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四万温泉をあとにして、本日も楽しい温泉巡りが始まる。暮坂峠で紅葉を満喫し六合村にある湯の平温泉に出向き、今回最後のパスポート消費活動を行う。今回のパスポートは開始時期が遅かったのだが思ったよりも頑張ってしまい、52箇所中32箇所の温泉を巡ることが出来た。台風が来なかったらあと8箇所ぐらいは増えたのではなかったかなどと思いつつも、なかなか楽しい企画だったなあと思い、次回も是非この企画に乗ってみようと懲りない姿勢を新たにする。渓流に面する露天風呂は素晴らしく、秋の彩りを満喫しながらの入浴は最高である。
その後車を草津へと進め、観光案内所から湯畑に向かう途中にある瑠璃の湯で草津温泉を満喫する。そののち湯畑へと歩を進め、新蕎麦を堪能し、これぞ秋だねえ日本のリゾートだねとそば屋の座敷でうだうだする。そのあとは雲海の写真を撮ったり、道端に残る初雪の名残を鑑賞したりして須坂へ進む。少し時間が余ったので目に付いた田中本家博物館というところに出かけてみる。こぢんまりした古い町にはありがちの博物館かなと思って行ってみたのであるが、「近世の正倉院」という異名を取るだけのことはあり、所蔵品の数や、その保存状況、どれを取っても凄まじいまでの高いレベルである。
陳列されている所蔵品は日常生活に用いていたものがほとんどであり、子供のおもちゃに至るまで必要以上に物持ちが良く、「金持ちを代々続けるには、やはりこういうところでモノに対する執着がいるんだろうなあ」という不思議な教訓を得ることが多かった。博文社の「世界英雄番付」などという必要以上に興味を駆り立てる代物が展示されており、その複製を売店で売っており、それを買ってしまったというのはお約束である。長野駅で友人と別れ、その後はしなのとのぞみを乗り継いで帰宅。車中ではシナノニジマスとシナノユキマスの笹ずしを食し、遥かチェコからやってきたシナノユキマスが今日本の駅弁として食されていることに遥かなる旅路を思い浮かべていたのであるが、単線区間で対向列車が遅れてしまい、待ち合わせの所為で名古屋到着が遅れ、乗り継ぎが出来ないんじゃゴルァと殺伐とした車内のムードはそんな感傷を一気に振り飛ばすに十分であった。戻る↑
夜行バスといえばスキーバスの夜中3時に強制的に松本ドライブインで休憩を取らせる「はい松本攻撃」を思い出すが、コンビニや道の駅の情け容赦のない進出により、現在の松本ドライブインは昔日の面影もないと聞く。栄枯盛衰を膾炙するのは年を取った所為であると言われるかも知れないが、「はい松本攻撃」が松本ドライブインの認知度を上げる一方で存在価値を低めていたのかも知れないと勝手なことを思ったりもする。夜行バスの常である早着もなくほぼ定刻に東京駅に着いたので久しぶりに日本橋に出向いてみる。夜明けの日本橋は味わい深く、日本国道路原標の写真が楽勝で撮れるぐらい交通量は少ない。東京から古河に向かい友人と合流し、本日の温泉巡りをスタートさせる。
西那須塩原から牧場の間を突っ切る国道を走って塩原温泉を通過し、川治温泉の北側から目的地加仁湯を目指す。加仁湯へは女夫淵から送迎バスが出ているということであったのだが、送迎バスに乗れるのは宿泊者だけという厳しい掟があり、仕方が無く片道5kmを徒歩で行くこととなる。紅葉の季節真っ只中の山中を些か冷え込みに辟易しながら散策し、2時間弱で加仁湯に到着。目出度く自遊人パスポート消費活動といきたいところであったが、10月はパスポート適用除外とのことで有料での入浴となる。
一応それでもスタンプは押してもられたのでよしとするか。加仁湯の混浴露天風呂は、山中で冷えた身体だとか、夜行バスでえらく凝ってしまった肩などを癒しつつ、軍艦巻きのおねえちゃん(但し彼氏付き)との混浴などということもあって素晴らしい限りである。温泉でまったりして極楽極楽と思っていたのであるが、よく考えるとまた女夫淵までの山道を戻らなければならないという事となり、宿のおっさんに紹介されたショートカットになる登山道を歩いて、1時間半ほどで女夫淵に戻る。女夫淵からは道中にあった「熊汁」を出してくれる飯屋に出向き、熊汁を頼もうとしたが本日は売り切れということであり、仕方なく熊丼やサンショウウオ焼きを食して新たなる味覚である熊やサンショウウオを堪能する。奥鬼怒林道を抜け、金精道路を経由して沼田に抜け、沼田で宴会グッズを調達して本日のお宿である四万温泉へ向かう。四万温泉ではまったりと温泉を堪能し、お疲れ様でしたということで宴会が始まる。本日は必要以上に良く歩いたなあと思い、明日起きたら襲いかかるであろう筋肉痛に怯えながら心地よく爆睡する。戻る↑
昼から欲望の巣窟であるヨドバシ梅田に出かける。本日の目的はいくつかあり、いつまで経っても来ないminiSDカードの購入とデジカメの修理、そして行きがけに頼まれた電気カーペットの購入である。まずはデジカメの修理ということで、ダイビルにあるキヤノンのゼロワンショップに出向いたのだが、本日は日曜日ということで店が閉まっており、ショールームのおねえちゃんとの語らいという夢は遠のく。先行きの不透明さを暗示させるものを感じ取るには十分であるが、気を取り直してヨドバシ梅田に向かう。ちなみにどこが壊れたのかと言えば、CCDが相当馬鹿になっており、ちょっと熱を持つと画像が乱れるのである。まあ、このデジカメで既に10000枚以上も撮影は行っているのだから、有り体に言えば「寿命」なのであろう。修理の見積もりをお願いしている間に携帯に入れるminiSDカードをインターネット通販でお願いしていたのに一向に返事がないというゴル活を店員にしたところ、その代物は在庫があるがネット通販の在庫とは別なのでネットだと随分と時間がかかると言うことであった。なので、現物ここに今あるのだからキャンセルして貰い、めでたく購入に成功する。デジカメ修理の見積もりをお願いしたところ、既に個人的に抱いている減価償却後の価格に匹敵する修理額を要求されることが明らかとなったので、PowerShotA70とは永久の別れを告げ、次なるデジカメの物色を行うこととする。しかしながら「コンパクトフラッシュ」「単三電池」というハードルの前にはPowerShot以外に選択肢はなく、A85にするかA95にするか散々迷った挙げ句、A95を購入する。その後親に頼まれた電気カーペットを購入して帰宅。久々に物欲を満たす一日であった。戻る↑
本日は朝早くから紀伊半島へと出かける。素晴らしい秋晴れの元、車を南へと進めるが、168号は大塔村で通行止め、309号は行者還で通行止めということでなかなか南に進むことができず、吉野川沿いをうろうろとした挙げ句169号で下ることと相成る。当初は十津川で風呂でも入るかと思っていたのであるが、致し方なく入之波で温泉にはいることとし、2ヶ月ぶりに炭酸泉の素晴らしいお湯を堪能する。そののち車を下北山村に進め、昼飯に茶粥なぞを食べてしばしまったりする。169号も実は通行止めがあり、迂回路を利用して事なきを得るが、台風の爪痕の凄まじさを感じさせるイベントがこれでもかとばかりに襲いかかる。その最たるものが七色ダムの放水であり、洪水吐より勢いよく放出された水が勢いよく跳ね上がる設えがあり、凄まじいまでの水芸を堪能する。川の水であるにもかかわらずほのかに潮の匂いがしたのであるが、もしかしたらこの潮の匂いは水くさい匂いをそう感じただけではないのかと思いつつ車をUSJのアトラクションと思しきトンネルへと進め、滝を見るなどという紆余曲折の末に本日の目的地雲取温泉に到着。濁りが復活したと言うことだけあって見事なまでに白く濁った湯を満喫する。以前がそれほど濁っていなく、最近の地震の所為で濁りが復活したと言うことであるが、以前の濁りが甘かったころに訪れていないので真相の程は判らないし、草津ハップを使うという禁断の手法を回避したことは他力本願であったとしても評価するべきことであろう。温泉を満喫した後に太平洋側に出て、うまいマグロの回転寿司を食して満足し、かなりくたびれながら帰宅。帰宅したら新潟でものすごい地震があり、交通がかなりえらいことになっているということを聞く。地震のおかげで濁りが復活した温泉に行った日にそういうことになるという巡り合わせだけではなく、もし本日雲取に行ってなければ松之山に行っていたと思われるので、被災地の皆様には失礼な物言いになるかも知れないが、偶然にして素晴らしいまでの回避ができた奇跡に我ながら驚くばかりであった。戻る↑正味な話、松之山に行くことを回避させてくれた人に感謝。
帰宅してみたところ、Windowsのアップデートのお知らせが来ていた。まあアップデートでも何でもやって下さいよと画面に出る指示の通りにやっていたのだが、どうやらWindowsXPのサービスパック2のアップデートであった。3ヶ月ぐらい前に大騒ぎしてアップデートしたように記憶していたのだが、どうやらそのときは中途半端な状態で終わっていたようで、今回いちからやり直しと言うことになった次第。やれシステムのアーカイブを作っていますとか、システムの保存をしていますとか、必要なファイルのコピーをしていますとかという画面が出て、随分と時間がかかって終了。再起動しても大して何が変わったと言うことは感じ取れなかったのだが、無駄な監視が常時入ったみたいで、セキュリティの緊急警告というものが出されていた。ノートンさんと相性が悪いのかどうも認識してくれないようで、タスクトレイにそのアイコンが出たままという今ひとつ嬉しくない状態であるが、システムを元に戻すというのもばからしいのでそのまま放置プレイすることとした。夜になって大学で青酸カリば無くなったと大騒ぎになってというニュースが飛び込んできたが、20年以上前の青酸カリは間違いなく酸化されて無毒化されているので何を騒ぐ必要があるのだろうかと考えてしまう。和歌山のヒ素カレー事件のあたりで試薬の管理を五月蝿く言われるようになり、それなりに気を遣ってめんどくさいシステムを作って対処したはずであるが、そのときにめんどくさいという理由で放置していた研究室もあり、今回それが明るみに出たのがマスコミの餌食となったというのが真相だろう。事の本質を理解しないと大変なことになるものだ。戻る↑

朝より温泉巡りを再開させる。まずは南黒川温泉を目指す。竹林の中に味わい深い露天風呂を幾つも配置したという「竹ふえ」の温泉は素晴らしいのだが、冬にここにはいることを考えると些か辛いものがあるなあと思いつつ、源泉の素晴らしい温泉を満喫する。温泉の業界では今ナンバーワンの名前を恣にしている黒川温泉であるが、日本人のノスタルジーを駆り立てる要素がつまっているし、源泉にこだわっていることも手伝って、町おこしとしては大変素晴らしいものであることを否定するつもりはない。しかしながら、今の日本人の大多数は田舎へのノスタルジーを感じると言っても、そんなステレオタイプの田舎をふるさとに持つ人はごく少数であり、作られたノスタルジーに対する回帰が如何ほどの癒し効果を示すのかは僕にとっては懐疑的である。そんな黒川温泉をあとにして、本日一番行きたいと思っていた寺尾野温泉を目指す。農道をひた走ると極めて控えめに寺尾野集落への案内がなされており、集落内には温泉の案内は皆無である。この状況で如何にしてその至玉の温泉を見つけ出すことができようものかと思ったのだが、温泉の神が舞い降りたかのように田圃のあぜ道に誘われ、あばら屋の向こうにある湯小屋独特の湯気抜きの屋根を見つけた時は感動の嵐に包まれていた。ぬるい硫黄泉という素晴らしい温泉は静かであり、観光客が来ないことがその価値を高めている気がしたのはかなり身勝手かも知れないが事実であった。寺尾野のお湯を満喫したあとはハゲの湯に出向き、湯の花がこってりと舞う素晴らしい湯を満喫する。その後湯布院経由で長湯に向かい、ゴールデンウイークの時は芋の子を洗うかのような混雑ぶりであったガニ湯を独り占めし、大丸旅館で日本一の炭酸泉を満喫していざ大分へ。大分にはいるところでしばしの渋滞があり、そのせいで大分駅前のレンタカー屋に車を返却した時点ではおそらくホーバークラフトには間に合わないと言うことが判り、致し方なく車をそのまま大分空港まで借りることとした。大分空港には割と余裕を持って到着することが出来、世にも珍しい瓶コーラの自販機などを見物していざ搭乗へ。帰りの機材はボンバルディアであり、革張りのシートと狭い室内に、これぞ飛行機という味わい深さを堪能できた。CAのおねえちゃんがかなり大柄に見えたのであるが、あれはきっと飛行機が小さかったからだろうとかなり無責任な発想をしてみたりする。今回の温泉巡りは8湯とかなりのハイペースであり、疲れていたので帰宅して速攻で寝る。とりあえず、無事大分から飛ぶことはできたのだが、ホーバークラフトだけが心残りで、またもやここに来る理由ができてしまったと懲りないことを考えていたりするものであった。戻る↑
めでたく快晴に恵まれ、今週末は九州へと旅立つ。今週何故九州なのかという意見はあるが、全日空のマイルが今年の暮れで8000マイルばかしが無効となってしまうのである。ならば利用するかということになったのが事の起こりで、折しも自遊人のパスポートは九州に8箇所も無料で利用できる温泉を紹介しており、これは利用しない手は無いということになったのである。大分空港発着を選択した背景には温泉への交通の便も考えられるのだが、去年の7月のリベンジということもあって選択したと言うことを否定するつもりはない。ということで、伊丹からA320で大分に出向く。保安検査場で三脚が検査に引っかかったり、CAのおねえちゃんが持ってきた新聞が木曜日のだったりというなかなか行く末を楽しませてくれるイベントが目白押しで大分に到着。空港でレンタカーを借り、温泉巡りは始まる。さくさくっと行った場所を紹介するならば、明礬温泉、天ヶ瀬温泉、奴留湯温泉、山川温泉である。明礬温泉では湯の花を取る藁葺きの小屋がいまだに稼働していたりするし、地獄蒸しプリンという不思議な名物があったりしたのが印象深かった。別府湾SAで団子汁なんかを堪能して車を天ヶ瀬に進め、素晴らしいまでの露天風呂を満喫する。これまで天ヶ瀬には豪雨の時しかいったことが無く、川縁の温泉がいつも水を被っていたのだが、今回初めて張れた天ヶ瀬を見ることができたのが趣深かった。天ヶ瀬で桜滝を鑑賞しながら温泉に入り、その後慈恩の滝を見物しつつ車を奴留湯へと進める。奴留湯は地元のじいさんの何をしゃべっているのかさっぱり判らない自慢話を聞きながらぬるめの硫黄泉という貴重な温泉を心ゆくまで堪能する。そののち車を山川に進め、滝を見ながらの温泉をこれまた堪能する。温泉を一通り堪能して久留米へと車を走らせ、久留米の友人と合流。友人は困ったことに明日僕が来ると思っていたのか晩飯を既に食ってしまっており、致し方なくうまいラーメンの店を教えて貰い一人で出向く。久留米に来たのに何故か醤油ラーメンを堪能し、車を更に進める。烈しいまでの眠りが襲いかかり、どこをどう走ったのかと言う記憶が曖昧なまま熊本に到着。道の駅でそのまま爆睡する。戻る↑

昨日は1湯のみと些か消化不良であったため、本日はこれでもかとばかりに温泉を満喫することとした。まず、有福温泉に出向き、皐月湯、御前湯、やよい湯の3湯を全て制覇するというかなりお馬鹿なことをやってしまう。この3湯は皐月湯がややぬるめ、御前湯が程よく熱め、やよい湯がかなりぬるめであった。御前湯の上で湯あたりした体を休めるためにうだうだと身体をほぐしたり、最後の人は電気を消しましょうという管理人不在のやよい湯を満喫したりしてまったりと過ごす。その後車を益田に進め、重量制限が3トンで前の車が渡り終わってから渡りましょうという味わい深い橋を渡ったりして柚木慈生温泉へ。この温泉はとりあえず異様に濃い炭酸泉であり、肌があっという間に泡だらけであり、ぬるめの炭酸泉好きにははっきり言ってたまらない場所である。
しかしながら全く名前が売れていないのは最近採掘されたばかりであり、また交通の便が宜しくないことも手伝っているのだろう。できればこのまま密やかに続けてもらいたいなどと勝手なことを言いたくなるほどそのお湯は素晴らしい。この温泉を満喫した後に長門湯本温泉へと向かう。昔からあるこの温泉は2つの共同浴場があり、恩湯と礼湯の両方に出向く。長門湯本は温泉がぬるめであり、長湯できるいい温泉であった。温泉でまったりして味わい深いJRの駅などを鑑賞した後に仙崎経由で青海島へ向かう。青海島では夏みかんの原木などという不思議な観光名所があり、そこに出向くと地元のおばちゃんに、「あんたそっちから写真撮らんとこっち側から撮りんさい」という指導を受けるが、所詮は西本さんちの庭に植わっている一本の樹であり、庭に堂々と石碑だの説明碑だのが鎮座され、見ず知らずに観光客に庭を覗かれる西本さんの心中や如何にという気がしつつも観光客としての責務はしっかりと果たす。そののち通(かよい)という集落にある鯨の墓を見物し、すっぽんにいさん、もとい日本水産が奉納した捕鯨用の銛を見たりして仙崎に戻る。仙崎で引き揚げ港跡などを見たりして駅にたどり着き、駅前の寿司屋で旨い魚を食らい、俵山温泉へと向かう。俵山温泉は昔ながらの湯の町の雰囲気を残す素晴らしい温泉街であるが、共同浴場の町の湯、川の湯とも近代的な設備と循環湯故に味わい深さが激減し、かなりがっかりしてしまったのだが、本日の温泉がどれもこれも味わい深すぎたためであろうと気を取り直す。その後寝場所を求めて西に向かうが、中国山地にはコンビニが存在しないため、寝酒の調達がまま成らず、結局戸河内まで戻ってようやく就寝。戻る↑
昨日の台風の所為で珍しく出かけなかったため、土曜日の朝を珍しく自宅で迎えることとなった。台風は東に完全に向かってしまったので、東に行く予定さえ立てなければ大丈夫であろうというかなり自己中心的な思想のもとで、目的地を西に変更しいざ出発。はっきり言って「懲りる」ということを知らないのであろう。今週末の目的を中国地方の温泉巡りとしてみたが、まずは気になるところに出向かねばと日本で一番地上高が高い駅を目指す。日本一高いところにある鉄道の駅はJR小海線の野辺山駅であるが、地面から最も高いところにある駅はJR三江線の宇都井(うづい)駅である。三江線は最近(といっても20年以上前)にめでたく全通した路線であり、宇都井は最後にようやく完成した区間にあるためトンネルとトンネルの間にある駅である。最近の交通建築に良くあるパターンで、トンネルを短くしてトンネルとトンネルの間は高架橋でつなぐという手法を取り、この高架橋に無理矢理駅を作ればこういうことになるのだろうと116段の階段をてくてく登りつつ一日上下併せて8本しか来ない列車を待つ。タイミング良く列車を撮影して車を温泉津温泉に向かわせる。温泉津の元湯に入り、味わい深い濃い温泉を満喫する。ぬるい湯でも十分すぎるほど熱い湯であり、熱い湯は2分以内にしておきましょうという但し書きを遵守し、屁タレにも15秒で飛び出る。その後車を浜田に進め、道の駅で没する。戻る↑
8月1日より利用が可能になったPiTaPaであるが、申し込んでみたものの「引落口座のハンコがちゃう」とか細かい難癖を付けられ一度は挫折していたし、仕事が忙しくて放置プレイしていた。ようやく仕事もヒマになったので再度申し込んでみたところ昨晩無事HANA PLUSカードが届いた。阪急はこのカードの利用を非常に積極的に推し進めており、日々利用する電車にこんな誂えもののヘッドマークまで付けるという宣伝ぶりからその熱意の程が判りそうなものである。本日より早速使ってみたのだが、確かにカードを改札機に入れないという体験はおもしろいものであり、しかもプリペイドではないというところがこれまでにないことで、Suicaやicocaのように「ああ、あとなんぼしか残ってへんからそろそろチャージせんといかんなあ」という心配は要らないのがかなり楽しい。ちなみに後払いでクレジット機能も付いているため、感覚は「電車に乗れるクレジットカード」である。ただ、カードであればカード番号や氏名を凸で示しているのだが、今後改札機を通すことを考えているのか不明であるが、HANA PLUSは凸部のない平らな代物である。クレジットカードなのでご利用限度額というのが併記されていたのだが、「月額15万円」というのはJRでもない限りそんなに利用できるわけないやろとツッコミを入れたくなるものであった。多い日も安心にも程があるという感じ。ちなみに小銭のたっぷり入った財布に入れたままで自動改札の接触部分に財布を押し当てても感知するので、荷物が多い時は取り出す手間が入らないということでかなり重宝しそうなきがする。ついでに最後に行っておくと、ハンコちゃいまっせという理由で突き返されたのと同じハンコでカードの審査が通ってしまったのはいまだに腑に落ちないところ。まあ、使えるから良いか。戻る↑

かつての冷戦下の世界は、СССР(Союз Советских Социалистических Республик)という対抗馬がおり、アメリカは不思議なイデオロギーを掲げていてもさほど違和感なく受け入れられていた。ちなみにСССРと書いて「エスエスエスエル」と読むらしい。Soyuz Sovetskikh Sotsialisticheskikh Respublikということなのでその頭文字を取るとそうなるということだろうか。ちなみに英語表記ならば「Union of Soviet Socialist Republics」ということでUSSRということになる。さて、冷戦下のソ連に思いを馳せるのはどうでもいいことで、ここ2年ばかり音楽シーンで物議を醸し出していたCCCDのお話である。法整備が科学技術の進歩に追いつかないため、業者が自衛の手段として編み出した技であるCCCDは、リッピングができないCDであり、これで違法コピーを烈しく防ぐことができると業者はほくそ笑んでいた。しかしながら時代の流れは冷酷で、CDという媒体はエンドユーザにとっては音楽を受け取る媒体に過ぎず、この媒体を利用して何度も音楽を再生させることはもやは行われなくなってきている。それ故、個人が個人の自由な形で音楽を楽しむ権利としてリッピング当然のように行われるようになり、リッピングができない小賢しいCCCDはその融通のきかなさ故にソフトとしても魅力をシステムが消耗させているのである。こんな背景を受けて、これから先CCCDの発売はやめるということになったらしい。今僕の手元にもこの2年間に発売されたCCCDがかなりの枚数あるが、これらのCCCDは過渡期に時代の徒花として存在した歴史の証人として残されるであろう。「ネットワーク等を通じてこのCDに収録された音を送信できる状態にすること」を禁じることは著作権法の為せる業であるが、音楽をいつでもどこでも聴くことができるというコンセプトから行けば、CDというメディアを購入することは今後も残ることであろう。ちなみに先日アマゾンで購入した杉良太郎作品はCCCDであった。戻る↑
何もなかったように平和な月曜日がやってきた。本日は極めて平和である。上司は週末の運動会で張り切りすぎて肉離れで会社を休み、部下は定時にはさっさと帰る、日本のサラリーマンの鑑である。さて、本日さっさと帰路についたのは散髪に行ったとか、二ヶ月半もの間放置プレイしていた腕時計を時計屋にようやく取りに行ったとか(2004年7月21日参照)、いろいろなことがあったりする。久しぶりに京都をぶらぶらしていたところ、突発的に機種変をすることとなった。機種変をしたのはauの方で、最近着信音が鳴らないという問題を抱えていたので今こそその時期とばかりに挑んでみた。ちなみにwinにする気は起こらなかったので無難に辞書の賢い東芝製にし、A5506Tお買いあげ有難う御座いますという結果に相成った。今回の携帯はどれくらい持つのだろうかと思いつつ、お財布ケータイのwinで東芝製が出たら早速機種変しそうな勢いなんだが。戻る↑

朝早く家を出て伊丹空港を経由して成田に向かう。成田に向かうとなれば海外旅行ですか?と訊ねられそうなものであるが、そうではない。成田は北関東、東関東へのゲートウェイなのである。本日もご多分に漏れずつくばの友人に迎えに来させていざ土浦を目指す。本日は日本最高レベル、つまりは世界最高レベルの花火師達が己の腕の限りを尽くして戦う花火競技会の日である。この火の玉の祭典を見ようとおぞましいまでの人が土浦に押し寄せ、会場となる河川敷は超満員である。席取りは殺伐としており、12時まで河川敷に立ち入ることを許されていなかったり、烈しいまでの交通規制を敷いていたりしているのだが、友人に桟敷席を予約させてのほほんと花火見物と洒落込む我々はそんな喧噪とは無関係にかぶりつきの良い席に陣取り、持ち寄った酒のつまみや北海道土産のサッポロクラシックをジャスコからせしめた氷で冷やしつつグビグビやり、夕刻より始まるであろう花火に心を躍らせていた。ここの花火を見たらよその花火は見れないと言うことは尤もであり、確かにレベルの違いを感じ取ることができたのは事実であった。10号玉の美しさに感動し、創作花火でムンクの叫びを見たり、スターマインで素晴らしいまでの音楽とのコラボを見せてもらったりして花火を堪能した。ちなみに写真を大量に撮ったのだが悉くピンぼけで、次こそは素晴らしい花火の写真を撮ってやるぜとリベンジを誓ったのであった。たぶん来年も行くであろう、そんでもって来年は大曲にも行ってそうな気がするなあ。ちなみに帰る時に会場から駅までは歩いたが、花火という一瞬の光芒に賭ける人たちとは対照的に、いつになったら帰れるのだろうかと些かげんなりして超満員電車に揺られたのはお約束。戻る↑
趣味がマニア系であることを否定するつもりはない。マニアが生活できる国は豊かな国であるというのが持論である。日本の政局が安定している証拠はかつての権力者が逮捕されなくなったことである、というのもこれまた持論である。さて、そんなマニアであるが故にきっとアマゾンでは「マニア系」というカテゴリーに僕の名前とメールアドレスが登録されているのであろう、何せ「マツケンサンバ2」を買ったからなあ。ということで全国に数万人はいるのでは無かろうか知らんと言うマニア達にアマゾンは「杉良太郎の『君は人のために死ねるか』いりませんか?」というメールを投げて寄越した。きっとマツケンサンバを買った客にはもれなく送っているのだろうという妄想が入っているがかなりの確率で当たっていると思われる。ということで、またもやアマゾンで面妖なCDを買うことと相成った。届いたら早速聞いてみようと思うが、「君は人のために死ねるか」は作詞が杉良太郎本人であり、アリスの『チャンピオン』にインスパイアされてこの曲を書いたと言うところが凡そ判らない。凡人には判るわけがないのであろう。戻る↑