2002年5月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 5月31日(金)「清水峠の下見」
  • 5月30日(木)「残業は適当に」
  • 5月29日(水)「落雷でモデムが壊れたので現在ネット不通」
  • 5月28日(火)「光ファイバー開通近し」
  • 5月27日(月)「月曜日から飲み会」
  • 5月26日)「京都ビアパークで飲み会」
  • 5月25日)「谷瀬の吊り橋と渋谷哲平のサイン」
  • 5月24日(金)「俳句と剣道とプロジェクトXが好きな講演者」
  • 5月23日(木)「日本語と英語の問題ではなく、話の内容の問題」
  • 5月22日(水)「飲みに行った次の日はねえ」
  • 5月21日(火)「年金代行返上と勘違い親父」
  • 5月20日(月)「図説日本名城集」
  • 5月19日)「光ファイバーまだこない」
  • 5月18日)「飯高美杉間踏破と津での宴会」
  • 5月17日(金)「別棟なので、雨が降るとねえ」
  • 5月16日(木)「五月病という難病」
  • 5月15日(水)「コンサルタントというお仕事」
  • 5月14日(火)「仕事が終わらないので飲み会休む」
  • 5月13日(月)「実験しないけど実験指導することに」
  • 5月12日)「他人の業績のような気分」
  • 5月11日)「土曜出勤」
  • 5月10日(金)「新歓コンパにOBとして出席」
  • 5月9日(木)「煮詰まるときは煮詰める」
  • 5月8日(水)「花を買うのはちと恥ずかしい」
  • 5月7日(火)「社会復帰できたのか」
  • 5月6日(月)「ゴールデンウィーク終了」
  • 5月5日)「筑後川の鰻」
  • 5月4日)「不知火オフ」
  • 5月3日(金)「身も心も洗われた山川の砂蒸し」
  • 5月2日(木)「日本のロンダルギア・椎葉村」
  • 5月1日(水)「九州温泉巡り開始」


  • 今月の日記
    5月31日(金)「清水峠の下見」
    夕方より出かけるので朝から荷物を普段より多い目にして会社へ。会社を定時に抜けて友人との待ち合わせの岐阜羽島へ。岐阜羽島に止まる新幹線が妙に減ったというかこだまが激減したので使い勝手が悪いと言う感じである。岐阜羽島で合流して、飯食って一路名神東名中央道長野道で信州中野へ。信州中野からはごにょごにょ走って石打へ。そこで関東から来たメンバーと合流し、塩沢町にある国道291号の末端に到着。明日に備えて本日はテントで寝る。戻る↑
    5月30日(木)「残業は適当に」
    本日で頼まれていた仕事が一段落し、「次は何をするんですか?」と指導社員に聞いたところ、聞かなきゃ良かったと言いたくなるような仕事がやってきた。この仕事終わるのは9月頃になりそうだし、その先はこれまた仕事が目白押しなようで、いよいよ本格的に仕事が忙しくなってきたようである。組合との36協定での残業時間は6月を持ってリセットされるから月明けからはガシガシ残業させられるみたいだ。覚悟しておこう。明日からの清水峠下見に備えて荷物を詰めていたのだが、自分が普段使っているザックが思ったよりでかいのに驚き。やる気出したら3泊ぐらい出来そうな勢いである。しかしまあ、山登りをするならもう少し大きいザックが欲しいなあ、ついでにあれもこれも、、、と道具は買ってなんぼ活動に誘われそうになるが、じっとこらえて部屋を見渡すとコージツとモンベルのカタログが3冊もあるのはどうして?ますます物欲が高まるのを感じてしまう今日この頃。戻る↑
    5月29日(水)「落雷でモデムが壊れたので現在ネット不通」
    実はこの日記はきちんと書いているのだけど、モデムが落雷でぶっ壊れたというよんどころない事情でアップすることが出来ていなかったりする訳で、世界にごくわずかに存在しているのかもしれないファンをやきもきさせているのかもしれなかったりする。じつはモデムが壊れたとなれば、何はともあれつながるようにしようと努力をしたりするのが筋というものなのだが、昨日も書いたようにまもなく光ファイバが開通する予定という状況なのであまりそういう気にはなっていなかったりする。本日も登山靴の足慣らしのために通勤のときに履き、帰りは訳もなく普段乗る駅から一駅自宅よりの駅まで歩いて帰ってみたりする。だいぶと靴には慣れたので、舗装道路ばかり歩いて靴の裏をちびさせるのは程々にしておこうと思う。戻る↑
    5月28日(火)「光ファイバー開通近し」
    週末に出かけるので、登山靴を履き慣らしておかなければならないということで、本日より通勤時に登山靴を利用することになる。歩いていて疲れないという意味ではたいへん良いが、やはりごついのでぱっと見ただけではあまりわからなくても、よく見ればなんか街中で履くのはおかしい。そういえばカード式回数券の磁気がいかれたようで、自動改札を何回通ってもピンコンピンコンと鳴り、後ろから迷惑そうな目で見られてしまったが不可抗力である。帰宅したらk-opti.comから書類が届いていて、「まもなく工事いたしますので、事前にドライバをお渡しし、ユーザアカウント情報をお知らせいたします」というものであった。これでようやくブロードバンドである。工事をするのは今月末の31日ということは4日ほど前にかかってきていたのだが、その電話を受けてから内の一番近所の電信柱を見てみたら、我が家に導入するべく準備されている光ファイバが束ねられて宙吊りになっていた。どうやら幹線道路から我が家の目の前まで光ファイバを引くことが出来たので工事ができるという状態になったようだ。戻る↑
    5月27日(月)「月曜日から飲み会」
    本日は出張、といっても大阪まで行って仕事で使うソフトの講習会を受けに行ったということなのだが。普段よりも少し遅くに出発なので、のんびりとした油断が溢れる電車内を満喫。鉄板でヅラとわかるおっさんが「趣味の園芸」を熱心に読んでいたり、体重で単位はkgというよりも重量とか目方という呼ばれ方で単位はtという表現の方がふさわしい女子高生が眉毛を抜くのに余念がなかったり、という地球上でかつて何処の民族も成し遂げることが出来なかった平和的なムードが漂う。出張先の講習会場には定刻ぎりぎりに到着というか少し遅れて到着。インストラクターのお姉さまは割ときっちりと教えてくれるので問題はないが、向かいの某ビール会社の屋上にあるビアホールのような何かという存在が気になって仕方がなかったりする。夕方に開放され、天王寺で山登りの道具を物色した後に友人と飲み会。月曜日からこんなにダメダメモードでは先が思いやられる。戻る↑
    5月26日)「京都ビアパークで飲み会」
    昼前に京都まで出て、登山靴その他諸々を購入。靴の紐を何処まで結ぶかによって上りと下りがこんなに楽になったり負担になったりするものとは知らなかった。あとは、名前だけは知っていたゴアテックスが実は伊達ではないこととかいろいろとわかったのは収穫であった。まあ、雨具として素材にゴアテックスを使うのに越したことはないというか、やはりものがいいのはひしひしと伝わってくるが、先立つものがないので仕方ない。店長の「最初は安い物を買われますが、皆さん最終的にはこちらに行き着かれるようで」というセリフだが、道具は買ってなんぼ活動を助長させる以外のなにものでもないような。そのあと桂にあるキリンの京都ビアパークで工場見学ののち飲み会となる。3時間ばかり色々と話して帰宅。昨日今日と充実した週末だったような。戻る↑
    5月25日)「谷瀬の吊り橋と渋谷哲平のサイン」
    夕方から飲み会の予定であったが、その話が立ち消えになったので一日暇になる。ということで親から天気もいいことだからどっかに連れて行ってほしいといわれたので、久しぶりに紀伊半島の山中を堪能しようかということになり、十津川村の谷瀬のつり橋に行くことにする。行きは国道24号から国道168号とつないで目的地に到着。相変わらず24号は流れが良くないので適宜京奈和とか橿原バイパスとか国道165号の大和高田バイパスを利用。谷瀬のつり橋は昔友人と行ったことがあり、その時はauが圏外でドコモが圏内であった。本日いってみたところ、auは相変わらず圏外であったが、J−PHONEはきっちり圏内であった。auのアンテナ設置が強く望まれるところである。さてつり橋だが、やはり長いし揺れるし景色は最高だし、とまあいうことない素晴らしいところである。次は自転車で渡ってみたいのだが、どうもそれは平日の地元民限定であるらしく観光客には無理な相談であるらしい。渡り終えた対岸の休憩所に渋谷哲平のサインが飾られていたり味わい深さに拍車をかけるところなんかがこれまた素晴らしい。このつり橋は長さでは日本一の座を同じ168号沿いの枚方か交野にあるつり橋に譲ったらしいのだが、そっちは明らかに日本一の長さを意識して作られた観光用の代物なので、味わい深さがないからながけりゃいいってもんじゃないと思うことしきりであるので却下したい。そのあと野迫川村経由で高野山を通って橋本から河内長野に抜けて藤井寺から高速を西名阪、近畿、名神とつないで帰宅。久しぶりに山道も運転したし、300キロばかし走ったのでよしとしよう。和歌山にも久しぶりに行ったし、これまた満足。戻る↑
    5月24日(金)「俳句と剣道とプロジェクトXが好きな講演者」
    本日もソフトの研修会であったが、昼前には説明が終わり一通り使い方がわかったのでそそくさと戻る。やらないといけない仕事があったのでということもあるのだが、そもそもこの研修会が別の部署の主催で開かれており、僕以外はその部署からしか来ていなかったので研修会の居心地があまりよろしくなかったのが理由でもある。昼下がりに他の会社から結構な偉いさんが講演にきていたのでありがたく拝聴する。とりあえずわかったことはそのおっさんはプロジェクトXが好きだということである。そのおっさんの研究物語は必要以上に社内での足の引っ張り合いがクローズアップされていたような気がするが、まあ昔話というのは押並べてそうなんだろう。今日は金曜日なので割とそそくさと帰宅したが、同期のやつと一緒に帰っていたときに話題に上がったのだが、僕の預り知らないところに強力なコネクションが形成されており、そちらから僕の弟がすでに結婚しているというものすごい情報がもたらされているんだそうな。ちなみに僕には弟がいないし、僕が弟である。まあ、その手の情報は本人の検閲が入ることはまずないし、はいったとしても充分に広まってしまった後で修正が不可能になっている場合がほとんどだから困ったものだ。ちなみに間違っていたのは「僕の弟」ではなくて「僕の兄」ということなだけで、他はきわめて正確に伝わっていたようだが、肝心要が問題だと思われる。英語だと「brother」でおしまいだからいいのかもしれんが。戻る↑
    5月23日(木)「日本語と英語の問題ではなく、話の内容の問題」
    会社でなぜかソフトの研修会が開かれたので、これまたなぜか部署を代表して出席。部署としてはいまのところ直接業務に関係がないソフトなのだが、一応使えるやつが一人おってもええやろうという感じなので新人にでも行かせようといったところらしいと思っていったのだがどうも勝手が違ったようだ。業者がソフトの使い方について説明に来たのはいいのだが、前でしゃべっているのはそこのCEOらしい外国人のおっさんである。おかげで一日中英語でその説明を受けることになってしまう。まあ、そのおっさんはソフトのことを良く知っているので、淀みなく論理的に当社比30%ぐらいの速さでしゃべってくれ、そのおかげで内容を理解するのは苦ではないし、何が出来るソフトかということも含めてバックグラウンドをこちらが理解していたこともあって問題なし。たぶん中身を理解していない日本人の説明を聞いたほうがはるかに理解しにくかったと思うことしきり。この研修明日も続くが、明日は実際に操作に入るからそんなに気合入れなくてもいいのかもしれない。戻る↑
    5月22日(水)「飲みに行った次の日はねえ」
    朝は目がさめてもいくらでも寝れそうなんだが、とりあえず会社へ。昼間は仕事が忙しかったのでうとうとする暇もなかったが、夕方からの勉強会ではついうとうとしてしまう。帰宅時に本屋で日本の街道を購入したが今週は奈良山辺の道で今ひとつどっかいきたい熱が盛り上がるものではなかった。う、そういえば今日気がついたのだが、昨日「整形美人。」を見そびれたんだった。戻る↑
    5月21日(火)「年金代行返上と勘違い親父」
    昨日そんな本を買ってしまったばっかりに財布がすっからかんだったので、社会人になって初めて銀行口座から金を引き出すことにする。会社の近所にはそういった気の利いた銀行とか出張所とかATMがないので困ったことなのだが、なぜか会社の中にCD機はあったりする。CD機は普通引き出すことと残高を確認することしか出来ないはずなのだが、このCD機はメニューが4つもあるのは驚きである。ちなみに「引き出す」「残高確認」以外の二つは「1万円引き出す」「2万円引き出す」である。夕方になって会社で厚生年金代行分の国への返上についての説明会が開かれる。説明が極めてええ加減ということもあるんだろうが、自分が老後受け取る年金その他諸々がこれが原因で減ってしまうんじゃないんだろうか会社は俺たちを働くだけ働かせて切り捨てるのかという邪推をして熱い議論を挑む暑苦しい親父が数名いたりするのだが、代行分を返上しようとするまいと僕たちが受け取る年金その他諸々なんて先細りすることは火を見るより明らかなんだと思うんだが。そんなことより聞きたいのはおまえたちは投資のベテランなのにいくらこの低金利のご時世とはいえ運用の結果元本割れを起こすというのはどういうことや?ということである。そのあと京都に飲みに出かける。相手がご飯食いたいと言ってきたのでひさびさにト一に行く。久々にうまい魚食べてご満悦。疲れていたのか知らないけど、久しぶりに電車で駅を寝過ごしてしまう。やはり疲れているのかなあ。戻る↑
    5月20日(月)「図説日本名城集」
    会社から帰るときに駅前の本屋で本を物色していたら、図説日本名城集なる本を発見。ぱらぱらとページをめくるとやはり血が騒いできて、気がついたら買っていた。財布がかなりさびしいのに追い討ちをかけるようだ。読んでいくとこれまたどっかいきたい気分になってしまうのでこの本はけしからん。普通のこの手の本は現存する天守閣とか城郭を羅列して後半は食傷気味になるものなのだが、この本が他と違うところは遺構も含めて紹介しているし、歴史マニアの心をくすぐるように歴代の城主が列挙されている。おまけに五稜郭から首里城、中城城まで掲載されているのだから日本中隈なく行けてしまうという痒いところに手が届く素晴らしいサービスぶりである。とりあえず行った事ある城が81あるうちまだ12である。いや、全部行くつもりはないんだけどね。戻る↑
    5月19日)「光ファイバーまだこない」
    朝起きてホテルでまどろみながら新聞を読み、朝食無料サービスということなのでロビーでパンとジュースをパクつき新聞を読んでいたら一人は先に帰ってしまっていたのだが、それ以外は全員揃ったので帰宅開始。おとなしく国道163号をひたすら蔀屋まで走り、後は適当にごちゃごちゃ走って茨木で落としてもらう。帰宅して家の用事を片付け、動作が不安定だったパソコンにOSを上書きインストールし、ひさしぶりにホームページの改造に取り組む。今回は日記をフレーム形式にしてみたのだが、これまでフレーム非対応のブラウザを利用している場合を考えて使っていなかったが、もういいかげんそういうこともないだろうということでフレームを使ってみる。至って簡単に書き上げたのでどっかに無限ループとかバグがあるかもしれないが、いまんところ問題なさそうなんでこれでよかろう。帰宅したら、申し込んでいたk-opti.comのメガファイバーがよんどころなき事情により開通がかなり遅れてしまうらしい。いつもながら文言には「2ヶ月かかります」とあるが、最初に申し込んでからほぼ二ヶ月がたち、そろそろどないなってるんやろうかと思ったころにこういう葉書をよこしてくるというこちらを見透かしたようでぎりぎりで先手を打つというこの作戦、なんか腹立つ。戻る↑
    5月18日)「飯高美杉間踏破と津での宴会」
    土曜日だというのに平日と同じ時間に起き、電車に乗って友人との集合場所へ。友人の車に拾ってもらい一路美杉村を目指す。本日の目的は国道422号の美杉村と飯高町の間の未開通区間(点線国道)を歩いて走破しようというなんか珍しい形態のハイキングのような山登りのような何かである。途中、奈良と大阪と横浜から来た友人(よくわからない取り合わせと人は言うが、こちらとしてはたいへん納得がいく取り合わせ)と道の駅針T.R.S.で待ち合わせて朝飯をかっくらい、おやつとか飲み物を調達して再度出発。道の駅美杉に11時集合だったので、ほぼ予定通りにつくが、若干名遅れて来るメンバーがいるのは当然の段取。とりあえず全員の車で美杉村側の末端まで行き、車を半分そこにおいて残り半分に便乗してぐるっとまわって飯高町側の末端を目指す。飯高町側の末端を出発していよいよ走破開始であるが、先日からの雨のせいで山の中は湿度100%不快指数極限値で、普段運動をしていないせいもあるがすぐに汗だくになる。途中休憩を繰り返してようやく庄司峠に到着し、しばし休憩する。峠の見晴らしのいいところでは携帯がつながるという経験則は今回も健在であった。下山は道がなくなっており沢下りを余儀なくされるがこれもまた楽し、である。上り、下りとも沢を砂防ダムで治水してあるところまでは車が通った形跡があるが、それより上はけものみちのような状態であった。美杉側に下山したのち美杉側に置いておいた車で飯高側末端へ再び移動し、車を回収した後勢和村の丹生温泉「薬師湯」を目指す。古めかしい雰囲気の漂う共同浴場で、商売気のないところと休憩室の畳の上でゴロゴロ出来たのが最高に気持ちよかった。そのあと津までいき宴会を開く。そのあとみんないいかげん酔っ払ってホテルに戻り就寝。戻る↑
    5月17日(金)「別棟なので、雨が降るとねえ」
    昼間雨が降っていたので、本館にある食堂に行くのがなんとなく億劫である。他の部署は本館と渡り廊下でつながっているから雨にぬれることはないのだが、道路をはさんで門の外にある僕のいる部署からは歩かざるを得ない。まあそういうふうに他の部署からは隔離されている分、他の部署の人と会うことも少ないので、昼飯は極力食堂に行くことにしている。最近保険のおばちゃんの攻撃もおとなしくなってきたようで、勧誘に命かけてるのが伝わってくることはなくなった。金曜日なので殆ど定時で帰宅。明日の準備をしなければならないのだが、おやつを買いに行くのを忘れていたのでどうしようかと考えてしまう。戻る↑
    5月16日(木)「五月病という難病」
    昼飯時に同期の連中と話をしていたのだが、新入社員というのはどうも今の時期に「五月病」とかいう難病にかかるらしい。生活環境がこれまでのとがらっと変わってしまい、おまけにいきなりしんどい仕事をやらされるかららしい。僕の生活環境に照らし合わせてみると、確かに生活環境は変わったのだけど、一人暮らしから実家に住むようになって気楽になったし、仕事もそんなにきつさは変わらないし、阪神もいまんところは調子よく勝っているし、どうもその手の病気にかかる要素は一つもない。問題なのは日々のご飯が美味しいので少し太ってきたことぐらいである。これは別の意味で深刻な悩みになるかもしれない。携帯の先月の請求書が来たのだけど、なんでか今月も「ガク割」が適用されている。ラッキーというふうに世間では手放しで喜ぶらしいのだが、細かい性格なので料金表とにらめっこし、申し込んでいる家族割を適用された方が実は安かったということを発見してしまう。ということで明日でも電話してみるか。戻る↑
    5月15日(水)「コンサルタントというお仕事」
    今日は昼から会社でコンサルタント会社の人と会合を開く、といっても下っ端なのでお手伝い&議事録係。どうも「コンサルタント」とかいう言葉からイメージする胡散臭さがあり、「適当なことを言って金を巻き上げる商売」というイメージが拭い去れないらしいが、情報屋という商売はどこもそうだし、それが金になる世の中であり、必要とされている商売なのだからきちんと認めないといけないのである。夕方より大学に行って必要なものを用立ててもらい、後輩にご飯をおごって帰宅。それにしても「飯に行こう」と誘ったら必ず「すいません、今日はダメなんです」「もう少し早く言ってくれたらいけたんですが」と毎度のように言う別の後輩は間が悪いというか、合わないというか。それとも単に僕のことが嫌いなのか。多分なんとなく最後の選択肢が正解のような気がするが、それは違うとその後輩は言う。そういうところがますます怪しい。そもそもそんなことを考えている時点で、僕は人に嫌われるような人間ではないというふうにまことしやかに言う人もいるが、その考え方ははどうも怪しい。帰宅時にマガジンを久しぶりに買って読んでいたのだけど、平成生まれのグラビアアイドルってそう遠くないうちに出て来るんだよなあ、と思うととたんにブルーになってしまった。戻る↑
    5月14日(火)「仕事が終わらないので飲み会休む」
    本日は大阪で飲みの予定であったのだが、会社を出た時間はすでに宴が始まっている時間で、宴の会場まで小1時間ばかりかかるので今日は行くのをやめておとなしく帰宅する。帰るときに「日本の街道」を購入。今週は日光道中である。関西に住んでいるせいかも知れないが、日光という場所や東照宮なんてものにはあまり魅力を感じないし、「観光地で混んでるところ」というイメージが先行しているのであまり魅力的には映らない。行ったことがないわけではなくて、日光宇都宮道路も全線完走したし、いろは坂は新旧両方走ったし、華厳の滝は音だけ聞いたり実際見たりしたし、沼田から戦場ヶ原経由で日光にも入ったし、さすがに金精道路は無料になってからだけど、ということでまだ走っていないのは足尾から日光に入る国道122号だけである。ようするに一回行ってしまったら後はもう用事がないと思っているのかもしれない。何度行ってもいい場所もたくさんあるのにねえ。僕にとって栃木県は、今日現在日本で4番目に縁遠い都道府県である。群馬とか埼玉とか茨城には割と頻繁に行ってるんだが。戻る↑
    5月13日(月)「実験しないけど実験指導することに」
    本日は会社で修士・博士論文の発表会があった。きっちり博士論文を発表したとしたら時間がとても足りないので、3つあるテーマのうち一つだけしゃべることにし、その一つをバックグランドも含め割と丁寧にしゃべってみた。やはりやっていた実験手技はみなの興味をそそる代物であるらしく、発表後「やってみたいので教えてくれ」ということになったのでおそらく近日中に教えることになるんであろう。しかし、そんな実験やっていたのに仕事ではもう実験をやらないというのはいい事なのか悪いことなのか。帰宅したらパナホームから預り敷金が振り込まれていた。といっても10日以上前に振り込まれていたらしいのだが、銀行にいってないからわかりようがない。そもそもそれを知ったのも銀行からのステートメントが届いたからであって、それによると3780円何かに使われた以外は満額戻ってきたらしい。それは喜ばしいことなんだけど、それよりも驚いたのは、先月一回も銀行でお金をおろしていないということである。ちなみに今月に入ってからもおろしていない。3月31日に京都駅で福井にいくときにおろしたのが最後である。ところで、銀行からお金をおろすときは「下ろす」が正しいんだろうか?自信がないのでひらがなで書いてしまった。戻る↑
    5月12日)「他人の業績のような気分」
    休みなのでゆっくり寝ようとしたが、よく考えればやらないといけないことが山積みなので朝からごそごそ始める。親に頼まれていた用事は夕方までに済み、夕方から枚方に出かける。自宅から行くには池之宮北を通るのは馬鹿らしいので枚方大橋回りで行く。目的地の手前の国道1号でいきなり事故をやらかしていたので、余り時間が変わらなかったような。帰宅して明日会社で発表しなければならない論文発表会の準備に追われる。いまさらこの話をするというのはなんか他人の研究報告をしているような気がしてくる。まあそういう感じで話をすれば緊張することもないし、昔のことだからねえ今突っ込まれても困るねえというふうに妙にさめて発表できるかも知れないが、それはそれでなんか本当に昔のことに成り果てたんだなあと言う気がしてきてそれも悲しいものがある。戻る↑
    5月11日)「土曜出勤」
    土曜日だというのに会社に行く。年に5回ほどある土曜出勤である。「完全」週休二日制でない会社なので致し方ないのだが、どうも「大手に追いつき追い越すために、大手よりちょっとだけ多く働いてもらう」というのが理由らしい。とはいえ、土曜日は休みと言う意識があるのか有給をとって休む人も結構いるから平日と比べてなんか人がまばらである。おまけに来ている人も平日のようにガシガシ仕事をするわけでもなく、定時になればさっさと帰るということだから気分は半分休みである。帰宅したらクリーニングに出していたスーツが戻ってきていたのだが、その時にポケットに入れたままにしてあったハンカチまできっちりクリーニングされて戻ってきた、やるじゃんクリーニング屋、とまでは良かったがきっちりハンカチのクリーニング代まで請求するとは商魂たくましいと言うかなんかさもしいぞクリーニング屋、ハンカチをクリーニングに出すような御仁はいまどきおらんちゅうねん、と吉野家のUの字テーブルに向かい合った客との間に火花が飛び交うのと同じぐらい殺伐とした世の中にやるせないため息をつく。夜、野島伸司脚本の「ゴールデンボウル」をみたのだが、相変わらず松本恵、今は改名して何だっけ忘れたまあどうでもいいや、が好きなのね野島伸司、というか大滝秀治演技か素かわからんぞ、ところで金城武仕事何してるねん、黒木瞳演技相変わらずへたくそやぞ、と現実離れが過ぎる脚本に対する突っ込みはお約束。戻る↑
    5月10日(金)「新歓コンパにOBとして出席」
    朝から会社で新人研修と言うことでいろいろとまた話を聞かされる。業界に対する風当たりが強い、というか昔よりもそういう厳しいことが要求されるのできっちりした社員教育が必要と言うことらしい。システムがいくら立派でも運用するやつがダメだったら何の役にも立たないということを雪印を例に取り上げて熱心に語られてしまった。たしかにシステムと言うのは作ろうと思えばいくらでもきっちりしたものを作ることは出来るだろうけど、それには時間とお金がかかるし、どっかにしわ寄せがきて完全なシステムは作ることが出来ないというのはいまさらながらわかっていることである。朝令暮改とまではいかなくてもそれなりに融通の利くシステムの方がいいような気がするのは僕だけではあるまい。夕方会社でなぜか英語講座だったりするけど全然しゃべれていない。ちと頑張ろうという気になる。そういえば入社面接のときに人事の人に「英語が優秀すぎて採用するかどうか揉めた。推薦した俺の立場にもなってくれ」と言われたのを思い出したのだが、そんなのいまさら言われたってどうしようもない。夕方より卒業した大学の研究室の新人歓迎会に出席。4回生は若いのうと親父っぽく一人ごちながらいろいろと話をする。会社の同僚と話しているのとはやはり違う感覚にとらわれるが、やはりその辺は環境が人を変えていってるんだろうなあ。戻る↑
    5月9日(木)「煮詰まるときは煮詰める」
    夕刻より、上司の「煮詰まった」という一言でいきなりミーティングとなる。ミーティングといってもみんな帰る支度して会社を出てしまい、要するにただの飲み会である。仕事には慣れたかというような話も聞くが、どうも僕にやらせようとしている仕事が見えてきたようで、なんか僕が希望していた仕事とはやはりずれがあるようだ。上司は、僕がその仕事に向いていると思っているようだが、あまりその方面は得意でない、というかやりこんでいるわけではないからいまんところなんとも自信が持てないというのが真相である。それにしてもなんかまたもや日記を自分のWebpageに公開する身近な人を発見してしまった。ちなみに兄の嫁さんである。夫婦揃ってインターネット上で日記を公開すると言うのはいいことなのか悪いことなのか、ってそういえば誰とはいわんがそういう夫婦が他にもいたような気がするが、なんか最近二人とも日記書くのサボってるみたいだからけしからん話だ。戻る↑
    5月8日(水)「花を買うのはちと恥ずかしい」
    ようやく頭がスッキリとした状態で目がさめる。朝からやるべき課題を順調にこなすが、デスクワークなのでかなりしんどい。動き回るのが性にあっているのでやはりこの生活は慣れるまでがたいへんである。帰るときに近所の花屋で母の日も近いし、母親の誕生日でもあるので花を買って帰る。花屋のおばちゃんに「皆さん照れくさいんですよねえ」といわれるが、普段から花を買う風習があるやつなんてあまりいないと思うし、いつでもバラを口にくわえて、闘牛をかわしてとどめを刺しているやつのほうがマイノリティーなんである。ということでようやく本日日記を10日分ほどアップすることにあいなったわけである。戻る↑
    5月7日(火)「社会復帰できたのか」
    きちんと目がさめることはさめたのだが、2度寝していいですよといわれたら今日中ずっと眠ってしまいそうな勢いだったので頑張って会社に行く。会社は10連休明けでなんかボーっとしてしまう雰囲気があったが、連休前に覚えた仕事の中身をきっちりと覚えていた自分を見て、なかなかやるじゃんと思う一面、うむ会社人間になってしまったなあと少し感じてしまったのはどうしようもないことだ。会社からの帰りに日本の街道4を購入し熟読。今週は山陽道で近所なのであまりどっか行きたいという気分にはならなかった。健全だなあ、というか今日それを本当に思ったらたいがいなやつであるとは思うのだが。戻る↑
    5月6日(月)「ゴールデンウィーク終了」
    浜田からも日本海側を走り抜ける。途中温泉津で温泉に入り、その元湯の味わい深さにまたもや感動。その後日本海側を走り、島根ワイナリーで巨峰アイスとかコロッケとかワインの試飲なんかをやりつつ松江に辿り着く。松江在住の国道MLのメンバーと出会昼飯。その後は山陰道、米子道、中国道を経由して帰路につく。途中揖保川PAで2月上旬にスキーに行ったときに車のスペアキーを借りたまま返していなかったMLのメンバーと出会い、3ヶ月ぶりにかぎを返す。本日は連休最終日なので、電光掲示板に「宝塚トンネル先頭に12キロ」とかいう不穏な表示がなされるのであるが、それに全然動じないのは滝野社から国道372号という選択肢があるからで、全く渋滞に出会うことなく7時ごろに帰宅。一緒に走った友人はその後頑張って横浜まで走っていった。久々に楽しいゴールデンウイークであった。10連休と言うのはとっても長いと感じた。戻る↑
    5月5日)「筑後川の鰻」
    朝起きて飯を食い、道の駅不知火にある温泉に入って出発。松橋から高速を利用し八女まで行く。羽犬塚の駅のループ橋を越えて久留米にある富松で鰻のせいろ蒸しを食す。ちゃんとした鰻屋なので、最初にお茶と御凌ぎのおつまみ(鰻の骨のから揚げ)が出てきてぽりぽりやっていると鰻到着。無言で熱々の鰻を掻き込みしばし満足。この鰻屋、鯉こくとか洗いもあったのだが、池には大量に鯉が泳いでいたのでもしかしてあれは池ではなくて生簀なのではあるまいかと考えてしまうが、模様の派手な錦鯉は食べてもあまりうまそうにないだろうから多分違うだろうと言う風に考えたがあまり自信なし。そのあと久留米市内をパスして鳥栖から飯塚経由で北九州に抜け、関門海峡を越えて下関に到着。そこで国道2号人道トンネルを門司まで戻り、またもや門司からこちらへ歩いて戻る。そのあと国道191号を走り、川棚温泉に入った後日本海側をひた走って浜田にある道の駅で寝る。とりあえず明日には帰れるところまで辿り着いたという感じ。戻る↑
    5月4日)「不知火オフ」
    昨日寝るのが遅かったので、朝のんびりとおきてトレーラーを切り離し、今日は阿蘇の温泉をめぐることにする。実は垂玉温泉の外来入浴が3時までというリミットがあるので出来るだけ早く出かけたかったのだが、国道218号には立ち止まりたくなるような物が溢れていてなかなか進まない。霊台橋しかり、通潤橋しかり。どうにかして垂玉温泉に2時半頃辿り着き、露天風呂、かじかの湯、大浴場とフルコースを堪能する。滝を見ながらの露天風呂、茅葺が最高のかじかの湯、建物の味わい深い大浴場とどれもこれも満足の行く温泉である。その後その隣にある地獄温泉に行き、すずめの湯、元湯、露天風呂とはしごする。すずめの湯は石膏が大量に出ており、湯の色は鼠色、「あついほう」の湯船は下から直接温泉が湧き上がるのでとても熱く、10秒ぐらいしか我慢できなかった。温泉通の友人曰く、硫黄が含まれる温泉は肌触りがやわらかく、温度が高くても入っていられるということである。んで、風呂上りもほかほかするということなんだそうだ。それにもまして驚いたのは、この温泉のpHが1.7ということである。20mMの塩酸とおなじ酸性と言うのはどうも信じられないし、粘膜がひりひりすることもないからなおさらである。元湯は趣のある浴場で、乾いた板敷きの廊下を裸足で歩くのがたいへん気持ちよかった。予定ではこれで終わりにするつもりであったが、露天風呂をのぞくとこれまでの2つがえらく混んでいたのにガラガラなのでつい入ってしまう。この露天風呂は仇討の湯と呼ばれていて、なんでも女湯の方が上に設えてあり、男湯を覗くことが出来るような仕組みになってるからそういう風に呼ばれているらしい。ということは仇を討たれるからには、その前にそれなりのことをやらかしておかないといけないのかなというわけの解らないことを考えてみたりする。そのあと不知火に戻ろうとするが車の流れがよろしくなく、到着したのは9時前。そこから雨に打たれつつ宴会の設営をして盛り上がり、眠くなったのでお先に失礼と寝る。一応九州に来たのはこれがメインだったんだけど、他のことが多すぎると言うのはいつものことだ。戻る↑
    5月3日(金)「身も心も洗われた山川の砂蒸し」
    朝起きて今日は鹿児島の温泉を回ろうと計画を立てたが、それならばここに戻ってくると言うことで、近所の広場に牽引していたトレーラーを置いて身軽になって薩摩半島の温泉巡りを始める。その前に道の駅にある足湯につかり、本日の温泉巡りは開始。それにしてもこの足湯、足湯の割には結構深いから入ろうと思えば全身浴も可能なんであるが、昼間はさすがに出来ないんで、夜になったら出来るだろうかと戻ってきたときに検証することにする。鹿児島市内では国道MLのメンバーらしく[RUTE]とかかれているおかしな国道標識や、3号と10号と225号3本の終点である地点にある石碑を撮影したり、遥か沖縄にまで続く総延長隠れ1位の国道58号の起点からフェリー乗り場まで走ってみたりとそれなりの活動をする。その後は一路指宿の殿様湯を目指す。殿様湯は薩摩の殿様が入った湯で、足軽以下は入ることが許されなかったと言う由緒ある湯である。浴槽に島津の丸十字が浮き彫りにされているのを見て、ついつい写メールをしたりする。そのあと弥次ヶ湯温泉にも入り、たいへんまったりとすごす。さらに怪しいお茶を売っているところの庭先に直径10mもあろうかというどでかい足湯をしつらえて無料で入らせ、あったまって汗かいたところにその怪しいお茶の冷やしたやつを飲ませて「うまい」と思わせて茶を売りつけようともくろむ店の足湯にだけ厄介になる。指宿と言えば砂蒸しということになるが、商業ベースに寄りかかっている所は基本的に嫌いなので、隣町の山川にある町営の砂蒸しに行くことにする。この町営の砂蒸し場が恐るべき辺鄙な場所にあり、おまけにゴールデンウイーク初日と言うこともあってか超満員。受付で「一時間は待ってもらわんと」といけしゃあしゃあにいうので、予約だけして山川の港でかつおのたたきとキハダマグロの刺身をいただく。これがうまいうまい。甘い醤油との相性が抜群である。九州に来たならばやはり甘い醤油である。たっぷりと食事を満喫して砂蒸しに戻り、25分ばかり埋められていい気持ち。最初砂かけばばあに砂をかけられたときは砂が重くてたまらなかったが、あったかい砂の中に埋もれているうちに程よく眠気が襲い掛かり、ついうとうとと眠ってしまう。そのあと鰻池のほとりにある「うなぎ湖畔」という旅館の露天風呂を堪能したかったが、かなり雨が強くなってきてあまり満喫は出来ていない。さらに頴娃でも温泉に入ったがごく普通の何処にでもある温泉施設でかなりげっそりしたが、お湯だけはなんか特殊で色は飴色、それで何とか救われているような。ここのフロントで昔なつかしフルーツ牛乳を購入するが、現在この表記は認めてられないのでフルーツオーレというきわめて微妙な表現になっていたのは笑えるところである。さらにそれだけでは飽き足らず、懲りずに枕崎に行き、枕崎空港を見学しながら枕崎なぎさ温泉へ。ここは室内の風呂は本当にどうでもいい風呂なのだが、露天風呂から見る景色が最高と言うことでお勧めだったらしい。しかし土砂降りの中、夜に露天風呂にはいる馬鹿もおらんだろうと思ったがもったいないので半分やけになって入ることにする。雨で薄まり適度にぬるいので何時間でも入れるぐらいであった。そのあと、そのまま北上して串木野から県道経由で樋脇に着き、トレーラーを連結して道の駅不知火まで頑張って走る。樋脇の足湯は夜も温泉は流れているが、足湯の底の栓を抜いて店じまいらしく、湯は貯まっていなくて残念。不知火には一日早く到着したことになるがそういうことは気にしないでおこう。隣に国道MLのメンバーが車を停めていたので電話でたたき起こし、こちらのキャンピングカーに乗せていろいろと話をする。思えばこのメンバーがチキン南蛮はジョイフルにあるっていったんだっけ。戻る↑
    5月2日(木)「日本のロンダルギア・椎葉村」
    昨日は大分の温泉を堪能したので本日は宮崎の温泉を堪能しようということになり、友人と作戦会議を開くが、今ひとつ良い温泉、というか我々をそそらせる温泉が見当たらないので、さっさと熊本の温泉に向かうことにする。当初は国道10号沿いでチキン南蛮でも食おうかという作戦を立てたのだが、国道10号とは朝のうちにおさらばしてしまい、日向から一路山道を湯前、人吉方面へ向かう。キャンピングトレーラーにはどう考えても辛い国道388号を濃い霧の中走り、「日本のロンダルギア」と誰かが揶揄していたのになんとなく納得してしまう。その後熊本側に抜けたらいきなり湯山温泉元湯なるものを発見し、ついついそこで入湯。ついでに道端の無人販売所でとよのかいちごを一パックゲットする。その後ループを越えて人吉で市役所の隣にある趣がありすぎる元湯でまったりし、さらにループを2回抜けてえびの高原へ入る。人吉ループ橋はその昔は世界一の規模を誇っていたのだが、国道314号の奥出雲おろちループにその座を奪われてしまい、当時の「世界一」という看板が錆びてしまっているのを見てやりきれない気分になる。そのあと時間切れだったけど特別に入れてくれたえびの市営露天風呂で大自然を満喫し、九州は西にあるから日没が遅いねと感動し、白鳥温泉の上湯でえびの市を一望してえびの高原を越えて鹿児島に入る。鹿児島で休もうと思ったら、隼人に到達する前に国道沿いに妙見温泉元湯を見つけてしまい、川のせせらぎを聞きながら温泉を満喫する。そのあとは隼人で晩飯にチキン南蛮を食べようと「ジョイフルにならあります」という情報を信じて入ったのだが、メニューにはなかった。そのあと道の駅樋脇まで行って寝ようとしたら、樋脇はいきなり温泉が垂れ流しになっているというたいへん贅沢な道の駅で、垂れ流しになっているほど湯量は豊富、なのに温泉がないという今一つ画龍点睛を欠いているような気がしないでもないというところであった。それにしてもこの道の駅、隣は酒ありコンビニだし向かいはコインランドリーだし、ということでいうことがないほど完全無欠な道の駅である。とりあえず今日はここでくたばる。ボチボチ肌が硫黄臭くなってきた。戻る↑
    5月1日(水)「九州温泉巡り開始」
    朝伊丹空港を飛び立ち、福岡へ。福岡でキャンピングトレーラーを横浜から引いてきた友人と合流し、一路九州の温泉巡りへ。温泉巡りと言うのが目的と言うか、4日に不知火で国道MLのオフ会があり、それに参加するべくやってきたが、それだけじゃもったいないので温泉を巡ろうというのが今回の趣旨。博多から飯塚を経て、温泉に行こうという壮大な計画のくせにここで温泉本をゲットする。一路大分県の天瀬を目指し、そこの川辺にしつらえた露天風呂温泉に入ろうとしたが、昨日の大雨の影響で玖珠川の水嵩は必要以上に高く、3ヶ所ある露天風呂温泉のうち2箇所は川の水が入っていたり、源泉が充分に供給されていなかったりではいるのは無理な状況。自然の威力を見せ付けられるが、その濁流を眼下に露天風呂に入るというのはたいへん趣があってよろしいの一言に尽きる。その後、筌の口温泉の共同浴場というたいへん味わい深い温泉場や、筋湯温泉の路地裏にひっそりとある共同風呂の薬師湯の佇まいなどを堪能しながら、温泉につかる。今日は結局大分と宮崎の県境付近にある道の駅宇目で車を停めてキャンピングトレーラーの中で寝る。戻る↑