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今年の夏は猛暑であった。クーラーの売り上げは温度に合わせて鰻登りであり、オリンピックによる電化製品の買い換えも手伝ってか電器店は忙しかった模様。熱いときに売れるものといえばやはり冷たいものであり、アイスクリームはこれまたよく売れた模様である。昨年創立三十一周年を記念して三十一円の記念配当をかましてくれた太っ腹なアイスクリーム会社は、この夏の猛暑のおかげで売れ行きが好調であり、この秋の中間決算での配当で十円の増配となった。株主としては有難い限りである。まあ、持っている株がみんながみんなそんな景気のいいことをいってくれるわけではなくて、なかには「五株を一株に圧縮しまして」「十株を一株に圧縮しまして」というなかなかある意味寒いことを言ってくるところもある。多分そんなこんなで世の中はトントンなんだろうと余り深く考えていないし、そもそもは株主優待とか配当を目当てにしているのでつぶれてくれなければまあ良いかというところである。ちなみにうちの会社には社員持株会などという不思議な組織があり、入社式の砌に法務部のおっさんが「インサイダー取引とかで痛くない腹を探られるおそれがありますので、我が社の株式を取得するならば是非とも社員持株会に」と言いだし、半ば強制的に社員から金を巻き上げようと企んでいるフシがあった。我が社の株式を取得することが前提になっているのと強制的に入らせようという姿勢が気にくわなかったというので加入を見送ったのは自明のこと。しかしながら社員持株会の加入率は六十%を越えると言うから社員の愛社精神は素晴らしいものがある。さて、五人いるうちのグループでこの前飲み会となったときにこの話が出て、誰一人として加入していなかったという恐るべき事実が明るみとなってしまった。いかにもうちのグループらしいなあという感じ。五人とも加入してない確率をざっと計算してみたところだいたい一%ぐらいという結果になった。ううん、すごすぎ。戻る↑
朝から紀和町にある布引の滝に出向く。日本100名滝にノミネートされているだけあってなかなかの素晴らしさを誇っていたのだが、如何せん山奥にあり、滝見台に設えている観光案内にあるボタンを押せば音声案内が展開されるという素晴らしい仕組みになっている。この布引の滝とその少し下流にある荒滝は熊野修験道の修行場らしく、きっと滝に打たれて気合いだーと叫んでレスリングに出場する人がいるのではないかと勝手に妄想しつつ素晴らしい滝を撮影する。その後車を熊野本宮大社に進め、世界遺産に登録されたからと行って何かが変わったわけでもない日本に4000近くある熊野神社の総本山に参拝する。
参拝しようとしたところ、地元の人のアンケートに答えることとなったが、その内容は「世界遺産になってこれから観光客が増えたらどないして捌いたらいいか判らないんで、判断材料とするためにアンケートに答えて欲しい」というものであった。昨日はどこに泊まりましたか?とか巡った観光地はどこですか?などという凡そ僕には似つかわしくない質問をされるがそれなりに答える。ヤタガラスという3本足の烏が神様の使いというこの神社は、日本サッカー協会が同じお印をつかっているとあって予選突破を祈願するという不思議な人もいたりするのが味わい深い。そんな神社をあとにして十津川に向かい上湯温泉で温泉パスポートを消費する。十津川に向かい最中に国道沿いにある十二滝という滝を鑑賞し、写真を撮っていたら他にも写真を取りに来た人がいたりした。どうもデジカメで写真を撮っている限りは観光客と呼ばれるものだが、野球帽を逆さに被り一眼レフを首からかけたり、三脚を持ち歩いている場合はそうは思われず写真を撮る人と思われるらしいということがようやく判ってきた。そのあとはひたすら黙々と帰路につく。五條あたりでものすごい雨に遭遇するがそれに構わず車を進め、高校野球の決勝を聞きながら帰宅。今週は近場ということもあってか、余り運転をしたという気がしなかったりする。戻る↑

奈良の大塔村にある道の駅で爆睡し、気持ちよく目覚めていざ高野山を目指す。道は険しいが、ありとあらゆる方角より高野山へ続く道があるというのは弘法大師のそのスケールのでかさによるものであろうと納得しながら山道をひた走る。山上に展開する寺院都市は下界とは別世界であるが、本日の観光目的地はここではなく、高野山はあくまでも通過地点に過ぎないのでその霊験あらたかぶりを膾炙するには至っていなかたりする。昨年めでたく無料開放された高野龍神スカイラインは和歌山県と奈良県を40回以上も行ったり来たりするという忙しい山岳道路であり、和歌山県が山岳部における南北連絡道路としてかなり重点を置いているという話をどこかで聞いた記憶がある。そんな道路ひた走り、龍神温泉に到着する。
温泉は「日本三美人の湯」で名高いが、世の中の人は「日本三大美人の湯」と勘違いしており、龍神温泉が江角マキコと和田アキ子とマッハ文朱の所有物であるとでも信じているかのようである。間違ってもプリンセスメグとかの持ち物ではないと訳の判らないことを言っておこう。風呂上がりまったりとした気分で本日の目的である一般国道371号不通区間末端調査に出向く。この国道は2箇所で分断されているため、都合末端箇所が4箇所有り、そのどちらもが林道で繋がれているため割と簡単に全部を走り抜けることができるといいたいところであるが、かなり濃い道であるため素人にはお勧めできないし、そもそもそんな道をわざわざ通るという目的は滅多なことでは巡ってこない。わざわざこの道を走ったのは他でもなく、この道を走れば関西の国道は全て走ったことになるからである。しかしながら先般の台風等で道路は情け容赦なく部分的に通行止めとなっており、その結果完走はできずじまいでまたここに来る理由ができたと訳の判らない喜びを噛みしめて串本に到達する。そのあと大島でうまい寿司を食い、那智大社では仁和寺の坊主状態であるが那智の滝だけを鑑賞して紀伊勝浦に戻る。港に車をとめ、ホテルの専用送迎船で中の島に渡り、自遊人のパスポートをつかって無料の温泉を楽しむ。露天風呂からは湾内が一望でき、日々の殺伐とした喧噪を忘れる一幕もあったが、送迎船にはどっかの団体が手配をお願いしたのであろうイベントコンパニオンが乗船しており、日常の殺伐とした感情は決して収まることがないのだろうなと思ってしまったりもする。その後熊野川沿いにある道の駅で宴会を始めそのまま爆睡する。戻る↑
ボタンがあれば押したくなるのが人情というものではないかと勝手に決めつけている。実際のところタイムボカンシリーズで「ポチッとな」と言いつつボタンを押すのを見て育った人間に、ボタンを押す誘惑に打ち勝つことができようはずがない。観光地の石碑になぜか組み込まれていたりするボタンがあり、それを押すとご当地ソングが流れるものである。これまで経験したボタン押しは竜飛崎の「津軽海峡冬景色」、塩屋埼の「みだれ髪」、そして下甑島の「おふくろさん」である。いずれも寂れ具合がいい味を出している最果ての地であるが、個人的には天城峠に「天城越え」のボタンを設置してもらいたいところである。ボタンを押すことにうずうずしてしまう人は間違っても独裁者になって核ミサイルの発射ボタンを持てるようになってはいけないのではないかと思ったりもするが、そんな権限を与えられるわけがないので取り越し苦労もいいところ。本日は夕刻より自遊人のパスポート消費活動に出向くこととなった。今週の目的地は勝浦と十津川である。夜中に飛鳥界隈を通過したのであるが、近鉄の飛鳥駅は20年前に訪れたときとはうって変わって随分とお洒落チックになっており、なんと特急まで停まるというから驚きであった。古き良き時代とは隔世の感があるものの、駅前のレンタサイクルは現役であり、史跡はたかだか20年の時の流れなどは誤差に過ぎぬとばかりそこに佇んでいたのが印象的であった、って別に夜中なので観光はしていないのでそういう気がしただけだが。戻る↑
本日は朝よりサントリー山崎蒸留所に工場見学である。原酒のテイスティングができるとあって、昨日の疲れもどこへやらである。7月に拠ん所なき理由で中止と相成ったためいささか気合いの入り方が大きいことは否めないが、素晴らしいウィスキーを前にして、何ができようかという感じである。今回山崎蒸留所が自信を持って提示したウイスキーの原酒はバーボン樽仕込み、スモーキー、シェリー樽仕込み、ミズナラ樽仕込みの4カスクであり、いずれも去年満喫したものと同じであった。ミズナラ樽ものはジャパニーズシングルカスクとして去年本数限定で通信販売をしていたらしいが、それは20年ものであり、本日味わう幸運に恵まれたのは40年ものであった。悠久の時を過ぎて我々の前に姿を現したそのウイスキーは3代前のブレンダーの「捨てるのはいつでもできる、今倉庫に空きがあるからそこに眠らせておけ」という絶妙の決断によって残った僥倖の産物であり、ミズナラがホワイトオークと比べて弱い木であるため樽の肉厚が分厚くなり、それ故木の成分が大量にじわじわとウイスキーに溶け込むこととなったということはあとになって判ったことらしい。今回のツアーに参加していて僕の向かいに座っていたおっさんは「私余市でマイウイスキー製作体験もしてきました」という話を始め、ウイスキーのコアな話を繰り広げられてきた。そのあと白州の樽出原酒15年ものやニューポットなどを味わって蒸留所をあとにする。その後友人宅に出向いてひとしきり騒ぎ帰宅。昨日の疲れが取れていないのか異様に眠いのでさっさと寝ることとした。戻る↑
道の駅で朝飯を食べ、いざ本日も温泉三昧となる。まずは車を国道405号の栄村末端へとすすめ切明温泉を目指す。中津川の河原を掘ると温泉が湧きだしており、その温泉と川の水を適温になるようにブレンドして湯船を作成し、適当に浚渫をしていざ入浴。温泉に入りながらの大自然の観賞は素晴らしく、その味わい深さにしばし時を忘れる。河原のワイルドな温泉を満喫したあとは小赤沢の「赤い温泉」を目指し、しょっぱく鉄臭い温めの温泉を満喫する。そののち車を十日町に進め、小嶋屋でへぎそばを食する。へぎそばをこれまでに食った回数は五回あり、十日町の本店は二回目である。四人前のへぎと三人前のへぎは大きさが同じであるが、一口の量が微妙に四人前の方が多く、そのような方法でボリュームをコントロールしていたのかと新たな感動を覚える。そばを満喫してここで解散となり、一路自宅への帰路を辿ることとなる。ということでまだ走っていない405号を津南より安塚へと走り、浦川原に県道で抜けてそこからは253号で上越へ。上越でガソリンを入れて北陸道に乗り、有磯海SAで晩飯を食べて更に車を走らせる。余りに眠いので金沢からは下道を走り、小松で一時間半ほど爆睡し、その後は武生までした道を走る。武生からは高速で敦賀に行き、敦賀からはいつもの通り帰宅。久しぶりにガシガシと下道を走って帰ることとなった。帰宅したのは二時過ぎでそのまま即爆睡となった。三日間で巡った温泉は7箇所であり、そのどれもが素晴らしい温泉であった。次回またこういう企画を立ててどっかに行くべしと言うこととなったが、やはり温泉は冬がいいという意見になりそれもそうだなと納得した次第。と言うことで、いい温泉を探し求めてこれからも週末は走り回ることになるのだろうと自分に都合良く解釈してお盆の避暑と温泉巡りは終わりを告げたのであった。戻る↑
マルメロの駅長門は素晴らしい道の駅であり、コンビニがその横に併設されているため宴会をするには最適の場所である。宴会のみならず、朝食の調達も容易であり、前の国道は交通量が比較的少なく標高も600mもあるため、寝るにも最適の環境である。そんな道の駅を出発し、本日も高地で温泉につかるという避暑を実行する。まずは戸隠嬬恋あたりで高原野菜の畑の中を突っ切り、一日五本しか電車がこないという吾妻線の大前駅に向かう。最果てという雰囲気を醸し出すこの駅は、隣の万座・鹿沢口およびもう少し手前の長野原草津口で電車を悉く止められてしまうためにこのような情けない本数しかやってこないと言う理由があり、吾妻線そのものが寂れているというわけではないがそれにしても寂れていることは否定できない。大前駅を探索した後に草津温泉を目指す。
草津温泉はこれで来るのが三回目ということでかなり町の勝手が判り始めており、町中の駐車場に適当に行列して車を止め、いざ外湯へと出向く。本日ご利用させてもらった関の湯は土産物屋が建ち並ぶ一角にあり、男女とも三人程度が入ることができる程度の小さな共同浴場である。湯がいささか熱かったので水道水を加えて頃合いの温度に調節し、源泉100%でなくなったがそれでいても掛け値なしに素晴らしいお湯を満喫する。草津で昼飯に上州名物の手打ちうどんを堪能し、いざ志賀高原を目指す。日本屈指の高原を走る国道である292号は素晴らしく、硫黄の噴煙を必要以上に吹き上げる白根山の脇を窓を閉めて走り、国道最高地点である渋峠に到達する。新しくできたというどうでもいいモニュメントはほっといて、喫茶室は群馬県、レストランは長野県という不思議な渋峠ホテルなどを鑑賞し、四年前の置きみやげの撤収作業などを済ませて熊ノ湯温泉へ向かう。熊ノ湯温泉に洗面器持参で向かった瞬間にフロントのおっちゃんがスタンプを取り出したという手際よさに少し恥ずかしくなりつつも心ゆくまで素晴らしい温泉を堪能する。そののち車を飯山にすすめ、友人の奥さんが水没させた携帯を機種変更し、食材を買い込んでいざ野沢温泉を目指す。野沢温泉では大湯に向かい、ぬるいという方でも十分熱いという温泉を堪能し、ちょっとだけ熱い方にも入って風呂上がりにラムネなんかを味わう。そののち車を道の駅信越さかえに進め、昨日と同様に宴会を開始。日本酒と焼酎を心ゆくまで味わい友人の奥さんの誕生日を祝って本日は没する。戻る↑
平湯バスターミナルで目覚め、車をあかんだな駐車場に動かしていざ上高地へ向かう。上高地の鉄則は「早期到着、早期撤収」であり、朝七時に平湯を出発するのはある意味タイムリミットギリギリである。大正池でつくばからきた会社の友人夫妻と待ち合わせ、上高地の散策をはじめる。神河内とも呼ばれていた上高地は快晴に恵まれ、素晴らしい景色を堪能し、自然の織りなす情景は何も語らずして一幅の絵画であり、姑息な科学技術の賜物でその一角を切り取るように撮影した代物を見て回顧しようともそのときの感動には遠く及ばない。自然は斯くも偉大であり、人間はそれに飲み込まれる他無いのであると言うことをまざまざと見せつけられるがそれでいて穏やかである。雪解け水の梓川に足を浸し、都会生活でひ弱となっていた足裏のツボを刺激しつつ自然と戯れ、たっぷりと満喫していざ帰路につく。昼を過ぎて帰ろうなどと言う巫山戯た了見で上高地をあとにするとなれば、殺伐としたバス待ちの行列に並ばざるを得ず、心の安らぎを求めていたのに殺伐さのみが残ることとなるためそこまで上高地にいたいのであれば宿泊を激しくお勧めする次第である。下界の平湯に降り立ち、朴葉味噌とそばに舌鼓を打つ。夏の間のみ通過が可能な安房峠を越え、乗鞍温泉に出向く。無料の硫化物泉はすばらしく、温泉とは斯くあるべきだという話になるが、近傍の入浴剤を投入した温泉の話題には皆敏感で、今日はきっちりバスクリンを入れてるんかいのうなどと言うベタでディープなはなしはきっちりと繰り広げられるところはいかにもである。温泉が持つ人を癒す力は人間の姑息な考えで歪められるような甘っちょろい代物ではないが、人間が温泉に対する希望や願望を失えばその力は人間に伝わらなくなるのではないかというのが一番心配するべきことであろう。そのあと車を毒沢鉱泉にむけ、自遊人のパスポート消費が始まる。毒沢鉱泉は信玄の隠し湯として有名であり、鉄とアルミニウムが溶け込んだ得も言われぬ味わいを持つ冷泉であり、冷泉を湧かした湯と源泉に交互に入って体を温め、自然の息吹を感じ取る。そののち諏訪で食材を買い求め、マルメロの駅長門で宴会をして車中泊。一日フルに動きまくっていたせいか眠くなり、宴も酣闌となる前に眠りこけてしまい撤収。戻る↑
一夜明けて毎年恒例のラジオ体操が始まると思いきや、今年はそのようなものは執り行われず集ったメンバーはめいめい己の帰りたい経路で帰路につく。今回は標高2360mという自家用車で越えることができる峠としては日本最高地点である大弛峠を目指す。この峠を目指すに利用する川上牧丘林道は山梨県東山梨郡牧丘町側は舗装されているものの長野県南佐久郡川上村側は未舗装であり、ダートというかかなり大きな石がゴロゴロとしているため普通車でここに出向くことは素人には激しくお勧めできないと言う感じであった。峠から見る景色は素晴らしく、峠で空気を詰めたペットボトルは下界に行くに連れて激しくベコベコにへっこむこととなるのだがそれはあとの講釈で。川上村は霧立そばの名産地で、高原野菜の生産地でもあるという高原の村であり、夏の日差しが強いものの涼しかった。今の時期は最もそばがうまくない時期であるため食したそばにはいささか満足し得ないものがあったのだが、地元産のそばに舌鼓を打つ。そのあと長きに亘りこれまで幾度と無く跳ね返されてきた十石峠に出向くべくぶどう峠経由で一旦群馬に入り、十石峠を越えて再び長野に戻る。途中乙女の滝などという素晴らしい滝があるということでそちらに出向き撮影を試みる。佐久町からは麦草峠を目指し、八千穂高原でソフトクリームを食し、八ヶ岳からの雄大な景色を満喫する。峠を越え、山を駆け下りて茅野の湯川温泉「河童の湯」でまったりと温泉に入り、高速に乗って一路帰路につく。しかしながら疲れが溜まっていたため自宅に辿り着く前に仮眠をしたりで思ったよりも時間をかけて帰宅。充実した休日であるが翌日に疲れが残りそうなそんな勢いであった。本日の行程でペットボトルが激しい音を立ててへっこんだのは茅野市内に降り立ったときであり、自宅に帰り着いたときは相当へっこんでいたことからやはり高地の気圧は低いのだなあと感動した。戻る↑


夏を涼しく過ごす、をコンセプトに毎週末出かけているのだが、これは自遊人という雑誌の影響が大きい。自遊人には日本各地の味わい深い温泉を無料で利用できるパスポートが付いているのである。今週もこれを利用するべく出向いてみた。まずは御嶽山の北西に位置する標高1800mにある濁河温泉を目指す。温泉にはいることができるのが14時からということで、それまでの時間つぶしとして滝巡りに出かけることとした。下呂市に吸収合併された小坂町は滝が至るところにあり、いずれも素晴らしいものであった。秘境中の秘境である観音滝は音はすれども姿は見えずという滝であり、木造のいささかくたびれた吊り橋を渡ってたどり着いたところにある滝は前に大岩が立ちはだかり、その姿を見せないと言う味わい深い滝であった。そのあと厳立に出向き、これまた素晴らしい三つ滝を鑑賞する。三段に分かれているこの滝の全貌を撮影することは難しく、まだまだ己の腕が足りないことを実感する。そのあと日本百名滝のひとつである根尾の滝に行こうとしたが、滝が最寄りの駐車場から徒歩一時間という話を聞いた瞬間に行く気が萎え、大人しく途中にあった「あかがねとよ」と「唐合滝」に出向くこととした。あかがねとよは滝壺に水はあるものの水は落下しておらず意外な感じを受けた。唐合滝は音も激しく流れ落ちる豪快な滝であり、その水飛沫は夏にあって涼を楽しむものとして素晴らしいものがあった。そんな滝ばかり立ち寄っていたところ結構いい時間になったので温泉に向かう。温泉では「今掃除中で」としばし待たされるが、毎日きちんと掃除をしていることに好感が持てるものであった。脱衣場にあったぶら下がり健康機も温泉の味わい深さの演出には不可欠であり下界とはまるで別世界の涼しい気候の中での温泉を満喫する。一つ文句を言うならば、この温泉に出向く人が多く、行きも帰りも車が多かったということだろうか。そのあとは県道経由で開田村に抜け、木曽福島から権兵衛峠を越えて伊那へ。伊那から高速をぶっ飛ばして甲府に向かい、牧丘のはやぶさ温泉で大量のかけ流し温泉を満喫する。露天風呂に出向いたところ本日のみとみの集会に行く顔見知りのメンバーと遭遇し、ここで風呂に入っておくという似通った行動パターンに納得してしまう。みとみでは10名以上が集まり、涼しい中で宴会が繰り広げられ、下界の猛暑をよそに涼しい中で熟睡する。戻る↑
高校野球という不思議なスポーツがあり、プロよりも明らかに未熟な技術を披露するという大会なのに夜のナイター中継よりも高い数字をゲットしてる不思議なコンテンツがある。子供の頃は自分より年上の人が野球をしているというイメージがあったが、気が付けば同級生になり、そして気が付けば年下となっていたのが十年以上前である。今落ち着いて高校野球を観れば、何故選手の好物がカレーライスであるなどという野球とは極めて無関係なことを公共の電波でがなり立てて野球中継を行うのか、たかだか一クラブ活動なのに青春の全てが凝縮していると思いこませようとしているのか、高校生らしいという美名の元で丸刈りをかつては強制しようとしていたのであろうか、どう考えても三遊間まっぷたつの届くはずもないボールにスライディングして飛び込まないと内野手がさぼっているように批判されるのであろうか、九回裏二死走者無しでピッチャーゴロを打ってしまったバッターランナーは訳もなく一塁へヘッドスライディングしなければならないのか、勝てば校歌を歌えるという設定を負けたら歌えないのはかわいそうだという不思議な名目で序盤に校歌の演奏をするように変更したものの勝ったところでスポーツ推薦できた選手どもは校歌など歌えるはずもなく今更何を以て校歌を歌わせる必要があったのか、などと疑問が沸き上がって仕方がなかったりする。世の中にはJVCのポスターを四十九代表全て集めて悦に入るコアなファンもいるが、そのコアである所以は石原さとみや鈴木杏にあるのか、はたまたその下に書かれている「××県代表○○高校」にあるのかが不明である。そんな高校野球であるが、テレビを見ながら通ぶって「そこでバントするのが広商野球じゃ」などと俺様は木内マジックの向こうを張っているんだとでも言いたげな迷采配を食堂で一人ごちるおっさんどももいたりするが、高校野球はやはり甲子園球場で見るものでは無かろうかと個人的には思ったりもする。夏の風物詩として定着し、きっと俳句の季語として採用される日も近いであろうこの大会はある意味夏祭りで品評会であり、秋にはたわわな収穫物としてドラフトと言う名の競りで各球団が収穫していくのであろう。祭りの最中にぶっ壊れて使い物にならなくなる選手もいたりするがこれは太陽神への生贄であると思うべきであろうと玉木正之が書いていたと言うことを去年も日記に書いたような気がするがまあいいか。戻る↑

JR東日本とJR西日本はそれぞれがICチップを利用した非接触型プリペイドカードを発行していたのだが、この度お互いのカードが利用できるようになったと言うことである。不幸にしてすでにカードを両方とも持っているごく稀な人種である僕は、財布に2枚入れておいたらどっちからチャージした金が抜かれるのだろうかという嫌がらせのような疑問しか沸き上がらないし、そもそもsuicaでもicocaでも財布に2枚入っていたらどうなるんだろうかと素朴な疑問が沸き上がって夜も眠れないと言う状況である。しかしながら、実はもっと困ったことに日々利用している阪急電鉄がPiTaPaなどという同様のサービスを始めたから財布にその手のカードを3枚入れかねない状況となっている。こうなると本当にどうなるのか疑問が沸き上がって仕方がないのであるが、今のところこの質問に的確に答えてくれそうなところはなさそうである。ちなみにPiTaPaは「後払い」であり、毎月の使用金額が指定した口座から引き落とされるという限りなくクレジットカードに近い代物であり、おまけに「VISAかJCBを付けられますよ」という触れ込みなので、限りなくカードに近いというよりもクレジットカードに付加機能を付けてみましたという方が正確なのかも知れない。ちなみに1週間ほど前に申し込んだPiTaPaであるが、なぜか本日書類不備と言うことで差し戻されてきたりする。多分銀行印が間違っているからなんだろうけど、その銀行印がどれだか判らないので困っているというのが実は一番の問題だったりする。戻る↑
道の駅小谷で寝ていたのには意味がある。本日の目的地は白馬岳蓮華温泉であり、ここは下界から遥か離れたところに位置する秘湯である。麓の平岩駅にはこの温泉を目指そうとする不逞の輩がぞろぞろとバスに乗り込んでいたので先んずれば人を制すとばかりに山道をうねうねと駆け上がる。小一時間ほどして到着した温泉は源泉かけ流しの野天風呂であり、風呂につかりながらいまだに雪を被る北アルプスの山々を眺めるなどという贅沢はそうそうできるものではない。人も少なく貸し切り状態で大自然に点在する薬師の湯、仙気の湯、黄金の湯を梯子し、日差しは強いものの涼しく、温泉もやや温めとあってはまったりと心がでかくなろうものである。いい気分で温泉を満喫し、いざくそ暑い下界に帰ろうと温泉を出てすぐに随分と有難くない事態に遭遇した。横からジャガーがうえぺけ号の運転席側のドアにぶち当たり、初めての貰い事故である。こんな山奥の温泉にジャガーで来るのは如何なものかと、おまけにそのジャガーが品川ナンバーであることは如何なものかと、おまけに運転していたのが間違っても自分の甲斐性でジャガーを買えそうにないおねえちゃんであったのは如何なものかと、しかも世間では可愛い系と言われているぽいがいまいちタイプでない女性であることは如何なものかと、とせっかく日常の殺伐感を緩和するために来た温泉が台無しである。如何なものかと思っている要素が悉く殺伐としてるのではないかという疑問は自分が一番よくわかっているので突っ込まないでもらいたい。そのおねえちゃんは飼い主様に教育を施されていたようで、うえぺけ号はどっかを擦ったりコツンとぶつかったりすることを念頭に置いて買っているのだから、戸の開け閉めに問題が無くて、強引に「この微妙な曲線はデザインです」と言えなくもない程度のへこみであればカーコンビニ倶楽部のお世話にもならないし、と関わり合いになりたくないのでやり過ごそうとしたら、「それでは私の気が済みません。お礼といってはなんですが」と万札を握らされてしまったからには受け取らざるを得ない。個人的には、傷の目立たないうえぺけ号のドアよりも、左前がズル剥けになったジャガーの方が被害は甚大であると思っているため、帰宅してこのおねえちゃんは飼い主様に「俺の命より大事なジャガー様に何をしでかしてけつかんねん?ああん?どの面下げて俺に飼われとるんや?」と東京在住だけど妙に関西弁が似合う人に髪の毛をひっつかまれて振り回されているのでは無かろうかとを勝手に妄想しておくのはお約束であろう。そういえばおねえちゃんは「こないだ事故したばっかりなんです」という訳の判らない自己紹介もしていたような気がするが気にしないでおこう。温泉の素晴らしさと、斯様な忘れ得ぬ体験の組み合わせで、この温泉のことは深く心に刻まれることとなったのは間違いない。その後富山で友人ときときと寿司を食べて帰宅。戻る↑