2004年3月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 3月31日(水)「マイルを貯めること」
  • 3月30日(火)「ホームとアウェイ」
  • 3月29日(月)「画期的なお詫びの方法」
  • 3月28日)「南阪奈道路」
  • 3月27日)「夜のなぎさドライブウェイ」
  • 3月26日(金)「覚え間違い」
  • 3月25日(木)「シルクウッド」
  • 3月24日(水)「国民年金」
  • 3月23日(火)「ストーリーを要求する国民性」
  • 3月22日(月)「適度な男の美学」
  • 3月21日)「休日出勤といかりや長介」
  • 3月20日)「ぐったりとしてそれでいて何もしない」
  • 3月19日(金)「この1年間の総括」
  • 3月18日(木)「久しぶりの雨」
  • 3月17日(水)「立花隆の理論展開」
  • 3月16日(火)「デジカメをいじめる人々」
  • 3月15日(月)「泣いて馬謖を斬る」
  • 3月14日)「リサイクルキャンペーンとPCカメラ」
  • 3月13日)「携帯万能主義にもの申す」
  • 3月12日(金)「チーズバーガー法案」
  • 3月11日(木)「ミントな人」
  • 3月10日(水)「通信販売」
  • 3月9日(火)「経験と統計」
  • 3月8日(月)「無駄な知識の泉開設1周年」
  • 3月7日)「角島リベンジ成功」
  • 3月6日)「門司港レトロ」
  • 3月5日(金)「1000日連続達成」
  • 3月4日(木)「個人情報は五百円也」
  • 3月3日(水)「開設二周年」
  • 3月2日(火)「新たな掲示板設置」
  • 3月1日(月)「忙しくなってしまう」


  • 今月の日記
    3月31日(水)「マイルを貯めること」
    飛行機と新幹線はどちらが速いかというクイズは結構難しい。東京から大阪までならどっちが早いのかと聞かれれば微妙だが、東京から博多ならば飛行機の圧勝である。飛行機は離発着を町外れで行うというハンディキャップがあり、飛行場へのアクセスが勝負の分かれ目である。しかも、上空のある一定の高度に達しなければ水平飛行をやってはいけないというルールがあるため、修行僧が多くいる路線では飛んでいる時間のほとんどが旋回に費やされているという趣深いものがある。飛行機は空を自由に飛んで良いのではなく、航路というものが定められており、地上管制塔からの指示に従ってジグザグ飛行を余儀なくされている事はあまり知られていない。しかしながらこのたび飛行機は真っ直ぐに飛んで良いのですよという事になったようで、燃料が節約できるということらしい。しかしこれまで無駄に距離をとんだくせに直線距離でのマイルしかくれなかった航空会社は今後更にマイルを減らしたりはしないだろうかと無駄な心配をしてみたりする。しかしこのように航路に無駄がなくなったとしても、離発着待ちのために上空で無駄に旋回されてしまった日にはチャラになってしまいそうな気がする。戻る↑
    3月30日(火)「ホームとアウェイ」
    MLBが開幕戦を海の向こうの島国でやることに決めたのは、そこが51番目の州であるからという判りやすいブラックジョークもあるが、それよりもむしろバカみたいに入場料が高くても絶対捌けるという目論見があったのだろう。それ故こちらも持ち出しとして君が代を演奏したりするサービスに是努めたのであろう。商売上の努力を否定するつもりはないが、これまで長きに亘り守られていたユニフォームのルールもこの度覆すことになったのには驚いた。一応デビルレイズがホーム、ヤンキースはアウェイなので、ヤンキースはアウェイ用のユニフォームを着用するべきであり、ホーム用のピンストライプを着るのはおかしいものがある。しかしながら日本人はそんな細かいことよりも「ヤンキースといえばピンストライプ」と信じて疑わないため、商売の都合上このようになったのだと勝手に想像していたりする。日本人の特殊性を語り、日本はなぜグローバルスタンダードを採用しないのかと苦言を呈する人は多いが、グローバルスタンダードが勝ち組の論理であり、勝ち組は自分の都合の良いようにダブルスタンダードを貫いていたりするからこの指摘を鵜呑みにするのは間違いである。とりあえず、ユニクロが野菜を売ることをやめてくれたのでほっとしている次第、と脈絡のないことを書いて本日の締めくくりとする。戻る↑
    3月29日(月)「画期的なお詫びの方法」
    WinMXというファイル交換ソフトがあり、ファイルとして交換することが適正ではないと見なされている代物であるため交換していた人が逮捕されたという事件が3年程前にあった。逮捕したのは京都府警のハイテクなんたら課という部門で、京都府警はハイテク犯罪ならばお任せあれという風に内外にその名を知らしめたのである。それが本当に実情を反映しているかは定かではなかったのだが、どうも捜査情報を記録した文書がネット上に漏洩し、ファイル交換ソフトWinnyでなぜか交換されていたというから恐ろしい。Winnyは気が付かないうちに他人のファイルが持ち込まれたりするため、保存場所を誤りこのような事態となったということが推測されたのだが、京都府警としては申し訳ありませんでしたというほか無いのだろう。最近責任者が揃って頭を下げる写真ばかりを新聞で見るのだが、一人ぐらいブチ切れたり居直ったり死んでお詫びしたりしないものかと個人的には思っている。従来と同じ謝罪方法は、大外れはないであろうが誠意もないと勘違いされる向きもあるし、ここで新たなお詫びの方法を模索してもらいたいところである。てめえらの個人情報の価値なんて500円ぽっちだぜ、という気っぷの良さもどうかとは思うが。戻る↑
    3月28日)「南阪奈道路」
    今庄名物おろしそば今庄の駐車場で目が覚めたら、目の前に立ち寄り湯があったのでいってみるが、実は昼からしか開いていないということでスキー場の前にある温泉まで出かける。朝湯を洒落込み、併設している食堂で名物のおろしそばを堪能する。その後北陸トンネルの斜坑を見物したりしたが、よく考えると本日は南阪奈道路の開通日なので、久しぶりに奈良の方まで足をのばすこととする。八日市から上手く名阪国道にスイッチする道を探してみたのだが、ナビ様のお告げに従ってしまい、県道42号というとんでもない道を走らされたりしてようやく壬生野に辿り着き、そこからは爆走する。天理からは極めて流れの悪い奈良の道を堪能し、かなり顰蹙を買うパスなんかもやらかして待ち合わせ場所のダイヤモンドシティ・アルルに到着する。4月1日がグランドオープンなのにすでに開業しているのはどうしてだろうかというつまらないことも考えたが、元々曲川池という池がありそこを埋め立てたというかなり凄まじいまでの手法で作られているこのショッピングセンターに感動し、いざ南阪奈道路を目指す。開通記念ということでもれなくついてくる有難くない渋滞なんかも堪能し、今住んでいる場所からではあまり使うこともないだろうなあと思いつつ帰宅。帰宅して砂の器の最終回を鑑賞し、中居君にやはり音楽家とか静かな演技とかいうものは無理だったんだなあと納得しつつ、赤井英和の関西弁をしゃべる岡山出身の出雲訛りの巡査というやはり受け入れられない何かを感じ取りながら亀嵩の駅になんで緑のJRロゴの列車が来るんだろうかとか、亀嵩駅には給水塔がないですよというツッコミを入れつつこのドラマは締めくくられた。よく考えると、本当に久しぶりに道活をした週末であった。戻る↑
    3月27日)「夜のなぎさドライブウェイ」
    ドアオープンスティックドアオープンスティック(使用時)昨日夜より近所の国道未走区間を走るという至って個人的趣味溢れる活動に着手する。もとより車を買った理由はこれであったはずで、これにおまけを付けていくうちにおまけの方が大きくなったという良くある展開が繰り広げられて今に至っている。そんなわけでパスカル清見で昨晩は寝ることとし、朝の目覚めも気持ちよく車を進める。天気が良かったので、車に常備していたディレクターズチェアなんかを広げてオープンエアーで朝飯を食べたりする。そのあと飛騨市(昔の飛騨古川)にある「ぬく森の湯すぱーふる」でまったりと朝湯を洒落込む。この脱衣所には謎めいた棒が常備されており、どうやらこの棒を使ってロッカーの扉を開けっ放しにすることができるという優れもので、脱衣中にバネ仕掛けで自動的に戸が閉まるのを防ぐことができるらしい。こんな事を誰が思いついたのかは定かではないが、他の立ち寄り湯では見たことも聞いたこともない。記念に一本持って帰ろうかと考えたが、それほどの物ではないということで写真を撮るに留めておく。そのあと国が直轄で事業をしているためやたらとゴージャスな立山カルデラ砂防博物館に立ち寄って砂防について勉強する。この博物館は展示品がかなり秀逸であるため、20年後には素晴らしいパラダイスになることが予想されるため将来が楽しみである。そのあと富山できときと寿司を食べて氷見から国道415号を羽咋へと走る。羽咋で風呂に入った後、夜のなぎさドライブウェイを爆走する。なぎさドライブウェイは日本で唯一砂浜を爆走できるというところであり、波打ち際を爆走するという楽しい経験をする。気持ちよく走り終えて一般道へと戻ろうとしたら、いきなりそこに車が1台停まっていた。中にいるのはカップルであるため近寄るのも野暮だと思って通り過ぎようとしたが、どうやら砂が柔らかいところがあり、そこにはまってしまい抜け出せないでいるらしい。車には先日ホームセンターで買ったスタック脱出用にもしかしたら使うかも知れない折りたたみ携帯用スコップがあったため、これは使うチャンスと思いはまっているタイヤ前後の砂をかきだし、浜辺なのでその辺に落ちていたロープを使って牽引し、無事脱出に成功する。事情を察するに車は友人からの借り物、免許は女性しか持っていないというわけで男がまるで使い物にならなかったというかなり辛いシチュエーションだったようで、今後の成り行きを少し心配するが極めて余計なお世話である。それよりも、やはり今後こういう時のために牽引用のロープを買っておこうと訳も判らず物欲が盛り上がった方が問題といえば問題である。そのあと友人と敦賀で待ち合わせ、屋台のラーメンを久しぶりに堪能して先日開通した木の芽トンネルを走りに行く。その後今庄で別れ、妙に広い駐車場で寝る。戻る↑
    3月26日(金)「覚え間違い」
    回転ドアは中の暖気を外部に漏らさないために考案されたのが事の始まりである。爾来、数多くの建物にこのドアは利用されていたが、人間がものぐさになりこれが自動ドアとして働くようになってから様々な問題が起こったのである。ビジュアル的にお洒落なので、ちょっぴり高級感を漂わせるには必須のアイテムのように感じ取れるため、人の行き来が多いビルのくせに設置してみましたというところに問題があるのは事実である。しかしながら、頭を挟まれて死ぬというのはかなりショッキングであるが、そばにいた親は何をしていたんだというのが第一に思ったことである。自分がぼけっとしていたくせに人のせいにするなど凡そ責任転嫁も甚だしいという気がするのだが。さて、話変わって、人の名前を間違えて覚えるとなかなか修正が利かないということがある。僕は部長になぜか「高橋」と呼ばれるのだが、これも一つの例だろう。ノーヒットノーランを達成した「ビルダッシュ」とか、フィギュアスケートの「ふぐりすみえ」なんかは判っていても最初にそっちで覚えてしまったので今更修正ができなかったりする。そういえば回転ドアで問題を起こしたと揶揄されている会社の正式名は「三和シヤッター」であって「三和シャッター」ではない。ATOK15は賢い機能がついているようで、「三和シヤッター」「キヤノン」「キユーピー」と変換してくれるので実はこれに一番驚いていたりする。戻る↑
    3月25日(木)「シルクウッド」
    綿矢りさと金原ひとみの受賞作の売れ行きが随分と差があるように感じ取れるのはビジュアル的な差に起因しているのではないかとその思いを募らせている今日この頃である。20世紀初頭の映像がほとんど無かった時代は、文学者がアイドルとして君臨し、映像の世紀となってビジュアル的にいけてる人々がアイドルとなったが、更に時代がすすみビジュアル的にも文学的にもいけてる人がアイドルとなったということなのだろうか?まあそんなのは考えすぎだし、芥川賞を取ったところでそれで即ち文学者というわけでも無かろう。でも原因はそれしか考えられないという気がするのだが。話変わってメリル・ストリープ主演の映画「シルクウッド」は、プルトニウム再処理工場で働いていたカレン・シルクウッドがその工場の安全管理に手抜かりがある事に気が付き申し立てようとしていることを察知され、強制的に被曝され、その上交通事故で死亡した事件をもとにした随分と社会派臭い映画である。この映画を見たのはかれこれ15年以上も前であり、細かいストーリーまでは忘れたが、エンディングの音楽だけは頭にこびりついて離れようもなかった。それだけにあの音楽の哀しい旋律は感動的ですらあったのだが、この半年間、この曲「アメイジング・グレイス」が深みのないドラマのエンディングに使われており、僕の中にあった曲のイメージが崩れてしまったのが残念でならない。本日は総集編であったが、先週で見るのをやめておけば良かったと後悔するぐらい駄作ぶりに拍車がかかっており、先週こんなドラマを国民の3人に1人以上が見ていたというからある意味恐ろしいってお前も見ていた一人だろと突っ込まれたら立つ瀬がない。戻る↑
    3月24日(水)「国民年金」
    江角マキコ中島らもが覚醒剤所持で逮捕される以前から自著で毎度展開していた持論に「薬物使用による刑罰は本人が己の健康を害すること以上を問うべきにはあらず」というのがある。中島らもに言わせると、「嗜好品」に過ぎない物を勝手に線引きして「犯罪」であることを時の権力者が独断と偏見で決めることはもとよりおかしいということである。中島らもの理論に同意はできないが、きっちりと覚醒剤所持で捕まったところは些か自虐的ではあるが初志貫徹っぽいところがある。それに引き替え、国民年金のCMで「納めろやゴルァ」と宣っていたのに、当の本人は納めていませんでしたという話は笑えない。しかし身をもって「後で大変なことになるよ」ということを実証してくれたところは実は素晴らしいのではないかと思ったりもする。少なくとも「私みたいに払わない人がいるから将来年金が破綻するのよ」という反面教師になったのかも知れない。きっと社会保険庁が納めろ納めろと躍起になっているのは、年金の運用の損益分岐点にさしかかっているからではないかと冷静に判断しているのだが、多分すでに損益分岐点は突破しており、なし崩し的に将来の支給額を減らしていく以外に生きる道はないと思えるため、それがますます払わない人を勢いづけているように思えるのだが。戻る↑
    3月23日(火)「ストーリーを要求する国民性」
    決してVodafoneのステーション情報で日夜ネタが送られてくるからでもなければ、割と真面目に読んでいる週刊モーニングに「太陽のドロップキックと月のスープレックス」が連載されているからでもないが、日本のプロレスはストーリー展開というリング外の出来事も含めて「プロレス」が成り立っているように思われる。純粋にリング上での取っ組み合いを楽しむ物ではなく、「遺恨」とか「復讐」とか「仲間割れ」とか「敵の敵は友」とか複雑怪奇なストーリーが仕立てあげられている。それに引き替え彼の国では「スマックダウン」に端的に表現されているように、ひたすらショーとしてプロレスを楽しんでいるのである。これはアメリカ人にそんな難しい背景を作ったところで理解できるわけがないという乱暴な意見もなきにしもあらずであるが、それよりもただ単に日本人がストーリーを要求する国民であるからに他ならないように思える。日本人がどれだけ陳腐でベタベタなストーリーでもあった方が良いと思っているというのは、水戸黄門の印籠が8時43分に必ず出されることを例にするよりも、彼の国の「ポルノグラフィ」はひたすら「やる」のに対し、日本の「アダルトビデオ」にはストーリーがとりあえずあるというところからも伺い知れるといったら言い過ぎか。戻る↑
    3月22日(月)「適度な男の美学」
    週の始まりはやはりだるいものがある。そもそも昨日も仕事だったので週の初めという気がしないという話は置いておく。相変わらず仕事は大変であり、ああでもないこうでもないと対策に頭をひねる日々が続く。と書けば聞こえが良いが、実は単なる使いぱしりとして働いているだけなので時間的な拘束は多いが、脳味噌をひねらすことはなく、黙々と作業をしているばかり。同じグループの後輩が4月から人事異動で隣のグループに移ることになった。昨年の今頃僕はそのグループに丁稚奉公に出されていたのだが、拠ん所なき事情により呼び戻され、今度は後輩が正式に異動となった模様である。うちのグループは出入りが激しく、僕が入ってからは僕を含めて4人が入り、3人が出て行くこととなった。4月からはまた一人来ると言うことなので出入りの激しさはすごい物がある。帰宅してアイスホッケードラマの最終回を見る。彼女の幸せのためにそのしわ寄せを食らうことを潔しとする、という今時誰もやらない男の美学なんかもあり、脚本家のかなり恣意的な好みが感じ取れる作品であったが、殺伐とした世の中に予定調和を好む向きがあり、しかもこの脚本家にしては珍しくハッピーエンドであった。戻る↑
    3月21日)「休日出勤といかりや長介」
    本日は金曜日に宣言されてしまったとおり日曜出勤に出向く。家で仕事ができればそれに越したことがないのだが、如何せん、事の次第を掻い摘んで理解しないことには仕事がはじまらない状況なので会社でいろいろと小言を言われながらも仕事を進める。いかりや長介本日はこれから上に立つ人間になるためにはこういう事ができるようにならなければならないと言う「普段できない」有難い話なんかも聞かせてもらったのだが、「普段できない」という言葉をねじ曲げて捉えると、たくさん人がいる前でこき下ろすのは忍びないと聞こえなくもない。物事はネガティブに考えればきりがないので、多分良い意味で使っているのだろうと理解する。自分の言ったことが相手に伝わらないときにやきもきするのは相手であると割り切れば、自分にとって都合の良い解釈をしておくのが精神衛生上も喜ばしいことである。帰宅したらどうもいかりや長介祭りがどこでも繰り広げられており、一芸を持ちつつ体を張った演技をしていたことが評価されたのだろうなあと納得。若いうちは無茶をやって芸の肥やしとし、人間勝負はこれからよという風に60代になって俄然脚光を浴びるという生き方は実は理想である。惜しむらくは、その全盛時代を中途半端に病魔が遮ったということなんだろうか。天国でもバカをしてもらいたいものです。戻る↑
    3月20日)「ぐったりとしてそれでいて何もしない」
    朝友人宅で目を覚まし、朝飯を食いつつまったりと休みの日を過ごす。昼過ぎに帰宅し、風呂に入ってゆっくりと昼寝をする。飲みのお誘いがあったのだが、どうも体調が思わしくないため断りの連絡を入れ、この1週間の疲れを癒すべく熟睡モードへ。和田勉が訴えられたのは顔とかつまらんギャグとかだみ声といった存在自体がセクハラであり「何をしたかではなく誰がしたか」が焦点となるこの手の問題を如実に表現しているのかもしれないとか、日常の激務をしのぐために北海道の観光バスの運転手が覚醒剤を常用していたのかだろうとか、77万部のうち3万部だけを出版停止とする全然気合いが入っていない週刊文春への仮処分決定の適当さ加減とか、陳水扁総統が撃たれたのはもしかしたら同情票獲得のための自作自演でどうせそうなら大平正芳の如く死んだ方が弔い合戦ぽくていいだろうけどそこまでやると多分選挙が中止になるからやめた方が良いかなとか、思うところは山程あるけれど本日は大人しくルパン3世のJAZZなんかを聴きながら疲れを癒してみる。夜になって、結婚式の二次会が終わったから迎えに来てくれと言う電話が友人からあり、夜の京都観光に連れ回して帰宅。戻る↑
    3月19日(金)「この1年間の総括」
    カウンターを設置して本日で2年になる。訪問される方々が順調に増えているようで、何でまたこんなページに人がやってくるのだろうかと日々疑問に感じながらも今や習性となったページの更新は留まるところを知らない。就職して忙しくなるだろうからそのうち日記なんて書くのをやめてしまうだろうと思っていたのだが、元来の性格が災いしてかその兆候すら全く感じられない。まあ、そんなものなのだろう。夕方上司に緊急の仕事が入ったので日曜出勤するように言われ、げんなりしながら会社を後にする。結婚式に出席するためにこちらにやってきた友人を迎えるべく、別の友人宅で騒いでそのまま就寝。本日はかなりハイペースで酒がすすみ、明日に持ち越すことは必至。戻る↑
    3月18日(木)「久しぶりの雨」
    いつもの電車に乗ったところ、卒業式に出席すると思しき女性が着物&えび茶の袴で乗っていた。今日のような生憎の天気に遭遇した場合に記憶に残る式となるであろう事は想像に難くないが、それを良い思い出と思うか良くない思い出と取るかはその人次第である。とりあえずそういう華美ないでたちをしているのだから、透明のビニール傘を持つのは今日だけでもやめておいた方が良いと思ったのだが多分余計なお節介であろう。自分の卒業式は引っ越しと学会に追われ、遅刻しそうになって慌ててスーツを着ていった事しか覚えていないからあまり記憶に残っていない。どうも物事に対する取り組みは一事が万事その場凌ぎであり、帳尻だけはきっちり合わせているから良しとしようと自分勝手に決めているところがあるようだ。昼休みに組合の委員会なんかに出席し、よそが満額回答をもらったけどうちはねえ、という至ってどうでもいい話を聞きながら支給された弁当を食べて時間を潰す。昨日が激務であった分、今日はさっさと帰宅する。帰宅して白い巨塔の最終回を見るが、最後まで「唐沢寿明がお芝居をしている財前五郎」というふうにしか見ることができなかったのはやはり唐沢寿明の限界が今のところこのあたりにあるということだろうか。戻る↑
    3月17日(水)「立花隆の理論展開」
    東大生はバカになったか会社の行き帰りに最近は立花隆の「東大生はバカになったか」を読んでいる。立花隆が現在の知の巨人として君臨している所以は、この書の中で繰り広げられている「教養」を備えた人物であるからと勝手に想像している人が多いかも知れないが、必ずしもそうではない。物事を整理する能力に長け、他人よりも半歩早くこれからの時代を読みとりさっさと本を書いてしまうという「トップ屋」根性の為せるものが多いように感じ取れるのは偏った見方だろうか。ちなみにトップ屋とは他人よりも早くそのことについて情報を集め、そのことについて評論を行うことにより、オピニオンリーダーを自称する人たちを個人的には指している。一つ間違えると「トンデモ本」になりかねないところを立花隆がどっこい踏ん張っているのは、ベースに膨大なまでの無駄な知識を鏤めているからであり、彼の言うところの知識の有効利用がなされているからに他ならない。脳味噌を耕して、いつ何時でも新たな情報が入ったときにそれを解釈することができるという姿勢は見習うべきであるが、展開する理論はそれだけの知識を整理すればごく自然に導き出される物であり、取り立てて目新しいとかオリジナリティに溢れる物であるとは言い難いし、時には激しく見当違いである。しかしまあ、こういった能力を持っている人自体が希有な存在である現状を鑑みれば致し方ないのかも知れない。ただし、教育が万能であると多少なりとも盲信しているように感じ取れるのが気になるところではあるが。戻る↑
    3月16日(火)「デジカメをいじめる人々」
    「デジタルカメラ」という言葉、実は三洋電機の登録商標である。なので、正しくは「デジタルスチルカメラ」と言うべきなのである。そんな無駄な知識はほっておいても良いのだが、世間では銀塩カメラよりもデジタルスチルカメラの出荷の方が多くなり、カメラといえばデジカメ>写ルンです>銀塩カメラという図式ができつつある今日この頃である。しかしながら、デジカメを「まがい物だ」という事を頑なに主張する人が結構いるのは驚きである。その人は、「デジカメは金儲けの道具としてカメラを売るという現代の大量消費社会の1商品に過ぎず、私のカメラに対して抱く心情とは凡そ懸け離れた物であり認めるわけにはいかない」というなんだか適当に強硬で目立ちたがりなんだろうなあという雰囲気が漂う台詞を言っている。まあ、芸術家というのはそういう物なのだろう。そんでもって昔の銀塩カメラには大量消費社会の1商品ではない何かがあったのだろう。しかし、カメラという物は人間の欲望が凝縮された製品である。より良い写真をより綺麗に、そしてカメラは小さく、と。それにまつわる様々なコスト削減のノウハウや技術の蓄積は今のデジカメの改良にも見事なまでに活かされている。つまりは、カメラを取り巻く環境が今の状況になったのは世の倣いであって、昔のカメラを良かったと言い張るのは土台おかしい物である。これから先もデジタルカメラが銀塩カメラに取って代わることは無いと思う。そもそもできあがる物が違うのである。同じ音が出ればレコードとCDでは同じだというかなり無茶な発言と同じで、実際に音は違うし仕組みも違うのである。両方の良いところを上手く使っていけばいいのではないかと思うのであるが。といいつつデジカメしか持っていない僕なのだが。戻る↑
    3月15日(月)「泣いて馬謖を斬る」
    オリンピックに出場する選手を決めるというのは結構難しい物である。能力を比較すれば歴然であるとはならない理由は様々なバイアスによる物という意見が多いが、実際は多分単純で、「選ばれる選手よりも選ぶ役員の方がスポーツそのものをさっぱり判っていない」という事が原因と思われる。天才数学者エヴァリスト・ガロアが2度もエコール・ポリテクニークの試験に落ちたのは、試験監督が彼の数学者の能力を見抜けなかった事が原因であることと似たようなものである。その後ガロアは怪しい政治運動に荷担したり、拳銃による決闘で若い命を落とすことになるが、選ばれなかった選手はやけを起こさないでもらいたい物である。それにしても選考委員の一人がほざいた一言がかなり問題発言であると思われるのだが。「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」。この言葉は蜀志(三国志)の馬謖伝に出てくるのだが、諸葛孔明がめちゃくちゃ肩入れしていた部下の武将・馬謖が、命令に背いて大敗を招いたとき、孔明はその責任を追及して馬謖を斬った事に由来する言葉で、「法律や規律を守るために、私情を捨てること」という意味である。きっとこの役員は高橋尚子に相当肩入れしていたのであろう、そんでもって高橋尚子が選ばれなかったために、つい本音をぶちまけたんだろうと言うことにしておいても良いのだが、多分は「苦渋の決断だった」という一言をかっこよく見せるために中途半端に意味を知っている難しそうな言葉を引っ張ってきたのが原因ではないかと思われる。中途半端はいけてないという良い例である。戻る↑
    3月14日)「リサイクルキャンペーンとPCカメラ」
    リサイクルな粗品@auauの請求書に同封されている小冊子を必要もないのに眺めていたら、どうやらこれまでは回収しても何もくれなかったというのに、どのキャリアの電話機でも良いから持ってきたら粗品進呈と言うことなので、物は試しとauとVodafone両方の以前使用していた機種を持っていざ大阪に出向く。最初に立ち寄った店では「Vodafoneはキャンペーンの対象でしたっけ?」と舐めたことをぬかす店であり、これでもプロショップだというからあきれる。おまけに粗品が切れたとは一言も言わず、他のグッズを宛って何もなかったようにやり過ごそうと企んでいるから随分とたちが悪い。こんな店じゃ駄目だと思い、別の店に行くとさくさく粗品を2つ寄越してくれ良い気分である。USB-CAM30S@I.O DATA実は久しぶりに買い物に出向き、物欲を高めるべく出かけたのである。気が付いたらPC用カメラなんぞを買っていたのは当然の流れであろう。その後ANAで半券を溜めていたため、Edyチャージができるということで近所のampmに出向き、チャージしてもらう。カードで買い物をすると100円で1マイル貯まるが、Edyだと200円で1マイルしか貯まらないのでそれは不利だという話を思い出したが、ただでくれるんだからそれで何を損することがあろうかと気にしないことにする。Edyをしゃぶりつくす為には、クレジットカードでEdyカードにチャージさせるというかなりのスゴテクを要求されるようでそれだと都合200円で3マイル貯まるらしい。二重取りのような気がしないでもないが、現状では、「これ、最強、でも次からANAにマークされる両刃の剣、素人にはお勧めできない」という感じなのであろう。帰宅してPCカメラをセットアップしてみる。無事映ったのは確認したが、相手がない状況で買っても仕方がないと言うことは言われんでも判っていたことで、2台セットでカメラを売るという商魂逞しさはある意味妥当性のあることだったと今更ながら納得する。戻る↑
    3月13日)「携帯万能主義にもの申す」
    携帯電話の普及は不思議な局面へとシフトしているように思われる。携帯を情報端末に変える試みがなされているようで、「いろんなことができる電話」から「電話もできる情報端末」へと知らないうちに携帯電話の定義が変わっているように思えなくもない。この流れは日本のお家芸である「できるだけ小さく、軽く、それでもって多機能に」へと集約されることが感じられる。メールが書けてカメラも着いたぐらいまでは納得がいったのだが、実は音楽も聴けるんですよゲームもできるんですよ凄いでしょうまでくると、お前は本当に携帯だけで全てを済ませたいのかと小一時間問いつめたくなる。このような風潮は更に程度が進めば携帯を落とせば全てを失うという状態になるわけであり、それは実はやばいのではないかと個人的には思っているのであるが。ゲームや音楽は携帯ではなく、それ専用の機械を利用した方が良いのではないだろうかとおもうのであるが、それは古い考え方なのであろうか?電話にその機能を付けることによるメリットは、それほど劇的に改善されることがないであろう省スペースである以外は考えられず、落とした無くした壊れた時のデメリットのみがクローズアップされるように思われる。かつての未来予想図で描いていた世界はこんな筈では無かったのではないかと。戻る↑
    3月12日(金)「チーズバーガー法案」
    チーズバーガーチーズバーガーとハンバーガーの差額はチーズの代金である、とは絶対に理解できない値段体系を受け入れている今のご時世では、チーズバーガーの価値が相対的に低く見られがちである。日本人には凡そ理解できないことではあるが、「俺がこんなにデブになって自己管理能力がないと言われて会社からリストラされたのはデブになるチーズバーガーをなんの注意喚起もなしに手前の利益のみを重視して売りつけていたハンバーガーショップにある」という、現実にはなかった「ネコ電子レンジ裁判」よりも無茶が過ぎる裁判が彼の世界一の大国アメリカでは大まじめに執り行われているらしいが、今後その裁判はできなくなるという法律、通称チーズバーガー法案ができたらしい。ダイエットコークをペットボトルごと飲んだり、ダイエットアイスクリームをバーレルごと食べることを厭わない人は自己責任でやってくれればいいのだが、そういう人が至って真面目に裁判を起こしたりすることは本当に民主主義なのだろうかと考えてしまったりする。今週は腰が痛いのでこの辺で勘弁し問いたるという感じで大人しく過ごす予定であるが、部屋が汚いのでいい加減掃除でもするかと思ったりもしている次第。明日あさっての気分次第ではあるが。戻る↑
    3月11日(木)「ミントな人」
    世間では長嶋茂雄氏が脳梗塞でぶっ倒れ、日々回復を遂げているということに国民が揃って喜んでいるというらしい。一連の報道を見るに付け、なんだか皇族レベルの取り扱いなので違和感を感じるのであるが、日本人の50%は巨人ファンであり、巨人ファンは軒並み長嶋ファンであるし、巨人ファンでなくても長嶋茂雄ファンである人は相当高いはずなので、彼の終身名誉監督は日本人のありとあらゆる層からも慕われており、その層の分厚さは皇族にひけを取らないはずだときっと読売が妄想しているのだろう。個人的には味わい深いおっさんなので回復して頂くことは喜ばしいことだと思うが、監督としての手腕には疑問が残るため、監督としてオリンピックで采配を振るうのはみすみす勝ちゲームを落とすことになりかねないと無駄な心配をしているところである。そんな長嶋茂雄氏が栄えある第一回ミントな人であったことはあまり知られていないし、そもそもミントな人ってなんやねんとツッコミを入れたくなろうものだが、今年の第四回ミントな人に石川亜沙美が選ばれたらしい。なんだか基本的な社会認知のさせ方がワンパターンすぎるぜオスカープロモーションという気がして仕方がない。戻る↑
    3月10日(水)「通信販売」
    アマゾン最近は音楽CDを購入するときはアマゾンをやたらとよく利用する。試聴して手にとってというのは確かに楽しみではあるが、最近はそんな暇はなく、そんな暇があれば他のことをやっておきたいという事も手伝っているし、店の品揃えが悪くて十分な検討ができないということも原因である。品揃えが悪いというのはアマゾンに対してであって、タメが張れる現実の店舗など存在するわけがないので、要するに通販に慣れたからだということになるのだろうか。そんなわけでアマゾンで予約していたCDとDVDが届いたので喜び勇んで聴こうとしたところ自宅のコンポの調子が悪いことに気が付いた。仕方がないのでパソコンで再生するかと考えたのであるが、CCCDなので、聴くことはできないということであり、いまだに日の目を見ていない。そうであるというのに、なぜかさらにCDをアマゾンで買ってしまったりもしてしまう。通販は割と気楽に買い物をしてしまうため、便利ではあるが思わぬ出費を伴う物である。身近に潜む罠に気を付けねばならない。戻る↑
    3月9日(火)「経験と統計」
    「酒は百薬の長」という台詞は飲兵衛の自己弁護によく利用されているが、適度な飲酒は心臓病のリスクを減らすということが最近判ったんだそうである。ただし、飲み過ぎると逆にリスクが高くなるらしく、その閾値でのカタストロフィーはいかほどの物であろうかと想像するがそれについては述べられておらず、「個人差」という極めて都合の良い言葉で締めくくられていたりする。もともと特別なオンリーワンであるところの各個体を以てこれ以上になると絶対駄目ですなんて事は言えるはずもなく、「俺はそんな飲んでへん」「いいやあんたは飲み過ぎや」という不毛な諍いで逆にストレスを溜めて成人病のリスクを日々蓄積しているであろう平和なやりとりが想像される。あとまた気の長い話で十万人を対象にしたコホート研究の成果では、睡眠時間7時間が理想であるという結果も得られたりしている。これまで経験的にいわれていたことを統計学的手法を以て証明するのは世の倣いとはいえ、これが必ずしも統計学の正当性を示す物にはならないという事実もまた趣深い物がある。しかしながら最終回を前にドラマで波乱が起こるのは統計学を引っ張り出すまでもなく当然起こる物であり、それは恰も八時四十三分に水戸黄門の印籠が差し出されるような物である。日本人が営々と積み重ねた美意識という物を垣間見る物である。戻る↑
    3月8日(月)「無駄な知識の泉開設1周年」
    無駄な知識はこの1年間で随分と増えた。思えば昨年の今日、ページ開設1周年を勝手に記念して新しいコンテンツを、と思ったのがそもそものきっかけである。当初はマイナーなサイトであり、アクセスカウンターを設置しては見たもののカウンターは全然増えず、まあ致し方ないことだなあと思っていた。ところが「トリビアの泉」が深夜番組からゴールデンタイムに浮上し、「無駄な知識」が世間に認知されると、このサイトのアクセス数は一気に上昇し、トップページに迫る勢いとなった。しかしながら世間の人は熱しやすく冷めやすいようで、最近はえらく落ち着いた増加に留まっている。このサイトに来た人の大半が検索エンジンから来ており、「無駄な知識」といった言葉で検索を掛けている人が多いようである。中には意味不明な言葉でやってくる人もいるみたいだが。更にいうならば、僕はいまだにトリビアの泉を見たことがなかったりする。僕のページに書いてある知識がその番組ウケしているものかは判らないが、もし番組ウケしているのであれば、相変わらずアクセス数は上昇しっぱなしの筈なのではないかと相変わらずのマイナー路線を辿っていることを再確認してみたりもする。戻る↑
    3月7日)「角島リベンジ成功」
    角島灯台駐車場で目覚め、朝風呂を満喫して角島を目指す。本日は天候が良いとは言えないが何とかなるだろうという感じがしており、無事参観することができた。しかしながらまたもやスタンプがないんですよという問題に遭遇し、隣の資料館のハンコでも何でも良いからとにかく押してくれとお願いして無事リベンジは成功する。隣の資料館では「偶然にも最悪な少年」のロケが行われたということで中島美嘉とかそのほかいろいろな人のサインなどが飾られていたが、そういう物には興味もなく、時間が迫っているということでさっさと帰路につく。ナビ様のお告げによれば自宅まで高速道路をぶっ飛ばしても十時間かかるという事であったため、何はともあれとりあえず急ぐこととする。美祢駅輸送本部美祢までは下道を爆走し、美祢駅で宇部興産への引き込み線なんかを時間がないのに観光してしまい、美祢から高速に乗る。「美祢駅輸送本部」と掲げられた看板が大理石製であったのは多分産地ならではの意気込みの表れであったようだが、宇部興産道路ができた今となってはこの引き込み線もあまり利用されているようには見られない。さて、昨日の今日なので中国道は回避して山陽道へと入り、腰が痛いのでこまめに休憩しながら帰宅する。こまめに休憩したし、途中からは高速を使わなかったのに予定よりも一時間半程早く帰宅できてやれやれという気がする。それにしても下松SAで食べた皿うどんはでかすぎた気がする。比較対象を持ち合わせていなかったのでその大きさを表現することがままならないところであるが、名物と打ち出すだけのことはあると少し感動する。夜は全然シリアスに感じ取れない砂の器を見ながら腰を伸ばして寝る。戻る↑
    3月6日)「門司港レトロ」
    三次駅朝起きると激しく吹雪が舞い、よりにもよってこんな日に日本海側に来やがったぜとでも言いたげな海風の洗礼を受ける。青谷羽合道路が開通したので走ってみたのであるが、途中から激しく雪になり、道路はあっという間に冠雪してしまう。そんな状況の中、今回は角島灯台に行くという目的があったが本日はどう考えても無理っぽいので急遽目的地を門司港に変えてみることとした。松江道を三刀屋木次まで走り、そこからは国道54号で三次まで進む。赤来峠は見事なまでに冠雪しており、中国山地の雪の激しさを実感する。三次に入り駅で昼飯でも用立てようと考えたがめぼしい物はなく一日に五本しか列車がないという三江線に驚いたりしつつ中国道へ。門司港駅大雪の中国道本郷PA中国道は僕のこれまでの高速道路という概念をぶちこわすには十分すぎる雪まみれの様相を呈しており、単なる道幅の広い雪道と成り下がっていた。これまで「なんで速度制限がかかるねん?」と疑問を感じずにはいられなかったものも、確かにそれ以上出すことが難しいよなあという不思議なまでの納得をしてしまいつつ五日前に誕生した安芸高田市を通過して山陽道へと進路を変える。宮郷トンネルを抜けると雪景色から一変して瀬戸内の穏やかな天候になり、宮島SAではピーカンのもとでお好み焼きなんかを食べていたりする。その後車を門司港まで走らせ、門司港レトロと呼ばれる古い建物群の撮影などをしたりして時間を過ごすが、門司が日本海側に面しているということをすっかり失念しており、玄界灘から吸い上げたての水蒸気が雪となって北風と共に襲いかかってきたのは計算外であった。そのあと小倉からフェリーで彦島に戻ろうとしたが、最終のフェリーを見送ってしまい仕方なくトンネルで本州に戻り、川棚温泉の駐車場で本日は没する。戻る↑
    3月5日(金)「1000日連続達成」
    昼から確定申告に出かける。昨年は黒木瞳であったが今年は長谷川京子である。申告はさっさと済ませ、病院に出かける。どうも腰の具合が思わしくないということで出向いたのであるが、待合室の椅子に長時間座らされること自体が腰によろしくないように感じ取られ、病院での「最近あの人見かけないけど、体調でも悪いのかしら?」という不思議な会話を発生させるシステムはなにも医療保険にのみ責任があるわけではなさそうな気がする次第。二時間待ってようやく診察が始まるが、前回の医者は他の病院に異動したため、新たな医者にいろいろと診察してもらう。とりあえず様子を見ましょうということで薬無し、次回診察無しで腰が痛くなったらまた来なさいという事実上の匙投げ宣言を出されて帰宅。金曜日の夕方ということでいつもの如く出かけることとする。車を西へと走らせ、深夜の雪の舞う三朝温泉の河原の湯でまったりと温泉に浸かり道の駅北条公園で没する。ちなみに本日はめでたく日記を書いて1000日目ということらしいが、特に感慨もなく単なる通過点であったことを改めて実感したりする。戻る↑
    3月4日(木)「個人情報は五百円也」
    Yahoo BB最近個人情報の漏洩がブームになっている。どこの会社も我先にと顧客情報を漏らすべく鎬を削っているようで、ブロードバンドでイニシアチブを取るため、おねえちゃんにモデムを付けるというなりふり構わない営業方針と広末涼子という妊婦にピンヒールを履かせるというCMまで繰り広げた件のプロバイダは、情報漏洩でもイニシアチブを取る事となった。これに対する対応は、「漏れた人も漏れてない人もみんなに五百円渡しますよ」というある意味凄まじいまでの平等主義が貫かれていた。僕はこのプロバイダと契約していないのでこれに関しては無風であり、凄まじいまでの攻勢に対しても「光ファイバーですから」の一言で一蹴しているため好きにやれば良いんじゃないのと思っていたりする。しかしながら、今後他のプロバイダが同じ状況になったとき、ヤフーBBがあんな対応したから、うちもそれで十分じゃん、と思われては堪ったものではない。ちなみに今回の騒動で一番の収穫はDVD一枚に五百万人分の個人情報が収容できるということであった。大容量メディアって素晴らしいと間違った解釈を起こしそうになる今日この頃。戻る↑
    3月3日(水)「開設二周年」
    どうやらページをこっちに移転してきて二年になったようである。思えばWebスペースを借りていたが当初はメールしか契約していないと勝手に思いこんでおり、スペースを利用していなかった。大学の研究室のサーバ管理をやっていたので、そこで自分のページを勝手気ままに作っていたが、まもなく大学を追い出されるのでどうしたものかと考えていたら実はそういうスペースもあるんだと言うことで移動させたのは二年前である。当初は日記ぐらいしかコンテンツがなかったのに、無理をして捻り出さなくてもコンテンツが充実するシステムの構築を考えてしまった末に今の姿がある。ちなみにページの歴史自体はかなり古いみたいで、自分でもいつ頃作ったのだろうかと考えるが、六年半前にはすでにページがあったようで「ちゃんこ風スープどすこい」のページの日付が5年前というのはそれを物語っているようである。昔からマニアックだったのねという事を今更否定する気はない。これからもこの路線で行くことに吝かではないので今後ともよろしくである。戻る↑
    3月2日(火)「新たな掲示板設置」
    仕事は忙しく、日々パソコンに向かうばかりである。やたらと重い計算ばかりしているため、画面が固まっているのではないかと余計な心配をしつつ、仕事のすすまなさ加減にいらつく。今日はこの辺で勘弁しといたると見切りを付けて帰宅し、掲示板を新しい物にしてみる。これまでの掲示板はひたすら書き込むだけで、個別にスレッドが立つわけではなかったため、レスをするのが難しく、マルチレスという結構偉そうに見えなくもない形式でレスを返していたため、これを何とかしようとした次第。適当に画像を落としてきて無事に設置が終わる。これから先レスがやりやすくなるけれど、何通も書かなければならないというのは実は厳しいのかも知れないと思う。古い方の掲示板は近日中にリンクを切っておく予定。戻る↑
    3月1日(月)「忙しくなってしまう」
    昨日までの旅行の所為かはよくわからないけれど、いくらでも練ることができそうな展開に疲れていることを感じる。電車に乗って行く旅行も良いが、やはり自由度の高い車の方が良いなあと思ってしまう。車のデメリットとして、眠れないことと酒が飲めないことという問題があり、これをいかにして克服するかが今後の対策となることは疑いようがない。その反動からか、長距離列車では朝からであろうと昼からであろうとぷぐぷうしているのであるが、それは単に飲兵衛であるからだということにしておく。会社がお上から無理難題をふっかけられたらしく、なぜか僕がその無理難題を解かねばならないということで仕事が忙しくなってしまった。そういうわけで帰宅が遅くなってしまい、アイスホッケードラマは前半が見れないという事となったが、それでもあらすじを追うことに問題はなく、日本のテレビドラマの優しい配慮に感動する。それにしても坂口憲吾は血を豪快に流しすぎである。そんでもって日本では敵なしのチームが守りのチームというせせこましさ溢れるところにあるというのは、きっとキムタク扮する野郎どもの攻めるチームが実はいけてるんだということに対するアンチテーゼではないのかと小一時間考えてみたりする暇はないのでさっさと寝る。戻る↑