2004年12月

  • 今月の日記を新しい順に読む


    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 12月31日(金)「雪の大晦日」
  • 12月30日(木)「忘年会」
  • 12月29日(水)「仕事納め」
  • 12月28日(火)「VIVA! 6×7」
  • 12月27日(月)「TSUNAMI」
  • 12月26日)「久々に温泉巡り」
  • 12月25日)「土曜出勤」
  • 12月24日(金)「禍福は糾える縄の如し」
  • 12月23日)「年賀状作成」
  • 12月22日(水)「人生の躓き」
  • 12月21日(火)「Google Holiday Logo」
  • 12月20日(月)「集団欠勤」
  • 12月19日)「3県境巡り」
  • 12月18日)「手羽先とビールの無限連鎖」
  • 12月17日(金)「忘年会第1弾」
  • 12月16日(木)「フェリーの切符」
  • 12月15日(水)「自遊人源泉湯パスポート」
  • 12月14日(火)「再び学生生活」
  • 12月13日(月)「京都検定」
  • 12月12日)「珠玉の温泉は続く」
  • 12月11日)「珠玉の温泉巡り」
  • 12月10日(金)「思想の偏り」
  • 12月9日(木)「遺骨という考え方」
  • 12月8日(水)「遅めの厄年?早めの厄年?」
  • 12月7日(火)「体調不良」
  • 12月6日(月)「学力低下」
  • 12月5日)「美味なる回転寿司」
  • 12月4日)「塩屋埼・小名浜第二中学・鮟鱇」
  • 12月3日(金)「コンサルタント」
  • 12月2日(木)「好き嫌いとセンシティブ」
  • 12月1日(水)「ソフトランディング」


  • 今月の日記
    12月31日(金)「雪の大晦日」
    雪化粧した自宅の庭いよいよ大晦日である。年末の掃除の担当箇所は窓ふきとここ数年決まっており、寒い中テンションが上がるわけもなく細々と仕事を始める。折しも烈しく雪が降り始め、庭は一面の雪景色と変わり、自宅の車(FFでタイヤはノーマル)で帰省する嫂を迎えに最寄りの駅に向かう。雪のせいで車は全く思うようには動かず、何と言うこともない緩い上り坂も進むことに困難を極める。自宅へのルートで上り坂が極力無いコースをシミュレートし、いつもの三倍以上の時間をかけて無事帰宅。自分の車であればこんな事で何をか苦しまんやという道路なのであるが、なかなか普通の車では辛いものがあるのだということを新たにする。帰宅してまたもや窓ふきを再開し、雪の中で寒さに生命の危険を感じながら適当に暖を取り、何とか終了させる。自室の掃除や風呂掃除なんかを適当に済ませて夕方にはまったりと飯を食って心ゆくまで焼酎を嗜む。紅白歌合戦ではマツケンサンバUを見ながら松平健の息の切れ具合に辟易し、小林幸子が今年は舞台装置を自粛したということでそんなことで被災した人が明日への活力を生み出すことができるんだろうかと憤慨しつつもさっちゃん歌うまいじゃんという今更ながらの発見をしつつ行く年来る年を迎えて今年は終了。戻る↑
    12月30日(木)「忘年会」
    来年の準備はばっちり@仲間由紀恵%卓上カレンダー朝決まった時刻に起きる必要がない、という冬休みであるが、哀しいかな携帯の目覚ましは通常通りにがなり立ててしまい、目覚める時間はいつもとあんまり変わらない。不本意ながらも目が覚め、ぼつぼつと年末に向けて部屋の片づけなどを始めてみる。本日は飲み会があり、さらには今年中に始末しておかなければならない銀行行きという仕事があり、そのために昼過ぎに出かけることとした。適当に銀行のはしごをしてやることを済ませ、時間が余ったので何をしようかととりあえずヨドバシの方へと歩いてみる。大阪駅で号外が配られていたのでそれを見ると奈良の小学生女児誘拐殺害の容疑者が逮捕されたとのことである。ヨドバシの路上カフェで友人と待ち合わせお互い入手した読売と朝日の号外を比較し、微妙な違いを見つけたりなぜ毎日の号外はないのだなどという凡そ不謹慎な話をしたりしてまったりと過ごす。その後友人に自遊人の源泉湯パスポートを買わせて更に別の友人のヨドバシの買い物につき合う。買い物を済ませていざ飲み会の会場へと向かう。向かう途中で本日2度目の号外を入手し、サーヤの婚約が正式に内定したことを知る。飲み会では久しぶりに顔を合わせる面々との楽しい語らいが進み、年々店の対応がひどくなっていることをぶつくさ言いながらも店を変えるといろいろと困ることもあるしそもそもめんどくさいということでおそらく来年もこの店なのだろうという話をする。終電まで騒いで帰宅。帰宅してそのままバタンキュウとなる。戻る↑
    12月29日(水)「仕事納め」
    昨日で官庁はお休みに突入し、それに倣った会社も多かったせいであろうか朝の電車はガラガラである。本日で仕事納めであるため本来であれば昼過ぎに仕事を切り上げ、部署内で宴会をして適当に変えることが恒例であった。しかしながら今年はカニ事件が勃発し、車内でお互いを監視するという困ったシステムが導入されてしまったためおおっぴらにフライングをするわけにも行かず今後のなりゆきが注目されるところであった。しかしながら会社から「午後3時以降は好きにやっても宜しい」というお墨付きを戴き、というかそれを会社が出さない限りは何も身動きが取れる状況になかったということになるのであるが、三時より宴会を開始する。今年一年のことを反芻しつつもビールをグビグビ飲み、良い気分で帰宅。冬休み突入なのであるが、正月は家で過ごすこととなっているため今年は大人しく帰宅して眠りこけることとした。この度の正月は柄にもなく寝正月となりそうで、どこにも出かけないということがストレスになるのでは無かろうかという不思議な疑問を抱いたりもする。戻る↑
    12月28日(火)「VIVA! 6×7」
    アルバム6×7のジャケット「”6×7(シックス・バイ・セブン)”とは、フィルムのサイズで、通常我々が使用している35ミリ・フィルムの約4倍の面積があるそれは、より広い範囲で光を捉えることができる。デジカメでは捉え切れない“中間色”を出したいという想いからタイトルに採用され、その中味は60〜70年代のヨーロピアン・ポップを彷佛とさせるものに仕上がった。」などということがとあるサイトには述べられている。とあるインタビューで松任谷由実は「ぽっと出の若いデジタルマンセーな奴らには出せない音楽よ」と宣っていたが、確かにそういう思いを込めてのタイトルであろう。タイトルの付け方すら風格を漂わせるものがある。さすがは女王だと思うところはある。しかし15年もひねくれてファンを続けてきた奴曰く、かつてユーミンのCDはクリスマスケーキに準えていたものだったという。毎年ある時期にアルバムを出せば予約してまで人は次々に買ってしまったという。ミリオンセラーは当たり前であり、ヒットを祈願してホテルオークラでピーチメルバを食し、日枝神社にお参りに行き、ホテル・ニューオータニにあるヴァレンティノ・カラヴァーニでカードの限度額ギリギリまで買い物をするという不思議なゲン担ぎをしていたというから、バブル華やかなりしころの良き思い出なのでは無かろうか。しかし、クリスマスケーキに準えていたということは、時期を過ぎれば見向きもされないということであり、それをこの数年実感してきたのでは無かろうかという見方もできるのである。今回のアルバムのタイトルに込められた「復古」という意味合いはそこに強いものを感じるが、現在のデジタルマスタリングの先鞭をつけたアルバム「Tears and Reasons」が発売されたのは12年も前である。6×7とて、アコースティックな作りにしていないわけであり、僕としては何を目的にしているのかがよくわからない作品である。戻る↑
    12月27日(月)「TSUNAMI」
    スマトラ沖で随分とでかい地震が起こったようであり、これまでで五本の指が入るという規模らしい。この地震がもし大都市を直撃したならば世の中からバカが随分と粛正されたであろうと思うのであるが、個人的に気になるのはモルジブの被害である。モルジブは地球温暖化で国土が水没の危機にあるという国であり、この度の津波で国土は水没してしまったのではないかと心配をしてしまう。それにしても報道が重ねられるたびに死者がふえまくりであり、この調子だと10万人ぐらいは突破しそうである。情報が錯綜しているし、沖合の島のことだから情報を伝えるすべもないのであろう。それにしてもその地震のは恐ろしい。被害に遭われた方にお見舞い申し上げる次第。戻る↑
    12月26日)「久々に温泉巡り」
    須賀谷温泉にあった顔出し休みが本日だけというかなりだるい状況であり、日帰りで温泉にでも行こうかとかなり投げやりな気分で出かける。自遊人のパスポートも買ったことだし、近場でなんか良さそうなところはないだろうかと見てみたところ、浅井に須賀谷温泉があり、そこに出向いてみるかとまずは進路を北に取る。いきなりいっても面白くなかろうとまずはマキノ白谷温泉に向かう。「老人憩いの家」と銘打たれているだけあって浴槽は老人ばかりであるが、お湯はまことに素晴らしく、久しぶりの温泉を満喫する。そのあとオープンしたばかりの道の駅に出向いて蕎麦などを食し、一路須賀谷温泉を目指す。須賀谷温泉はこの度新装開店となったため味わい深いものではないが、お湯はまことに素晴らしいということであり、喜び勇んでいざ初スタンプと出向く。しかしながらフロントのおねえちゃん曰く「水が出ないので現在入れません」という凄まじいまでのカウンターパンチを食らいすごすごと引き下がる。その後周りをうろうろとし、夕刻改めて申し出たところ「相変わらず水は出ないけれどそれでも宜しければ」ということであったので喜び勇んでいざ入浴。フロントで断っていたことが奏功していたのであろう、露天風呂を含めた大浴場は貸し切り状態であり、素晴らしいまでの源泉を独り占めすることの喜びを噛みしめる。風呂から上がるころになって「水が出るようになりました」ということなので全くもってナイスタイミングである。その後湖周道路を疾走して帰宅。なかなか貴重な体験をさせて頂いた。戻る↑
    12月25日)「土曜出勤」
    クリスマスイブが金曜という絶好のシチュエーションは少子高齢化の日本を救う一助になるべきであろうが、無粋な会社もあるもので本日は土曜出勤である。いたってテンションの上がらない状況でだらだらと時間が過ぎる。課長も本日は仕事をする気がなさげであり、「ミーティングでもするか」ということで珍しくも朝から二時間も時間がつぶれる。昼過ぎてからも相変わらずだらだらと仕事をし、三人に一人は休んでいるというまるで稼働しない職場は夕刻定時となれば皆三々五々と帰宅の途につく。正しい休暇の取り方は昨日と本日を休みにすることではなかったと思い起こしたりする。戻る↑
    12月24日(金)「禍福は糾える縄の如し」
    我が世の春は余りに短い。御堂関白と呼ばれたが実は関白には就任していない藤原道長の「このよをば我が世とぞ思う望月の欠けたる事の無しと思えば」という歌に自信の程が溢れているが、所詮月は欠けるのである。それ故14番目の月が良いという意見もあるが、月に貴賤はないと思われる。光の当たり具合が違うだけでみんな同じ月なのである。さて、スポットライトの当たり方で人生狂いっぱなしという明治大学元野球部の一場選手は、当初は高飛車に巨人入りをのぞみ、スカウトには無心をするという典型的「勝ち組」を満喫する予定であった。しかしながら目論見がバレ、オーナーキラーの名を恣にしてしまい、どの球団も手を出せずにいるという来年の職が決まっていないというニートまっしぐら生活という暗雲が垂れ込めていたのであるが、近鉄とオリックスの合併により楽天が参入し、曰く付きの選手といえども戦力は戦力と拾って頂けたという強運の程を発揮したのは記憶に新しい。勝負事の世界に生きる人間にとって運の強さは絶対に必要である。その一場は本日結婚することを発表した。しかも既に相手は妊娠しており、下世話に逆算すれば先が見えないときには既にやっちゃった後だということなので、もし楽天に入団が決まらなければ転落人生を歩んでいたのでは無かろうか。本日の結婚報道を見てそんなスリリングな人生はたまには良いけど毎日だったらお腹一杯だと思った次第。戻る↑
    12月23日)「年賀状作成」
    「平成」を掲げる小渕官房長官(当時)年賀状の図案この日が天皇誕生日となってはや16回目である。天皇誕生日を迎える回数はついに本日の方が多くなるという節目に差し掛かり、平成が始まって随分と経つのだなあと思いを新たにする。「平成」と掲げた小渕氏は既にこの世を去り、娘は国会議員となり先日結婚したというから時の流れは随分と早いものである。今年も残すところ一週間あまりとなり、いい加減新年の準備をせねばなるまいというのっぴきならない状況に追い込まれる。仕方なく本日は年賀状などを作成しようという運びとなり、まずは図案集から図案を選び、レイアウトの要望を聞いて、何度も試し刷りをやり、ようやく完成する。間違ってはいけないのは、まずは親の年賀状を作成するのである。一通り訳の判らない対応をさせられて早くも夕方となり疲労困憊となってからようやく自分の年賀状の作成に取りかかることを許される。このところの恒例行事とかしている感があるが、これはもう諦めの境地である。さっさと作成して本日は終了。それにしてもプリンタのインク良く持つなあ。戻る↑
    12月22日(水)「人生の躓き」
    魅惑の食材:カニ順風満帆な人生はそうそう送れるものではない。己の才覚を武器に出世していったとしても敵は多いのである。むしろ出世すればするほど敵は増えるのである。話は変わるが冬と言えばカニである。日本海で水揚げされるあの動物に取り憑かれた人はまことに多い。不幸にして仕事場に巨大な冷蔵庫がこれでもかと置かれており、製氷器からは溢れんばかりに氷が供給されていたとしよう。職場で冬場に何かその手のイベントを行おうとすれば至って簡単に事を運ぶことは可能であろう。そしてそのイベントを恒例行事とするのに困難を伴うことがあるだろうか?そして大がかりなシンジケートを組んだ場合に幹事が持ち回り制になることは必定であろう。そして下っ端はその運搬業務を業務中に行うこととなるであろう。しかし何の因果か下っ端の口にはその魅力的な食材が入らなかったとしたらどうであろうか?あることないことを論い「俺はトロ箱を運ぶためにこんな会社に入ったんじゃねえ」という密告を上司の上司の上司のそのまた上司ぐらいに投げつけるのは宜なるかなというところであろう。完全犯罪の第一歩は発覚しないことであるという鉄則を忘れた首謀者には鉄槌が振り下ろされ、出世コースから外れてしまうなどと言う恐ろしい世の中である。本日部門長がみんなを集めて学級会での「山田さんの給食費がなくなった」レベルの話をしていたのはそういうことであるが、部門長(上司の上司の上司)の歯切れの悪さの原因は「お前ら、そんなことでいちいちチクるなよ」と呆れていたのではなく、「いやあ、あのカニはうまかった」と思いながら立場上訓示を垂れていたことにあると知っていたのですごく楽しい時間つぶしとなった次第。上司の上司の上司の上司まで巻き込めば発覚しなかったであろうという思いを新たにする。戻る↑
    12月21日(火)「Google Holiday Logo」
    Googleクリスマスバージョン昨日の食中毒騒動から一夜明け、皆様揃ってご出勤である。昨日会社に来ていた人間と休んだ人間の違いは、前者が食中毒騒ぎのことを把握しているのに対し、後者は休んだのは自分一人だけだろうと信じて疑わなかったところにある。横の連携を失えばそんな簡単なことすら正確に伝わないと言うことなのであろう。さて、年末いよよクリスマスシーズンともなればどこのサイトもクリスマスバージョンなんかにしていたりするのであるが、検索サイトのGoogleがなかなか味わい深いことをしている模様。ところでクマさんは何をしようとしているのであろうかと思いつつ今後の展開が楽しみ。五段階目で一体何が起こるのかという気がするのだが、とりあえず本日はロゴに水をかけていた。戻る↑
    12月20日(月)「集団欠勤」
    本日は朝から部署の会議があるということでぼつぼつ早めに会社に出向く。しかしながら部署に人はまばらであり、「腹痛と熱で本日は休みます」という連絡がひっきりなしにかかってくる。休む面々は口々に同じ愁訴をしており、出勤している面々も「いやあ、土曜日の夜からかなり辛かったです」という事を語っているのを見ると、どうやら忘年会で食中毒に遭遇した模様である。忘年会の料理の犯人探しを繰り広げられたのであるが、とりあえずは鯛の中華風カルパッチョが怪しいと言うことで一応の結論を得る。しかしながら最も疑問視するべきは、僕は全くそのような症状を訴えることはなく、土曜日の晩は手羽先を食うのに忙しかったと言うことである。まあ個人差があるということでその辺は勘弁願いたい。戻る↑
    12月19日)「3県境巡り」
    どっぷりと酒浸りな夜を連続で過ごしているためであろうか、朝の目覚めは今ひとつである。ホテルで朝風呂に入り風呂上がりに熱い茶をすすりながら張さんの喝!でも見ようかなと思っていたところ同じ宿に泊まっている友人から朝飯を食おうという電話がかかったのでチェックアウトして朝飯を食べる。このホテルは金山駅から徒歩1分という素晴らしい立地条件であるが、一泊5000円で朝食までついているというから相当コストパフォーマンスはすぐれている。心ゆくまで朝食を摂り、一路帰宅の途につく。まっすぐ帰るのも馬鹿馬鹿しいので亀山からは久しぶりに鈴鹿峠を疾走し、水口からは307号を利用して信楽へ。三重京都滋賀3県境や三重奈良京都3県境に出向いたりして適当に時間を潰し、夕方に帰宅。普段の週末と比べると移動距離が大変短かったが、久しぶりに顔をあわせた人も多く楽しい週末であった。戻る↑
    12月18日)「手羽先とビールの無限連鎖」
    天井からつり下げられたペットボトル昨日の忘年会でいささか飲み過ぎたようで頭がぼーっとした状態で目が覚める。本日は名古屋で国道ML東海支部の忘年会があるということなので出向くことにした。わざわざ忘年会のためだけに名古屋に出向くなど正気の沙汰ではないと思う向きもあるが、「世界の山ちゃん」で手羽先を堪能できるとあれば名古屋までの距離など何ら障壁にはならない。ということで友人を大阪で拾って一路名古屋に向かう。無限連鎖へ誘う手羽先折しも伊勢湾岸道が豊田まで開通し、東名とつながったため走り初めと洒落込み、新装開店の刈谷ハイウェイオアシスでは某冷菓産業で株主活動に勤しんだりする。愛知万博の宣伝も兼ねた不思議な部屋があり、参加する各国の国旗がペットボトルに描かれ、それが天井からぶら下がっているという不思議な光景を目の当たりにする。友人が各務原の航空博物館の土産屋に売っている戦闘機のカレンダーが欲しいと言い出したので豊田からぐるっと各務原に向かうというかなり無駄な行動をしながら名古屋に到着し、次期CM女王を狙わんとする某女優が「私はまず、雨露がしのげることだと思う」という宿にチェックインして本日の会場に出向く。忘年会では久々に顔をあわせるメンバーと手羽先を食べつつビールを飲み、適度にスパイスの利いた手羽先とよく冷えたビールの無限連鎖を満喫しつつ1次会は終了。2次会はカラオケで濃いめの歌を披露しつつ久しぶりに持ちネタの確認をして楽しく過ごす。戻る↑
    12月17日(金)「忘年会第1弾」
    年の瀬がせまり来る今日この頃であり、いよいよ忘年会のシーズンがやってきた感がある。本日は夕刻より職場の忘年会が執り行われたが、幹事が事の次第を十分理解していないため金曜日に忘年会を行うなどという最悪の展開である。忘年会は木曜日の晩に行い、金曜日は皆で揃って二日酔いで定時ダッシュを決め込むというのが古き良き伝統であるが、いまだにその辺の機微を理解しない新人のしきりで今年の忘年会を迎えることとなった。忘年会のために部長が会社ではなく直接会場にやってきて乾杯の音頭を取り、楽しい宴は始まる。「今回は飲み放題になっていますので飲み放題メニューだけ頼んで下さい」という幹事の声が聞こえたような気もしたが、富の宝山や黒佐藤や中々を前にしてそれを頼まないほど人間はできていないので、これら珠玉の焼酎が飲み放題メニューから除外されていてもそれには構わずグビグビと酒が進む。本日はうまい酒が飲めたと満足して帰宅。これから先忘年会が目白押しなのだが気にしないことにしよう。戻る↑
    12月16日(木)「フェリーの切符」
    関西汽船年明けに出かける用事が出来たので、秋に北海道からフェリーで帰った時にやたらと充実した船旅を味わった所為であろうか、今回もフェリーを使ってみようと思い立ち、株主優待券などをせしめて半額で乗り込むという狼藉を果たすことと相成った。しかしながら切符の発券をインターネット上では行うことが出来ず、昔ながらの予約番号を聞いて旅行代理店で購入するという手法を取らざるを得ない。しかも予約代理店も船会社に問い合わせをしてようやく発券できるというのだから、船会社の営業が夕方前となっていたため予約は承りましたが発券は明日になりますと追い返されたのが昨日であった。都会のオフィス街などという瀟洒なところで働いている人でなければこんな切符は買えねえぜセニョールという昔ながらの切符の購入方法に愕然とするも、ガソリンと高速代よりも安くて爆睡がこけて酒も飲めるというフェリーの魅力には勝てるわけもなく本日のこのこと旅行代理店にまたもや押しかけ無事切符を受け取る。インターネット決済が出来ればもっと客が乗るんじゃないですか?というツッコミを入れてみたいのだがさすがは必要以上に老舗なだけはある。戻る↑
    12月15日(水)「自遊人源泉湯パスポート」
    10月までひたすら日本中を移動することに専念させられていた、あの禁断のパスポートがまたもや発売されるということで早速買いに行く。買いに行く時点で禁断だの何だのっていう言葉が白々しくなるという話もあるが、そんなことは聞いていない。買ってみて今回の戦略を立てようということであるが、2週間前に行った五浦温泉が実は無料で入れたりすることを知り、かなり悔しい思いをする。しかし、それを補って余りある素晴らしい源泉湯がこれでもかと目白押しであり、これで間違いなく半年間の楽しみが出来てしまったのだなあと今更後には退けないという感慨が押し寄せたが、そもそも後に引くつもりもないのでご安心下さいっていう感じ。戻る↑
    12月14日(火)「再び学生生活」
    本日会社帰りに去年会社を辞めた同期と久しぶりに会うこととなった。会社を辞めて何をしているのかといえば、元々なりたいと思っていた弁理士の勉強をしていたが、今年の試験は駄目で、ならばと法科大学院を受けて無事合格したので来年からまた学生生活がはじまるとのこと。弁理士を諦めて弁護士に転向か?と思えばそうではなく、やはり弁理士を狙っているとのことである。弁護士の資格を取れば漏れなく弁理士も付いてくるという現行の制度から行けば、弁護士目指して勉強すればいいじゃんという意見もあるが、なかなか合格率という壁がそれを許さないらしい。久々にあって積もる話なんかをして時間を過ごす。とりあえず弁理士になったら事務所を開設してそこでお茶汲みか電話番で雇ってくれと励ましてみたりする。戻る↑
    12月13日(月)「京都検定」
    「京都人の京都知らず」などという名言がある。これはまさしく言い得て妙であり、それが証拠に僕が清水寺に初めて行ったのは、友人が東京からやってきた時に一緒に出向いた時である。そんな味わい深い京都であるが、3週間ほど前の紅葉のシーズンは凄まじいまでの観光客で溢れ、わざわざこんな人の多い時にこんでもええのになどという少しずれた観点で一人ぶつくさ言っていた記憶がある。そんな京都であるが、京都のことに詳しいということはきっとステイタスなのであろう、「京都検定」などという不思議な試験がはじまった。出される問題をちらりと見てみたのだが、4択問題であり、全く知らなくても答えが二つまでなら絞れるという構成である。ということで知っている問題は自信を持って、知らない問題は2つまで絞ってえいやっと答えればいいわけであり、要領さえ理解していれば7割ぐらいは正解できそうな勢い。ちなみにこの問題が解けたところで京都通であるとは言えないような問題が多く何だかなあという気がする。外部から京都を見た場合はそんなことしか知られていないのかという気がしてしようがない。戻る↑
    12月12日)「珠玉の温泉は続く」
    日本秘湯を守る会@福地温泉煤香庵@白骨温泉朝起きて朝風呂に出かけるが、朝から離れ他ところにある外湯である。冷え込みの厳しい中、心ゆくまで半露天風呂を満喫し宿に戻るが、宿の下駄が縦に二つに割れてしまい朝から結構歩きにくい。泊まった宿は築120年の農家を移築したというなかなか趣深いものであり、囲炉裏で温まりながら時間を潰す。朝食の時間をずらして内湯に朝風呂と洒落込めば大きな湯船は貸し切りでありとりあえず飛び込んだり泳いだりと忙しい。宿の温泉を満喫した後は近くの湯もまた楽しまんとばかりに安房峠を越えて白骨へ向かう。入浴剤を入れていない白骨の湯はこれまた素晴らしく、肌には見事なまでの硫黄のコーティングが出来た模様。風呂上がりにリンゴジュースを飲んだり30年前から更新がされていないと思われるジュークボックスなどを見物したりしてまったりと過ごす。そののち車を南へと進め、そのまま大人しく帰りつつも内津峠でひつまぶしを食したり、湾岸長島PAで足湯を堪能したりと思う存分楽しんで帰宅。お宿も湯も最高であり、また行きたいと思わせる素晴らしい宿であった。戻る↑
    12月11日)「珠玉の温泉巡り」
    囲炉裏@福地温泉本日は温泉巡りと言うことで朝早くから出かけることと相成った。名阪国道のオメガカーブで必要以上に渋滞に巻き込まれて、MT乗りにとっては辛い運転を強要される。渋滞が収まり、久しぶりに訪れた御在所SAでこれまた久しぶりに蓋まで閉めてくれるカップベンダー式コーヒーを満喫し、長良川高速を抜けて川島PAでチョウザメを見たりして車を北へと進める。1年ぶりに訪れた下呂温泉は相変わらずの温泉街であり、味噌煮込みうどんを頼んだのに鍋焼きうどんが出てくる定食屋兼喫茶店兼ビジネスホテルなどがあり、緩みきった油断溢れる雰囲気を醸し出しているのはさすがである。夕食お品書き@福地温泉囲炉裏端今晩は花火を上げるということで河原の噴泉池は夕刻より入浴禁止などという措置が執られているが、昼間日の高い内はじいさんがノンベンたらりと己の裸をさらけ出すといういつもながらの光景が展開されていた。そののち車を進め、本日のお宿である福地温泉に到着。宿の部屋に通されると仲居さんに「温泉街のどこの宿でも良いから一軒貰い湯ができます」といわれ飯前のひとっ風呂は向三件隣の宿に決定する。貰い湯を満喫して宿に戻り、いろり端での食事が始まる。近年食が細くなってきている身にはこのボリュームたっぷりにして美味なる食事はいささか辛いのだが、まことに結構な飛騨牛のすき焼きなどを賞味し源泉掛け流しの内湯に入って満足満足と良い気分である。部屋に戻ると上がり框の間に火鉢が置かれており、炭を足しながらちろちろと燃える明かりを眺めつつ持ち込んだ焼酎なぞをロックでちびりちびりとやり就寝。どうも福地温泉は囲炉裏というモノをキーワードにしている模様で、どこの宿でも囲炉裏端で飯を食らわせようというコンセプトである。戻る↑
    12月10日(金)「思想の偏り」
    昨日も書いたお隣の国との諍いはどうも根が深い。どこの馬の骨ともわからんやつを遺骨と言い腐りやがってと幹事長ともあろう方が語気を強めれば、日本は先制攻撃を仕掛けてきたというのである。匿名を秘する僕の某メールアドレスには「ならずもの国家に対する経済制裁を!」というステレオタイプのご意見をなぜか英語で送ってくる不思議な方もいるのだが、日本人という民族が一斉にそっちを向いた瞬間に極めて不幸な結末を迎えるというもので、国民の熱望に政府が応えるなどという行動は慎んでいただきたいものである。日本という国が一致団結することにより何が得られたであろうかと言うことは過去の歴史を繙けばわかることで、出来ればそんなことはない方が有難い。日本という国はお上が決めたことに渋々従い、下々の者がガス抜きで悪口を言い合うぐらいがちょうど良いと思うのだが。この度の不思議なまでの思想の調和は巧みな誘導によってなされているのではなかろうかと勘繰りたくもなる。戻る↑
    12月9日(木)「遺骨という考え方」
    「どこの馬の骨とも知れない」という蔑まれ方をするのは今時はやらないのかも知れないが、定番の言い回しである。北の偉大なる将軍様は日本人の不思議な遺骨を所望するという風習にほとほと困り果て、下々のものに骨を探させたのであろう。下々のものは偉大なる将軍様に「見つかりませんでした」と言えば強制労働まっしぐらなので何が何でも良いからとにかく骨もってこいやという事になり、今回のような顛末になってしまったのではないかと思われる。じつは偉大なる将軍様こそ良い面の皮であり、これを北朝鮮の不誠実と叩くのは如何なものかと思うのであるが、偉大なる将軍様に逆らえないというシステムそのものが問題なのでそれもまた自業自得であろうということに落ち着くのだろうか。今回の結果を持っていまだに生きているという希望を抱くのは結構だが、もうとっくに死んでいて骨すら見つからない状況にあるという風に考える方が自然な気がする。彼の国で20年も前に死んでいる人の遺骨がいまだにきちんと保存されていることなど信じる方がどうかしていると思うのだが、日本人の執念とも言うべきDNA鑑定はその曖昧な解決策を許さなかった模様。でも日本も戦時中に戦死を遂げた出征兵士の遺骨が戻ってきたが、戦場で死体を確認して遺骨にして持って帰るなどという悠長なことが行えるはずがなく、それこそどこの馬の骨とも知れないものを遺骨として宛われていたのではなかろうかと思ったりもする。戻る↑
    12月8日(水)「遅めの厄年?早めの厄年?」
    会社で友人と飯を食いながら昨日の顛末を話し、最近体調不良が凄まじいのだけれど何か日頃の行いが悪いのだろうかという話になる。人間のライフスパンには節目を持って対応するべしと言う昔からの生活の知恵があり、それが現在では「厄年」という名前で日常生活に溶け込んでいる。もう体力は上り坂じゃないんですよ諭してくれる数え25才の厄年が遅まきながら訪れたのかなあと話してみたところ、「いやあ10年後の数え42の方じゃない?」と病み上がりの身体にきついのを一発もらってしまう。人生心の持ちようだと思っているので、そういうことを言われると厳しいものがある。戻る↑
    12月7日(火)「体調不良」
    未明に凄まじいまでの腹痛で目が覚める。これまでこんなにひどい腹痛は経験したことがないし、良くある食べ過ぎ飲み過ぎ胃の凭れに伴う痛みとは雰囲気が違う。しかも厄介なことにすぐに出してしまえるように上を下への大騒ぎという兆候がないのである。ということで布団の中でこの断続的な痛みに耐えること1時間(推定値)、ようやく催してきたので厠に駆け込みうんうん唸りながら一勝負付ける。朝になってもこの痛みは治まるところを知らず、致し方なく本日は会社を休んで大人しく寝る。しかしながら週末の生魚を心ゆくまで堪能したという履歴を回想すれば穏やかならぬ妄想が脳裏を駆けめぐったため、飯を食っている業界が業界だというのに医者に行かないことを是としているのだが致し方なく出向く。しかしながら長きに亘り病院に行かないと保険証の在処もあやふやであり、後日持ってくるということで7割引で診察をしてもらう。診察はお座なりであり、「風邪引いてそれが腹に来たんでしょう」というありきたりな分析をされてしまう。「先生、熱ないんですけど?」というこっちの疑問には答えず「薬出しときますから」というシャットアウトをされてしまいすごすごと帰宅。処方された薬を飲んでぐっすり眠るととりあえず治ったので妄想は妄想のうちに終わったということなんだろうか。戻る↑
    12月6日(月)「学力低下」
    役人という仕事は、自分のミスを認めてはならないとされている。そのときその時点で最善の手を尽くしたという事を言えば事足りると思うのであるが、やはり結果もまた要求されようものである。「ゆとり教育」などという言葉が一人歩きしてその結果学力が低下したと言うことをことさらにはやし立てて、政策ミスですよなんですかこの体たらくはだから駄目なんだよと批判一辺倒である。これについては他に責任転嫁するところがないので渋々ながらも認めざるを得ないであろうものだが、本質はそっちのけで結果だけを見てガタガタ騒ぐという姿勢が教育に悪い影響を与えているのではないかと思ったりもする。どこかに責任の所存を求めるという姿勢が子供の学力低下を招いたのではないかと思うのが個人的な感想。昔と比べて勉強以外にしたいことが溢れていることを考えれば、勉強という特定の分野で頭角を現す必要が本当にあるのか、そもそも数学的な考え方や論理的な考え方はペーパーテストで本当に推し量ることが出来るのか、ガタガタ騒いでいる連中はこの問題がすらすら解けるほど論理的なのか、などといった疑問が沸き立つのは当然のことであろう。戻る↑
    12月5日)「美味なる回転寿司」
    吊るし鮟鱇@那珂湊台風並みの低気圧が襲いかかる最中、朝二日酔い気味ながらものそのそと起きあがり宿の朝飯を食しながら朝から交通機関が乱れているというニュースを仕入れる。帰りの便は無事飛ぶのだろうかという危惧をするが、午後からは天気は回復に向かうとのことでありそれほどの心配は無用であろうと算段して宿を出る。本日はまず日帰り温泉でまったりした後に那珂湊の魚市場に出向き、ハマグリの貝殻の上にウニをてんこ盛りにしてあるものを遠火で焼いたという素晴らしい焼きウニを賞味し、そののちにネタが新鮮ででかくて安いという素晴らしいまでの回転寿司を堪能する。回転寿司屋にテレビ東京で紹介される旨が張り出されており、来週末は更に客が増えると予想されたが、本日の時点で待ち時間が40分を超えており、これ以上待たされるとはいささか問題では無かろうかと考えたりもする。ウニの貝焼き@那珂湊魚市場を後にして本日は一路成田空港へと向かう。成田空港は日本の玄関口に相応しく既にクリスマスデコレーションを施しており、出発ゲートは華やかな様相を呈している。但し国際線限定であるが。日本へのゲートウェイではなく僕のように東関東へのゲートウェイとしてこの空港を利用する人間にとって、成田空港とは小汚いちんけな空港であり、自動チェックイン機が一台しかないとか、どでかい空港のくせに隅っこの方に追いやられているとか、搭乗のためにバスに乗って滑走路を歩かされるとかいろいろと他では出来ない体験ができたりもする。帰りのシップがポケモンジェットということもあり、その機材の全景を捉えようとカメラを持って撮影を挑もうとしたところ、警備員からダメ出しを出されすごすごと搭乗する。座席はいつもながらにプレミアムエコノミーという極悪な席であり、普通料金なのにシートピッチが広くフルフラットになれるという座席でまったりと休み定刻からかなり遅れて大阪に到着。そのままモノレールで帰宅したが、今週末は大変実りのある旅行であった。灯台のチケットも後2枚となったし、略称使用禁止二大中学のひとつである小名浜第二中学にも行くことが出来た。それにしても全日空はコードシェア便である成田伊丹便にやたらとポケモンジェットを使うような気がする。全日空の操縦さんの好みなのか、対外的にアピールして下さいとモンスター達が訴えかけているのかは定かではない。戻る↑
    12月4日)「塩屋埼・小名浜第二中学・鮟鱇」
    塩屋埼灯台冬になれば北茨城では鮟鱇のうまい季節となる。今週末は様々な目的を持って福島に降り立ち、その欲望を叶えんがために行動を開始する。福島空港に向かおうとしたが伊丹空港は激混みであり手荷物検査がままならない。手荷物検査場でチケットを差し出せば既に出発時刻を過ぎており、グランドホステスに急かされる。急かすぐらいならばとっととジャンプさせればいいものを急かされおまけに待ち受けている他の客からは白い目で見られるのでどうも割に合わない。そんなこんなで福島にいささか遅れて到着しいざ出発。最初に母畑温泉で朝風呂と洒落込み、いざ最初の目的地塩屋埼を目指す。塩屋埼には灯台があり、「喜びも悲しみも幾歳月」という映画がここを舞台に展開したということである。元々の話の舞台は岩手県のとどが埼らしいのだが、なぜかここが舞台となっているように巧みにすり替えられているのが気になるところ。するってぇとなに会&浪速大学病院第一外科@五浦温泉この映画を記念した石碑には「この記念碑は、海を守る燈台守の妻として幾多の困難の道をのりこえた田中きよさん(小名浜在住)の手記が昭和31年の婦人雑誌に載った「海を守る夫と共に20年」に心うたれた木下恵介監督により「喜びも悲しみも幾歳月」と題して映画化されたものを記念して建立されたものです」とあり、こなれていない英語の直訳を彷彿とさせるものがあるが、別に日本国憲法ではなくオリジナルは日本語であるため文章の書き方が下手くそと言うことなのであろう。塩屋埼はこれで四回目にして初めて参観に成功し、13枚ある燈台チケットのうちの11枚目を目出度く消費する。そのあと食堂で一人前の量を間違われているかのような大量の新鮮な魚を食し、次なる目的地である省略形の呼称が気になるいわき市立小名浜第二中学校を目指す。別にここで何かをしたいわけではなく、門扉の撮影などを行い次なる目的地五浦温泉を目指す。五浦温泉に宿泊する団体には「するってぇとなに会」「浪速大学病院第一外科」などという味わい深い団体があり、次に仲間内の忘年会の時にこういうネタを使ってみたいとあれこれとつまらぬ事を考えつつまったりと源泉かけ流しの湯を堪能する。そののち車を日立に進め本日のメインイベントである鮟鱇鍋が始まる。どぶ汁仕立ての鮟鱇鍋は素晴らしいの一言であり、これぞ北関東の風物詩と3年ぶりのその味わいに舌鼓を打つ。本日のお宿はビジホでありながら和室であり、しかも冷蔵庫の麦酒はサービスとあってそのお宿は素晴らしいと太鼓判を押してしまう。本日は温泉と旨い魚と長年の夢が叶ったこともあって大変満足して就寝。戻る↑
    12月3日(金)「コンサルタント」
    本日は会社にコンサルタントの先生がお越しになり、ああでもないこうでもないと有難いお話を聞く。コンサルタントというお仕事は責任の所在が曖昧であり、好き勝手なことをしゃべっていればいいので気が楽であろうと勝手に思っていたのであるが、毎日毎日仕事があるわけでもないから収入は不規則であるし、クライアントの相談にはきっちり対応しないと切られるしということで実は大変なのではないかということに最近気が付いた。世の中勝ち組のコンサルタントもいるから必ずしも当てはまらないであろうが、負け組に属すると思われるコンサルタントは大変である。ちなみに本日は検討が行われ、最近の動向とやらを聞かせてもらったのであるが、既にそのことは熟知していましたよと言わんばかりのことであったことや上司が不在であったことや先日来の睡眠不足が重なり気持ちよく舟を漕いでいたことは言うまでもない。戻る↑
    12月2日(木)「好き嫌いとセンシティブ」
    後輩に「ショウガが食えない」という珍しい奴がいる。「何でも食べる子元気な子」というカルタの文句をお題目にしているわけではないし、匂いの強いモノに対して拒否感を示すのは人として良くあることであり、誰しも食べられないものはあるためそれを理由にして相手の人格を否定しようなどということは考えていない。しかしながら、「体に良いから食え」「俺がお前のことを思っていってやっているんだ」という親切の押し売りは大いに迷惑である。さて、そんな後輩曰く「友達にシイタケが食えないやつがいまして」という話を始めた。まあ人それぞれであろうと話を続けさせると、「そいつは十六茶を飲んで『シイタケが入っている』ってわかるらしいです」ということであった。好き嫌いというのは言ってみれば自分に対する防御を示すわけであり、そのような反応も宜なるかなと大いに納得したのであるが、一番の問題は十六茶には「霊芝・紅花・アシタバ・グァバ・ハトムギ・オオムギ・コメ(玄米)・クマザサ・ハブ茶・黒豆・ゴマ・緑茶・昆布・柿の葉・ミカンの皮」の十六種類が含まれており、シイタケは含まれていないということである。戻る↑
    12月1日(水)「ソフトランディング」
    帰宅して飯を食った後で親が観ていた歌番組などをごそごそと見る。相変わらずところ構わずハイテンションである楠田枝里子を眺めつつ浜崎あゆみを眺める。デビューして最初の数年の鳴かず飛ばずとか「未成年」での妊婦役などという封印されている歴史を知っている人間からすればどうもいまだに誰かに踊らされているようにしか見えないのだが本人はセルフプロデュースを公言しており、視聴者との乖離が気になるところ。また、トップを走り続けているためいつも人目を惹くということを宿命づけられているため時にはアバンギャルドでなければならなければならないということを理解できるのだが、そろそろ落ち着いた安住の地へのソフトランディングを考えなければならないのではないかとお肌の曲がり角が過ぎた彼女に対して無責任な感慨を抱く。とりあえず年末にアルバムを出してミリオンヒットを狙うがために「100万枚出荷」という不思議な触れ込みで歌の安売りをするのはやめておいた方が良いのではないかと思う。CCCDによるコピー防止という姑息な手段も消費者の「買わない」という戦略の前にはもろくも崩れた。世間では「CDという形での音楽の提供は限界に達している」というが、ひとが自分の好きな形で神を崇める権利を有する限りに於いて偶像を介した崇拝は潰えることはなく、それゆえCDという形での楽曲提供は必ず残るであろうと個人的には思っている。日本人の「モノ」に対する執着はそう甘いモノではない。戻る↑