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本日の講習会は昼からなので、朝から時間を持て余す。ならば東京観光でもしてみようと言うことになり、いざ上野へ。上野公園という平日朝っぱらから出向くには些か勇気の要る場所に出向いてみる。不忍池は蓮の葉の向こうに高層ビルが伺えるという不思議な光景が繰り広げられ、東叡山寛永寺弁天堂の周りには魚や鳥や河豚や鼈の碑が掲げられ、それらを存分に捌いたであろう包丁や、それらを存分に運んだであろう車や、それらを存分に見たであろう眼鏡などが同じように祀られていたのが趣深かった。そのあと国立科学博物館や東京国立博物館などに出向く。博物館の前のベンチは20年前から不法占拠をされているような出で立ちのおじさま方が生活臭も露わに鎮座されており、上野という町の奥深さを少しばかり実感する。国立科学博物館は五月蝿いジャリどもで溢れかえり、味わい深い陳列品の鑑賞もそこそこに退散。東京国立博物館へと出向く。常設されている日本の国宝をこれでもかとばかりに陳列している様を鑑賞し、まるでこの建物に京都が丸ごとすっぽり収まっているような感情を抱いたのであるが、東京はここ以外はどこを探しても国宝が存在しないと言うことに思い当たり、歴史の違いというものをまざまざと見せつけられたのでなんだか勝ち誇った気になってしまう。しかしながら、本館の傍らに控える法隆寺宝物館は、たかだか一寺院に過ぎない法隆寺にこれだけの素晴らしいものが収蔵されているということを垣間見せており、その奥深さに潔く負けを認める。午前中をそのように過ごし、午後は昨日と同じ講習会場へ。講習は無事終了し、後輩と新橋に飲みに出かける。地鶏のうまい店でうまい焼酎をしこたま飲み、最終ののぞみで帰宅。東京に何しに行ったんだろうかと思いながら没する。戻る↑
今月の後半はひたすら会社にいない日々が続く。本日も今度部署に導入するソフトウェアの講習会ということで東京まで出向くことと相成った。最寄りのJRの駅まで出向き、そして今から乗る新幹線の切符を買うという泥縄ぶりを発揮する。ちなみにみどりの窓口のオヤヂも強者であり、8時38分に8時40分に出る電車でギリギリ連絡可能な新幹線の切符を押さえるという暴挙に出ていた。会社の出張なので領収書が入るということで書いてもらっていると、みどりの窓口の向こうに乗るべき列車が到着したので大急ぎで飛び乗る。斯様な綱渡り的芸当を強要するJR西日本は侮り難しである。
必要以上の綱渡り的芸当で東京に到着してしまったので時間が随分と余り、仕方がないので湘南新宿ラインにでも乗ってその速さぶりを満喫してみようかと思い、県日的にもおいしい埼玉県へと足を進める。普通列車のグリーン車という関西人にとっては凡そ理解できないものの発券機がホームには設えてあり、来月のダイヤ改正を今か今かと待ち受けているように思われたが、グリーン車というのは名ばかりで要するに「○○ライナー」の整理券のようなものだということで納得をした次第。ちなみに湘南新宿ラインを赤羽から利用してみたのだが、埼京線の方が速いのでいまいちそのありがたみを理解するには至らなかったのが残念といえば残念。新宿で後輩と待ち合わせて本日の講習会会場に入り、講習会は開始。途中睡魔に敗れつつも講習は無事終了する。同業他社の綺麗なおねえちゃんが一緒に講習を受けていたのだが、実は後輩の大学の先輩と判り、こんな素晴らしい偶然であるならば是非ともお話させて頂かないとと思い至ったのであるが、行き着くところは後輩をお兄さんと呼ばなければならない現実であるということを理解するのが明日の酒の席であったことはこの時は知るよしもない。本日の業務は無事終了し、本日の飲み会場である品川に歩を進める。三菱のやる気がまるで感じ取れないミュージアムなんかを冷やかして本日の飲み会場で兄と合流。いまいちいけてない店員とか日本語が不自由な店員とかがうじゃうじゃいるけども素晴らしい焼酎が取りそろえられている店でしこたま焼酎を頂き、本日の宿である兄の家へ。戻る↑
朝、入道崎の沖合を航行中という艦内放送で目が覚める。昨日買っておいた朝飯を食べながらぼんやりと過ごし、風呂の準備ができたという放送を聞いて朝風呂と洒落込む。海を見ながらの朝風呂は素晴らしく、風呂上がりにゴキュッと生ビールをやってまったりと船旅を楽しむ。乗船した「はまなす」は今年7月に就航したばかりであり、随分と新しい船であるため設備もゴージャスである。船の中で海を見ながら飯を食ったり写真の整理をしたり、日記を書いたりして過ごす。パソコンを持ち込んでいたので、訳の判らない客から「インターネットはできるんかいのう?」などという質問を受けたり、2週間前に撮影した写真を今頃になって整理していたところを北海道から帰ってきたという夫婦連れが見ており、なぜかこんなところで奥津温泉について話を始めたりする。その夫婦連れが3ヶ月も北海道にいたのに対し、こちとら1日しか北海道にいなかったので北海道でどこに行ったのかという話になったのだが余り深い話はできようもなく、へいそうですかというこっちが一方的に聞く形になってしまうのは致し方ない。携帯電話はずっと圏外であったが、舳倉島の沖合でauは電波を拾い、そのときを狙ったかのようにメールが飛び込んできたのが趣深いものであった。Vodafoneは越前岬のあたりで電波をようやく拾い、それからは拾ったり拾わなかったりであった。それにしても17000トンという船はゆったりとした設備であり、飯もなかなかうまいというものであった。たぶんこの程度まで設備が整っているのであれば、クルージングというのはこれまた楽しいのだろうなと思ったりもした。しかし、小樽から20時間で舞鶴なので、車をいくら走らせてもそれで自宅に辿り着くかといわれれば疑問だし、その間ずっと運転することを考えれば、明らかにこのフェリーは有難いものである。フェリーで思い出したのだが、そういえば株主である某海運会社は株主優待の半額というところを今後3割引にしてくださいとお願いしてきたことを思い出した。たぶん金券屋に流れている株主優待券を利用されることで実入りが減るということを危惧しているのであろうが、割引率が減ることで他の会社に乗り換えられては元も子もないと思うのだが。まあ、他の会社は一切割引をしていないのでそれで良いのかも知れない。それにしても味わい深い休みであった。ここまでたっぷり温泉に入ったのは久しぶりというか初めてである。船で丸一日休んだことになるので、最後にフェリーを使うのは良い作戦なのかも知れないと思った次第。戻る↑
大沼公園の道端の駐車場で目が覚め、まずは日暮山展望台に向かう。大沼公園を一望できるこの展望台は素晴らしいものであり、プリンスホテルにあるゴルフ場がその景観を台無しにしている気がしないでもない。そんな大沼公園をあとにして森へと向かう。森駅では駅弁として名高いいかめしを購入し、明治天皇がここに降り立ったという噴火湾をショートカットしていた航路の船着き場跡を見たりして時間を過ごす。そのあと落部から上の湯温泉を目指し、銀婚湯温泉で味わい深いお湯を満喫する。宿に掲げられた「結婚○周年は○○婚です」というリストを見て銀婚式って所詮は折り返しなのねんと思ったりもしたが、銀婚の記念にここに来るかなあと思うと微妙だったりする。
ちなみにこの温泉の少し手前に「金婚の湯」というところがあったのでなんだかなあという気がしたりもする。そのあと車を進めてなんとなくふと目に付いた函館本線の駅に行ってみる。折しも5分後に列車が来るということなので撮影を行い、かつての車掌車を改造したであろう待合室でいかめしを食する。いかめしを食したあとはニセコ薬師温泉に進み、混浴の濁り湯で温めの炭酸食塩泉を堪能する。混浴であることはついぞ気が付かなかったのだが、風呂上がりに女性が入ってきて、ほう、そうであったのかと思いを新たにしたぐらいで特に感慨が湧かなかった。
混浴というのは北海道や東北ではそれほど珍しいことでは無いのだなあということが今回の旅行で判ったことであり、風呂に入っているときは気分がいたってニュートラルなので女性が入ってきても入っていても余り気にならないものだなあと思ったりする。僕はそう思って気構えているのだが、女性が自意識過剰であるとどうもそういうわけにはいかないようで、混浴というのが本来の姿であり、別々にはいるという不思議な慣習を定着させた時の指導者の思惑は如何ばかりであったものかと思うようにもなった。さて、そんな味わい深い温泉をあとにして岩内にある円山温泉を目指す。温泉は普通の温泉旅館というか北海道では珍しい数寄屋造りであり、浴槽が吉野檜であるというのが意外であった。ここは素晴らしい温泉というよりはなかなか良い感じの温泉旅館であり、特に温泉について感慨を覚えるものではなかった。
その後倶知安で給油してドロドロになった車を洗車し、いざ定山渓を目指す。倶知安から札幌につながる一般国道230号は山道に凄まじいまでの登坂車線が整備され、こんなハイスペックの山道は見たことがないというものであった。札幌という大都市へつながる道であるためこのようなまでに整備がなされていると考えられるが、京都に入る道が全てこんなに整備されているかといわれればそれはあり得ないことであり、モータリーゼーションとか冬の積雪を考慮した結果がこのような道路を造らせたのであろうと思う。定山渓では豊平峡温泉という日帰り施設を利用するが、都会の郊外にある適当な日帰り温泉施設かと思えば大違いで、洗い場の千枚田といい、温泉の濃さといい、その素晴らしさは見くびっていてすいませんというところであった。風呂上がりに何故か温泉に併設されているインド料理屋でカレーを食し、何故かこの山間できびきびと働くインド人のかなりこなれた日本語を聞いたりして、札幌の奥深さを感じ取ったりする。そのあとは札幌から、まるで別大道路のような凄まじいまでの流れの道を堪能して小樽に着く。小樽で運河の写真などを撮影してフェリーターミナルへ向かい、乗船して雑魚寝部屋へ。疲れていたのでさっさとサッポロクラシックを数本空けて寝る。戻る↑
関西人にとって東北地方は馴染みが薄いところが多い。昨日温泉を堪能した栗駒山系もそうであり、その前日に堪能した吾妻山系もそうである。素晴らしい温泉を抱くこれらの山を知らないから、抱かれている温泉も馴染みが薄いというものなのであろうが、温泉がまことに素晴らしいのでこれらの山々は記憶に残ることであろう。さて、本日もそのような素晴らしい山に出会うことができた。山という表現がどうかは判らないが、八幡平である。社会科の時間に「十和田八幡平国立公園」という名前は聞いたものの、十和田の方が遥かにメジャーであり、八幡平とやらは何かおまけで付いてきたかのように勝手に考えていたのであるが、それは大きな間違いであり、その素晴らしさを心ゆくまで堪能することとなった。まず、松川地熱発電所に近くにある松川温泉では素晴らしい露天風呂と岩より沸き出る素晴らしい源泉を堪能する。そのあと車を後生掛温泉に進め、天然の泥パックなどを堪能する。この後生掛は以前出向いた酸ヶ湯を彷彿とさせるものであり、東北の山間の温泉宿とはこういうものなのかという認識を新たにさせられた。後生掛からは車を北に進め、碇ヶ関で昼飯を食べていざランプの宿として名高い青荷温泉に向かう。国道から分岐して青荷温泉に向かう道には手作りの津軽訛り丸出しの看板がこれでもかと掲げられ、なかなか楽しませて貰いながら温泉へと向かう。
温泉の中でもやたらとこの手の看板が目立ち、些か閉口したのは事実であるが、温泉自体は良いものであった。しかしながら、この温泉は田舎っぽさを追い求めるという都会人の少し歪んだ我が儘を受け取り、少しおかしな方向に向かっているように感じ取れたので、もう一度この温泉に行きたいかと考えれば疑問符が付く温泉であった。混浴の露天風呂もそうであるが、何か釈然としない作られた田舎という雰囲気が感じ取られたのでかなり残念に思った。「ランプの宿」という文明からの乖離を売りにしていることに限界があるということなのだろうか。そのあと車を青森に進め、フェリーで函館へ。船に乗るときのお約束として出航ギリギリにフェリーターミナルに駆け込むということを行い、いつもながらのギリギリぶりにいい加減それはやめておいた方が良いのでは無かろうかと思ったりもする。函館に到着し、うえぺけ号に46都道府県目を踏ませて友人と合流。友人が見つけてきた「地元民には好評らしい」という不思議な温泉に出向く。函館のど真ん中にあるというのに、温泉にたどり着くにはダートであるとか、NTTのグラウンドの横に併設されているとか、浴槽が3つあるがそのいずれもが太い土管を輪切りにしたものであるとか、露天ぶりにはいることができるがその露天風呂は塀を現在作成中で、電気ノコギリの烈しい音が露天風呂に響き渡るとかと極めてアバンギャルドであったが、温泉の成分はかなり濃そうであり、なかなか楽しい湯であった。その後友人と別れ、いざ森まで進もうとしたが、体力の限界を感じ取り大沼公園あたりで没する。戻る↑

朝起きて、まずはくりはら高原鉄道の終着駅である細倉マインパーク前に出向く。三菱金属鉱業(現在の三菱マテリアル)が所有していた細倉鉱山までの貨物船が旅客扱いをしていた鉄道であるが、鉱山は閉じられ鉄道もなくなる運命であったがいまだに生き残っているというものであり、相当寂れていた。細倉マインパークは昔いった友人曰くパラダイスであるようで、まあ鉱山跡のテーマパークとしては順当な余生の送り方をしているようである。駅前には三菱が作った病院が廃墟としてそのまま残されており、時の流れを実感する。その後車を鳴子の川渡温泉に進め、共同浴場で朝風呂を満喫する。本日は8時から掃除だということであったが、ギリギリそれまでに入浴を済ませることができ、その味わい深い素晴らしいお湯を満喫する。鳴子で朝飯を食べて車を北上させる。途中鬼首峠では現道のトンネルで性能試験を、旧道で味わい深い山道を堪能し、秋の宮温泉郷の鷹ノ湯温泉を目指す。鷹ノ湯温泉は露天、野天で素晴らしいお湯を堪能し、内湯の1.3mという深い風呂に感動する。ここで立て続けに風呂に入ったためか少し湯あたりしてしまい、風呂上がりの休憩室で山積みになっていたゴルゴ13をつい読んでしまい、1時間ばかりが過ぎてしまう。湯あたりから回復し、湯沢から一路泥湯温泉を目指す。
途中稲庭で稲庭うどんを食する。名前がここまで売れてしまい、本物にお目に掛かるのは3ヶ月待ちだとかという明らかに間違ったプレミアの付き方をしているこのうどんであるが、地元の普通の店で普通に掛けうどんとして食べる素朴なうどんは殊の外旨く、昔からここではこのように食されていたのだなあというその素朴な味わい感動する。その後道路の脇からも硫化水素ガスがぼこぼこ吹き上がるというかなり地獄である泥湯温泉に到着し、味わい深い温泉を堪能する。本日は風が強く、露天風呂では買いにあたり風は気持ちよくついつい長湯をしてしまう。風呂上がりにラムネなんかをぐいっと飲んでさっぱりし、次なる温泉を目指す。次に出向いた温湯温泉は御番所風呂として昔からある温泉宿であり、その昔は寒湯と書いていたそうであるが、栗駒山系の活動が盛んになり今は結構熱い湯が湧くようになったということである。この温泉宿は昔の小学校のような雰囲気がある建物で、風呂上がりに素足で板敷きの渡り廊下を歩いたときなどはここに来て良かったという気がする素晴らしいものであった。その後車を北上させ、盛岡で友人と会って適当に話をし、その後道の駅西根で没する。戻る↑
土湯で目が覚めて本日の行動を開始する。まずは気持ちよく山道を走り土湯温泉へ。温泉街の入り口にあるローソンは色が水色ではなく藍色で、祇園の前にあるローソンを思い出してしまった。このローソンはやたらと店長が親切で、コーヒーを飲むコップを洗ってくれるだけでなく、お勧めの温泉ということで土湯温泉郷の中の温泉まで紹介してくれるという手厚いもてなしぶり。しかしながら本日は他の温泉に出向く予定が山積みであり、丁重にお断りして先を急ぐ。まずは福島の微温湯温泉を目指す。ここは山奥の一軒宿であり、温い炭酸泉が滾々と湧く宿である。その温泉の素晴らしさを堪能し、次いで高湯温泉に向かう。この温泉は硫化水素泉の素晴らしい温泉であり露天風呂が半混浴になっていたのであるが、生憎露天風呂は貸し切り状態であった。この温泉は湯の花の量が凄まじく多く、普段は滅多なことでは上がり湯を使わないのだが、ここでは上がり湯を使うこととした。その後車を福島市内へと走らせたが道端ではサイン会が行われており、なんとなく怪しいと思ってい減速していたのが奏功したようである。福島からは鳩峰峠経由で高畠に向かう。鳩峰峠を経由する一般国道399号はなぜか宮城県を一瞬だけ通過し、稲子という5軒しか家のない不思議な集落がそこにはある。国道は冬の間通行止めになるが、この集落へとつながる烈しい山道である林道は通年通行可能であり、どうも腑に落ちないものがある。

この道は平日昼間は通行止めということで本日が休日であったことを大変嬉しく思い山形県へと進む。高畠から南下して米沢に向かい、板そばを食べようとしたが売り切れなので仕方なく天ざるを頼んだりして昼飯を済ませ、米沢の奥にある白布温泉を目指す。白布温泉の西や旅館は滝湯という風呂が有名で、滝のように怒濤の流れ込み方をしている熱めの温泉がこれでもかとばかりに掛け流しにされているのが素晴らしい限りであった。その後米沢から寒河江に抜け、左沢の最上川に架かる橋が新しくなっているのを確認したりして、去年行きそびれた肘折温泉を目指す。寒河江から肘折温泉に向かう道は国道でありながら延々とダートであり、この道を経由して肘折に行く人が果たしているのだろうかと思いつつ楽しい道を堪能する。CDの音が何度と無く飛ぶのはお約束で、車はドロドロになりながら無事肘折に到着。しかしながら共同浴場はすでに閉まっており、仕方なくすごすごと引き返して尾花沢に出る。大石田で温泉に入り、いざ鍋越峠を越えて古川に。この峠をずっと品川ナンバーのEUNOSにせっつかれたせいか思ったより早く古川に到着。仙台の友人と飯を食いながら話をし灯台のチケットの購入を勧めておく。そのあとは花山に車を進め、道の駅で没する。戻る↑
有磯海SAで目が覚め、いざ東へと進む。JHの北陸支社では社会実験と称して高速道路料金を半値にするイベントを行っており、これに乗っかかって車を進める。上越からは下道を走り松之山に向かう。松之山では本来入る予定であった旅館千歳が「浴槽の掃除」ということで敢え無く入浴不可となり、向かいの共同浴場「鷹の湯」でその素晴らしいお湯を満喫する。泉質は珍しいホウ酸泉であり、源泉の温度が85度であるため加水してあるがそのお湯は素晴らしい限りである。旅館千歳と同じ源泉を使っている、というより旅館がこの源泉をもらっているという形であるため、お湯はこっちと同じであるため文句はない。また、旅館としてもきちんと掃除をしているのだからその態度は素晴らしいもので、タイミングが悪いだけであるため文句もない。そのあと只見線沿いに車を走らせ、大塩温泉の共同浴場や玉梨温泉などを堪能する。しかしながら本日一番感動したのは只見線である。只見線は日本で3本の指が入る豪雪地帯であるがゆえにローカル線でもその存在価値が高い。しかしながら、只見線が撮り鉄の間では烈しく人気を呼ぶのはその自然との組み合わせが絶妙であるからであろう。その功罪はいろいろとあろうが、車窓の風景は「この景色は以前見たことがある」というデジャヴを引き起こさせるものであり、それだけ数多くの只見線の鉄道写真が提供されているのだなあと思ったり、確かにこれは撮影スポットとして有名だなあというところには「ここから写真を撮らないでください。車の通行の妨げになります。」という立て札なんかがあったりでなんだかなあという感じ。そのせいか知らないけれど、只見駅の写真を撮っていたら、駅員がいきなり駅の照明を付けてくれたりしたのは偶然なのかサービスなのかよくわからないなあという気がしたりする。本日はその後も車を進め、土湯で休むこととした。とりあえず順調に進んでいるみたいで良いこと良いこと。本日の温泉は松之山、大塩、玉梨の3箇所。会津川口の共同湯は閉まっていたので入れなかった。残念。戻る↑

8時の土肥行きに乗ろうねと約束したが、友人も僕も目が覚めたのが8時半というのが極めてお約束。ということで10時半の船で土肥に渡ることとなり、港の近辺をぶらぶらして時間を潰す。清水港にある展示場には理解不明な代物が数多く展示されており、定価3万円という超ゴージャスなサッカーゲームが半値の大特価でで売られていたりする。乗り込んだフェリーにはたこ焼きの屋台が設置されており、うまそうな匂いが立ちこめていたので敢え無く陥落し、ハフハフハフハフとできたてのたこ焼きを頬張る。土肥から賀茂村に抜ける途中で恋人岬に出向き、世界の中心で愛を叫んでいる人が数多くいることを確認する。折しもそのドラマは西伊豆で撮影されていたということで、撮影現場を巡りませんかツアーなどが企画されていたのが素晴らしい便乗であると感動したりした。それならばいっそDr.コトー診療所もツアーを組めば良いのではないかと日本の最西端与那国島に思いを馳せたりするが、メグスリノキの上に目薬を括り付けたバカップル「ともぞう&よしえ」の功績に少し感動してその感傷は忘却の彼方へ。海を望むところにある鐘を鳴らしておよねと福太郎の伝説の愛の物語に感動もするが、姉妹協定を結んでいるグアムの恋人岬は愛が成就しなかったという悲恋の場所であるため、果たしてその協定は如何なものであろうかと一人ぶつくさ考えてみる。そんな恋人岬をあとにして、賀茂村にある三共食堂に出向く。三共食堂は小鯵寿司の店として有名であり、久々にその味わいに舌鼓を打つ。腹も納まったので大沢温泉に出向き、露天風呂を堪能する。
自遊人のパスポートにこの温泉が登録されているため客が無闇に増え、以前は半分混浴という粋な計らいをしてくれたこの露天風呂は完全に仕切られてしまい殺伐とした世の中の現実を垣間見た気がした。お湯は以前と変わらず素晴らしいものであり、以前は西伊豆を超高速でぶっ飛ばしてここに辿り着いたことを思い出しながら素晴らしいお湯を堪能する。その後友人の希望で河津の大滝に出かける。河津の大滝に向かう道はそこの温泉旅館の野天風呂が点在し、水着姿で闊歩するおねえちゃんを愛でながらついでに滝を鑑賞する。おねえちゃん、もとい滝を鑑賞したあとは重要文化財にも指定されている天城山隧道へと向かう。ここに来るのは実に3回目であり、何度来てもその見事な石造りのトンネルには感動してしまう。友人は滝といいこのトンネルといい、素晴らしい被写体に満足しきりであった。このトンネルを知ったのは井上靖の「しろばんば」であり、その小説に出ていた大仁から三島までの軽便鉄道が今の伊豆箱根鉄道駿豆線であることは有名である。友人に修善寺まで送ってもらい、その伊豆箱根鉄道で三島へ。三島でビールとつまみを買って新幹線に乗り京都へ。楽しい出張はこうやって終わり、帰宅してそのまま倒れるように眠る。戻る↑
本日朝から学会に出席し、仕事上聞いておかんとまずそうなものをえり好みして本日の仕事が始まる。ポスター発表で上司から「ポスターを撮影してきてくれ」と頼まれたものをデジカメに納め、適当に説明を聞いて仕事は無事終了。昼はもちろんタダ飯を食らうというランチョンセミナーに参加し、心地よく惰眠を貪ることとした。夕方学会会場をあとにして宿に戻り、清水港にあるエスパルスドリームプラザに出向く。会場に出張っていたJTBのおねえちゃんがお勧めですといってくれたすし横丁というところに出向いてみた。取れたての生きの良い魚を握ってくれるという有難い店で値段が書かれていないネタを片っ端から食らい、満足して帰る。時価というネタだといくら取られるのだろうかと心配したが、万札で釣りが来るという良心的な値段だったのでこれまた満足。宿に戻りうとうとしていると友人がやってきて飲み直す。明日は伊豆の温泉でも巡るかということとなり夜は更けてゆく。戻る↑
本日より学会というものに参加する。大学を卒業して早2年半が経とうとしているが、卒業間際に学会に出たのが最後でそれ以降は全く参加していないため、随分とこういうイベントとはご無沙汰である。会場の最寄り駅は東静岡であり、まるで空港の建物を思い起こさせるような必要以上にゴージャスな駅のコンコースに悪書追放ポストが設置されているというミスマッチを堪能し会場にたどり着く。とりあえず混雑してるということが嫌いなので、初日の参加手続きは早めに済ませてポスターを貼り、昼飯をタダで食らうことができるという有難いランチョンセミナーをさっさと予約して会場をふける。会場から少し離れたところにある飯屋でのんびりと朝飯を食い、今後の計画について一人作戦会議を行う。昼からはポスター発表ということで一応ポスターの前に立ち、来た人に適当に説明して本日は無罪放免となる。会場で顔なじみの同業他社と会い、昨日は清水の旨い魚を堪能したということを聞いたのでその店を紹介してもらう。駅にほど近いところにあるその店は確かに素晴らしい店であり、地元でしか消費できないであろう生シラスとか生サクラエビなんかをつまみにグビグビやり、サンマの刺身とか太刀魚の煮付けなんかを食べてご満悦。良い気分で宿に戻りバタンキュウで本日は終了。ううん、学会ってこういうもんだったなあと久々にその感覚を思い出させてくれる結構なひとときであった。戻る↑


中国地方は味わい深い温泉が多くあるが、そのほとんどは余り知られていない。本日は朝から味わい深い温泉ばかりを辿ることとした。まず朝風呂に選んだのが東郷温泉であり、JR松崎駅から専用通路を辿って達した寿湯は、極めてディープな地元民しか使わない温泉であった。貸し切り状態の温泉を満喫し、近所にある不動滝や今滝などを撮影して滝活動も満喫する。自遊人のパスポートには「土日は駄目です」と書かれていた奥津温泉の奥津荘と岩井温泉に駄目元で電話をしてみたところ、日帰り入浴ができるという返答を快くいただき、まずは奥津温泉を目指すこととした。どうも、日帰り温泉というのは宿にとってはお試しの要素が高いため、できるだけ気持ちよく入浴して頂きたいという思惑があるようで、芋を洗う状態とかナチスのアウシュヴィッツのガス室状態にすることは客が捌けてもリピーターが来ないことを勘案して快しとしていないようである。なので、客が来るであろう土日は表向きお断りしており、それでもどうしても入りたいから電話を掛けてきた人には快く入浴を許可しているのでは無かろうかと推測してみたりする。奥津温泉の奥津荘は、河原で湧いている温泉を区切り、その周りに建物を建てて温泉旅館としたという大胆不敵なものであり、江戸時代に殿様がいたくお気に入りとなって自分以外誰にも入らせないように浴室に鍵を掛けたことから「鍵湯」という名前が付いており、確かにその浴槽の底より滾々と沸くお湯は素晴らしいの一言であった。
奥津温泉は更に味わい深いことに、棟方志功がこの温泉を気に入ったので逗留したが、宿賃がないので自分の作品をその代わりに置いていったという粋なことをしたことでも知られている。しかしながら棟方志功は基本的には温泉が好きだったようで、青森の酸ヶ湯温泉でも逗留し、そこで製作活動に励んだというから実はただの温泉が好きの版画家だったのではないかと思ったりもする。奥津温泉を満喫した後に鳥取の岩井温泉を目指す。しかしながら途中には味わい深い滝があるため、なかなか岩井温泉にはたどり着かない。岩井の滝は名水に選ばれている岩井水が湧き出すところにあり、カップルがぐびぐびとその水を呷っているのだが、それは子宝の水として霊験あらたかということで売りだしているのだけどそれはどうなんでしょうかと思ったりもする。岩井の滝は滝の裏側にはいることができるいわゆる「裏見滝」であり、「いわい」なのに「うらみ」とはこれ如何にと訳の判らないことを考えてみたりもする。そののちも雨滝渓谷に立ち寄り虹の架かる滝という貴重なものを見させてもらい岩井温泉へ。岩井温泉はここも浴槽の底から滾々とわき上がる素晴らしいお湯に満足する。その後は大人しく帰宅。今回は久しぶりに鳥取から京都まで一般国道9号でずっと走ってみたのだが、最速ルートと信じて疑わない鳥取(R53)智頭(R373)佐用(中国道)滝野社(R372)亀岡(R478)自宅と30分ほどしか違わないと言うことが判り、次からはこっちを利用してみようと思ったりした。戻る↑


昨晩遅くに自宅を出発し、久しぶりに西に向かうこととする。予定では昨日のうちにかなり頑張ってみるつもりであったが、上月PAで敢え無くダウンし本日の朝を迎える。本日は島根の味わい深い温泉の探索を行うこととした。しかしながらいつもの通り、突発的にここに行ってみようというイベントがよく起こり、なかなか温泉にはたどり着けそうもない。大佐SAのハイウェイ情報端末はトロイの木馬に攻撃されているし、三次にある八千代滝と常清滝に出向いて楽しく撮影を行ってみたものの滝の前にかぶりついて写真を撮っているおっさんの所為でなかなか写真撮影は進まない。そんな撮影を済ませていざ邑智にある千原温泉に向かう。
千原温泉は炭酸泉であり、とにかくぬるいのであるが、浴槽の底から極上の特濃炭酸泉がポコポコプクリと沸き上がり、45分ほど入っていると体中がぽかぽかして来るという有難い温泉である。炭酸泉は長湯ができるため最近個人的にお気に入りなのだが、炭酸ガスというのは些か有毒ガスであり、浴場の壁には「扇風機を回さないと息苦しくなります」などというかなりおぞましい貼り紙がかかっていたりする。温泉でまったりしたあとは、近所にある竜頭の滝や雄滝雌滝などを鑑賞し、新しくツールとして購入した減光フィルターは如何ほどのものかと楽しんで撮影してみる。先週もすでに試していたのであるが、天候が思わしくないためその威力が十全には発揮されていなかったようで、単に呆けた暗い写真しか撮れていなかったので本日ようやくその良い仕事っぷりを見せてもらった次第。カメラとフィルターというツールは良いものなので、あとへぼいのは己の腕だけだと痛感し、更なる精進を誓ったりする。その後日吉津村のジャスコで買いだしをし、道の駅ポート赤碕で没する。戻る↑
日本は「スキヤキ・テンプラ・ゲイシャ・フジヤマ」の国である。外国人観光客を呼ぼうとして政府が率先してキャンペーンを実施しているが、その効果の程は不明である。しかしながら、キャンペーンをするにあたり、ロゴの使用について申請が必要というところが素晴らしいの一言である。ということは左上に使っているのは無許可になるのだろうけれど、まあそんな細かいことを個人サイトでうだうだいわれることは無かろうと思っていたりする。さて、そんなふうに余り海外からは現状を理解されていないわが日本であるが、このたび、日本の自殺者数が人口10万人あたりの比率に換算すると世界第10位で、旧ソ連・東欧圏を除く主要先進国の中では最も多いことがWHOの調べでわかったんだそうである。世界全体の自殺者数は推計で年間約100万人に達し、「殺人や戦争の死者の総計を上回る」と指摘しているというからこれまた問題である。しかしながら最も突っ込むべき点は、調査にあたったWHO精神保健局のコメントであり、「日本の自殺急増について十分な分析はできていないが、不況による仕事でのストレスの増加が大きな理由のようだ。また、日本の場合“腹切り”の伝統があるように、自殺に寛容な文化的土壌もあるのではないか」という訳のわからなさである。自殺に寛容であるというのはキリスト教的な社会ではなく武士道の世界がそうさせるのだと言いたいのであろうが、このコメントはちょっと頂けない。本日は重陽の節句であり、菊がそろそろ見頃である。ルース・ベネディクトの「菊と刀」ばりの勘違いぶりは今日だから大目に見ておこう。戻る↑
月九のドラマで東京湾景を見ているのだが、随分と筋書きがコテコテの韓流ドラマになってきたのが気がかりである。一度も見ていない冬のソナタと筋書きが極めて似ているという話を聞いて、それってパクリじゃないんですかとツッコミを入れたくなっていたのであるが、ついに本日は二人が兄妹だという疑惑が晴れるし、交通事故に遇って記憶喪失になるしとあきらかに「仲間由紀恵=ぺ」という構図ができあがっている。ここまで筋書きをパクって良いものかと考えるのだが、明らかに韓国ブームを当て込んでソウルでの中継敢行などという筋書きにはほとんど影響しないと思われるところで盛り上げようと必死なのは見ていて辛い。こんなこっちゃ数字取れませんぜダンナという感じがしているのだが、世の中とは良くできたもので、ヨドバシ梅田の「今話題の韓国ドラマのサウンドトラック」のコーナーに「東京湾景」のオリジナルサウンドトラックが陳列されているのは何故?と言いたくなる。筋書きがベタ過ぎるのか、それとも店員が皮肉っているのか、はたまた何も考えずに韓国ドラマだと信じて疑わないのか?戻る↑


朝起きると雨が烈しく降っており、本沢に行かなくて正解だったとホッと胸をなで下ろす。しかしながら本日も温泉を求めて車で作戦会議を行い、鹿教湯と別所を目指すこととなった。鹿教湯はどこに共同浴場があるのかさっぱり判らず、饅頭をふかしているばあちゃんに話を聞いても「橋を渡った右側」としか言わないのでいたって要領を得ない。なので橋を渡って右側あたりで歩いているばあちゃんに話を聞くと「百円ばっかしで結構なお湯だよ」ということでようやく町・高梨共同浴場にたどり着く。この共同浴場になんの前情報も無しに辿り着くことができればそれは神であり、未だ温泉の神は舞い降りておらぬようだと思いつつ貸し切り状態の少し温めのお湯を堪能する。まったりとして次は別所に行こうかとかなり烈しい山道を疾走して到着。石湯と大師湯を満喫する。石湯は真田幸村も入ったという湯であるが、それを声高に主張しているのは池上正太郎であり、今ひとつ眉唾物であるという気がしないでもない。
しかしまあ、お湯は素晴らしいもので、共同浴場というものの素晴らしさを実感する。その後入った大師湯は温泉に付き物の「弘法大師」ゆかりではなく慈覚大師が好んで入ったと言うことでこの名が付けられたという訳であり、これまた素晴らしい湯を堪能する。本日の湯はいずれも共同浴場であるが、換気扇を止めてはならないということはきっと硫化水素泉の宿命なのであろうと思いつつ車を下界に走らせる。本日も長野県は全般に大雨洪水警報が出されており、そんな中気持ちよく青木峠を疾走していたのだが、道路の冠水は凄まじく、跳ね上がった水で見事なまでの洗車を済ませてしまう。穂高のそば屋で蕎麦を食べ、豊科から高速に乗り梓川SAで給油をする。長野県で給油するときは高速道路と相場が決まっており、昨今の原油値上げ以前からガソリンが馬鹿高い長野では高速道路の給油所の方が安いということがあり、今月になてからも相変わらず料金の設定が変えられていないため、一リットルあたりで十円も安いという訳の判らないことが起こっていた。車を松本に進め、なぜか虫の知らせであろう松本空港に足を運ぶ。松本空港ではキャビンアテンダント制服ミュージアムなどというマニアが聞けば垂涎ものであるという不思議なイベントが執り行われており、キャビンアテンダントの制服を着て実際に撮影ができるというコスプレまで準備されているから素晴らしいの一言である。しかしながら男性用の服装は準備されておらず、ここで無理を言うとどのように受付のおねえちゃんは断るのであろうかということを考えてみるが、おそらく「駄目です」の四文字で拒否されるであろうと判断して引っ込む。そのあとは木曽高速をひた走り、あと少しで中津川というところで田立の滝に向かう。田立の滝は山道を片道一時間も歩いたところにあるため、この天気で辿り着くことは無理と判断して大人しく引き返す。そのあとは高速でさっさと帰宅するが、地震の影響で名神高速が五十キロ制限であったのが記憶に残るところであった。戻る↑
昨日で激務は終了するはずであったが、上司の「飲みに行くぞ」という一言で本日の出勤は決まってしまい、二日酔いで眠い目を擦りつつ会社に出向く。昨日残業していれば終了するという仕事であったため2時間ほどで仕事は終わり、昼前にはそそくさと帰宅の途に付く。まっすぐ帰ることもないだろうと久々に物欲を満たすべくヨドバシ梅田に出向く。一眼レフデジカメというのは本体の値段もさることながら、使い込んでいくうちに「こんな周辺部品を使うことによってこんなに良い写真が撮れるようになるんですよ」という悪魔のささやきを何度と聞く羽目に陥るのだが、その甘美なささやきに屈しないほど無粋な石部金吉でもないため、ふらふらと本日も散財をしてしまう。買ったものはいろいろあるがとりあえず紹介しておくべきものとしてはリモコンシャッターである。銀塩写真を撮る人にとっては「レリーズ」という方が判りやすい代物であるが、最近は何でもかんでも電子化されており、電子信号を送ることによってリモートシャッターが押せるらしく、これで手ぶれが無くなるし、バルブ撮影の時はボタンをしっぱなしにする必要がないというから優れものである。「レリーズ!」と叫ぶと全くもって別の意味になるのでそこんとこよろしくという訳の判らないことを言っておくとしよう。帰宅したところあんまり身体も疲れていないし、まだ日も高いのででは出かけるとかという気になり、一路車を長野へと走らせる。どうも木曽谷や伊那谷を走っているときに烈しいまでの豪雨に晒され、ハイドロプレーン現象が起こりまくりで岡谷ジャンクションでは刺さっている車もいたし安全運転は重要である。大雨洪水警報が出ている中を疾走していたということはあとになって知ることであるが、当初予定していた本沢温泉はやめておくが良かろうという判断を下し、鹿教湯と別所を目的地にすり替えてマルメロの駅長門で没する。戻る↑
贅肉とは肉ではなく脂肪である、というありきたりの指摘は放っておくとしても、贅肉は「無駄」「見苦しい」と却下されがちである。某家電メーカが出した新しいデジカメは無駄なものが全くなく、それ故にイメージキャラクターの体脂肪率15%とリンクさせているのであろうことは想像に難くない。ちなみに体脂肪率15%というのはかなりやばい状態であり、毎月来るべきものが来るかどうかのボーダーラインに差し掛かっている値である。体脂肪率というのは男女間で差があり、女性は先程も述べたジェンダーの根幹に関わる問題上ある程度は必要である。スリムであることを美しいとすることは工業デザインの究極の姿であり、機能美という表現をなされることが多いことからも、そこにある美しさは癒されるものではなく強さである。本日その広告を見て思ったことは工業デザインなどという理知的なものではなく、極めてオヤヂ臭い感慨であるが「身体の後ろを開けっぴろげに見せることができる人はよほど何も考えていないか、万全のバックアップ体制が取れている人である」ということであった。人間は加齢と共に皺ができるが、身体の後ろはそれをフォローすることができないと言う困った問題がある。年増のストリッパーは前しか見せないという身も蓋もないことを渡辺淳一は自分のエッセーで書いていたが、その厳然たる事実にお肌の曲がり角を越えてしまったイメージキャラクターはどう対処するのであろうかと無闇な妄想を貫いてみる。まあ実際のところ、彼女は世界に3人しかいない「毛穴のない女性」なのでフォトショップの手練手管が遺憾なく発揮されており、「あゆの辞書には皺とか毛穴なんて無いの」と却下されそうな勢い。フォトショップの修正により自分が工業デザイン化されているということに何時気が付くのだろうかと思うが、案外もうすでに気が付いているけれど今更どうしようもないところまで来ていると諦めているのかも知れない。戻る↑