2002年10月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 10月31日(木)「健康診断再び」
  • 10月30日(水)「客観的判断は難しい」
  • 10月29日(火)「女性専用車が望まれる殺伐とした社会」
  • 10月28日(月)「就職活動における履歴書について一言」
  • 10月27日)「衆議院補欠選挙」
  • 10月26日)「合コンという名の飲み会再び」
  • 10月25日(金)「たまにはうまい飯でも」
  • 10月24日(木)「謝罪してもし足りないらしい」
  • 10月23日(水)「月例会議で発表」
  • 10月22日(火)「5日ぶり出勤」
  • 10月21日(月)「代休なのでゆったりと」
  • 10月20日)「塩屋埼にたどり着けずリベンジ決定」
  • 10月19日)「大峠旧道の熱い闘い」
  • 10月18日(金)「橋が流されていた塩原温泉」
  • 10月17日(木)「めがねフェチの熱き議論」
  • 10月16日(水)「記憶を消された7代目」
  • 10月15日(火)「売られていく7代目」
  • 10月14日(月)「大島一周と三原山の噴火と台風」
  • 10月13日)「海が荒れて利島には行けず」
  • 10月12日)「東海汽船の一等船室」
  • 10月11日(金)「おねえさんご出身は?」「中国です」
  • 10月10日(木)「ハッピーマンデーのおかげで」
  • 10月9日(水)「コンサルティング再び」
  • 10月8日(火)「会議に参加しないけど翻弄される日々」
  • 10月7日(月)「歓送迎会は焼き肉」
  • 10月6日)「角島でチケット消費できない活動」
  • 10月5日)「山口ではなく下関、その裏では」
  • 10月4日(金)「出張と焼き鳥」
  • 10月3日(木)「木曜日のカレー」
  • 10月2日(水)「天然痘の接種痕は島流しの入れ墨」
  • 10月1日(火)「内定式・1年たったらそんなもん」


  • 今月の日記
    10月31日(木)「健康診断再び」
    健康診断と言うことで朝飯は食えない。4月から変わったことと言えば視力が落ちたことと体重が増えたことぐらいである。朝飯を食わずに来たのだから、普段よりも遙かに不健康なのだがその状況で無理繰り健康診断というのはなんか問題があるような気がしてしようがない。健康診断が終わったらとりあえず食堂に駆け込み飯を食って人心地つきたいが、うちの会社はそういう食堂ではなく、自販機のパンしか食べれそうなものはない。本日より会社に暖房が入るが、昨日までは寒くて仕事がはかどらなかったのに、今日は部屋が暖かいので睡魔が襲って仕事にならない。どっちにせよ仕事って言うのはかどらないものだ。今月も終わってしまった。しかし朝に霧が立ちこめる季節になってしまった。霧が立ちこめてうれしいことはウイスキーがうまくなること以外はないなあ。戻る↑
    10月30日(水)「客観的判断は難しい」
    今日も寒い。昼に別の部署にいる友人と話をしていたら、「おまえの部署がぼろくてすきま風が入ってきてるからや」と言われてしまった。確かに建物が一番古いのは認めよう。でもすきま風は入っていないはずである。別に弁護をする気はない。しかし寒いのは事実だ。本屋に立ち寄り、近衛文隆の生涯を書いた「夢顔さんによろしく」を購入。最近本を読むことが多いが、読む本のジャンルに脈絡がないなあと思ってしまう。手当たり次第読んでいるのかなあ。しかし、読み始めてみたのだが、歴史というのはやはり一人の見方を押しつけられるとそれは不幸なので、複数の人がいろんな見方をしているものを並列し膾炙して何かを見つけなければならないと思うんだが、最近は単発勝負に出る人が多いようでそれは大いに間違いである。羅生門を引き合いに出すまでもなく、もっと公平な目で見てもらいたいものだ。自分の見方は正しいと思った時点でなんか間違いである。日本の歴史文学っていうのは司馬遼太郎のせいで、それ以外のとらえ方を良しとしない風土ができてしまっているので困ったことだ。それだけ司馬遼太郎がすごいという話もあるが、抵抗勢力になってはいけない。明日は健康診断なので夜9時以降は絶食。夜中結構腹が減っていたりするが我慢して寝る。戻る↑
    10月29日(火)「女性専用車が望まれる殺伐とした社会」
    最近、朝の冷え込みが厳しい。布団からでるのも一苦労である。通勤電車は暖房が入っていた。いよいよそういう季節になったのかと言う気がしてきた。会社はなぜか大掃除である。先日の会議で上司が「部屋が汚い!」と一喝したので急遽大掃除。泥縄だぁ、でもそれなりにきれいになる。まあ、きれいなのはもって3日ぐらいかなあ。仕事をしたら部屋が汚くなるのは致し方ないのだ。いつでも部屋がきれいなのは仕事をしていないからだとうそぶいてみる。帰りの電車が妙に寒いのでよく見てみたら、窓が開いていた。誰が開けたんやろう?とりあえず、来月の出張が決まったので早割21で切符を押さえておく。そういえば今月になってから「女性専用車両」なる面妖な代物が誕生した。確かに女性しか乗っていないけど、どう考えてもこの存在理由がわからない。「女性が安心して乗れる電車」というもっともらしい言い訳があるんだけど、世の中そんなに殺伐としてるんだろうか?「痴漢という卑劣な犯罪から女性を守るんです」という人がいるんだけど、日本の今の法整備の現状からいけば、やっていないのに言いがかりをつけられたとしても、「やっていないこと」を証明しなければいけないというんだから困難の極みである。「痴漢呼ばわりするというもっと卑劣な犯罪」から男性を守ると言うことで男性専用車両でも作ってみたらいいのにねえ。でもむさい車両になりそうだからやだな。戻る↑
    10月28日(月)「就職活動における履歴書について一言」
    本日は先週に引き続き代休を取った。先月の激務ぶりがわかろうというものだ。昼から大学に顔を出し、久しぶりに後輩と顔を合わせる。そろそろ就職活動が始まっているようで、後輩はこそこそと研究概要だの履歴書だのを書いているらしいが、やはり基本は押さえておかなければならない。研究概要は「自分がこんな研究をやりました」という研究の価値で採用が決まるんではない。そもそも修士1回の今の時点ですいすいすらすらと発表できるような内容があるのは、指導していた先輩がそれなりに功績を残したからであって、本人一人のがんばりであるはずがない。ということで、研究概要は「自分がやっている研究がどういう背景があって、どういう位置づけがなされているか」ということをきちんとわきまえてそれなりに発表できれば良いことなんである。更に履歴書である。「履歴書に書く中身をきっちり考える」なんて言うのは大間違い。まずは、「どんな書式の履歴書を選ぶか」が最重要課題である。「得意科目」とか「趣味」とかを書く欄が小さいのを選ぶのがよい。何を書こうか迷うようなことは書かないで済むに越したことはないのだ。事の本質を見極めるのは重要だ。しかし、どうして半年以上も遠ざかっていて、さらにはシステムそのものも変わってしまっている大学のネットワークシステムへのパソコンの接続を僕が頼まれなければいけないんだろう?かわいい後輩だから許してやるか。戻る↑でも、なんか間違ってるぞ、木村!
    10月27日)「衆議院補欠選挙」
    本日は昨日に増して自宅でまったりと過ごす。部屋の片づけをやっていたら今月中に出さないといけない書類とかがわんさか出てきて、掃除はしてみるものだと思いを新たにする。昼はおか泉のうどんを食す。やはり讃岐うどんは地元で食う方がうまいと思うが、昔橋が四国と本州の間になかった頃に船着き場で掻き込む立ち食いの讃岐うどんは絶品だったという事を書いている人がいたのだけど、無い物ねだりと思い出の昇華の部分があるので、共感を得ることができても差別化を図られたようで、なんか胸くそ悪い。そういえば本日は衆参統一補欠選挙投票日だったらしいが、駅を降りたらいつもがなっている候補者の内誰が辻本清美のかわりに当選したのだろうか?とりあえず、「私の選挙資金は皆様からのカンパとクイズミリオネアの賞金です」と言ってのける候補者がいたりするのはなんか楽しいんだけど。案の定、この候補者は落選した。戻る↑
    10月26日)「合コンという名の飲み会再び」
    心ゆくまでぐっすり眠る。なんだかんだと言って疲れは溜まっていたようだ。昨日買った倉木麻衣のCDを聴くが、最近はデビュー当時のインパクトが薄れてきたのか、「GIZAに所属してるタレントの中の一人」ぐらいに思えてくる。ジャケットの写真は昔と比べてあか抜けているので芸能界って怖いねえと思う反面、この辺で安定していればいいのかも知れないなあと思えてきたりもする。昨日より草野満代の「ニュースキャスターの本音」なるものを読み始める。もっと俗物で高慢で「てめえら一般人とは違うんだよ!私はセレブなんだよ」と言う論調で書いてあるのかなあと思っていたら、なんかテレビで見たとおり、フツーのことしか書いてないし、つっこみも甘いのでいけてない。まあ、週刊金曜日に書いている筑紫哲也と同じぐらいゴリゴリと書かれたら、「NEWS23」は濃すぎる番組になりかねないからこれで良いのかも。夕方より大阪で飲み会。OCATの屋上庭園を100円払って鑑賞し、あまりのつまんなさに愕然とする。おまけにハロウィーンパーティーの準備でわけわからん状態だったので、なんかいけてなかった。そのあと湊町リバープレースなるところのボードウォークを歩くが、ボードウォークと言えば400ドル@モノポリーだよなあと言うことが真っ先に頭をよぎってしまう。その後ワイン持ち込み可という料理屋で飯。最近食が細くなったのか、食べ物をずいぶんと残してしまう。久しぶりにどこにも出かけない週末というのはこれはこれで良いものだなあ。戻る↑
    10月25日(金)「たまにはうまい飯でも」
    会社で風邪がはやっているらしく、隣の席の先輩社員がダウンしていた。ひどくならないうちに休んでおくというのは、やはり重要である。定期検診を受けて病気の早期発見に努めると医療費が安くてすむというのに似ているような気がする。そういえば、プロジェクトもだめだと判断したら勇気ある撤退をするべきだという話になっていたのだが、僕の携わっていたプロジェクトはどうなるんだろうか?行き先が不透明である。夕方より、市場小路へ飲みに出かける。昼間水分を取らなかったのでビールが大変うまい。おすすめメニューのサーモントロのあぶり焼きは絶品。それにしても今週は割と暇だったのかも知れないなあ。なんせ、日記を平日に更新する余裕があったんだからねえ。戻る↑
    10月24日(木)「謝罪してもし足りないらしい」
    本日、つかこうへいの「飛龍伝」を読了する。文章がどんどん脚本のように見えてきて、各場面の芝居のシーンが本を読むだけで見えてくる、というのは必要以上に感情的な出演者が多いせいなのか、それとも入れ込みすぎた作風が原因か、その辺はわからない。しかしまあ、つかこうへいの作品には必ず「生まれながらに差別を受ける」「マイノリティーで世間から認められていない」という立場の出演者がいて、何かそういった負のパワーを持って作品を作っているような気がしてならないし、それが今ひとつこの作品を手放しで褒められない理由であったりする。小説家、もしくは脚本家としての能力はすばらしいのに、それを正当に評価されないという点では柳美里もあてはまるような。北朝鮮が「日本がかつて朝鮮に対して行ったことを考えれば、拉致なんて知れたものだ」という暴言をしているらしいが、本質的になんか間違っている気がする。個別の拉致と強制労働を同じレベルで議論するのが間違いであり、それよりも昔ひどい目にあったから「ちょっぴり」仕返ししてどこが悪いんだ?ともとれる論調はまったくもっておかしい。しかし、そういった蟠りは「手厚い保護」だとか「社会的立場を与える」なんて方法では解決しない。少なくともひどいことをやってきたからその補償として何かお詫びをするというのは、いつまでたっても特別扱いをしていることに他ならないんである。そもそも、実際にそういった歴史的な流れに遭遇した人とやたらと日本に対して謝罪を求める人が同じ民族とはいえ別人なので、謝りようがないし、謝ったとしても誠意が伝わりようがない。全く特別扱いしない、そしてそれが当然のように思われるようになる、と言うことを実現するために必要なものと言えば、時間なんだろうなあ。少なくとも100年単位で考えないと解決できないように思われる。とりあえず「謝罪しる!」とか言ってるうちは、自分で解決をしようという気持ちがないと思うべきなのかも知れない。戻る↑
    10月23日(水)「月例会議で発表」
    朝から会議で発表する。昨日遅かったのはそのための資料作成に追われていたということであるのだが、それにしても遠慮のない質問がやたらとくる。「知るか!」といいたくなる質問とか相手の不勉強ぶりがわかる質問に答えるのがめんどくさくもなる。とりあえず凌いで昼飯へと行くが、なぜか頼んだ弁当が来ていないので寂しくカップラーメンをすする。部署に戻って弁当を頼んでもらった人にその旨を伝えると、「昨日も数が一つ少なくて、一番最後に食べにいった人が今日の僕同様に泣きを見た」んだそうである。これからは早めに飯を食べに行かないといけないと強く心に誓う。お早めにお召し上がりください、というただし書きは伊達ではないのだ。なんか間違っているような気がするが、まあいいか。そういえばようやく会社の名刺ができた。新人が名刺を作るのは、「合コンで配るのか?」と揶揄される部署もあるそうだが、僕の部署は夏のセミナーに名刺を持って行かなくて怒られたぐらいだから、それぐらいさっさと作っておけ、と言う感じなんだろうなあ。夜中、ひさしぶりにプロジェクトXの再放送を見て寝る。戻る↑
    10月22日(火)「5日ぶり出勤」
    会社に5日ぶりに行く。やはり仕事が溜まっているようで、なかなか終わらない。なんせ本来ならば先週の土曜日は出勤日だったのを無理矢理代休を押し込み、日曜日だけの休みを必要以上に肉付けして3連休とし、さらに金曜日に出張を入れたのだから、そら仕事が溜まるはずである。それにしても朝晩は冷え込むようになった。布団から出るのが辛い日々がいよいよ始まったようである。去年までと違い、今年は有無をいわせずに起きねばならぬのだ。戻る↑
    10月21日(月)「代休なのでゆったりと」
    本日は先月の激務のご褒美、ではなく休日出勤の代休ということでお休み。二度寝をしたりしてゆったり過ごす。昼から銀行に出かけ、奨学金の返済方法についていろいろとやったり、未だに住所変更ができていない銀行に届けをだしたりする。さすがにこういう作業は平日昼間しかできない。今となってはほとんどのことはインターネットを利用すれば可能だが、めんどくさい作業ばかりはそうも行かない。しかし、合併してから6ヶ月以上たつというのに、「うちは、旧○○銀行ですので、旧××銀行の通帳からお客様の情報を取り出すことはできません。」という言い訳がいつまで通用すると思っているんだろう?そのあと買い物に出かけ夕方帰宅。久々にゆっくりと過ごした一日だった。戻る↑
    10月20日)「塩屋埼にたどり着けずリベンジ決定」
    昨日の宴のおかげで熟睡でき、すっきりとした気分で目覚め、一路喜多方ラーメンを食いに出かける。喜多方の駅の近所にある「なまえ食堂」で極太手打チャーシュー麺を食すが、うまいの一言に尽きる。そのあと熱塩加納温泉の共同浴場でまったりするが、ここは脱衣場が男女同じ、浴槽は男女別だが、浴室内で行き来が可能という限りなく混浴に近い風呂であった。そのあと日中線の終着駅熱塩駅跡に立ち寄りしばしの時の流れを感じる。インフラというのは必要だから整備するだけではなく、新たな需要を発生させるために整備するものでもあるということを中途半端ところで工事が止まったために廃止されてしまったこの鉄道を見て感じ取ってしまう。そのあと、一路塩屋埼をめざし突っ走るが、目的の塩屋埼灯台はすでに閉館し、波風の強い中美空ひばりの「みだれ髪」が寂しく響き渡るばかりであった。こんなところでまったりしているわけにも行かず勿来から一般国道289号経由で玉川村の福島空港を目指すが、田人と鮫川でかなりえぐい山道を味わされてしまい、へろへろになって搭乗完了20分前にぎりぎりで空港に到着する。そういえば行きの伊丹に到着したのもぎりぎりだった気がする。とにかく飛行機に乗りわずか1時間で大阪に到着。モノレールと阪急で帰宅。よく考えたら、今日は昼前に喜多方でラーメン食ってから何も食ってなかったなあ。戻る↑
    10月19日)「大峠旧道の熱い闘い」
    朝起きると、なんかたまらんいい匂いがしてくるので、匂いに惹かれてふらふらとパーキングにある土産物屋へと行ってしまう。そこでいきなり店の大将に味噌汁を手渡されてしまい、腹が減っていたのでつい戴いてしまう。戴いてから気がついたのだが、これって先にものを食わせてなんか買えという無言のプレッシャーを与えているのではあるまいかという風に思われたのでそそくさと退散。ただより高いものはないということを身にしみて思い知らされてしまう。そのあと道の駅喜多の郷に集合。車を山形側に搬送している間暇なので、道の駅でラーメン丼という摩訶不思議な物を食し、温泉でまったりする。風呂上がりに腰に手を当てビン牛乳をくいっと飲み干し戻ってみるとちょうど出発となったので大峠旧道へと向かう。旧道のトンネルは味わい深く、トンネルを抜けたところにあるカントリーサインは90度以上曲がっていて来年あたりは折れてしまうのではないかと思われるぐらいである。その後も道が自然に帰り、落石防護ネットが雪で突き崩され、土砂崩れが道路に散乱しという年々ひどくなる道路状況を目の当たりにしながら突き進み、新道との合流地点に到着。キックボードで走る下り坂は感激の一言に尽きるが、路面に散らばる落石に突っかかり、危うく前転しそうになるのを堪えるもズボンがかなり悲惨な状況になったのでコメリで作業ズボンを買い、夜の宴会に備える。夜の宴会では日本人らしく屋外で鍋と洒落込み、曇り空のもとすばらしい宴会となる。かなり疲れていたようで一次会あたりで眠気が襲ってきたため早々と退散し熟睡。戻る↑
    10月18日(金)「橋が流されていた塩原温泉」
    本日も講習会で大阪に出かける。昼飯は近くの中華料理屋でバイキングと洒落込む。味は申し分ないのだが、日本語が通じにくい店なので、こっちもそれなりに身構える。とりあえず杏仁豆腐を熱いスープ入れに流し込んで、せっかく冷やしたものを温くするのだけはいただけないが、中国4000年の歴史から行けば冷蔵庫が普及したことなどほんの戯れに過ぎないのであろう。講習会が終わってそのあと飛行機で羽田へ。羽田から蒲田まで行き、友人と合流して横浜へ。横浜から出発して一路福島と山形の県境大峠を目指す。途中塩原で川の向こうの温泉に行こうとしたが、橋が流されていたというすさまじい理由で行くことを断念し、温泉街の中にある湯小屋を見つけて入浴。ヘッドライトをつけながら照明を消してはいる温泉は格別であった。そのあと藤原町の横川パーキングで寝る。戻る↑
    10月17日(木)「めがねフェチの熱き議論」
    文化庁が日本を代表する作家の作品を外国語に翻訳するというプロジェクトを掲げたらしいが、作家の選考基準がいまいち不明である。夏目漱石や樋口一葉はわかるけど、現代の作家についてはおよそわかんない基準である。ちなみに日本語の英語への訳しやすさを考慮に入れてか谷崎潤一郎は入ってなかった。昔、英作文の問題で「細雪」を訳させられたのが思い出される。帰宅するときに本屋でつかこうへいの「飛龍伝」を買って読み始める。学生運動で死亡した樺美智子の生涯を戯曲化したものだが、実際の背景がそんなものであるかは知らないし、そもそも全共闘という学生運動そのものの本質を理解していないから、何でまたデモなんかやるの?という暢気な疑問がぬぐえない。まだ読み始めたばかりで結論が出るべくもないが、この役を内田有紀にやらせるのはちと辛すぎるような気がする。この役どころで内田有紀を使う理由は「瓶底眼鏡を取ったら美人」とか「幸が薄そう」ぐらいしか見あたらない。と思っていたら、NHK朝の連続ドラマ「まんてん」に出演している永井流奈は眼鏡フェチにはたまらんのうという話題で盛り上がる。それにしてもNHKはなんでこんなすごいはまり役を見つけてきたんだろうか?そもそも事務所の路線として「眼鏡」なんかなかったはずである。きっとディレクターが眼鏡フェチだったんだろう。ノートパソコンは無事先輩に売り渡せた。なんか問題があったらしばらくの間はサポセンになるんだろうけどね。戻る↑
    10月16日(水)「記憶を消された7代目」
    昨日に引き続きバックアップを行う。圧縮したファイルをアップロードし、アップロードしたファイルを復活させたMURAMASAでダウンロードする。ダウンロードしている間に別のファイルをアップロードするというこれの繰り返しで、ダウンロードしたらファイルは削除するという風にうまく事が運び、1時間ぐらいでバックアップはとれた。さすがに170MBのファイルをアップして落とすときだけは容量ぎりぎりだったので焦ったが。それにしてもMURAMASAの修復はあっけなかった。XPをSAFEモードで立ち上げて、悪さをしているnavin'youをアンインストールしたら、次からは問題なく立ち上がった。こんな簡単なことならさっさとやっておくべきだと思ったが、今更どうしようもない。バックアップがすんだ後、DynabookSSにはリカバリCDをぶち込んで、工場出荷時の状態にして引き渡し準備は完了。2年間お疲れ様でした、新天地でもがんばってね、とおざなりに放置し新しいMURAMASAに心変わりする浮気者の性分はどうしようもないなあ。戻る↑
    10月15日(火)「売られていく7代目」
    そろそろ2年間にわたりよく働いてくれたノートパソコンに別れを告げるときがきたようである。別に動かなくなったとか、液晶がドット落ちしたとか、すぐに暴走するとか、そんなんじゃなくて、一月前に買ったMURAMASAをいい加減きちんと動かせるようにして、7代目のDynabookSSは会社の先輩にうっぱらうことにしたのである。2年間かなり酷使したのでキチンとは動くけどそろそろ遅いのが鼻についてきたかな、でもオークションで売るとなんかクレームがつきそうな状態なので見ず知らずのやつには売れんなあと思っていたら、インターネットがしたいという先輩が現れたので渡りに船、というわけなんである。とりあえず本日は必要なファイルをバックアップする必要に迫られたのだが、このノートにはCD−Rを焼くという今時な機能がついておらず、もっぱらコンパクトフラッシュで他のパソコンに移す必要がある。しかし、そんなんでチマチマやっていたのでは埒があかない、ということでLANを組もうかとしたがうまくいかないのでどうしようか迷い、結局世間の常識から行くと限りなく非常識なのだが、自分のWebスペースにいったんファイルを置き、移し替えるノートでそのファイルをダウンロードするという恐るべき戦略に打って出ることにした。自分のスペースは200MBあるので、50MBぐらいの大きさの圧縮ファイルをいくつも作成し、アップする準備を整えた。こんなことをまじめに考えて実行に移すのはよっぽどの暇人という風に思われるかもしれないが、上り下り100MBPSという僕のネット環境ならば決して馬鹿な選択でないのである。戻る↑
    10月14日(月)「大島一周と三原山の噴火と台風」
    朝宿のご主人に起こされ、「船は大島に寄港します。でも利島には行きません。」というむげな言われ方をされたのだが、宿の大将に罪はない。で、行く用事がなくなったからといって朝早く準備してもらった朝飯を後にまわしてもらうというわがままを言うわけにも行かない。ということであさ早くから朝飯を食いつつ、いったいこれからどうしたものかという作戦会議。最近の旅行は作戦会議をしながら旅行をするというのが当たり前で、それに慣れっこになってる我々の事をおかしいという向きもあるが、そんなことは気にしない。ということでレンタカーを借りて島を一周し、三原山に行って自然の偉大さについて感じてみようということになる。もちろん腹が減っては戦はできぬということで昨日から気になっている元町港の「イズシチラーメン」を食べた後で向かったのであるが。三原山の外輪山までは道が整備されていたので車で楽勝に到達し、そこからは歩くのがだるいなあと思いつつその雄大な景色を見ていたら観光ガイドのおっさんがやってきていろいろと三原山の噴火の歴史について語ってくれた。要するにまとめると、16年前の島民全員脱出のときの噴火なんて「小噴火」ということらしい。何で逃げなければならなかったのかというと、三原山のカルデラ部分から火を噴いたのではなく外輪の更に外から火を吹いてしまったので溶岩が町に迫ったというのが原因であったらしい。それはそれで説明が行ったのだけど、「この前の台風で、この土産屋の屋根が吹っ飛びました」という必要以上に生々しいガイドまでしてくれたのはいいことなんだか。そのあと空港からダッシュ8に乗って羽田まで。羽田からは伊丹まで飛行機に乗りそのまま帰宅。なかなか楽しい旅行だった。帰宅したら、おととい予約していた温泉旅館のうち1件は予約できるということであった。しかし、大島の土産といえば「椿油」「くさや」「塩」なんで、塩しか買うものがなかったなあ。戻る↑
    10月13日)「海が荒れて利島には行けず」
    目が覚めたのは大島に寄港するときの船内放送であった。「お預かりしていた「せいせんしょくりょうしん」はお忘れなきようお申し出ください」ということである。ちなみに本日はとりあえず新島に降り立つ計画なんであるが、波が強いというので利島への寄港は諦めるということらしい。そんなんでいいのか、東海汽船。この船の帰りの便を使って新島から利島にいく計画を立てていたのだが、その計画は早くも頓挫しているようである。いつでも旅にハプニングはつき物だということはわかっているのでいまさら驚くには値しないが、毎度毎度よくもまあこんなに楽しいことが起こるものだと感動する。とりあえず新島で降りて島をうろうろとめぐり、下水のマンホールのふたが新島本村のだけでなく喜多方とか新井とか南河内とかのものもあったりするのはいまだに不明。更にいえば本日は島内挙げての運動会だということで、店が軒並み臨時休業というのが楽しすぎ。「ペットボトルの飲料が全部なくなっちゃってねえ」というわけのわからない言い訳をしているおばちゃんや、外海から打ち寄せる波がローリングして絶好のサーフィン日和を超越していたのでサーファーがすごすご帰っていく海岸など、明らかに必要以上にイベントが目白押しで余所者の我々には到底ついていけそうにないが、とりあえず言えることは「すれっからしばっかりでやる気が感じ取れない島」であった。もちろん帰りの便も利島に行くわけもなく、諦めて大島に宿を取ることにした。ところが冷静に考えてみれば、昨日の竹芝桟橋でシマノ主催の釣り大会@伊豆大島に参加するために妙に大量のおっさんが乗り込んできたからには、大島の旅館民宿は軒並み満員なんではあるまいか?ということになってきたわけである。幸いにしてそういうこともなかったようで無事宿は取れ、大島の宿に荷物を解くと温泉に出かけ、いい気分に酔っ払って宿に戻り、本日の宴会と相成る。晩飯の舟盛がゴージャスで久しぶりにうまい魚を食ったと感動した。明日は一縷の望みをかけて利島に行ける算段をし、早朝に大島を出る船に乗れるよう朝早く起こしてもらうことにして部屋で再び宴会。戻る↑
    10月12日)「東海汽船の一等船室」
    本日は昨日の飲みすぎというのもあってかのんびり起きる。昼前ぐらいになって親が「温泉に行きたいから手配しろ」といってきた。11月初頭、3連休、カニ解禁、わずか3週間前、このすべての悪条件の中でいけてそうな宿を探せなんていうのは、釣書を常時30枚ぐらいストックしている親戚のおばさんをしても仲人が務まらないのと同じくらい無理な注文である。そもそも一昨年の「正月に宿を取れ」を12月はじめに言い渡した時に既に無茶な注文だということは身に染みていたはずなのに、実際に苦労していないから喉元過ぎればということなんであろう。夕方より友人と伊豆諸島に出かけるため伊丹まで移動。伊丹から飛行機で羽田に着き、浜松町の屋台で一杯やりながらテンション上げて竹芝桟橋へ。見送りに来た川崎在住の友人を無理やり船内に連れ込み横浜まで宴会を開き、横浜からはアジア大会の飛込競技について熱く議論を戦わせながら爆睡。台風の影響で多少波が強いらしいが、別に気にならなかった。戻る↑
    10月11日(金)「おねえさんご出身は?」「中国です」
    本日も大阪に出張。昼飯にカレーを食べたのだけど、冷静に考えてみれば水曜の夜はカレー、木曜の昼はカレー、んで本日の昼もカレーである。まるで黄レンジャーのようである。3の線を貫く男は夜中目が覚めたらカレーでも食べようと叫び、仲間が落ち込んでいるときはカレーでも食って元気を出せというし、最後はカレーの食いすぎで死んだというまことしやかな都市伝説まで作り上げたというところに昔の特撮ものの入れ込みぶりが覗える。作り手の意気込みは視聴者に伝わる、というところなんだと思うが。夕方より友人と明日の作戦会議と称して飲みに行く。日本酒がぼちぼちそろっている店に行くが、やはりいつものごとく「店長はいいコンセプトを持って店を作って運営しているが、いけてないバイトがそれをだめにしている」という店を選んでしまったようだ。とりあえず文句をひとつ言うとすれば、冷酒のコップの下にある枡は「コップからこぼれた酒」を受けるものであって、その枡の表面張力の限界を調べる実証実験なぞをやってくれとは誰も頼んでいないということである。戻る↑
    10月10日(木)「ハッピーマンデーのおかげで」
    体育の日だとか言うせりふは今は昔となったようである。ハッピーマンデーという制度のおかげでまとまった休みが取れるようになったのはいいことだ、これは国民のレジャーに対する出費が上昇するという割と姑息に感じ取れる政策のおかげなのかもしれないが、飛び石で一日だけまったり休むという小休止ができにくくなってきたのも事実である。それより問題なのはうちの会社が「3連休の次の週は土曜出勤してもらおっかなあ」と言ってることである。さらにいうと今週中に仕上げないといけない仕事は今日中に終わらせないといけないこともあってか、なんだか今日は忙しい。きのうとはうってかわっていつものおそーい時間に帰宅。戻る↑
    10月9日(水)「コンサルティング再び」
    本日は昼から何か外部のえらいさんがやってきて、コンサルティングをしてくれるということでその準備に追い巻くられる。追いまくられること自体はいつものことなんだが、アドバイスの内容が前とあんまり変わってないというのは首尾一貫性があるということなんだけど、逆に言うとメリットが少なくなってきたということなんではなかろうかと思うのは考えすぎなのかなあ。このところ仕事以外の雑用が多い、というか仕事そのものがどうも雑用の要素が高くなってきたようで、上司をはじめやたらと会議が多い。その資料を作っていたりすると、何か本来の仕事と違うような気がするけどこれまたこの仕事にとっては大事だということはわかっているのでこれ以上は言わない。でも、これを「仕事です」と堂々と言う気にはなれないなあ。そういえば今日は奇跡的に早く帰宅できたので親が驚いていたのだが、しばらく経てばこのくらいに帰宅するのが当然という風になるのかなあ。夜友人と週末に出かける相談をするが、旅行ってやはりプランを立ててるときから楽しいものだ。戻る↑
    10月8日(火)「会議に参加しないけど翻弄される日々」
    予想通り、朝起きるのは辛い。仕事も身が入らない。朝は会社まで歩くことはおぼつかず、バスのお世話になる。しかし現金なもので昼前になると腹はきっちり減って、いつもと変わらぬ昼飯の量を平らげるということを鑑みて健康優良児ということで表彰してもらいたいぐらいである。このところ自分の担当している仕事が過渡期にさしかかっているようでやたらと会議が多い。もちろん新人なので参加することはないが、そのせいで仕事が多いのは困ったものだ。確かそろそろ暇になるからっていうことで代休の申請をしているんだけどねえ。戻る↑
    10月7日(月)「歓送迎会は焼き肉」
    月曜日はやはり多少だるい。昨日の感激ラーメンがかなり堪えているようで、腹が感激しまくってる。しかし夕方から歓送迎会で焼肉ということに相成る。なぜ歓送迎会で焼肉なのかという気がするのだが、要するに幹事の食いたいものをノミネートしただけということであるらしい。コース料理を頼んでいるというのに食いたいものを勝手に頼むし、飲みたいものも勝手に頼むしということでかなり予算オーバーらしいが、そんなことは知ったことではない。そのあと2次会でしこたま飲んで帰宅。明日は間違いなく辛そうだ。戻る↑
    10月6日)「角島でチケット消費できない活動」
    朝、ホテルをチェックアウトして一路本州最西端の「毘沙ノ鼻」に向かう。実はゴミ処理場(埋立地)の中を通りぬけて岩場を少し歩いたその先にあるのだが、岩場が急なのであと30mというところまでしかいけず、挫折する。そのあと川棚温泉の元湯「青竜泉」でまったりする。そのあと響灘の沖合にある角島に行く。1年半ぐらい前に「角島大橋」という橋ができ、本州と陸続きでいけるようになったそうで、それまで島の住人は鍵をかけて寝ることがなかったというのに、橋ができてからというものそれは不用心だということになったようで、これも善し悪しである。観光客が来るようになって、すれっからしになられては困るし、でもそんなことを一介の余所者の僕に指図される覚えも無いからなんともいいようがない。角島には全国で13ヶ所ある中に入れる灯台のうちの一つである「角島灯台」があり、そこに行ったんであるが、普通に入場すると150円のところを13ヶ所分をまとめて買うと500円になるというまことにありがたいチケットがあり、それを購入しようと「13枚つづりのやつください」といったら「1950円です」という即答が帰ってきた。そうじゃないんだって。そのあと美祢から高速に乗り、大雨の中ハイドロプレーンしまくりで走り、いつものように滝野社からは372号で亀岡へ。亀岡にも「來來亭」があり、そこで「感激ラーメン」という激辛ラーメンを食べて帰宅。充実した週末だった。戻る↑
    10月5日)「山口ではなく下関、その裏では」
    本日は朝より出かける予定だったが、家の用事が思いのほか手間取り、結局出発できたのは10時過ぎ。待ち合わせは蛍池に10時半と到底間に合わないので、待ち合わせ場所を加古川に変更し、こちらは高槻からJRの新快速に乗り換えて加古川までかっ飛ぶ。新快速の速さを改めて実感したのだが、加古川の待ち合わせには余裕で僕の方が早くついたというのだからおそろしいの一言である。合流後、山陽道岡山道中国道経由で島根県にある中国道の六日市ICから下道を走り、山口に泊まる予定だったが下関のホテルの方がはるかに魅力的だったので下関に予定を変更し、小郡から高速をぶっ飛ばして下関まで。下関でチェックインした後飲みに出かけたが、空のジョッキを無言でひきあげるというバイトがいる飲み屋だった。食べ物がおいしかっただけに悔やまれる代物である。まあ、「ヱビスビールあります」というはり紙を張ってあるのに、注文したら「ないです」という店だから、何かが間違っていると思うのだが。そのあとホテルに戻り、さらに飲んでそのまま爆睡。で、黙っといてくれと言われてるのでこれ以上は書かないが、そういうことがあった日だということだけは記録しておこう。戻る↑
    10月4日(金)「出張と焼き鳥」
    本日も講習会に参加。本日の講師はテキストの棒読み一本槍という史上最悪の作戦を展開してきたため、昼飯後は軒並み轟沈する。とりあえず開放された後はヨドバシで複合機を物色し、紀伊国屋で本を買ってそのあと飲みに出かける。前から気になっていた焼き鳥屋に行くが、大変愛想の良い焼き鳥屋で頼んだものはテキパキ来るし申し分ない。ただし、4人以上で行くには難しい店である。久しぶりに飲み過ぎていい気分で帰宅。しかも昨日おとといよりもかなりはやい時間に帰宅でき、かなり満足。帰りの電車で、「明日暇か?」と電話があったので、その場で急遽先週行けなかった山口行きが決まってしまった。戻る↑
    10月3日(木)「木曜日のカレー」
    購読しているメルマガには楽しいものが多くあるが、中には明らかに主催者の勘違いの要素が多いものもあって、これまた興味を引くものである。そのおかしさをあげつらったりするのは大いに間違いで、あくまで自分はそう思っているということを述べたに過ぎないのだからそれでいいはずなのだが。しかし、自分が売れっ子なのでカネと女には困っていないという書かれ方ばっかりは頂けない。昼飯のカレーは一週間同じ鍋で炊かれるので時が経つほどにうまくなるが、時が経つほどにこれまた酸っぱくなるというので両方の鬩ぎ合いの結果、最高値をとるのは木曜日であろうと判断した友人がおり、そのアドバイスをもとに本日食したのであるが、比較対象となるほかの曜日のカレーを食っていないのでこれがいけてるかどうかは判断できかねる。とりあえず大鍋で大量に作ると煮物はうまいという原理原則から外れてはいないので食べてはいけない代物ではない事だけはわかった。戻る↑
    10月2日(水)「天然痘の接種痕は島流しの入れ墨」
    朝いつもの時間に駅についたら、いきなり電車がやってきたのであわてて乗り込む。どうも前の電車が遅れてやってきたようで、その原因はドアが閉まらなくなったことにあるらしい。しかし、僕の乗る駅では既にドアの故障は直っていたようで、ごく普通に開閉されていたのはなんだかつまらない。夜友人と話をしていて、天然痘の予防接種は腕に痕が残るけど、予防接種が義務でなくなったのは、僕の少し下あたりかららしいという話になり、微妙な年代に差し掛かる僕と同年代かもうちょっと若い女性陣にとっては年齢を否応なしに刻まれたかのような感を受けるのだけど、これはずいぶんと冷酷な話だ。いくら話をしていたときに若く見せても、いざ事に及んだときに年がばれるというのは恐ろしい。って、この話を読んでから合コンにノースリーブを着ていけなくなられては困るんだが。戻る↑
    10月1日(火)「内定式・1年たったらそんなもん」
    朝から雨が降り続く。そういえば今日は内定式である。去年は確か暑いくらいの晴天だった記憶があるのだが、今年は雨というのは大変だ。雨の日にめったに着ないスーツを着たやつらが大量に集まれば、ドライクリーニングの有機溶媒のにおいがそこかしこに立ち込めていて、あまりうれしい気分にはなれないんだけど、まあ仕方がないか。結局あほあほ切符は取れなかったようで、12月1日の予定があいてしまったのでどっかにでかけるプランを立てようということでこのところ昼飯の時間が作戦会議の時間に充てられているのは致し方ないのかも。旅行ってプランを組んでいるときが一番楽しいんだけど、行ってみるとやはり行ったときが一番楽しいということになるから不思議なもんだ。後輩に内定式の状況を聞いてみたら「飲み会のノリがサークルのようでした」ということだった。たしかに同期で飲み会をすると、何かついていけなくなるのりでやっていたりするのは理解できる。それだけおっさんになったということか。戻る↑