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寝台列車というものは旅情を誘うものである。夜汽車などという表現をされてしまった日にはいきなり乗りに行ってやろうかというぐらいの勢いになりそうなものである。夜行バスに乗る時はそのような感慨はないのに何故鉄道にはそのような感情を抱いてしまうのか、その答えは早々出そうにはない。さてそのような感慨深い寝台列車であるが、新幹線が必要以上に便利になったことや、飛行機の便が増えたことも手伝って需要がかなり落ち込んでしまったようである。東京発九州行きの寝台特急として華々しくデビューして早50年近くが経とうとしているあさかぜがついに廃止されるということである。現実ではほとんど起こることはなかったであろう数々の殺戮が西村京太郎の妄想の中で繰り広げられた寝台列車は終わりを告げようとしているのかも知れない。ウエストサイドストーリーでマリアとトニーが夜行バスで逃げ出すという事になぜ寝台列車で逃げなかったんだろうと訳の判らないことを考えた中学時代には今ほど日本で夜行バスが走るようになるとは思っても見なかったが、今夜の移動手段はその主役が夜行バスに変わってきており、時代の変革を感じるものがある。戻る↑
通常であれば喜び勇んで出かける週末であるが、今週は激務が予想されたことと来週からのスケジュールが決まっていることもあって休養日に充てることとした。休養日といっても何もしないわけではなく、世話になった人に季節の節目のお礼とか、迫り来る冬に備えてうえぺけ号のタイヤを履き替えさせるとかなどやることは山積みである。帰宅したところ先日結婚した友人宅に祝いでも持っていこうということになり、何故か先日東京で購入した光沢紙年賀状を持って向かう。まあ、ハガキ代は祝儀と言うことでくれてやるから「結婚しました」という写真付きのゴージャスな年賀状を作れと申し出るというのが本来の目的であり、そのためにも写真が綺麗に印刷できる光沢紙年賀状はなかなか良い選択ではなかったのではないかと思ったりもする。その後何故か友人の家族と一緒に飯を食いに行くこととなり、底抜けに明るい上戸の母親と無口で下戸な父親というどっかで見た構図の夫婦の姿を見たりして楽しく時を過ごす。帰宅したら青い航空会社から来年のカレンダーが届いていた。当初通信販売で買ったのを忘れてしまったのかと最近あやふやになりつつある己の記憶を疑ったのだが、中身を見たところ紙切れが同封されており、「株主様どうかお納め下さいませ」という文言が書かれていた。優待でそのような気の利いたことをやってくれていただろうかと四季報の後ろを見てみたのだがそのような記載はなく、まあ有難くいただいておいてやるかと思った次第。来年のカレンダーを買わなくて良かったとえらくご満悦になってしまった。戻る↑
随分と昔に親から贈与された株券があり、それが如何ともし難いほど値が下がっており復活の見込みがないということが想像されたので売り払う事とした。株券の現物が手元にあるし、名義はなぜだか僕に変わっているのだが、親は全くもってその株券をどこでどのようにして購入したのか定かではないし、いくらで買ったのかももちろん定かでない。仕方がないので売り払うに際しご厄介になっている証券会社に株券を送り、それを売却することとなった。ということで証券会社に株券を送ることとなったのだが、その旨を連絡したところ送付用の書留小包が本日届いた。やれ補償額の上限は10億円だのというなんだか信じられないくらいなまでの高額な補償を見て、こんなしょぼい株券をここまで手厚く送る必要はあるのだろうかとか、実際そんな額の株券ならば自分で持ち込んだりするもんじゃなかろうかとかいろいろと思いを馳せてみる。証券会社としても「おいくらぐらいの株券ですか?」なんて言う不躾な質問は出来ないし、逆に「俺が金持ちや無いからってバカにするんか?」というふうに顧客に逆ギレされても困るので画一的な対応を取っているのだろう。戻る↑
道の駅を出発し、いざ本日の目的地米子大瀑布を目指す。まずは朝風呂をと考えるが、道中には10時からしか開いている温泉が無く、時間つぶしも兼ねて嬬恋村を縦断するパノラマラインなどを激走し、無印良品ブランドのキャンプ場などという意味不明な施設を見物したり、鳥居峠で「ずら」と「だんべ」の境の看板を見たりして目的地である渋沢温泉へと向かう。渋沢温泉では風呂に入る前に蕎麦を所望しておくと、風呂に入って極楽極楽としているうちに準備がなされ、風呂上がりに休憩室でまったりしていると打ち立ての蕎麦がやって来るという寸法であり、蕎麦と温泉という日本のリゾートを極めたある意味究極の形では無かろうかと辛み大根に鼻をツーンとさせられながら感涙に噎ぶ。蕎麦を堪能しいざ米子大瀑布へと向かう。
米子はカルデラを形成している高山地帯であり、北西の角のみカルデラが崩壊して川が流れており、カルデラに付き物の柱状節理の美しさと一枚岩から流れ落ちる滝の雄大さを以て信仰の拠とされた自然に偉大さに畏怖するものがある。滝を愛でることおよび写真撮影に費やすことが思いのほか長く、かなり遅くなって身体がかなり冷えたので下山して須坂で温泉に入り、須坂長野東から高速道路を利用。須坂長野東からであれば北陸道を利用する経路でも中央道を利用する経路でもそれほど所要時間は変わらず、北陸道の方が走りやすいことや上信越道で東京に向かう車が必要以上に多かったりするのが嫌なので北陸道を選択する。北陸道を選択した場合は通常であれば敦賀で高速を下りて161号を利用するのが王道であるが、米原から敦賀と米原から京都まではそれほど距離が変わらないため、距離の短い中央道経由で高速料金が計算されることから京都まで乗っても敦賀までと金額が変わらないことも手伝ってか本日は珍しく京都まで高速道路を利用。味わい深い温泉を巡り、旨い蕎麦も食えた素晴らしい週末であった。戻る↑
今週末は長野県温泉巡りと題して味わい深い温泉を探訪することとした。まずは昼神温泉の公営保養センター鶴巻荘へ立ち寄り、ぬるぬるした柔らかいお湯を堪能する。冷え込みが厳しく、風呂上がりにストーブに手をかざしながら田中知事の住民票を泰阜村が取り上げたニュースなどを入手し一路北へと進路を取る。次なる目的地は駒ヶ根のソースカツ丼であり、道中何かおもしろいものはないだろうかと思いつつ車を進める。ふとしたところに「元善光寺」などという味わい深い名刹と思しき寺院の看板を見いだし、定額山に抱かれたパラダイスの如き名刹を認めた瞬間に車はそちらへと進路変更を遂げていた。この手のパラダイスに対する嗅覚は鋭いものがあると自負しており、久々の獲物を捕らえたということで興奮はいやが上にも高まる。己の嗅覚の感度の良さに感動するのにさほど時間はかからず、「ゴミは御利益と一緒に持ち帰る」とか、「鐘に傷が見つかったので除夜の鐘の時以外は衝きません」とか、何と書いてあるのかさっぱり理解できない意味不明な看板とか、滑り台しかないのに境内の案内図には堂々と「遊園地」と書かれているなどこちらの期待を裏切らないコンテンツの充実ぶりに喜びも一入であった。
また、お戒壇巡りという不思議なイベントがあり、真っ暗闇の中を手探りで歩き、運が良ければ極楽往生開運の鍵に触れることが出来るというものであった。夜目が利くわけではないかがその鍵を確認することが出来、これで極楽往生は遂げたも同然であると感慨を深くし、全く滑りが悪くてどうしようもない滑り台を堪能してこの名刹を後にする。駒ヶ根でソースカツ丼を堪能し、杖突峠から諏訪盆地を一望して本日の二湯目である上諏訪温泉へ。上諏訪温泉の中でも特筆ものである片倉館に向かう。片倉工業がかつて生糸で巨万の富を得、二代目オーナー片倉兼太郎が地元への恩返しということで作ったどう考えてもこれが温泉の建物であるとは信じられない建物に洗面器を抱えつつ向かう。この温泉はお湯が素晴らしいとかどうとかこうとかいうものではなく、そんなものが吹っ飛ぶぐらい素晴らしい建物であり、圧倒されまくりであった。必要以上に心が豊かとなったのかは知らないが、そのあと諏訪湖の夕日を眺めビーナスラインを激走し、和田峠から142号に抜けて上田に向かう。別所温泉では福祉センター相染閣の中にある日帰り施設を利用し、その味わい深いお湯を心ゆくまで堪能する。背中に絵を描いたおじさまも入浴されていたが、これまた愛嬌であろう。そのあと車をRS雷電くるみの里へと進め、かなり寒い中で宴会をして眠る。本日立ち寄った温泉は「信州温泉ガイドのとら」という雑誌に掲載されていたもので、なかなか素晴らしい温泉を紹介しているものだといたく感激してしまった。戻る↑

鉄道会社というものは例え私鉄であっても公共財の概念が強く、地道で手堅く石橋を叩いても渡らないという姿勢が伺えるものであるといわれている。それ故安定した経営を求めるものであり、おかしな株主が現れてしまっては大変だという意見がないこともない。しかしながらオーナーが株を独り占めするという姿勢は必ずしも喜ばしいものではなく、そのような姿勢を保ちたいのであればいっそのこと株式を上場するようなことはやめておいた方が宜しいのではないかと思ったりもする。今回の西武鉄道の上場廃止はそのような考えから行けば当然なのかも知れない。さて、話は全く変わるがこの半年ばかり毎週購入していた「週刊にっぽん川紀行」であるが、ついに本日最終号を迎えた。日本の街道、鉄道の旅、日本の名湯と会社に入ってからずっと毎週この手の書物を購入し、気が付けば烈しいまでに部屋には本が溢れている。これで行き先に困ることはなくなり、毎週末にどこかに行こうと計画を立てれば、それに対する詳し過ぎるまでのガイドブックが部屋に転がっているという展開ぶりである。このようなことが原因で毎週毎週出かけているとは思いたくないが、その原因の一つとなっていることは否定しようがない。戻る↑
今月より新たな紙幣が流通するようになった。人の上に人を作らずと言う割には日本の紙幣の頂点に君臨する福沢諭吉はそのままだが裏が変わり、夏目漱石は本職が白組キャプテンで副職が漫画家という加藤芳郎に、そしてマギー司郎は樋口一葉にバトンタッチし、ニセ札こと二千円札は相変わらず影が薄いままである。日本の片隅でひっそりと暮らしているというわけではないのだが、この半月の間いまだに手元に新札が来たことはない。日々の買い物は紙幣を使うレベルとなれば必ずカードを使うし、通勤の電車賃はPiTaPaなのでこれまた現金が動くことがない。こんな生活をしていればさすがに紙幣の流通に取り残されることも当然のことであろう。個人的には先週の出張経費と交通費の精算で初めて新たなお札を目にすることになるのかなと思ったりもする。戻る↑
昼過ぎにのっそりと兄の家を出発する。日暮里からは寛永寺の墓地を通り、徳川慶喜の墓や幸田露伴の五重塔跡などを見物する。これまでは他人様の墓を巡って感慨を新たにするのは観光客@ピラミッドとか、考古学者@古墳とか、墓泥棒@墓ならどこでもとか、カラス@食べ物があればどこでもとかに限定されているものと思っていた。しかしながら世の中には血縁関係にない故人の墓を巡ることを喜びとする人がおり、そのためにガイドまでかってでる人までいるというのだから世の中とは凡そ難しいものであるという感慨を得たのが本日の収穫。また、有名人の墓を訪れた時に何故か知らないが名刺を置いて帰るという風習があるようで、墓の右側には名刺入れなどと言う不思議な設えがあり、有名人の遺族は日々見ず知らずの一方的なファン達が放置する名刺の整理に追われているのであろうという妄想をしつつ谷中の焼酎屋へと進む。
谷中の焼酎屋は素晴らしい品揃えがあり、ここでまた焼酎を買い込む。そののちに旧岩崎邸庭園、湯島天神などを見学し、神田明神に向かう。神田明神では携帯のアクセサリーとしてはぴったりで扇子の形をしたおみくじを引いたり、実在しない銭形平次と子分のがらっ八の石碑などと言う不思議なものを見物する。江戸という町が江戸時代以降400年の歴史を持ち、その積み重ねを感じさせるものがあるのは認めるが、京都に住む人間にとってはその思想は即物的であり、すぐに結果を要求するような姿勢が感じ取れるのは何故であろうか。難しい解釈を考えるまでもなく、江戸という町が京都に追いつこうという不思議な思想を張り巡らし、既に追いつき軽く凌駕しているという状況にありながらもいまだに追いついていないという高度経済成長時代の日本人が西洋の先進国に抱いていたような劣等感がそこにはあると思われる。そのあと秋葉原の常磐新線の駅の工事などを見物し、東京からはのぞみで帰宅。戻る↑
宿泊が大田市場、出張先は築地の川向かいの勝どきである。まるで市場関係者のような行動をしているのだが、僕が糊口を凌いでいる業界は流通とは縁がない。さて、宿の最寄りの公共交通機関と言えば東京モノレールの流通センター駅であり、そこまで徒歩で向かうこととした。途中交番で道を聞いたところ、「この道を真っすぐ行くと白い道にぶつかるので、そこをしだりに曲がって橋を渡る」という案内を受けた。地図には主要地方道ゆえに緑色で記載されている環7をどう理解すれば「白い」なのかについて悩んだのだが、そのあとの「しだりに曲がって」で全ての謎は解け、江戸っ子のお巡りさんであることも併せて理解できたりする。モノレールで浜松町に行き、大江戸線で勝どきに向かって本日の出張は始まる。昼飯は隅田川を挟んだ向かい側に展開される築地市場の傍で旨い魚を頂き、夜は新橋で結構な焼酎を頂いたりして宿に戻る。お湯割りは焼酎を割水して馴染ませたものを燗するという出し方をしている店なので滑らかな飲み心地と外の冷え込みが手伝ってうまい焼酎をいただけたのはまことに素晴らしいものであった。宿に戻って廊下に設えてある製氷器から氷をかっぱらい、友人のエストニア土産のウォッカなどをロックでいただきつつ夜は更けていく。ちなみに昼間に郵便局に出向き、光沢紙年賀状は見事にゲットできたが、窓口のおばちゃんが「試しに10枚買ってみたという人がいたんだけどねえ、あれ以来追加で買いに来てないねえ」というあまり芳しくないコメントをしていたのが気にかかるけどまあいいか。戻る↑
年の瀬がせまってくることを実感させるものとして、年賀状の発売というものがある。昨今のカラープリンタの普及に伴い、普通紙年賀状に併せてインクジェット紙年賀状というものが発売されているのは周知の事実である。しかしながら今年は写真を印刷しても綺麗に出せるという光沢紙年賀状が関東限定であるが発売されることとなった。郵政公社は年賀状のキャンペーンに松浦亜弥を起用しているのだが、松浦亜弥が某プリンタメーカのCMに出演していることと何か関係があるのだろうかと考えてしまう。さて、かつて松浦亜弥は「モーニング娘。の妹分」ということでハロープロジェクトに参入していたはずなのに、現在流れているプリンタメーカのCMではあきらかにモーニング娘。よりも上の立場に立っていることをアピールしているように感じられる。現在の松浦亜弥の売れっ子ぶりから行けばこのような仕打ちは当然であるが、これは下克上ではないのかというどうでもいいことを考えたりする。まあ、世の中売れたもの勝ちなんだろう。戻る↑
本日は週の中日にして国民の祝日である。そもそもは明治天皇の誕生日であったのだが、それを知る人は今となっては少ない。本日は朝早くから開田村に出かけることとした。開田村といえば蕎麦であり、温泉であり、今の時期は紅葉である。中津川から木曽路を木曽福島へと進むと、標高が上がることに伴い徐々に紅葉が進み、味わい深い日本の秋を満喫する期待はいやが上にも高まる。
途中の道の駅では「りんごの王様サンふじ」と書かれた富有柿や、「健康食品うこん」と書かれた馬鈴薯などが販売されており味わい深い。開田村への道中には唐沢の滝などという素晴らしい名所もあり、ここで必要以上に撮影をしたりして時間が過ぎてゆく。開田村では「ふもと屋」というそば屋に入り、「とうじそば」という開田村ならではの蕎麦の食し方をする。
とうじそばの食し方は、あらかじめゆでてある蕎麦を一食分ずつラクロスのラケットの子分のようなものに入れたまま熱いダシを張ってある鍋に入れ、温まったら取り出して食うというものである。寒い最中にこの食仕方は大変ありがたいものがあり、その味わい深さに感動を覚えつつ蕎麦が進む。蕎麦で満腹となったあとは、御嶽明神温泉やまゆり荘に出向いて、炭酸水素硫化水素泉の素晴らしいお湯を満喫する。しかしながら露天風呂の拡張などというどこの温泉施設もが行うであろう事業展開でお湯が循環や加水となることはどうしようもなく、温泉経営の難しさを感じさせるものがある。風呂上がりに開田高原アイスクリームを食し、後は大人しく中津川まで引き返すという予定であったが、途中で事故渋滞に巻き込まれ、ちょっぴり遅くなって帰宅。日本の秋を感じ取れる良い一日であった。戻る↑