、現在は鉄道よりも道路整備が行き届いており、おそらくそれら列車が到着するよりも前に人吉に到着。素晴らしい球磨焼酎のラインナップに感動し、買い付けにも精が出ようものである。つぶれかけのコンビニと思しき店には珠玉の焼酎が眠るなど人吉の奥深さを堪能しつつ車を熊本へと進める。熊本ではうまい馬刺と焼酎をこれでもかと堪能し、心地よく眠りにつく。戻る↑


目覚めれば外海ゆえにちょっぴり揺れる船室である。半分目が覚めている状態で朝風呂に入り、身支度をしてぼちぼち下船の準備と洒落込む。甲板に出てみれば見事な朝焼けであるが、吹きすさぶ風は厳しいものがありやはり冬は寒いのである。そんなこんなで無事宮崎に到着し、宮崎空港で1500円ばかしEdyをチャージして椰子の実ジュースなどを何の躊躇いもなく売る味わい深い地方空港を観光し、飛行機展望場の傍らにある神社などを参拝したり、宮崎空港駅などを見物していざ神話の国宮崎の観光は始まる。
みやざき歴史文化館で縄文時代の人が食したとされるマンガ肉や宮崎各地の正月料理などを見物し、あとは日本神話の真髄をこれでもかと展開するコーナーで曲玉をかみ砕いたり剣をかみ砕いたりして人間を口から発生させたりするイカサマショーと思しきストーリーや、山幸彦の孫が実は神武天皇だという理解不明な系図などを頭にたたき込みここをあとにする。この後は本来の目的に立ち帰り、宮崎の味わい深い焼酎の購入をしたり、宮崎神宮に参拝したり、美味なるイカ料理を食したりして時間を過ごす。そしてその後青島神社への訪問となる。JR日南線の青島駅はいい味出してる駅であり、南国の匂いを冬でも醸し出していた。駅前に車をとめ、宮崎市と青島(チンタオ)市が提携しているので「青島でチンタオビール」というベタな売り込みを見たり、ハングル文字を操る外国人観光客に混ざりながら鬼の洗濯岩を見物したりしていざ本日のメインイベント日向神話館へと向かう。
入り口で長嶋監督の蝋人形に出迎えられた時点で既にここはパラダイスであり、やたらと人間くさい我が儘で己の欲望に誠実な日本の神々のお戯れが蝋人形で再現されており、こんな行き当たりばったりでよく日本という国ができたものだという気がするのだが、展示されている12のシーンのうち9つが山幸彦がらみということで、これをして「神話」と大きく出ていいものであろうかと観賞後感慨に耽れば、長嶋茂雄の履歴などがそこには展示されているわけであり、要するに長嶋監督は現人神なのであろうという勝手な想像をしてここをあとにする。この後は都井岬で馬を見たり志布志駅の味わい深い駅舎などを見て垂水へ向かう。垂水からは船で鹿児島に入り、本日のお宿にチェックイン。コンシュルジュのおねえちゃんが一押しという若愛人(わかな)という郷土料理屋で芋のお湯割りを黒豚のしゃぶしゃぶやキビナゴの刺身などをあてにいただき、鹿児島の夜は更けていった。戻る↑
昨日の切符手配に辛勝したことを教訓として、本日も切符取得に励む。本日は超楽勝で取れるという不思議な展開であり、どうやら大都市からカニを目指す人は多くとも、日本海側のみをちんたら走る特急列車には如何ほども人気がない模様。楽勝で切符が取れたのであっけにとられるが、まあ取れたことをよしとしようと言うことで素直に喜ぶ。本日はこれまたヨドバシ梅田で新たなるアイテムをゲットする。gigabeatに入れ込んだ音楽を車で再生させるためにはFMで電波を飛ばしてやるというのが配線がいらないためお手軽であり、そのため本日はトランスミッターを購入する。いろんな種類があるのは判ったのだが、「配線が出ているのが嫌だ」という原理原則に立ち帰ればトランスミッターの電源に配線を要している時点で本末転倒であり、電池タイプのやつにしてみた。電池代がかかるんじゃねえのかという向きもあるが、デジカメでは写真が撮れない程に電圧が低下した電池が唸る程あり、その電池でもFMの電波ぐらいは余裕で飛ばせるものであるため、体よく廃品利用ができるなあと思いながら装填して本当に聞けるのか確かめてみる。FMであるためそれなりに音も良く、なかなか良い買い物をしたものだと自画自賛してみる。戻る↑
正月休み最終日ともなれば、明日からの仕事の心配などをするのが社会人としてのつとめである。しかしながらそんなことをするわけもなく、世間では御用始めだというのに本日も休みであり、昼からヨドバシ梅田に出向くことにした。正月のお年玉を目当てにした商戦などと言うものが展開されているかと思いきやそのようなことはなく、少子高齢化の波はこのようなところにまで及んでいるのかと子供が来るはずもない売り場で一人呆けた考察などをしてみる。本日の物欲は携帯用ハードディスクプレーヤーである。世間ではiPodなどという商品が幅を利かせているが、Windowsユーザである人間にとっては無用の長物であり、SONY嫌いも手伝ってか東芝製のgigabeatがノミネートされるのが自然の成り行きというものであろう。快く消費活動を済ませて帰宅。早速CDを取り出してガスガスと入れ込み、その用量の大きさに驚く。ちなみに本日はノートパソコンも買ってしまったのだが、それは次回の講釈でと言うことにしておくか。戻る↑

春川(チュンチョン)市の南怡島(ナミソム)・メタセコイヤ街道は冬のソナタの撮影地として頓に有名である。メタセコイヤの並木と言えばということで、本日は最近韓流ブームに乗っかっている親を連れてマキノにあるメタセコイヤ並木に出向くこととした。京都は寒くとも雪は降らないが、北近江ともなれば雪国である。深坂峠などと言う中央分水嶺の割にはかなり頼りないところを越したぐらいでは日本海の水分を吐き出すには至らないのであろう、分水嶺を超えても水蒸気は十分とあり、そのおかげでこちら側でも雪を降らせることに余念がないのである。斯様な地形的条件を備えており、マキノはそれなりに雪が降る。目的地であるメタセコイヤ並木は南北3kmに亘って続く蒼々たるものであり、地元の写真家が「このアングルがよろしおまんねん」と必要以上に親切なアドバイスをしてくれる。心ゆくまで写真を撮影して帰宅。戻る↑
神社と寺を比べれば敷地の広さは寺の方が優勢である。神社も寺も山を背景に展開されているという原理原則に則ってはいるが、檀家を抱えて定期的に収入が得られる寺と比べ、1年を3日で過ごさねばならない神社は何かと辛いものがある。本日は京都ならではの古刹を巡ることとした。まずは臨済宗の東福寺派の総本山である東福寺を目指す。
東福寺には明暗寺などと言う塔頭があり、ここが尺八を吹く虚無僧の本拠地であることは有名である。苔生す庭園への木漏れ日などを見るにつけ、日本の素晴らしさを再認識するが、池には氷が張っており、京都と言う地の寒さを再認識する。東福寺と言えば通天橋であり、秋の紅葉の季節ともなれば観光客で溢れかえるお約束の地であるが、本日はひっそりとして、その味わい深い佇まいを心ゆくまで鑑賞する。通天橋が斯くも味わい深い趣を醸し出しているのに重要文化財にすらノミネートされない理由は至って簡単で、橋脚部分がコンクリートであるためであり、景観に配慮して木造っぽい偽装が施されていることに本日気が付いた次第。その後恵美須神社に向かい熊手に賽銭を投げ入れ、今年もまた商売繁盛を祈願して帰宅。戻る↑

明けましておめでとうございます。一年の計は元旦にありと言うが、もそもそと起きあがったのが10時半という典型的な寝正月の展開であり、毎年ながら正月はテンションが低めである。屠蘇で身を清め、雑煮で胃の腑を満たしいざ初詣に出かける。今年は嫂が厄年だということで産土神である松尾大社に出向いた。松尾様といえば酒の神様でもある。
今年一年美味しくお酒が飲めますようにという願い、即ち今年も息災に過ごすことができますようにというお願いをし、松尾大社オリジナルの樽占いで見事に矢を命中させて幸先良く一年が始まる。その後今年は芸事の神様として名高い車折(くるまざき)神社に出向く。ここでのお願いは今年一年ネタが尽きることがありませんようにと言うことであり、これもまた一年を健やかに過ごすためには欠かせないものである。そのあとは御室仁和寺に向い、正月のガラガラの寺を心地よく散策する。初詣のはしごはこの辺にしておくかと茶をしばき、日が陰ってきたので急に冷え込んできたが最後に一つだけと言うことで北野天満宮に向かい、本日の初詣は終了。本日は混雑を巧みにかいくぐるいつもながらの手腕が冴え渡り、なかなか効率的に参拝を済ませることができたものだと自画自賛。戻る↑