2003年11月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 11月30日)「どんぐりの湯リベンジ」
  • 11月29日)「関東五県を荒稼ぎ」
  • 11月28日(金)「ペルー大使館からのメール」
  • 11月27日(木)「ETCカード前払い」
  • 11月26日(水)「紅白歌合戦」
  • 11月25日(火)「白い巨塔」
  • 11月24日(月)「帰りもフェリー、但し別の」
  • 11月23日)「室戸岬」
  • 11月22日)「極寒の剣山」
  • 11月21日(金)「JH四国の陰謀」
  • 11月20日(木)「ETCカード」
  • 11月19日(水)「ロングランな会議」
  • 11月18日(火)「湯布院と由布院」
  • 11月17日(月)「選挙総括」
  • 11月16日)「無駄な会合」
  • 11月15日)「出雲日御碕」
  • 11月14日(金)「寿司100人前」
  • 11月13日(木)「ボーダフォンのアドレス変更」
  • 11月12日(水)「ETC取り付け」
  • 11月11日(火)「神農さんの笹」
  • 11月10日(月)「選挙総括」
  • 11月9日)「20年ぶりの岡山県苫田郡阿波村」
  • 11月8日)「蘇武トンネル」
  • 11月7日(金)「見せびらかし活動のなれの果て」
  • 11月6日(木)「いよいよ初運転」
  • 11月5日(水)「健康診断」
  • 11月4日(火)「今日の新車の運転はは自転車だけ」
  • 11月3日(月)「うだうだと帰宅」
  • 11月2日)「シルバーライン」
  • 11月1日)「いざ川治温泉へ」


  • 今月の日記
    11月30日)「どんぐりの湯リベンジ」
    宿をあとにして帰宅の途につく。しかしながら大人しく帰宅するわけもなく、2号目黒線、C1環状線、4号新宿線経由で中央道に入り、岡谷まで走る。岡谷からは山道を通って国道19号に入るが、山道は崩れた岩がゴロゴロしており、余り楽しくドライブをするという雰囲気ではなかった。国道19号は「木曽高速」の通称名の通り快適な道である。南木曽からは清内路へと抜け、阿智からは国道153号をひた走る。稲武にある道の駅の「どんぐりの湯」で温泉にはいるが、この温泉はかつて三度も刎ね退けられたというかなり厳しい温泉であり、ようやくリベンジができたことも相まって設備はごくフツーのいけてない最近できたどこにでもあるような日帰り浴場であるがちょっとだけ評価が高くなる。そのあとは香嵐渓の激混みを避けるべく県道をつなぎ、猿投グリーンロードを利用して名古屋から東名阪、名阪、西名阪で奈良の友人を送り届け、その後は京都まで帰宅。東京から帰るとなれば、勢いこのように淡々と帰ってしまうもので、もっとなんか余裕があれば楽しいのになあと思った次第。しかしながら、現時点で車の走行距離は5000kmを超えており、1ヶ月の走行距離としては些か長いような気がしないでもないところである。戻る↑
    11月29日)「関東五県を荒稼ぎ」
    奈良の友人を拾ってすぐに運転を代わってもらい、後部座席を倒して寝床を作成する。一寝入りしたらどうも名阪国道の一部区間が本日限定の通行止めということで結構難儀していたようであるが、後ろで熟睡し、豊橋で目が覚めて運転を代わる。社会実験という名称のもとで現在静岡県内の国道1号有料バイパス(浜名、磐田、掛川、藤枝)は普段の夜中無料よりも更に幅広い時間帯で無料開放が為されており、いつもの通り大量のトラックが列を作って国道を疾走している。本日は都心にいきなりつっこむという無謀なことはしたくないので、清水から国道52号に入り、甲府から雁坂を越えて埼玉へと突入する。栗橋に行ってそのあと、千葉茨城栃木群馬を踏んで館林から高速に乗る。渡瀬貯水池近辺はこれら五県が犇めきあっており、なかなか訊ねるには楽しい場所である。夕方大井町の宿にチェックインし、最上階の風呂でまったりしたあと本日の宴会場新宿へと足を進める。新宿は全くもって右も左も判らないので這々の体で会場にたどり着く。宿への帰りはほぼ最終電車であったが、山手線との連絡のために京浜東北線が10分以上も待たされるというのは凡そ信じられないことであった。そのせいで疲れがどっと出てしまい、宿に戻るとそのまま寝入ってしまう。戻る↑
    11月28日(金)「ペルー大使館からのメール」
    何の因果か知らないが、(知っている人はもちろん知っている)僕のhotmailには熱い思いを滾らせる漢たちが「先生、どうか○○を××してください。」と自分勝手なことを言ってくるので時々おもしろく読ませてもらっている。こういう陳情がそもそも現在のよろしくない政治の温床なのではないかと思うフシもあるが、「2ちゃんねるは右翼の溜まり場だから潰してください」という自分勝手も甚だしいお願いなんかもあり、世間の人は自分が被害を受けたら即敵と見なすという風習があるようで、思慮遠謀のかけらもないことは最近ようやく判ってきたのでそれはそれでいいことだって全然文章になってへんなあ。さて、そんなメールアドレスに本日はペルー大使館からメールが届いた。中身はスペイン語(?)と英語と日本語で書かれており、要約すれば「フジモリ元大統領の身柄をとっとと引き渡せやゴルァ」というものであった。TO:には錚々たる面々のメールアドレスが鏤められていたが、このうち何人がこのメールを読んでいるのかは全くもって不明である。僕のところに初めて届いた割には「定期的に送らせてもらってます」という記述もあり、どうやら三等書記官あたりにネット検索させてえらいさんのメールアドレスをせっせこ収集させ、その人宛に送っているようである。次回のメールが楽しみである。さて、本日は夜より東京に向けて車を走らせる。国道MLの友人の結婚披露パーティーなので一路新宿へと進路を取る。途中大阪で拾った友人はあと数日で30歳なので、本日は運転を代わってもらうわけには行かないのである。微妙な自動車保険の設定である。戻る↑
    11月27日(木)「ETCカード前払い」
    会社では、近々行われる部署間の自慢大会の準備に余念がなく絵や文字が躍りまくる必要以上に派手なPPTの作成があちらこちらで行われている。今年は何の因果かこのイベントにグループ代表として参加することになったため、ぼつぼつ地味にPPTを作成する。その度に「地味」「インパクトがない」という駄目出しをされてしまうのであるが。帰宅したら、ETCカードの前納ができるようになっていたので、早速前納を試みる。あっけないぐらい簡単に手続きは終わり、これで当分は高速道路の出入り口で停止する事はないので嬉しくなる。戻る↑
    11月26日(水)「紅白歌合戦」
    大晦日と言えば、我が家ではいまだに根強く「紅白歌合戦」を見ることになっている。だからといって最初から最後まで熱心に見て自己採点をし、俺の見立てでは絶対今年は白が勝つと思っていたのに実際紅が勝ったら「なんでやねん!」とNHKにゴル活するほどではなく、「小林幸子の衣装も見たしそろそろ初詣にでも行こうか」という風な使われ方が為されているのが現状である。本日はその出場メンバーが発表されたのであるが、昔は定番であった「暴力団とのつき合いが取り沙汰されて辞退して補欠が繰り上げ出場」という風物詩は過去のものになり、「俺の音楽を勝手に編集する紅白なんてこっちから願い下げだぜ」という捨てぜりふが決まっていたニューミュージック(死語)の出場拒否も今は懐かしいものである。ところで、後藤真希が初出場とか、歌わない女子十二楽坊出場とか、白組には必ずと言っていいぐらい付き物である色物のはなわなど、やはり今年も疑問を呈する選ばれ方が為されているのはNHKらしい理不尽さがあっていいものである。戻る↑
    11月25日(火)「白い巨塔」
    3連休のあとの会社はいつもにも増してだるさが助長されているような気がする。そんなことは極力気にしないで適当に仕事をこなし、帰宅する。最近通勤時に山崎豊子の「白い巨塔」を読んでいるのであるが、別に今リメイク版が放映されているからではない。山崎豊子月間ともいうべき季節であり、去年は確か「沈まぬ太陽」を読んでいた気がする。こんな形で「読書の秋」を満喫しているのであるが、サラッと読めないドロドロとした重さがあるため、細切れに読むならちょうどいい感じである。とりあえず、本日は財前が教授になるところまで読めたので良しとしよう。戻る↑
    11月24日(月)「帰りもフェリー、但し別の」
    たこフェリーと明石海峡大橋道の駅で目が覚め、いよいよ帰宅する。行きとは違う経路で帰りたかったので鳴門から大鳴門橋を渡り淡路島へ。淡路島で温泉に浸かりまったりして、なぜか100円ショップで買い物をしたりする。道活動に必要なものは現地で用立てるという不思議な習慣はすでに定着しており、ホームセンターや100円ショップは自宅近所では使わないのに、出先ではやたらと利用してしまうのがなにげにすごいのかも知れない。淡路島の西海岸を景色を堪能しながらまったりと進み、明石海峡大橋の下を潜ってたこフェリー乗り場に到着する。フェリーに車を乗せてぼーっとしていたらもう明石に到着し、ここまで来れば帰ってきたも同然である。とりあえず腹が減ったので「魚ん棚」でたこ飯と刺身を食べて満足し、三田へと向かう。京都に住む僕にとって、神戸市の北部地域は未知のゾーンであり、縦横無尽に張り巡らされた高速道路や有料道路、高規格な道路、それに幾重にも連なるニュータウンは神戸市の奥深さを思い知らされ、伊達に京都並みに人は住んでいないのだなあということをよくよく思い知り、これまた渋滞に巻き込まれてしまう。明石でガソリンを入れた時についでに洗車を頼んだのであるが、帰り道雨に降られたのはお約束なのかも。三田からは意外にも未走区間である国道176号を篠山まで走り、そこからはいつもの通り帰宅。行きは峠しか通れなかった京都兵庫県境の天引峠は、帰りになるとトンネルしか通ることができなくなっていた。これでまた、最適解の道路が一つ整備されてしまったことになるのかと思うと、なんだか複雑な気分になった。国道372号の整備がされていく様をリアルタイムで体感しているというのは不思議なものだ。戻る↑
    11月23日)「室戸岬」
    四国のいのちどう考えても車が通れそうにない吊り橋@奈半利道の駅で目が覚め、本日の行程を開始する。まず、前回天候不順に付き全く見ることができなかった早明浦ダムに向かう。純粋なダム活動ということもあるが、10年ほど前の渇水で水没した村役場が現れたということ以来妙に知名度が高まってしまい、渇水の時期になると渇水の指標にされてしまうと言う余り有難くないことにもなっているようである。ダムには「四国のいのち」という石碑があったりするが、分水嶺をぶち抜く水のトンネルをこれでもかと掘っているため確かに四国の命となっていることは間違いがないようである。その後ナビに騙されながらも奥白髭温泉に向かう。やたらと細かい説明をしてくれるオーナーがいるのだが、温泉自体はいたって素晴らしいものであり、朝からまったりとした気分になる。風呂をでていざ車を進めようと思ったら、とりあえずガソリンがないので大豊の街に出たところ、「杉の大杉」を祀っている神社で祭りがあるというのでそちらに出向き、この大杉のようにビッグになりたいと願を掛けた美空ひばりの話がスピーカーから垂れ流されるのを辟易しながら聞く。そのあと道の駅大杉で立川そばというそば粉100%なので細いそばがきにしかならないよというそばを食べてようやく本日の目的地室戸岬へ。奈半利から大人しく室戸岬へ行けばいいものを、一旦山越えをして東海岸から室戸岬を目指す。奈半利からの山越えでは必要性が理解できない奈半利北川道路なる自動車専用道が中途半端に建設されており、その脇に今にも崩れ落ちそうな釣り橋が架かっていた。さて、到着した室戸岬は足摺岬と妙に雰囲気が似通っており、それは駐車場が手狭とか、灯台があるとか、石像があるとか、お遍路さんの寺があるとか、南に向いているとかその辺がいろいろと絡まっているのであろう。そんな新たな発見をしつついざ高知方面へと車を進めるが全く進まない。安芸市内から先はひどい渋滞でいつになったら辿り着くのやらと滅入ってしまう。ちょうど友人が高松に来ているということで飯でも食うかということになり、南国で待ち合わせる。南国で落ち合い高知まで飯を食いに行く。友人に3DAYSチケットを譲り、一路徳島方面へと車を走らせる。南国から阿波池田までの国道32号はよくぞこんな険しいところにそんな立派な道を造られたものでという言葉が当てはまるとばせる人にはいくらでもとばせる道であり、後ろから追いつかれてあっという間に抜いてしまい、姿が見えなくなる車が跡を絶たない。事実、信号というものに全く引っかからなかったので、南国から貞光まで実はノンストップで辿り着いたりする。本日は脇町の道の駅で没する。戻る↑
    11月22日)「極寒の剣山」
    JR予讃線坪尻駅道後温泉本館朝目が覚め、とりあえずガソリンを入れようとガソリンスタンドに車を走らせようとするが、うんともすんとも言わない。これはやばいですぜダンナということで、歩いてガソリンスタンドに出向き、ポリタンクに少しばかりのガソリンを入れてもらって給油し、動くようになった車をそのガソリンスタンドへと運ぶ。朝から随分とおもしろすぎることをやってしまったが、旅とはそういうものである。と言うことで車を高速道路のインターへと走らせ、めでたく3DAYSチケットをゲットする。これで高速に乗りたい放題である。しかし、あまり高速に乗ることもなく、JR四国の坪尻駅などという味わい深すぎる駅を探訪する。国道32号に坪尻駅まで600mという表示があり、車で行けそうな道は見あたらない。しかしながら、徒歩であれば何とか谷に下りていけそうな山道があり、その山道を歩くこと20分で、ようやく坪尻駅に到着する。坪尻は勾配の途中にある駅であるため、駅が引き込み線になっており必要以上に味わい深い。折しも列車がやってきて、スイッチバックをして駅に到着する。周りにはあばら屋となった廃墟があるばかりであり、この駅の存在価値はマニアと駅寝のためにあり、信号所としてしか実際は機能していないような気がしないでもない。そんな坪尻をあとにして未走区間である国道438号で貞光から剣山を目指す。昨晩の冷え込みがいまだに続いているようで見の越峠では真っ昼間だというのに温度は1度と劇的に寒い。その後も見走区間を丹念に塗り夕方高松に到着する。本日の寝場所をRS土佐さめうらにしてみたのだが、このままストレートに行けば時間が余ってしようがないので一旦松山に出向き、必要以上に訪れている気がしないでもない道後温泉にまたもや入る。温泉の近所を歩いているだけで、飲み屋の客引きのおばちゃんからひっきりなしに声を掛けられる。客引きのおばちゃんをかいくぐり、いざ車を進める。と言うことでようやくRS土佐さめうらに到着する。今夜は雲一つない夜空で、星が綺麗に瞬いているのが観察できたが、空を眺めているとあまりの寒さに寒気が襲ってきてしまい、さっさと車の中に入り込む。戻る↑
    11月21日(金)「JH四国の陰謀」
    週末が3連休なので、どこかに行く計画を立てる。冷静に考えれば、今後立て続けに予定が入っており、ゆっくりと週末を過ごすことはしばらくできそうにないのであるが、目先の楽しみを優先させるべく、とりあえずで掛けることとする。タイミング良くJH四国が「社会実験」と称する高速道路乗りたい放題6000円という太っ腹な企画をやっており、これに載っからない手はないということでいざ出発。自宅からはほぼ定番と化した経路でなぜかまずは姫路に向かう。ストイックに近辺の未走国道区間を塗るという修行のために出向いた次第。姫路市内から港へと続く国道436号がそれであり、この国道自体は小豆島経由で高松まで続くのであるが、それはまたの機会ということにする。その後姫路バイパスは必要とは思えない道路工事で渋滞し、MT車にとっては辛い時を過ごす。備前大橋で片側通行で4km渋滞という洒落にならない情報が飛び込んできたので、初めてブルーラインを利用する。貸し切り状態のこの道路を疾走し、その後は宇野へと向かう。途中のローソンでフェリーの割引券をloppiでつまみ、フェリーでいざ四国へ上陸する。ブルーラインに乗るあたりからすでに給油ランプが点灯しており、心許ない状況で車を進める。しかし、ギヤを変えるとしばらく加速をしないという明らかに燃料切れの状態になったので、夜中なので閉まっているガソリンスタンドのそばに車を停めて一晩過ごし、朝にガソリンを入れるという算段を立てて本日は坂出にて車を停める。夜が明けたら給油という計画はもろくも崩れ去るのであるが、それは明日の日記に書くことである。戻る↑
    11月20日(木)「ETCカード」
    先週頼んでいたETCカードが到着した。これで料金ブースの渋滞とはおさらばである。しかしながらもっとも頻繁に使う自動車有料道路はETCが設置されていないので、その恩恵がいかほど大きいかについてはいまだに疑問符が残るところではある。それと合わせて全日空から株主優待券も到着した。株主優待券を太っ腹にこんなにくれるとは有難いことである。半額だから飛行機にがんがん乗ってやるぜ、という思想は「せこい奴だ」という意見を差し挟む人が多そうなものであるが、「需要を掘り起こしてまで飛行機に乗せる」というある意味姑息な手段でもあるため、踊らされて果たして本当に幸せなのかは見極めが必要である。無料航空券がもらえるマイルもたっぷり貯まっているし、他の割引料金が効くときに飛行機に乗るようにしている人間にとっては、株主優待券はいかほどの興味をもたらすものであろう、と少し考えたがそういうときは金券屋に売ればいいので余計な心配はいらんのであろう。さて、どこに行くか今から計画を立てねばならない、いや別に絶対立てなければならないものではないというご指摘もあるが。戻る↑
    11月19日(水)「ロングランな会議」
    昨日の業界再編の騒動は両社の社長が「寝耳にミミズです」と宣っているところからはじまっているようで、先走りは程々にしておかないとまとまる話もまとまらなくなりそうである。朝から会議でうだうだやった挙げ句、「仕事が遅れたときの言い訳は何がよろしいでしょうなあ」という限りなく蒟蒻問答にちかい何かが延々と繰り返され、話を聞いているだけで嫌になる。会議が終わったら、部長が「俺はお前らのために始末書を書かされてしまった」と言うことからはじまり、「どないしたらミスがなくなるんや?」という全能の神がいないのにそれを探し求めるような話がまたもや展開される。帰宅したらえらく疲れていたようでそのまま寝てしまう。最近部屋の電気はつけたまま寝いてしまうことが多いので疲れが取り切れていない気もする。そういえば春に出向いた福島の飲み屋からまたもや980円でのみ放題という訳のわからんご案内がやってきた。当分出かける用事はないのだが。戻る↑
    11月18日(火)「湯布院と由布院」
    朝から某新聞が僕の所属する業界の再編を告げるすっぱ抜き記事をトップ一面に飾る。収益の悪い事業について共同子会社を作るということで合意した業界大手同士がそれだけでは飽きたらずついに経営統合するという記事であった。この手の話というのは某新聞がすっぱ抜くとおじゃんになるという不思議な傾向があり、これは「ファイトー!一本いっとく?」というCMの実現が幻に終わったことからも今回もそうなるんではないかという気もする。この話がもし実現すると両会社とも僕の会社より売り上げが上なので、僕の会社の売り上げ順位が1つ繰り上げられるというきわめてネガティブに会社の価値が上がることになる。合併により国内最大手に匹敵するクラスの会社になるということであるが、世界に目を向ければ限りなくつまらないコップの中の勢力争いである。うちの会社もどっかとくっついたりすることはあるのかなあと考えたが、こんな体育会系の会社を拾ってくれるような奇特な会社なぞあるわけがないよなあ、という結論に落ち着く。夜、帰宅してプロジェクトXを見る。膳場さんの入浴シーンがなかったのはNHKの良識であろうが、そうであれば再放送の視聴率は探偵ナイトスクープを軽く上回ったであろう事は想像に難くないと一人妄想する。「我々はバブルに踊らされませんでした」という一言を言うために随分と回りくどい番組になっているところが少し鼻についた。官吏たるものが情に訴えてどうこうするというのがまことに日本らしくてよろしい話である。戻る↑
    11月17日(月)「無駄な会合」
    週末の充実ぶりが仕事に反映するということもなく、いつもながらののんべんたらりとした仕事がはじまる。夕方より組合の会合に出かける。晩飯を出しますという言葉に釣られて出向いたのであるが、同じ事を考えている人が多いようでいつもに比べて格段に参加者が多い。しかしながら前で話す役員の話はいつもながらにのんべんたらりとしており、話を聞かずにさっさと飯を食ってしまい仕事に戻る。少しずつ少しずつ地味にボーナスを減らす方向に会社が進んでいるのはこのご時世当然であろうものだが、なんだかせこせこしいところが大阪の中小企業っぽくていい感じである。昔日の「賞与通しで1年分」なんていう時代はもう戻ってくるはずもないのである。そんな経験がなく、現在のシブチンな状況しか知らない僕は「会社なんてこんなもんやろうなぁ」と思っているので今の状態に不満があるわけではないのだが。戻る↑
    11月16日)「姑息な山口の踏み方」
    柿木村の道の駅でなぜか朝からガラコ塗りに励む。塗り終わって一路帰路に就こうとしたが、六日市で温泉にはいり、朝からまったりする。朝風呂は350円というなぜか割安なので喜んで利用してみた次第。六日市の温泉は六日市インターからはすぐであり、立地条件がよい。六日市から中国道に入れば、西に進もうが東に進もうが山口県を踏むという不思議なことがあり、これでめでたく全都道府県を1年間で踏んだことになる。ということで帰宅しながら山口を踏むという姑息な方法を選んだのであるが、六日市インターはいまだに手渡しであることに驚く。自動発券になっていないのは利用者が少ないからであるということはその後の中国道が貸し切り状態であったことからも伺える。カーナビは京都南まで一気に走ると9000円ばかし取られますと行ってきたし、そもそも帰宅が早くなりすぎるので、院庄で下りて久しぶりに国道429号を走ってみることにする。げっそりするような濃い道を走りたいというわけではなく、国道427号の青垣西脇間を走ったことがなかったので、そこを無理なく走れるようにするにはこのルーティングが一番適当かなと思っただけのことである。西脇からは県道をつないで篠山に出て、篠山からは国道372号で亀岡へといういつものルーティングで帰宅。新車だったのでまだ2000キロしか走っていないけれどオイル交換を済ませておく。戻る↑
    11月15日)「出雲日御碕」
    出雲日御碕灯台一畑電鉄で現役の旧南海21001系冷え込んだ朝ということでかなり寒いが、完全防備で寝たのでいたって平気である。車を北に向け、皆生温泉でまったりと温泉に浸かる。ワイン風呂という湯船があったのだが、酔っぱらいそうになるので遠慮する。皆生温泉からは西へと車を進め、秋鹿なぎさ公園で昼飯を食いながら宍道湖を眺める。向こう岸がぼんやり見えると思った次の瞬間に全く見えなくなり、次の瞬間には向こう岸がはっきり見えるという変化の激しい天気の中、車を更に西へと走らせ出雲日御碕に到着する。門前町の土産物屋のやる気なさそうな「イカ食べていかへん?」という誘い文句に動じず灯台を目指す。懐から13枚綴りの切符を取り出す前に向こうが切符を切ってくれてしまうところなぞはどこの灯台にもある光景で、徐に取り出したチケットにスタンプを押してもらったり、これまでどれだけ灯台を制覇したかを話したりするいつもの光景が繰り広げられる。ここ出雲日御碕灯台は土足厳禁の灯台で、いきなりスリッパに履き替えさせられるという驚きの展開である。日本一高い灯台ということでかなり螺旋階段を苦労してのぼり、苦労して下りてきて来年のカレンダーを購入して土産物とする。
    志学薬師湯@三瓶旧大社駅の待合いのベンチ日御碕をあとにして出雲大社へと向かう。しかしながら出雲大社には立ち寄らず、一畑電気鉄道やJRの旧大社駅なぞを見て回る。一畑電気鉄道ではなぜか昔よく乗った南海の21001系に久しぶりにお目に掛かる。ペイントが施され、番号も変わっているが、早々ごまかされない。懐かしい再会に感動もするが、この寂れ具合には味わい深さを通り越した何かがある。旧大社駅は昔ながらの駅舎がそのまま残されており、本当に廃止にする必要があったのであろうか?高々数キロの鉄道を動かすことはそれほどペイできない路線であるからといって目くじらを立てて廃止させるべきだったのかという疑問が沸き上がるし、駅舎はやはり現役である方が遙かに素晴らしいということはいうまでもないことである。その後大森銀山の史跡に行くがすでに閉館であり、かつての代官屋敷で夜な夜な繰り広げられていたであろう「あーれー」とか、越後の縮緬問屋の隠居が二人の用心棒を従えて悪代官を懲らしめているであろうさまなぞを妄想する。そのあと三瓶温泉に向かい、まったりと源泉を堪能する。三瓶温泉は源泉の温度が低いため、冬だけは暖めているということであるが、お湯は素晴らしいの一言である。そのあと三江線沿いに県道と国道261号を江津へと進み、江津からは江津道路で浜田へ向かう。三江線の踏切が閉まっており、列車の通過待ちをするという大変貴重な経験をしたりもする。そのあとは益田まで行き、夜の石見空港を見に行ってそのあとは柿木村の道の駅で没する。戻る↑
    11月14日(金)「寿司100人前」
    湯原温泉露天風呂「砂湯」寿司屋に「にぎり100人前お願いします」と電話を掛ければ、それは嫌がらせ電話のゴールデンスタンダードである。しかし、実際に100人前注文するときはそう頼まざるを得ないので、そういうときは「ネタじゃないんですけど」とかいう前振りでもいるのだろうか?でもその前振りは「怪しいものではありません」という奴が怪しいというルールにあてはめれば自分から「ネタです」といっているようなもので逆効果である。でも、こんな事を頭に浮かべながら注文すると注文の最中に笑ってしまうので信憑性がなくなりそうな気がする。寿司の出前は斯くも難しいものなのかということを考えてしまった。組合の支部集会の寿司を頼む話を聞いてそんなことを考えたという平和な一日であった。夜より、いよいよ今年中に47都道府県を踏むべく、最後まで残っていた山口に向かって出発する。自宅より京都縦貫道、国道372号と乗り継ぎ、滝野社からは中国道。佐用で降りてそこからは下道をうだうだ走り、久世から湯原までは米子道。湯原で下りたあとで湯原温泉の露天風呂「砂湯」に向かいまったりと温泉に浸かる。その後車を道の駅蒜山高原まで進め、うえぺけ号で初の車中泊となる。道の駅蒜山高原はホテルの駐車場にしか見えないためなんだかここに止めて車中泊するのが少し気が引けるのだが、道の駅である以上それは構わないことなので気にしないことにする。戻る↑
    11月13日(木)「ボーダフォンのアドレス変更」
    ボーダフォンが本日よりメールアドレスを強制的に変更させたようで、この数日「メールアドレス変更しました」という通知が友人から届く。軒並み勘違いしていることは、「このアドレスじゃないと11月13日以降は届かない」という強迫観念に駆られているものである。ちんけなプロバイダですら移行期間を設けているというのに、日本でも指折りのプロバイダたるボーダフォン様が斯様なミスをなさるわけがないのである。ボーダフォン様を見くびってはいけないのである。ボーダフォン様が目先の利益を確保するために新規加入に対する投資を止めるという思慮深いご決断をされて今後じり貧になるという話があるのは事実だが、ボーダフォン様に限ってそんなことはないのである。褒め殺しするのは性に合わないのでこの辺で止めとこう。辞める人あれば就く人ありで、社民党の土井党首が辞任すれば、一方で道路公団に新たな総裁が就任した。社会党の党首ってその前は誰だったかなあとか、村山富市って党首じゃないのに首相になったのかぁといろいろと思い出すことはある。自民党総裁で唯一総理大臣になっていない河野洋平氏に対して三権の長の一角である衆議院議長に就任させるのは何かシュールにしておつとめご苦労様という気がしないでもない。高速道路はもう要らないと叫ぶ人は多いが、そういう人は車に縁のない生活を送っている大都会の住民であり、車がなければ生活できない人でそんなことを宣う人はいないのである。戻る↑
    11月12日(水)「ETC取り付け」
    仕事を早々と済ませ、帰宅の途につく。近所のオートバックスに出向き、ETC車載機の取り付けでもやってみるかと思い立ったからである。とりあえず店に入り「サンバイザーないですか」というかなりヨワヨワな買い物から開始する。どうもサンバイザーというのは季節商品であるらしく、これから冬を迎えるこのご時世には「すでに返品しました。」という店員の一言が突き刺さる。しかしながら、つい最近納車した人間にとってはその手のアイテムは確保しておきたいわけであり、今更ないといわれてもねえとごねてみる。店員がごそごそ探してくれた結果、阪神の随分と派手なサンバイザーは見つかったのだが、それは日よけになるが結構恥ずかしいものがあり遠慮する。更に店の奥をごそごそ探してきてくれた結果、ディスプレー品で些か難ありという代物を見つけてもらうが、傷ありということで大幅にまけてもらう。その後ETC車載機の選定に取りかかり、アンテナ一体型は目立つからポッコンいかれまっせという有難いレクチャーを拝聴してフロントガラスに両面テープで接着するという目立たないタイプの車載機を購入し取り付けてもらう。蛍の光が流れる店内でぼーっとまっていたら取り付けが終わったということで店員一同の見送りを受けて帰宅。帰宅してETCカードの契約をするが、到着は10日ほどかかるらしい。楽しみがまた増えたなあ。戻る↑
    11月11日(火)「神農さんの笹」
    張り子の虎業界が業界なので縁起物として会社で神農さんの笹が配られる。会社から無条件に与えられるものは今となってはこれだけになりつつあるが、なんだかこれはこの業界の矜持という気がしていないわけではない。詳しいサイトによれば、神農さんは古代中国の伝説上の帝王で、伏儀(ふつき)、神農、黄帝と並び称される“三皇”の一人であるらしく、相当えらい神さんであるらしい。しかしながら日本に持ち込まれると少彦名命(すくなひこなのみこと)と一緒に祀られるというから日本人の折衷精神は素晴らしいものがあるなあと感動する。帰宅途中の電車でこの笹を持っているのはある意味変なのであるが、大阪の1年はえべっさんで始まり、神農さんで終わるから持っていても別におかしくはないのになぜか神農さんはマイナーである。戻る↑
    11月10日(月)「選挙総括」
    昨日の選挙で票を投じた候補者は見事に落選していた。これで投票した候補者が落選する記録が更に更新されたことになるが、馬券と違いはずれても損をしたわけではない。まあ、当たったからと言って得をしたということもないのであるが。今回の選挙で民主党が大躍進したとどの新聞でも書いているのであるが、いくら勢力を伸ばしたところで過半数を取らない限りは負けなのである。民主党という基盤がまだまだ脆弱な政党は、政権を取らない限りは安定することはなく、さりとて政権を取れば基盤が弱いがゆえに分裂が起こりやすいのである。今回の選挙をマクロな目で見た場合、騒いだ割には議席は全く動いていないのである。もちろん副総裁が落選するとか、党首が比例代表で返り咲くとかいう話もあるが、勢力としては余り変更していないと思うのだが、世間は純粋に民主党が議席を増やしたことのみを強調しているようで、なんだか不気味である。それにしても日本中で2大政党という考えが浸透してきたと言うことは、日本がムラ社会から都市社会へと変化していってるのであろう。脆弱な机上の空論を振りかざすインテリ向きの野党と、第1次産業万歳の与党の戦いが農村部でも繰り広げられているところに日本が変わっていってる事を実感してしまった。戻る↑
    11月9日)「20年ぶりの岡山県苫田郡阿波村」
    美作河井駅舎ホームに残る洗面台宿で目が覚め、帰途につく予定であるが、寄り道をまたもやしてしまう。小学校の頃に近所の信用金庫が囲い込み運動の一環でやっていた、顧客のご子息を自然に送り込んで夏休みを楽しんでもらいましょうというイベントに乗っかり訪れた岡山県苫田郡阿波村を20年ぶりに訪れる。20年前のおぼろげな記憶と現在の阿波村はいささか趣を異なるものにしていたが、古き良き里村の雰囲気を今に残す素晴らしい村であった。岡山で林檎を栽培しているという衝撃の事実や、記憶にあった滝は随分しょぼかったとか新たな発見をして帰路につく。その後因美線の美作河井駅に立ち寄る。美作河井駅は苫田郡加茂町にあるが、阿波村への起点となる場所であり、引き込み線の跡やホームに残る洗面台などにかつてのちょっとした繁栄ぶりを感じさせるのであるが、今となってはローカル線の寂れた無人駅に過ぎず、時の流れを冷酷に感じてしまう。そのあとなぜか津山のホームセンターで買い物をしたり、湯郷温泉に入ってまったりして時間が経ち、結局帰宅したのは夕方であった。ガレージに車を止めて帰宅する途中に投票所があったので取り敢えず投票を済ませて帰宅。新車の初ドライブとしてはまあぼちぼちこんなもんかなという感じであった。戻る↑
    11月8日)「蘇武トンネル」
    石生駅のホームにある分水嶺日本海側に水は流れない?本日は朝から出かける。本日は国道482号の神鍋と村岡の間の不通区間にトンネルができたので走りに行こうという事になり、日本中からわらわらと集まったのである。集合が3時という事で、自宅を9時過ぎに出て、いつもの通り亀岡から篠山へ抜ける。篠山から氷上を目指す。氷上は中央分水嶺では日本一低いというところであり、氷上にある駅にもホームに分水嶺があるということであるが、まったりとした分水嶺なのでどこがピークなのか判ろう筈がない。思えば千歳空港も空港内に分水嶺があるので夙に有名であるがそれが判るわけがないと言うのもこれまた同じ理由である。時間があったので水分れ公園という名前からしてしょぼそうな公園に出向くが、想像を裏切らないしょぼさに感激する。水がStochasticな分布に従って太平洋側(加古川)と日本海側(由良川)に流れていくというモニュメントが公園内に設えていたが、由良川に流れるであろう水路の閘門は閉ざされており、日本海側の渇水が今後心配されるところである。3時に神鍋の道の駅に集合し、いよいよ本日開通した蘇武トンネルを通る。トンネルというのは基本的に味気ないもので、これといった感動もない。石碑には町長の悲願というか執念みたいなものが感じ取れる記述があったのだが、人生をトンネルに捧げた人の話はひたすら熱い。6月1日の末端調査に比べて盛り上がりに欠けるがそのまま本日の宿泊地鳥取へと駒を進める。途中湯村温泉で温泉にはいり、無色無味無臭のお湯を満喫する。鳥取ではうまい肴で宴会をするが、昨日の寝不足がたたったのか知らないが睡魔が襲ってきてしまい一次会で敢え無く宿に戻り熟睡する。戻る↑
    11月7日(金)「見せびらかし活動のなれの果て」
    本日も慣らし運転に出かける。とりあえず高槻にいる友人に見せびらかしに出かけようとしたら泉佐野で飲み会ということが判り、なぜか友人の奥さんと一緒に泉佐野まで出向くことになる。泉佐野の飲み会は終わり、岸和田に店を変えたということなので岸和田に向かうが、宴も酣闌と言うことでなかなか抜け出せない状態であるらしくその辺で時間をつぶしといてくれということなので海を見に出かける。海沿いの車が電気もついていないのにぎしぎし動いていたりするのは世の常であるが、夜の海を眺めるのは若い二人の特権であることをすっかり失念しており、その中を関空から飛び立つ飛行機に一喜一憂する僕と友人の奥さんはどう考えても妙であることは疑いようがないが、それでいいと思っているのでそれはそれで良しである。ようやく飲み会が終わったということで迎えに行ったら、河内長野に住む同席者を送っていくことになり、ものすごい日常的な使われ方を運転を初めて二日目にしてやらされることになる。僕はこの車でさっさと車中泊ができるようになりたいと思っているからこういう使われ方は大歓迎なのであるが、世間ではそうは思わないらしい。同席していた河内長野に住んでいるというおっさんは徐に滝畑ダムの心霊スポットに我々の車を誘い、真夜中にええ年こいた大人4人で心霊スポット巡りなんかをしてしまう。その後友人を高槻まで送るが、飲んだくれた友人は後部座席で寝込んでしまいなんだかなあと思いながらも友人の奥さんと運転を交代しながら帰宅。帰宅したのは3時半だった。二日目にして随分と長距離運転をしてしまったものだ。まあ僕らしいといえば僕らしいのかも。戻る↑
    11月6日(木)「いよいよ初運転」
    新車(エクストレイル)苦節5日にしてようやく新車に乗ることとなる。車がMT車であることが奏功したのであろうが、親は僕の車を触ろうともしないし、「運転させてくれ」とも言い出さない。夜帰宅していよいよ初運転を行う。最初エンジンがかからなくて難儀するが、最近の車の安心設計ということでクラッチを踏んで切っておかないとエンジンがかからないらしい。最初なのでどの辺でクラッチがつながるかとか、適正なギヤの選択はどのあたりの回転数かといったことを試行錯誤しながら少しずつ習得していく。本日は自宅の近所をぐるっと回り、ガソリンを入れておしまい。本日の運転距離はわずか15キロであった。まあ、最初なのでこの辺で勘弁しといたるというものであろう。ちなみに買った車は日産のエクストレイルで色はバーニングレッド、排気量は1998ccで5MTである。戻る↑
    11月5日(水)「健康診断」
    年に1度会社で健康診断があり、朝から被爆したり、強制排尿させられたり、体調というプライベートなことを根ほり葉ほり聞かれたり、腕を締め付けて血液の流れを止めさせられたり、○のどこが切れているかという眼が良ければ難なく答えられるクイズに答えられなくて悔しい思いをしたりする。仕事に戻ると神農さんの笹を欲しい人は申し出るようにという回覧が来ており、去年に引き続き今年ももらうこととする。年々会社が世知辛くなってきたようで、このイベントもいつまで続くのか判ったものではない。ところで、去年もらった笹は奉納しに出かけなかればならないのであるが、神農さんは本社のごく近所に祀られており、本社に行くのは億劫なので行く気が起こらないと言うきわめて不届きものなので、そんな奴が何かに肖ろうというのは虫が良すぎるのかも知れない。戻る↑
    11月4日(火)「今日の新車の運転はは自転車だけ」
    折りたたみ自転車車が届いたのが気になって仕方がないという小学生のような逸る気持ちを抑えつつ仕事をこなし、定時になると取るものもとりあえず帰宅する。帰宅して車を早速見に行こうかと思ったら雨が降ってきたので本日も大人しく諦め、本日は届いた折りたたみ自転車の組み立てを行うことでとりあえず我慢しておいてやることにする。昨今の中国製自転車の普及に伴い、国内での自転車の販売価格はなし崩し的に低下しており、折りたたみ自転車と言えどさして高くない値段である。どうも親はその辺が判っていないようで、折りたたみ自転車の値段を聞いて「安物」と思いこんでいるようであり、オプションでつけられるけれどあとでホームセンターで安いのを買ってつけようと思っていなかったためライトをつけていなかったことも「安物」の根拠に論うので、親と「そんな文句言うんやったら乗せたらへん」というきわめてガキっぽい喧嘩に終始する。イラクや北朝鮮の殺伐さに比べたら平和極まりない日本に少し感謝する。戻る↑
    11月3日(月)「うだうだと帰宅」
    朝柏崎を発ち、帰宅の途につく。しかしながら真っ直ぐに帰るわけもなく、富山あたりまではうろうろと下道を走る。富山で友人と待ち合わせをし、きときと寿司を食べるといういつもながらのイベントを執り行い、その後は松任にあるCCZで温泉を満喫する。思えば今回の旅行では温泉を素通りばかりしていたような気がするのだが、長距離だったので時間の制約があったため、そればかりは仕方がない。CCZでまったりしてその後は高速でさっさと帰りたいところであったが、名神が劇的に渋滞していると言うことなので敦賀からは高速を降り国道161号を久しぶりに利用して帰宅する。帰宅して車を見に行こうと思ったが、雨が降っていたのと疲れていたのでやめにする。戻る↑
    11月2日)「シルバーライン」
    色褪せたホワイトアウト川治温泉にはなぜだか判らないけれどミススペリングしている国道標識があり、その標識の前で集合写真を撮るという訳の判らないことをやって散会。本日は奥只見湖を目指す。途中檜枝岐村でそばを食べ、湯之谷村からシルバーラインに入る。シルバーラインは奥只見ダム建設時に資材を運ぶために掘られたトンネルだらけの道で、全長22キロのうち9割近くがトンネルというからすごい。しかもそのトンネルには工事中に尽き片側通行のエリアがあったり、上り下りカーブは言うに及ばず交差点まであるというゴージャスを極めているトンネルまである。ちなみにダムに辿り着く直前に3キロを超えるトンネルが3本あり、そのつなぎ目をスノーシェッドで塞いでいるので実質は10キロを超えるトンネルを普通の速さで走り抜けるから、体感するトンネルの長さはうんざりという感じにまでに上昇する。奥只見ダムはさすがに日本有数のダムだけあってそのでかさは感動を呼ぶものであるが、ここが原作の舞台となったためにいまだに張り出されていたのであろう織田裕二の「ホワイトアウト」が光の所為で色褪せてしまい、そんなに昔の映画だったのかと勘違いを呼び起こすような事まであったりする。ポスターが色褪せて時の流れを必要以上に実感したのは石垣島の「ちゅらさん」と大間の「私の青空」でもそうだったが、観光地のポスターはもう少し気合いを入れて色褪せしにくいものが良いのではないかと余計なことを思ったりもする。檜枝岐と湯之谷の廻しても廻しても樹海ラインという国道352号にお腹一杯になり、小出で「モンブラン」という怪しげなレストランで晩飯を食らう。「モンブラン定食(天ぷら主体)」という不思議なメニューがあったのでそれを頼み、何がどう主体であるのかをひとしきり悩む。本日は柏崎に宿を取り休む。戻る↑
    11月1日)「いざ川治温泉へ」
    友人の車で一路川治温泉を目指す。GPSを買ってからログ取りに精を出すようになった友人は、「ログがとれていない道がいい」などという訳の判らないリクエストを出し、京都市内を不思議なまでのトレースをして滋賀に到着。湖周道路を米原まで、米原からは国道21号でひたすら東に向かう。途中坂祝(さかほぎ)でラーメンを食い、美濃加茂からは国道41号で高山へ。高山からは安房峠経由で松本に抜け、松本からは三才山経由で下仁田へ。下仁田から高速に乗り藤岡で朝飯を食らう。朝から「おやじのヒレカツ」という名物料理を食べてしまったのだが、いささかヘビーであったことは否めない。その後秋の行楽シーズンであることを念頭にルーティングを行い、「日光だけは避ける」というきわめてわかりやすい作戦のもとで赤城山を経由するというなんか間違っているようでそれでいて割と狙い目っぽい作戦を決行する。赤城山は麓はまだまだ、中腹が真っ盛り、山頂付近はすでに枯れているという紅葉のコントラストが素晴らしい限りであったが全く混雑が無く、山を通り越して金精道路から林道経由で川俣温泉に抜け、川俣温泉から川路へと到着する。宿の温泉がぬるかったのが個人的には余り楽しくなかったところであった。徹夜の運転ともとより体調が不全だったこともあって、宴会のあとはあっという間にくたばってしまう。ちなみに本日無事納車されたらしいという連絡を親からもらう。帰宅したら早速見に行くこととする。戻る↑