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夏の終わりというのになぜかサザンの海を感じるDVD何ぞを鑑賞する。思えば海というものには久しく行った記憶がない。海自体は何度も行っているのであるが、海を目的地として、そこで朝から晩まで遊ぶというレジャーはこのところやった記憶がない。最後に海に行ったのってもう11年も前である。夏の海という楽しいベントであったはずなのに、我々を出迎えた丹後の海は3日間とも土砂降りだった記憶がある。そのときほど小学校の社会科の時間に習った「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉の意味を噛みしめたときはなかったという思い出に耽る。それにしても、何事につけ良い思い出というものに縁が無いというとこらへんにすでに自分の人生がネタであることを思い知らされる何かがある。今年は冷夏でどこの海水浴場も閑古鳥が鳴いていたと言うことであるが、こんな夏に鑑賞しても、TUBEのようにひたすら脳天気な夏ではないサザンの夏は趣深い逸品である。夏というものは、暑く楽しくむさ苦しく過ぎゆくものである。それにしても最近日本の浜辺から水着のおねえちゃんは減った気がするが、あれは多分外国か必要以上に混んでいる湘南とか須磨とか名前が売れている海水浴場に集中しているせいであろう。そんな混んでいるところに行くことが憚られている時点で僕には参加資格がないのかも知れない。戻る↑
このところ忙しかったので、途中で観るのをやめていた「ウエストサイドストーリー」のDVDであるが、中途半端では良くないと思い返して最後まで観る。以前17トラック以降は再生されないと文句を言っていたのだが、相変わらずデスクトップでは再生されないのでノートで試してみたら普通に観れた。要するにドライブのレンズが汚れていたということか。でも女子十二楽坊のDVDは普通に再生されたのだがねえ。細かいことはさておき、感動的な幕切れであったことは確かだが、「たった一日かよ」というツッコミがまず最初に出てきた。昔はそんなことを思いもせずに、流れを追うのが必死だったのであろう。1日なのに何日もある話のように感じさせるとこらへんが素晴らしいストーリーであるところかも知れないが、多分3ヶ月ぐらいの話になれば登場人物の親とか親族が出てくる場面も作らなければいけないだろうから訳判らなくなってしまうというところなのだろう。夜逃げの基本が夜行バスというとこらへんに40年後の日本の現状を垣間見る気がしてきたのは余計な詮索かもしれない。高速道路が普及すればこうなるということは当然の帰結であったと言うことか。戻る↑
SPEEDが再結成されると言うことは5月14日にネタにした記憶がある。本日視聴できるということで再結成されたPVを観たのであるが、相変わらず扱われ方がひどいのである。解散するまでは水面下でいろいろと陰口をたたかれるにとどまっていたが、めいめいがソロデビューし、人気の差に愕然となったあとで再結成した今となっては「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ?」というムードが支配しているのかも知れない。昔のようには戻れないなあと大人びた台詞を吐いているのかも知れないが、昔からそういうものは厳然としてあったような気がしないでもない。実は一番踊りがうまいとか、一番年上とか、絵が一番うまいとか、いいところはたくさんあるけれどそれが評価されていない。いいものを持っているが時代の流れにあっていないから伸び悩んでいるという点では劣悪なDocomoにぼろ負けしているKDDIとか、xDSLよりもインフラとしては価値が高いのに値段のせいで伸び悩む光ファイバーなどと同様である。日本人はもっと本質に目を向けてもらいたいものだ。ことわっておくが、ヒトエは今のままで十分である。ちなみに右上の画像は「SPEED」で画像をGoogle検索したときに一番目に出てきたもので、「やはりスピードと言ったらそっちの隠語の方がメジャーなんですよ」というしたり顔で話をする人が多そうなのでコメントしておくと、この画像は化合物を分離分析するときに前処理で用いる固相抽出カラムで、抽出時間が短く分離能が優れているという売り込みとともに掲載されているものである。よく似ているが注射筒ではないので勘違いしないように、とちょっとだけ本職ぶりを披露してみる。戻る↑
「ビル・ゲイツの面接試験」という本を読んでみたのだが、訳す人間がつまらないのかそれとも本がつまらないのかそれともマイクロソフトの入社試験がつまらないのかは定かではないが、とにかくつまらん本である。大滝秀治が雄叫びを上げそうなぐらいつまらない内容である。僕のように知性をひたすら無駄遣いすることを心がけている人間からしてみれば、知性をひけらかして自分を売り込むというのは随分とさもしいものであり、ひけらかせばひけらかすほど、持ち物がお粗末であるように思えたりもする。しかし、並み居る秀才を唸らす超難問が目白押しと言うことであるが、無駄な知識をしこたま蓄えていればわりと簡単に解答できるものが多かったりする。もしかしてマイクロソフトは人生や仕事を道楽と思っている人を募集しているのではないかと疑いたくもなる。ちなみに、多分僕が受けたら問題に書いてある英語が理解できないで試験に落とされたり、試験官と英語で会話が弾まなくて落とされたりするのが関の山だと言うことは判っているのだが。戻る↑
昨晩遅くから友人と丹後町まで出かける。日本の一番外側を走る国道をトレースするという一般人にはなかなか理解してもらえそうにないプロジェクトを実行する国道MLのメンバーがおり、本日道の駅てんきてんき丹後にいると言うことなので、とりあえず迎撃に出かける。京都府が縦に長いことを実感しつつ3時間ほどかけて到着。眠っているところを叩き起こそうとしたら、トイレに行きたくなって目が覚めたと言うことで起きており、わざわざここまで来たのに目的を果たせず少しがっかりする。道の駅で車中泊している周りの車がエンジンかけっぱなしというマナーの悪さに辟易し、丹後半島をぐるっと回り舞鶴で運転を代わってあとは爆睡。目が覚めたら自宅近所のコンビニの駐車場で朝早々に友人と別れ、帰宅して2度寝を開始する。昼前に目が覚めて女子十二楽坊のアルバムを聴き、DVDを鑑賞する。DVDにあるメンバーの自己紹介で、拙い日本語で話しているメンバーを見て萌える人の気持ちはわからなくもないが、メンバーの中には1986年に何かしらの賞を取った人もいることから、本当に全員二十代前半であるかについては疑わしい。もっとも受賞した賞の内容が近所の演奏会で銀賞取ったぐらいの代物である場合もあるようで、メンバー自らが「ビジュアル重視で我々は結成されました」と言っていることからも目新しいと言うところに重点が置かれていることは確かなようだ。しかしまあ、場数を踏むことが許されざる行為であるくらい下手くそではないと思うので、故岡本太郎氏の「芸術は場数だ!」という言葉に代表されるよう場数を踏んでうまくなる、もしくは我々を慣れさせてもらいたいと無責任に応援してみる。岡本太郎がそんなことを言っていないような気もするがまあいいか。戻る↑
高槻で友人に拾ってもらい、一路淡路島を目指す。淡路島を目指す割には瀬戸大橋を渡っているとこらへんに不思議なものを感じるが、いろいろとあるので気にしないこととする。与島PAに立ち寄るが、バブル時代に思いを馳せるおけいはんフィッシャーマンズワーフなどには目もくれず、讃岐うどんの店の選定に取りかかる。とりあえず一軒目は「おか泉」と予定を立てたのであるが、開店前ですでにかなりの行列ぶりにさすがはお盆だという不思議な感慨が過ぎる。そのあと「中村」に行こうと土器川の土手を走っていたら、対向車線に妙な車の大行列ができているので「うどん渋滞かなあ」と洒落で話をしていたら本当にそうだったので「中村」は諦める。そのあともう一軒店を巡り、その後は塩江温泉でまったりと湯に浸かる。行基と空海は日本中を旅して温泉とか鉱山とかを掘り当てたということで、きっと仏教の普及を隠れ蓑に山師として活躍をしたのであろうと勝手な想像を膨らませる。そのあと吉野川の第十堰に出向き、作れども作れども崩れてしまうこの堰を見て、「流れを変えてやろうと余計な水路を造ったばかりに代償が高く付いた」という感慨に耽るのであるが、人間が小賢しく掘ったチャチな水路ごときで大河が流れを大きく変えるということはあり得ず、一度大洪水でも起こった日には流れは簡単に変わっていたであろうし、見たわけではないが遥か昔は今のような川の流れであったのかも知れないのである。そのあと大鳴門橋の「渦の道」に出向き、人間の自然に挑む飽くなき戦いぶりに感動する。大鳴門橋を渡り、ようやく本日の目的地である淡路島の慶野松原に到着し、BBQを堪能していざ花火を鑑賞する。「遠くの三尺より近くの四号」という言葉を即興で作ったがその通りで、音と光にタイムラグが無く、その破裂音が腹にずしんと来る体験は、この花火大会以外では早々できないのである。打ち上げ花火を堪能し、よい子がまねをしてはいけない手持ち花火を堪能して帰途につく。明石海峡大橋で事故があり、ちょっとつまっていた以外は問題なく舞子に到着し、最終電車で京都まで帰宅。実りの多い楽しい一日であった。戻る↑
ようやく晴れたので外に出る気力が湧く。とりあえず銀行を廻って適当にお金の出し入れとか半年ぶりの記帳とか済ませ、おもむろに大学に向かう。途中四条大橋で右翼の街宣車が「同期の桜」なんかをがんがん鳴らしている様子を見るに付け、そういえば本日は終戦記念日だったということを思い出す。本質的にこの思考回路が間違っていることを否定するつもりはないが、右翼がそのような行動指針に従って活動することが恒例行事となっている以上、その光景が終戦記念日という日時に刷り込みされてしまうのは致し方ないことである。さて、久しぶりに大学に着けば、昔いた研究室は現在建物改築中ということでもはや入ることはできないし、改築が終われば昔の面影が無くなっていることは当然のことである。教授はすでに退官したし、担当教官はこのお盆に来るはずもないしということで、大学にいるのは後輩ぐらいである。後輩といってもその半数以上は僕が研究室を去ってから配属された連中なので、顔を知っているのは本当に少なくなった。そんなこんなで大学に行く理由が減りつつあるのは事実だが、久しぶりに顔をあわせたかわいい後輩は相変わらずだったので少し安心する。仕事が進んでいないようで、こんな事で卒業できるのだろうかとしきりに気にしているようであったが、そんなことは気にしても仕方がないのでといって昼飯を食いに連れて行く。どうも大学で朝のうちにガス漏れがあったようで、消防署とガス会社が駆けつけたらしく、それなりに騒然となっていたようである。久しぶりに「京のつくね家」でうまい鶏肉を食べ、そのあとはうだうだと携帯電話のカメラの使い方なぞをレクチャーしたり、被写体としておもしろい後輩を撮影したりして帰宅。途中、久しぶりに寺町に寄れば、寺町は日々変貌を遂げ、今となっては昔日の電気街という趣は失せてしまい、なんだか纏まりのない店の集まりと化してしまったのであるが、これも時代の流れであろう。それでも赤いポロシャツを着た某ADSLのプロバイダの勧誘だけは盛んで、一時は「うち、光ファイバーなんで」という殺し文句で黙っていたくせに、「いやあ、ADSLも24Mbpsでるんですよ。おまけに安いんですよ。どうですか」とかなり強気に出てきたので「上りが24Mbpsになったら考えます」という殺し文句で黙らせて振り払う。その後古本屋の軒先の100円均一のコーナーに毎日年鑑の1960年版に遇ったので思わず買ってしまう。マニアにはたまらんこの代物をたったの100円で入手できるとは古本屋恐るべしである。とりあえず、雨が降る前に家にたどり着いたので良しとする。戻る↑
本日開通した京滋バイパスを友人と走りに行く。これまで長きに亘り、巨椋から大山崎まで未開通で、恩恵を受けていた人間は枚方市民ぐらいだったという中途半端な盲腸線は名神高速道路のバイパスとしての機能を持つに至ったわけであるが、大山崎の取り付け部分が必要以上にこねくり回してあるようで、交通量が増えると事故が発生するのではないかといういらん心配をしたくもなろうものである。まあ、京都南や大津で下りる車の渋滞に巻き込まれないという意味ではそれなりに効果があるのではないかとも思っている。しかしながらこの新規開通は僕にとっては何の恩恵もないことは言うまでもない。ちなみにまだ現在も鋭意工事中である大山崎ICができても恩恵はない。昼間にプロジェクトXの録画を見たせいかもしれないが、何か必要以上にこの辺の道路に対する記憶が鮮明であったことが思い出される。走っている最中に宇治川の花火が見えたのが本日の収穫。ちなみに大山崎JCTから沓掛までの工事は全く進んでおらず、相変わらず優先順位が怪しい仕事をしているものだなあと実感する。一本の道路を二本にすることよりも道がないところに道を造る方が優先度は高いと思うのだが。地元に住む人間の意見として言うのであれば「自分たちはそんな道路使わないし、環境が悪くなるからいらん。だから土地を売らん」ということになるであろうが、道路というインフラはそう言う代物ではないのである。戻る↑

昼より山崎にあるサントリーのウイスキー工場へシングルカスクウイスキーのテイスティングに出かける。本日テイスティングしたのはバーボン樽原酒、スモーキー原酒、シェリー樽原酒、ミズナラ樽原酒の4種類で、シングルカスクウイスキーとしてそれぞれが奥深い味わいのある素晴らしい一品である。案内をしているオヤジは酒好きであるようで、仕事中にテイスティングで酔っぱらったら酔いを覚ますために休憩すると言うからうらやましい限りである。ミズナラ樽原酒などは40年ものだというから、テイスティングコースの参加費2000円は明らかに原価割れで、心地よくうまいウイスキーを堪能し、大変満足する。その後は友人宅で餃子を作ったり、生ウニの解体方法を研究したりして宴会を執り行い、芋焼酎を飲んで満足し3人(実質2人)で4合瓶を空けてしまう。チューボーですよで韓国風冷麺に対する猛烈な食欲を掻き立てられたのだがインスタントラーメンで我慢し、夜中にCDTVのスペシャル版をやっていたので、昔の音楽に思いを馳せながら夜更かしをするがさすがに歳なので4時頃には脱落。曲を聴いて昔のことを思い出すというのはよくあることだが、余りいい記憶を思い出さなかったということは、いいことがこれまで無かったからなんだろうかという素朴な疑問には解答しないでおく。戻る↑
先週末にみとみに出かけた際に、横浜に住む友人にデジカメを譲った。オークションで落札されたが、ズーム機能に一部不備があるため取引が成立しなかったという曰く付きのあれである。機械いじりが好きな友人はズーム機能に不備があるということで分解を試み、見事に修理に成功したそうである。デジカメもいい人に使われて幸せであろう。もしかして、散々酷使してきたので反乱を起こすべくズーム機能にストライキを起こさせてしばらく静養に務めようと思っていたというのに、修理されてまたもや酷使されることになったのであろうかという見方もできるが、道具は買って使ってなんぼである。調べてみたらこのデジカメで7700枚、3GBも写真を撮っていたことになるらしい。36枚撮りフィルムにして210本分に相当するというからすごい。実質稼働した期間は2年であったから、一日平均10枚ほど撮影していたことになるらしい。銀塩だったらこんなに撮影しなかっただろうなあということは想像に難くない。写真は場数であるということにようやく最近気が付いてきたようで、昔に比べて写真を撮るのがうまくなってきた気もする。さて、今のデジカメを今度はどれだけ酷使することになるのだろうか。現在の通算撮影枚数は750枚である。戻る↑

案の定、というか織り込み済みというかは読者の感性に任せるとして、当初3時半起床、5時入山などという寝言をほざいていたのであるが、目が覚めたら5時半ですでに諦めモードに突入する。徒歩での峠越えは諦めて車でトンネルをぶち抜き、荒川村から両神村、志賀坂峠を越えて上野村へ。十石峠手前の通行止め箇所を確認し、林道経由で十石峠へ。佐久からは高速に乗り、いったん上越に抜けてから富山で下り、いざ目的地である楢峠へ進む。最短の道は松本から国道158号で高山に抜けるのは誰でも判ることであるが、上高地と高山をこの時期にスルーできるほど日本人が出不精であるわけがないから、大人しく遠回りだけど時間は変わらない高速を利用したまでであって、富山と新潟に久しく行ってないからではない。懸案の楢峠はまたもや通行止めで、泣く泣く引き返し、利賀村から平村に抜け、そのあと平瀬温泉に向かう。当初はわりとしけた温泉を想像していたのであるが、味わい深い共同浴場にいたく感激し、なかなかこの温泉はいけてると高い評価をつけてしまう。その後荘川から東海北陸道で白鳥へ行き、油坂峠道路経由で福井へ。福井からは北陸道をひた走り米原から名神で帰宅。山に大人しく登っていたら家に無事たどり着けたかどうかというかなり強行軍であった。やはり一日つぶれる山登りをする際にはもう一日休みが欲しいということが判った。戻る↑
鳥羽のフェリーターミナルで熟睡し、フェリーでも熟睡してようやく伊良湖岬に到着する。伊良湖岬灯台を見物して、伊勢湾口の灯台巡りのスタンプラリーは6つ(神島灯台、大王埼灯台、伊良湖岬灯台、伊勢湾海上交通センター、安乗埼灯台、菅島灯台)中4つまで制覇したことになる。そもそもこのスタンプラリーが安乗埼灯台と菅島灯台の点灯130周年記念ということでやっているというのに、それ以外の4つには行って、肝心要の2つには行ってないというところに何か我ながらすごいものを感じてしまう。そのあと豊川で飯を食い、豊川からは富士まで東名で。富士からは西富士道路からサティアンロード経由で精進湖へ。富士山のすそ野の大して登っているとは思っていないところですでに標高が1000mを越えていることに気が付き、富士山の標高の高さというかポテンシャルの高さを感じたのが本日の収穫。精進湖からはそのまま甲府へ抜けて夕方に三富到着。本日は国道MLのみとみオフなので必要以上に人がここに集まるが、明日我々はあくまでも雁坂峠を徒歩で越える予定をしているので宴会もそこそこに寝ないと駄目なのであるが、例年の如く遠方から夜中のこんな山奥に集まってくるので寝るのが遅れて、寝る前からたぶん明日は山に登れないなと思いつつ酔っぱらって爆睡。標高1200mの涼しさは下界とは別世界である。戻る↑