2002年3月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 3月31日)「前日から拘束される」
  • 3月30日)「歯医者に10年ぶりに行く」
  • 3月29日(金)「不動産屋との熱い攻防と荷物運び出し」
  • 3月28日(木)「引っ越しの荷造り完了」
  • 3月27日(水)「体調がぼろぼろでも学会はこなす」
  • 3月26日(火)「体調悪いけど学会へ」
  • 3月25日(月)「一応、卒業式なんだけどねえ」
  • 3月24日)「冷蔵庫とテレビがなくなる」
  • 3月23日)「桜はさすがに早いなあ」
  • 3月22日(金)「無意味に一日が過ぎる」
  • 3月21日(木)「選挙はもっと静かにやれ」
  • 3月20日(水)「職場?への郵便物転送」
  • 3月19日(火)「カウンター設置」
  • 3月18日(月)「オークションからも一時撤収」
  • 3月17日)「甑島の味わい深い旅」
  • 3月16日)「おふくろさんの碑」
  • 3月15日(金)「マイルをためることに食指が動く」
  • 3月14日(木)「ゼネラリストとスペシャリスト」
  • 3月13日(水)「カーテンが20年ぶりに変わる」
  • 3月12日(火)「私物の撤収開始」
  • 3月11日(月)「最寄りの駅が遠い」
  • 3月10日)「長浜盆梅と琵琶湖一周」
  • 3月9日)「日本地名地図館購入」
  • 3月8日(金)「売名行為は実力つけてからしようね」
  • 3月7日(木)「推敲って言葉知ってる?」
  • 3月6日(水)「ハードディスク増設」
  • 3月5日(火)「Webの引っ越し完了」
  • 3月4日(月)「追い出されるコンパ」
  • 3月3日)「蕎麦と温泉は日本のリゾート」
  • 3月2日)「ボーダフォンの戦略」
  • 3月1日(金)「関西へ引っ越してきた友人」


  • 今月の日記
    3月31日)「前日から拘束される」
    朝から入社式と研修に出かける準備をする。準備が終わったらそのまま出発し、京都駅でぼちぼち顔見知りと出会う。芦原温泉まではあっという間で、そのまま部屋に入る。とりあえずホテルの近所を散策し、コンビニを見つけていろいろ持ってくるのを忘れた物を買い、昼間食べていなかったのでご飯を買って食べる。夕方一同に新入社員が会し、いろいろと話をする。とりあえず班分けでリーダーに任命された。今月はこれまで、いよよ来月からは社会人である。戻る↑
    3月30日)「歯医者に10年ぶりに行く」
    5日ほど前から痛かった親不知を見てもらおうと近所の歯医者に出かける。昔行っていた歯医者とはえらく雰囲気が変わっていて、妙に近代的で明るい。ボタン一つで座っている状態から寝ている状態にできたり、高さも自由自在なんから、何か散髪屋の状態である。とりあえず見事に腫れ上がっているらしいので、化膿止めと痛み止めをもらって帰る。帰宅したら眠かったのでそのまま爆睡。目が覚めてかなり体調がよくなってきたので飯を食って薬飲む。少しは部屋を片づけようと思ったがあまり進まない。戻る↑
    3月29日(金)「不動産屋との熱い攻防と荷物運び出し」
    朝からえっちらおっちらレンタカー屋へ出かけて車を借り、大学によって荷物を積み込んで自宅へ戻る。自宅で管理会社が待っていたので、そこで中を見せて敷金の返還交渉になる。「普通は、これはお支払いただくんですけどねえ」というトークと「普通に生活していたら、こんくらい汚れるもんでしょ」のせめぎあいが続き、取りあえず話はまとまっておわる。荷物を実家に運びこみ、残った荷物を再び取りに戻ったら、物干し竿がどなたかの物になっていたりした。そういえば、昨日夜中に道路に出しておいたコタツ、座椅子、カーペットはきちんと粗大ゴミというシールタグをお金を出して貼り付けたというのに、誰かによってとられているし、油断もすきもあったものではない。市役所に転出届を出して実家のある市役所に転入届を出そうとしたが時間切れで出せずじまい。しばらくは住所不定無職となる。取りあえず荷物を無事運びおえ、今日はおしまい。戻る↑
    3月28日(木)「引っ越しの荷造り完了」
    朝起きて、羽田に向かう。体調はまだまだなのだけどさっさと帰宅しないと行けないので青砥からちょうどきた特急で羽田空港に。泉岳寺でようやく座ることができ、羽田空港までいくが、おとといと違いあまり感激もなく到着。昼に出る飛行機の切符を持っていたので早い便に変えられないかと申し出たら「いったんキャンセルしてから再購入という形になりますので、余計に10000円ぐらい要ります。」と返事が来たので、おとなしく時間をつぶす。とりあえず飯を食うが、親不知が痛いので、ゆっくりゆっくり飯を食う。コーヒーを三杯ぐらいおかわりしながらのんびり食っていたら、1時間ぐらいつぶれた。それでも大概ひまなので空港の散髪屋に出かけ、襟元をきれいにしてもらい、風邪ぎみだったので洗えなかった頭を洗ってもらいさっぱりする。昼までに飛行機は無事飛びたち、三時ごろに大学に到着。研究室の私物を完全に撤収しようとしたら助教授がやってきて4報目の資料を置いていってほしいとのこと。そのあと別の助教授に呼ばれ、指導教官が入院することになったことを聞く。自宅に戻り、引っ越しの続きをする。夜中1時ぐらいまでかかってようやく荷作りとゴミ捨てが完了。畳の上にふとんを引いて寝る。戻る↑
    3月27日(水)「体調がぼろぼろでも学会はこなす」
    朝から学会会場である幕張メッセに行く予定だが、柏にいる国道MLの友人にまず会いに行く。金町まで京成に乗り、金町からは常磐線で柏へ。金町でついついSuicaを買ってしまう。友人宅(寮)まではバスで行き、一緒に腰のないうどんを食べに行く。そのあと柏に戻り、幕張までは常磐線−武蔵野線−京葉線で。会場に着いたのは昼頃で、午前中ポスター発表の後輩のところに行き、無事勤め上げたのを見届けて一緒に飯に行く。飯を食って僕のポスター発表となったのでポスターをせっせこ貼っていたら、内定先の同期の学生が来ていたのでいろいろと話すが、「痩せた?」となぜか聞かれてしまった。あんまり変わっていない、と言うか、10月よりどちらかと言えば太ったはずなのになあ。発表も無事終わり、新橋で飲んで兄の家に帰宅。相変わらず体調は思わしくない。おまけに左下の奥歯のあたりが痛くて痛くて仕方がない。ものを食べるのもかなり苦痛だ。戻る↑
    3月26日(火)「体調悪いけど学会へ」
    体調は全然回復していないけど、とりあえず学校に行く。行く途中で薬局で風邪薬を買って飲んでみるが、全く効かない。今日は4回生の卒業式なので顔を出す。昼過ぎに千葉の学会に向けて出発するも、体調は今ひとつ。機内で風邪薬をもらって飲んだところ、今度は大変よく効いた。とりあえずよくわからないけど、何とかまともになったので今日明日とやっかいになる兄の家に行き、近所の焼鳥屋へ。結構飲んだあとで家に戻り、寝る。戻る↑
    3月25日(月)「一応、卒業式なんだけどねえ」
    朝目が覚めたら幾分ましな状態にまで回復していた。ということで今日着ていくカッターシャツにアイロンをあて着替えて大学に行く。学会のポスターを印刷している最中に時間になったので印刷を後輩に任せて卒業式に出かける。卒業式は総長から一人一人学位記をもらうのでかなりたいくつである。体調が万全でないので背もたれのない長いすに座っているだけでもかなりしんどい。式も無事済み、自分が買うわけではないが集合写真を撮って参会。学部に戻って論文を審査してくれた教授に論文を手渡し、教授室でいろいろと話をする。郵便局に夕方自宅に荷物を取りに来てもらったが重量が20kgを越えていたので中身を抜いて20kgにあわせる。重たい荷物はオークションでせこせこ集めたゆうパックカードを使って無料で配送してもらう。それにしても、全然片づかない。引っ越し間に合うんだろうか?戻る↑
    3月24日)「冷蔵庫とテレビがなくなる」
    朝起きたら体調は最悪である。しかしまあやることがあるので寝てばっかりいるわけにはいかない。天気が良さそうだったので布団カバーを洗って布団を干し、引っ越しの準備をする。引っ越しの準備をやっていたらいきなり外は雨。あわてて布団を取り入れるがかなりぬれてしまいかなり哀愁。部屋で干してみるが乾きはいまいち。昼過ぎにこっちに越してきた国道MLの友人が洗濯機と冷蔵庫とテレビをもらいにくる。昼飯にラーメンを食いに出かけ、昼間限定営業というラーメン屋に驚いた様子。それにしても冷蔵庫と洗濯機とテレビをデミオで運ぶことができるとは驚き。友人が帰った後、天気が回復したので濡れた布団を干してみる。夕方取り入れたところ、とりあえず乾いていたのでほっとする。宅急便に荷物を取りに来てもらうよう頼んでみると、「引っ越しの予約で暇がない」とにべもなく断られ、がっかりする。おまけに寒気が襲ってきたので布団にくるまり眠る。明日卒業式なんだけど、無事出席できるんだろうか、とかいうことを考えながらも、学会に行く飛行機のチケットはしっかり予約していたりする。戻る↑
    3月23日)「桜はさすがに早いなあ」
    朝起きて、ぼちぼち学会の準備をしに大学へ。ただ、ポスター発表用の紙がないので寺町までまずは買いに出かける。この手の紙とかOHPは本来研究室で出してもらえるのだが、担当の教官に言っても「後にして」と言われてそのまんまということがここ3年以上にわたってつづいているのでどうせもらえないのだからその話をするのもめんどくさいので自腹を切る。寺町の帰りに円山公園で桜を見たが、まだまだ4分咲きぐらいで見頃ではない。おそらく来週末あたりが見頃だろうけど、そのころはもう京都にいないかも知れんのだから今年は桜が見れそうもない。大学に戻って印刷をはじめたが、プリンタの調子が悪いらしく青色が出ない。ということで今日は印刷を取りやめて後日に回す、と言ってもあまり日はないのだが。ということでホームページに掲示板をつけてみる。やっとホームページらしくなってきたような気がする。帰宅してどうも寒気がするのでとりあえず寝る。あさって卒業式なので、それまでには回復させておきたいところだ。戻る↑
    3月22日(金)「無意味に一日が過ぎる」
    朝からやる気もなく、引っ越しの準備もはかどらない。学会の準備もしないといけないのだが、それもはかどらない。一階の事務室から電話があったので簡易書留をとりにいくと会社からで、中身は入社式に行くときの切符だった。昼過ぎに友人が研究室に遊びにやってきたので、社会人だと言うことで飯をたかる。その後学校でだべり、郵便局に転居届を出してさっさと自宅に戻りいろいろと話しながら飲み始める。途中でつまみが切れたので買いに行ったりしているうちに結構遅くなったので友人帰宅。その後大学に戻ってごそごそいろいろやったら一日終了。今日は何もはかどらなかった。戻る↑
    3月21日(木)「選挙はもっと静かにやれ」
    朝から工事業者が来て、実家に光ファイバを引く算段をたてる。とりあえず、クーラーの排気口とかその手の穴があればそこから光ファイバをつっこみましょう、そんな穴ぐらいどこにでもあるでしょう、いやあ工事っていっても単に配線だけなんですよ、ははは、という軽ーい感じで業者は来たのだが、実家が和風建築の最左翼であることを目の当たりにして業者は思い悩んだようだ。とりあえず一般国道をまたぐとか一級河川をまたぐとか農地を通過するとか、そういった他の役所の管轄が絡むとことは極端に難しくなるようで、それには全く以て該当しないけど工事そのものがめんどくさい実家にあっては、業者も悩みどころらしい。とりあえず工事はいつやってくれるのかについては未定らしいが、ブロードバンドに向けて一歩前進である。夕方国道MLのメンバーが集まって大阪でクエ鍋を食べる。自宅から大阪までは、京都駅までバス、京都駅からJRというのが最強であり、今日のような祝日とあっては割引切符も使えるとあって最強の中の最強である。ただし、自宅から京都駅まで行くときに様々なトラップが仕掛けてあり、容易に京都駅には近づけない。まず、バスが間引き運転しているのか来てもらいたくもないけど市の財政が潤うのでまあ許しておいたるかと言う感じの観光客のせいでだんご運転になっているのか知らないが、とにかくバスが7,8分に一本来るはずなのに30分近く来ないというトラップ。次に、駅に向かうバスが経由する、東京ディズニーランド並みの集客力を誇る「清水寺」というおぞましき寺社。そして極めつけは本日公示されてしまった京都府知事選挙の演説で京都駅前の道路を占拠しやがる候補者の選挙カー。このため、自宅から京都駅までの4,5キロに1時間以上要し、京都駅から大阪駅までの4,50キロに30分しか要しないというどう考えても何かが間違っているような状態で大阪に到着。このトラップを予測できなかったこっちも甘いが、もうちょっとなんか考えろと言いたくなる。ちなみにクエ鍋は絶品で、しこたま飲んで騒いで話をして、どっか行きたいと言いまくって帰宅。自宅に山と積まれていた関西ウォーカーを大量に捨てにかかる。戻る↑
    3月20日(水)「職場?への郵便物転送」
    自宅の荷物をぼちぼち運び出す。いらん家財道具は生協にでも持っていこうかと画策する。4月にある府知事選挙の通知が来ていた。公務員の友人曰く京都府内の引っ越しなので選挙権はあるらしいが、投票する場所は今住んでいるところだというので、近いうちに不在者投票にでも行くか、棄権するか、と言ったところか。会社から簡易書留が来たらしいが不在だったので大学に転送してもらうようにお願いする。大学にその手の郵便物を転送するのは職員だけの権利らしいが、一人暮らしをしている学生にとって学校は昼間いる場所なのだからやっても構わないという風に思ってやっている。ただ、僕がそのように転送をかけた荷物が、結果的には毎日郵便物をチェックしている教授によって研究室に運ばれているという図式は何となくまずいと思うが致し方ない。学会のポスターの作成に励み、とりあえずはできあがったので試し刷りをする。ちょこちょこ修正するところが見つかったので、明日にでも直すことにしよう。明日光ファイバの工事業者が下見に来るらしいので実家に帰宅。実家で部屋に置いてあった創刊号から揃っている関西ウォーカーが一部捨てられていたので少しへこみ、バックナンバーは全部捨てることにする。ついでにいうともう買わないことにもする。戻る↑
    3月19日(火)「カウンター設置」
    昨日帰宅したらJ-PHONEの2月分の請求書が届いていた。たしか12月、1月、2月の明細は一緒くたに発行してもらう話なので、そのときにかかる手数料は一回分ですむはずなのに、なぜか2月分だけ別に一回分請求されている。ということでとりあえず文句を言ったら、来月の請求額からその分を相殺してくれるらしい。昼間に関西ウォーカーを買って読んでみたら別冊付録が挟んであって桜の見所を特集している。そこに桜前線が絵付きで解説してあり、桜の開花はこの時期あたりということが掲載されていたが、この企画を立てたときから随分経っており、折しもここ最近は暖かい日が続いているのでこの開花予想はまるで役に立っていない。まあ、そういうことは活字にするものの宿命なので致し方ないが、どちらかというと関西ウォーカーの詰めの甘さというかぬるさを如実に表しているような気がして仕方ない。卒業なので生協の出資金を返還してもらうべく本部に行き、さっくり返金してもらう。夕方より4月から働く3名と受託研究員の合計4名で飲みに行き、いろいろと研究室の将来について話をする。博士課程ともなるとみんなぼーっとしてるようで見るべきところは見ているような気がする、というか見たくなくても見えてしまうんだろうな。夜大学に戻り、自分のページに友人よりもらったカウンターをつけることにようやく成功。ということで、カウンターに表示されている人数は、ページ開設以来の訪問者じゃなくて3月19日23時以降の訪問者数なんだけど、しばらく経ったらそれもどうでもよくなるからいいか。戻る↑
    3月18日(月)「オークションからも一時撤収」
    昨日でオークションは終了。当分引っ越しもあるのでオークションには参加できないし、いよいよ本格的有料化となり、さらに出品落札時にこれまた課金されるということなので、再開するにしても他のオークションサイトの利用と検討と言うことでしばし冬眠することにする。落札者にメールを書いて出品を依頼されたものの精算もすませる。隣の講座の研究室が何でか知らないが内装工事にかかり、そのせいでモルタルの粉塵が廊下を濛々と漂いまくる。アスベストだったりした日には大問題だが、何せモルタルなので単に煙いだけであるが、良い気分ではない。その粉塵が研究室の机にまで舞い降りてきて、机を手で触ってみれば姑が障子の桟をこすったのと同じ状態で、指に埃がつく。工事の業者が恐縮して廊下に掃除機をかけていたがそれでは間に合わないので、地下からモップを持ってきてふき取る。それにしても、何であの部屋が今更内装工事に取りかかったんだろう?教授室となるべき部屋は研究室の隣の部屋だし、どうも合点がいかない。教授に呼ばれて教授室に行くと、5年ぐらい前に研修員としてここにいた人が博士論文を出すというのでその要旨を送ってきたらしいが、どうも僕の書いている内容と一部酷似しているので、どうしたものかという話になる。確かに同じ研究をやっていたので内容が似通うのはよくあることだが、僕やその人はきちんとやった内容の違いを理解しているのだけど、端から見たらその違いがわかりにくいんだなあと実感する。夕方実家から電話があり、実家に引く光ファイバの工事業者がどこに線を引き込むのか見てみたいと言うことで立ち会って欲しいということらしい。とりあえずその日は実家に帰ることにする。ブロードバンドを前にそんなところでのんびりやるのは得策ではない。戻る↑
    3月17日)「甑島の味わい深い旅」
    朝飯を食って船で旅立ち。港までは徒歩1分なので余裕で間に合う。船についたらそのまま熟睡し、目が覚めたら下甑島の東側にある鹿島港へ。ここは同じ下甑島でも鹿島村という別の村で藺牟田(いむた)と呼ばれるところである。とりあえず村役場に行き、写真撮って戻るが、鹿島村は200年ほど前に大火事で村の3分の2も焼けてしまったらしく、それ以来歩きながらたばこを吸うことがまかりならんらしい。左半分が焼けこげて200年のうちに樹皮が少しずつ回り込んできてかなり回復している榎を見て生命の神秘を感じるが、一緒に行った友人は鹿島村役場が建て替えられて昔の村役場と今の村役場の2つともがあることが気になるようだった。鹿島港で待合室になぜか置かれている科学雑誌Newtonにかなり違和感を感じながら読んでみたところ、バブル絶頂期の科学はゼネコン万々歳だったんだなあと思ってしまうトピックスのオンパレード。科学が景気に左右されてはいけないと思うが、そういう夢のプランを書いている会社は今でもきちんと堅実な経営をしているゼネコンだったので、ビジョンがあればつぶれないということなんだろうか?ともかく高速艇に乗り、長浜港経由で串木野に戻る。客室の一角がカーテンで仕切られていたのでのぞいてみると急患らしく点滴受けながらストレッチャーで横になっている。串木野港では救急車が桟橋にスタンバイしていた。そんなこんなで甑島を満喫し、さて鹿児島に行こうと思ったらちょうど港に鹿児島行きの急行バスが止まっている。かなりくたびれているバスだが、とりあえず乗り込む。乗り込んで運転手に鹿児島までの運賃を聞いたら「行ってみないとわからない」といわれ、他の客が「○○には停まりますかいのう?」と聞くも、「わからんなあ、急行じゃから」という恐ろしい返事をする。始発から終点までの料金も知らなければ、停まるバス停すらわからんと言うのはすさまじいの一言である。その後天文館の「むじゃき」で「しろくま」を食べ、西鹿児島駅の裏にあるみょうばん温泉に入るが、洗い場で横になっているじいさんがぴくりとも動かないし足の血色が悪すぎるのでよからぬ想像をしてしまうが、口がぴくぴく動いたので杞憂に終わる。そのあとバスで鹿児島空港に移動しおすすめというチャンポンを食べて飛行機で伊丹へ。なかなか楽しい旅だった。帰宅するときにそばを買って家で食べ、7週連続温泉&そばもさりげなく達成。戻る↑
    3月16日)「おふくろさんの碑」
    川内あたりで目が覚めて降りる準備を始める。串木野に降り立ったのは朝の5時半。京都と比べてかなり西なので、さすがに日が長くなってもまだ夜明けにはほど遠い。駅をでたところにタクシーを止めて客待ちをしている運ちゃんに「どこまで行くの?」と聞かれるので「甑島へ」と返事をしたらまだ船の待合室が開いてないからこっちの待合室で待っとくといいといわれそのまま駅の待合室で爆睡。夜が明けた頃にようやく出発し、駅にあった地図でかなり立派なロータリーがあったのでそれをまずは見学に。そののち港まで歩いていき、だいたい1時間ぐらいで到着。上甑島の里まで切符を買い、港の食堂で朝ご飯を食べて出港。高速艇なので比較的早くつき、1時間ほどで里に到着。村役場を撮影するのはもちろんのこと、武家屋敷跡など結構観光モードでうろうろし、村役場の前から上甑村バス事業団というところが運営しているマイクロバスで一路中甑港へ。それにしても甑島は前に行った神津島と違い、ずいぶんと昔から統治がなされていたのが原因だろうけど、インフラが昨日今日できたと言うものではないので、落ち着いた生活が営まれているという感じがする。それだけ島津氏の統治が苛烈を極めていたのだと言うこともできるのだが、功罪というのは併せ持つものであるということを感じる。中甑港は上甑島の上甑村にあるのにそういう名前だったりする。とにかくややこしい。そこから歩いて中甑島の平良港へ行く。途中、甑大明神橋と鹿の子橋という橋が島の間にかかっているので中甑島へは歩いていける。平良港までは6キロばかりあったので2時間弱かかった。かなりしんどかった。平良港で腹が減ったのでなんか食べ物屋がないか探してみたが見あたらない。仕方がないので島の販売所で適当に食べ物を買いながら話を聞いたところ、食べるところはないとのこと。そのまま港に戻り、昼間っからビールを飲んで待合室で熟睡。船がきたので船に乗り、本日の目的地下甑島の一番西にある手打港へ。手打港から1分のところに本日の宿があったのだが、それに構わずまずは明るいうちに村役場へ。かなり西にあるので、夕方6時でも明るいこと明るいこと。村役場に行く途中森進一の「おふくろさん」の碑があり、そこの前に佇むといきなり♪おっふくろさんよぉ〜、おっふくろさん〜、というあの歌声が聞こえてきた。とりあえず3番まで完全に聞き入り、村役場を撮影して宿に行ったら宿の女将さんというか一人で切り盛りしてるばあさんが「船がとっくに着いたのに全然来んから私は予約の日にちを聞き間違えたのかと思ったよ。連絡しようにも名前聞いていなかったしねえ。」といわれ、確かに素通りしたのは悪かったと思うが、連絡先も聞かないと言うその大胆さ適当さに少し痛み入る。とりあえず部屋に通されたが、本日は結果的に貸しきりで夕食も二人分のみ。風呂に入った後早速飯が始まるが、飯の最中もその話で持ちきり、よほど気にしていたらしい。おまけに来なかったら、僕たちの料理は隣の若夫婦にあげてしまうところだったとか。そんな話を聞きながら鹿児島独自の甘い醤油で食べるキビナゴの刺身に舌鼓を打ちながら下甑島産の焼酎「五郎」をいただく。焼酎はこれまで飲めなかったのだが、かなりうまいのでついつい3杯ほどお湯割りをもらう。後で友人曰く、あの焼酎はかなり癖があるということらしいが、実際かなりうまかった。飯が終わったらかなり疲れていたのでそのまま寝てしまう。戻る↑
    3月15日(金)「マイルをためることに食指が動く」
    学会の準備のために交通費をもらうべく書類を書く。委任経理金とかというわかったようなわからないような形態で交通費をもらうことができるらしい。交通費がこれでもらえることが確定したので、切符の予約に入る。当初は行き帰り新幹線を狙っていたのだけど、なんとなくというか、全日空のマイレージに入ったので特割だと新幹線とあまり値段も変わらないことから飛行機にしようかという風になってしまう。マイレージというのはかくも恐ろしいものかと独りごちる。研究室の机を片づけていたところ、本棚から出てきた「課長バカ一代」全7巻はどうしようかと悩み、後輩に譲ることにする。ついでに先日買ったゴルゴ13も譲ることにする。引っ越し荷物の段ボールは現在4個、まだまだ増えそう。夕方より甑島に向かって出発しようと京都駅に向かったらいきなりアパートの管理会社から電話がかかってきて「引っ越しの日にちはいつですか?立ち会いの日程教えてください」といわれたので何かと都合のよい29日にしてもらう。新大阪まで新快速で、そこで友人と待ち合わせていきなり飲み始め、新大阪からはひかりレールスターで一路博多へ。車内でもしこたま飲み、博多からのドリームつばめでもしこたま飲んで騒いでいたら筑豊なまりの兄ちゃんに「静かにせんかい」と一喝された。大牟田すぎたあたりで眠くなって熟睡。戻る↑
    3月14日(木)「ゼネラリストとスペシャリスト」
    朝から散髪に出かける。近所の散髪屋で、こっちに引っ越してからの3年間はこの店に通いっぱなしであった。たぶん今日が最終回ですということで、お世話になりましたということになる。来月からどこの散髪屋に行けばいいんだろ?腕が良いけど、あんまり流行っていなくて、それで構わないという風に構えているという店が好きなので、そういう店があったら誰か紹介してもらいたいのだが。今日まで大学の入学試験があった。前期日程、後期日程の2回チャンスがあるというのはいいけど、後期は10名だけしか合格しないという「狭き門」である。要するに前期で大コケしてしまった受験生への救済策という気がするのだが、後期試験のみうちの大学を受けるというやつでこの試験に合格するというやつは、一発勝負でものすごい能力を持っているという人材になる。別に僕が10年前に後期日程で合格した(当時は定員が20名)ことを正当化したいわけではないのだが、後期日程の合格者はやはりスペシャリストっぽく、前期日程の合格者はゼネラリストな気がする。まあ僕の場合は前期日程で「勉強がたらん」と自覚して、そこから真剣に勉強したら合格してしまったという訳のわからないタイプなのでどっちにも当てはまらないと言うのが正解だと思うが。「人事を尽くして天命を待つ」というのはある意味僕のこれまでの経歴には当てはまるようで、がんばったなあと思えることは必ず結果がついてきている。ただし、がんばってる最中に「はい、もういいですよ」という感じで達成されたことが結構多いので、自分としてはやり遂げていないような気がすることも多い。そういう意味では「尽くして」いないことになるなあ。週末出かける先の宿の予約をようやく取る。電話をしたら名前も聞かずに一発オーケーというのが何ともいい感じ。隣の研究室の後輩がこの秋ぐらいに国際学会に行きたいということを言い出したのだが、どうも今の教授が退官まで後一年なので今のうちに行かせておきたいという方針らしい。しかし、教授から行くように言われて、指導教官がこの学会はどうやと勧めてもらい、学会の情報がないのでインターネット検索しても探せなかったので僕に聞いてきた、という周りのお膳立てが良い後輩を見て、自分が国際学会に周りの不手際で行けなかったことを思い出し、少しうらやましく思い、いじけてしまった。まあ、周りの環境が最悪なので、自分に実力がついたのだとでも思って納得するとしよう。4月からの実家でのインターネット接続方法として光ファイバを利用することにし申し込んでみたが、開通まで2ヶ月ぐらいかかるらしい。まあいいか、ちょっとの間はダイヤルアップかな。戻る↑
    3月13日(水)「カーテンが20年ぶりに変わる」
    学会の準備もしないといけないのだが、その前に交通費をいい加減もらいたいので助教授にそのことを言いに行くと、「教授に聞いてくれ」ということになった。教授に聞きに行ったところとりあえず書類書いて、お金はもらえることになったようだ。今日は実家に戻るので少し早めに帰宅。4月から生活する自分の部屋の模様替えとしてカーテンをこれまでのかなりくたびれた20年選手から新しいのに交換する。ついでにその辺を3年半ぶりに掃除する。机を動かしただけで埃が濛々と舞い上がるのは恐ろしいことだ。ほんの少しだけ4月からの生活環境が進展したような気がする。戻る↑
    3月12日(火)「私物の撤収開始」
    研究室からの撤収の準備をするべくもう使わないものを箱詰めする。段ボールは近所のニックからもらってくる。とりあえず3箱分で割と減ったような気がする。宅急便にでも取りに来てもらう予定。隣の研究室の後輩が助教授の前でおやつをばりばり食べられないので、という理由でこっちの研究室にお菓子を持ってきた。食べているところに教授がやってきてしまったりするのはいつものこと。夕方自宅に戻ると大学から封書が届いていた。あけてみると「めでたく卒業が決まった。つきましては卒業式に参加するかどうか返事しろ」という内容の文面だった。どうやら先週の金曜日の会議で卒業が正式に決まったらしい。夜プロジェクトX見ていたら北海道に行きたくなってきた。戻る↑
    3月11日(月)「最寄りの駅が遠い」
    夜中にチャットで週末どこに行こうという話を友人として、朝起きたらとりあえず切符を取りに円町駅に向かう。自宅最寄りのJRの駅は京都か山科か二条か円町かきわめて微妙だが、西院に用事があったので円町を選択。円町の駅で友人と二人分切符を買うが結構めんどくさい買い方になってしまった。とりあえず切符は押さえたので一安心。その後西院の向こうにある某カメラ店で、インターネットで送っておいた画像を印画紙に印刷してくれるというサービスを使って作った画像をもらいに行く。最初は松尾に住む後輩に学校に来るときに取ってきてもらおうと気楽に考えていたのだが、「当分学校にはきません」と言われてしまい、仕方なくえっちらおっちら取りに行く。画素が200万でもサービスサイズなら十分きれいなものであると感動する。その後「らーめん1番」で180円のラーメンを食べてみようと言うことで挑戦したが、すごくまずかった。おまけに店員(女性)が鈴木ヒロミツそっくりなのでさらにびっくり。その後なぜか全日空の株主優待券を4枚買って学校に戻る。学校に戻って、仕事して飯食った後でauショップに行き、ガク割が終わるので家族割のサービスを申し込む。関西セルラー以来の顧客なので、イヤートークプランと組み合わせるとこれまでと基本料金はほとんど変わらないし、おまけに無料通話料金を差し引くと基本使用料の残金はたったの150円ということになる。早めに引き上げて帰宅しようとしたら、これまでガス屋があったところに新しく店ができていたので入ってみる。ずいぶんとおしゃれな感じのお好み焼き屋という今ひとつにあわない様相だが、味も今ひとつだった。おまけにこっちが静かに食いたいのにやたらと話しかけてくるのには閉口した。普段行ってる店は、自分の中で知らないうちに自分の好きな店だけにきちんと選別ができていたんだなあ、と気づいた。戻る↑
    3月10日)「長浜盆梅と琵琶湖一周」
    昨日からいろいろと策を練っていたのだけど6週連続温泉&そば達成のためにどっかに出かけようと京都駅まで行く。今庄か長浜に行こうとしていろいろチェックしたところ、結局長浜に行くことに決定。京都から長浜に行き、長浜から京都に帰るというチケットを買おうとしたが、みどりの窓口の駅員は、「京都から山科の切符と山科から京都までの切符を買えばいいですよ。途中下車しないんでしょ?」というふうに明らかにこっちをそういう目的の人と勘違いしているようだ。そういう目的だったら、それだけ買えばいいっていうことは知っているのできちんと説明する。結局京都から琵琶湖を一周して京都に戻る、しかも途中下車は自由という切符は売ってくれなかった。仕方なく京都長浜の往復の切符を買う。値段から行くと青春18切符一日分よりも高いので割に合わないとも思ったが、余った4日分の消化方法が見あたらないのでいいことにする。切符を買うと、まるで待っていたかのように長浜行きの新快速がきて一路長浜へ。道中各駅ごとといっていいほど前のバイト先が駅前にあるので、明らかに多すぎるなあという気がしないでもない。長浜で降りてとりあえず今日までやってる盆梅展を見に行く。そのあとその向かいにある鉄道記念館に行き、明治時代に思いをはせる。その辺で適当に時間をつぶした後、国民宿舎の太閤温泉に行き、まったりと温泉にはいる。フロントの管理がええ加減なので、じつは無料で入れるのではないかという気がしないでもない。有馬温泉と同じような成分だということだけど、有馬温泉よりも成分が薄いような気がする。温泉のシャンプーが「茶入り」という風変わりなもので頭がその後しばらく茶のにおいがしてたまらなかったりする。そのあと駅前のそば屋で鴨そばを食ってめでたく6週連続温泉&そば達成。そのあと駅に戻ったが、まっすぐ帰るのもおもしろくないので近江塩津経由で帰ることにする。近江塩津で2時間ほど待ち時間があるので途中下車できないけど改札が無人ということで駅の外に出てみれば目の前の道路が国道8号であった。適当に時間をつぶして後は湖西線経由で帰る。狙っていなかったが琵琶湖を一周したことになる。やはり疲れた。学校に戻ったらオークションの落札が終わっていて、落札者からメールが届いた。こちらから出したメールにすぐに反応してくれたのはいいけど、書留の有無について聞いているのに「書類って何ですか?書類出さないとだめなんですか?そんなことこれまで聞いたことないです」というきわめて天然あふれる返事や、ゆうパックに簡易書留をつけたいとかいろいろでまともな返事をしてくれた落札者が一人もいなかったのであきれてものもいえない状態になる。戻る↑
    3月9日)「日本地名地図館購入」
    朝起きるのがかなりしんどかった。やはり飲みすぎは堪える。二日酔いではないのでごくふつうに朝ご飯を食べ朝風呂につかる。携帯の電池が昨日帰る途中に切れたのだけど、充電器を大学においてあったので、大学に行かない限り充電ができないということになっていたのでさっさと大学に行く。大学で充電しながらメールチェックをすると、12月に予約をしていた日本地名地図館が入荷されたとのメールが来たので早速出かけたいが充電が終わっていないのでいろいろと雑務をこなす。充電が終わったのでジュンク堂に出かけ無事購入。1万円以上お買いあげの方に差し上げております、というコーヒーチケットをもらい4階の喫茶コーナーで茶をしばく。その後ひさしぶりに「ト一」で飯を食って学校に戻る。学校に戻り地名地図館のCD-ROM版のインストールをするが、取説を読むとキーディスクとして未来永劫にわたりCDがいるということなので、とりあえずはCD革命でfcdファイルを作成してそっちからインストールする。これまで地図ソフトは結構たくさんあったのだが、地名とその由来まできちんとでてくれるソフトはなかったので結構うれしい。戻る↑
    3月8日(金)「売名行為は実力つけてからしようね」
    昼飯を後輩と食べにいく。以前コンパを開いたところから幹事さんにそのときの10%を食事券で還元するという何ともありがたいシステムにより、というかそういうシステムがあるからそこを利用したというのが事実で明らかに向こうの戦略にはまっているというのはわかっているのだが、二人で昼飯が食えるぐらいの食事券が自宅に郵送されてきたので喜び勇んで出かける。昨日の熱い漢から返事が来ていて、己の文章がまずいことを指摘したことに激怒して、俺の文章は数多くの雑誌や新聞に掲載されている!という熱い内容だったのだが、あのひどい文章が掲載されたとは考えにくい。さらには「あなたは誰ですか?」といわれたんだけど、誰ともわからぬ相手にメールを出しているという時点でかなり熱い漢であることは疑いようのないことで放置プレイすることに決定。それにしても、本名と住所と電話番号と所属大学を最初から見ず知らずのやつに明らかにするなんて言う態度はすばらしいの一言で完結してしまう清々しい漢っぷりである。どうせ橋本龍太郎とかそのへんに自分の名前でも売り込んでいっぱしの論客気取りにでもなろうとしていたんだろうけど。大学に戻りメールをチェックしていたら東京在住の国道MLの友人が西宮競輪の最終日(最後、というか正真正銘の最期、というべきなんだろうか)にやってきており、夕方から大阪で飲みたいと書いてきたので梅田に向かう。その日中に東京に戻らないとだめというのでふつうなら新大阪から新幹線で帰るという選択肢を選びそうなものだが、通路に新聞紙を敷いて東京まで我慢するというのはいやなので関西空港から羽田まで最終便に乗るらしい。値段的にはほとんど変わらないで、快適さが遙かに違うのだからこの選択肢は大変おいしいというかすばらしい限りである。空港行きのバスの時間ぎりぎりまで飲んで友人を送っていき、その後そこにいたメンバーと2軒目に出かける。実は梅田で待ち合わせをしていたときに一緒に飲んでいた友人の彼女から「飲みに行こう」というメールが入ったが、向こうもポーリングでこっちの居場所をわかっていたようで、隠密で大阪までやってきて友人を驚かせるというオペレーションを実行し、見事成功していたりするのだけど、これもまたおもしろい話であり、結論は新快速は偉大であるということに落ち着く。その後飲みに行ったワインバーでは6人でボトル4本あけて帰宅。かなり飲み過ぎたような気がする。戻る↑
    3月7日(木)「推敲って言葉知ってる?」
    朝からJ-PHONEに電話をする。読んでもいないメールに課金をするなといったところ、結局メールリストを取り寄せていたのが原因とわかり一件落着。どうもメールを読んでいないけどメールリストを取り寄せた時点でロングメールには課金されるのだということ。取説を隅から隅まで読むのが信条の僕にとっては限りなくイージーミスで、かなり恥ずかしい。ということは2月分も結構メールリスト取り寄せて読んでるからかなり高い料金を請求されるのだとわかり少しブルーになった。3月からはそういうことがないようにしないといけないと心に決める。隣の研究室の助教授がパソコンにXPをインストールしているらしくインストールのやり方を聞いてくる。こっちは忙しいのにごちゃごちゃ言ってくるのは困ったものだけど、詳しそうな人が僕しかいないかららしい。4月からどうするんだろう?相変わらず僕のhotmailアカウント宛には勘違いした熱いメールが届き、そのいずれもが「漢(おとこ)」っぷりを発揮している優れものである。感情のおもむくままにメールを書くのは一向にかまわないけど、一応初対面の相手なんで、それなりに書いた後ちゃんと読み直すとかそういうことはしてもらいたい。「内容が低下している内容になってきています。」とか「これが原因だと思われます。これは事実です。」とか主語と述語がねじれているのとか、とにかく日本語になっていない。日本の今後の教育を憂いてメールを書いてきたようだけど、既にあなたのメールの文面で日本の教育のレベルが落ちてきていることを痛感させられますという気がしてしょうがなかったりする。戻る↑
    3月6日(水)「ハードディスク増設」
    昼からハードディスクを増設するべくパソコン工房へ出かける。今使っているハンガリー製のIBMのハードディスクは妙に音がうるさいし、あまりよろしくないという噂もあるので、その辺のどうでもいいファイルならばともかく、自分が一生懸命作ってきたファイルなんかはできたらまともなところに保存しておきたいので、と思ったのと同時に75Gもあるくせに残りが心許ないというのもあったし、なによりも最近OFFICEの動きがとろくて仕方がないからフォーマットしたいという衝動に駆られたのが実情。店に行って5400回転と7200回転のどっちにするか悩むも熱暴走が怖いので5400回転にする。おまけにベアリングが流体でできているらしく音が静かで寿命も長いという優れものだったので喜び勇んで購入。学校に戻り、フォーマットからいろいろやっていったが一通りすんだのは夜中の12時だった。ともかくこれでハードディスクは150Gに増えた。でも、いつの日か、これでも足りなくなる日が来るのだろうなあ。帰宅したらJ-PHONEから通話明細が届いていた。どうもロングメールをずいぶんと大量に受信したのが先月の電話代が高くなった原因であるらしいのだが、受信メールを最後まで読まないで捨てたのでこの課金は納得がいかない。戻る↑
    3月5日(火)「Webの引っ越し完了」
    今日は引越し先の自分のページの立ち上げを行う。トップページをちょこっとええ感じに仕上げようとしてぼちぼち作業。ある程度出来上がったのでアップしとりあえずコンテンツとしてはこの日記だけ。ファンのためにも新しくコンテンツを充実させる必要があるんだろうけど、めんどくさいのでいろいろと考えては見るものの思考停止。過去の更新履歴そのものがコンテンツになるような、「労力のいらないコンテンツ」を作ろうかなと考え中。ってこの日記だってそういういい方したら、そういうのにあてはまるよなあ。創刊号以来欠かさず(といっても途中少し抜けあり)買っている関西ウォーカーを買うが、今となっては「食べ放題!」という企画に文字通り全く食指を動かすことがないのはどうしてだろ?夜、家でプロジェクトXをみていたら無性にどっかいきたくなってきた。富士山見て、来週は青函トンネルなんていうふうに旅愁を誘う組み合わせは反則である。夜中にチャットで新しいページの出来具合を聞いてみたところ「写真が傾いてるのが気になる」といわれたので直すことにする。夜中久しぶりに「高校教師」みて、桜井幸子は昔から顔が変わっていないことに気がつく。それでなのかもしれないがセーラー服に妙に違和感を感じてしまった。戻る↑
    3月4日(月)「追い出されるコンパ」
    朝から久しぶりに洗濯する。昼ごろ大学に着き、いろいろと適当に仕事をする。育英会の奨学金の変換手続きの書類を早く送ってくるようせっつかれたのでさっさと書いたのはいいが、学生部まで行くのがめんどくさいので学内便で送る。夕方から研究室の追い出しコンパに参加。今回は正真正銘追い出されるので、ちょこっと感慨深いものがあるのだが、それはさておきいつものとおりごく普通の飲み会。そのあと久しぶりにeau de vie にいくが、今日は珍しくマスターが休み。一緒に連れて行った後輩といろいろ話をして大学に戻る。それにしても夕方6時からの飲み会なので10時過ぎにはもう既に出来上がっていた。健全というか、間抜けというか。戻る↑
    3月3日)「蕎麦と温泉は日本のリゾート」
    昼ごろ起きてゆっくりすごす。夕方に国道MLの友人が来たので、なぜか桂にある仁左衛門の湯に行き、温泉につかる。じつは2月から4週連続そばと温泉という記録が続いていたので、なんでかよくわからないけど温泉とそばということでいったしだい。結構いいところで、実家からも近いから実家に戻った後はちょくちょく利用しようかなという気になった。そのあとなぜか和知まで出かけ、国保和知病院で認定活動をする。今日は夜になってかなり冷え込んできたが、網走に流氷を見に行ってる友人からの写メールでは、こことは桁違いの寒さが伝わってきた。戻る↑
    3月2日)「ボーダフォンの戦略」
    朝、伊丹の友人宅を出て帰宅するが、携帯の電池がやばいので電源を切っておく。途中長岡で昔のバイト先に挨拶でもしておこうと途中下車し行ってみるが、顔なじみのバイト先の同僚はまだ来ていなかったので、託けをして帰る。帰り道長岡天神のJ-PHONEショップで電池がやばいので充電をしてもらいながら新しいパケット通信対応のJ-SH51をいじらせてもらう。すごい機能が目白押し、と思ったらじつはJ-SH08でほとんど同じ機能はついているらしい。違うのは動画が送れると言うことらしいけど、この動画のレベルが明らかにパラパラマンガのレベルなので実用的ではないし、15kものサイズの添付ファイルがついたメールをパケットで受けたら36円もかかるのだから人をなめるのもたいがいにして欲しい。おまけに機種変更代金が48000円スタートとかいう「おまえはDoCoMoか?」と小一時間問い詰めたくなるようなばかっぷりに、ボーダフォンって日本の現状を理解してないよね、と思うことしきり。適度に充電してもらった後帰宅。帰宅した後再び寝る。戻る↑
    3月1日(金)「関西へ引っ越してきた友人」
    さて、ついに3月である。昼前に実家を出て家に到着したらいろいろと郵便物が届いていた。4月からお世話になる会社から入社式の案内である。本社と研究所は大阪にあるのだけど、研修施設が福井にあるということで入社式は福井、んでそのまま新入社員研修ということになるようである。ということで入社式の集合時間が3月31日の正午に京都駅、ということになったようだ。きわめて合理的な事の運び方なので、抜かりがないという風に理解すれば誠に結構なことだけど、なんか入社早々カンヅメにされそうな気がする。夕方国道MLの友人が横浜から伊丹に引っ越してきたということで、伊丹で歓迎会を開く。ISPじゃないプロバイダをやっている友人から実はWebspaceも借りていたことが飲み会の席で発覚し、Webの引越しを決意する。盛り上がって飲みまくっていつものとおり居酒屋で爆睡をしてしまう。飲みながら寝るのはあまりよくないことだけど、最近体力の低下が激しいのが原因なのかもしれないなあ。戻る↑