2003年4月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 4月30日(水)「さいはて」
  • 4月29日(火)「ごらんあれが竜飛岬北の外れと」
  • 4月28日(月)「入道埼、温泉、きりたんぽ」
  • 4月27日)「選挙」
  • 4月26日)「汎用性を失ったコンピュータ」
  • 4月25日(金)「生活リズム」
  • 4月24日(木)「飲み会の曜日設定」
  • 4月23日(水)「光源氏計画」
  • 4月22日(火)「会社のメールアドレス」
  • 4月21日(月)「前年比20%の伸びの計算方法」
  • 4月20日)「唯一無二のマルチプルアーチダム」
  • 4月19日)「旅先での衝動的機種変」
  • 4月18日(金)「許容量と閾値」
  • 4月17日(木)「献血と藤原紀香」
  • 4月16日(水)「部屋の整理」
  • 4月15日(火)「ジャイアニズム」
  • 4月14日(月)「携帯が戻ってきたりする」
  • 4月13日)「塩屋埼またもや」
  • 4月12日)「こんなレベルじゃトラブルとは呼べない」
  • 4月11日(金)「綿パンが戻ってきた」
  • 4月10日(木)「安定したガテン系美女」
  • 4月9日(水)「携帯は結局修理」
  • 4月8日(火)「新人教育」
  • 4月7日(月)「ロングランな会議」
  • 4月6日)「イカスミ」
  • 4月5日)「間違った成田空港の使い方」
  • 4月4日(金)「中森明菜の歌唱力」
  • 4月3日(木)「マイナーなアレルギー」
  • 4月2日(水)「詫びを入れる全日空」
  • 4月1日(火)「新入社員」


  • 今月の日記
    4月30日(水)「さいはて」
    マグロ1本づりの大間さいはての尻屋埼本日は友人と一緒に下北半島一周をする。まずは七戸から野辺地を通ってむつに抜け、自衛隊の樺山飛行場跡(現在は無線中継所)や、その傍にある下北交通の廃線跡を見に出かける。そのあと関根から尻屋埼を目指すが、直線の道路なのに無意味に所々未舗装という県道を走り抜け、岬に達する道路に立ちはだかる16時以降は通れないゲートを通り抜け、最果ての地尻屋埼に到達する。草地はありとあらゆる所に馬糞が大量に転がるというデンジャラスゾーンであるが、それよりもただならぬ強風に恐れおののき、車に戻って上下ともレインダンサーを着込んで事なきを得る。強風を十二分に堪能し、大畑から薬研温泉を目指す。薬研温泉は趣のある露天風呂があるのだが、着いてみると誰も入っていないのでラッキーと思ったら「水曜日は掃除」という貼り紙が脱衣所にあり、確かに湯の量は必要以上に少なく、かつ熱いのでさすがに誰も入っていなかったのだなと納得するが、そんなこと如きで怯むわけもなく、少し湯が少ないもののまったりと露天に浸かり、貸し切り気分を満喫する。そのあと大畑に戻り、イカスミラーメンとイカスミ焼きそばいう名物を食して更に末端の大間崎を目指す。途中風間浦村の下風呂温泉に入り、ようやく大間埼に到達する。「私の青空」のロケ地であったようで、色褪せた田畑智子のポスターに時代の流れを感じさせる。大間と言えばマグロなのであるが、季節が季節と言うことで今回は大人しく断念し、脇野沢を目指す。大間から脇野沢までの道は行けども行けどもたどり着かない山道であり、仏ヶ浦で景色を観賞して脇野沢にたどり着いたのは夜も更けた頃であった。脇野沢で温泉に入り、むつから六ヶ所村を通って七戸へと戻る。途中核燃料サイクル機構の近所で側溝に脱輪している車を見つけたが、前輪がお釈迦になっているようでどうすることもできず、翌日に車を回収してもらうことにして自宅へと送られていく運転手を見送る。六ヶ所村にとっては、この核燃料サイクル機構は雇用創出の手段であると言うことがよくわかったのであるが、これがために新たにできたバイパスは必要以上にゴージャスであった。七戸に戻りトレーラーハウスで宴会して寝る。戻る↑
    4月29日(火)「ごらんあれが竜飛岬北の外れと」
    津軽海峡冬景色の碑朝起きて、碇ヶ関村にある湯ノ沢温泉を目指すが早速道を間違えてしまい津軽湯の沢駅にたどり着いてしまう。ついでだからと駅に上がるとちょうど寝台特急日本海がやってきたので写真を撮ろうとしたがデジカメのワンテンポ遅れてシャッターが切れるという習性を忘れており撮影に失敗する。気を取り直して湯ノ沢温泉の「なりや温泉」で湯活動を開始する。この旅館は第1浴場と第2浴場に分かれており、それぞれ別々の源泉であるため一粒で2度おいしい温泉である。第1浴場は脱衣所は別だが中は一緒という典型的混浴で、第2浴場は混浴と婦人用に分かれており、いずれも濃いめの満足のいく温泉である。そのあと黒石にある浅瀬石川ダムを撮影し、温湯温泉で本日2回目の湯活動を行う。この辺は他にも行きたい温泉があったのだが、時間の都合上割愛して弘前の国道7号沿いの満開の桜を横目に藤崎町から一般国道339号に入り一路竜飛埼を目指す。しかしながらよんどころない事情で五所川原から浪岡に進路を変え浪岡駅前温泉で黒い湯に浸かる。いい加減本日のメインイベントに向かうべく再び藤崎に戻り五所川原を経由して竜飛を目指す。途中金木町で大渋滞に出くわすが原因は桜祭りと言うことで東北の桜をこれでもかと満喫する。渋滞を通り抜け十三湖高原で名産しじみラーメンを食す。そのあと巨大なローラースライダーを滑り降りて童心を取り戻し、今度こそ竜飛を目指す。小泊で権現埼に行き徐福上陸の碑を眺めたりしてようやく竜飛に到着し、青函トンネル記念館だとか、階段国道とか、津軽海峡冬景色の石碑とその前にある赤いボタンを押して石川さゆりの歌声(但し2番限定)などを堪能し青森へと戻る。途中津軽線の終点三厩駅や今別町にある青函トンネルの入り口を見学し、平舘村の村営湯の沢温泉で冷えた体を温める。受付のばあちゃんが愛想良く「10回来たら次の1回ただになるスタンプ帳いらんか」とか「寒いから休憩室のストーブつけるか」とか「テレビ観たいだけ観て良いよ」とかいろいろと言ってくれるが先を急ぐので温泉だけまったり浸かりそこをあとにする。温泉はいわゆる「かけ流し」なので大変満足なのだが、体を洗う湯がでる蛇口もかけ流し状態であり、かけ流しにもほどがあると思ってしまう。そのあと青森に向かい、市内をぐるぐる巡って友人と待ち合わせをしていた七戸へ向かう。七戸で友人と合流し、トレーラーハウスで宴会して寝る。戻る↑
    4月28日(月)「入道埼、温泉、きりたんぽ」
    本日より北東北3県蹂躙ツアーに出かける。伊丹空港で往復無料航空券を発券し、スターバックスで半券を見せて無料でコーヒー飲んでほくそ笑む。到着した大館能代空港は床が板張りと珍しく、大阪便と東京便しか飛んでいないという誂えの空港である。レンタカー会社のデスクも到着ロビーの目の前に鎮座しており、先に支払いを済ませてキーを受け取り、駐車場に駐めてある車を拾っていざ出発。ひとまずは男鹿半島の末端にある入道埼を目指す。レンタカーは、まだ走行距離が177kmと新車同然であり、慣らし運転も済んでいないというのに僕に運転されるとはある意味不幸である。カーナビも付いているというサービスは良いのだが、カーナビを使うとCDが聞けないという微妙に使えないところが玉に瑕である。一般国道101号の男鹿市内はトレースが難しいということであるが、そんなに難しい思いをすることもなく楽々入道埼に到着。入道埼灯台は風が多少強いものの参観は可能で、この間の塩屋埼での苦杯の再現はなく、幸先の良さに満足する。夕方大館で友人と飯を食う約束をしていたのであるが、そんなこんなで時間的にはどう考えても厳しいにもかかわらず、五城目町にある滑多羅温泉に入ったり、森吉町米内沢の桜並木に感動したりして待ち合わせ場所には30分ばかし遅れる。大館で友人と合流し比内地鶏ときりたんぽ鍋を、〆に稲庭うどんを食って秋田の味を堪能する。そのあと八戸に戻る友人と別れ、大館市内で夜桜を見物し、酒を調達して矢立峠にある道の駅で別の友人と宴会して車中泊。初日から充実している旅行で、この先が楽しみである。戻る↑
    4月27日)「選挙」
    本日は朝から選挙に出向く。投票所は檀家となっている寺のすぐそばにあり、「替え玉投票防止のため誕生日を聞いてます」という貼り紙が為されている。貼り紙をしている時点で誕生日を聞かれることがばれているのだから、替え玉投票の防止にはあまり役に立っていないという気がするが、防止策をとったという実績があればいいのであろう。ちなみに檀家となっている寺はかつては木が大量に生い茂り、小さい頃は虫取りに精を出していたのであるが、今となっては空き地はすべて駐車場となり生い茂っていた木はもはや無いという街の中にある普通のせせこましい寺に成り下がっている。鎌倉時代に宗旨変えをするまでは真言宗の寺であり、北と南に分割されるまではかなりの勢力を誇っていた寺であるというのは小学校の時に習った記憶があるが、如何せん昔のことなので記憶は曖昧である。投票から帰って猪田へうまい昼飯を食いに行き、帰宅して木曜日に録ったドラマを見て本日も終わる。ちなみに投票した候補は落選した。何か予定調和のようなつまらなさが感じ取れたので、選挙に行く気がそれほど起こらなかったのは当然のような気もする。戻る↑
    4月26日)「汎用性を失ったコンピュータ」
    本日は黄金週間の初日である。中途半端なことをしないというのが売りの電器屋に行き、最近の電化製品の動向の調査というか要するにぶらぶら見て回る。日本の家屋が広くなったという話はついぞ聞かないがミニシアターという妙な代物が幅をきかせていたり、ハードディスクビデオレコーダーなるものが製品化されていたりで、だんだんとパソコンと家電製品の垣根が無くなってきているのを感じるが、要するに「何でもできるけど素人さんには手が出せない」というコンピュータでできた機能を「その機能を特化させることで素人さんにでも使えるようにしてみた」というのが最近の電化製品の流れのようである。実際にそんなものを見ていた割には買ったものと言えば、携帯についているSDカードをパソコンでも読めるようにリーダを買っただけである。ドライバのインストールが不要と言うことでさくさくと使えるようになり結構ご満悦。戻る↑
    4月25日(金)「生活リズム」
    去年の夏から秋にかけてやっていた仕事について残業代を稼ぎまくった仕事があったのだが、朝からその仕事について別部署から諮問される。どうやら結果の判定方法が理解できないらしく、その説明を聞きに来たようでその応対に忙殺される。半年も前にやっていた自分の本来の仕事とは随分とかけ離れたことについて思い出すのも一苦労であったが、何とか思い出してそれなりに説明し、それなりに納得いただいて帰ってもらう。本日は定時になるとそのまま定時ダッシュを決めめでたく10連休が開始された。夜、兄が大阪で飲んでいるので迎えに来て欲しいと言うことで夜中車で大阪までかっ飛ばすが、夜中に車を運転するのは随分と久しぶりで半分眠かったが、とりあえずがんばって帰宅。帰宅してみたらすでに3時であった。社会人になってからこんな時間まで起きていたのはあまり無いことかも。戻る↑
    4月24日(木)「飲み会の曜日設定」
    本日は新人の歓迎会である。部長が昨日からこちらに来ているのでこの日程に決まったというわけではなく、「ゴールデンウイーク前の木曜日」という設定はすでに織り込み済みである。今日例えしこたま飲んで明日仕事にならなかったとしても許される飲み会であり、明日を乗り切れば10連休が待ちかまえているので、飲み会開始はゴールデンウイーク開始と同じ意味を持つのである。毎年恒例だとだまくらかして新人に一芸を強要したりする至って普通の歓迎会であったが、やはり去年と比べると人数が減ったのでなんかこじんまりと寂しくなっているような気がする。2次会までつき合い半分眠りこけながら帰宅したら、ひとつ先の駅まで乗り過ごしてしまい眠い中徒歩で帰宅。大勢での飲みは苦手なのでこの手の飲み会は顔を出すというに留めるぐらいがやはり妥協点かなあと思う今日この頃である。戻る↑
    4月23日(水)「光源氏計画」
    本日も出勤時に駅前で候補者がたすき掛けて「おはようございます」とやっている。業界用語でこのことを「朝立ち」と言うらしいが、何とも絶妙な表現である。ところで前の知事選挙で保守が二つに割れ、革新知事が誕生か?と思われたときに石原都知事が「絶対革新知事を誕生させてはいけない」と力説して応援を買って出たという逸話があるぐらい京都は革新勢力が強いのである。強さの秘密は公立小学校の教職員がかなり党員であり、初等教育での洗脳がばっちりであるからと言われているが定かではない。思えば小学校では歴史で一番熱心に勉強させられたのは近代になってからで、普通はおざなりにすますであろう戦後の歴史は必要以上にこってり教えられた気がする。光源氏計画とかいう男のロマンも思想というか手順というか、要するにやっていることは同じような気がするが、これは革新政党に対しても紫式部に対しても随分と失礼な表現である。戻る↑
    4月22日(火)「会社のメールアドレス」
    どうも市長選挙が近々あるようで、ポスターがやたらと貼られている。選挙カーでがなり立てることが合法とされる時間帯は仕事に行っているので熱い選挙っぷりを見ることはできないのであるが、現職が退き新人3人の闘いであるらしい。30年前から「若手のホープ」と呼ばれ、おまえはいったい今いくつやねん、とつっこみ入れたいけど妙に爽やかなポスター貼ってる候補者と、革新政党なのに公約はちっとも革新的でない候補者と、おかんの地盤を引き継いで市会議員になり、気がつけば市長と知事の推薦を取り付けて後継者っぽく選挙を戦っている候補者というわかりやすい構図である。会社で新人のインターネット利用申請を出したら、部長から「部署が二つに分かれたからといって別々に出すな」というよくわからないおしかりを受けた。どうも「分かれても部署はひとつ」という信念を貫きたいらしく、一緒にできることは一緒にやれ、だから申請も新人は部署でまとめてやれということらしい。確かにわかりやすい話だけど、メールアカウントのパスワードを必要以上に知らしめるようなことはあまりよろしくないと向こうの担当者と話をしたのであるが、「仕事に使うねんからそんな秘密はいらん」とでも思っているのかそれとも何も考えてないかのどちらかであろう。忙しい仕事場なのでエロサイトに行ったりネットサーフィンやったり掲示板に書き込みするために他人を騙ってネットに繋ぐような姑息なやつはいないと思うのだが。戻る↑
    4月21日(月)「前年比20%の伸びの計算方法」
    春眠暁を覚えずとやらで、いくらでも寝れそうな勢いである。作業衣がクリーニング屋から上がってこないので不審に思い、別の部署のロッカーにいったら案の定そこにおかれていた。確かに時々うちの部署のロッカーに他の部署の人の作業衣がクリーニング屋から運び込まれたままになっているので逆の事態になることは十分考えられるのだが、とりあえずはめんどくさい。作業衣が汗臭くなりつつある季節なので、毎週交換することが必須となりつつあるこの時勢に交換品が無いというのは辛い。ゴールデンウイーク中のJRの切符の売り上げが芳しくないようで、去年より売り上げが伸びているのは「こまち」と「はやて」ぐらいなんだそうである、と昼飯を食いながら無駄な知識の収集に努めるが、去年のゴールデンウイークに「はやて」はこの世に存在しなかったからどのようにして売り上げが伸びたのか気になるところではある。こういうつまらぬ知識をひけらかしてつっこみを入れられまくるというのは典型的ないちびりなので、つっこまれる方もつっこみを入れる方もあまり楽しいものではないが、つっこみを入れなければならないときもあるから世の中は難しい。別に本日をもって某MLを脱退した人がいたからわざわざ書いたわけではないが。戻る↑
    4月20日)「唯一無二のマルチプルアーチダム」
    豊稔ダム朝目が覚めても相変わらず天気は思わしくない。天気が思わしくないので予定していた徳島愛媛高知県境は最寄りの車道から片道徒歩2時間という事であきらめ、香川徳島愛媛県境にだけ顔を出すことにした。こちらの方は最寄りの車道から歩いて15分ほどであり、近所にお遍路道もあることから割と楽勝で到達することに成功する。県境にはだいたいカントリーサインがあってわかりやすいものだが、3県境なのでカントリーサインの立て方も難しいし、そもそも山の中にある1点なのでせいぜいあるといえば三角点ぐらいである。ところで、お遍路さんのかっこをして車で88カ所を廻るというなんか不思議なことをしている人が多いのだが、本来なら歩いていくべきなんだろうけど、仏様も大師様もそんなケチな了見ではないだろうし、そんなに暇じゃないこのご時世であれば仕方がないのかも。そのあと豊稔池にある豊稔ダムを鑑賞する。大正末期に施工され、昭和初期にできたこのダムは日本初にして後に続くものがなかったという曰く付きのマルチプルアーチダムであり、その姿は中世ヨーロッパの城を彷彿とさせるというえらく無責任な説明書きの看板を見てダム活動に勤しむ。そのあと大野原にある風呂で汗を流し、再放送していたプロジェクトXを風呂上がりにゴロゴロしながら見て、讃岐うどんを食って四国をあとにする。玉野(宇野)で携帯を受け取り、車の中で携帯の使い方を覚えながら帰宅。最後に姫路から抜け出るところで大渋滞に捕まってしまい、えらく時間を食った以外はたいしたトラブルもなく、また3県境に行く理由もできたし実りの多い旅であった。戻る↑
    4月19日)「旅先での衝動的機種変」
    今週末も当然のごとく出かける。今週は四国にある3県境(香川愛媛徳島&徳島愛媛高知)に行こうという友人の申し出に乗っかってみた。大阪で友人と待ち合わせ、一路岡山へ。玉野で入った電器屋にこちらの電器屋ではすでに売り切れてしまい幻の一品となっていたA5301Tが売られていたので、気がついたら機種変をしていた。但し、その電器屋は自分のところでロムを叩く事ができないそうで、「2時間ぐらい待っていただけないと、、、」などという舐めたことを抜かすが、携帯を2台持っている人間にとっては痛くも痒くもない問題で、預けるからあした取りに来たときはすぐに渡せるようにしといてくれと渡していざ海を渡る。海を渡ればすでに瀬戸は日暮れて夕凪小凪状態で山の上の3県境に行くにはすでに瀬戸際というかすでに無理という判断をせざるを得ない時間である。仕方がないので琴南にある温泉でまったりし、阿波池田でガソリン入れて早明浦まで車を急がせ、早明浦の道の駅でテント張って宴会して寝る。本日の軌跡は友人の買ったばかりのGPSアンテナがすべて記憶してくれたようで、思ったより使えると友人はご満悦であった。戻る↑
    4月18日(金)「許容量と閾値」
    夕刻、「ああ、今週も無事終わった」と黄昏れていたら、「新人つれてのみに行こう」という至ってわかりやすい発想が出てきたのでそれにほいほいと乗じ、終業時刻になるとそそくさと片づけて飲みに出かける。普通に飲みはじめ、淡々とペースが落ちることなく飲み続けるが顔色が変わらないというなかなか将来が楽しみな新人を交えていろいろと話をして時間が過ぎてゆく。後日になって判ることだけど、新人は顔に出ないけど閾値を越えるといきなり気分が悪くなってダウンするそうで、翌日は持ち越しでぎぼぢわるい一日を過ごしたそうである。相手がどれだけ飲めるかについて判断する乗って結構難しいと思ってしまったりするが、飲める量が判ったので今度から気にすることが減ってそれはそれで良いことである。帰宅したらやはり疲れがたまっていたようで即刻バタンキュウとなる。戻る↑
    4月17日(木)「献血と藤原紀香」
    本日は会社で献血なぞをしてみる。といっても献血のバスがやってきて昼休みに「血がたらんのでどうかよろしく」とお願いして牛乳とバーター取引するとか、看護婦の服装をしているおねえちゃんが「ねえ一本抜いていかない?」と言葉巧みに誘いかけたりとか、電気街の入り口にある寂しげな雑居ビルの入り口近辺で「暇ですか?どうです、献血しませんか?」と訳のわからない呼び込みをするおっさんがいるわけではない。職業柄「イキのいい血が必要になった」からそれに応じたまでである。さすがに血を抜く場所は近所の病院なのだが、本職の看護婦のくせに必要以上に勢いをつけて血を抜くので血球がつぶれやしないかと余計な心配をしてしまい、いささかげんなりする。本日はいろいろと理由があってやる気が起こらず、割とそそくさと仕事をたたんで帰宅する。本日もアート引越センターのドラマを見るのだが、僕の「にいさんへ100の質問」の問60で書いた「ナイスバディで肝っ玉母さん」という答えに藤原紀香が該当するが、決して念頭に置いていたわけではない、と言い訳をしてみる。とりあえずは今週も損して得取れという精神がにじみ出ているようで、大阪というものをそれなりに小気味よく描いているが、大阪にもさすがにここまでノリの良すぎる人はいないような気がしないでもない。戻る↑
    4月16日(水)「部屋の整理」
    久しぶりに部屋の整理なぞをしてみる。この前まで溢れかえっていたCDを整理しただけなのであるが、整理してみて初めて行方不明になっているCDがあることに気がついたりするのであるから、たまに片づけることは重要である。CDが300枚近くあるので一部をヘビーローテーションして3ヶ月ごとに交代するというアイスホッケーのような事をするが、今回のヘビーローテーションにノミネートされたCDはいずれも劣らずすごいので我ながら音楽の趣味が理解できないし、必要以上に枚数があることも改めて実感する。ついでに日本の街道と鉄道の旅も整理して思ったより簡単にきれいになったので少し感動する。そういえば今日から新人が配属されたのである。当分新人と絡む仕事はないであろうから特に問題はないだろうけどどうなることやら。戻る↑
    4月15日(火)「ジャイアニズム」
    本日で新人の研修は終わりである。今日は部署に新人を連れて来るという担当であったので、研修室まで迎えに行き、部署に戻る途中に「挨拶のあと、なんかおもろい事言うてね」と言ったのがよくなかったようで、挨拶に立った一人目がネタをひねり出す能力に欠けていたようで普通に挨拶するのが精一杯で、あとはそれに倣えとなってしまいいつもであればもう少し粘りが見える挨拶が爽やかに過ぎてしまい、必要以上につまらないプレッシャーをかけてしまったようであると少し反省するが、それぐらいのプレッシャーぐらいには打ち勝って欲しいのにと勝手なことも考えたりする。本日は帰宅して久しぶりにプロジェクトXを見る。本日はOSを巡るアメリカと日本の闘いということで「大きいことは良いことだ」という某マイクロソフトと「小さいことからこつこつと」と小さいものに命を籠める日本人との対比が見えているようで、所詮コンピュータといえどもやはりそういう方向性が感じ取れるのは偏った見方過ぎるのかも。公開しているOSは激しく進歩するというごく当たり前の結論が導かれているに過ぎないのにもかかわらず、当事者のおっさんどもはこぞって涙腺が緩いようである。それよりも問題となるであろう事は、スーパー301条というアメリカの自主的な判断により超越的な関税をかけて国内の産業を守ろうとするというどこの国でもやってることが、アメリカでやるとインパクトでかすぎるぜセニョールということであり、自国の産業を守るためにはなりふり構わないという態度は弱者のみが使って良いという不思議な論理がまかり通っているというのはなんか微妙である。だからといってジャイアニズムを貫くアメリカを褒めるつもりは毛頭無いし、いつもながら自分勝手なガキ大将に世界は困惑しているのである。戻る↑
    4月14日(月)「携帯が戻ってきたりする」
    週末が充実すると、週明けは爽やかなものである。先週の旅行は財布に3千円しかなかったのに何とか乗り切れたが、そのせいで財布には劇的にお金が無く、昼飯代はおろかジュース一本買えないぐらいの危機的状況である。財布の中身が爽やかすぎるのは確かに考え物であるが、案外お金を持ち歩かなくても無いなら無いで何とかなるものである。むしろ買うことができないから無駄な出費が無くて良いのかも知れないという勝手なことも言ってみたりする。携帯が修理から帰ってきたというので残業もそこそこに帰宅の途につき、携帯屋に回収に行く。今回も保証期間内ということで無料であった。保証期間は1年であり、すでに1年経っているがこの前の修理から半年経っていないので今回も保証期間内であるということらしい。携帯の修理に金がかからなくてラッキーだという意見はあるが、そもそも1年で2回も修理に出さなければならないという携帯そのものに問題があるという風に判断する方がもっともではないかという風に思えるのであるが。戻る↑
    4月13日)「塩屋埼またもや」
    柄にもなく早起きをし、いざ塩屋埼を目指す。いわき市というこの3月までは日本で一番大きい市であったが静岡に抜かれたけどだだっ広さは変わらないと言うところにある灯台はいわき市に入ってから50キロも先にあるというのであるからいささかげんなりする。しかしながら塩屋埼に近づけば嫌でも心が高鳴るのである。本日はなかなかの天気であるからそんな門前払いは食わないであろうと計算していたのだが、灯台の手前1キロあたりから不穏な霧が大発生し、それも爽やかな霧ではなくてこってりとした濃霧である。灯台の駐車場に車を止めたそんな我々を待ち受けていたものは規則正しく奏でられる霧信号と「本日は参観できません」といういつぞやも目撃した我々に立ちはだかる看板であった。冷静に考えれば灯台の参観を一般人に許可しているのは灯台が仕事をしていないで暇だからであり、灯台が本来の職務に邁進する必要に迫られた天候であれば追い出されるのは当然なのである。灯台に登ったときにいつも天気が良いというのは運が強いわけでもなんでもないということを今更ながら実感する。打ち拉がれながらも再び来ることを決心して飯にする。「ずっとあなたが好きだった」で佐野史郎扮する冬彦さんが愛用していた木馬がおかれているイタリアンレストランだけどラーメンも作っている、という訳のわからない店でラーメン食って、そのあとは眠いだるいかったるい国道6号を亘理まで走り、亘理で温泉に入って空港に戻る。レンタカーを返して空港で一杯やったあと飛行機伊丹に戻り、伊丹でまたもや一杯やって帰宅。課題を山ほど残してまた来週以降も出かけるのである。戻る↑
    4月12日)「こんなレベルじゃトラブルとは呼べない」
    今週末も伊丹に向かう。灯台巡り強化月間と言うことで今週末はいわきにある塩屋埼が目的地である。塩屋埼は前回雨風が強くみだれ髪が寂しく鳴り響くばかりであったので今度こそという気合いが必要以上にはいる。伊丹で朝飯をかっくらいながら友人と待ち合わせし、いざ仙台へ。最寄りの空港は福島じゃないのかという細かいつっこみも受けるけど気にしないで仙台へと飛び立つ。空港でレンタカーを早速ゲットしいざ灯台へというのが筋であるが、天候がよろしくないのでお楽しみは明日にというかまたもや天候不順に付き本日は参観できませんと言われた日には目も当てられないのである。大人しく鍋越峠を越えて大石田でそばでも食べようとしたが東北の冬はまだ終わりを告げていなかったようで県境付近は雪で冬季通行止めである。関西のヤワな冬季通行止めではなくてゲートがぴったり閉じられているのであるから手も足も出ない。大人しく岩出山から鳴子経由で中山峠を越えかなり回り道をして大石田へたどり着くが、目的のそば屋が見あたらなく大石田を右往左往してようやく見つけたらそばが売り切れていたようでかなりげんなり。仕方がないのでその近所のそば屋に入って板そばとゲソ天をいただくがきわめて美味なのでご満悦。そのあと河北のひなの湯でまったりと温泉に入り福島に向かう。福島で今夜の宿を探そうとしたが見つからなく電話をかけまくってようやく駅前の宿を確保し、夜の街へと繰り出す。ひとしきり酔っぱらってホテルの部屋で布団もかぶらずに爆睡してしまい夜中に目が覚めるというお約束までやってしまう。いつもながら進歩がない。戻る↑
    4月11日(金)「綿パンが戻ってきた」
    ようやく週末である。先週末の顛末の残務処理ということで本日イカスミにまみれたズボンが無事戻ってきた。遠足のキャッチフレーズではないが「来たときよりも美しく」なって戻ってきたようである。おまけに木の葉パンと濡れ煎餅とカツオの佃煮まで入っていたりする。よくよく気にしていたのであろう。こっちとしてはそんな土産物攻勢よりも「お食事割引券」の方が有難いのであるが、一般人にとっては京都から銚子に行ってうまい魚を食べるというのは早々あることではなく、割引券を同封した日には「おまえはこの俺に店にまた来いというんかい?」と思ってしまうのであろう。少なくとも僕は「また行く口実ができた」と喜ぶんだが、どうも一般的にそういう認識は得られていないようである。戻る↑
    4月10日(木)「安定したガテン系美女」
    会社の文書管理システムがどうも融通が利かないというか、今ひとつこなれていないのでトラブルが絶えない。典型的な大阪の中小企業のノリであるうちの会社は、トラブルを起こしたら文書管理責任者が「次ヘマこいたら、アカウント取り上げるぞ」と脅すというのが日常的光景であるが、本日沸き上がったトラブルは文書管理責任者もミスをやらかしたので「ちょっとツラ貸せや」と呼び出した割にはテンション低く「どないしたもんかのう」と頭を抱えているようである。結論としては文書管理システムも悪いと言うことに落ち着いたようで痛み分けと言うことらしい。議論した割には実りがないまま帰宅して、本日より始まるアート引越センターのドラマを見ることにする。とりあえず藤原紀香は安定したガテン系美女であるということがよくわかった。藤原紀香を見て「久しぶりに安心してみていられる美人が出てきたなあ」と言っていた奴がいたが、なんとなく納得できるところである。江波杏子が昔から変わっていないのはある意味恐ろしいし、それよりもあまり気がついてないだろうけど、オープニングとエンディングに出てくる摩訶不思議なケンミンの焼きビーフンを彷彿とさせる絵の作者は仁絵であることのほうが驚きに値するのである。戻る↑
    4月9日(水)「携帯は結局修理」
    本日も新人研修である。本日来る新人君達はうちの部署配属予定ということなのでそれなりに指導に熱が入っていそうであるが、本日は担当ではないので自分の仕事をせっせこやる。昼休みに友人が「今年の新人はレベルが高いねえ、女の子の」という発言をしたのだけど何と比べてどうレベルが高いのかということでひとしきり盛り上がる。本日は定時ダッシュを決めて携帯を機種変更に行く。しかしながらお目当ての機種は「生産中止」「在庫切れ」ということで手に入らない。仕方がないので音が出ない携帯を修理に出すことにした。携帯の音が出ないというのはこれで2回目である。去年12月10日に修理に出してまた壊れているのだから困ったものである。よく壊れる機種なのかと問いただせば「そんなことはないです」といわれたがどんなもんなんだか。帰り道CDでも買って帰ろうとしたら某音楽会社が出しているCDみたいな何かが売られていた。個人が楽しむという目的でmp3を作成することを許さないということのみならず、通常のCDドライブでも絶対確実に再生できるとは限らないし、そのCDもどきの所為でCDドライブが壊れたとしても責任を取ってくれないというアメリカだったら絶対訴訟になて会社がつぶれそうな怪しいというかせこい了見のメディアが売られていた。まあ滅多なことはおこらんであろうということでそれを持ってレジに向かったが、あいにく持ち合わせが無くカードで買おうとしたら「カードは使えないです」といわれてすごすごと帰宅。戻る↑
    4月8日(火)「新人教育」
    本日から新人が「研修」ということでぼちぼち部署巡りを始めた。今日は担当を頼まれていたので右も左も判ってなさそうな新人に適当に仕事を手伝ってもらうが、仕事の内容を理解していなくてしかもミスしまくりだろうから結構な仕事を頼むわけにはいかない。正式にうちに配属になったのであれば、将来の戦力ということで教育が必要であろうからミスも容認せねばならないが、そんなわけでもないからどうでもいい仕事しか頼まないし、頼んだ仕事もなんか全然できていなかったのでそんなもんなんだなあと納得すると同時に、去年の僕はそんなにいけてなかったのかと思ってしまったりもするが。いつものごとく「いや、もう少しましやった筈や」と根拠もないのに自分を高く評価していたりするのはいつものこと。一般計量士試験の正解が経済産業省のページで公開されているというのでやる気無く自己採点なぞをしてみる。どの教科も足切りになるほど悪い点ではないし、合計は6割以上だし、ひょっとしてこれは合格したのかという予想もしない事態にたじろぐ。会社の仕事の息抜きに「出張」で講習会に参加させてもらっただけで他は全く勉強していないというのにこんな事態になるとは、自分の運をこんなところで使い果たしてしまったようでなんだかこれから先悪いことが起こりそうで気になって仕方がない。戻る↑
    4月7日(月)「ロングランな会議」
    最近、携帯の呼び出し音が鳴らなくなってきた。どうやら去年と同じ兆候を見せているようである。携帯の寿命は不思議と1年あたりで落ち着きを見せているが、これは1年経てば次の機種に変更するモチベーションが高まるほど技術革新が進むことと、だいたいその辺でどっかが故障するということが重なって判断されるものである。近日機種変ということでそれなりに算段をしておく。夕方から担当者会議という美名の元で四極テレビ会議などという瀟洒なものが執り行われ、なぜか末席を汚すかのように出席。テレビの向こうに資料は送ってあるはずなのにその資料を持ってきていないとか準備がよろしくない事態がいろいろとあり、五時から始まった会議は八時半まで延々と続く。五時から会議が始まるということに何か素朴な疑問が沸き上がるのであるが、それをいては元も子もないので黙っておくか。帰宅したら、契約しているプロバイダのサーバが不調ということでチャットもできないまま夜を過ごす。戻る↑
    4月6日)「イカスミ」
    犬吠埼灯台本日は昨日の悪天候がまるで嘘のように快晴である。しかしながら、昨日の目標八時起床などという口約束は深酒の前ではきわめて無力で、お約束されていたかのように寝坊する。そんなこんなでつくばから一路犬吠埼を目指す。千葉島に再度上陸し、利根川沿いに快適なドライブをたしなみ銚子には順調に到着。銚子に来たからにはうまい魚でも食おうということで、まん中に生け簀があるという店でうまい魚に舌鼓を打つ。お値段がそれなりに割高であったので最初は不満が多少あったのだが、実は予想していたよりも遙かに大量の魚介類がこれでもかこれでもかと運ばれてきたのでボリュームと味に対する値段の位置づけとしてはむしろ安いと判断できるような店であった。ちなみに生け簀からあげたばかりのイカが墨を吐き、イカスミが僕のズボンに豪快に掛かったので店員が「大丈夫ですか?」とえらく恐縮していたが、どう考えても大丈夫ではないので寝間着用に持ってきたスエットに着替えて汚れたズボンは洗濯して後日送ってもらうことにした。店としてはゴル活されても仕方ないシチュエーションだったので、こちらが頼みもしていないのに濡れ煎餅とかヒゲタ醤油とかを無料でおみやげとして振る舞ってくれたりするから、僕としてはイカ様々である。そのあと犬吠埼に向かい景色を満喫していたら友人達が13枚綴りの灯台チケットを買ってしまい、13枚綴り洗脳布教活動に一抹の罪悪感を感じてしまう。そのあと成田空港まで送ってもらい友人は帰宅。僕は空港で散髪をするという第2の目的を果たすべく空港内の第2ターミナルにある散髪屋に向かい、いつも通りのかなりアバウトな注文だけして後は任せっきりにする。散髪屋との会話で実は第1ターミナルにも散髪屋があることが判ったので、あとは新千歳だけだと思っていたのにひとつ増えたので少しがっかりするが、また成田に来る用事ができたと喜んでしまう。ちなみに昨日成田に着いたときに実感した「海外に行くための空港」というスタンスは伊丹や羽田ではずらっと並んでいる自動チェックインマシーンが1台おざなりに置かれているだけということからも伺える。いつもの通り呼び出されるまで搭乗口に進まずに係員先導という迷惑な客ぶりを発揮し、搭乗口からバスに乗って地面から直接乗るという久しぶりの体験をして帰宅。充実した週末であった。戻る↑
    4月5日)「間違った成田空港の使い方」
    朝起きて一路伊丹空港を目指す。このところ灯台巡りがヘビーローテーションで予定されており、先週の潮岬に引き続き今週は犬吠埼である。伊丹から成田まで飛行機利用したのだが、成田に行く客は99%以上が「海外に行く」という目的を持っており、間違っても「犬吠埼に行くのに羽田よりも近いから」という理由で利用されるような空港ではないらしい。国際空港特有の暗い照明の中、待ち合わせしていた友人と合流し、天候が芳しくないので急遽本日の目的地を宇都宮に変更して一路北へと向かう。つくばにある友人宅でいったん荷物を下ろし、宇都宮までは割とのんびりと進む。宇都宮駅の餃子像を写真に納め、正嗣で餃子食ってそのあとはろまんちっく村というかなり設備投資はしたものの回収がおぼつく筈もなさそうな公共施設に行き、温泉でまったりする。帰りは宇都宮から館林まで東北道を利用して館林からつくばまでは一般国道354号で移動。帰宅して、持ってきた本日の宿代こと呉春の1升瓶は宴会が始まると瞬く間に蒸発し、いい加減眠くなってきたので寝る。明日は良い天気らしいので8時起きで一路犬吠埼を目指すということにしてみたりするが果たしてどうなることやら。戻る↑
    4月4日(金)「中森明菜の歌唱力」
    アレルギーの方はとりあえず小康状態に落ち着いたが充血はしたままである。本日も引っ越しの余韻で共用パソコンとかプリンタの移動を行う。なんかその手の作業をしているうちに一日が過ぎてしまい、適当に残務処理をして帰宅。帰宅して明日の準備を中森明菜なんぞを明日の予習と称して聞きながら行うが、中森明菜って思ったよりも歌がうまくないことが今になってよくわかった。「北ウィング」はある意味最適解の曲であり、この曲をして「中森明菜は歌がうまい」とは言えないんである。「駅」「瑠璃色の地球」なんぞは聞いていてかなりストレスのたまる代物であるからカバーはやめてもらいたい。雰囲気は思いっきり変わるが和田アキ子あたりに歌ってもらいたい曲である。戻る↑
    4月3日(木)「マイナーなアレルギー」
    本日は上司が思い立ったのであろうか、急遽「上のフロアに部署ごと引っ越す」と言い出したので朝から片づけたり荷物運んだりで疲れる。引っ越し自体はさっさと済んだのであるが、ついでにといってやり始めた資料の整理の方が遙かに大変で、いっこうに終わる気配がない。昼飯を食らいながら「午後も片づけか」と考えたが、午後からは他の部署の人から頼まれていた仕事があったので、その仕事に出かける。そのせいで久しぶりに珍しいアレルギーを引き起こしてしまい、目が真っ赤で痒くてしようがなくなる。花粉症と違い、その辺にアレルゲンが飛び散っているわけではないので目を洗って冷やしていたら少しはましになった。まあ、これも職業病なんだろうけど、これでアレルギーが出るようなら、もうこの頼まれた仕事はできないのかもしれない。会社に入ってからこの仕事をすることはないからいままで問題はなかったけど、配属が変わってこの仕事をやらされるということになったらえらいことである。戻る↑
    4月2日(水)「詫びを入れる全日空」
    通勤の電車はいつも座れるというきわめてうらやましい環境に住んでいるのだが、本日は反対方向行きの電車が混雑していた。どうやら並走しているJRが人身事故をやらかしたようで、振り替え輸送ということでごった返していたらしい。春先は人身事故が多いという話を聞くが、とばっちりを食らうのはたまらない話である。さくらはそろそろ見頃であるようで、夜な夜な怪しい歓声を上げる人が増えているし、季節の変わり目に電波な人が増えるのは仕方がないことなのかも。そういえば桜の花から分泌するなにやら怪しい化学物質が人を狂わせるというまことしやかな都市伝説を聞いたのであるが、その謎の化学物質が人を花見へ誘い、電波な人を増やしているんだそうである。まことしやかすぎてとでもじゃないが信じられない話である。ところで地方議会の選挙が始まったようで、近所の急ごしらえの選挙事務所は選挙カーの準備に抜かりがないようである。4年に一度のお祭りなので、近所のじいさんがタダ酒をかっ食らいに出向くのであろうが、朝から晩までうるさい声でがなり立て、駅前ではビラ配ったり握手されたりで何か恩恵を受けることもないだろうにある意味迷惑。帰宅したら、全日空から「この度は予約チェックシステムの不備で皆様にはご迷惑をおかけしました」という手紙が届いていた。どうやら3月21,22にあったトラブルに対するお詫びらしいが、3月1日のトラブルの方が迷惑を受けた人数は多いのに、「あれは我々の責任ではないですから」というスタンスなのであろうか、それについては詫びを出さないとはある意味すごい話だ。戻る↑
    4月1日(火)「新入社員」
    本日から新年度になる。新入社員が入社式なんぞをやっているらしいが、経費削減の折、去年までの福井での研修ではなく、ここでの研修とあって朝の電車にはそうと判る着慣れないスーツ姿のぬるそうな若者が大量に乗っている。しかし朝からミーティングの嵐で昼になり、昼からもミーティングして半年に一度の上司との面接を済ませたら定時ということになり、なんだかよくわからないまま帰ることにした。思えば同期の大卒者との間に激しいジェネレーションギャップを感じたのは去年の今頃であった。しかし新入社員で僕と同じ日に入社試験を受けたというよくわからない奴もいるのだが、それは奨学金が欲しい奴が受けた試験に無理矢理僕がねじ込まれて就職試験としてその試験を受けたからだという経緯があるので、よくわからないのは僕の方であるという指摘もあるが、まあそれはそれでよかろう。戻る↑