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本日は朝から吹田にあるアサヒビールの工場に出向き、「ワールドビアフェスティバル」などと言う催し物(要するに工場見学)に出向く。予約をしたところ「九時半の回しか空きがございません」と言われたので起き抜けにビールを流し込むという一日ぐずぐずダメダメとなるプランが謀らずしも構築されてしまった。工場見学は限りなくお座なりで、その後の30分一本勝負に情熱を注ぎ、良い気分になってふらふらと淡路に向かう。城東貨物線の赤川鉄橋を徒歩で渡り、やってくる貨物列車を撮影する友人を尻目に河原で昼寝を決め込み、こんがりと日焼けをしていざ大阪へ。先週末より疼いていた物欲を昇天させるべくキヤノンとニコンのショールームに出向く。実際触ってみて、また説明を聞いたりして買うべきものを決定し、ヨドバシ梅田で六月一日は写真の日であるという不思議なキャンペーンで少し安くなっていたので迷わずにキヤノンのEOS kiss Digitalを購入する。購入する決め手となったのは決してキヤノンのショールームのおねえちゃんがタイプであったわけではないことだけは付け加えておく。帰宅して使い方のDVDを見たりしてしばらくは勉強の日々となりそうな勢い。戻る↑
このところ全く触れることがなかったモー娘。の話であるが、最近マンネリ化が進んでおり、特に楽しい話題もなく取り上げる程のものではないということであって飽きたわけではない。本日取り上げたのは他でもなくメンバーがまたもやリストラされるからである。これでオリジナルメンバーがいなくなるという事態になるのだが、オリジナルメンバーであることにどれほどの価値があるのか不明であり、時代の要請と共にメンバーは替わるべきである。世の中で勘違いしている人が多いので申し上げておくと、モーニング娘。というのはあくまでも「ハロープロジェクト」の中の一ユニットに過ぎず、引退だの卒業だのリストラだのと言う話はプロジェクト内の人事異動に過ぎないのである。モー娘。というユニットに参加できるメンバーが一軍であってれ以外はどうとかこうとか言う人もいるが、そういう代物でもない。ちなみに世間では「ラブマの法則」というまことしやかな話も流布しており、石黒市井中澤後藤保田安倍飯田の順にラブマシーンのジャケット写真右上から順に辞めているからどうとかこうとかという話もある。しかしながら安倍と飯田の間に辻加護が辞めているということを見ないふりして言い張る勝手な法則なので信憑性のほどは薄いというかこじつけも良いところである。本日は年柄もなく熱く語ってしまったが、他に書くネタがないと言うか拉致家族の帰国についてコメントしたくなかったのでこのネタにしておいたと言うのが正解。戻る↑

昼までうだうだと過ごし、昼から沸き上がる物欲を抑えるべくヨドバシ梅田に出向く。最近自前のデジカメで取れる画像に少し不満が出てきており、更なるグレードアップした画像を撮影できるデジカメが欲しくなったのである。現在のデジカメの不満を解消できるものは画素数やズーム機能だけではもはや満たされない状況にまで達しており、これはもう一眼レフデジカメに手を出さざるを得ない状況である。ということで本日は市場調査ということで出向いた次第。出向いていろいろと物色をしていたのであるが、本日は情報収集に留め、購入は来週以降にしようと踏ん張ってみる。その代わりと言ってはなんだが、一眼レフデジカメでも使用でき、持ち運びに便利な三脚を購入して本日の物欲をとりあえず押さえつけてみる。しかしながら、多分この物欲は収まりがつかないので近日中に購入の運びとなるようである。そんでもって最近つき合いの悪い友人宅に押しかけ、久々に顔を合わせて帰宅。大阪市内に車で行くのは随分と久しぶりであったが、やはり公共交通の発達している都市間はよほどの大荷物を担がない限りは電車の方が良いなあと思った次第。戻る↑母が子供を産むのではなく、子供を産んで母になるということをかなり実感したりする。
このところ週末の外出が続いたので、今週は大人しくしていることにした。ということで、神戸で伊能忠敬の日本地図展を開催していたので出向いてみた。尾崎豊の17才の地図とは違い、伊能忠敬の53才の地図は含蓄に溢れ、当時の技術を結集して作った傑作ぶりを遺憾なく発揮していた。それ以前の地図を見て思ったことは、人は誰でも自分のいるところを大きく描き、人の住んでなさそうなところは適当に小さく描いてしまうものだということである。できるだけバランス良くと思っていてもその辺がついつい出てしまうのであろう。それと新たな発見としては、あれだけ北方からの来襲に備えるために北海道の地図を気合い入れて作ったのに、知床半島だけはついぞまともに調査されることなく明治時代を迎えたのだなあという事がある。知床半島の奥地はまるでロンダルギアの如く霞が掛かっており、正確な海岸線は明治時代になるまで明らかにされなかったというのは味わい深いものがある。大きな地図を心ゆくまで見るためにはやはり床に広げるのが一番であり、見学者はやはり自分の地元は昔どうであったかについて思いを馳せるようで、なぜか夢中になって四つんばいになって地図を眺めていたりする。館内は写真撮影禁止ということらしいが、この写真はあくまで展示品を気合い入れて見学している客を撮影したものであって、展示品を写しているわけではない。この大図に僕の住むところの部分が書けていたのは大変残念である。ちなみにこの伊能大図の精密複写版を207枚セットで865万円で売るという商魂の逞しさには頭の下がる思いがしたりもする。そのあとなんばへ楽しく飲みに行き、良い気分になって帰宅。久しぶりにこういう週末を過ごしてみた、という感じである。戻る↑
九州土産、というかボリュームからいえば「買い付け」をしてきた焼酎を晩酌時に消費する日々が続く。手始めにと飲み始めたのが大崎の焼酎「華奴(はなやっこ)」で、地元志布志で買い求めたものだが、地元の芋と湧き水で仕上げた逸品で、芋のふくよかな香りの引き立つ素晴らしい一本であった。こんな焼酎を毎日飲める鹿児島県民をうらやましく思う一方で、大量生産された香りも風味もないエチルアルコールを摂取するためだけに作られた焼酎みたいな何かを飲むために梅やレモンを入れる奴らが「焼酎なんてこんなもんだよ、けっ、そんなつまんねえ酒飲んでる鹿児島人って情けねえよなあ」と間違った認識を持たれているのも事実であろう。それにしても、最近地元の酒屋でも「本格焼酎」と銘打ってそれなりの焼酎を出すようになってきたのだが、なんだか随分と値が張っている。地元に行けば1升瓶で2000円という価格であるため、そのギャップを考えるとそこで買って飲むという気力が沸かないというのも事実である。通信販売で「あの幻の焼酎森以蔵を飲みませんか?」という謳い文句の下で、小瓶に小分けした森以蔵を100ml1000円で売っているという極悪非道な業者もいるのは事実で、値段が高ければそれだけうまいということを勝手に思いこんでいる人が多いということなんだろうなあというありきたりの結論に落ち着いたりもする。戻る↑
河口湖からは上九一色村経由で身延に入り、いざ安倍峠を越えて静岡市の奥地梅ヶ島温泉に挑もうとしたが、この暖冬であったくせに本日いまだに冬季通行止めであり、昨日のフェリーもそうだがやる気のなさに愕然とする。気を取り直して井川湖に抜ける林道に向かうが、ここも冬季閉鎖というやる気のなさであり、いけるとこまで行くかと車を進め雨畑集落の廃校跡の温泉にまったり浸かり、見神の滝を見て引き返す。
雨畑集落には日本軽金属のダムがあり、土砂の堆積率が相当なレベルまで達しているためそろそろ限界じゃないですかということが感じ取れるのだが、アルミの精錬にはやはりバカみたいに電気を食うのだなあということをひしひしと感じさせるものがあった。水力発電所を電力会社以外で持っている会社としてはたぶん日本軽金属とJR東日本ぐらいではないかと思っているのだが真相のほどは不明。その後は大人しく52号を南下し清水から高速に乗って帰宅する。日本平PAで休憩したときに、トイレの「忘れ物に気をつけろ」という掲示にポルトガル語が併記されていたりすることなど、今週末は静岡の奥深さを感じるものとなってしまった。戻る↑

壬生野あたりで友人がくたばったので酔いも醒めたことだということで運転を代わる。名阪国道は相変わらず殺伐としており、一般国道としては些かハイスペックであるが、トラックが犇めき合って凄まじい速さで走ることには不向きな線形をしているため、無料という魔力がここまで人を駆り立てるのかとある種の感動を覚えてしまう。
その後はいつもの如く豊明まで高速、そこから1号をべたに走って静岡の有料4バイパスを夜間無料時間帯のうちに通過し船の出航2時間半前に清水港へ到着。切符の発売は7時半からという案内を受け、探索に出かける。港に整備されているフットライトはサッカーボールが形取られ、清水市、もとい静岡市の少年はこれを日々蹴り倒すことにより足首を鍛えているのかと妄想に励んだりする。清水といえば清水の次郎長とか清水港線とか三保の松原とか味わい深いものが思い出される。実際清水次郎長の船宿「末広」跡地の石碑や、清水港線の巴川口駅跡、そして巴川に架かるはごろも橋のたもとには天女のモニュメントまで飾られており、清水は味わい深い街であった。
港に戻り切符を買いに行ったら、窓口のやる気が全くないおねちゃんが「表に掲げている札が下田行きになったら買いに来てください」と自分がその札を掲げるくせに他人事なしゃべりをするのでかなり腹が立ってしまう。そうこうしているうちに時間がなくなってきたので飯を食いに近くのココスに向かい、「すぐにできるやつ」を注文したのに待てど暮らせど持ってこない。静岡県民のやる気のなさに苛つきながらも港に戻り切符を買うが、フェリーでは凡そ考えられない値段体系に驚いてしまう。清水下田が8500円というのはフェリーとしてはちょっと高いかな?という感じなのだが、その内訳が「車5000円、人3500円」というのはかなり凄まじいまでの設定である。
何度か窓口でゴル活した甲斐があってか、なぜかいい席をキープしてくれたので上機嫌になるが、昨晩からの疲れも相まって速攻で横になり爆睡してしまう。テクノスーパーライナーは時速80キロを出すという鳴り物入りでデビューしたが、その揺れは凄まじく、またその速さゆえにデッキに出ることはまかりならないということもあって、乗り心地はお世辞にも良いとは言えない。おがさわら丸がテクノスーパーライナーに取って代わるということであるが、16時間もこの揺れに船の中で耐えるのは限りなく拷問に近いため、乗客のQOLを凄まじく低下させるのではないかと勝手な想像をしてしまう。船内では、売れないため2900円→500円→300円という凄まじいまでのプライスダウンを達成した「LLサイズしかない記念Tシャツ」というマーケティングリサーチを怠りすぎのグッズを購入したりして下田に到着。下田からは適当に波打ち際を走り、熱川温泉で海を見ながら温泉に入ったり、激混みの湘南海岸で我慢大会に参加したりして久里浜へ。久里浜からは東京湾フェリーで浜金谷に渡り、富津岬経由で千葉へ。飲みに行った店の女将さんは5時間ぶっ通しで運転して京都まで行ったという不思議な武勇伝を披露してくれたりする。千葉在住の友人と飲んでいたのだが、後から奥さんも駆けつけてひとしきり飲み、九州に思いを馳せるような話になったのでそれとなく唆してみたりする。ホテルに戻りそのまま爆睡する。戻る↑
本日は朝早くから出張に出向く。このところ不思議な出張が続いており、今回もこれまた不思議な出張であった。会社の業務で使うことになるであろう統計処理法を学ぶべくセミナーに参加したわけである。出張の申請時に訪問先を記入する欄があるのだが、今回の出張先であるセミナーの会場は「こどもの城」ということで、必要以上に「どこにいくんや?」と職場で聞かれたりするのは少し迷惑である。「こども」が良くないからといって「おとなの城」という名前をつけられた日にはもっと別の妄想をされそうでかなり嫌なのであるが。そんな曰く付きの会場に出向き、セミナーは始まる。昼にはセミナー屋が準備した窮めて不味い弁当を食わされ、これも我慢のうちかと思いつつ隣の国連大学に出向いて展示されている資料を閲覧したり、エントランスで雑誌の写真撮影をしている無名だけど綺麗なおねえちゃんを見たりして過ごす。こどもの城の前には太陽の塔と同じ顔をした不思議な像があり、多分作者は「芸術は場数だ!」と宣言した鬼才岡本太郎であろうと推察するまでもなくそうだったりする。セミナーは勉強になり、なかなか得るものが多かったので満足のいくものであった。その後新橋に出向き日向地鶏のうまい店でモモ焼きや皮やせせりやボン尻を食べつつうまい焼酎に舌鼓を打つ。押さえていたのぞみの指定席は飲み屋を出た頃にちょうど目の前を通過しており、東京から自由席に座って大人しく帰宅。戻る↑
豪雨、濃霧、強風の中、目が覚める。天気予報が当たっているのはいいことかも知れないが、「GW後半は天気が崩れます」がここまで見事に当たるのは驚きである。そういうときだけ当たるなと言いたいわけではないが。そんな中ではあるが、松山に国道MLの友人がやってきており、昼前の飛行機で北海道に帰ってしまうということなので空港まで出向くことにする。途中長浜では肱川に架かる開閉橋を撮影し、町内の不思議な国道トレースは今や解消されていることを確認したりする。松山空港には無事到着し、友人と久しぶりに会う。遠く松山の地で京都と福岡と北海道の人間が会うということをおかしいと言い出せばきりがないが、そんなことは気にしないでおく。友人と別れ、本日は国道494号の黒森峠に出向く。そのあとは439号で大豊まで。途中吾北村の道の駅で「つがにうどん」を食し、放置プレイ状態になっている自分の掲示板に書き込みをしたりする。高知県の情報ハイウェイ構想の恩恵をこんな形でうけるとは思わなかったりする。大豊からは高速道で高松へと向かう。大豊から南国までは濃霧で通行止めであったようで、高知方面へ向かう車が大豊で強制的に下ろされるため、対向車線は激しく渋滞をしており、対向車線と相対的に快適であることがこれほどまでに楽しいものなのかと性格の悪さが露見する。高松からはフェリーで宇野に渡り、宇野からは30号で岡山へ、岡山からは2号バイパスと無料となったブルーラインで備前へ、備前からは山陽道で三木小野まで走り、そっからは175号、372号と走って亀岡からは京都縦貫道で帰宅。家の前にお隣さん宅に帰省している車が立ちはだかり、普段利用しない道から家に入ったところ、左後ろのバンパーとかなり派手目に擦ってしまい、かなり凹んでしまったりする締まりの悪い終わり方であった。くたくただったので、何も考えずにそのまま寝ることにする。なかなか盛りだくさんの旅行であった。思ったよりも温泉に入った数が少なかったのが以外であったが、平均すれば一日一湯以上なのでよしとしよう、ってだれに言ってんだか。戻る↑
本日は温泉三昧と洒落込む。まずは杖立温泉を目指す。現地に行くまで知らなかったのであるが、杖立温泉は「日本一の鯉のぼりの里」を標榜しており、筑後川の支流杖立川にはものすごい数の鯉のぼりが掲げられており、ちょっと多すぎという気がしないでもない。そんな中、川縁にある元湯でまったりと湯に浸かり、そよ風に泳ぐ鯉のぼりを眺めつつ時を過ごす。杖立温泉を後にして、次は黒川温泉を目指す。
黒川温泉でどこがお勧めかなと考えたのであるが、やはりGWをもって廃業するアイレディース宮殿黒川温泉ホテルを差し置いて今行くべきところがどこにあろうかということでそのホテルを目指す。フロントのおばちゃんに聞いたところ、「今掃除中なんで昼過ぎには入れますよ」ということだったので先に他の温泉を回ることにする。大山から玖珠へ谷筋を越えたところにある筌ノ口温泉は二年前にも出向いたのであるが、第二温泉ができたということなので今回はそっちに行ってみた。設備が新しく、お湯は素晴らしい、値段も300円と言うから全くもって文句のつけようがない。さらにさらに、温泉の外にある自動販売機がサンガリアというのが素晴らしさに拍車を掛けているような気がするが、まあそれは僕だけだろう。筌ノ口で温泉を満喫し黒川温泉に戻る。さっきのおばちゃんはおらず、フロントにはおっちゃんがいたのであるが、おっちゃん曰く「外来入浴はお断りしています」とにべもない。
二時間程前に来たときは入れるって聞いたんじゃゴルァとフロントで一悶着し、何とか入れてもらえることに成功する。温泉の設えも湯も素晴らしいもので、ホテルだけに値段が500円というところは致し方ないが、風呂上がりの休憩室の充実ぶりからそれはむしろ当然であろうという気がする。ゆったりと湯に浸かる計画であったが、腰痛防止用のコルセットを巻いていたのを見つけたおっさんが「にいちゃん、腰痛か?ヘルニアか?」と言い出したのがきっかけで腰痛談義が浴槽の中で始まる。去年のGWも東北の温泉で見ず知らずのじいさんと腰痛談義をしたことが思い出される。
ひとくさりその話をして温泉から上がり、次なる温泉地長湯を目指す。長湯には「ガニ湯」という有名な露天風呂があるが、狭い浴槽に押し合いへし合いはいるのは性に合わないので、天満湯を目指す。温泉の建物が自動扉という不似合いなものであったが、実は入湯料の100円を入れると扉が開くというハイテクを駆使したものであり、その面白さに感動する。お湯は天然の炭酸泉がかけ流しになっており、流れ込む天然のラムネを飲みつつ温めの湯にまったりと浸かる。花王のバブの七倍の炭酸ガスが解けているということで、その温浴効果は素晴らしいと書かれているものの、そんな科学的な合成品を基準にされちゃ迷惑という気がする程そのお湯は素晴らしい。その後車を四国に渡すべく算段をするが、当初予定していた佐賀関−三崎国道九四フェリーは満席と言うことで諦め、臼杵−八幡浜フェリーを利用する。別府−三崎フェリーや別府−八幡浜フェリーを利用できないかと別府に行き、やはり満席だったので臼杵に戻ろうとしたら高速道路が事故通行止めで無理矢理大分で下ろされ、出口ではETCが使えなくなっており、出口渋滞にはまる。そのせいで臼杵フェリーには間に合わなかったのだが、次の便が空いていたのでうまく滑り込んで無事四国に上陸。かなり疲労困憊だったので最寄りの道の駅伊方きらら館に辿り着き、爆睡。戻る↑
長崎に渡る富岡茂木フェリーが一日三本(高速艇は更に四本出ているが車乗せられない)しかないので、その第一便に間に合わせるべくさっさと目覚める。まずは三角まで行き、三角線の終着駅三角駅まで向かう。ここから雲仙までフェリーが出ており、これに乗ればさっさと長崎入りできるのであるが、天草の国道を塗るという大事な仕事があるため中途放棄はできない。車を引き返し、大矢野島のローソンでフェリーの切符をloppiでつまみ、さらに西へと車を走らせる。そのあと維和島になぜか車を走らせ、島の南端の上大戸ノ鼻で偶然にもうえぺけ号は22222km走破を達成してしまう。
そんなことをやっているからだと言われればそれまでであるが、ナビ様に富岡港に到着する時間を伺ってみたところ、フェリー出航の一時間後というかなり絶望的なお告げを受ける。しかしまあ、下道なので時計の逆戻しは可能だから大丈夫だろうと高をくくっていたのであるが、ナビ様は真っ当に島の北側を通る国道324号で天草上島は突っ切ってこいやゴルァと示したのに、僕は「まだ塗っていない」という理由だけで南側の遠回りしている国道266号を選択したため、自分で自分に負荷を掛ける結果になってしまう。快走路である324号とは異なり、266号は漁村集落あり峠あり遠回りという困難が待ち受けていたため、車を走らせても走らせても富岡港はなかなか近づかない。上天草市から本渡市に入ったあたりでさすがにやばいだろうとフェリー会社に「今本渡の市街地にいるんですが間に合いますかね」と電話したら「予約してないですよね。下手すると乗れないですよ」と脅され、富岡港に電話して予約状況を聞いてみる。どうも第一便だけは空きがあるけれどその後の便は満杯と言うことで、下手すると本日天草を出ることがままならないということに成りかねないということになりかなりピンチな状況であるが、何とか間に合わせて富岡から茂木へ。車をバックで入れるという今時珍しいフェリーであったが、明らかに減価償却が済んでいそうな船でありGWという事も手伝ってか一つ間違えれば難民船のような感じである。
茂木の港には長崎にいる国道MLの友人が迎えに来ており、最近できた出島道路を利用してトンネルを抜けたら長崎市街地のど真ん中というあり得ない展開を楽しむ。友人のお薦めの店でうまいチャンポンを食べ、車を島原へと進める。多比良には長洲から船で渡ってきた国道MLの友人がおり、そこで今晩久留米に集まるという話がまとまり踏んで渡ってきた友人は車を置いてきた長洲へ、長崎の友人は最寄りの島原鉄道の駅へ、僕は雲仙へと散会する。雲仙では湯の里温泉に入り、共同浴場の味わい深さを堪能する。100円という値段と表通りの必要以上の喧噪とは全く異なる静寂さに温泉の真髄を見た気がした。その後車を小浜に進め、諫早からは有明海沿いに車を進める。諫早の潮受堤防の見物にも行ったのだが、勝手にわいわい騒いでいる人が多いせいかゲートは必要以上に固く閉ざされており、普通なら絶対そんなことはしないであろうと思われる有刺鉄線まで張り巡らされている。そんな風景を撮影しつつ車を久留米へと進める。久留米では三日前にも食べた久留米ラーメンを食し、うだうだと話をしながら時間を過ごす。遠き地に出向いてもなぜかこういう場を持てることが国道MLのありがたさなんだろうなあと思いながら時間は過ぎてゆく。本日は道の駅原鶴で没する。戻る↑
朝起きて、まずは知覧へと車を進める。川辺のファミリーマートで朝飯を買い、いつもの如くディレクターズチェアを車から取り出し、駐車場で青空の下まったりと朝飯に興じる。このファミリーマートにいきなり芋焼酎「石の蔵から」が売られていたので早速購入してしまう。
飯を済ませて、いざ知覧の見学に出かける。知覧といえば特攻隊と武家屋敷であるが、武家屋敷の広がる一帯は車の進入が10時までであり、それまでに車を進め、武家屋敷をバックに写真なんかを撮ってみる。武家屋敷は伊賀の忍者屋敷宜しく巧みな絡繰りが施されており、100円入れると説明が流れる仕掛けになっているなどというハイテク機器が駆使されている。しかしながら「10円玉は詰まるので入れないでください」という表示もあり、武家屋敷の奥深さを感じ取る。特攻隊の資料館はほっておいて目に付いた酒屋にはいる。どうやらこの店はとんでもない掘り出し物であったらしく、まさか下甑島の外で手に入るわけがないと思っていた芋焼酎「五郎」が売られており、一も二もなく買ってしまう。その他にも目映いばかりの焼酎の逸品が並べられており、こんな素晴らしい店があるのかと感動の嵐に包まれつつ知覧を後にする。
後になって考えれば「知覧に何しに行ってきたんですか?」と言われそうなものであるが、「焼酎買いに行ってきた」と断言できるぐらい満足度が高かったりする。その後車を枕崎に進める。枕崎はカツオの町であり、駅前には鯉のぼりならぬ鰹のぼりがはためきその存在をアピールしていたが、枕崎駅自体がうらびれた駅であり、
待合室からホームの間に不思議な空間があり、鹿児島交通の駅に間借りしていた国鉄が、鹿児島交通が撤退した後貰い受けたけど整備を全くしていないまま今日に至るといういい感じの放置プレイぶりがこちらに伝わってきており、最果ての終着駅という雰囲気を遺憾なく発揮している。そんな枕崎を後にして、車は坊津へと進む。坊津は遣唐使船の発着港としてかつては栄えたが、今も遣唐使船は健在であり、一時間1400円コースというお手軽な中国への密航ができるシステムが構築されているようで、堂々とそんな看板が掲げられているのは町が主体となって手引きをやっているため恐いものなしという状況がそうさせているのだろう、とどうでもいいことを考えたりする。
その後野間崎の風力発電所を見学し、バカなポーズを取って写真撮影に講じていた二人連れのライダーの写真を撮ってやったりして時間を過ごす。そんなことで無駄に時間を潰していたので予定よりもかなり遅れて加世田に到着する。加世田にはこれまた素晴らしい焼酎の店があり、店のおばちゃんに「息子が蔵巡りをするからうちの店ではこんなにもいい焼酎が手に入るんです」と一くさり自慢されたりする。ここでもめぼしい焼酎を購入し、気が付けばうえぺけ号の中は一升瓶が10本以上となってしまった。これではいかんと箱にうまく収納し、助手席は焼酎様の鎮座なされる場となってしまったのはお約束気味である。その後車を北へと進め、肥薩おれんじ鉄道の阿久根駅に立ち寄る。
阿久根には駅前から100mだけ国道が海に向かってあり、この国道を以前から塗り残していたのが心残りであったため、今回は無事塗ることができてほっとする。その後車を蔵之元港まで進め、最終のフェリーを40分程待って天草に渡る。天草に到着したときは日がとっぷりと暮れ、雨まで降り始める始末である。仕方がないので本日は天草で没するかと計画を練る。宴会グッズの調達に本渡にあるジャスコに向かったところ、「御所浦のお客様へ」という張り出しがあり、船便に間に合うように港までお買いあげの品物をお運びしますという。この手のショッピングセンターは車で来る客を対象としていただけではなく、船で買い物に来る客まで想定していたと言うことに空恐ろしいものを感じさせられたりする。その後は車を少し東に進め、道の駅有明で本日買った石の蔵を飲みつつ没する。戻る↑