2002年2月

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    今月の日記タイトル一覧(クリックするとその日の日記へ飛びます)

  • 2月28日(木)「引っ越しの準備は着々と」
  • 2月27日(水)「立つ鳥跡を濁さず」
  • 2月26日(火)「アパート引き払い宣言」
  • 2月25日(月)「スキーの翌日はこんなもの」
  • 2月24日)「原田はえらい、でももっとがんばれ」
  • 2月23日)「トイレが男子用から女子用へ」
  • 2月22日(金)「30分で解けない謎をあっさり解く」
  • 2月21日(木)「返金したら壊れたものが手元に残るだけ」
  • 2月20日(水)「CDは大容量メディアだったはずなのに」
  • 2月19日(火)「携帯料金の謎」
  • 2月18日(月)「オークションスクランブル点灯」
  • 2月17日)「倒れる店員」
  • 2月16日)「20年前の古き良き時代の日本:東伊豆」
  • 2月15日(金)「サポートセンターは大変」
  • 2月14日(木)「論文の製本」
  • 2月13日(水)「国内ですべて片が付く国際的な論文」
  • 2月12日(火)「ぎりぎりまで実験するか」
  • 2月11日(月)「JHの領収書に収入印紙は貼られるのか」
  • 2月10日)「わんこそばと馬肉鍋」
  • 2月9日)「北茨城であんこう鍋」
  • 2月8日(金)「いざスキー?へ」
  • 2月7日(木)「高安のすじチャーシュー」
  • 2月6日(水)「ネットでの手配」
  • 2月5日(火)「なかよしとは仲良しになれない」
  • 2月4日(月)「吉田神社の節分祭に行けず」
  • 2月3日)「栂池スキーと丸かぶりの風習」
  • 2月2日)「今期初スキーへ」
  • 2月1日(金)「ようやく仕事が決まった友人」


  • 今月の日記
    2月28日(木)「引っ越しの準備は着々と」
    本日で2月も終わりである。ぼちぼち引越しの準備をしないといけないのでカード会社に住所変更の手続きをする。もちろん郵便局に転送をお願いしておいて、あとで転送された郵便物を見てから手続きをすれば間に合う話なのだが、いかんせん最近はそれをしても郵便局以外からも荷物が届くのでその辺をきちんとしておかないと困ることが良くある。僕の家の洗濯機は外にあるのだが、戸口が向かって部屋の一番右側にあり、そのすぐ右側に右の部屋の住人の洗濯機が置かれているという構造なので、いつだったか右隣の住人が引っ越したときは、郵便局が僕が引っ越したものと勝手に判断して郵便物が2ヶ月ばかり全く届かなかったことがある。郵便局はそういったことまでやってくれるのはかなりいいサービスをしてくれるという風に言えるけど、早とちりはちと困り者である。まあ表札を出していない僕が悪いといえばそれまでなのだが。月末なので実家に帰る。実家でこの前伊豆に行ったときのデジカメの画像を見せて、この画像を印画紙に焼いてほしいということについていろいろと話をする。戻る↑
    2月27日(水)「立つ鳥跡を濁さず」
    本日は修士論文の発表会である。僕が絶対に聞かないといけない、というような発表は無いので爆睡をこいていたのだが、まあがんばりやと言おうと後輩にちょこちょこメール出す。やはり緊張してるらしいが、緊張している様子が文面から滲み出ているのもいれば、相変わらずそれが表に現れないやつもいる。表に現れないというのはいいことなのかもしれないが、「いつまでたっても脳天気」とでもいわれかねないんだから、「ありがとうでごわす」というメールは程々にしてもらいたいし、「大人の女」になるのはずいぶんと先のことになりそうと思われても仕方ない。ところで「脳天気」と「能天気」どっちが正しかったんだろうか?後輩の発表が昼過ぎで、なぜかPowerPointを操作する担当となったのでのんべんたらりと席に座ってまどろみながら発表を聞く。ようやく後輩の番が来たので一応起きて操作をしていたが、暗い、飯の後、適温、静寂、すべてが昼寝に誘う要素として申し分がないのでついついうとうとしてしまう。大過なく操作は出来たけど、かなり後輩は質問攻めにあっていた。本日はバイトの最終日なのでいつものとおりバイトをするも、バイト先の机を綺麗に空っぽにし、世話になった社員さんにお別れの挨拶をして帰る。戻る↑
    2月26日(火)「アパート引き払い宣言」
    アパートの管理会社に3月末で引き払うことを連絡した。連絡してそれに必要な書類が届いたのだけど、なぜかその書類の送料はこっちの負担らしい。オークションをやっているせいかもしれないが、なぜこっちが負担せねばならないのか納得が行かない。多分向こうの言い分は「勝手に引き払うって行ってきたんだから、そっちが負担するのは当たり前」とでも言いたいのだろうけど、契約する段階で「3月に出ます」といってるんだからちっとも勝手ではない。とにかく、金にならないことに関しては、会社って消極的な気がするのは仕方がないことだ。そういえばJ−PHONEのメール代が異様に高いことに苦情を言ったときも明細取り寄せるのは自腹なんだからたまったものではない。学校は本日も入学試験ということで裏の工事はお休みらしい。それにしてものんびり工事をやっているような気がして仕方がない。これで工期が延びて実際にかかった工事費用が予算よりも上回ってしまうという典型的な公共事業のような気がしないでもない。まあ、僕はその校舎に入るようなことはないからいいのだけど。夕方後輩が明日の修士論文発表会の準備をしていたのだが、発表会の世話人をかってでた学生がきわめて要領が悪いようで、つまらない混乱が起こらないことを祈るばかり。晩飯は久しぶりに「とくら」にいき、鴨鍋を食べる。前回はうどんで〆だったので、今回は雑炊にチャレンジ。なかなかいい感じでできた。戻る↑
    2月25日(月)「スキーの翌日はこんなもの」
    朝起きたら体中が痛い。左足が痛いのはともかく、体中が痛い。ようするに普段やりなれん運動をしたせいである。昨日は天気も良く雪質もよく客もまばらという絶好のスキー日和だったので必要以上にがんばってしまったのが原因であろう。おとなしく歩いて大学へ向かう。大学は今日から入学試験だったのだけど、僕らには何の関係もない。とりあえず教官が試験監督に入ってるので、研究室に教官がいないことだけは普段と違うことなのだが、普段から来ない教官の場合は、全く以って普段と変わりのない様相である。家に入っていた宅配ピザの割引券でも使ってやろうかとピザを食うメンバーを募り宅配を頼む。校舎の入り口で「関係者以外立ち入り禁止って書いてあるんですが、入っていいんですか?」という電話があったけど、そんな張り紙に何の効力もないことぐらいは誰でも知ってることなので無視するように伝えて、研究室まで運んでもらう。久々の宅配ピザを満喫。後輩の修士論文発表にPowerPointを使うらしいのだが、僕のときの発表と同じく、大学の共用機のPowerPointのバージョンが古いので新しいバージョンで作った場合文字化けをおこすらしい。僕のノートパソコンなら問題がないということで、いざとなれば、出動しないとだめなようだ。戻る↑
    2月24日)「原田はえらい、でももっとがんばれ」
    未明に京都を出て、米原まで湖岸道路を走り、米原からは高速で中津川まで。中津川からは国道19号でスキー場まで行ったのだが、彦根から尾張一宮まで運転をしたが残りは爆睡こいていたのであまり記憶がない。スキー場の近所のかなりな山道で気分が悪くなり、運転を代わったが、このスキー場はこういったアクセスの悪さが原因で空いているのだと納得し、設備が大変立派で標高が高く雪質のいい穴場的スキー場であることから、初めて行ったという友人の評価も結構高い。おんたけスキー場はこれまで何回か行ったことがあり、そういったスキー場であることは知っていたのでまんざらでもない。いつものとおり朝一番から滑って10時前に休憩して飯とビール、12時ごろまで滑って風呂入って飯食って帰るというパターンでことは進んだのだが、ゲレンデにジャンプ台があったので調子こいて飛んでみたところ、踏み切りがばっちりすぎて予想外に飛んでしまい、着地に失敗してしこたまひざを打ってしまった。飛んだ後で後悔するという先読みが全く働いていないという情けなさもあるが、原田雅彦の気持ちが少しだけ分かった。でもやつはオリンピックの選手なんだからもっとしっかり飛ばないといけないとも思った。そんなこんなでひざを打った後で車で帰宅したが、帰りにそばを食いに行き、これで4週連続温泉&そばという生活になってしまった。高安でラーメン食べた後、帰宅し、その足で大学に行ったら実験がうまく行ったらしく理論曲線にうまく沿うような結果がでていたので後輩は喜んでいた。それにしてもたまには自宅に帰れよ、後輩。ちなみにオークションで書留も配達記録もつけずに、もちろん小包にもせずに送ってくるよういわれたのでそのとおりにしたら割れていたのでどうしてくれるんじゃゴルァという落札者から「お前には誠意がない」という勝手な理論のもとに「非常に悪い」という評価を付けられたので、足の痛さも手伝ってかなりブルー。戻る↑
    2月23日)「トイレが男子用から女子用へ」
    朝、国道MLの友人から明日スキーに行こうという連絡を受ける。目的はスキーだけでなくスキー場の手前にある村役場に行くこともかなり加えられているのだが、それはいつものことなので、快く了承する。昼間学校に行き、後輩の修士論文の発表原稿を見ながら飯に行き、気持ちよく昼間っから飲んでいたりする。大学は月曜日からの2次試験に備えていろいろと準備をしているのだが、試験会場が校舎の東側の講堂になっているので、普段利用している東側のトイレが、こういう日だけ女子用トイレに様変わりするので、うっかり入ってしまうといらぬ誤解を与えてしまう。去年いた後輩は「トイレに盗撮カメラ仕掛けましょうよ。高く売れますよ」と訳のわからないことを言っていたのだが、いまだにそのビデオの価値が理解できない。家に戻り部屋を片付けたり、買い物をしたりして夕方まで時間がつぶれてしまう。夜中にスキーに出発するので夕方から仮眠し、夜中に友人が迎えに来たので出発する。戻る↑
    2月22日(金)「30分で解けない謎をあっさり解く」
    朝から銀行を数箇所回って住所変更とかいろいろとこなす。そのあと久しぶりに四条に来たのでジュンク堂で「ヤグチ」でも買ってこようかといってみたが売っていない。おまけに本日発売予定の保田圭写真集は発売が順延となった模様。久しぶりにト一で昼飯でも食べようかと思っていってみると昼飯の時間がちょうど終わったところ。諦めて吉野家で大盛ねぎだくギョクを頼む。学校に着いたら、後輩が「数式は立てられたけど、パラメータを振った時に解がどのように変化するかというシミュレーションをやりたいが出来ない」というのでごそごそExcelでシミュレーションをする。後輩と助教授が何日かかっても出来なかったという割には30分ぐらいで出来たんだけど、それだけになんか根本的なミスをしているような気がしないでもないが、どうも結果は予想通りだったらしい。でもシミュレーション結果と実測値がかなりかけ離れているものについてはもう一度測定をやり直すらしいが、発表まであと5日しかないんだけど、そんなことでいいのだろうか?戻る↑
    2月21日(木)「返金したら壊れたものが手元に残るだけ」
    昨日に引き続き、今日もテスト。朝も昨日に引き続き起こしてもらう。テストが終わった後自己採点をしたのだけど、「今からがんばれば、何とか受かる」というレベルだったので、これまた難しい問題に。当初は「今からがんばってもだめだから諦める」という名目が欲しいので受けたのだけど、がんばれば受かるということになってしまったから、これはがんばらざるを得ない状態である。こんな中途半端な点数を取るんじゃなかったと悔やんでしまった。昨日の印刷所から来ていた請求書の代金を振り込む。このあいだ、落札者に送ったメールの返事が返ってきて、「返金してくれないでしょうか?」ということであったが、明らかに向こうの過失が大きいのだから、こちらとしては応じられない。夕方無性にカレーが食いたくなったので、この前スキーを取りに来た友人の彼女が近所の美味いカレー屋に行きたがっていたのを思い出し、晩飯に誘ってみる。そのあと結構遅くまで茶をしばいて帰宅。どうもその店は京都市内の美味い店のリストに上がっていたようでなんとなく意外な気がする。気合入れないでテストに望んだけど、テストは結構しんどいもので、そのまま寝てしまう。戻る↑
    2月20日(水)「CDは大容量メディアだったはずなのに」
    今日は3月末に行われる国家試験の模擬試験である。朝起きる自信がなかったので試験を受ける後輩に朝電話してもらうように頼んでいたので、それで起きれたようなものだ。世間では、この試験をかなり気合入れて受ける人が多いらしく、そうだから模擬テストまであるんだろうけど、そんな中「この模擬テストを今の素の実力で受けて、そこそこ点数が取れたら本番も受けてみるか」というかなりだらけた精神で試験に向き合ったが、やはりかなり難しいものだ。明日も試験がある。博士論文がテストを受けて研究室を留守にしている間に届けられた。なかなかきっちりしたものに仕上がっている。製本したら初めて分かることなのだが、現行の段階では結構スカスカに見えていても、製本されると字が詰まって見えるようで、結構読みにくい。こんなことだったら数式と文章の間は、ページ稼ぎの意味も含めて1行空けておくべきだったかと思う。夜、ハードディスクの整理をしていたら、かなり動画があるようで順々にCD-Rに焼いていくが、70Gのハードディスクから一枚焼いたところで650Mしか減らないから、かなり先は長い。戻る↑
    2月19日(火)「携帯料金の謎」
    あさからJ-PHONEに苦情の電話を入れる。メール代がこんなに高いのはおかしいと言ったら、案の定「ロングメールを自動受信にしていないですか?」ということを聞かれる。それをやっていないのにこんなに高いから文句を言ってるのに、と思うがそういうあほなこと言ってくるやつが多いから、そういう対応になるのは仕方ないのかもしれない。結局自費でメールの明細を取り寄せ、それを見ておかしいということになったらやっと話には応じてやろうという対応であった。実際のところ、メールが一通一通いつ届いたか、送ったかということがその明細には記載されているらしいので、かなりの分量になりそうである。昨日発表が終わったので、今日は久しぶりに美味い昼飯でも食おうということになり、近所の美味い鶏屋へ行く。久々に美味いものを食べて満足。戻る↑
    2月18日(月)「オークションスクランブル点灯」
    今日は4回生の卒論発表会と、修士論文発表の予演会と、助手の博士論文発表の予演会である。朝起きられそうに無いので4回生にモーニングコール頼んで熟睡していたらきちんと起こしてくれた。うれしいものだ。おきてからのんびりと飯食って朝風呂につかり、開始時刻ぎりぎりに研究室に着いたら今日のレジュメをまだ一生懸命コピーしてホチキス止めしている最中だった。発表会場で教授がえらい怒ってるということなので、さっさと移動し発表を始めようとするが、PowerPointが動かないということであたふたする。午前中はあまり盛り上がりの無いまま終わり、昼飯に。PowerPointは単純に表示切替ができていなかっただけで事なきを得たので午後からはPowerPointを使った発表が始まる。いずれにせよ4回生はかなりこってりやられるようで、昔の自分を思い出してみたりする。夕方には終わり、そのまま帰宅。家に帰るとJ−PHONEの先月の請求が来ていたがメール代が予想の4倍であったのでおかしいと憤慨。明日にでも聞いてみることにする。おまけに先週のオークションの落札者が「到着した落札品がぼろぼろだった、何じゃこりゃあ!」といってきたのだが、定形外郵便を指定したのはあなたなんでしょといってやりたい。普通に梱包しているから、通常の取り扱いでは壊れるわけが無いんだからねえ、つまりは責任は俺にじゃなくて郵便局にあるってことなのだが、訳もわからず評価を「悪い」とされた日には納得がいかないなあ。まあ、そういう時は報復で評価を「悪い」にするだなんてことはやらないけどね。戻る↑
    2月17日)「倒れる店員」
    朝宿を出て一路南へ、南に行くのはごくわずかで今井浜からは中伊豆へ車を走らせ、河津川沿いに山へと入っていく。河津七滝を見学する予定で歩いていたが、大滝と出合滝、かに滝、初景滝までいったところでこの先は山道だったのでそこで諦めて戻る。雨が降ってきたのが原因ということにしておくが、初景滝の伊豆の踊り子の像は色合いがあまりに不釣合いでかなり滝のムードを台無しにしていたような。そのあと旧天城トンネルに行って重要文化財ぶりに感動し、湯ヶ島でそば食って修善寺へ。修善寺の駅前でレンタカーを返そうと思い、近所のガススタヘいこうとしたが、日曜定休日。結局かなり先まで行ってそこで給油して戻ってくる。修善寺から三島までは伊豆箱根鉄道で。三島駅の不二家レストランでコーヒーのもうと頼んだら待てど暮らせどぜんぜん来ない。兄夫婦が新幹線の時刻が迫ってると文句を店員に言ったところ、レジにいた別の店員がタイミング悪くいきなり貧血で倒れるというおまけつき。三島からはこれまた一日数本しかないひかりで京都まで。昨日の電話が気になったので実家に帰らず、大学に直行。何とかなりそうでほっとする。夜中オークションが終了。かなり気合入れて出品したものがあまり高値で売れなかったのでかなりげんなりする。戻る↑
    2月16日)「20年前の古き良き時代の日本:東伊豆」
    朝家を出て一路伊豆へ。とりあえずは京都までJR、京都駅からは新幹線で熱海へ。一日数本しかない熱海停車の貴重なひかりに乗って熱海までは快適に。熱海の駅で東京から来た兄夫婦と合流し伊東まで。伊東で車を借りて出発しようとしたが、レンタカー屋に見せた免許証が返ってきてないので危うく無免許運転。伊東は海沿いのバイパスを走り川奈のあたりでさっそく休憩&めし。そのあと小室山で本日より開園というつばき園にいき、1000種類4000本というつばきを鑑賞。1種類当たり4本なのかあとくだらないことに思いを馳せ、4000種類1000本のほうが面白いのになあと更にくだらないことを考える。そのあと、国道135号沿いの珍奇なる博物館美術館の看板を見ながら南下し、熱川バナナワニ園へ到着。バナナワニ園はワニと熱帯植物というすばらしい組み合わせのみならず、基本どころを弁えた適度なパラダイスぶりと、手を叩いたら腰振りながら動く人形とか、においのひたすらきついバナナ饅頭をはじめとするすばらしいお土産の数々に日本の古きよき時代を思い出し涙する。入場料金1000円で1時間半ぐらい時間をつぶせるというコストパフォーマンス的には十分許せる施設だし、内容もなかなかのものである。そのあと本日の宿泊地稲取に泊まり、晩飯は豪華に魚料理。温泉もゆったりまったりで、いい気分である。晩飯の最中に研究室から卒論がピンチだという愚にもつかぬ電話が来たけど、こっちから動けるわけが無い。戻る↑
    2月15日(金)「サポートセンターは大変」
    友人は朝帰って行った。朝から郵便局まで昨日の品物を取りに行く。3セット頼んでいたのに、案の定1セットしか入っていなかった。帰宅して早速その旨を伝えると、すぐに後2セットを送ってくれるんだそうである。ようやく揃うので一安心。それにしても「応募者全員大サービス事故係」という係があるとは一番驚き。たぶん「ゴルァ係」とでも呼ばれているんだろうなあ。さて、4月からクレジットカードの会費が有料になるので、なんか自分にとって都合の良いカードでも作ろうかと考えるけど今ひとつどれもぴんと来ない。それにしても今使ってるカードはプレゼントがしょぼいので、プレゼントの豪華なやつにしようかと考えているけど、どれがいいんだろうかなあ。本日は明日に備えて実家へ帰宅。久しぶりに晩飯は美味いものを食った。戻る↑
    2月14日(木)「論文の製本」
    昨日印刷屋に原稿を昼に取りに来てもらうようお願いしたので、少し早めに大学に行っておく。論文の締め切りというか教授会にかけられるのが22日なのでそれまでに製本をしてもらいたいということがあって、印刷屋の予定では22日ということだったのだけど、少し無理をいって20日にしてもらう。昼飯を食いに行ったらなぜか定食にチョコがついていたので、よく考えれば今日はそういう日だったのかと昨日のバイト先の話を思い出す。夜友人が泊めてくれとやってきた。明日は有給を取ったので、今日は久しぶりに飲んでいたらしい。帰宅すると配達記録郵便の不在通知が入っていた。あれだけ言ったのでようやく来たらしい。明日取りに行くか。戻る↑
    2月13日(水)「国内ですべて片が付く国際的な論文」
    朝大学に着いたら、机の上に投稿論文acceptの通知が来ていた。割と早い結果にこちらとしてもにんまりである。オークションは順調に取引が進む。今回の落札者に200勝40敗15引分というかなり不審な人物がいるので、どうも勢いその対応が過敏となるのは否めぬ事実である。普段なら、「送金確認次第、落札品発送します」と書くところをかなり慎重な書き方になっているのがよくわかる。かなりかたぐるしい文章の書き方である。博士論文であるがようやく自分なりに手直しが終わったので印刷屋に電話して明日取りに来てもらうことにする。ちなみに昨日来たメールをみてちょこちょこ交通費の精算をしたのだけど、一人頭23000円ほど。やはり高いなあ。夕方バイト行って明日はバレンタインであるということで生徒は盛り上がるが、こっちは淡々と授業。戻る↑
    2月12日(火)「ぎりぎりまで実験するか」
    先週電話した限りでは、先週中に着く筈の読者全員プレゼントがいまだに来ないので再度電話をする。向こうとしては、「送った」というが、こちらには届いていないのだからこれは問題である。向こういわく「郵便事故でしょうね。再度送ります」というが、一度郵便事故をしたのだから、もう一度起こる可能性があるから次は配達記録でもつけて欲しいといったところ、とりあえず付けてくれることになった。それにしても向こうは僕のことをクレーマーとでも思ったのだろうか、妙に低姿勢で会話を打ち切りたいという雰囲気がありありと感じ取れたのだけど、それはえらく心外である。大学に久しぶりに来たら後輩がえらい鼻声でしんどそうだったのだが、発表が近いということで無理をして実験をやっているらしい。発表の前ぎりぎりまで泥縄に実験をするという姿勢そのものに問題があると思うが、途中で打ち切ってお茶を濁すという態度とどっちがましかといわれたら、これまた難しいところである。今日はとにかくオークションの落札者が山ほどいたので、その整理に追われまくりであった。週末の旅行の切符を帰りの分だけまだ押さえていなかったので取りに行く。前はみどりの窓口で、今回は大学生協だったのだが、やはりプロの手さばきでてきぱきしてくれるみどりの窓口のほうが性に合うのはどうしてなんだろうか。夕方、スキーの板と靴を友人が持って来てくれたので受け取る。友人は一緒に飯でも行こうという雰囲気だったが、なんかあまり腹が減っていなかったので断る。断ったあとで、妙に腹が減ってきたのだけど、これまたどうしようもない。この前の週末の旅費についてメールでそれぞれが負担した金額を公表したけど、さすがに青森まで大部分高速道路使ったらかなり交通費はかさむものだと実感。一人で払うにはつらすぎる金額である。3人ぐらいでないと払いきれないような金額だ。戻る↑
    2月11日(月)「JHの領収書に収入印紙は貼られるのか」
    朝起きたら三戸は雪。今日一日でがんばって京都まで帰らないといけないのだから、がんばって帰ることにする。ところが先立つものが無いので郵便局探しをするが、一戸ではCDが閉まっていてふられてしまう。その後沼宮内でようやく金をおろすことに成功し、滝沢から高速道へ。そのあとは適当に交代しながら一路京都を目指す。雪は適当に降るが道路はぬれているだけでスリップをするほどのものではなく順調に流れる。宮城に入ったあたりから天気は晴れはじめ、郡山から磐越道に入る。磐越道に入り会津地方に差しかかると雪が降り始め、磐梯山SAで休憩し昼飯を食べる。キジ丼をたのんだけど、本当にキジだったかはわからない。そのあと雪に降られながら磐越道を進むが会津坂下と西会津の間が事故で通行止めになってしまい、泣く泣く会津坂下で下りる。通行止めで強制的におろされたから、インター利用料金100円2回分をあとで精算してくれるという証明書をもらうのだが、今回は「如何に高額の高速料金のレシートを見ることができるか」という不毛な目標があっただけに、ちょうど真ん中あたりでのこの強制的挫折活動は腹立たしいものがあるし、そのくだらない目標を抜きにしても高速料金の長距離逓減の恩恵をまるでぶった切られることによる懐の寒さの増加に対しては理不尽の一言に尽きる。会津坂下から西会津までは国道49号を利用して再び高速へ復帰し、津川あたりまでは雪の中を走る。そこから先は雪が降っていなかったので走れるうちに走っておこうということでがんばって米山SAまで走るが、北陸道が敦賀近辺で圧雪道路になっているらしく金沢以降はチェーンが必要だというので上越からおとなしく上信越、長野、中央道経由で帰ることに決定。ところが東京に帰るスキー客という僕らにとってはまったく縁もゆかりもないやつのせいで更埴JCTや岡谷JCT近辺は大渋滞。渋滞にはまりながらもようやく恵那山を抜け、雪国とおさらばしたかと思ったら山を越えても雪が降っていた。そのあと名古屋から東名阪、名阪国道を利用してならの友人を先に下ろし、そのあと京都まで戻る。京都に戻ったのは夜中の2時半。一日の移動距離は1200Kmだった。戻る↑
    2月10日)「わんこそばと馬肉鍋」
    朝起きて昨日新潟で降りたメンバーは一足先に六ヶ所村へと出かけて行った。本日の目的地は三戸町である。とりあえずがんばって盛岡まで高速をぶっ飛ばし、盛岡でMLerを捕まえようとしたがあいにく留守。仕方が無いので東屋本店で「わんこそば」に興じる。「どんどん」「じゃんじゃん」の掛け声とともに、一口分ぐらいのそばがおわんに放り込まれ、気がついたら58杯食っていて、そこでダウン。一応認定証をくれたのだけど、これまでに一番たくさん食ったやつは500杯以上というからその足元にも及ばない。それにしても一口分というそばだったけど、食いやすいようにという好意的解釈をしても、茹ですぎで美味くなかったし、一杯の量がずいぶんと差があって、58杯という量が他の人の量ときちんと比較できるかどうかについてはずいぶんと疑問が残った。そのあとわんこそば用の前掛けをそのまま持って帰ってしまう。盛岡からは国道106号で宮古を目指す。途中区界峠で凍結路に出会い、かなりしんどい思いをして峠を越える。友人の村活動に付き合って川井村、新里村、田野畑村、普代村とまではうまくいったが、宮古からかなりがんばって国道45号を爆走したのだけど、野田村はかなり暗くなっていてまともに写真撮影ができず、大野村についてはまったく無理であった。それにしても大野村の「一人一芸の里」というキャッチコピーに嘘偽りがないのであれば、村人を捕まえて「おら、芸しろ」といったらなんかやってくれるのだろうか?そのあと金田一温泉で湯活をしようとしたら、偶然MLerと遭遇し、「なんでおまえがここに?」と両方で盛り上がる。こういう突発的なオフが旅の醍醐味である。そのあと目的地の三戸に到着し、MLerの実家で馬刺しと馬肉鍋をご馳走になる。馬刺しは前に食ったことがあるけど、前のはシャーベット状であまり味が感じ取れなかったが、今回はコクのあるたいへん美味い馬刺しだった。馬肉は火を通すと獣の肉だけあって硬くなるのだけど、脂肪が他の動物と比べて大変甘く、とってもおいしかった。そのまま長旅の疲れで爆睡。戻る↑
    2月9日)「北茨城であんこう鍋」
    新鶴村の駐車場で目が覚めたら、村活動をする友人は写真撮影をしていた。そのあと北会津村にも立ち寄り、そこから再び磐越道で集合場所である磐梯山SAへ。そこで集合した後猪苗代磐梯高原で下りて、磐越道を東から来ている友人と待ち合わせるが、渋滞にはまったようで、なかなか来ない。さらにもう一人は五百川PAにいることは確認したのだが、連絡がつかない。後でわかったけど、爆睡していたようだ。猪苗代スキー場はなかなかいい雰囲気のスキー場で、先週に引き続きよわよわになっている足が悲鳴を上げるまでのずいぶんと短い間スキーを楽しむ。スキーを昼過ぎまでで切り上げて一路磐梯熱海温泉へ。帰るときに一日券を2000円で買いに来たおっさんがいたのだが、既に返却した後だった。磐梯熱海温泉でまったりした後一路郡山で新潟で降りたメンバーを拾い一路北茨城の民宿へ。実は、この行程のメインはここで国道MLのメンバーとあんこう鍋を食べることにあったのだが、他の要素が多すぎて、それが薄まってしまうというのはいつものこと。あんこうは初めて食べたがものすごくうまかった。また、魚好きにはたまらないメニューで、舟盛りもあるし、これでもかこれでもかと魚が出てくる。その後さらに宴会が続いたけど、長旅と酒のせいで割と早々と寝床に着く。戻る↑
    2月8日(金)「いざスキー?へ」
    来週末の旅行の切符を取りに近くのみどりの窓口へ。一番近くのJRの駅が3キロも離れているというのはかなり不便である。最近はインターネットで予約が取れるというのもうなずけるが、駅員とやり取りしながら切符を発行してもらうというのはやはりいいものだ。夕方バイトに行ってそのまま山科に集合し、一路猪苗代を目指す。山科から国道161号を走り、敦賀でなぜかラーメンを食ってしまう。そのあと高速に乗るが、なぜか小矢部から能越道に入り高岡で下りる。そのあと国道8号をひた走り、親不知、子不知を堪能して糸魚川から再び高速へ。その後おとなしく高速に乗ったままにすればいいものをなぜか中ノ島見附でおりてそこから再び国道8号で新潟へ。新潟で友人が学生時代に住んでいた某大学六花寮で40円の塚田コーヒをゲットしようとしたが無かったので塚田フルーツで我慢。新潟で一人降りてそのあとは一路磐越道で猪苗代へ、といいたいがなぜか会津坂下で下りて新鶴村役場の駐車場で仮眠。戻る↑
    2月7日(木)「高安のすじチャーシュー」
    週末スキーに出かけるのでその準備をする。板と靴を友人の車に乗せてもらい別の車でスキー場に行くという予定なので、道具だけを先に取りに来てもらう。そのあと久しぶりに高安でラーメンを食べる。裏メニューのすじチャーシューは絶品であった。戻る↑
    2月6日(水)「ネットでの手配」
    来週末に家族で出かけるのでその手配に追われる。目的地は伊豆なのでどう考えてもレンタカーが必要ということになりいろいろ調べるが、去年伊豆に行ったときに、伊豆半島に出入りするときが一番渋滞するということを身をもって体験したので、車は伊東で借りることにする。そのあとどうプランを組んでも伊東に戻ってくるのは得策でないので乗り捨てと言うことになるのだが、ありがたいことに伊豆半島内なら乗り捨て料金不要というかなり太っ腹なレンタカー会社があったのでそこに申し込むことにする。おまけに伊豆半島内に宿泊するとレンタカー料金までまけてくれるというのだからこんなのは願ったり叶ったりである。昼から四条の本屋に行っていろいろと欲しい本を買い込み、イノダコーヒでコーヒー飲みながら適当にくつろいで大学に戻る。研究室で芋焼きながら後輩の指導をしてバイトに出かける。忙しいけど、なんか充実したようなしていないような一日だった。戻る↑
    2月5日(火)「なかよしとは仲良しになれない」
    体調は思わしくないのだが、行かざるを得ないという感じである。今日もなぜか応募したプレゼントが届いたが、昨日の電話とは違い真ん中のやつが届いた。一番古いのが一番最後まで来ないというのはよくわからないことなのだが、騒いでも仕方ないのでもう少し待ってみようと思う。大学に着いてメールチェックした後自分のジャパンネット銀行の口座を見てみたら、3月までは無料であるはずのYahoo!オークション参加費が引き落とされていたのでジャパンネット銀行に問い合わせてみる。どうも同じ用件で怒りの電話が殺到していたらしく、応対に出たお姉さま方は一様に低姿勢で、「Yahoo!が引き落とせゆうたから引き落としたんじゃい」というガキの使いのような弁明に終始する。参加費が低額なのでそれほど問題でないのかもしれないが、これがもうちょっと高額となれば勝手に取って勝手に返したとしても社会的には責任が免れないと思ってしまうので僕だけではあるまい。博士論文の審査はもう一人の審査員から返ってきて、これまたまったく修正箇所がないというのだから、まったく問題なしということらしい。後輩がオークションに出品したいといってきたので写真を撮って出品するが、希望落札価格であっという間に落札されてしまい、なんだかすごいと思った次第。金曜日に受け取った投稿論文を手直しして、必要な書類をそろえて編集者に送る、といっても編集者は1階の研究室の教授なのだけどね。戻る↑
    2月4日(月)「吉田神社の節分祭に行けず」
    目が覚めたらものすごく熱がある。体温計が無いので測れないけれど、かなり高そうなので大学に電話して休むと伝える。電話に出た後輩が「ものすごく鼻声ですね」といって笑ってたのだけど、そんなに情けない鼻声だったのかしらん。ともかく、うんうんいいながら一日中寝ていた。昼前にずいぶんと昔に応募していた読者応募者全員プレゼントがようやく届いたのでひと安心だけど、なぜか3ヶ月連続で応募したもののうち一番最後に応募したものが届いたのはどうも腑に落ちないのでその雑誌の編集局へと電話してみる。今週中には最初の応募分が届くそうだ。真ん中のやつは今月中には届けるんだそうで、もう少し気長に待てということらしい。おかげで昨日のスキーの荷も解かないままでかなり凄まじい部屋の状況である。毎年行っていた吉田神社の節分祭にもいけず、晦日そばも食っていないのは少し侘しいが、体調がこうだから仕方ない。夜になってようやく体調が落ち着いてきたので買い物に行き、いろいろと買い込む。明日は何とか大学いかないとなあ。戻る↑
    2月3日)「栂池スキーと丸かぶりの風習」
    朝未明に松本を出て一路栂池へ。途中松川村で廃車となった現場を確認し、一路栂池へ。栂池は絶対満員であろうと思っていたのだが、昨夜より中央道が園原−上野原の間で雪が降りまくり状態で速度制限がかかっていたせいか、まだこちらにたどりつけていないスキーヤーが多いらしくかなりすいてるゲレンデを思う存分滑る。朝8時から滑り始めて10時前にかなり疲れてきたので休憩。朝飯というか昼飯みたいな飯を食いながらまったりする。そのあとトイレに行ったところ、レストハウスのトイレはきちんと便座が温まるようになっていたのには驚いた。そのあと昼ごろまで滑り、そのまま雪の中央道を走るわけにも行かないので北上して糸魚川から帰ることにして一路国道148号をひた走る。途中道の駅小谷で温泉に入ってまったりし、手打ちそばを食ってこれまたまったりする。まったりしすぎなまま糸魚川から高速に乗り、眠くなると交代するという順繰りでがんばって敦賀までたどり着く。敦賀で高速を下りて敦賀ラーメン一力でラーメン食べる。なかなかに美味であった。そのあとはいつものとおり京都まで帰宅。家に荷物を運び込んで友人の車を見送った後になってお土産のそばを積んだままにしていたことに気が付いた。どうもなんか必ず忘れ物をしてしまうというのは治まらないようだ。夜は一応太巻きを北北西に向かって一人静かに丸かぶりしてみたが、この風習が実は海苔屋の陰謀であったとは知らなかった。関西でしか定着していない風習だそうで、コンビニが躍起になって全国に流行らせようとしているらしいがさてどんなものか。戻る↑
    2月2日)「今期初スキーへ」
    朝起きてスキー板の手入れをする。今シーズン初すべりなのでガードワックスを引っぺがし、ワックスを新たに塗りこんでいく。塗りこみ終わり、準備が完了したらちょうど友達が到着。スキーを乗っけていざ信州へ。当初は斑尾で滑る予定であったが、松本で飲むという話になり、仕方なく目的地を栂池に変更。京都東から高速に乗り塩尻までは高速をひた走る。塩尻からはなぜか山形村と朝日村に立ち寄り、松本に住む国道MLの後輩のところに厄介になる。夜、松本の居酒屋で飲みながらその友人に飲んでいるところを写メールしてみたら、悔しそうなメールが帰ってきた。後輩宅では関西では珍しいツララをおったり、寝袋にくるまったりといろいろやりながら寝る。戻る↑
    2月1日(金)「ようやく仕事が決まった友人」
    朝から実家を出て学校へ。適当に仕事をしていたら友人が来て、こないだの研究所の面接の結果、合格したらしい。ということで4月から横浜に住むことになるそうである。何はともあれめでたい。5年契約で年俸制というよくわからない制度らしいが、とりあえずは仕事が決まったようだ。相当うれしかったようで飲みに行こうといわれたがバイトがあるので仕方なく断った。この前から問題になっていた投稿論文であるが、ようやくacceptされたようである。実は昼間教官と「だめやったら次どこに投稿しよう」と相談していたばかりだったので、噂をすれば何とやらというところかもしれない。明日からのスキーに備えて、帰宅するが、今ひとつ体調が怪しいまま。戻る↑