2003年1月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 1月31日(金)「濃い会議」
  • 1月30日(木)「9時から飲み会」
  • 1月29日(水)「冬将軍到来」
  • 1月28日(火)「おばさんデカ桜乙女こと市原悦子」
  • 1月27日(月)「おねむへの誘い」
  • 1月26日)「観音埼とまぐろ丼」
  • 1月25日)「野島埼と新宿の宴」
  • 1月24日(金)「いざ東京へ」
  • 1月23日(木)「送迎会という飲み会」
  • 1月22日(水)「言うはやすし、行うはきよし」
  • 1月21日(火)「家から出なくて生活できる」
  • 1月20日(月)「しんどいので引退したい気分」
  • 1月19日)「サントリーウイスキー蒸溜所」
  • 1月18日)「映像の世紀上映会」
  • 1月17日(金)「季節的余計な出費」
  • 1月16日(木)「そんなに昔でもない話」
  • 1月15日(水)「歴史は繰り返す」
  • 1月14日(火)「衝動買い」
  • 1月13日(月)「UAと宇多田ヒカル」
  • 1月12日)「スキーは一日半が限界という最近の趨勢」
  • 1月11日)「栄枯盛衰と残された過剰投資」
  • 1月10日(金)「いざ栂池へ」
  • 1月9日(木)「ワックスだけないという罠」
  • 1月8日(水)「クラオカさんの謎」
  • 1月7日(火)「ナナメ読み新聞を久しぶりに読む」
  • 1月6日(月)「社会復帰第1日目」
  • 1月5日)「夏目雅子ははまり役過ぎる」
  • 1月4日)「青春18きっぷで温泉カニ雪景色」
  • 1月3日(金)「風邪引いて寝込む」
  • 1月2日(木)「初詣第2弾」
  • 1月1日(水)「初詣のはしご」


  • 今月の日記
    1月31日(金)「濃い会議」
    朝から会議に出席させられる。それがために寝過ごすとかいうことができなかったので、かなり眠いのを我慢して会社に到着。朝の早くから訳のわからない議題で妙に盛り上がる。それにしてもテレビ会議っていうのは良いことか悪いことか知らないが、なんか臨場感が伴わないし、本当に相手に声が伝わってるのかが疑問である。会議が暇だったのは隣に座っていた上司が僕に「うえだ、耳たぶの「たぶ」っていうのは英語か?缶ジュースの「タブ」とは別物か?」という質問を缶をいじりつつぼそぼそ小声でしてきたことからもわかりそうなものだ。ちなみに耳たぶの「たぶ」は「朶」という漢字があるのでれっきとした日本語である。今週はさすがに激務だったので定時で帰り、帰宅して久しぶりに映像の世紀を見る。今回は冷戦の始まりを描いた第7巻で、チャップリンが赤狩りでアメリカを追放されるところが印象的であることと、朝鮮戦争を見てなんかイラクの状況を思い出してしまった次第。気が付いたら今月も終わりである。日記も600日連続記録なんて言う訳のわからない記録をすでに達成していた。戻る↑
    1月30日(木)「9時から飲み会」
    本日も寒い。朝JRの跨線橋を歩いていたら、「雷鳥」と「はるか」がその下を通っていた。「雷鳥」の屋根には雪がしっかり積もり、「はるか」の屋根には雪が全く見られない。冬ならではの風物詩である。これが敦賀近辺になると雪で電車が止まるかどうかにレベルが上がるんであろう。夕方より同期の飲み会、と書けば至って普通なんだが、開始時刻が午後9時というのは年末の忘年会で僕らの部署の集まりがきわめて悪く全員ドタキャンという狼藉に起因するのではないかという気がしてしようがない。しかも今回は僕の部署の半分が遙か彼方にとばされるということをダシにしての飲み会なので、一応主賓となるべき我々が遅れては元も子もないという幹事の取り計らいなんである。飲み放題2時間というコースで頼んだあとちょっぴりだべっていたら終電間近で慌てて帰る。これから先、同期が減っていくことはあっても増えることは決してない、というのはどうしようもない現実である。少ししんみりするが、飲み疲れて速攻布団に潜り込む。戻る↑
    1月29日(水)「冬将軍到来」
    台風並みの低気圧というのが北海道の沖合いで頑張っているようで、とにかく冷え込む。幸いにしてなのか不幸なのかそれはわからないけど、うちの近辺限定で雪は降らない。意外と知られていないことではあるが、この季節に京都からどっかに行こうとすれば、大阪に行く場合を除き必ず雪まみれになることが要求されるのである。ちなみに、京都はそれほど雪が降らないくせに骨身にしみる寒さが容赦なく襲いかかる世界で指折りの生活しづらい町であることは地元民ならば誰でも知っているけど、どこかの鉄道会社に騙されて「そうだ、京都、行こう」と踊らされている人には、この現実は理解されようもない。夏の暑さと冬の寒さを耐え抜いて早29年、京都以外のどこに行っても冬は暖かく、夏は涼しく感じ取れるので、それはそれで良いことかも知れない。さて、本日めでたくBIDDERSのオークションが終了した。yahoo!のオークションをやめてから早10ヶ月、久々に落札者に書くメールがなんだかぎこちないのは致し方ないことか。戻る↑
    1月28日(火)「おばさんデカ桜乙女こと市原悦子」
    グループが分裂するとなればお家騒動かコップの中の権力争いか、はたまた格差是正かと相場が決まっている。三人と一匹という格差に苦しんだ末四散したどこかのグループはさておき、二つに分かれたときは、世間の人は「セ・リーグとパ・リーグ」という風には考えず、「J1とJ2」と考えてしまいがちである。しかしながら、今回の分け方を見てみれば絶妙に振り分けられているのでそういう風に判断することができかねる。さすがはうんこ踏んじゃった銀行より9ランク上の組織である。まあ、必ず一軍に入ると思われているメンバーと、逆に絶対二軍に入ると思われているメンバーがいなくなったからこそできたグループ分けであろう。但し僕の中では「必ず一軍」というメンバーの評価は低く、「必ず二軍」というメンバーの評価は高いのである。決してこの評価は関西人特有の「弄られキャラっておいしいよねえ」という思想に基づくものではない。だからといって保田マニアなどと思われた日には堪ったものではない。あ、ばれてしまった。せっかくわからんように書いていたのに。戻る↑
    1月27日(月)「おねむへの誘い」
    寝不足で体が少しだるい感じの月曜は久しぶりである。やはり、昨日遅くに返ってきて日曜日に何もなかったかのように普通に出勤するけどめっちゃねむたいというのは気持ちの良いものだ。朝から会議でああでもないこうでもないと話を進め、気がついたら12時だった。飯食ってその仕事を片づけ、気がついたら9時だったので帰宅。昼間はひたすら眠かった。帰宅後4日分まとめて日記を書いたらなんだかつまらない内容になっていた。やはり日記は記憶が新鮮なうちにかかないとなんだか文章の切れ味が悪い気がする。でも眠いからこんなものかなあ、と言い訳をしながらこの日記を書く。BIDDERSに出品している商品に質問が来た。「ぱるる」に対応してないんですか?ということらしい。手数料が安くて、全国どこにでもあるというのはありがたいが、いまだにそれは持っていない。日本中うろうろする僕にとって郵便局は確かに魅力的な金融機関であるが、シティバンク銀行と新生銀行はそれ以上に魅力的な銀行なのであまり食指が動かない。戻る↑
    1月26日)「観音埼とまぐろ丼」
    本日は朝も早くに宿を出て、再び三浦半島へ。横須賀で昨日に引き続き朝飯をデニーズで食らい、観音埼でまたもやチケットを消費し、景色を満喫していざ三崎へ。友人が去年研修でお世話になったという人の自宅がやっているマグロ卸売りの店の片隅でやっている食堂で、こだわりのマグロ丼とネギトロをいただく。蘊蓄が長いけど、その分確かにマグロがうまい。至って幸せな気分になり、そのあと城ヶ島へと渡ったあとで一路帰宅する。気がついたらなぜか上野原にいたりするのだが、そのあと中央道を走り、諏訪湖SAで温泉に入る。ちなみにこの温泉、下りは岡谷市なので入湯税が50円だが上りは諏訪市なので入湯税が20円である。それがために風呂代が上りと下りで微妙に違っていたりするのがおもしろい。温泉で「クジラ」をやって風呂上がりにソースカツ丼。東名春日井から勝川まで下を走り、あとは名阪で一路友人宅まで。そのあと自宅まで運転して帰宅。久々に休日らしい休日の使い方だった。やはり最近体調不良だったのは、いつもと違うおとなしい生活を送っていたからだという風に変に理解しながら、温泉に入っていたことも手伝ってか帰宅して10分で爆睡モード。戻る↑
    1月25日)「野島埼と新宿の宴」
    運転を代わったのは静岡。そこからの一般国道1号は快適そのもので気がついたらあっという間に三島に着いていた。箱根を越すのは凍結していたら辛いので熱函道路で熱海に抜け、相模湾の朝焼けを満喫しながら小田原へ。そこからも湘南の海を満喫しながら疾走は続く。ボードを小脇に抱えてチャリンコを漕いでやってくる地元のサーファーとか、こじんまりと2両ぐらいでやってくるかなと思っていたらゴージャスな4両編成でやってきてこっちの期待をちょっと裏切った江ノ電とかを横目に「いざキャバクラ」とかいう寒い台詞を吐きつつ鎌倉へ。そのまま久里浜まで行き、電車でやってきた友人を拾って一路東京湾フェリーで金谷を目指す。金谷から南房総の暖かい気候の中をひた走り無事野島埼に到着。めでたく灯台チケットを消費する。思えば去年このチケット13枚入り500円を角島で買い、いきなりチケットにスタンプを押してくれなかったのがけちのつきはじめで、塩屋埼は強風のなからすごすごと撤退していたので実は今回が初めて切符を消費したことになる。しかし、スタンプが大きいのしかなくてチケットからはみ出しそうになるなど、やはり波瀾万丈である。野島埼からの眺めはよく、遠く三宅島まで見渡せるんである。そのあとくじらのたれを買って、アクアライン経由で本日のお宿にチェックイン。一風呂浴びて新宿に新年会に出かけ、久しぶりに大騒ぎする。宿に戻り、そのまま熟睡。戻る↑
    1月24日(金)「いざ東京へ」
    本日は夕方より出かける予定であったが、そういうときに限って仕事が終わらない。というか、今日になって「月曜日朝一番の会議に出てくれ、そんでもってそのときにいる資料も作ってくれ」とそれも夕方になってから言い出すだなんてなかなかではある。ようやく仕事を終えて帰宅し、てきぱきてきぱきと荷物をまとめ、飯食って出発。家の近所まで迎えに来てもらい、そっから友人を拾って一路東京へ。途中京奈和道で前方不注意で追突したくせに「道路公団はなってない」と料金所のじいさんにやり場のない怒りをぶちまけるおやじとか車載テレビの千と千尋の神隠しとか前を見ながら運転する。友人を拾ったあと運転を代わり後部座席に座った瞬間自動的に気絶スイッチが入ったらしく、次に目が覚めたら静岡だった。今回スイッチが入ったままだったのはおそらく寝袋にくるまっていたからではないかと推測される。やはり寝袋は偉大だ。熟睡してすっきりしたのでそこから運転を代わる。戻る↑
    1月23日(木)「送迎会という飲み会」
    昨日BIDDERSに出品した商品は、着実に値が付いている。良い感じである。まあ、出品しているものが以前yahoo!で出していたものとは違い「おそらく確実に売れるであろう代物」であることが原因であるということは言うまでもないことであるが。近いうちに押入からいろいろと取り出して出品してみるかと考えてみるが、たぶん忙しいのでそういうわけにもいかないであろう。本日は夕方より送迎会である。明日からどっかにいく人がいるというわけではないのだが、いよいよ部署が二つに分かれてしまう日が近づいてきたんでその飲み会である。かなり昔にこの部署にいた人も呼ばれてきたようで、新人の僕には知るべくもない人たちがたくさんいる飲み会というのはある意味不思議であるし、なんかまったりとした話がそっちでは展開されているので入りづらい。部署が分かれて来月から月例会議どうするんやろ、という素朴な疑問が沸き上がるが、なるようにしかならないから仕方がないということであろう。帰宅したらamazon.co.jpから本が届いていた。この発送の速さはなんか凄まじいものを感じてしまう。とりあえず日通のペリカン便に少し感謝しながら、本日届いた本に目を通す、と言いたいがさすがにそんな気力もなくしばらくはほったらかしの予定。戻る↑
    1月22日(水)「言うはやすし、行うはきよし」
    明け方訳のわからない夢を見て目が覚める。熱はとりあえず退いているが汗だけは無性に掻いている。さすがに今日も休むわけにはいかないので会社へ。腹具合に自信がないのでむやみに屁をこくわけにもいかず、結構辛い一日であったが何とかやり過ごす。そういえば忘れたように林真理子の「コスメティック」を読んでいるのだが、中島義道が「私の嫌いな10の言葉」という著書の中で紹介している「「ノルウェイの森」の不快さ」に似た不快さが募っていくので、かなり読むのはしんどい。誰だったか「林真理子は本当にこんな恋愛をしたことがあるのだろうか」というものすごい直球を投げている人がいたのだが、そのボールが伊良部レベルじゃなくてクレメンスとかライアンレベルであることに読んで気がついた。読んでみないとわからないことは多いものだ。「コスメティック」に出てくる恋愛の場面に対する感想を一言で言えば「言うはやすし、行うはきよし」である。まあ、自分の経験を元に描写するか、あるいは作家としての空想力を以て、誰もが羨むようなものに仕上げるかでなければこの手の小説は厳しい。もっとも、「この世に存在しないものをあたかも存在するかのように描写する能力を小説家の能力というのであれば、五島勉は本当にすばらしい小説家である」と「と学会」の山本弘氏(だったかな?)も言ってるから、それはそれですばらしい能力である。戻る↑
    1月21日(火)「家から出なくて生活できる」
    朝起きたら相変わらず不調である。あきらめて本日は休むことにする。昼過ぎまで熟睡しだいぶと復調するも相変わらず腹は減らない。風邪を引いたら何か食べて体力回復に努めるという方法で対処してきたというのに補給路を断たれたままでは回復はあまり望めない。寝ていたらamazon.co.jpで頼んでいた品物が到着する。桃太郎王国という中古品を売る通販会社から買ったのだが、ネーミングがどうも。別に岡山県民やトマトが嫌いというわけではない。あっちの方である。それと間違えてあらぬ事を想像するという輩がいるともかぎらんのである、とえらそうなことを書いているが、最初にそれを思いついているからこんな文章が書けるのであって、きっちり自分でも思いついてしまうのだから始末に負えない。さて、届いたもの自体は問題ないので現物が手に入ればそれが中古でも何でも良いという僕としては大満足である。出かけなくてもとどけてくれるとは大変便利な世の中である。そういえば「家から一歩も出ないでインターネットだけで何日生活できるか」という訳のわからん企画を思い出したが、あれは黎明期だからできた企画なんだろうなあ。今となっては余裕でできるから、ネタにも何にもならんのだが。夕方ぐらいになって体調が落ち着いてきたので起きてOtearai Webのプチ日記とかテーマパーク4096のコラム息切れなんかを見て回る。適当な脱力感がやはり必要なのかと思いつつ、自分の日記はしっかりこってり書いているなあと思う恭子の語呂である。と誤変換してしまったが、深田恭子って確かに血の気が余ってそうだよなあ、だから献血するのかという訳のわからんことを考えてみたりする。これが榎本加奈子だったりすると、なんか看板に偽りありというか説得力がないというか、デブが売ってる痩せ薬というか、ハゲが売ってる毛生え薬というか、そんな感じ。戻る↑
    1月20日(月)「しんどいので引退したい気分」
    朝起きると体中がだるい。かなり体調が思わしくないし、頑張って会社にはたどり着くものの昼過ぎに限界を感じ帰宅する。帰宅して布団に直行し泥のように眠って目が覚めたら多少体調は楽になってはいるものの相変わらずの不調ぶり。結論からいけば正月早々の時期から風邪が治りきっていないということにでもなろうものだが、そんなに固めて休みが取れるわけではないし、用事も山積みなのだから早々寝て過ごすわけにもいかない。冷静に考えると、去年も1月は体調を崩す時期であった。1月とはそういう時期なのか?という気もするが休みの日にぼーっと過ごすことができない貧乏性なので予定だけは着実に積み重なっていく。相撲取りは引退するまでは無口で、引退したら饒舌になるという妙なパターンがあるが、貴乃花はいきなり麒麟児並みに軽いしゃべりをしたり蔵間のように軽いキャラで売られた日には平成の大横綱の面目が立たないところではある。昔、古田新太がやっていたANNに「貴花田な奴」というコーナーがあったほど無口であることに定評があったことや、北の湖がいまだに無口であることを考えれば無口で押し通してもらいたいものだ。戻る↑
    1月19日)「サントリーウイスキー蒸溜所」
    朝起きて飯を食いながら映像の世紀第5巻を観る。そのあと山崎にあるサントリーのウイスキー蒸溜所に出かけ、シングルモルトウイスキーについての講義を聴きつつ山崎のテイスティングをしたりしてまったりと過ごす。久しぶりに飲んだインペリアルのするする飲める相変わらずの恐ろしさに感動したり、昔のサントリーの広告やCMを見たりして帰宅。年賀状のお年玉くじの番号を照合したら今年も4等が2枚というまずまずの当たりっぷり。本日よりはじまった木村拓哉主演のドラマを見たり、モーニング娘。の第6期オーディションの結果を見ようとしたら日刊スポーツのサイトがめちゃくちゃ重たかったり、誰が新たにメンバーになったのかについて最近興味がなくなりつつあるなあと言うことが図らずも露見したり、藤岡弘はじつは「藤岡弘、」が正しかったというどうでもいい情報を入手したりして過ごす。木村拓哉と岩城滉一で段田安則と黒木瞳がいた日には、それだけで銭が取れそうなクルーである。この手の専門職を題材にしたドラマは勘違いする客が多かったり、業界内で「そんなわけないやろ」とつっこみが入るのが常套であるが、新幹線パーサーのドラマが放映されてたときに車販のバイトをしていて、客から「ドラマではやってくれてた」という理不尽な要求を聞いたことを思い出す次第。しばらく全日空は苦難の時代を迎えるのか。戻る↑
    1月18日)「映像の世紀上映会」
    本日は月曜日が休みであったため土曜出勤となる。休んでいる人も多く、仕事はやはり盛り上がりに欠ける。会社で正社員となったのでバッチをもらう。なぜかうちの会社は社員証がない。良いのか悪いのかよくわからないことなんだが。定時になるとさっさと帰宅の途につくが、本日は友人宅で映像の世紀の放映大会となる。第1巻から第4巻まで見ながら石垣島の古酒を飲みいろいろと話をする。映像がかなりえぐいものもあったので一人で見るのはやはり辛いものがあったということは改めて実感。古酒は飲み易いのでいくらでも入りかねない勢いであった。ほどほどに切り上げて友人宅で寝るが、改めて土曜日の晩は自宅にいないものだと実感。戻る↑
    1月17日(金)「季節的余計な出費」
    昼休みに物欲についていろいろと話をする。とりあえずわかったことは「ヨドバシ梅田」という存在はきわめて危険なものであるということであった。事実この1年でヨドバシ梅田には多大な貢献をしているのである。ブロードバンドルータにはじまり、ノートパソコンに複合機、そして先日のDVDである。ブロードバンドルータと複合機以外はすべて衝動買いである。まあ、ジュンク堂で本を2万円も買うようなやつが何を言おうとそれは戯言なんだろう。さて、後輩が携帯を買い換えたというメールが来た。話を聞いてみると以前の携帯を水没させ、代えたばかりの携帯を無くしてしまい、そんでもってこの度新たに買い換えたというのだから、激しいまでの出費である。学生の身分では辛かろうといっぱしの社会人っぽく話してみようと思ったが、スキーの最中に携帯を落としてしまった過去を持つ僕としては携帯を無くすだなんて理解できないとえらそうに言うことはできなかったりする。まあ、その不幸のダブルパンチはいただけないよねえと思ったが、冷静に考えると僕が携帯を無くしたとき眼鏡のレンズが割れて自転車が豪快にぶっ壊れたので同じような出費を強いられていたような気がする。しかもその時期が2年前のちょうど今頃だったような気がする。そうか、きっと冬はきっとよけいな出費が起こる時期なんであろうと無理矢理納得する。戻る↑
    1月16日(木)「そんなに昔でもない話」
    6日ぶりに会社に顔を出す。僕の知らないうちにいろんな仕事が割り振られているようで、それをいいことと思うか思わないかは心がけ次第なんであろう。メールの山と格闘し、あっという間に時間が過ぎてしまう。夕方から会議で延々と4時間ぐらいつぶれてしまい、あまり今日は仕事が進まなかった。まあ今日はリハビリみたいなものだから良いかと納得。帰宅途中本屋へ週刊日本の街道を買いに立ち寄ると「週刊鉄道の旅」なる雑誌が創刊していた。どっかに行きたい思いを高める雑誌なので購入し、ついでに定期購読まで頼んでしまう。晩飯は松の内があけたということで小豆粥となる。本日はかなり寒かったので2ヶ月半ほど前に宝塚で入手した入浴剤を入れてちょっぴりエリザベートな気分を味わってみる。エリザベートっていうのはかなり昔の話だと思っていたんだけど、旦那であるフランツ・ヨーゼフは映像の世紀にその姿をとどめているんである。さらにいえばその甥っ子がサラエボでぶち殺されたがために第1次世界大戦ははじまってしまったわけで、遙か昔のおとぎ話ではないのねと思ってしまう。うーん、映像の世紀、衝動買いした割には着実に無駄な知識が頭にたまっていくのを感じ取ってしまうが、こういうのを転んでもただでは起きないと言うのかな。戻る↑
    1月15日(水)「歴史は繰り返す」
    昨日に引き続き本日も講習会。試験のための講習会なんだが、世の中の人は思いのほか数学と物理が苦手であることを思い知らされてしまう。試験に合格するがための勉強という姿勢はあまり褒められたものではないし、そんなことでは事の本質に迫ることもできようがない。しかし試験まで間がないのでそういうやっつけ仕事っぽい感じで試験勉強をせざるをえないという状況はあまりうれしいものではない。夕刻講習会も終わり、少し早いが飲みに出かける。焼鳥屋ですずめを頼みつつ呉春なんぞを飲んでいい気分で帰宅。昨日に引き続き映像の世紀を鑑賞する。本日は1920年代のアメリカである。我が世の春を満喫し、何も恐れるものがないと思わしめたJAZZ AGEを見るにつけ、バブル時代を彷彿とさせることを考えれば「歴史は繰り返す、それが歴史の悪いところである」という一言が重くのしかかる。人間の考えることなんぞ、多少場所や時代が変わろうと変わりようがないというのはよくわかる話で、前例に倣うべきでないというのは「悪い時代」限定で「浮かれても許される時代」はせいぜい浮かれるのがよいということなんだろうか。ちなみにそういう浮かれた時代にも国民の不満というものは絶対にあるようで、ガス抜きの標的というかスケープゴートとなった共産主義者やマイノリティーの人々は何をどう考えるにしても不幸である。現在の世界ではそういう問題はないという意見があるかも知れないが、人が自分よりも劣悪な立場にある人を見て優越感を持ち、差別するということはこれまた人間の本性であるためそういった差別や偏見がなくなることは決してないのではないだろうか。戻る↑
    1月14日(火)「衝動買い」
    本日は大阪まで国家資格の講習会に出かける。帰りにヨドバシ梅田に立ち寄り、デジカメの電池でも買いに行こうかなと思ったのが運の尽き。電池を買い終わり、CDでも買いに行くかなと思ったまではごく自然な成り行き。その5分後に映像の世紀全11巻を買っていたから恐ろしい。久々に派手に衝動買いをしてしまったと思いつつ帰宅。昨日エンドレス状態で加古隆の「パリは燃えているか」を聞いていたのがよくなかったのかなあと少し考えてみる。帰宅したらようやく去年の下宿あてに届いた年賀状が転送されてきたようでいよいよ松の内の終わりを感じ取ってしまう。靖国神社参拝に一番敏感に反応しそうな某新聞が「紅白は会場で生で客の前で歌うものだ」というコラムを掲載していた。そのついでに「客がいないから緊張しなくて歌詞を間違えるのだ」とまで書いてるけど、対象とおぼしきアーティストはコンサートでも必ずと言っていいほど自分が作詞したというのに歌詞を間違えることで有名だというということをこのコラムを書いたやつは知らないのかしらん。一般論で書いてみたのだろうけれど、署名記事だからかなり恥ずかしいと思うのだが。戻る↑
    1月13日(月)「UAと宇多田ヒカル」
    かなり熟睡して目が覚める。携帯の目覚ましは月曜日なので容赦なく鳴るためそのたびに起こされるというおまけを付けてくれるのは致し方ない。スキーに行っていたときからでていた症状なのだが首が凝っていて時折偏頭痛が襲いかかる。おかげで今ひとつすっきりした気分にならないまま時間が経つが、寝てばかりもしていられないので起きて昨日までの日記を書く。MSNのサイトで椎名へきるが取り上げられていたのだが、「うーん、年取ったなあ」ということが感じ取れてしまう。さらには今度の曲って思いっきりTMNやんと思ったら案の定プロデューサーは木根尚登だしなんか昔のイメージとは随分違ってきている。声自体はさすがに声優なんでいいもの持ってるんだからもうちょっと歌を選んでみてはという気がするのだが。あと「水の女」で主演しているUAだが、なんか雰囲気といい、いでたちといい宇多田ヒカルそっくりであるということに今頃になって気がついた。これは表現が不適切で、「宇多田ヒカルがUAにそっくり」というのがもちろん正しいのだが、デビューしたての宇多田ヒカルをすんなり受け入れられたのは、下地としてUAがあったからではないだろうかという風に思える。もちろんデビューしたての宇多田ヒカルを見たときにそのことを意識していたとは思えないんであるが。根底にこれまでに見た何か(UA)があり、その上で何か目新しいもの(R&B)があったからこそ大ブレイクしたと言うことであるならば、宇多田ヒカルがなぜ売れたのかということが妙に納得できたりする。そんなことを今更納得しても仕方がないのだろうけど。戻る↑
    1月12日)「スキーは一日半が限界という最近の趨勢」
    本日もスキーをする。幹事の心憎い演出で体力の限界を悟るであろう2日目の午前中まででスキーは切り上げ、そのあとはまったり帰宅するというプランを組んでくれたので少し足が痛いのを気にしつつも本日も快調に滑る。今回のスキーではウェアをレインダンサーに変えてみてその耐寒性能試験を実施してみたのだが、中にハイネックとフリースを着れば耐寒性は問題ないということがわかり、これで今後スキーに行くときに荷物が激減することがわかったのは大きい。さて、本日は昨日のようながつがつした滑りではなく、いつもながらのまったりした滑りで半日を過ごし、昼に切り上げて温泉に行くといういつもながらのプランを実行した。昼過ぎに温泉から帰ってみれば、制御不能な男がつっこんできて鎖骨を折られた同僚とか、財布がなくなって困ってる同僚とかがいて大変である。スキーとはやはり恐ろしいスポーツであるということを改めて認識する。帰り道は全く渋滞に引っかかることもなく順調に帰宅する。明日は休みなので寝てしまえばそれまでだが、明日いよいよ筋肉痛が襲ってきそうなので温泉できっちり整備体操と腰痛体操をしたけれどはてさてどうなることやら。戻る↑
    1月11日)「栄枯盛衰と残された過剰投資」
    昨日の日記では「はい松本」という書き方をしたが、大糸線ライン、つまり北アルプス東側の斜面を利用したスキー場に行く「スキーバス」は、最近は「はい穂高」であるらしい。最近は「車」とか「JR」とか「飛行機」でスキーに行くので、最後に「スキーバス」に乗ったのがもう8年ぐらい前だからその辺の環境の変化は知らないし、大糸線ラインに行く「スキーバス」に最後乗ったことに限定すれば干支が一回りするぐらい前なのでその環境の変化に対応できるはずもないから見当違いのことを宣っていたら勘弁願いたい。さて、そんなこんなで栂池に到着し朝からがつがつ滑るという一昔前のスキーツアーのようなことをする。僕のイメージしていた「ゴンドラ待ち30分でみんな青い炎を上げている」「いっぱつがいけの名の下で男達が青い炎を上げながら女の子のグループに襲いかかる」という光景はなくなっていた。そういえば夏の伊豆七島も最近はそうでもないという話を聞くから時代の趨勢なのか、はたまたその手の狼藉が最近は何の衒いもなく街中で展開されるようになったからなのかという分析もあるがその辺はどうでもいいことだ。つまりはこのバブル崩壊とともにその手の連中がスキー場に来なくなり、そのせいでスキー場の入場者数が半減し、昔ながらのスキー場に戻ったけれどバブル時代に投資されたインフラはそのままで10年前よりもリフト待ちは激減と言うことでそれはそれでめでたいことなのかも知れないということなんであろうか。本日はかなり頑張って滑ったので明日の筋肉痛が恐いと思ったが、最近年を取ってきたので筋肉痛はあさってに持ち越しというケースが多いから明日は乗り切れてあさって地獄を見るのかも。戻る↑
    1月10日(金)「いざ栂池へ」
    夕刻自宅に帰り、近くのアルペンへワックスを買いに行く。ワックスだけ買えばいいものをアクリル製のワックスクライバーとかもつい買ってしまう。飯食ってワックスをかけ終わりいざ出発。会社の近くで集合というのはわかりやすい反面、通勤ルートにばっちり該当しているので我々がいそいそとスキーに行こうとしている横を残業帰りの社員が歩いていくというまことに不躾な光景が繰り広げられていたりしたのだが、これはまあ仕方ないことであろう。ついでに言うと「体調不良」で本日会社を休んでいてこのために備えていたやつもいたりするのだが、これはこれで上司と顔を会わせた日にはまた大変。バスが貸しきりであったのでかなり余裕があったため「スキーバス」という「狭い、眠れない、はい松本」というあまりいいイメージがない乗り物ではなく、出発していきなり酒盛りが始まるという至って健全な運行方針で一路栂池に向かう。戻る↑
    1月9日(木)「ワックスだけないという罠」
    週末スキーに出かけるのでその準備をしてみることにした。とりあえずスキーズボンであるが、去年のが入る。あまり太っていなかったようだ。一応晩飯後に試したのでたぶん問題ないであろう。ということでスキー板を出しいそいそと保護ワックスを剥がしにかかる。はがし終わっていざ滑走用ワックスを塗り込もうと思ったらワックスがないことに気がつく。すばらしい哀愁ぶりだが、明日買いに行くことにしよう。さて、ようやく日記が全面的に書き直しが終わった。ああでもないこうでもないと試行錯誤してようやくまともに読みやすくなったと思うのだが、さてどんなもんなんだろ。皆様ご意見お寄せください。「読みにくなったんじゃゴルァ」というのでも構いません。気にくわないのは無視しますので。戻る↑
    1月8日(水)「クラオカさんの謎」
    本日はきちんと会社に行く。体調は幾分ましといったところか。仕事で図書室に行って古い雑誌を探していたら薬の広告で「ドプス®(DOPS)(一般名:ドロキシドパ)」というのがあった。この広告に落書きをしていた社員がいたようで、「ドブス®(DOBS)(一般名:クラオカール)」と書き直されていた。確かにうずうずむらむらして書き直したくなる名称ではある。据え膳食わぬは男の恥と思ったかは知らないが凶行に及んだようである。ちなみにこの広告が載っていた雑誌は16年前のものなので、これを書いた人ええ加減分別のあるおっさんになっていることだろう。しかし、社会人になってこんな中学生みたいなことをする人がいたのだと思えばなんだかほんわかした気分になる。それにしても「クラオカ」さんはそんなに不細工だったのかという思いが巡る。濁音と半濁音というのは液晶画面上で見ればなかなか見分けが付きづらいものがある。実際LOLLIPOPというサイトの管理人さんの名前がどっちであるか自信がなかったのでずっとコピペしていたというのは結構共感を呼ぶ話だと思うのだが。思えば落書きというのは歴史の生き証人で、法隆寺を建てた大工が瓦の隙間に残した結合絵図の体位が女性上位だったので、「飛鳥時代はそれが普通だったらしい」というまことしやかなネタとしか思えない学術的大発見がなされていたりするらしいが、きっとこれと同等のものなんであろう。そういえば最近うちのページに「どすこい」で検索してやってくる人が多いのだが、なんかあるんだろうか?気になって調べたところ、「ちゃんこ風スープどすこい」の画像があるサイトというのはそうそうなく、「まずいジュースなんたらかんたら」というサイトで画像がないまま「どすこい」を「まずい」と論評しているものが多い。個人的には、「どすこい」とくれば平松伸二先生の「どす恋ジゴロ」を思い出してしまうのだが。戻る↑
    1月7日(火)「ナナメ読み新聞を久しぶりに読む」
    朝目が覚めたら体がだるい。やはり無理があったようで本日はおとなしく休むことにする。午前中に近くの病院に行き、待合室で病状を悪化させつつ診察を受けて帰る。鼻水がやたらとでると申し出たのが原因か知らないが、抗ヒスタミン薬が処方された。これを飲むと腹具合がよろしくなくなるという自分の体質がわかっているので飲みたくないのだがおとなしく飲んで寝る。薬のおかげでよく眠れたものの起きると案の定体がだるい。寝ているときに鼻づまりも解消されていたので熟睡っぷりはすばらしいものであったが、これではなんともはやである。先日に引き続きSuledge Hammer Webのコラムを読んでいるとあらちさんの別館ナナメ読みWebが紹介されていたのでそちらを熟読。このサイトはかつて「日刊ナナメ読み新聞」のころ毎日のように読んでいてある日突然閉鎖されたのでその行方が気にはなっていたのだが、こんなところでまたもや出会えるとはという妙な感動にとらわれるというか蛇の道は蛇というか。夜久しぶりにプロジェクトXを見るが、嵐のシーンはカンボジアの日本橋の時の映像を使い回しているような気がするのと、佐渡汽船ってどこでどう協賛したんだろうという素朴な疑問が湧き起こる他は、自分の仕事に感動する涙腺の緩いおっさんたちがゲストといういつもながらの展開であった。戻る↑
    1月6日(月)「社会復帰第1日目」
    仕事初めという名の社会復帰の日である。体調芳しくなく、ただでさえ社会復帰が辛いというのに適当な言い訳ができているから困ったものだが、がんばって会社へ向かう。上司の新年の挨拶とかがあって仕事は始まる。ちなみに本日より別の部署の仕事をすることになったのは前に書いたとおり。読み返してみれば自分の部署以外の仕事をやたら引き受けている気がするのだが、世間一般の皆様におかれましてはそれは至って普通のことなのか大変異常なことなのかについて教えていただきたいものである。とりあえず本日は体調がすぐれないし、初日ということもあって定時になったら今日はこれくらいで勘弁しといたると宣いながら帰宅。帰宅して昨日から進めているページの書き換えの続きをする。まだまだ終わらないので、本日もアップできないまま終わってしまう。戻る↑
    1月5日)「夏目雅子ははまり役過ぎる」
    おとといからの風邪が治らないまま昨日出かけたので、そのまま風邪を持ち越している。具合がよろしくないし、特に出かける用事もないので家でおとなしくする。ページの書き換えを鋭意進めているのだが、いろいろとめんどくさい作業が多すぎるのでなかなか進まない。そもそも1年半以上もかけてこつこつ書いてきたコンテンツを大幅に書き直そうというのだから作業は思ったより難航している。ということで途中で投げ出してNHKでやってる大河ドラマ総集編「徳川家康」なんかを見てしまう。とりあえず啖呵切ってる淀君役の夏目雅子を見て「鬼龍院花子」ってはまり役だったの?それともそのイメージが強いから啖呵の切り方が心地よくこっちに入ってくるの?と自問自答。とりあえず松たか子@「秀吉」とか瀬戸朝香@「利家とまつ」にはまだまだ到達できようもないレベルであることは疑いようがない。そのあとでページの書き換えを進めていたら友人からSuledge Hammer Webというサイトを紹介されてしまい、1時間ぐらいのめり込んで読んでしまう。「けつだいらまん」は日頃自分でもネタにしていたのだが、ネタ止まりにしていたというのが恥ずかしいぐらいひとつのコーナーにまで昇華させている作者に少し敬服する。世の中には同じようなことを考えてる人はいるものだが、きっちりと追求しているというのはすばらしいことだ。戻る↑
    1月4日)「青春18きっぷで温泉カニ雪景色」
    昨日の体調不良は今ひとつ改善されないままであるが、朝も早くからいそいそと出かける。京都駅に5時半に集合しそのまま山陰線へ。城崎で外湯を巡りビール飲んで満喫。普段は車で遠出するから昼間からこういうことはできない。鉄道の旅はこういうときは大変ありがたい。眠くなったら勝手に寝てもいいし、車内は適当に暖かい。城崎でカニ寿司とかに握りとかに釜飯を買い、それらをつつきながら車窓の荒れ狂う日本海を眺めて列車は鳥取へ。餘部鉄橋近辺では「よーしパパ写真撮っちゃうぞ」みたいに子供をダシにしてお父さんが一人盛り上がるという乗客など味わい深いものがある。ちなみに自分が意識して列車に乗って餘部鉄橋を渡ったのは初めてだが、確かにこの鉄橋はすごかった。そのあと鳥取からは因美線に乗って津山へ。智頭までは智頭急行の影響か線路は適当に保線状況もよく今ひとつ旅情を掻き立てるには物足りないものがあったが、智頭から津山まではかなり雪が積もっていることも手伝ってか大変すばらしい景色が車窓に展開する。線路の両脇にある樹が雪の重みで線路の方に枝を倒し、その枝が列車に当たるという大変おもしろいイベントが目白押しだし、線形が改良されないままなのでカーブがきつく頼まれもしないのに雪景色の中を強制的に低速度で走ってくれるなど味わい深さがいっぱいである。津山に着いたらもう日が暮れてしまいそのあとは車窓の景色を眺めることもなく姫新線で姫路まで。そのあとは山陽線東海道線経由で自宅まで帰り、18切符での一日の旅行は終わった。高速道路を使わずに旅行するというのと一脈通じる気もするのだけど、その辺はどんなもんなんだろう?戻る↑
    1月3日(金)「風邪引いて寝込む」
    昨日の夜より微妙に体調不良となる。正月をどこにも行かないで過ごすというのは金はかからないけど空しい過ごし方だけど、正月にどこにも行けないというのは金もかからないし病気を治すという積極的な目的もあって有意義である、わけもないなあ。1週間も好きに休んでいいし、朝起きるのに制限がないとなれば生活リズムも崩れようものだから体調を崩すのも無理のないところなのかも。とりあえず結論としては、「初詣で無病息災を願わなかったから」ということにでもしておこうか。明日は一日でかけるので気合いを入れて体調を元に戻すべくさっさと寝ることにした。戻る↑
    1月2日(木)「初詣第2弾」
    本日も初詣に出かける。初詣というのは今年最初に神社に参ることを指すのか、それともその神社に初めて参ることを指すのか定かではない。後者の意味であれば、本日も初詣三昧である。まずは伏見稲荷へ行く。集客力で全国屈指を誇る神社だけあって、人混みはすばらしい。鳥居の中をひたすら歩き、稲荷山の一番上まで行き、帰りにきつねうどんを食べ、そのあとはゑびす神社へ。熊手に賽銭をきっちり入れ、そのあとは松尾大社へ。初めて行った松尾大社はなかなか味わい深いところで、氏子から上納させた景品で富くじをするし、たる占いと称して樽を弓で狙わせて撃ち抜けば破魔矢をくれるというなかなか味わい深いイベントをしていた。さすがは酒の神様松尾様である。去年厄除けの加護があったお守りは奉納し、本年は旅行中の安全を願うお守りにする。戻る↑
    1月1日(水)「初詣のはしご」
    新年は「行く年来る年」を見ながら迎えるというきわめてオーソドックスなものだった。朝起きて雑煮を食って初詣に出かける。今年は地元の神社と貴船神社、それから上賀茂神社に行くことにした。貴船はさすがに寒かったし雪も残っていた。水おみくじは「末吉」であった。思えば去年は厄除けをモットーにやたらと神仏の加護を乞い願う1年であった。上賀茂では参拝のあと葵屋の焼き餅を買って帰り、家で食べる。元旦らしい過ごし方をしているなあと実感する一日だった。戻る↑