2003年8月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 8月31日)「免許更新」
  • 8月30日)「SASのDVD鑑賞」
  • 8月29日(金)「只野係長」
  • 8月28日(木)「感動的な幕切れ」
  • 8月27日(水)「扱われ方は相変わらず」
  • 8月26日(火)「世界陸上」
  • 8月25日(月)「ビル・ゲイツの面接試験」
  • 8月24日)「女子十二楽坊」
  • 8月23日)「ヒマなのでページ改変」
  • 8月22日(金)「興味の対象」
  • 8月21日(木)「ラストエンペラー・裕仁」
  • 8月20日(水)「殺伐とした暑さ」
  • 8月19日(火)「研修という名の休息」
  • 8月18日(月)「ブラスター」
  • 8月17日)「盆休み終了」
  • 8月16日)「淡路島花火大会」
  • 8月15日(金)「久々の大学」
  • 8月14日(木)「過ごしやすい一日」
  • 8月13日(水)「お盆休み初日」
  • 8月12日(火)「ようこそ輝く時間へ」
  • 8月11日(月)「天一」
  • 8月10日)「京滋バイパス」
  • 8月9日)「シングルカスクウイスキー」
  • 8月8日(金)「台風接近」
  • 8月7日(木)「免許更新のお知らせ」
  • 8月6日(水)「デジカメの行方」
  • 8月5日(火)「猛暑」
  • 8月4日(月)「嵐の前の静けさのような早い帰宅」
  • 8月3日)「朝早くから挫折」
  • 8月2日)「みとみオフ」
  • 8月1日(金)「夜出発いざ鳥羽」


  • 今月の日記
    8月31日)「免許更新」
    来週からの予定を指折り数えてみると、週末が悉く塞がっていることに気がついた。当初は平日に休みを取る口実として運転免許の書き換えに行こうという計画を立てていたのだが、多忙であることからそれは無理っぽいので急遽本日免許試験場に出向くこととする。京都の免許試験場というのは阪急、JR、近鉄、京阪の最寄り駅から美しいまでに遠いという絶好のロケーションを誇り、「混雑するので車で来るのは控えましょう」という文言は「不便」という二文字の前には説得力を持たない。日曜日に免許更新ができるだけでも有難いものだと思い直して受付の行列に並ぶ。昔に比べてかなりテキパキやってくれるため、思ったよりも時間がかからずに30分ばかり講習を受けて新しい免許を取得する。有効期限が平成20年ということで、遠い未来のことであろうと思っていた平成20年はわずか五年先であると言うことに密かに愕然とする。今回の免許更新で意外なことに「眼鏡等」という免許の条件が解除された。もとより右目と左目の視力に差があったため眼鏡は必須であったが、左目が右目のレベルまで悪くなったのである意味バランスがとれて裸眼でも合格と言うことになったのであろう。検査の時の体調が良かったこともその要因の一つであることは間違いない。そのあと友人から買え買えと言われていたからではないが、車のディーラーまわりをして情報を入手する。やはり男なら一度は車を月まで持っていきたいので、月まで行くことに耐え得るであろう二社を選んでいろいろと説明を聞く。MT車が今時全然売りに出されていないことに驚く。戻る↑
    8月30日)「SASのDVD鑑賞」
    inside outside UMI夏の終わりというのになぜかサザンの海を感じるDVD何ぞを鑑賞する。思えば海というものには久しく行った記憶がない。海自体は何度も行っているのであるが、海を目的地として、そこで朝から晩まで遊ぶというレジャーはこのところやった記憶がない。最後に海に行ったのってもう11年も前である。夏の海という楽しいベントであったはずなのに、我々を出迎えた丹後の海は3日間とも土砂降りだった記憶がある。そのときほど小学校の社会科の時間に習った「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉の意味を噛みしめたときはなかったという思い出に耽る。それにしても、何事につけ良い思い出というものに縁が無いというとこらへんにすでに自分の人生がネタであることを思い知らされる何かがある。今年は冷夏でどこの海水浴場も閑古鳥が鳴いていたと言うことであるが、こんな夏に鑑賞しても、TUBEのようにひたすら脳天気な夏ではないサザンの夏は趣深い逸品である。夏というものは、暑く楽しくむさ苦しく過ぎゆくものである。それにしても最近日本の浜辺から水着のおねえちゃんは減った気がするが、あれは多分外国か必要以上に混んでいる湘南とか須磨とか名前が売れている海水浴場に集中しているせいであろう。そんな混んでいるところに行くことが憚られている時点で僕には参加資格がないのかも知れない。戻る↑
    8月29日(金)「只野係長」
    自宅の近所の電信柱には趣のある貼り紙が為されている事が多い。かつて「たこ焼きの出前いたします」というどう考えても採算割れの商売が宣伝されていたが、風雨に晒されて消え去っていった。先日貸金業規制法が改正された影響であろうか、「困ったときはご相談ください」という誰がどう考えても怪しいとしか思えない貼り紙が貼られているのに気が付いた。この貼り紙の怪しさは「怪しいものではありません」という言葉でこちらに近づいてくる胡散臭さと同じものであり、おそらくは「そういう胡散臭い業者にも近づくな」という啓蒙活動の一環ではないかと思われる。夜中になぜか「只野係長」を観てしまうが、現実味のなさ加減に感動する。梅宮辰夫の娘が櫻井淳子とかいう設定は今更驚くには値しない。理不尽な親子関係は昔からドラマにはあり、タッキーの父親役が小倉一郎とか、宮沢りえの父親役が蛭子能収であったりするぐらいは当然の段取りのレベルである。必要もなく裸になる理由がわからないというのは基本であるが、濡れ場をきっちり作るというドラマの形式にこだわっているあたりには賛美を惜しまないでおこう。そういえばその後世界陸上を観たのだが、無理矢理ドラマ仕立てにしようとする観点から考えると、世界陸上は只野係長よりも強引さが漂っていたりする。人間ドラマではなく、淡々と結果を公正に流すだけで人に感動を与えることが可能なせっかくの映像に余計なキャプションをつけるところが納得のいかないところである。戻る↑
    8月28日(木)「感動的な幕切れ」
    トニーとマリアこのところ忙しかったので、途中で観るのをやめていた「ウエストサイドストーリー」のDVDであるが、中途半端では良くないと思い返して最後まで観る。以前17トラック以降は再生されないと文句を言っていたのだが、相変わらずデスクトップでは再生されないのでノートで試してみたら普通に観れた。要するにドライブのレンズが汚れていたということか。でも女子十二楽坊のDVDは普通に再生されたのだがねえ。細かいことはさておき、感動的な幕切れであったことは確かだが、「たった一日かよ」というツッコミがまず最初に出てきた。昔はそんなことを思いもせずに、流れを追うのが必死だったのであろう。1日なのに何日もある話のように感じさせるとこらへんが素晴らしいストーリーであるところかも知れないが、多分3ヶ月ぐらいの話になれば登場人物の親とか親族が出てくる場面も作らなければいけないだろうから訳判らなくなってしまうというところなのだろう。夜逃げの基本が夜行バスというとこらへんに40年後の日本の現状を垣間見る気がしてきたのは余計な詮索かもしれない。高速道路が普及すればこうなるということは当然の帰結であったと言うことか。戻る↑
    8月27日(水)「扱われ方は相変わらず」
    分離分析用固相抽出カラムSPEEDが再結成されると言うことは5月14日にネタにした記憶がある。本日視聴できるということで再結成されたPVを観たのであるが、相変わらず扱われ方がひどいのである。解散するまでは水面下でいろいろと陰口をたたかれるにとどまっていたが、めいめいがソロデビューし、人気の差に愕然となったあとで再結成した今となっては「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ?」というムードが支配しているのかも知れない。昔のようには戻れないなあと大人びた台詞を吐いているのかも知れないが、昔からそういうものは厳然としてあったような気がしないでもない。実は一番踊りがうまいとか、一番年上とか、絵が一番うまいとか、いいところはたくさんあるけれどそれが評価されていない。いいものを持っているが時代の流れにあっていないから伸び悩んでいるという点では劣悪なDocomoにぼろ負けしているKDDIとか、xDSLよりもインフラとしては価値が高いのに値段のせいで伸び悩む光ファイバーなどと同様である。日本人はもっと本質に目を向けてもらいたいものだ。ことわっておくが、ヒトエは今のままで十分である。ちなみに右上の画像は「SPEED」で画像をGoogle検索したときに一番目に出てきたもので、「やはりスピードと言ったらそっちの隠語の方がメジャーなんですよ」というしたり顔で話をする人が多そうなのでコメントしておくと、この画像は化合物を分離分析するときに前処理で用いる固相抽出カラムで、抽出時間が短く分離能が優れているという売り込みとともに掲載されているものである。よく似ているが注射筒ではないので勘違いしないように、とちょっとだけ本職ぶりを披露してみる。戻る↑
    8月26日(火)「世界陸上」
    2年に一度の陸上競技の祭典である世界陸上がやってきた。世界陸上といえば、織田裕二とマーティー・キーナートである。織田裕二が3日前に覚えたばかりの至宝のアスリートの名前を10年前から知っているかのようにたどたどしく発音することにはもう慣れてきたから今更なにをか況わんやであるが、マーティー・キーナートがここぞとばかりに日本のスポーツジャーナリズムを叩くのは勘弁願いたい。2年に一度の世界水泳と世界陸上と夏冬のオリンピックという節目節目に丁重に批判と安倍なつみ嫌いを繰り返し、ネタが尽きれば日テレの野球放映のあり方を批判するという図式が長きに亘り繰り広げられているが、本人は「俺がこれだけ言っても日本はかわらん」と嘆いているのかも知れない。しかしながら、長きに亘り同じ事を繰り返せば、それは魂の叫びから進化して「持ちネタ」になることに果たして本人は気が付いているのだろうか。マーティー・キーナートはほっておくとして、織田裕二の戦略である。おそらく加山雄三の後釜を狙っているのではないかと密かに考えている。毒も吐かないし、実のあることも言わない、メディアの露出は適度で、年を取っても趣のある演技はできない。ここまで条件がかなっている後釜は早々いないと思うのだが考えすぎなのかな。本日は仕事が忙しすぎたので、こういう独りごちで終わらせてみることにした。戻る↑
    8月25日(月)「ビル・ゲイツの面接試験」
    ビル・ゲイツの面接試験「ビル・ゲイツの面接試験」という本を読んでみたのだが、訳す人間がつまらないのかそれとも本がつまらないのかそれともマイクロソフトの入社試験がつまらないのかは定かではないが、とにかくつまらん本である。大滝秀治が雄叫びを上げそうなぐらいつまらない内容である。僕のように知性をひたすら無駄遣いすることを心がけている人間からしてみれば、知性をひけらかして自分を売り込むというのは随分とさもしいものであり、ひけらかせばひけらかすほど、持ち物がお粗末であるように思えたりもする。しかし、並み居る秀才を唸らす超難問が目白押しと言うことであるが、無駄な知識をしこたま蓄えていればわりと簡単に解答できるものが多かったりする。もしかしてマイクロソフトは人生や仕事を道楽と思っている人を募集しているのではないかと疑いたくもなる。ちなみに、多分僕が受けたら問題に書いてある英語が理解できないで試験に落とされたり、試験官と英語で会話が弾まなくて落とされたりするのが関の山だと言うことは判っているのだが。戻る↑
    8月24日)「女子十二楽坊」
    女子十二楽坊昨晩遅くから友人と丹後町まで出かける。日本の一番外側を走る国道をトレースするという一般人にはなかなか理解してもらえそうにないプロジェクトを実行する国道MLのメンバーがおり、本日道の駅てんきてんき丹後にいると言うことなので、とりあえず迎撃に出かける。京都府が縦に長いことを実感しつつ3時間ほどかけて到着。眠っているところを叩き起こそうとしたら、トイレに行きたくなって目が覚めたと言うことで起きており、わざわざここまで来たのに目的を果たせず少しがっかりする。道の駅で車中泊している周りの車がエンジンかけっぱなしというマナーの悪さに辟易し、丹後半島をぐるっと回り舞鶴で運転を代わってあとは爆睡。目が覚めたら自宅近所のコンビニの駐車場で朝早々に友人と別れ、帰宅して2度寝を開始する。昼前に目が覚めて女子十二楽坊のアルバムを聴き、DVDを鑑賞する。DVDにあるメンバーの自己紹介で、拙い日本語で話しているメンバーを見て萌える人の気持ちはわからなくもないが、メンバーの中には1986年に何かしらの賞を取った人もいることから、本当に全員二十代前半であるかについては疑わしい。もっとも受賞した賞の内容が近所の演奏会で銀賞取ったぐらいの代物である場合もあるようで、メンバー自らが「ビジュアル重視で我々は結成されました」と言っていることからも目新しいと言うところに重点が置かれていることは確かなようだ。しかしまあ、場数を踏むことが許されざる行為であるくらい下手くそではないと思うので、故岡本太郎氏の「芸術は場数だ!」という言葉に代表されるよう場数を踏んでうまくなる、もしくは我々を慣れさせてもらいたいと無責任に応援してみる。岡本太郎がそんなことを言っていないような気もするがまあいいか。戻る↑
    8月23日)「ヒマなのでページ改変」
    バナー1週間の疲れを癒すべく熟睡に熟睡を重ねるつもりであったが、なんだか知らないうちに普通に目が覚めてしまう。布団で微睡みながら今日は特に用事もないからページの書き直しでもしてみるかと思い立つ。トップページを飾った写真の履歴が結構な量になっているのに見づらいのでフレームを使って見やすくしようと思い立ったのが事の起こりであるが、とりあえずその前に「バナー」何ぞを作ってみようと思い立ち、適当な背景を見つけてきて、その後アクセサリーのペイントで作ってみようかと考えたがしょぼいのしかできないので、これはやはりそれ専門のソフトをどっかから入手すべきであると判断してGoogleで検索する。適当なフリーソフトがあったのでそれをダウンロードしてきぱきと作成する。ぼちぼちな出来映えなのでとりあえず使うことにする。とまあ、本来の目的から随分とそれてしまったのだが、夕飯後思い直してフレームを組んでページの改変が無事終了する。なんか「日記みたいな何か」とフォーマットが限りなく同じになったので少しいけてない気分になるが、まあ見やすいから良しとする。戻る↑
    8月22日(金)「興味の対象」
    「うつ病」に罹る人が多いと言うことで、もしかして自分もそうではないかと心配になったわけではないが、クリニックや製薬企業がネット上で提供している「うつ病診断ページ」とやらにアクセスしてみる。いろいろ試した挙げ句、「物欲が無くなる」「朝起きるのが辛いが夕方から本調子」「興味が無くなる」というのが危険信号であるようで、自分には当てはまることはないかといろいろと考えてみる。まず「物欲」であるが、最近デジカメに対する物欲が無くなったなあと思ったが、それは買ったからだと納得する。次に「朝起きるのが辛く夕方から本調子」というのにも該当するが、単なる夜更かしとわかり納得。最後に「興味が無くなる」ということであるが、最近モーニング娘。ネタをどこにも披露していないなあということでこれにも該当するのであるが、単純に「飽きた」ということでこれも却下された。めでたくうつ病ではないということが判ったのであるが、複数のサイトを検索して調査をしている段階ですでに「うつ病」では無いというツッコミは受け付けないのであしからず。それにしてもどこのサイトでも「うつ病」と書くが「鬱病」とか「欝病」とかは書いてない。文字面ですでに憂鬱になってしまうからだろうか。戻る↑
    8月21日(木)「ラストエンペラー・裕仁」
    読書の秋である。それが原因なのかは判らないが河原敏明の「昭和天皇とその時代」という本を買い、このところ行き帰りの車内で熟読している。20世紀初頭は我々の意識で言うところの「絵巻物の時代」であり、たかだか100年でこんなに劇的な変化が起こるとは誰も予想できなかったに違いない。しかしながら、そのように歴史を敷衍できるのは後世の人間だけであり、歴史の現場に居合わせた人間はのんびりと思いを馳せることもなかったであろう。歴史というものは後世の人間が評価するものであり、歴史を動かした人物というのは自分で「動かそう」と思ったからといって動かせるものではなく、思えばあのときが歴史の転換期であったというふうに後世になって初めて言われるのである。昭和天皇は歴史の中に大きな功績を残したのであるが、きっと本人は一日一日を生きていただけで、そのような大それたことは考えなかったのであろう、ということが滲み出る文章である。まだ半分しか読んでいないので後半が楽しみ。でもなんか映像の世紀オリジナルサウンドトラックを聴きながら書いているからこういう文章になった気もするなあ。戻る↑
    8月20日(水)「殺伐とした暑さ」
    部屋に大きな掃き出し窓があると、今の季節は大変である。しかもその窓が南と西側にあった日には最悪を通り越していることは言うまでもない。夜もとっぷりと暮れ、熱帯夜だけど昼間よりかは涼しいぜと思いつつ帰宅すれば、部屋はいまだに真っ昼間な温度で迎えてくれるのだからたまらない。地球に優しくしていたのでは自分に厳しいだけなので、なんと言われようとも部屋を涼しくするしかないのであるが、人はたかだか1度の違いに殺伐となるという関西空港の事例もあることだから、夏の暑さは業が深い。本日暑い暑いと愚痴をこぼしているのは、決して昼飯の弁当を当番が危うく頼み忘れかけてしまい、弁当が届いたのが遅れたとか、女子十二楽坊というふれこみでgetしたもののふたを開ければCHEMISTRYだったから怒っているわけでもないのでそこんとこ宜しくって誰もそんなこと聞いてないか。戻る↑
    8月19日(火)「研修という名の休息」
    本日は半日ほど「教育研修」である。去年もそうであったが、盆明けの今ひとつ本調子でない我々のために、適度な休息を与える会社なんてそうそうないのである。本日の教育の内容は「信頼性の保証」「統計」「人間らしい心」という不思議な3本立てであった。この3つが鼎立して教育が成り立つ業界というのが不思議に思われるかも知れないが、我々の業界ではそれは不思議なことではない。最後の一つは担当者が少しマニアックであることは否定できない事実ではあるが。本日はそんなこんなで終わり、帰宅してプロジェクトXを久しぶりに見る。豊田商事事件の回収という壮大なもので、とりあえず役所に日参して心を揺り動かし、役人が先陣を切って法解釈を浪花節に変えるという日本ならではの展開ぶりにまだまだ日本は捨てたものではないなとバブル崩壊前の古き良き日本に思いを馳せる。戻る↑
    8月18日(月)「ブラスター」
    本日より社会復帰となる。昨日作成したプレゼン資料はとりあえず問題なく、本日の検討会は無事乗り切る。しかしながら検討会でまたもや無理難題が突きつけられるのはいつものことである。あるはずもない情報を追い求めて徒労に終わることが判っているのに、それをやれといわれるとこらへんに理不尽さがあるが、まあ仕方がないし、時間つぶしと思うしかない。本日はそれも大変なことであったのだが、巷間を賑わせているMSブラスターのせいで、会社のパソコンにパッチをあてる作業を行う。会社のコンピュータ環境はNT4.0、98、XPが入り乱れるという必要以上に複雑なものだが、とりあえず急いでパッチをあてなければならないのはXPだけなので手間がかからなかったから良しとする。朝のイントラネットでは「うちは大丈夫です」といっていたくせに昼過ぎになると「営業さんのコンピュータはLANに繋がないでください」と言いだし、夕方には「パッチをあててください」と二転三転する。それにしても知らないうちにパソコン担当者に祭り上げられていたのはどうしてだろう。本人が気づかないうちに滲み出る何かかがあったのだろうか。戻る↑
    8月17日)「盆休み終了」
    昨日の帰宅が遅かったので昼まで寝ようとしたが、朝早々に起こされてしまい、必要以上に不機嫌になりながら2度寝を決め込む。しかしながら大人の夏休みにあるまじき会社からの宿題(風呂敷残業という味わい深い表現があるらしい、言い得て妙だ)があり、そのことが頭に残っているため、うだうだしているのが現実逃避以外の何物でもないように思えてくる。この思考は会社による絶妙なマインドコントロールじゃないのかとちょっぴり考えてしまうが、余り気にせずと言うか実際眠いので夕方近くまで寝入ってしまう。さすがにそれではまずいと思い立ち夕方から徐に風呂敷残業を開始する。晩飯の晩酌を本日は休止し、それなりに頑張って一仕事済ませる。とりあえず帳尻合わせるぐらいまではできたので、明日会社でやれば何とかなるかなあという感じ。いつもながら帳尻あわせだけはうまいというか土壇場にならないとやらないというこの性格はどうにかしたいが、多分己の能力を自分で見切ってしまっているので仕方がない。暑くて仕事をやる気力が失せる季節に、「先祖の墓参り」などという尤もらしい理由をつけて休息を取るという日本古来からの風習である盆休みは、このようにして今年は終結した。戻る↑
    8月16日)「淡路島花火大会」
    北備讃瀬戸大橋高槻で友人に拾ってもらい、一路淡路島を目指す。淡路島を目指す割には瀬戸大橋を渡っているとこらへんに不思議なものを感じるが、いろいろとあるので気にしないこととする。与島PAに立ち寄るが、バブル時代に思いを馳せるおけいはんフィッシャーマンズワーフなどには目もくれず、讃岐うどんの店の選定に取りかかる。とりあえず一軒目は「おか泉」と予定を立てたのであるが、開店前ですでにかなりの行列ぶりにさすがはお盆だという不思議な感慨が過ぎる。そのあと「中村」に行こうと土器川の土手を走っていたら、対向車線に妙な車の大行列ができているので「うどん渋滞かなあ」と洒落で話をしていたら本当にそうだったので「中村」は諦める。そのあともう一軒店を巡り、その後は塩江温泉でまったりと湯に浸かる。行基と空海は日本中を旅して温泉とか鉱山とかを掘り当てたということで、きっと仏教の普及を隠れ蓑に山師として活躍をしたのであろうと勝手な想像を膨らませる。そのあと吉野川の第十堰に出向き、作れども作れども崩れてしまうこの堰を見て、「流れを変えてやろうと余計な水路を造ったばかりに代償が高く付いた」という感慨に耽るのであるが、人間が小賢しく掘ったチャチな水路ごときで大河が流れを大きく変えるということはあり得ず、一度大洪水でも起こった日には流れは簡単に変わっていたであろうし、見たわけではないが遥か昔は今のような川の流れであったのかも知れないのである。そのあと大鳴門橋の「渦の道」に出向き、人間の自然に挑む飽くなき戦いぶりに感動する。大鳴門橋を渡り、ようやく本日の目的地である淡路島の慶野松原に到着し、BBQを堪能していざ花火を鑑賞する。「遠くの三尺より近くの四号」という言葉を即興で作ったがその通りで、音と光にタイムラグが無く、その破裂音が腹にずしんと来る体験は、この花火大会以外では早々できないのである。打ち上げ花火を堪能し、よい子がまねをしてはいけない手持ち花火を堪能して帰途につく。明石海峡大橋で事故があり、ちょっとつまっていた以外は問題なく舞子に到着し、最終電車で京都まで帰宅。実りの多い楽しい一日であった。戻る↑
    8月15日(金)「久々の大学」
    毎日年鑑ようやく晴れたので外に出る気力が湧く。とりあえず銀行を廻って適当にお金の出し入れとか半年ぶりの記帳とか済ませ、おもむろに大学に向かう。途中四条大橋で右翼の街宣車が「同期の桜」なんかをがんがん鳴らしている様子を見るに付け、そういえば本日は終戦記念日だったということを思い出す。本質的にこの思考回路が間違っていることを否定するつもりはないが、右翼がそのような行動指針に従って活動することが恒例行事となっている以上、その光景が終戦記念日という日時に刷り込みされてしまうのは致し方ないことである。さて、久しぶりに大学に着けば、昔いた研究室は現在建物改築中ということでもはや入ることはできないし、改築が終われば昔の面影が無くなっていることは当然のことである。教授はすでに退官したし、担当教官はこのお盆に来るはずもないしということで、大学にいるのは後輩ぐらいである。後輩といってもその半数以上は僕が研究室を去ってから配属された連中なので、顔を知っているのは本当に少なくなった。そんなこんなで大学に行く理由が減りつつあるのは事実だが、久しぶりに顔をあわせたかわいい後輩は相変わらずだったので少し安心する。仕事が進んでいないようで、こんな事で卒業できるのだろうかとしきりに気にしているようであったが、そんなことは気にしても仕方がないのでといって昼飯を食いに連れて行く。どうも大学で朝のうちにガス漏れがあったようで、消防署とガス会社が駆けつけたらしく、それなりに騒然となっていたようである。久しぶりに「京のつくね家」でうまい鶏肉を食べ、そのあとはうだうだと携帯電話のカメラの使い方なぞをレクチャーしたり、被写体としておもしろい後輩を撮影したりして帰宅。途中、久しぶりに寺町に寄れば、寺町は日々変貌を遂げ、今となっては昔日の電気街という趣は失せてしまい、なんだか纏まりのない店の集まりと化してしまったのであるが、これも時代の流れであろう。それでも赤いポロシャツを着た某ADSLのプロバイダの勧誘だけは盛んで、一時は「うち、光ファイバーなんで」という殺し文句で黙っていたくせに、「いやあ、ADSLも24Mbpsでるんですよ。おまけに安いんですよ。どうですか」とかなり強気に出てきたので「上りが24Mbpsになったら考えます」という殺し文句で黙らせて振り払う。その後古本屋の軒先の100円均一のコーナーに毎日年鑑の1960年版に遇ったので思わず買ってしまう。マニアにはたまらんこの代物をたったの100円で入手できるとは古本屋恐るべしである。とりあえず、雨が降る前に家にたどり着いたので良しとする。戻る↑
    8月14日(木)「過ごしやすい一日」
    本日はお盆休み2日目である。朝から雨降りなのでカメハメハ大王ではないが、家に閉じこもることとなる。休みの日はこういうことが許されるということは、カメハメハ大王は毎日が休みだったということになるのであろうか。つまらない話はさておくとして、雨が必要以上に降っているため妙に涼しいのである。最高気温が22度という何か間違っているというか、上高地にいるわけでも無かろうにとツッコミが入りそうな天候である。おかげで凌ぎやすくクーラーも入れないし汗もかかないということでぼつぼつと昨日と同じようにゴロゴロしながらうだうだと過ごす。やっておかなければならない仕事は本日も手をつけないままであった。やはり夏休みの宿題は最終日に帳尻を合わせるが如く適当に済ませるという習慣を体に覚え込ませているのかも知れない。夜、都道府県踏破累積経過日数選手権の各県の塗り分けなどをやっていたら随分と変わった塗り分けになってしまったので驚く。端っこだけ絶妙に残しているので、端っこを巡り歩くだけで劇的に県日は減少する模様。日記ですべての都道府県を最後に踏んだ日をトレースできる日も近いなあ。戻る↑
    8月13日(水)「お盆休み初日」
    とりあえず「昼まで寝る」というかなり情けない目標を立てて貯まっている疲れを取ろうとしたのであるが、目覚ましはいつものように鳴り響き、いつもと同じように目が覚めてしまう。仕方がないので2度寝なぞを決め込み、いつもよりかはしっかりと寝て飯を食らう。昨日書いた夏休みの宿題なんぞはやる気が起こらず、「あとでいいよ」と勝手に決め込んでうだうだと過ごす。やっていることがチャットとページの巡回、そして自分のページ更新ということを冷静に考えると、「夏休みだからやれること」ではなく「休みだからやれること」しかやっていないという気もするのであるが、斯くも中途半端に短い休みではいきおいそういう時間のつぶし方をせざるを得ないような気がする。本日は実りあることは何もせず、とにかく体を休めたということで良しとするか。戻る↑
    8月12日(火)「ようこそ輝く時間へ」
    世間ではお盆休みと言うことで、行き帰りの車内がいつもより心なしか空いているような気がしないでもない。毎度暑いのであるが、駅までダッシュする都合上車内ではクールダウンに努めている。降りる駅の改札口が最後尾側にあるため、最後尾に乗るのがベストとなるが、最後尾の車両は携帯電話を利用することがまかりならないと言う車両であるため後ろから2両目に乗っているのであるが、この車両は弱冷車である。おかげでクールダウンが完全に終了しないままに降りる駅に着いてしまうこともあり、夏はやはり過酷である。本日を以て夏休みに突入なので、いそいそと帰ろうかと計画をしていたのであるが、上司が月例報告書を読んでいなかったので、チェックが済むまではお預けを食らう格好となり、必要以上に残業をしてしまい帰宅。しかも月曜日は朝から検討会なのでプレゼン資料はいきおい休み中に自宅で作成することとなり、データをコンパクトフラッシュで持ち帰るという最悪の事態に。いつもなら、持ち帰って結局やらないという場合もあるのだが、今回ばかりはやらざるを得ない。夏休みの宿題みたいでなんだか嫌な気分になる。『大人になったら宿題はなくなるものだと思ってた』というわけではないのだが。戻る↑
    8月11日(月)「天一」
    天下一品お盆休みに向けて仕事ははかどるわけもなく、いつもながらにのんべんたらりと仕事をこなす。夕方九州に行く友人が大阪にいるから飲みに行くこととなり、定時ダッシュを決めて高槻市から快速特急に乗ったらいきなり「会場を長岡京に変える」という話になり、方向転換しようにも十三まで降りられない。十三で折り返して長岡天神に着き、友人と待ち合わせて長岡京の天下一品へ。天下一品の中でもスープの濃さが特筆もののこの店舗は有名で、箸が立つとすら言われているぐらいである。実際のところはいくらスープが濃いからといって箸が立つことはあり得ない。家からさほども離れていないというのにこの店には久しぶりに来たことになる。昔の店舗の頃はよく来たものだが、道路拡幅に伴い立ち退きを余儀なくされたら、店がでかくなってお洒落な綺麗な店になったので味はきっと落ちたであろうと勝手に想像してしばらく足を運ばなかったのであるが、味は昔のままであったりする。そのあと友人のリクエストで大正時代の道路元標などを物色して帰宅。戻る↑
    8月10日)「京滋バイパス」
    大山崎JCT模型本日開通した京滋バイパスを友人と走りに行く。これまで長きに亘り、巨椋から大山崎まで未開通で、恩恵を受けていた人間は枚方市民ぐらいだったという中途半端な盲腸線は名神高速道路のバイパスとしての機能を持つに至ったわけであるが、大山崎の取り付け部分が必要以上にこねくり回してあるようで、交通量が増えると事故が発生するのではないかといういらん心配をしたくもなろうものである。まあ、京都南や大津で下りる車の渋滞に巻き込まれないという意味ではそれなりに効果があるのではないかとも思っている。しかしながらこの新規開通は僕にとっては何の恩恵もないことは言うまでもない。ちなみにまだ現在も鋭意工事中である大山崎ICができても恩恵はない。昼間にプロジェクトXの録画を見たせいかもしれないが、何か必要以上にこの辺の道路に対する記憶が鮮明であったことが思い出される。走っている最中に宇治川の花火が見えたのが本日の収穫。ちなみに大山崎JCTから沓掛までの工事は全く進んでおらず、相変わらず優先順位が怪しい仕事をしているものだなあと実感する。一本の道路を二本にすることよりも道がないところに道を造る方が優先度は高いと思うのだが。地元に住む人間の意見として言うのであれば「自分たちはそんな道路使わないし、環境が悪くなるからいらん。だから土地を売らん」ということになるであろうが、道路というインフラはそう言う代物ではないのである。戻る↑
    8月9日)「シングルカスクウイスキー」
    後熟貯蔵庫サントリー山崎蒸留所昼より山崎にあるサントリーのウイスキー工場へシングルカスクウイスキーのテイスティングに出かける。本日テイスティングしたのはバーボン樽原酒、スモーキー原酒、シェリー樽原酒、ミズナラ樽原酒の4種類で、シングルカスクウイスキーとしてそれぞれが奥深い味わいのある素晴らしい一品である。案内をしているオヤジは酒好きであるようで、仕事中にテイスティングで酔っぱらったら酔いを覚ますために休憩すると言うからうらやましい限りである。ミズナラ樽原酒などは40年ものだというから、テイスティングコースの参加費2000円は明らかに原価割れで、心地よくうまいウイスキーを堪能し、大変満足する。その後は友人宅で餃子を作ったり、生ウニの解体方法を研究したりして宴会を執り行い、芋焼酎を飲んで満足し3人(実質2人)で4合瓶を空けてしまう。チューボーですよで韓国風冷麺に対する猛烈な食欲を掻き立てられたのだがインスタントラーメンで我慢し、夜中にCDTVのスペシャル版をやっていたので、昔の音楽に思いを馳せながら夜更かしをするがさすがに歳なので4時頃には脱落。曲を聴いて昔のことを思い出すというのはよくあることだが、余りいい記憶を思い出さなかったということは、いいことがこれまで無かったからなんだろうかという素朴な疑問には解答しないでおく。戻る↑
    8月8日(金)「台風接近」
    台風が接近しているということで、社内放送で「4時半に帰れ」と言われたので渋々喜び勇んで帰ることにする。京都府南部というのは、僕の思いこみが入っているのかも知れないが、周り(大阪、滋賀、奈良、三重、兵庫、京都府北部)が台風接近に伴い警報を出したというのに頑として出さないということが多いように思える。中学高校の時に「自宅または学校のある京都府南部で警報がでていたら休んで良い」という決まりがあり、他府県に住んでいる友人が休んでいたことが印象に残っているからだろうか、その辺は微妙である。帰宅してなぜか「タイガースブラ」の話になり、阪神の調子の良さに肖ろうというものかと思ったらそうではなく、毎年恒例のトリンプの企画ものであるらしく、過去の歴々を紹介しているページもあるほどである。本質的には下着に興味はないのであって、下着を身につけているおねえちゃんの方が遥かに重要であるから、下着会社というのは不思議な存在である。こと、タイガースブラに限れば「しっぽ」が重要であることは想像に難くないが。夜中風が強くなってきたのだが、余り気にせずに寝る。戻る↑
    8月7日(木)「免許更新のお知らせ」
    夜帰宅すると、公安委員会から運転免許の更新連絡書が届いていた。この前更新したのは平成10年である。ということは21世紀最初の更新と言うことになるのか。ちなみにこの5年間は無事故無検挙であったため優良運転者扱いになり、更新費用も安ければ更新に要する時間も短いらしい。同じ「ゴールド」でも、ステイタスがそれなりに高くなるが、年会費も高くなるクレジットカードとはえらい違いである。しかし、日曜日に免許の更新ができるようになったり、他府県経由で更新手続きができたりすると言うのだから、この5年間で随分と変わったものである。だてに免許が小さくなっただけではないのだなあと妙に感心する。5年前の免許更新の時の記憶はないが、その前の8年前の免許更新の時は懐かしい思い出である。京阪の駅の階段から足を踏み外して左足の外側靱帯を断裂し、ギブスを巻いた状態で免許更新に出かけたのである。これ幸いと建物の最寄りの身障者用の駐車場に車を止めたところ、中から「この糞ガキ、何ここに止めてやがんねん?」という訝しげな顔をした警官がやってきたのであるが、ギブスと松葉杖を見た瞬間に態度が急変し、混み合う免許試験場の奥のベンチに僕を座らせて手続きをすべてやってくれたし、講習も特別に免許証発行マシーンの横でおざなりに済ませるだけで終わらせてくれたので、そのときは交通安全協会に快く入ったという記憶がある。とにかくまあ、あと2ヶ月ほど猶予はあるから、ヒマなときに行くか、会社を休む口実にして平日に行くとするかな。戻る↑
    8月6日(水)「デジカメの行方」
    QV-2300UX先週末にみとみに出かけた際に、横浜に住む友人にデジカメを譲った。オークションで落札されたが、ズーム機能に一部不備があるため取引が成立しなかったという曰く付きのあれである。機械いじりが好きな友人はズーム機能に不備があるということで分解を試み、見事に修理に成功したそうである。デジカメもいい人に使われて幸せであろう。もしかして、散々酷使してきたので反乱を起こすべくズーム機能にストライキを起こさせてしばらく静養に務めようと思っていたというのに、修理されてまたもや酷使されることになったのであろうかという見方もできるが、道具は買って使ってなんぼである。調べてみたらこのデジカメで7700枚、3GBも写真を撮っていたことになるらしい。36枚撮りフィルムにして210本分に相当するというからすごい。実質稼働した期間は2年であったから、一日平均10枚ほど撮影していたことになるらしい。銀塩だったらこんなに撮影しなかっただろうなあということは想像に難くない。写真は場数であるということにようやく最近気が付いてきたようで、昔に比べて写真を撮るのがうまくなってきた気もする。さて、今のデジカメを今度はどれだけ酷使することになるのだろうか。現在の通算撮影枚数は750枚である。戻る↑
    8月5日(火)「猛暑」
    朝から激しく暑い。暑さで目が覚めるという夏の風物詩がようやく現れてきたようなものである。アイドリングストップという地球に優しそうな何かを実践しているバスもこの猛暑には勝てないようで、始発駅であるバス停で駆体を震わせながら車内の温度低下に是努めているようである。仕事場が建物の最上階に位置し、しかも南東向きに建っているため、屋根への情け容赦ない日光の降り注ぎで冷房を最強にしても部屋はぬるい状態にするのが精一杯である。午前中の仕事のはかどらなさはこれとは無縁ではあるまい。夜帰宅すれば、自室は南向けの掃き出し窓が大きく設えているため、昼間の熱気を必要以上に保持したまま出迎えてくれる。とりあえず夏は至難の季節である。戻る↑
    8月4日(月)「嵐の前の静けさのような早い帰宅」
    疲れが取れたとは到底思えないのであるが、妙に朝早く目が覚める。昨日の早起きが糸を引いているのであろうか。そんなこんなで会社に向かい、先週からの仕事を続ける。上司が、「うえだ、夏バテするなよ」と夕方言い残して帰宅したのは「これからますます忙しくなるから帰れるうちに早く帰れ」ということなのだろうと勝手に解釈してさっさと帰宅。おかげで時間ができたので10日ぶりぐらいに日記を書いていたりする本日であった。戻る↑
    8月3日)「朝早くから挫折」
    富山岐阜県境十石峠手前案の定、というか織り込み済みというかは読者の感性に任せるとして、当初3時半起床、5時入山などという寝言をほざいていたのであるが、目が覚めたら5時半ですでに諦めモードに突入する。徒歩での峠越えは諦めて車でトンネルをぶち抜き、荒川村から両神村、志賀坂峠を越えて上野村へ。十石峠手前の通行止め箇所を確認し、林道経由で十石峠へ。佐久からは高速に乗り、いったん上越に抜けてから富山で下り、いざ目的地である楢峠へ進む。最短の道は松本から国道158号で高山に抜けるのは誰でも判ることであるが、上高地と高山をこの時期にスルーできるほど日本人が出不精であるわけがないから、大人しく遠回りだけど時間は変わらない高速を利用したまでであって、富山と新潟に久しく行ってないからではない。懸案の楢峠はまたもや通行止めで、泣く泣く引き返し、利賀村から平村に抜け、そのあと平瀬温泉に向かう。当初はわりとしけた温泉を想像していたのであるが、味わい深い共同浴場にいたく感激し、なかなかこの温泉はいけてると高い評価をつけてしまう。その後荘川から東海北陸道で白鳥へ行き、油坂峠道路経由で福井へ。福井からは北陸道をひた走り米原から名神で帰宅。山に大人しく登っていたら家に無事たどり着けたかどうかというかなり強行軍であった。やはり一日つぶれる山登りをする際にはもう一日休みが欲しいということが判った。戻る↑
    8月2日)「みとみオフ」
    伊良湖岬灯台鳥羽のフェリーターミナルで熟睡し、フェリーでも熟睡してようやく伊良湖岬に到着する。伊良湖岬灯台を見物して、伊勢湾口の灯台巡りのスタンプラリーは6つ(神島灯台、大王埼灯台、伊良湖岬灯台、伊勢湾海上交通センター、安乗埼灯台、菅島灯台)中4つまで制覇したことになる。そもそもこのスタンプラリーが安乗埼灯台と菅島灯台の点灯130周年記念ということでやっているというのに、それ以外の4つには行って、肝心要の2つには行ってないというところに何か我ながらすごいものを感じてしまう。そのあと豊川で飯を食い、豊川からは富士まで東名で。富士からは西富士道路からサティアンロード経由で精進湖へ。富士山のすそ野の大して登っているとは思っていないところですでに標高が1000mを越えていることに気が付き、富士山の標高の高さというかポテンシャルの高さを感じたのが本日の収穫。精進湖からはそのまま甲府へ抜けて夕方に三富到着。本日は国道MLのみとみオフなので必要以上に人がここに集まるが、明日我々はあくまでも雁坂峠を徒歩で越える予定をしているので宴会もそこそこに寝ないと駄目なのであるが、例年の如く遠方から夜中のこんな山奥に集まってくるので寝るのが遅れて、寝る前からたぶん明日は山に登れないなと思いつつ酔っぱらって爆睡。標高1200mの涼しさは下界とは別世界である。戻る↑
    8月1日(金)「夜出発いざ鳥羽」
    随分と日記を溜めていたので、その日何があったのかについて記憶が曖昧であることは如何ともし難いが、まるで記憶にないからといってガセネタをでっち上げるわけにも行かないので本日あったことを思い出してみる。本日は金曜日だというのに仕事が終わったのが遅く、帰宅して飯を食ったらもうすぐに友人が迎えに来たので慌てて準備をして出発。僕のもっているストックを見て友人は忘れ物に気が付き、いったん家に戻ってから再出発ということでちょっとだけ予定から遅れて出発と相成る。とりあえず疲れていたのと一杯引っかけていたので爆睡を決め込み、車は走り続けて気が付いたら伊勢のガストで飯を食っていたような気もするが、記憶が曖昧。それにしても山梨と埼玉の県境に行くというのになぜ鳥羽まで行く必要があるのかと思う向きもあるが、フェリーに乗りたいとか伊良湖岬に行きたいとかいろいろ理由があるのでそれはそれである。戻る↑