2004年8月

  • 今月の日記を新しい順に読む


    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 8月31日(火)「大統領選挙」
  • 8月30日(月)「台風の有用な使い方」
  • 8月29日)「ドーピング」
  • 8月28日)「休日出勤 」
  • 8月27日(金)「折り返し地点」
  • 8月26日(木)「猛暑の恩恵」
  • 8月25日(水)「携帯のご帰還」
  • 8月24日(火)「順当に行けば打てるわけがない」
  • 8月23日(月)「高校野球」
  • 8月22日)「十津川温泉」
  • 8月21日)「1年ぶりの和歌山」
  • 8月20日(金)「魅惑的なボタン」
  • 8月19日(木)「台風の無駄遣い」
  • 8月18日(水)「野球いろいろ」
  • 8月17日(火)「玉突き携帯電話」
  • 8月16日(月)「日常への強制復帰」
  • 8月15日)「大運動会」
  • 8月14日)「サントリー山崎蒸留所」
  • 8月13日(金)「河原の温泉とへぎそば」
  • 8月12日(木)「国道最高地点」
  • 8月11日(水)「神河内、もとい上高地」
  • 8月10日(火)「お盆休み開始」
  • 8月9日(月)「原子力発電所」
  • 8月8日)「川上牧丘林道」
  • 8月7日)「みとみ」
  • 8月6日(金)「不惑のお兄ちゃん」
  • 8月5日(木)「熱闘甲子園」
  • 8月4日(水)「台風発生即上陸即成仏」
  • 8月3日(火)「suicaとicoca」
  • 8月2日(月)「日常生活とフェリー」
  • 8月1日)「白馬岳蓮華温泉」


  • 今月の日記
    8月31日(火)「大統領選挙」
    アメリカ大統領は「地球上で最強の男」と呼ばれていたりする。でも多分、これまで歴代のアメリカ大統領でボブサップに勝ったやつはいなさそうなので看板に偽りありという気がするが、「権力者」という意味から行けば宜なるかなという感じ。4年前の選挙では「史上最弱の地上最強の男を決める選挙」というサブタイトルを付けるほどのみみっちい戦いであったが、4年経っても今ひとつそのイメージの払拭が行われないのはブッシュという人物の人徳の為せる業なんだろうか。とりあえず選挙期間中は必要以上に日本にプレッシャーを掛けてジャイアニズムぶりを発揮するので迷惑千万というところ。きっと原油が高騰しているのもそれが原因では無かろうかという風に邪推しているのだが、ということは年末までこの高騰ぶりは続くのかなあ。戻る↑
    8月30日(月)「台風の有用な使い方」
    今年は台風の当たり年のようで、今の時点ですでに台風は5つ上陸しており、今度来るであろう台風が6つ目の上陸台風となりそうである。前回まで台風が来るものの、会社は一向に休みにならなかったので台風の無駄遣いと思っていたのであるが、数うちゃ当たるという格言に則り、ようやく今回はさっさと帰宅しろという命令が下った。結局台風は逸れていたものの、夜中結構雨風が強く、なるほどという感じであった。とりあえず有用に使うことができたのでよしとしよう。戻る↑
    8月29日)「ドーピング」
    筋肉増強剤という薬物を利用することにより筋肉は著しく増大し、瞬発力を高めることができるというコンセプトでドーピングに手を出すアスリートが入ることは事実である。このCMではオリンピックを当てにしたカード会社がナンバーワンという言葉にふさわしいということでベン・ジョンソンをキャラクターに選んだのであろうが、このオリンピックで化けの皮が剥がされるという事実に鑑みればシュールな作品の極みである。しかしながら、今回のハンマー投げの記録一位達成者は疑惑が掛けられたら「プライドが許さない」という名目で検査を拒否した。検査に応じてドーピングがばれるのとつっぱねてメダルが剥奪されることを秤に掛ければ、限りなくクロに近い灰色でもドーピングが発覚しない検査拒否の方が良いのかも知れないとは思いつくのだが。室伏も今ひとつ煮えきらん金メダルなので嬉しいんだけどなんだか複雑という感じがしないでもない。とりあえず、後味悪すぎ。戻る↑
    8月28日)「休日出勤」
    年に何回かある「土曜出勤」とは異なり、休日出勤は遅刻も早退もない。ならばいつ来ても良いじゃんという意見があろうものだが、やらないといけない仕事の量が決まっているのでいつもと同じ時間に来てしまうというのが何ともはや。とりあえず仕事をテキパキとこなし、まあこの辺で勘弁しといたるというところで適当に帰る。とりあえず代休をゲットするのだというかなり邪な思想を以て仕事に挑んでいる次第。この格闘は明日も続く模様。戻る↑
    8月27日(金)「折り返し地点」
    金曜日はいつもならば週末出かけるプランを完全に練り、仕事は適当にうっちゃって帰るものと相場が決まっているのだが、今週は随分と前から通告されていたとおり、土曜日曜出勤である。おかげで本日はまだ折り返し地点手前と言うことで全くもってテンションがあがらないままである。友人は大曲に花火に見に行くので一緒に行かないかと誘ってくるし、何でまたこういうタイミングで仕事が忙しいのやらと思ったりもする。というわけで、なぜか判らないけど10月第1週には土浦へ花火競技大会を見物に行くこととしてさっさと飛行機の予約をしてしまったりする。目の前にニンジンをぶら下げないと土日の仕事は乗り切れそうにもないからなあ。戻る↑
    8月26日(木)「猛暑の恩恵」
    B-R サーティワンアイスクリーム株式会社今年の夏は猛暑であった。クーラーの売り上げは温度に合わせて鰻登りであり、オリンピックによる電化製品の買い換えも手伝ってか電器店は忙しかった模様。熱いときに売れるものといえばやはり冷たいものであり、アイスクリームはこれまたよく売れた模様である。昨年創立三十一周年を記念して三十一円の記念配当をかましてくれた太っ腹なアイスクリーム会社は、この夏の猛暑のおかげで売れ行きが好調であり、この秋の中間決算での配当で十円の増配となった。株主としては有難い限りである。まあ、持っている株がみんながみんなそんな景気のいいことをいってくれるわけではなくて、なかには「五株を一株に圧縮しまして」「十株を一株に圧縮しまして」というなかなかある意味寒いことを言ってくるところもある。多分そんなこんなで世の中はトントンなんだろうと余り深く考えていないし、そもそもは株主優待とか配当を目当てにしているのでつぶれてくれなければまあ良いかというところである。ちなみにうちの会社には社員持株会などという不思議な組織があり、入社式の砌に法務部のおっさんが「インサイダー取引とかで痛くない腹を探られるおそれがありますので、我が社の株式を取得するならば是非とも社員持株会に」と言いだし、半ば強制的に社員から金を巻き上げようと企んでいるフシがあった。我が社の株式を取得することが前提になっているのと強制的に入らせようという姿勢が気にくわなかったというので加入を見送ったのは自明のこと。しかしながら社員持株会の加入率は六十%を越えると言うから社員の愛社精神は素晴らしいものがある。さて、五人いるうちのグループでこの前飲み会となったときにこの話が出て、誰一人として加入していなかったという恐るべき事実が明るみとなってしまった。いかにもうちのグループらしいなあという感じ。五人とも加入してない確率をざっと計算してみたところだいたい一%ぐらいという結果になった。ううん、すごすぎ。戻る↑
    8月25日(水)「携帯のご帰還」
    友人に携帯を貸していたのは先週書いていたような気がする。本日その携帯が戻ってきた。その携帯を返すときに面白い遊びをしたのでそれについて書いておくことにしよう。僕が契約している携帯電話のキャリアはauとVodafoneであり、友人に貸していたのはVodafoneである。Vodafoneはスカイメールというメールを同じキャリア同士でやりとりする際にはメールアドレスの変わりに電話番号を使うことができる。こんなサービスは他のキャリアでもやっているため取り立てて言うべきことではないのかも知れないが、Vodafoneはそのときにポーリングを行うことができる。ポーリングとはネットワーク用語で、ネットワークにつながっているクライアント全てにアクセスをするという機能のことを示す。LANケーブルの下のLEDが忙しくちかちか点滅しているのはそれらしいという話を聞いたが本当のところは定かではない。さて、これに似た機能で、Vodafoneはスカイメールを受けたときに、そのメールをどのアンテナから発せられた電波から受けたのかを送信者にフィードバックするという機能を付けている。これがいわゆる「位置情報」というやつで、これを使えば相手が今どこにいるのかが判るため何かと便利である。ということで友人は携帯の電源を切らないで携帯を郵便物として投函し、その後この郵便物がどこを通って我が家にいつ届いたかを追跡調査すると言うことを思い立ったらしい。この馬鹿馬鹿しくも楽しいイベントに参加した友人は数名おり、友人達の投げまくったメールの結果奈良から京都までの郵便物はこのような経路で運ばれるのかと言うことが明らかとなった次第。ちなみに奈良から京都まで一日半かかったのだが、その間に僕の携帯に投げられたメールは都合100通を超え、一旦大阪を経由するとか、郵便物は名神高速を走るとか、一旦京都中央郵便局から最寄りの集配局に運ばれるとか、いろんなことが判ったのは大変興味深いことであった。皆様もやってみたらどうかと言いたいところであるが、普通携帯の貸し借りはしないし、そんな追跡調査をやっても楽しいとは思わないだろうから素人にはお勧めできないのかもしれない。戻る↑
    8月24日(火)「順当に行けば打てるわけがない」
    長嶋監督がいないのに「長嶋ジャパン」とはこれ如何にという話がちらほら聞かれているが、「あれは長嶋が選手を集めたチームなんや。だから長嶋ジャパンなんや」という不思議な説明もまかり通っているから不思議なものである。大会前からの烈しいマスコミの応援はこのいまいちいけてない結果を招いていると言わざるを得ないし、「長嶋」などという監督業が絶対に務まるわけがない人物をしてオリンピックに出向くところをすんでの所で押しとどめた脳梗塞は声なき日本国民の思いだったのかも知れない。日本のプロ野球ではいまだに「名選手名監督たり得ず」という格言に反駁するかのように現役時代名選手だったロートルが「昔の名前で出ています」とばかりに監督業に勤しみそれなりの成果を上げている。これは日本でこの格言が通用しないと言うわけではなく、ましてや名選手が名監督であるわけもなく、たんに名選手でないと監督になれないという不思議なシステムが敷かれているからでは無かろうかと思っていたりする。今回の準決勝を見て思ったことは、ウィリアムスが順当に力を発揮したときに、日本のプロ野球選手で彼の球を打てる人間などいるわけがないと言うことになぜ気が付かないのかということであり、戦うときの力の入れ具合を間違えていないですかと言うことである。多分今回の野球を総括すると、「うちはキューバに負けなかった。そしてキューバは金メダルを取った。キューバにうちは勝ったので、うちは金メダル以上の力がある。」という馬鹿なことを言い出しかねない人がいそうなので余りくどくど述べたくないが、長嶋しか頼る人がいないという今の現実が問題なのであって、長嶋ごときに頼らなくとも金メダルぐらいは取れるようになれよというところが実は一番にいたいことだったりする。戻る↑
    8月23日(月)「高校野球」
    昨日車の中で聞いていた高校野球の決勝戦は、北海道勢が初めて全国制覇を遂げたということで大いに盛り上がっているらしい。これまで優勝旗が白河の関を越えたことが無いという不思議な表現をされてきており、今年こそは越えて欲しいなどという話は毎年毎年聞く話である。何の因果かビルダッシュ投手にその期待がかけられたのであるが、そんなプレッシャーに負けたわけでは無かろうが今年はその責務を果たすことが叶わなかったようである。ところが白河の関よりも更に北にある津軽海峡を越えるとあって東北地方は素通りを決め込まれた感がある。ということから考えれば、東北六県の代表は未だ優勝したことがないのに「白河の関を今年こそ越えて」などという名文句はもう話されることがないのである。ちなみにうちの親は「冬ソナ」が終わったことも手伝ってか「駒大苫小牧のキャプテンの佐々木くん」に現在お熱である。ヨン様はドラマがあっけなく終わったことも手伝ってか「薄っぺらい」と却下している模様。その件の佐々木君だが、親曰く「キムタクとツマブキ君を足して二で割ったぐらいいい男」らしいので、三人が並べば真ん中にランキングされると言うことらしい。褒めてんだか貶してんだか微妙だ。少なくとも年齢は「キムタクとツマブキ君を足して三で割るくらい」だとは思うが。戻る↑
    8月22日)「十津川温泉」
    布引の滝朝から紀和町にある布引の滝に出向く。日本100名滝にノミネートされているだけあってなかなかの素晴らしさを誇っていたのだが、如何せん山奥にあり、滝見台に設えている観光案内にあるボタンを押せば音声案内が展開されるという素晴らしい仕組みになっている。この布引の滝とその少し下流にある荒滝は熊野修験道の修行場らしく、きっと滝に打たれて気合いだーと叫んでレスリングに出場する人がいるのではないかと勝手に妄想しつつ素晴らしい滝を撮影する。その後車を熊野本宮大社に進め、世界遺産に登録されたからと行って何かが変わったわけでもない日本に4000近くある熊野神社の総本山に参拝する。日本サッカー参拝しようとしたところ、地元の人のアンケートに答えることとなったが、その内容は「世界遺産になってこれから観光客が増えたらどないして捌いたらいいか判らないんで、判断材料とするためにアンケートに答えて欲しい」というものであった。昨日はどこに泊まりましたか?とか巡った観光地はどこですか?などという凡そ僕には似つかわしくない質問をされるがそれなりに答える。ヤタガラスという3本足の烏が神様の使いというこの神社は、日本サッカー協会が同じお印をつかっているとあって予選突破を祈願するという不思議な人もいたりするのが味わい深い。そんな神社をあとにして十津川に向かい上湯温泉で温泉パスポートを消費する。十津川に向かい最中に国道沿いにある十二滝という滝を鑑賞し、写真を撮っていたら他にも写真を取りに来た人がいたりした。どうもデジカメで写真を撮っている限りは観光客と呼ばれるものだが、野球帽を逆さに被り一眼レフを首からかけたり、三脚を持ち歩いている場合はそうは思われず写真を撮る人と思われるらしいということがようやく判ってきた。そのあとはひたすら黙々と帰路につく。五條あたりでものすごい雨に遭遇するがそれに構わず車を進め、高校野球の決勝を聞きながら帰宅。今週は近場ということもあってか、余り運転をしたという気がしなかったりする。戻る↑
    8月21日)「1年ぶりの和歌山」
    龍神温泉国道371号古座川末端奈良の大塔村にある道の駅で爆睡し、気持ちよく目覚めていざ高野山を目指す。道は険しいが、ありとあらゆる方角より高野山へ続く道があるというのは弘法大師のそのスケールのでかさによるものであろうと納得しながら山道をひた走る。山上に展開する寺院都市は下界とは別世界であるが、本日の観光目的地はここではなく、高野山はあくまでも通過地点に過ぎないのでその霊験あらたかぶりを膾炙するには至っていなかたりする。昨年めでたく無料開放された高野龍神スカイラインは和歌山県と奈良県を40回以上も行ったり来たりするという忙しい山岳道路であり、和歌山県が山岳部における南北連絡道路としてかなり重点を置いているという話をどこかで聞いた記憶がある。そんな道路ひた走り、龍神温泉に到着する。那智の大滝温泉は「日本三美人の湯」で名高いが、世の中の人は「日本三大美人の湯」と勘違いしており、龍神温泉が江角マキコと和田アキ子とマッハ文朱の所有物であるとでも信じているかのようである。間違ってもプリンセスメグとかの持ち物ではないと訳の判らないことを言っておこう。風呂上がりまったりとした気分で本日の目的である一般国道371号不通区間末端調査に出向く。この国道は2箇所で分断されているため、都合末端箇所が4箇所有り、そのどちらもが林道で繋がれているため割と簡単に全部を走り抜けることができるといいたいところであるが、かなり濃い道であるため素人にはお勧めできないし、そもそもそんな道をわざわざ通るという目的は滅多なことでは巡ってこない。わざわざこの道を走ったのは他でもなく、この道を走れば関西の国道は全て走ったことになるからである。しかしながら先般の台風等で道路は情け容赦なく部分的に通行止めとなっており、その結果完走はできずじまいでまたここに来る理由ができたと訳の判らない喜びを噛みしめて串本に到達する。そのあと大島でうまい寿司を食い、那智大社では仁和寺の坊主状態であるが那智の滝だけを鑑賞して紀伊勝浦に戻る。港に車をとめ、ホテルの専用送迎船で中の島に渡り、自遊人のパスポートをつかって無料の温泉を楽しむ。露天風呂からは湾内が一望でき、日々の殺伐とした喧噪を忘れる一幕もあったが、送迎船にはどっかの団体が手配をお願いしたのであろうイベントコンパニオンが乗船しており、日常の殺伐とした感情は決して収まることがないのだろうなと思ってしまったりもする。その後熊野川沿いにある道の駅で宴会を始めそのまま爆睡する。戻る↑
    8月20日(金)「魅惑的なボタン」
    竜飛崎の赤いボタン。押すと「津軽海峡冬景色」が二番から奏でられる。ボタンがあれば押したくなるのが人情というものではないかと勝手に決めつけている。実際のところタイムボカンシリーズで「ポチッとな」と言いつつボタンを押すのを見て育った人間に、ボタンを押す誘惑に打ち勝つことができようはずがない。観光地の石碑になぜか組み込まれていたりするボタンがあり、それを押すとご当地ソングが流れるものである。これまで経験したボタン押しは竜飛崎の「津軽海峡冬景色」、塩屋埼の「みだれ髪」、そして下甑島の「おふくろさん」である。いずれも寂れ具合がいい味を出している最果ての地であるが、個人的には天城峠に「天城越え」のボタンを設置してもらいたいところである。ボタンを押すことにうずうずしてしまう人は間違っても独裁者になって核ミサイルの発射ボタンを持てるようになってはいけないのではないかと思ったりもするが、そんな権限を与えられるわけがないので取り越し苦労もいいところ。本日は夕刻より自遊人のパスポート消費活動に出向くこととなった。今週の目的地は勝浦と十津川である。夜中に飛鳥界隈を通過したのであるが、近鉄の飛鳥駅は20年前に訪れたときとはうって変わって随分とお洒落チックになっており、なんと特急まで停まるというから驚きであった。古き良き時代とは隔世の感があるものの、駅前のレンタサイクルは現役であり、史跡はたかだか20年の時の流れなどは誤差に過ぎぬとばかりそこに佇んでいたのが印象的であった、って別に夜中なので観光はしていないのでそういう気がしただけだが。戻る↑
    8月19日(木)「台風の無駄遣い」
    友人に携帯を貸して以来、朝起きるのがどうも苦手になっている。ボーダフォンが6時半にRhythm&Policeを奏で、7時にauが何曜日であっても火曜サスペンス劇場のテーマを奏でるという二段攻撃で目覚めていたため、7時までなにも鳴らない現状では生活リズムが30分シフトしかねない勢いである。実際本日は些か寝坊が過ぎ、普段乗る電車に乗り遅れてしまいえらい目にあった。日本海を律儀に進む台風のおかげで会社では一日荒れ模様の天気であり、窓の外の木々は柳の如く撓っていた。日頃の行いがいい所為であろうか、本日会社を出たときは全く雨が降っておらず、電車に乗った途端に雨が降り出し、自宅の最寄り駅に到着したときには雨が上がっているというまんがのような展開で帰宅することとなった。こう書くと全く濡れないで帰れたのかと思う向きもあるがそれは間違いで、帰りの電車で座っていたら横殴りの雨が開いたドアから流れ込み、かなり扉から離れたところに座っていたというのに必要以上に濡れてしまったりする。台風の恐ろしさを実感したのだが、もっと昼間に風が強くなって会社を早引けできるように効率よく台風には働いてもらいたいものである。今年は台風の当たり年といって間違いないというペースで遭遇しているが、いまだに会社が休みになったことはなく台風の無駄遣いをしているような気がする。戻る↑
    8月18日(水)「野球いろいろ」
    このところ会社で眠い眠いを連発している人がいるが、原因は大運動会を夜中まで放映していることにある模様。大運動会に野球という競技があり、昼間は高校野球というコンテンツがあり、夜はナイターを見るともなれば一日中野球漬けの生活である。日本語の使い方が間違っているような気がするが気にしてはいけない。それにしても大運動会では監督が日本でリハビリ中であるのに「長嶋ジャパン」と行って憚らないのも気になるところであるし、裏金を渡したのがばれてしまったということで読売巨人軍のオーナーは辞任するし、日本はオーストラリアに負けるし、イチローはチームがぼろぼろでも一人ヒットを量産する体制に入っているし、どれだけ張本に喝を入れられても無意識過剰の新庄は楽しく野球をやっているし、もう一チーム合併で消えることが悪魔のささやきの如く語られているし、と野球はここ数年間無かったほどの話題提供に是努めている感じがある。ちなみに我が阪神タイガースは毎年恒例の駄々下がりを展開しており、高校野球から甲子園球場を返してもらったときには定位置に腰を据えていそうな勢いである。ウィリアムスも阪神ではこのところ救援に失敗し続けているが、本日の試合ではきっちりと抑えていたのが気になる。阪神ファンが「普段もそのくらいきっちり抑えろ」と言い出しかねない気がする。戻る↑
    8月17日(火)「玉突き携帯電話」
    通信業界はわずか20年前までは電電公社の寡占であったことから考えれば隔世の感があり、20年前にここまで猫も杓子も携帯電話を持つことを予想できた人がいたであろうかと言いたくなるほどの変貌ぶりである。当時の人は電話を携帯することや電子メールを書くことなど思いもよらなかったに違いなく、携帯電話を予測した人がいたとしてもそれはスパイのツールとしていかがわしい007の専属科学者が開発しているものしか想像できなかったように思われる。そんな携帯電話であるが、ありとあらゆることができるようになってしまい、ついにはボーダフォンは全国ケータイラリー選手権などという不思議なイベントを実施していたりする。このイベントは位置情報をボーダフォンに送ってポイントを獲得するという凡そ意味不明なものである。しかしながら、全国を隈無く動き回ることを日課としている人は、殺伐として位置情報をゲットし着実にポイントを溜めているようであり、それが証拠にこのラリー選手権全国50位までのうち6名が知人であるという不思議な現象すら起こっている。さて、本日は沖縄から友人が里帰りしてきているので大阪に飲みに出かけることとした。飲みながらも話題はそのことになる傾向にあり、全国で3本の指が入る友人は沖縄在住の友人に自分のボーダフォンを託し、姑息にポイントを稼ごうとしているようであった。そのためしばらくの間その友人は携帯が無いという状況であるため、僕の携帯を貸すというはなんだか普通には理解してもらえそうもないこととなった。当分は携帯は一台という生活になる模様。戻る↑
    8月16日(月)「日常への強制復帰」
    盆休みが終了し、いつもながらの日常生活が戻ってきた。通勤電車はがらがらであり、未だお休み中の人も多いが、会社は最初からフル回転している。毎年恒例のリハビリを兼ねた教育訓練は「忙しいから今年は不参加」と上司に決断を下され黙々と作業に勤しむ。初日から気合いを入れすぎては行けないという理由で仕事は適当に引き揚げ、帰宅して東京湾景を見る。韓流ドラマにありがちの因縁というコンセプトがうまく取り入れられているが、どうしてドラマに出てくるクレーンというのはきちんと仕事をした験しが無くて、悉くつり下げている木材や鉄骨を落とすためだけに利用されるのだろうとクレーン屋さんがクレームを突きつけないのだろうかと余計な心配をしつつ、二人のつき合いが周りの家族を必要以上にささくれ立たせているというわかりやすすぎる展開は脚本家のかつての恋愛体験に対する濃縮した恨み辛みを反映したものではないかと思ったりする。個人的には成田空港に包丁を持ち込めるほどセキュリティーは甘くないと思うのだが、林家喜久蔵にかなり似ている覚醒剤中毒のおっさんは、きっと「ぺ」によく似ているから自分のカミさんが「ヨン様〜(はぁと)」というのを見て中村俊介を刺したのでは無かろうかとか、喜久蔵ラーメンの屋台から持ち出した包丁ごときに刺されたぐらいで下半身不随になるなよと思ったりして平和に夜が更けていった。戻る↑
    8月15日)「大運動会」
    アテネオリンピックお盆休みの疲れを取るべく爆睡に是努める。地球を1/3周ほどしたところにあるとある町で大運動会が108年ぶりに行われており、各報道機関はその結果の垂れ流しに余念がない。愛用している検索サイトも大運動会モードとなっているようでやはり4年に一度の世界的なお祭りなのだろう。それにしても跳んだり跳ねたり泳いだり走ったりねじ伏せたり投げたり叫んだり撃ったり刺したり盗んだりぶつけたり乗り越えたりするという場所が「記録」「公平」「見栄え」「やっつけ作業」という名目で108年前と比べると必要以上にエントロピーの低いものとなっている。開催前の不穏な報道をよそに、ラテン系民族の割には帳尻合わせがきっちりできているなあと思っていたのだが、「プールには最初から屋根を作る予定はありませんでした」といけしゃあしゃあと言ってしまいそうな勢いにその民族性を垣間見た気がするのは気のせいか。のっそり起きてみれば古典的格闘技(格闘技は基本的に古典的だというツッコミはこの際無し)である柔道が国際化されてJUDOとなり、そのJUDOとかいうスポーツ競技で日本人が金メダルを取ったと言うことで早速盛り上がっていた。先日のマッチの件を蒸し返すわけではないが、年齢不相応に「ヤワラちゃん」と呼ばれるのはいささか問題があり、個人的にはタニコと呼んでいるその未確認生物が世界一に認定されてしまったのはまことにめでたいことである。ああめでたいよ本当にめでたいよ仕方がないくらいめでたいよどうでもいいけどめでたいよ今世紀最大の快挙だよわっはっは。さて、いつもタニコの陰に隠れてこっそり金メダルを取っているという典型的関西人弄られキャラの選手も三大会連続金メダルという偉大すぎて凡人にはその価値が推し量られないでいる結果を出したりするのも味わい深く、この結果を「いい仕事してますねえ」と評論するのは適切であろうけれど、その評論はかつて自分もそんな馬並みはずれたことをやり遂げた人が宣うものであって、ただただその偉業に感動するばかりである。起き抜けてから溜まりに溜まっていた日記二週間分を片づけていたら夜となり、時間があれば行こうと思っていた花火大会には行けずじまいであった。戻る↑
    8月14日)「サントリー山崎蒸留所」
    シングルカスク:左手前から順にバーボン樽原酒、スモーキー原酒、シェリー樽原酒、ミズナラ樽原酒本日は朝よりサントリー山崎蒸留所に工場見学である。原酒のテイスティングができるとあって、昨日の疲れもどこへやらである。7月に拠ん所なき理由で中止と相成ったためいささか気合いの入り方が大きいことは否めないが、素晴らしいウィスキーを前にして、何ができようかという感じである。今回山崎蒸留所が自信を持って提示したウイスキーの原酒はバーボン樽仕込み、スモーキー、シェリー樽仕込み、ミズナラ樽仕込みの4カスクであり、いずれも去年満喫したものと同じであった。ミズナラ樽ものはジャパニーズシングルカスクとして去年本数限定で通信販売をしていたらしいが、それは20年ものであり、本日味わう幸運に恵まれたのは40年ものであった。悠久の時を過ぎて我々の前に姿を現したそのウイスキーは3代前のブレンダーの「捨てるのはいつでもできる、今倉庫に空きがあるからそこに眠らせておけ」という絶妙の決断によって残った僥倖の産物であり、ミズナラがホワイトオークと比べて弱い木であるため樽の肉厚が分厚くなり、それ故木の成分が大量にじわじわとウイスキーに溶け込むこととなったということはあとになって判ったことらしい。今回のツアーに参加していて僕の向かいに座っていたおっさんは「私余市でマイウイスキー製作体験もしてきました」という話を始め、ウイスキーのコアな話を繰り広げられてきた。そのあと白州の樽出原酒15年ものやニューポットなどを味わって蒸留所をあとにする。その後友人宅に出向いてひとしきり騒ぎ帰宅。昨日の疲れが取れていないのか異様に眠いのでさっさと寝ることとした。戻る↑
    8月13日(金)「河原の温泉とへぎそば」
    へぎそば道の駅で朝飯を食べ、いざ本日も温泉三昧となる。まずは車を国道405号の栄村末端へとすすめ切明温泉を目指す。中津川の河原を掘ると温泉が湧きだしており、その温泉と川の水を適温になるようにブレンドして湯船を作成し、適当に浚渫をしていざ入浴。温泉に入りながらの大自然の観賞は素晴らしく、その味わい深さにしばし時を忘れる。河原のワイルドな温泉を満喫したあとは小赤沢の「赤い温泉」を目指し、しょっぱく鉄臭い温めの温泉を満喫する。そののち車を十日町に進め、小嶋屋でへぎそばを食する。へぎそばをこれまでに食った回数は五回あり、十日町の本店は二回目である。四人前のへぎと三人前のへぎは大きさが同じであるが、一口の量が微妙に四人前の方が多く、そのような方法でボリュームをコントロールしていたのかと新たな感動を覚える。そばを満喫してここで解散となり、一路自宅への帰路を辿ることとなる。ということでまだ走っていない405号を津南より安塚へと走り、浦川原に県道で抜けてそこからは253号で上越へ。上越でガソリンを入れて北陸道に乗り、有磯海SAで晩飯を食べて更に車を走らせる。余りに眠いので金沢からは下道を走り、小松で一時間半ほど爆睡し、その後は武生までした道を走る。武生からは高速で敦賀に行き、敦賀からはいつもの通り帰宅。久しぶりにガシガシと下道を走って帰ることとなった。帰宅したのは二時過ぎでそのまま即爆睡となった。三日間で巡った温泉は7箇所であり、そのどれもが素晴らしい温泉であった。次回またこういう企画を立ててどっかに行くべしと言うこととなったが、やはり温泉は冬がいいという意見になりそれもそうだなと納得した次第。と言うことで、いい温泉を探し求めてこれからも週末は走り回ることになるのだろうと自分に都合良く解釈してお盆の避暑と温泉巡りは終わりを告げたのであった。戻る↑
    8月12日(木)「国道最高地点」
    JR吾妻線大前駅マルメロの駅長門は素晴らしい道の駅であり、コンビニがその横に併設されているため宴会をするには最適の場所である。宴会のみならず、朝食の調達も容易であり、前の国道は交通量が比較的少なく標高も600mもあるため、寝るにも最適の環境である。そんな道の駅を出発し、本日も高地で温泉につかるという避暑を実行する。まずは戸隠嬬恋あたりで高原野菜の畑の中を突っ切り、一日五本しか電車がこないという吾妻線の大前駅に向かう。最果てという雰囲気を醸し出すこの駅は、隣の万座・鹿沢口およびもう少し手前の長野原草津口で電車を悉く止められてしまうためにこのような情けない本数しかやってこないと言う理由があり、吾妻線そのものが寂れているというわけではないがそれにしても寂れていることは否定できない。大前駅を探索した後に草津温泉を目指す。置き土産撤収後の国道最高地点国道標識草津温泉はこれで来るのが三回目ということでかなり町の勝手が判り始めており、町中の駐車場に適当に行列して車を止め、いざ外湯へと出向く。本日ご利用させてもらった関の湯は土産物屋が建ち並ぶ一角にあり、男女とも三人程度が入ることができる程度の小さな共同浴場である。湯がいささか熱かったので水道水を加えて頃合いの温度に調節し、源泉100%でなくなったがそれでいても掛け値なしに素晴らしいお湯を満喫する。草津で昼飯に上州名物の手打ちうどんを堪能し、いざ志賀高原を目指す。日本屈指の高原を走る国道である292号は素晴らしく、硫黄の噴煙を必要以上に吹き上げる白根山の脇を窓を閉めて走り、国道最高地点である渋峠に到達する。新しくできたというどうでもいいモニュメントはほっといて、喫茶室は群馬県、レストランは長野県という不思議な渋峠ホテルなどを鑑賞し、四年前の置きみやげの撤収作業などを済ませて熊ノ湯温泉へ向かう。熊ノ湯温泉に洗面器持参で向かった瞬間にフロントのおっちゃんがスタンプを取り出したという手際よさに少し恥ずかしくなりつつも心ゆくまで素晴らしい温泉を堪能する。そののち車を飯山にすすめ、友人の奥さんが水没させた携帯を機種変更し、食材を買い込んでいざ野沢温泉を目指す。野沢温泉では大湯に向かい、ぬるいという方でも十分熱いという温泉を堪能し、ちょっとだけ熱い方にも入って風呂上がりにラムネなんかを味わう。そののち車を道の駅信越さかえに進め、昨日と同様に宴会を開始。日本酒と焼酎を心ゆくまで味わい友人の奥さんの誕生日を祝って本日は没する。戻る↑
    8月11日(水)「神河内、もとい上高地」
    Weston碑@上高地平湯バスターミナルで目覚め、車をあかんだな駐車場に動かしていざ上高地へ向かう。上高地の鉄則は「早期到着、早期撤収」であり、朝七時に平湯を出発するのはある意味タイムリミットギリギリである。大正池でつくばからきた会社の友人夫妻と待ち合わせ、上高地の散策をはじめる。神河内とも呼ばれていた上高地は快晴に恵まれ、素晴らしい景色を堪能し、自然の織りなす情景は何も語らずして一幅の絵画であり、姑息な科学技術の賜物でその一角を切り取るように撮影した代物を見て回顧しようともそのときの感動には遠く及ばない。自然は斯くも偉大であり、人間はそれに飲み込まれる他無いのであると言うことをまざまざと見せつけられるがそれでいて穏やかである。雪解け水の梓川に足を浸し、都会生活でひ弱となっていた足裏のツボを刺激しつつ自然と戯れ、たっぷりと満喫していざ帰路につく。昼を過ぎて帰ろうなどと言う巫山戯た了見で上高地をあとにするとなれば、殺伐としたバス待ちの行列に並ばざるを得ず、心の安らぎを求めていたのに殺伐さのみが残ることとなるためそこまで上高地にいたいのであれば宿泊を激しくお勧めする次第である。下界の平湯に降り立ち、朴葉味噌とそばに舌鼓を打つ。夏の間のみ通過が可能な安房峠を越え、乗鞍温泉に出向く。無料の硫化物泉はすばらしく、温泉とは斯くあるべきだという話になるが、近傍の入浴剤を投入した温泉の話題には皆敏感で、今日はきっちりバスクリンを入れてるんかいのうなどと言うベタでディープなはなしはきっちりと繰り広げられるところはいかにもである。温泉が持つ人を癒す力は人間の姑息な考えで歪められるような甘っちょろい代物ではないが、人間が温泉に対する希望や願望を失えばその力は人間に伝わらなくなるのではないかというのが一番心配するべきことであろう。そのあと車を毒沢鉱泉にむけ、自遊人のパスポート消費が始まる。毒沢鉱泉は信玄の隠し湯として有名であり、鉄とアルミニウムが溶け込んだ得も言われぬ味わいを持つ冷泉であり、冷泉を湧かした湯と源泉に交互に入って体を温め、自然の息吹を感じ取る。そののち諏訪で食材を買い求め、マルメロの駅長門で宴会をして車中泊。一日フルに動きまくっていたせいか眠くなり、宴も酣闌となる前に眠りこけてしまい撤収。戻る↑
    8月10日(火)「お盆休み開始」
    本日で一旦仕事は終わりということで、朝から仕事は始まる。しかしながら昼からはコンサルタントが来るということなので昼から上司がおらずマイペースで仕事をすることと相成る。そのわりにはつまらぬ雑用が目白押しであり大して仕事がはかどらぬまま定時を迎える。明日より長期休暇にはいるというのに残業などという小じゃれたことをする気概など全く持たずにタイムカードを速攻で押し帰宅の途につく。飯を食い、準備をしていざ出発と言うことで長野県蹂躙温泉ツアーに出向くこととなった。普段の出発時間よりも早かったため下道の混雑を考慮して名神高速を米原まで使ってみたが、交通量が普段の二割増であり、渋滞を起こすか起こさないかギリギリの交通量であった。走行車線を80厳守で走る車を後続のトラックが追い越しをかけるが、昨今のトラックは90でリミッターが掛かっており、追い越し車線を気持ちよく走っていた後続車は追い越しをかけるために割り込んできた遅いトラックの所為でブレーキを踏むことを余儀なくされ、それが原因で後続車がブレーキを踏みこれが連鎖して渋滞を引き起こすという新しい渋滞のメカニズムができたように思われる。自動速度取り締まり装置の前で引き起こされていたこの現象が場所を選ばず頻繁に行われるようになり、高速道路の乗り心地は以前にも増して宜しくないように思われる。これを回避する方法としては殺伐と縦横無尽に追い越しをかけてブイブイ走るか走行車線を80キロでマターリいきまっしょいと腹を決めるか、高速道路を利用しないかのどれかである。ということで、渋滞を引き起こすほどでもないが交通量が多いときは高速道路を利用しないと言うことに今後更に堅く誓いを立ててみたりもする。米原からは下道を利用して岐阜各務原まで、そこからは空いている高速道路を気持ちよく走り美並まで。美並からはした道を利用して飛騨美濃せせらぎ街道を利用して高山へ。せせらぎ街道が十二時より無料になるとあって五分前から料金所の前でスタンバイし、料金所の電灯が消えた途端に隣の車はかっ飛ばしていったのが妙に印象的であった。高山で友人夫婦と合流しいざ平湯へ。平湯のバスターミナルの駐車場に車を止め爆睡する。すでに平湯で十分涼しく、空は満天の星空なのだが、明日以降は更に涼しいところに出向くのかと期待を胸に膨らませ熟睡。戻る↑
    8月9日(月)「原子力発電所」
    セキュリティーとかリスクマネージメントという横文字がはびこる今日このごろなのだが、要するに危機管理ということを考えればいいのである。日本が原子力発電というエネルギーに依存を始めて40年以上の年月が経つ。原子力発電所は核分裂のエネルギーを利用して発電をするという考え方に基づいており、適当に刺激を与えてやれば核分裂を簡単にやってくれる元素はほっておいても崩壊する代物であるため、崩壊時に放出する放射線の管理が声高に叫ばれている。日本が放射線というものに対して必要以上にヒステリックであることは世界で唯一の被爆国であるからだという尤もな説もあるが、それよりもマスコミが必要以上に不安を煽っているという現実の方が実は重いのではないだろうかと思ったりもする。この度の二次冷却水の上記で火傷して死者が出たことに関してもまるで発電所が爆発したかのような印象を与えるような報道がなされている。日本人が放射線に対してヒステリックであることは、関西電力を構成する社員の大多数が日本人であることを鑑みれば会社としても十分理解しているはずであり、それゆえ原子炉の冷却系統を二重構造にし、一次冷却系統が壊れて放射線が外部に漏れる前に壊れても大丈夫な二次冷却系統が壊れるように作られているのである。今回の事故はボイラー屋さんで水蒸気爆発が起こった、あるいは原子力発電所の敷地内で交通事故が起こったぐらいに考えるべきである。もちろん管理体制が不備であることは大いに攻められるべきであるし、作業中に死者が出たことも大いに問題である。しかし、原子力発電所の安全管理体制に不備があり、だから原発は駄目なんだよという感情論をまかり通させるようなものではないと思ったりする。戻る↑
    8月8日)「川上牧丘林道」
    十石峠一夜明けて毎年恒例のラジオ体操が始まると思いきや、今年はそのようなものは執り行われず集ったメンバーはめいめい己の帰りたい経路で帰路につく。今回は標高2360mという自家用車で越えることができる峠としては日本最高地点である大弛峠を目指す。この峠を目指すに利用する川上牧丘林道は山梨県東山梨郡牧丘町側は舗装されているものの長野県南佐久郡川上村側は未舗装であり、ダートというかかなり大きな石がゴロゴロとしているため普通車でここに出向くことは素人には激しくお勧めできないと言う感じであった。峠から見る景色は素晴らしく、峠で空気を詰めたペットボトルは下界に行くに連れて激しくベコベコにへっこむこととなるのだがそれはあとの講釈で。川上村は霧立そばの名産地で、高原野菜の生産地でもあるという高原の村であり、夏の日差しが強いものの涼しかった。今の時期は最もそばがうまくない時期であるため食したそばにはいささか満足し得ないものがあったのだが、地元産のそばに舌鼓を打つ。そのあと長きに亘りこれまで幾度と無く跳ね返されてきた十石峠に出向くべくぶどう峠経由で一旦群馬に入り、十石峠を越えて再び長野に戻る。途中乙女の滝などという素晴らしい滝があるということでそちらに出向き撮影を試みる。佐久町からは麦草峠を目指し、八千穂高原でソフトクリームを食し、八ヶ岳からの雄大な景色を満喫する。峠を越え、山を駆け下りて茅野の湯川温泉「河童の湯」でまったりと温泉に入り、高速に乗って一路帰路につく。しかしながら疲れが溜まっていたため自宅に辿り着く前に仮眠をしたりで思ったよりも時間をかけて帰宅。充実した休日であるが翌日に疲れが残りそうなそんな勢いであった。本日の行程でペットボトルが激しい音を立ててへっこんだのは茅野市内に降り立ったときであり、自宅に帰り着いたときは相当へっこんでいたことからやはり高地の気圧は低いのだなあと感動した。戻る↑
    8月7日)「みとみ」
    観音滝三ツ滝唐合滝夏を涼しく過ごす、をコンセプトに毎週末出かけているのだが、これは自遊人という雑誌の影響が大きい。自遊人には日本各地の味わい深い温泉を無料で利用できるパスポートが付いているのである。今週もこれを利用するべく出向いてみた。まずは御嶽山の北西に位置する標高1800mにある濁河温泉を目指す。温泉にはいることができるのが14時からということで、それまでの時間つぶしとして滝巡りに出かけることとした。下呂市に吸収合併された小坂町は滝が至るところにあり、いずれも素晴らしいものであった。秘境中の秘境である観音滝は音はすれども姿は見えずという滝であり、木造のいささかくたびれた吊り橋を渡ってたどり着いたところにある滝は前に大岩が立ちはだかり、その姿を見せないと言う味わい深い滝であった。そのあと厳立に出向き、これまた素晴らしい三つ滝を鑑賞する。三段に分かれているこの滝の全貌を撮影することは難しく、まだまだ己の腕が足りないことを実感する。そのあと日本百名滝のひとつである根尾の滝に行こうとしたが、滝が最寄りの駐車場から徒歩一時間という話を聞いた瞬間に行く気が萎え、大人しく途中にあった「あかがねとよ」と「唐合滝」に出向くこととした。あかがねとよは滝壺に水はあるものの水は落下しておらず意外な感じを受けた。唐合滝は音も激しく流れ落ちる豪快な滝であり、その水飛沫は夏にあって涼を楽しむものとして素晴らしいものがあった。そんな滝ばかり立ち寄っていたところ結構いい時間になったので温泉に向かう。温泉では「今掃除中で」としばし待たされるが、毎日きちんと掃除をしていることに好感が持てるものであった。脱衣場にあったぶら下がり健康機も温泉の味わい深さの演出には不可欠であり下界とはまるで別世界の涼しい気候の中での温泉を満喫する。一つ文句を言うならば、この温泉に出向く人が多く、行きも帰りも車が多かったということだろうか。そのあとは県道経由で開田村に抜け、木曽福島から権兵衛峠を越えて伊那へ。伊那から高速をぶっ飛ばして甲府に向かい、牧丘のはやぶさ温泉で大量のかけ流し温泉を満喫する。露天風呂に出向いたところ本日のみとみの集会に行く顔見知りのメンバーと遭遇し、ここで風呂に入っておくという似通った行動パターンに納得してしまう。みとみでは10名以上が集まり、涼しい中で宴会が繰り広げられ、下界の猛暑をよそに涼しい中で熟睡する。戻る↑
    8月6日(金)「不惑のお兄ちゃん」
    「四十にして惑(まよ)わず」という言葉は、孔子の『論語』為政編にある有名なことばである。その全文は「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」というもので、四十才を不惑と呼ぶのはここから来ている。孔子は「四十才になって惑わなくなったらいいなあ」と希望的観測を述べているに過ぎないのである。あの偉い孔子がそうありたいと目標を立ててこれである。平凡な我々が四十才で惑わないことなどはっきり言って奇跡である。しかしながら、人間は年相応の扱われ方をされるべきであり、自分の社会的な立場も年相応に対応する必要がある。海に遊びに行き、クルーザーにおねえちゃんを侍らせて乳なんかも揉みつつこの世の酒池肉林を満喫していたところ溺れている少年を見つけたので水上バイクで駆けつけて飛び込み救出し「安心しろ、お兄ちゃんが助けてやる」という台詞を吐くのはいくらスターでタレントでレーサーであったとしても四十才の人間のやることではないと思ったりする本日であった。勘違いしてもらいたくないのは四十才で酒池肉林がいけないというのはない。男の甲斐性なのだから、どんどんやればいいことである。水上バイクで駆けつけることも日頃培った反射神経の為せる業なので文句を言うつもりもない。飛び込んで救出することも人道的に見ても素晴らしいことであり、海上保安庁が感謝状を出そうか検討することも宜なるかなと言うものである。問題は自分のことを「お兄ちゃん」と呼ぶことだけである。ま、マッチだからいいか。戻る↑
    8月5日(木)「熱闘甲子園」
    熱闘甲子園高校野球という不思議なスポーツがあり、プロよりも明らかに未熟な技術を披露するという大会なのに夜のナイター中継よりも高い数字をゲットしてる不思議なコンテンツがある。子供の頃は自分より年上の人が野球をしているというイメージがあったが、気が付けば同級生になり、そして気が付けば年下となっていたのが十年以上前である。今落ち着いて高校野球を観れば、何故選手の好物がカレーライスであるなどという野球とは極めて無関係なことを公共の電波でがなり立てて野球中継を行うのか、たかだか一クラブ活動なのに青春の全てが凝縮していると思いこませようとしているのか、高校生らしいという美名の元で丸刈りをかつては強制しようとしていたのであろうか、どう考えても三遊間まっぷたつの届くはずもないボールにスライディングして飛び込まないと内野手がさぼっているように批判されるのであろうか、九回裏二死走者無しでピッチャーゴロを打ってしまったバッターランナーは訳もなく一塁へヘッドスライディングしなければならないのか、勝てば校歌を歌えるという設定を負けたら歌えないのはかわいそうだという不思議な名目で序盤に校歌の演奏をするように変更したものの勝ったところでスポーツ推薦できた選手どもは校歌など歌えるはずもなく今更何を以て校歌を歌わせる必要があったのか、などと疑問が沸き上がって仕方がなかったりする。世の中にはJVCのポスターを四十九代表全て集めて悦に入るコアなファンもいるが、そのコアである所以は石原さとみや鈴木杏にあるのか、はたまたその下に書かれている「××県代表○○高校」にあるのかが不明である。そんな高校野球であるが、テレビを見ながら通ぶって「そこでバントするのが広商野球じゃ」などと俺様は木内マジックの向こうを張っているんだとでも言いたげな迷采配を食堂で一人ごちるおっさんどももいたりするが、高校野球はやはり甲子園球場で見るものでは無かろうかと個人的には思ったりもする。夏の風物詩として定着し、きっと俳句の季語として採用される日も近いであろうこの大会はある意味夏祭りで品評会であり、秋にはたわわな収穫物としてドラフトと言う名の競りで各球団が収穫していくのであろう。祭りの最中にぶっ壊れて使い物にならなくなる選手もいたりするがこれは太陽神への生贄であると思うべきであろうと玉木正之が書いていたと言うことを去年も日記に書いたような気がするがまあいいか。戻る↑
    8月4日(水)「台風発生即上陸即成仏」
    先週もお行儀の悪い台風に惑わされていたような記憶があり、今年の台風はひねているねと訳の判らない感慨を抱いていたことがあった。とおもえば本日昼過ぎにいきなり日本の近海で台風が発生したと言うから驚きである。台風というのは遥か南のフィリピンとかあの辺で発生してじりじりじりじり日本に近づくものだと思っていたら、台風になりました、日本に近づきました、上陸しました。通り抜けました、低気圧に化けました、という一連の台風の生涯を一日で駆け抜けてしまったりする。確かに海水面温度等の台風が発生する条件はもとより黒潮の恩恵もあって揃っているのだが、これまで発生しなかったのは偏に夏の太平洋高気圧が今年ほど強力でなかったからに他ならない。今年の猛暑ぶりが生んだ不思議な現象なのであろうが、随分と生き急いだ台風だなと言うのが正直な感想。戻る↑
    8月3日(火)「suicaとicoca」
    ICOCASUICAJR東日本とJR西日本はそれぞれがICチップを利用した非接触型プリペイドカードを発行していたのだが、この度お互いのカードが利用できるようになったと言うことである。不幸にしてすでにカードを両方とも持っているごく稀な人種である僕は、財布に2枚入れておいたらどっちからチャージした金が抜かれるのだろうかという嫌がらせのような疑問しか沸き上がらないし、そもそもsuicaでもicocaでも財布に2枚入っていたらどうなるんだろうかと素朴な疑問が沸き上がって夜も眠れないと言う状況である。しかしながら、実はもっと困ったことに日々利用している阪急電鉄がPiTaPaなどという同様のサービスを始めたから財布にその手のカードを3枚入れかねない状況となっている。こうなると本当にどうなるのか疑問が沸き上がって仕方がないのであるが、今のところこの質問に的確に答えてくれそうなところはなさそうである。ちなみにPiTaPaは「後払い」であり、毎月の使用金額が指定した口座から引き落とされるという限りなくクレジットカードに近い代物であり、おまけに「VISAかJCBを付けられますよ」という触れ込みなので、限りなくカードに近いというよりもクレジットカードに付加機能を付けてみましたという方が正確なのかも知れない。ちなみに1週間ほど前に申し込んだPiTaPaであるが、なぜか本日書類不備と言うことで差し戻されてきたりする。多分銀行印が間違っているからなんだろうけど、その銀行印がどれだか判らないので困っているというのが実は一番の問題だったりする。戻る↑
    8月2日(月)「日常生活とフェリー」
    関西に住む人間にとって、フェリーというものは別府に向かって瀬戸内海をえっちらおっちら行くものと相場が決まっている。あれはあくまで九州に観光に行くときに使うものであって、生活で必需品かと言われたら、「まあ、道路もあるし、運転するのがしんどい人にとってはええんとちゃうか?その間休めるし」と答えるような代物である。翻って中国四国の瀬戸内の人にとってはフェリーはごく普通に日常的に利用してきたものであった。なにしろ20年前まではフェリーなしで対岸に渡ることなど叶うわけがなかったのである。九州でもそのことは同様で、半島が入り組み離島の多い九州にとってはフェリーは生活必需品である。さて、鹿児島県というのは大隅半島と薩摩半島、そして島嶼部から成り立つ県であり薩摩半島と大隅半島の先端同士を繋ぐフェリーは半島に住む人にとっては必要不可欠なものである。しかしながら半島というものは交通の便が悪いこともあってか人がそれほど多く住んでいないため、事業としてそのフェリーは成り立つかと言われれば確かに厳しい。公共事業というものは費用対効果でのみで語るものではないため、民間の論理で動かれると困るという面がある。しかしながら山川根占間のフェリーを運航していた某ひらがなグループは「採算が取れません」という理由でこの航路での事業を現在休止している。民間企業にとっては採算割れすることなどする義務はないと言いたげである。しかしながら、先日住民の足として新たに指宿根占間にフェリーが就航した。民間会社がやると言い出したからには採算が取れると見込んでいるのであろう。今回は民間が辞めたものを別の民間企業がやると言い出した訳であり、言いたいことがうまく伝わらないのかも知れないが、採算や費用対効果は直接的なものでなく、もっと大きく見て経済波及効果まで見積もる必要があるのではないだろうか。もちろん経済波及効果があったとしてもそれを民間企業は享受できないのだからそれに乗り出さないわけであり、その恩恵にあずかれる自治体がこういった公共事業をもっとやるべきではないだろうか。公共事業と言えば「無駄」「採算割れ」「民間企業では考えられないぐらいのコスト意識のなさ」と叩かれ放題であるが、叩かれるようなこともしているが、そのような崇高な概念もあったりするので一概に「叩けばいいんですよ、役人のやることなんてひたすら叩けばいいんですよ、調子の悪いテレビに対するように」というわけにもいかないように思われる。日本人が近い将来のことしか考えず、ちょっと先まで見渡すことが苦手であるためなかなかこういったことは受け入れられないのかも知れないし、お上を叩けばそれが正義と勘違いしている向きもあるのでこのことはそう簡単には判ってもらえそうにもない。戻る↑
    8月1日)「白馬岳蓮華温泉」
    蓮華温泉黄金の湯道の駅小谷で寝ていたのには意味がある。本日の目的地は白馬岳蓮華温泉であり、ここは下界から遥か離れたところに位置する秘湯である。麓の平岩駅にはこの温泉を目指そうとする不逞の輩がぞろぞろとバスに乗り込んでいたので先んずれば人を制すとばかりに山道をうねうねと駆け上がる。小一時間ほどして到着した温泉は源泉かけ流しの野天風呂であり、風呂につかりながらいまだに雪を被る北アルプスの山々を眺めるなどという贅沢はそうそうできるものではない。人も少なく貸し切り状態で大自然に点在する薬師の湯、仙気の湯、黄金の湯を梯子し、日差しは強いものの涼しく、温泉もやや温めとあってはまったりと心がでかくなろうものである。いい気分で温泉を満喫し、いざくそ暑い下界に帰ろうと温泉を出てすぐに随分と有難くない事態に遭遇した。横からジャガーがうえぺけ号の運転席側のドアにぶち当たり、初めての貰い事故である。こんな山奥の温泉にジャガーで来るのは如何なものかと、おまけにそのジャガーが品川ナンバーであることは如何なものかと、おまけに運転していたのが間違っても自分の甲斐性でジャガーを買えそうにないおねえちゃんであったのは如何なものかと、しかも世間では可愛い系と言われているぽいがいまいちタイプでない女性であることは如何なものかと、とせっかく日常の殺伐感を緩和するために来た温泉が台無しである。如何なものかと思っている要素が悉く殺伐としてるのではないかという疑問は自分が一番よくわかっているので突っ込まないでもらいたい。そのおねえちゃんは飼い主様に教育を施されていたようで、うえぺけ号はどっかを擦ったりコツンとぶつかったりすることを念頭に置いて買っているのだから、戸の開け閉めに問題が無くて、強引に「この微妙な曲線はデザインです」と言えなくもない程度のへこみであればカーコンビニ倶楽部のお世話にもならないし、と関わり合いになりたくないのでやり過ごそうとしたら、「それでは私の気が済みません。お礼といってはなんですが」と万札を握らされてしまったからには受け取らざるを得ない。個人的には、傷の目立たないうえぺけ号のドアよりも、左前がズル剥けになったジャガーの方が被害は甚大であると思っているため、帰宅してこのおねえちゃんは飼い主様に「俺の命より大事なジャガー様に何をしでかしてけつかんねん?ああん?どの面下げて俺に飼われとるんや?」と東京在住だけど妙に関西弁が似合う人に髪の毛をひっつかまれて振り回されているのでは無かろうかとを勝手に妄想しておくのはお約束であろう。そういえばおねえちゃんは「こないだ事故したばっかりなんです」という訳の判らない自己紹介もしていたような気がするが気にしないでおこう。温泉の素晴らしさと、斯様な忘れ得ぬ体験の組み合わせで、この温泉のことは深く心に刻まれることとなったのは間違いない。その後富山で友人ときときと寿司を食べて帰宅。戻る↑