2002年6月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 6月30日)「見そびれた決勝ゴール」
  • 6月29日)「どっちもトルコに負けたので強さは同じ?」
  • 6月28日(金)「本部長面談で意見吸収、なのか」
  • 6月27日(木)「新製品の一時金」
  • 6月26日(水)「ロナウドの大五郎カット」
  • 6月25日(火)「韓国はそんなにサッカー強いの?」
  • 6月24日(月)「足の裏の米粒」
  • 6月23日)「爪を立てて洗う不埒な散髪屋」
  • 6月22日)「国道25号リレーとRSふじはしでの宴会」
  • 6月21日(金)「行けてない飲み屋」
  • 6月20日(木)「インターネットが入り込む生活」
  • 6月19日(水)「誰かが踏む、犬のうんこ」
  • 6月18日(火)「法律を守ることと運用すること」
  • 6月17日(月)「ワールドカップの影響はこんなとこにまで」
  • 6月16日)「山道具のおかいもの」
  • 6月15日)「100BASE-Tの実力」
  • 6月14日(金)「今月はワールドカップ月間」
  • 6月13日(木)「XPようやく復活。でもそんな裏技使うの?」
  • 6月12日(水)「ザック購入、これでどこにでも行ける」
  • 6月11日(火)「民明書房は実在しない」
  • 6月10日(月)「日記始めて1周年」
  • 6月9日)「中山道は味わい深い」
  • 6月8日)「解決しないけど、ノートがあるからいいか」
  • 6月7日(金)「XPの致命的な問題発覚」
  • 6月6日(木)「実験できない体」
  • 6月5日(水)「ウイスキーがお好きでしょ((C)大原麗子)」
  • 6月4日(火)「ワールドカップは国民的関心事」
  • 6月3日(月)「ブロードバンド開通」
  • 6月2日)「碓氷峠あれこれ」
  • 6月1日)「崩落現場の視察と山菜だらけそば」


  • 今月の日記
    6月30日()「見そびれた決勝ゴール」
    夕方から昔のバイト先の同僚と飲みに出かける。というか、本日はワールドカップの決勝だったのでワールドカップをでかい画面で観戦しながらビールとつまみで盛り上がるというスポーツバーに行った。4年ぶりに会うやつとか、3ヶ月ぶりにあう面々とかいろいろであったが、ひさしぶりにあって仲良くサッカー観戦というのもいいものであった。試合はブラジルの勝利に終わったが、怖い顔したドイツのキーパー、カーンよりもはるかに怖い顔をしていたコリーナ審判の方が存在感溢れるゲームだった。悔しいことといえば、便所に行こうと立ち上がった隙に大五郎に得点を入れられたことであった。しかし、スキンヘッドのコリーナ審判にドライヤーをプレゼントするとは味わい深いことをする人もいたものだ。しかし、試合前のオフィシャルライブというわかったようでわからないイベントに出ていた倉木麻衣だが、インタビューのときに何か鈴木その子ばりに光があたっていたのはどうしてなんだろう?確かに昔のバイト先の教え子からの情報によれば、立命館宇治に通っていた頃の倉木麻衣は、廊下ですれちがっても誰も気がつかないぐらい地味で目立たなかったというから(といってもその時期既に大ブレーク中だったらしいが)、やはり華がないんであろう。売れる売れないは品質や値段ではなくて、イメージとシェアで決まるのである。戻る↑
    6月29日()「どっちもトルコに負けたので強さは同じ?」
    普段より1時間ぐらいしか余計に寝ていないのだが、ずいぶんと疲れが取れたようだ。昼間は部屋の掃除に勤しみ、かなり散らかっていた部屋が随分ときれいになる。夕方からは同期の飲み会で高槻に。ちょっと早くついたのでその前に別の一軒で引っかけてから飲み会開始。気がついたら4時間ぐらい貸し切っていたらしいが、そんなことは知らない。とりあえず、頑張ってその日中に帰宅。宴会中に阪神が勝っただのトルコが勝っただのという話が流れるが、酔っぱらっていたのでどうでもよかったりする。そういえばフランスの新聞で「韓国のほうがはるかにワールドカップに力を入れている。」とあったが、その根拠は「どんな田舎に行ってもワールドカップの垂れ幕がかかっているのが韓国で、日本はちょっと田舎に行けばそんなものはない」とか「ソウルのスタジアムとさいたまのスタジアムを比較すると、ソウルはソウル中心部から30分でつくことができるが、さいたまは東京から劣悪な公共交通で1時間以上かかる」なんかであるらしい。前者についてはお前は本当に田舎という田舎をくまなく渡り歩いたのかと小1時間問い詰めたいし、サッカーというスポーツが植民地支配の道具として使われたスポーツであるからありとあらゆる国民を煽動しなければならないとでも言いたいのかもしれないが、民族の違いという要因がかなりでかいと思う。もちろん西洋人にとっては、僕がドイツ人とフランス人の区別をつけにくいのと同じように、アジア人はどいつもこいつも同じにみえるから民族の違いなんかは全く考慮に入れていないのかもしれないが。また、後者についてはソウル市内にあるスタジアムにソウルの中心部から30分でつくのは当然であるが、さいたまスタジアムになぜ「東京」から行く時間を比較対照にしなければならないのかということについて大いに疑問が残る。さいたま市内の中心部からなら30分もあればスタジアムつくのは確実なので、比較の仕方にかなり問題があるような気がする。この比較対照ってその記事を書いたフランスの記者がわざわざ東京からさいたままで試合の取材に行くときに大変だったという愚痴をそのまま記事にしたような気がしてならない。戻る↑
    6月28日(金)「本部長面談で意見吸収、なのか」
    上の日付と曜日を入力変換してみたら、ロナウドのおとっつあんが原因で「きん」の第一変換候補は「錦」に変わっていた。会社でなぜか本部長面談というイベントが開催されていて、本日は僕の番であった。といっても1対1でいろいろ聞かれるわけではなく、こっちは10人で向こうがいろいろと話をしてきて、「何か最近仕事で困ったことない?」とちょろっと聞くようなものである。説明の大半をタイミング良く執り行われた人事異動の背景に費やされていたのは計画的か?と疑う向きもあるが、新入社員としてそんなにぺらぺら喋ることができるほど根性が座ってるわけでもないので話すネタがあったのはよしとするべきであろう。以前のバイト先の同僚と飲みに行く計画を立てていたのだが、「ワールドカップの決勝を生でみたい!」と言うやつが出てきたので、生を観るんなら横浜いかなあかんやろ、テレビで観るっていうのはリアルタイムかもしれんけど、生ではないぞというツッコミはさておき、次に日本でワールドカップが開かれるのなんてどんなに早くても50年後ぐらいだから仕方ないかということで、しばらくその案は保留だったりする。ちうか、その日はあさってなんだけどこんなんでいいのだろうか?そういえばようやく会社でメールアドレスが貰えた。戻る↑
    6月27日(木)「新製品の一時金」
    会社でいろいろとイベントがあってなかなか興味がつきない。新製品が発売となったので、社員全員に一時金が振る舞われるが、新入社員の我々はなぜか妙に安く抑えられてしまう。その新製品に対してこれっぽっちも尽力していないから当然といえば当然なのだが、これはすべて時期というどうしようもない不確定要素によるものだし、そもそも当初の発売は去年だったはずだから貰えるだけでもありがたいというものなのかもしれない。会社の新製品の発売がこのところ軒並み後ろへずれているのに一抹の不安を感じる。もう一つのイベントは人事異動であった。平和でのどかで隔離されたわが部署も再編され、組織は刷新されたと思ったが、別のグループが二つに別れただけだった。無風ですんだわが部署はいいとして、本館のほうでは飛ばされた人が続出らしい。ボーナスとか一時金が餞別になってしまう悲しい世の中である。戻る↑
    6月26日(水)「ロナウドの大五郎カット」
    露天風呂の日なんだそうである。語呂がよろしくて結構なことだが、京都にはそういう恩恵が受けられるような気の利いた露天風呂なんて物は存在しない。あるにはあるが、金儲け第一主義というか立地条件がいいからその手の営業手腕を発揮するまでもなくお客はわんさか来てくれるという温泉なので望みは薄い。本日は「ごくせん」の日。しかし六平直政という味わい深い俳優が出ていたときは大五郎カットのロナウドが芝生の上で暴れていたのでそっちを見てしまった。ロナウドが「ちゃん!」と言うのを今か今かと待ちわびていたのだがそんなこともなく、はたまたおとっつあんのヨロキンがあらわれるでもなくトルコに勝ってしまった。試合が終わってテレビを切り替えたら六平直政は心臓麻痺で死んだ後だった。室田日出男といい、惜しい俳優をまた亡くしてしまった。次は小倉一郎か。市原悦子のvice actorが一人また一人消えてゆき、味があるのとしつこいだけを取り違えている中尾彬だけがしぶとく生き残りそうなのは妙に気がかり。現実とドラマがごっちゃになっているような気がするがまあいいか。読み返してみたら2001年8月23日の日記で仲間由紀恵が幸の薄い顔をしているというくだりがあったが、やはりそれは変わってない気がする。そういえば幸の薄い顔という話ではもう一人お薦めだった石川梨華だが、モーニング娘。ソロ写真集のトリを飾るということだが、一番最初に出していたのはそれとは別だったのだろうか?ソロ写真集というわりには「辻加護」が一冊にまとめてあるのは何か乱暴な気がする。さらにいえば、中澤裕子の写真集はこの一連の写真集にカウントされるのかについても極めて疑問が溢れるところであるが、そんなことはもう既に忘れてしまってる人が多いのでどうでもいいのかもしれない。戻る↑
    6月25日(火)「韓国はそんなにサッカー強いの?」
    世間ではワールドカップで盛り上がっているようだが、そんなことを言われても俄サッカーファンがやたらと多いので一月もたたないうちに元の静寂を取り戻すことになると思う。韓国びいきと言われている審判をごっそりニュートラルな審判に入れ換えた試合で韓国はドイツにあっさりと負けてしまった。対照実験をやっていないし、クロスオーバーで試験をやるわけにもいかないからこれが純粋に審判のえこひいきがなかったせいであるとは断言できないし、イタリアとスペインとドイツにそんなに差があるとも思えない。ただ言えることは、勝負は時の運によって左右されるものだが、ドイツ>韓国>スペイン>イタリア>>フランス、という強弱は、なにか絶対どう考えてもおかしい気がしてしようがない。本日は「整形美人。」の最終回なのでおとなしくサッカーはそっちのけ。オスカープロモーションの戦略っていつもこうだなあ、と思ってしまう。十分名前が売れた米倉涼子はほっておいても何とかなるだろうから、次はまた新人を出してくるんだろうなあ、というか絶対上戸彩が次に来るというか絶対必要以上にメディア露出しまくらせるような気がしてしかたがない。まだ年が若いので、わけのわからんというか選考基準がおよそわからん「ダイヤモンドの似合う女性」なんてのには選ばれない気もするが油断はならない。大学の後輩からメールが届いた。それも3人からである。それでまた、書いている内容がどれもかなり似通ってる。よっぽど実験ができなくて困っているというのはよくわかるのだがこっちも最近仕事が忙しくて時間がなくて困っていたりする。難しいものだ。戻る↑
    6月24日(月)「足の裏の米粒」
    疲れが抜けきらないけど、なぜか目ざめがはやい。昼から雨が降り、妙に涼しい一日だった。涼しいを通り越してデスクワークの最中は足腰が冷えてしかたがなかったりした。そういえば北海道ではなぜか雪が降ったらしい。大学の後輩に別の後輩の修士論文を添付してメールで送ってもらうように頼んだところ、快く引き受けてくれたまではいいけども、そのあと15分後ぐらいに「アドレスなんでしたっけ?」というあいかわらずな返事が返ってきた。さすがは、といったところか。将来に一抹の不安を覚える。博士っていうのは足の裏の米粒のようなものというまことしやかな表現があるが、まわりから「のうのうと学校に居座りやがって」という目で見られながら自分を追い込みつつ学問を修めるなんていう意味では、自分に対して極めて追い込みをかけることができ、おそらく一番真剣に勉強しようという気になるんじゃないかと思う。会社に入ってからの勉強というのも切羽詰まっているのでなかなかのものなんだが、博士課程は純粋にアカデミックという意味では他では経験できないと思う。ちなみに足の裏の米粒とは「取っても食えない、されど取らないと気になる」という意味である。戻る↑
    6月23日()「爪を立てて洗う不埒な散髪屋」
    朝目が覚めてそのまま帰宅するが、八草トンネル経由で木之本に抜け、高速をひた走り多賀で飯を食って京都まで戻る。さすがに眠いので昼寝をたっぷり取り、4時ごろ目がさめる。いい加減散髪に行かないといけない感じだったので新規の散髪屋の開拓に出かける。駅前に適当な散髪屋があったので入って一通りやってもらったが、これまで行ってた散髪屋と比べて荒っぽくてさっさと済ませて値段はいっしょという今ひとつなところであった。剃刀のあたりかたもかなり強引だし、頭洗うときは爪を立ててガシガシやってくるし、ということで次行くときは別の店に行こうと決める。前の店はかなりいい店だったのかもしれない。戻る↑
    6月22日()「国道25号リレーとRSふじはしでの宴会」
    朝起きて梅田新道を目指す。本日は国道MLのR25リレーなので終点の梅田新道に集合し、起点の四日市まで行くのである。コンセプトはよくわかったけど、随分と暇なのはわかるとして、なんで終点から起点に行くのかという疑問が浮かびあがるが、それは単純に御堂筋が南行き一方通行だからにほかならない。大阪府内の国道25号は走ってないところがあったので実は初めて走る場所もあったりする。昼間は天理のサイカラーメンにいき、そっからは名阪国道でない国道25号を走って亀山まで。亀山から四日市までは国道1号と重複しているのでそのまま走り、最後に1号から23号の間だけ国道25号の単独区間があるのでそこを走って終了。四日市の港は国際色溢れる場所でタクシーの運ちゃんにフィリピン人の集団が言い寄っていたり、ブラジル人の一家がのほほんと休日を満喫していたりと味わい深い。そのあと朝日町のあさひの湯で温泉に入る。ちょうど韓国−スペイン戦でPK戦になったのでサウナの中にあるテレビで鑑賞する。まあ9人目で決まったので勘弁してやるが、お互い死力を尽くして10-9なんていうPK戦ならば最後まで見ていられない状況であった。そのあと買い出しをしてなぜか藤橋村にある道の駅で宴会を開く。夜に山奥で宴会をするのはいいとして、サイドブレーキを引きながら運転するという運転が今ひとつうまくないお兄さんたちが駐車場でタイヤを減らすのに余念のない活動をしているのはたまらない。そのあおりを食らっていやいやながら巡回している警官がこちらにやってきて職務質問するのはわかるけど、警官が立ち去った後もしつこくタイヤを減らしていたお兄さんたちはどうにかならないものか、と思いながら寝袋で寝る。戻る↑
    6月21日(金)「行けてない飲み屋」
    このところ寝不足気味なので、6時ごろに仕事が終わったのをさいわいに今日はさっさと帰宅するかと思ったら、飲み会のお誘いがあって一路大阪へ方向転換。行った店は味はいいのだが、バイトの兄ちゃんの教育が全くなっていないし、お会計のときにもらった割引券は期限が2002年5月末までとなっていて、今の時点ですでに役に立ってない紙屑じゃん、というわけでまた来ることはなさそう。リピーターは第一印象で決まってしまうものなのかなあ。明日は朝はやいので帰宅して即効で寝る。戻る↑
    6月20日(木)「インターネットが入り込む生活」
    昼から会社で妙な講習会。大学でその辺のノウハウはわかっていたので格好のお昼寝タイム。お昼寝タイムだったのは僕だけじゃなかったようで、新入社員はかなりぐっすり寝ていた。夜帰るときに会社で特許の話になり、それから弁理士の話になり、それからビジネスモデルの話になってなぜかそのあとは厚生年金の話になってという脈絡ない話をしていたのだが、会社では自分がマニアであることは隠そうとしていたのにその辺のうんちくを傾けはじめてしまった。やはりおとなしくするのは無理っぽいなあ。戻る↑
    6月19日(水)「誰かが踏む、犬のうんこ」
    昨日から気になっていたのだが、自宅から駅までの道すがらの電信柱のたもとに豪快に犬のうんこがなすがままな状態である。一日経つと誰か知らないが必ず踏んでいる。誰が踏むのだろうかと気になってしかたがない。もとより歩く人は気にするはずなのにそれでもふんずける人はいるということなんだろう。まあ、誰も交通事故は起こしたくないけど事故が起こってしまうみたいなものか。帰宅してようやく昨日買った日本の街道を見る。そういえば長崎にはもう9年も行ってない。今週でめでたく10冊目なので、来週はバインダーを買わないといけないのだが、いつも行く本屋は5冊まとめてでしか売ってない。そういえば仕事が忙しくなってきたので有給とってどっか行くことはおろか土日も来いと言われかねない勢いになってきた。うーむ、7月12日からの清水峠は可能なんだろうか?せっかく買った寝袋がつかえなさげでもったいない。戻る↑
    6月18日(火)「法律を守ることと運用すること」
    チュニジア戦に引き続き、トルコ戦もなぜか昼下がり3時半からのキックオフらしい。実際にその現場を見たわけではないので良くは知らない。本日も金曜日と同様に有給取ったり半休取ったりしてる人がいたりする。会社の「本日の不在者」なるページに有給取ったり出張行ったりしているひとがずらーっとラインナップされるので、それをちらちら見てみればその辺の情報はよくわかる。こんなシステムはよそではやらんらしい、たぶんそうだろう。それにしてもJ-PHONEのステーションで送ってくる情報にある「人気グループEE JUMPのメンバーの少年が未成年であるのにキャバクラで遊ばせたとしてキャバクラの経営者を書類送検」とかいう記事は、少年法に照らし合わせるかぎりではいたって遵法精神に則ったすばらしい記事であるが、法の運用がまるでうまく執り行われていない最悪の例であることは疑いようがない。今日日本が負けたので、これでようやく落ち着くんじゃないかと思われるが、お隣韓国はイタリアに勝ってしまったようだ。フランスの予選敗退といい、こんなに番狂わせばっかり起こっていいんだろうかという気がしないでもないが、これはホームタウンデシジョンです、と言われればそれまで。ただし、この状況をそういうきれいな言葉で片づけるのはいかがなものかと、が口癖の国会議員の逮捕も近そうで、某掲示板で祭りの予感がするのは僕だけではあるまい。戻る↑
    6月17日(月)「ワールドカップの影響はこんなとこにまで」
    生命保険会社のおばちゃんがくれたあまり役に立つともいえん新聞の切り抜きのコピーをちらちら読みつつ昼飯を食らっていたら、今日誕生日の有名人というところに二宮和也と辻希美が載っていた。人間である以上誕生日はあるはずなので文句を言うつもりはないが、どちらとも職業は「歌手」となっている。認めたくないが、CDを売って糊口をしのぐ生活をしている場合はそう呼ばざるをえないんだろうか。ちなみにこの名前を見てすぐに所属しているグループがわかるというのが問題だという話もあるが、どちらか片一方ぐらいなら即答できる人はかなり多いと思うし、両者のファンは多分棲み分けができているだろうから、それなりにわかりそうなものだと思うが事実は如何に。eau de vieからメールが来て、明日のトルコ戦に日本が勝ったら飲食代を半額にしてくれるんだそうな。そんなにサッカーファンだったかな?久しく行ってないから趣味が変わってしまったのかもしれんなあ、そういえば開店10周年にも行ってないなあ。まあ、お客としては、そういう値段を安くしているときよりも、通常の方が行って気楽なんでいいことにしよう、と最近行ってない言い訳をしてみる。戻る↑
    6月16日()「山道具のおかいもの」
    本日ものんびりと過ごす。昼まではうだうだして過ごし、昼から出かける。本日の買い物はシュラフとマット、靴下。自分の携帯で「mont-bell」が一発変換したので少し驚く。シュラフの左開け、右開けにはそんな深い理由があったのかとかなり驚く。ついでに言うと、そういう用途はしばらく僕にはなさそうなのでどうでもいいことだったりする。その前に久しぶりにジュンク堂へ行き、一時間ほど立ち読みしていたのだが、某雑誌にワールドカップ出場国の国歌一覧というのがあった。歌詞を日本語に訳しました!と大見得を切ってるわりには訳詞が文語体だったり口語体だったりぐちゃぐちゃで、おまけに「スペイン国歌には歌詞がありません」と書いていたり(実際ないのだが)、〆の君が代は歌詞そのままでいじるべくもなくそのままだったりする。その上、君が代には2番があるというのにその調査をしていなかった。本屋の後はCD屋に行き、アルバムでも買おうかなと思ったら件のコピーガードがかかっているCDで、パソコンではボーナストラックだけしか再生できませんというかなりふざけている代物。MDには移せるけれど、MP3を作ることはできないということなんだろう。僕のようにMP3プレーヤーで音楽を聴いている人間としては、個人的に利用するのみで他人に広くばらまこうだなんて考えが毛頭ないのにMP3だからという理由だけで利用できなくなるというのはやはりおかしいのではないかと思ってしまう。また、これまでの但し書きとは異なり、「個人的な範囲を超える使用目的で複製すること、ネットワーク等を通じてCDに収録された音を送信できる状態にすることを禁じます」という一文が追加されていた。そんなケチがついたので、購買意欲が萎えてしまったので買わなかったが、他の試し聴きで「ひこうき雲」のカバーを聞いたけど、これまた買うほどのもので無しという結論に落ち着いた。本歌とは異なる解釈で歌っていた場合は聴く価値があるだろうが、本歌に何の味つけもできていないのだから、「カバー」として売り出す価値がないのである。これはうまいとかへたとかいう問題ではないのである。別にこれは僕が何気にユーミンのCDをほぼ全部持っていることとは無関係である。文句ばっかり言ってもあれなので、目当てのCDを買って帰る。それにしてもヨドバシではバカ売れだったのに、京都では初回盤がまだ残っているというのはどういうことなんだろう?ヨドバシの場合は「あそこに行けば必ずある」と妄想を抱く購入者が多いからだろうけど、発売して3週間だというのに今だに初回盤のある150万都市京都って何よ?と言いたくなるお話だった。戻る↑
    6月15日()「100BASE-Tの実力」
    今日は特に用事もなく、家でのんびり過ごす。デスクトップの調子が今ひとつな理由をいろいろと考えてみたのだが、2台あるハードディスクがかなり接近していて、かなり熱を持っているのがわかったので一台を外してみる。ちなみにそのときにLANカードも100BASE-Tに差し替えてみる。外してみたところ固まらずに動いてくれたのでなるほど、これが原因かと少しほくそ笑んでみたのだが、やはりその後も簡単に固まってしまった。ただ、固まる間隔は心なしか広がったような気がするのだが、システムの障害と熱暴走になんか相関があるわけもないのだから単なる気分の問題であろう。ということで、これはもうフォーマットをするほかないような感じである。100BASE-Tに取り替えたところ、ダウンロードの速度は15MBPSまできたので100BASE-Tを買った意味は一応あったようである。昼過ぎに日経から雑誌が届けられたので目を通したところ、基本的にその手の話は大好きという内容がつらつらと書かれていたのだが、なんか読むのが苦痛であった。文章の書き方が今ひとつ洗練されていないというか、ことの本質をつかんではいるが今ここで書く内容ではないという風な気がしてきたのであまり楽しい読み物ではなさそうである。ということで本日はホームページに手を加え、頑張って日記に全部曜日を打ってみたりする。祝日の時は曜日を赤で表記してみようかなと考えたが、去年のカレンダーって今頃探しても出てこないもんなんだなあと妙に納得。ちなみに携帯のカレンダーは、今年の祝日はきっちりと赤で表記されているのに、去年の祝日とおぼしき日は黒のままである。ということで、そこまで細かいネタはやめにする。中途半端で消化不良だなあ。戻る↑
    6月14日(金)「今月はワールドカップ月間」
    今日はワールドカップの試合が3時半からあるということなので、会社を休んでいる人が検定したら有意差が出るぐらいいつもより微妙に多いというのはなんか味わい深い。試合の途中経過が気になるが、逐一携帯メールでこちらに知らせてくれているのはわかっていても仕事中に早々携帯を覗き見できないので、情報を入手するすべがない時に比べて生殺し度が高いような気がする。帰宅してようやくまともに動くようになったパソコンを使ってみるが、やはりすぐに固まってしまう。なんか理由があるのかわからないけど、とりあえず不快感がつのってしまう。フォーマットという言葉が頭を過っているのだが、どうしたものか。しかしネットに繋がるパソコンが複数台ある環境では、気楽に気長にフォーマットしてみるかというふうに考えられるのはいいことなのかもしれない。夜、道頓堀にいる友人から写メールが届いたが、確かにグリコの選手はサッカーのユニフォームを着ていた。それは話に聞いていたことなのでさほど驚かなかったが、そのとなりの電飾が「まぐまぐ」だったのが実は一番驚いていたりする。戻る↑
    6月13日(木)「XPようやく復活。でもそんな裏技使うの?」
    会社で上司に「会社の仕事で必要な勉強は業務時間中に多少していても目をつむってやる」といわれたのだが、もとより貧乏性なのかどうかわからないけど仕事を片づけたら「次は何をしましょうか?」と聞いてしまうのでどうもそういった勉強の時間を取っていない用にみえる僕を見兼ねて言ってくれたようである。しかし、必要な勉強と言うのは家でやるものだと思っていたのだが。その辺はやはり人それぞれ微妙にずれているんだろう。帰宅しようとしたら隣のグループの面々と電車で出くわし、どうも隣のグループで入院した人がいるので見舞いに行くというから一緒に行ってみる。椎間板ヘルニアで入院というので10年近く前に同じことをやらかした僕としては、やはりそれなりに気になるというか他人事とは思えない。実際あれ以来腰痛体操は欠かせなくなっているし、そういうものでは腰痛は持病である。帰宅して、仕事の勉強をして本日も終了。そういえば昨日の夜にこの日記を読んだ友達からメールが来て、インストールで躓いてるのはこれが原因じゃないかというものすごくピンポイントなキャストをしてくれたので、本日めでたくXPは回復するに至ったのである。ということで日記は3日分まとめて更新していたりするのであった。戻る↑
    6月12日(水)「ザック購入、これでどこにでも行ける」
    朝家を出るのが妙に遅くなり、普段より一本遅い電車で出発。会社には間に合ったけど、あまり精神的によろしくないので早起きが肝心と妙に神妙になる。山登りのザックが欲しくなったので夕方より大阪に出かけ、友人と店に行こうとするも目当ての店は8時で閉まり、仕方なく別の店に行き50リットルのザックを物色。担ぎやすさを重視して、結構な代物を購入。そのあと大阪駅で友人と飲んで騒いでイタ電して帰宅。夜中にのどが渇いて目が覚めたのできっちりと水を飲んで明日の二日酔い対策はばっちり。戻る↑
    6月11日(火)「民明書房は実在しない」
    台風が来ているということで天気がきわめて怪しい。しかしまあこの季節の台風なので規模も小さいし、こっちに来る頃にはふつうの低気圧になっているだろうからあまり気にすることもない。天気図をにらんでみたらその台風とおぼしき熱帯性低気圧よりも遙かに強烈な低気圧が日本には鎮座しているのだから、台風が来たという風に一喜一憂する小学生のようにはならない。チャットで民明書房の話題が出てきたので、民明書房一覧というありがたいサイトで中学時代に夢中になっていた「魁!男塾」を思い出し、「ゴルフの起源は中国人ごりゅうふ」とか「ほうぴんぐ」とかその辺のこじつけとしかいいようがないネタを思い出す。そういえば、最初この漫画を読んだときは少しだけ本当の話だと信じていたこともあったが、どうも明らかに胡散臭いと気がついてそれ以来は楽しい読み物になってしまったという経緯がある民明書房だが、ページにここまで内容を列挙する人の暇さ加減と、日本人独自の丁寧さを感じずにはいられなかった。戻る↑
    6月10日(月)「日記始めて1周年」
    日記を書いてはや一年。ついに1年経ったのかと妙に感慨深い気分になる。ということは、あれがあって1年経ったのか、とか、これがあってあれだけ月日が流れたのかとかいろいろ。この1年で環境もえらく変わったし、それでもきっちり日記をつけてるのはえらいんじゃなくて惰性だというのはトップページに書いているとおりである。本日は台風がちがづいているということで妙に涼しい風が吹き込み、夕方帰宅するのはずいぶんとお気楽であった。冷静に考えると、昨日できっちり1年間日記書いて、今日は2年目の最初の日だったりするが、それはまあどうでもいいことだ。戻る↑
    6月9日()「中山道は味わい深い」
    本日はパソコンの修理に一日つぶす予定であったが、親がどっかに連れて行けというので、旧中山道の妻籠、馬籠と上松の寝覚の床に出かけることにした。自宅から中津川までは高速で、渋滞まるでなくすいすいと到着。中津川からは県道7号で馬籠を目指したが、途中で旧道に入って落合の石畳を徒歩で往復し雰囲気を満喫。石畳の途中に冷水機とか荒屋となった茶屋とかを見るにつけ、時間の流れを感じ取る。旧道にバスが走っていたのも驚きであったが、石畳にほとんど人影がなかったことのほうが驚き。そのあと妻籠に行き、宿場をうろうろしてあんみつ食ってご満悦。そのあと寝覚の床まで行き、大岩の上にある浦島堂に認定して帰宅。帰りは時間帯からいって明らかに渋滞するはずなのでそれなりに覚悟していたんだが、ロシア戦のおかげであろうか、小牧JCTで少し渋滞した以外は全くすいすい帰宅できた。ただ一宮付近で対向車線で玉突き衝突があって17キロも渋滞していたのはかなり哀愁であったが、それと比較した所為か知らないけど流れが良いように更に思えてしまった。戻る↑
    6月8日()「解決しないけど、ノートがあるからいいか」
    デスクトップパソコンはあいかわらず動く様子を見せない。でもまあ大阪までいろいろと周辺機器を調達に出かける。普通ならばこの手の周辺機器は寺町で事足りるのだが、本日で期限切れになるJRの昼間特割切符が一枚残っていたので大阪へ。ヨドバシ梅田で一通り必要なものと余計なものをたっぷり買って帰宅。昼間からビールをかっ食らい、ルータのセットアップをしたら楽々2台のノートは繋がり、電源入れるだけで常時接続といううれしい環境になった。しかし、デスクトップは今だ解決策はない。XPのCDがブートできないというので98の起動ディスクからむりやり立ち上げて、XPのCDを差し込んでセットアップをやらせようとしたら「DOSでは動きません」という生意気なことをのたまうので、じゃあ98をインストールしてやる、と思ったら「FAT16かFAT32のアロケーションが見当たりませんのでFDISKを実行しろ」とこれまた生意気なことを言われる。いまのところ、解決策は「フォーマット」→「98入れる」→「XPにアップデート」しか残されていないような気がするけど、なんか他にも方法がないだろうか?戻る↑
    6月7日(金)「XPの致命的な問題発覚」
    なぜか本日は営業職の集会があるということで、昼飯を食べるのが強制的に早められてしまう。いいことなのか悪いことなのかはわからないが、夕方に腹が減ってきたのは結構堪えた。自宅にあるパソコンはノートを含めて全部で3台あるので、全部をネットにつなげられるように設定をいじる。結局ルータがないことには同時には繋げられないので、明日買いに行くことにする。それにしても、デスクトップの調子が悪いので上書きインストールをしたら、インストール情報を集めて再起動をかけたところで「製品リストの日付がおかしいです。これは致命的なエラーです」と表示されて、そっからさき進まない。再起動してもその画面が出るばかりで、結局そこから先にはどうやっても進めない。仕方がないので、上書きインストールをやろうとする前の状態に戻そうとしたが、今度は、そこに戻ることすらできない。セーフモードで立ち上げようにも「セーフモードでインストールはできません」というふうに表示されるので全くもってどうにもならない。最後の救いの手である「前回正常に終了した状態を読み出す」を選んでも、インストール情報を集めて再起動をかけたところが保存されているらしく、結局解決しそうにない。おまけにBIOSの設定ではCDからのブートが可能なのに、いくら立ち上げてもCDからブートはしてくれない。フォーマットして一から入れなおせばすむことだが、それはできたら避けたいところである。戻る↑
    6月6日(木)「実験できない体」
    本日は会社でなぜか新入社員の分際で「先生」として社員を指導するという妙な恩恵に浴する。久々にやったので目がかゆくなったのは致し方ない。やはり実験はやりたいと思うが、今となってはできなくなってしまったのだなあと思わずにはいられない。本日もふつうに帰宅。パソコンが何でかよくわからないのだがすぐに固まってしまうので、Nortonさんにチェックをお願いするも効果は上がらず、うぷだてさんにお願いするも効果のほどは怪しい。あとできることといえば上書きインストロールぐらいなのだが、なんかそれをする気にもならん。ということでCD焼いて送るのという約束は少し先延ばしと言うことになりそうである。ちうことでよろくぴ。誰に向かって話しているかはないしょ。戻る↑
    6月5日(水)「ウイスキーがお好きでしょ((C)大原麗子)」
    本日も情け容赦なくぎらぎらと太陽は照りつける。光ファイバにしてから、遠慮なくネットに繋ぐようになったので、朝起きてメールチェックというのが割と気兼ねなくできる。ダイヤルアップの時の接続に時間がかかっていたのとは雲泥の差である。やはり常時接続は良いものだ。夕方、京都まで行って、仕事が一段落したという友人の彼女と飯食って飲んで帰宅。山崎の10年はうまいなあ。蒸留所の見学に行きたくなってきた。大昔に行ったことはあるけど、余市とか白州にも行ってみたいなあ。帰宅するときに宋三姉妹の本を読んでいたのだが、なぜか頭に「パリは燃えているか」の音楽がよぎる。確かに20世紀を抉るような人生を過ごして来た姉妹ではあるのだが。戻る↑
    6月4日(火)「ワールドカップは国民的関心事」
    今日はワールドカップの日本−ベルギー戦があるということなので、会社はその話題が時折流れる。しかし、夕方になり、定時になるとわらわらと我先に帰宅開始となり、6時前に会社を出るときにはタイムカードの8割以上が既にひっくり返っていて、「帰宅」ということになっていた。恐るべしワールドカップ、というかこんなんやっていて大丈夫なのか?という気になって仕方がない。良い意味でも悪い意味でも大阪の中小企業なムードを持っている会社である。家に帰ったら、FMですらサッカーの中継をやっているというこの状況、昭和天皇が亡くなったときのどの局もその報道ばっかりというものに近い何かを感じる。とりあえず、FMでスポーツ中継をするとは思わなかったし、「整形美人。」も今週はお休みだから楽しみがなし。試合は引き分けだったらしいが、それよりも某掲示板で主審のジャッジがおかしいという話題で盛り上がっていたり、さいたまからの帰りの足である京浜東北線と宇都宮線が運転を見合わせているということの方が遙かに印象に残った一日だった。戻る↑
    6月3日(月)「ブロードバンド開通」
    週末が盛りだくさんだと、月曜日はやはりつらい。やはり疲れが残っていたようで、定時に帰ってきてしまった。帰り道日が長いこともあるだろうけど、まだまだ太陽が高ーくぎらぎらと照りつける状況で帰宅するのはなんか早引けしているようで何となく後ろめたい。体は疲れているので一寝入りしたいのだけどなんだか寝る気も起こらないと言う中途半端な状態。「今日のお給料は明日の旅費」という風に思わんとやってられんなあ。戻る↑
    6月2日()「碓氷峠あれこれ」
    本日は朝から碓氷峠を目指す。まずは横川でおぎのやの「峠の釜めし」を買い、アプト線跡のめがね橋とか、旧熊ノ平信号所とかを見学し、車で碓氷峠国道18号旧道の工事通行止めを確認に出かけたりしながら釜飯を食す。その後横川に戻り碓氷バイパスを激走して佐久に抜け、麦草峠を抜けて諏訪から帰宅。滝沢牧場の手作りアイスクリームは絶品。茅野にあるアウトドアのやたらとでかい店があることは以前チェックをしていたのでそこに立ち寄ったのだが、どうもアウトドア業界からは足を洗い、ふつうの服屋に化けようともくろんでいるらしい。おかげで売り尽くしセールにぶち当たり、うれしいことこの上なかったけど、サイズが合うのがなくて悔しい思いをする。帰りは名古屋で落としてもらい、新幹線で京都まで戻ってきて帰宅。内容が盛りだくさんな週末だった。久しぶりにデジカメをフル活用したようで、コンパクトフラッシュが一杯になってしまった。自宅に戻ったら金曜日にきっちりと光ファイバを引いてくれていたようで、セットアップをしてものの5分で超ブロードバンド生活の始まり始まり。ということでモデムはどっかにほっぽり出すことになりそうである。戻る↑
    6月1日()「崩落現場の視察と山菜だらけそば」
    朝起きて、天気を見ると今ひとつな感じ。まあそれでもがんばって出発する。国土地理院の地図上で点線で描かれている国道の部分を「点線国道」と業界用語では呼ぶのだが、国道291号にもご多分に漏れずそういう部分があったりする。これが新潟県と群馬県の間にあって、新潟側の車が入れる限界点(末端)が塩沢町清水で、群馬側は水上町一の倉沢である。この間には明治初期に街道が作られたらしいのだが、山崩れで通行不能になりそのままほっておかれていたため今となっては道路自体が跡形もなくなっているような状態である。ただし、登山道としてこの間をつないでいる道があるのだが、それは国道をトレースしているわけではないのでそこはなるべくなら歩きたくない、できれば崩れているかも知れない国道を歩いてみたいと言う希望があって、その下見に出かけたのである。一般人にわかりやすく言えば谷川岳のあたりという表現が適切なのだが、結構激しい行程なのでやはり下見は必須、と言うか無理ならば登山道で我慢するしかないという判断をせねばならないので、そういうこともあって下見に来た次第である。とりあえず結果としては崖崩れがひどく、全く以て走破は困難であるということに落ち着いた。昼には清水に戻り、集落にある上田屋旅館で名物の山菜だらけそばを食す。その後まったりして越後湯沢の温泉に行った後土合駅とか旧湯桧曽駅とかを観光し、土合駅の階段ではグリコじゃんけんやウサギ跳びに興じ、谷川岳側のチェックに出かけるが関越トンネルを抜けた瞬間に豪雨に見舞われ、谷川岳の恐ろしさを見せつけられてしまう。そのあと前橋まで出てホテルに泊まり、飲みに出かける。帰ってきてホテルの部屋で騒いでいたらフロント兄ちゃんが「静かにしてください」と言いに来たのは、やはりお約束というか分別のないガキというか、我ながら笑ってしまう。戻る↑