2003年6月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 6月30日(月)「難しい質問」
  • 6月29日)「天竜ライン下り」
  • 6月28日)「機種依存文字」
  • 6月27日(金)「マルクス主義フェミニズム」
  • 6月26日(木)「極秘の勉強会」
  • 6月25日(水)「やくざな商売」
  • 6月24日(火)「ルール改悪」
  • 6月23日(月)「一日あっという間」
  • 6月22日)「コンテンツの洗い直し」
  • 6月21日)「結婚披露パーティーの司会」
  • 6月20日(金)「ボウリング」
  • 6月19日(木)「去る人あれば来る人あり」
  • 6月18日(水)「野球の塁打のカウント方法」
  • 6月17日(火)「夏は仕事」
  • 6月16日(月)「平和な闇を貫く火サスのテーマ」
  • 6月15日)「奥出雲おろち号と出雲そば」
  • 6月14日)「水門上の遮断機のある道路」
  • 6月13日(金)「立ちはだかる壁」
  • 6月12日(木)「同じ大学出身者」
  • 6月11日(水)「携帯の電源オフ車両」
  • 6月10日(火)「3年目に突入」
  • 6月9日(月)「10年経ったら」
  • 6月8日)「久しぶりの物欲消費」
  • 6月7日)「歴史認識は歴史があるから生まれる」
  • 6月6日(金)「バカの壁」
  • 6月5日(木)「参加することに意義があるイベントの結果」
  • 6月4日(水)「♪六甲颪に颯爽と蒼天駈ける日輪の青春の覇気麗しく」
  • 6月3日(火)「呼び戻して播磨投げ」
  • 6月2日(月)「♪日生のおばちゃん今日もまた〜」
  • 6月1日)「城崎と末端活動」


  • 今月の日記
    6月30日(月)「難しい質問」
    t.A.T.u.t.A.T.u.がひとしきりいろいろとやらかして帰国の途に着いた。生歌を披露するのがカラオケボックスという戦略は、日本の女子高生から「身近に感じ取れるアイドル」という必要以上にシンパシーを勝ち取るためのしたたかな戦略と見るのは穿ちすぎだという話もあるが、何せ相手はロシアである。油断も隙もない。さて、下世話な話であるが、どちらが好みかと言うことでアンケートを取ってみた。どうも長髪で金髪の方に人気が集中しているようで、日本人らしい意見の集約が行われているようである。しかしながら、マニア的にはショートの黒髪の方を一押ししておく。ちなみにどっちも名前は知らないのでそれ以上詮索のしようがない。夕方より部署から異動する社員が出てきたので飲み会に参加する。異動する社員が忌憚のない意見を言うという妙な風習が先日の会社を辞める社員以来定着したようで、「うえだくんはね、仕事が淡泊すぎるよ。若いのになんでそんなに枯れてるの?」と言われてしまった。やる気がないとか、枯れているとか、実にすばらしい褒め言葉である。そうそう会社で本性を見せるわけにも行かないからねえ。帰宅したら株主総会の集中日の余波が自宅のポストに襲いかかっていたようで、必要以上に封書が多い。資本金を10分の1に、株式を半分に圧縮するというかなり無茶なことをやっている会社や、今年も無配といたしますと言うことをいけしゃあしゃあと書いてくる会社や、端数株を買うときは手数料を不要とさせていただきますという不思議な株主優待をする会社まであって、随分と味わい深い。戻る↑
    6月29日)「天竜ライン下り」
    天竜ライン下り本日はいい天気なので出かけることにする。自宅から車をぶっ飛ばし、国境の長い長いトンネルを抜けてすぐにインターを降りるということをして園原へ。そこから下条へ向かい、道の駅で殿様そばを頼もうとするが、「本日は団体が来るのでかさばる容器はどうも」ということで同じ中身という姫そばで我慢する。店の都合を押しつけるあたりが峰竜太のふるさとを前面に押し出す村ならではである。別に峰竜太が悪いわけではなく、それを利用している村に問題があるのである、と妙に擦れている観光地は頂けないと思ってしまう。道の駅をあとにして飯田線の唐笠駅に向かう。駅に車を止め、2時間に1本という貴重な電車に乗って天竜峡へ。天竜峡からは本日のメインイベント天竜ライン下りに乗船する。どうも船の切符は川下りをしたあとここまで戻ってくるマイクロバスの運賃も含んでいたようであるが、マイクロバスに揺られて戻ることに比べれば、川縁を走る電車の方が遙かに値打ちがありそうなものなのでいいことにする。川下りは船がエンジン音をたぎらせる部分があるといういささか情緒にかけるものであるが、途中止まって投網をしたり、岸に係留してある船に横付けして飲み物を売ったり、上空を飛んでいるトンビに餌付けをしたりいろいろと忙しいので、船を漕ぐことは余り重要な要素ではないようである。下流にあるダムのおかげで激流の瀬もないし、日本3大急流の名も形無しである。しかしながらガイドは海千山千のおばちゃんで、伊那節なんぞをアカペラで歌ってくれるし、煎餅も配ってくれるし、日本の古き良き観光地という気がした次第。唐笠駅に着いたら妙な音楽で出迎えられ、その後は平谷村にあるひまわりの湯を目指す。途中売木村と平谷村に入ったところで妙な電波を受信したのであるが、スポラディックE層の仕業と知り、納得する。戻る↑
    6月28日)「機種依存文字」
    本日はうだうだ過ごして一日が終わる予定を立てる。最近ほぼ固定化されたかのように溜まっている日記を書き上げ、表紙の画像を更新するという儀式を執り行い、ようやくページの運営が成り立っているようなそんな感じである。それほど平日忙しいというわけでもないのに不思議だが、最近の動向から行くと致し方ない面もある。昨日某テレビ局では生番組の抱えるリスクの一つである放送事故をやらかしかけたようである。それについてすっぽかしたタレントが所属しているレコード会社の日本法人が謝罪文書を掲載したページを公開しているのであるが、なぜか機種依存文字である数字を○で囲んだ文字を使用していたりしていけてない。しかしいけてなかったことを誰かが指摘したのであろうか、現在では普通の半角文字に成り下がっているようである。箇条書きにするならもちっとタグでも使ってもらいたいところであるが。ちなみに昨日の日記でマルクス主義フェミニズムについて語っていたが、本日の日記でロシア出身の女性タレントを話題にしたのは偶然もいいところなので勘繰らないでもらいたい。戻る↑
    6月27日(金)「マルクス主義フェミニズム」
    マルクス昨日の酒が抜け切れていないようで、朝は必要以上に眠い。寝ぼけ眼で会社で電話を取れば阪神ファンの部長からで、「昨日は負けたのう」と余裕のある笑いを持って会話が始まり、「6連勝したからガス抜きも必要でしょう」と会話は進む。帰宅していろいろと調べものをしていたら、僕らの頃は、学校の名簿が男女別にあいうえお順で、男子が先だったのに、最近は男女いりまじりであいうえお順であるらしく、これを業界用語で混合名簿と呼ぶらしい。ところが混合名簿の背景には、固定した男女の役割分担を否定する「ジェンダーフリー思想」があり、その根底は『マルクス主義フェミニズム』が潜んでいるため、一つの思想を教育カリキュラムとして指導することは我慢できないから男女別の名簿に変えたいと言い出した校長がいたらしい。お題目が大仰すぎるので皆目意味不明であるが、教育に思想が入らないことはあり得ないと思う僕の意見は革新政党の党員による義務教育を受けたことで培われたことなのかもしれない。思想教育を必要以上に警戒する意見は尤もであるが、思想のない知識の伝達に限定した教育には多くを期待できないと思うのであるが。戻る↑
    6月26日(木)「極秘の勉強会」
    昨日準備した資料はぼちぼちの出来で、会議ではそれなりにつつがなく発表できた。やはり一番のネックは「何をやっているのか判ってもらえない」というプレゼンの根本を揺るがすことにあるようで、これはどうしようもない。夕方より友人宅で宴会を開始する。茹で上がったソラマメが足の裏の臭いに思えてしようがないが、それをつまみに酒を飲む。本日のお題目は極秘なので余り多くを語らないが、途中からサテン生地の白衣について熱く語ったり、旅行のプランニングに興じたり、電気街に最近コスプレ屋が増えてきたことについて話し合ったりして友人宅にあった神の河を一人で飲み干してしまう。最近焼酎がうまいと感じるようになってきたなあ。生まれて初めて焼酎飲んだのってせいぜい1年半前なのになあ。戻る↑
    6月25日(水)「やくざな商売」
    明日の会議で発表することとなったのでプレゼン資料を作成する。僕の所属するグループは外から見ると何をやっているのか判らないので、途中までの経過報告ではまとまりがないため発表することがないという事も手伝ってか、発表そのものの回数は少ない、しかも発表したとしても内容は意味不明な代物である。会議で発表したときに参加者に判ってもらえるぐらいしっかり仕事内容を把握しておけと上司からは言われるのであるが、こちらの努力にも限界があり、やはり向こうから理解に努めてくれるように歩み寄ってもらいたいところがあるのも事実である。こんな訳のわからん仕事を仕切り、他部署に説明して廻る事ができ、グループの存在価値を認めさせているという点では僕の上司はすごい人物であると言わざるを得ないが、僕がグループの戦力になっているかは全く別の問題である。夕方から厳しいミーティングがあり、参加していない部署への罵詈雑言に明け暮れる。犯人探しをすぐにやりたがる社風なので、この体たらくぶりを上に報告しようにも、誰が鈴を着けに行くかで揉めているから何か纏まりそうにない。会社の行く末に不安を感じる今日この頃である。我ながらこの商売はやくざな商売だと思う。戻る↑
    6月24日(火)「ルール改悪」
    テニステニスのルールを改正しようなどということが声高に叫ばれているらしい。事の発端はサーブが速すぎるからボールを一回りでかくしようとかいうことらへんらしい。ちなみに時速200キロのサーブだと0.65秒後にリターンをしなければならないということで、それは確かに速すぎるとは思うが、ストロークが平均2.1回しか続かないというのはサーブ&ボレーばかりやっているからじゃないかという邪推もあるのは事実である。しかもサーブを1回しか打てないようにするという案も出ているようで、これは明らかにゲームの楽しみの幅を狭めている以外の何物でもない。テニスは技術でするものではなく、頭と心でするスポーツなんである。もちろん体力もいることはいるのだが。個人的にはタイブレークのないデビスカップの男子シングルスで9-7、8-10、11-13、7-5、6-4というおぞましいスコアで6時間の熱戦を戦ったマッケンローとボルグの試合なんかは見ていて感動を呼び起こすものであるし、200キロを超えるサーブもまた嫌な流れを断ち切る上では必要不可欠である。基本的にルール改正というものは誰かが得をするようにし向けられているが、今回の「見ている観客がつまんない」というのは明らかに間違いで、駆け引きの要素が少なくなればゲームはますますおもしろくなくなると思うのであるが、最近5年ばかりテニスをしていない人間が言っても説得力無いよなあ、と締めくくってみる。戻る↑
    6月23日(月)「一日あっという間」
    本日は朝から雑用を済ませ、昼に組合からボーナスの話を聞きながら寿司をつまみ、昼からはプロジェクトミーティングと称するロングラン会議に出席し、適当に船を漕いでいたら定時になってしまい、まるで仕事が進まないまま一日が終わってしまった。会社の業績は良くもなく悪くもないが先行きは判らないということで、ボーナスは渋い出し方をしてくる。今回の夏のボーナスはようやく全額もらえるわけなので、一応真面目に話には参加する気があったが、話が長いのと寿司を食うのに夢中ということがあって、全く話の内容は記憶にない。梅雨空の元、雨は止むわけもなくひたすら降り続く。今年は随分と真っ当な梅雨を迎えているような気がするがどんなもんなんだろう?戻る↑
    6月22日)「コンテンツの洗い直し」
    帰宅して爆睡してしまい、目が覚めたら10時頃という普通の休日の過ごし方である。本日は用事がないので家でぼーっとしても良かったのであるが、根が貧乏性なので何かやらないと気が済まない。ということでほったらかしにしていた県別写真集という自己満足なコンテンツの作成を始める。自分で新たにひねり出したものではなくて、整理し直しただけで気がつけばメニューが豊富になるという一粒で何度おいしい思いをしているのか判らない作戦を展開し、結構時間をかけて作成する。それにしても、僕のページは日々更新すればそれだけで充実するという手抜きを極めたものであり、めんどくさがりにとっては有難い仕組みである。手を抜くためにはやはり手を抜いても大丈夫な仕組みを作っておくというのが一番だということを身に染みて感じる今日この頃。それにしても画像の撮影地点はかなり偏っているものだなあとしみじみ感じてしまう。何か切り口の違う写真を撮ろうと思っているわけではないが、気がついたらものを見る目が随分と人とは違っていることに今更ながら気がつく。まあいいか、今更直るわけじゃなし。戻る↑
    6月21日)「結婚披露パーティーの司会」
    結婚パーティー友人の結婚披露パーティーが本日行われたので出席する。出席すると言っても今回は司会という妙な役割を担当することになり、いささかこれまでとは勝手が違うため、必要もないのに緊張した入りするのは仕方がない。事の次第を冷静に掻い摘んで敷衍すれば、昨年10月5日の結納後すでに「パーティーの司会よろしこ」という話が決まっていたのである。式の前日になって「友人代表として来てくれ」と言われ、2月23日に式に出席したことはすでに日記に書いたとおりであるが、打ち合わせは5月25日に行われており、本日を迎えたということになる。日時をかくも正確に記憶しているのは決して僕がサマン病であるからではなく、日記に書いてあった事を見返しただけなので、余り気にしないでもらいたい。さて、そういうことで本日はパーティーに出かけたのであるが、梅雨の谷間の晴れた日を狙って執り行えるとはすばらしい強運で、友人夫妻の今後の共同生活の明るさを象徴しているかのようであるが、如何せん暑いのである。普段スーツを着ない仕事をしている人間がスーツを着るだけでも暑いのに、それもよりにもよってこんな暑い日に着るのであるから汗が噴き出て仕方がない。パーティーは夕方から執り行われ、当初考えていた漫才師用蝶ネクタイをつけることも無く司会としてはそつなくやり遂げられたようなのでほっとするが、出席した他の友人から「司会したから次はお前やな」というわけのわからん事を言われたりしたのだが気にしないことにしよう。本日はちょっと大人数の合コンだったとでも思っておくことにしよう。戻る↑
    6月20日(金)「ボウリング」
    ボウリング昼休みに無駄な知識の吸収に是努める。その結果6月22日はボウリングの日ということがわかった。Googleで調べたところ、1861年6月22日に長崎で発行された英字新聞に、社交サロン店主ヘンリーギブソンが新装開店を告知した広告を掲載した記録が残っており、これが日本で最初のボウリング場であると思われるということが根拠であるらしい。もっとも開店当時は、外国人達の社交とレクリェーションの場となっていたようであるが。ボウリングの効用について熱く語る話はいろいろと聞くものがあり、3ゲームやれば80分歩いたのと同じぐらいカロリーを消費するというので体にもいいから是非やりましょうという事らしいが、ボウリングを3ゲームするのに80分以上はかかるので、要するに歩いてるのと同じくらいしかカロリーを消費しないという見事なまでの罠が張り巡らされていたりする。しかし、最近の人はボウリングのスコアを自分でつけることができないらしい。手書きのスコアが今となっては廃れているので確かにそれは判るのであるが、9フレあたりから、最低何ピン倒せば圧倒的優位に立てるかとかそういう計算はできなくて楽しいのだろうか。自分でスコアがつけられない友人曰く「点数なんて余りどうでもいい」という至極すばらしい回答が帰ってきたので、うーんそんなものなのかと少し納得してしまった。ボウリングと麻雀の点数計算方法とビリヤードのルールは遊技の嗜みの基本と思っていたのであるが、今はそうでもないらしい。戻る↑
    6月19日(木)「去る人あれば来る人あり」
    6月3日の日記にも書いたとおり、僕のグループから一人会社を辞める人が出てきた。本日は最終出勤日で明日からは有給の消化に入るというからある意味うらやましい。このところ会社内では人事異動の話で持ちきりであるが、朝人事異動のお知らせが会社のイントラネットに流れた時は「いよよきたのか」と思ったが、単に子会社が解散して社員が全員本社に戻ってきただけといういたってどうでもいい話であった。夕方から前途を祝してという飲み会が執り行われ、いつものようにへべれけになってくだを巻く。飲み会には全員出席ということがないと言う不思議なジンクスは本日も健在で、かなり重要なイベントであるのに出席しないやつがいて、一応主賓の送られ人は中途半端に凹んでいた。いつもの如く飲み会は滞りなく行われ、電車を乗り過ごすこともなく正体が怪しいまま帰宅。そういえば、オールスターで中日の川崎がファン投票で1位を獲得したが、インターネット上で「川崎祭」をやっている事が原因らしい。それがためにインターネット上からの投票には連続投票を禁じる措置を講じると言ってるが微妙なものである。うちの高校出身者の○○をぜひオールスターにということで地元の後援会が夜なべをしてせっせと投票はがきを作成するのは微笑ましいと思うが、インターネット投票だと駄目っぽく感じるところに何か微妙な閾値を感じてしまう今日この頃である。戻る↑
    6月18日(水)「野球の塁打数のカウント方法」
    野球のサヨナラヒットというのは塁打数はいくつになるのであろうかという素朴な疑問が頭から離れなかったりする。だいたい塁間で飛び上がって喜んでいたりするから、そもそもベースを踏んでいるかについて判ったものではない。○○選手は通算3000塁打を達成しました、と試合の途中に花束をもらったりしているが、サヨナラヒットの曖昧な塁打のカウントで「すいません、実はあと2塁打足りていません」とか「すでに達成してました」という寒いことにならないでもらいたいというどうでもいいことばかり考えていたりする。本日は会社の他の部門とのミーティングに上司と二人で出席する。何の因果か僕の担当することになったプロジェクトがめんどくさいことをやる必要性が出てきたというか、向こうの部門が「なんかこんな事をやった方がええ結果が出るらしいから相談してみるか」というかなり当てずっぽうな話を持ってきたようで、そのために必要以上に計画書を書かなければなら無いのは辛いことである。しかし世間では、まさか会社で一日中コンピュータとにらめっこしているだけで仕事が成り立つという不思議な職種があるとは思ってくれていないようで、たぶん「あの部署は何をやってるんや?」と思われてるぐらいならまだしも「なんかコンピュータ使って怪しい魔法を編み出しているようだ」というふうにも思われていたりするから困ったものだ。戻る↑
    6月17日(火)「夏は仕事」
    梅雨空の下、仕事がなんだか少しづつ忙しくなってきたようである。余り楽しいことだとは思えないのであるが、こればかりは致し方ない。毎年妙な傾向があり、春先は暇であるが夏は忙しいという妙なサイクルが成り立っているのである。学生の頃からこのサイクルは変わっていないようで、随分と不思議な気がする。学生の頃は夏休みといえばかきいれ時ということで、取るものとりあえずバイトに明け暮れていた記憶しかない。そんなこんなで夏にどこかに出かけるという事は余りなかったのであるが、会社に入ってからもそういうことになるとは意外である。去年も今年もイレギュラーに忙しくなっており、誰かがこの僕を夏に働かせようと密かに画策しているような気がしないでもないのだがその辺はどんなもんだろ。戻る↑
    6月16日(月)「平和な闇を貫く火サスのテーマ」
    朝の目覚ましのアラームに携帯電話を使っている事は以前にも書いたが、その呼び出し音は「火曜サスペンス劇場のテーマ」である。朝夢見心地でいたらいきなり夜9時の世界に投げ出されるのである。だからといってこれがヴィヴァルディの「春」とかグリークの「ペールギュント」であった日には2度寝は必須である。以前は暴れん坊将軍のテーマにしていたが、これもまた勢いがあっていいものである。そんなアラームに呼び起こされ一週間は始まるのであるが、やはり週末が満喫していると平日はやる気が起こっていいものである。帰宅時に近く大きな人事異動があるという話を同期としていたが、毎年その大がかりな人事異動は執り行われており去年は対岸の火事であったのだが今年からいよいよ当事者になるのだからえらいことである。まあ、僕の部署はそういうのとは縁がない部署であるからと思ってはいるが、部署ごと異動というウルトラCを決められるという可能性が結構あるので安穏と構えている訳にも行かないが、かといって殺伐としていても困るので難しいところである。戻る↑
    6月15日)「奥出雲おろち号と出雲そば」
    奥出雲おろち号掛合の里を出発し、赤来から一般国道184号のへぼへぼ区間を満喫して一路出雲湯村温泉を目指す。元湯が開くまで時間があるので木次まで出かけてまったりと鉄道鑑賞などをしていると妙に観光客が多いのに気がついた。どうも本日は奥出雲おろち号というトロッコ列車が走るようで、その列車を心待ちにしている観光客らしい。そんな客には目もくれず、出雲湯村温泉に戻りまったりと朝風呂を満喫する。風呂上がりの冷えた瓶牛乳との取り合わせは絶品で、風呂の良さを実感する。そのあと亀嵩駅にある扇屋というそば屋に向かうが、ちょうど亀嵩駅に到着したら木次で待ちわびていたトロッコ列車がやってきたので必要以上に感動して撮り鉄に勤しむ。ひとしきり写真を撮ったあとは落ち着いて出雲そばを味わい、、松本清張の「砂の器」がらみのサインで溢れそうになるそば屋を満喫。その後はおろちループを回転して東城に向かい、東城からは一般国道182号で福山へ。福山からは鞆の浦へと進み、仙酔島に渡って景色を満喫する。強制的に往復の渡し船の切符を買わされたりするところはいかにも観光地であるが、往復240円という代金は必要以上に安いのでまあ良かろうと判断する。そのあと福山市に合併された内海町を見物したあと福山西からは山陽道で一路帰宅の途につく。途中西宮北から宝塚までは渋滞に捕まるがそれ以外はいたって順調で、南茨木で友人と別れて帰宅。これで中国地方で走ってない国道は隠岐にある485号だけとなった。さて、いつ行こうかな。戻る↑
    6月14日)「水門上の遮断機のある道路」
    中浦水門梅雨のぐずついた空模様をものともせず、本日も出かける。南茨木で友人と合流し一路西へ。本日は中国地方の国道未走区間を塗りつぶすために出かけた。兵庫鳥取県境の戸倉峠の旧道や、人形峠など味わい深い峠をいくつか探索した後に湯原温泉の砂湯に入ってまったりする。その後進路を北へと変え中海に浮かぶ江島へと向かう。本土と江島を繋ぐ道路は中海の水門上にあり、船舶航行時には手前の遮断機が鳴り出して道路が跳ね上がり、というなかなか楽しい光景が拝めるという話は聞いていたのであるが、あいにく横切る船がなかった。普通に通行しようと思ったら、さすがに常時架橋されている状態でないため14tという車両重量制限があり、大型車は重量検査場に強制的に回されるため普通車の通る道幅は必要以上に狭い。そのあと中海の仕切堤防上の道路を縦横無尽に走り、楽しい道活を満喫してRS掛合の里で車中泊する。しかし中海は必要以上に道路がゴージャスで、無駄遣いと叩かれるのも納得がいくものがあった。それよりもこの水門上の遮断機のある橋の横に橋脚の妙に高い橋がかける準備が着々と進んでいることから、水門上の橋はもうじきお役御免となるのであろうかと一抹の寂しさも残ったのは事実である。もちろん地元の生活からいくと、遮断機も下りず、通行の検問もない新しい橋の方が良いに決まっているのは判るのであるが、できてしまったものを無理矢理変に「暫定的に」利用してしまうという場当たり主義的な行政の遺産も味わい深いものがある。戻る↑
    6月13日(金)「立ちはだかる壁」
    バカの壁アマゾンで最近本もCDもDVDも買うので、帰宅したら本が増えているという状況が続く。本日は養老孟司センセイの「バカの壁」を熟読する。とりあえずインパクトのある名前である、バカの壁。バカとの会話に立ちはだかる壁をイメージしていたのであるが、どうもそうではなく、現代の都市に住む人間の心の弱さのあり方を語る代物であり、タイトルから勝手に妄想していたのを少し恥ずかしく想いながら読み進める。この本を熟読してから中村義道センセイの本を読むと全く逆のことを書いているように思えるのであるが、しっかり読めばそうではないところに気がつくというのが絶妙なものである。しかし偶然であろうけど、中島義道の本も買ってしまったのである。もしかして読む前から内容を予見していたと言うことなんだろうか。ここまで書いてみて、最近小うるさいことばかり書いていることに気がついた。仕事が忙しくて楽しいことが少ないからなんだろうなあ。戻る↑
    6月12日(木)「同じ大学出身者」
    本日は夕方早々と会社を後にする。会社の中で同じ大学を出たということで集まる会合があり、去年は何のかんのと理屈をつけて行くのをためらっていたのであるが、今年は同じ部署に学部が違う後輩に「こんな集まりがあるよ」と紹介してしまったのでちょいぶす倶楽部でもあるまいし紹介者が行かない訳には行かなくなってしまった。かといって紹介しないのも先輩らしからぬ事なのでこれもまた難しいことである。そんなこんなで気は進まないが飲みに出かける。会社が会社だけに同じ大学=同じ学部という事もあるし、しかもこぢんまりした学部だし、無駄に10年も大学に居座っていたから本日は不本意ながらも全員顔見知りである。飲み会自体は楽しいのだが、今更何をどうしたものかという気がして仕方がないものであった。学閥などという妙な言葉が世の中にはあるそうだが、少なくともうちの会社には存在し得ない言葉であることが判っただけでも収穫であった飲み会であった。戻る↑
    6月11日(水)「携帯の電源オフ車両」
    通勤に利用している阪急電鉄であるが、女性専用車両を導入しているのはつとに有名で、今となっては女性専用車両は市民権を得ているようである。毀誉褒貶のある女性専用車両であるが、運用の仕方次第だと思う。と、それなりにやってることは妥当だよと言うことで自分を納得させようとしていたのであるが、阪急は今度は「携帯の電源をオフにする車両」という妙なものを持ってきたのである。この場合、女性専用車両と違い、一見しただけで電源がオフになっている事なぞ判る訳がないし、社内を巡回して一人一人の携帯の電源が切れていることを確認している訳がない。ある意味どうしようもないザルな車両であり、「マナーアップに取り組んでいます」という姿勢だけを見せているような気がしてしようがない。どうせなら逆位相の波をとばして本当に圏外にしてみるという大がかりな仕掛けをやってくれた方がわかりやすいと思うのであるが、逆位相の波をとばした日には電磁波の量が増えるから、それで迷惑を蒙るとされている人にとってはいい話ではない。少なくともその車両では携帯で電話したりメールを打つことはできにくい訳で、それだけでもそれなりに効果を上げているんではないかと納得してみることにしよう。戻る↑
    6月10日(火)「3年目に突入」
    本日より日記は3年目に突入である。一般的には、自分のページを開設して1周年とか2周年とかの区切りに自分だけで必要以上に祝ってみたりするらしいが、3月9日の開設日には特にそういう感慨を覚えない。どちらかというと日記を書き始めてXXX日の方に愛着が湧いていたりする。おそらくこの辺は手間暇かけてコンテンツを整備しているという自己満足のフィードバックだと思われるのだが、本人としてはそこまで自負するほどこの日記に気合いを入れているつもりはない。しかしまあ、区切りになる日はめでたいものである。さて、3年目の日記に何を誓うかと言えば、とりあえず、毎日書き続けるということぐらいであろう。あとは、さっさと北海道に行って日記で全都道府県を練り歩いた証を作ることぐらいかな。これまで日記のネタを作るために全国をうろつきまわったからなあ、と何か間違った感慨に耽っていたりするがいつものことなので気にしないでおこう。昨日今日と感慨に耽ってばかりいるのは現実の世界では特に報告するような楽しい出来事がなかったからではないかというツッコミは程々にしてもらいたい。戻る↑
    6月9日(月)「10年経ったら」
    郵便貯金暑い日になると光の帯が告げてるわけでもないが、梅雨入り前のからりとした天気はそろそろ見納めである。これからじめじめした天気が続き、じめじめした季節がすめば蒸し暑い夏がやってくるのである。本日はやる気が湧き起こらないまま適当に早々と帰宅する。帰宅したら横浜貯金センターなる不思議なところからお知らせが届いていた。そもそも郵便局は某銀行のカードで金を下ろすときにのみ使用するだけで、自ら郵政公社に金を預けるなどということはした記憶がない。何事かと思ってお知らせを見ると「あなた様の右記の通常郵便貯金につきましては、これまで10年近く預け入れや払い戻しなどのご利用がありません。」とある。10年前に郵便局に口座を開いたという事なので、「横浜」をキーワードに反芻すること3秒で簡単に記憶が甦ってしまった。どうやら横浜ランドマークタワーにある郵便局に口座を作った事があるらしい、というかランドマークタワーに来た記念に口座を開いてみるかと思って作ったのである。10年前の8月17日に口座を作っているようである。10年前と言えば新幹線に乗って日本中を旅しながら金儲けをしていた時期である。あの年の夏は近年稀に見る冷夏で、連合野党の政権が誕生し、秋には日本中にタイ米が溢れたのである。当時誰も郵政公社ができるとは思っていなかったであろう。ついでに10年前は10代だったという余計なことも思い出したがそれはもうどうでもいい話である。今の自分が幸せだという訳ではないが、昔のことを懐かしく思い出してしまった。戻る↑
    6月8日)「久しぶりの物欲消費」
    CANON PowerShot A70朝起きてまったりと大沢親分と張さんの「喝!」を観る。相変わらずポイントを外す張さんに満足し、久しぶりにテレビを観てゴロゴロするという生活を満喫する。昼過ぎからこれもまた久しぶりにヨドバシカメラなんぞに出かける。今使っているデジカメに不満が出てきたので買い換えようと模索しているため、市場調査に出かけたのである。今のデジカメCASIO QV2300-UXは起動時間が長い、シャッターが遅れて切れる、ズームできるが元に戻すことができない、電池の持ちが悪い、筐体がでかいという欠点があったので、これらの問題を克服するべく新たなデジカメの選定を行った。しかしながら、出先でバカみたいに写真を撮るため、専用バッテリーというシステムを取っているデジカメは御免蒙るし、マニュアルでシャッタースピードがいじれるようにしたかったので、「単3電池で動いて、マニュアルモードついてるやつ」と聞いてみたら、星の数ほどデジカメがあるというのにそのうちでたったの3品しかこの条件をクリアできなかった。店員もここまではよくある質問なので立て板に水で対応をしていたが、「コンピュータに画像ファイルを落とすときに自動的にサムネイルを作成する付属ソフトがあるやつ、もしくはカメラが自動的にサムネイルをつくってくれるやつ」というインターフェースについての質問となると、俄然困惑してしまいそれから先1時間余りにわたって実際に撮影して確かめるという不毛な仕事が始まる。僕としても、店員もたぶんこういう客が来たら迷惑であろうということは重々承知しているのだが、客として使い勝手の良い製品を買うために質問し、それについて回答してくれない店で買う訳にもいかないので、この辺はしばしの我慢である。結局そのようなすばらしい機能を持っていたのは僕の以前の機種だけであり、昔買ったときも確か1時間ぐらい店員と揉めたことを思い出して、相変わらずそういうことに時間を費やす買い物の仕方が好きなのだなあと納得した次第。結局その条件に当てはまる機種はなかったが、値段と大きさで相談してCANONのPowerShot A70を購入。その後友人宅で再来週の作戦会議と称して夕飯をごちそうになり帰宅。戻る↑
    6月7日)「歴史認識は歴史があるから生まれる」
    まったりと朝のひとときを過ごす。忙しくて読む暇がなかった前日とか前々日とかの新聞なんぞを拾い読みし、世の中の情勢を理解することに努める。お隣の韓国の大統領が日本くんだりまでお越しになったようで、某新聞は社内のゴタゴタがまだ冷めやらぬうちに社長自ら表敬訪問し、その記事をトップ1面で扱っている。ネタとしてはトップ記事であることは否めないが、「うちだけですねん、独占取材ですねん」という雰囲気が感じ取れるのはいまひとつ楽しくない。彼の大作家五島勉センセイが巷間で糊口を凌ぐ生業として新聞社の「トップ屋」をされていて、それなりにご活躍をされていたのは周知の事実であるが、独占とかすっぱ抜きとかいう代物は初物食いであるというところだけにしか価値がない場合はいたってつまらないと思ってしまうのであるが。さて、大統領閣下のご高説によれば、日本に謝罪は要求しないが、正しい歴史認識をガキどもに教え込まないのは問題であるということらしい。ヘーゲルによれば歴史というものは認識では無くその結果を踏まえて動くものなのであるから、認識は人によって違うものであるべきだと思うのだが。歴史認識というものは結果をあとになって考察した多面的なものであり、「正しい認識」という言葉自体が唇寒し秋の空であるから、ガキの「ほんまやな、命賭けるか?」「100億万円よこせ」と同じで、その台詞を吐くこと自体が自分を貶めているような気がする。その点では某大国は気楽である。なんせ彼の国の歴史は先住民族の歴史を無かったこととして、自分たちの祖先が食い詰めて新天地にたどり着いたところから始まるのだから。戻る↑
    6月6日(金)「バカの壁」
    夕方帰宅時に久しぶりに本屋に向かう。会社の行き帰りに本を読むことが最近無く、うとうとしていることが多かったのでこれではいかんと一念発起する。毎週買っている日本の街道は当然買うとして、久しぶりに単行本を買ってみる。東野圭吾の「おれは非情勤」という短編集はいたって読みやすく気がついたらあっという間に読んでしまった。店に平積みされていた「バカの壁」であるが、きっと養老孟司センセイが書いた内容を理解できないというバカの壁があるのではないかと思い、買うのはやめておいた。それにしてもインパクトのあるタイトルであることは間違いないので、今度アマゾンで買うことにでもしよう。今週は異動を命じられたりで大したことはしていないのになんか疲れた気がする。戻る↑
    6月5日(木)「参加することに意義があるイベントの結果」
    昨日の応援で喉が嗄れているままなので、会社ではいつも以上に無口で通す。グループに復帰して無口に仕事をしている様子を見かねたのか、上司が「うえだ、もしかして向こうのグループの仕事の方が楽しかった?向こうのグループにはかわいい女の子もおったからなあ」と聞いてきたのであるが、それは勘繰りすぎである。帰宅したら経済産業省から合格証書が届いていた。どうやら3月2日に受けた一般計量士の試験に合格したらしい。経済産業省のページに合格者番号が掲載されていたのであるが、受験票は忘却の彼方にあり、受験番号なぞは試験を受けるときに見て書いただけしか記憶がないので覚えているはずもない。前にも書いたのであるが、まるで勉強せず、講習会に参加して惰眠を貪り、帰りに飲みに行くのを楽しみにしていた不埒な出張を繰り返していただけだというのに合格したというのだから、これも偏にこれまで蓄積した無駄な知識の賜であろうと納得をせざるを得ない。ちなみに一緒に講習会に参加していた同僚も合格したようで、ふたりで「何でかしらんけど受かってしもたなあ」という話になったので真面目に勉強して落ちた人には大変申し訳ない話である。しかし一番問題なのは、会社全体としてはこの資格を持っている人は有用であろう事が理解できるが、僕の担当する仕事にはなんの役にも立たないことである。いいのか、そんな需要と供給のミスマッチをしていて。戻る↑
    6月4日(水)「♪六甲颪に颯爽と蒼天駈ける日輪の青春の覇気麗しく」
    甲子園朝からテレビ会議で部長の有難いお話を聞く。事前に「全員出席するように」という通達が同じ部署の別の上司からのべ3回も送られてくるぐらいであるからそれなりに心して聞かねばならない内容であると思うし、話の内容が「賃金体系について」と言われた日には「賃金カット」「年俸制導入」という言葉が頭を過ぎるのは致し方ない。ちなみに「年俸」は「ねんぽう」と読むのが正しいことを今知った。ATOK15は「ねんぼう」と入力して変換すると「「ねんぽう」の誤読」というエラーを返しつつも変換に応じてくれる気前の良さを披露してくれていたりする。そんな話はさておき、部長の話を掻い摘んで説明すると、業界のリーディングカンパニー(昨日のネタと同じ)が職能給に一本化したけどうちは旧態依然として変えないということと、健保組合が赤字なので人間ドックに行ったら一部自己負担になる、という限りなくどうでもいい事務手続きの通達だったのでほっとする。夕方から甲子園に野球を観に出かける。今年の阪神はまだペナントレースが終わっておらず、盛り上がれるうちに盛り上がろうという熱く刹那的な想いが交錯する絶妙なファン心理を駆り立てる阪神の好調ぶりに唆された訳でもなかろうが、友人と出かけてみた。球場の前で応援用のメガホンを売ってるおっちゃんと「綺麗やなあ、まるで新品や」「新品でんがな」「いつもテレビで外野のグランドに降りてひろてるのみてまっせ」「いや、俺はひろてへんで」「ほな下請けにやらしてまんのん?」「いや、下請けが何をどうしてるかはしりまへんなあ」という至って関西チックな掛け合い漫才をしつつメガホンを買っていざ球場へ。試合は阪神が勝ってしまい、巨人も負けたというある意味理想的な結果であるが、「いつ崩れるんだろう?」という余計な心配ばかりをしてしまうファンの心理は如何ばかりなんだろうか。六甲颪を3番まで歌い、えらく満足して帰宅。戻る↑
    6月3日(火)「呼び戻して播磨投げ」
    会社では現在よそのグループに丁稚奉公に出されているのだが、本日夕方になって上司が「うえだ、明日からうちのグループに戻れ」といきなり高らかに宣言された。理由もわからないので納得しかねるものがあるのは事実であるが、自分が納得するまでその話が保留になる訳でもないし、現在世話になっているグループの上司とはどうせ話が付いていることだろうから、駒としてなんの気概も持たずに言われるままにトレードに応じるのが吉ということで「はい」と了解する。しかしながら、理由を聞く権利ぐらいはあるだろうと思い、聞いてみたところうちのグループから一人会社を辞めるやつが出てきたので駒不足になったから呼び戻したということらしい。ということで、復帰して受け持つ仕事は辞める人の受け持っていた仕事である。ちなみにうちの会社をやめて業界のリーディングカンパニーに行くというのはいいことなのか悪いことなのか、何ともそればかりは判断が付かない。ちなみにこの話はオフレコにしてくれということなのだが、まあいいだろ、ここに書くぐらいは。どうせわかんないだろうし。戻る↑
    6月2日(月)「日生のおばちゃん今日もまた〜」
    会社で昼飯を食うときに保険のおばちゃんが待ち構えているのであるが、日本の生命保険の超ビッグネームである日本生命保険が契約件数でアメリカンファミリー生命保険に抜かれたらしい。保険のおばちゃんの凄腕に懸かっている割高だけど必要以上に親切という日本的経営と、無駄を省いてとにかく安いという経営が微妙に棲み分けが為されていたのに、昨今のインターネットの爆発的普及により契約に懸かる煩わしさが激減したのが追い風になったのであろうか、後者が優勢となったようである。決して爆笑問題がギバちゃんと矢田亜希子に負けている訳ではないが、個人的に矢田亜希子の看護婦のコスプレに萌えるのはさておくとしても、トピックとしてはかなりインパクトがあると思われる。きっと明日から保険のおばちゃんの目つきが今まで以上に恐くなることであろう。とりあえずまだ生命保険に入っていないので、これから先どうなることやら。とりあえずそろそろチヨちゃんと所帯を持とうと思ったらなぜか日生のおばちゃんに真っ先に話さなければならないという理不尽な歌で浮かれトンビがピーヒョロロと飛んでいたのは過去の話なのかも知れない。戻る↑
    6月1日)「城崎と末端活動」
    地蔵湯朝から友人と出かける。当初は丹後半島で走っていない国道でも塗りつぶすかという割といい加減な目標で出発したのであるが、京都縦貫道の新規開通区間を走ったり、無くしてまた買ったというGPSアンテナの性能を確かめるべく誰もいない由良川PAで軌跡で字を書いたり、豊岡のロータリーで必要以上に2回転したりつまらんことに精を出すが、台風が過ぎゆき妙に寒いので温泉に入ろうと言うことになり一路城崎へ向かう。城崎は外湯の地蔵湯でまったりし、久しぶりに温泉に入ってくつろぐ。そのあとコウノトリ但馬空港で屋外に陳列されているYS-11に感動し、日本エアコミュータの伊丹行きの便に乗るかどうか迷いながら一般国道482号の神鍋末端と氷ノ山末端に向かい若桜からは一般国道29号で帰宅。山崎から中国道に乗り、いつもの通り滝野社から372号で帰宅するかと思いきや、友人が「京都まで送るのはしんどいから南茨木で捨てる」といいだしたので、大人しく南茨木で降りてそこで分かれる。阪急の乗り継ぎが悪かった所為もあるが、帰宅する直前に友人から「帰宅した」というメールが来たのがなんかくやしかった。久しぶりにたっぷりと道を走ったようで充実感が溢れて疲れがでるという久々の体験であった。戻る↑