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t.A.T.u.がひとしきりいろいろとやらかして帰国の途に着いた。生歌を披露するのがカラオケボックスという戦略は、日本の女子高生から「身近に感じ取れるアイドル」という必要以上にシンパシーを勝ち取るためのしたたかな戦略と見るのは穿ちすぎだという話もあるが、何せ相手はロシアである。油断も隙もない。さて、下世話な話であるが、どちらが好みかと言うことでアンケートを取ってみた。どうも長髪で金髪の方に人気が集中しているようで、日本人らしい意見の集約が行われているようである。しかしながら、マニア的にはショートの黒髪の方を一押ししておく。ちなみにどっちも名前は知らないのでそれ以上詮索のしようがない。夕方より部署から異動する社員が出てきたので飲み会に参加する。異動する社員が忌憚のない意見を言うという妙な風習が先日の会社を辞める社員以来定着したようで、「うえだくんはね、仕事が淡泊すぎるよ。若いのになんでそんなに枯れてるの?」と言われてしまった。やる気がないとか、枯れているとか、実にすばらしい褒め言葉である。そうそう会社で本性を見せるわけにも行かないからねえ。帰宅したら株主総会の集中日の余波が自宅のポストに襲いかかっていたようで、必要以上に封書が多い。資本金を10分の1に、株式を半分に圧縮するというかなり無茶なことをやっている会社や、今年も無配といたしますと言うことをいけしゃあしゃあと書いてくる会社や、端数株を買うときは手数料を不要とさせていただきますという不思議な株主優待をする会社まであって、随分と味わい深い。戻る↑
本日はいい天気なので出かけることにする。自宅から車をぶっ飛ばし、国境の長い長いトンネルを抜けてすぐにインターを降りるということをして園原へ。そこから下条へ向かい、道の駅で殿様そばを頼もうとするが、「本日は団体が来るのでかさばる容器はどうも」ということで同じ中身という姫そばで我慢する。店の都合を押しつけるあたりが峰竜太のふるさとを前面に押し出す村ならではである。別に峰竜太が悪いわけではなく、それを利用している村に問題があるのである、と妙に擦れている観光地は頂けないと思ってしまう。道の駅をあとにして飯田線の唐笠駅に向かう。駅に車を止め、2時間に1本という貴重な電車に乗って天竜峡へ。天竜峡からは本日のメインイベント天竜ライン下りに乗船する。どうも船の切符は川下りをしたあとここまで戻ってくるマイクロバスの運賃も含んでいたようであるが、マイクロバスに揺られて戻ることに比べれば、川縁を走る電車の方が遙かに値打ちがありそうなものなのでいいことにする。川下りは船がエンジン音をたぎらせる部分があるといういささか情緒にかけるものであるが、途中止まって投網をしたり、岸に係留してある船に横付けして飲み物を売ったり、上空を飛んでいるトンビに餌付けをしたりいろいろと忙しいので、船を漕ぐことは余り重要な要素ではないようである。下流にあるダムのおかげで激流の瀬もないし、日本3大急流の名も形無しである。しかしながらガイドは海千山千のおばちゃんで、伊那節なんぞをアカペラで歌ってくれるし、煎餅も配ってくれるし、日本の古き良き観光地という気がした次第。唐笠駅に着いたら妙な音楽で出迎えられ、その後は平谷村にあるひまわりの湯を目指す。途中売木村と平谷村に入ったところで妙な電波を受信したのであるが、スポラディックE層の仕業と知り、納得する。戻る↑
昨日の酒が抜け切れていないようで、朝は必要以上に眠い。寝ぼけ眼で会社で電話を取れば阪神ファンの部長からで、「昨日は負けたのう」と余裕のある笑いを持って会話が始まり、「6連勝したからガス抜きも必要でしょう」と会話は進む。帰宅していろいろと調べものをしていたら、僕らの頃は、学校の名簿が男女別にあいうえお順で、男子が先だったのに、最近は男女いりまじりであいうえお順であるらしく、これを業界用語で混合名簿と呼ぶらしい。ところが混合名簿の背景には、固定した男女の役割分担を否定する「ジェンダーフリー思想」があり、その根底は『マルクス主義フェミニズム』が潜んでいるため、一つの思想を教育カリキュラムとして指導することは我慢できないから男女別の名簿に変えたいと言い出した校長がいたらしい。お題目が大仰すぎるので皆目意味不明であるが、教育に思想が入らないことはあり得ないと思う僕の意見は革新政党の党員による義務教育を受けたことで培われたことなのかもしれない。思想教育を必要以上に警戒する意見は尤もであるが、思想のない知識の伝達に限定した教育には多くを期待できないと思うのであるが。戻る↑
テニスのルールを改正しようなどということが声高に叫ばれているらしい。事の発端はサーブが速すぎるからボールを一回りでかくしようとかいうことらへんらしい。ちなみに時速200キロのサーブだと0.65秒後にリターンをしなければならないということで、それは確かに速すぎるとは思うが、ストロークが平均2.1回しか続かないというのはサーブ&ボレーばかりやっているからじゃないかという邪推もあるのは事実である。しかもサーブを1回しか打てないようにするという案も出ているようで、これは明らかにゲームの楽しみの幅を狭めている以外の何物でもない。テニスは技術でするものではなく、頭と心でするスポーツなんである。もちろん体力もいることはいるのだが。個人的にはタイブレークのないデビスカップの男子シングルスで9-7、8-10、11-13、7-5、6-4というおぞましいスコアで6時間の熱戦を戦ったマッケンローとボルグの試合なんかは見ていて感動を呼び起こすものであるし、200キロを超えるサーブもまた嫌な流れを断ち切る上では必要不可欠である。基本的にルール改正というものは誰かが得をするようにし向けられているが、今回の「見ている観客がつまんない」というのは明らかに間違いで、駆け引きの要素が少なくなればゲームはますますおもしろくなくなると思うのであるが、最近5年ばかりテニスをしていない人間が言っても説得力無いよなあ、と締めくくってみる。戻る↑
友人の結婚披露パーティーが本日行われたので出席する。出席すると言っても今回は司会という妙な役割を担当することになり、いささかこれまでとは勝手が違うため、必要もないのに緊張した入りするのは仕方がない。事の次第を冷静に掻い摘んで敷衍すれば、昨年10月5日の結納後すでに「パーティーの司会よろしこ」という話が決まっていたのである。式の前日になって「友人代表として来てくれ」と言われ、2月23日に式に出席したことはすでに日記に書いたとおりであるが、打ち合わせは5月25日に行われており、本日を迎えたということになる。日時をかくも正確に記憶しているのは決して僕がサマン病であるからではなく、日記に書いてあった事を見返しただけなので、余り気にしないでもらいたい。さて、そういうことで本日はパーティーに出かけたのであるが、梅雨の谷間の晴れた日を狙って執り行えるとはすばらしい強運で、友人夫妻の今後の共同生活の明るさを象徴しているかのようであるが、如何せん暑いのである。普段スーツを着ない仕事をしている人間がスーツを着るだけでも暑いのに、それもよりにもよってこんな暑い日に着るのであるから汗が噴き出て仕方がない。パーティーは夕方から執り行われ、当初考えていた漫才師用蝶ネクタイをつけることも無く司会としてはそつなくやり遂げられたようなのでほっとするが、出席した他の友人から「司会したから次はお前やな」というわけのわからん事を言われたりしたのだが気にしないことにしよう。本日はちょっと大人数の合コンだったとでも思っておくことにしよう。戻る↑
昼休みに無駄な知識の吸収に是努める。その結果6月22日はボウリングの日ということがわかった。Googleで調べたところ、1861年6月22日に長崎で発行された英字新聞に、社交サロン店主ヘンリーギブソンが新装開店を告知した広告を掲載した記録が残っており、これが日本で最初のボウリング場であると思われるということが根拠であるらしい。もっとも開店当時は、外国人達の社交とレクリェーションの場となっていたようであるが。ボウリングの効用について熱く語る話はいろいろと聞くものがあり、3ゲームやれば80分歩いたのと同じぐらいカロリーを消費するというので体にもいいから是非やりましょうという事らしいが、ボウリングを3ゲームするのに80分以上はかかるので、要するに歩いてるのと同じくらいしかカロリーを消費しないという見事なまでの罠が張り巡らされていたりする。しかし、最近の人はボウリングのスコアを自分でつけることができないらしい。手書きのスコアが今となっては廃れているので確かにそれは判るのであるが、9フレあたりから、最低何ピン倒せば圧倒的優位に立てるかとかそういう計算はできなくて楽しいのだろうか。自分でスコアがつけられない友人曰く「点数なんて余りどうでもいい」という至極すばらしい回答が帰ってきたので、うーんそんなものなのかと少し納得してしまった。ボウリングと麻雀の点数計算方法とビリヤードのルールは遊技の嗜みの基本と思っていたのであるが、今はそうでもないらしい。戻る↑
掛合の里を出発し、赤来から一般国道184号のへぼへぼ区間を満喫して一路出雲湯村温泉を目指す。元湯が開くまで時間があるので木次まで出かけてまったりと鉄道鑑賞などをしていると妙に観光客が多いのに気がついた。どうも本日は奥出雲おろち号というトロッコ列車が走るようで、その列車を心待ちにしている観光客らしい。そんな客には目もくれず、出雲湯村温泉に戻りまったりと朝風呂を満喫する。風呂上がりの冷えた瓶牛乳との取り合わせは絶品で、風呂の良さを実感する。そのあと亀嵩駅にある扇屋というそば屋に向かうが、ちょうど亀嵩駅に到着したら木次で待ちわびていたトロッコ列車がやってきたので必要以上に感動して撮り鉄に勤しむ。ひとしきり写真を撮ったあとは落ち着いて出雲そばを味わい、、松本清張の「砂の器」がらみのサインで溢れそうになるそば屋を満喫。その後はおろちループを回転して東城に向かい、東城からは一般国道182号で福山へ。福山からは鞆の浦へと進み、仙酔島に渡って景色を満喫する。強制的に往復の渡し船の切符を買わされたりするところはいかにも観光地であるが、往復240円という代金は必要以上に安いのでまあ良かろうと判断する。そのあと福山市に合併された内海町を見物したあと福山西からは山陽道で一路帰宅の途につく。途中西宮北から宝塚までは渋滞に捕まるがそれ以外はいたって順調で、南茨木で友人と別れて帰宅。これで中国地方で走ってない国道は隠岐にある485号だけとなった。さて、いつ行こうかな。戻る↑
梅雨のぐずついた空模様をものともせず、本日も出かける。南茨木で友人と合流し一路西へ。本日は中国地方の国道未走区間を塗りつぶすために出かけた。兵庫鳥取県境の戸倉峠の旧道や、人形峠など味わい深い峠をいくつか探索した後に湯原温泉の砂湯に入ってまったりする。その後進路を北へと変え中海に浮かぶ江島へと向かう。本土と江島を繋ぐ道路は中海の水門上にあり、船舶航行時には手前の遮断機が鳴り出して道路が跳ね上がり、というなかなか楽しい光景が拝めるという話は聞いていたのであるが、あいにく横切る船がなかった。普通に通行しようと思ったら、さすがに常時架橋されている状態でないため14tという車両重量制限があり、大型車は重量検査場に強制的に回されるため普通車の通る道幅は必要以上に狭い。そのあと中海の仕切堤防上の道路を縦横無尽に走り、楽しい道活を満喫してRS掛合の里で車中泊する。しかし中海は必要以上に道路がゴージャスで、無駄遣いと叩かれるのも納得がいくものがあった。それよりもこの水門上の遮断機のある橋の横に橋脚の妙に高い橋がかける準備が着々と進んでいることから、水門上の橋はもうじきお役御免となるのであろうかと一抹の寂しさも残ったのは事実である。もちろん地元の生活からいくと、遮断機も下りず、通行の検問もない新しい橋の方が良いに決まっているのは判るのであるが、できてしまったものを無理矢理変に「暫定的に」利用してしまうという場当たり主義的な行政の遺産も味わい深いものがある。戻る↑
アマゾンで最近本もCDもDVDも買うので、帰宅したら本が増えているという状況が続く。本日は養老孟司センセイの「バカの壁」を熟読する。とりあえずインパクトのある名前である、バカの壁。バカとの会話に立ちはだかる壁をイメージしていたのであるが、どうもそうではなく、現代の都市に住む人間の心の弱さのあり方を語る代物であり、タイトルから勝手に妄想していたのを少し恥ずかしく想いながら読み進める。この本を熟読してから中村義道センセイの本を読むと全く逆のことを書いているように思えるのであるが、しっかり読めばそうではないところに気がつくというのが絶妙なものである。しかし偶然であろうけど、中島義道の本も買ってしまったのである。もしかして読む前から内容を予見していたと言うことなんだろうか。ここまで書いてみて、最近小うるさいことばかり書いていることに気がついた。仕事が忙しくて楽しいことが少ないからなんだろうなあ。戻る↑
暑い日になると光の帯が告げてるわけでもないが、梅雨入り前のからりとした天気はそろそろ見納めである。これからじめじめした天気が続き、じめじめした季節がすめば蒸し暑い夏がやってくるのである。本日はやる気が湧き起こらないまま適当に早々と帰宅する。帰宅したら横浜貯金センターなる不思議なところからお知らせが届いていた。そもそも郵便局は某銀行のカードで金を下ろすときにのみ使用するだけで、自ら郵政公社に金を預けるなどということはした記憶がない。何事かと思ってお知らせを見ると「あなた様の右記の通常郵便貯金につきましては、これまで10年近く預け入れや払い戻しなどのご利用がありません。」とある。10年前に郵便局に口座を開いたという事なので、「横浜」をキーワードに反芻すること3秒で簡単に記憶が甦ってしまった。どうやら横浜ランドマークタワーにある郵便局に口座を作った事があるらしい、というかランドマークタワーに来た記念に口座を開いてみるかと思って作ったのである。10年前の8月17日に口座を作っているようである。10年前と言えば新幹線に乗って日本中を旅しながら金儲けをしていた時期である。あの年の夏は近年稀に見る冷夏で、連合野党の政権が誕生し、秋には日本中にタイ米が溢れたのである。当時誰も郵政公社ができるとは思っていなかったであろう。ついでに10年前は10代だったという余計なことも思い出したがそれはもうどうでもいい話である。今の自分が幸せだという訳ではないが、昔のことを懐かしく思い出してしまった。戻る↑
朝起きてまったりと大沢親分と張さんの「喝!」を観る。相変わらずポイントを外す張さんに満足し、久しぶりにテレビを観てゴロゴロするという生活を満喫する。昼過ぎからこれもまた久しぶりにヨドバシカメラなんぞに出かける。今使っているデジカメに不満が出てきたので買い換えようと模索しているため、市場調査に出かけたのである。今のデジカメCASIO QV2300-UXは起動時間が長い、シャッターが遅れて切れる、ズームできるが元に戻すことができない、電池の持ちが悪い、筐体がでかいという欠点があったので、これらの問題を克服するべく新たなデジカメの選定を行った。しかしながら、出先でバカみたいに写真を撮るため、専用バッテリーというシステムを取っているデジカメは御免蒙るし、マニュアルでシャッタースピードがいじれるようにしたかったので、「単3電池で動いて、マニュアルモードついてるやつ」と聞いてみたら、星の数ほどデジカメがあるというのにそのうちでたったの3品しかこの条件をクリアできなかった。店員もここまではよくある質問なので立て板に水で対応をしていたが、「コンピュータに画像ファイルを落とすときに自動的にサムネイルを作成する付属ソフトがあるやつ、もしくはカメラが自動的にサムネイルをつくってくれるやつ」というインターフェースについての質問となると、俄然困惑してしまいそれから先1時間余りにわたって実際に撮影して確かめるという不毛な仕事が始まる。僕としても、店員もたぶんこういう客が来たら迷惑であろうということは重々承知しているのだが、客として使い勝手の良い製品を買うために質問し、それについて回答してくれない店で買う訳にもいかないので、この辺はしばしの我慢である。結局そのようなすばらしい機能を持っていたのは僕の以前の機種だけであり、昔買ったときも確か1時間ぐらい店員と揉めたことを思い出して、相変わらずそういうことに時間を費やす買い物の仕方が好きなのだなあと納得した次第。結局その条件に当てはまる機種はなかったが、値段と大きさで相談してCANONのPowerShot A70を購入。その後友人宅で再来週の作戦会議と称して夕飯をごちそうになり帰宅。戻る↑
朝からテレビ会議で部長の有難いお話を聞く。事前に「全員出席するように」という通達が同じ部署の別の上司からのべ3回も送られてくるぐらいであるからそれなりに心して聞かねばならない内容であると思うし、話の内容が「賃金体系について」と言われた日には「賃金カット」「年俸制導入」という言葉が頭を過ぎるのは致し方ない。ちなみに「年俸」は「ねんぽう」と読むのが正しいことを今知った。ATOK15は「ねんぼう」と入力して変換すると「「ねんぽう」の誤読」というエラーを返しつつも変換に応じてくれる気前の良さを披露してくれていたりする。そんな話はさておき、部長の話を掻い摘んで説明すると、業界のリーディングカンパニー(昨日のネタと同じ)が職能給に一本化したけどうちは旧態依然として変えないということと、健保組合が赤字なので人間ドックに行ったら一部自己負担になる、という限りなくどうでもいい事務手続きの通達だったのでほっとする。夕方から甲子園に野球を観に出かける。今年の阪神はまだペナントレースが終わっておらず、盛り上がれるうちに盛り上がろうという熱く刹那的な想いが交錯する絶妙なファン心理を駆り立てる阪神の好調ぶりに唆された訳でもなかろうが、友人と出かけてみた。球場の前で応援用のメガホンを売ってるおっちゃんと「綺麗やなあ、まるで新品や」「新品でんがな」「いつもテレビで外野のグランドに降りてひろてるのみてまっせ」「いや、俺はひろてへんで」「ほな下請けにやらしてまんのん?」「いや、下請けが何をどうしてるかはしりまへんなあ」という至って関西チックな掛け合い漫才をしつつメガホンを買っていざ球場へ。試合は阪神が勝ってしまい、巨人も負けたというある意味理想的な結果であるが、「いつ崩れるんだろう?」という余計な心配ばかりをしてしまうファンの心理は如何ばかりなんだろうか。六甲颪を3番まで歌い、えらく満足して帰宅。戻る↑
朝から友人と出かける。当初は丹後半島で走っていない国道でも塗りつぶすかという割といい加減な目標で出発したのであるが、京都縦貫道の新規開通区間を走ったり、無くしてまた買ったというGPSアンテナの性能を確かめるべく誰もいない由良川PAで軌跡で字を書いたり、豊岡のロータリーで必要以上に2回転したりつまらんことに精を出すが、台風が過ぎゆき妙に寒いので温泉に入ろうと言うことになり一路城崎へ向かう。城崎は外湯の地蔵湯でまったりし、久しぶりに温泉に入ってくつろぐ。そのあとコウノトリ但馬空港で屋外に陳列されているYS-11に感動し、日本エアコミュータの伊丹行きの便に乗るかどうか迷いながら一般国道482号の神鍋末端と氷ノ山末端に向かい若桜からは一般国道29号で帰宅。山崎から中国道に乗り、いつもの通り滝野社から372号で帰宅するかと思いきや、友人が「京都まで送るのはしんどいから南茨木で捨てる」といいだしたので、大人しく南茨木で降りてそこで分かれる。阪急の乗り継ぎが悪かった所為もあるが、帰宅する直前に友人から「帰宅した」というメールが来たのがなんかくやしかった。久しぶりにたっぷりと道を走ったようで充実感が溢れて疲れがでるという久々の体験であった。戻る↑