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今庄の駐車場で目が覚めたら、目の前に立ち寄り湯があったのでいってみるが、実は昼からしか開いていないということでスキー場の前にある温泉まで出かける。朝湯を洒落込み、併設している食堂で名物のおろしそばを堪能する。その後北陸トンネルの斜坑を見物したりしたが、よく考えると本日は南阪奈道路の開通日なので、久しぶりに奈良の方まで足をのばすこととする。八日市から上手く名阪国道にスイッチする道を探してみたのだが、ナビ様のお告げに従ってしまい、県道42号というとんでもない道を走らされたりしてようやく壬生野に辿り着き、そこからは爆走する。天理からは極めて流れの悪い奈良の道を堪能し、かなり顰蹙を買うパスなんかもやらかして待ち合わせ場所のダイヤモンドシティ・アルルに到着する。4月1日がグランドオープンなのにすでに開業しているのはどうしてだろうかというつまらないことも考えたが、元々曲川池という池がありそこを埋め立てたというかなり凄まじいまでの手法で作られているこのショッピングセンターに感動し、いざ南阪奈道路を目指す。開通記念ということでもれなくついてくる有難くない渋滞なんかも堪能し、今住んでいる場所からではあまり使うこともないだろうなあと思いつつ帰宅。帰宅して砂の器の最終回を鑑賞し、中居君にやはり音楽家とか静かな演技とかいうものは無理だったんだなあと納得しつつ、赤井英和の関西弁をしゃべる岡山出身の出雲訛りの巡査というやはり受け入れられない何かを感じ取りながら亀嵩の駅になんで緑のJRロゴの列車が来るんだろうかとか、亀嵩駅には給水塔がないですよというツッコミを入れつつこのドラマは締めくくられた。よく考えると、本当に久しぶりに道活をした週末であった。戻る↑

昨日夜より近所の国道未走区間を走るという至って個人的趣味溢れる活動に着手する。もとより車を買った理由はこれであったはずで、これにおまけを付けていくうちにおまけの方が大きくなったという良くある展開が繰り広げられて今に至っている。そんなわけでパスカル清見で昨晩は寝ることとし、朝の目覚めも気持ちよく車を進める。天気が良かったので、車に常備していたディレクターズチェアなんかを広げてオープンエアーで朝飯を食べたりする。そのあと飛騨市(昔の飛騨古川)にある「ぬく森の湯すぱーふる」でまったりと朝湯を洒落込む。この脱衣所には謎めいた棒が常備されており、どうやらこの棒を使ってロッカーの扉を開けっ放しにすることができるという優れもので、脱衣中にバネ仕掛けで自動的に戸が閉まるのを防ぐことができるらしい。こんな事を誰が思いついたのかは定かではないが、他の立ち寄り湯では見たことも聞いたこともない。記念に一本持って帰ろうかと考えたが、それほどの物ではないということで写真を撮るに留めておく。そのあと国が直轄で事業をしているためやたらとゴージャスな立山カルデラ砂防博物館に立ち寄って砂防について勉強する。この博物館は展示品がかなり秀逸であるため、20年後には素晴らしいパラダイスになることが予想されるため将来が楽しみである。そのあと富山できときと寿司を食べて氷見から国道415号を羽咋へと走る。羽咋で風呂に入った後、夜のなぎさドライブウェイを爆走する。なぎさドライブウェイは日本で唯一砂浜を爆走できるというところであり、波打ち際を爆走するという楽しい経験をする。気持ちよく走り終えて一般道へと戻ろうとしたら、いきなりそこに車が1台停まっていた。中にいるのはカップルであるため近寄るのも野暮だと思って通り過ぎようとしたが、どうやら砂が柔らかいところがあり、そこにはまってしまい抜け出せないでいるらしい。車には先日ホームセンターで買ったスタック脱出用にもしかしたら使うかも知れない折りたたみ携帯用スコップがあったため、これは使うチャンスと思いはまっているタイヤ前後の砂をかきだし、浜辺なのでその辺に落ちていたロープを使って牽引し、無事脱出に成功する。事情を察するに車は友人からの借り物、免許は女性しか持っていないというわけで男がまるで使い物にならなかったというかなり辛いシチュエーションだったようで、今後の成り行きを少し心配するが極めて余計なお世話である。それよりも、やはり今後こういう時のために牽引用のロープを買っておこうと訳も判らず物欲が盛り上がった方が問題といえば問題である。そのあと友人と敦賀で待ち合わせ、屋台のラーメンを久しぶりに堪能して先日開通した木の芽トンネルを走りに行く。その後今庄で別れ、妙に広い駐車場で寝る。戻る↑
中島らもが覚醒剤所持で逮捕される以前から自著で毎度展開していた持論に「薬物使用による刑罰は本人が己の健康を害すること以上を問うべきにはあらず」というのがある。中島らもに言わせると、「嗜好品」に過ぎない物を勝手に線引きして「犯罪」であることを時の権力者が独断と偏見で決めることはもとよりおかしいということである。中島らもの理論に同意はできないが、きっちりと覚醒剤所持で捕まったところは些か自虐的ではあるが初志貫徹っぽいところがある。それに引き替え、国民年金のCMで「納めろやゴルァ」と宣っていたのに、当の本人は納めていませんでしたという話は笑えない。しかし身をもって「後で大変なことになるよ」ということを実証してくれたところは実は素晴らしいのではないかと思ったりもする。少なくとも「私みたいに払わない人がいるから将来年金が破綻するのよ」という反面教師になったのかも知れない。きっと社会保険庁が納めろ納めろと躍起になっているのは、年金の運用の損益分岐点にさしかかっているからではないかと冷静に判断しているのだが、多分すでに損益分岐点は突破しており、なし崩し的に将来の支給額を減らしていく以外に生きる道はないと思えるため、それがますます払わない人を勢いづけているように思えるのだが。戻る↑
本日はこれから上に立つ人間になるためにはこういう事ができるようにならなければならないと言う「普段できない」有難い話なんかも聞かせてもらったのだが、「普段できない」という言葉をねじ曲げて捉えると、たくさん人がいる前でこき下ろすのは忍びないと聞こえなくもない。物事はネガティブに考えればきりがないので、多分良い意味で使っているのだろうと理解する。自分の言ったことが相手に伝わらないときにやきもきするのは相手であると割り切れば、自分にとって都合の良い解釈をしておくのが精神衛生上も喜ばしいことである。帰宅したらどうもいかりや長介祭りがどこでも繰り広げられており、一芸を持ちつつ体を張った演技をしていたことが評価されたのだろうなあと納得。若いうちは無茶をやって芸の肥やしとし、人間勝負はこれからよという風に60代になって俄然脚光を浴びるという生き方は実は理想である。惜しむらくは、その全盛時代を中途半端に病魔が遮ったということなんだろうか。天国でもバカをしてもらいたいものです。戻る↑
会社の行き帰りに最近は立花隆の「東大生はバカになったか」を読んでいる。立花隆が現在の知の巨人として君臨している所以は、この書の中で繰り広げられている「教養」を備えた人物であるからと勝手に想像している人が多いかも知れないが、必ずしもそうではない。物事を整理する能力に長け、他人よりも半歩早くこれからの時代を読みとりさっさと本を書いてしまうという「トップ屋」根性の為せるものが多いように感じ取れるのは偏った見方だろうか。ちなみにトップ屋とは他人よりも早くそのことについて情報を集め、そのことについて評論を行うことにより、オピニオンリーダーを自称する人たちを個人的には指している。一つ間違えると「トンデモ本」になりかねないところを立花隆がどっこい踏ん張っているのは、ベースに膨大なまでの無駄な知識を鏤めているからであり、彼の言うところの知識の有効利用がなされているからに他ならない。脳味噌を耕して、いつ何時でも新たな情報が入ったときにそれを解釈することができるという姿勢は見習うべきであるが、展開する理論はそれだけの知識を整理すればごく自然に導き出される物であり、取り立てて目新しいとかオリジナリティに溢れる物であるとは言い難いし、時には激しく見当違いである。しかしまあ、こういった能力を持っている人自体が希有な存在である現状を鑑みれば致し方ないのかも知れない。ただし、教育が万能であると多少なりとも盲信しているように感じ取れるのが気になるところではあるが。戻る↑
auの請求書に同封されている小冊子を必要もないのに眺めていたら、どうやらこれまでは回収しても何もくれなかったというのに、どのキャリアの電話機でも良いから持ってきたら粗品進呈と言うことなので、物は試しとauとVodafone両方の以前使用していた機種を持っていざ大阪に出向く。最初に立ち寄った店では「Vodafoneはキャンペーンの対象でしたっけ?」と舐めたことをぬかす店であり、これでもプロショップだというからあきれる。おまけに粗品が切れたとは一言も言わず、他のグッズを宛って何もなかったようにやり過ごそうと企んでいるから随分とたちが悪い。こんな店じゃ駄目だと思い、別の店に行くとさくさく粗品を2つ寄越してくれ良い気分である。
実は久しぶりに買い物に出向き、物欲を高めるべく出かけたのである。気が付いたらPC用カメラなんぞを買っていたのは当然の流れであろう。その後ANAで半券を溜めていたため、Edyチャージができるということで近所のampmに出向き、チャージしてもらう。カードで買い物をすると100円で1マイル貯まるが、Edyだと200円で1マイルしか貯まらないのでそれは不利だという話を思い出したが、ただでくれるんだからそれで何を損することがあろうかと気にしないことにする。Edyをしゃぶりつくす為には、クレジットカードでEdyカードにチャージさせるというかなりのスゴテクを要求されるようでそれだと都合200円で3マイル貯まるらしい。二重取りのような気がしないでもないが、現状では、「これ、最強、でも次からANAにマークされる両刃の剣、素人にはお勧めできない」という感じなのであろう。帰宅してPCカメラをセットアップしてみる。無事映ったのは確認したが、相手がない状況で買っても仕方がないと言うことは言われんでも判っていたことで、2台セットでカメラを売るという商魂逞しさはある意味妥当性のあることだったと今更ながら納得する。戻る↑
チーズバーガーとハンバーガーの差額はチーズの代金である、とは絶対に理解できない値段体系を受け入れている今のご時世では、チーズバーガーの価値が相対的に低く見られがちである。日本人には凡そ理解できないことではあるが、「俺がこんなにデブになって自己管理能力がないと言われて会社からリストラされたのはデブになるチーズバーガーをなんの注意喚起もなしに手前の利益のみを重視して売りつけていたハンバーガーショップにある」という、現実にはなかった「ネコ電子レンジ裁判」よりも無茶が過ぎる裁判が彼の世界一の大国アメリカでは大まじめに執り行われているらしいが、今後その裁判はできなくなるという法律、通称チーズバーガー法案ができたらしい。ダイエットコークをペットボトルごと飲んだり、ダイエットアイスクリームをバーレルごと食べることを厭わない人は自己責任でやってくれればいいのだが、そういう人が至って真面目に裁判を起こしたりすることは本当に民主主義なのだろうかと考えてしまったりする。今週は腰が痛いのでこの辺で勘弁し問いたるという感じで大人しく過ごす予定であるが、部屋が汚いのでいい加減掃除でもするかと思ったりもしている次第。明日あさっての気分次第ではあるが。戻る↑
駐車場で目覚め、朝風呂を満喫して角島を目指す。本日は天候が良いとは言えないが何とかなるだろうという感じがしており、無事参観することができた。しかしながらまたもやスタンプがないんですよという問題に遭遇し、隣の資料館のハンコでも何でも良いからとにかく押してくれとお願いして無事リベンジは成功する。隣の資料館では「偶然にも最悪な少年」のロケが行われたということで中島美嘉とかそのほかいろいろな人のサインなどが飾られていたが、そういう物には興味もなく、時間が迫っているということでさっさと帰路につく。ナビ様のお告げによれば自宅まで高速道路をぶっ飛ばしても十時間かかるという事であったため、何はともあれとりあえず急ぐこととする。
美祢までは下道を爆走し、美祢駅で宇部興産への引き込み線なんかを時間がないのに観光してしまい、美祢から高速に乗る。「美祢駅輸送本部」と掲げられた看板が大理石製であったのは多分産地ならではの意気込みの表れであったようだが、宇部興産道路ができた今となってはこの引き込み線もあまり利用されているようには見られない。さて、昨日の今日なので中国道は回避して山陽道へと入り、腰が痛いのでこまめに休憩しながら帰宅する。こまめに休憩したし、途中からは高速を使わなかったのに予定よりも一時間半程早く帰宅できてやれやれという気がする。それにしても下松SAで食べた皿うどんはでかすぎた気がする。比較対象を持ち合わせていなかったのでその大きさを表現することがままならないところであるが、名物と打ち出すだけのことはあると少し感動する。夜は全然シリアスに感じ取れない砂の器を見ながら腰を伸ばして寝る。戻る↑
朝起きると激しく吹雪が舞い、よりにもよってこんな日に日本海側に来やがったぜとでも言いたげな海風の洗礼を受ける。青谷羽合道路が開通したので走ってみたのであるが、途中から激しく雪になり、道路はあっという間に冠雪してしまう。そんな状況の中、今回は角島灯台に行くという目的があったが本日はどう考えても無理っぽいので急遽目的地を門司港に変えてみることとした。松江道を三刀屋木次まで走り、そこからは国道54号で三次まで進む。赤来峠は見事なまでに冠雪しており、中国山地の雪の激しさを実感する。三次に入り駅で昼飯でも用立てようと考えたがめぼしい物はなく一日に五本しか列車がないという三江線に驚いたりしつつ中国道へ。
中国道は僕のこれまでの高速道路という概念をぶちこわすには十分すぎる雪まみれの様相を呈しており、単なる道幅の広い雪道と成り下がっていた。これまで「なんで速度制限がかかるねん?」と疑問を感じずにはいられなかったものも、確かにそれ以上出すことが難しいよなあという不思議なまでの納得をしてしまいつつ五日前に誕生した安芸高田市を通過して山陽道へと進路を変える。宮郷トンネルを抜けると雪景色から一変して瀬戸内の穏やかな天候になり、宮島SAではピーカンのもとでお好み焼きなんかを食べていたりする。その後車を門司港まで走らせ、門司港レトロと呼ばれる古い建物群の撮影などをしたりして時間を過ごすが、門司が日本海側に面しているということをすっかり失念しており、玄界灘から吸い上げたての水蒸気が雪となって北風と共に襲いかかってきたのは計算外であった。そのあと小倉からフェリーで彦島に戻ろうとしたが、最終のフェリーを見送ってしまい仕方なくトンネルで本州に戻り、川棚温泉の駐車場で本日は没する。戻る↑