2004年11月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 11月30日(火)「部門別全体集会」
  • 11月29日(月)「なぜか激務開始」
  • 11月28日)「ブルートレイン時代の区切り」
  • 11月27日)「休養日」
  • 11月26日(金)「海の向こうから」
  • 11月25日(木)「莫大な補償額の書留小包」
  • 11月24日(水)「年末進行」
  • 11月23日)「お休みと体力回復」
  • 11月22日(月)「ドラえもん100年の計」
  • 11月21日)「蕎麦を頼んで温泉へ」
  • 11月20日)「信州温泉ガイドのとら」
  • 11月19日(金)「株主の権利行使」
  • 11月18日(木)「流行語大賞」
  • 11月17日(水)「職業選択の自由」
  • 11月16日(火)「週刊にっぽん川紀行」
  • 11月15日(月)「さらばマギー司郎のプロマイド」
  • 11月14日)「やんごとなき」
  • 11月13日)「東京見物」
  • 11月12日(金)「無事出張終了」
  • 11月11日(木)「テキパキと用事をこなす」
  • 11月10日(水)「出張出発」
  • 11月9日(火)「職場復帰」
  • 11月8日(月)「休んでみました」
  • 11月7日)「自宅で微睡む」
  • 11月6日)「冬の日本海」
  • 11月5日(金)「週勤五日制」
  • 11月4日(木)「松浦亜弥の野望」
  • 11月3日)「紅葉と温泉と蕎麦」
  • 11月2日(火)「東北楽天ゴールデンイーグルス」
  • 11月1日(月)「畢竟の結末」


  • 今月の日記
    11月30日(火)「部門別全体集会」
    僕の働く業界は国内市場の奪い合いではジリ貧であり、海外進出に活路を見いだすことが必須となっている。それ故に海外進出が既に行われている会社が勝ち組、遅れている会社が負け組にカテゴライズされようとしている趨勢であり、ご想像の通り現時点では我が社は負け組に属する。それ故社員一丸となって競争力を高めて勝ち抜こうという不思議なシュプレヒコールが高らかに掲げられ、本日は僕の部門の全体集会などという不思議なイベントが行われた。同業他社に勤める友人にこのイベントの存在を話したところ「アナクロ」「テレビ会議で済ませろよ」「うちフレックスだからやりたくても出来ないなあ」という極めて要点を衝いた返答が帰ってきた。このイベントはまず社長が口火を切り、各部門のえらいさんが現在の課題を熱く語り、会長がそれに茶々を入れ、〆に会長が総括と小泉内閣の悪口と根拠のない「我が社は大丈夫です」宣言をするという毎度の構成である。去年一昨年はこの模様を後日ビデオで見さされたという思い出があるが、今年は当番として当たりを引いてしまい、馴れぬスーツを着てこの会合に参加した。会合では適度に舟を漕ぎ無事終了するも、実は一番危惧するべき事はこの会合に参加した社員は感想文を提出しなければならないということである。小学校の読書感想文と同様に会合の敷衍に終始するわけにも行かないし、いい年こいて「感想文」も無いだろうと思いつつも作成する。ちなみにこの感想文は「手書き」が求められており、社員の99%はWordで草稿を書いてプリントアウトし、それを見ながら手書きの清書を作成するという何か無駄としか思えない事をやっており、そのせいで半日近くがつぶれるので何だかなあという気がする。戻る↑
    11月29日(月)「なぜか激務開始」
    会社の部門名からは日々ガテン系仕事をやっているのであろうと想像される僕であるが、日々の業務は下っ端でありながらもデスクワークであり、「デスクに座っているやつは仕事をさぼっている」という訳の判らない風潮蔓延る我が社に於いては日常日々さぼっているように思われている。まるでガソリンスタンドで一生懸命働いているというのに「あいつは仕事中に油を売っている」と蔑まれるようなものではないかとかなりずれた感慨を抱いたりもする。さてそんな僕の本業であるが、他のガテン系の人からは「なにやらコンピュータを使って怪しげな魔術を駆使している」と思われるような仕事をしている。「なぜ未来のことがそんな簡単にわかるんだ?」「やってもいないことをどうしてそんなに予測できるんだ?」と日々つっこまれるが、それがシミュレーションの良いところでしょうねえと返答するに留めている。さてその本業が忙しくなってしまった。この仕事が忙しくなるのはプロジェクトがこけた時や順調な時ではなく、「このままやったらこけそうなんで何とかこけないようにがんばらなあかんねん」というときである。いつもコンピュータをにらめっこして思うのは「こけるならこける、うまくいくならうまくいくでスッキリせえや」である。でもそんな仕事ばっかりだったら僕の仕事が無くなるのだが。戻る↑
    11月28日)「ブルートレイン時代の区切り」
    寝台特急あさかぜ寝台特急あさかぜ(デビュー当時)寝台列車というものは旅情を誘うものである。夜汽車などという表現をされてしまった日にはいきなり乗りに行ってやろうかというぐらいの勢いになりそうなものである。夜行バスに乗る時はそのような感慨はないのに何故鉄道にはそのような感情を抱いてしまうのか、その答えは早々出そうにはない。さてそのような感慨深い寝台列車であるが、新幹線が必要以上に便利になったことや、飛行機の便が増えたことも手伝って需要がかなり落ち込んでしまったようである。東京発九州行きの寝台特急として華々しくデビューして早50年近くが経とうとしているあさかぜがついに廃止されるということである。現実ではほとんど起こることはなかったであろう数々の殺戮が西村京太郎の妄想の中で繰り広げられた寝台列車は終わりを告げようとしているのかも知れない。ウエストサイドストーリーでマリアとトニーが夜行バスで逃げ出すという事になぜ寝台列車で逃げなかったんだろうと訳の判らないことを考えた中学時代には今ほど日本で夜行バスが走るようになるとは思っても見なかったが、今夜の移動手段はその主役が夜行バスに変わってきており、時代の変革を感じるものがある。戻る↑
    11月27日)「休養日」
    来年のカレンダー@ANA通常であれば喜び勇んで出かける週末であるが、今週は激務が予想されたことと来週からのスケジュールが決まっていることもあって休養日に充てることとした。休養日といっても何もしないわけではなく、世話になった人に季節の節目のお礼とか、迫り来る冬に備えてうえぺけ号のタイヤを履き替えさせるとかなどやることは山積みである。帰宅したところ先日結婚した友人宅に祝いでも持っていこうということになり、何故か先日東京で購入した光沢紙年賀状を持って向かう。まあ、ハガキ代は祝儀と言うことでくれてやるから「結婚しました」という写真付きのゴージャスな年賀状を作れと申し出るというのが本来の目的であり、そのためにも写真が綺麗に印刷できる光沢紙年賀状はなかなか良い選択ではなかったのではないかと思ったりもする。その後何故か友人の家族と一緒に飯を食いに行くこととなり、底抜けに明るい上戸の母親と無口で下戸な父親というどっかで見た構図の夫婦の姿を見たりして楽しく時を過ごす。帰宅したら青い航空会社から来年のカレンダーが届いていた。当初通信販売で買ったのを忘れてしまったのかと最近あやふやになりつつある己の記憶を疑ったのだが、中身を見たところ紙切れが同封されており、「株主様どうかお納め下さいませ」という文言が書かれていた。優待でそのような気の利いたことをやってくれていただろうかと四季報の後ろを見てみたのだがそのような記載はなく、まあ有難くいただいておいてやるかと思った次第。来年のカレンダーを買わなくて良かったとえらくご満悦になってしまった。戻る↑
    11月26日(金)「海の向こうから」
    海の向こうからのんべんたらりとしてようやくデータがやってきた。当初の予定では今週中にデータ解析を済ませるということだったのに、本日が開始日となるからそんな簡単に終わりそうもない。FedExのサイトでトレーサビリティしてみたら昨日の時点で大阪には着いているということであり、昨日夕方になってデータは到着した。昨日は「もう今日は来ること無いやろう」と既にまったりモードに張っていたのでやる気が起こらず、本日ようやく本格的に取り組むこととなった。データハンドリングは経験の為せる業であるため、日々その取り扱い技術は向上しているのを実感するが、その技術向上に伴い必要以上にエレガントなプログラムを書こうという意識が働くため結局必要なデータ作成にかかる時間は以前と変わらないと言う不思議なジレンマを味わいつつ本日は時間切れで投了。土日来てまでする必要もないなあと言うことで帰ろうとしたら、緊急を有するデータが夜9時になろうかという時に到着。金曜日の晩にそんなデータを送ってくる方が悪いと言うことでうっちゃって帰宅。スカンジナビア航空でもサザンオールスターズでもないが、データハンドリングの世界は奥が深い。戻る↑
    11月25日(木)「莫大な補償額の書留小包」
    書留小包随分と昔に親から贈与された株券があり、それが如何ともし難いほど値が下がっており復活の見込みがないということが想像されたので売り払う事とした。株券の現物が手元にあるし、名義はなぜだか僕に変わっているのだが、親は全くもってその株券をどこでどのようにして購入したのか定かではないし、いくらで買ったのかももちろん定かでない。仕方がないので売り払うに際しご厄介になっている証券会社に株券を送り、それを売却することとなった。ということで証券会社に株券を送ることとなったのだが、その旨を連絡したところ送付用の書留小包が本日届いた。やれ補償額の上限は10億円だのというなんだか信じられないくらいなまでの高額な補償を見て、こんなしょぼい株券をここまで手厚く送る必要はあるのだろうかとか、実際そんな額の株券ならば自分で持ち込んだりするもんじゃなかろうかとかいろいろと思いを馳せてみる。証券会社としても「おいくらぐらいの株券ですか?」なんて言う不躾な質問は出来ないし、逆に「俺が金持ちや無いからってバカにするんか?」というふうに顧客に逆ギレされても困るので画一的な対応を取っているのだろう。戻る↑
    11月24日(水)「年末進行」
    紅白歌合戦は年末の風物詩であるといわれているが、その伝統は高々50年程度であり、除夜の鐘の方が遥かに長い歴史を誇っていることは言うまでもないことである。演歌歌手にとって紅白歌合戦に出場することがステータスシンボルである、というのは日本全国津々浦々まで己の姿を映し出すことが可能となるわけであり、また演歌を心地よく聴く年代の人にとっては、NHKが一番良く視聴する放送局であるからに他ならない。また、興業主としてもどこかの民放の歌謡ショーに出演した・していないで相手をランク付けすると、なんとなくその放送局に肩入れしているように見られるため、どう考えても肩入れできそうにない歌番組として紅白歌合戦を選択しているのではないかとも考えられる。ということで規模が大きく、認知度が高く、公平そうに見えるという点で紅白歌合戦はお誂え向きであった。今回はプロデューサーが「紅白出したるから誠意みせろや」という無心をしたのでことさら「公明正大」を謳い文句にしているが、あの手のアンケートは組織票というバイアスを含んでいるため好ましいものではない。本日発表された出場者を見ると、いろいろと思惑があって選ばれたように見えるのもあれば順当なのもあるという感じであった。とりあえず松平健はマツケンサンバの大ヒットで出場が決まったように見えるが、これは来年の大河ドラマとのタイアップであることは疑いようがないわけであり、どちらかというと齢50にして去年のはなわやテツトモの如き扱われ方をしているのでは無かろうかと思ったりもする。戻る↑
    11月23日)「お休みと体力回復」
    焼酎には「ダレ止め」という別名があり、疲れを取るという効能が謳われている。その本質は焼酎を心ゆくまで飲むところっと眠ってしまい二日酔いもなく目が覚めるというところにあると思われる。昨晩はそういう寝方をしたため、今朝の目覚めは大変快調である。本日は当初会社に行くかも知れないという計画もあったのだが、会社で解析するデータがアメリカから送られてくる予定であったが、FedExがさぼっていたのかどうかで本日は仕事がないということが確定し、のんべんたらりと日を過ごす。溜まっているページの更新や雑用などを片づけ、10年近くも購読していたコンピュータ雑誌も断る。ノートンさんを入れ直したり写真の整理をしたりとやることは山積みであり、週末出かけることを少し控えないといけないなあと心にもないことを思ったりして時間は過ぎる。夜はプロジェクトXで久しぶりに土建国家日本の面目躍如たる作品を見て感動し、それにしても橋を造るのにいささか時間がかかりすぎていませんかと思いつつ斜陽産業であった炭坑や造船で培った技術を活かすというまさに日本人好みのプロジェクトという作品に仕立てあげるというNHKの作品作りの手腕に少し敬意を表する。戻る↑
    11月22日(月)「ドラえもん100年の計」
    観客が想像も出来ないプレイをやってのけるサッカー選手を「ファンタジスタ」などと言う。フィールドは異なるが、「ドラえもん」というキャラクターを生み出した藤子不二夫は間違いなくファンタジスタであり、ドラえもんは人の心にいつまでも生き残るものであろうと思われる。ここまでドラえもんを人の心に焼き付けることを可能としたのは、この世にそんなネコ型ロボットが存在しないにもかかわらずその声を見事なまでに表現し、存在しないのにその声は誰もが知っているという存在にまで高めることが出来た大山のぶ代氏の偉大なる功績に他ならない。しかしながら本日、大山氏を初めとするドラえもんの声優達が全員交代するというニュースが飛び込んだ。この世代交代はやむを得ないと思うが、これまで聞き親しんだ声が変わることは如何様にも辛いものがある。しかし大山氏の「ドラえもんというキャラクターがこれからも生きていくためにはドラえもんの声が絶えてはいけない。そのために次なるドラえもんの声が必要なのだ。」という意見を拝聴し、これまで我々が「ドラえもんの声」だと思っていたものは大山氏の声ではなく、やはり「ドラえもん」の声であったのだと思ったりする。しかし、大山のぶ代氏・小原乃梨子氏・野村道子氏・たてかべ和也氏・肝付兼太氏が全員70歳前後という事が最も驚くべき事だったりもする。戻る↑
    11月21日)「蕎麦を頼んで温泉へ」
    渋沢温泉の手打ち蕎麦道の駅を出発し、いざ本日の目的地米子大瀑布を目指す。まずは朝風呂をと考えるが、道中には10時からしか開いている温泉が無く、時間つぶしも兼ねて嬬恋村を縦断するパノラマラインなどを激走し、無印良品ブランドのキャンプ場などという意味不明な施設を見物したり、鳥居峠で「ずら」と「だんべ」の境の看板を見たりして目的地である渋沢温泉へと向かう。渋沢温泉では風呂に入る前に蕎麦を所望しておくと、風呂に入って極楽極楽としているうちに準備がなされ、風呂上がりに休憩室でまったりしていると打ち立ての蕎麦がやって来るという寸法であり、蕎麦と温泉という日本のリゾートを極めたある意味究極の形では無かろうかと辛み大根に鼻をツーンとさせられながら感涙に噎ぶ。蕎麦を堪能しいざ米子大瀑布へと向かう。米子大瀑布不動滝米子はカルデラを形成している高山地帯であり、北西の角のみカルデラが崩壊して川が流れており、カルデラに付き物の柱状節理の美しさと一枚岩から流れ落ちる滝の雄大さを以て信仰の拠とされた自然に偉大さに畏怖するものがある。滝を愛でることおよび写真撮影に費やすことが思いのほか長く、かなり遅くなって身体がかなり冷えたので下山して須坂で温泉に入り、須坂長野東から高速道路を利用。須坂長野東からであれば北陸道を利用する経路でも中央道を利用する経路でもそれほど所要時間は変わらず、北陸道の方が走りやすいことや上信越道で東京に向かう車が必要以上に多かったりするのが嫌なので北陸道を選択する。北陸道を選択した場合は通常であれば敦賀で高速を下りて161号を利用するのが王道であるが、米原から敦賀と米原から京都まではそれほど距離が変わらないため、距離の短い中央道経由で高速料金が計算されることから京都まで乗っても敦賀までと金額が変わらないことも手伝ってか本日は珍しく京都まで高速道路を利用。味わい深い温泉を巡り、旨い蕎麦も食えた素晴らしい週末であった。戻る↑
    11月20日)「信州温泉ガイドのとら」
    何と書いてあるのか読めない看板@元善光寺今週末は長野県温泉巡りと題して味わい深い温泉を探訪することとした。まずは昼神温泉の公営保養センター鶴巻荘へ立ち寄り、ぬるぬるした柔らかいお湯を堪能する。冷え込みが厳しく、風呂上がりにストーブに手をかざしながら田中知事の住民票を泰阜村が取り上げたニュースなどを入手し一路北へと進路を取る。次なる目的地は駒ヶ根のソースカツ丼であり、道中何かおもしろいものはないだろうかと思いつつ車を進める。ふとしたところに「元善光寺」などという味わい深い名刹と思しき寺院の看板を見いだし、定額山に抱かれたパラダイスの如き名刹を認めた瞬間に車はそちらへと進路変更を遂げていた。この手のパラダイスに対する嗅覚は鋭いものがあると自負しており、久々の獲物を捕らえたということで興奮はいやが上にも高まる。己の嗅覚の感度の良さに感動するのにさほど時間はかからず、「ゴミは御利益と一緒に持ち帰る」とか、「鐘に傷が見つかったので除夜の鐘の時以外は衝きません」とか、何と書いてあるのかさっぱり理解できない意味不明な看板とか、滑り台しかないのに境内の案内図には堂々と「遊園地」と書かれているなどこちらの期待を裏切らないコンテンツの充実ぶりに喜びも一入であった。片倉館@上諏訪温泉また、お戒壇巡りという不思議なイベントがあり、真っ暗闇の中を手探りで歩き、運が良ければ極楽往生開運の鍵に触れることが出来るというものであった。夜目が利くわけではないかがその鍵を確認することが出来、これで極楽往生は遂げたも同然であると感慨を深くし、全く滑りが悪くてどうしようもない滑り台を堪能してこの名刹を後にする。駒ヶ根でソースカツ丼を堪能し、杖突峠から諏訪盆地を一望して本日の二湯目である上諏訪温泉へ。上諏訪温泉の中でも特筆ものである片倉館に向かう。片倉工業がかつて生糸で巨万の富を得、二代目オーナー片倉兼太郎が地元への恩返しということで作ったどう考えてもこれが温泉の建物であるとは信じられない建物に洗面器を抱えつつ向かう。この温泉はお湯が素晴らしいとかどうとかこうとかいうものではなく、そんなものが吹っ飛ぶぐらい素晴らしい建物であり、圧倒されまくりであった。必要以上に心が豊かとなったのかは知らないが、そのあと諏訪湖の夕日を眺めビーナスラインを激走し、和田峠から142号に抜けて上田に向かう。別所温泉では福祉センター相染閣の中にある日帰り施設を利用し、その味わい深いお湯を心ゆくまで堪能する。背中に絵を描いたおじさまも入浴されていたが、これまた愛嬌であろう。そのあと車をRS雷電くるみの里へと進め、かなり寒い中で宴会をして眠る。本日立ち寄った温泉は「信州温泉ガイドのとら」という雑誌に掲載されていたもので、なかなか素晴らしい温泉を紹介しているものだといたく感激してしまった。戻る↑
    11月19日(金)「株主の権利行使」
    赤い方の会社青い方の会社デイトレードという不思議な言葉が用いられるようになり随分と経つ。以前は対面式で株式の売買の注文を出し、それなりの額の売買手数料を証券会社がせしめていたため一日に何回も売り買いを繰り返すことなど証券会社を儲けさせるだけで意味がないと思われていたのであるが、IT化の波がそれを可能としてしまったようである。一日の間で値段が乱高下するというのは凡そ不適切な会社では無かろうかと思ったりもするが、株式を投機と考えることは吝かではない。しかしながら日々の株価の動きに心を割くほど悠長に生活は送っていないわけであり、やはり長期的な視野に立って株式を保持するということが重要ではないかと思われる。なので株式を購入する時の基準は「配当金」と「株主優待」である。本日株式を所有する航空会社2社より「重要」と記載された封書が到着した。中身は株主優待である。以前の日記では青い方の会社は書留で来たのに赤い方の会社は封書出来たのはどうしてやと憤っていたが、今回は両方とも封書であった。コスト削減ということなんだろうか。それとも青い方の株式をいささか売却してしまい、小口と扱われたのかも知れないが真相の程は不明である。とりあえずこれで再来週の飛行機に半額に乗れることが確定した。今週末は久しぶりに温泉に行こうと計画し、車を東へ進め恵那にある道の駅で没する。途中追い越しを掛けた車が後ろから煽ってきて「俺を追い越すとは何考えとるんじゃゴルァ」と理不尽にゴル活されたが、ゴル活は軒並み理不尽なものなのですみませんと心にもなく謝り世の中の殺伐さを憂いてみた。戻る↑
    11月18日(木)「流行語大賞」
    毎年発表される「流行語大賞」であるが、今年もまた様々な言葉が流行ったものだと思い起こしてみる。言葉が流行ったのか、それともそういうものが流行ったのかが微妙であるが「韓流」だの「ぺ」だの「ヨン様」というのはかなりの確率で大賞をつかみ取ろうとしているように感じられる。個人的にはエンタの神様なんかで人気が上がってきたギター侍の「切腹!!」が気に入っていたり、「あれはあれでいいのかな」などと言葉を商売道具に使う人の意気込みが感じ取れるものがいいように思われる。実際のところ、ここ数年は「え、そんな言葉が流行ったの?」という言葉が大賞を取っているので、流行語大賞は本当は流行っていないことが受賞する、「間違いない。」という感じがしないでもない。戻る↑
    11月17日(水)「職業選択の自由」
    日本国憲法の改正素案が自民党から出されたのだが、自衛軍だの女性天皇だのという現状を鑑みればそろそろ拡大解釈が限界ですぜダンナという項目をスッキリさっぱり改正しようというところが感じ取られる。プライバシー保護なんかも盛り込んでみましたという感じであるが、はっきり言っておまけである。これを現状に即した改正というのかなし崩し的にお手盛りしてみましたというかはその人次第という気がしないでもない。現在の憲法には「職業選択の自由」が明記されており、職業を自由に選ぶことが認められている。但し、この「自由」というのがくせ者で、だからといって希望したところで雇ってもらえるとは限らないわけであり、自由という言葉は解釈が困難である。さて、毎年涙ながらに苦渋の決断を下したり、海外逃亡したり、スカウトが自殺したり、空白の一日があったりするドラフト会議が本日無事執り行われた。今年は競合がないという全くもってドラフト会議らしからぬものであったが、ウエーバー制を敷かない理由として「職業選択の自由」が挙げられている。個人的な解釈では選手は個人事業者として「プロ野球球団」と契約を結ぶのであって、それが巨人だろうと阪神だろうと日本ハムだろうと知ったこっちゃないと思うのであるが、巨人に入りたいとか週刊誌に乱行をすっぱ抜かれたいとか女子アナとお知り合いになりたいとかいろいろな欲望があるためそういうわけにはいかないのであろう。戻る↑
    11月16日(火)「週刊にっぽん川紀行」
    創刊号第30号鉄道会社というものは例え私鉄であっても公共財の概念が強く、地道で手堅く石橋を叩いても渡らないという姿勢が伺えるものであるといわれている。それ故安定した経営を求めるものであり、おかしな株主が現れてしまっては大変だという意見がないこともない。しかしながらオーナーが株を独り占めするという姿勢は必ずしも喜ばしいものではなく、そのような姿勢を保ちたいのであればいっそのこと株式を上場するようなことはやめておいた方が宜しいのではないかと思ったりもする。今回の西武鉄道の上場廃止はそのような考えから行けば当然なのかも知れない。さて、話は全く変わるがこの半年ばかり毎週購入していた「週刊にっぽん川紀行」であるが、ついに本日最終号を迎えた。日本の街道、鉄道の旅、日本の名湯と会社に入ってからずっと毎週この手の書物を購入し、気が付けば烈しいまでに部屋には本が溢れている。これで行き先に困ることはなくなり、毎週末にどこかに行こうと計画を立てれば、それに対する詳し過ぎるまでのガイドブックが部屋に転がっているという展開ぶりである。このようなことが原因で毎週毎週出かけているとは思いたくないが、その原因の一つとなっていることは否定しようがない。戻る↑
    11月15日(月)「さらばマギー司郎のプロマイド」
    新渡戸稲造ことマギー司郎今月より新たな紙幣が流通するようになった。人の上に人を作らずと言う割には日本の紙幣の頂点に君臨する福沢諭吉はそのままだが裏が変わり、夏目漱石は本職が白組キャプテンで副職が漫画家という加藤芳郎に、そしてマギー司郎は樋口一葉にバトンタッチし、ニセ札こと二千円札は相変わらず影が薄いままである。日本の片隅でひっそりと暮らしているというわけではないのだが、この半月の間いまだに手元に新札が来たことはない。日々の買い物は紙幣を使うレベルとなれば必ずカードを使うし、通勤の電車賃はPiTaPaなのでこれまた現金が動くことがない。こんな生活をしていればさすがに紙幣の流通に取り残されることも当然のことであろう。個人的には先週の出張経費と交通費の精算で初めて新たなお札を目にすることになるのかなと思ったりもする。戻る↑
    11月14日)「やんごとなき」
    友人が某不経済新聞に載るというので朝から新聞なぞを読んでみる。まあ、掲載されたのでそれなりに反響もあろうものだが、危惧するべきは友人の職業が公務員であるため、「公務員は気楽で良いよな」などという謂われ無き批判が行われないかということである。記事を読む限りでは、さすがは新聞記者らしくそういう叩かれ方がされないような文面になっておりその辺は問題なさそうである。さて、「やんごとなき」という話であるが、本来は「止む事なき」という言葉であり、「止むを得ない。打ち捨てて置けない。」という意味である。これが転じて「一通りでない。重々しい、権威がある、特別である。」という意味になり、現在の「高貴な」という意味になったと考えられている。女性の結婚適齢期を「クリスマスケーキ」などと揶揄していた1993年の時点でまさしく24歳であったため必要以上に話題となっていたことは事実であるが、本日の発表されたお相手が当時ノミネートされていたとは驚きであった。小兄からの援護射撃などというチームプレーと、長兄の嫁取りの執念に倣うかのような何かを感じなくもないが、他人様のことなので真実のほどは不明である。そもそも本人にだって真実などは判らないのである。ラショウモニズムに従えば、現象は一つであっても解釈は一人一人違い、真実とは現象ではなくて解釈である。それ故真実は決して一つではないのであろう。「クリスマスツリー爆弾事件」で14年11ヶ月もの間逃亡していた梶原譲二氏が窶れた顔で警察に出頭したことを思い出してしまった。もう20年も前の僕が小学6年生の時のことをなぜ思い出してしまったのかは判らない。戻る↑
    11月13日)「東京見物」
    旧岩崎邸洋館昼過ぎにのっそりと兄の家を出発する。日暮里からは寛永寺の墓地を通り、徳川慶喜の墓や幸田露伴の五重塔跡などを見物する。これまでは他人様の墓を巡って感慨を新たにするのは観光客@ピラミッドとか、考古学者@古墳とか、墓泥棒@墓ならどこでもとか、カラス@食べ物があればどこでもとかに限定されているものと思っていた。しかしながら世の中には血縁関係にない故人の墓を巡ることを喜びとする人がおり、そのためにガイドまでかってでる人までいるというのだから世の中とは凡そ難しいものであるという感慨を得たのが本日の収穫。また、有名人の墓を訪れた時に何故か知らないが名刺を置いて帰るという風習があるようで、墓の右側には名刺入れなどと言う不思議な設えがあり、有名人の遺族は日々見ず知らずの一方的なファン達が放置する名刺の整理に追われているのであろうという妄想をしつつ谷中の焼酎屋へと進む。神田明神の献灯扇子の形をしたおみくじ@神田明神谷中の焼酎屋は素晴らしい品揃えがあり、ここでまた焼酎を買い込む。そののちに旧岩崎邸庭園、湯島天神などを見学し、神田明神に向かう。神田明神では携帯のアクセサリーとしてはぴったりで扇子の形をしたおみくじを引いたり、実在しない銭形平次と子分のがらっ八の石碑などと言う不思議なものを見物する。江戸という町が江戸時代以降400年の歴史を持ち、その積み重ねを感じさせるものがあるのは認めるが、京都に住む人間にとってはその思想は即物的であり、すぐに結果を要求するような姿勢が感じ取れるのは何故であろうか。難しい解釈を考えるまでもなく、江戸という町が京都に追いつこうという不思議な思想を張り巡らし、既に追いつき軽く凌駕しているという状況にありながらもいまだに追いついていないという高度経済成長時代の日本人が西洋の先進国に抱いていたような劣等感がそこにはあると思われる。そのあと秋葉原の常磐新線の駅の工事などを見物し、東京からはのぞみで帰宅。戻る↑
    11月12日(金)「出張無事終了」
    本日も出張である。朝から大田市場の食堂でうまいサンマなどを食し、意気込みも十分に本日の業務に取りかかる。昼飯は昨日と同様に築地界隈で素晴らしい海産物と邂逅し、昼からも仕事に精を出す。出張先はソフトドリンクが飲みたい放題という有難い外資系であるため必要以上に飲み過ぎてしまい、仕事中に個室にご厄介になる回数が多かったりするのは気のせいか。夕刻には仕事は無事終わり、兄の家で焼き鳥や刺身を肴に武者返しや蔵の師魂の黒麹仕込みなどを堪能し、録画してあったテレビ東京の「新幹線を作った男たち」という2時間スペシャルを鑑賞する。十河総裁役は、現在の日本では彼しか演じることは出来ないであろうと思われる三国連太郎であり、プロジェクトXの焼き直しという感が否めないながらも2時間ドラマゆえに繰り広げることが出来る世界が見事なまでに展開され、テレビ東京のくせにやたらと良い作品に仕上がっていたのが意外であった。戻る↑
    11月11日(木)「テキパキと用事をこなす」
    黒霧島のお湯割り@新橋宿泊が大田市場、出張先は築地の川向かいの勝どきである。まるで市場関係者のような行動をしているのだが、僕が糊口を凌いでいる業界は流通とは縁がない。さて、宿の最寄りの公共交通機関と言えば東京モノレールの流通センター駅であり、そこまで徒歩で向かうこととした。途中交番で道を聞いたところ、「この道を真っすぐ行くと白い道にぶつかるので、そこをしだりに曲がって橋を渡る」という案内を受けた。地図には主要地方道ゆえに緑色で記載されている環7をどう理解すれば「白い」なのかについて悩んだのだが、そのあとの「しだりに曲がって」で全ての謎は解け、江戸っ子のお巡りさんであることも併せて理解できたりする。モノレールで浜松町に行き、大江戸線で勝どきに向かって本日の出張は始まる。昼飯は隅田川を挟んだ向かい側に展開される築地市場の傍で旨い魚を頂き、夜は新橋で結構な焼酎を頂いたりして宿に戻る。お湯割りは焼酎を割水して馴染ませたものを燗するという出し方をしている店なので滑らかな飲み心地と外の冷え込みが手伝ってうまい焼酎をいただけたのはまことに素晴らしいものであった。宿に戻って廊下に設えてある製氷器から氷をかっぱらい、友人のエストニア土産のウォッカなどをロックでいただきつつ夜は更けていく。ちなみに昼間に郵便局に出向き、光沢紙年賀状は見事にゲットできたが、窓口のおばちゃんが「試しに10枚買ってみたという人がいたんだけどねえ、あれ以来追加で買いに来てないねえ」というあまり芳しくないコメントをしていたのが気にかかるけどまあいいか。戻る↑
    11月10日(水)「出張出発」
    本日は朝から部署のミーティングでうだうだと話を聞かされるのであるが、会議室の椅子は必要以上にふにゃふにゃしており腰に悪いこと甚だしい。個人的にはプロレスラー御用達のパイプ椅子あたりが腰にも良いし、下っ端という自分の立場からもこれまた相応しいと思っているがなかなかそういうわけにも行かない。昼飯を食っていたら友人から「光沢紙年賀状を買ってきてくれ」と言われ、子供が生まれた今年ぐらいは親バカぶりを発揮してみようかなと思っているということを聞き出す。間違いなくこれから先死ぬまで親バカは収まらないと思われるので、後には退けない状況になり来年も光沢紙に手を出すことは必定であると思いつつも快諾し、夕刻より光沢紙の買い付けに「出張」という名目で東京へと向かう。本日のお宿はじゃらんで適当に空いていて安くてそこそこ設備がいけているところとだけ考えてチョイスしてしまい、その結果大田市場内のアーバンホテルになってしまった。「大森、羽田界隈にあります」という括りはちょっと乱暴ではないかと思いつつも品川駅から都バス品98甲系統に乗るというかなりマニアックな手段を用いて大田市場の北門につき、市場内を突っ切ってホテルに到着。交通の便が悪かろうと何だろうとその環境を楽しむという姿勢に我ながら驚いていたりする。戻る↑
    11月9日(火)「職場復帰」
    たっぷり休んだおかげで、ご機嫌斜めであった腰は通常の状態に戻り。目出度く会社に出勤することとなった。一生の間つき合うというか付きまとわれる存在に対して厳しく鍛えて自分の思い通りにさせるという手法もあるが、その手法が通用するのは相手に改善しようという意気込みがあり、なおかつキャパシティがある場合に限定される。そのような条件を満たさぬ限りは相手のご機嫌を取り、宥めたり透かしたりしながら機嫌良く働いて貰う他はないのである。ということでしばらくは大人しくしておくこととしたかったのであるが、明日から出張なのでなかなか休まるヒマがなかったりする。本日は慣らし運転のつもりでさっさと帰る予定であったが、なんだか仕事が終わらなくて遅くに帰宅。戻る↑
    11月8日(月)「休んでみました」
    朝起きても腰の痛みは一向に癒えていない。普通に腰が痛いだけならば誤魔化してでも会社に行こうと思わなくはない。しかしながら左足がちょっぴりやばい感じがするので、腰痛とつきあって12年という経験から判断し、本日は大事を取って会社を休むこととした。最近ブームと成らんとするインフルエンザや風邪とは異なり、腰痛は一日寝たらスッキリシャッキリという病気ではないためとりあえず様子を見るということで。会社に休みますと連絡を入れたら「病院いくんか?」と聞かれたけれど、待合室でずーっと待たされるのが一番腰に悪そうなんでゴロゴロと寝ることにする。疲れが溜まっていたので弱いところを付いて発症したというのがたぶん真相なので、昼間から横になって休んでいたらぐーすかぐーすかよく眠れること眠れること。やはり「疲れが溜まっていた」というのは間違いのない事実であった模様。疲れが取れたので明日からは仕事に行けそうだし、今週末はまた湯治と称してどっかの温泉にでも行こうと考えていたりする懲りないやつをどうにかして貰いたいのだが。戻る↑
    11月7日)「自宅で微睡む」
    疲れが溜まっていたのか、それともこのところの出ずっぱりでいよいよ臨界値を超えてしまったのかは定かではないが、久しぶりに腰痛が再発し朝からうんうん唸りながらゴロゴロと過ごす。昼前に「お宅の屋根の瓦がずれていまっせ」という不思議な親切を働く「通りがかりの」業者が飛び込みでやってきたが、いかにも胡散臭いので追い払う。確かに瓦がずれているし、桟が落ち込んで雨戸が外れそうになっているのは事実である。なので万が一その業者が親切心でそのことを忠告してくれていたとしても、業者の見積もっている額で修理が終わるはずが無く、「お前さっき1000円ぽっちで終わるっていうてたやないけえ」「さっきはあくまで見積もりなんじゃゴルァ」という殺伐とした言い争いになることは必定だったので断って正解。和風建築というのはメンテナンスが重要であるというのが最近ようやく判ってきた。ちなみに腰痛の方は今ひとつ改善しないまま久しぶりに自分のページを更新したりして過ごす。そういえば原健三郎氏が亡くなられた。議員生活50年という尾崎行雄と三木武夫しかこれまで成し遂げなかった偉業を達成している名物ジジイであり、50年も前に明石海峡に橋を架けるという途方もない計画を口走ったばかりに「ハラケン」ならぬ「ホラケン」と呼ばれたが、何が幸いしたか科学技術の進歩かはたまたこのジジイの執念かは知らぬが現在描いた夢は具現されている。ハラケンの死亡記事で一番驚いたのはハラケンがかつては講談社で編集長を務め、小林旭主演の「渡り鳥シリーズ」の原作者ということであった。人に歴史ありである。葬儀委員長が中曽根元首相ということだが、そういえばこのじいさんも議員生活50年に達するか達したかをしていたはずで、こいつらは何をどうしたらこんなに長生きできるんだろうかと素朴に疑問が沸き上がる。戻る↑
    11月6日)「冬の日本海」
    冬の日本海といえばカニである。誰が何と言おうとカニである。年に一度一日で一年分のカニを食べるというイベントがこのところ数年間起こっており、今年もそれが挙行されようとしている。ちなみに宿を取るとか切符を手配するといった仕事は全て僕の担当なので、いつもながらに日付を確かめながら宿探しに奔走する。今年は夏に日帰り入浴に出向いた味わい深い温泉宿にしようと決めて電話をしたところ一発で予約が取れた。この思考回路を鳥瞰してみれば、日帰り入浴とは「お試し」であり、宿としてもいい宣伝なのであろう。日帰り入浴者を邪険に扱うとある宿には泊まりに行こうという気力があまり湧かなかったりするし、親切だった宿は一度泊まってみようかという気がするから不思議である。まあ、温泉が素晴らしくなければ泊まろうという気力が湧かないので、宿としても日々真剣勝負なのだろう。ということでこんなところで自遊人源泉湯パスポートが役に立つとは思わなかった。戻る↑
    11月5日(金)「週勤五日制」
    週休二日制ではなく週勤五日制をとる会社に所属していると、今週のように水曜日の休みがあれば土曜日がかなりの確率で出勤日となる。出勤日ということでいつもと同じ時間に仕事は始まるのだが、仕事に対するテンションは低いし、有休取っているやつは多いし、定時になれば皆一斉に帰るしということでわざわざ働かせる必要があるのかと疑問が沸き上がる。ならば有休でも取ろうかと思ったりもするが、なんでこんなだらだら仕事をやっても許される雰囲気の時に貴重な有休を費やさねばならんのかと思ったりもするので、申請を出さなかったりする。休みが一日しかないとなんだか疲れが取れないので今ひとつ楽しい気分にはなれそうもない。会社としては「大手に追いつくためには少しでも多く働いて云々」という話になっているが、うちの事業所では3分の1以上が休むというこの現象をどう捉えたらいいものかと困っている。とりあえず休みは一日だけなので出かける予定も立てないでだらだら過ごそうかと計画中。というか久しぶりに腰痛が再発したので出かけられそうもなかったりする。戻る↑
    11月4日(木)「松浦亜弥の野望」
    松浦亜弥年の瀬がせまってくることを実感させるものとして、年賀状の発売というものがある。昨今のカラープリンタの普及に伴い、普通紙年賀状に併せてインクジェット紙年賀状というものが発売されているのは周知の事実である。しかしながら今年は写真を印刷しても綺麗に出せるという光沢紙年賀状が関東限定であるが発売されることとなった。郵政公社は年賀状のキャンペーンに松浦亜弥を起用しているのだが、松浦亜弥が某プリンタメーカのCMに出演していることと何か関係があるのだろうかと考えてしまう。さて、かつて松浦亜弥は「モーニング娘。の妹分」ということでハロープロジェクトに参入していたはずなのに、現在流れているプリンタメーカのCMではあきらかにモーニング娘。よりも上の立場に立っていることをアピールしているように感じられる。現在の松浦亜弥の売れっ子ぶりから行けばこのような仕打ちは当然であるが、これは下克上ではないのかというどうでもいいことを考えたりする。まあ、世の中売れたもの勝ちなんだろう。戻る↑
    11月3日)「紅葉と温泉と蕎麦」
    「りんご」と書かれた柿@道の駅賤母本日は週の中日にして国民の祝日である。そもそもは明治天皇の誕生日であったのだが、それを知る人は今となっては少ない。本日は朝早くから開田村に出かけることとした。開田村といえば蕎麦であり、温泉であり、今の時期は紅葉である。中津川から木曽路を木曽福島へと進むと、標高が上がることに伴い徐々に紅葉が進み、味わい深い日本の秋を満喫する期待はいやが上にも高まる。唐沢の滝@木曽福島途中の道の駅では「りんごの王様サンふじ」と書かれた富有柿や、「健康食品うこん」と書かれた馬鈴薯などが販売されており味わい深い。開田村への道中には唐沢の滝などという素晴らしい名所もあり、ここで必要以上に撮影をしたりして時間が過ぎてゆく。開田村では「ふもと屋」というそば屋に入り、「とうじそば」という開田村ならではの蕎麦の食し方をする。とうじそば@開田村「ふもと屋」とうじそばの食し方は、あらかじめゆでてある蕎麦を一食分ずつラクロスのラケットの子分のようなものに入れたまま熱いダシを張ってある鍋に入れ、温まったら取り出して食うというものである。寒い最中にこの食仕方は大変ありがたいものがあり、その味わい深さに感動を覚えつつ蕎麦が進む。蕎麦で満腹となったあとは、御嶽明神温泉やまゆり荘に出向いて、炭酸水素硫化水素泉の素晴らしいお湯を満喫する。しかしながら露天風呂の拡張などというどこの温泉施設もが行うであろう事業展開でお湯が循環や加水となることはどうしようもなく、温泉経営の難しさを感じさせるものがある。風呂上がりに開田高原アイスクリームを食し、後は大人しく中津川まで引き返すという予定であったが、途中で事故渋滞に巻き込まれ、ちょっぴり遅くなって帰宅。日本の秋を感じ取れる良い一日であった。戻る↑
    11月2日(火)「東北楽天ゴールデンイーグルス」
    東北楽天ゴールデンイーグルス高橋ユニオンズ以来の新球団加入ということで世間をお騒がせしていた結末であるが、阪神のオーナーが「既に前の日に決まってましてん、ホリエモンはお気の毒でんなあ」とポロッとこぼすなど不透明さの伴う結末に、野球という興業の必要以上の不思議さを感じさせるものがある。しかしながら職業野球は、広告媒体としての価値は日本では飛び抜けて高く、大相撲の呼出の背中に「なとり」と書かれていても、珍味メーカはプロ野球の球団を持つほどの宣伝効果は期待していないと思われる。しかしながら問題なのはこれからである。監督とコーチとGMとオーナーがいても選手がいないのである。選手は近鉄オリックスからプロテクトを外された選手であり、他球団と比べて戦力が充実していないことは否定しようがない。どうせなら、近鉄の選手をそのまま楽天に移すという方法を採れば良かったのではないかと思うのであるが、プロ野球の契約は球団と個人事業者である各選手の1対1の契約であるため、そういう風に一律で行かないのであろう。ダイエーも西武もなんだか焦臭いので来期のパリーグはプレーオフ進出で熱く戦ったという不思議なチームである日本ハムとロッテ以外は全部名前が変わってしまうのかも知れない。そういえば内定を3度も断り、内定先の最高権力者を悉く馘首したというオーナーキラーである選手は既に野球部を辞めているので「元投手」と呼ぶべきものであろうものだが、彼の苗字に掛けて「楽天一場」などという不思議なネーミングは微妙に定着しているのが気になるところ。それにしてもライブドアは絶妙に会社名の宣伝だけして消え去ったように感じ取れるのだが、たぶん穿った見方のしすぎであろう。戻る↑
    11月1日(月)「畢竟の結末」
    誰もが責任を取らなくても良いシステムを作ることにかけては洋の東西を問わず右に出る者がない日本人の社会において、このところ声高に叫ばれているものに「自己責任」というものがある。事の発端は今年4月にイラクに出向いて攫われた人々に対する騒動である。今回もご多分に漏れず首が切られた写真や動画が公開され、政府の対応に落ち度はなかったかなどという「井戸にはまったのはお前が井戸を掘ったからだ」と同じくらいのイチャモンをつける記事もある。普段から言葉少なの首相は「対応は間違っていない。」と断言しており、今回に限ればそれは極めて正解である。江川紹子氏のページで今回の事件についてどう考えるかという持論が展開されているが、以前のかなり不思議な持論展開からは少し変化し、それなり真っ当であるが相変わらず政府を批判するという姿勢を崩さないというところが味わい深い。これに対し、身を以て経験したことに基づいて持論を展開する野口健氏の持論は大変判りやすいが、説明責任という言葉にはお年頃という個人的な事情もあるがいろいろと考えさせられるものがある。それにしても、死ねば皆仏さんになるので仏さんのことを悪く言ってはいけないという日本人の思想がそうさせるのであろうが、「優しかった」「心の優しい人でした」「正義感のある人でした」という記事ばかりを流す某新聞社のサイトを見て胸中は複雑である。個人的には彼の馬鹿者の遺体が国民の血税で運ばれるのを見るのが溜まらなく嫌であり、それを理由に税金の納付を拒否することは筋違いであるとしてもやりきれなさを感じたりもする。戻る↑