2003年3月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 3月31日(月)「年度末にして普通の日」
  • 3月30日)「パルナス」
  • 3月29日)「樫野埼と潮岬」
  • 3月28日(金)「トリック」
  • 3月27日(木)「戦争とGender」
  • 3月26日(水)「組織変革」
  • 3月25日(火)「一難去ってまた一難去る」
  • 3月24日(月)「自分のパソコンようやく入手」
  • 3月23日)「絶景足摺岬」
  • 3月22日)「足摺宇和海国立公園」
  • 3月21日(金)「731日ぶりの高知県到着」
  • 3月20日(木)「今でも遠い半島の国であの戦争は続くから」
  • 3月19日(水)「カウンター回転して1年」
  • 3月18日(火)「平和な日本の一コマ」
  • 3月17日(月)「日本でテロは起こらない」
  • 3月16日)「本日は滑らない」
  • 3月15日)「舞子後楽園スキー場」
  • 3月14日(金)「コンビニの店員」
  • 3月13日(木)「会社は誰のものか」
  • 3月12日(水)「また消えてゆく同期」
  • 3月11日(火)「土地を巡る優雅な争い」
  • 3月10日(月)「無駄な知識のオンパレード」
  • 3月9日)「何を買えばよいのやら」
  • 3月8日)「行きも帰りもえらいことに」
  • 3月7日(金)「店を引き当てる能力」
  • 3月6日(木)「国民の義務」
  • 3月5日(水)「低売価販売」
  • 3月4日(火)「寒の戻り」
  • 3月3日(月)「無料配布で思い出すもの」
  • 3月2日)「参加することに意義があるイベント」
  • 3月1日)「手塚治虫と川尻徹」


  • 今月の日記
    3月31日(月)「年度末にして普通の日」
    本日で今年度も終わりである。激動の1年であったが、終わってみればあっけないものである。明日になれば妙に樟脳臭い着慣れないスーツを着た新入社員がやってくるのである。ということで、今日を以て「新人」という称号は剥奪されるのであるが、まあそんなものであろうという気がしないでもない。会社では本日新製品の商品名が決まり、いつもながらネーミングセンスのかけらもないつまらん名前が付けられていた。この新製品が発売の運びとなり、臨時ボーナスでも出ればいいのだがということ以外にあまり期待することもないまま本日も終わる。大学の教授が退官ということなので、新しい教授との顔合わせが今日あったらしく、後輩に電話で聞いてみると、「これまでのぬるい雰囲気とはがらりとかわってしまいそうだ」ということであった。教授もいなくなったのでは研究室に遊びに来にくくなるなあ。戻る↑
    3月30日)「パルナス」
    関西以外に住む人にとって「パルナス」とは凡そ謎にして理解不能の名称である。しかしながら、関西人にとっては耳について離れないCMソングとしては奈良健康ランドと双璧を成すといっても過言ではないというか奈良健康ランドを持ち上げすぎである。本日はパルナス展が加西で開かれているという情報を入手したので朝からいそいそと出かける。パルナスとはロシ「ヤ」菓子のチェーン店であり、創始者が加西出身という縁でこのイベントが行われたのである。ちなみにこのイベントの実行委員長はパルナスマニアのおっさんであり、このような非公式のページを作成していることからも漢を感じさせるものがあるが、いたって普通のおっさんで今は遠く離れた神奈川で余生を送っているそうである。しかし、実行委員長に担ぎ上げられて毎月会合のために加西まで来るという行動力にはやはりただならぬものを感じさせるのである。パルナスはCMソングが秀逸であったため、この日のイベントでも目の前で男声合唱団とか地元の児童合唱団が目の前で熱唱してくれるというマニアにはたまらないものがあり、わざわざ加西くんだりまで出てみた甲斐があったというものである。そのあとは高速道路新規開通区間の播磨道を播磨新宮から竜野まで乗り、うだうだして渋滞に巻き込まれながら帰宅。ちなみに現在パルナスは廃業してしまい、どこに行っても今となっては菓子もなければ歌を聴くこともできず、関西人の記憶の中に留められたまま何も無かったかのように終わりを告げてゆくのである。戻る↑
    3月29日)「樫野埼と潮岬」
    樫野埼灯台本日は早朝より潮岬を目指す。本州の最南端にあり、13ある内部の見学が可能な灯台の内のひとつである潮岬灯台があるというのでこれは外せないポイントである。京都南から名神に乗り、近畿道、阪和道、海南湯浅を乗り継いで吉備まで行く。あとで知ったことであるが、近畿道の八尾あたりで通過したあとで車両十数台が関係する玉突き事故があったそうで、早く出発してよかったなあとつくづく感じる。吉備からは龍神、中辺路、富田を経由し、富田からは海岸線沿いに串本まで。先にくしもと大橋を使って大島に渡り、樫野埼灯台を目指す。樫野埼は大昔にオスマントルコの軍艦が座礁したということで、トルコ記念館とかトルコ土産店とかトルコ人の作業工房の直販場とか一面トルコづくしである。樫野埼灯台は中に立ち入ることはできないが景色を眺めることは可能であり、こじんまりした良い感じの灯台で天候がよいことも手伝ってか景色は最高である。そのあと潮岬灯台に行くが、駐車場は金を取るし、妙に観光客は多いしということでなんか純粋に楽しめなかったりする。しかしながら駐車場のおっさんは最初渡した駐車料金を「おつりがない」という理由で受け取らないし、帰るときも取りに来ないのでそのまま金を払わずに出ることになった。そのあとは新宮、本宮、中辺路、龍神と経由し、龍神で温泉に入って高野龍神スカイラインを利用して橋本からは一般国道24号で帰宅する。龍神の温泉はさすがに日本三美人の湯というだけあってすばらしいし、高野龍神スカイラインも料金所に係員がいなかったので無料通過ができたし、五條の「好楽」で食べたカレーラーメンもうまく、充実した一日であった。ちなみに晩飯を食べている最中に友人から電話がかかり、急遽明日加西まで「パルナス展」を見に行くことが決まってしまった。戻る↑
    3月28日(金)「トリック」
    今更ながらであるが、「トリック」なんかを読んでみる。話のテンポはよく、これを良い感じで演じてみれば確かに楽しい映画になることは判る。仲間由紀恵と阿部寛の取り合わせならば確かに判らなくもないキャスティングであるが、仲間由紀恵が醸し出す雰囲気は良いとしても台詞が妙にぎこちなく見えるのは致し方ないものか。「ごくせん」の総集編を見たときにもその手の違和感があるのだが、雰囲気は良いのに、なんか演技がぎこちないのである。個人的には「幸が薄そう」「貧乳」というのはポイントが高いので、惜しいというか何というか。戻る↑
    3月27日(木)「戦争とGender」
    イラクくんだりまで戦争をやらかしにいっている米軍の中に19歳の女性兵士がいて、作戦のミスかそれとも尊い捨て駒かあるいはトロかったのかは定かではないが、とっ捕まって捕虜にされたんだそうである。野郎兵士がとっ捕まったのとは違い、必要以上に派手に書き立てるのは敵がイスラム教徒の国で女性の社会進出が進んでいないこともあるだろうが、それにしても「美人兵士」と書くのはやりすぎである。女性の場合とりあえず接頭語として「美人」をつけるのはワイドショーの手法としては使い古されており、その言葉がおっさんどもの心を引きつけるというのもこれまた事実である。しかしながら、兵士というのは軍隊の中の有機的な一部分であるに過ぎず、各兵士のプロパティを詳細に吟味することは非効率にして統一性が取れないため、やることは無駄である。アメリカの市民は女性兵士が捕虜になっていたというニュースを聞いて「イラク憎し」と思うのではなく「戦争ってむごいよね」と萎えてしまうんだそうな。どこの国でも割とつまらん幼稚な思想が幅をきかせているのでなんか一安心したりする。戻る↑
    3月26日(水)「組織変革」
    昼にいきなり部署全員が集められ、会社の機構改革について聞く。昨日の話の続きというか、昨日は身近な話題だけで、本日は会社全体の流れの説明であったらしいが、要するになんだかいけてない名前に変わる部署があるとか、他の部署のトップが閑職に追いやられるとかいう至って普通の人事異動であるが、居場所も仕事の内容も変わらないけれど肩書きが変わるということだけは確かなようである。会社を挙げての変革であったらしく、辞令が恐ろしいまでに飛び交うのは確かであるが、その中で同期が一人このやくざな稼業から足を洗い一般人ぽい仕事をしている部署に移ったようである。そんなことを会社のイントラネットで見ながら本日は文書管理システムの教育訓練をやっていたが、眠い難しい指導者も判っていないという三重苦のもとで2時間ばかり奮闘して訓練は終了。これで大手を振ってそのシステムを使って良いらしいけど、しばらくは「これはどうやって操作するの?」という質問だらけだろうなあと思えるぐらいなんかシステムは難しかった。戻る↑
    3月25日(火)「一難去ってまた一難去る」
    随分と前から本日のミーティングでは、上司の上司に「話があるから雁首並べとけ」と宣言されていたので、「すわ異動か」というおっかなびっくりでご拝聴させていただく。話の内容は危惧していたことではなく、「部署が二つに分かれたから、疎遠になって仕事に支障が出てきたように思えるから連絡はきっちり」というありきたりの話と他数点。至って嬉しい意味で拍子抜けだったのでほっとする。しかしながら夕方になって隣のグループがまるまる別部署へ異動という電撃的な発表もあり、いよいよ僕の所属するグループの先行きも怪しいものになりつつあると感じてしまった。そんなこんなで萎え萎えになり適当に仕事を切り上げて帰宅。5日分ぐらいの日記を書いて時間を過ごす。思えば去年の夏は仕事が忙しすぎて1週間ぐらい日記をためていたこともあったなあと、忙しいときは日記がたまるという妙な法則に今更ながら気がつく。戻る↑
    3月24日(月)「自分のパソコンようやく入手」
    会社に行くと、パソコンが部署に届いていた。上司から、「うえだ、仕事でいるソフトインストールして使え」と言われたので、ようやく仕事で使う自分のパソコンが手に入りほっとする。思えば入社早々に「仕事に必要だから早速手配した」と言われてから随分とかかったものだ。自分用のパソコンはA4判サイズでかなり重たく、「卓上パソコン」と呼ぶには差し支えないが「モバイル」といわれた日には暴れたくなる代物である。入っているOSがXPということもあるのであろうが、LANの認識がいちいち遅いとかWordの保存が妙に遅いとか気になることはいろいろあるけど、とりあえずは自分のパソコンであるということでこちょこちょといじくり回す。おかげであまり仕事がはかどらなかったという意見もあるが、それは聞かないことにする。戻る↑
    3月23日)「絶景足摺岬」
    土佐大正駅朝起きて一路足摺岬を目指す。地図には足摺岬を東海岸から回る道が記されているが、これは典型的なお遍路さんの道であり、車が通るべき道ではないと思い知らされる。足摺岬で景色を堪能し、見学のできない灯台を外から眺めるだけで我慢して、またもや中村へ。駅前のコンビニで休憩し、一路須崎まで車を走らせる。本来であればうまいカツオを土佐清水あたりで食べたいところなのであるが、そこまでゆっくりしていると帰りの飛行機に間に合いそうもないので、須崎まで来て少し早い昼飯でカツオを食べて満足。そのあと東津野、大正を経由して再び須崎まで戻り、そこからは高速で空港まで。空港で車を返すときにメーターを見たら1500kmほど走っていることに気が付いた。おまけにどう考えてもマーチらしくない車の走らせ方をしていたし、車の中で寝るし、と考えればかなり割安なレンタカー代であったような気がする。飛行機が出るまで暇なのでビールを飲んで満足し、本割りでさっさと勝負がついた相撲を見たりして、これまた呼び出しを食らうまで搭乗しないというパターンで飛行機に乗り、関空からは無駄に駅にとまるようになったラピートαで天下茶屋まで。そこから地下鉄と阪急を乗り継いで帰宅。3日間大変充実した旅行であった。たまには一人旅も良いものだ。ちなみに淡路駅でぼけて北千里行きの電車に乗ってしまい、下新庄でダッシュして向かいのホームの電車に乗って淡路まで引き返し事なきを得たりするのだが、それはまあそれで良いことだ。帰宅してGood Luckの最終回見て寝る。戻る↑
    3月22日)「足摺宇和海国立公園」
    法花津峠朝道の駅で目が覚めると激しく雨が降っている。道の駅の裏にJRの駅があり、そこには温泉があるというので昨日の晩寝る前に一風呂浴びるかと行ってみたがすでに閉まっていたし、朝10時からしか開かないというのでとりあえずは中村を目指す。途中江川崎付近で四万十川に架かる沈下橋を見つけ、車で渡って記念撮影をしたりして中村に到着し、駅前のコンビニで朝飯を買って食べる。思えばこのコンビニはこのあと2度も利用するのだが、それはあとになって判ることである。中村から別のルートで松野に戻り、温泉に入って疲れを癒す。ちょうど高校野球がはじまったようで、休憩所には地元のおっさんが熱く野球談義をしていたりもするが、先を急ぐのでさっさと切り上げる。そのあと大洲経由で松山を目指すが、伊予あたりで車の流れが悪くなってきたのであきらめて引き返し大洲から宇和まで走っておそい昼飯。昼飯のあと、一般国道56号の法花津峠旧道にある展望台に行き、足摺宇和海国立公園の景色を満喫する。そのあと吉田から八幡浜までは一般国道378号を走って西の海に沈む夕日を見ながらひた走る。本日はそのあと宇和島から宿毛へと進むが、いったん中村まで中村宿毛道路を利用した後に朝立ち寄った中村のコンビニに立ち寄り、今晩の宴会の物資を買い込み、今度は下道で宿毛へ。そのあと海岸沿いにぐるっと土佐清水まで走り、道の駅で車を停めて車内で宴会して寝る。戻る↑
    3月21日(金)「731日ぶりの高知県到着」
    桂浜朝起きて一路伊丹空港に。3連休初日と戦争で空港のチェックが厳しくなったのが重なって、空港は必要以上に混雑していた。こんな混雑した空港に出発25分前について自動チェックイン機で搭乗券を入手し、手荷物を預けるときは地上職員に「あと17分で飛行機出ますねん」という殺し文句で列に割り込ませ、搭乗案内も呼び出されるまで乗らないというかなりの不良旅客ぶりを発揮。おまけに事前予約した席はB767-300の23Gという足が伸ばせてCAと向かい合わせ、という特等席だというから最近は随分と飛行機になれてきたようだ。更に水平飛行時間が15分しかないのにホットコーヒーもらうような事までしでかすのだから嫌な客なんだろうなあ。そんなこんなで高知に降り立ち、空港でレンタカーを借りて最初だけ観光モードで桂浜なんかには立ち寄るが、そこからは西四国を走りまくり、夜に宇和島に着いて宴会の物資を買い込み、そのあと松野にある道の駅まで行って車内で宴会して車中泊。初日だからこの辺で勘弁しといたろという感じであった。これで日記書いてから行ったことがない都道府県は北海道だけになった。高知県を訪れたのは実に731日ぶりである。ちょうど2年前になるのか。戻る↑
    3月20日(木)「今でも遠い半島の国であの戦争は続くから」
    朝駅に着く直前に電車が来たので、久しぶりにダッシュをしてぎりぎり電車に間に合う。そういえば近くに洛西口駅ができたので、そのせいでダイヤが少し変わったのかも知れない。会社は午前中会議でつぶれ、午後になってからもあまり仕事がはかどらないまま雑用に追われるが、本日をもって遠くに行くという同期が挨拶にやってきた。これまで何人か同期が挨拶しては旅立っていったのだが、今日は初めて記念撮影をしてしまった。なんだかよくわからないけど、まさか会社で写真を撮ることになるとは思いもよらなかった。思うところがあってのことだと思うが。かくも平穏無事に時は過ぎているというのに、戦争がついに始まったのである。世の中を理解していないせいかもしれないが、いまだにアメリカが戦争をやらかす正当な理由というのが判らない。戦争を始めるのに正当な理由なぞ無いという話はさておくとしても。戻る↑
    3月19日(水)「カウンター回転して1年」
    このページのカウンターがぐるぐる回り始めて1年が経った。順調に訪問者は増えているようである。これからもこの調子で増えていってもらいたいのであるが。昼飯を友人と食っていたら、友人は昨日恩師の退官記念パーティーに行っていたらしい。パーティーの会場は東京で、夜行バスで帰ってきたというかなり強行軍である。劇団員(女優)という肩書きであか抜けていなかった頃のケイコ先生を知っているというその友人は、昨日もケイコ先生にお会いしたそうで、まあそれで体がしんどくて眠いのは許してやるかといった感じであるそうな。なんでケイコ先生と会ったのかは書いてしまえば簡単なことなのだがめんどくさいので書かないでおこう。本日はいきなり身に覚えのない仕事を振られそうになり、うまいこと回避できたのだが、なんかガキが言いつけにいって事なきを得たかのようなうれしくない対応をしてしまったので個人的には納得がいかないところ。でもまあ、これ以外に回避する方法無いもんねえ。戻る↑
    3月18日(火)「平和な日本の一コマ」
    48時間以内に亡命しなさいと命令されて、「はい、しました」と返事するような従順な奴が一国の大統領の職を務めることなどできるはずがない。ちなみに48時間後というのは日本では朝の10時である。これはバグダットでは未明であり、アメリカではテレビのゴールデンタイムである。アメリカの絶妙な意志が感じ取れる絶妙の時間配置である。夕方から急遽飲み会になり、会社の近所でくだを巻く。飲み屋のおばちゃんが注文をよく間違えるといういけてない店であるが、まあそこまで期待するような店でもないから良いかという気がしないでもない店である。上司が仕事について熱く語るという至って普通の飲み会で、とりあえず説教を食らうがそれもまあよしといったところか。隣のテーブルには別の部署が陣取っていたのはおまけ話ということにしておこう。帰宅して気が付いたらベットの上で気絶していたのは仕方がないのかなあ。戻る↑
    3月17日(月)「日本でテロは起こらない」
    週末が充実していると月曜日は憂鬱だという話をよく聞くが、そういうのはいまだに該当しないし、サザエさんとか笑点を見てると、明日のことが思い出されてブルーになるということとも縁がない。本日は単純に足腰が痛いのと体の疲れが取りきれないというだけで何の不満もない。欲を言えばもうちょっと寝たいぐらいである。会社に行くとメールが来て「海外出張は当面禁止」だの「海外旅行は自粛しましょう」だのという文面がつらつら並ぶ。好きこのんで今の時期にいく奴の気が知れないという解釈はごもっともであるが、戦争をおっぱじめるはるかに前からこちとら海外脱出の計画を練ってるんだから戦争が俺の都合にあわせやがっただけじゃねえかという意見もありそうなもんである。しかしこの文面の裏に潜む真意は「日本は安全です」というあまり正しいとは思えない認識である。今回は直接手を下すわけではないけど、アメリカとかいうやくざな国に肩入れをしているのだから、それなりに報復をうけることは容易に想像がつきそうなものである。でもまあ、日本ではその手のテロが起こることは考えにくいのだが。テロ集団も強烈なメッセージを送りつける価値があるかどうか、そのへんを弁えているだろうから、「メッセージを送る価値も無いしょぼい国」とテロリストからも見捨てられていたりしたらかなり嫌だなあと思う今日この頃。戻る↑
    3月16日)「本日は滑らない」
    朝起きたら予想通り筋肉痛である。体の節々が痛いので、温泉に入って凝りをほぐす。温泉付きリゾートマンションとか言うなかなかリッチなところに泊まっているのだが、何でかよく判らないが、大浴場の洗い場の蛇口が生えている大理石みたいな何かの前にはテプラで「節水」とラベリングされているし、トイレの電気のスイッチには「節電」というテプラが張られている。建物はゴージャスなんだからもうちょっとなんか対処の仕様があろうものだが。そんなこんなで越後湯沢を後にして一路帰宅の途につく。しかしながらまっすぐ帰るわけがなく、まずは湯沢の「駒子の湯」でまったりと過ごす。「雪国」のロケ写真とか昔の上越線の写真とかを見て、時の流れに思いを馳せるが、本日の発見は菊川怜が上手に歳を取れば岸恵子になれるかも知れないということであった。その後は小出経由で柏崎に行き、上越でへぎそば食って一路帰宅の途に付くが、途中金沢で国道MLの友人宅に立ち寄り晩飯をごちそうになる。その後はひたすら家へと急ぎ、何とかその日中に到着。世間一般からいくと「わざわざ湯沢まで行ったのに一日しか滑らないなんてもったいない」ということも判るが、最近は体がえらくて一日滑ればおなか一杯であることと、そこまで遠出したのだから、その辺を走り回らないといけないという妙な義務感が偏在しているのかも知れない。しかし、雪をかぶった山並みが右にも左にもそびえ立つというのは壮観で、越後湯沢がリゾート地であることを思い起こさせる景観であることは疑いようがない。戻る↑
    3月15日)「舞子後楽園スキー場」
    目が覚めたらマルメロの里長門にいた。運転を代わり、上田経由で一般国道144号を走り、羽根尾三交点を初めて経由して沼田まで到着。月夜野から関越に入り、谷川岳PAで休憩し、塩沢石打で降りたら目の前に広がるスキー場が舞子後楽園スキー場である。関西の人間にとって関越、上越エリアのスキー場というのは全く馴染みがなく、越後湯沢と六日町との並び方も判らなければ、十日町は別筋であるということすら知らないと言うぐらいかなりこのエリアに対する地理音痴ぶりが出てくるものだが、なぜか間違いなく行けたりするのってやはりおかしい。本日のスキーは島旅MLで募集がかかったので、行ってみようかとわざわざ関西から参加したということになるのだが、久しぶりに新潟にでも行くかというかなり適当な理由で参加していたりする。昼過ぎまで熱心に滑り、昼に島旅MLの人と合流して飯を食らい、そのあと一緒に滑る。普段ならば、昼過ぎには切り上げて風呂に入ってまったり過ごすというアフタースキーを楽しむものなのだが、今回は気合いを入れて五時まで滑ってしまい、体の節々や筋肉が痛くなることが明らかな状況のまま宿に戻る。宿では鍋を楽しみ、楽しい話で盛り上がる。まるで面識がなかったのに、誰かを介して実はつながりのある人物であったのかと意外な発見をしたり、不本意ながらマニア呼ばわりされたりして日は暮れる。この年になって夜中に柔道をするとは思わなかったと訳のわからん事をほざいておくか。戻る↑
    3月14日(金)「コンビニの店員」
    携帯を見たら、画面は年に何度かある「特異日」のようでいつもの壁紙とは違う画像が映し出されている。先月の今日も確か同じような画面であったような。本日は無理繰り作ったバレンタインデーに対抗するべく更に無理繰り作り上げられたホワイトデーである。それはさておき、本日は夜からスキーに出かけるのでいそいそと早めに帰宅する。夜通し運転するので寝ておこうかなと考えたが、なんだかんだとごちゃごちゃやっているうちに友人がやってきたので出発。待ち合わせをしている最寄りのコンビニのバイトの店員が昔の塾の教え子であることを本日初めて知ったが、大学生のバイトとしての定番と化しているコンビニの店員というバイトは愛想がよかったり、反応がてきぱきしていたりすると本来はうれしいはずなのになんか裏があるんじゃないかと訝しく思ってしまうのは、普段からひねくれているからなのか、それとも普段から応対の良いコンビニの店員に当たったためしがないからなのかよくわからん。名神中央道とつないで恵那峡までは運転したが、そこで運転を代わり熟睡にはいる。戻る↑
    3月13日(木)「会社は誰のものか」
    どうも「春闘」とやらで今年の給料をどうするべえかという事が決まるようで、なぜか夕方から組合の会合があるというので、手が空いていたのと飲み物に惹かれたのも手伝ってか、委任状出しているのに出席してしまった。話の内容はいたってわかりやすく、「生活のレベルを上げろ」という事である。まあ、社員に厳しい会社は株主様にはありがたい存在である。別組織の組合が「内部留保を社員一人あたりで比較すると高水準なので、もっと給料を出せるはずだ」という激しいビラをたまーに撒いていたりするけど、内部留保は株主様のものである。会長が「宗家から信託された会社を運営して行かねばならない」というのは、宗家が株を持っているということから考えれば正解であるが、断じて会社はそういうものではなく、あくまでも株主様のものである。勘違いをしてはいけない。戻る↑
    3月12日(水)「また消えてゆく同期」
    同期が数名異動することになったので、送迎会を開くことになった。中には先週末にいきなり辞令を手渡されたというきわめて寝耳に水なやつもいたし、先月送迎されたくせに今日の飲み会にまだきっちり出席しているというよくわからない奴もいるのだが。ひとしきり騒いで帰宅したのだが、帰宅した時刻が昨日より早かったというのは切り上げるのが早すぎたのかそれとも最近残業が激しい所為なのかよくわからん。帰宅して松任谷由実のカバーアルバムを聴くが、井上陽水の「甘い生活」と椎名林檎の「翳りゆく部屋」は持ち歌としか思えないほどの素晴らしさで、とてもカバーとは思えない。歌にしてみればこれはある意味本望であろう。このアルバムには収録されていないが、決して浜崎あゆみの「卒業写真」がいけてないと言いたいわけではないのだが。戻る↑
    3月11日(火)「土地を巡る優雅な争い」
    古今東西、土地の争奪戦というのは戦争で片を付けるものが主流だが、日本は戦国時代以降随分とまろやかな解決をしていたようである。宇和島藩と佐伯藩が水ノ子島の領有権を巡って争い、幕府の調停が「一番鶏が鳴くのを合図に船を漕ぎ出し、先に島に到着した方のものにする」というきわめて適当な裁定をしたのが事の起こりで、佐伯藩が無理繰り火を焚いて朝と勘違いさせて一番鶏を鳴かせ、リードを保って先に島に到着したというのは有名な話である。この作戦は裁定を下す人間は恨みを買う心配がないし、裁く本人はどうでもいいことだしというなかなか味わい深いお裁きであったようで、これと全く同じ事例が長野県南佐久郡臼田町の田口峠以東でも繰り広げられていたりする。いずれの事例もいまだにそれが原因でぶんどった領地が大分県と長野県に組み込まれているのであるからある意味すごい話である。特に田口峠以東は中央分水嶺を越えてもなお長野県というある意味不思議な空間であり、「長野県に降った雨が銚子に流れ着く」というものである。こんな「なあなあ」で済ませようとする事なかれな日本人が正しいというわけではないが、海の向こうでは戦争をしたいがために理屈をこねくり回している人がいるおかげで、真面目に働いている人から仕事やお金を奪い、20年前のレベルにまで株価を下げているのである。戦争だけが原因で株が下がったなどどおめでたいことを言うつもりは毛頭ないが、戦争しないと国が立ちゆかないという世界唯一の大国の困ったちゃんぶりには何も言えない。戻る↑
    3月10日(月)「無駄な知識のオンパレード」
    本日は仕事に追われ、えらく遅くに帰宅する。本日も雪が舞う天気で、普段ならば昼下がりの眠気覚ましに外に出てみたりもするのだが、そんな気力をかき消すかのように寒波は襲来する。かなりしんどい状態で帰宅する。まもなくページの移設1周年だし、アクセスも5000を越えたので久しぶりに新しいコンテンツを作ることにする。ようやく本領が発揮できるコンテンツができたような気がする。しかしネタは厳選せねば、どこに出もあるコンテンツに成り下がってしまうので気合い入れて充実したオリジナリティ溢れるコンテンツにせねばと思い、無駄な知識を披露する。戻る↑
    3月9日)「何を買えばいいのやら」
    そんなこんなで帰宅したので、ぐったりと朝から寝込む。飯を食ってもひたすら眠る。ようやく3時頃になってまともに起きあがる。買い物に行く用事があったので近所の高島屋に行くが、雪がちらつくというかなりの寒さで季節の揺り戻しが大きいことを感じてしまう。どうもホワイトデー商戦という判ったような判らないようなイベントが執り行われているようで、先月はチョコレート一辺倒だったのに、今月は焼菓子、ワイン、ハンカチなどいろいろなものがこれ幸いとばかりに売りに出されている。「お返しは何が良い?」と尋ねたら「米5キロ」と即答した奴がいたことを思い出す。Good Luck!はお約束通りの展開で心が和む。今週ついに予算を使い果たしたのか知らないけど、ゲストが出てこなかったのが少し気がかり。戻る↑
    3月8日)「行きも帰りもえらいことに」
    泊まっていた友人を昼過ぎに最寄りの駅に送り帰宅してみれば、JRが茨木のあたりで人身事故をやらかし、かなり悲惨な状況らしい。友人は奈良に住んでいて大阪で働いているので、京都から奈良線で帰るという方法にピンと来なかったのかその事故の被害をまともに受けてしまい、3時間ぐらいかけてようやく家にたどり着いたらしい。しかしながら、夕方伊丹で飲み会があるので出かけたときは僕もその情報を知っていたのに、「もうええ加減影響も消えとるやろ」とかなりアバウトな気持ちで出かける。JRは案の定、遅れまくりで快速と新快速は目を覆わんばかりに悲惨であった。こういうときは一番最初に来た電車で行くのが最強という事が判っているし、そもそも手動で列車の優先順位をつけるから複々線とはいえ複雑なスジを書くことは難しく、駅での待ち合わせ以外で横をぶち抜かれるのは優等列車だけであろうと想像も付くから、気にしないで普通電車まで大阪に向かう。多少遅れていたが割と乗り継ぎがうまくいって伊丹には15分遅れぐらいで到着。ダイヤが正常でもたぶん5分ぐらいは遅れていただろうと想像が付いているので思ったよりスムーズだったという気がする。飲み会のメンバーには京都から新大阪まで新幹線に乗ってきたというすごい選択をした人もいたが、その効果の程はいかほどであったかについては何とも判断のしようがない。飲み会は今月を以て実家に戻り家事手伝いで年収500万を目指すという友人を送り出すというもので、幹事が遅刻するとか、2次会で眠りこけるとか至って普通の飲み会が展開される。帰りはいい加減遅い時刻だったのでJRしか手段がなく、ええ加減混乱も収まってるだろうと思ったら、今度は信号が故障したようで茨木の前で30分ぐらい抑止をかけられてしまい、いつになったら家に帰れるか判らないので最寄り駅の手前で電車を降りタクシーで帰ろうとしたが、時刻はすでに1時半になっていたので駅前のタクシー溜まりは人が並んでいるけど車は影も形もなく、駅から表通りまでとぼとぼ歩いて流しているタクシーを拾う。駅の改札では「こんなに遅れるんやったらタクシー代出せや。明日仕事なんじゃ」とおっさんがゴル活していたが、駅員は「まだ電車走ってるんで、それはできんですねえ」と応対していた。かなりくたびれて帰宅。戻る↑
    3月7日(金)「店を引き当てる能力」
    夕方より大阪へ飲みに出かける。一緒に飲む友人から携帯を忘れたので、集合場所と時刻はきっちり決めておこうという連絡があったので、普段ならば適当にその辺でその時間ぐらいに、という待ち合わせなのだがそうも行かないらしい。携帯が普及する前の集合場所や時刻というのはかなりパンクチュアルであったのを思い出す。携帯を持つようになってルーズになったという意見もあるけど、やはりいまさら昔には戻れないというものもあるから致し方ない。集合時刻はとりあえず守ったのだけど、店の予約を取ったのに地理に不案内という幹事のせいで北梅田の界隈をうろうろする。北梅田というのは僕も極めて不案内なので、どこにいけば何があるなんてものはさっぱりわからない。とりあえず店のおっちゃんが表まで出てきてお出迎えということで事なきを得る。飲み放題ということで遠慮なしにビールが進み、飯も旨いというなかなか結構な店で、お代も適当とまた行きたい店である。やはりこういう店を不案内な街で一発で引き当てる能力というのは旅行が好きな人間にとっては必須の能力である。飲みのスタートが遅かったこともあって1次会が終わった時点ですでに12時近かったのでそのまま散会。終電がなくなったという友人をうちまで連れて帰る。本日は話も弾んだし、趣味も合うし、まことにいい飲み会であった。こういう飲み会はいいものである。世間ではこういう飲み会のことを合コンというらしいけど、合コンだから楽しいというありきたりの結論を出すにしてはそれ以上に楽しい飲み会だったような。最近ハズレの飲み会が多かったからかもしれないけど。戻る↑
    3月6日(木)「国民の義務」
    午後休をとって確定申告に向かう。職業欄に「女優」と書いているらしい黒木瞳のブロマイドを目印に地図上ではそろばんマークになっている税務署を目指す。詳しい場所がわからなかったので、途中で盗んだバイクで事故を起こした若者を取り調べている交通機動隊の警官に税務署の場所を尋ねて遅滞なく無事到着。中に入ると政情不安で難民が押し寄せている出国検査場のような雰囲気で人が溢れ返っている、そんなところに行った事はないが。まあ、たかだか1ヶ月でものすごい量の書類を片付けないといけないのであるから税務署も大変である。あらかじめ作ってある書類を持ってきたので、受付で渡してはんこ押してもらい控えを受け取って無事完了。ちなみに大阪国税局の管轄内では「おけいはん」がイメージキャラクターになっていたのであるが、水野麗奈っていまさら何をしようとも、どんな演技をしようとも「おけいはん」と言われてしまうのであろう。まるでそれは田中麗奈がいまだに「なっちゃん」と呼ばれているかのように。でも、関西人以外でこの話が判る人ってあんまりおらんよなあ。そのあと久しぶりにジュンク堂に行き、たっぷりと本を買って帰宅。この本、いつ読む暇があるんやろ、というぐらい最近まだ読んでない本が部屋に積まれているが、実際どうしたものか。それよりも、四条烏丸の艮の角にある三井住友銀行の前で白いジャンパー着た無料配布のキャンペーンが張られているのはシュールにして風刺である。戻る↑
    3月5日(水)「低売価販売」
    道端に据え付けられている自動販売機は、飲料を長らく100円で販売をしていたのだが、15年ほど前に110円に値上げをした。思えば確か消費税が導入されたころであっただろうか。便乗値上げとさけずまれたこともあっただろう。箕面の猿が銀色の金属片を穴に入れればジュースが買えるというこれまでの慣わしが通用しなくなってパニックになったという話もある。人間が銀色の金属片に続いて茶色の金属片も入れ、自動販売機からジュースを取り出しているのを見て新たな慣わしを習得した、という話はつとに有名である。その後さらに値上がりが起こったときに、茶色の金属片を2枚入れる必要がある、ということに気がつき対応に要した時間は最初の値上げのときよりもずいぶん短かったらしい。順応性の賜物である。さて、昔話はそのへんにして、今月から会社内の自販機は低売価販売であり、90円というかなりな破格値をつけられている。ちなみに、遠くに飛ばされた同僚が「こっちではジュース90円だよ」と喜んでいたのを水を差すかのように「こっちもだよ」と言ってしまったのでかなりへこんでいた。しかし、100円入れておつりが来る自販機というのは何か違和感がある。安いから文句を言うつもりはないけど。戻る↑
    3月4日(火)「寒の戻り」
    昨日の夜から寒さが激しくなってきたのでそれなりに覚悟はしていたのだが、朝起きたら真冬に逆戻りである。さすがに三千院のように雪が降りしきるようなことはなかったのだが、寒いことだけは掛け値なしである。会社では雪が振り付けるくせに積もるほどではないという御馴染みの状況で、移ろいやすい山の天気を満喫する。バブルが弾ける前のバラ色の未来があるかのような夢を多くの人が持っていたときに起こった事件の裁判にようやく判決が下りた。情報というものがお金になることにいち早く気がついた創業者が1代で築いた王国は、創業者の手を離れて今も健やかなる成長を遂げている。日本人の移ろいやすい世論を背景に事件が風化したから執行猶予がついたという見方をする人が多いが、裁判が終わらないばかりに10年間以上も儘ならぬ生活を強要され、社会的地位を失い、さらに前科者となったのであるからこれは十分に罰を受けていると思われる。新しいビジネスというものは、最初は受け入れてもらうことや規制の壁を越えるために何かしらの手品をする必要がある、という割り切り方はよくない。実際にこのところ人材派遣会社がややこしいことをして新聞紙上を賑わしているのである。仕事そのものは新しいビジネスモデルとしていいのかもしれないが、売り込み方にも新しいビジネスモデルがほしいところである。戻る↑
    3月3日(月)「無料配布で思い出すもの」
    普段どおりの電車で会社に向かうが、なぜか普段はもっと早い電車に乗っている同僚が、顔面蒼白で「遅刻したらどないしよう」とえらく焦っている。僕を見つけるなり「これで間に合うのか?」と何度も問いただすのは本人が焦っていることは勘案に入れるにしても、何か僕が遅刻の常習犯であるかのように看做されたようで少しばかり気分がよろしくない。いまだに遅刻なぞしたことはないのだ、もちろんぎりぎりに着くのが日常ではあるが。そういえばYahoo!が1部上場するらしいが、どう考えても運転資金捻出のためのソフトバンクの持ち株放出の言い訳にしか聞こえない。JASDAQ全体の1割以上の時価総額を持つ会社というのは日本マクドナルドが沈んでしまった今となってはある意味広告塔だし、Yahoo!BBの白ジャンパーでおねえちゃんとセットでルータを無料配布をするための人件費をひねり出す運転資金が足りないのかもしれない。あおぞら銀行の株も手放すし、やりたかったことがバブルが弾けてしまいままならなくなったというだけのような気もするが。いずれにせよ、広帯域にしては中途半端なADSLでシェアをとることにそれほどの意味があるとは思えないし、無料配布されるルータを見ていると、投げ売り状態で受信機を売っていたときの携帯電話を髣髴とさせるからあまりうれしい気持ちもしない。シェアを取るがためにかくも精密な機械をただで投げ出すというのは物に対する執着をなくさせるよくない傾向である。おまけに携帯と違い、そんなに旨味のある商売でもなさそうなのにねえ。戻る↑
    3月2日)「参加することに意義があるイベント」
    朝から桃山学院大学まで一般計量士の試験を受けに行く。家から4回も電車を乗り換えてようやく到着した大学は、私立大学にありがちな見た目が妙にゴージャスだけど周りの雰囲気とマッチしていないという独善的な建物で、見た目はおしゃれだけど機能的にはあんまりいけてないというところもご多分に漏れずである。試験自体は先月の模擬試験同様で、数学物理ばっちり、計量器概論および質量の計量ぼろぼろ、計量器管理概論まあまあ、計量関係法規ってなにもの?という出来栄えである。まあ、国家試験なんて参加することに意義があるんだからそれでいいかというわりと投げやりに試験に立ち向かったというか忙しくて勉強する暇がなかったというかそんな感じ。帰り道新居に引っ越した友人宅に邪魔したら、ちょうど白物の納入にかち合ってしまい、ミドリ電化の配達員がきっちり白靴下をはいて登場する。この手の大物の購入はそうそうあるものではないし、この手の電化製品の進歩ぶりには驚くべきものがある。今となっては痒いところに手が届くではなくて、言われてみればそこは痒かったとか、別にそこは痒くないんですけどといえるようなところまで細かい気配りがなされている。配達員の教育とか、製品の細かいところなんぞは日本が誇るべきところである。間違ってもアメリカには真似ができない代物だ。戻る↑
    3月1日)「手塚治虫と川尻徹」
    部屋に散乱していた本とかその他もろもろを整理していたら、買ったけどまったく読みもしていない日本の街道とか、届いたけれど封も開けていない鉄道の旅とかがあったのでそれをふむふむと読んでいくのだから部屋の片付けはまるで進まない。その手の冊子は送られてきたバインダーに収納し、いらない本とか論文とか書類を適当に処理してかなり片付く。片付いたら勉強でもするかと準備をしたが、今ひとつ盛り上がらないまま気がついたらネットでつまらない検索に勤しむという相変わらずの逃避行動っぷりは我ながら見事である。そういえば今日、宝塚の手塚治虫記念館では鉄腕アトムが誕生したし、高田馬場では列車発車のチャイムが鉄腕アトムの主題歌になったらしい。アニメで2003年に鉄腕アトムが誕生すると描かれているがために、この日にあわせてアトムを作るというのは、ノストラダムスの予言が当たるのは、その予言通りのことが実行されなければならないと思う集団があって、その集団が陰で暗躍しているから予言が当たったかのように見える、という川尻徹氏のすばらしい学説となんか少しかぶる気がする。このことで手塚治虫の価値が少し下がったんじゃないだろうかと思う反面、そこまでして手塚治虫の夢を実現したいと思わせる何かがあるということを素直に受け止めて、手塚治虫ってみんなにインパクト与えてるんやなあ、と思うほうが健全だということはわかってるんだが。そういえば友人が天理から東広島へ引越しをしたのだなということを思い出し電話をしてみたら、東広島は思ったよりも田舎じゃないと話していた。ついでに思ったよりもきれいだという話も出ていたが、それはまあ実際に会ってみてのお楽しみということにしておこう、とわけのわからんことを書いておくか。さて、こんな一日だったからタイトルつけるのに難儀するぞ、うーん。戻る↑